アニメ版『シスター・プリンセス』前半の総括
〜ターニングポイントとしての第13話〜
はじめに 〜問題の視点〜
強制的にこのプロミストアイランドに送り込まれ、流されるままに妹達との共同生活を始めた航だったが、これまでの数々の経験を積み重ねていく間に、その意識は大きな変化を遂げた。それは島を運営するじいや達によって、眞深や山田の自覚的・無自覚的支援によって、そしてもちろん妹達の励ましによって、支えられてきたものだった。そしてその過程は、航が妹達を理解し、受容していく過程と完全に重なり合う。妹達との関係性の中で自分を変えていけたということは、自分と異質な面ももつ妹達それぞれのよさを、航が当初拒絶しながらもやがて好意的に受け止めていくことを通じて、初めて可能だったからだ。それはもちろん、航が、妹達の自分への愛と善意を信頼し、航も彼女達への愛を疑い得ないものとして確立することでもあった。
第13話「お兄ちゃんとの夏」は、このような共同生活構築期から、それを基礎とする発展期へと移行するターニングポイントとして位置づけられる。本考察で示してきた各話の主題は、航自身が毎回自らの成長の糧にしてきたところのものだが、これを航が全体的に振り返って、次の行動のための足がかりにしようという反省的態度が、この第13話で見いだされるからだ。そしてこの反省は、上述の通り、妹達を彼がいかによりよく理解し、どのような感謝の念を抱いたかを振り返ることで、まず手がかりを得ることになる。本論では、この妹達への航の想いを個々に検討しながら、前半の総括と後半への展望を試みる。
1.13人の妹達
プールに浮かぶビーチボール。
航 「あっという間だったこの島に来て初めての夏休み…。こんなに大勢で夏を過ごしたのは初めてだったな。
燦緒はどうだった?ぼくは何とか無事に終わりそうだけど。」
アバンタイトルで、読点の少なさにやや問題が残るメールを打つ航。燦緒へ宛てた文章では豊かな感受性をしばしば表現していた彼だが、第12話の貼り紙では字が下手なことも暴露されるなど、総じて国語の点数はいかほどのものなのだろうか。そんなことはさておき、場面は始業式前日の朝、既に風は初秋のいろに移り変わろうとし始めていた。第9話以来夏の時を刻んできた風鈴を、可憐が外す。
可憐「また来年、ね。お兄ちゃん。」
航 「そうだね。」
可憐「素敵な夏だったね、お兄ちゃん。」
それは、あの唐突な春を過ぎてこそ得られた夏だった。来年もこんな「いま」が続いていってほしい、いや自分達の力で続けていきたいと思わせる、そんな夏だった。その季節の締めくくりを迎えて、航は夏休み最終日の今日も、妹達の宿題の面倒をみる。自分の得意な勉強で皆の役に立とうというのだ。そしてそれは、第3話後に廃止されていた<お兄ちゃんと一緒>表による強制ではなく、航が自発的に全ての妹達のもとを回っていく初めての機会でもあった。彼は第6話で叫んだごとく、誰か一人を贔屓することなくそれぞれの妹のために今日一日を公平に捧げようとするのだ。宿題がほとんど終わっていたりまだ残っていたりと、状況は様々な妹達だが、そんな彼女達の面倒を見ながら、航はこの島に来てからの回想と共に、いまの想いを心の中に綴っていく。
(1)咲耶
ビーチチェアの上に置かれたサングラス。夏は彼女の魅力を存分に発揮できる季節だった。ソファで勉強しながらもたれかかってくる咲耶の柔らかさにうろたえながら、しかし航は以前のような拒絶反応を示しはしない。それは色香に慣れたというだけのことではなく。
航 (そういえば、咲耶ちゃんは初めてのとき、ぼくの服を選んでくれたんだっけ。
どこか大人っぽいんだよな、咲耶ちゃんって…。
時々、どきっとさせられることもあるけど、そんな咲耶ちゃんを最近は迷惑に思わなくなってきているんだ。
だって、意外に子供っぽいところがあったり、お茶目だったり、本当は色んな良さを持っていることに気づいたから。)
異性に関心はあっても不慣れな航にとって、咲耶の直接的なアプローチは当初非常に刺激が強く、そして自分を動揺させるために警戒の対象だった。だが、そんな咲耶のリードに馴染んでいくうちに、第7話や第12話で見せたような、毅然とした振る舞いと内面の子供っぽさや純情さとの表裏一体の結びつきを、航は認識し、理解していくことができた。第7話で航が彼女に直接「苦手なんだ」と言えたことを契機に、兄は咲耶に向き合い、そして「いま」を失う痛みを予感できた。そして今では二人は助け合うリーダー同士、互いを認め合っていきつつある。
(2)雛子
今日も使ったのだろう、日に干されているピヨちゃんの浮き輪。この夏ずっと雛子を水辺で支えていた。彼女を内面から支えた航は、雛子がお絵かきする姿を、熊のぬいぐるみのいる彼女の部屋で、優しく見守っている。
航 (ちっちゃくて、いつも元気な雛子ちゃん、チョコチョコとあっちに行ったりこっちに行ったり。と思ったら、泣いたり笑ったり。
そんな雛子ちゃんを見て、思わず笑っちゃったこともあったっけ。ごめんね、雛子ちゃん。)
第4話ではむしろ航を支え、この島につなぎ止めた雛子。小さな彼女の幼さは、兄の心を軽くしてくれただけではなく、重荷を分かち持ってくれさえした。最初から何のためらいもなく心を開いた雛子によって、航も妹達を受け入れるゆとりを創っていくことができたのだ。その衝動的な活力は、第7話の結婚式ごっこをはじめ、兄と妹達が互いに分かり合うための様々な機会を、皆に与えてくれもした。そして雛子自身も口元を隠して笑う仕草に見られるように、年長者の間で大切にされながら、彼女達の女の子らしさを身につけつつある。
(3)白雪
ドライフラワーが軒に連なり音もなく乾いていく。台所で航に教えてもらいながら、白雪はドミグラスソースの出来に気もそぞろ、五感の全てをそちらに向けている。コトコト煮える音と馥郁たる香りが台所を包み、鍋の中身を覗く彼女の声も思わず喜びに弾む。
航 (エプロン姿の似合う白雪ちゃん。あれだけのレパートリーを持っているなんて、すごいよ。
これからも色んな料理を作ってくれるんだろうな、きっと。いつも美味しい料理を作ってくれて、ありがとう。)
時々はあまりに独創的なメニューを開発してしまう白雪だが、当番制が第3話以降柔軟化されてからの食事は、半分がた彼女の腕にかかっている。病弱な妹もいる中で、全員の幸せな生活を保つには、彼女の美味かつ滋養に富む食事が果たす役割は、それと気づかないながらきわめて大きい。第7話で航は空腹のまま放置されることで、このことを痛感した。そしてさらに、その料理によって醸し出される食卓のにぎわいは、孤独な食事ばかりが続いた航の心を芯から温めてくれつつあるのだが、これを伝えられるのは当分先のことだ。
(4)鞠絵
外の木陰で寝そべるミカエル、そして『Legend』第3巻と貝殻。鞠絵にとってこの夏は、兄が自分の夢をかなえてくれた、そして自分がこの世界で生きていける力と意志を与えてもらった、あまりにも幸せな季節だった。
航 (鞠絵ちゃんのそばには、いつもミカエルがいる。仲がいいんだね。楽しそうな鞠絵ちゃんの姿を見ていると、
ぼくも何だか幸せな気持ちになるんだ。またいつか二人で浜辺を散歩しようね。)
第8話で兄から大切なものを与えてもらった鞠絵は、その幸せな姿で兄に喜びを与えてくれる。穏やかで内気な彼女の性格は兄にとって親しみやすいものだが、そんな彼女を精一杯力づけてあげられたことが、今の航の自信につながっている。そして第9話で、兄が苦手と向き合うための余裕を与えてくれたのは、プールサイドで黙って兄の横に座った彼女だった。体の虚弱な彼女のそんな想いの強さと優しさ、そして秘められた本来の明るさと胸の大きさを、航はミカエルと共に知っている。
(5)春歌
竹林に向かえば、弓を引き絞る春歌と、的を射抜く矢の音。第2・7話では長刀の冴えを見せ、第5話では舞の稽古について兄に伝え、第11話では茶道の腕前を披露していた彼女は、今やさらに白雪に次ぐ台所の主戦力の一人でもあった。
航 (春歌ちゃん、お茶とか武道とか、春歌ちゃんは色んなことができるよなぁ。誰よりも大和撫子って感じがする。
そして、いつもぼくのことを色々と助けてくれて。ありがとう春歌ちゃん、これからもよろしく。)
春歌の思い込みの強さゆえ、第3話では兄を助けるつもりが勢い当身となってしまうという場面も描かれているが、第4話でカップを季節に合わせる風流さ、第7話の結婚式ごっこで顔を隠す奥ゆかしさなど、航の生活に潤いを与える繊細な感受性も、間違いなく雅な彼女の持ち味である。未だ春歌はヒロインとして兄のそばにいられる時を迎えていないが、それでも静かに日々の務めをこなしていく彼女の姿に、やがて到来する本領発揮を予想だにしえない今の航は、縁の下の力持ちとして感謝の念を抱いていた。
(6)四葉
屋内に戻って四葉の部屋に入れば、窓辺には愛用の虫眼鏡、机にはワトソン君を横に居眠りする姿。宿題疲れで一休み、無防備な寝顔を見て航もつい微笑んでしまう。
航 (いつも元気な四葉ちゃん。ちょっぴり困ったこともされるけど、でも何か憎めないんだよね。)
などと思っていると突然のフラッシュ。水飲み人形ワトソン君によるデジカメ自動撮影作戦、ここに大成功の巻である。寝言で呟く「チェキですぅ…。」の声に、探偵は眠っていても油断せずという彼女の信念が見て取れる。だが、その無邪気な態度を好ましく思いながらも、四葉のチェキにかける真摯な気持ちを航はまだ知らない。なお、千影の部屋には勝手に入らないのに四葉の部屋には躊躇なく入ったのは、当然「いついきなり入られてもチェキ」という四葉の探偵意識の一部として、航も既に心得ているのである。
(7)衛
風通しよく開けっ放しの部屋のドア。衛は肩の日焼けの跡を見せながら、ふと航に、こんな日焼けした女の子は嫌いかと尋ねる。そんなとはない、との応えに大喜びする姿には、衛の子供のままの開けっぴろげさがあふれている。
航 (ぼくと違ってスポーツ万能な衛ちゃん。いつも元気いっぱいで、その元気をいつの間にかぼくも分けてもらっていたんだ。
ここへ来る前は泳げないぼくだったけど、衛ちゃんのおかげで泳げるようになった。ありがとう、衛ちゃん。)
回想する兄の感謝の心を知らずして、衛はいつの間にか航のシャツをめくってお腹の日焼け具合を確かめている。この無防備さと屈託のなさも彼女の魅力であり、航が第9・10話で泳ぎを教えてもらおうと決断できた要因なのだが、それにしても咲耶とは逆の意味で動揺させられる衛の言動に、航は何か一言注意しなければと焦りながら、しかしお昼ができたとの白雪と可憐の声に、衛は兄の言葉も聞かずに階下に向かう。衛らしく兄の背中を押しながら、未だ色気より食い気の女の子のままに。
そして、静かな昼下がり。
(8)花穂
国語・算数教科書の横のノートには、"I like an elder brother very much. I say do your best in an elder brother."の文字。お兄ちゃま大好き、お兄ちゃま頑張れ。しかし未習の英文を記して覚える前に、計算ドリルで始終同じところを間違えてないだろうか。やはり宿題が終わらない花穂に、航は第1話での花穂の動作そのものを真似て励まし、花穂も「そしたら、花穂の勉強を手伝ってくれるお兄ちゃまを応援しなくっちゃ!」と元気を取り戻していつもの笑顔でボンボンを振る。
航 (花穂ちゃんって、いつも一生懸命ぼくのことを応援してくれる。
考えてみれば、この島に来るまで人から応援してもらうことなんてなかったな。
応援してくれる人がいることが、どれほど嬉しいことかも知らなかった。それを教えてくれたんだ、花穂ちゃんが。)
第3話で始業後直ちにチアリーディング部に入り、兄を応援したい自分の気持ちを行動に示した花穂。第4話では陰ながら航を支え、第11話では下の妹達の面倒を見、一生懸命に自分の役目を果たそうとする姿は、兄を力づけてくれた。第10話でも花穂の応援を受けられたなら、航の意気がさらに高まっただろうか。だが第4・6・12話に見るように、花穂のドジっこぶりは自他共に認める通り。真面目ゆえに落ち込む彼女を前にして、航は花穂のおかげで知った言葉を今度は彼女に伝えられるが、これを言葉だけでなく行動で示すのはまだ先である。
(9)鈴凛
座礁したプロトメカ4号は曳航され木陰で修理中。寝不足の鈴凛は、航の訪れに慌てて身だしなみを整え照れ笑い。潜航艇の改良に余念がないのか、それとも秘密の大発明メカ鈴凛がいよいよ製作の佳境に入ったのか、知らずに兄はただ微笑む。
航 (そういえば鈴凛ちゃんって、いつも何か作ってるよなぁ。色んな発明品があったっけ。
たまに失敗なんかもするけれど、どれも面白いものばかり。
鈴凛ちゃんは寝る間も惜しんで、ぼくやみんなのために一生懸命作ってくれたんだよね。)
第3・5話でのノートPCやモバイル、第6話以来の機関車整備、第9話での流し素麺、第11話での潜航艇など、共同生活を便利に楽しくする鈴凛の功績はきわめて大きい。兄に不満もぶつけられる彼女の自信満々な態度と失敗しても挫けない逞しさは、その背後に兄のためになりたいという献身的な想いを秘めていた。潜航艇の中で彼女の意外な色気と共にそれに気づけた航は、この共同生活を維持するための自分なりの努力について、鈴凛を見習いつつさらに模索していく。彼女の秘めた不安には、まだ兄の手は届かないのだが。
(10)千影
離れのてっぺんに翼を休める、第2話にも登場した白い鳥。妹の部屋を許可なく入っていいものかとためらう航を、背後から腕を取り「やあ、兄くん…。私の部屋が見たいなら…。」と囁く千影。近づく気配を感じさせない相変わらずの神出鬼没ぶりには、いくらか慣れてきた航もさすがに硬直してしまう。
航 (千影ちゃんって、不思議な女の子だよな…。一人でいる時、部屋で何をしているんだろう…。
占いをしている千影ちゃんなら何度も見たことがあるし、いつもぼくのことを占ってくれているみたいだけど、
結果を聞くのが恐い気がする。なぜだろう…。)
その台詞と重なるのは、タロットの「恋人」(Lovers)の逆位置を見据える千影の姿。航が知るはずのないこの光景は、まさに「聞くのが恐い」そして千影本人すらもが認めたくない「結果」を指し示している。第5話のメールに記された「別れ」の予知は、彼女を次の計画へと急きたてていく。それははるかな前世を知る千影が、今の機会を失って再び遠い未来まで待たされることを何としても避けようという飽くなき願いの表れなのだが、「いま」に生きる航にはその想いは伝わらず、ただ日々のすれ違いが千影にさらに陰を増していく。賭けが、必要だ。
(11)亞里亞
玄関前の階段に腰掛け、山田の襲来を一言で撃退。何をしてたの、という航の問いに「亞里亞、ばーいばーいー。」とだけ笑顔で応える彼女には、不要なものをきっぱり拒絶できるだけの強さが潜んでいる。
航 (亞里亞ちゃんって、不思議な子だよな…。まるで亞里亞ちゃんの周りだけ、ゆっくりと時間が流れているみたいだ。
ぼくは今までせかせかとしたスケジュールでしか生活したことがなかったから、
だから亞里亞ちゃんのそばにいると、ゆっくり時間が流れているように感じるのかもしれない…。)
第3話や第6話で、雛子と一緒に航の心を和ませていた亞里亞だが、それは幼さだけでなく、のんびりとしたペースを絶対に貫く彼女の頑固さによるものでもあった。そんな姿に航も、日常という時間の流れに身を任せることを知り、また変えるべきところは変えつつも自分らしさはそのままに保持してかまわないことを理解した。亞里亞の特異な感性には第4話で焦らされたものの、航がそれも受け止め庇ってあげたくなる彼女だからこそ、第10話で兄が泳げるようになる契機を偶然与えることもできたのだ。
亞里亞「亞里亞と、遊ぶー?」
しかし、今日はやるべきことがある。宿題の済んでいる亞里亞と一緒に、航は3階へ上がっていく。
(12)眞深
楽しい夏を演出したイルカが、窓の外にだらしなく干されている。宿題が見つからず午前中パニックに陥っていた眞深は、プリントが見つかったはいいが、その膨大な量を前にして途方にくれる。そんな折に訪れた航の「眞深のことが気になったから」という言葉は、彼女にはあまりに驚きだった。宿題を手伝おうとする航の善意に、眞深はしかしドアを閉めて拒絶する。
眞深「やっぱりいいや、自分で何とかする!うんうん、その方がいい!
えっへへ、まあそういうわけだから、気持ちだけありがたく受け取っておくね。」
怪訝な航と亞里亞を向こうにおいて、眞深は晴れ晴れとした顔で「やってみますか。」と笑う。航が自分を本当の妹の一人として平等に扱ってくれたことが何より嬉しく、だからこそ偽物の自分が他の妹達のための時間を奪ってしまうのは許せなかった。いつでもそんなふうに殊勝に振舞えるわけでもないが、ここは意地の見せ所である。
ところで、この眞深の場面では航の独白がない。これを想像して補えば、次のようになるだろうか。
航 (いつも元気旺盛な眞深ちゃん。色んなことが得意で、本当に頼りになるんだ。
ちょっと厳しいことも言うけれど、でも、みんなのためを思ってのことなんだよね。
時々は、またぼくを叱ってくれると助かるかな。あんまり叱られないようにしたいけど、ね。)
第6話ではやる気のなさを咎められ、第7話では思いやりのなさを怒鳴られ、第9話では自分の代わりに鈴凛をたしなめてくれた。互いに厳しいことが言いにくいこの生活の中で、眞深は汚れ仕事を自分から引き受けてくれている。兄としての務めもまだ不十分な航は、そんな彼女に叱咤激励されることに感謝し、そしてもっと強くあろうと決意する。
その一方で、別の役割を無自覚に担う山田は、終わらない宿題に3日間徹夜しつつ、早く妹達の手伝いに行かねばと気が焦る。その気力は大したものだが、だったらなぜもっと早く済ませておかないのか。じいやにバイトでつられて完全に拘束されつくしたのかもしれないが、行き当たりばったりな姿勢は相変わらずである。また、「あれだけの人数いるんだ、一人くらい宿題終わってない妹さんが!」という台詞には、未だに誰か一人を見ることのできない彼の壁も示されている。これがどうにかなるまでには、山田が自分自身の有様を直視することが必要なのだが、それにはしばらく時間がかかる。その手がかりはこの第13話で、ウェルカムハウスからの帰り道「それにしてもいきなり『バイバイ』はないよなー…。」と涙ぐむその挫折の痛みに、ようやく見いだされつつあるはずなのだが。
そして、残る近接支援者のじいやは、日中は縁側でお休みである。いつでも出動する構えとはいえ、明日からは学校で仕事なのだ。
(13)可憐
妹達の宿題もようやく片付き、航が満足げに自室に戻ると、机の上にはお茶の仕度が整っていた。
「きもちをリラックスさせてくれるハーブティです。試してみてください(はぁと) かれん」
名前までひらがなの幼いメモは、兄が兄なら妹も妹の書き方だが、これは可憐の子供っぽさ全開間近というところか。それはさておき、咲耶で始まった妹巡回のトリを飾るのは、やはりこの人だった。しかも姿を現さずにこの気遣い、さすがは可憐というところである。
航 (思えば、この島に来て最初に会った妹は可憐ちゃんだったな。溺れそうになったところを助けてもらったんだっけ。
この島に来たばかりのぼく、その不安を取り除いてくれた。ピアノが上手で、可愛くて…。)
「可愛くて」。この言葉一つをとってみても、可憐の特権的な地位がうかがえるというものだが、第1話で恋心を抱きかけた航にしてみれば、未だに強い好意を持っていても不思議ではない。第1話以来家でも教室でも自分をそっと支えてくれてきた可憐の力添えも決して忘れていないだろう、ただ彼女の陰ながらの働きは知る由もないが。そんな可憐が不安な時には、第12話のように今度は航が支えられるようになりつつあった、ただ第7話のように兄の鈍さはなお凄まじかったが。ついでに言えば、アイスピックも胸もさほどの効果はなかったが。
2.一人の兄
夕暮れの自室、この島に来て以来のデジカメの映像を見ながら航は寝転がる。
航 (いつもそばにいてくれたぼくの妹達。悩まされたりもしたけれど、それでもみんなは一生懸命ぼくのことを気遣ってくれて…。
そんな妹達に、ぼくは一体、何ができるんだろう…。)
身を起こし、航は考える。この夏休みの終わりに、みんなへのお礼として、また宿題を頑張ったご褒美として、兄から何かできることはないのか。航の想像力はまだまだ柔軟になっておらず、気の利いたアイディアが浮かびそうにはない。ならば、と彼は思い出す、妹達が喜んだ出来事を。せめてそれをもう一度、それが今できる精一杯であるならば。
あった。だが、果たして自分にできるだろうか。時間も足りないうえに予算も間に合うか分からないが、航は街へと駆け出した。そこには夏休み最後の仕事に備えるじいや達が待っていた。
そして夜。兄の掛け声で妹達のカウントダウン、光が一斉に花開く。打ち上げ、回転、しだれ、吹き上げ、盛大に夜空を彩る花火の煌きは、一体どれだけ金をつぎ込んだのかと心配もしたくなるほどに素晴らしいものだった。おそらく、小遣いをはたいて店の花火を買い占める勢いで駆け回っていた航は、和風の玩具屋で3丁目商店街福引券をもらい、商店会長じいやが仕切る抽選場でガラガラッと回してみたらポロリと金色、見事大当たりの1等賞。見ていたコンビが拍手しながら「運がいいねぇにいちゃん。」「羨ましいかぎりだぁ。」賞品は本格的な花火のセッティングも選択可能、といった経緯があったのだろう。(3丁目が和風の町並みであることは、『潮見工房』の「プロミストアイランド案内」参照。じいやが昼間に「縁側」でくつろいでいたのもこの和風街だから、航が花火を買っている間に抽選場を設けるという迅速な対応が可能だったはずだ。)美しい光景に喜び騒ぐ妹達、宿題に埋もれつつその声に窓辺から外を見た眞深も、「あんちゃんにしちゃあ上出来だ。」と及第点をつけた。航の独創的なアイディアではないものの、夏の旅行の夜を思い出させるこの光景から、妹達への兄の気持ちがよく伝わってくるからだ。一緒に楽しい夏を過ごせてよかった、というその想いが。
色とりどりの輝きに照らされながら、宿題が終わった安堵感を口にする妹達。「亞里亞もー。」という言葉に、この子があのペースで間に合ったのか(しかも昨日までに)という疑問を抱くが、亞里亞の背後で千影が微笑む姿に、千影がこの幼い妹の面倒をみてやっていたのではないか、という印象をうける。感受性が近いうえ千影への警戒心もなく、さらに、やがては第15話や第18話で不可視の存在を見ることができるなどというかたちで示される亞里亞の潜在的能力も、この時点で千影が気づくところとなっていたのかもしれない。そのことも含めて、亞里亞は千影の最も親しい妹となっていると考えられる。原作でも年少の妹達と仲が良い千影だが、このアニメ版でも(雛子達を含め)同様といえるだろう。
宿題の手伝いをしてもらったこと、そしてこの花火と、妹達は兄に感謝する。しかしこれは、自分こそ皆への礼が言いたかった航にとっては不本意な事態だった。一番大事なことを告げるタイミングを逸してしまったことに、航はしくじった、とうなだれる。そして、ここに眞深がいないことは、妹達全員へのお礼がそもそも不可能だったことを露呈してしまうのだが、妹達はこの13人目を忘れてはいなかった。
鈴凛「あれ、アニキ、眞深ちゃんは?」
航 「ああ、まだ宿題が終わってないって。」
四葉「四葉みたいに、兄チャマに教えてもらえばいいのに。」
航 「一人で頑張るんだってさ。」
四葉「ふーん…。」
このやりとりを見れば、眞深は妹達からも仲間として認められている。いないことを気遣われ、妹である自分達と同じように彼女も兄に扱ってもらえることを望まれている。第6話以降の接近と、夏休みを通して苦楽を共にした経験が、眞深をこの共同生活の一員にしたのだ。(とくに鈴凛と四葉は第12話での寝位置が並んでいるように、眞深と仲がいい。)そして、偽の妹であるがゆえに遠慮する彼女の態度を、妹達は眞深の誠意と受け止めたのか、それとも今更ながらの水くささと思うのか。だがともかく今は、夏休みの最後の思い出を兄と満喫することが先決である。余裕をもってこんな喜びが味わえたのも、つまり航が宿題を手伝ってくれたからだ。再び兄を褒めちぎる咲耶の言葉に、航は照れながら満更でもない気分だったのだが。
航 「すっかり忘れてた、旅行に持っていくつもりで別にしておいた、あの分厚い問題集ー!!」もんだいしゅーもんだいしゅー
兄らしいことができた満足感も台無し。昔ならばこの問題集を疑問なく持っていったところだが、妹達との旅行の楽しみに専念するにはこんなもの不要なはず、と思い切って置いていったのが完全に裏目に出た。慌てて夜更けにページを繰る机の上には、数学IIの教科書があり驚かされる。高1の夏休み前に数IIが既習範囲とは、都のエリート進学校に負けず劣らずの恐ろしいカリキュラムである。(ただし、第1話でビクトリー塾を出た航達は既に数IIの参考書を手にしているが。)妹達との生活重視とはいえ決して学力面で甘やかさず、徹底した英才教育を維持するというじいやの方針がここに読み取れる。これに引きずられる山田達こそ災難だが、航にしてみればこの程度の宿題はあくまで量の問題でしかない。
航 (こんな状況なんて初めてだ、まさか自分の宿題を忘れるなんて…。)
その量こそが今宵は問題なわけだが、急いで解き続ける航の部屋を、こんな夜中に訪れる妹がいた。可憐である。
可憐「ごめんなさい、可憐たちのせいで、お兄ちゃんの宿題をやる時間が…。」
航 「そんなことないよ、ぼくがうっかりしてたんだ。」
可憐「…お兄ちゃん、」
航 「ん?」
可憐「可憐に何かお手伝いできることないですか?」
航 「え!?」
伝家の宝刀、一閃。可憐が宿題を計画的に片付けていたであろうことは予想がつくが、普通なら、兄と一緒に居る時間を確保するために、答え合わせなどの確認をしてもよかったはずであり、そうしていれば問題集が1冊足りないことぐらいすぐ分かっただろう。だがその当たり前のことをあえて行わず、日中は他の妹達のために忙しい兄を気遣い、そしてこの過失の瞬間に詫びながら助けに入る。いや、問題集の見落としは偶然だったかもしれないが、それにしても恐ろしいまでの切れ味である。
航 「聞いてくれ、燦緒。宿題を忘れるなんて初めてだよ。本気で焦ったね…。
でもさ燦緒、思うんだけど、ぼくにとっては、きっと宿題を忘れるほど忙しい夏休みだったんだよ。
…いや、忙しいというよりは、楽しい夏休みだったんだ。」
しどけなく、あどけなく、様々な寝姿で安らかな夢に見入る妹達。その中で可憐は、宿題の手伝いの最中に力尽きてしまったのか、兄のベッドで眠っている。航はといえば椅子に腰掛けたまま寝息を立てているのだが、この状態が計画的なものだったにせよ成り行きのものだったにせよ、さすがにこれはやりすぎである。こんなことが他の妹達に知られたら、可憐の立場はない。第7話以来、可憐の心の闇と純情さとは一見矛盾しながら相互に立ち現れてきたが、今回綿密な策略のようであまりに無謀な行動となったあたり、彼女の精神は両極の間で一過性の無重力状態に陥ったものと思われる。この危機的な過渡期を何とか無事に越えた可憐は、ようやくその純真な心が優位に立ち、続く第14話では素直に兄に甘えられるようになっていくのだ。そして、そんな変化をも受け止められるほどに、今の航は成長しており、さらに可憐を含む妹達の問題と向き合う中で、一緒に成長し続けていけるはずである。少なくとも苦難に耐えていく力は彼に間違いなくあるはずだ、可憐と一緒の部屋で別々に眠れるとは素晴らしい我慢強さではないか。論者はこれを惜しみなく賞賛する次第である。
終わりに 〜転回点を一緒に過ぎて〜
夏休みは終わり、また学校が始まる。初めての秋に、航は、今まで自分が受けてきた支えに応えようと、今度は自分が妹達のためにできることを、日々自覚して模索していくことになる。その不慣れな努力はなかなか様にならないだろうが、この島のこの家で生きることの幸せを、航なりに絶えず自分から作り出していこうという積極性は、初春に心を閉ざしていたことに比べれば、どれほど大きな成長であろうか。だがその成長の芽は、第2話で妹達を守ろうとなけなしの勇気を奮った姿に見られるように、彼の中に元々備わっていたのである。そんな自分のよさと成長の様を本人が最も気づかぬままに、しかし少しずつ自信と勇気を蓄えながら、本当に自他共に認められる兄を目指して航は自分から歩んでいく。それは同時に、兄の支えを受ける妹達が、それぞれの問題を乗り越えていく過程をも指し示していくことになる。相互の関係性をほぼ作り上げたうえで、こうして共に高めあいつつ歩んでいく兄妹の姿が、これよりしばらく個々の妹ごとに描かれていくことになるだろう。物語はついに折り返し点を越えたのだ。
そんな兄妹が休らうプロミストアイランドを睥睨するオブジェの上には、帽子の少女が夜闇の中に立っていた。未だその正体を明らかにしない、いやその正体を思い出す宿題を航に終えてもらえないこの少女に、昼間穏やかだった風が今や横様に吹きつける。この風は今後の航達の苦難を予感させるだけのものではない。第11話で緊急時にあたり天候を変える力を行使されたこの島だが、その力の持ち主は実はこの少女だったのかもしれない(第23話の結界は結局別人を想定させるが)。しかしそれが誰のものにせよ、力の行使は島を取り巻く四大(地、水、火、風)の均衡を大きく崩してしまい、とくに荒天をもたらすために強化された風の精霊の力は、支配の手をわずかに逃れて勝手な振る舞いを見せるほどに、その余波をとどめていた。今晩の打ち上げ花火程度でこれを弱めることはできない。平和なウェルカムハウスの日常の中で、この影響を鋭く看取したのが亞里亞と千影であり、とくに亞里亞は第15話において、これを通じてヒロインの機会を獲得することになるだろう。
(2002年8月3日公開 くるぶしあんよ著)
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