アニメ版『シスター・プリンセス』における相互性の完成

〜対称形としての第8話〜



はじめに 〜問題の視点〜

 これまでの過程で、航達の共同生活は、「いま」を大切に積み重ねていこうとするその意識においてほぼ完成に至った。とくに、妹達との別れを漠然と予感し、寂しさを覚えた航は、だからこそこの日々を、この妹達を守るために、自分にできるかぎりの努力をしていこうとあらためて決意しつつあった。
 第8話「いつの日かふたりで」は、この決意に基づいて、航が鞠絵のために全力で尽くす姿を余すところなく描いている。この兄の意識と行動が、以前までのそれからどのように変化していったのか、その成長の様を具体的に検討するために、本論では、この回と同じヒロインものであり、そして先行する唯一のものである第4話と比較し、その相違を考察していくこととする。


1.鞠絵の夢

 航が既にこの共同生活に順応し、その中で自分のあり方を定めようとしていることは、アバンタイトルから「そんな馬鹿な」の台詞が今回から消えていることにも明らかである。

航 「燦緒へ。長い梅雨だ。本当に長い…。きっと、この冷たい雨の向こうには、爽やかな風が吹いているのだろう。
   時々見える雲の隙間から、その音が聞こえてくればいいのに…。」

 ここしばらく、自然のうつろいに繊細な感受性を向けてきた航だったが、今回は、鬱陶しい梅雨雲の上に吹く風を思うというかたちで、眼前の辛さを越えたその先への希望を示している。航が既に冒頭からこのような成長のさまを見せている一方で、冷たい雨を窓の外に、自室で一人静かに本を読む妹の姿が映し出される。鞠絵である。彼女は膝元近くに寄り添うミカエルに話しかけるようにして、その物語『Legend』(第1巻)への憧れを口にする。

鞠絵「わたくしも、あの主人公のように世界中を旅できたら…。」

 だが、それがかなわぬ望みだということを彼女は知っている。なにしろ、この本の続きを買いに行くだけでも、「体の具合のいい時」を待たねばならないのだ。鞠絵の性格を表現すれば、身体虚弱、文学少女、理性的、思索的、内向的、自己抑制的などといった言葉が挙げられるだろう。病身とつきあって生きてきた彼女は、自分の欲求に素直に従うことができない。それはつねに、自分の限界を明確に意識することで、予め抑制されなければならない。そうしなければ、皆に迷惑をかけてしまう。第7話で眞深に「また貧血か?」と言われているように、彼女の病弱さは慢性的なものであり、他の妹達の気遣いを呼び起こすからだ。この抑制は、読書という自分にできる行為の中で、この身体の代わりに想像力の翼を広げていくことで代替物を得、部分的に解消されていく。そんな鞠絵の内向的なナイーヴさは、他の妹達の誰よりも、兄の航に最も近い性格であるということができる。とりわけ、第4話でヒロインとなった雛子の、感情的で衝動的で活発な幼児的性格と比較したとき、この二人の妹がきわめて対照的であることに気づかされる。
 ところで、読書に没頭する鞠絵の姿は、熊のぬいぐるみの夢を見た雛子と重なり合う。雛子は庇護感の欠落により、共同生活の中で欲求不満を覚え、それがあの夢というかたちで具体化された。一方鞠絵の場合は、共同生活の中での孤立感が、彼女を物語の世界へとさらに駆り立てる。他の妹達が兄とにぎやかに楽しむ声を聞くたびに、病身の鞠絵は自分がそれに参加できないことを痛切に感じ、そして想像の世界で癒されようとする。この点で二人は似通った問題を抱えているが、しかし問題への対応は全く異なる。雛子は直ちに家出という積極的行動に移るが、鞠絵は自制し、読書しながら時が来るのを待つのである。この姿勢は、アバンタイトルで語られた兄の思いと共鳴する。
 だがこの努力は、その一方で彼女の心を蝕んでもいく。現実の共同生活の辛さを、空想の世界で紛らわすことは、一次しのぎにはなるものの、現実を変えていく意志や力を生み出しはしない。そして、例えばG.マクドナルドの『北風のうしろの国』やC.S.ルイスの『ナルニア国物語』が哀しく描くように、現実を否定しすぎて夢想の中へ完全に没入してしまった者は、もはやこの現実世界での存在を失い、つまり死に至る。自分が自室にこもって読書だけをしていれば、他の妹達に迷惑はかからないが、それは同時にできるだけ存在を消し去ることでもあり、その究極は自己の消滅にほかならない。鞠絵が自分の境遇に必死に耐えようとすればするほど、その手段としての読書と空想が彼女を次第に現実逃避と衰弱へと向かわしめるという、文字通り「必死」な悲しむべき逆説がここに見いだされるのである。

 彼女の分身ともいうべきミカエルには、その危機は、彼女自身の想いとともに余すところなく感じ取れた。主人の体よりも、この梅雨冷えよりも、大切な主人の心は冷たく凍りつきかけている。直ちに直接行動の必要性を理解したミカエルは、買物(家出ではなく)に出かけようとする航を玄関先で捕まえる。その振る舞いを鞠絵に叱られようとも、ミカエルは決して謝らない。それは、彼女の本心を理解しているからであり、それが自分の主人のためだからであり、自分の振る舞いから鞠絵の願いを航に読み取ってほしいからだ。ミカエルのおかげで兄が本屋へ行くことをここで知りながら、鞠絵はしかし、自分も一緒に行くとは言えない。

鞠絵「兄上様と一緒に、ご本を買いに行けたらな…。ここに来る前までは療養所にいたでしょう?
   まだちょっぴり体に自信がないの。途中倒れでもして、兄上様にご迷惑をかけたら…。」

 自室に立ち戻った彼女の想いを再び確認し、今度は抜かりなく物語の本を口にくわえて飛び出すミカエル。先ほどよりも激しいインターセプトが見事にきまり、航はその本に気づいた。慌てて出てきた鞠絵は、こうして、兄と一緒に外出する機会を与えられる。二人とミカエルを見送るのは、可憐、花穂、咲耶、雛子。第4話の主要関係者達である。兄はあの時とは逆に堂々と皆に声をかけて出かけ、妹達も兄が帰宅することをもはや疑うことなく見送りに居並ぶ。

可憐「今日はお天気もいいし、暖かいし。」
咲耶「何があっても、お兄様と一緒なら大丈夫。ミカエルもよろしくね。お兄様も、エスコート頼んだわよ?」

 不安がる鞠絵にそう話す妹達は、今回は明らかにこの日を鞠絵のものと認め、その支援に自分達から進んでまわり、第4話で兄に直接言えなかったことをここで完全な信頼をもって伝えている。それでもまだ躊躇する鞠絵を引っ張るミカエルによって、ようやく今日の兄との買物が実現するに至った。果たして鞠絵は、これで辛い忍耐から自らを解放し、この現実世界へとどまることができるのだろうか。その鍵は無論、航にある。


2.鞠絵の旅

 エスカレータで鞠絵の麦藁帽子をつかみ去ろうとする風は、自室の窓辺でカーテンを揺らす風よりも芳しい。
 最初に訪れた本屋の前で機関車から降りる時、鞠絵は手を引いてくれる航の胸に飛び込んでしまい、二人赤面する。それは、久方ぶりに感じた、現実に生きる大切な人の体の温もりだった。この店で航は必要な参考書を手に入れ、鞠絵も物語の続巻を見つけ、高い棚のそれを兄にとってもらえる。店の書架に並ぶ他の書名には、『桟橋に立つ者』『Fly High !!』『赤毛のサン』『Boys & Girls』『懐かしの少女たち』など、このアニメ版作品自体のモチーフを暗示するものがいくつも見られるが、ここでは、第4話で航と雛子が捜し求めるぬいぐるみを発見できなかったのに対し、航と鞠絵は最初に探し物を入手できたという対比を確認しておこう。
 手に入れられた物語を胸にかかえる鞠絵に、航はそれがどんな内容なのか尋ねる。

鞠絵「女の子が、色々な世界を巡る物語です。少女と犬が、心を探している者達と一緒に、冒険の旅をするのです。
   わたくし、小さい頃から体が弱かったから、あまりお外に出る機会がなくて…。
   本を読んでいると、色々な世界に行ったような気がして、とても楽しい気持ちになれるんです。

 この本の内容からは、『モモ』『オズの魔法使い』『魔法の国ザンス』などいくつものファンタジー作品が連想されるが、この物語世界に憧れる鞠絵の想いは、航の返事によって一気に自分自身へと引き戻される。

航 「そうか、鞠絵ちゃんは本で世界を飛びまわれるんだね。」
鞠絵「っ…はい!」

 兄は自分の気持ちを分かってくれている。たとえ毎日長い時間一緒にいられなくても、兄が自分を見つめていてくれる。そんな驚きと喜びが、彼女の心を満たしていく。だからこそ鞠絵は、空想の世界に羽ばたきたいという自分の夢想から、この現実世界へと舞い戻ってくる。兄の横顔を見つめる彼女の頬の赤らみは、閉ざしかけていた心が兄の暖かさに包まれて融けていくことの表れなのだ。

(でも、本の世界も楽しいですけど…)

 そう、本の世界だけでなく、兄が生きているこの場所が。兄が隣にいて、自分を理解して包んでくれる、この世界が。
 この世界は、美しい。
 鞠絵は、この現実世界に生きることにあらためて意味を見出した。それは、彼女がウェルカムハウスに来たその日から、いや兄の存在をしったその時から、胸のうちに大切にもっていたはずのものだった。ここしばらくの不調でそれを忘れかけていた彼女は、この日差しの中で、兄本人に思い出させてもらえたのである。そして、今日の喜びは、それだけでは終わらなかった。

航 「鞠絵ちゃん。少し、散歩でもしようか。こんなにいい天気、久しぶりだし。」

 第4話ではひたすら目的を追求した結果、雛子と共に探すその過程の喜びと大切さに気づいていった航だったが、今回は、「いま」このとき鞠絵と共にいることの大切さを、自分から行動で示そうとする。重く垂れ込めた雲の向こうに希望の風を見出すにしても、その到来をただ待ちわびる鞠絵に対して、航は自分でその風をつかまえようとする。鞠絵は、そんな兄の力強さに、素直さと勇気をもらった。ミカエルの努力は、ここにひとまず報われた。

 二人と一匹は、商店街を巡り歩く。オルゴール、ペアルック、アンティークショップ、ソフトクリーム。穏やかな風の中で、大人しい二人が、落ち着いた店を見て回り、静かな楽しいひとときを共に過ごしていく。こんな心躍るデートに、鞠絵もつい普段の抑制を忘れて、ミカエルの後を追って走り出す。それは彼女がそうでありたいと願った自分の姿であるが、しかし同時に、この夢のような時間のかけがえのなさを知る鞠絵が、いつ果てるとも分からない自分の生命への不安にも駆り立てられて、せめてこの幸せな「いま」だけでも喜び尽くそうという、彼女の生き急ぐ姿を描いているのかもしれない。航が急ぐと危ないと注意する時、それは、彼が直感したそんなおそれゆえだったのだろうか。

鞠絵「あの、これから海にいきませんか?」

 突然の言葉に驚く航だったが、鞠絵は自分の海への想いを切々と語り始める。それは、療養所で過ごした日々の思い出を、彼女が兄に受け止めてもらうことでもあった。潮風に身を任せながら、裸足で砂を踏むことが何よりの喜びだったあの頃。語りながら歩く今の彼女が履くサンダルは、その風の香りと砂の熱さを思い出せるようにであろうか、中ほどに大きく隙間が開いている。

鞠絵「調子が悪くてお外に出られない日は、いつも、砂浜から拾ってきた貝殻を耳に当てていました。
   そうすると、本当に砂浜を歩いているみたいで…。以前読んだ本に書いてあったんです。
   砂浜に落ちている桜色の貝を、好きな人からプレゼントされると、元気になれる、って。私もいつか、もらえたら…。」
航 「そう…。じゃ、代わりにぼくがプレゼントしようか?」
鞠絵「っ…本当に…? わたくし、嬉しいです…!」

 その約束は、彼女を間違いなくこの世界につなぎとめるに足るはずだった。そして、自分もそんな兄のそばでこうして生きていけたら。兄と並んで喜びを分かち合えていけたなら。兄が示した希望への意志は、彼女の心にもこうして生まれようとしていた。今日、海にまで行けたなら、この希望をずっと抱いて生きていける。
 だが、彼女の望みをあざ笑うかのように、空がにわかに曇り始める。そして、現実世界の冷たい雨が降り注ぐ。


3.鞠絵の帰還

 ウェルカムハウスでは、にわかに激しく降り出した雨に妹達は慌てながらも、兄達が雨具を持っていかなかったことに気づき、急いで迎えに行こうとする。ちょうどそのとき、鞠絵を庇うようにして、兄達が走り戻ってきた。可憐や咲耶達は彼らの濡れた衣服を拭き、白雪は特製チャイを淹れ、春歌はヨモギの風呂を整える。全員が最善を尽くす中、しかし鞠絵は熱を出し、兄の胸に倒れこむ。

鞠絵「兄上様の手、冷たくて気持ちいい…。」

 嬉しさのあまり、つい無理をしすぎてしまったのだ。もはや、これで夢のひとときは終わりなのか。やはり自分は、兄にも皆にも迷惑をかけるだけの存在なのか。ならば、幸せな夢を最後に見られたことに感謝しつつ、ここで自分は去るべきなのかもしれない。鞠絵の身体は冷たい雨に冒され、その生命をつなぐべく静かな戦いを始める。だが、鞠絵の心は、今日の現実世界の幸せを夢となすことで、自分が慣れ親しんだ夢想の世界へと再び旅立ち、そしてあるいはそのまま最後の幸せを抱きしめて逝くまでには至らないとしても、孤独の寂しさの中に閉ざされていきかねなかった。病は気からと言うが、彼女の病は、この心の不安と自己否定に根付いてしまっているのである。
 容態の急変に慌てる兄に咲耶は落ち着くようにいい、航はベッドまで運ぼうと彼女を背負おうとして、背中に感じる鞠絵の胸に頭の中が真っ白になってしまう。これはシリアスな場面での冗談である一方、第4話で雛子をおんぶした時の安らぎと好対照をなしている。航は直ちに機関車で診療所へ向かい、日中の様子から既に万一に備え黄色い長靴を履いて待っていた医者じいやを拉致して往診してもらう。鞠絵の部屋の前で落ち着かなく歩き回る彼の姿は、心の底から妹を心配する兄のそれである。
 幸い最悪の事態は免れたものの、高熱の鞠絵はしばらく病床に伏せなければならない。台所で気もそぞろな白雪と春歌を見て、眞深はつい「ねえ、手伝おうか?」と声をかけ、雛子と亞里亞は玄関の照る照る坊主を見上げながら、鞠絵の回復を祈る。そんな二人に可憐は、祈ればきっと願いがかなうと優しく励ます。

雛子 「ほんと!? じゃ、ヒナいっぱいてるてるさんつくるー! 亞里亞ちゃんも作ろ?」
亞里亞「亞里亞、てるてるさん、作るー。」

 そして可憐も、天に祈るように顔を上げる。

可憐(みんなで、たくさんお祈りすれば…。)

 この心からの祈り、この妹達の願う姿こそは、やがて第25話で、妹達が兄の帰還を待つ切ない祈りと重なっていく。しかし、今はただ鞠絵の病気との戦いが一進一退を繰り返すのを、ひたすら見守るほかない。この戦いを支えるために、鞠絵の発汗を促すために着替えさせようとしたところ、航がたまたま扉を開けてしまう。

可憐「お兄ちゃん、見ちゃだめー!」

 思わず絶叫。自分よりもはるかに豊かな鞠絵の胸を兄にさらしてしまい、可憐
大失敗の巻である。その後の「お兄ちゃんありがとう。」も、声にいつもの力がない。前回でしくじって以来、彼女のなすことに以前までの切れがなくなりつつあるが、それは眞深達のおかげで、可憐が本来の子供らしさに立ち戻りつつあることを意味している。一方、鞠絵はなおも予断を許さない病状のまま、苦しげな息の下から「兄上様」とうわ言を繰り返していた。兄との夢のような時間と、この苦しい時間と、それは本当に同じ現実世界の「いま」なのか。独り苦しむ彼女の孤独感は、兄との確かな絆を再び求めていた。
 航は、それに応えた。

航 「鞠絵ちゃん、ぼくはずっとここにいるよ。」

 握る手のひら。航は、その絆を自分の体で示した。彼女と結ぶ手の温もりで、自分がこの世界から鞠絵を離さないことを誓った。彼の振る舞いに驚く可憐と咲耶に、航は真剣な面持ちでつぶやく。

航 「このまま、鞠絵ちゃんのそばにいてあげたいんだ。一緒にいてあげたいんだ。」

 妹達の祈りをかなえるのは、兄の務めである。第4話では雛子から兄の手を握り、その絆を結んだが、ここでは航自身が絆をしっかりと確かめようとしている。これぞ航の明らかな成長であり、妹を守り抜く決意の発露だった。夜中にやや落ち着きを取り戻し目覚めた鞠絵は、ぼんやりとした視界の向こうにある世界がどこなのかを問う。眼鏡をかけて辺りを見れば、そこはウェルカムハウスの自室であり、しかも自分を看病する航の姿があった。ほっと声をかける兄に、鞠絵はぽつりと「よかった…お家で…。」と漏らす。その言葉の意味が分からない兄の首に、鞠絵は必死の思いでしがみつく。驚く航は、しかし不安と悲しみに震える妹の姿に、恐る恐るその肩を抱いてやるのだった。

鞠絵「目覚めた時、療養所に戻っていたら、って。…一人ぼっちの病室に…兄上様のいない世界なんて…!」

 それは紛れもない恐怖だった。この、兄と共に暮らす生活が、実はただの夢だったとしたら。それはかつて独りの時を過ごしていた療養所であっても、あるいは自分が夢見た本の中の世界でも、兄がいないことには何の変わりもない、自分がそこで生きることを決して望まない場所だった。自分はここで生きていたい、兄のそばで暮らしたい、またあのような楽しいひとときを過ごしたい。だが、こんな病身の自分と一緒では、兄は果たして幸せだろうか。この世界で生きたいと心から願えばこそ、この自責の苦しみは限りなく大きくなっていく。不注意を詫びる航の言葉も、彼女には兄に気をつかわせる自分へのどうにもならない絶望感へと転じていく。

鞠絵「兄上様…わたくし、おそばにいたら、迷惑ですよね…?」

 しかし航は、どこまでも鞠絵の兄だった。

航 「ううん。早く元気になって、砂浜に貝殻を拾いに行こう。」
鞠絵「…っ、…っ、…はい…!」

 鞠絵の涙が溢れ出す。彼女がどう思おうと、絆は切れない。鞠絵が彼女自身をいくら責めても、航は彼女の兄であり続ける。それが航にとってはもはや当たり前の兄妹の結びつきなのだから。かつてこの兄妹関係を忌避し、あるいは妹達から支えられていた航は、このとき完全に兄としての自覚にたって、この妹のために「いま」なすべきことを模索していた。翌日再び容態が悪化する鞠絵を妹達と共に見守っていたが、「兄上様…ごめんなさい…。」とうわ言を繰り返す鞠絵に、航は「何かぼくにできること…!」と拳を堅く握り締める。
 そしてついに航は、5個に増えた照る照る坊主の下をくぐって外に飛び出し、豪雨の中を懸命に駆けていく。目指すは船着場、求めるは桜色の貝殻。鞠絵に贈ると約束した、その約束を果たすことだけが、兄として航が思いつく唯一のことだった。だが、船着場は言うまでもなく潮に満ち、そこに貝殻を捜し求めることなどできはしない。それに気づいた航は膝をつくが、その目の前に現れたのは、桜色の貝殻をくわえたミカエルだった。航よりも一歩先んじて外に飛び出したミカエルは、鞠絵にとって最も必要な絆の証、皆の祈りの結実したかたちを航に授けた。駆け戻る航は、ようやく小康状態を得た鞠絵の手に、その貝殻をそっと握らせる。

航 「鞠絵ちゃん。元気になったら、元気になったら、ぼくと海に行こう。だから。」

 だから、ぼくと一緒に頑張るんだ。
 眠りの中で聞いているのか、鞠絵の顔からは苦痛が消え去り、安らかな寝息が漏れ始めた。そのまま鞠絵のそばで看病を続け、いつの間にか伏してしまった航が、てるてるさんも7個に増えた翌朝目覚めて見たものは、貝殻を耳にあてて潮の音を聞く鞠絵の姿だった。鞠絵はこの現実世界に踏みとどまった。妹達は祈り働いた。兄はその祈りに応え、なすべきことをし、鞠絵を救った。今まで助けられてばかりだった航が、ついに、自分の意志と判断と妹への愛情で、何事かを成し遂げたのである。
 貝殻にこめられた兄の想いに心からの喜びを満面の笑みで示す鞠絵だったが、今度は妹の回復した姿を見て安心した航が、昨日の無理がたたって倒れてしまう。自分の寝床で休みながら体温計をくわえる航は、昔のことを思い出す。

航 (そういえば、じいやと一人暮らしの頃は、風邪をひいたら看てくれるのはじいやだけだったな…。)

 それが「いま」では、次から次へと妹達が、看病と見舞いに足しげく訪れてくれる。自分はもう独りではない。鞠絵を独りにしなかったように、彼もまた、兄として妹達と共にいる。体調も回復した彼が鞠絵を探せば、彼女はミカエルと一緒に、晴れた空の下で貝殻に耳を澄ませていた。外に出てきた航を見て、鞠絵は、兄が自分のそばにい続けて、この世界に自分をつなぎとめてくれたことに感謝する。

鞠絵「わたくし、熱にうかされている時、夢を見ていました。兄上様と一緒に、きれいな砂浜を歩いている夢を。
   まるで、兄上様に優しく包まれているようで…。」

 包まれて生きることが許されるのなら、自分はこの世界で生きていたい。兄と共に、この場所でいつまでも。不意に駆け出したミカエルを追うと、海はまさに大潮を迎え、本土へ向かって長く伸びる砂の列には、幾つもの桜色の貝殻が日の光に輝いて、はるか先まで道を続けていた。航がミカエルに、潜って取ってきたのかと尋ねた時、鞠絵は兄が見つけたのではなかったことを知り、やや残念に感じたかもしれない。だがそうだとしても、それはミカエルの意地というものである。そもそも主人のために航を立ててやったのも、それ以前に航とお出かけさせてやったのも、この忠実な僕のおかげなのだから。そして、これもまた第4話と対照させてみれば、熊のぬいぐるみのプレゼントで雛子と兄の関係を適度に弱められたことと対応して、鞠絵と兄の関係もややほぐれることができたのだった。

航 「燦緒へ。長い梅雨だった。本当に長かった。
   そして、ようやく吹いてきた夏の風が、ぼくや鞠絵ちゃんの心の中に吹き抜けているようだった。」
   雲の隙間から見える太陽の日差しのせいなのかなぁ。」

 こうして始まりの春が過ぎ、梅雨が明け、夏の雲が希望の空を横切っていく。兄として成長し自覚と自信を得た航は、この新しい夏を、妹達と共に生きていく。


おわりに 〜いくぞ、ミカエルと、闘い続けるぞ〜

 これまで行ってきた第4話と第8話の比較を、最後に補足しつつ表でまとめてみよう。

比較要素 雛子(第4話 鞠絵(第8話)
航の行動 家出準備 買物
妹の問題と行動 庇護感の欠落、衝動的家出 孤独、理性的躊躇
積極的行動の推進力 熊のぬいぐるみを探す(内的要因) ミカエルの暴走(外的要因)
他の妹達の対応 密かな支援 明確な支援
移動先 最初に船着場 最後に(航のみ)船着場
本当の探し物 庇護者 浜辺のピンクの貝殻
当面の探し物、その有無 熊のぬいぐるみ、なかなか見つからない 本、最初に得られる
途中経過 二人で探し歩く 二人で散歩する
兄の感触 暖かい背中 冷たい手
おんぶ 疲れて眠る、安らぎ 熱で倒れる、胸が胸が
妹の想い おにいたま、きょうはいっぱいいっぱいありがと 兄上様…私、おそばにいたら迷惑ですよね
雛子からつなぐ 航からつなぐ
航の気持ち 支えてもらった 何かしてあげたい
本当の探し物 拾得物として獲得 航とミカエルの努力で獲得
妹の独占欲 おにいたまがいれば何もいらない ふたりで、ずっとずっとどこまでも
固着の解除 ぬいぐるみによる転移 病床の航への妹達の襲撃、ミカエルの干渉
大潮の砂道が示すもの まだ辿って帰らない過去 いつか共に進む未来


 こうしてみると、この2つの話が、同じ構造をもち完全な対称形をなしていることが明らかとなる。これは決して偶然ではない。ここまで丹念に描かれてきた航の成長と、設定に基づく妹達の個性とを正しく結びつけた結果、第8話は第4話の構造をなぞりつつ、そこに共同生活を通じて得られた新たな関係性を描写することができたのである。そして、これが製作者側の計画的意図に基づいてもいることは、この両方の脚本がシリーズ構成担当スタッフあみやまさはる氏であることからもうかがえる。このアニメ版作品が行き当たりばったりのものではなく、綿密な計算の上に成りたっているという論者の仮説は、ここに再び重要な根拠を見出すことができるのである。
 だが、雛子と鞠絵の性格の違いを考えれば、対称性にも限界は見出される。とくに最後の場面で鞠絵が兄に寄り添いながら心の中でつぶやく、(ふたりで、ずっとずっと、どこまでも…)という言葉には、彼女の秘めた想いの強さが込められている。それは雛子の幼児性による独占願望よりもはるかに深い、今まで耐えてきた人間がもつ想いの力だった。この深さに対抗できるとすれば、それは千影や可憐のような、背後に闇をかかえた妹達だけであろうか。しかしそれは決して拒絶されるべきものではない。兄に受け止めてもらえたからこそ、鞠絵はこの世界と共に自分全体を肯定できるようになり、兄を独り占めにしたいという想いをも素直に表せるようになったのだ。「いま」からは鞠絵自身が妹達の一人として物語の主人公になり、兄と共にいるための戦いに立ち向かっていく。そしてそれこそが、彼女にとって真の伝説(Legend)となっていくだろう。こうして彼女のファンタジーは、兄との絆によって、現実世界の生そのものを支える真理となる。第4話で雛子の夢が「CAFE PHANTASIA」からこの世界のものとなったように。
 そして、現実世界で夢を実現するには、もちろん多くの障害があることも学んでいくことだろう。兄と同じように、その先にある希望を信じつつ。そう、障害は既につい先ほど兄の前に現われていたのだ。千影が見舞いに持ってきた「月夜の晩に煎じたコブラの秘薬」、しかしそれは処方からみて風邪薬というより
惚れ薬ではないのだろうか。油断大敵、ゲームブックの如きサドンデスはいつでも罠を張って待っている。鞠絵の戦いはこの世界の中で、厳しく、そしておそらくやがてはお互いを認め合いながら、続いていくことになる。
 ところで、この第8話では、鞠絵の胸や着替えなどの場面が以前よりも目立っていたが、これを手がかりにして、おとぎ話と同様に何らかの性的暗喩を話全体の中に見出すこともできるだろう。鞠絵は兄を一人の男性として慕っているが、それは病弱な自分への自信のなさ、さらに女性性への不安によって抑圧されている。この抑圧された性に対して、ミカエルはアニムスとして自分の代わりに行動を促進する。このアニムスに引きずられて、鞠絵は兄と関係を持つことが可能になるが、しかしアニムスの暴走を原因として病床に伏すことで、結果的に自分の女性性の不安をいっそうかき立てられることとなる。その性の象徴が「桜色の貝殻」(明らかに女性性器)であり、これを(アニムスのミカエル経由で)兄が自分に手渡してくれる(性的に認めてくれる)ことにより、鞠絵は女性として完全なものとして再生する。こう考えれば、この第8話は、死と生の物語であるとともに、少女の性の物語でもあったという解釈が成り立つかもしれない。となれば、これは全く典型的なお姫様(プリンセス)物語として理解できることになるが、もちろんこの場合でも、鞠絵がようやくこの世界を自分の足で踏みしめ始めたということに変わりはない。
 鞠絵の部屋に流れ込む風が、『Legend』のページを繰っていく。その挿絵には、航によく似た少年と、犬と、黄色い麦藁帽子をかぶった少女の姿が描かれていた。第1話でも航の夢の中に登場したこの少女は、鞠絵の想いのかたちなのか、それとも鞠絵以外の、あるいは鞠絵を含む何かなのか。それはひとまず、このウェルカムハウスの共同生活全体が一人一人を主人公とした大いなる物語であること、さらにこのアニメ版作品自体が、そんな伝説の舞台であるということを指し示しているのかもしれない。しかし一般的にはこの作品、むしろ全く異なる意味で伝説となってしまったのではあるが。

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