アニメ版『シスター・プリンセス』における自尊心

〜第16話にみる自分らしさ〜



はじめに 〜問題の視点〜

 夏休みの転回点をふまえて、第14話以降は航が個々の妹達のために献身的に尽くす姿が描かれていく。これは兄妹関係のいっそうの発展をうながすとともに、まだヒロインとなっていない妹達が抱える問題を、兄との関わりの中で解決していく過程をも示している。この観点から、本論では、第16話「花穂、がんばっちゃう!」における花穂と航のそれぞれの意識と問題およびその解決に向けての努力を、花穂のチアリーディングに対する態度と航の運動会への態度を対照させつつ検討し、両者の成長の方向性を確認していくこととする。


1.減点花穂

 季節は秋たけなわ。アバンタイトルで航は黄葉舞う中、衛と早朝マラソンに励んで、そしてへばっている。秋の行事の定番である運動会の特訓として、夏の水泳練習以来の指導を衛にお願いしているわけだ。しかし航の疲れきった走り方は、あの夏の自発的な意気込みまでは到底及ばない心境を示している。「明日も頑張ろう」という衛の元気な声に、彼はやむなくといった様子で応えているのだ。

航 「燦緒へ。また憂鬱な季節が来た。運動会があるんだ。それも全校を上げて盛大なのが…。」

 航の独白もやはり水泳の時に比べて調子が上がらない。「また」憂鬱な、という言葉は、夏に続けて秋も、ということではない(「運動会の季節」と限定的にとらえることもできるが)。以前までは夏に泳ぐことすらなかったわけだから、この秋の憂鬱とは意味合いが違う。中学校時代には水泳をせずにごまかせたとはいえ、さすがに走ることくらいはさせられたであろう。そして、誰にでもできる「走る」という行為は、つまり、足が遅い者にとって、どうにも逃げ場がなかったということである。秋は、逃れようのない運動会で、足の遅さを嫌が上にも自覚させられる、そんな季節なのだ。その季節が、「また」今年も来てしまった。しかも今年は高等部どころか全校、つまり星見が丘西学園をあげての盛大なものが。
 その上、泳げなかった水泳に比べて、走るということの上達は確認しがたい。いくらマラソンや短距離走の練習をしたところで、タイムの微々たる短縮や体力の向上などというものは、泳げない者が犬掻きで泳げるようになることほどの衝撃的な喜びを与えはしない。あるいは第15話の絵の宿題のように、意外な才能が発見されることもまずない。努力の成果が見えづらい特訓を、しかし航は今更止めるわけにもいかず、一切が終わりを迎える運動会当日まで、仕方なく走り続けるほかないのだ。進歩の評価なしに努力を義務付けられる航の苦行は、当然妹達の声援を予想できるだけに、いっそう辛いものと感じられていく。

 ところが、こんな兄の気持ちを、そのまま自分自身の問題として共有しうる妹がいた。花穂である。走りつかれて庭先でへたりこむ兄に、花穂は早朝から元気な姿を見せる。これから運動会の日までは朝昼夕とチアリーディングの練習があるのだ。彼女は第3話以来、兄の応援をするためにチア部に入部していたが、後でも描かれるように、この応援の技量がなかなか向上しないままここに至った。それでもこの時点では、笑顔で練習に赴こうとはしている。

花穂「花穂、運動会で、お兄ちゃまの応援いっぱいするからね!えへっ。」

 やる気まんまんの花穂であったが、いってきますと歩き出してすぐ、「あ…。」と、兄のもとに駆け戻ってくる。

花穂「えへへ、…バトン忘れちゃったぁ…。えへへへへっ。」

 忘れ物してバッテン。オチがついてアバンタイトルは終わるが、実はこの場面で既に花穂の最大の問題が示されている。これについて述べる前に、今しばらく物語の展開を追っていこう。
 さて、運動会まであと7日。「何が楽しいのかな、運動会って…。」と呟く航に、山田は妹達に気に入られたい下心から、リレーのアンカーを目指すと声高に告げる。可憐は兄に、「お兄ちゃんと一緒の種目に出たい」と言いつつ出場種目を尋ねるが、もちろん何に出たいかなど航に決める意志はない。こんな時にかぎって昼食は白雪、春歌、四葉と圧倒的な戦力に包囲され、白雪はカツで「勝つ」とかけ、四葉は兄がチャンピオン狙いだと決めつける。この予想通りの妹達の勢いに、航は(運動会が嫌で食欲がない、なんて言えないもんな…。)とひたすら耐えるほかない。このいつもの関係の煩わしさにも、山田は「いいなぁ」と羨ましがるだけで、眞深に「毎日毎日、あんたそればっかりね。」と揶揄されるように、航の心境を理解しようとしない態度を堅守している。(ここで眞深に届いたメール文面は画面に示されず、彼女の眉根を寄せて呆れた表情以外謎のままだが、運動会で何事かせよという命令でなければ、第12話の「真夏の果実は、まあナッツかな」と同様「『揚げるがカツ』、なーんてね。」だの「運動会は面倒かい?」だのといったしょうもない駄洒落に違いない。)
 このお昼時にも、花穂はバトンを手から取り落とし、航に拾ってもらっている。失敗してバッテン第3話と同様のやりとりがなされ、元気にチアリーディングの列に戻ろうとする花穂だったが、しかし今日はいつもとやや違う。

花穂「…お兄ちゃま。運動会までには…ちゃんと応援できるようになるからね!」

 ためらいがちな、しかし花穂にしては思い切った言葉。運動会に対する航の気後れと、うまくならないチアリーディングへの花穂への焦りは、ここで重なり合いながらも、まずは花穂の決意に航が励まされる格好となる。これに何かを感じた航は、花穂に応えるかのように、練習で遅くなる花穂の下校を待っていた。兄の姿を見て喜ぶ花穂だが、途中で次第にうつむいてしまう。言うまでもなく、上達せず他のチアリーダー達に迷惑をかけていることに苦悩しているのだ。彼女の努力や辛さは、学校の中でも、ウェルカムハウスの中でも、彼女独りだけのものであった。兄と一緒の下校中でも、その孤独の哀しみは否応なく滲み出てしまう。寂しい顔、バッテン
 そんな花穂の様子に、航は珍しくも真っ直ぐ帰らずに、4丁目中華街の露店で肉まんを買い、2人でベンチに座って食べようとする。このとき、花穂は自分の分があるにもかかわらず、兄の肉まんを欲しそうに見つめ、まんまと半分をせしめることに成功しているが、これは別に花穂が欲張りということではない。自分の分を食べきる前に人の分をねだるというのは、花穂のすることではない。おそらく、店の肉まんが2種類あったのだろう。航が「どっちがいい?」と尋ねても花穂はなかなか決めかね、ようやく一方を選んでいざ食べようとするものの、今度は別のを選んだ航の肉まんの味も気になって仕方がない、といったところである。そこで航は自分の分を半分に割り、花穂に片方をあげる。夕日、マル。おいしいもの、マルマルを2人で半分こ

花穂「おいしいね、お兄ちゃま!」

 花穂の笑顔に、航もほっとして微笑む。

航 「花穂ちゃん、やっと笑ってくれたな、って。」

 2人の笑顔、マル。兄が自分の気持ちを汲み取り気遣ってくれたことに、花穂は驚き、そして、自分が独りでないことに気づく。航はさらに花穂の努力をねぎらい、それが自分には真似のできない花穂のすごい点だと話す。この兄の言葉に、花穂はようやく自分の悩みを打ち明けられるようになる。

花穂「でもね、花穂、バトンとかちっとも上手にならないの。なんでなのかなぁ…。」

 上手にならない、バッテン。うつむいてこぼす花穂は、そんなことはない、上手になってきたと思う、という兄の応えに、はじけるように立ち上がる。

花穂「えへへへへっ、お兄ちゃまにほめられちゃったぁ!それなら花穂、もっともっと練習頑張らなくっちゃ。」

 いつもの元気を取り戻した花穂を見て安心するものの、しかし運動会に士気が上がらない航は、なぜ花穂が苦手な練習にここまで熱心に取り組めるのかが気になる。どうしてチアリーディング部に入ったのかを尋ねた兄に、花穂は、兄の応援がしたいと思った、と答える。

花穂「花穂、ドジだから、お兄ちゃまにしてあげられることって、応援ぐらいしかないの…。」
花穂「もし花穂の応援が、お兄ちゃまに頑張る力になってくれたら、花穂すっごく嬉しいんだぁ。…えへへへっ。
   だから、運動会の時は、いっぱいいっぱい応援するね。」

 秋の夕暮れの帰り道、航は花穂の想いを受け止めた。果たして彼は、この妹の応援に応えることができるのか。
 だがその前に、冒頭で述べた花穂の問題について確認しておく必要がある。第4話で成長の契機を得たものの、花穂は今なお最弱者の立場にある。より年少の雛子や亞里亞がいるではないか、という疑問が当然あがるだろうが、ここで言う最弱者とは、年長の妹という庇護者のいない者としてのそれである。雛子には可憐が、亞里亞には咲耶が組んでいることが多いが、花穂にはそういった年長者の相手がいない(時折、春歌がその役割を担うものの)。その一方で、花穂はお手伝い要員として下の2人を束ねる立場にあるが、これも可憐や咲耶によって代行されてしまえば、あとは個人的な役割しか残らない。第12話でも兄に大事な要件を伝えられなかったなど、未だに失敗が多い彼女は、与えられた成長の契機を十分に活かすことができずに、なおも自己評価の低さに悩んでいた。
 そもそもチアリーディングとは、この自己評価を変えるために、兄のために何かができる自分を見出すために、花穂が精一杯の頑張りで励むべき対象にほかならない。そこには確かに彼女の真剣な意志が込められているはずである。だが、それは本当に誰から見ても間違いなく誠実なものなのだろうか。例えば冒頭で、花穂はこれから練習に行くにも関わらず、自分のバトンという一番肝心な道具を置き忘れていた。人がこの姿だけを見れば、花穂がチアリーディングという自分の役目にどれほど真剣に取り組んでいるのかについて、厳しい評価を下さざるを得ない。このような批判には、花穂は真剣なのだがどうにも抜けたところが治らず、またそこが愛嬌なのだという擁護の声もあがることだろう。だが、原作でも竜崎先輩が彼女に非常に厳しく接しているのは、たんに技術的な問題だけではなく、花穂のそのような根本部分での意識の欠落を、先輩が鋭く看取しているからではないのだろうか。このことは、兄にしてあげられることが応援「ぐらいしかない」という言い方にも如実に示されている。この言葉をチアリーディングの仲間達が聞いたとしたら、彼女達が心の底からチアリーダーとしての誇りをもって応援の練習をしていればこそ、あたかも応援を蔑むかのような花穂の言い回しをいっそう許せなく思うだろう。他にやりようがないから応援するなんて、応援をなめてないか、と思わず小野寺浩二『それいけ!!ぼくらの団長ちゃん』単行本でどつきたくなるだろう。そして竜崎先輩なら、

「…あら、花穂さん。応援ぐらいしかない、だなんて、チアリーディングを一体何だと思っているのかしら?そんな言い方をするようでは、残念だけれど、名誉あるユニフォームに袖を通す資格なんてないわ。それに、いくら大きな声を張り上げて見苦しく踊っても、心がこもっていなければ応援なんて呼べはしなくてよ?フフフフッ…。」

と厳しい言葉の一つも投げつけるところか。キャラクターコレクション第2巻でも、チアの先生が「チアリーディングは、がんばっている人を本当に応援する気持ちと、どんなにつらい時にも人に喜びをあたえる笑顔が1番大事です!」(p.25-26)と語っているが、この肝心の笑顔を生み出す心が、今の花穂には見失われつつあった。花穂の熱意は間違いなくある、悩みも決して軽いものではない。だが、肝心の応援すること自体への誇りが、花穂にはないのだ。それは、自分に自信がないために、応援する自分を誇りに思えないということと表裏一体である。だからこそ、花穂は上手になれないのだ。技術の向上だけを考えているから、応援魂が指先にこもらないのだ。この熱意が上滑りしている状態こそ、応援に限らずいまの花穂が抱える根本的な問題なのである。

 夕飯の仕度の頃には、花穂は疲れでぼんやりしており、眞深に「どんくさい子ではあるけど、今日はいつもよりひどいねぇ。」とこれ以上もない的確な指摘を受けている。お手伝いできなくてバッテン。食後の時間は千影が口火を切ることで運動会の話題で盛り上がり、兄の応援にも話が及ぶ。まさに「応援の華」であるチアリーディングの見た目の楽しさが云々されるところで、いつの間にか船を漕いでいた花穂の寝言に皆が気づく。

花穂「フレー、フレー、お兄ちゃま…。フレー、フレー…。」

 咲耶や衛達も驚き「頑張ってるよね」と認める、花穂の熱意と努力。横で花穂を真似する雛子の姿は、花穂の頑張りが下の妹達にもいよいよ模範となりつつあることの表れである。いいお手本でマル。こうして見れば、花穂本人は気づかないまでも、他の妹達に十分評価されるに足るだけのものを身につけつつあるのだが、そうであればなおさらのこと、先述した誇りの欠落や、肉まん食べ過ぎて夕飯が食べきれないという自己抑制のなさ(お行儀悪くてバッテン)など、彼女の甘えの部分が非常に惜しく思えるのだ。しかし、ここでひとまず、そんな花穂の頑張りに応えねばならない航の行動に目を向けなおそう。


2.似たもの兄妹

 花穂の問題性をどうこうする以前に、航は花穂のように自分の嫌なことに向き合っていなかった。彼は花穂の努力のさまに教えられ、既に大きく励まされている。そして、そんな花穂のために、兄として何ができるのかを真剣に模索する。

航 「ぼくは、花穂ちゃんに、何をしてあげられるんだろう…。」

 運動会まであと3日。これだけの時間にできることは限られている。航の決意を最後に一押ししたのは、突然現れた先生じいやだった。

先生じいや「考えているだけでは問題は解決しませんぞ?」

 いつもの過剰なリアクションさえ忘れて、航はついに立ち上がる。

航 「先生、ぼく、リレーに出たいんです!」
先生じいや「…分かりました、頑張って下さいね。」
航 (今のぼくにできることは、花穂ちゃんに、精一杯応援してもらうことしか…。)

 できることがこれしかないのなら、誠心誠意これに努めよう。しかし、じいやとしても、航がこれほどの決意をこめて言い放つとは、しかも花形種目を選ぶとは驚きだったろう。例えば障害物競走ならば、途中の障害物に「数学の問題を解く」などを挟むことで航を支援することもできたが、リレーでは何をできるわけでもなく、じいやもただ航の意志を尊重して応援するほかなかった。また、その衝撃は、可憐もリレーに出場させるだけでなく、下心ゆえとはいえ山田の「みんなで優勝しようなー!」という勢いある掛け声やそれに応えるクラスのノリをも生み出した。なお、ここで山田が見せたお調子者としてのムードメーカー的行動は、これまで場の雰囲気を壊すエゴイストとしてのみ描かれてきた彼が、クラスというまとまりの中で、何らかの意味ある役割を担いつつあることを予感させる。その性格の根底はそう大きく変化しないとはいえ、彼もまた、航達との関わりの中で、ゆるやかに成長のさまを示しているのである。そしてもう一方の近接支援者である眞深は、「なーに柄にもなく熱血してるんだか。」とクラスの勢いから距離をおいているかのように見えるものの、運動会当日には航ともどもリレーに参加し、その脚力を存分に誇示しているあたり、何だかんだと憎まれ口をたたきながら、最後には一肌脱いでしまう彼女の気のよさが見て取れる。
 そんな皆の気持ちにも支えられ、航は残りわずかな日々を無駄にすまいと、走りこみの特訓を放課後に行う。その相手は当然、可憐である。早朝マラソンは衛に譲るとしても、高等部にいる間は同級生の権利を最大限行使しようという可憐の意地が感じられる。一汗かいて休憩を入れる航達が、今日も頑張るチアリーディング部の練習を眺めれば、花穂の円形のバトンはまたもや手から滑り落ちる。コロコロと転がるバトンは丸い夕日に重なり合うが、これはマルというよりバッテンである。日輪と重なる回る輪は、ギリシア神話のイクシオンを思い出させる。主神ゼウスの妻である女神ヘラに横恋慕したこの人間は、その恐れを知らぬ傲慢さへの罰として、火と燃える輪の中に四肢を括り付けられ、永遠に天空を転がっていく定めを負わされた。あるいはこの神話と同様に、花穂のこの有様もまた、高望みをした者への罰なのだろうか。花穂自身がここで感じているのは、まさに、自分には到底無理なことに挑んでしまったのかという完全な自信喪失である。運動会前日の放課後、可憐と一緒に帰ることなく今日も花穂を待っていた航は、黄昏色のエスカレータを下りながら、顔も上げられない花穂に優しく言葉をかける。

航 「…心配いらないよ、いっぱい練習したんだ。花穂ちゃんならできるよ!」
花穂「でも、花穂…。」

 先日よりもさらに心細く、花穂の目には涙が浮かんでいる。そんな妹に、航は自分も不安で一杯だと告白する。

航 「あのね。ぼくもクラス対抗リレー出るなんて言っちゃったけど、全然自信ないんだ。
   自信ないけど、ぼくも頑張って走るよ。だから。」

 自分を力強く見下ろす兄の真摯な瞳、そして包み込んでくれるような笑顔。花穂も、やっと涙をふいて笑顔を見せられた。

花穂「お兄ちゃま…。えへへ、花穂がお兄ちゃまの応援しなくちゃいけないのに、お兄ちゃまに応援してもらっちゃったぁ。
   花穂、明日は一生懸命応援するね。」
航 「うん。ぼくも一生懸命走る。」

 明日のために、お互いを勇気づけ励ましあう兄妹。それは、不安を共有すればこそなしえた心のつながりだった。だが、ここで花穂の問題にあらためて立ち戻れば、その応援ということへの誇りを花穂は未だに全くかち得ていない。そして、航が花穂を支えるためにリレーに出たということは、それ自体彼の兄らしさを示しはするものの、しかし自分には精一杯応援してもらうこと「しか」できないと心中呟いているように、花穂のために自分にできる行動として「やむなく」選んだ方法なのだとすれば、これは応援「しか」できないと考える花穂と同様、そのリレーに出ること自体への誇りは何もないのである。こうして、互いの行動に誇らしさを見いだせない航と花穂は、互いに努力し支えあおうとしながらも、その根底にそれぞれのバッテンを抱えたまま、いよいよ運動会当日を迎えることとなる。


3.満点花穂

 晴天に恵まれた星見ヶ丘西学園運動会、まずはその行事の構成について検討しておこう。競技は、幼稚園・初等部・中等部・高等部の全てを網羅したものとなっており、出場選手の組み合わせも、必要に応じて、幼稚園と初等部の児童同士や、中等部と高等部の生徒同士をそれぞれ合わせるなど柔軟である。例えば、中等部の春歌は高等部の航と二人三脚に出場しつつ妄想を暴走させている。借り物競走では、高等部の可憐と中等部の咲耶が(本来同年齢ではあるが)同じ列で競走し、ともに兄を連れ、同着で1位を獲得している。ところで、ここで2人が見た借り物の紙には一体何と書いてあったのだろうか。完全な憶測だが「クラスメート」「好きな人」「頼れる人」「デートの相手」
「初めての人」といったところか。
 ところで、玉入れでは亞里亞と雛子が一緒に白組で出場しているが、このときカゴが赤白青黄と4色用意されている。ここで、この学園の学級編成がどれほどの規模なのか疑問が生じる。一般的には学級を分けずに全員を同じ組に入れるとすれば、少なくとも4学級存在することになるが、航のクラスが20人学級であることを全体に単純適用すれば、1学年80人が幼稚園2・初等部6・中等部3・高等部3の合計14学年分、総計1120人もの児童生徒がこの学園に通学していることになる(大学部は考慮しない)。確かにこの島の規模は意外に大きいとはいえ、これはあまりにも多すぎる。例えばEVI氏『潮見工房』「プロミストアイランド案内」「星見ヶ丘西学園」では1学年を1学級として250人程度と結論づけているが、この生徒達の大半がプロミストアイランド就業者の子弟であるという点からも、この程度の規模の方が説得力は明らかに高い。しかしこの場合、ではどうやって4色に組み分けを行っているかという問題に直面する。航のクラスでは学級全体で勝鬨を上げていたから、高等部で同じクラスの生徒を別の組に分けているということはあり得ない。
 それゆえ、あくまでも推測ではあるが、ここでは3つの仮説を示しておく。
 一つは、幼稚園・初等部低学年に4クラス、初等部中高学年・中等部・高等部には2クラスという編成である。この場合、幼稚園や初等部低学年内のクラス間競争は、4色それぞれで行われる。ただし学園全体を通じての競争では2色同士を合わせ、例えば赤白と青黄というように2色を組み合わせて「赤vs青」として対抗する。プロミストアイランド就業者の年齢を考えたとき、その子弟が幼児〜小学校低学年という家庭は多いのではないだろうか。だとすれば、このような学年ごとの生徒数の不均衡は当然ありうる。ただしこの場合、学園全体の生徒数は720人にも上る。
 続いて、全学年1クラスという編成である。この場合、幼稚園は上記と同様児童数が多いか、あるいは内部で4つに分けたか。初等部以上の学年については、赤組を[初145・中23・高3]、白組を[初236・中1・高12]と学年単位で振り分ける。この場合、児童生徒数は280人程度で抑えられるが、身体的成長の差が大きいこの児童期で学年ごとの対抗では、競技としての不均衡が発生することになるだろう。
 最後に、やはり各学年4クラスという編成である。クラス対抗リレーで4人が一斉に走っている場面を見れば、実はこれが最も穏当であるが、しかし生徒数が多すぎるという問題は残る。これらのいずれが正しいか(あるいは全く別解なのか)は、もちろんここでは判然としない。

 さて競技の方は、衛が8個目の金メダルを獲得し、裏方としても咲耶は放送委員として、鞠絵は保健委員、四葉は撮影記録、鈴凛はおそらく機器設備、などとそれぞれの持ち場を分担しつつ、兄に何事かあったとしても
情報操作のレベルまで掌握してフォローできるよう配慮している。この皆で盛り上げようとする努力には千影も彼女なりに参画し、皆が驚愕し恐怖する種目に出場し、「得意」だと言う通り見事に1位を獲得する。この種目が一体何であるかは不明だが、直後の救急テントに体中包帯を巻く生徒やワニに頭を噛まれている生徒がいる場面から、おそらく、猛獣・珍獣が向こうから迫ってくるのにどの距離まで耐えられるかを競うという『ザ・ガマン』的競技か、ワニなどが遊泳する水場の上の足場でどれだけバランスを崩さずに障害物を避けながら立っていられるかという『筋肉番付』的競技か、であろう。咲耶が放送席から本気でやるのかと叫んでいるあたり、そういったイロモノであることは間違いない。そして、猛獣でさえ手懐け、風の流れさえ調整できる千影なら、これらの競技に勝利することなどいとも容易い。
 このように運動会が楽しく進む中、花穂は、前日の兄の励ましに応えるべく、心から張り切っていた。その胸のうちは、応援を続ける彼女の真剣な面持ちにはっきりと表れている。だが、その熱心さは確かに立派なものだとはいえ、彼女のあまりに堅い表情は、チアリーディングの本道からやや逸脱しているのではないだろうか。チアリーディング(cheerleading)とは、応援された者の心を明るくする(cheerful)ものであるはずだが、口をひきしめて行う花穂からは、真面目さこそ伝われども、彼女本来の快活さは微塵も感じられない。笑顔のない応援バッテン。真剣に応援しようとすればするほど肝心の心を見失っていく、彼女の根本的な問題性がここにもやはり表れている。そして、その余裕のない真面目さは、バランス崩したりバトンを飛ばしたりと、いつもながらの失敗へとつながっていく。今日こそは絶対に失敗してはならないのに、このままでは兄の自分への想いに応えることができない。次こそは、もう二度と、と必死になればなるほど、花穂はいよいよ焦りにまかせてどうにもならなくなっていく。
 兄妹揃っての昼食の席で、鈴凛は自製のスプリングシューズ(類似品は実在)で航をサポートしようと申し出るが、これが反則であるのは当然として、航はやんわりと断る。そのような外的な支援よりも、ここは花穂の応援によって内的に支援され、そして自分の頑張りによって花穂を励ますことの方が、何よりも重大事なのだ。午前中の失態に意気消沈している花穂に、再び航は「応援、よろしくね。」と声をかけ、彼女を微笑ませる。

花穂「お兄ちゃま…。うんっ。」

 でも、花穂、どうしたらいいの。
 チアリーディングの技量はとうとう稚拙なままで、これでは兄が走る時にも満足に応援できるかどうか危ぶまれる。兄はそんな自分のためにも一生懸命に走ってくれるだろうが、その兄に報いようと応援しても、そこで失敗してしまっては、かえって兄の足を引っ張ることにもなりかねない。航がリレー出場を目の前にして次第に緊張を感じ始めているよりも強く、花穂は自分自身に凄まじい重圧をかけていた。応援しなければ、でも失敗は絶対に許されない。胸が締め付けられるような思いを秘めて、花穂は午後の応援に赴く。
 いよいよ航が出走するクラス対抗リレーの時がきた。これが一般的にそうであるように、組同士の勝負を決する最後の種目であるならば、おそらく昼食後しばらくは、組体操や騎馬戦など、他学年中心の種目がいくつかあったのだろう。そしてついにトリを飾るクラス対抗リレーの番となり、これも初等部の各学年ごとに順次競技が重ねられてきたのだろう。航が登場するのは、学年4クラス制とすれば、つまり最後から3番目である高等部1年の出走となる。放送部という立場を濫用して航を応援する咲耶の声に、航は他の生徒達に冷やかされて照れ笑いを浮かべているが、この光景は、周りの生徒達が航を特別扱いせず普通に接しているということと、航がこのような冷やかしなどに笑って耐えられるだけの精神を持ちえたということを意味している。だがその心中には、妹達の期待という重圧がひしひしと感じられていたに違いない。だから可憐は「お兄ちゃんのために」走ると約束し、さらに山田はいいところを見せたい一心で、眞深は助太刀のつもりで、それぞれが凄まじい快走を示しえた。眞深から可憐、そして航へと手渡されるリレーバトン、この時の航の目は可憐の想いも確かに受け止め、最初の強い決意をそのままに見せている。自分を支える皆のためにも、そして何より花穂のためにも。
 だが、この兄の頑張る姿を目にして、花穂は全く応援ができずにいた。失敗したら、の恐怖に身がすくみ、身じろぎ一つできないのだ。心の中では兄を応援しようと必死に叫んでいるにもかかわらず、彼女の体はそんな想いをあざ笑うかのように、必死になればなるほどその懸命さによって呪縛されていく。そしてこの兄もまた、懸命に走りながら、可憐達が積み上げてきてくれた1位の重圧に、必死に耐えようとしていたのだ。後ろからいつ抜かれるか分からない焦りは、彼を限界にまで駆り立てていくが、それは実力以上のものを発揮させる前に、より現実的な結果をもたらした。航は足をもつれさせ、そして転んだのだ。

 一瞬の空白。妹達は明るく応援していたその声を失い、航は後続の選手に次々と抜かれ、なおも立ち上がれずにいた。自分の努力を自分の失敗によって否定しただけでなく、先行走者の3人、応援してくれた妹達、そして頑張るからと約束した花穂の想いを、自分のせいで一瞬で台無しにしてしまった。立ち上がって再び走り出すには、その衝撃はあまりにも大きすぎた。

航 (…ぼくは…。)

 だが、空白の中から、想いがほとばしる。

花穂「…お兄ちゃまー!」

 今まで喧騒の中で独り沈黙し身をすくませていた花穂が、いま皆の沈黙の中でこそ、声を張り上げた。誰もが応援できない時こそ、支える言葉が一番必要な時。それは、独りで耐えていた自分に、兄が教えてくれたこと。だからこそ、いま兄を応援できるのは、この自分しかいない。花穂は、お兄ちゃまを、応援する。

花穂「フレー、フレー、お兄ちゃま!頑張れ、頑張れ、お兄ちゃま!」

 花穂の明るい声援がグラウンドに響き渡る。彼女の表情に本物の笑顔が戻っている。応援「しか」できないのではなく、自分が兄を応援したいのだということ、その初心に立ち返った時、花穂は、兄に一番伝えたい自分の気持ちを素直に表せた。頑張れ、頑張れ、花穂の大好きなお兄ちゃま。それは兄が花穂を励ましてくれるためではなく、何よりも兄自身のために。そのために彼女は、巧みな技術でもなく、形式通りの演技でもなく、ただひたすら素朴に、兄を励ます力を、声と体に託した。人が明るく勇気づけられる彼女本来の声と、その気持ちのままに躍動する体に。だからこそ花穂のその声を受けて、航は勇気を鼓舞されて立ち上がり、最後まで走りぬこうと足を踏み出せる。他の妹達も再び元気に応援を始められる。そして花穂自身は、気がつけばあれほど苦手だったバトントワリングを苦もなくこなし、円形バトンの輪と持ち手の回転が
残像でずれて見えるほどにまで巧みに使いこなしていた。チアの先生竜崎先輩ご覧あれ、これぞチアリーディングの真髄を花穂が会得した瞬間なのである。

 結局、リレーは最下位に終わってしまった。航の過失は明らかであり、せっかく頑張った山田や眞深の努力も報われなかった(山田はよほど根に持ったのか、第17話でこの話を蒸し返している)。しかし、それは兄妹達にとっては、些細なことでしかない。運動会が終わり、妹達が集まる中で、花穂は他の妹達にその雄姿を賞賛される。今までは成長の片鱗を見せながらも、もう一つ壁を越えられなかった花穂だったが、最後の応援の中で、彼女は、チアリーディングを真に自らのものとした。"Cheerleading"とは、心を明るくする声援の指揮をとるということに他ならない。まさしく花穂は、そのような声援をあの瞬間に兄に送り、そして妹達の応援の指揮をとることができたのだ。役に立たないと自分で思ってこざるを得なかった花穂の、彼女だけの力が発揮された記念すべき一日であった。失敗に照れ笑いしながらも、花穂に礼を言う航には、その失敗に対する悲壮感はそれほどない。

航 「花穂ちゃんが応援してくれたから、最後まで走れたんだ。本当にありがとう。」
花穂「お兄ちゃま、花穂ね、ずうーっと、お兄ちゃまを見てたの。お兄ちゃま頑張れ、って。
   お兄ちゃまの応援をしなくちゃ、って思って、夢中だったの。そしたら、そしたらね、できちゃったぁ!」

 ずっと心の中で兄のことを応援していた。ずっと上手くできなくて、でもずっと。そして、本当に夢中になって応援しようとした瞬間に、花穂は本物のチアリーダーになれた。彼女はそんな自分への誇らしさと、自分の応援を求め受け止めてくれた兄への誇りとを感じた。

花穂「お兄ちゃまのおかげだね。えへへへっ。」
航 「花穂ちゃん、これからもよろしくね。」
花穂「はい、お兄ちゃま。」

 そして兄がいるかぎり、花穂は兄を応援し続ける。応援しかできないからではなく、それが自分の心の表現なのだから。花穂の笑顔を見て、航も自分の努力が報われた喜びと、そんな努力ができる自分への誇らしさを実感できた。

航 「燦緒へ。ぼくらしいと言えばぼくらしい運動会だったよ。こんなことを書くと笑われそうだけど、
   妹達に、少しずつ何かをしてあげられるようになれば、ってそう思えるようになった。」

 少しずつ、それは航と一緒に生きる花穂のたゆまぬ歩みそのものである。航も花穂もゆっくり進んでいけばいい、その足取りはなお覚束ないものではあるが、それもまた自分らしさなのだ。とはいえ急に独りで歩けるわけでもなく、運動会からの帰り道、花穂はいつものように何もない路上で転び、航に助け起こされる。照れ笑いを浮かべながら、花穂はいつもの台詞を口にする。

花穂「お兄ちゃま、花穂ドジだけど、見捨てないでね。」

 まだ彼女は幼い。独りで立つ準備はできていない。だが、航が見た花穂の姿は、少しずつでも成長していく、頼もしい妹の未来を垣間見せるものだった。そんな小さな妹を見つめて、兄は黙って微笑む。

花穂「…えへへへっ。」

 大好きな、誇らしい兄を見上げて満面の笑顔、おっきなおっきなマル
 その成長は、しかし兄に甘えられる幼さを失っていく還らざる過程でもある。いつかこの夕日に染まる幸せな景色がはるかに遠く思い出される時が来るとしても、それでもいましばらくは、この半人前の花穂でいてほしいと思うのは、航の我侭というだけではあるまい。フレーとは"Hurrah"、「万歳」の意だが、花穂の素直さと笑顔と、この兄妹の喜びとに心から"Hurrah"。この幸せな日よ、いついつまでも。


終わりに 〜ぼくから大きなマルをあげるよ〜

 運動会を終えて、航と花穂はそれぞれの問題をそれぞれに乗り越え、自分とお互いへの誇りというかたちで、今後の成長の糧を得ることができた。花穂は自分のチアリーダーとしての務めに誇りを持ち、航は自分の妹達への誠意をさらに信じていけるようになった。ここで航が1位になれなかったことは、航が無様な自分の様をも直視しつつその中でなお妹達のためになしうるという確信を得られたということ、そして花穂にとっては彼女が兄に望むことが全て実現すると思い込まないようにする(他の妹達との関係を阻害するような過剰な依存関係を棄却する)という点からも、優れて意義のある結末だった。それぞれの成長を受け止めながら、続く第17話では航は春歌に尽くし、花穂は兄を再び応援していくのである。
 しかしバッテンだのマルだのと書いてきたが、『減点パパ』などという大昔の番組を誰が覚えているだろうか、という多大なる不安を最後に記して擱筆する。


(2002年7月27日公開 くるぶしあんよ著)

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