アニメ『シスター・プリンセス Re Pure』考察4

〜年少者の成長の諸相〜



はじめに 〜考察の視点〜

 考察2考察3では、花穂と咲耶を年少者・年長者の代表として位置づけ、その特性とシスター・プリンセスとしての普遍的な主題が、それぞれどのように描写されているかについて検討した。そこで見出されたのは、兄独占欲求・個人的欲求と固有性による自己限定との葛藤とその解決が、共通の主題として扱われつつ、それが個々人の個性と、さらに成長段階の相違に応じて年少者の無邪気さと年長者の「すれ違い」などの独特な要素とも結びついて表現されていた、ということだった。
 これをふまえて、リピュアAパートの構成を年長者(青)・年中者(黄)・年少者(赤)のヒロインごとに区分けすれば、次の通りとなる。

話 数 1 2-4 5 6 7 8 9 10-12 13
ヒロイン 可 憐 花 穂 千 影  衛 . 亞里亞 鞠 絵 鈴 凛 咲 耶 全 員

 回数の差をあえて考えずにおけば、3つの成長段階がおおよそ均等に取り上げられていることになる。とくに第5話から第9話までの各話は、前半の花穂と後半の咲耶という年少者・年長者の代表を両端の柱として、その間に位置する成長段階にある妹達の姿を、それぞれの個性とともに描いたものとしてとらえることができるだろう。本考察では、この観点に立って、リピュアAパート中盤に示される妹達の成長の諸相のうち、まず第6話「あにぃとボクのマグカップ」および第7話「魔法の言葉」に描かれる年少者のそれを明らかにする。


1.「あにぃとボクのマグカップ」 〜衛の場合〜

 第6話冒頭、夕暮れのアウトドアショップ。衛は兄達と行く明日のキャンプのために道具を揃えようと心はやり、コンパクトに畳めるテントを見つけ、中に入って寝転がってみる。

衛 「明日のキャンプ、いっぱいお話できるといいなぁ。」

 手を横に伸ばして「ね、あにぃ。」と呟くとき、衛はただひたすら、兄との楽しいひとときをどう過ごすかだけを考えている。衛にとっては、キャンプとは自分の固有性を存分に示すイベントであり、さらに個人的欲求も兄独占欲求も満たされるべきものとして、他の妹にとってのお泊りの日と等しい重要な意味を持っている。
 ここで、衛の兄に対する意識を確認すると、リントグレン舎(Lindgren)のマグカップを手にして「いっぱいミルクを飲んで早く大きくならなくちゃ、あにぃに追いつけないもんね。」と大き目のものを選ぶ姿に、「成長」を単純に体格・肉体能力の発達として理解する衛の現状が端的に示されている。衛は年齢的にはおそらく花穂のやや上、ちょうど思春期の入り口にさしかかる段階にあり、子供っぽい素直さが彼女自身の快活さと一体となって現れる一方、少女へと否応なく成長していく自分の心身にずれを感じ始めつつある。例えば既に第1話では、「あにぃ喜ぶんだ、ならボクもつけてみようかな。」と香水を試し、「あ、あにぃ…ボクの匂い、かいでみる…?うわぁっ、そんなこと言えないよっ…!」と一人芝居を演じて、よりによって白雪と春歌に「変な衛ちゃん。」と怪訝に思われている。その一方で、第3話ではダイエットを志す花穂の女の子らしい悩みが十分理解できず、上手にフォローできなかった。総じていえば、兄に追いつこうとする無邪気さや子供っぽさと、その兄とは違う女性という存在に変わっていくことの不安とが、きわめてアンバランスなまま交互に立ち現れるのが、年少者と年長者の狭間にある今の衛の状態ということになる。
 その成長段階における不安定さは、衛のキャンプへの過剰な意欲とあいまって、今回の彼女の行動を軽率なものにしてしまう。例えば、「ロッジ専用のキャンプ場」に行くはずなのにわざわざテントを持ってきてしまうのは、打ち合わせ不足も甚だしい。これについては、今回のキャンプに同行する咲耶や春歌(とくに前者)が、調子に乗りすぎている衛に釘を刺すために、キャンプ場所の情報を隠蔽していたという説もあるが、後の場面で夕食の材料の準備がきちんと分担されていないことが明らかになるなど、どうやらテントのことに限らず、打ち合わせと準備の確認全般が十分になされていないことがうかがえる。おそらく衛は、鞠絵も参加するからにはテントよりもロッジがよいという兄達の会話での示唆を、キャンプの空想に浸る間に聞き逃し、「キャンプならテント」という自分のイメージで準備に邁進したのではないだろうか。咲耶の就寝場面ではキャンプ場のパンフレットらしきものが映っているが、これも衛は読んでいないのだろう。鈴凛なら「キャンプのしおり」でも作りそうなものだが(アニプリ第11話)、今回の参加者は、兄も妹達も、めいめいのイメージや好みによって準備を進め、しかも互いにチェックすることさえなかったことになる。
 キャンプが衛の固有性を指し示すゆえに、今回のこの(登山なら遭難しそうな)失態が衛の責任かと問われれば、彼女がテントを川辺近くに張っている(湿気や鉄砲水などを避けるため普通は避けるべき場所)ことからみて、彼女も野外生活の方法については未熟であり、また年長者としての責務とも無縁である。むしろここでは、全員の安全に配慮すべき兄の責任を追求するのが正しい。ということは、じつはキャンプは衛にとって兄妹関係の固有性を示すものに未だなりえていないのである。それにしても、キャンプにかける意気込みと実際の未熟な技術との差は、衛の内面的不均衡と重なり合い、そしてロッジ前で兄の背中を押しながらうつむく姿には、その不安定さと、固有の絆の危機とが示されている。川釣りの場面では他の年長者たちが兄を取り合い、この危機をさらに強めていく。しかし衛も、夕食の材料のために機転を利かせて栗を拾ってくるなど、無自覚とはいえこのキャンプが兄と自分の固有の絆の証しとなるよう努力しているのだが、ここで栗を運ぶためにシャツをまくりあげ、おへそ丸出しのまま駆け戻る姿には、異性としての意識が欠落している。

兄 「衛ちゃん、おなかを出してると風邪をひいちゃうよ?」
衛 「エヘヘッ…はい!」

 ここに衛の照れはなく、楽しいキャンプのために頑張ることへの素直な喜びがただ表れている。しかし、見つからないコップの代わりにマグカップを使おうとして挫かれる場面では、再び「みんなお揃い」という言葉に示される自己限定の強制によって、兄独占欲求や個人的欲求が抑圧されるという葛藤状態が強化されていく。そして就寝はロッジの中であるかぎり、衛の理想とする「キャンプ」は手に入らないまま終わりかねない。しかも、兄がこのキャンプを現状でも十分楽しんでいるとすれば、同じ感情を分かち合いたかった衛にとってはあんまりなすれ違いである。星空の下、川辺にテントを張った衛は、独り寂しくその中で横たわる。

衛 「いっぱい、お話したかったな…。」

 手を伸ばすその先には兄はいない。兄との絆によって世界を確認する妹達にとり、兄とのすれ違いは孤独を生む。昨日のアウトドアショップで、テントの中で体を丸くしていた姿は、兄のいる自明な世界に暖かくくるまれている衛の幸福を表していたが、今また同じ体勢をとる衛は、むしろその兄との絆の自明性を失った彼女が、世界から孤立している状態を暗示している。そして、この内省的な状態は、衛の快活な男性的側面よりも、繊細で思いつめやすい女性的な側面を強く意識させていく。
 しかしそこに、光が差し込む。

兄 「まもーるちゃん。ちょっとお邪魔していいかな?」

 ロッジにいない衛を探していた兄が、テントを見つけてくれたのだ。断ち切られたかと思った固有の絆が、兄によって回復し、衛は兄との共感を再確認できた。しかもそれは、最初から兄と二人だけのキャンプとは異なり、年長者たちが一緒に泊まっているキャンプ場から抜け出してわざわざ自分のために来てくれたという意味で、兄が自分を選んでくれた、という喜びをも与えてくれた。それは、微妙な成長段階にある衛の女性的な感情にも働きかける。「テントの中って、けっこうあったかいんだね。」と言いつつ上着を脱ぐ兄の、シャツがまくりあがり腹が見えることに衛は照れてしまい、兄から顔を背ける。昼間は自分の腹を兄に堂々と見せていたにも関わらず、この夜という時間、兄との絆に対して抱いた不安と寂しさ、その回復による女性的な喜びが、衛に兄を異性として意識させているのだ。
 この意識は、以前のような、スポーツなどを共に楽しむ競争相手としての兄や、能力的な差によって理解される兄への意識とは、もちろん異なる性質のものである。多感な時期にさしかかった衛において、兄妹関係の前提となる兄認識が質的に変化していく瞬間がここに見出せる。だが、この変化は、今の衛に新たな問題を突きつけてしまう。兄がテントに来てくれたことは、衛の兄独占欲求や、キャンプに対する個人的欲求を満たしてくれるはずだった。しかし、この女性的感情に不慣れな衛は、せっかくの機会を素直に享受することができない。兄の異性性を過度に意識するあまり、いつものように兄に接することが不可能になってしまっているのだ。衛の心身の成長が、彼女の兄への意識を変え、それが一方では新たな幸福感を与え、一方では子供らしい享受を阻害する。アニプリ(とくに第10話)よりも一歩進んだ衛の姿がここにあるのだが、この矛盾を彼女自身は解決し得ず、その突破口は兄によって開かれる。

兄 「どうしたの、衛ちゃん?」
衛 「え!? ううん…。」
兄 「これでホットミルク飲もう!」
衛 「! あ…あにぃ…!」

 衛が期待していたキャンプの楽しみの一つを、兄は自ら何気なく求める。これによって衛は、自分も望んでいた理想的なキャンプの姿へと意識を向け直すことができるようになり、そしてついにキャンプを固有の兄妹関係として再確認しえたのである。しかし、その絆の具体的なありようは、昨日も先ほども思い描いていた「いっぱいお話できる」というかたちにはならなかった。先ほどまで兄と分かたれていたがために、今は会話という行為よりも、一緒にいるという状態そのものこそ、衛には何よりも享受されるべきものだったからだ。これを阻んでいた緊張が既に解けた今、衛は兄と二人テントの中で横になり、沈黙を楽しむ。

衛 「…あにぃ。」
兄 「ん?」
衛 「…ううん、何でもない。」
兄 「何か変だぞ、衛ちゃん?」
衛 「…えっへへ。」

 普段の、そして昼間の衛の「動」に比して、この夜の彼女はあまりにも「静」。衛にしてみればもちろんこの兄独占状況に満足なのだが、しかし既に考察2などで見てきたように、兄妹関係総体を考えれば、他の妹達に対する自己限定の段階が、ここでさらに必要となる。テントの外からミカエルの声が聞こえたのは、つまりその先触れだった。

咲耶「お兄様も衛ちゃんも、二人だけなんてずるいわよ?」
春歌「そうですわ、ワタクシたちも仲間に入れて下さい。」
鞠絵「お邪魔します、兄上様、衛ちゃん。」

 年長者たちを迎え入れ、テントの中で皆で談笑するとき、衛は兄の横に座を占めている。このテントの中では、衛が兄との固有の絆を主張できるのであり、そしてそれはこの空間を他の妹達と共有することによって、12人の中の1人としての自己限定と両立しえた。衛は会話に興じながら、ふと兄に寄り添って目を閉じる。一見すれば年少者の衛が眠たくなってきただけに思えるこの姿には、彼女がそのような子供から少女へと歩む足取りが刻まれている。

衛 (さっきは、言えなかったけど…大好きだよ、あにぃ。)

 素直に語りえない言葉、それは衛の心の秘密であり、ここに彼女は内面性を獲得した。この内面性は、衛の行動と想いのずれを生み、彼女の想いと兄の振る舞いとのすれ違いをもたらし、やがて年長者としての責務を自らに負わせていくことになる。それは衛の成長であり、また子供らしさの喪失でもある。この過程は今後様々な危機を衛にもたらすことになるだろうが、年長者同様に兄と共にあることで、その危機を必ず乗り越えていけるだろう。例えば第12話で衛が咲耶たちを気遣い、兄がこれを受け止めるのを見るとき、そんな将来が間違いなく予感されるのである。


2.「魔法の言葉」 〜亞里亞の場合〜

亞里亞「ぽんぽこぽーん。ぽんぽこぽーん。ぽんぽこぽーん。」

 森の空き地で、輪を描く6つの切り株を囲んで踊りながら回る亞里亞、タヌキ、ネコ、兄、ウサギ、クマ、そしてゾウ。第7話はこんな幻想的光景から唐突に始まる。ここは亞里亞の夢の中、おそらくは読んだ絵本に触発された、兄と動物さんとの椅子取りゲーム。座り遅れてしまった亞里亞は、兄の膝の上が空いていることに気づき、そこに腰を下ろして「ホー。」とインディアンごっこめいた呼び声をあげて喜ぶ。
 そんな楽しい夢は、じいやに目覚めさせられることで不意に終わる。雛子に次いで幼い亞里亞の非常に夢想的な性格は、その年齢だけでなく、生育環境に大きく影響を受けている。お屋敷の箱入り娘として大切に世話される中で、亞里亞は甘やかされつつ子供らしさを抑圧されてきた。この矛盾は、じいやと呼ばれるお世話係メイドの行動に端的に示されている。じいやは、亞里亞の子供らしいわがままを、お嬢様として相応しくないという理由から拒絶する。しかし、亞里亞の気をひくために、「今朝は亞里亞さまの大好きなホットケーキですよ?」などと食べ物やお菓子で釣る。ゲーム「シスター・プリンセス2」でも彼女は亞里亞のお腹が痛くなるほどにアイスクリームを食べさせていたが、しつけにおける賞罰や節制の程度など、配慮しているようで全く教育的一貫性がない。いや、より正確に言えば、中流市民における家庭的情愛に依拠し得ない上流階級の子育ての特性を、ここに見出すべきだろう。両親と疎遠な養育空間で、社交世界に規定された振る舞い(モード)を修得することが義務づけられ、個人的感情や判断をその枠組みのもとに抑制しなければならないという枷がある代わりに、物質的な条件は必要以上に満足させられるのである。
 だが、亞里亞という女の子は、そのような制約の多い生活に自らを従わせることができない。彼女の感受性の強さ、繊細さ、そして豊かな想像力は、味気ない現実世界を前にして、非現実的空想や、刹那的な感覚的快楽への傾斜を余儀なくされる。それゆえに亞里亞は甘いお菓子ばかりを好む夢見がちな女の子となり、さらにこのことが他者との関わりを希薄にし、彼女をいっそう夢想的にしていく。しかし元々彼女は他人との関係を拒んできたわけではない。むしろ、自分を包み込んでくれるような他者、そして自分を守りながら現実世界に向き合わせてくれるような他者を求めていたと言う方が正しい。だが両親にもメイドにもそのような役割を率先して果たしてくれる者を認められない彼女は、お菓子などにその代役を求めつつ、傷つきやすい幼児の心のまま孤独な世界に生きている。その世界の中で亞里亞はひたすら変化(安定への攻撃)を拒み、例えばかつて彼女の世話をしていたらしい老年の執事(亞里亞が指さす写真像)がおそらく亡くなったにもかかわらず、人間の死やそれによる世界の変化を受け入れられない亞里亞は、若い女性のメイドを、同じ世話係を務める存在として「じいや」と呼び続けているのだ。「私はじいやじゃありません。メイドです。」といくら当人が言ってもこれを認めないのは、亞里亞のこの、ある意味で雛子以上に幼く、愛情の欠落をかかえる心のあり方に拠っている。
 このような閉塞的世界に生きている亞里亞に、外の現実世界との接点をもらたしたのは、その外部から訪れる兄だった。「亞里亞さま、今日は『お兄ちゃんの日』ですよ?」というじいやの言葉に、今まで布団から出ようとしなかった亞里亞は「亞里亞、起きるー。」とすぐさま態度を変える。しかしこれは、彼女が現実世界に向き合ったことを未だ指し示しはしない。むしろここでは、夢と現実の関係を確認すべきだろう。つまり、先ほどまでは、兄が登場していた夢の方が、じいやによってもたらされる現実よりも好ましかった。だが、兄が来訪するという言葉によって、既に消えてしまった夢を、これからに期待できる現実が優越することになったのだ。それにしても、亞里亞の楽しげな夢の舞台には、兄は登場するもののじいやの姿はない。世界に居場所のない亞里亞に、兄との絆がそれを与えるとしても、ここでのじいやは亞里亞にとって、消極的・否定的な役割しか認められない存在なのだ。

 兄の来訪を今や遅しと待ちうける亞里亞は、正門の内側でじっと立ち続ける。額にふと羽を休めたちょうちょは、再び空へと舞い上がるが、亞里亞にはそんな自由な翼は与えられておらず、じいやによって朝食の席に連れ戻される。カルテットの演奏つき、農園から届いたマスカット。さすがは上流階級という食卓の光景だが、「つぶつぶー。」のマスカットは亞里亞のフォークに刺さらずに飛び跳ねていく。さすがは上流階級向けのマスカットだが、こんな弾力のある果物が亞里亞に噛みきれるのだろうか。そんな不安をよそに跳ねる一粒を追いかけていくと、亞里亞の前にはいつの間にか兄が現れていた。マスカットが亞里亞を兄の前に連れてきてくれたのだ。ここで世界は兄と亞里亞のために造られたものとなり、そのような現実世界を亞里亞は兄とともに満喫する。「兄やにこれあげるー。」を花輪を差し出せば、兄は「ありがとう。でも、亞里亞ちゃんの方が似合ってるよ。」と頭に被らせてくれる。かくれんぼをすれば、楽しませるコツを知っている兄は、隠れている妹を飽きさせない。兄がいることで、世界は感情豊かに生きられるものとなった。
 しかしこれは、裏返せば、兄がいなくなることへの不安と拒絶を生み出す。男子トイレにまでついてくる亞里亞に、さすがの兄も(困っちゃったな…。)と苦笑するが、「兄が自分を捜す」という約束のもとでのかくれんぼはともかく、兄が自分のそばから離れることには耐えられない。そしてあっという間に夜になり、兄が帰宅するためにリムジンの前に立つと、亞里亞の感情は爆発する。

兄 「また来るから。」
亞里亞「いや、いや。兄やが行っちゃうなら、亞里亞も行くー。」
じいや「亞里亞さま! わがまま言ってはいけませんよ。」

 兄に「行かないで」と願うのではなく、「自分も行く」と言う亞里亞は、この屋敷で生活することに何の価値も感じていない。むしろ屋敷は、自分と兄を隔てる障壁であり、その人格化された存在がじいやである。「…くすん。」と泣くしかない亞里亞は、しかしここで兄がそっと耳打ちする言葉を聞いて、この障壁を消滅させる突破口を獲得した。

兄 「亞里亞ちゃん、亞里亞ちゃんに何かあったら飛んでくるよ。」
亞里亞「飛んで?」
兄 「病気になったら、飛んでくるよ。」
亞里亞「病気…。飛んでくる…。」

 ありあはじゅもんをおぼえた。
 兄としては、亞里亞をなだめる方便としてこう言ったのだろうし、もちろん妹が本当に病気になれば、直ちに見舞いに来る覚悟はあった。だが、亞里亞にしてみれば、これは兄を召喚する「魔法の言葉」を手に入れたようなものである。翌朝、いつものように起こしにきたじいやに、亞里亞は布団の下から告げる。

亞里亞「亞里亞、お病気なの。兄やに会いたい…。」
じいや「えっ、病気!?」

 ありあはじゅもんをとなえた。
 お嬢様の容態を気遣うことに没頭することは、メイドとして好ましい態度には違いないが、慌てて医者の手配をしつつ、亞里亞の兄に取り急ぎ連絡するじいやの姿が目に浮かぶ。彼女は亞里亞の気が安らぐように最大限の措置をとったわけだが、日頃細やかな世話をしすぎているじいやにとっては、亞里亞が兄の到着を正門で待つためにまさか自分でちゃんと着替えるなどとは、到底予想もつかないことだったのだろう。じいやが考える以上に亞里亞は成長しているのだが、その事実にまだじいやは気づいていない。日傘を差して「兄や、飛んできてー。」と願う亞里亞は、おそらく兄が本当に飛来する姿を思い描いていたはずだが、風に流された日傘を追っている間に、「パカパカ」(馬車)に乗った兄達は玄関を越えていった。
 この馬車に乗っていたのは、兄、可憐、雛子、白雪、春歌の5人。皆、亞里亞の見舞いのために来たのだが、

白雪「姫は亞里亞ちゃんが元気になるように、おいしいスイートを作るんですの。」
雛子「ヒナは、ご本読んであげるんだっ。」
春歌「ワタクシは、リラックスできるようにお香を持ってまいりました。」
可憐「でも、亞里亞ちゃんにとってはお兄ちゃんがいらしたことが、一番のお薬よね。」

 という一連の台詞を聞くとき、白雪達3人はそれぞれの得意技を披露するつもりなのに、可憐が「兄が一番」という誰にも反論できない言説を唱えることで、自分がそのような技を持っていない(兄に同行する積極的理由を持ち合わせない)ことを見事にごまかしていることに注意したい。思うに、一芸に秀でることよりも、生存戦略の巧みさこそが、登場機会やインパクトの差を生み出しているのではなかろうか。そして一芸においても、白雪と同様主役になれずにいた春歌が、「兄君さまは、ワタクシたちにとってはお薬のような方ですから。」と言いながら、「どんなときでも、兄君さまを思うと元気になります。いとしい兄君さまのお顔、お声、お姿。男らしくて優しい世界一素敵な殿方。ああ、何だか胸がドキドキして…ポポポッ。」と暴走することができたのに対して、白雪にはそのような場が与えられていなかったあたり、切り札の使い方の難しさを感じてしまう。
 それはさておき、いざ兄達を連れてじいやが亞里亞の部屋に向かうと主はおらず、庭にまだいたところを捕まってベッドに寝かしつけられてしまう。そのまま安静に、と指示するじいやだが、はしゃぐ亞里亞がこれに従うはずがない。厨房で可憐と白雪がミルクプリンを作ろうとすれば、料理書をこっそりババロアののページにめくって「亞里亞、みーんな食べたいー。」とわがままを言い、春歌の作った梅粥は酸っぱい匂いのため食べようとせず(キャラクターコレクション第12巻第2話でも梅干が食べられずにいる)、雛子にさえ「寝てないとだめだよ?」とたしなめられながらも、「おにごっこ。わーい。」とはしゃいでしまう。当然のごとくじいやに叱られることになるわけだが、ここでいくらじいやが療養のためを慮ったところで、たんに兄と一緒にいたい亞里亞にしてみれば、それは自分と兄を引き裂く外部の暴力にすぎない。そしてこのことは、亞里亞が他の妹達の言うことを聞かないという態度とも結びつく問題である。確かに亞里亞は、兄と出会うことによって、他者との関係性を構築するための手がかりを得た。しかし亞里亞の幼児性や環境的欠陥は、個人的欲求や兄独占欲求を満たすことに汲々として、12人の中の1人という自己限定など受け入れる以前の段階にある。このままでは、他の妹達もじいやと同じく、甘いお菓子を作ってくれるなどという手段的価値のみ認められる以外は、亞里亞の欲求を阻害する存在としてより強く受け止められていくことになったかもしれない。

亞里亞「亞里亞、病気じゃないもん。」
じいや「病気です。」
亞里亞「病気じゃない。」
じいや「亞里亞さま!」
亞里亞「じいや、こわい…くすん。」
じいや「亞里亞さま。嘘をつくと、兄やさまに嫌われますよ。」
亞里亞「病気じゃない…。病気って言ったら、兄や、ピューって飛んでくるって言ったの…。」

 このやりとりの中で最も重要な台詞は、じいやの「兄やさまに嫌われますよ」という叱責である。今までは、自分の呪文によって来てくれた兄と、自分達を隔てようとするじいやとは、一組の対立項だった。兄は屋敷の外部にいながら自分を愛してくれる内的存在であり、じいやは屋敷の内部にいながら絆を切断する外部の力である。だが、ここでのじいやの一言は、この対立項をじいや側に収束させてしまう。じいやが亞里亞を叱るように、兄も亞里亞を嫌ってしまうとすれば、亞里亞はかつてのように孤独に陥るほかなくなる。既に兄との絆を結び、その喜びを知った亞里亞は、この恐怖に耐えられず、ただ「病気じゃない」と身勝手な主張を繰り返すことをやめて、自分が「病気」だと言わざるを得なかった理由を明らかにしたのである。

兄 (そうか、病気、と言えば僕が来ると思っていたんだ。魔法の言葉のように…。)

 自分の告げた言葉と亞里亞の言動とを結びつけ、幼い妹の心中を察した兄は、すぐさましゃがんで亞里亞と目線を合わせる。この姿に論者はアニプリ第4話の航を想起するのだが、ともかくここで兄は、まず亞里亞の不安、つまり兄に拒絶され孤独に陥ることへの恐怖を払拭させる。

亞里亞「兄や、怒ってる?」
兄 「怒ってないよ。」
亞里亞「兄や、亞里亞のこと、嫌い…?」
兄 「嫌いじゃないさ。」
亞里亞「わあ、兄やー!」

 「嘘つき」ゆえに嫌われるかもしれないと恐れていた亞里亞は、兄の言葉と笑顔に安堵して兄に抱きつく。しかし、これだけでは、兄とじいやを対立させる亞里亞の思考は解消できない。亞里亞からみれば、兄に嫌われる、というじいやの言葉を、兄が反駁したにすぎないからだ。キャラクターコレクション第12巻第2話でも同様の展開が示されているが、この段階ではじいやは亞里亞の世話係としての面目を潰されただけの格好であり、仕事に熱心な彼女だからこそ、その落胆も大きかった。

じいや「やれやれ…。私は、亞里亞さまのことが本当は分かっていないのかもしれないわ。
   だって、あんな優しいお兄様が、私にはいなかったから…。」

 そう呟きながら亞里亞の部屋に向かう彼女の腕には、キャンディのバスケットが下げられている。厳しく叱ろうとしても亞里亞は従わず、兄にやんわり受け流されてしまう。機嫌をとろうとすれば、節度を越えて過保護にしたりわがままにさせてしまう。だが、そうは分かっていても、彼女は今まで通りに亞里亞の好きなお菓子を運ぶしかないのだ。実のところ、じいやは亞里亞からメイドとして認識されず「じいや」と理解されることで、自分というものの基盤がぐらついていた。それでも亞里亞のためにと努力してきたはずなのに、その自分のやり方よりも、たまに訪れる兄の方がはるかに亞里亞のためになり、正しい指導を行えるとしたら、嫌われたり恐がられたりするだけで成果の上がらない自分の存在理由は何なのだろうか。この深刻な疑問は、あるいは年長者の妹達が年少者を優先しつつ感じる不公平感とわずかながら重なり合う。そして、亞里亞の兄独占欲求が他の者達との関係を排除するという問題の最も身近な表れが、ここにはっきりと示されつつあった。
 だが、兄は次の段階として、この問題をも解決する。亞里亞の部屋の前についたじいやは、ノックをしようとして、ふと扉越しに聞こえる兄の声に気づく。

兄 「でも、じいやさんにはちゃんと謝ろうね。」
亞里亞「じいや、さんかくおめめ…怖い…。」
兄 「じいやさんは怖くないよ。怖い人は、亞里亞ちゃんを元気づけるために僕を呼んだりしないさ。」
亞里亞「怖くない…?」
兄 「ああ、怖くないよ。じいやさんはね、いつも亞里亞ちゃんのことを考えている優しい人なんだから。」
亞里亞「兄や…。」
兄 「ね。」
亞里亞「はい。」
兄 「さあ、白雪ちゃんのお菓子が待ってるよ。」
亞里亞「お菓子? わーい!」

 ここで兄は、じいやを亞里亞との絆の中に導きいれた。「嫌われる」と叱咤されたときの亞里亞は、じいやと兄を、自分に抑圧的に働く外部的暴力の側に位置づけかけていた。兄はまず亞里亞を優しく受け入れることで、自分がその立場にいないことを示した。そしてこの場面では、じいやもまた自分と同じように亞里亞を愛し受容する存在なのだということを、亞里亞に解き明かしてあげているのだ。兄との絆はかけがえのないものだが、その絆を結び続けていられるのは、亞里亞と兄を取り巻く他の者達の支えがあってのことである。亞里亞にとって、そのような大切な他者とは誰よりもまずこのじいやであり、兄は兄としての権威を背景にじいやの気持ちを代弁しつつ、亞里亞とじいやの関係を改めて正しく取り結ぶことで、亞里亞にとって必要な情愛に満ちた人間関係を屋敷の中にあらためて確認させた。そして同時に、じいやにとって必要な屋敷内での存在意義、つまり亞里亞の世話係としての評価を、与えることができた。兄と亞里亞のこの会話を聞いて、じいやは思わず目を潤ませ、扉越しに深々とお辞儀をする。それは、この世話係を務めて初めて味わった自己肯定感であり、自分を理解してもらえたという安心感であり、またこのような役目を務められることへの感謝の念だった。じつに「魔法の言葉」とは二重の意味を持っていた。それは、亞里亞が兄との絆を確認するための「病気」という召喚呪文とともに、じいやがこのように受容された自分を見出せた亞里亞と兄の会話をも、指し示していたのである。

亞里亞(兄や。また早く、亞里亞のとこへ飛んできてね。)

 こう願いつつ、兄が去っていった馬車道を見つめる亞里亞は、開かれた正門の外に立っている。「お兄ちゃんの日」も今朝方も、亞里亞は、外界と屋敷を隔てる閉ざされた門の内側に留まっていなければならなかった。だがいまや、じいやは亞里亞に門を開放した。亞里亞を大切にすることは、閉じ込めることと同じではない。外界はたんに拒絶されるものではなく、兄達を通じて亞里亞と結びつき、亞里亞を成長させていく大切な場所となる。兄を信頼し、その兄達に包容されつつ歩んでいく亞里亞の姿を望めばこそ、じいやは亞里亞を単独で外界に触れさせるだけの勇気をもつことができた。そして亞里亞も、兄の姿を無闇に追いかけることなく「ホー!」と呼ばわれば、その想いが現実世界で兄に届くと知っている。屋敷の中でもじいや達の優しさに守られていると安心することで、兄との再会を待つことができる。
 そして、その日は決してそう遠くはなかった。続く第8話で、亞里亞は雛子と共に、可憐に連れられて鞠絵のお見舞いに行く。その途上で亞里亞は、主に雛子の真似をしながら、年少者としての振る舞いと、12人の中の1人であることの意識を少しずつ身につけていく。そして羊牧場では、羊が可憐のバッグを噛んで奪おうとしているのを見て、雛子ともども「だーめっ!」と羊を叱りつけ、鞠絵へのお土産が入ったバッグを守ることに成功している。とくにテレビ放映版の映像では、亞里亞は離れていく羊を見送りつつやや寂しげな表情を浮かべるのだが、第7話の夢では動物達は兄と一緒に自分と遊んでくれる内側の存在だったのに対し、ここでの亞里亞は、仲良しであるべき可愛い羊を、妹の1人として叱り、拒絶するのだ。あえて羊を突き放すようなこの行為は、亞里亞にとっては痛みをともなうものだったが、兄妹関係のためにはこれに耐えようとする意志と力が、彼女の中に育まれつつある。未だ模倣の段階にあるとはいえ、亞里亞はこの短期間に、兄妹関係の中でなすべきことを自分の個人的欲求よりも優先させるという原則を、早くも学び始めているのである。
 このような成長は、帰宅後亞里亞の話を聞くじいやにもうかがい知れるところであり、さらに第9話では咲耶達と学校帰りにお茶を飲み、第12話では兄や年少者達とディナーを楽しむなど、さらなる外界での行動に亞里亞が参加しえたのも、その経緯をふまえてのことだった。レストランから去っていく馬車の上からじいやが年長者達を振り返るとき、彼女の心中にはやはり、亞里亞を受け入れその成長を支えてくれることへの感謝が満ちていたのだろう。考察3で、兄が店に持っていったボトルはじいやが用意したものではないかと想像したのは、つまりこのような背景を踏まえてのことである。


終わりに 〜雛子の場合〜

 以上見てきたように、年少者である衛と亞里亞について花穂を基準としてとらえた場合、より年長である衛は、性的成熟を通じて年少者の無邪気さを脱して少女らしい心の陰影を獲得していく過程にあり、より年少である亞里亞は、兄に受容されることで自己限定の段階に踏み込む契機を得つつあった。また、とくに亞里亞の場合は、じいやという身近な他者も兄妹の絆と関連づけられることで、アニプリ(例えば第15話)で確認されたような「調和の拡大」とも言うべき展開の中に包み込まれ、それによって兄妹関係のいっそうの発展を支えることができるようになっていった。花穂のシリーズに見出された、個人的欲求・兄独占欲求・固有性と自己限定という要素は、衛と亞里亞にも各人の個性に応じたかたちで確認され、そしてやはり兄や他の妹達との関わりの中で葛藤が解消されていった。
 ところで、年少者の中でヒロインになりえなかった唯一の妹が雛子である。物語の中で彼女はむしろサブヒロインとして、問題を発生させたり、状況を展開させたりする役割を果たしていたが、雛子自身の年少者としての特性を最後に簡単に確認しておこう。彼女は第8話で亞里亞の模倣対象となったり、第2話で花穂の落し物を拾ってあげたりと、最年少のわりにはおしゃまな性格を発揮している。しかしその一方で、第10話ではラブレターの意味を知らなかったり、また日頃は自分の欲求を最優先させたりと、幼児らしさも多々示している。雛子の場合、このようにしっかりした側面と、年齢相応に幼い側面とが交互に立ち現れる点にその個性と年少者らしさがあり、そしてとくに背伸びをしているかのような部分に関しては、いくぶん咲耶に似通っている。この要素はゲーム2でさらに詳細に描かれることになるが、このリピュアAパートでは、ひとまずそれらの特性を様々な機会に垣間見せていたということになるだろう。


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