アニメ版『シスター・プリンセス』における脇役の意義

〜第6話にみる近接支援者達〜



はじめに 〜問題の視点〜

 当初きわめて脆弱だった航と妹達の共同生活も、これまでの過程を経て、ようやく軌道に乗ることができた。これはもちろん、共同生活を守ろうとする妹達の意志と、それに何とか応えようとする航の誠意とによって、達成されたものである。しかし、既にみてきたように、彼らの努力の成果を語るさい、その行動を陰ながら支えてきた多くの者達の存在を忘れるわけにはいかない。
 航達が暮らすプロミストアイランドは、第1話で山田が述べているように、元々が一大「癒し系テーマパーク」として建設された。頂上の像、各区画ごとに特定の文化をイメージしている町並み、特殊な交通手段や施設など、これを示す要素は数多い。そしてこのユートピア的性格は、本作品内の時点では、航達のためだけに発揮されている。つまり、この島にいる多くの者達はただの住人ではなく、航達の生活を支援するコンパニオンとしての役割を絶えず担っているのだ。
 その筆頭格は、言うまでもなくじいやである。全編を通して様々な役柄で登場するじいやは、また島全体の統制をつかさどる最高責任者でもあり、ウェルカムハウスを支える最大の功労者と呼んで間違いない。そしてその役割は、航達の生活を、外部からの干渉から可能な限り絶縁することも含んでいる。
 しかし、この役割の観点からすれば、必要以上に航達の共同生活に介入している者達がいる。山田太郎眞深である。山田は航達の級友であり、自称「無二の親友」として、航を通じて妹達に接近しようとする。また、眞深は、じいやがあずかり知らない員数外の妹として、第2話末部よりウェルカムハウスの中に侵入してしまっている。彼女については、第3話を考察するさいに、じいやが彼女の侵入を考慮しつつ全体計画を修正した可能性を示唆したが、だとすれば、ある程度基盤の固まった共同生活に眞深がどのように組み入れられたのかが、新たな一つの問題となる。これは山田についても同様である。もし二人が航達にとって害悪となると判断されればじいやによって隔離・排除されうるだけに、彼らの役割を検討することは、イレギュラーな存在をも含めたプロミストアイランドのあり方を総体的に把握するために、不可欠な作業となるだろう。そして、本作品の不評の大きな原因がこのアニメ版オリジナルキャラクター達にあることを鑑みれば、彼らの存在意義を確認することは作品自体の再評価につながるものでもある。
 この問題をとらえようとするとき、第6話「お兄ちゃんは王子様(はぁと)」は非常に重要な位置を占める。なぜなら、この話で初めて眞深は積極的に共同生活に参加しはじめ、山田もウェルカムハウスの中にまで踏み込むからである。このことは、第5話までに共同生活内部の問題がおおよそ解決したと判断したじいやが、航達を次の段階に進めるために、眞深や山田の行動を促進した可能性を暗示しているのだ。もしそうであるならば、その目的は一体何であり、またどのようにしてそれが可能だったのか、そしてそれを眞深や山田はどのように自覚的・無自覚的に受け入れたのかが、具体的に問われることになる。
 そしてまた、第6話の中で妹達が演じる舞台劇について考えるとき、このことは別の側面を開示する。まず本アニメ作品自体が一つの創作であるということは措くとして、このプロミストアイランドという場所は、航達の共同生活のために用意された一つの舞台である。とすれば、今回の舞台劇は、この島という舞台の中で演じられる劇中劇ということになる。そして、この劇中劇を通じて、主役である航や妹達と、脇役であるじいや達は、日常生活以上に明確な対照を見せていると予想できるのである。
 本論ではこのような視点から、第6話における航達主役の行動を一方で検討しつつ、これに対応する脇役(じいや、山田、眞深)の行動とその意義について考察する。


1.主役達の劇中劇

(1)舞台裏

 まず、この第6話で航と妹達が何を行い、何を得たのかを確認しよう。

航 「燦緒へ。だんだん島の緑が濃くなってきた。こんな季節の移り変わりを、君や皆井にも感じられたらいいのに。
   こんな時に、ぼくは妹達とあることをやらなければならなくなってしまった。ぼくの気持ちも知らずに…。」

 冒頭から、今まで知らなかった季節の様を思いながらも、またもや「やらなければならない」という受動的な意識にある航。既に日常生活の雑事については乗り越えたはずのこの段階だったが、今回彼を襲ったのは、非日常的イベントだった。妹達が兄と共に、「第一回プロミストアイランド演芸大会」に参加することを決めたのだ。

咲耶「私、この賞品が他の人の手に渡って、お兄様が後悔する姿なんて見たくないわ!」

 自分の失言(賞品への関心)が原因だったとはいえ、航としてはごく平穏な生活だけでも何とか軌道に乗せられたところである。さらにこのようなお祭り騒ぎに参加することは、それが勉学にますます関係がないだけに何の価値も感じられず、そして全く経験がないだけに不安の対象であり、どこまでも厄介事でしかない。そのうえ芸目までも一任されて困り果てた航を救ったのは、山田の介入だった。山田の貪欲な自己主張に、航は大道具役を押し付けられる格好で、舞台劇という華やかな、そして彼にとって無価値かつ忌避すべき苦手な世界からある程度逃げおおせることができたのである。このままいけば、彼は妹達の気まぐれを背後から支えるだけに終わっただろう。それは、航が無事に普段の生活に戻ることを保証する一方で、彼がこの一件を、不可避な厄介事としてのみ経験することをも意味する。たとえ賞品を勝ち取ることができたとしても、それでは共同生活の進展に何の寄与もなしえない。
 ここで劇中劇の視点から、大道具としての航の役割を島全体に置き換えれば、それは島の環境を全面的に調整するじいやの役割と重なり合う。しかし、この両者は、眞深が航の不本意な態度を痛烈に批判するように、自分の役割に対する積極的意志の有無において決定的に異なる。もし航がこのとき、じいやのように共同生活を裏方として自発的に支える意志と能力を獲得すべきであったなら、全てはそれらの形成に向けて整えられたことだろう。実際、この役割を嫌々ながらも果たそうとする中で、航は、自分の技術の拙さを痛感しつつ(絆創膏を再び大量に指に巻きつつも仕上がったのは珍妙な木、しかも4枚全部同じ形)、彼なりの努力のさまを示してもいたのだ。不慣れな事象に何とか向き合おうとする彼の姿勢は、例えば、白雪が入れてくれた特製アップルティーへの態度にも示されている。嗜好品には好みがあるのか、あるいは白雪の料理への警戒心か、未知の香りにやや躊躇った航は、しかし白雪の見ている前で、思い切ってカップを仰ぎ、その美味に驚き素直に礼を言うのである。
 だが、これが望ましい成長のあり方かと問えば、決して万全なものではない。舞台に上がらない兄に対して、妹達は、優勝して兄を喜ばせたいとその熱意を伝える。しかし、これに対する航の反応は、「あ、ありがと…。」という鈍いものだった。彼にしてみれば、参加すること自体がやはり苦痛なのであり、大道具に従事「させられている」のもやむを得ずであり、努力もその妥協の中でのものにすぎないのだ。妹達の熱意が高まれば高まるほど、兄はそこから遠ざかっていく。兄を喜ばせたいという妹の気持ちと、妹達のために裏方を務める兄の気持ちは、一緒に参加しているように見えて、実はその心はすれ違っていた。

(2)舞台反転

 このような状況は、しかしそんな事情など知る由もない、あるいは知った上でさらなる作戦を練る妹達によって、あっけなく粉砕された。ノックの音に慌ててノートパソコンを閉じようとする航。ここには彼の後ろ向きの意識のさまが表れているわけだが、わざわざ姫君の衣装をまとって現れた可憐が、それに気づいてか語る言葉は、彼女の姿に息を呑む兄へのお詫びで始まった。

可憐「あの…お兄ちゃん、無理に演劇祭に誘って、ごめんなさい…。」
航 「可憐ちゃん…。」
可憐「でも…ほんとはちょっぴりお兄ちゃんと、お芝居したかったな…。」
航 「可憐ちゃん…。」

 仮定法過去で語る可憐の淋しそうな微笑みに思わず心動かされる航、さらにその眼前に赤頭巾の雛子と親指姫の亞里亞がそれぞれの舞台衣装でやってくる。これで前振りは完璧である。言うまでもなく航が最も警戒心なく相手できる(第3話参照)二人の格好を、手放しで褒めていた兄だが、亞里亞の「兄やは、王子様ね?」の言葉についつられて「うんうん」と返事してしまう。すぐに気がつき慌てる航から、すかさず現れた四葉と春歌が衣装の寸法を取る。毎度のことながら、可憐の見事な陽動・奇襲戦術がここにきまった。

 航の攻略が順調に進む一方で、咲耶は山田に激しい剣幕で正面攻撃をかけていた。これまた最年長者それぞれの性格に合わせた二正面作戦である。ここで咲耶達は山田にただ一つのことを要求した。航を王子様に、さもなければ舞台を降りる、と。「お芝居やりません」の言葉に安堵しかけた航だったが、彼を王子様にする方針変更は急転直下決定事項となり、嫌がる航は妹達の熱意に押される格好で無理矢理にこれを受諾してしまう。本番前日という間際になって、王子様は兄となり、姫君達は妹達となり、舞台はすなわちウェルカムハウスそのままの関係を描く文字通りの劇中劇となったのだ。

咲耶「頑張りましょうね、お兄様。」
可憐「もし何かあっても、みんなで協力します。」
咲耶「じゃあみんな。」
鞠絵・白雪・鈴凛・春歌「明日の舞台で優勝するために!」
可憐・衛・四葉・眞深「みんなの力を一つに合わせて!」
雛子「アドリブして、」
花穂「フォローして、」
妹達「頑張りましょう!」

 ところで、この第6話までの展開を振り返れば、第4話で原則適用の機会を衝動的にアドリブで作ったのは雛子であり、そのフォローをしたのは花穂であり、力を一つに合わせて見守ったのは他の妹達全員ではなかったか。ここで妹達が唱和する言葉の中身こそ、皆の共同生活の原則そのものではないか。そして唐突に王子様となって慌て、支えを必要とする航の姿は、妹達の出現と共同生活に困惑していた以前の彼そのままではないか。つまり実のところ、舞台という虚構を通じて、ウェルカムハウスとそのまま重なり合うようなロールプレイング(役割演技)が行われようとしているのである。だがそう捉えた時に、彼らが陥ってしまっている問題状況もまた明白なものとなる。兄を舞台に登らせるのは、兄も自分達と共に参加しているということを確実なものにするためである。これは共同生活の原則を正しく示しているようだが、しかしフォローはどこまでも妹達から兄へのものであり、対等な参加ではありえない。そして「優勝するために」という宣言は、つまり兄に喜んでもらえるように、ということであり、それは確かに真心からの願いであるにせよ、劇の成功報酬として得られる結果にすぎない。兄が本心からは望んでもいない賞品のために努力し、その努力の中に兄を巻き込む妹達。既にこの劇をめぐっては兄と妹達の間にすれ違いがあったが、本来その溝を埋めていくべき妹達が、この時点では自らその溝を拡げてしまっているのだった。

千影「フフッ…一生眠っていられるよ…兄くん…。」

 そして千影は、第5話で認識した未来の別離に対して、この劇を利用しつつ航を独占するための準備をも進めていた。もし他の妹達と航が完全にかみ合わなくなってしまったならば、そのとき千影のリンゴは本当の力を発揮することになるだろう。

(3)晴れ舞台

 翌日、西三丁目商店会館で開催されたこの演芸大会も、いよいよ次の番となり、航は目に見えて緊張しすぎていた。だが大道具以上に不慣れな舞台演技、稽古も全くなし、これで緊張しない方がおかしいというものだ。妹達がフォローしてくれるとは言うが、それではやはり航は妹達と共に参加していることにはならない。少なくとも、共に支え合うことには決してならない。
 そして幕を開けた舞台は、その冒頭から台本を逸脱していった。兄と同様緊張していた花穂の錯誤をきっかけに、混乱はどこまでも拡大していく。前半の登場順は、白雪姫(姉)可憐、白雪姫(妹)花穂、赤頭巾雛子、悪い魔女眞深、シンデレラ衛、白雪姫(3人目)白雪。アドリブで乗り切っているようで、その先には何の手がかりもない。
 ここで千影のカードは「死神」(XIII..Death)の逆位置、「方針の変更」。どうにもならなくなり混乱する咲耶と鞠絵は、「こんなシチュエーションどこにも書いてないし…!」とただ焦るばかりだが、親指姫亞里亞が平然と舞台に歩み出たのを契機として、ともかく航が登場するまでの部分を新たに書き起こす。たしかに共同生活もまたシナリオなど存在せず、その物語は自分達で作り出すものだった。
 次のカードは「愚者」(0.The Fool)、「賭けに成功、か…」。五里霧中な状態からの再出発ではあったが、新たな台本に基づいて、咲耶はナレーションし、鞠絵は兄に指示を与え、そして西の国の姫君四葉、東の国のかぐや姫春歌、森の国の姫君鞠絵(&ミカエル)、不思議の国の姫君鈴凛が、咲耶の言葉に合わせて次々と登場する。これで航が登場すればひとまず舞台は整うわけだが、しかしここで千影が引いたカードは、「吊られた男」(XII.The Hanged Man)の逆位置、「実らない犠牲」だった。いまだに緊張が解けず、舞台への拒否反応もあり、ひたすら直立不動の姿勢で硬直する航。そんな彼の戒めを解いたのは、彼を呼ぶ妹達の声と、それに重なるようにして思い出された、彼を励ます眞深の言葉だった。

妹達「早くこちらへ、私達のもとへ、王子様!」

 はっと我に返った航は、ついに前へと踏み出していく。恐ろしい、しかし妹達が待ってくれている舞台へ。同じ側の手足が同時に出ていないあたり、航も何とか自分を制御できているというところか。これに安堵した妹達は、次の展開を咲耶に尋ねる。

咲耶「王子様が登場するところまでしか決めてなかったの…。」

 衝撃を受ける妹達。だがこの舞台の有様こそ、ウェルカムハウスに兄を迎え入れた妹達のかつての姿そのものではなかったか。兄と共に暮らせることへの希望、そして手探りで進まざるを得ない共同生活への不安と困惑。この窮地を救ったのは、千影が投げ入れたリンゴだった。このフォローをすかさず理解した11人の姫君妹達が毒リンゴをかじって一斉に(ミカエルもプロトロボも)倒れ伏し、舞台を司る主役は、気がつけば航ただ一人となった。妹達のフォローを前提にこの舞台に上がったはずの航が、そのフォローをもはや受けようのない状態で、逆に舞台の結末の全てをフォローすべく委ねられたのだ。しかもそのフォローの方法は、眞深によって「王子様のキス」と定められた。驚き慌てる航の前に、目を閉じて彼を待つ妹達。ここで兄に最も近い位置にいるのは咲耶である。可憐の手前をしっかりとキープしたうえ、目を開けて誘うという見事な作戦。思えば彼女は、作業の段階から兄に積極的にアプローチしていたが、ここへきてついに、劇の決着として誰に(最初に)キスするかという劇中劇レベルの問題と、妹達中で誰と最も親密になりたいかという島内生活レベルの問題とが、完全に重なり合ったのである。
 追いつめられる航をよそに、千影が引く最後のカードは「魔術師」(I.The Magician)の逆位置。

千影「迷いの森、か…。」

 航の臆病さや思い切りの悪さは、しかしこのとき、決して否定的なだけのものとしては働かなかった。彼は舞台から逃げ出すことなく、しかし一人を選ぶこともなく、心の声を迸らせる。

航「一人だけなんて選べないよおーっ!」

 これが、妹達に対する航の誠意そのものなのである。彼は、思い切って選ぶことができない。それは優柔不断と言われればそれまでである。だが、共同生活を共に送る妹達の中から、誰か一人を特別に扱うことなど彼にできるだろうか。彼がここで叫んだ言葉の中には、全ての妹達が自分にとって等しく大切であってほしいという想いも、込められていたのではなかったか。第5話で全員に同じ文面のメールを送信したのも、ここで彼が叫ぶのも、特別でありたい個々人にとっては苛立ちを与えはするものの、しかし航なりの、妹と共に暮らすそのあり方への意志表明に他ならないのである。彼は誰か一人を選ばない。だがしかし、誰一人見捨てないだろう。
 主役はその務めを果たした。航は王子様(prince)を見事に演じきり、そしてそのことによって、第一人者(principatus [princeのラテン語源])としての特権を自ら捨て去り、妹達のもとに兄としての自らをおいた。舞台は見事に結ばれ、妹達も、兄にフォローされることで自らを見つめなおした。彼女達の中に優劣はなく、姫君(princess)のような第一位の妹というものもなく、ただ一人一人が固有の
かけがえのない妹(sister princess)なのだ。
 結局優勝を逃したものの、妹達には努力賞としてハートのチョーカーがそれぞれ贈られた。この銀色のチョーカーは、CD『Prologue of Sister Princess』に登場し第1話冒頭で描かれたハーモニーボールと似た意匠でありながら、今回の成果を称揚するかのように、小冠と翼が加えられていた。これを胸にかけた妹達は、優勝賞品を兄に渡せなかったことを残念に思いながら、しかし、その表情は満面の笑みに変わった。

可憐「でも、みんなでお芝居できて、とっても楽しかった。」

 兄を喜ばせるために何かを行うとは、行為を結果ではかることであり、また兄はその行為の中にはいない。妹達と兄とが共に力を合わせて一つのことに取り組むこと、共同生活を営むこと、その過程そのものの中にこそ、共に喜びを感じるひととき、そして相手の喜びを感じてさらに喜び合えるひとときが、いつでも宿っているのである。妹達は劇中劇を通じて、兄が自分達を支えてくれたことへの喜びとともに、このことを再び学んだ。その一方で兄もまた妹達の期待に応え喜ばせることの喜びを知り、逃げなかったことへの自負を得、そしてこの妹達との一体感に満足した。そして最後に千影の微笑み。あの特別なリンゴは使われずに終わったが、次なる機会もあることだろう。
 帰宅した航達を待っていたものは、審査員特別賞としての機関車だった。島内を自由に走行できるこの乗り物は、雨天時の移動を容易にし、また鈴凛がより巨大な機械に挑戦するための練習材料としても役立つことになる。そしてまた、その乗り物は、この生活が一つの喜ばしい旅なのだということを、暗黙のうちに語っていたのかもしれない。そして劇中劇によるロールプレイングは終わり、実生活の中での役割へと戻る兄妹達。そう、航が初めて自分から「きょうだい」という言葉を使っているのだ、燦緒へのメールの中で。

航 「燦緒へ。結局ぼく達は、審査員特別賞をもらった。
   こんな気持ちを、君や皆井も感じられたらいいのに。こんなふうに、兄妹みんなで一つのことを頑張った、こんな気持ちを。」

 だが、その気持ちは燦緒にどう届いたのだろうか。



2.脇役達の輝き

(1)おじゃまんが山田

 このアニメ版作品の不評の原因を3つ挙げれば、まず間違いなく入るこの山田というキャラクターは、今回初めてウェルカムハウスの住人達に直接干渉する。困り果てていた航に代わって「妹達を徹底的にリサーチ」(ついでに個人情報を聴取)し、監督・脚本を一手に引き受け、そして自分が主役として彼女達に囲まれる舞台目指して邁進するのだ。

 ところで、山田が自ら執筆したこの台本『十二人の優しい姫君(仮題)』だが、一体どのような内容だったのだろうか。本番の劇が冒頭の「昔々あるところにとても美しい娘がいました。人はその娘のことを白雪姫と呼んでいました。」(可憐登場、おそらく花穂もその直後登場予定)という場面を除いて完全にアドリブになってしまった以上、その内容は、劇の練習などから想像することになる。だがこの練習での光景さえも、登場するのは「可憐、咲耶の読み合わせ」「花穂、衛、雛子の読み合わせ」「四葉、亞里亞、春歌が個々に台本読み」「鈴凛、春歌、四葉の読み合わせ」「片膝をつく鈴凛の手をとる白雪」「鞠絵とミカエル」「台の上から可憐が『ああ王子様、あなたは今どこで何をしているの。』」「台の上に白雪、舞台に鞠絵とミカエル」「ドレスの裾をつまみ挨拶する衛、背後に雛子・花穂・亞里亞」といった程度である。こうなると、妹達の舞台衣装を手がかりにして、間接的にでも劇の中身を読み取るほかない。一般には「同じものが多いのは設定の手抜きだ」という批判がなされるこの衣装だが、むしろ、同じドレスはある配役のグループを示すものとして、積極的に受け止めるべきなのだ。この衣装からグループを割り出すと、[可憐・咲耶・花穂]、[鈴凛・鞠絵・四葉・衛]、[白雪]、[春歌]、[亞里亞]、[雛子]、[千影]となる。
 この衣装について、さらに『アニメシスタープリンセス完全ビジュアルブック』所収の設定を参照すると、可憐達第1グループと白雪には「白雪姫」、鈴凛達第2グループには「シンデレラ」という表記がある。とすれば、それぞれの集団ごとにヒロインが1名ずつ特定されているとみることも可能だが、しかし本論ではむしろ、全ての妹達が何らかのヒロインの配役を与えられていると考える。『十二人の〜』というタイトルが、全員に姫君としての公平な役柄を期待させるからである。これに基づけば、妹達は具体的にどのような役柄を担うことになるだろうか。
 最初に分かっているのは、先のナレーションから可憐が白雪姫ということだ。白雪がこれを許したとは考えにくいが、途中で役柄交代(「真の白雪姫が白雪だった」など)がないとすれば、おそらく、料理やお菓子にまつわる役柄、例えば『ヘンデルとグレーテル』(お菓子の家)のグレーテルだろう。咲耶は可憐と同グループだが、これと対等な役柄とすれば、咲耶の性格からいって情熱的な姫君、例えば『ロミオとジュリエット』のジュリエット役だろう(『王女とゴブリン』などの行動的な姫君という手もある)。残る花穂は、『おジャ魔女どれみ』のハナちゃんや『花の子ルンルン』『花の魔法使いマリーベル』でだめなら『森は生きている』の少女でどうか。これは姫君ではないが、赤頭巾もいるので問題はないだろう(ただし、『赤ずきんチャチャ』が元ネタだった場合は困るが)。
 第2集団の4人は、全員で『若草物語』(鞠絵は当然ベス)あるいはこのさい『痕』といきたいところだが、ここはシンデレラがいるうえにそれぞれ趣向が異なる。鈴凛はプロトロボを連れて来ていることからSFか『オズの魔法使い』のドロシー、鞠絵は第8話で読んでいた少女と犬の旅の物語『Legend』の主人公、四葉は『シャーロックホームズ』か『モモ』いやむしろ『女王陛下のプティアンジェ』のアンジェ、そして衛がその運動能力をかわれてシンデレラ(階段を駆けつつ靴を脱げるだけの敏捷さ、乙女への憧れもちょうどいい)といったあたりだろう。
 春歌はかぐや姫、亞里亞は親指姫、雛子は赤頭巾で問題ない。困るのは千影の役柄で、彼女は普段着なのだ。リンゴその他の小道具や特殊効果担当ということも考えられるが、タイトルが『12人の〜』である以上、千影も裏方仕事だけでなくその姫君の中に入っていなければおかしい(眞深が加わるとすれば別だが)。魔界の姫君となればとりあえず『魔法使いサリー』『魔女っ子メグ』『魔法のプリンセスミンキーモモ』などが上がるが、どれもあの服装には合わない。本人の前世そのものということでもなさそうだ。いっそ『エコエコアザラク』や『吸血鬼カーミラ』、グインサーガ外伝『イリスの石』あたりだろうか。もはや普通の観客には元ネタが分かるまいが。
 以上をふまえれば、次のような役柄一覧が、さしあたり得られることになる。

集団    名   前    衣  装             役      柄
 1 可憐、咲耶、花穂 胸元紺色のドレス 白雪姫(可憐)、ジュリエット(咲耶)、森の少女(花穂)
 2 白雪 胸元紫色のドレス グレーテル(白雪)
 3 鈴凛、鞠絵、四葉、衛 胸元青色のドレス ドロシー(鈴凛)、旅の少女(鞠絵)、アンジェ(四葉)、シンデレラ(衛)
 4 春歌 十二単 かぐや姫(春歌)
 5 亞里亞 青色ドレス、葉傘 親指姫(亞里亞)
 6 雛子 赤頭巾 赤頭巾(雛子)
 7 千影 普段着、リンゴ 魔界の姫君(千影)
番外 眞深 黒フード 悪い魔女(眞深)

 ここから予定されていた台本の内容を想像すると、まずそれぞれのグループごとに全員が登場する場面があることになる。個々の場面では、同じ衣装の役者が複数いることは観客に役柄についての混乱を招きかねないが、それは一応、持ち物等の差により緩和されている。そして、大団円の場面で全員が一堂に会するとき、それぞれの衣装グループごとにまとまって行動することで、舞台上のリズムは保ちやすくなるとも考えられるだろう。
 そして、途中の場面では、個々人が分散集結を繰り返す。練習での「可憐、咲耶の読み合わせ」や「台の上から可憐が『ああ王子様、あなたは今どこで何をしているの。』」とは恋の相手をを待つ者の会話、「花穂、衛、雛子の読み合わせ」は「ドレスの裾をつまみ挨拶する衛、背後に雛子・花穂・亞里亞」とともに、シンデレラ衛が舞踏会に登場するときの場面、「鈴凛、春歌、四葉の読み合わせ」は魔女を東洋まで追いかける場面、「片膝をつく鈴凛の手をとる白雪」は空腹で行き倒れかけたドロシー鈴凛を助けるグレーテル白雪、「鞠絵とミカエル」は旅の一幕、「台の上に白雪、舞台に鞠絵とミカエル」はお菓子の家を訪れた旅の少女達、といった具合になるだろうか。赤頭巾を襲う狼は、迷子の赤頭巾を助けるミカエルに入れ替えられ、森の中で赤頭巾や親指姫、森の少女らが出会い一緒に城へと向かうなど、他にもシチュエーションは多数考えられる。最終的には王子様が登場しない以上、分進合撃する姫君達が悪い魔女を皆で倒すのか、あるいは『ゴドーを待ちながら』のような展開になるのかもしれないが、しかしこの王子不在という設定が、妹達の不満をかきたてることで山田自身がその王子役に就こうという目論見によるものだっただけに、最初の台本もどの程度真面目なものかは判断できない。ただ、質としては大したものではなかったとは想像できる。

 主役の座を航に奪われた山田は、本番ではせめて監督としてのフォローによってポイントを稼ごうとするが、それも途中で失速する。

山田「一度幕が上がってしまえば、役者は舞台から逃げることはぁできない。
   万が一予測もつかない事態が起きた時には、アドリブで切り抜けるしか方法はない!アドリブでぇ!」
山田「君達が台詞に詰まった時には、王子様がフォローする。君たちは王子様の台詞に合わせるだけでいい。」
山田「我々は、空前絶後、痛快無比のこの状況を、アドリブで乗り切ればいいのだ!アドリブでぇーっ!」

 これらの台詞は、航達の共同生活にも重なりうるものだが、山田自身はその意味を含意させてはおらず、ただ責任放棄の言い草として行き当たりばったりを勧めているだけである。彼は妹達を求めながら、妹達の望みをかなえようとはしない。妹達に尽くしているようで、それは彼女達の喜びのためではなく、たんに自分の評価を高めるためでしかない。航の困窮を今回救ったのも、それが妹達に接近するいい材料になったからである。このような首尾一貫して利己的な振る舞いは、必然的に山田自身を妹達の心から遠ざけていく。元々全く近づく気のない妹達も、航のためになる(今回は優勝に資する、あるいは兄を舞台に登らせる)山田の行為については認めようとしている。だがそれも、山田の利己的な態度に対応して、彼の有用性のみを評価しているにすぎない。山田は妹達にとって、兄との共同生活をよりよい方向に展開させるための、手段でしかないのだ。
 やや山田が哀れに思えるものの、これは全くの自業自得に他ならない。航の背中を押してやることもせずに自分が王子様の格好で出てくるような男は、結局舞台の「木」以上のものにはなれないのだ。だが、今回その有り余る活力だけは認識されるところとなった結果、山田は自分の欲望に忠実であり続けることで、今後その行動力を妹達に、そして何よりじいやに、積極的に利用されていく。その姿は利己的な人間の孤独と喜劇性を背負っている。彼が妹達の全員に近づくとき、そこにえり好みはない。しかしそれは航の「誰もが大切」という態度とは完全に異なり、ただ「誰でもいい」というきわめていい加減な態度を示しているのだ。山田は妹達を欲望の対象物としてしか見ていない。だからこそ彼は、その人間観を自分自身にも適用されてしまい、使いようで役に立つ道具として、これから重宝がられることになるのである。第1話で彼はコネで合格したことをほのめかしているが、彼のこのような人格に利用価値があることを、じいやは見抜いていたのだろう。

 最後の場面で山田が見つめるジオラマは、「よくできてる」がしかし魂のこもっていない型でしかない。彼が見る妹達もまたそのような美しくも中身のない型にすぎず、彼自身の醜い内面がそこに映し出されている。だが、持たざる者が取るべき態度など、彼にとって他に何があり得たのだろうか。以後、山田は航の反面として、いうなれば『指輪物語』におけるフロドに対するゴクリとして、狂言回しをそれと知らずに演じ続け、それによってかえってウェルカムハウスの者達同士の絆をいっそう強めさせていくのである。

(2)エスパー眞深

 山田がこのように悲惨な未来を約束される一方、眞深はこの第6話で、決定的な転回を示している。
 これまでの過程の中で、眞深は、燦緒の指示に従ってスパイ活動を行ってきた。直前の第5話でも、その態度は全く変わらずに維持されていたのだが、この第6話の前半で彼女が見せる振る舞いは、しかし今までと全く異なるものだった。眞深は、大道具に意気の上がらぬ航を、叱咤激励するのである。これは、彼女が既に魔女の格好をしていることに示されているように、たんにこのイベントが楽しいので、それを盛り下げかねない航に釘を刺しただけなのかもしれない。だが、ここでの航との会話をみると、果たしてそれだけとは言えない重要な意義が確認できる。

眞深「もうやめたいって思ってるでしょ。」
航 「…ん!?」
眞深「ね、そうでしょ。」
航 「そ、そんなことないよ。」
眞深「ひょっとして面倒くさい、とか思ってるんじゃないの?」
航 「そ、そんな馬鹿な。」
眞深「そうかなー、顔に出てるけどなー。」
航 「…っ、うるさいな。」
眞深「あんちゃんってさあ、苦しいことがあるとすーぐ逃げ出そうとするんだよねー。」
航 「悪かったな。」

 会話の前半は、航の態度に対する鋭い追求である。これは、他の妹達には絶対にできない行為であることに注意しなければならない。可憐ならば謝りながら、咲耶ならばやや強引に、千影ならば非日常的方法で兄の士気を高めようとするところだが、ここまで直截的な言い方というものは、妹達には不可能である。本心を突かれた眞深の言葉に、航はうるさがるという態度で、それが間違っていないことを示してしまう。妹達ならば兄に嫌われるかもしれないと思うこの地点からこそ、むしろ眞深はその本領を発揮する。

眞深「うん、悪い癖だね。
   いい、逃げちゃだめだよ。みんなは、あんちゃんが好きだから、あんちゃんのこと喜ばせたくて練習してるんだよ?
   あんちゃんは、あの子達の勝手な思い込みだって思ってるかもしれないけど、あんちゃんがいるから頑張っていることは確かだよ?
   だから、みんなの気持ちに応えてやんなよ。男の子なんだから。」
航 「…ん、分かってるよ。」
眞深「ほんとに分かってんのかなー?」

 このときの眞深の声を聞けば、それが何の企みも含んでいない、混じりけなしの忠告であることがはっきりと分かる。(この乱暴な中の優しさ、黒フードをまとったその姿に、『赤ずきんチャチャ』のやっこちゃんを思い出して萌えた人は少なくないはずだ。)眞深は、妹達の気持ちに共感しつつ、航の気持ちにも一定の理解を示しながら、なすべき事柄を航に諭している。このように、兄と妹達の両方の立場をふまえながら、そのうえで何らかの方向性を提起するという、きわめてバランスのとれた第三者的役割を、眞深はここで自ら演じているのだ。これは、今までの共同生活でぜひとも求められながら、どの妹にもなしえない重要な役回りであった。このような姿勢は、兄を王子様に仕立て上げようという妹達の努力にさいしても躊躇し続ける航をキッと睨みつけて脅し、直ちに主役を引き受けさせているなど、その後も一貫して維持されている。なぜ眞深は、自分の本来の任務を放棄したとも思えるこのような態度を、今回突然にとり始めたのだろうか。

 手がかりは、第5話までの展開の中にある。
 第3話の最終部では、眞深は任務を完遂して帰れないことを嘆いていた。しかし、第4話の最終部では、航達が持ち直したことに同じくがっかりしながらも、「ま、いっかー。これはこれで。」と苦笑してすませている。燦緒からのメールも「まあ、今日のところはね。」と、さほどの危機感を示していないが、これは第5話でのメール攻撃計画が直ちに発動する予定だったからだ。眞深もそのことを知らされていたかもしれず、それゆえの余裕とみることもできるが、しかしこの時点で眞深が、航達の滑稽だが健気な努力の姿に、何か感じるところがあったという可能性を否定することはできない。やがて彼女自身が気づくように、自分の兄妹関係と、彼らの関係とを比べてみれば、そこには燦緒と自分との間にはない望ましいもの、自分が意識下で求めてやまないものが、協働の中で実現しようとしているからだ。おそらく生まれたときから実の兄妹として生活していたはずの自分達よりも、このにわか兄妹達の方が、むしろその仮構の中に真実をかち得ようとしている。この事実が一面において、眞深に羨望の裏返しとしての憎悪を感じさせたということは十分考えられる。自分達でさえできないことが、こんなわざとらしい共同生活の中で実現可能なはずはない。じつは眞深自身の不安と欠落感に由来するこの感情は、第5話での彼女の意地悪げな態度に如実に示されている。それは、第4話最終部での安らいだ眼差しと、一見矛盾しながらまさに表裏一体のものなのだ。
 そして何より決定的だったのは、第5話での航達の変化である。眞深の悪意ある扇動に乗せられたこともあり、妹達は航への感情的な態度をより鮮明にしていく。とりわけ、航と妹達が負の感情をも相互に示し始めたことは、燦緒と眞深の作戦通りであった。だが、このとき予想もしなかったことに、眞深自身にとっては、その感情のコミュニケーションそのものが非常に心地よいものとして受け止められたのだ。たとえそれが嫉妬や怒りなどといった感情であったとしても、それをお互いにぶつけ合える間柄というものは相互信頼を支えにしているのであり、そして眞深には実兄とのそんな関係がこれまで閉ざされていた。元々感情豊かな性格である彼女にとって、ここで眞深達の策略の結果として航達がぎこちなくも実現しようとしつつあった共感的理解に基づく兄妹関係は、いつの間にか、眞深が自らこれに加わり、守ってやりたくなるほどに、魅力的なものになってしまっていたのである。そしてそれは、自分と同じく実兄に想いを寄せる妹達への完全な共感に基づいており、抑圧されていた自分自身を、偽物の妹というロールプレイングを通じて解放していくことに他ならなかった。彼女は自分の内面の欲求にはまだはっきりとは気づかないまま、航と妹達の絆を強める役を自発的・自覚的に演じるのであり、だからこそ航に対する厳しい批判と、双方の立場を第三者の視点から公平にとらえたうえでの忠告を、なしえたのである。しかしその言葉には、兄の燦緒を喜ばせようと思って苦労を重ねている眞深の気持ちを、燦緒が受け止め応えてくれることへの、せつない希望が込められてもいるのだ。

 この希望は、第5話でのメール作戦失敗以降、燦緒が眞深への指揮を強化することを通じて、さらに屈折しながら増幅されていく。ウェルカムハウス内部から破壊工作せよという兄からの指示は、一方では兄に期待されていることへの喜びとそれに応えたいという意欲を生み出すが、それは他方で、自分と同様に望ましい兄妹を目指す妹達の健気な努力を妨害させる兄への反発をも否応なく生じさせていたのだ。第6話冒頭までの眞深の心理は、このような相対立する感情がないまぜとなり、だがやはり妹達への共感が先立って、やがてくる破局のことはひとまず措き、せめて今のこのイベントへの努力だけは無意味なものにはさせまいとするものだったのである。ここでは妹達の努力も、眞深自身の努力も、誠実さに何の差もない。また、この根本的な感情が何らかのかたちで妹達に伝わればこそ、妹達も、眞深を以前よりもいっそう深く受け入れていった。そうでなければ、劇中劇の肝心な場面で、眞深に一切を委ねたりはしない。

 こうして航達と同じ間柄を求めることなく、ごく近くからその関係を支えようとする眞深の姿勢が、劇中劇でも発揮されていく。最初のアドリブを行ったのは彼女であり、王子様登場後の台本がないことに驚く妹達の中で「じゃあ、このあとのストーリィは!?」と最も動揺するのも彼女である。ここでタイミイングよく入った千影のフォローに、すぐさま眞深はマイクをとって、妹達全員が倒れ伏した後の展開を導いていく。その結末を定める役割を、航その人に委ねつつ。ここに山田の利己的な態度とは異なる、自分の義務のみを果たして身を引く賢明さがうかがえる。悪い魔女として舞台に上がり、最後まで姫君達とは別の立場から、しかも彼女達に寄り添いながら行動し、王子様への橋渡しをする眞深のこの姿は、もはやあらためて言うまでもなく、共同生活において彼女が担う媒介的役割そのものである。緊張に硬直する航の心に蘇った彼女の励ましの声は、ウェルカムハウスの中から最も共感的な第三者としてなされる助言とともに、航をこれからも後押しし叱咤し勇気づけていく。
 しかし、同じ舞台の上から見つめる航と妹達の姿は、燦緒と眞深のあるべき姿とどう重なり合っただろうか。はたして兄は自分だけを、たった一人の妹を選んでくれるだろうか。想いは兄のもとへとテレポート。そうしてこの演芸会の努力賞として与えられたハートのチョーカーは、眞深のだけが金色に輝くものだった。

眞深「あたしだけ、色違いなのは、なぜ?」

 その理由は、眞深自身が一番よく分かっていたかもしれない。彼女は妹達の間に踏み入るが、この共同生活の輪自体の中には入りたくてもあえて入らない。彼女はどこまでも燦緒の妹であり続けようとし、そしてたとえ矛盾をはらんでいようとも、ウェルカムハウスを中から支えようとする。今の航達に必要なものとして最も困難な立場を自ら引き受け、山田とは全く違う意味で狂言回しを自覚的に務める彼女は、やがて不可避に到来する破局にさいして、一体いかなる態度をとることができるのだろうか。劇中劇は眞深のドラマをも予感させながら、そしてあの髪型さえ変えたらえらい可愛いのではないかという期待をさせながら、彼女をさらにウェルカムハウスの中へと入り込ませていく。このウェルカムハウスがまず何より作り物の舞台であるにせよ、そこで眞深が演じる役は、もはや当初のそれとは変質しつつある。彼女は実兄の道具でもなく、13人目の偽妹でもなく、役柄の前に何よりも「彼女自身」であろうとし始めるのだ。

(3)コンダクターじいや


 これらの新たなバイプレイヤーに対して、じいやは今回も従来通りの脇役ぶりを見せつける。参加受付と演芸会司会でおおよその方向性を提示したじいやは、航達の行動をフォローしながら、山田の有用性を推し量り、眞深の変化を確認していく。島内のあらゆる事象を、航達のために準備し調整することこそ、じいやの唯一の任務である。そしてこれは、彼らの成長に対して評価と報酬を与えることをも含みこんでいる。航達に贈られた努力賞とは、まさに彼らの努力の過程そのものに価値があることを示している。またウェルカムハウスに届けられた審査員特別賞は、この価値に自分達で気づいたことに報いようとするものである。
 この評価は、山田や眞深に対してもなされる。山田は監督賞を与えられるが、これは彼を今後もそのような間接的な役どころとして、持ち上げつつ有効に利用しようとするじいやの態度を象徴している。また、眞深に与えたチョーカーは、色こそ違えどハートの形は同じであることに注意すれば、じいやの意図するところが自ずから明らかとなる。眞深の「その助けとは、王子様のキッスです!」「さあ、一体誰を選ぶのでしょうか!?」といった台詞から、航達へのフォローと同時に、彼らの間に亀裂を生じさせようとする試みの可能性をも考慮せざるをえないじいやは、もちろん眞深をウェルカムハウスの正式の住人として認めるわけにはいかない。だが、それは眞深の排除を意味するものではなく、彼女には妹達と同じような帰るべき想いの場所が別にあるということを、そしてそれを守り育てなければならないということを、同じ形と違う色によってそれとなく伝えているのだ。思いのほか誠意ある行動を見せた眞深に対しての、これがじいやの報酬であり、また思いやりある問いかけでもあった。だいたい山田に対しては、この努力賞は与えられていないのだから。

 だが、このような調整者としての役割を果たす一方で、じいやはやはり何よりもまず、航を幼い頃から面倒みてきた一人の人間であった。役割の務めを越えたじいや本人の想いのありようは、この第6話で静かに描かれている。航達の危うげな舞台の状況にあわせて、司会じいやは、戸惑う観客を効果音で煽って喝采させるという演出を行っている。これは、実際の島内の生活でじいやが演じている役割そのままを指し示している。しかし、最後の王子航が叫ぶ場面では、静まりかえる観客席の後ろで、効果音を用いずに、自分の手で拍手をするのだ。このときのじいやは、司会としての義務に動かされているのではない。航達のフォローを行っているのでもない。航の嘘偽りのない声に、じいやその人が心を動かされ、これにじいやもまた自分自身として応えたかったということの紛れもない表れなのである。しかしこの感動は、彼が予期しなかったからこそ得られた。全てを把握し指揮しているかに見えるこのじいやも、ここで眞深への問いかけをそのまま自分へとはね返らせる。果たしてじいやは、彼に与えたれた任務だけを忠実に遂行するのか。それとも、そこから逸脱するほどの強い意志を航が妹達と共に示しえたとき、じいやはそれを喜びつつ受け入れることができるのだろうか。そんな将来を垣間見せながら、じいやは今日も自らの義務を果たしていく。



おわりに 〜アニメ版独立宣言〜

 以上のように、この第6話で示された脇役達の姿は、航達の共同生活を支える近接支援者としての位置づけを明確にするものだった。そしてその各人の役割は、それぞれの性格や目的、欲求に応じて異なっていた。山田は、利己的欲望から過度に介入することでかえって自分を排除させ、またそれを通じて兄妹達の関係性を強めさせる。眞深は、自分と燦緒との理想的関係を航達に投影することで、自分の役割を媒介的なものに限定させつつ共同生活を支援する。そしてじいやは、与えられた計画のために全体の統率を行いながら、自分も他人をも航達(既に眞深は半分こちらに入りかけている)のために手段化していく。このような三者三様の役割分担は、しかし各人の内面の矛盾や分裂をも意識させるものであることから、脇役としての役割を果たすことは、同時に彼ら自身の「自分」のありようを振り返らせることにもつながっていくのである。反省しない山田以外には。
 このような脇役達の意義と問題性は、第6話を通じて、主役である航達の成長過程と重なり合うようにして描かれた。劇中劇と共同生活とがその二重性により相互に浸透しあう中で、航が発した唯一の台詞は、劇中劇の舞台を越えて、このウェルカムハウスを取り巻く全ての人々にそれぞれのかけがえのなさを気づかせるものとして、島中に朗々と響きわたったのかもしれない。航達のために、そして自分達のために。求める明日に向かって、皆はそれぞれの務めを日々担い、そしてその日々の中で共に喜びを見出していく、そのような脇役達の姿が、ここに示されたのである。

 そしてこの航の台詞は、美森勇気氏が論者に示してくれた指摘にしたがえば、作品そのものにとってはもう一つの重大な意義を有している。「一人だけなんて選べないよおーっ!」というこの叫びは、シスタープリンセスの原作が個々の妹達の視点を初めから選び取って描かれており、ゲーム版がいずれか一人の妹を取捨選択するというシステムによって作られているのに対して、このアニメ版が、そのような一人の妹の選択、つまり他の妹達の排除や手段化を一切行わないという決意の表明だというのである。これほど見事にアニメ版の本質を言い当てた指摘はない。この意味で、航の言葉は、まさしくアニメ版シスタープリンセスの「独立宣言」(美森氏談)とも呼ぶべきものであり、原作やゲーム版と基本的設定を共有しつつも、アニメ版固有の方向性を自覚的に追求していこうとする、製作者側の強い決意がここに読み取れることになる。それが成功したかどうかは、今後の展開の中で検証しなければならないが、この第6話での近接支援者達の姿を見れば、少なくとも視聴者と共に喜びを分かち合おうとするその姿勢は感じられるのではなかろうか。逆に、もし視聴者が本作品を拒絶しながらそのキャラクターグッズだけは購入するという態度をとるとすれば、それは、山田その人と同様に、アニメキャラクターの固有の尊厳を認めずにただ欲望の対象物とだけとらえつつ、アニメ業界じいやに資金調達の手段として有効利用されることを意味しているのである。アニメ版をそのものとして受け入れ、そして支えようとすることでこそ、我々はウェルカムハウスの中に招かれ、真の喜びを航達と共有できるのではなかろうか。たとえそれが当面、努力賞に値する忍耐を要求するとしても。


戻る