日記
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2008年11月1日(土) 絵はたぶん桜玉吉(下品)
 以前ついったーで、「グイン・サーガは童貞英雄物語」という思いつきを書いてました。シルヴィアに汁びあーできないグインのせつなさ炸裂。ちんちんもきっと豹柄の皮をかぶってる、と。
 で、どなたか「ルードの森で敵に追われる聖双生児の前に現れたのは、豹頭のちんちんを突き出した偉丈夫だった」という絵を描いてくださいませんでしょうか。リンダ困っちゃう。その後、グインは双子を守って逃避行。頭をマントの下に隠してる代わりにちんちんがいつも表に出てて、その姿のまま悪鬼のごとく戦う。ものすごく強いのに、無表情のちんちん丸出し。豹柄の皮をめくろうとしても叶わない。読みながらぼく号泣。
 ナリスは断種されます。
2008年11月2日(日) もう戻れない(下品)
 膀胱が限界になってるときの夢って、普通は「トイレに間に合わない」とか「トイレで用を足そうとしている」とか、いずれにしても自分が当事者じゃないですか。
 でも今朝ぼくが見た夢は、
「会ったこともない妙齢の女流棋士と町を散策していて途中でなぜか別行動することに。しばらくのちに再合流しようと探していると、彼女はどこぞの店先の小さな手洗い場に腰かけており、『お願い見ないで』と懇願しながら今まさに放尿しようとしていた」
というものでした。赤の他人に自分の尿意を託すようになってしまった模様。
 目覚めてその事実に呆然としつつトイレに向かいましたが、2直角。
2008年11月3日(月) 文化な話題
 山本正之の歌『ボクの夏』冒頭のは、隣家のちょっと年上のお姉ちゃんの胸が最近ふくらんできたので、一緒にお風呂に入らなくなった、というものなのですが。そのあとの歌詞を聴けば素直に、成長していく女の子においてけぼりされたような気持になってしまった少年の、その後ろを追いかけていこうという心境が吐露されていると分かるわけです。
 でも、これってもしかして。一緒にお風呂に行かなくなったというのは、この少女が自分の女性的成長によって恥ずかしくなったためではなく、この少年の側に理由があるのではないか。つまり、少女の胸がふくらんでしまったがために、一緒に風呂に入る興味を失ったという、つるぺた大好き少年の痛惜の念が歌われているのではないか。と仕事中に気づきました。識者の意見を求めます。
2008年11月4日(火) べたべた
 ベビプリ青空(11/4)。
 ああ青空はかわいいなぁ。みんなかわいいですが。
 さてハロウィンの戦果報告であります。百個。サバ読んでるわけじゃなくて、「ひゃっこ」イコール「たーっくさん」。友達百人というのも同じ意味ですね。その方向で考えれば、すでに百人姉妹も同然と言えましょう。
 数珠つなぎのキャンディーをずっとぐるぐる数えている可能性もありますが(次女)、ともかくたくさんもらえたことは間違いなし。そして、今回も嬉しさを兄に分けてあげて、さらに倍。しつけも行き届いていますから、一日一個の約束はきちんと守ります。でも、残りのお菓子と「おふとんでいっしょにねんね」はやめようね青
空。においにつられて、夜中に布団の中に這い寄ってきますよ(次女)。
2008年11月5日(水) 天まで飛んで
 ベビプリ綿雪(11/5)。
 あ、元気だよかった。暑くても寒くてもいけないんでしょうけど、この季節は澄み切った空気が心身に心地よいみたい。「しあわせ、/しあわせ(はぁと)」とか、聞いてるこっちも顔がほころびます。
 兄が来てからというもの、綿雪には初めての幸せが次々と訪れています。このたびはハロウィン初参加。学校関係はまだまだだけど、幸せがひゃっこなこの頃に、読者としては今後も上り調子と期待していいのでしょうか。

>きっとバチが当たって、
>今の生活がパチンって
>シャボン玉みたいに
>こわれて消えちゃうような気がして――

 なんて読むと、すんごく肌寒くなるんですが。シャボン玉のモティーフはアニメ版パロディ第5話で自分も用いてるので、言えた義理ではありませんけど。霙姉さんの抑制のきいた言葉を思い出すのはこういうときです。
 でもまあ、それはそれとして、氷柱が結局「うさぎちゃん」コスでハロウィンに参加させられたという事実を単純に喜びますか。いや、ほんと笑った。横でライオン姿の立夏が、「私、月野うさぎ。」などとアテレコしてないか、と想像しましたが、うわー立夏の年齢だとセラムン知らないんだー。
2008年11月6日(木) あんにゅい
 ベビプリ(11/6)。
 う、どきどきした。冒頭から、ああまた何か鉄道関係で廃止されるのかな、と思いましたが。

>あなたも――
>いつかは去っていくの?

 なんて、とんでもない危険球が。よけられるか長男。無理だ。
 でも直ちに平常運転に復帰。「あなた」と呼びかけられている対象が、長男とは限りません。きっとやっぱり鉄道関係の何かだと予想しつつ、明日の更新を恐る恐る待つ次第。
2008年11月7日(金) めらんこり
 ベビプリ(11/7)。
 好きなものが増えていくことの喜びよりも、それらが消え去っていくことへの哀惜が強いこの妹。トマソン芸術などを探索させたら、いかんなく能力を発揮するのでは、などとどうでもいいことを考えました。
 や、そんな軽口をたたけない雰囲気なんですけどね。麗が今日も告白しているような感情を、分岐器の音への慈しみを、共有してくれるどころか真面目に聞いてくれるきょうだいが、今までいなかったわけで。ぽつぽつと語ってくれるだけで、兄冥利に尽きると言うべきなんでしょう。昔は、霙がこの役目だったのかしら。
 「昨日は」から先を読めば、そのまんま甘えさせてあげたくなります。
2008年11月8日(土) 土曜は土星の影響が
 ああ、あいそ銀行に蓄えたあいそが尽きていく。

 落ち込んだので佐藤大輔『皇国の守護者』を読み返したり。でも、その世界から戻ってきたときいっそうどんより。自業自得です。
2008年11月9日(日) いろいろおわた
 朝プリキュア。6人なのに、ドリームとローズが手を握った瞬間に原点回帰の「ふたりはプリキュア」状態出現。他のメンバーがうまいこと脇役にならずにいけばいいのですが。
2008年11月10日(月) 姉を見上げて
 ベビプリさくら(11/10)。
 真璃に憧れるさくらの巻。たった2歳しか違わないんだけど、その2年って時間はさくらのこれまでの人生の半ばを越えるんですよね。しかも、すんごい主体的で弱いとこを見せない姉ですから、逆にみんなから遅れがちなさくらとしては、そりゃもうすごさに心うたれると。
 真璃を咲耶、さくらを花穂と置き換えても、この関係はしっくりいきます。お互いまんま似てるだよねー。『マジカルヒナ』で咲耶と花穂を姉妹にしたのは、そういう姉への視線を描きたかったから。ただし、すでにそれなりに成長しているシスプリ姉妹の場合、咲耶が自分にない花穂のよさを見いだせるのだけど、真璃とさくらではまだそんな余裕はありません。しかも、下の虹子・青空がまたしっかり者っぽいから、よけいに大変。
 だけど、姉に憧れるということは、前に進もうとするこの1年のさくらの意志があればこそ、初めて芽生えた感情なのだから。自分のペースで着実に、まずはお弁当を食べきるというところから、頑張っていけばいいのだと思います。
 そして、いつかは。花穂が亞里亞の手を引いていけたように、さくらも立派な姉となることを信じています。
2008年11月11日(火) 甘さの秘訣は体温
 ベビプリ春風(11/11)。
 今日もまた、季節外れの春風邪をこじらせておりますこの姉。いったいどこを触れとけしかけていらっさるやら。もちろんそれはたい焼き。うぐぅ。霙姉さんの誕生日祝いに、ご所望のたい焼きを買ってきたのはいいですけれど。それをどこにしまいこんでいたのやら。冷めないように人肌で保温していたというのでしょうか。いや、家族全員分をしまうスペースは服の中にないはずだから、弟と食べる分の1個だけ選んで、胸元あたりにはさんできたのでしょう。なんというたい焼き。夏だったらチョコバナナ。それだと「コイビト同士」どころかただのイメージプレイです。
 頭かしっぽかと尋ねる姿もまぁ微笑ましいのですが、二人で分け合うというのはまさかとは思いますが、たい焼きを半分にちぎらずに、二人で頭としっぽから食べていくなんてことは……ありそうだから春風邪の季節。
2008年11月12日(水) 清く正しくふとましく
 ベビプリ立夏(11/12)。
 姉妹の誕生日で甘党は大喜び。その最右翼から2番目あたりに位置する立夏ですが、姉達が作ってくれるスイーツもさることながら、「ちっちゃな妹たちといっしょに/ホットプレートで楽しく作るホットケーキ」というのは、ほんとにねえ。想像するだに楽しすぎます。
 こんな食欲魔人のままでいいのかな、と若干気がかりですが、カロリー消費量も馬鹿にならないように思いますので、けっこう釣り合ってるのかしら。ケガもすぐ治るくらいだし。たぶん寿命が尽きるときにも、周辺にいる他の生命体を吸収して蘇生するに違いない。もはや超人ロックなみ。
 さて、そうなると心配すべきは食欲そのものよりも、「ヨダレ」たらすなどというお行儀の悪さ。叱ってやるのが兄のつとめ。こら、涎はケーキじゃなく兄にたらしなさい。と予定通りの反応を書き込む前に、立夏の超能力がほんとに発揮されました。それは音波。むしろESPジャマー風味。霙姉さんにけなされても負けないけど、それでも「ちょっとぐらい歌が下手だって――」と言うあたりが、この子のバランス感覚です。
2008年11月13日(木) わたわた
 ベビプリ(11/3)。
 「たいへんたいへん――」たい変態。ああ懐かしの『すすめ!パイレーツ』。
 や、やばいそれどころじゃない。イシャはどこだ。ああそんなメメクラゲなんかどうでもいい。
 観月が水ぼうそうらしいということで、これは大家族ではとくにたいへんな事態です。乳幼児も多いし、ほんと「緊急事態」。「大急ぎで病室を作らなくちゃ――」とか「ユキちゃんのこと」とか、こういうときの備えも経験もあれど、だからといって落ち着いて対処できるわけでもありません。そいえば以前も風邪が次々と流行っていったことがありましたね。
 あれだっけ、成年男性が罹患すると高熱で精巣があむないというのは、麻疹だけだっけ。どのみち妹のためなら、そればかしの危険などなんのその。大丈夫、ちんちん外して金庫の中にしまっておきます。
2008年11月14日(金) ゆうゆう
 ベビプリ真璃(11/14)。
 姉たちがバタバタしてる一方で、しっかり落ち着いた態度のマリー様。さすが王妃、かっこいいです!
 もちろん根拠あっての余裕であって、すでに水ぼうそうは済ませている由。しかし「証拠写真」て霙姉さん。またあなたなのか。でもそういう写真を撮影してしまうというノリは、自分にも経験が……。というか、長く苦痛の激しい手術後にぐったり寝込んだ自分の写真を、親が同じノリで撮っていたことが……。すごい嬉しそうにその写真を見せるので、頭にきたぼくは一言、「ところで、切った臓物はもらえなかったの?」血は争えません。
 「ブツブツ」を観月と二人して数えるというのも、可愛らしいというか、この姉妹らしいというか。蛍が心配して慌てている横で、霙がじつに悠然と構えていると、吹雪が倒れたときもそうでしたが、他の妹達も落ち着けるんでしょうね。もちろん蛍や春風がほんとに心配してくれてることも分かるから、両方があってちょうどいいという。長男も、霙と同じように振る舞えたのか、それともわたわたしたのか。
 とりあえず、霙姉さんの部屋で「姉妹の病気アルバム」を見せてもらいましょう。
2008年11月15日(土) 愛を換金
 mixiにて「個人のロマン」と「経済波及効果」の話があったのでこちらに書いてみる。個人の趣味嗜好を経済的・統計的に括られたくない、ということについては同感です。
 『らき☆すた』の場合、鷲宮という町がその目論見どおりに潤ったことは素直によかったと思いますし、アニメで町おこしという潮流が今後広がっていくのだとすれば、それはそれでかまいません。ただ、どんな場合でも経済効果と表裏一体のものとして、その作品を住民の方々が実際に好きになってくれること、一部の方々でいいので作品自体を本当に大切にしてくれることを、心から願っています。アニメは金儲けのために「も」存在してるけど、そのため「だけ」のものではないので。
 要は、町に生活の一部として根付いていってほしいんですかね。例えば役所に「財政赤字はステータスだ」と掲げてみるとか。鷲宮が貧乳特区になるとか。貧乳だと還付金があるので、それを求めて全国から女性移住者が。そしてそういう女性を求めて全国から男性移住者が。じつに厭な町になりそうです。

 ついでに思い出すのは、シスプリ考察を書き終えて1年ほど経った頃に「あ、考察ページからアマゾンなんかにリンクしておけば、購入してくれる人がいるかも」と悩んだこと。でも、タイミングを逸したからではなく、作品の宣伝はしても商品(というか特定の通販会社)の宣伝はしないという理由から、そういうリンクは避けました。
 考察を読んで作品のファンになってくれる人がいたなら、と言いながら、しかしその作品を知るために当然必要な商品を読者が購入しやすいようにと計らうことはしない。どうもこのあたりに屈託があるみたい。メディアワークスの直販ページがあったならまだ迷っただろうけど、通販ショップは作品とは無関係だし。まさしくロマン主義的な潔癖感。だからこそ、考察公開当時にご自身でDVDを探して購入してくださった読者の方々には、ほんとにありがたく思ってます。

 経済波及効果だけ純粋に求めるのなら、大空寺あゆみたいな子をご当地キャラにして「愚民ども献金せよ!」と叫ばせればいいんじゃないかな。献金のお返しは猫のうんこ。あるいは、せんとくんが「呪うぞ」と言えば地方税も収率アップ。時代はゆるキャラじゃなくて高圧キャラですよ。
 本気でゆるいキャラというのもありか。つまり口からよだれ垂らしてる。『Kanoso』の真琴みたいなのとか。あるいは尿道がゆるくて気がつくと失禁してるのとか。

 自民党のマスコットをこなたに、民主党のマスコットをかがみにしてみるテスト。民主党がどんな政権批判をしてもただの照れ隠しにしか思えなくなります。かがみは今期もまたみんなと同じ与党クラスに入れませんでした。社民党はさながら背景ですぜ。
2008年11月16日(日) 急に寒い
 プリキュア、4君主ついに揃うの巻。最後の場面で、ブンビーも悪運尽きたかと驚きましたが、あーさすがというか(笑)。ハチというよりゴキブリのしぶとさです。お話としては、こないだのクイズ番組ネタといい、かれん中心が続いてるような。動揺する親友をそっと支えるこまちが絶妙でした。
 OP映像には今度の映画の場面が挿入されてましたけど、アクアとルージュが共闘中に互いの手を握る姿を見て、ああそうだこれがプリキュアの原点だと感慨ひとしお。前作映画でもこういう光景があったんでしょうかね。あと、青&赤、緑&黄というペアを前に、ついシンメトリカルドッキングというフレーズが。

 ベビプリも来月には1周年ということで、記念に何か企画されてるみたい。ついにアニメ化ですか(早すぎ)。12人でも作画崩壊してたのに、19人では想像するだに恐ろしい。いつか本当にアニメ化したとして、普通に家族生活を描くんですかね。それともあれかな、ゼノグラシアのように完全オリジナルでいくんでしょうか。
 そいえばゼノグラシアって一部で「黒歴史」扱いされてるようですが、アイマスのアイドル達が演じたSFドラマとして受け入れることはできないものかしら(いわゆるリピュア解釈)。千早があんなことになった話を撮影したあと、「お疲れさまー」と春香が飲み物を渡してる、と。ゲーム版の元キャラとあまりに違いすぎる場合は、「よくあれだけイメージと違う役柄を演じきれたものだ」と、好きなアイドルの意外な才能と努力に驚き、愛情をさらに深めればいいのでは。
 さて、ベビプリでそういう非日常的ドラマを作るとなると。小学生以下の妹達は棒読みの声優でいいことになりますね。だって、演じてるんだから棒読みがむしろ自然というものなので。
2008年11月17日(月) 疱瘡兄妹
 ベビプリ(11/17)。
 観月の水疱瘡も峠を越えた様子、大過なく済んでよかったです。他の子も無事でさらに何より。ぼくは小4のときに発症して、ずいぶん熱を出した記憶があります。罹るのは早いうちがいいよね。それにしても、小雨はついてないというか、納得してしまう不運ぶり。
 さて、元気を取り戻した観月について、冷静に「いくらしっかりしているといったって、/観月はまだ幼稚園年少の小さな子供」と語る霙姉さん。そうですよね、お布団の中で寝返りごろごろうちながら、退屈してるはずですよね。キュウビが枕元にいるのかもしれないけど、家族の賑わいから遠ざかってるのもつらいところ。真璃だって、いつもそばにいるわけじゃないし。
 こんなふうに幼い妹を思いやれる姉らしさへの敬意が、差し入れとして考えついた和菓子の一覧を見て一気に萎えるのはなぜかしら。いや、観月の好物なら別にわるかないんですが。そして思案の結果、差し入れに選ばれたのは長男。これもまあ、そうでしょうねと納得です。あまり暴れては体に障るけど、適度にエネルギーを発散させるにはちょうどいい相手。さて何をして遊びましょうか。体力と体格があれば、「寝床ごと持ち上げてブランコ」とかできますが、さすがに何度もできないので、逆に寝床の下に潜り込んで部屋を徘徊する「大陸移動説」とか。そしてはしゃぎすぎて氷柱などに叱られるの巻。そのとき霙姉さんは、差し入れるはずの和菓子を頬張っていた。
2008年11月18日(火) 眼鏡の由来
 ベビプリ小雨(11/18)。
 観月の快復著しく、かさぶたもほとんど消えたみたい。でもまだおしりに残ってるのか。全身チェックした小雨の証言であります。そいえば、自分の水疱瘡のとき、股間にかさぶたができたんだっけか。うーん覚えがない。
 そんなどうでもいいことはさておき、とくに女の子は病気の跡が残らないことが大切。小雨は残念ながら、腰骨のところに残ってしまっているそうで、これ立夏なら服をぺろっとめくって兄に見せてるとこですね。小雨はそんなことしない。想像するに任せる、それが小雨の罠。いや、そんなこと考えてもいないでしょうけど。ちなみにぼくは、手術の跡が皮膚に必ず残る体質だそうです。ケロイド体質ってお医者さんに言われたよ。盲腸の跡とか、もうね……。小雨はそこまでのものじゃなさそうなのが救い。
 さて、昨日はちゃんと務めを果たせた長男。離れから響く観月の笑い声を聞いて、嬉しく思うとともに羨ましさを覚える小雨。自分の病気のときにはまだ兄がいなかったから、いまの観月はいいなぁ、と。それは年長者が年少者を羨む気持ちとないまぜになっていて、小雨がお姉さんであることのしるしでもあります。その姉らしさは、明日で無事完了となるはずの通院に、「帰りにみんなで/お迎えに行って――」と言えることにも表れてます。兄と2人で、じゃなくて「みんなで」。長女と同じ公正さ、きょうだい全員で喜びを分かち合うということを、小雨はここで自然に示してるのです。
 ところで、小雨は病気中に『ホビットの冒険』を読んでたそうですが。あの終盤の、血沸き肉躍る戦いの光景を、小雨はそのときどう感じたのかしら。意外とそういうの大丈夫なのか、それともその段で目を回してしまったのか。そこからトールキンにはまって『シルマリル』や旧版の『指輪物語』を読み始め、あの文字の小ささに視力を落としたという流れかも。
2008年11月19日(水) しっかりうっかり
 ベビプリ海晴(11/19)。
 ええ、幼児部屋の歓声が聞こえてきますね。もうルパンダイブ寸前です(脱ぐな)。
 真璃と観月の相性のよさというのは、企画連載当初にはまったく予想だにしませんでした。不覚であります。真璃をもちょっとわがままな方向で捉えていたこともあり……妄想アニメ版では、そのへんが兄との生活の中でリーダーシップに変化していく姿を描けないかと考えてました。すでに立派なお姉ちゃんだったのね。
 あと、猫玄のツン幼女絵で想像してたとか。
 で、考えれば海晴姉さんが言うとおり、真璃は2年続けてお部屋のトップ。そりゃ経験豊富なリーダーにもなりますか。小6から中1に進むとき、最高学年から最低学年にいきなり変わって兄姉らしさが消えてしまう、という話をどこかで聞いたことがありますが、真璃は同級生相手にも優位を占めてるので、たぶんこのままいくんじゃないかな。で、頼れる二人の姉のもとで、しばらく甘えんぼさんでいられるさくら。
 その背景にある綿雪の病弱さについても、海晴姉さんは言及してますけど、「やっぱり、日常に慣れてしまうと/そのことを――/忘れてしまったりするのよね。」ということは、最近の綿雪はどうやら床に伏すことがほとんどない模様。これは本当に喜ばしいことです。こないだも元気ぶりを示してくれていて、読んでるこちらが逆に心配になるほどでしたが、ええ。じつによかった。歓喜のあまり、長女に「ぎゅううぅって」してもらっても悪いことないですよね?
 そして氷柱に見つかって、首をぎゅううぅってしてもらえる罠。
2008年11月20日(木) かさぶたかいかい
 ベビプリ観月(11/20)。
 「本復」なんて言葉、幼稚園児はふつう知りません……今更ですがすごい子たちです。でもトンプクならどうか(無関係?)。
 かさぶたも残りわずか。フム、保存しておこう(禁止)。さっそく「疫神」の話というあたりが観月らしいですが、その方面に詳しくないぼくは、ルーンクエストの「病の精霊」を思い出してたり。POWはいくつぐらいでしょうか。「顔の真っ黒な――/病いの神」なんてものを間近に見たなら、さくら達はもちろん長男でさえ恐怖に倒れそうです。ぜったい夢に出る。うわー。そんなのを日頃ごく当たり前に見ているこの妹は、さすが肝が据わってますが、それとともに、その話を兄もまた、見られないならせめて分かち持たねばなりますまい。ところで観月は、疫神が見えても必ず避けられるわけじゃないのね。2chの「アムロがガンダムじゃなくてガンタンクに乗っていたら」スレにあった、「見える……でも避けられない!」というコメントを思い出しました。
 しかし、長男を恐れている病の神とはまた面妖な。そもそも面妖な存在ではありますが。なぜそんなに恐れるのかと考えたところ、兄が陽の存在であるためか、それとも……この水疱瘡の神以上に、兄の病気が凄まじいからか。観月と一緒にお風呂、などと心ひそかに小躍りしている兄のオーラが疫神を圧倒。なお、かさぶたは後でスタッフがおいしくいただきました(重病)。
2008年11月21日(金) てっぺんはげたか
 ベビプリ吹雪(11/21)。
 トンスラ……? トンヌラ?(それはアリスソフトのスタッフさん)修道士などが頭のてっぺん剃ってるあの髪型ですか。でも、なんでそんなタイトルが?
 と思う間もなくエラトステネスの話題。井戸に差し込む日光の角度の差と2地点間の距離から、地球が丸いこととその大きさを推測したという。吹雪が言うとおり、数学とは素晴らしい学問です。でも、ここで言いたいのはそのこと自体ではなく、「私は答えのでない物事が好きではありません。」ということ。きっと、哲学なんかしちゃいけないタイプ。あるいは、すんごい哲学を生み出してしまうタイプ。徹底的に考え抜かないと気がすまないという人は、日常生活を送るためにはどこかで停止させてやらないとあむないのです。どうでもいいや、で片付けることができないのね。
 さて、今回のそんな問題とは夕凪の何気ないフレーズ。「はっぴーらっきーはねむーん♪/お兄ちゃんは夕凪のみらいのおむこさん〜(はぁと)」という言葉を、吹雪の日記で読むとやたら違和感があるのですが。これを吹雪声で想像すると、とても微笑ましいのですが。ともかく、ここから吹雪の大脳がぎゅんぎゅん回り始めます。お婿さんになれるといことは、この姉妹にとっての兄・弟ではないのか。まあ普通に考えて、きょうだいは結婚できませんからそうなりますよね。夕凪が考えなしにそう言ってるだけなんじゃ、と答えたいけど、それはそれで夢のない話。
 そして、もっと面倒な問題は次。「ヒカル姉は――/キミの姉?/それとも――弟?」それはこっちが訊きたいです。同年齢ということは、これも普通に考えれば双子なわけですけど、その場合でもどちらが先かということはありまして。一番厄介な問題に、まっすぐ切りこむ吹雪の姿。いっそ清々しく感じます。でも、ここで週末ということは、週明けには夕凪の別話題で紛れてこのまんま、という展開なのでしょうか。それとも、兄妹が結婚できないという真実を知った夕凪が、一歩成長するという流れになるのかしら。
 で、結局タイトルの意味はいったい。
2008年11月22日(土) 断面図断章(下品)
 えろまんが話の最後に、うちのサイトについて言及されてるという恐るべき罠。ひみつ☆そうさかんの育成はぼくに任せてください。

 ブクマですが、注目エントリーだとこんな感じ。この日記へのブクマはごくわずかで、「考察の書き方」とハルヒ考察がやたら突出してます。はてな大流行後に公開したコンテンツのうち、この2つだけがはてな住民の方々にヒットした模様。まあハルヒ考察はアニメ化にぶつけてまとめ直したというタイミングでしたし、「考察の書き方」はテクニックものの一例として引っかかったんでしょう。しかし、あれだけブクマされてても、「この書き方を用いて実際に書いてみました」という報告が一切ないという。やっぱりあの内容は特殊で参考にならないんだろうなぁ。

 さて、本題のえろまんがについて。断面図って、いつからこんなに定番になったんでしょ。「絶頂」を表現するのに、こんなに直接的な技法もないもんだと思います。
 例えば、えろげでの断面図表示がえろまんがにも強く影響してませんかね。もちろん、えろげ以前からこういう表現はあるんですけど、えろげって一枚えろ絵の段階からえろアニメの段階へと発展したじゃないですか。つまり、目に見える運動を取り入れることで、快楽を想像力のさほどの媒介なしにずっと直接的に喚起できるようにしたわけです(えろボイスもそうですね)。そして、最初は腰の動きやちんこの動きだけだったものが、全身の動きや表情の変化へと質・量ともに発展していくんだけど、その途中で断面図への道が開ける。それは、腰の動きではどうしても直接描ききれない部分を、表情や肉体の微細な変化によって間接的に描くというベクトルではなく、見えないはずの光景をあたかもそのまま描いているかのように示すことで、ユーザーが想像しなくても「ああ動いてるこすれてる出てる」とすぐ理解できるようにするものでした。
 この、ユーザーの想像力に依存しなくても目的を満たせるようにするという流れが、えろまんがの世界にも導入されていった、と。あんま面倒なこと考えさせずに、快感になるべく直結するように描く。昔、新貝田鉄也郎が女の子の表情の変化のみ描くことでえろまんがを成立させようとしてたけど、そういうのは今の流れとは逆なのかもしれません。もちろん微細な表現もしたうえで、それに加えて直球も交えないといけない今日のえろまんが。
 などと書いてみたことが当たっているかどうかはさておき、えろまんがの表現技法の歴史って、誰か考察してましたっけ。乳首トーンを用いた胸揺れについては、どこかで読んだような気がするのですが。森山塔のテクニ
ックは今でもあちこちで目にするけど、彼もまた開祖ではないのかもしれないし。
 というわけで、上連雀先生の作品ではぼくも抜けません(結論)。
2008年11月23日(日) 飛翔
 プリキュア、うらら話。絶対にこのチャンスを逃せない最終審査と、シロップ達との夢と、どちらをとるかという究極の選択。ローズパクトを求めるドリームに、何のためらいもなく渡してしまうシロップが、何気なくこの仲間の一員になってる姿を見せてくれていました。そのうえ搭乗券の伏線をきちんと回収してくれるわ、うららとシロップの仲がますます親密な雰囲気だわと、満足まんぞく。

 将棋女流棋士の若手ホープ里見香奈二段が、清水二冠を破って倉敷藤花のタイトルを奪取。16歳で初タイトルというのは今後に大きな期待が寄せられますが、これまでの評判からして、むしろ取って当然という印象もあるくらい。でも相手が第一人者の清水女流でしたから、また格別です。
 この里見さんの他、最近は若手の伸長が著しく、中井・清水プラス斉田に矢内・石橋・千葉の3人が挑んでいた時期を過ぎて、女流名人戦ではいまやこの年長者達が降級を争うような展開です。男性棋士よりも新陳代謝が進んでいるのは健全というべきなのか、男性棋士の羽生世代が分厚すぎるというべきなのか。竜王戦も今週に第4戦が組まれてますけど、カド番の渡辺竜王には、ぜひ底力を見せてほしいと思います。
2008年11月24日(月) 確認作業中
 ベビプリの麗のことを考えていましたが。以前にシスプリメ考察で書いたことがいくつか役立ちそうなので、ここに引用してみます。

 まず考察1の「2.梨愛」より、否定的性格特性について。
「このような、自分を兄から引き離しうる否定的性格特性は、兄妹関係にも影響を及ぼす。梨愛が嘘をついたとき、彼女が嘘をつくこと自体を諫めたり、その嘘によって梨愛自身が被ってしまう不利益を回避させてやるために、どうしても他者が介入して事態を収める必要がある。原作では、亞里亞の我が儘に対しては、じいやという第三者が介入することで、亞里亞を直接諫めて嫌われる役割が彼女に委ねられ、兄自身は幼い妹をそのままに受けとめることに専念できた。ところが、梨愛には、そのような第三者の準レギュラーがいない。だから、その叱り役をも担うべき梨愛の兄は、必要十分なだけ自分から妹に語りかけねばならない。これは、ネオシスにあえて否定的な性格特性を与えたことによる、一つの必然的な帰結なのだ。」
 ベビプリの場合、この叱り役は海晴や春風が引き受けてますね。長男の反応が作中で明示されなくても、麗はこの姉達に叱られることで、つまり姉達のおかげで長男との関係をそれなりの距離のままに維持してこれたわけです。姉妹関係をもとに、ベビプリは(シスプリでは出しづらかった)否定的性格特性を容易に用いることができました。

 次に考察4の「21.彗」より、男性的趣味と現実世界からの干渉について。
「この、実世界の作品からの引用が、作品世界を現実世界に従属させてしまうという問題は、バレンタインデーや正月、夏休みなどの社会・学校で一般的な年間行事を越えて、特殊なイベントなどが取り上げられるさい、作品世界を束縛してしまうという危険を示唆する。この問題は、原作では鈴凛の発明という特技でも指摘されていた。彼女の発明の水準が、現実世界におけるロボット工学や情報工学などのそれとどこまで整合的であるかを問うことは可能であり、それが面倒な議論をもたらすことも容易に予想できるがゆえに、原作では具体的な技術の描写は一切存在しなかったのである。この原作における曖昧さは、男性読者に親近感を抱かせる趣味・特技を、批判やツッコミの入りにくいかたちで妹に与えるための方策であり、これによって、男性的趣味・特技とシスプリらしさとはようやく妥協しえている。」
 公野先生の恐ろしいところは、この妥協を麗の鉄道ファンという設定で真正面から突破しようとしてる姿勢です。鉄道ファンに納得してもらえる水準を保ちつつ、鉄道車輛の引退など実際のニュースを麗の日記に随時取りこんでしまうのですから。

 総じて、シスプリメがシスプリの基本線を継承しつつ、独自要素を盛り込んで発展してきたように。ベビプリもまた、シスプリメと同様に、シスプリの課題に取り組むことを通じて着実な発展を示している、ということが、とりあえずこれら2点からも理解できます。それは、シスプリメへの公式の応答であるとも感じられますし、また「最初から共同生活」というアニメ版シスプリ的設定に依拠することで、シスプリの制約を軽々と乗り越えたという意味では、その制約をあえて引き受けたシスプリメとはまったく異なる方向に進んだとも言えます。
2008年11月25日(火) バトンをひとふり
 ベビプリ夕凪(11/25)。
 あー、久々ですねこの子。夕凪って明朗快活だし、泣いてもすぐに立ち直るしと、基本的に前向きなので、逆によほどの事件が起きないかぎり変化の起伏に乏しいんですよね。魔法の話はというと、場合によっては「魔法はもういらない」という成長の流れが予想できるので、あまり突っ込んだことができないっぽいし。
 と思っていたら、今回はいきなりこの話題から。登場しなかった期間、ずっと考え続けてついに編み出した禁断の呪文でしょうか。それは、

>はっぴーらっきーはねむーん♪
>夕凪のみらくるびっぐうぇーぶ!
>お兄ちゃんと夕凪を押し流して――
>2人だけの世界に閉じこめちゃえ〜!!

 ……あ、これは……? まさか、夕凪が長男を独占する挙に及んだ?
 春風さんとか氷柱とか、年長者ならそのへんで、もちろん幼児さんたちは普通にやりそうなことだと思ってたのですが、夕凪ですか。あー。
 これか。これが「マホウ」ということか。「夕凪はお兄ちゃんのおよめさーん!/お兄ちゃんは夕凪だけのモノになるよ(はぁと)」というのは、先週末の吹雪が見ていたこの姉の姿が思い出されるわけですけど、「夕凪だけのモノ」というこの言葉に、千影の独占欲と近しい何かを感じてしまいます。千影の場合、魔法というのは兄妹婚の禁忌を越えて結ばれるための唯一の鍵であり、自らを闇に沈めてさえも兄を欲するという狂おしい情熱を指し示していました。一方、夕凪についてはシスプリメ考察2の「9.愛乃」の項で記した「超常能力と日常世界の親和性」に沿うかたちで、いわゆる魔法ごっこの範囲を越えない程度のものと理解してきておりました。
 しかし、このたびの夕凪の行動は、真似ごとだけど本気の魔法です。後ろの押し入れから布団がどさどさとなだれ落ちて、兄と夕凪を飲み込んでしまうというギミックつきかもしれませんけど、この呪文は本気。夕凪の闇がはしなくも露呈した瞬間と直感します。
 明日は姉の誰かに叱られるのか、それとも微笑ましく受け取られるのか。星花が妹の変化を敏感に察知してたら嬉しい。
2008年11月26日(水) 妹空間に引きずり込むのだ
 ベビプリ夕凪(11/26)。
 やられた……。公野先生、あなたは本当に……。このために夕凪の日記担当をずっと外していたんでしょうか。恐ろしすぎます。
 よもやの連続夕凪。真に禁断の魔法が発動されました。こうか、こうきたか。雰囲気としては、押し入れか物置か離れにこしらえた秘密基地ですね。海のポスターとか壁にはってあって、卓上ライトをぶらさげて日差しにして。夕凪が自分だけの空間を作り出し、兄とだけ共有するという試み。ずっと仲良しの星花とさえ一緒でなく、自分ひとりでこういうことをしたというのが、この妹の変化を物語っているような。
 もっとも、じつはこの場所を星花と協力してこしらえたので、明日は姉の番なのかもしれませんけど。あ、もしかしたら、星花が最近だんだんと女の子として成長してきているので、なんとなくおいて行かれた気分の夕凪が、寂しくて兄を頼った、ということなのかも。
 まぁそんなこと無関係に、こういう遊びをただ思いついただけだとしても、ともかく夕凪がここまで飢えていたのだと勝手に想像するだけで大興奮であります。存分に甘えさせてやれ長男。こういう普段明るい子だからこそ、その寂しさにこちらが気づいてあげられないこともあります。
2008年11月27日(木) とろぴかるまーめいど
 ベビプリ夕凪(11/27)。
 さあ、三日連続でございます。あまりの勢いに、本人の笑い声も思わず「クフフフフゥ――」と四葉っぽくなってしまってます。日記を書くのも夕凪だけ、ということは、この日記帳も勝手に運び込んでしまってるのね。しかも、夕飯までも二人分この隠れ家に。その徹底ぶりはたいしたものですが、春風が作ったんじゃなくてマホウで出した、と念を押さねばならないあたり。
 さて、勢い任せで「誓いのチュー」ときましたか。でも「ほっぺた」というのがじつにお子様で安心です。そして、目をつむってほっぺたチューをせがむその刹那、背後に迫っていたのはヒカルであった。あー、とうとう見つかりました(笑)。本誌連載の読参ゲーム「かくれんぼ」の回を確認すると、家の中なら押し入れか屋根裏、外ならあずまやか裏山といったとこでしょうか。あずまやは以前、制服を交換に及んだ場所ですので、ヒカルが見当をつけてこれたのかも。夕飯時からこの三日間、長男の姿が夕凪とともに消えていたので、ついに探索の手が伸びた、という感じかしら。
 明日、星花が妹をかばいつつもわずかに焼きもちやいてたりして。
2008年11月28日(金) 決着
 ベビプリヒカル(11/28)。
 今週の顛末についての説明が。寂しかった夕凪が兄を押し入れに連れこんで、というのはまったく予想したとおりでした。日記帳も隠して、というのまで当たり。いえーい。まあ、あずまやじゃなかったのだけど。
 さて、そんなわけで春風と氷柱からは叱られた模様。日記帳を隠したのはさすがにやりすぎ。夕凪が何を考えているのか、いま何が起きているのか、他の姉妹も分からないわけですから、これは日記を媒介とする長男・姉妹の相互理解・相互支援の原則から外れる行為なのです。魔法が逸脱という意味では、やはり千影と同じ。
 でも、ヒカルは笑って許す。「ま、夕凪はすごく楽しかったらしいから――/いっか!」の一言が、とてもさっぱりしてて心地よい。こうやって何事についても、姉達の間でちゃんとバランスがとれるようになってるのがこのきょうだい。でもその「わからなくはない」というのは、外から、高いとこから幼い妹を理解し受容してやるというだけのものではなく、ヒカル自身が「元気で強く見えたって――/淋しいときもある」子だから。夕凪の明朗さに隠れたせつなさを自らのものとして感じられるから。だからこそ、「この週末は、少し気にしてやってくれよな――」とまで配慮できるわけです。
 が、これはまた一方で、ヒカル自身についての長男への呼びかけとしても読めてしまいます。だって、ヒカルもまたそういう子なんだから。ヒカルはたんに幼少期に、春風と蛍に挟まれていわゆる手のかからない元気な子として扱われたというだけで、いまの長男との関係について書いたわけではないかもしれない。だけど、長男としては、いまのヒカルも夕凪と同様に長男との関係においてそういう寂しさを持っているその気持ちがはしなくも日記に露呈したという解釈のもとで、「少し気にして」やりたくなるわけです。さあ困れヒカル。私のことはいいから夕凪に、とか言いつつ真っ赤になるんだろうか。

 ベビプリ日記についての感想は以上で終わりなのですが、今週の展開でひとつ考えることがありましたので、明日分のとこで詳しく述べることにします。
2008年11月29日(土) ベビプリにおける長男の役割
 というわけで、夕凪騒動をめぐる長男の役割についてミニ考察。

 ヒカルの言葉にしたがい、もちろん夕凪のことを気遣うつもり満々な長男でしょうけど、ここで注意すべきは、夕凪の振る舞いを知った幼い妹達が今後真似しかねないということです。兄を独占するための手管をあれこれ弄し始める幼児達。これはけっこう面倒なことになるのでして、姉達としてはたとえ夕凪の気持が分かるにしても、やはり叱らないといけないのでした。春風と氷柱がそうしたのは、だから家族全体を考えて正しいことなのです。
 ただしこの二人だと、何気に個人的なバイアスがかかっていそうなのがアレですけど、じつはそれもまた重要な点かもしれません。というのは、今回の騒動では、夕凪を叱る側に春風・氷柱、受容する側にヒカルと分かれて、うまく均衡を保ちつつも叱る側の優位を示しています。ここで最上位の海晴や霙が登場してしまうと、どっちの対応が正しいのか結論が出てしまうんですね。というか、長男=読者が、正解を求めて読んでしまう。今まで長女と次女の言葉はほぼ間違いなく最善の指示を弟に与えてきましたから、よけいにそうなるはず。
 でも今回、話の締めくくりをしたのはヒカルでした。ヒカルは寂しさを受容する側からの意見ですから、そこには夕凪個人への深い配慮はあっても、きょうだい全体への配慮はありません。これに対して春風と氷柱も、おそらく幾分かの個人的な感情をも交えて、でも全体への視点から夕凪を叱っています。この状況を踏まえれば、長男がこの土日ですべきことは、ヒカルの意見のみに従って夕凪をかまってやることだけでは、一面的に終わるのです。今回登場しなかった海晴や霙が示してくれそうな、両方の側をできるだけ満足させる全体的配慮を、長男=読者は考える必要があるのです。いいですか、今回読者は、眼前にいない海晴・霙に、長男としての成長ぶりを試されてるんですよ。

 この試験に向き合うために、もしも最年長者達が今日の日記を書いたとしたら何を語ってくれたのか、を想像してみましょう。おそらくは二人もまた、夕凪への理解を示し、配慮を求めたはずです。しかしそれだけではなく、春風や氷柱を含む、長男がいなかったことによって寂しさを味わった他の姉妹への配慮をも、そしてそのことを踏まえたうえで夕凪に配慮してやってほしいということをも、述べたはずです。もしかしたら、兄が夕凪をかまいすぎることで、妹達にずるいと思われてしまうかもしれません。それではいけない。長男は、きょうだいの原則である個々の兄妹・姉弟関係の公平さを、自ら破ってしまってはなりません。それは際限のない競争を招くからです。だからといって、夕凪個人の寂しさをそのままにしてしまうこともまた問題です。要するに、ヒカルが促したような夕凪個人への配慮だけでもいけないし、春風・氷柱がしめしたような全体への配慮だけでもいけない。その両方を満たすような行動を長男が選ぶことを、海晴・霙はきっと求めているのです。
 だから、この土日で長男がすべきことは、他の姉妹全体を考えての、夕凪のための二重の配慮です。つまり、夕凪自身の寂しさをある程度埋めてやりながら、夕凪が他の姉妹の寂しさを理解しその解消を支援できるように、長男が導いてやるということです。つまり、夕凪が姉としても振る舞えるように支えてやるのです。幼児達の寂しさや不満を受け止めて対応を兄に求めるという、今回ヒカルがしたことを、夕凪も年齢相応にできるように、と。そして、それは夕凪自身の寂しさを我慢することでもありますから、長男は、そうやって姉らしく頑張れた夕凪を目一杯褒めてあげることで、兄に「妹」としてだけではなく「妹の姉」として近づける新たな喜びを感じてもらうのです。これによって、夕凪は個人的欲求とともに姉妹関係における自己像を発展させ、姉妹もそのように成長しゆく夕凪を肯定的に受け入れて、とくに幼児達も「ずるい」とは感じなくなることでしょう。

 以上述べたことは、アニメ版シスプリからぼくが見出した原則を踏まえたものです。リピュア考察2で示した年少者の「独占欲求、個人的欲求、自己限定のそれぞれの過剰」について、今回の夕凪は「独占欲求」の過剰して当てはまります。状況としては、リピュア考察4で示した亞里亞の「兄独占欲求が他の者達との関係を排除する」暴走にやや近い。このとき兄が亞里亞を受け入れつつ教えさとしてじいやさんや他の妹達との絆の中に再び招き入れたように、今回は長男がその役目を果たすべきときです。そしてその方向性は、リピュア考察3に示した「年長者」としての公平さを維持する責任感へやがて至るはずのものですが、リピュア考察5で述べたとおり年中者の段階ではなかなかうまくできないため、失敗や不十分といった結果ではなくその隠れた努力を兄がきちんと見てとって評価してあげるということが、妹達に満足感をもたらし強い支えを与えます。こうして妹達の成長を促進しつつ、そのことによってきょうだい関係の公平さをいっそう強化するというのが、兄としての重要な役目なのです。
 もっとも、リピュア兄が最終話で独白していたように、この役目をたゆみなく担うというのは非常な重圧がかかります。リピュア考察6では、「妹の問題を解決するにあたっての兄の能力的限界」とこれに由来する兄の自己否定感情が、妹達の感謝によって救済されるという姿を描き出しました。これに対してベビプリでは、この救済は、長男よりも年長の姉達というシスプリにない存在によって、新たな手掛かりを与えられています。疲れたら、姉達にたまには甘えられるということ。甘えてくる弟を、姉達は決して不快に思わず、むしろ進んで甘えさせてくれるだろうということ。姉達が疲れたときには弟が甘えさせてやり、共にこのきょうだいを導く者として、その苦労を分かち合えるということ。
 海晴については以前「長女と長男という立場ゆえの相互理解」と書きましたが、この「兄」であり「弟」であるとともに「長男」であるということは、ベビプリを考えるうえでけっこう重要に思えます。同年齢という点でヒカルと対等であると同時に、長女・長男という点で海晴と対等である、というこの重層性。こういう考え方はネギま考察の「教師―生徒」「年下の男の子―年上の女の子」「魔法使い―パートナー」「少年―少女」の重層的関係をもとにしています。
2008年11月30日(日) かきかき
 朝プリキュア、りんのアクセサリ話。ブンビーがイケメンに対して地味な復讐を果たしてました。しかし、ほんとタフだなぁブンビー。部下と上司の全員を失っても生き延びる男。旧日本軍にもこういう将官がいたような。

 故あって考察を書こうとしてるのですが、準備作業を進めてはいるものの、書く気構えの踏み込みがまだ一歩足りない気分。たぶん、いつも考察するときに推進力となっている2つの感情、つまりその作品への強い愛情と、その作品に対する否定的世評への憤り、のうち後者が存在しないから。作品をもっと深く理解したいという欲求や、誰よりも早く新たな視点を示したいという欲求でこの不足を乗り越えることもできるはずですし、時間さえとれれば今の状態でも書くことは十分可能なのですけど、こう、もっと無闇な情念がほしいという。
 シスプリ考察のときに2chのとあるスレで、ぼくが自分の解釈を絶対正しいと押しつけてる、と揶揄されたことがありますが、実際に考察を書いてる最中はそれくらいの勢いがないと完成しません。もちろん、自分の解釈の限界や、他者の解釈に対する敬意は、つねに忘れずにいるつもりです。でも、考察文章を書くその瞬間には、断定への踏み込みが必要なのです。
 あともう一つ邪魔になるのが、考察者としての自負心というか、周囲からの期待を勝手に感じてしまうことによる萎縮。シスプリ、ハルヒ、ネギま、と一連の考察がそれなりに肯定的に評価いただいてきてますから、次の考察で読者をがっかりさせないようにせねば、と焦るあまり妙に肩が凝るのです。そんな緊張のまま書いた文章が面白いはずもなし。
 こういうときは、自意識過剰を脱して初心に返ること。自分よりも先にその作品について豊かな愛情や斬新な解釈を示してきた方々をきっちり確認して、敬意を新たにすること。これまで得てきたプラス評価を損なうまいと守りに入るのではなく、新参ファンとしてゼロから始めること。そして、作品とその制作者や、その作品へ導いてくれた方々へ感謝すること。ぼくという考察者が中心にいるのではなく、作品の周りをぼくが巡っている。考察は、ぼくにできる唯一の恩返しのしかた。ぼくの考察を読んだならその作品をもっと好きになれますように、と願いをこめて。
 あと『闘神都市3』を封印して(問題外)。

 ところで皆さんは、ご自身の書いた文章や描いた絵などを、どのくらい見返しますか。ぼくは景気づけが欲しいときには大抵いくつかの文章に目を通します。で、表現のまずさやぎこちなさにときどき首を傾げながら、内容について自画自賛してたり。これ、かなり恥ずかしい告白ですね。えーとでもでも、毎朝鏡を見て「私かわいい」と思うってのと同じことなんですよ。たぶん。そうしないと、なけなしの自信さえも消えてしまうのです。とくにそのために読み返すのは、アニメ版シスプリ考察の第4話分と第16話分、リピュア考察の2(花穂)あたり。原則抽出と情景描写などをうまく噛み合わせて、イメージ転換の突破口を開けたという意味でお気に入りです。

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