アニメ『シスター・プリンセス Re Pure』考察5

〜年長者の成長の諸相〜



はじめに 〜考察の視点〜

 考察2考察3において明らかとなった年少者・年長者の特性をふまえて、考察4では年少者の成長の具体像が検討された。これに続いて本考察では、物語中盤において年中者・年長者の成長がいかに描かれているかを確認する。なお、第5話(千影ヒロイン)は物語の骨格に関わる内容であるため考察6で扱うこととし、ここでは第8話「面会日なのです!」、第9話「そばにいるよね…アニキ」の2話のみを対象とする。ところで、第8話では鞠絵、第9話では鈴凛がそれぞれメインヒロインとして扱われるものの、可憐や白雪、四葉といった年齢の近い妹達が、重要な役割を果たしていることにも注目する必要がある。それゆえ本考察では、各話に描かれた妹相互の関係を、もう一つの軸として検討していく。


1.「面会日なのです!」 〜鞠絵と可憐と白雪の場合〜

(1)鞠絵の場合

 療養所の朝。幸いにも秋晴れに恵まれて、第8話の鞠絵は(もうじきね。兄上様…。)と兄の来訪を心待ちにしている。第6話で彼女は兄に「雛子ちゃんたちが遊びに来てくれる」ので「兄上様も今度いらして下さい。」と話していることから、そもそもは雛子らのお見舞いが予定されていたのに、鞠絵の働きかけにより兄も加わることになったということは間違いない。
 ところでその場面では、鞠絵は病人であるにも関わらずキャンプに参加するほどの余裕があり、また第11話の回想場面では街のプールで皆と遊んでいるなど、本作品での描写と設定との不整合が指摘されている。だが論者はこれを、作品製作側の軽率さと捉えるよりも、むしろ鞠絵の病名を知る手がかりとして受け止める。つまり、体調が良好なときには日常生活や運動も可能だが、必要に応じてあるいは定期的に療養所での検査・治療が求められるような病気を、鞠絵は長らく患っていることになる。これに、アニプリで示された諸症状(発熱、貧血、咳)や、この病気の症状として視力が低下した可能性などを加えた結果、論者は一つの例としてサルコイドーシスという難病に行き着いた。これは原因も治療法も十分に判明していない病気であり、若年齢のうちに完治する可能性がある一方で、慢性化して一生ものの付き合いになることもある。実際にそのような患者の方々は日常生活の中で根気よく療養に取り組まれているということだが、もし鞠絵がこれに類する病気に罹患しているとすれば、ちょうど慢性化するかどうかの端境期にあって、完治して兄のそばに戻れるという希望と、このまま隔てられた生活を続けざるを得ないかもしれないという不安との、板ばさみになりながら毎日を生きていることになる。
 キャンプに参加したとき鞠絵の体調はきわめて良好だったはずだが、それでもその前後の日々はこうして療養所で送らざるを得ない現実がある。だから鞠絵は、兄と一緒にいられるようにあらゆる努力を惜しまない。あの川原で兄のそばにいられたわずかな時間を逃さずに、見舞いに来てもらえるように兄に願ったのは、そのような懸命さの現われであり、そしてその努力は報われた。

鞠絵「ミカエル。今日は兄上様が可憐ちゃんたちと遊びに来てくれるのよ。早く兄上様にお会いしたいわね。」

 この浮き立つ心そのままの台詞は、しかし鞠絵の問題を暴露している。遊びに来るのは兄だけでなく可憐達も一緒であり、むしろ最初の予定では可憐達だけが見舞いに来るわけだったが、ここでの鞠絵は、「お会いしたい」のは「兄上様」だけだと告白してしまっているのだ。こう断定するのはやや悪意にとりすぎかもしれないが、少なくとも鞠絵の意識が兄にしか向いていないことは明らかだろう。これは彼女の狭隘さを示すものではなく、日頃兄と離れて独り暮らしているだけに、少ない機会を最大限利用したいという切なる思いゆえのものであり、とりわけこの日を迎えて兄独占欲求が自己限定を上回ろうとしているのも仕方のないことだった。それでも皆をもてなすためにティーカップを全員分用意しようとしていたあたりは、鞠絵の本来の細やかさと、年長者らしい自制心とを示してはいるのだが。
 一見落ち着きながらも内心にそのような揺れを抱える鞠絵は、不意のノックに驚いて目を向ける。それは、朝早く(時計台の表示から8時半頃か)から療養所を単独で訪れた兄の訪れを告げるものだった。予想外の喜びに浮き足立った鞠絵は、この兄が幻覚ではないことを確認するために、兄のコートの匂いを嗅ぐ。こういう場合には、視覚よりも原始的な嗅覚が頼りになる。そしてそれは、どうしても消毒薬の殺菌臭が消えないこの部屋に、外の街の暖かな雑踏を招き入れてくれる。

鞠絵「兄上様、可憐ちゃんたちは一緒じゃなかったんですね。」
兄 「うん。なぜか知らないけど、先に行ってって言われてね。」
鞠絵「そうだったんですか…。」
兄 「びっくりした?」
鞠絵「はい、とっても…。」

 ここでまた兄のコートに顔をうずめるのは、先ほどの匂いの確認とはやや違った意味をもつ。なぜ可憐は一緒に来なかったのか。なぜ兄一人を先行させたのか。ありえない。ただしこれは鞠絵の可憐理解に問題があるというより、鞠絵が可憐の立場に自分の身をおいたとしたら、兄と一緒に療養所に来るまでの道のりを楽しめる絶好の機会をみすみす自ら捨てるなどということは、考えにくいということだ。それゆえ鞠絵は、その疑問に由来する兄との距離への不安を覆い隠すために、再び兄の匂いという感覚が与えてくれる安心感にひたったのである。
 これで落ち着いた鞠絵は、療養所の中を案内して回る。ということは、兄が彼女の見舞いに来るのが今回初めてでなければ、彼女がこの療養所に移ってまだ日が浅いということか。まず学習室に入ると、兄は「へえ、鞠絵ちゃんはいつもここで勉強しているんだ。」と妹の日常に触れる。それが、鞠絵と兄の普段の距離を縮めてくれるよすがとなる。陶芸室では「最近始めたんです。」と言いながらロクロを巧みに廻してみせ、「へえ、上手だね。」という兄の感嘆に「今度、兄上様にも教えてあげますね。」と微笑む。コミュニケーションルームでは、「友達と集まって、おしゃべりをしたりする」という言葉に同年代の仲間の存在を感じさせ(キャラクターコレクション第6巻第5話登場のひばりちゃんだろうか)、そこにいた小さな子供の「鞠絵お姉ちゃん、いつものやって!」という声からは、鞠絵がこの療養所の中で彼らの「姉」として振舞っている姿を浮き彫りにする。彼女は確かにこの場所に確固たる居場所をを定め、前向きに生きている。それは、今までのシスター・プリンセス作品にはあまり描かれることのなかった、鞠絵のたくましさだった。

鞠絵「これ、この間外出許可が出たときに買ってきたんです。」
兄 「へえ、きれいだね。」
鞠絵「これだけじゃないんですよ。白雪ちゃんが手作りのお菓子を持ってきてくれると聞いたので、
   だったら私はお茶の用意をと。」
兄 「大丈夫、鞠絵ちゃん?」
鞠絵「これくらい大丈夫です。私、こう見えてもけっこう力持ちなんですよ?」
兄 「でも、あまり無理をすると体に…。」

 重そうな箱を下ろす鞠絵に、兄は当然のことながら懸念を抱く。今までも、焦る心が無理を生み、かえって体調を悪化させるということが繰り返されてきたはずだ。そしてまた、この療養生活は、鞠絵の努力によって明るさを勝ち得ているとしても、これをそのまま喜ばしいものとして全肯定することは許されない。ここでの生活はあくまで一時的なものなのであり、やがて完治した暁には離れていくべきなのだ。鞠絵の固有の絆は、このように療養の場を媒介に強く結ばれるとはいえ、それを不変のものと考えてはならない。
 この緊張は、鞠絵の生活の場をめぐる兄の言葉にも示されている。兄はコミュニケーションルームを案内された場面で「楽しそうだね。」と言っているが、陶芸での「上手だね」、鞠絵の部屋での「きれいだね」という台詞の場合とは異なり、ここで鞠絵は笑顔で何か返事をするという反応を見せていない。鞠絵にとって真に楽しい時間とは、兄と一緒にいられる時間以外にあり得ない。だが、それを口にしてしまったら、この療養所での生活を明るくするための日々の努力を否定することになりかねない。ここには、鞠絵の精一杯の頑張りの裏にある心の闇が、そして療養所の生活を肯定も否定もできないという深刻な葛藤が、ほんの一瞬立ち現れているのである。兄にしても、この妹が生きるための戦いをたえず続けており、そのために気持ちを明るくしようとあらゆる方法を用いて頑張っていることを知っているはずだ。だからこそ兄は、「楽しそう」だと言いながらそれほどの笑顔では見せていない。それは、鞠絵のこの葛藤を、兄もまた感受していることの密かな表れでもあった。
 そして、葛藤を背後に隠して明朗であり続けようとする鞠絵に対する兄の懸念は、今ついに「あまり無理をすると」という言葉で明示される。あるいはこれは鞠絵の努力に水をさすことにもなりかねなかったが、鞠絵もまた自分自身のありようと兄の想いとを正しく認識していた。それゆえ鞠絵は、兄のいたわりに対して、感謝しつつ首を横に振る。

鞠絵「早く体を治したいんです。そのためには、体力もつけないと。」

 にっこり笑って力こぶのポーズ。彼女にとって、体力をつけ肉体的に成長することは、兄のもとに帰る日を自分に弛みなく引き寄せていくことなのだ。自らを鍛えながら、陶芸や(後にみる)人形劇などを新たに修得し、自分の療養生活をその感性で彩り、日々を力強く歩んでいく。だが、闘病の中に潤いを与える彼女の感性の繊細さこそは、そんな日々の中で不安を抱かせる心の弱さにもつながっている。兄と二人だけのこのひとときにも、そんな心の翳りがふとよぎる。みんなのために「人数分用意したはず」のティーカップが、なぜか1人分だけ足りないことに今になって気づいたのだ。ティーセットは普通この5組程度が数の上限であるかもしれず、またもしも鞠絵の仮想敵が可憐であるのなら、不足分はその無意識の表出ということになるが、ここではそれよりも、兄妹関係総体における鞠絵の位置づけについて、彼女自身がどう捉えがちであるかを指し示すものと考えたい。つまり、彼女がどれだけ気を張っているとしても、その心の奥底には、兄のそばに自分だけいられない状態、兄妹の日常の輪から排除されてしまっていることへの悲しみが、わだかまっているのである。それゆえこの足りないカップを鞠絵自身が「自分の分」と語るのは、彼女のいつもの一歩引いた心遣いなのではなく、心の底にある孤独感の表れに他ならない。そして、こう考えればこそ、第6話のロッジの中で「おそろいの食器でお食事なんて、私楽しみです。」と喜んでいたことの意味がようやく理解できる。皆と同じであることが、鞠絵にはどれだけ貴重なことか。

鞠絵「兄上様が遊びに来てくれることが嬉しくて、自分の分を買い忘れてしまうなんて…。」
兄 「じゃあ、僕の分を…。」
鞠絵「そんな!兄上様においしいお茶を飲んでもらうために選んだんですから。
   今の私にできることは、これくらいしかないのに…。」
兄 「鞠絵ちゃん…。」
鞠絵「でも、前のように元気になったら、また兄上様のお世話をさせてくださいね。
   私、兄上様のために頑張ります。…クシュン!」
兄 「大丈夫!?寒いんじゃ…。」

 ううん、と首を横に振る仕草は、先ほどと一見変わりないようで、その後のうつむいた表情が明らかに違う。

鞠絵「兄上様と一緒ですから。」

 兄と一緒にいれば、暖かい。それは確かに想いのままを言葉にしたものであり、これを告げるのに気恥ずかしさを感じるのも当然かもしれない。だが、ここまでの文脈と重ね合わせて考えるならば、事はそれほど簡単ではない。自らの心の中に潜み続ける冷たい痛みに鞠絵がうち克つためには、兄をそばに感じられねばならない。しかし、その兄がこうしてそばにいることによって、ティーカップを媒介として、普段の孤独がかえっていっそう際立ってしまう。兄といればこその無理を、つい重ねてしまう。兄と共にいるがゆえに互いの距離を感じてしまうという矛盾は、例えば咲耶に見たように年長者ならではの問題だが、とくにこの鞠絵の場合には、療養生活がその問題を深刻なものにしてしまっている。ゲーム2でも描かれていた、面会時に鞠絵が見せる強さ・明るさと、兄が去った後の空虚に吸い込まれていく悲痛な叫びとは、この第8話では、兄のそばにいる彼女の不安定な心身のありようとして、一まとめに映し出されていたのである。
 そんな鞠絵に、兄が自分のコートをはおらせ、そっと抱き寄せる。それは、妹の体を心配してのことであり、そして彼女のそのような心を慮ってのことでもある。自分の前ではそんなに無理をせず、甘えたいだけ甘えてもいい。そういう想いを言葉にせずに、ただ兄は鞠絵を押し包み、鞠絵は兄の温もりとコートの匂いに、不安と悲しみを解きほぐされていく。

兄 「はい。」
鞠絵「兄上様…!暖かい…。」

 ここでひとまずは、鞠絵の兄独占欲求は満たされたものと考えられる。それは環境的には、可憐達が未だ到着しないことによって二人だけの時間が十分に与えられたことに拠っている。しかし、兄との関係が堅固なものとなる一方で、鞠絵のもう一つの問題、すなわち妹達の輪から排除されてしまっているという悲しみについては、未だ何らの解決も図られていない。この問題に兄が直接取り組むことができない以上、今回登場する可憐達はいかにしてこれに立ち向かうのだろうか。いやその前に、今なお療養所に到着してすらいない彼女達は、一体何をしているのか。

(2)可憐と白雪の場合

 お見舞い妹集団が遅刻したのは、そもそも可憐の計画によるものだった。白雪の家で、今日のお見舞いに持参するお菓子を仲良く作る可憐と白雪。焼きたてを持っていきたいという心遣いが既にここに見てとれるが、可憐はさらに、鞠絵のためにもう一ひねり加えようとする。

可憐「前に可憐が病気になったとき、お兄ちゃんがそばにいてくれて本当に嬉しかった。
   声を聞いているだけで、どんどん元気になってくるの。だから鞠絵ちゃんにも、」

 テーブルの上の「Pure Milk」牛乳パックは四葉マークだが、これと四葉の家とは何か関係があるのだろうか。それはともかく、可憐のこの言葉に、すぐさま白雪が反応する。

白雪「姫はこれからもう一品、木の実のタルトを作りますの。だから可憐ちゃんは、にいさまと先に行くですの。」

 タルトが焼き上がるのを待っていたら、兄が鞠絵に会いに行くのが遅くなってしまう。だから可憐達には兄と一緒に先に行ってもらおうと言うとき、白雪は、自分も療養所までの道中を兄と共にしたいという欲求を抑え、「鞠絵のために」という妹の相互支援原則を優先している。だが可憐は、そのありがたい申し出にうなずくことなく、意外なことを口にする。

可憐「お兄ちゃんには、先に行ってもらったの。」
白雪「え、なんで…ああ、そういうことだったんですの!」
可憐「ええ。鞠絵ちゃん、普段はお兄ちゃんに会えないから。」
白雪「では、3時に療養所のロビーで待ち合わせですの。」

 「え、なんで」という台詞には、可憐が兄に同行しないなんてあり得ないという驚きが込められているが、そんな白雪にも可憐の真意は直ちに伝わった。白雪と同様に可憐も、鞠絵のためのお見舞いであるがゆえに、兄と鞠絵が一緒にいられる時間を最大限確保しようと努力する。そしてそのためには、自分達が兄と同行してしまってはならない。とくに今日は雛子と亞里亞という最年少者2名が加わっているだけに、彼女達の幼いゆえの兄独占的わがままをあらかじめ発揮できないように兄と分離しておくことは、必要不可欠なことだった。療養所に到着しても、年少者達が兄を独占し続けたとしたら。先日の第7話では、亞里亞が兄を招くために仮病を使ったさい、可憐もその場所に居合わせているだけに、この恐れは決して杞憂ではない。あるいはさすがにそれほどまでいかずとも、鞠絵ならばおそらく自分から年少者達に配慮してしまうはず。そう考えた可憐は、お見舞いの目的を達成するために、あえて自分も兄と同行せず、年少者達を後から引率していくことにしたのだ。
 それにしても、このことに思い至るというのは、料理という武器によって日常的に自己主張できる白雪に対して、ピアノという限定的武器しか持ち合わせない可憐の戦略、つまり、「いかにして兄を独占するか」ではなく「いかにして兄に他の妹達を接近させないか」という引き算戦略の発露と理解されるだろう。ただし今回は、そのような兄独占欲求のための思考法が、他の妹のために用いられているという点に意味がある。考察3で示した年長者としての責務の自覚と、自己欲求の抑制とが、この年中者である可憐と白雪にも、確かに現れ出でている。しかし、年長者でも担うことがしばしば難しいこの責務に、まだ幼さの残る可憐と白雪は応えられたのだろうか。

 まず可憐の姿を追っていくと、街の商店街で早速、年少者達に振り回されかけている。雛子は「早く鞠絵ちゃんのとこ行こうよ。」と、鞠絵に会いたい気持ちを示しているが、これは可憐の計画に抵触することであるとはいえ、今回の「お見舞い」という行動には合致している。だが、亞里亞の「兄やに会いたいー。」という言葉は、彼女が今日のお出かけをたんに兄に会える機会だと考えている可能性を指し示す。胸に抱くクマのぬいぐるみは、亞里亞の幼児性と対人関係能力の未熟さを暗示しており、可憐の不安はやはり的中した。そして雛子も亞里亞に「でしょ?ヒナも。」と同調するのを聞くに至り、可憐は二人に呼びかける。

可憐「みんなで鞠絵ちゃんにお土産を買っていかない?」

 これは、時間つぶしのためだけでも、年少者の気を逸らすためだけでもなく、何よりも「お見舞い」という今日の目的を再確認させる意図が込められている。兄に会えることは確かに嬉しいが、今日に限っては副次的問題にすぎない。あくまで鞠絵という同じ妹のために自分が何をなしうるかを考えることが重要なのであり、そしてそれは、今ここに兄がいたら、とつい考えがちな可憐自身が、繰り返し自らにも言い聞かせねばならないことだった。幸いにも雛子と亞里亞は機嫌を損なうことなく、店内の様々な品々を見て仲良くはしゃぐ。(より正確に言えば、手鏡を覗き込む亞里亞に雛子が人形でちょっかいをかけるというかたちで、雛子の積極性を亞里亞が受け止めるという関係を示している。これはおそらく今までも同様だったのだろうが、この第8話ではとくに雛子の行動を亞里亞が模倣するさまが何度も描かれていくことに注意しておきたい。)

可憐「二人とも、自分のじゃなくて、鞠絵ちゃんのプレゼントを選んでね。」
雛子・亞里亞「はーい。」

 年少者達の楽しむ姿を微笑ましく思いながら、可憐は再びここで「お見舞い」への自覚を促す。これに二人ともに素直な返事をしていることを見れば、可憐が正しく年長者の役割を担えていることが分かる。こうして面倒をみながら棚を見渡していた可憐は、ふと、二人の小さな天使の絵柄が入ったティーカップを見つけ、鞠絵が気に入ってくれそう、という理由でこれを購入することに決めた。もちろん「みんなで」お土産を買っていくという話だった以上、これは彼女達3人からのプレゼントということになる。とくに亞里亞の場合、兄や他の妹達から何か貰ったり、じいやが用意したお菓子を兄達にあげたりすることはあっても、自分で何かを選んで誰かに贈るという経験はほとんどなかったはずだ。このカップは確かに可憐の見立てで選ばれたものではあるが、しかし少なくとも一緒に買い物をしたという事実は間違いなく、亞里亞もこのカップを通じて、鞠絵に同じ妹として思いやる気持ちを伝えることができるはずだった。
 そんなことには一向にお構いなく、お土産も買ったことだし早く行こう、と可憐を急かせる二人。だがこのままでは予定の午後3時よりもだいぶ早く着きすぎてしまう。焦る可憐は、たまたま目に入ったレストランに気づき、空腹を示唆することで次の手をうつ。「おなかすいてない?」と訊かれた雛子は「ヒナ、おなかペコペコ。」と素直に応じ、それを見ていた亞里亞もまた「亞里亞も、ぺこぺこー。」と同調する。昼食をとる時間を挟むことで、大幅に時間を調整できたわけだが、しかしこのお昼代は結局可憐の持ち出しになったのだろうか。当然デザートつきだとすれば、年長者の辛さを可憐もしみじみ実感したに違いない。

 ようやくトラムバスに乗り込み、療養所に向かうが、雛子と亞里亞が「わーい、鞠絵ちゃんとおにいたまに会えるー!」「わーい。」(これも雛子の真似だ)と喜んでいる傍らで、可憐はまだ時間が早いことに気を揉んでいる。白雪より前に到着してしまったならば、もはや年少者達を押しとどめることはできない。悩みながら窓の外を見れば、ちょうどそこには羊の放牧場が広がっていた。これ幸いと二人に声をかけると、案の定「羊さんと遊ぶ!」「亞里亞もー。」という応えを得て、途中下車にて再三の足止めに成功した。「ふわふわ」な羊たちを見て喜ぶ雛子と亞里亞にほっとする可憐だが、しかし気を抜く間もなく、そばに近づいていた羊にお土産の入ったバッグをくわえられて奪われそうになってしまう。必死に引っ張り戻そうとする可憐を助けたのは、「だめ!」「だーめ。」と羊を睨みつける雛子と亞里亞だった。恐れをなしたか羊はバッグを諦めて退散し、可憐はほっと安堵する。しかしここで可憐は、自分を助けてくれた年少者達にお礼を言う余裕さえ失ってしまってもいる。じつはこの場面では、考察4で述べたような亞里亞の成長のさまが雛子の模倣を通じて確認されるだけでなく、鞠絵のために3人で購入したという建前にもかかわらず実際には可憐の見立てのままだったお土産のカップが、雛子と亞里亞の協力によって守られることで、ようやくこの3人のプレゼントとして真に共有化されたという事実も描かれているのだ。

可憐「ごめんね、これは鞠絵ちゃんへのプレゼントだから。」
   (鞠絵ちゃん、お兄ちゃんといっぱいお話できたかな。)

 だが可憐には、そのようなことに気づくだけのゆとりはない。鞠絵のために予定時間との戦いに専念せざるを得ない彼女の、年中者としての限界がここにある。そしてこの限界は、直後に明確に描かれることにもなる。きちんとした計画のないままに、それでも何とか時間を潰せたと思いきや、今度は療養所に向かうトラムバスがなかなか来ないのだ。普段乗っている街中では確かに本数も多く、待ち時間も短いだろう。だがここは郊外であり、本数が少ないに決まっている。日頃の経験に基づく先入観で、すぐに次の便が来るだろうと想像していた可憐は、このことに思い至らなかった。それゆえ年少者達を落ちつかせることができず、それどころか自分自身も「どうしたんだろ…?」と不安に陥ってしまい、その結果、逆方向に向かう便に年少者達が間違えて乗ってしまうのを止めることさえできなかった。(なお、逆方向の便に乗ってしまうという錯誤については「普通あり得ない」という批判もあるが、論者も20歳のときに同じ過ちをしたことがあるので、まだ幼い雛子達がそうしてしまうのもむしろ当然と考える。)

 こうして可憐が当初の予定をはるかに越えて遅れることになってしまった一方、白雪はどうしていたのか。彼女は可憐との打ち合わせに従って、午後3時には療養所に到着していたのだろう。何も療養所で合流しなくとも、例えば午後1時あたりに街中で落ち合うこともできたはずだが、目的地付近の方がお互い行き違いにならずにすむということにくわえ、バスケットから甘いお菓子の焼きたての匂いが漂えば亞里亞達が制御不能になるかもしれない、という恐れもあっての決定だったと考えられる。だが、玄関前で待機していても、可憐達はなかなか姿を現さない。予定の時刻をとうに過ぎ、独り佇む白雪の胸中はいかばかりであっただろうか。たんに遅刻しているだけならまだいいが、もしや可憐達に何か事件が生じたのだろうか、でもそれならば療養所に連絡が入り、鞠絵や兄がここに現れてくれるはずだ。それともどこかで行き違い、既に鞠絵や兄と合流しているのだろうか、しかしそれならなおさらみんなでここに現れるはずだ。まさか自分のことを忘れるはずはない。ないと信じるが、いやまさか。
 そんな疑心暗鬼が渦巻いていたかどうかはさておき、少なくとも、約束の時間を過ぎている以上は自分だけでも鞠絵と兄に会いに行ってしまってもよかったかもしれない。だが、白雪は可憐達の到着をひたすら待とうとした。約束の時刻が問題なのではなく、鞠絵と兄が二人だけでいられる時間をいかに確保するかが今回の最重要事なのであり、そのために白雪も、独りここで自分の欲求と戦っていた。思えば彼女こそは年中者の中で最も自己抑制に優れた妹なのかもしれない。とりわけこのリピュアAパートの中では、あまりに抑制がききすぎて、兄と二人だけの親密な場面がほとんど得られずに終わるほどだった。これをもって白雪への不当な仕打ちと考えるか、それともこの謙虚さが彼女の意外な一面であると理解するかは、視聴者の判断に委ねられているが、論者は今回この場面での白雪の孤独な戦いを特に記して賞賛するものである。
 だが白雪の戦いは、皆の到着があまりに遅いため停留所に行こうとして兄と鞠絵が玄関に向かったことで終わりを迎える。不意に兄達に発見されてしまった白雪は、

白雪「ち、違いますの。白雪じゃないですの…。」

 と声色を変えて無理矢理に継戦意志を示すが、さすがに「ですの」でごまかせるものでもない。結局兄達の前に進み出た白雪は、可憐達の姿が見えない理由をも尋ねられ、事のいきさつを明かすことになったのだろう。そしてまさしくこの暴露によって、鞠絵と兄と妹達は、一つに結びつけられることになる。

(3)兄妹関係の再確認

 遅くなりすぎてしまった可憐達がようやく療養所のロビーに到着すると、白雪がそこに待っていた。遅くなったことを詫びる可憐に、白雪もまたすまなさそうに「見つかっちゃったんですの…。」と首をすくめる。そこで柱の陰から「寄り道してたのかな?」と兄と鞠絵が姿を見せ、単純に喜ぶ雛子や亞里亞をよそに、可憐はひたすら申し訳なくうつむく。ここでの可憐にしてみれば、白雪にも迷惑をかけ、おそらく兄や鞠絵にも心配をかけたことで、せっかく鞠絵のためを思っての今日の行動も台無しになってしまっていた。

鞠絵「ありがとう、可憐ちゃん。」
可憐「遅くなって、本当にごめんなさい…。」
兄 「白雪ちゃんから聞いたよ。ありがとう、可憐ちゃん。」
可憐「えっ…!?」

 だが、白雪から全てを知らされていたことで、鞠絵も兄も可憐を責めるどころか、その心遣いに感謝した。トラムバスに乗り間違えてから、おそらくここまでずっと焦燥と自己嫌悪にとらわれてきていただけに、この言葉を聞いた可憐は、あまりの嬉しさに思わず涙がこみあげてきた。ここにおいて、可憐と白雪の努力、すなわち、年少者も含む自分達の欲求を抑制して鞠絵−兄関係を最優先させ、兄妹関係の総体的均衡を図るという目的のための苦労は、ようやく報われたかたちとなったのだ。そこには可憐の頑張りがあり、白雪の忍耐があり、そしてもちろん、まだ到着しない妹達への鞠絵と兄の配慮があった。
 そんな年上の者達の骨折りにも気づかない年少者達もまた、この場面で一つの役割を演じている。雛子は鞠絵に、お土産をバッグごと手渡すことで、今日の「お見舞い」という目的を忘れずにいたことを示す。それは可憐によって繰り返し教えられたことにもよるが、何よりこのお土産は、先の放牧場で、雛子と亞里亞が羊から守る手助けをすることで、今日のお見舞い組一同の共有物となっていた。これを鞠絵に渡すことで、年少者達は鞠絵へ同じ妹としての関係を改めて結ぶ。そしてそのお土産とは、鞠絵が用意しながら一組だけ足りなかったティーカップを、ちょうど同じ柄で補ってくれるものだった。そこに描かれた互いに手をとる二人の天使とは、鞠絵と兄の姿でもあり、雛子と亞里亞でもあり、また鞠絵と妹達でもあった。このカップによって、鞠絵は、自分も妹達の1人としてその輪から排除されてはいないこと、皆が自分をその輪の中に結びいれてくれることを、受け止めることができたのだ。そして、もし1人の妹たらんとする自分の努力に何か足りないものがあったとしても、それを無理に自分一人で埋め合わせようとしなくても、兄だけでなく他の妹達が、それを支えて補ってくれる。こうして鞠絵の不安は、ティーカップに象徴される妹達との絆を確認する中で、融け去っていく。
 夜のコミュニケーションルームを照らす暖炉の灯(ちなみにこの暖炉にも四葉の紋様、ただし十字模様の可能性もあり)。そして鞠絵は、兄と妹達と子供達の前で、再び人形劇を演じ始める。それは兄達が住む街の伝説との照応を暗示させつつ、次のような内容として語られる。

「あるところに、とても可哀想なお姫様がいました。
 お姫様は、悪い魔法使いの力で、薄暗い牢屋の中に閉じ込められてしまいました。
 これでは、大好きな王子様に会うこともできません。
 来る日も来る日も、その暗い牢屋の中で、お姫様はただ泣いていました。」
「魔法使いの謎めいた言葉の意味を、お姫様は来る日も来る日も考えました。
 落ち葉が雪に変わり、月が何度も満ちて欠け、再び落ち葉の月が牢屋に差し込んでくる頃、
 とうとうお姫様は、魔法使いの魔法の意味に気づきました。
 それは、お姫様と王子様の二人の心を試す魔法だったのです。
 王子様に会いたいと願うお姫様は、自分でも牢屋を出る努力をしなければならなかったのです。
 お姫様は、手を傷つけながらも牢屋の扉を必死に叩き続けました。
 扉を叩きながらお姫様は、こう呟いていました。
 『離れていても、私の心はうつろうことなどありません。』
 すると、牢屋の扉は光に包まれ、まるで夢だったかのように消えてなくなったのです。
 その後、お姫様と王子様は、大きなモミの木のある街にたどり着き、
 たくさんの人達と素晴らしい…」

 物語の末尾はあいにく判然としないが、もしかしたらこの物語は、最初に療養所の子供達に演じてみせた前半部分の続きと、兄妹達にも見せたときの後半部分とでは、展開が異なっていたのかもしれない。前半での「可哀想なお姫様」という自己規定が牢屋から救出してくれる外部の王子様を要求していたとすれば、後半でのお姫様は、そのような自己規定こそが自分を牢屋に呪縛していたことへの認識に基づいて主体的に脱出を図っているからだ。そこには、今日の鞠絵が経験したことが直ちに反映されていた可能性がある。
 しかしいずれにせよ、ここには療養生活を受け止める鞠絵のいまの心境が克明に描かれている。牢屋とは、療養生活という不自由さであるとともに、自分の心に潜む孤独へのとらわれでもある。療養生活の日々を明るく前向きに生きることは、療養所に埋没して外界から自ら遠ざかることではない。それは、孤独の悲しみに引き込まれようとする弱い心を鼓舞して、開かれた絆の中へと手を伸ばすことに他ならない。そして、その手は、あのティーカップの天使のように、必ず別の手と結ばれて、絆の輪の中に導き入れられる。鞠絵が皆の前で人形劇を行うとき、彼女の戦う努力は兄や妹達に認められ共有してもらえていたのだ。ここで療養所と街を隔てる扉は消えてなくなった。あたかも、第7話で亞里亞の屋敷の門が開かれたときのように。じつに第7話と第8話は、病気をめぐって妹達が兄との関係・妹達との関係の中に結ばれる2つの経緯を物語っていたのである。
 ここで、第12話で年少者に譲るさいの鞠絵の心中をもう一度確認してみよう。今回のお見舞いに参加していなかった咲耶にしてみれば、せっかく街まで下りてきた鞠絵に兄との食事の機会を確保できなかったことは、至極残念なことだったに違いない。しかし鞠絵にとっては、確かに兄との団欒の機会を失ったことは悲しいとしても、こうして咲耶達に誘われたこと自体が、妹同士の絆を感じられる幸せの契機だった。そして咲耶の努力が実を結んで、レストランでの他の妹達との共同作業や兄との語らいを満喫できたことは、言うまでもなく彼女にあらゆる意味での満足を与えたのである。


2.「そばにいるよね…アニキ」 〜鈴凛と四葉の場合〜

(1)鈴凛の場合

 第9話冒頭、パーラーでテーブルを囲んでジャンケンをする咲耶、花穂、鈴凛、四葉、亞里亞。勝った者が問題を出す「兄チャマクイズ」も、既に60問目になろうとしている。オーダーをとった時からこれを延々と繰り返していたとすれば周りにもいい迷惑だが、いくら焼きたてのアップルパイにせよそこまで時間もかかるまい。おそらく下校の途中で5人が合流した時から続けられてきたのだろうが、それにしても今回の勝者鈴凛が「アニキはどんな色が好きでしょうかっ?」と出題したのには、こんな基本的なものがまだ出ていなかったのかと驚かされる。皆の答えは咲耶の「私のリップグロスの色、デリシャスシアー」、四葉の「ユニオンジャックの青、ディンクブルー」、花穂の「水色」、亞里亞の「葉っぱの色」、鈴凛の「新品パーツのシルバー」と見事にバラバラで、ポケットストーリーズ第1巻第2話を思い出させる。鈴凛の態度からは、今までの59問でも同様に一致しなかったことが察せられるが、それでもこの時点での彼女は一向にくじけない。

鈴凛「でもメカ鈴凛をもっとパワーアップするためには、まだまだデータを集めなきゃ!」

 ここで、メカ鈴凛の存在が既に兄妹に知らされていることが分かる。となると、原作やゲーム版1、アニプリなどにおけるメカ鈴凛のエピソードを考えれば、鈴凛の別れへの決意がどこまで明確に兄に伝えられているかが問題となるはずだが、しかしこの第9話では、そのことは全く描かれないまま物語が進む。むしろ、後でみるように、この第9話は兄が離れていくことに対する鈴凛の不安を主題としており、この場合メカ鈴凛は既存のシスプリ作品における役割をそのままには踏襲しないことになる。つまり、原作等に示されているメカ鈴凛に託した鈴凛の覚悟のほどを、彼女自身の大人びた性格とともに、視聴者が無自覚に想定してしまうならば、リピュアAパートでの彼女の実像を見誤るおそれがあるのだ。第1話でも咲耶の前で口紅をめぐる女の子らしい悩みを示していることを考えれば、リピュアAパートの鈴凛は特にアニプリでの彼女とやや性質を異にしている。このことに注意しながら、物語を追っていこう。
 香ばしいアップルパイを嬉しそうに頬張りながら、花穂は兄も誘えばよかったとふと顔を曇らせる。テーブルを上から眺めれば、鈴凛と花穂の間に一人分の空隙がある。妹達の関心の中心はいま不在なのであり、それはひとまず外的な欠落として示される。

鈴凛「やっぱりみんなの意見を集めるだけじゃなくて、直接聞いてみなくちゃゃだめかぁ。
   …あれっ?アニキって、あたしたちと会ってないときどんなことしてるのかなぁ?」
四葉「う−ん、それは手ごわい質問デスね。鈴凛ちゃんの言うとおり、兄チャマにはまだまだ謎があるデス。」
花穂「ねえ、それじゃ今からお兄ちゃまのお家に聞きに行くのは?」
鈴凛「うん!そうだね、行ってみようよ。アニキのお家!」

 しかし、皆で兄の家を訪れたものの、ここにも兄は姿を見せない。がっかりしつつ土手の草原に腰を下ろし、亞里亞や花穂は金色の雲を眺め、鈴凛は収集したデータを確認しつつ一つの疑問を抱く。

鈴凛(でも不思議なんだよね。こうやってデータを集めてみると、アニキって、)
四葉「うん?どうしたんデスか、鈴凛ちゃん?」
鈴凛「うん。今まで気づかなかったんだけど、アニキってアタシたちみんなのことをとてもよく知ってるし、
   優しくしてくれるし、…でも、アタシたちはアニキのこと、どれだけ知ってるのかな…?」
四葉「?」

 ここで鈴凛の意識は、兄の外的な不在から、いわば内的な不在へと転じている。自分に代わって兄を助けるべきメカ鈴凛を完成させるためには、兄の十全な情報が必要である。だが、その情報を集めれば集めるほど、兄のことをいかに知らないかという事実が浮き彫りになっていく。
 これは、一つには先ほどの「兄チャマクイズ」に見られたように、兄の趣味を妹達が自分と同じだと思いこんでいるがゆえの不一致として表れる。しかし、この不一致は、妹達の独善によるものではない。妹達は、それぞれが相対する時の兄に、そのような自分の趣味との一致をつねに期待できるのだ。つまり、咲耶の前では兄は彼女のリップカラーを好ましいと感じてくれるだろうし、鈴凛と一緒に機械を組み立てる時にはシルバーの新品パーツを手に嬉々としているだろう。このように妹ごとに応じて姿を変えられる兄のいわば多色性は、妹達が12人の中の1人として平等に扱われ、兄が各妹の「お兄ちゃんの日」を完全なものにするためには、ぜひとも必要な性質だった。しかしこの性質は、兄の趣味を確定しようとする場合には、妹達の認識の不一致を導かざるを得ない。妹が見た瞬間に、兄は変化してしまうのだ(これを「シスター・プリンセスの不確定原理」なり「シュレディンガーの兄」なりと呼ぶことができるだろうか)。
 そして、この不一致を再確認する鈴凛が、「何が唯一の答えか」を問う段階から脱却し、次の問題水準へと意識を飛躍させる。自分達の前で、兄は各人にとって最適の姿を示す。では、そのような妹達による偏差を取り除いた時、そこに現れるであろう真の兄の姿とは、いったいどのようなものなのだろうか。兄妹関係の枠組みを仮に離れて、兄だけをとらえたならば、彼はいかなる存在として認識されるのだろうか。ここで問題となっているのは、自分達の目に映る兄の向こうにある兄自体であり、しかしそれは当然のごとく自分の妹としての主観を超えたところに認識されねばならない。妹全員の兄理解から最大公約数を求めても、「兄チャマクイズ」やオープニングでの「かっこよくって優しくて」という前置きが示す通り、多色性以外の共通項は「優しさ」や「自分を理解してくれている」などといった兄妹関係についての要素しか導き出されない。この関係を排除した地点での兄の姿など、どこまでも無色透明の兄、定義しえない真空の兄であり続けるほかないのである。そして、この真空に気づいてしまったことが、第9話において鈴凛が直面した重大事だった。それは、兄から離れていこうと決意した彼女であるからこそ、兄といったん距離を置く思考によって初めて見出しえた「妹達に隠された問題」と言えるだろう。

 じつはこれは、視聴者にもまた航との対比の上で「この兄は何者か」という疑問として共有されたいわばメタ問題なのだが、これを妹である鈴凛が作品内で担おうとする時、そこには妹としての限界が認識不可能性をもたらし、彼女に不安を抱かせることになる。その夜、鈴凛の家に四葉がお泊りしたさいに、鈴凛はなおこの不安にとらわれたまま、元気のない表情を示している。(ところで、鈴凛の家が可憐達のと異なる独特の形状であることについては、補論1参照。)両者の会話で、四葉は兄が「今日はどこへおでかけ」だったのかを気にするが、鈴凛の「うん…。」という生返事は、彼女の問題関心がそのような具体的な水準にはないことを暗示している。だが、あくまでも具体的な尾行調査という足場から鈴凛を巻き込みつつ励まそうとする四葉に、鈴凛は四葉の同じ妹としての優しい気遣いを感じ、ほっとする。

鈴凛「ありがとう、四葉ちゃん。な、なんかあたしさ、今日色々考えてたら、どんどん不安になっちゃって。
   ア、アハハ、変だと思うでしょ、こんなの…。」

 だが、ここでは既に、鈴凛と四葉の問題水準のずれが四葉に理解されないという状態が示されているのであり、翌日は兄を尾行しながらこのずれがそのままに保持される姿が描かれていくことになる。兄が朝方に自宅を出るところから尾行開始となるが、日頃は仲良く遊びで行っているところの「例のやつ」(バロムクロスもどき)も、今ひとつ鈴凛は乗り切れない。ベーカリーでは四葉の無茶な推理に首を傾げ、花屋では四葉の「青いお花」という推理と兄の鉢植えを手に取る行動の相違を確認する。この場面でなぜ鈴凛が嬉しそうかといえば、四葉の推理が外れたからではなく、兄が自分達の影響のない状態で、兄自身の趣味に従って選択するという行動を目にすることができたからだ。妹が誰か一人でもそばにいれば、兄はその妹に影響された行動をとってしまう。いまこうして尾行というかたちでその影響を排除することによって、未だ知りえなかった真の兄がそこに認識できるという期待を、鈴凛は持ちえたのである。この点で、四葉の言う「兄チャマの謎は後から後から増えていく」という煩悶は、鈴凛には共有されてはいない。
 ところが、このような鈴凛の期待も、兄が雑貨屋でカードを12枚選んでいるのを目撃した時に覆されることになる。この行為から四葉ともども推理した結果は、明らかに妹達のためのクリスマスプレゼント選び。しかし鈴凛は、四葉のようにこれを素直に喜ぶことができない。シティトラム(車中で「この電車は、ベティーズ発、湾岸公園駅経由、旧レンガ倉庫駅行き」「次は噴水広場前」とアナウンスされる)に乗り込む兄をなおも尾行しつつ、彼女は

鈴凛「だけどアニキ、アタシたちに内緒でプレゼント選んでくれてたのに…。」

と顔を曇らせる。それは、せっかく兄が内緒で選んでくれているのを黙って覗き見してしまったという罪悪感のみに基づくものではない。自分達のために、という兄の行動に直面したとき、鈴凛は自分自身の覗き見という態度の問題性のみならず、プレゼントと知って喜んでしまったという視点の主観性に改めて気づかされる。自分達が隠れてみていようと、結局兄は妹達のために何かしているのだとすれば、そしてこれを見る自分の視点がどこまでも主観を脱却しえないとすれば、兄妹関係から切り離された真の兄の姿はどうやっても自分には認識しえないのではないか、という不安が、ここで再び力を増したのである。

鈴凛(教えてよアニキ。一人きりのとき、アニキが見ているもの…。)

 ここでの「一人きり」とは、まさにそのような真の兄を知りたいと希求する鈴凛の胸のうちを示す鍵なのだ。この衝動は、しかし一方で、覗き見への罪悪感や、あまりに予想外の兄の姿を見てしまうことへの恐れから、今一歩踏み出せないためらいと、表裏一体のものである。その一歩を強制するのは、鈴凛を先導する四葉の役目であり、今は廃棄された旧倉庫へと侵入していく兄を追いかけて、鈴凛はなし崩し的に四葉の作戦通り、二手に分かれて兄を挟み撃ちさせられることとなる。恐る恐る一倉庫の扉に近づくと、その向こうから聞こえてきたのは、何ものかに語りかける兄の声だった。

兄 「じゃあ君は、ずっとここを(…)。このレンガ倉庫が使われなくなってからもずっと。
   そうか、もしかしたらこの街の(…)」

 今回の結末と最終話を見れば、この会話の相手がおそらく1本の木であることが分かるのだが、いまの鈴凛は、兄が自分の知らない誰かと秘密裏に会話しているという状況認識から、抑圧されていた衝動を唐突に解放する。もしも、兄の前にいるのが女性だったとしたら。このきわめて恐ろしい可能性も、ここでの鈴凛にとっては、真の兄を知ろうとする欲求をかえって強めるほかない。そして、真の兄を見出すためには自分の存在を兄に気づかれてはならない以上、鈴凛は扉を開けるなどの行動で音をたてることもままならず、ふと見上げて気づいた横柱の上をしゃがんで進み地上の兄を探し求めるという危険な行為に及んだのは、彼女本来の合理的な精神がそこまで切迫していたことの証しである。運動向きではない服装の鈴凛は、じりじり前進する最中にようやく兄の姿を発見するが、その途端に気が緩んだか、突然の風にバランスを崩し、横柱から墜落してしまう。

鈴凛「え…!?」

 ダブルオー鈴凛危機一髪、だがあわやというところで兄が間に合い、妹を無事に受け止めた。それでも途中でぶつけたおでこが赤い鈴凛は、気がつけば兄の膝枕に頭をのせて横になっていた。

鈴凛「アニキ…?」
兄 「大丈夫、鈴凛ちゃん…? あんな高い所に登っちゃだめじゃないか。」
鈴凛「ごめんなさい、危ないことして…。」
兄 「ずっと僕の後をつけてきたんだね?」
鈴凛「扉の向こうでアニキの声がして。アタシ、どうしても知りたかったんだ。
   アニキのこと、もっともっと、だから夢中で…。」
兄 「…フフッ、そうだったのか。」
鈴凛「知りたいよ! だって、いっぱい知れば知るほど、アニキがいつでもアタシの心にいると思えるもん!
   …そうじゃないと、いつか、アニキが、どっかに行っちゃう、みたいで…。」

 そもそも、メカ鈴凛の製作を開始した時点で、「どっかに行っちゃう」のを決意したのは鈴凛の方だったはずである。だがそれは、あくまでも物理的な距離における別離であり、兄妹の絆そのものは絶対に断たれることはない(メカ鈴凛も、この距離を無効化するために必要な自分の代役である)。それゆえ、この場面で問題となっているのは、兄妹関係を内的に喪失することへの不安である。鈴凛はその原因を、真の兄を知らないことに見出そうとしている。しかし、探求すればこそかえって強まるのが、未だ十分に知りえていないという強迫観念、あるいは結局そのような真の兄など知りえないという絶望感、である。「いっぱい知れば知るほど」満足することなど決してない。むしろ、そうしないと兄が「どっかに行っちゃう」恐怖を抑えきれないのであり、しかも知れば知るほどに不安は増大し、まだ知らぬ真の兄を求めて、自らを客観的視点に立たせようと兄から限りなく遠ざかっていくほかない。探求が逆に兄との距離を広げていってしまうという年長者的なこの矛盾は、鈴凛が兄妹関係を捨象したところに客観的に真の兄を見出そうとした時点で既に不可避となっていたのだが、この悪循環の中にとらわれた彼女が自らの力で抜け出すためには、鈴凛が彼女自身を客観化するだけの余裕があまりになさすぎた。
 この袋小路を突破させるのは、いつもながらに兄である。感情的になっている妹の顔を見下ろしながら、兄は優しく語りかける。

兄 「大丈夫だよ。僕はね、いつも鈴凛ちゃんの中にいるんだ。ずっと…。ほら。」

 兄の瞳の中に、鈴凛の顔が映る。そして兄の瞳の中には、鈴凛の顔が映っている。お互いの瞳の中には、合わせ鏡のように果てしなく映し合う兄妹の姿が生きている。鈴凛が兄を自分との関係において思考するしかないのと同様に、兄もまた、妹に向き合うことで兄として存在している。それは、兄妹関係を離れた客観的な真の姿など、どこまで追いかけても掴み得ず、つまりは存在し得ないということを示唆するとともに、このように互いの目に映る主観的・内在的な理解こそが兄妹の絆を真に形作るものであり、関係性の中で互いを認め合うことが結局は真の姿を確認することなのだということをも意味している。鈴凛の理解する兄こそが、そのまま真の兄なのだ。こうして兄は、鈴凛を、ごく当たり前の兄妹関係の中に引き戻し、鈴凛も普段通りの彼女へと無事に回帰する。

鈴凛「アニキ…。ア、アハハ、なんだか安心して涙が出ちゃった…。
   よーし、これからもーっといっぱいアニキのこと知りたがっちゃお。
   アニキがもういいよって言っても、許してあげないからねーっ。」
兄 「いいけど、もう無理しちゃだめだよ。でも、もしあれが受け止めてくれなかったら大変なことになってた。」
鈴凛「?…あ!これは…!?」

 見上げた兄の視線の先には、横柱から墜落した自分の速度を緩和してくれた物体があった。シルエットはいかにもアニプリのマッキー像なのだが、その実体は、旧倉庫の空き地に立つ1本のモミの木だったのか。四葉と合流した後に、鈴凛はその木の存在を疑問に思い兄に問いかける。

鈴凛「でもアニキ、なんであんなものが、倉庫街の真ん中にあるの?」
兄 「さあ。不思議だね。」

 あっさりと会話が終わってしまうこの返事。しかし、兄が自分の兄であり、自分が兄の妹であることこそ、何よりの不思議であり、答えのない謎であり、素晴らしい奇跡ではないだろうか。分からないことは確かにある。その分からなさの中に、幸福が宿っている。そしてそれは、兄妹の絆という絶対の事実、兄が妹を見つめ妹も兄に向き合うという関係の疑いなき現前によって、支えられているのである。

兄 「そろそろ風が冷たくなってきたね。帰ろうか?」
鈴凛「…うんっ。」

 帰途につく時、鈴凛の横には兄がいる。トラムバスの中、寝言をつぶやく四葉に対して、鈴凛は居眠りすることなく、隣の兄に語りかける。

鈴凛「アニキ、いるよね?」
兄 「うん、いるよ。」
鈴凛「…ウフッ。」

 幼児のような問いかけによって、鈴凛は、兄がいつでも自分との関係の中にあり、たえず自分のことを見ていてくれるのだと再確認する。四葉が眠っている間に、兄の情報を聞きだそうとはしない。もっと知りたがるはずの鈴凛が求めるのは、ただひたすらに、兄が自分と共にいることの共通理解だけである。だから、これさえ与えられたならば、鈴凛は安心して目を閉じて、兄にもたれかかることができる。兄もまた妹に寄り添い、一緒に目を閉じて手を握りあうとき、言葉を越えて、互いの存在を確かめ合う。

鈴凛(…アニキ。)


 揺れる吊り革のごとく、鈴凛の心もまたいつか、今日のような動揺に見舞われることがあるかもしれない。咲耶にしても未だ克服することのできないこの揺らぎを、鈴凛が彼女なりに落ち着いて受け止めていけるようになったとき、初めて彼女は兄の元を離れる真の決意に導かれるのだろうか。それはまた、おそらくは、メカ鈴凛に真の魂が宿るそのときでもある。

(2)四葉の場合

 第9話のもう一人の主役は四葉である。鈴凛との仲良しコンビはアニプリで生み出され、リピュアAパートでも踏襲された。ただし、アニプリでは確かに両者の仲の良さこそ描かれたものの、各人の問題については相互に没交渉であり、第21話でも第22話でもあくまで本人と航の間で解決されていた。一方、リピュアAパートでは全体として妹相互の関係が重視されており、この第9話でも、アニプリでの仲良しコンビの枠を越えて、鈴凛の悩みに対して積極的に関わろうとする四葉の姿が描かれていく。

四葉「べべんべぼんぼんべーん、はぁーのんのびっ」

 お泊りの夜、風呂上りで階段を上がる四葉のこの『8時だよ!全員集合』的鼻歌(あるいは温泉の歌)には正直何事か問いただしたくなる。後に登場するあまりに古いネタとともに、英国帰りの四葉が日本を知るために必死で学んだテレビ番組の知識がたまたまこの時代のものだったのか、それとも英国で放送していた日本番組がこういったものしかなかったのかは定かではない。ただ、これらが四葉の性格形成に与えた影響は確かにありそうだ。もちろん、ドリフではなく『モンティパイソン』を観ていた可能性の方がはるかに高いはずなのだが。

四葉「それにしても兄チャマ、今日はどこへおでかけだったんでしょうネ?」
鈴凛「うん…。」

 鈴凛の元気のなさを心配して、四葉はがばっと起き上がり、彼女なりに励まそうとする。

四葉「鈴凛ちゃん、明日の日曜日、兄チャマの後を追いかけて一緒に秘密をチェキーっしちゃいませんか?」
鈴凛「え、でも…。」
四葉「クフフッ、四葉にお任せデス!名探偵四葉の推理によると、
   明日は兄チャマが一人でお出かけする確率が非常に高い気がするのデスよ。」
鈴凛「ありがとう、四葉ちゃん。な、なんかあたしさ、今日色々考えてたら、どんどん不安になっちゃって。
   ア、アハハ、変だと思うでしょ、こんなの…。」
四葉「大丈夫、鈴凛ちゃん!私達名探偵コンビに解けない謎はありマセン!
   明日になればズバッと参上ズバッと解決なのデス!」

 だがここでは、先述したように、兄をめぐっての問題水準のずれが生じている。鈴凛は、真の兄を知らないことへの不安によって意気消沈している。しかし四葉が見た鈴凛は、兄の正確な情報を入手することにつまづき、兄と会って確かめることもできなかった今日一日を重く受け止めているようにしか理解されていないのだ。だから翌日にでも尾行によって兄の秘密を突き止めれば、鈴凛も元気になるはずだ、とする単純さは、鈴凛の求めるところと微妙に噛みあわないのだが、こんな四葉だからこそ、鈴凛もほっと気を楽にできるということでもある。両者のこのずれはアニプリでは描かれることのなかった問題であり、そしてこのずれを含みこんでこそ、鈴凛・四葉のコンビというものを正しく把握できる。
 それゆえ翌朝の四葉は、鈴凛のためにも兄の尾行に邁進するわけだが、この「鈴凛を安心させる」という目的と、「兄を尾行する」という手段とが、たちまち逆転してしまうというのも、既に第2話(あれはむしろ逸脱だったが)でも描かれていた四葉の特性だった。

四葉「じゃ、例のやつ行くデスよ、鈴凛ちゃん!」
鈴凛「う、うん…。」
四葉「兄チャマ探偵団、行動開始なのデス!」

 ここでのバロムクロスもどきにせよ『怪傑ズバット』ネタにせよ、四葉の大いなるはしゃぎっぷりを如実に物語っており、この出発時点で彼女はもはや尾行そのもののことしか眼中にない。そして、四葉にとっての尾行とは、兄と自分との絆を確認する作業であり、また同時に、尾行でのやりとりは、兄との絆をより緊密にしていく過程である。尾行に代表される探偵行為とは、四葉と兄の固有の絆そのものなのであり、手段と目的が逆転しがちなのも、四葉のこの絆の結び方に由来するものでもあった。
 ベーカリーでは、四葉は非合理的な断定を行い、鈴凛を困惑させるが、これもまた尾行の意味を開示する場面である。

四葉「兄チャマはきっと、ドーナツを買うはずデス。」
鈴凛「え?」
四葉「クフフッ。なぜなら、四葉がドーナツを食べたかったからデス。」
鈴凛「そうなの?」
四葉「やっぱり兄チャマのことなら、四葉に分からないことはないのデス!」

 推理というよりは以心伝心。これこそが、尾行という一方的な関係を結んでおきながら、兄がつねに自分に向いていてくれているという、四葉なりの兄妹関係の理解と確認の仕方である。もしも兄が自分の求める行動をとってくれなかったとしても、それはそれで意味がある。花屋で四葉は、「兄チャマは青いお花が好みなのデス。」と再び自分の好みにひきつけて断定する(青い花とはユニオンジャックやパンジーの色からか、あるいはノヴァーリスの作品か)。しかし、兄が鉢植えも手にとって眺めている姿を確認すると、四葉は難しい顔をしながら、こうつぶやく。

四葉「うーん、兄チャマの謎は後から後から増えていくのデシタ。」

 だがこの謎こそは、増えていく分には全く困らないものなのだ。むしろゲーム2で描かれたように、兄の新たな謎、新たな情報が日々得られなくなってしまうことが、四葉にとっては最大の問題になる。それは、四葉が兄を知ろうとすることで結ばれている絆をたえず更新することが不可能になってしまうということを意味するからだ。鈴凛にとって兄の謎を探求することは、知りえないという不安と一体のものだったが、四葉の場合には、謎が謎を呼ぶ連鎖がむしろ望ましく、この連鎖を自明のものとして前提にすることで、四葉は安心して兄をどこまでも追いかけていくことができる。
 ただしこの探求が手放しで幸福であるためには、一つの条件がある。それは、妹達の中で自分だけが知らなかった事実、とりわけ他の妹達がもつ兄との思い出に関わる探求ではないことである。ポケットストーリーズ第3巻第6話では、四葉は他の妹達(鈴凛を含む)の七五三の思い出を聞きながら、次第に悲しくなってしまう。それは、帰国子女であるがゆえに兄との幼い日々を奪われていた四葉にとって、英国での学校生活と同様、自分だけが親密な関係から排除されるという辛い状態に落とされることだった。過去の兄について知れば知るほど自分との距離を感じて悲しくなるというこの問題は、じつは、今回の鈴凛の「いまの兄を客観的に知ろうとすればするほど距離が広がる」という問題と重なり合っている。こうしてみれば、鈴凛と四葉のコンビは、問題水準のずれを含みながらも、その根底において通じ合うのであり、だからこそ両者は、互いの性格が呼び合う以上にウマがあうのかもしれない。
 ただし、この第9話はいまの兄を尾行するにとどまり、兄の過去をめぐる探求にはなりえず、四葉が感情的に追いこまれる展開は回避されている。だからこそ四葉は鈴凛のために、そして自分の好奇心のために、ためらいもなくひたすら積極果敢な行動に出ることができる。ベーカリーでは店の迷惑も省みず、雑貨屋のそばでは玩具の家の中に潜りこむ。なお、ここでアニプリの山田らしき店員が登場しており、ベーカリーの「あの人」と並んで、このリピュアAパート世界とアニプリとの連続性を検討する材料となっている。これについては補論1で詳述するが、ひとまず本考察ではこのベーカリー店員は前作での眞深本人ではないものと判断する。「お客様。本日のおすすめ、超激辛カレーパンなどいかがですか?」という台詞は、レジ前でうずくまり商売の邪魔をしている二人に対して、「邪魔」とは直接言わずにパンを売りつける商売っ気の表れである(実際に鈴凛達は1個ずつ購入している)。もしこの店員が前作の眞深と同一人物であるならば、鈴凛とも四葉とも気心の知れた彼女が、食べた後も臭いが残るであろうカレーパンを、隠密行動中の二人に食べさせたりするだろうか(あるいは兄に気づかせるためにわざとそうしたという考えもあるが)。

 さて、兄がクリスマスプレゼントの品定めをしているらしいことを知ったとき、四葉は素直に「新しいクリケットのクラブ」が欲しいと喜び勇んでいる。鈴凛が、自分達のために内緒で選んでくれているのを覗き見したことに罪悪感を示したことで、四葉も「そ、そうデスね、悪いことしちゃったデス…。」ととりあえず反省するが、それでもこの尾行は絶対に中止しない。やがてトラムバスが旧レンガ倉庫街へ到着し、兄が古びた倉庫の中へと進んでいくとき、四葉は完全に己の世界に突入した。

四葉「クフフッ、やっぱり兄チャマには秘密があったデスねー。四葉ワクワクしてきましたっ。
   四葉の推理が正しければ、兄チャマは密輸団をやっつける大英帝国諜報部のエージェントだったのデス!」
鈴凛「そ、そうかな?」
四葉「行きましょう、鈴凛ちゃん!」

 もはや論議には及ばない。二手に分かれて兄を挟み撃ちにする作戦を立て、たちまち倉庫の間を縫って進撃する。ここでの四葉の行動は、隠密行動に不慣れな鈴凛がおそらく兄への直接アプローチに出るだろうと予測したうえで、周辺に存在する兄の根拠地を押さえて決定的な証拠を掴んでおこうという、じつに考え抜かれたものだった可能性がある。

四葉「キャッホー鈴凛ちゃん、ついに見つけたデス!兄チャマの秘密基地!」

 そしてもしそこまで考えていたなら、その証拠を見事に発見した四葉は、現実と空想が渾然一体となって究極の歓喜を味わっていたことだろう。

四葉「兄チャマー!秘密のテントは四葉が見つけちゃいましたよーっ。兄チャマ、シャッポを脱いで出てきなサーイー。…ういー。」

 しかし、大喜びでぐるぐ踊りまわるのはともかく、この最後の「ういー。」とうなだれる様は何事だろうか。それは、こういう決定的な場面のためにと鈴凛と練習していたアクションポーズが、一人では決められなかったという残念な気持ちの表れかもしれない。あるいは、先述のような間接アプローチなど全く考えもせずに倉庫の中に入り込んだ結果迷いに迷ってしまい、本能的な嗅覚によってか偶然テントを見つけたはいいが、肝心の兄や鈴凛の姿を見失って困り果てているだけなのかもしれない(とりあえず勝鬨をあげておきつつ、兄達に自分の居場所を伝えて探し出してもらおうという作戦)。この場合、シャッポを脱ぐのはむしろ四葉自身である。
 だが、兄認識をめぐる鈴凛との対比のうえでとらえるならば、この四葉の態度は、秘密を暴いた喜びの次に訪れる、秘密が暴かれてしまったことへの物悲しさを指し示していることになる。隠されている秘密は、隠されているからこそ、それを探求する過程を楽しませてくれる。この過程そのものを自分と兄との固有の絆として日々結びなおしている四葉にとっては、これほど大きな秘密の発見は、もうしばらく先に引き伸ばして楽しみを味わいつくしたいところだった。少なくとも、大団円の前にピンチの一つも発生しなければならないのではないか(鈴凛はこっそり墜落していたが)。ここにも、兄を認識する視点や問題水準の相違が、鈴凛との対照によって明示されている。それは兄との関係をいかに各人がとらえているかの違いに基づいており、両者は同じく兄を一方的に認識する場合でも、例えば鈴凛はメカ鈴凛や双眼鏡のように兄と距離をおいて間接的に関わりをもとうとし、四葉は近接尾行や虫眼鏡のように至近距離から迫っていく。そして鈴凛は兄そのものを知ろうとして危機に陥り、兄によって再び兄妹関係の中に引き戻されたが、四葉は兄の秘密に肉薄しようとしてあっけなくそれに成功してしまい、必要な遅延を得られずに終わってしまいそうになっている。
 この欲求不満を埋め合わせるのは、当然のことながら兄の役目だった。兄が秘密裏に計画していたクリスマスの下準備に、二人にも参加してもらうことにしたのだ。

四葉「クフフッ。まぁそういうことなら、秘密基地は兄チャマと四葉たちだけの秘密にしてあげるデス。」

 こうして四葉は、秘密を暴くことの快楽から、秘密を一緒に守ることの快楽へとすんなり移行する。名探偵と美少女怪盗クローバーは表裏一体であり、兄との固有の絆はさほどの危機をはらむことなく更新されていく。
 ところで、なぜ兄がわざわざテントまで用意していたのかについては、家からの移動時間を省略して準備を迅速に進めようという意図だけでなく、妹達全員がここに夕方以降に集うことを考えて、夜の寒さが鞠絵や年少者達に厳しくないかどうか、不審者が徘徊していないかどうかなどを自分で確かめようとしたのだろう。このテントの利用自体は、衛達とのキャンプで思いついたのかもしれない(テントは衛のと同じではなく、より小型のものを用いている)。ただし、このテントが兄と全く関係ない他人のものである可能性も物語の中では否定されておらず(屋上にテントを張るだけの余裕があれば、もっと早くにあの木を発見しているはず)、案外四葉の完全な勘違いかもしれないが。
 帰途につくシティトラムの車中で、四葉は何の迷いもなく兄にもたれかかって居眠りする。

四葉「兄チャマの秘密をチェキデスー…。」

 寝言はいつもの台詞ではあるが、秘密はチェキされることで、兄と自分とで共有され、絆となるのである。そして、今日結ばれた絆は二人だけのものではなく、鈴凛も含めた三人の秘密。秘密にはつねにその外側、知らされることのない他者が存在するが、それは他の妹達の排除を意味するものではない。第10話予告でも四葉が鈴凛に秘密情報を打ち明け、またこの第9話でも既に鈴凛が秘密の輪の中に引き入れられている(当初の尾行の目的を満たす結果)ように、やがては他の妹達も、クリスマスの秘密暴露の瞬間に、分け隔てなくこの喜びを共有することになるはずだからだ。だが、最終話ではその計画完遂を目前にして、まさか秘密を自分から漏洩してしまうことになろうとは、さすがの名探偵四葉にも思いつない見事なトリックだった。


終わりに 〜春歌の場合〜

 以上のように、第8話と第9話で重点的に描かれていたのは、年長者として成長していく妹達の相互支援関係であり、兄もこの妹同士の関係と分かちがたく結びつきながら、自らの役割を果たしていた。妹達は兄との望ましい距離をそれぞれ構築しようとする中で、それに囚われすぎたり、脱却しようと苦しんだりしながら、兄や他の妹達の支えを受けて少しずつ自分らしい関係を再発見していく。そこには女性としての成長が内省的な影を落とす一方で、個々人の変わらぬ性格が、それに十全に対応しうる兄との関係に、基本的な安定性を与えてくれる。このシリーズでは主に鞠絵と鈴凛に焦点が当てられたが、別の状況では可憐や白雪、四葉達が各人各様の問題に直面し、他の妹達の支援を受けつつ兄妹関係の修復・発展に努力することは言うまでもない。
 ところで、この2話で登場しなかった年長者のうち、他の回でもメインを務めることのなかったのは春歌ただ一人である。ここで彼女について簡単にまとめておくと、第3話では花穂への気遣いを示し、第7話では亞里亞の見舞いに訪れ、第10話では兄に恋歌を贈り、第12話では1日ウェイトレスを務める。それらの場面で示されるのはやはり、年長者としての配慮であり、12人の中の1人としての兄への関わりである。そこではメインの妹達ほどには十分に欲求を満たすことはかなわないまでも、兄が妹達にとり一番の薬であること、「男らしくて優しい世界一素敵な殿方」であること、そのような異性として自分の恋心の対象であることを、繰り返し述べ伝えている。つまり春歌こそは、わずかな登場の機会のほとんど全てにわたって、妹の瞳に映るがままの姿こそが真の兄の姿なのだということを最もあからさまに指し示す者なのである。いわば妹達(とりわけ年長者)のスポークスマンとして、春歌は、照れはすれどもためらうことなく、自らの想いを正直に表す。それは彼女の子供のような純真さと大人びた女性らしさとの融和の中から生まれ出ている。ここには咲耶とも違った年長者のありようが示されているのであり、そして春歌のこの爽やかなまでに単純明快な兄理解は、視聴者が兄の本性に対して抱く疑念や不安を、たちまち一刀両断してしまうのである。

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