アニメ版『シスター・プリンセス』における居場所

〜第11-12話の旅の行方〜



はじめに 〜問題の視点〜

 夏休みにまで至る中で、共同生活の基盤は確固たるものとなり、航と妹達との関係もより親密なものへと着実に推移してきた。この共同生活が「いま」の積み重ねにほかならず、その努力を怠れば直ちに根拠を失いかねないということについては、とくに第7話以降で予感的に示されてきた。本論で取り上げる第11話「アニキとシークレットツアー」および第12話「バカンスはラブよっ」は、この喪失に対する不安が現実のものとして航に危機的に意識され、その後の彼の妹達への態度を大きく自覚的に転回させる契機となったという点で、シリーズ中きわめて重要な位置づけを与えられる。
 しかしこの一方で、とくに第11話の内容については、その遭難時の描写があまりにも荒唐無稽であるとして、一般に批判・嘲笑の対象とされてきた。だがこの一見不条理とも思える展開こそが、この時期の航達の成長のために不可欠な状況を提起しえたのだとすれば、そこには表面的な問題性によって隠蔽されがちな何らかの番組内論理が働いているのではないか。この番組内論理とその意義が、第3話第8話などで既に指摘されていることをふまえれば、この第1クールの終盤を飾る重要な回にそれが見いだされると予想するのも決して安易とは言えないだろう。

 このような視点から、本考察では夏休み旅行において航達が直面した問題の意義と、これを通じての意識変化について、旅行の経緯にしたがって考察していくとともに、遭難の実態とその必然性についても、一つの解釈を試みる。


1.兄妹船

航 「燦緒へ。今日もこの島に強い日差しが降り注いでいる。
   ただ昨日と違うことといえば、妹達の明るい声とともに、今日からしばらくぼくは、海の上にいるのかもしれない。
   そう、ぼくたちは夏休みの思い出を作ろうってことで、2、3日旅行に出かけることになったんだ。
   鈴凛ちゃんが言うには、ちょっとしたドライブだってことなんだけれど…。」

 冒頭から旅の荷物を背負って佇む航の姿。花壇では花穂が、不在の間の分も、と水遣りをしている。彼女の旅支度の心配をするなど、航も兄らしい態度をすっかり自分のものにしているようだが、しかし彼本人は肝心な旅行の目的地すら知らないままでいた。

可憐「鈴凛ちゃんが作ってくれた、旅のしおりに、書いてあったと思うんですけど…。」

 「バナナはおやつに入りません」と表紙に絵入りで記してあるこのしおりは鈴凛の準備のよさと
センスの古さを示していて興味深いが、ここで問題なのは、可憐にすら不満に思える航の態度である。初めての兄妹での旅行だというのに、このやる気のなさは何事だろうか。ここには、航が今まで経験してきた旅行の問題点が暗示されている。学校の旅行といえば修学旅行などであり、これは予め計画された旅行目的地へと時間通りに移動していくものにすぎない。たとえ自由行動の時間があっても、自由に停止し勉強していればそれで済む。家族旅行の場合も行き先はじいやが決めた通りのものでしかなく、友人との旅行の経験はない。つまり、物心ついてからというもの、航は自分で行動を決める必要があるような旅行に参加したことがなく、そしていったん旅行が始まってしまえば、後は上げ膳下げ膳で何もかも周りがやってくれるはずだった。そして旅の道中にさほどの語らいの楽しみもない以上、その目的地に計画通りに行き着くことが旅行の目的そのものであり、それはデジカメなどで到着の記録を残すことで十分満足される程度のものだった。ただしその場合、いったい自分がどこにいるのかを知っていなければならず、その情報は旅行を主導する周囲の大人が勝手に伝えてくれるはずだった。
 しかし、今回はそうはいかない。旅のしおりがあるのだから自分でそれを読まねばならず、途中途中の計画変更についても自分から柔軟に対応しなければならない。今回の旅行の立役者鈴凛が全体計画を立案してくれたとはいえ、その細部については、参加する兄妹各人が、主体的に具体化していくべきものなのだ。事実、妹達はそれぞれが自分なりに考えた旅行用荷物を用意しているのに対して、航が背負う荷物は、通り一遍のもの程度である(第13話で明らかになるように、さすがに勉強道具を持っていくことは慎めるほどには成長した)。そして、航が旅行をある場所に到着することを目指す目的的行為だと認識しているのに対して、妹達はこの旅行を、その道中での兄との関わりを楽しみにするという、過程的行為だと考えていることに注意すべきだろう。両者ともに旅行を非日常性において捉えるが、その捉え方はこのように対照的である。

 いよいよ出発、迎えに来た鈴凛に率いられて屋敷の外の林に入れば、そこにはクレーンのそばで幕をかけられた潜航艇プロトメカ4号が待っていた。あまりにも巨大な発明品に驚く航に、鈴凛は「ここに落ちていたパーツを組み立てた」と言うが、それこそ航には「そんな馬鹿な」である。しかし、こんな兄の態度は、せっかく潜航艇を整備して旅行計画を編んだ鈴凛にとっては不満の残るものだった。「アニキと一緒に旅行に行くんだからって、頑張っちゃったのにな。」と拗ねてみせて航を慌てさせる態度は、わざとこう振る舞えるだけの余裕と明るさをもつ鈴凛ならではのものであり、兄に嫌われる可能性に怯えることなくこれができる妹といえば、眞深を除けば、あとは咲耶くらいのものだろう。ここで一緒に旅行に行くつもりでタイミングよく登場した山田は、船頭じいやによって拉致され、クレーンによる潜航艇懸架をやらされている(クレーン操作がそんなに簡単なものかという気もするが、実は自動操作であるものを山田が操作しているように見せかけているのか、この手のゲームで慣れていたのか、あるいは某TV番組でやっていたように案外この程度の操作なら簡単なのかもしれない)。
 なお、ここで気をつけねばならないのは、千影の謎の荷物(航が正体を知ることを恐れた)を船頭じいやが潜航艇に運び入れていることである。黒布に包まれたこの巨大な背付椅子だか何だか知れない物体を、じいやは旅行に必要なものとして認識していることになる。このことは、やがて遭難のさいに再び言及されるだろう。
 ところで、春歌が「もし旅先で物の怪などが襲ってきても、ワタクシがお守りいたしますわ。」と長刀を振るっている姿を見ると、たんにこれで
山田を排除しようとする目論見だけでなく、おそらく陸上の目的地が予定されていたということが読み取れる。実際にたどり着くことのなかったこの目的地は、結局いったいどこだったのだろうか。船頭じいやが「この島の周りは潮の流れが速いから、そう遠くへは行きなさんなよ。」と言っているあたり、寄港予定地が本土遠方ということはないだろう。おそらく、プロミストアイランドを周回しつつ、接舷できる海岸を見つけて上陸し、キャンプをするというおおまかな計画だったのではないか。あるいは、近場の本土海岸に足を伸ばし、兄に久々の島以外の場所を味わってもらおうという妹達の配慮もあったかもしれない。これは場合によっては兄にかつての里心を抱かせる危険性があるが、妹達全員が付き添っているかぎりは回避できるという算段である。いずれにせよ、日中しばらくの間近海を周遊することは計画のうちだった。

 ついに出航。亀の形を模しているかのような潜航艇は、第7話で四葉の言葉をきっかけに鈴凛が図面を引いたものを元に作られており、内部には意外なほどの広い空間と、開閉式の船窓、球状透明の操縦席、プロトメカ譲りのオートシステムなど、数々の特徴を備えている。だが先端部の操縦席も平底の形状も、基本的には外洋向きではなく、しかし浅い海底でも操縦席がぶつかりそうで動けないという、きわめて行動範囲が限定されるつくりとなってしまっている。これは内部機能を盛り込むあまり肝心の航行能力に障害が出るという、鈴凛の発明家らしい過失とひとまず理解できる。何より問題だったのは、「ちょっと予算不足で」ナビゲーションシステムを搭載できず、千影の水晶玉でナビゲーションを行っている点である。航の驚愕に、鈴凛は照れ笑いを浮かべ、千影は

千影「水晶は常に進むべき道を示してくれる…。何も心配はいらないよ…兄くん…。フフフフフッ…。」

と微笑んで兄を黙らせている。海中から現れた背びれは、第3話で船頭じいやに警告された鮫ではなく、イルカのものだと分かりさらに閉口する航だったが、花穂、亞里亞、雛子の3人の歓声に、そんな気分も晴れていく。
 夏の日差しと潮風が気持ちよく甲板で寝入ってしまった航は、ふと目覚めると春歌に膝枕をしてもらっていたことに気づき、そのままお茶に引き入れられる。しばらく春歌のペースで進むかと思いきや、衛、四葉、鞠絵が乱入し、さらに可憐や花穂、船酔いの眞深などもこれに加わる。旅行の間に兄とできるだけ親密になろうという、この夏に賭ける妹達の熱い意気込みが早速感じられる。このとき可憐は、花穂にもらったお菓子の入っていた小瓶を胸に抱き、皆に尋ねられて旅の「思い出」を入れるためのものだと説明する。

可憐「でも、今日も昨日もずっといっぱい、お兄ちゃんとの大切な思い出がこの中にいっぱい…。」
可憐「可憐にとって大切な思い出をしまっておくには、これで十分なんです。」

 取るに足りない小瓶に寄せる、可憐の想い。これまでの可憐の行動は、いかにもその重大な責務に応じて二重の意味を持つものが多かったが、ここでの可憐の振る舞いは、彼女本来の夢見る乙女らしさを端的に示している。それはある意味で、ピアノを持ってくるわけにはいかない彼女なりの必殺の一撃ではあるのだが、それよりもこの少女趣味が他の妹達にも素直に受け入れられ、皆が小瓶を求め出している様子からは、やはり純粋に可憐のよさが表れていると解釈すべきだろう。一方の咲耶は、亞里亞と一緒に兄の服選びをする。第9話で亞里亞に自分の服を選んでもらい成功している咲耶は、ここでも亞里亞の力を借りようとするが、しかし亞里亞は今回完全な貴族趣味を発揮し、東方の貴人やルネサンスの宮廷を思い出させるような服装ばかりを選び、咲耶を困惑させる。咲耶自身はそれにも構わず航に嘘泣きで迫るなど相変わらずの姿勢だが、これに対して千影は自室のごとき占い部屋で兄を待ち、こちらも普段通りの態度を貫いていた。

千影「来世は魚…というのも、いいかも知れないね…。」

 まさかこの台詞が次回の伏線だとはこの時点で想像しがたいのだが、ここで千影にこれほどの空間が与えられていることに注意すれば、ただナビゲーションなどに必要というだけでなく、あの巨大な荷物に秘められた何らかの役目が彼女に担わされているという予感が否応なく高まる。ここではしかし、ただ引くしかない航に、鈴凛が手招きして操縦席へと導く。「アニキ強引につれてきちゃったけど、楽しんでくれてる?」という彼女の言葉は、兄の気持ちを正しく理解しながら、それでも自分の好意を受け止めて欲しいという彼女らしい正直さがよく示されている。目的地をしばらく気にしていたはずの航は、妹達の楽しむ姿を見ていく中で、いまやその固定的な考え方を改めていた。この旅路そのものが、皆と共有する喜びなのだ。

航 「色んな体験をみんなでするのっていいね。そのためには、行き先なんかきっとどこだっていいんだね。
   ありがとう、鈴凛ちゃん。」

 だからといってナビゲーションは不可欠なはずだが、それはともかくこの兄の言葉に、鈴凛は喜びのあまり正面から航に抱きついて応える。

航 「今までに色んなものを作ってきたけど、本当はね、いつだってアニキが喜んでくれるものを、って考えてたんだから。
   アニキが嬉しいことと、アタシの嬉しいことがいつも同じならいいな、って。だから…
   また、研究資金の援助、よろしくね。」

 照れ隠しのオチがついているものの、この研究資金援助とは、兄が自分の気持ちに応えてくれていることの証である(第5話参照)以上、ただの小遣い要求というに留まるものではない。鈴凛は、兄のために苦心する自分を支えてくれる兄の援助によって、自分と兄との結びつきを絶えず確認するのである。こうしていい雰囲気になれた2人だったが、白雪がお昼を持ってきたことでなし崩しとなり、潜航艇はいよいよ実際に潜水を試みることとなる。
 なお、ここまでの部分について補足しておくと、船酔いになった者が眞深ただ一人だったのは、他の妹達が兄といる喜びで船酔いの暇もなかったか、彼女だけが千影お手製の酔い止め薬を飲まなかった(あるいは飲まされなかった)かであろう。また、船尾に魚の群れが集まりやすかったのは、餌となるトイレの排水のせいである。


2.ひょっこり遭難島

 船底や舷側の装甲が開かれ、中央ブロックから海中の美しいさまをガラス越しにうっとりと眺める妹達。だが、そんなロマンティックなひとときも、海が荒れてくることでにわかに風雲急を告げる。「ちょっとだけ揺れるかもね。」という鈴凛の予想をはるかに越え、海は大時化となり、海中の潜航艇も激しく揺らぐ。座席に固定され悲鳴を上げる妹達(千影を除く)を励ます航だったが、操縦席の鈴凛が「ハンドル取れちゃった」と告白するに及び、事態はいよいよ悪化の一途を辿る。操縦席ブロックはシャッターで覆われて衝撃に耐えうるとしても、このままでは状況に即して航行することは不可能である。
 この緊急事態を一気に最悪のものへと加速させたのは、航達のいる中央ブロックへの浸水だった。雛子の頭上の位置から突如海水が噴出したのである。水圧に耐えるべき船体が、この海中でついに部分的に負け始めている。Uボートの戦記にもよく記録されているこの程度の浸水は、正しく処置すれば大した問題にはならないはずだが、基本的に荒っぽい環境を想定して造られていないこの潜航艇では、果たして機構的にどこまで許容しうるものか到底楽観できない。そんな判断をする以前に、予想外の展開にただ恐怖し怯える妹達の縋るような眼差しを見て、勢い航はこの噴出を手で食い止めようとする。兄の頑張りに心打たれ、応援する花穂達。鈴凛も航の後ろから手を貸すが、海水の侵入は舷側部の各所から次々と発生し、どうにも手の打ちようがなくなっていく。だが航と鈴凛が最悪の結果を想像する間もなく、兄に触発された妹達は、席を離れて協力しあいながら噴出部を手で押さえようとし始める。それは雛子や亞里亞、そして眞深でさえ例外ではない。

可憐「楽しい思い出いっぱい作るんだもの!」

 口々にこの旅行への想いを告げる妹達に、航も絶望の淵から這い上がり、決意を込めて皆にうなずく。

航 「うん、みんな、必ずこの旅行を続けよう!」

 しかし潜航艇は激しく波に翻弄され続け、やがて航が意識と取り戻した時には、明け方の星の光がハッチから注ぐ中央ブロックの中で、横たわっている自分を発見した。誰一人姿の見えない潜航艇から外に出てみれば、薄明るい海岸付近に潜航艇は座礁しており、そして岩場の上にうなだれて座る眞深以外には、妹達の影はなかった。眞深もまた、他の妹達の所在を知らない。大切な妹達が行方不明となったこのとき、航は、自分が当たり前に一緒にいられるはずのものを、一瞬にして奪われてしまったのだろうかという闇の中へと叩き落された。片方の靴をどこかへ失った彼の足元に、可憐のあのガラスの小瓶が音もなく沈んでいた。ここに大切に入れておくはずの思い出は、荒海の中へと妹ともども流し去られてしまったのか。

航 「燦緒へ。今日も昨日と変わらず、強い日差しが降り注ぐのだろう。
   ただ、昨日と違うことといえば、妹達の明るい声がない。それにここは、家(うち)でもない。
   そうだ、ぼくたちは遭難したんだ。」

 航は昨日と同じはずの「いま」を唐突に失った。そしてこの見知らぬ海岸で、帰るべき場所も分からずに、ただ立ち尽くすほかなかった。実は全員無事だった妹達と合流するまでの彼の心境を追う前に、しかしここで避けては通れない問題が2つある。まず、どうして遭難したのか。そして、どうやって助かったのか。ここまでの遭難のいきさつは、一般の視聴者からすれば、あまりに非合理的すぎてもはや笑うほかないものと受け止められている。あれだけの浸水を被っては、普通ならまず助かりそうにないからだ。ただし、そのような状況下で航達があれほどの異常な明るさを示しえたことについては、視聴者の関心は向きやすいものの、実際にはそれほど大きな問題ではない。なぜなら、たんにそのような科学的認識が大部分の妹達に欠落していた可能性があるほか、パニック寸前の危機に立ち向かおうとする兄の英雄的行為が、閉塞状況下の妹達に戦場心理にも似た一時的な精神高揚を促したということは十分考えられるからだ。これは兄への信頼が、妹達の間でそれほどまでに確固たるものになっていたということでもあるが、だからといって手で海水の浸入を阻めたわけではない。そうであればここで問われるべきは、この遭難の本当の原因と、嵐からの脱出の方法である。

 まず、遭難の原因について検討しよう。最も単純かつ合理的に思えるのは、たんにここまでの悪天候を予想できなかったというものである。晴天が続いていた状況で、鈴凛もこの状態が続きそうだということを確認していたはずであり、それゆえに思わぬ天候不順に対応できなかったということになる。だがこの場合、コテージの宿泊準備がなぜ十分になされていたのかが明確には説明しづらい。また、じいやがそのような悪天候の危険性を看過していたということも考えにくい。
 だとすれば、この遭難が計画的なものだったということになる。では、何のために、そしてどうやって遭難させ得たのだろうか。
 遭難させる理由から考えると、例えばプロミストパークなど島内建設現場の隠蔽という理由が挙げられる。島の周回をそのまま自由に許せば、第23話でも本来ならば隠しておくはずだったプロミストパークの工事現場等を、この段階で発見されてしまうかもしれない。じいやに与えられた計画からすれば、これはぜひとも避けねばならないことだった。この島はやがて一つのレジャー施設として機能するにせよ、現時点では航にとっての箱庭として、虚構性を認識させずに一つの自足した世界を演出しなければならないが、建設現場を見られることは、その虚構性を露にしてしまうことにつながるからだ。次に、第23話のプロミストパーク地下でこの潜航艇がイルカ型ジェットスキーとともに量産整備されている光景が描かれているが、プロミストアイランドの売りの一つとして今後この潜航艇を営業用に用いていく場合、鈴凛の設計の問題や限界を早い段階で確認しておくことは、安全と改良のために必要なことだった。
 とはいえ、これらのためだけに航達をあれほどの危険な状況に追い込むことは、じいやといえども過剰演出と批判されてしかるべきだろう。それゆえ、あのような危機的状況を演出しなければならないほどの本物の危機が航達に迫りつつあり、これを回避するためのやむをえない措置だったと考える方がまだ理屈は通る。その危機とはつまり、燦緒による潜航艇拿捕計画である。例えばトロール漁船を動員して、潜航中の艇を網で引っ掛けてそのまま本土へ運んでしまう。あるいは、民間船と接触事故を起こさせて、巡視艇に連行させてしまう。海上ではプロミストアイランドでの自治性・孤立性が効力を失うため、警察や海上保安庁といった公の強制力によって、航を本土へ連れ帰らせることが可能になる。島内では手出しできなかった燦緒も、航が海上にいるこの瞬間こそ、彼を拉致できる絶好の機会を得られたのである。タイトルの「シークレットツアー」とは、実はこの陰謀をも指し示しているのだ。島近海への不審船の侵入からこの陰謀を察知したじいやは、直ちに緊急措置を講じ、航達の潜航艇を強制的に遭難させることで、拿捕から逃れさせた。コテージの準備は当初の計画のうちだったとしても、このように激しい遭難を通じて利用させるという過程は、あくまで緊急避難的なものだったのだ。
 それでは、いかにして潜航艇を遭難させえたか。それはまず、潜航艇に最初から仕掛けられていた操縦系の破壊(ハンドルの脱落)によって、潜航艇の行動をじいや管理下のオートパイロットに従わせることに始まる。これにより潜航艇は、自動的にじいやが望む方向へと移動させられることとなり、速く激しい潮流に乗ってコテージ側海岸へと向かうこととなる。ハンドルが取れてから後の潜航艇は、この潮流によって翻弄されていたものと考えられる。そしてこの潜航艇内部での仕掛けと別になされたのが、天候の調整である。急激な悪天候への変化は、元々の気候の推移によるものだけでなく、そこに別の力が加わることで、あのような激烈なものとなった。それは、航達の潜航艇を望ましい潮流の中へ向かわせる契機となるのみならず、海上を航行する燦緒の手先の船舶を行動不能にする働きをみせた。この天候を調整した力とはいったい何か。それは、第23話で千影が「結界を張った跡が…。」と述べている、その結界を張った人物のものである。これが何者なのかはここでは判断できない。しかし、じいやの協力者として、その強大な力を行使していることは疑いを得ない(千影の父親という可能性もありうるし、そうでないとしてもこのような協力者がいればこそ、じいやは千影の能力を実効的なものと信頼できた)。そして、ここで緊急事態に対して多大な力が天候の調整に用いられた結果、航達の遭難というかたちでの避難が成功した一方で、その巨大な力の余波がしばらく島近辺に残存し、その影響は例えば第15話で亞里亞の前に樹の精霊が実体化することなどに、やがて示されることになる。

 このような原因と方法によって潜航艇は遭難への筋道に入ったが、しかしそれは、浸水にもみられるように、多大な危険をはらむものだった。不測の事態が生起したさい、じいやによるオートパイロットなどでは対処し得ない致命的な事故へと至る可能性は、決して少なくない。たとえこれほどの激烈な遭難過程を踏まずとも問題になるこの危険性に対して、じいやは予防措置を講じておいた。それが何かを知る鍵が、あの千影の荷物である。千影は、不測の事態に備えるために可能な限りの呪術の準備を整えたが、それは潜航艇を中から千影ならではの方法で守り抜くためのものだった。そして、じいやはそのような千影の能力を不可欠なものと考え、潜航艇に彼女専用のブロックを設けるとともに、彼女が選んだ荷物を全て搬入したのである。
 ところで、この荷物の中身は何なのだろうか。当初論者は、あの黒布の外形から船首像(フィギュアヘッド)であると想定した。つまり、この像の加護と千影本人の呪術で召喚された水の精霊の力とによって潜航艇を守ったという考えである。だが美森勇気氏から、船首像は船首に付けねば効力がないという批判と、これにかわる次のような仮説を提示された。すなわち、あの中身は自室で用いている座椅子と占い卓(潜航艇内の占い部屋にも置かれていた)、トランクに入れられた占い用の器具一式であり、さらに
水の精霊を支配するための呪具である(聖)杯(チャリス、グレイル)ではないか、というものである。実際に座椅子の背と黒布の外形は近似しており、卓やトランクと合わせればあれだけのかさばる荷物になるのもうなづける。そして、出かける場面で千影が「布の中が見たいかい…。」と微笑んでいるのは、つまりこの時点で既に聖杯の中に水の精霊が召喚されていることを意味している。本論ではこの優れた仮説にしたがい、千影が潜航艇内で召喚済みの精霊を支配し続けていたと考える。この場合、潜航時には潜航艇の周囲全てを海水が取り囲み、水の精霊の力が増大して支配が困難になるが、これは潜航前には甲板にも出られた千影が占い部屋ブロックに詰めて直接支配を強化することと、そのブロックにロウソクの炎を絶やさないことで水の力を削ぐことなどによって、巧みに制御していたものと思われる。
 現実に潜航中に荒天が迫るさい、千影は水晶玉の中に何事かを見出している。そして荒波に翻弄される潜航艇の中で、千影は、他の妹達と同じ中央ブロックに入ることなく、占い部屋ブロックに留まっている。ここで彼女は、自分がなすべきことをなした。水の精霊を操り、侵入する海水を制限し、さらに逆用して航達を内壁との激突から保護し(普通あれだけ揺れればどこかに体をぶつけ怪我をするが精霊のおかげで服だけですんだ)、潜航艇と航達を最悪の事態から守りきった。ただしそれはあくまでも内部の防御であり、潜航艇が潮流のままに進んでいくことまでも阻むことはできなかった。そしてこれだけの力を用いた結果、千影はおそらく心身ともに相当消耗したことだろう。
 こうして潜航艇が無事に理想的な位置で座礁したさい、今度はどのようにして妹達が、そして航と眞深を除く妹達だけが潜航艇から脱出しえたのか、という問題が生まれる。もし妹達が自力で脱出したのであれば、兄を潜航艇内部に放置していくはずがない。それゆえ、その脱出は他力によるものである。おそらく気絶していた妹達を、じいや達がコテージ付近の砂浜へ漂着したかのように移送したのであろう。(あるいは、先述の天候を変えた力の持ち主が、ここでも可憐の小瓶あたりを魔術の焦点具として何らかの力を行使したのかもしれないが、さすがにこれは全くの憶測でしかない。)とくにこのとき、鞠絵を含むショックに弱い妹達への応急処置などがなされ、彼女達が覚醒時にコテージに気づくよう配慮した。
 潮に濡れない砂浜で妹達が目覚めたのは、この旅行初日の夜更け。互いの状態を確認した後、兄の不在に気づく彼女達だが、コテージへ至る途中の砂上に兄の靴の片方(じいやが誘導用に置いておいた)を発見し、兄が既に上がったものかとそのまま皆でコテージに入ってみた。しかし航は見つからず、次第に不安になるものの、夜闇の中を探しには行けるものでもない。どのみち心身の疲労が極限に達していた彼女達は、ともかくどこかに兄がいるはずだと信じつつ、なぜか砂浜に一緒に漂着していた白雪のバスケットから食糧を分かち摂り、持ち主のいないこのコテージで一晩休息をとることにした。できるだけ内部の調度品を使わないように注意したものの、明け方には濡れた服が冷えて眠りから覚めた妹達は、やむなくカーテンでそれぞれの衣服を作ることにした(ついでに元の衣服の綻びを直した)。夜明けを待って海岸へ総出で向かう妹達が遠くに見たものは、沖合に傾ぐ潜航艇と、そこへ進んでいこうとして途中で沈む兄の姿だった。



3.いい旅リゾート気分

 一方、夜明け直後の航達といえば、眞深と共に砂浜で呆然と過ごしていた。

眞深「晴れたけど、嵐はどこへ行ったのかな…。」
航 「ああ…。どこへ行ったんだろうね…。」

 よもや超自然的な力が働いていたなどとは想像もつかない二人は、ひたすら放心状態を続ける。

眞深「これから、どうする…?」
航 「どうしよう…これから…。」
眞深「…あっあー、だけどあっけないもんだねぇ。」
航 「…それ、どういう意味!?」

 だが、眞深の不用意な一言が、航に生気を取り戻させた。

航 「泳ぎの下手なぼくが助かったんだから、きっと、みんな大丈夫だよ。だってさ、…とにかく、…みんな、きっとどこかへ…。」

 それは、唐突に日常を、大切な妹達を失うことへの紛れもない恐怖だった。必死にこれをこらえようとしつつ、航は、ただじっとしていても始まらないと行動を開始する。ひとまず潜航艇に戻り、役に立つ物や手がかりを得ようとするのだ。見送る眞深はタイミングよく燦緒からのメールを受信するが、肝心のモバイルは電池切れで救難を求めることもできない。これが何らかの作為によるものかどうかはここでは分からないが、もし救難メールを送信できていれば、燦緒とじいやの戦いの第2ラウンドが開始されたことだろう。
 潜航艇にたどり着く前に、裸足の方の右足にウニを踏んでしまいさらに左足をつらせ、浅瀬で溺れてしまう航。意識が遠のいていく中で、彼は千影の幻影を見る。(このウニは2chにて「ウニメ」という本作品の俗称を生み出す原因になったが、ウニの意味については本考察の末尾で述べる。)潜航艇の中でのやりとりを思い出し、千影がウニに生まれ変わったのかと錯覚する航だが、彼を包むような千影の声は、次第に明瞭なものになっていく。

千影「このウニには、毒はない…残念だけれどね…。」
可憐「お兄ちゃん…大丈夫?」

 はっと目覚める航の前に、妹達の顔が並んでいる。航が沈んだのを見て慌てて駆けつけ、海中から兄を砂浜へと引き上げたのだ。

咲耶「よかったぁ…心配したのよ?」
航 「みんな…無事だったんだ!」
春歌「兄君さまこそ、よくご無事で。」

 言いながら航の右足に、彼女達が携えていた靴が履かされる。昨晩妹達の不安を抑えてくれていたこの靴が、ようやく持ち主の足に戻った。兄が、妹達が、元の鞘に納まった。お互いが喪失不安を乗り越え、それぞれのかけがえのなさを改めて実感した。

航 「本当に、…よ、よかった…。」

 心の底から、泣きそうなほどに安堵した航を見て、妹達もようやく落ち着きを取り戻した。兄と眞深を連れてコテージへと向かい、救援が来るまでここでしばらく生活させてもらいないかと尋ねる。無人のコテージの中には、なぜか電気は通り、新鮮な食糧なども完備されていた。ただ備え付けの雑誌だけは、10年以上前の『非凡キック』などばかり。(これを手にして眞深が「よっちゃんが表紙」と喜んでいるが、たのきんトリオ時代としたら20年前でいかにも昔すぎる。これは独立後の野村か、あるいはよっきゅんのことだろうか。)そして、何気なく置かれている黄色い帽子。そう、あの謎の少女がかぶっている帽子である。これに航は気も止めないまま、非常時ということでコテージを使用させてもらうことに決める。これで当面の危機は回避できたとはいえ、無事に救出されるかどうかは未だ予断を許さない。
 これに対する年長者達の態度は対照的なものだった。咲耶は、このコテージの状態から見て管理者が直に訪れるだろうと皆を励ますが、可憐は「でも、次に来るのは1週間先か1ヶ月先か分からないし…。お兄ちゃん、可憐達これからどうなっちゃうのかな…。」と不安をそのまま口にする。プロミストアイランドの居住区であれば誰よりも詳しい知識をもとに隠密行動もとれる可憐だったが、このような見知らぬ場所ではその能力を全く発揮できない。漂流という非日常で役割から切り離された結果として、可憐は本来以上の子供っぽい気の弱さを、他の年下の妹達の前で見せてしまっているのだ。このことがやがて、第14話で兄に素直な自分を十二分に示す姿へとつながっていく。この可憐の不安を受けて、航は、千影なら占いで自分達の居場所を突き止められないかと思いつく。しかし、千影は謎の微笑みを残して去っていってしまう。この3人目の最年長者が何を考えているかについては後に語られることになるのだが、この時点での航としては完全に期待外れである。だが花穂が、夜に星が出れば千影も場所が分かると確信しているように、千影の能力はここでも妹達に肯定的に理解されていることが分かる。
 ともかくも救難を得る方法が見出せない状況で、咲耶は再び彼女らしい行動に出る。

咲耶「あーあ、泳いじゃおっかな。」

 まるで現状を軽く見ているかのようにのんびりとベランダへと向かい、「落ち込んでてもしょうがない」とそのまま眼下の海へ飛び込んでしまう。第5話で示した年長者の役割分担通り、妹達のリーダーとして率先して気分転換を図ろうとする見事な機転である。その上カーテンで作ったブラも飛び込んだ衝撃で外れてしまうとは、航に対するこれまた
見事な攻撃だった。妹達が不安を忘れて笑いさざめく声に、咲耶は海の中から「このさいリゾート気分で楽しんじゃわない?」と呼びかけ、考えても仕方ないことより今やれることをしようと実際的な提案をする。状況を重くみる航にしてみればそれどころではないのだが、不安な表情の可憐を見て、「…そうだね、ちょっとリゾートしちゃおっか。」と、彼も妹達の気分転換を促すのだった。その一方で、航はサバイバルへの努力を開始する。彼は兄妹の長として、皆が遊んでいる間に可能なかぎりの安全確保と救難対策をとろうとしているのだ。使える荷物を確認し、飛行機が上空を通ると見るや枯れ木や流木を集めて砂浜に「SOS」を描き、食料の計画的消費に気を配るなど、失敗もあるものの彼なりに知恵を巡らせた努力のさまがここに見られる。ただし、本物のサバイバリストである眞深は、裏手の野草を調べたり翌日魚を捕まえたりと、はるかに有能ぶりを発揮するのだが、「無人島最高!」と叫ぶ彼女の生き生きとした振る舞いは、遭難と電池切れという「偶然」によるものの、普段の任務からの開放感ゆえなのだろう。
 妹達はといえば既に浜辺でリゾート満喫モード突入。花穂は花草で「SOS」を描き、亞里亞はよほど昨日のイルカに乗りたかったのかバナナボートに「ピョンピョン」と言いながら跨り、白雪と鞠絵は乾いた音をたてる風鈴をコテージの軒先に吊した。その音にふと思いを留める航だったが、今は落ちついている場合ではない。忙しくするうちに早や夜となり、夕食を囲む妹達の顔は、朝方不安だった可憐すら「お兄ちゃん、可憐、明日は一緒に泳ぎに行きたいな。」と言えるほどに晴れ晴れとしすぎていた。あまりに楽観的な雰囲気に気圧された航だが、さすがにそれで弛むことなく、兄を囲んで寝入る妹達をおいて、おそらく千影がいるはずの戸外にそっと出て行こうとする。(ここで妹達の寝ている位置を見ると、最奥部に航と幼少の2人、鞠絵は寝床の上と、よく考えられていることが分かる。)その兄の背中に、ふと声をかける者がいた。咲耶である。

咲耶「私たち、お家に帰れるわよね…?私、これからどうしたら…。」

 日中はあれだけ快活に皆を元気づけていた彼女だったが、いざ年少者達が眠ってしまえば、そこにいるのは一人のか弱い少女だった。可憐のように正直に怖がることもできず、自分の役割を果たしていた咲耶の声は、兄の足下で震えていた。そんな彼女を今度は自分が勇気づけようと、航は咲耶の手を握る。

航 「…咲耶ちゃん、大丈夫だよ。」
咲耶「…しばらく、こうしててもいい…?」

 気がつけば妹を背後から押し包む格好。日頃の咲耶ならもう一押しあるところだが、今はただ兄の温もりが心強かった。

咲耶「お兄様…ありがとう。」

 勇気づける言葉と手の温かさ。だが、航は本当の救いのために行動しなければならない。ここを無事に離れるために、兄としての務めを果たさねばならない。


4.旅の終わりは旅の続き

 砂浜に降りた彼は千影を探し求める。満月の夜空、風鈴の音。木陰の中に、千影が浮かぶ。早速航はこの場所がどこなのか尋ねるが、千影の応えは意外なものだった。

千影「ここがどこかを知って、どうするんだい…?」

 それは、帰ることを大前提に考えてきた航にとっては、意味不明な問いかけだった。

千影「どうしても、帰らなければならない…?」
航 「当たり前じゃないか。千影ちゃんは、帰りたくないの?」
千影「兄くんは、なぜ帰りたいんだい…?」
航 「だって不便じゃないか。メールも送れないし、勉強だって、」
千影「それだけ…?」
航 「それだけ…って、千影ちゃんは帰りたくないの…?」
千影「兄くんらしいな…。私は、このままでもいいんだ…。」
航 「え?」
千影「私と兄くんの肉体は、すべからく星から借りた物質で形作られている…。
   だから、星々の意志から解き放たれることはない…。
   みんながここにいるのは、天空の星の運びによって導かれている…。
   私と兄くんが、決して離れられない運命であるように…。
   
みんなと一緒にいられることに比べれば、その場所も、時間も、些細な問題だ…。
   今夜はもう、眠った方がいい…。」
航 「千影ちゃん…。」
千影「星は導いてくれるよ…。おやすみ、兄くん…。」

 そして止まっていた潮が音を立て、時が動きだす。いつの間にか姿を消していた千影の言葉が、航の心に深く静かに染み通っていく。遭難直後、彼は妹達の安否を心底気遣っていた。だが、妹達の無事を確認できてからは、ただ少しでも早くプロミストアイランドに戻ることだけを考えていた。それはもちろん守るべき者達のためでもあるが、それとともに、不便で苦労の多い漂流生活から便利な文明生活に復帰したいという彼の欲求にも基づいている。不安定さを嫌う彼にとって、あの便利で安定した生活を保証するウェルカムハウスに戻ることは最優先事項なのだ。それゆえに彼は今日一日、妹達とほとんど遊ぶことなく、リゾート気分の外側で黙々と働いていたのだが、気がつけば彼はまたもや妹達と離れかけていないだろうか。雑魚寝の中心に床を据えながら、この漂流生活から気持ちが遊離していなかっただろうか。「現状からの離脱」「苦労の多い新しい生活」「義務感だけの労働」。かつて第7話の頃まで、航は日々の務めとの関わりを模索していたが、彼はこの漂流生活でも、同じ試行錯誤を繰り返しかけていたのだ。「家」(house)はあくまでも、皆が一緒に暮らすための場所や外枠にすぎない。それよりもまず大事なのは、親密圏としての「家族」(family)である。その親密さ(familiarity)を、妹達に向き合うことで絶えず守り育てていくこと、これこそ自分は皆と一緒に学び実現してきたはずだったのに。このことに気づかされた航は落ち着きを取り戻してコテージに戻り、眠る妹達の間に再び身を横たえながら、優しく呟く。

(おやすみ、みんな。)

 そしてよい夢を。一緒に休むこの場所が、すなわちいまこのときの自分達の「家」なのだから。
 翌朝、日差しと風鈴の音に目覚めた航は、ふと何かを思い出しかける。

(そういえば前に、こんな朝があったような…。)

 だが、彼の意識はそばにいるはずの者達へと直ちに切り替えられる。妹達がまたもやいない。「家族」の喪失かと慌てて起き上がる彼の後ろに、兄の朝食を仕度する衛達の姿があった。たんに早朝から皆が起きていたという事実を知って安堵の照れ笑いを浮かべる航の服は、いつの間にか妹達と同じカーテン生地に替えられていた。誰が企んだのか、それは
謎のままだが、誰が脱がしたのかと言えばおそらく照れも躊躇もしそうにない衛あたりだろう。企んだ当人達は残念賞である。それはともかくも、今日の航は昨日とは違い、妹達のリゾート気分にできるだけ自分も参加しようという気構えができていた。救難のためにやるだけのことは既に済ませている。あとは、「いま」を妹達と共有することが大切なのだ。朝から起源のいい花穂が、「お兄ちゃまと一緒にいられるから」と微笑むように。
 そう思う間もなく、早速咲耶がその機会を与えてくれた。背中へサンオイル塗りのお願いである。恐る恐るの兄に、咲耶は昨晩のことを内緒にしてくれと頼む。さすがに彼女としても、他の妹達にあのことを知られるのは、立場ということもあり避けたかった。そして、

咲耶「また二人だけの秘密ができちゃったわね?」

 もちろんそういう意味でもあった。咲耶、一歩リードといったところだが、これを黙って見過ごすような可憐ではない。鈴凛が宣言通り修理に成功したイルカ型ジェットスキーで、バナナボートを引いてみることになった。操縦するのはもちろん鈴凛、ボートに跨るのは前から順に、雛子、衛、航、可憐、花穂、春歌。航の直後に可憐、しかも最初から兄の胴に腕をまわしているのである。一番前に乗りたがる雛子や衛はいいとしても、なぜ花穂を兄の後ろにおいてやらないのか。それは当然のことながら可憐の思惑があってのことだ。抜群のプロポーションに加えてブラ外しに添い寝にサンオイルと、恐ろしいばかりの連続攻撃に成功した咲耶に対して、可憐が対抗しうる方法はいくらもない。「一緒に泳ぎ」に行く程度ではもはや太刀打ちできず、さりとて不安(これは実際にあるのだが)を慰めてもらうという自分に最適な甘え方も既に咲耶に先んじられてしまった。そして何より第9話で無理をして増量を試みたものの、あえなく失敗に終わった胸。ここにはもはや完全な敗北しかあり得なかったかに思われたが、しかし窮地に陥った可憐の底力は、咲耶を貶めるいつもの方法とは全く反対のベクトルで、今この瞬間に爆発した。水上を走るボートにつかまりながら、航は再び、ジェットスキーで近くの島に行けないものかと考え始める。だが、不意に背中を襲った感触が、そんな思考を蒸発させる。可憐が兄の背中に抱きつき
胸を押しつけているのだ。可憐の渾身の技、炸裂。この感触に兄が弱いことは第8話の段階で把握されていたが、普段なら直截的な攻撃手段を避ける彼女にとって、これがどれほど勇気のいる行動だったかは、目をぎゅっとつむる彼女の表情に明らかである。そして鈴凛のジェットスキーが急カーブを描き、航達ボートの乗り手が一斉に海に投げ出される時、可憐は兄に何とか腕を伸ばしつつも、(きゃー、やっちゃった)という笑みを満面に浮かべているのだ。回りくどい方法をとらなくなった、いやとれなくなった彼女の振る舞いは、いよいよ本来の素直さを指し示していく。これが直ちに全面的な変化を意味するものではないとしても。

 だが、胸といえば元祖は鞠絵。夕陽に染まる砂浜を、航と鞠絵が寄り添って歩む。第8話以来、鞠絵の夢として語られてきたことが、ここで現実となった。恍惚とする彼女の横で、航もまた、コテージの風鈴を見て以来感じてきた何かを、次第に明瞭に意識し始めていた。

航 「実はぼくもずっと昔、こんなふうに夏をすごしたような気がするんだよ。
   潮の匂い、コテージの床のきしみ、空いっぱいの太陽、そして、ぼくの隣で微笑む女の子。…フフフッ、なんてね。」

 それは確かに、幼い日の彼がここで過ごした日々だったのだが、航がいまそれを思い出すことはない。ただ彼は、妹達との「いま」に、どこまでも誠実であろうとする。そして妹達のジャンケンの結果次のお相手は咲耶となり、以下とっかえひっかえでロマンチックなバカンスのひとときを演出していくことになるのだが、咲耶に負けた妹達の中にはっきり可憐がいるのは、やはり根本的な押しの弱さゆえだろうか。そして今日も夜が訪れ、だが今晩は航は妹達と一緒に、夜空の星々を眺めていた。星は導いてくれる。確かに、この尊い「いま」へと、妹達と共にあることへと。こんな夜には花火がしたい、という声に、千影は立ち上がり姿を消す。買ってくるつもりかという眞深に笑って返す航だったが、間もなく戻ってきた千影の手には、本当に花火セットが握られていた。

千影「みんなが望んでいるのは、これだろう…?」
航 「どこからそれを…!?」
千影「フフフッ…。」
航 「フフフッ、って…。」

 まさか航も、千影が自分の荷物に花火を入れてきてくるほど
お茶目だとはおよそ見当もつくまい。水着購入以来時折見られるこの普通の女の子らしさを隠すかのように、自慢したいような照れるような千影の微笑が花火セットの向こうから覗く。(じいやの段取りという考え方もあるが、そこまでじいやと千影がつながりを持っているとは本論では解釈しない。)喜ぶ妹達の間で、航もその美しい花火のさまに見とれていた。

咲耶「忘れられない思い出ができたわね、お兄様。」
航 「そうだね、明日はもっと楽しいことがあるよ。」

 明日は。そう、このとき航は、遭難しているという非日常すらもすっかり忘れてしまっている。この「いま」が続くこと、妹達と一緒にいられることの意味、その喜びを、素直に心に感じている。だがその瞬間、離れた砂浜から急に花火が打ち上げられ、状況は一変する。驚く航達の前に船頭じいやが現れ、救難に来てくれたのかと喜ぶ航をさしおいて、花火への注意をただ促す。そして木立から転がり落ちるようにして山田までもが登場し、ようやく航は、この砂浜が、プロミストアイランドのいつもの岸の反対側にすぎないことを悟り、「そんな馬鹿な」と絶叫する。

航 「帰ってた。プロミストアイランドに帰ってたんだ!」

 そのことは、実は航以外は全員知っており、ただ花穂が何回も伝えようとして失敗していたにすぎないのだが。それは花穂のせいではなく、確かに妹達全員のうっかりではあった。それはともかく、ここでへたりこむ航の表情は、涙ぐむほどの安堵に充ち満ちている。「帰ってた」という言葉には、妹達と一緒にいられる場所のありかが、やはりウェルカムハウスという「家」にほかならないことを読みとれる。それは昨晩の千影の言葉を否定するものではない。この「家」がたんに生活の利便のためのものではなく、まさに妹達と共にあるための基盤としてかけがえのない意味をもっていることを、航が実感したということなのだ。昨日までは自分の心だけが一足先に帰還しようとしていた航だったが、今日は妹達よりもずっと遅れてようやく帰還の事実を知った。一歩早く一歩遅く、最後に揃った兄妹の足並みは、翌朝の光の中、家路を軽やかに歩んでいく。こうしてプロミストアイランドは、ウェルカムハウスは、航達にとって本当の帰るべき場所となった。それは兄妹という「家族」を包む「家」なのだ。

 ところで、ここで花火を打ち上げたのは一体誰なのか。シルエットのみが描かれたこの人物の正体は明らかにされていないが、おそらく第23話でいつものコンビと一緒に登場する作業員だろう。じいや不在という折りに姿を見せたこの男性は、普段は裏方の長の一人として、じいやの指示を受けて行動しているのだが、この場面では正体を現すことなく花火を打ち上げる役目に徹している。この打ち上げ花火は、次の第13話で航が花火をプレゼントするヒントにもなり、またその打ち上げのための事前練習にもなったのだが、この場面での本来の役割は信号弾である。一昨日の戦いの後、燦緒の手の者が再び活動を開始する前に、航達の安全を確保すべく島の者達が動いていた。今じいやが航と接触する段階に至ったことで、この作業員は、傍受の危険性がある電波ではなく信号弾として打ち上げ花火を用い、他の者達に「状況終了」を伝達したのである。じいやが山田を山菜採りに連れ歩いたのは、当初の計画としては、行動力のある山田が偶然コテージを発見しないように彼を自分の近辺へ拘束するためだったが、さらにこの時点では、危険を予め排除するための山狩りという意味も持つことになった。それは不審者への対処というだけでなく、精霊達の状態について(野生動物を凶暴化しかねないなど)協力者から何らかの警告があったためなのかもしれない。そしてまた、これまでじいや達は特定の妹が航と過度に密着しないように配慮してきたことを思い起こせば、今回も、航が妹達と一緒にいることのみを過度に重視した結果ウェルカムハウスの意義を否定してしまうことのないように、やはり同じような配慮を行ったということもできるだろう。
 そんなこととはつゆ知らず、航達はミカエルの出迎えを受けてようやくウェルカムハウスへと帰還し、再びこの大切な日常をこの「家」で積み重ね始める。旅行とは非日常への一時的移行だったはずだが、目的地なき旅の終着点=目的(end)は、まさにこの生活だった。

航 「燦緒へ。今日も昨日と変わらず、この島に強い日差しが降り注いでいる。
   そして再び、家の中から妹達の明るい声が聞こえてくるのだろう。
   まさか、ぼくたちの遭難がこんなオチとは想いも寄らなかった。
   あそこでの数日間は、一言では言い表せないほど妹達と色々あったけど、
   どうしてだろう。何だか少し懐かしい感じがしたんだ…。」

 久々のメールを打ちながら、航は夏休みの宿題が終わっていないことに気づく。妹達ももちろん終わっていない有様で、続く第13話ではその顛末が語られることになる。だが、航にとっての本当の宿題は別にあった。妹達との「いま」を大切にすればするほど、かつて彼がここにいたことの思い出を、そしてこの島で契った約束を、遠い日々の中へと追いやってしまう。あのコテージに泊まりながら、あの帽子を見ながら、そして風鈴の音に何かに気づきかけながらも、あと一歩、肝心なことを思い出せないままなのだ。コテージの扉に貼られた、無断宿泊を詫びつつ感謝する航の書置きを、執事じいやは胸にしまいながら述懐する。

執事じいや「航様はご幼少のみぎりにここに来られたことをすっかり忘れとったようじゃのぉ…。
        坊っちゃま、また来年もお待ちしております…。」

 黄色い帽子は中に置かれたまま、あの日の時を止めたまま。流れない「いま」の記憶を思い出せない航は、来年の夏までに2つの「いま」を結び合わせることができるだろうか。見えないこの宿題は重く、そして航が気づかないうちに、兄妹全員によって担われていく。


終わりに 〜終わりなき日常を生きる〜

 こうして夏の旅行を終え、航は日常に戻る。しかしそれは、今まで妹達と構築してきたそれの延長というだけでなく、この旅行・遭難という断点が入ったことで、日常を失うことの痛みはいっそう厳しく理解され、そして日常を共に生きる妹達への感謝の念はこれまでになく高まった。この感情の確認は次の第13話で徹底され、この「いま」をできるだけ実りあるものにするために、航の姿勢をより積極的なものへと大きく転回することになるのである。
 だが、このかけがえのない「いま」への想いは、全ての妹達にそのまま共有されるわけではない。この旅行を通じて様々なかたちで重要な役目を果たした千影にとって、この「いま」は、航や他の妹達には理解し得ないあまりに異質な意味を有している。やがて第18話で物語られる彼女の遥かな前世の記憶は、千影の「いま」と過去・未来との解き放ちがたい照応を指し示すことになる。ここで、航が踏んだウニを千影が取り払う場面を振り返ると、ウニにはシンボルとして次のような意味があるとされる。

「1.光線を思わせる多彩色のとげをもつので、太陽のエンブレムである。2.生命力、原初の種子を表し、ケルトでは『ヘビの卵』とされた。また副葬品として用いられ、復活、不滅を表す。3.大海の泡から生まれたアフロディテへの捧げ物。」(アト・ド・フリース『イメージ・シンボル事典』、山下圭一郎他訳、大修館書店、1984年、557ページより引用)

 つまり、ウニを踏んで溺れかけた航は沈む太陽(死)の象徴であり、引き上げられるのは再び昇る太陽(再生)を指し示す。ここでは第1話第26話と同様、しかも最も明瞭な象徴によって航の再生の儀式が行われているわけだが、それは遭難という非日常を通して共同生活を捉え直すことで、航が積極的な意識を獲得するためのものだった。そして、千影が「このウニには毒はない…残念だけれどね…。」と呟くとき、それは彼女のいつもの言い回しにすぎないかに見えるが、ウニがアフロディテ(愛の女神)と結びついていることを考えれば、ウニによる航の象徴的な死と再生に、さらに千影がもう一つの暗喩、つまり毒による現世的限界の破壊と前世の愛(=不滅の愛)の覚醒を、重ね合わせていたと理解できるだろう。そうであるならば、航が「千影ちゃんはウニになったのか…。」という台詞も、第11話での潜水艇内での会話を受けたものであるのみならず、こうした象徴の意味を航が図らずも言い当てていたということを示すものとなる。そして、そこまで兄が無自覚に真実に接近していればこそ、千影も本当に「残念」だったのであり、もどかしいのである。
 遙かな前世にて相愛の兄を失い、そして繰り返す転生の後に再びこうして兄とまみえ、にもかかわらず兄にその想いが伝わらない千影の心のうちを想像すれば、あの夜の浜辺での言葉もまた別の響きを哀しげにまとう。

千影「私と兄くんの肉体は、すべからく星から借りた物質で形作られている…。
   だから、星々の意志から解き放たれることはない…。
   みんながここにいるのは、天空の星の運びによって導かれている…。
   私と兄くんが、決して離れられない運命であるように…。
   
みんなと一緒にいられることに比べれば、その場所も、時間も、些細な問題だ…。

 そう、実に些細な。兄と自分とを結ぶ力は、星々によって他の妹達の中にも息づいているのだから。だがそれは、兄と自分との真の結ぼれを阻んでやまないものでもある。千影を翻弄する運命の導きと、それでも必死に足掻く彼女の狂おしいまでの愛と、解き放ちがたくもつれ合いながら、千影は永劫の中の「いま」を耐えていく。そして、その運命が告げる「別れ」との戦いが、ついに始まる。この戦いが今度こそ千影の勝利で終着点を見いだすのか、それとも浜辺で見つめた線香花火の如く燃え尽きるのか、それは「家族」の誰にとっても決して「些細な問題」ではない。


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