アニメ版『シスター・プリンセス』における兄妹関係への契機

〜ブレイクスルーとしての第4話〜



はじめに 〜問題と視点〜

 ウェルカムハウスでの共同生活再生の方向性については、すでに第3話で論述した。そこでは、この方向性に基づく原則(共同生活を維持するための責務、兄と一対一でいる機会の柔軟な確保と相互支援)をふまえて、未だ不安定なこの生活で、いかにして各人が小さな危機を乗り越えていくか、そして相互関係の強化に結びつけていくかについて、具体的に検証していくことが課題として示された。
 このために今回取りあげる第4話「くまさんどこ?」は、一般的には、雛子をヒロインとする1話完結ものとして理解されており、雛子とそれ以外の妹達の描写の格差や、花穂の過度なドジっ子ぷりなどが揶揄されるにとどまっている。しかし先述したように、第3話との関連でとらえるなら、この第4話は、各人が兄と一緒にいるさいの新たな原則に合意した妹達が、初めてその原則の適用に努力する姿を描いていると予想できる。この観点にたてば、雛子はもちろん花穂達の行動も含めた一切が、その努力の一環として新たな意味を獲得するはずである。
 また、この第4話は、千影のタロット占いのシーンが随所に登場する最初の回でもあった点でも注目されねばならない。しかもそのシーンは、必ず千影がカード絵とともにその意味を語ることで、ストーリィの転回点を象徴的に予示するという、重要な役割を与えられている。これまではあくまで視聴者の解釈に委ねられていた千影の役割が、この第4話でようやくその一端を明らかにするに至ったのだ。この重要性を検討するためにも、本論では、千影の占いによって示されたカードの順にしたがって、雛子、航、他の妹達のそれぞれの視点から、第4話の意味について考察していくことにする。


1.「不安、か…。」 〜XVIII. 月(The Moon)〜

(1)雛子の夢

 なぜ最初のヒロインが雛子だったのか。ここで問うのはもちろん、アニメ製作者側の都合という外的要因ではなく、作品内での根拠である。これを考えるために、まずシリーズ各話の構成を確認してみよう。

1-3 4 5-6 7 8 9-10 11-13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23-26
内容 導入 雛子 理解 咲耶 鞠絵  衛  夏休み 可憐 亞里亞 花穂 春歌 千影 白雪 X'mas 鈴凛 四葉 大団円

 一見して、ヒロインの順番には何の秩序もない。だが、航と妹達の関係がはっきりと相互的なものになっていく夏休み以降とそれ以前に区分すると、それ以前にヒロインになれたのは、12人のうち雛子、咲耶、鞠絵、衛の4人のみ。しかも、咲耶はメインというにはやや不本意な展開、鞠絵は急病という突発事態、衛は夏休みにむけての水泳指導という内容を考えると、雛子ほどに自分の個性を発揮するだけで航を引き回した妹は、前半部では存在しない。これは、雛子という最年少の妹の特殊な性格を間接的に指し示す、一つの材料となる。あえて言えば、この最も早い時点でヒロインになることは、雛子以外では不可能だったのではないだろうか。
 そのことは、妹達がこの当時陥っていた状況から、ひとまず間接的に証拠づけられる。第3話直後のウェルカムハウスでは、たとえ妹達が兄をめぐる権利原則の変更に最終的に同意したとしても、だからといってすぐに「ではまず自分から」という態度には、誰しもなかなか出られなかったのではなかろうか。いったんは破局の危機にも直面しただけに、お互いがやりすぎを遠慮し、あるいは無意識に牽制しあうことにより、ぎこちなさがどうにも払拭できなかったと考えるのが、ここでは妥当である。
 つまり、第4話の冒頭までの共同生活については、各人が当番責任を果たすことで一応維持されているものの、しかしその内面では、いまだに兄妹の親密な関係を結べないままという状態をやむをえず続けていた、ということになる。いったんは新しい柔軟なルールにしたがうことを決めながら、それを適用できる状況にまで踏み入ることのできないもどかしい共同生活は、妹達に欲求不満を与えるほかなかったのだ。
 そして、この不満を解消し得ない閉塞状況に対して、最初に我慢の限界に達したのが最年少の雛子であったのは、ごく自然な成り行きだった。心的ストレスは、理性的抑制が働きにくい幼児の方が早くに現れる。それは雛子の場合、二つのかたちをとって表面化した。一つは最近朝寝坊が続き「頭の中がねむねむでいっぱい」であると語られる睡眠障害という症状、もう一つはその睡眠中に見る熊のぬいぐるみの夢である。
 だが、この二つの原因を、兄との関係性の阻害にのみ見いだすことは、果たして適切だろうか。熊のぬいぐるみがもつ象徴的な意味について調べてみると、どうもそれだけではない。

「動物の中の婦人像・母親像であり、オスは女性性をもつ動物で、無意識における『恐ろしい母親』Terrible Motherのイマゴである。夢に出てきた場合、自己の獣性のシンボルで、無意識の危険な側面を示す。」(アト・ド・フリース『イメージ・シンボル事典』、山下圭一郎他訳、大修館書店、1984年、p.49-50)

「春、冬眠から覚めた熊が巣穴から出て、すっくと正面を見据える」姿が「母親や庇護者、秘儀伝授者」を連想させる。また、その「発達した母性愛」から、「人間と熊とが共棲せざるを得なかった洞穴の中では、乳のみ児を抱えた母親が授乳中の牝熊の優しい懐に子供を託したかも知れない。こうした熊のイメージが根強く存在しているが故に、今でも幼児の最高の玩具は自分の背丈を上回るような熊のぬいぐるみなのであり、幼児も遊び相手として、またたどたどしいおしゃべりの聞き役として、『熊さん』をなかなか手離したがらないのである。」(ジャン=ポール・クレベール『動物シンボル事典』、竹内信夫他訳、大修館書店、1989年、p.129-134)

 これらの指摘をふまえるならば、まず、兄をめぐる現状に対する雛子の欲求不満は、抑制困難なレベルにまで高まっていたと考えられる。しかし、さらに雛子は、母親や庇護者としての存在を強く求めていたとも言えるだろう。妹達の家族については、この作品内で語られることは稀である。しかし、妹達がここに集合するまでは全員別の家庭で暮らしていた以上、それぞれに同居する親がいたことはほぼ間違いないだろう。幼児期の雛子にとっては、とりわけ母親との別離という現状は、たとえ年上の妹達が数多くいようとも、母性愛による庇護を求める衝動を満足させるものではない。あるいは逆に、大人数による共同生活が、雛子に人間関係によるストレスを与えていた可能性のほうが高い。つまり第1話以来続いていたこの庇護感の欠落が、兄との関係の不十分さによってさらに強められ、睡眠障害や夢を生起させているというのが、雛子の症状のより正確な理解ということになるだろう。夢の中で見た巨大な熊のぬいぐるみは、これに抱きつく雛子に満足感、被抱擁感を与えてくれるが、それらが好ましければ好ましいほど、覚醒時の喪失感と欲求不満は、「ヒナのくまさんはー!」とベッドで暴れる姿が示しているように、いっそう激しいものになる。しかも雛子は、それが親子関係の一時的欠落によるものだとは認識できずに、ただ心身の不調に悩まされるしかない。すなわちこれが雛子の「不安」である。

(2)航の否定的自己像

 次に、航の行動と心理の変化を検討しよう。
 第3話で航は、まだみんなのことを知らない、という言葉によって、現状を拒絶していた自分の意識を妹達に向きなおした。これは共同生活を自発的に維持するにあたり、何よりもまず必要な変化だった。
 だが、この変化が全てを好転させたわけではない。実際に共同生活を続けるにあたり、妹達を知るだけで自分の責任を果たせはしない。受験勉強だけに専念していればすんだ先日までの生活とは異なり、何事かの家事雑用に日々従事しなければならないのだ。認識主体としての航が、行動主体としての自分自身と乖離しつつある状況が、ここに生まれた。ただし、これはこの第4話に始まったことではない。第3話でも航は「この島に来て体力だけは自信がついた」と言っているが、それはこの作業を通じて培われたものである。つまり、この第4話で彼が直面した問題は、この作業の肉体的な辛さとともに、いっそう強まりつつある精神的な辛さでもあった。

航 「みんなで暮らすって大変だね。みんなと色々やらなければならない。
   みんなと色々合わせなければならない。みんなと色々って、本当に難しい。」

 アバンタイトルでそう独白する彼の右手には、絆創膏が何枚も貼られている。衛がここで言うように、航は画面左側にある洗濯用の物干しを設置し、その不慣れな作業のために手に怪我をしたのだろう。その兄の努力に衛は例を言う。しかし、これに航は反応せず、「これは夢だ。夢に違いない。そんな馬鹿な。」とつぶやく。いったい何が彼に夢と思わせているのか。それは、共同生活を維持するために「しなければならない」作業の強制性と、その徒労感・無力感である。日々の当番をやむをえない必然的労働として捉える航は、それらの作業を自発的にこなすことができない。そして四葉に掃除の不手際を指摘されるように、生まれて初めて行うそれらの作業の首尾も、あまり芳しくはなかった。強制的にせざるをえない、しかも結果のでない作業に、航はさらにやる気を失っていく。物干し台にしても、彼は相当苦労を重ねてようやく完成させたのであろうが、それが達成感につながるよりも、むしろ「終わりなく続く苦役の一部」として、シシュポス的な徒労感だけを負ってしまったのだ。
 そして、精神的な辛さは、妹達と「合わせなければならない」ことにもあった。中学生まで自分のプライベートを必要以上に確保してきた航にとり、このウェルカムハウスでの共同生活は、時間的・空間的な余裕のなさのみならず、複雑な人間関係の中で物事を処理していかなければならないという苦労も担わされるという点で、非常に厳しいものだった。必ず正解がある受験勉強的判断に過度に習熟している一方で、このような対人関係こそ、彼には全く不慣れな難問である。四葉との会話で「きれいに外掃除をしなければならない」とだけ判断した航は、亞里亞が何をしているのかを深く考えることなく、彼女が眺めていた落ち葉をゴミ扱いして失敗する。状況や相手に応じて行動を変えるということが、おそらく妹達相手でなくとも、いかに不得手かここで分かる。
 ここで、航は、自分がこの日常的作業では無能であると理解する。結果だけを○か×かで判断すれば、否応なくそう自己理解せざるをえない。その挫折感は作業にとどまらず、白雪と出会い頭に衝突して朝食の皿をぶちまけられることから、ただ歩いているだけでも駄目なのではないか、何をやってもうまくいかない、という自己否定的段階にまで達してしまう。「できる」生徒だった自分が「できない」生活人である自分に直面した動揺、すなわちこれが航の「不安」である。

(3)花穂の役立たず

 では、雛子と航以外の妹達はどうだろうか。
 第4話の本編は、朝の掃除の場面から始まる。四葉は航の外掃除の具合をチェキしつつ厳しい評価を下している。その横で亞里亞は葉っぱ見をして遊んでいる。可憐は洗濯物を干し、航に手伝ってもらい、風の悪戯で兄に押し倒されるという嬉しいハプニングに見舞われている。鈴凛は今起きるところであり、咲耶は身だしなみに余念がない。鞠絵と春歌はお茶の用意を、白雪は朝食の仕度を整えている。
 第3話で示された当番表には、今回の状況に明確に当てはまる曜日は存在しない。しかし、これは既に、各人がおおよその当番を守りつつ、お互いが自分からすすんで助け合ったり、当番を入れ替えたりするようになってきた、という証拠でもある。この点をみても、以前までの形式的な共同生活原則が、徐々に親密な感情を基礎とするものへと置き換えられつつある状態が、看取できるだろう。
 また、春歌が桜の柄のティーカップを並べれば、鞠絵が桜のフレーバーの紅茶を用意するというように、感性のレベルでの共感的理解が、妹達相互でなされていることも分かる。そして、春歌にしてみればここで鞠絵に一目おくところであり、妹達の間での競争は、このような競争相手への敬意をも生み出す程度にまで、健全な段階に進んだといえる。もちろん妹間で評価されることは、航をめぐる競争の中で有利な位置を占めることにもつながる。このような間接的努力は、咲耶のおしゃれのような兄に対する直接的努力と並行して、今後なされていくことになる。
 だが、これらの変化の一方で、やはり抜け駆け的な反則技もまた健在だった。おそらく昨日最新の香水を入手した咲耶が姿を見せないうちに、航に偶然押し倒されて、しかもすぐに起き上がるどころかわざわざシーツで身を隠すという可憐の戦術は、傍目には受動的ながら、きわめて攻撃的に考え抜かれたものであった。強風の朝に洗濯物を干すというあたりから、すでに偶然ならぬ筋書きが始まっているのだろうか。間近に感じた可憐の香りの記憶に、咲耶の下ろしたての香水が打ち勝てなかったことは間違いない。

 このように、他の妹達がそれぞれの役目を果たし得ている一方で、しかしその輪から外れてしまっている者もいた。花穂である。
 彼女は、お手伝い要員の最年長者として、雛子と亞里亞の面倒をみる立場にある。なかなか起きない雛子を何度も起こしにくる姿は、その役割の自覚をもって努力するさまを示しているが、しかしあまり強く言ったり叱ったりできない性格の花穂は、下の子のしつけにまで十分に行き届かない。日頃から、花を育てるなどの分野では一目おかれることもある彼女だが、それはやはり日常的などじっぷりによって相殺されてしまっている。さらにここしばらくの雛子の生活態度に対して何もできない自分のありさまに、「果たして自分は、この共同生活で役に立っているのだろうか」と苦悩する心は、他の妹達、とくにすぐ上の衛が有能(2歳上だが、花穂が当番4回に対して衛は10回)であればあるほど、いっそう「自分だけが無能なのでは」と痛ましさを強めていく。すなわちこれが花穂の「不安」である。これは、いつ何時他の妹達にも降りかからないとは限らない潜在的な不安としてもとらえることができるだろうし、そこまで想像せずとも、今回の航の不安とほぼ重なり合う性質のものだった。


2.「卑屈、か…。」 〜XV. 悪魔(The Devil)〜

(1)雛子の家出

 夢で抱きしめた熊のぬいぐるみは、目覚めればそこにはいない。このような日々の繰り返しが今後も続けば、雛子は自律神経失調の傾向をさらに強めていくことになったであろう。しかし、雛子の理性は、そのような心身の状態に限界まで耐えようとするだけの力を、幸いにも持ち合わせていなかった。彼女は、自分が求めているものを、自分から探そうとし始める。だがそれは、現実の庇護者のもとに帰るという行動としては示されなかった。夢に見たぬいぐるみの解釈などもちろんするわけもない雛子は、「クマさんがいないから、ヒナの頭ねむねむがいっぱいなの」という(これ自体は象徴的に正しい)理解にたって、きわめて直接的に熊のぬいぐるみを求めて家を出たのである。これは確かに、現実と夢とを混同するという点で、雛子の幼児性の表れであるとともに、そこまでの行動を余儀なくされるほど、彼女のストレスに由来する衝動が強い力を持ってしまっていたということも意味している。
 ところで、雛子が書き残した置手紙には、「クマさんをさがしにいきます。ヒナ」とある。わざわざこういう手紙を残すというのは、他の妹達に心配をかけさせないという雛子なりの配慮であり、このような気遣いをする余裕があったのであれば、雛子の精神が追い詰められていたと考えるのはやや疑問かもしれない。だが、第3話で可憐が咲耶に書き残していったのではないかと想像した手紙の存在を、ここであらためて思い起こそう。つまりあの朝、咲耶がその手紙を手に皆の説得をしていたさい、雛子は、置手紙を書いて出て行くという行動パターンを知り、今回それを真似してみたのではないだろうか。模倣欲求とは幼児の基本的性質である。

 この雛子の突発的な家出は、あまりに身勝手な行動であることは否定しようがない。千影が引いたカードの「悪魔」とは、ここでは、「卑屈」というよりは、「悪い衝動にしたがう」「理性を失う」といった方の意味に近いが、まさにそのようなものとして、雛子は皆に迷惑をかける行動に出たことになる。
 だが、これは、ウェルカムハウスの妹達を押し包んでいた閉塞的状況からすれば、停滞を粉砕するまたとない機会でもあった。つまり、互いに遠慮し牽制しあう袋小路を一気に突破できたのが、この雛子ということになる。幼稚園児あるいは小1である彼女の幼児性は、年長の妹達の遠慮・牽制を考慮することなく、非常にわがままな行動を可能にさせたのだ。
 そして、航が船着場まで追いかけてきたことで、雛子は、今回ヒロインとなることが確定した。妹達の間で決められた原則を自覚しているかどうかはともかく、雛子はどこまでも自分の求めるままに、兄を従わせていく。それは、彼女が欲していた庇護感、自分の欲求を満たしてくれる存在への渇望をも、まさしく充足させていく過程だった。

雛子「じゃ、ヒナにあーんして!」

 パーラーでケーキを兄に食べさせようとし、それをやんわりと拒絶されたときの雛子の台詞。甘えるだけ甘えたい彼女の上に広がる店の看板は、その名もずばり「CAFE PHANTASIA」。この店こそ、雛子の夢が最初に現実と交錯する場なのである。

(2)流される航

 雛子を追いかける直前の航は、眞深が報告するとおり、もはや「ターゲットは共同生活に一杯いっぱい」であった。それは、日常生活で無能な自分の姿に直面することで、いっそう厳しいものとなっている。そしてその一方で、都に戻ればせめて自分の取り柄である受験勉強の能力を存分に発揮できる場所があるはずだ、という感情が、航の中で首をもたげる。第3話でも彼は「ここにいたら3年後は…」と呟いているが、現状の自己否定感情が強ければ強いほど、都の魅力は高まり、自分がここにいるべきではないのでは、という焦燥感に支配されていく。実際に通学できる高校が都内になく、もし戻れても第1話での挫折感を味わうに決まっている以上、これはたんなる現実逃避でしかない。しかし、この「卑屈」な逃避衝動に頼らざるをえないほどに、しかも「やっぱりぼくには無理なんだ。ここにいるの」と白昼堂々荷造りをしてしまうほどにまで、航の心身は疲労していた。(この時用意していたバッグは、この時点で片付けていなければ可憐に見つかり、後述する彼女の不安の裏づけとなったことだろう。)

 だが、ここで花穂が雛子の家出を航に告げる。航は一歩先んじられ、やむなく雛子を連れ帰るために、各所を捜索することになる。ここでも、自分が強制的に「しなければならない」事柄を、依頼されて行っているにすぎないが、ただ一つ彼が示した積極的な対応は、他の妹達を心配させないために、秘密を守るよう花穂と約束したことだった。これは、妹達の心理を慮ったという点で、非常な前進であり、日々の心労が決して無意味ではなかったことをうかがわせる。そして、 船着場へ向かった航は、雛子を発見するが、船頭じいやに雛子ともども島を離れるのかと訊かれ、雛子の喜びように動揺しつつ、自分から否定する。たとえ義務感から発せられたにせよ、これは航の意志から出た言葉であることは間違いない。そして、

航 「ぼくでよかったら、話してくれるかな?」

と問いかける航の姿は、雛子の気持ちを理解し、何かをしてあげたいという、彼なりの懸命な努力のさまを示している。しかし、この努力が航自身に肯定的に受け止められるようになるまでには、いましばらくの回り道が必要だった。

(3)花穂の混乱

 雛子の部屋の前で声をかける花穂に、咲耶が姿を現して話しかける場面へ立ち戻ろう。
 このときの花穂の「咲耶ちゃん!…あの、雛子ちゃんが起きないの…。」という台詞の「あの、」というためらいは、困惑と、自分の役割を果たせないことへの申し訳なさを滲ませている。もちろん咲耶は花穂を責めたりはしないが、「あら、また?」という台詞は、間接的に花穂を責めているものと受け取られてしまうだろう。結局雛子を起こすのに、咲耶の手を借りてしまった花穂が、自責の念と咲耶への気後れを感じていることは、その後も雛子の様子を見にくる弱々しい姿からも分かる。がんばっているのに、うまくできない。この「ドジっ子」の悲哀と「卑屈」は、花穂自身にしか分からない。

 そこへ、雛子の失踪である。花穂の衝撃は、ただ「雛子ちゃんがいなくなった」ことだけのものではない。自分が責任をもって面倒みるはずの雛子に対して、その責任を全く果たせなかったことへの衝撃が、そこに付加されている。ここで花穂が助けを求めて飛び込んだのが、航の部屋だったことも意義深い。これは、近くの部屋にたまたまいたのが航だった、ということだけではないのだ。花穂は、すでに先のやりとりで咲耶に後ろめたさを感じていることもあり、また先ほど雛子の部屋に入るさいに転んだことでも、自分の能力への不信感を強めている。ここで年長の妹達に雛子の失踪を話すことは、花穂の無能さをいっそう際立たせることにもなる以上、とうてい彼女にはできなかった。一方、航はといえば、第2話の段階で、花穂を含む妹4人に、自分が守ってあげる、という意思表明を行っている。いなくなった雛子も守り、そして困りきった花穂自身も助けてくれる人は、この頼れる兄しかあり得なかったのである。
 こうして花穂は、精神的にきわめて追いつめられた状態で、航のもとに駆け込む。

花穂「様子がおかしいの!」
航 「花穂ちゃんの?」

 このやりとりは決して冗談ではなく、航から見てそれほどまでに花穂が異常な心理状態にあったことを示している。「お兄ちゃま、だって…だって…」と有無を言わせぬ花穂の懇願に、航は雛子を探すことをやむなく請け負い、花穂はそれを聞いてようやく安堵の笑みを浮かべるのである。
 そして、ウェルカムハウス内に雛子がいないことを知った航は、船着場へと向かうが、その前に花穂に「みんなが心配するといけないから、二人だけの秘密にしよう。」と約束する。この約束は、花穂にとって、自分を見込んで兄がしてくれたものである。先ほどまで自分の存在価値に不安を覚えていた花穂は、こうして、兄との約束を守ることに絶対的な意義を見いだす。そしてそれは、妹達が合意した兄をめぐる相互扶助の原則を、花穂が雛子のために最初に適用しようとすることでもあった。この重大事にあたって面目躍如を果たすべく、花穂の気合いはほとばしる。

花穂「花穂、ぜったいにしゃべらないもん!」

 この言葉は、咲耶や可憐が相手であるだけに、よりいっそう強い口調となる。兄は自分だけにしてくれた約束を守ることが、自分の危うい存在意義を特別なものとして支えるのであり、また約束を守ることで航が雛子を安全に連れ帰れるようになるという信念を確実なものにする。この信念はいかにも非合理的に思えるかもしれないが、いつも「お兄ちゃまを応援」したがっている彼女にしてみれば、兄を応援する(約束を必死に守る)ことで兄が自分の求めるもの(雛子の帰還)を実現するという論理は、決しておかしなものではなかった。そしてある意味では、この約束を守る態度そのものが、花穂の個性を兄に対して発揮する機会でもあったのだ。花穂の喜劇的ともみえる一連の行動は、こうして理解しうるものとなる。


3.「露見する、秘密…。」 〜IX. 隠者(The Hermit)の逆位置(Reverse)〜

(1)航と雛子の熊探し

 パーラーでケーキを食べさせたのは、航にしてみれば、これで雛子を満足させて、そのままウェルカムハウスに連れて帰ろうという算段だった。しかし、この目論見は、雛子がぬいぐるみのことを全く忘れていなかったがゆえに、もろくも失敗する。大泣きされた航は、勢い、「クマさん探しに行こうよ。」と自分から進んで言ってしまい、ただちに「あ、そんな馬鹿な…。」とうなだれる羽目に陥る。これこそ、カード「隠者」の逆位置の別の意味、「愚行」ということである。これは、ぬいぐるみ店で他の動物に興味を持たせようと試みながら、わざわざ小さな熊のぬいぐるみを手にして、「くんくんくん。はちみつのにおいがするねー。パンケーキ食べた?」などと人形遊びをしてしまい、雛子に肝心な欲求対象の欠落を思い出させてしまうという、「軽率」な振る舞いにも示されている。
 ところで、この人形遊びの仕方といい、しゃがんで低い位置から雛子に話しかける姿勢といい、航の行動は、たしかに彼自身の目的を達成しないものの、しかし幼児相手に見事に対応したものとなっている。もちろん価値基準を受験勉強や行動の結果にだけおく彼は、自分のこのような取り柄にはまだ全く気づいていないのだが、これまでの日々で彼が雛子達の遊び相手となり、他の妹達の振る舞いをみて学んだことも、決して無意味ではなかったのだ。

(2)花穂の失敗

 ウェルカムハウスで兄達の帰還を待つ花穂だが、彼女と兄との約束は簡単に破られてしまうことになった。雛子がいないのを不審に思う咲耶は、花穂に再三そのことを尋ねる。これに花穂は、「絶対しゃべらない」の一点張りで押し通す。しかし、咲耶のストレートな物言いに対して、可憐はさすがに見事な変化球を投じた。 「雛子ちゃんお昼寝かしら。そっとしておいてあげましょ。」という可憐の言葉に、ようやく危機が去ったと安心した花穂は、その隙を狙って可憐が何気なく放った「そういえば、お兄ちゃんも見ないけど」という一言に、兄が雛子を探しに行っていることをつい教えてしまうのだ。まさに文字通りの「露見する秘密」、これではドジっ子の面目躍如である。そして花穂が「お兄ちゃまとの約束、破っちゃった…。」と悲しむ姿に、その約束の意味が重大なものだったことを看取した可憐は、「黙っているの大変だったでしょう?」とその苦労をねぎらうことで、約束を守ろうとした努力そのものを評価し、花穂の自己否定感を払拭しようと努めている。この一連のやりとりには、花穂への原則適用が示されているとともに、第3話と同様、可憐の類稀な対人技術の冴えが見て取れるだろう。

 ここで花穂を励ましながら、可憐と咲耶は表情に一瞬不安をよぎらせる。とりわけ可憐のうつむく顔はその色が強い。これは、航が雛子を無事に連れ戻せるかどうかを心配しているのではない。いや、それもあるが、正確ではない。航が雛子を保護できることは、おそらく可憐も咲耶も全く疑ってはいないはずである。むしろ彼女達にとって心配なのは、結果主義の兄がぬいぐるみを発見できなかった場合のことであり、さらに言えば、このまま航が島から出て行ってしまうことなのだ。だがそれでは雛子は連れ戻せないではないか、という疑問が当然ここで出るだろうが、しかしそれは、航が雛子を連れて島を離れてしまえば問題の前提から崩れてしまう。
 この予測の根拠は、第3話で航が雛子と亞里亞と一緒に手をつないで下校するシーンにある。この場面で航は、「それにしても、二人とも無邪気っていうか何ていうか…。こういうのも悪くないかもな。」と独白しているのだ。様々に心痛をともなう妹達との関係の中で、この最年少の二人については、航はそれほど悪い印象をもっていないことになる。こうしてみれば、その一人である雛子だけを連れて、航がこの機会に島を離れるという危険性は、可憐達にしてみれば決して小さくなかったのである。


4.「転換期…。」 〜X. 運命の輪(Wheel of Fortune)〜

(1)航と雛子のつながる心

 だが、ついに決定的な転機が訪れる。
 島の各所を捜し歩いたあげく、ついに雛子は疲れてふてくされてしまう。ここまでの探索行で何度も挫折してきた航は、しかし、気がつけばその程度の挫折に耐えるだけの力を身につけていた。雛子に「帰ろう」「明日にしよう」とごまかしを言うこともなく、彼は雛子に優しく語りかける。

航 「そ、そうだよね、ずっと歩きっぱなしだったもんな…。雛子ちゃん、ここで休んでて。くまさん探してくるからね。」

 これこそ、雛子が捜し求めていた、雛子のために自分から尽くしてくれる庇護者の姿だった。
 店の中、通行人、至るところへぬいぐるみの情報を求めて、諦めることなく駆け回る航の姿。成果がすぐに出なくとも、見た目は格好悪くとも、粘り強く努力する航は、さっきまでの彼自身とはすでに大きく異なっている。そして、これを見つめる雛子は、やがて兄の傍らにそっと寄り添い、その指を握る。

雛子「おにいたま、ヒナも行く。」
航 「え…?」
雛子「ヒナもがんばってクマさんさがす!」
航「…うん。」

 つながる指。それは、兄が自分を想う気持ちを、その一生懸命さを、雛子が心から受け入れ、喜び、満たされた瞬間だった。そしてそれはまた、航が、「雛子のために」という孤独で一方的な努力から「雛子と共に」という協働へと、その行動を転回させた瞬間でもあった。自らも疲労しつつあった航の心は、彼と共にあろうとする雛子によって励まされた。二人はそれぞれの心に大きな「転換期」を迎えながら、互いの手を握って再びぬいぐるみ探しに歩き出す。おもちゃ屋じいやに拒絶されても、二人は微笑みながら、共に次の一歩を踏み出していく。その後姿を見つめるじいやの表情は、いかにも満足気であった。ただし、その背後には一つの懸念が存在してはいたが。

(2)見守る妹達

 一方の妹達は、兄が島を離れる危険もふまえたうえで、航の帰りを静かに待った。それは、第3話で可憐が兄を追った行動とは、明らかに一線を画している。これこそが妹達の「転換期」、それは兄を信じる心のあらわれであり、同じ妹としての雛子を信じる心のあらわれであり、「今日は雛子の日」として自分達の原則を破るまいとする懸命な振る舞いでもあった。こうして花穂の不安は妹達全員の不安と結びつき、長い一日に耐える姿も共有されていく。
 そして、妹達の努力は報われた。ついに航は、雛子を背負って夕日の中を帰還したのだ。これは、彼女達にとって、兄を信じる心の勝利であり、また自分達の原則の完全適用に初めて成功した瞬間でもあった。雛子は兄との今日一日を他の妹達から委ねられ、雛子はそれを満喫し、そしてある意味では兄をウェルカムハウスへと連れ帰り、その義務を原則通り見事に果たしたのである。相互監視の状況でなくとも、最も幼い妹でさえも成功したというこの経験が、その後の妹達相互の信頼関係に寄与したことは間違いない。これもまた、一つの巨大な「転換期」であった。


5.「全ては、試練…。」 〜XII. 吊られた男(Hanged Man)〜

(1)雛子のぬいぐるみ

 しかし、ここまできてどうしても気になるのが、なぜ最後にじいやが登場してぬいぐるみを渡すのか、についてである。「たんなるジョギングしているじいさん」として登場し、しかも「落し物」として無理矢理に巨大なくまのぬいぐるみを置いていくというあまりに強引きわまるそのやり口、そしてせっかくこのまま大団円という場面での蛇足とも思えるアンチクライマックスと、航ならずとも「そんな馬鹿な」と叫びたくなるシーンである。だが、そんな感情を抑えて問うべきは、なぜじいやがこのような横車を押したのか、なぜあえてそこまでする必要があったか、ということだ。
 それは、雛子と航の関係の変化に、じいやが肯定的な面のみならず、ある問題をも見出したからにほかならない。その問題は、雛子と彼女ををおんぶした航との次のやりとりに端的に示されている。

雛子「おにいたまのせなかは、あったかくてよくねむれるの。だからヒナ、おにいたまがいれば何もいらない。」
航 「雛子ちゃん…。」

 この心温まる会話は、しかし一方で重大な危険性をはらんでいる。もし本物の熊のぬいぐるみが登場しないままで今回の一件が落着したとしよう。すると、雛子は、夢で見たぬいぐるみの代わりに、現実の兄の背中に、自分を抱擁してくれる存在を見出したままということになる。「またこんど、いっしょにさがしに行こうよね」ではないのだ。ここで、熊のぬいぐるみの象徴的意味を思い出さねばならない。それは母性愛と強く結びついたものであった。航の背中の温かさが熊のぬいぐるみへの欲求を代替するとすれば、それは、航の包容力が母性的なものとして雛子に受け止められるということを意味する。これは、航が兄として認識され成長することを妨げるとともに、航と雛子の関係を他の妹達よりもはるかに緊密なものへと高めてしまうといった危険性を有していた。であればこそ、この危険を確実に回避するために、じいやはきわめて直接的な対応策をとることとなった。つまり、実際に巨大な熊のぬいぐるみを雛子に差し出すことで、雛子が投影した母性を航からぬいぐるみへと転じさせ、航と雛子の関係が、望ましい兄妹の枠内で発展しうるよう取り計らったのである。
 こうして雛子は、夢に見た熊のぬいぐるみを手に入れることができた。しかし、それはもちろん、彼女が本当に求めている母性的なものの代替物にすぎない。今後の共同生活の中で、雛子はいずれ再び欲求不満を募らせていくことになるだろう。そのとき、この熊のぬいぐるみに話しかけながら、彼女は共同生活に耐え、兄との関係をいっそう強め、自らを成長させていくことができるであろうか。とりわけ、既に今回兄と親密な一日を送ってしまった雛子は、他の妹達が兄と親しくする姿に「自分の番はまた今度」と我慢できるだろうか。これが、雛子のこれからの油断ならざる「試練」である。そして、彼女がこれに立ち向かっていくであろうことは、第13話でベッドに眠る雛子を奥にして手前にこの熊のぬいぐるみが映されるとき、あらためて確信できるのだ。

(2)航の自負

 雛子を背負って帰路につく航は、ようやく朝方の事情を思い出し、「あ、しまった。ここを出るのすっかり忘れてた」と自嘲する。だがその挫折感は、これまでの徒労感だけに終わる日々とは異なり、彼に充足感を与えるものでもあった。直接的な結果が得られなくても、その努力の過程で、人は大切なものをかち得ることができる。これは、今まで受験勉強の○×的結果主義で塗り込められていた航の価値基準を柔軟にし、そして彼自身の自己評価をも、より肯定的に変えていくものだった。
 航は、出迎えた花穂の頭をなで、熊のぬいぐるみは見つけられなかったが、

航 「いつか見つけられたらいいね。」

と微笑む。そこには、今日の努力への満足と、自分への信頼が宿っている。そして、それが自分だけの力で得られたものではないことまでも、彼はこのとき気づいていた。

雛子「おにいたま、今日はいっぱいいっぱいありがと。」
航 「ぼくこそ今日は、いっぱいいっぱいありがとう。」

 彼は、最も幼い妹に感謝した。彼は感謝する心を学んだのだ。それは雛子だけでなく、全ての妹達と共にいられることへの感謝へとつながっていく。

航 「みんなで暮らすって、本当に大変だね。
  でも、みんなといろいろ考えればいいんだ。みんなといろいろ悩めばいいんだ。
  みんなといろいろって、本当に難しい。けど、こんないい子達に囲まれてるし。」

 こうして航は、共に努力に助け合える、妹達の援助を素直に受けることもできる、共同生活の一員になったのだ。だが、彼自身が未だ十分な生活能力を持っているかといえば、それはもちろん否である。生活技術をはじめ、自分が今まで「無価値である」と忌避してきた苦手な物事に、これからは妹達と共に立ち向かわなければならない。これが航の「試練」であり、その試練に耐えることがいかに困難かは、第6話の演劇でも、第9-10話の水泳特訓でも、何度となく繰り返し示されることになるだろう。

(3)妹達へのプレゼント

 今回のもう一人のヒロインであった花穂も、最後にかけがえのないものを手に入れた。家で待ちわびていた可憐と咲耶が出迎えるその後ろから、花穂は約束を破ったことを兄に謝る。しかし、兄が微笑んで花穂の頭をなでなでするとき、彼女の不安は完全に解け、信頼できる兄と、その兄に認めてもらえた自分とを、ともに誇らしく思えるようになった。そして、だからこそ自分のことばかりでなく雛子の心配までできるようになり、「でも、くまさんは?」と問えた。雛子の求めていたものが得られたのかを、可憐達よりも先に問えたのだ。これこそ年長者に相応しい態度ではなかろうか。冒頭では自分の役割を果たすためにひたすら汲々としていた花穂は、この日の息詰まる戦いに耐えて、本当に下の子を思いやれるようなお姉さんへと、少しだけ成長したのである。

 そして、他の妹達も大きなものを獲得した。熊のぬいぐるみが入っていたプレゼントの箱の底には、「よい子のみんなへ」というカードが入っていたが、この言葉はぬいぐるみ自体を指し示すものではない。これは、じいやが、熊のぬいぐるみによって雛子と航の関係を適度に切断し、雛子も含む全ての妹達の兄として航を再び取り戻させたということを意味している。そしてその兄は、今回の雛子との協働で精神的に成長し、妹達と共にいることのできる存在となっていた。つまり、じいやのもう一つのプレゼントは、このような成長した航そのものだったのであり、熊のぬいぐるみを送ることはこのような二面的な意義をもっていたのである。

 最後の場面では、「月に一度の大潮」によって、島から本土への道が開ける。可憐・咲耶・四葉・花穂・雛子が心配そうに、しかし黙って見守る中、航は、自分でこの島に居続けることを決意する。

航 「いつでも帰れるんだ。だったら、もう少しいてもいいかな。
  でもぼくのことだから、またいつ『帰りたい』って言いだすかもしれないけどね。」
咲耶「大丈夫、ずーっといたいって思わせてあげるから!」
可憐「うん。」

 もはや航は、こそこそと島から逃げ出すことを目論見はしない。兄は妹達に堂々とこの可能性を伝えられるようになり、妹達はそんな兄の誠意を信頼できるようになった。もちろん、この共同生活を一緒に支えていくためには、兄にも妹達にもいまだ不十分な点が少なくはない。だが、希望と信頼をもってそれを共に乗り越えていくこと、「ずっといたいって思わせる」ことこそ、妹達のこれからの喜ばしい「試練」となるはずだった。そしてその機会は、妹達以外の女性が兄のメル友となる第5話で、引き続き得られることになるのである。


おわりに 〜隠れた努力〜

 以上考察してきたように、この第4話では、雛子の家出を通じて、兄妹全員の自己認識と信頼関係の発展が示されていた。脆弱な形式でしかなかった兄をめぐる原則は、こうして成功を収めることで確固たるものとなった。この機会を与えるのは、最も衝動的な行動が可能な雛子でなければならず、そのすじみちは、共同生活による不満から確保されていた。最初のヒロインが雛子である理由はここに論証され、そしてもう一人のヒロインである花穂の成長についても指摘しえた。そして最終的には、航は妹達と共に生きることを選択し、妹達はこれに信頼で応えた。ようやく彼らは、本心を互いに打ち明けて支えあえる兄妹関係への第一歩を、共に踏み出すに至ったのである。

 ところで、あらためて注意すべきは、千影のタロットが、各人の状態や行動を見事に予言していることである。これは、作品制作側に立てば、そのような構成をあらかじめ含意させているということの表れであり、このアニメ作品がやはり綿密な配慮のもとに作られていることの一つの証左として、積極的に受け止められるべきだろう。
 しかし、これを作品内の観点から捉えなおすとすれば、いかなる意味をもつのか。このタロットは、今後の推移を予言する占いであるのか、それとも何か別の意味も持ち合わせているのか。占いの悪しき結果に対しては、第3話第5話で千影は航にそのことを直接伝えている。しかしそれ以外にも、千影自身が何らかの対応行動を独自にとっているということも考えられるではないだろうか。この仮説の鍵となるのが、窓から見下ろす千影の次の台詞である。

千影「精霊達も喜んでいるよ…。」

 なぜ精霊達は喜んでいたのか。それは、兄達の成長や関係性の発展によるだけでなく、精霊達がそれらのために働いていたからではなかろうか。タロットで予知された悪しき運命を変えるために、千影は精霊達と共に、他の妹達のあずかり知らぬところで戦っていた。これこそは、当番表には記されない千影固有の責務なのである。だとすれば、今回の結果は兄達の意志にかかるところがもちろん大きいとしても、これを超次元的な方面から支えた千影と精霊達の力を見落としてはならないだろう。
 ただしこの件については、第4話で十分に論証することはできない。この問題も含めて、第5話以降における兄妹関係の推移が、今後も検討されることになるだろう。

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