アニメ版『シスター・プリンセス』における克己

〜第9-10話にみる意志と自己認識〜



はじめに 〜問題の視点〜

 第9話「夏がきました」と第10話「頑張って、あにぃ!」は、航が衛の指導のもとに水泳の練習を行う経緯を描く前後篇である。ここで航が取り組む水泳の問題とは、彼が日常生活を越えるレベルで自分の身体的能力の短所を直視し、これを乗り越えようとする初めての努力の対象であり、これをどうして意志したのか、またそれにいかにして成功したかは、彼の身体的成長のみならず、その克己としての精神的成長、そしてこれに対応する妹達の変化等をみるうえで、きわめて重要な意味をもつ。
 さらに、これまでの段階で航と妹達の関係性がほぼ完成され、その中で航の能力や意志も十全に形成されつつあるかに見えるだけに、その段階との相違という点でも、この第9・10話での航の意志と行動については慎重な検討を必要とする。つまりそれは第8話で描かれた航の見事な成長のたんなる量的な促進にすぎないのか、あるいはさらに別の質的な飛躍の機会をも与えるものなのかについてが、ここで問われるべきなのだ。だが、この水泳という問題を取り上げるために2回分の内容を必要としたという点から考えても、ここでははるかに質的な成長の機会が予想できるのではなかろうか。
 本論ではこの問題意識にたって、航の自己認識と克己への意志について、およびそれを支える妹達、とくに今回のヒロインである衛の行動について、相互の関連性をみながら時系列にしたがって考察していく。


1.泳げない

 まずは導入の第9話、プロミストアイランドの生活もいよいよ夏休み。チアリーディング部などの活動も休み中はさほど厳しくはないようで、妹達は夏らしい遊びに向けて臨戦態勢にある。庭で水まきしながらはしゃぐその声を背景に、今日も航はメールを打つ。

航 「燦緒へ。今日もこの島に強い日差しが降り注いでいる。そしてこの家のあちこちから、妹達の明るい声が聞こえてきている。
   季節が鮮やかになって、みんなの声がどんどん明るく響くようになればなるほど、
   ぼくはあの憂鬱なことを思い出さなければならなくなる。打ち明けよう燦緒、実はぼく…。」

 そう、彼はカナヅチなのだ。泳げない者だけが共有する、夏へのコンプレックス。航にとってもそれは、せっかくの妹達との夏休みを辛いものにしかねない大問題だった。
 一方の妹達は、既にこの夏をいかに兄と共に楽しむかで湧きかえっている。咲耶は亞里亞と一緒に、兄が気に入るような夏服を選んでいる。これは年少者の世話をする義務を考えてもやや意外なペアに思えるが、積極的な咲耶とおっとりした亞里亞は実はかみ合うだろうし、また可憐と雛子が第1話以来よく一緒にいる(第3話登校時にも手を引いている)ことを考えれば別の意味も見いだせる。兄が心を許しやすい雛子か亞里亞を味方につけておくのは年長者の得策であるからだ。かたやライバルの一人である千影は、自室で占いながら「暑い…」と珍しくへばっている。可憐は、鞠絵や四葉と知恵を出し合ったのだろう、兄の部屋に良い色合いの風鈴を下げ、ちょうど部屋に戻った航に気に入ってもらえて満足気である(このときの航の反応は、眞深が驚いたように彼の大きな変化を意味するものではあった。)外で水まき遊びをしていた春歌、衛、花穂、雛子は窓辺から兄を誘う。白雪と鈴凛は共同で流し素麺マシンを完成させ、皆で楽しい昼食となる。素麺が掬えない千影と亞里亞の姿には萌えた者も少なくないだろうが、これに限らずこの2人の共通項は多い(第15話第18話の伏線)。
 このお昼時に、衛が航に水着を買いに行きたいと言い出すことで、妹達に火がつく。去年の水着が着られない、太っちゃったのかな、と笑う花穂を見る可憐の表情には、微妙な緊張が宿っている。無論、年齢に似合わず成長の早い花穂の胸の大きさを危惧しているのだ。そうこうするうちに妹達全員と一緒に買物に出かけることになる航だったが、このとき千影までもが皆と同じく「うん!」とお茶目に笑っている姿には驚かされる。水着に思うところがあるのか、あるいはそれほどまでに自室が暑かったのか。
 水着店では、可憐は早速、お腹が割れているワンピースで胸のサイズをごまかそうか、と算段してみている(結局諦める)。航は水着屋じいやに、水着を買わないのかと脅迫されるが、学校で使っていた水着があるだから、と断る。本当に持ってきたはずだと航は思っているのだが、しかし帰宅後自室を探しても見当たらず、崩れた荷物の中で寝転がりながら、自分と水との関わりの薄さを想起する。

航 (そういえばあれ、一度も使ったことなかった。去年も、一昨年も。そして、きっとこれからも。)

 実はその前に、皆が留守中に山田が勝手に入り込みプール掃除を始めていたのだが、彼は相変わらず妄想の中で妹達を全員同じ表情でしかとらえられず(しかも航不在)、個々人を見ていないままだと分かる。素麺まで食べつくしていた山田に呆れる航達だが、可憐は一応「プールのお掃除、ありがとうございます。山田さん。」と礼を言い、山田を悶えさせる。ここで彼がその手荷物を尋ねると、可憐は「これは、水着です。」と答え、水着が必要なことを失念していた山田を商店街へと向かわせるのだが、この可憐の応答が果たして計算によるものなのかどうか判然としない。「どうしたのかしら、山田さん?」と首を傾げる姿からは、あるいは「困ったなぁ」以上のことは本当に何も考えず答えたのかもしれない。水着屋じいやにさんざん牽制されたあげく水着を入手できた山田だったが、しかしウェルカムハウスに急いで仲間に入れてもらおうとしても、皆に完全に無視されてしまう。これはあまりに冷たい仕打ちのようだが、それは山田が妄想と同様、航を無視して自分だけ妹達と楽しもうとしているからである。もし彼が、腰の引けている航をうまく妹達の輪の中に混じらせることができれば、兄を気遣ってくれる山田に、妹達は当然何らかの良い印象をもつはずなのだ。だが兄を無視するのであれば、己も無視されるのも自業自得である。
 一方の眞深はといえば、水着店前でずた袋を引きずっている姿を皆にいぶかしく思われているものの、その中身がプール用イルカだと聞かされて、途端に妹達の心証は良くなる。未だに警戒感が消えないものの、少なくとも素直に皆で楽しむためのアイディアを出す眞深の態度は、その直截的な物言いとともに、好ましいものとして受け止められている。この両者の差は、続く第10話で眞深が、可憐、春歌、四葉、花穂の共謀によりプールに沈められたり、鈴凛に巨大水鉄砲(というかバズーカ)で直撃されたりと、ある意味で遠慮ない仲間入りの儀式を済ませているのに対し、山田については、可憐がプール掃除について「どなたか分かりませんが、お掃除してくれてありがとう!」ととぼけ、眞深が「山田だってぶぁ!」と突っ込む通り完全に無視し尽くしていることにも、はっきりと表れている。

  「いま」の輝く光と妹達の声に満ちた外界に対して、過去の残骸である参考書に埋もれた自室の暗い静けさ。衛の催促にも気のない返事で寝そべる航は、それでもようやくプールに出る。既に妹達はプール開きのために掃除を始め、ついでに水遊びも盛り上がっていた。プールを磨き、花で飾り、チェアやパラソルなどを並べて、思い思いに夏の水辺の楽しみを演出していく。千影はテーブルで占いを始めているが、水に関わる災害を防ぐためには欠かせない務めである。とくに第10話の最後の場面で亞里亞が瞬間移動するなど、このウェルカムハウス内の異常現象は普段通りに発生している以上、これは決して掃除のサボリなどではない重大事なのだ。
 ここで、プールサイドに腰掛ける航のためらいがちな姿を見て、鞠絵は何かに気づいている。プールの中では可憐達がビーチボールで戯れているが、誘われてもその中に混じろうとしない態度に、おそらく鞠絵は、水を拒絶する理由が兄にあることを看取したのだ。だから、本来ならミカエルを遊ばせてもいいはずの鞠絵は、無理矢理に航が水遊びに巻き込まれないように兄の脇に自分も座り、「一緒に眺めて楽しむ」という姿を作り上げた。雛子達の誘いが激しくなると、さらに春歌や亞里亞、しまいには千影までも航の横に座らせて、水遊びグループと観戦グループ(総じてスカートが長く水に濡れる)との拮抗状態を構築したのは、鞠絵らしく兄を気遣う穏当な知恵であり、また第8話で自分を解放できた彼女の積極性の表れとも理解できる。
 ところで、その前の光景では、鞠絵と眞深以外の全ての妹達がプール内でビーチボール遊びをしているのだが、その
輪の中に千影もいるのは一体どうしたことか。一面では今後の水関係安全対策への呪術的準備の一環(第11話以降と関わる)とも受け取れるが、他面よほど部屋が暑かったこともあり、たんに日頃見せないお茶目さを発揮して涼しい水遊びに興じたかっただけかもしれない。第10話で皆と一緒に準備運動の屈伸をしているあたりが、その可能性を裏付ける。
 だが、鞠絵のフォローではこの場は凌げるものの、本当の問題解決には直接結びつかない。それは航自身の意志によって、自分自身を変えていくことで初めて可能となる。幸いにもこれまで共同生活の中で成長してきた航の感受性は、鞠絵が与えてくれた状況を十分に意味あるものにした。妹達の楽しむ姿をプールサイドから眺めているうちに、彼の表情も次第に和らいでいくのである。

航 (考えてみれば、こんな夏をすごすのは初めてだったかな…。海やプールで遊んだこともなかった。
   そう、あの頃、ぼくには絶対必要ないことだと思っていたんだ。そして、その気持ちはずっと変わらないはずと…。)

 夕暮れ、水が張られたプールで衛が泳ぐ。これを見つめる航は、水へのためらいを乗り越える可能性を模索し始める。

 (もし、もしぼくがあんな風に泳げたら…!)

 それは、勉強だけの夏ではない、泳げないことを辛く耐える夏でもない、初めての楽しい夏を与えてくれるのではないだろうか。光の下で、あの楽しげな妹達と、喜びを分かち合えるのではないだろうか。妹達のために、そして妹達に支えられて、自分も今度は嫌な努力をも貫き通せるのではないか。妹達との確固たる関係と第8話で示せた自分の力への自負が、ここで彼を勇気づけている。

衛「あにぃも、ボクと一緒に泳がない?すっごく楽しいよ。」

 この衛の屈託のない笑顔に、航は決意を固めた。この夏に、自分から向かっていく。そして、自分は独りではない。

航「水着を買いに行きたいんだけれど、つきあってくれない?ぼく、泳げるようになりたいんだ。」

 燦緒に「季節が鮮やかになって、みんなの声がどんどん明るく響くようになればなるほど、ぼくは…。」と告げる時、彼は今までならば「憂鬱になっていく」と続けただろう。しかし今は違う、「その中に入りたくなる」のだ。そしてそのためには、自分の欠点をも直視することができるようになった。この意識そのものが、既に彼の克己の様を示している。勉強ができさえすれば、こんなものに何の価値が、などと言い訳に逃げることなく、己を高めようとする兄の決意を伝えられた衛は、兄の顔をしばらく呆然と見つめ、そして満面の笑顔で応えた。

衛「じゃ、明日から早速頑張ろうか。あにぃ!」

 ヒロイン衛、ここに決定である。


2.泳げないと

 続く第10話では、この航と衛の努力がどのようになされたかが描かれる。

航 「燦緒へ。今日もこの島に、強い日差しが降り注いでいる。
   そしてこの家のプールからは、今日も妹達の明るい声が聞こえてくるのだろう。
   その中でぼくは、衛ちゃんに泳ぎを教わることになった。早く泳げるようになったらいいな…。ふう。」

 最後の「ふう。」は、泳げるようになるための彼の苦労を物語る。メールを打つ航の部屋に、風鈴の音が涼やかに響く。その音は、否応なく彼に夏という季節を感じさせ、夏の間に克服すべき彼の課題を忘れさせまいとするかのようだ。
 衛以外の妹達は早速プールで夏を満喫しているが、その中にも隠れた問題がないわけではない。飛び込み台にすらりと立つ咲耶の肢体に対して、可憐の胸はいかにも慎ましい。横に並んで水遊びに興じる春歌も豊満なだけに、その差はどうにも際立つ。後日の場面ではこのサイズが突然大きくなっているが、可憐なりに
増量を試みたのだろうか。これもまた、夏に立ち向かう一つの姿ではある。
 そんな妹達とは別に、航と衛は水泳の特訓を行う。衛の「頑張ろう!あ・に・ぃ!」の掛け声に、航は一瞬躊躇するものの、己を鼓舞してそれに応える。

航「そうだね。もたもたしてると、夏が終わっちゃうもんね。」

 この言葉を聞いた衛の驚いた笑顔は、ただ兄の予想以上のやる気を理解したというだけではない。それは、兄が、衛自身と同じようなスポーツへの積極性を示してくれたことへの喜びがある。第5話のメールにもあったように今まで運動を嫌ってきた兄だが、ここで衛は、自分から遠かった兄が限りなく近づいてくれたという感触を得たのだ。年長者達のように日頃役立つ技があるわけでもなく、スポーツ以外に取り柄もないと自覚している彼女にとって、これは彼女が兄のために最大限の貢献ができる機会であり、また兄が自ら衛を受け入れてくれる初めての機会なのだ。衛は頑張る。航を「頑張って」と励ましつつ、彼女自身が兄のために頑張る。水を恐がり目をつむる航に、そんなに恐がらないで、と助言する。他の妹達の遊びで邪魔されないように、学校のプールで練習する。これは兄のためでもあり、自分が兄を独占するためでもあり、どこでも繰り返されるのは「頑張って、あにぃ!」の声である。
 だが、当事者の航はといえば、学校のプールへ行くにもやや憂鬱な表情。たとえ自分から泳ぐ努力を申し出たとしても、彼の意志はこれまで長続きしたためしがない。というより、自分の短所を直視し、それを乗り越えるために努力し続けるなどということを、日常生活の作業を除けば、今まで彼は満足にしたことがないのだ。とくにスポーツなどは全く関心がなかったうえに、いざ取り組もうとすれば劣等感は強い。そんな兄の思いに気づくことなく、衛はさらに元気よく励ます。

衛 「あにぃも負けてらんないね。って、ボクもだけどさ。もたもたしてると、夏が終わっちゃう、でしょ?」

 兄の意志は自分のスポーツにかける意志と重なっていたはずだ。であれば、自分はそれに応えるのが務めである。こんな衛の誠実さは、しかし兄の心情を自分のそれと過剰に重ね合わせてしまうことで、逆に自分のスポーツにかける熱意を、兄の中にも自明のものとして投影してしまうことにもつながった。食事の席で旺盛な食欲を発揮する航の隣には、ヒロインの常として衛が座っているが、この食欲も運動が好きな人間の常として、自分と兄との共通項に数えられていく。さらに、本気で努力する航が深夜にプールで練習するのを見て、衛は感動を覚え、兄を自分にいっそう重ねていく。水中で目を開けたほうがいい、と助言する衛に、開けていなかったことに気づかなかったと驚く兄の姿は、衛にとっては、自分だけしか知らない兄であり、そして自分と同じようにスポーツの練習にどこまでも血道を上げる兄なのだ。今までが距離感を感じざるを得なかっただけに、この錯覚はきわめて強力である。
 翌日、他の妹達が遊びに出かける一方で、航と衛は学校で特訓を続ける。雛子が口をとがらせるように、兄と一緒に行きたかった妹達だが、兄が懸命に努力していることを知る彼女達は、あえて何も問わずに衛に託す。無論他の妹も泳ぎを教えられるわけだが、兄が衛を頼った以上、今しばらくは衛の日である。そうでなくとも、例えば教えるのが咲耶達では、ここぞとばかり航にべったりくっついてしまって練習にならない。衛が先生なのはつまり客観的に見ても最適なのだ。鈴凛による水泳サポートメカは見たかった気もするが。
 練習は日々繰り返されていくが、バタ足で顔を水につけられないという問題はなかなか解決されない。ならば顔を上げたまま可能な泳法としてなぜ平泳ぎあたりを教えないのかという疑問もわくところで、これは衛なりに基礎基本から教えていこうとしているとはいえ、泳ぐならクロールだという彼女の先入観の表れでもある(だが、泳ぐための筋肉作りや四肢の動かし方、息継ぎの仕方など、クロールは最初に覚えるには実は難しい泳法なのではないか、と考えるのは論者だけだろうか)。帰り道で兄の背中を後押しして走るのは、衛の指導方法そのものである。食事のカレーは大盛りに、学校のプールで深夜のウェルカムハウスで、練習は生活全体を巻き込みながら衛のペースによって進められていく。航がやや疲労を感じ始めてもなお、兄が自分と同じ積極性を維持・向上し続けているものと勘違いしたままに。
 なおも練習するバタ足で、航はついに衛の前で疲れた表情を見せてしまう。「もう少しで泳げるようになるよ!」と励ます衛に、航は、「そうだね、もたもたしてると、このまま夏が終わっちゃうからね…。」と力なく呟く。それは、かつて兄が自分に言ってくれた台詞だったが、最初の時に感じた力は、気がつけば今の言葉の中には失われつつあった。「泳ぎたい」から自発的に練習していたはずなのに、かつての兄のごとく、「泳げないといけない」から強制的に練習を受けているかのような受動的な精神状態への傾向がここに看取できる。さすがに衛も、そんな兄の異変に気づく。就寝前の様子見に兄の部屋を訪れた時、航は燦緒にメールを打っている最中だった。

航 「『燦緒へ。練習した成果が出て、大分泳げるようになったんだ。君の驚く顔を見てみたいな。』
   …はあ。燦緒、全然うまくならないよ…。やっぱり、だめなのかな…。」

 風鈴が鳴り、夏の移ろいを刻々と告げていく。衛の突然の来訪に驚き慌てる航だったが、衛はいつものように兄を励まし、部屋を出る。とりあえず航は元気そうに振舞いながら、後で溜息まじりに未送信メールを捨ててしまう。一方、兄の部屋の扉の向こうで佇む衛は、このままではいけないと悩んでいた。兄が早く泳げるようになるために、やり方を少し変えなければならない。しかし、彼女の性格とスポーツへの熱意は、可憐や鞠絵なら選べるだろう「引き」という手法を全く不可能にしている。しかも兄を自分に完全に重ね合わせてしまっている以上、彼女が考えつく改善方法とは、兄の内面に即してのものではなく、自分がかつて水泳で躓いた時に選び取ったやり方だった。それは当然兄に快く受け入れられるはずであり、そしてそれによって自分と兄とはさらに一心同体となるはずなのだ。
 泳げるかどうかに不安を強め、練習辛くなりつつある航と、そんな兄の心理を正しく理解することなく自分の経験則を兄に適用しようとする衛。2人だけの努力は、それぞれの思いの行き違いを生みつつあった。


3.泳げなくても

 翌日学校での練習に向かった航に、衛は「用事がある」と言ってすぐさま立ち去ってしまう。独り残された航は、自分だけでもと練習に励むことなく、プールサイドに寝転がる。水面に浮かぶビート板が、支えるものもなくただ揺らめく。

航 (衛ちゃん、ぼくがいくら練習してもだめだって、呆れてるんじゃ…。
   …はぁ、やっぱりだめだ。言っちゃおうかな、もう練習はやめようって。別に泳げなくても、どうってことないし。)

 自分の無駄な努力は、衛の誠意を無に帰してしまうのではないか。それに我慢してつきあわせるよりも、はっきりこちらから止めると言った方がいいのではないか。妹に無理をさせ、自分もこれ以上劣等感や罪悪感に苛まされるくらいなら、いっそ泳げないままでいた方が気が楽である。そう悩んだあげく練習をせずに下校する航は、その途中で衛に追いつかれる。いったんプールに戻ったという衛の言葉に、航は、彼女が自分のことを全く見捨てていないことを知って動揺する。衛が告げた用事とは、兄が泳げるようにと、ある贈り物を買ってくることだったのだ。
 その贈り物とは、水泳用のゴーグルだった。衛は、自分が水泳で躓いた時に、これをかけることで水中で目を開けることができ、それ以来上達するようになった、と語る。明らかに彼女は、自分の経験になぞらえて、航の躓きを位置づけている。これ自体は一つの問題なのだが、しかし彼女なりの真剣な心遣いであることには間違いない。これに航は心底からの衝撃を受ける。衛は、自分のことを見捨てたのではなかった。自分のためにできる限りのことをしようと、わざわざ買い物に行き、そしてプールにいない自分を探して、兄の誠実さを疑わずにここまで駆けてきたのだ。むしろ航自身こそが、衛の誠意を疑い、彼女の熱意を見限ってしまいかけていたのである。妹の心情を慮っているかに思い込みながら、その実自分は何という蔑むべき人間だったのか。彼の衝撃は、克己しようとしていたはずの自分自身への評価の完全な反転をもたらしてしまう。

 だが、これだけでは、これ以降航が全くプールでの練習に赴かないことの理由がつかない。ここで反省したのであれば、衛のために、もう一度頑張ろうとしないものなのか。これに答えがでなければ、おそらく、これだけ衛が心配してくれていながらそれに応えようという気概のない軟弱者、という悪評をここで強めるだけのことになる。しかし、ここでもう一つ、航の立場からすれば絶対に想起すべき事柄があるのだ。それは、第3話で彼が島から脱出しようとするさいに、自分の水泳用ゴーグルを持ってきていた、という事実である。あのとき、航はウェルカムハウスでの共同生活の制約にうんざりし、島から絶対に出てやるという強い意志のもと、様々な工夫をこらすほどの積極性を見せていた。ペットボトルをつないだビート板代わりの浮きとゴーグルで、泳いで本土へ渡ろうとしたのもその工夫の一つだった。泳げないどころか水に顔もつけられない彼が、ここまでしようとするとは、よほど追い詰められ、そして必死だったことを如実に示している。このときはゴーグルまで準備できた彼が、なぜ今水泳の練習をするさいに、この道具を利用することに思い至らなかったのか。
 ところで、これをたんなる番組制作上の過失だとする意見もあるかもしれない。確かに、航が自分のゴーグルを持っているのなら、衛が買ってくるまでこれに気づかないのはいかにもおかしい。しかし、この第9・10話の時点では、航は自分のゴーグルを失ってしまっている。より正確に言えば、第3話で可憐と共にウェルカムハウスに戻った後、航は自分のゴーグルを捨ててしまっているのだ。その捨てる姿は画面に描かれてはいないが、ここで、第1話で航が海水に浸かり駄目になった腕時計を道端に投げ捨てている場面を思い出すべきである。彼は、不要と思った物を直ちに捨てる習慣をもつ。第3話では第1話ほど感情的でもなく、また可憐の目の前でポイ捨てすることもなかったが、海には鮫がいると思い込み、また第4話で逃げるように島を離れるつもりがなくなってからは、当時の航にとってゴーグルの使い道は(プールなんて意識する以前でもあり、、万一でも歩いて帰れることもあり)もはや皆無だったはずなのだ。つまり航は、共同生活に主体的に参加する意志を身につけることでゴーグルを捨て去り、海への恐怖心を無意識下に維持し続けることでそのような道具の存在すらも忘却できたのである。
 こうして航は、あの島からの脱出を図った時よりも、今の自分が真剣ではないということに気づかされてしまった。あの脱出行為そのものは今や自分の笑うべき過去となっていたが、その笑うべき時期の自分よりも、克己に努力していたと思い込んでいた今の自分の方が、よほど真剣でなかったとは。これこそ、自分の意志そのものに対する不信と、これまで共同生活の中で積み重ねてきた自分の成長過程への不安を、彼に不可避に与えるものだった。それは、自分の足元が音を立てて崩れていくような感覚だったかもしれない。この自分自身の意志への不信感と、衛を疑った自分への不信感が相乗的に増幅することで、航は今の泳ぐ努力以前に、自己否定へと直行してしまったのだ。
 だからこそ、衛が待つプールに航は来ない。いや、彼は来れないのだ。衛に再び、自分は心から真剣に泳ぎたいという意志を持っているのだと示せないかぎり、彼は自分への不信感を抱いたまま衛の誠意に向き合うことになる。それは絶対に許されないことだった。

(衛ちゃん、ごめん。やっぱりぼくは…。)

 続くはずの言葉は、「泳ぐ練習に疲れた」ではない。「泳げなくてもいい」でもない。「衛ちゃんの誠意に向き合えるような兄じゃない」のだ。当初の克己の意志が誠実なものだっただけに、ここでの自己否定感情は、どこまでも果てしない深みに落ちていく。
 再び昼下がりに妹達がプールではしゃぐ中、しかし衛と航だけは、そのにぎやかな場から離れて佇んでいた。眞深が用意した2匹のイルカのそれぞれに、可憐・雛子ペアと咲耶・亞里亞ペアがまたがり、年長者が手にしたウレタンつきのスティックでお互いを水中に落としあうという、水上運動会でよく見られるゲームを遊ぼうとする妹達。この眞深のイルカで遊ぶことを提案したのは咲耶であり、またここで眞深自身はレフェリーを務めるあたり、彼女は完全に妹達の仲間に組み入れられている。そして、この勝負で一見やんわりと相手ペアを叩き落せるかどうかは、可憐と咲耶にとって象徴的なニュアンスを持っていた。
 そんな楽しくも意味深長なゲームが始まる一方で、航が後ろめたそうに目を向ける衛の姿は、淋しげで力なかった。衛にしてみれば、なぜ兄が練習を拒むのかが分からない。確かに、努力の成果がなかなか上がらないということはある。だが、自分がそれを乗り越えていったように、兄もゴーグルを使ってやがて大きく進歩するはずではなかったか。あのゴーグルに託したのは、技術的な助言だけでなく、水泳に取り組む自分の熱意と兄への愛情そのものだった。それを兄が受け止めてくれたならば。だが、実際には兄は来なかった。ここで衛が感じる兄とのずれは、彼女に多大なる不安を抱かせる。もしや、兄と自分とを重ね合わせていたはずの幾つもの言葉は、全く結びつきを保証しないものなのだろうか。自分の気持ちやサポートは、兄に届いていなかったのだろうか。「押し」はもはや通じず、しかし「引き」も巧みにこなせない。航が衝撃とともに受け止めた航自身への不信感は、衛にも、衛自身の能力や誠意への不信感を生み出していった。兄の気持ちも分からなくなった自分に、兄に想いを受け止めてもらえない自分に、一体これ以後何ができるというのだろうか。
可憐の胸が再び元の慎ましさに戻っているように、やはり無理な努力でしかなかったのか。

 何をしたらいいか分からない衛は、それでもただ一つだけ、希望を残した。航は衛の姿にいたたまれなくなり、自室に戻ろうとしかけるが、そのとき目に飛び込んできたのは、底浅のプールの淵にそっと置かれた、
ビート板とゴーグルだった。自分が兄の努力の妨げになるのであれば、兄と一緒に練習したいという気持ちを押し殺してまでも、兄のために尽くしたい。しかし、せめて兄には、兄自身のために最後まで頑張ってほしい。ゴーグルに映る航の影には、その押し殺された「頑張って、あにぃ」の声が聞こえている。思わず衛を見る航は、彼女が兄に目を向けまいとじっと耐えている姿に直面した。妹は、なおも自分を信じてくれている。自分が立ち上がることを疑わずにいてくれる。ならば、せめて自分は、衛の誠意にだけはきちんと努力で応えるべきではないだろうか。泳げる泳げないは別として、それが自分の兄としての務めではないのだろうか。

(やっぱり、もう少し…。)

 航の意志が弱々しくも動き出したまさにその瞬間、可憐が振るったスティックが見事にきまり、咲耶と亞里亞が叩き落された。勝負は可憐・雛子のものとなったが、しかし泳げない亞里亞は水中に沈んでいく。ちょっと懲らしめてやろうかと思っていた可憐も、これでは戦略的敗北である。咲耶が手を伸ばすも亞里亞に届かず、衛もはっとしてプールに飛び込もうと立ち上がる。
 だがその刹那、衛の足を止めたのは、亞里亞の沈むプールめがけて駆けていく航の雄姿だった。いや、雄姿というには程遠いかもしれない。彼は明らかにプールへの恐怖感を捨てきれていない。しかし、衛がくれたゴーグルを目に被せ、さらにその脇をしっかりと手で掴み、何とかその恐怖感に打ち克とうとしているのだ。これは、衛が込めた想いに兄が自分から手を伸ばし、その助力を求めたことの表れだった。衛のゴーグルは、幼い妹の危機に立ち向かおうとする兄の背中を、これ以上ないほど力強く押していた。たとえ彼の恐怖感が完全に払拭されはせず、その結果
航の足運びがきわめて滑稽であったとしても、それは足がすくむほどの恐怖を感じてなおその己の心に打ち克つ兄の勇気の発露なのである(当然この足運びはDVDでも変更されていない)。傍で見れば笑いたくもなるが、しかしこれが彼の弱さの上に立つ勇気なのであり、それを可能にしたのは航の妹達への愛と衛の兄への愛なのだ。

「あにぃ!」

 そして彼は勇躍プールに飛び込んだ。しかし亞里亞はとっくに咲耶によって救出されており、助けるべき相手がいなくなった航は…。
 見事な犬掻きで亞里亞達のイルカまで到達していた。
 この姿もまた一面において滑稽かもしれない。衛が教えていたクロールは何の役にも立たなかったかもしれない。いやそうではない、あの練習は何よりも役立った。顔を水に浸けられない状態で、航はビート板を用いたり衛に手を引いてもらったりしながら必死にバタ足の練習を繰り返していた。この段階のままでは確かに浮力やクロールの型という点でうまくないが、このとき航の脚部をはじめとする肉体には、泳ぐために必要な筋肉に次第に力がついていったのだ。後は水を恐れるために入ってしまう無駄な力みを抜いてやれば、自然と体が水に浮いて泳げる段階にまで潜在的に到達していた。その恐怖心を克服するためには、守るべき妹達への愛と、支えてくれる妹達の愛への確信があればよかった。そして航は、自己不信にとらわれながらも、その両方だけは間違いなく疑いもせずに自分の心の軸においていたのである。この意味で、彼は心の底から兄なのであり、そして兄であればこそ、ここで克己できたのだと断言できる。

航 (泳げなくても、プールを楽しむ方法はいくらでもあるんだ…。)

 妹達ににぎやかに応援されながら犬掻きで泳ぐ航の感慨は、既にこうして泳げるようになっているだけに皮肉に聞こえる。とくに、通販ビデオ教材「Bob Stanbacks's Swimming Lesson」でとうとうLesson1(水を張った洗面器に顔を浸ける)から先に進めなかった山田が、この場面で泣きながら 「ボキだって女の子に教わっていれば今頃…!」と悔しがるのを見れば、なおさらである。だが、山田は今回も何も分かっていない。ガルバンの中でミッチーが「何とかするのよぉッ!」と叫ぶように、亞里亞の危機に「何とかするんだ」と我が身を振り返らず飛び込める勇気、自分の恐怖心を大切な者達のために克服できる意志があればこそ、航はこうして妹達と楽しいプール遊びができるようになったのであり、そしてそれは妹達を心から愛し信頼しているからこそ可能だった。言うまでもなく、山田に欠落しているのはこの肝心な心なのである。

 夕暮れのプールで犬掻きの練習を続ける航の姿を、プールサイドで優しく見つめる衛。そこには、第9話の最後で美麗なフォームで泳ぐ衛を見つめていた航の憧れとは、また違った意味での想いが包まれていた。兄は自分達のために自分の全てを賭けてくれる。そして、自分の想いにちゃんと応えてくれる。そんな兄への誇らしい喜びと、そして若干の寂しさと。
 兄が泳げるようになったことを喜ぶ衛に、航は、衛が教えてくれたからだと礼を言う。だが、むしろ衛こそが、そんな兄に感謝したかった。

衛 「ううん、あにぃが教えてくれたから。」
航 「え?」
衛 「泳げないってことを、ボクにだけ教えてくれたから。」

 他の誰でもなく、この自分にだけ、泳げないことを告白してくれたこと。自分を信頼して、兄の弱みを見せてくれたこと。一緒に頑張りたいと言ってくれたこと。全てが、今までどうしても兄のそばに届かなかった衛が、今回初めて兄から与えてもらえたものだった。だから衛はこれ以上もない熱意で兄に尽くした。しかし衛も自省するように、その熱意はしばしば空回りして、兄に負担をかけることにもなったのだが。そして、兄が泳げるようになった契機は、自分ではない他の妹を助けるためだった。これ自体は嬉しいことにせよ、運動という得意分野で兄と2人っきりの関係を結びたかった衛にしてみれば、これは自分の独占欲に気づかされ、同時に挫かれる瞬間でもあったのだ。兄は自分を含めた妹達全員の兄であり、そして兄が泳げるようになった今、もはや衛が優先的に兄のそばにいることはできない。兄への嬉しさ、誇らしさと、だからこそ少しの寂しさと。

衛 「この夏が…この夏が、いつまでも、続けばいいのにな…。」

 2人っきりの時は終わった。衛にとって、最も暑い夏の日は過ぎ去った。だが、せめてこの、兄がかけがえのない喜びを与えてくれた夏を、兄と一緒にいつまでも過ごせたならば。切ない夏の夕暮れに、風鈴の音が澄み渡る。

航 「燦緒へ。今日もこの島に強い日差しが降り注いだ。そしてこの家のプールからは、妹達の明るい声が聞こえてきていた。
   そんなこんなで、結局あまり泳げなかったけれど、こうして、衛ちゃんと頑張れたから、いいかな。
   …明日も頑張ろう。」

 そう、明日がある。今は完璧でなくとも、それなりにできることを日々積み上げることで、何かにきっと到達できる。その「いま」を積み重ねる過程そのものもまた、航達にとっての財産であることをも、既に理解したうえで。そして衛にも、再び希望ある明日が到来するはずだ。今日の夏の日は過ぎ去っても、秋には運動会もあるのだから。
 しかしそれ以前の問題として、これだけ長期にわたって兄を独占できた妹は実は衛の他には存在せず、彼女が夏を惜しむ気持ちは分かるもののそれは他の妹達からすればあまりにも贅沢な話であるということについては、妹間の公平を期すために注意をうながしておきたい。また、これだけ恵まれた時間を与えられながらも、他の妹達からあからさまに嫉妬されないのは、日頃から裏表のない衛の人徳のなせる技でもあり、さらにその機会を利用しても兄を惑わしうるとは到底思えない彼女の色気の薄さのおかげでもある。だが、もし今回衛が感得した寂しさが、いわゆるジュヴナイル作品の描く児童期の終わりのそれと等しいものであったとすれば、実は今後衛が純真な子供から次第に少女へと質的変化を遂げていく時期に入るという可能性も、ここで示唆することができる。ただし第13話でなお航と日焼けの跡を見せ合おうとしたがっているあたり、これは当分先の話なのかもしれないのだが。


終わりに 〜準備万端〜

 この第9・10話の中で航は泳げるようになり、またその努力を通じて兄妹の絆はさらに堅く結ばれた。航は妹達との信頼関係に支えられて初めて本格的な克己に成功し、妹達はそのような兄の姿を見てさらに兄への信頼を強めることができた。とくに航と衛にとって、今回の努力は今までの各人の成長の量的促進というにとどまらず、その自己認識や相互の理解において、大きな質的展開をも与えるものだった。つまり、今までの自己認識やそれに基づく自信を大きく動揺させられることで、自らの影の部分に気づき理解していく契機を獲得するとともに、相互理解にさいしての先入観や認識のずれに直面することで、真の相互理解の困難さと、それをふまえたうえで本当の理解へ至るための繊細な努力の必要性および可能性を、身をもって知ることができたのだ。
 このようにして心身ともに成長しゆくウェルカムハウスの住人達の状況を確認できたことにより、ついにじいやは、大規模な計画を発動する。これがいかなる計画であり、その真の意図が何であるか、また実際にいかなる経過を辿るかについては、続く第11・12話の中で論じられることになるだろう。
 なお蛇足ながら、食事の席がプールの話で湧き上がる中、千影が

千影「フッ…兄くん…。万が一のことがあったら、私が…。」

と呟いていることには注意すべきである。これは、千影が意外と水泳に秀でていることを示すとともに、やがて第12話で航が溺れたさいの対応を予感させるからだ。ただし、千影の泳法は正統派のそれというよりも、第11話で暗示される水の精霊を用いるものなのだろうが。


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