アニメ版『シスタープリンセス』補論3

〜妹達の成長と今後〜

はじめに 〜問題の視点〜

 本作品は、プロミストアイランドという独自世界における兄妹をめぐる物語であり、その中で航達のみならず、主要な脇役までもが各人なりの成長を遂げていった。このうち、航については全話を通じて、燦緒と眞深についてはとくに第23話から最終話までの考察で、そして山田については補論2において、それぞれの当初の状態と物語中での成長、今後の方向性などを既に叙述してきた。しかし、一方の主役である妹達については、各人のヒロイン話で重点的に検討してきたものの、物語全体を通じての結論は未だ示されていない。
 それゆえ本考察では、各妹について以下の観点から総括することを試みる。まず本作品内での妹達が、当初どのような性格づけをなされていたのかを、生い立ちの想像もあわせて検討する。そのさい、原作版との設定の相違を確認するために、原作の中から『シスタープリンセス ピュアストーリーズ』の口絵に付けられた説明文をイタリック文字で引用し、対照の手がかりとする。次に、作品を通じての成長過程を要約する。そして最後に一括して、各人の今後について論者の主観をまじえて予想を試みる。
 なお、妹達の生い立ちについては、本考察でも最終話分において概観しているが、そこでは妹達の実母や保護者は、賢明な配慮とじいや達の監督のもとで娘を養育したという想定がなされている。これに対して、たのしげ氏は
「アニメ版『シスタープリンセス』に見る秘匿された親子愛、あるいは同情的救済」において、妹達の生育環境から家庭的情愛が欠落していた可能性を提起している。第4話の雛子の台詞「ばいばい。」を捉え直すところから始まるこの立論には、論者も認識を改めさせられる点が多い。しかし、妹達の生育環境については、論者はたのしげ氏に完全には同意せず、本来愛情豊かであるはずの母親や保護者がその特殊な制限下で十分に愛情を注ぐことが出来なかった、という可能性を指摘しておく。この立場からは、母親達や保護者達もやがて調和の輪の中に取り込まれていくという未来像がより容易に描かれることになり、本考察の基本線と合致するからである。(これについては既に両者間で意見が交わされ、兄妹と母親達との関係のあり方について認識の相違が確認できたことを付記しつつ、貴重な示唆を与えていただいたことに感謝したい。)以上を踏まえつつ、この補論では、妹達の性格形成と生育環境を連関させる目的から、生育環境の問題をあえてなるべく想定することとした。これはたのしげ氏が具体的証拠を用いて検討された雛子や鞠絵の場合と異なり、一部の妹について主観的にすぎる結論やあまりに安易な環境決定論に陥る危険性をはらんではいるが、各人の生育歴についての一つの仮説として提示するものである。


1.妹達の成長

(1)可憐(第14話メイン)

「ロングヘアーが女の子らしい可憐ちゃんは、一途にお兄ちゃんを想うとっても素直な女の子。可憐ちゃんにとってお兄ちゃんは、世界一ステキな男性です。」

 原作版やゲーム版と異なり、可憐には最年長者としての設定が与えられている。それゆえ、その行動に年齢相応の修正がより大人びた方向へと加えられたが、その一方で原作版での基本的性格(純粋さなど)もまた、ある程度保持された。この両側面の葛藤は、本作品における可憐の性格描写の揺れに対する批判を招いたが、本考察では、むしろこれこそが彼女の問題と成長を指し示す要点と捉えてきた。
 本作品では実は4人目の帰国子女とされた(第3話「外国に行ってた」)可憐は、幼少期に島で航と遊んだ記憶をほぼ確実に持っており、またその高い知性と控え目な性格によって、周囲の利害関係者達をやんわりと操作しえた。これらに加えて最年長である彼女は、じいやの代理人か母親から、一族の事情の一端を予め教えられていた(ないしは察知していた)可能性がある。それゆえ、島での生活が開始された時点で、可憐はこの計画の正否を左右する重要な役割を委ねられていたわけだが、しかしその生い立ちや重責は、まだ少女にすぎない彼女に大きな負担と「ずっと独り」(第3話)という孤独感を強い続けることにもなっていた。その抑圧を解消する手段のピアノをウェルカムハウスの自室にも置くほどだったが、航と出会ってからは、この唯一甘えられる相手である兄に素の自分を守ってもらうことが最大の欲求となった。だがそれは、彼女の二面性を葛藤へと陥らせ、精神的均衡を危うくもした。
 可憐は第1話でクレーン吊りのボートに乗って登場したが、これは幼少期に航と出会った時、航がボートから海に落ち、可憐がその手をつかんで助け上げたという事件があったことを意味しているのかもしれない。そうであれば、偶然にも再び水没しかけた航を救助しつつ、この最も鮮烈な出来事を再現することで航に妹達との記憶を取り戻してもらえるようにという配慮が、ここで働いたという見方もできるだろう。航の髪型を崩しつつ、その方が格好いいと告げるのも、可憐がかつての航の姿を知っているからである。その後、彼女の利己的な欲求と共同生活全体に対する義務感は、第3話で共同生活の原則を再生させながら、奇跡的な均衡をいったん成し遂げた。しかしこの時点での均衡は、自らの欲求に重点をおこうとしつつも彼女の少女らしさを抑圧することによって、きわどく成立していた。妹達の中で最も兄に近い位置を維持し続けるためには、そのような犠牲が必要だったということかもしれない。これが崩れる契機が第7話であり、咲耶と眞深の振る舞いに自省の機会を与えられた可憐は、さらに航の無神経な一言によってその思惑は瓦解し、否応なく自分自身に向き合わざるを得なくなった。あのアイスピックが突き刺さった先は、つまり可憐の胸そのものだったと言えるその結果反動として生じたのは、少女らしさの過度の表出だった。第11話でのガラス瓶のエピソードをはさんで、第14話にてこの反動が極限に至った。理想化された兄への完全な依存に陥りかねない心理状態にありながら、可憐は、航の自己否定への対応を通じて、自分自身および兄との関係の客観化を行い、精神の安定を取り戻した。
 その後、可憐は、この新たな認識に基づいて、ときには裏方に徹し、ときには咲耶達と正面から張り合えるようになった。とくに第20話では咲耶に借りを返し、第23話では咲耶の振る舞いに素直に笑い、そのうえで第26話では、以前にもまして自分の位置を強固にしようと企て、成功した。これをもって彼女がさらに邪悪になったと捉えるか否かは視聴者の判断に委ねられるが、ただ、可憐が責任を放棄することなしに、より自然に振る舞い、本来の魅力をより高めるように成長してきたということは、共通に理解されるところだろう。
 妹達の中でとくに親密だったのは、雛子、白雪、眞深である。雛子には母親代わりを務めた。白雪とは第25話以外に目立った場面がないが、第12話コテージ就寝場面や第26話エピローグ場面では、この二人が手を繋いでいる。少女趣味やお菓子作りなど、原作版でも接点は多い。眞深は当初監視対象だったが、第7話を転換点として、第19話では相談相手の段階にまで達している。正直な気持ちを遠慮無く言い、しかも案外女性的な面ももつ眞深を、可憐は一目置いていたと考えられる。一方、咲耶は当初より自分にない魅力をもつ天敵だったが、やがては共同生活を一緒に守りながら闘い合う好敵手となった。

(2)花穂(第16話メイン)

「ヘアバンドにおかっぱヘアがかわいい花穂ちゃんは、大好きなお兄ちゃまの役に立ちたいと思ってる健気な子。ちょっぴりドジなところもあるけど、優しい心でいつもお兄ちゃまを応援しています!」

 原作版のこの設定は、気弱で泣き虫であることなども含めて、本作品の花穂にもそのまま当てはまる。そして、自信のなさという欠点は、自分のできることを精一杯努力するという誠実さとあわせて、彼女の行動の背骨を形作っている。幼少期に航と出会えたかどうかは年齢的に微妙だが、「でもそんなとき花穂、こうして『がんばれ』って、心の中で思うの。そうすると、元気がいっぱいいっぱいでてくるんだぁ。」(第1話)という台詞は、兄の笑顔を、あるいは間接的に知りえたその存在を、ぼんやりと感じさせてくれる。家庭ではしっかりした母親(養育者)の庇護を受けながら、周囲の言葉に影響されがちで焦燥感を抱きやすい状態にあったと想像する。花を育てるのが得意なのは、ゆっくり根気よく育っていく植物に、彼女自身が投影されていることもある。「しっかり」「焦らないで」と言われるほどにそうなってしまう中で、(まだ見ぬ)兄の励ましの声が、花穂を心の中から支えていたのかもしれない。そしてその言葉が第1話で失意の航を助けることになったとすれば、花穂は既にこの時点で、兄を応援したいという願いをかなえていたことになる。
 しかし花穂自身は、その欠点に悩まされ続けた。年少者グループ中の年長者という立場にあって、彼女はお手伝い組の中に入れられ、亞里亞や雛子を取りまとめることを求められる(第3話)。しかし、CD『Prologue of Sister Princess』で自信のなさを強調されていた彼女が、その責務を全うすることは至って困難だった(第4話で雛子を起こすこともできないなど)。これに対して周囲の年長者達は、花穂を励まし支えつつ、その成長を促す手立てをとった。当番の組み方もその一つであり(逆にプレッシャーにもなったが)、また第3話夕方に航が自室で横になっている場面では、咲耶が「花穂ちゃんすごーい!」と褒めている声と、花穂の照れ笑いの声が聞こえてくる。第16話では、夕食の席を囲んで、咲耶達が花穂の苦労をねぎらっている。無理に持ち上げるのではなく、日常の中でその都度花穂の長所を見出そうという態度が、ここにそれなりに看取できる。
 このような配慮を受けつつ、花穂も自ら努力を続けた。第3話以来、兄の応援ができるようにとテアリーディング部で練習に励み、その一見遅々たる成長は、やがて第16話で、心から兄を応援する一人前のチアリーダーの姿となって結実した。また、第11話では潜水艇上で雛子や亞里亞の面倒をみ、第26話で走るさいには亞里亞の手を引いてあげるなど、年長者としての自覚も高まった。雛子が第16話で花穂の真似をするのも、そのような花穂をお手本にしようとする模倣意識の芽生えである。
 しかし、それでも花穂は道で転んだりパニーニの中身をずり落としたりなど、相変わらずの軽率さから脱しきれていない。それは彼女の本質的な部分であり、また兄に包まれて生活することで、やがては周囲に許される範囲内での失敗に抑えられるよう、これからもゆっくりと成長していけるのだろう。そして彼女もまた今まで通り、惜しみない愛情を兄や花や周囲に注いでいけるだろう。
 妹達の中でとくに親密だったのは、雛子、春歌である。雛子は妹のような存在であり、春歌とは第12話で一緒にSOSを描いたり並んで寝たり第19話ではスケート中に支えられたりと、意外な仲の良さを見せている。春歌から見れば世話を焼きたくなる存在だったのだろう。また、四葉と第22話で迷コンビを演じたことも印象深い。

(3)衛(第9-10話メイン)

「スポーツが好きで、いつも大好きなあにぃと一緒にいろんなスポーツをしたいと思っている衛ちゃん。そんな衛ちゃんもお兄ちゃんの前だけは、やっぱり1人前の女の子になっちゃうみたいです……(はぁと)」

 衛の幼少期を想像すると、あれだけ多種多様なスポーツに習熟していることから、十二分に自由な生活を過ごすことができたものと思われる。ただしその背後にある一族の問題は、語られぬままに衛の態度に影響を及ぼしていたかもしれない。例えば、女の子らしくすることが抑圧を暗示するとすれば、いつまでも男の子として振舞うことが、彼女の自由を保障するものと無意識のうちに捉えられていた可能性はある。そのような一見円満な家庭環境と、そこに内在する女性的成長への不安が、衛の自室に置かれた小学生用学習机に象徴されていると見るのは、うがちすぎだろうか。
 TV版第2話では窓をぶち破って登場した衛は、典型的なスポーツ少女の明朗さと少々の荒っぽさをもった性格であり、航にもその趣味を共有してくれることを望んでいた。しかし航はそれだけの運動能力も運動への関心も持ち合わせておらず、航から見れば衛は、文科系が体育会系に抱くコンプレックスの対象そのままだった。すれ違う両者の接点は、第9話で航が衛に水泳指導を頼むことで得られ、一度は意識の乖離を明確化させてしまいながらも、航は水泳・運動に向き合うことができ、衛は兄からの感謝と、兄を通じての自省とを獲得した。ここで比較すると、原作版では、兄を次第に追いかけていけなくなっていく衛が自らの少女としての成長に歯がゆさを覚えつつ、同時に少女らしい兄への思慕を育んでいくという二重性が、彼女の天真爛漫さとあいまって魅力の源泉となっていた。しかし本作品では、その過渡期に対する自覚はほとんど描かれておらず、その代わりに、水泳指導をめぐるわずかな期間が、衛が児童期から脱却する契機を形作っていた。ただしこれ以前の第7話では、ウェディングドレスをめぐる場面では、眞深の揶揄に反発して自分も女の子であることを確認しようとしている。周囲の妹達からの刺激を受けていくことで、衛の少女としての目覚めは促進され、第13話では航に、日焼けした女の子が嫌いか尋ねるまでに至っている。
 だが、この段階においてもなお、衛は過度に少女らしさを帯びず、天真爛漫なままであり続けた。同じ場面で衛は日焼け具合を見ようとして襟口から自分の肩をのぞかせたり、航のシャツをまくり上げたりして、兄を大いに焦らせた。意味深長な言葉を何の気なしに投げかけてくるのが原作版での彼女の特徴だとすれば、本作品でもそれは踏襲されている。そうしていつも兄の背中を押していた衛は、最終話では、二人乗りした自転車で、後ろから兄の背中に抱きついた。それは、兄が島を離れることで、実は自分こそが兄に支えられていたことに気づいたことの表れだった。つまり、衛が少女らしさに葛藤し始めるのは、これからということになるのだろう。
 妹達の中でとくに親密だった者を挙げるのは難しい。孤立していたのではなく、誰にでも快活に振舞えるため、特定の仲良しが存在しないのだ(コテージでもほぼ単独で寝ているが、これは寝相が悪いせいかもしれない)。ただし年少者達とは一緒にいることも多く、また四葉、鈴凛、眞深あたりとは気が通じやすかったかもしれない。

(4)咲耶(第7話メイン)

「大人っぽくてオシャレな咲耶ちゃんは、一見とても今風だけど、実は……ものすごいブラザーコンプレックスの持ち主!お兄様への想いは止められずにいつも…あふれだしちゃうみたいなのです。」

 この原作版設定と本作品のそれとはほとんど相違ない。想いの中に、兄と結ばれ得ないことへの悲哀と、それさえも乗り越えようとする意志、そして決定的な場面での気後れ、といった要素があることについても同様である。だが、共に過ごした子供時代の欠落が、想いの現れ方に影を落としている。
 咲耶の幼少期は、他の妹達と同様、庇護されつつ隔離される生活環境の中で送られた。そこで彼女が選んだ態度は、他人に自分を認めさせるためにあらゆる努力を惜しまないというものだった。それは可憐とは異なり、自らの能力を心身ともに徹底的に磨くことで成し遂げられた。この中で培われた強力な自負心は、自室に飾られた何枚もの賞状に示されている。そして、この賞状を飾るという行為に、咲耶が新しい共同生活に臨むさいの不安を、自尊心の記憶によって何とか克服し、海神家の次代当主である兄にとって最高の妹たらんとする積極性に転化しようとする姿が示されている。しかしその背後にはまた、そのように張り詰めた彼女の心を解きほぐし支えてくれるようなものとして、兄を希求する想いも込められていた。
 実際に共同生活が開始した後、咲耶は持ち前のリーダーシップをいかんなく発揮し、可憐達と対抗しつつ、主導的役割を担いえた。そして第7話のウェディングドレス姿によって、彼女の傑出した女性的魅力を、他の妹達もついに認めるに至った。しかし、肝心の航にその効果がないことで、咲耶の自尊心とそれを育んできた過去の意味は根本から動揺し、代わって浮上したのは、兄妹の時間を得られなかったという否定的な過去の姿だった。代償行為としてのごっこ遊びもままならない今、咲耶にできるのは、ひたすら「いま」を追い求めていくことで、自分の望む未来を掴み取るという、今まで通りの、しかし今まで以上に懸命な努力しかなかった。第12話の遭難時に露呈した喪失への脆さを覆い隠すためには、共同生活を盛り立て、兄を追いかけ、ともかく自分から動かねばならない。そのたびに照れる兄に拒絶されるとしても、その反応こそは、兄が自分を見ていてくれる証しだった。そして兄は確かに、必要な時には自分を優しく包んでくれる存在であり、自分の弱さを唯一見せられる相手でもあった。それでも咲耶の強迫的な積極性は、第25話で航を連れ戻しに島を出ようとする時まで和らぐことはなかったが、その試みが挫折した瞬間、彼女が自ら強いてきた心の緊張はついにほどけ、そして兄の自発的な帰還によって、本当に兄に頼り、甘えられるようになったのだ。
 ところで、彼女がここまで「いま」に向き合い張り詰めていなければならなかったのは、幼少期に他の年長者のような「お兄ちゃんの日」の経験をもっていなかったからだろうか。第23話で燦緒に嫉妬する自分を可笑しがる可憐にむっとする姿、第25話で自分の指を見つめることのない姿は、そのような取り戻せない欠落を暗示するととれなくもない。ただし第25話については、過去に頼らず「いま」自分で掴み取るという咲耶らしさの表れであり、咲耶もかつての「お兄ちゃんの日」に幼い航と出会い、そこで「運命の赤い糸」を結び、航が「もっと格好いい」兄になると約束したのに対して、もっと素敵な女の子になることを誓ったのかもしれない。だとすれば、その約束をこうして果たしたにもかかわらず、航がそんな自分を拒絶するという皮肉に、咲耶は深く傷ついていたかもしれない。しかし、航が第20話で咲耶の横顔に「きれいだ…」と思わず呟いた時、咲耶がそれを聞いていなかったにせよ、彼女の努力は確かに実を結んでいたのである。
 妹達の中でとくに親密だったのは、対照的な性格ながら最後にはお互いを認め合った可憐、世話をしつつ服を選んでもらいもした亞里亞である。千影にも同年齢かつ大人びた魅力を感じるところから、微妙な反発交じりの関心をもち、やがては好意を抱いたと思われる。

(5)雛子(第4話メイン)

「12人の妹達の中でも1番チビッコの雛子ちゃん。淋しくなると思わず涙が出てきてしまうという大の淋しがりやさんで、いつも一緒に遊んでくれるおにいたまのコトが大好きです。」

 この設定はそのまま本作品にも用いられているが、家庭環境についてはたのしげ氏の指摘に従えば一考の余地がある。原作版では母親が登場するが、もし本作品の雛子に母親としての存在が奪われていたとすれば、彼女は例えば海神家の児童養護施設の年少児として、乳児期より育ってきたという想定も取りうるのである。この場合でさえ保母などといった保護者は身近にいるわけだが、全員のための保護者ではなく自分だけのためのそれを求める雛子にとっては、決して十分な存在ではなかったことだろう。あるいはそのような環境でなかったとしても、保護者となる大人が度々交代したために、密着した愛情関係を持ち得なかったという可能性も考えられる。それでも例えば第3話の航との下校時に亞里亞を排除して兄を独占しようとしなかったのは、たとえ年長者からの訓示があったとしても、立派ではないだろうか。
 この生い立ちを背景に、雛子は年齢相応の幼児として共同生活に参入したが、この生活を維持するための責任の自覚は当初やはり薄く、何よりも自分に必要な保護者を求めることが先決であり、その欲求不満の結果として第4話でついに出奔するに至った。ここで熊のぬいぐるみを探す1日を通じて、航を自分の兄として真に見出すことにより、雛子はこれ以降は共同生活の一員として自らを律していくことになった。その姿は、第8話で鞠絵のために亞里亞と照る照る坊主を作ろうとする場面や、第16話で皆に褒められた花穂の真似をしようとする場面、第20話で亞里亞を気遣う場面、また第22話でお手伝いをする場面などで描かれた。さらに、年少者としての想像力や予期せざる振る舞いは、第7話の花嫁ごっこの契機になるなど、日常生活に明るい彩を添えた。
 航が島を離れた間、船着場で兄の帰還を待つ雛子の姿には、年長者には見出しがたい幼児なりの強さが備わっていた。それは別離に慣れ親しんできてしまったかつての彼女の諦念に基づく強さではなく、自分を庇護する存在として心から受け入れた航への、全幅の信頼によるものだった。その信頼に航が応えて再び幸福な日常が戻った時、雛子はその喜びを小さな体から溢れさせて、誰にでも分かち与えようとした。甘えん坊で寂しがりやの彼女が愛情で満たされるに至ったことが、ここで改めて確認できるのである。そして雛子はこれからもその本来の明朗さのままに、共同生活を賑やかにし続けていけることだろう。
 妹達の中でとくに親密だったのは、可憐、花穂、亞里亞である。可憐には姉あるいは母代わりの存在として懐いた。花穂と亞里亞は年少者仲間だが、亞里亞とはほぼ対等であり続けた一方、花穂には次第に従うようになっていった。また、ミカエルとは大の仲良しだった。

(6)鞠絵(第8話メイン)

「病弱でおとなしい鞠絵ちゃん。少しでも兄上様の役に立ちたいのに、いつも兄上様に励まされるばかりで、遠くから想っていることしかできない今の自分をとても歯がゆく思っている健気な妹です。」

 原作版と最も異なる設定を与えられた一人が、この鞠絵である。共同生活という点ではいずれの妹も同じとしても、療養所での生活を余儀なくされている原作版と比較して、鞠絵の兄への密着度は圧倒的に高まった。
 第25話で指を見つめていることから、鞠絵は幼少期には原作版と同様、健康に戸外で遊ぶことができたと思われる。「お兄ちゃんの日」に幼い航と出会った後、鞠絵はその思い出を胸に、やがて兄のお世話ができるようにと願ってきたが、しかし発病とともに療養所での生活を余儀なくされた。この間、海神家による医療支援が最大限になされたとしても、それはいっそうの隔離をもたらすものでもあった。彼女の孤独を癒すのは、ミカエルの存在と読書による空想であり、共同生活が始まってもしばらくはその状態が続いていた。航との再会を励みにして努力した結果、ようやくここまで回復に成功した鞠絵は、日々の中で彼女らしい繊細な気配りに努めるものの、しかし当番などの負担を軽減され、体調を心配されることで、当初の喜びよりも、皆への申し訳なさを強めて閉じこもっていく。それはまた、病気によって再び孤独な療養所生活を余儀なくされるのではないかという恐怖とともに、彼女の体調を悪化させていくという悪循環をもたらしていた。
 この状況を一転させたのは、第8話で兄との絆を確証できたことだった。さらに内向的な性格が兄と似ていることなどを知りえたことに加え、兄と砂浜を散歩したり、一緒に観覧車に乗ったり、兄にマフラーを編んであげたりと、鞠絵は望んでいた幸福な場面のほとんどを実現することができた。まさに本作品の鞠絵は、原作版の鞠絵が夢みる未来そのままの姿なのである。そして、この日々の中で鞠絵の心身は回復し、病気も日常生活に支障をきたさない程度にまで治癒した(既に第10話では水着着用にすら及んでいる)。完治までにはまだ先は長いのかもしれないが、鞠絵が病気と闘っていくためのかけがえのない力を、兄や他の妹達との共同生活は彼女に与えてくれた。その力は、兄が島を離れた時にも、その帰還を信じて待つ強さとして、彼女を支えることができたのである。また、これにつれて鞠絵の自信のなさも徐々に払拭されていく。兄を優しく励ます姿(第9話第19話など)のみならず、自分自身の能力についても、より積極的に発揮していこうとする姿勢が、例えば第20話でウェルカムハウスの電飾案を描く場面に示されている。少しばかりの喜びで満足できる謙虚さを越えて、自分から何かを掴み取ろうとしていく欲求を、この共同生活で皆から学んでいったのかもしれない。これからは他の妹達とも時には競争しながら、兄を支え兄に支えられていけるのではなかろうか。
 妹達の中でとくに親密だったのは、春歌である。お茶の仕度などで、しばしば好みや趣味が一致した。また、年少者とはミカエルをはさんで一緒にいることが多く、雛子に絵本を読んであげるなど面倒見のよさを示している。

(7)白雪(第19話メイン)

「にいさまのためにお料理を作るのが生きがいという白雪ちゃん。でも、にいさまの体を想って作るメニューは、いかすみババロアやフルーツ寿司など、かなり独創的な品ばかりで……にいさまを驚かせてくれちゃうのです!」

 原作版とどちらがより「独創的」かは不明だが、基本設定は本作品も変わりない。とくにこの白雪の場合、料理好きになった経緯さえもが、原作版と重なり合う可能性が高い。つまり、幼少期に島で航と出会ったさい(第25話で指を見つめている)、ままごと遊びをする中で、幼い航に泥団子を食べてもらえたのかもしれないのだ。この時、航が白雪の気持ちを大切にして食べたのか、それとも彼らしい素直さで本物と思い込んで食べたのかは分からないが、いずれにせよ、白雪がこれを契機にして料理の腕を磨き始めたと考えられる。そのさい、彼女の身近に料理を教えてくれる人(母親やマダム・ピッコリなど)が存在し、そして彼女の手料理を食べてくれる人がいたのであろう。この生活環境は恵まれていたものの、試食してくれる人がやや味音痴だったためか、白雪の「独創的」な料理があのような方面にも進んでいったのは航にとってはやや災難だったかもしれない。
 自分の料理を兄に食べてもらえることを日々想像し、新婚のような甘い生活の喜びを待ちわびていた白雪にとって、共同生活の始まりは確かに幸福であると同時に、自分が想像をたくましくしてきた内容との相違にも気づかされることになった。まず、第2話キムチグラタンの威力があまりに凄まじかったために、料理当番の回数を減らされて相当の不満が溜まった。その反動で第3話では一度の食事に全力を投入しようとして、「独創的」な弁当や朝食をこしらえてしまった。やがて当番制度が解消し台所が開放されてからは、ここの主となって本来の腕前を発揮できるようになり、突飛な料理を作る衝動も弱まっていった。14人の毎日の食事をその細腕で切り盛りする能力は、間違いなく第一級のものだろう。
 こうして当初の不満は消え去る一方で、しかしその獲得された日常からも別の不満が生じた。日常がたゆまぬ喜びでありながら、その繰り返しにやがて不満を覚えていくのは、白雪が一面において「お姫様」への強い願望を抱いており、非日常への突破口を求めていることと結びついていた。しかし、彼女自身をみれば十分に思える積極性や想像力も、12人が集うと途端に目立たなくなってしまい、そのようなヒロインへの欲求を示すことさえ困難な(第6話では元祖白雪姫を主張したが)、地味な役回りに落ち着いてしまうところが彼女の悲劇である。
 結局本作品では、白雪は第19話で料理の日常性を徹底することで非日常性に突入しヒロインたりえたのだが、その後は再び台所の日常に戻った。鈴凛達と並んで共同生活を支える裏方に徹する彼女は、ささやかな幸せを日々自分の腕で作り出していける少女なのであり、その積み重ねの中で皆の悲しみを料理で癒そうとできる(第25話)強さと優しささえ持ちえたのだが、そんな彼女も兄からは今後「おいしい」という言葉だけでなく、「かわいい」という言葉も聞ければ何よりのはずだ。総じて原作版よりも落ち着いた性格として描かれた本作品の白雪は、その時こそCD『Prologue of Sister Princess』には示されていた上昇能力を遺憾なく発揮するだろう。
 妹達の中でとくに親密だったのは、可憐と春歌である。可憐とは気が合うらしく、また食事の献立を一緒に考えたりもしていた(第7話)。春歌とは、台所を預かる者同士、互いに腕前を競い合う仲なのだろう。また第12話では衛や鈴凛にじゃれつかれていたが、年齢の割りに小さく可愛らしい白雪は、年少者とは違う意味でマスコット的存在なのかもしれない。

(8)鈴凛(第21話メイン)

「機械いじりが大好きな電脳少女、鈴凛ちゃん。いつも材料費や研究費の不足に苦しめられているから、資金援助してくれるアニキのことが大好き!作ったメカはみんなアニキに見てもらうのです(はぁと)」

 この原作版キャプションだけでは鈴凛について誤解を招く。確かに資金援助ゆえの好意という面もあるものの、メカ鈴凛のような発明品のための資金を兄に頼ることで、兄妹の絆を双方向的に確認するという場合もある。そのうえで彼女には他の妹達に見られないある種の割り切りがあることは間違いなく、そこに自らの道を進む意志の強さと、兄から離れていかざるを得ないことへの寂しさとが、表裏一体となって現れる。
 幼少期の生活の中で、鈴凛はおそらく原作版のジジのような機械いじりの好きなよき保護者の支えを得ることができたのだろう。その一方で、周囲の理解を得られない(あるいはジジの鈴凛への過度の接近をよしとしないゆえか)ために資金不足により満足に発明を行うことができないジジの様子を見て、彼女はある種の経済感覚、というより金への執着心を、あくまで発明のみに関連してではあるが身につけてしまったのかもしれない。またはこのジジが旧日本軍の技術士官という経歴を持っていたとすれば、昔話の合間に貧困な開発環境の思い出も語られただろうし、松本・新谷らの漫画なども読む機会があった可能性はある。さらに本棚にパルプマガジンやSFのコレクションまでも並んでいたとすれば、これらが鈴凛のあのセンスを培ったものと考えられる。そして、そのような基礎の上に鈴凛が最初は稚拙ながら、やがては精巧な発明品を創造していくとき、それは彼女の能力の開花であると同時に、彼女が自分の生きる環境を自らの技術で変えていけることの確証だった。
 島に来る途中で自作ノートPCのデザインを考えていた鈴凛は、そのとき「早く明日になれ」と願っていた(CD『Prologue of Sister Princess』)。航と出会い、航のために研究を行い、その発明品を航に受け入れてもらえたとき、「アニキが嬉しいことと、アタシの嬉しいことがいつも同じならいいな」(第11話)という彼女の願いはひとまずかなう。そこでは発明を通じての兄妹関係の確認がなされている。しかし、第3話以来研究を続けてきたメカ鈴凛(そしてプロトロボ)をめぐって、鈴凛のこの生き方に矛盾が生じた。彼女が航のために今まで以上に尽くそうとすれば、彼女は能力向上のためにも留学の意を強くしていく。だが、その留守を任せるメカ鈴凛の開発は、兄のための発明行為が自分を兄から引き離す過程になってしまっていること、それゆえ希求すべき未来を「まだ先のこと」と自分から先延ばしにしようとしていることを、彼女に気づかせることになったのだ。
 この矛盾は、航が島を離れて再び戻ってきたことにより部分的ながらも解消し得た。寂しい日々を越えて航との共同生活が回復したように、鈴凛も留学による兄との離別の向こうに、再びこの幸福な生活を、しかも新たに獲得した能力を土産にして、始めることができると信じえたのである。これを支えとして、鈴凛は未来に向かって力強く歩いていくことだろう。
 妹達の中でとくに親密だったのは、四葉である。第2話で一緒に登場して以来、第12話第23話などでも仲の良い姿を示し、第21話でのコンビに結実した。原作版では明示されていないアニメ版独自のペアとして、この二人の組み合わせは出色のものではないだろうか。また、眞深とは遠慮のないやりとりが、言葉でも水バズーカでもできた。第13話では花火を見に来ない眞深のことを心配してやっている。

(9)千影(第18話メイン)

「めったに笑わないクールな美貌と、妖しげな発言にいつも兄くんを(いろんな意味で)どきどきさせてくれる千影ちゃん。でもその裏には、実はしっかりと深い兄くんの愛情が隠されているのです……。」

 原作版では首位を争う人気を誇る千影だが、本作品では共同生活という日常性の中に彼女の特質が埋没してしまったことは否めない。それでも千影が抱き続ける優しさと哀しみは、各所に描かれていた。
 千影の幼少期を想像することはきわめて困難であり、島で航と出会って後、真の能力と前世の記憶が完全に覚醒し、共同生活開始を待ちわびていた、という程度にとどまる。しかし、千影の養育者も何らかの超常的能力者であるとするなら、この島の建設や結界設置などに関与していた可能性が高い。千影の能力が危険視されずに済んだということからみても、じいや達はそのような領域にある程度の理解を持っていたということは予想できる。だがそれにしても、千影が一般人と異なる能力を自覚した結果、原作版のように、他人に危害が及ばないよう自分から距離をおくことになったのだろう。孤独に慣れるにしたがって、彼女の航への想いは前世の記憶と重なりつつさらに強められていった。
 長らく準備を整えて共同生活に参入したとき、千影はその占いなどの能力を疎まれることこそなかった(第11話など)が、当番の回数(第3話)に示されるように、皆と同じように扱われたわけではなかった。だが孤立に馴染んだ彼女にとり、この状態はむしろ好意的とさえいえるものであり、自分の望みを第一にしつつも他の妹達の面倒を見てしまうなど、不器用な優しさをみせた。この共同生活への想いは第12話で語られるが、現世の幸福に甘んじたい感情は、前世以来の兄への愛情との葛藤を激化していった。プールや運動会で彼女なりに周囲と協調しながら、やはり思いつめて第18話での異世界での賭けに踏み切った千影は、結果的にこの機会をものにできず、そしてこの現世を選んだ。これ以降、共同生活により積極的に参画していくことで、千影は共同生活の一員として居場所を確実にした。そして第22話では、やはり頼りになるが怒らせると怖い能力者として、皆に再認識されたのである。
 しかし、そのように共同生活に向かって自分の心を開いていくことは、悠久の過去との結びつきによって現在を定めていた千影にとり、見通しのつかない不安定なものだった。航と二人だけの閉塞した永遠の時間の中で生きることへの欲求は未だ強く、それがようやく皆と共に未来を切り開いていく勇気へと置き換えられていくのは、最終話で航が島に帰還してからのことである。この時点で、千影は原作版の彼女と大きく異なる性格に至ったのかもしれない。とはいえ、いかなる努力にも関わらず共同生活が潰える瞬間が来てしまったならば、千影はやはり全てを捨てて航を連れて行こうとするだろう。その最悪の中の最善を選ばずにすむために、日々の平和をその能力で守っていくのだとしても。
 妹達の中でとくに親密だった者を挙げるのは難しい。咲耶とは大人びた者同士、意外に接点があったかもしれない。また可憐とは共同生活を守るために適宜協力していた。それ以外の多くの者にとってとっつきにくさが目立った千影だが、それでも原作版同様、年少者の花穂、雛子、亞里亞にはそれほど距離感もなかった。とくに亞里亞とは超常的感覚を持つ者同士であるだけでなく、素麺をうまく掬えない者同士でもあり、親近感があったのかもしれない。なお、千影の当番回数が少ないのは、あるいはこの不器用さもあずかってのことだろうか。

(10)春歌(第17話メイン)

「はるばるドイツから海を渡って来た春歌ちゃん。古風なお祖母様に育てられたためか、帰国子女でありながらお茶やお花が得意という和風な女の子です。得意の武道で兄君さまを守ってくれるらしいのですが……!?」

 ここから3人は原作版では帰国子女だが、本作品でもおそらくこの設定に変更はないだろう(さらに可憐も帰国子女になっているが)。しかし、原作版の春歌が帰国後が兄との初対面だったのに対して、本作品では最終話で指を見つめている姿から、幼少期に島で航に会っている可能性が高い。そして、航が「今度会う時は、もっともっと格好いいお兄ちゃんになっている」と約束した言葉をそのまま受け止めただけでなく、「それならワタクシは、もっともっと兄君さまにふさわしい妹になりますわ、ポポッ」と返し、この約束を彼女なりに忠実に守ってきたと想像できる。
 その甲斐あって見事な大和撫子に育った春歌だが、しかし共同生活では航とすれ違いが続く。第3話にあるように、航をそっと見守る恥じらいと、航を押し倒す勢いのよさとが両極端に立ち現れ、ただでさえ人付き合いの苦手な航と、さらに関わりにくくなってしまっていたのである。ドイツ仕込みの和風である以上、どうしてもそこに違和感がつきまとう(第7話で花嫁衣裳についての誤りを眞深に指摘されている)ものでもあり、また彼女自身の性格によるところでもある。この不満を春歌はじっとこらえ、あるいはこれこそ「忍ぶれど」の真骨頂とばかりに受けてたち、裏方に徹していく。しかし、第11話の潜航艇上で航に見つめられて以来、秘めたる想いは留めようもなくなり、第14話ではついに平安装束の兄という妄想駄々漏れに至った。この危機を二人三脚(第16話)などで乗り切った後、第17話でヒロインとして航のお世話をし、さらに二人だけの舞踏会まで満喫することで、ようやく彼女の幼い頃の約束は果たされたこととなった。そして、「格好いい」兄として再会し一緒に暮らす、という航の約束が最もよく実現しえたのも、この春歌にとってであったと考えられる。
 しかし、この約束の最重点である「一緒に」暮らすということについて、春歌はあまりに満足してしまいすぎた。第22話で来年の正月まで想像しているように、共同生活の幸福が何事もなく続いていくと思い込んでいたのだ。これは忍び堪えた努力の結果として幸せを掴んだからこそ、不意に陥った心の隙である。それゆえ航が島を離れた間、春歌は兄を支えようとしながら兄に寄りかかっていた自分に気づき、しかもこの悲嘆の最中に亞里亞に慰められることで、今まで突っ張りすぎていた心がついに本当に和らぐことができたのだった。最終話で航と参拝した神社では、春歌は今後も慢心せずに己を磨いていくことをも神前に誓ったに違いない。そしてその修練する姿は、今後も皆のよきお手本となることだろう。
 妹達の中でとくに親密だったのは、花穂、鞠絵、白雪である。花穂には母性本能をくすぐられるらしく、時折面倒をみてやっている。また、来年のことを夢見るのはこの二人に共通である。鞠絵とは古風な趣味が合い、第20話のクリスマスプレゼントも相互交換となっている。白雪とは台所で並ぶ姿がよく見られたが、弁当やお菓子なども含めて主導権は白雪にあったと思われる。なお、第2話で航が「朝はパンなのか」と和食志向を示しているにもかかわらず、白雪や春歌が台所に立った以降も朝食がパンばかりだったのは、帰国子女の四葉や亞里亞などへの配慮であり、ここにも彼女達なりの心遣いが見て取れる(その分春歌は第17話で和食三昧に走っているが)。

(11)四葉(第22話メイン)

「『兄チャマの秘密を暴いちゃう!』という目的でイギリスからやってきた四葉ちゃんは、自称名探偵の兄マニア。大好きな兄チャマの秘密の情報をチェックするために、兄チャマの身辺を探っているらしいのです!」

 イギリス育ちなどの基本設定をそのままに、四葉は本作品でも活躍している。原作版では、彼女はイギリスの全寮制女子小学校に通学し、そこで規律重視の教育を受けたが、感受性や好奇心が強い四葉にはどうにも窮屈な生活であり、適応できないまま疎外感を味わっていた。本作品の四葉も、おそらく同様の経歴をもっていると考えられる。春歌と同じく、外国において最良の教育を与えようとする態度は養育者に強く見られ、イギリスの場合それは明らかに伝統的な紳士・淑女教育を意味していた。しかし規格外の四葉はむしろ探偵小説などへの関心を強めていったが、これは画一的な集団生活の中で個を回復しようとする彼女なりの努力だったとも言えるだろう。そして養育者がもし何らかの野心を抱いていたとすれば、四葉は期待を裏切り続けたことになり、日本に送られるさいにも厄介払いという意味合いがあったことだろう。だが、四葉が様々な抑圧をうけつつもあれだけの明朗さと探偵の知識を培えたということは、近辺に彼女の個性を理解し、伸ばしてやろうとした包容力ある大人がいたことをも想像させる(おそらく日本の特撮番組マニアである)。この四葉が兄の存在を知ったとき、彼女はいわば「醜いアヒルの子」のように、日常の抑圧からの解放と本当の自分の姿を、未来に見出せたのである。
 さて原作版同様に兄のチェキに邁進した四葉だが、彼女の想いが描かれたのは第22話になってようやくのことであり、しかもその描写は比較的明るいものだった。四葉をチェキに駆り立てる裏側の要因である寂しさ、つまり兄と離れ離れだったからこそ、その過去の空白を埋めて絆を確かなものにしたいという切迫感は、作品を通じてそれほど強く感じられることはなかった。共同生活によって兄のそばに十分いることができたため、さほどの焦りもなくて済んだのかもしれない。しかし当初やはり舞い上がっていたことは、第3話の<お兄ちゃんと一緒>表で彼女のみ1日に2回割り当てを得ていることからも分かる。また、寂しさを描くためには四葉の独白と、彼女が兄から離れていることが必要だが、実際に第3話第25話では、航がいないときの内面のさまが示されていた。そして第22話でヒロインの機会を強引に獲得したことで、四葉は「大切な妹」である自分への兄の愛情を確信できた。だからこそ四葉は、第24話で航の東京行きを知らされずにいながらも、兄の帰還を疑うことなく積極的に迎え待つことができた。このときの年長者達に対抗しつつ、年少者を率先する姿には、やはり四葉が大英帝国の誇りを体得していることが見て取れる。養育者の教育は、まさにこの根幹の部分で成功していたのかもしれない。チェキが一段落して落ち着きを見せ始めた時、彼女はレイディへと日々成長していくことになるのだろうか。
 妹達の中でとくに親密だったのは、鈴凛である。性格のみならず、第7話で四葉が潜航艇のネタを提供し、第17話で鈴凛が四葉を連れて買物に行き掘り出し物のカメラを入手させるなど、互いに貢献することもしばしばだった。ただし四葉が積極的な側面のみ強調された結果、ポケットストーリーズにおける両者の立場は逆転し、鈴凛がよりウェットな役割を演じるようになった。このことはやがて『シスタープリンセス リピュア』ストーリーズパートにおいて、より端的に描かれることとなる。また、花穂とは第22話で(傍目に)愉快なコンビを組んだが、これも同じく次作品に継承される。

(12)亞里亞(第15話メイン)


「フランスからやって来た亞里亞ちゃんは、ゴージャスなドレスが定番の超お嬢様な妹。優しい兄やを想ってはいつも『……くすん』と涙が出ちゃう泣き虫さんなのです!」

 この亞里亞も鞠絵と並んで、原作版と最も異なる設定を与えられた妹の一人に数えられる。原作版での彼女は、メイドのじいやをはじめとする侍従や使用人達に囲まれてお屋敷で暮らしており、その我侭さや過度の感受性、夢想の独特さなどは、そのような生活環境の中でこそ培われ、そして今後も維持されるものとして理解された。本作品でも来島以前は同じような生活環境で育てられたと想像できるが、しかし島での共同生活という設定が、亞里亞のこの個性を下支えできなくしてしまうのだ。
 これはつまり、原作版と比べて、亞里亞がよりたくましく描かれざるをえないということであるが、それは、彼女を共同生活に送り出す前に、必要不可欠な能力を修得させようとメイドじいや達が深甚な努力をはらったことの表れでもある。その成果は、第2話でキムチグラタンに卒倒しながらも他の妹達並みに耐えたという姿に早くも示された。また、亞里亞の身だしなみや自室の世話は咲耶達年長者が担った部分も大きいだろうが、亞里亞もある程度は自分でできるようにと教え込まれてきたに違いない。ただし、それらのフランス仕込みの教育内容があまりに世間ずれしたものだったために、役に立たないことも多かったかもしれない(第11話の兄の夏服選びなど)。結局、彼女は自分の生活態度や趣味をできるだけ変更せずに共同生活に参入しようとしたのであり、各人の役割分担が必要な共同生活の中で、亞里亞は必然的にあまり役に立たない存在になってしまった(第17話の卵割など)。
 それにもかからわず亞里亞が共同生活の一員のままでいられたのは、彼女をそのまま受容しようとした年長者達の努力だけでなく、やはり亞里亞本人が彼女なりに頑張った結果である。例えば第3話で初めて登校したとき、見知らぬ者達との学校生活に耐え、さらに航が下校するまで待っていたというのは、想像以上の辛抱強さではないだろうか(原作版でも、彼女は兄のために我慢することを覚えている)。またその帰り道で航の汚れた袖をハンカチで拭いてあげるという仕草に、彼女の淑女らしい思いやりが現れている。さらに第13話で山田を撃退した姿には、お嬢様としての強固な意志が毅然と示されている。これらは教育の成果として肯定的に理解されるべきものだろう。
 亞里亞の別の側面としては、直観力の鋭さ(第23話)や、動植物などへの感受性の強さが挙げられる。これらを含めて繊細にすぎる彼女の心は、他の者達にも距離のとりづらさを感じさせていたが、これに由来する孤独感は、第15話での異世界との接触と航の行動によって大きく払拭された。また、花穂や雛子達と一緒にお手伝いや照る照る坊主作りなどをすることで、少しずつではあるが集団的行動に慣れ、皆と一緒にいることに意味を見出していった。第25話で泣く春歌にハンカチを差し出す場面は、そんな成長した亞里亞、元の性格を変えることなく他人との関わり方とその喜びを学んだ亞里亞の、見事な晴れ姿であった。
 妹達の中でとくに親密だったのは、咲耶と雛子である。咲耶には姉代わりの世話をしてもらい、また衣装持ち同士でもあった。雛子とは年齢が近いが、しかしどちらかといえば年下の雛子の方が主導的だった。このほか、鞠絵や千影とは性格的に近く、一緒にいる場面も多かった。



2.妹達の今後

 以上の経緯で成長を遂げた妹達は、今後いかなる進路をとるのだろうか。ここではさしあたり10年後の職業という観点から、その未来像の一端を思い描いてみることにしよう。ただし結婚については、ここでは一切考慮しないこととする。

名 前 年齢 10年後に予想される職業
可 憐 25  ピアニスト、事務職、秘書
花 穂 20  (大学生)、花屋、環境デザイナー、小学校教師、保母
22  (大学生)、スポーツ選手、スポーツインストラクター
咲 耶 25  モデル、ファッション関連、営業・広報総括、1・2丁目総括
雛 子 16-17  (高校生)
鞠 絵 23  看護婦、医者、デザイナー
白 雪 24  調理師、厨房総括、料理・お菓子作りの先生
鈴 凛 24  機械技師、発明家、4丁目総括、遊園地アトラクション製作 
千 影 25  占い師、呪術方面総括
春 歌 24  華道・茶道の先生、3丁目総括
四 葉 23  警備員、記録撮影、案内、ジャーナリスト
亞里亞 18  (高校生)、歌手

 可憐は趣味からすればピアニストが有力だが、航を支援する立場を目指すとすれば、性格的には、地味だが着実さが必要な事務仕事が適任ではなかろうか。そのうえで兄に最も近い位置にいるためには、兄の秘書になるのが一番だろう。そのさい、競争相手の産業スパイに対する防諜をも統括するかもしれないが。
 花穂は年齢的には大学生であり、星見が丘西学園ならば環境学などを専攻することだろう。もちろん花屋あたりが最も一般的な予想だろうが、論者は幼児の保母などの教育職もじつは適任ではないかと考える。第26話で兄と並んで花壇の芽に「いっぱいいっぱい、大きくなりますようにっ。」と微笑みかけるとき、そこには幼いものの成長を心から喜び、急かさずに支援していく彼女の姿が描かれているからである。そして、自信のない子供の気持ちを一番理解してやれるのは、まさに彼女ではないだろうか。

 衛はスポーツ選手やスポーツインストラクターというのが一般的に思われるが、例えばスポーツ関係のビデオ教材に出演するというのもありそうだ。つまり、「Mamoru Minakami's Swimming Lesson」である。年齢的にはちょうど大学4年生なので、星見が丘西学園ならば体育学や運動生理学などを学ぶことになるだろうか。
 咲耶の将来は、航の妻、とは言いがたいとすれば、素質はほぼ万能なので、プロミストアイランドなり事業全体なりの営業、広報などの総括、より局所的には1・2丁目(欧風街路)の総括などが相応しいと考える。モデルやファッション関係の職業も当然あり得るだろう。

 雛子はまだ高校生なので、先のことは分からない。さしあたり、ぬいぐるみやさんということでどうだろうか。
 鞠絵は看護婦などの医療関係ということも考えられるが、それらの職業には相当の体力が不可欠である。あるいはそれよりもデザイナー方面(ファッション、インテリアなど多種多様だが)こそ、彼女の素質を活かせるかもしれない。いずれにせよ、プロミストアイランドをはじめ航の事業に貢献しうることは間違いない。
 白雪は調理師として、あるいはプロミストアイランドの厨房総括として、食の面を一手に引き受けるだろう。また、プロミストパークで「お菓子の家」や味勝負などのアトラクションを実現できるかもしれない。もちろん、お菓子作りの先生というのは至極真っ当な選択肢である。
 鈴凛は機械技師や発明家として独立し世界的存在となるかもしれないし、あるいは島で4丁目(中華風街路)の総括や遊園地アトラクション製作などに邁進するかもしれない。古典SF的ユートピアの飽くなき追求が花穂のガーデニングや鞠絵のデザインなどと結びついた時、プロミストアイランドはまた違った趣を与えられることになるだろう。
 千影は占い師として、また呪術方面総括として、兄の事業と兄の生命にとって必須の支援を行うことだろう。この時までに兄を冥府魔道に連れ立っていなければの話だが。
 春歌は華道や茶道の先生、3丁目(和風街路)の総括などが適任だろう。可憐と衝突しないかぎり兄の身辺護衛などの可能性もあるが、その場合さらに来客の接待などにも能力を発揮すると考えられる。
 四葉は警備員、記録撮影、案内役など、様々な業務に対応できるものと想像するが、いっそ産業スパイとしてライバル企業に潜入するなどの活躍も一応は見込まれる。そこまで極端でないとすれば、ジャーナリストとして世界を駆け回る姿も相応しいかもしれない。
 亞里亞は高校生である以上、将来の職業は今後決めるべきことだが、完璧なお嬢様を目指す確率は高いとしても、まずはその歌唱力を活かしてプロミストアイランドのテーマソングを歌ってほしいというのが論者の個人的意見ではある。
 以上、いかなる職業を選ぶにせよ、その一方で母親や保護者達との関係が本来あるべき姿に修復される過程が存在するだろう。それは航の父親が残した海神家の分裂を、航と妹達が島の共同生活を基点として再統合し、さらなる調和の輪を拡大していく物語として綴られていくことになるはずである。



終わりに 〜カモメが飛んだ〜

 妹達の生い立ちや将来については、この補論で示したもの以外にも、より説得的なものも含めて様々に想定しうるだろう。上述の内容は本考察の物語解釈視点のみならず、論者の趣味や嗜好にも依拠しているため、当然のごとく十分な客観性は持ちえていない。この限界にも関わらずあえて仮説的に提起した結果、考察の完結性は綻び、むしろいかに本考察が多くの課題を残しているか、つまりこのアニメ版作品がいかに多くの想像する余地を未だに残しているかを、今一度確認することとなった。
 弁解をさらに重ねるならば、妹達のうちに眞深を含めなかったのは、彼女の将来の職業についてウェルカムハウス管理人や店頭販売人など自由に想像することができるとしても、彼女が航の実妹でない以上、航と結婚する可能性について検討する必要があるためである。この最も重大な問題を含め、プロミストアイランドの今後をいかに紡いでいくかは、論者が記してきたような「考察」にではなく、SSなど二次創作の職人方による想像力の飛翔にこそ委ねられるべきであり、ここではその豊かな結実が既にに示されていることのみを確認するにとどめる。


(2003年3月9日公開 くるぶしあんよ著)


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