アニメ版『シスター・プリンセス』における日常性

〜第7話にみる「いま」の意味〜



はじめに 〜問題の視点〜

 幾つかの危機を乗り越えて6月に入り、ウェルカムハウスの生活はいよいよ順風満帆であるかに見えた。共同生活は当初のぎこちなさを徐々に和らげていき、航を含めた皆が自然に互いを支え合えるようになっていた。だが、航達の生活は確かに確実なものにはなったが、一体それは何のためなのか。この共同生活は彼らをどのような目的へと向かわせるためのものなのか。作品を観る者が現時点で抱くこの問題意識は、第1話以来この特異な環境に投げ込まれた航の心にも、当然のごとく共有されるものであった。咲耶達のウェディングドレス姿と航の朴念仁ぶりが顕著だった第7話「恋する季節」は、実はまさにこのような観点から、ウェルカムハウスにおける幸福な日常生活の中で、しかしその日常性に対してこそ航が疑念を提起し、その意味を問おうとする姿を描くものである。本論では、この繰り返される日常性としての「いま」をめぐる各人の意識の展開を、咲耶と航の主役二人に加え、隠されたもう一人の主役である可憐にも焦点を当てて検討する。


1.ウェディング・ベル 〜過去と未来への不安〜

 まず、この回の主役の一人である咲耶について見ていこう。
 冒頭の朝方、洗濯物のシーツを干していた咲耶は、南の塔の鐘が12回響き渡る正午、雛子と一緒にこれを取り込む。そのとき、偶然シーツを身にまとうことになった咲耶の姿に、雛子は「お嫁さんみたい…。」と見とれる。ここであることを思いついた雛子は、咲耶の手を引っ張ってホールへ向かい、他の妹達とよってたかって咲耶をウェディングドレス姿にしてしまう。もともと華のある咲耶のこと、ありあわせの物を使ったにしては、それは可憐でさえも認めざるを得ないほど見事な出来栄えだった。 季節は6月、まさにジューンブライドである。そこへ空腹を抱えて現れた航に、咲耶は照れながら「私、どうかな?」と尋ねる。これで「き、きれいだね」の一言でもあれば、そのままいつも通りの
悩殺タイム突入といった具合だが、兄の返答は誰しも想像さえできないものだった。

航 「お昼ご飯は、まだ?」

 はしゃぐ妹達はあっけにとられ、白雪はあっと声を上げ、咲耶はしかし「もう…本当にシャイなんだから。さぁて、私も仕度するわ。」と何事もなかったかのように笑いつつ自室に戻る。まことに咲耶ならではの毅然とした振る舞いである。だが、部屋の中で「もう…お兄様ったら…。」と呟く彼女の後姿は、顔が見えないながらも、兄の言葉への衝撃を隠しきれてはいなかった。それは、自分の魅力に対する彼女の自尊心を激しく傷つけるものであり、そしてそれが他の妹達の前でなされたなどとは、どうにも耐えられるものではない。その心の痛みは、いかにこらえようとも化粧顔の乱れにはっきりと表れていた。昼食の仕度に行かねばならないはずだが、心の痛みは和らぐことなく、午後を通じて咲耶は自室で独りうなだれた。
 千影が引いたカードは「愚者」(0. The Fool)の逆位置。千影はただ「珍しいのが出たな…。」とだけつぶやくが、その意味は、「間違った方向への旅立ち」や「ためらい」、「自信喪失」、そして「無神経」。まさに無神経な兄の言葉に、自信を喪失し、再び立ち上がることにためらいを覚えた咲耶であった。

咲耶「私たち、運命の赤い糸で結ばれてるのよ…?」

 だがそれは兄さえも気づかない、か細い糸なのではないのだろうか。先の兄の一言で、その糸は断ち切られてしまったのではなかろうか。今までずっと、離れ離れに生活していた兄妹という事実。それは今ならば離れていたと分かるにせよ、兄の存在すら知らなかった過去へのどうしょうもない後悔を、咲耶の胸に抱かせている。取り戻せない過去を悔やめば悔やむほど、「いま」の絆を確かめ強めたいという欲求は際限なく高まっていく。しかし、その「いま」まさに兄に拒絶された自分がここにいる。麗しい姿を褒めてくれると思っていた兄が、全く無視するという思いがけない態度をとったことは、そういう態度をとる兄の背景や過去を知らないことへの絶望へと彼女を突き落としかねない。今まで「いま」を積み重ねて、兄との絆を作ってきたはずなのに、それは結局は表面的な理解にすぎなかったのだろうか。必死に手繰り寄せる糸の先には、もしや何も結ばれていないのか。それを知ることはあまりに怖く、しかしそれを知らずにいるのも不安だけをいや増す。「いま」も過去も兄の顔が見えない。普段強気なだけに脆さを抱え込んでいる咲耶の最も弱い心の部分が、ここで彼女を袋小路に追い込んでいった。
 ベッドに腰を下ろし佇む咲耶が、鐘の音にふと顔を上げた時には、もう5時になっていた。聖なる鐘の音は天上の声。その声の励ましに乙女心響かせて、塔を見上げて決意を固めた彼女は、何よりも兄から顔を背けることをやめる。航の窓辺から合図を送り、兄の手をとって南の塔へ「写真を撮りに」駆けていく。だがそれは、兄を塔の礼拝堂へ連れて行くための口実だった。礼拝堂で「あー」などと間抜けに声を反響させている兄に、咲耶はベールを下ろしてためらいがちにお願いをする。

咲耶「せっかくこんな格好したんだから、結婚式の予行演習してみようかなって。つきあって下さる?」
航 「いいけど…。」
咲耶「嬉しい!」

 その喜びはいかばかりであったか、ベールの向こうに顔は見えない。誓いの言葉を交した後、咲耶は続けて厳かに告げる。

咲耶「では新郎は新婦に誓いのキスを。」

 顔を仰向かせる彼女に戸惑う航は、「ごっこ遊び」だからと弁解する咲耶に、彼女のそういう点が苦手だと率直に告げる。それは、兄が彼女に心を開いてくれた瞬間であり、彼女もまた、兄に自分の想いを素直にぶつけるのだった。不安を不安のまま胸の中に閉ざしおくことは、彼女の流儀ではなかった。それは彼女の強さであり、また、兄に受け止めてもらわねばならない弱さでもあった。キスを求めながらもいつものように悪戯っぽく兄の顔を見ることなく、目を閉じ口元も引き結ばれたその表情に、彼女の心のうちは透けて見える。

咲耶「分かってる。お兄様は私のこともて余しているよね。でも、もし妹じゃなかったら、私ってどう?少しも望みないかな?」
航 「っ…はは、何を言い出すのかと思えば、」
咲耶「もしも、もしもね? 私が本当の妹じゃなかったら…?」
航 「咲耶ちゃん。それ、まさか…」
咲耶「大人になったら、本当のウェディングドレスでお兄様の隣に立たせてくれる?
   だってそうしないと、ずっと一緒にいられないんだもの。
   お兄様は、そのうち他の女の人と遠くに行ってしまうんでしょ? 私達、やっと一緒に暮らせるようになったのに…。」

 悲しげにうつむく咲耶の声は震え、前髪に隠された顔は見えない。兄のなだめる言葉にも、彼女は不安を押しとどめられない。兄はやがて自分のもとを去っていってしまう。それは避けられない未来であり、「いま」を積み重ねた先に必ず待ち受けている悲しい瞬間である。であるならば、たとえ自分が兄に気に入られないとしても、兄の一番にはなれないとしても、それでも「いま」この時に、自分と兄との絆を確かめたい。それがまだ断ち切られていないことをこの身で知りたい。ありえなかった過去を取り戻すことで、未来を確実なものにしたい。「いま」への不安は、過去と未来への激しい欲望を生み出していく。

咲耶「一緒に過ごせなかった時間を、少しでも取り戻したいの。
   小さい頃にできなかったんだもん、ごっこ遊びでもいいの。私を、お嫁さんにして。」

 再び目を閉じ顔を上げる咲耶だが、それが全てを解決するものではないことを、そして
兄に一線を越える勇気がないことを、彼女自身が一番よく知っていた。そんなごっこ遊びは、過去と未来を捏造し、「いま」から顔を背けるごまかしにすぎないのだ。溜息ののちに、ふと思い出した忘れ物は、それが見つかる前に妹達の乱入を許す結果となる。四葉の唐突な登場などに、思いつめた気分をなし崩しに和らげられた咲耶は、自分がこれほどまでに悩んでいることが不意に可笑しく思えてくる。呆れつつ笑う咲耶は、その瞬間に、妹達を公平に統率するいつもながらのリーダーに立ち戻っていた。

咲耶「よーっし、ジャンケンで順番決めよう!」

 そして自分も持ってくるのを忘れていた指輪を、マーガレットの花でこしらえて兄に使ってくれと手渡す咲耶は、この指輪に何をこめたのだろうか。マーガレットは恋占いの花、その花言葉は「真実の愛」。妹達が次々と兄の横に並んで微笑む姿を、彼女は、微笑ましく、しかし淋しげに見つめるのだった。最後に再びおとずれた兄とのお嫁さんごっこのさいに、航はさきほど咲耶が言ったことにまだ引っかかっていた。

航 「ねえ、さっきの話なんだけど…。」
咲耶「私が、お兄様の本当の妹じゃなかったらって話?うふふ、お兄様ったら。」


 兄も兄なりに、自分との絆を確かめたくなったらしい。航に酷い仕打ちを受けた咲耶の、これはちょっとした復讐の喜びと、兄がやはり自分を見ていてくれているという安らぎを与えてくれた。いつもならばもう少しじらしてあげるところだが、ここは妹達に対する兄の反省した態度に免じて許してあげる。だから、次の機会には、今度こそ私を…。
 その機会がいつくるのかは分からないが、いつか自分の日がくることを信じて。その来るべき「いま」のために、咲耶はもはや過去に悔やむことなく、未来に焦ることもなく、大切なこの「いま」に勇気をもって顔を向ける


2.淡白宣言 〜「いま」の手段化〜

 さて、こんな咲耶の想いをまるっきり踏みにじったとしか思えない朴念仁の航だが、今回の彼の行動をもし弁明するとすれば、どのような理屈がつけられるだろうか。

航 「燦緒へ。この島に風が吹く。暖かい風だ。この風は、君や皆井がいる都会にも吹き抜けているのだろうか。」
雛子「ちょうちょがとまったー!」
航 「本当に、暖かい風…。あ。そんな馬鹿な…何やってんだろ、ぼくは…。」

 アバンタイトルでの彼の憂鬱な気分は、何の理由も示されないだけにあまりにも唐突に陥ったかに見える。だがその後、彼が自室で勉強している姿を一瞬目にする時、その原因に思い至る。既に第3話で、3年後の大学受験に対する不安をもらしていた航は、ここしばらくの間、日常生活にいかに順応するかに忙殺されて、そんな将来のことを慮る余裕がなかった。しかし、今朝の航は、そんな日常生活にようやく慣れてくればこそ、そんな自分の姿にふと気がつき、いつの間にか日常に埋没していくことへの不安を覚えたのである。当番の雑務を果たし、妹達の面倒を見、あるいは面倒を見てもらい、日々を無事に送ることは、それ自体決して無意味なものではない。だが、それはあくまでも、自分の将来とは直接関係のない領域である。彼の将来の夢が何であるかについては、ここで明らかにされてはいないが、おそらく「よい大学に受かる」という程度のものだろう。それでも自分なりの努力目的を持っているつもりの航としては、こうして日々に追われていくことは、その目的を自ら見失いつつあることを意味していた。古代ギリシャ都市国家の市民にとって、学芸や政治とは何か崇高なものを追求していくことだったが、それはまた、日常生活のための必然性の領域、「やらなければならない」家政から解放された自由な人間(市民)だけが行うことのできる事柄だった。やがて第23話以降で燦緒がこの立場からウェルカムハウスを痛烈に批判することになるが、この第7話でも既に航が、都で勉学に励んでいるはずの燦緒や皆井と自分を比べてみた時、自分がいかに平凡な日常へと堕落しつつあるかを痛感し、再び目的意識を取り戻そうとするのである。
 こうして彼は、午前中一杯勉強に励む。それは、親近感を日々強めていた妹達からも、一定の距離をとり、いつものペースに巻き込まれまいとする態度にもつながっていく。お昼になり、空腹をかかえて、航は食堂ホールに向かうと、そこには花嫁姿の咲耶を楽しげに囲む妹達がいた。

航 「にぎやかだなあ。いつものことだけど…。」

 そう、いつものことなのだ。この「いつも」という日常性に航は意識を向け、そしてその日常性・反復性ゆえに大した価値のないものとして位置づけてしまう。たとえ今行われているこの騒ぎが、妹達、とりわけ咲耶にとっては重大な意味と唯一性をもつものだとしても、航はそのことに気づかない。そして、前回行った演劇の記憶がここで悪い方向に働いている。あの時の姫君の格好と、今日のシーツをまとった姿と、どちらも仮装には変わりなく、しかも少女にとっての花嫁姿の意味を理解していないため、前回の方が徹底していたかに見えた。だからこそ彼は、見栄えを尋ねる咲耶の問いに対して、顔を背けつつお昼はまだかというとんでもない答えを返す。これに咲耶は衝撃を受けるが、航は何も気づかない。そして、彼の無神経さをなじる眞深の剣幕に対しても、「わかんないよ。なに興奮してんだか。」としか応答できない。「いつものこと」なのに、今回だけ怒られる筋合いはないからだ。咲耶にも、眞深にも、彼が示した態度は、「いつものこと」に必要以上の興味を示さないという点で通底していた。部屋に戻り、椅子の上でシャープペンシルをくわえる姿からは、先ほどの眞深の言葉に何か引っかかりを感じていたことを読み取るべきかもしれない。だが、来襲した山田に対する態度は、妹達に対するのと同様に、きわめてそっけないものだった。彼は、勉学に励む自分という仮面を被ったのだ。だが、それがいかに妹達の「あたりまえ」を打ち壊したかは、彼の気づくところではない。
 そんな心無い仕打ちの報いは、直ちにやってきた。すぐお昼ご飯の仕度に取りかかるはずの妹達が、山田ともども結婚式の空想に花を咲かせてしまい、航がいくら「ぼくは今何か食べたい。」と言おうとも、誰も食事を用意してくれないのだ。しまいには彼は妹達に顔も向けてもらえず一人放置され、自分で空腹を何とかしなければならなくなる。古代ギリシャの市民は、奴隷や女性を支配しているように見えながら、実はその裏返しとして、奴隷労働や家政の支えがなければ市民としての活動に従事できないということでもあった。この女性達に反乱された男性の困惑ぶりは、アリストファネスの『女の平和』などに喜劇として描かれている。それと同様に航もまた、自分が「いつものこと」として突き放した日常の家事を誰もうけおってくれないがために、その必然性の領域がいかに(当然のこととして)不可欠なものかを、自分の胃袋ではっきり理解させられたのである。腹が減っては勉強どころではない。未来の前に現在が保たない。

 午後遅くまで航は誰かの助けを待ち、そしてついに諦めた。自分で台所に向かい、流しに向かってどうしたものかと思案する。「さぁてと、何を作ろうかなー。」と言いはするが、何が作れるわけでもない。ぼんやり考えつつ指でステンレスをこづく音だけが、自分独りの台所に空しく響く。それは、妹達不在のこの家の寂しさを、既に暗示するものである。

航 「静かだ…。」

 台所へ来てくれた可憐も何もしてくれず、結局用意できたのは飲み物と食パンだけ。食器を手にフラフラと食堂の扉の前を通り過ぎる航の耳に、妹達の歓声が扉越しに届く。

航 「盛り上がってる…。」

 しかし、そこに彼の居場所はない。自室に帰りようやくお昼を口にしようとする航だったが、今度は窓の外から咲耶が呼びかける。引っ張られるように礼拝堂へ入った航と咲耶の結婚式の予行練習が始まり、そして航は、今回初めて逃げ場のない状況に追い込まれる。咲耶が誓いのキスをせがむのだ。

咲耶「…遊びよ。お嫁さんごっこ。」
航 「…苦手なんだ、咲耶ちゃんのそういうとこ。」

 航の仮面が外された。妹の苦手な点を、本人と面と向かって話したのは、この場面での咲耶相手が最初である。今までの兄としての仮面、そして今日の日常性を拒絶する仮面、それらが一時に剥ぎ取られた時、航は素直な気持ちを、こうして口にできた。それは確かに咲耶を傷つける可能性があるかもしれない。だが、お昼に無視したことに比べれば、こうしてお互いの顔を見ながら告げる言葉の方が、よほど本物の心のこもった暖かなものだった。
 そんな航に、咲耶は自分の想いを紡ぐ。もし自分が妹ではなかったら、というその言葉に、航は不意に不安に襲われる。今日の彼の態度は、妹達と共にいる日常性に埋没すまいとするものだった。しかし、この日常性を支えている兄妹関係が、実は虚構にすぎなかったとしたら。自分達が一緒にいられることに、何の根拠もなかったとしたら。あの台所の静けさ。振り返ってみれば、第1話の時点でとっくにその可能性に思い至ってもおかしくなかったはずだが、あの当時は妹達にそこまで向き合うことさえ拒絶していた。それ以来、共同生活のためにお互いに尽くしてきた結果、航は、ようやく兄妹関係が虚構である可能性の意味を受け止められるようになり、そしてそこに、当たり前の「いつものこと」が、実は脆くも失われてしまいかねないという不安を覚えたのである。突然顔が見えなくなった日常へのこの不安は、うつむいて顔が見えない咲耶の髪をそっとかきあげる航の仕草となって現れる。

航 「ずっと、先のことだよ。ぼくなんか、女の子には全然。」

 自分の結婚なんて思いもよらないにせよ、「いま」の足元はいよいよ怪しい。咲耶日々平凡に流れるかに思えるこの生活も、あの日から弛みなく続けられてきている皆の努力によって、初めて実現し維持できているものなのだ。自分が距離をおこうと思えるその余裕すらもが、この日常性の努力によって支えられているのだ。それを怠った途端に、この退屈な日常は終わりを迎えてしまうかもしれない。そう、妹達が本当の妹でないという事実が明らかになった瞬間に。自分達の関係を自明のものにしている血縁が消失した瞬間に。「いま」は、毎日勝手に与えられているわけではなかった。そして、いつ「いま」がなくなるかは分からない。いや、咲耶の告白は、「いま」の終わりを告げたのかもしれない。だが、もしもここで咲耶が求めるように、失われた兄妹水いらずの過去を取り戻すためにこのお嫁さんごっこ遊びを完遂すれば、過去の絆を「いま」の中に蘇らせ、そして失われかけた「いま」を再び未来へつなげていくことができるのではなかろうか。しかし、ごっこ遊びのキスは、もし彼らが本当の兄妹でなかったなら、兄妹の関係に戻れないきっかけも作ってしまいかねない。いずれにしても「いま」を壊しかねない袋小路に、航は逡巡し、そしてやはり、突破できなかった。互いの腕をとりながらも、二人は溜息とともにその手を離す。

 そのときタイミングよく他の妹達が現れ、航を新郎として結婚式ごっこが始まる。咲耶がこしらえたマーガレットの指輪を両手で包むように受け取る航の心には、この当たり前の「いま」の脆さをそっと支えようとする、彼なりの兄らしさ、今できるかぎりの
「真実の愛」が蘇っていた。一人一人に合わせながら楽しげに微笑む航は、妹達の笑顔を見ることができ、そして妹達に笑顔を見せることができた。

山田「近い将来、お前のこと『お義兄さん』って呼ばせてもらうからなー。」

 だが山田の言うように、いつかは妹達も、自分と一緒の生活から離れていくことになるだろう。山田が射程圏内かどうかはともかくとして。そしてブーケは舞い、花びらが風に散る。

航 「燦緒へ。暖かい風が吹いた。本当に暖かい風だった。この風は、君や皆井のいる都会に吹くことはないかもしれない。
   でも、この寂しさは一体何だろう。あんなに可愛いみんなを見た後なのに…。」

 いつか失われてしまう、この美しい「いま」。それは、退屈な日常のかけがえのなさを、航が胸の奥で知ったかけがえのない「いま」の瞬間でもあった。だから彼は、可憐と咲耶の求めに嫌がることもなく、一緒にシーツを買いに出かける。

じいや「大家族なんだねえ。」
航 「まあ、そんな感じで。」

 店主じいやも顔見せに登場し、話は大団円を迎える。朝食以来食パン1枚しか食べていないうえ夕飯前に買物とは、航も腹具合は厳しかったかもしれないが、それでも彼は学んだのだ、人はパンのみにて生きるにあらずということを。家族であることの尊さを、「いつものこと」である「いま」と、それを共に慈しむ妹達を守るために自分がなすべきことを。その学習の成果は、次の第8話で直ちに示されることになる。


3.結婚12人の歓び 〜うち1名の自省〜

 今回の主役二人を取り巻いて、さて他の妹達はどのような行動をとったのだろうか。とりわけ、この二人の関係をそのままにしておけないはずの可憐は、どのような態度を示したのだろうか。
 「お稽古を怠ると、すぐに勘が鈍ってしまいますから。」と冒頭で春歌が言うように、日常生活を今日も弛まず守り続ける妹達だったが、雛子の思いつきによって、そんな日常に心浮き立つちょっとしたイベントが始まった。みんなで飾り立てた咲耶の花嫁姿を、妹達は口々に褒めて見とれる。それは可憐も例外ではなく、「素敵よ、咲耶ちゃん」と言いながら咲耶の傍らに立つその心には、一体どのような感情が渦巻いていたのだろうか。これまで可憐は、咲耶に対して様々なかたちで対抗してきた。それは面と向かっての対抗ではなく、咲耶が気づかない場所で、咲耶がいない時間に、少しずつポイントを稼いでいくという戦い方によるものだった。だが、このような麗しい咲耶の姿を目にした時、可憐は、自分と咲耶との間にある決定的な差を否応なく思い知らされたに違いない。元々華のある咲耶のウェディングドレス姿は、まさに文字通りの「鬼に金棒」であり、自分が得意とする細やかな気遣いなどを一撃で吹き飛ばすような圧倒的な迫力を、可憐に感じさせたのである。彼女にも彼女なりの魅力があるとしても、それはこんな暴力的な魅力に対して、果たして対抗しうるものなのだろうか。第4話のようにシーツに身をくるんだ程度のことでは、到底かなわないのではないか。ここで咲耶を遠巻きに眺めていられればまだ楽だったが、可憐はむしろ、せめてその隠れた秘訣を盗み取ろうと咲耶の傍に寄る。これこそ、可憐が心中で負けを認めた瞬間だった。

 だが、そんな咲耶の優位を、航はほんの一言で完膚なきまでに粉砕した。咲耶はあっけに取られ、そして可憐の敗北感は払拭された。ここで彼女の心の中に、咲耶に対する少なからぬ冷笑が生まれたことは容易に想像できる。そんな感情に気づいて自分が嫌になる前に、可憐は反射的に自分の役割をいつも通りにこなしていた。

可憐「みんなで咲耶ちゃんのドレスに見とれてたの。ごめんなさい、お兄ちゃん。」

 つまり、咲耶にとどめをさしたのだ。兄に詫びる言葉でありながら、みんなが見とれていた咲耶の姿に、兄が何も感じなかったという事実を、こうしてはっきりと知らしめたのである。まことに可憐ならではの芸術的な反撃ではあったが、しかしそれでも笑顔でホールを後にする咲耶の毅然とした振る舞いに、可憐はその格の違いをいっそう痛感せざるをえなかった。まさしく敵ながら天晴れ、かえって咲耶への敬意すら抱いたかもしれない可憐は、そんな戦い方しかできない自分への後ろめたさと、その機会を与えた兄への言いがたい反発を覚えていく。ここで兄に怒りが向くところが可憐の可憐たる所以である。兄があんなことを言わなければ、何も起きなかったのに。自分の心の醜さから目を背ければこそ、この屈折はさらに強まっていく。しかもよく考えれば、あの兄の一言は咲耶を傷つけただけではなく、彼女の姿に等しく憧れを抱いた自分達全員の心をも、踏みにじるものではなかったか。そしてそのことに気づけたのは、航に食ってかかる眞深の素直な感情表現によってであり、この妹ならざる同居人に自分達の気持ちを兄にぶつけてもらえたことは、感謝すべきであるとともに、可憐にとって何とも恥ずかしいことだった。
 だが、ここで、(お兄ちゃん、可憐も、あれはちょっと酷いと思うの。)と思ったとしても、そんなことを可憐本人の口から兄に言うことはできない。さっきの自分の台詞はそういう意味もわずかながらにこめてはいるが、さらに重ねて航の気分を害してしまっては、自分の立場は危うくなる。いやそれ以前に、こういうことを言うならやはり航の台詞の直後であるべきだ(この同情的な糾弾の方が実は咲耶にはもっと堪えたかもしれないが)。だが、このまま兄を見逃すことも許されない。それでは、好敵手として敬意を抱きつつある咲耶にも、眞深の率直さにも、なおさら顔向けができなくなるというものだ。兄の態度を責めながら、しかも自分だけのせいにはならない手立てはないものか。
 あった。これならばいつもの如く、素直にものを言わないことで目的を達成できる。他の妹達は、お昼の仕度をしなければと思いつつ、先ほどの余韻が残ったままでなかなか席を離れられずにいた。この状況にあって可憐は、白雪が台所へ去る前に、皆へ何気なく話をふる。

可憐「咲耶ちゃんすごく可愛かったね。可憐も着てみたいな、ウェディングドレス。」

 これで再び火がついた。すぐさま夢想を走らせていく(ついでに潜航艇の伏線も張られていく)妹達と眞深のやりとりは、結婚に対する理想と現実の対比を描いていて興味深い。想像の世界での結婚式と、契約としての現実的な結婚観とは、両者の間で対照的に示されているが、それは兄との関係の違いをも暗示している。そしてこれとともに注意すべきは、皆をやりこめているかに見える眞深が、実は可憐の思惑通り、妹達にさらに刺激を与える役目をも果たしてしまっているということである。「花嫁衣裳なんて考えたこともない」とうそぶく衛を、眞深はついからかってしまう。

眞深「あんたは新郎の方が似合ってるんじゃないの?」
衛「そんなことないよ! ボクだって…。」

 こうして衛もまた場の勢いに乗ってしまうのだが、しかし衛に最初に話をふってこの展開を引き出したのは、もちろん可憐なのであった。妹達の想像がついに鞠絵の描くロマンチックな結婚式の姿にまで至ることで、可憐は次の段階に皆を導いていく。航が食事を求めていたのにも関わらず、可憐の言葉はまるでそれを気にとめていないかのような口ぶりである。この兄をちょっと懲らしめてやろうとする気分は、もしかしたら他の妹達の幾人かにも共有されていたのかもしれない。しかしむしろ、咲耶で駄目だったのであれば自分ならどうか、という妹同士の競争意識も、その根底にあったという方がより正確だろうか。このパトスは、その流れる方向を示唆してやるだけで一気に奔流へと変じる。

可憐「作っちゃおか。咲耶ちゃんが着てたみたいなドレス。」
雛子「ヒナもやる! それでね、おにいたまとおよめさんごっこするの!」

 これで全ては動き出した。いまや兄が同じ部屋にいるにも関わらず、兄の欲求を無視して、しかも最後にはその兄に褒めてもらうための作業が一斉に始まる。しかし、航の空腹をそのままにして、果たして花嫁姿を褒めてもらえるものだろうか。この矛盾を正しく認識していたのは、言うまでもなく火付け役の可憐ただ一人だった。彼女はいつも通りに航へのフォローの機会をうかがう。それは、台所に器具を取りに行ったとき、ジャム瓶の蓋と格闘する兄を発見することで簡単に得られた。

可憐「お兄ちゃん、ごめんね、可憐達またうるさくして…。」

 これで自分への心証を回復しつつ、ジャム瓶の蓋を開けてあげることで追加点。さらに目玉焼きでも焼いてあげれば完璧な段取りのはずだったが、ここで航の「無神経」ぶりが再び発揮されるとは、さすがの可憐も予想しえなかった。

航 「力、強いんだね。」
可憐「そ、そんな…! その蓋、力の入れ方にコツがあるの。」

 この「そんな」と間髪いれずに漏らした可憐の声を聞けば、あまりにも激しい衝撃を誰しもそこに認めるだろう。まさしく千影が引いたカード「運命の輪」(X. Wheel of Fortune)の逆位置、「すれ違い」の通りである。兄の反応は予定と完璧にすれ違い、可憐の目論見は木っ端微塵にされた。この類例のない衝撃ゆえか、腕力がないと言いながら探し物を求めて懸垂したりと、せっかくいる兄にいつものようにお願いして高い場所を見てもらうほどの余裕さえも失った彼女の動揺と憤りは、後ろ向きで顔が見えないだけに察するに余りある。

可憐「アイスピックって、どこにあるか知ってますか?」

 こんな恐ろしい警告すらも鈍感に聞き流す航に対しては、もはや何の配慮が必要というのか。可憐の怒りは臨界点を越えた。感情を顔に見せないまま兄の前を黙って横切り、台所を出たところで振り返りながら一言。

可憐「それ、しまう時は蓋をギュッて閉めて下さいね。お願いします。」
航 「はは、ご飯、作ってくれるんじゃないんだ…。ん? あ! 閉めちゃった。あれ、開かない。そんな馬鹿な…!」

 もちろん、可憐の言葉についつられてギュッと閉めてしまったのだ。馬鹿は航自身である。こうしてチクリと復讐した可憐は、他の妹達とひたすら作業に専念する。だが、あのときの堂々たる咲耶や眞深と比べれば、自分は何という姑息なことをしたものか。自己嫌悪を抑えきれない可憐は、こういう集団行動時に頼りになる咲耶がいないこともあり、雛子の面倒も十分に見られない。そこで「ったく、世話の焼ける連中だっ。」と言いながらも素晴らしい手際を見せてくれた眞深に、可憐は内心さらに借りを感じることとなる。この、身を引きつつ悪者にもなりつつ皆を支える眞深の尽力によって、可憐は今後、裏方としての苦労から次第に解放されていく。それは彼女が、役割上は持たざるを得なかった過剰な慎重さや負担に屈折しやすい心理状態から、本来の彼女らしさである素直さや子供っぽさへと、その性格を立ち戻らせていくことにつながっていくものであった。これは第14話にて完全なものとなるはずだが、ここではまず、航をやりこめた可憐が、今度は自分の非を直視し、咲耶のためにも何かしてやりたいという気持ちを抱くというかたちで現れる。
 そして、第6話にて描かれた眞深の近接支援者としての役割は、今回燦緒からのメールで「自分の役目、忘れてない?」とまで疑問視されるほどにまで確固たるものになり、また山田の利己的な態度とそれに応じた妹達による山田の利用もここでほぼ定式化し、今後延々と反復されていくことになる。そしてじいやは、ここでは顔を出さないが、店に買物に走る山田相手に色々と仕組んでいたことであろう。

 夕方ようやく各人のウェディングドレスは整い、航を捜し求めれば南の塔に。直ちに中に乗り込もうとする妹達を抑え、兄を驚かせるという名目で四葉にわざわざ2階へこっそり登らせて、その分の時間を余計にかけたのは、可憐なりの咲耶へのお詫びだった。そんな可憐達を快く受け入れる咲耶の姿に、可憐はまたも敬意を強くする。

可憐「いいのかしら、可憐…。でも、ちょっと恥ずかしい…。」

 兄の腕をとってつぶやく可憐の言葉には、この結婚式そのものへのはにかむ想いとともに、今日一日の自分への反省もこめられている。こんなままでは、兄の一番近くにいることは我ながら許せない。投げ上げられたブーケから舞う花びらを仰ぎ見ながら、可憐は今ひとつの計画を立てた。白雪達が夕飯の仕度をする一方で、可憐は兄の部屋を訪れる。「可憐達、またはしゃぎすぎちゃったみたい。ごめんなさい…。」とドアから半身で言いながら、彼女は、得意の嘘を、ただし自分のためではない嘘をつく。

可憐「お嫁さんごっこで、シーツを全部使い切っちゃったの。」
航 「はは、そんな馬鹿な。」

 まったく馬鹿な話だ。だが、これは真剣な話なのだ。誠意を込めた嘘なのだ。不出来な言い訳に顔を赤らめる可憐の背後には、航に見えない位置で咲耶がそっと控えている。可憐は、咲耶にもう一度お詫びがしたかったのである。それは、彼女に、航と一緒にシーツを買いに行く機会を作ろうとするものだった。機関車を使うことなく店までの往復で、咲耶は兄といましばらく会話するひとときを持てた。もちろんそれは二人きりということではなく、さすがに可憐も
暗器のアイスピックを懐に一緒についていくのだが、ここには、ライバルに塩を送りすぎては危険すぎるという剣呑な慎重さや、冒頭の春歌の長刀とは趣を異にする護身術だけでなく、咲耶の振る舞いからも何事かを学び取ろうとする謙虚さが、何よりこめられているのだ。敵を知り己を知らばの精神で、可憐はこれから他の妹達と自分を見つめなおしていく。とりわけ、これまであえて見ようとしなかった自分の内なる顔を見定めていくことで、彼女は未来に向けた健やかな成長の時を「いま」迎えるのである。


終わりに 〜「別れ」に向き合って〜

 以上検討してきたように、この第7話において、ウェルカムハウスの「いま」の多様な受け止められ方が、それぞれの人物ごとに示された。航達の一定度の成長さえ果たしてしまえばあとはただの継続維持となりかねない共同生活の中で、日々繰り返される「いま」とは、未来に予定されている大目標のためのたんなる通過点にすぎないのでもなく、あるいはそれ自体として独立に何らかの価値を有するだけでもない。その両方を満たすことに自覚のない航が、「いま」を未来の手段として位置づけた時、初めてそこに問題が発生し、そして「いま」に対する明確な意識変化が、各人の成長を促すかたちで結実したのである。
 ここで彼らの成長を対象化するために、その反面像である山田の行動を見てみよう。彼は、ウェディングドレス姿の妹達に囲まれるという甘美な夢の中でさえも、妹達の顔は隠れていた。たくさんいるから一人に決められない、という言葉は、第6話での「誰でもいい」という態度を明らかに継承している。そして最後の場面では、奪い取ってきたブーケを抱きしめて、一体誰を選んだらいいんだと馬鹿笑いしているが、ブーケに埋もれるようにして隠れた顔は、彼が今後も「いま」のかけがえのなさに気づくことなく、自分の利己的な目論見のために「いま」を消費していくことを予感させる。妹達一人一人を理解することなくただ「射程圏内」として期待される未来の幸福が、そんな「いま」の蕩尽によっては決してたどりつくことのできない場所であることに、山田はおそらく気づくことはないだろう。
 そして最後に、もちろん山田とは全く異なる本来の意味で、来るべき未来に備えて「いま」を生きるもう一人の妹の姿が描かれていることを指摘しておきたい。それは千影である。第5話以来、「別れ」という未来に立ち向かうべく着々と準備を整える千影は、食堂ホールに現れて咲耶達の騒ぎをいぶかしむ航に、こう語る。

千影「あれを見て、私のものになる決心がついたら…。いつでも相談にのるよ…。」
千影「今はまだいいんだ…。私は、あきらめないからね…。」

 そして彼女は、航の肩の抜け毛を手に取り、自室に戻ってこれをガラス瓶に保管する。その横には、同じような瓶に詰められた小さな鉛筆やピンなど、航にまつわる些細な物品がぎっしりと並べられている。Gut's!の『お医者さんといっしょ』を思い出させるこのフェティッシュな収集は、言うまでもなく、後に兄を幽体離脱させ、自分のものとするために必要な呪術的儀式の材料を指し示している。もし未来が「別れ」を告げるのなら、千影は兄との呪術的な絆を構築して未来の悲劇に先んじようとする。これもまた、彼女なりの「いま」の生き方にほかならないのである。こうして着実に努力を積み重ねつつ、やがて到来するその日を思えば、千影とて気が逸るのもやむをえない。

千影「たまには赤もいいか…。兄くんはどう思うかな…。」


 そう口ごもる彼女の前には、悠久の過去を越えて千影と兄とを結ぶ血のごとき真っ赤なドレスが用意されていた。いつかこれを身にまとい、兄とあの日のように睦まじく暮らせる時がくるのだろうか。それは千影にも予知し得ない、朝靄のベールの向こうに未来の顔は隠されている

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