日記
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2010年5月15日(土) 長門考察本編公開
 というわけで、長門有希考察後篇の「『涼宮ハルヒの消失』における少女の新生・発動篇 〜祝福されるインターフェース〜」公開しました。『消失』の長門がしたことと得たものについて、いつもの調子で検討してます。
 今回の考察執筆にあたっては、渡辺寂さんにたいへんなご支援を頂戴しました。ここにも記して感謝いたします、本当にありがとうございました(礼)。

 なお前篇は、すでに公開済みの「『涼宮ハルヒの消失』における少女の新生・接触篇 〜すれ違い続けるインターフェース〜」。こちらは『憂鬱』から『消失』直前までの長門の変化と問題について論じてます。
 ついでに、最初の考察は「『涼宮ハルヒの憂鬱』における少女の創造力 〜虚無性を超える乙女心〜」。未読の方はこちらもぜひに。
2010年5月5日(水) 線路のようにまっすぐ
 「39歳にして萌えオタの看板を下ろすことにしました」を読んで。

 MK2さんとネット上で知り合って10年以上になります。当時やざわさんとお二人で開設されていたサイトで、MK2さんは怒涛の萌え語り・自分語りを毎日のように大量に綴られていました。いち読者として圧倒され引き込まれながら、とても暑苦しくて楽しそうな掲示板に自分も書き込んで反応してもらいたいと思いたち、その機会をうかがっていたある日。MK2さんが出てこなくなったという報告とお詫びがやざわさんの手で記されているのを見て、いつもながらの自分のタイミングの悪さに頭を抱えつつ心配したものでした。それは、MK2さんが前日まで一つの新作えろげをプレイし、その感想を公開し続けていたさなかのことでした。完全なエンディングに到達した瞬間に更新を投げ捨てさせたその作品こそ、『AIR』だったのです。
 その後しばらくしてMK2さんは復帰され、ぼくも安堵して掲示板に初書き込みしたと記憶しています。少女型シートベルトとか大阪の取説とかアンダヌスとか、どんなやくたいもない書き込みでも必ず丁寧かつ激しい反応をお二人がしてくださるので、他の常連の方々(サンフェイスさんやしゅんたん、利休さん達とはそれ以来の仲)と一緒に心地よく浸ったものでした。
 そこから10年後のいまに至る過程は、ご本人があちこちで記されてますが。ぼくはMK2さんのAIR日記に触発され、友人の勧めもあって自分でもプレイすることになりました。その結果、いまになってなお、感情をきちんとした感想にまとめられない作品の一つとして、ぼくの心にずっと突き刺さっています。『ONE』『Kanon』の延長上に、たしかにこの作品はありました。というか、メインライターがずっと創りたかった悲劇をとうとうこしらえちゃったのか、という感慨とか。これえろげじゃないよね、とか。挿入歌は好きだけどお涙頂戴的に繰り返すな、とか。いろいろ反響するものがあって、その中核には観鈴ちんへの痛惜な想いがあって。しかし自分のその想いはまた、MK2さんの血を流し続けるあの言葉に、その想いに、絶対かなわない、と感じていました。

 以前にもここで記したとおり、ぼくの考察形式は、MK2さんやサンフェイスさん達と同じスタイルでは自分が書く意味がないというこの時期の認識から生まれています。その考察について、あるいはぼくの時折の感想その他について、MK2さんが評価してくれると嬉しいものです。しかし、ぼくが他作品に熱中する一方で『AIR』に沈黙し続けている間、MK2さんは何度も観鈴ちんを主題に綴られました。ご本人も進歩ないとか何とか自嘲されてましたけど、その反復ぶりもすごかった。
 だけど、本当に凄いのは。まがきのぱんちゅ、じゃなくて。

 今回、MK2さんが告白されているように、10年以上ずっと探し続けてきたということ。
 そして、そこから歩き出そうとされているということ。
 これ、分かりますか。自ら望んだはずの永遠の世界から、身を切られる痛みを背負い帰還する浩平。断ち切り歩き始めたときにこそ、浩平と再会する七瀬。永遠の春を希う真琴のそばに、そのときまで離れずにいた祐一。あそこに居続ける翼ある少女を目指して羽ばたいていく、そら。
 後半の文章を読み返すほどに、これらの作品で描かれた生の具現としか思えなくなりました。作品に真摯に向き合うということは、自らが作品となるということなのか。そしてこれらの物語とは、彼・彼女達が示したこととは、こういうことだったのか。
 やっと分かったような、分かっていなかったことにようやく気づいたような、そんな腑に落ちた感覚とともに、ああやっぱりこの人にはかなわないんだな、とあらためて痛感しました。
 これ、丸ごとはうまく言えません。もちろん、特定作品への固着とか追憶の力とか一般化できる部分や、90年代末の葉鍵ファンダムの一角として歴史的理解に資する部分などもあるものの。ぼくとしては、MK2さんにとっての『AIR』と観鈴ちんの唯一性と一緒にしちゃいけないけど、ぼくがあのときそんなMK2さんやあの界隈の方々に出会い、そのなかで『AIR』に出会ったというこのことを、かけがえのないものとして記しておこうと思います。
 そいえば、はるか昔に手をつけた『AIR』感想は、こういうこと書こうとしてたんですよねー。

 というわけで、はてブには『AIR』の作品としての水準を云々してる人もいるけど。その評価と、あのとき・あのような自分が・(あの人々に囲まれて・)この作品と出会ったということの意味とは、そのまま並び立つものなのです。にもかかわらず、作品評価をそのまま作品受容者の評価に直結させてしまうdragonsprtは、わざわざブクマしてまで遠巻きに揶揄するangmarと同様に、作品世界とも受容者とも真摯に向き合うことのできない人々の一人なのでしょう、たぶん。ゲームの中にはそういう雑音を撒き散らすコロスや観客が存在しないからいいよね。
2010年4月1日(木) 今後ともよろしく
 というわけで、本サイトが生まれ変わりました。これからどんどんまろびでますので、みなさんよろしくお願いいたします。
2010年3月20日(土) 昨日分の補足
 昨日の東京都条例問題に関して、こちらの非常に優れた要点整理(Twitterにてかしゅーるくんから教えてもらいました、どもです)。改正案の問題点を指摘したうえで、ゾーニングとリテラシー形成の必要性を主張されてます。これらの点についてはぼくの考えもおおむね同じであり、民主主義社会における合意形成の手続きを重視しようということについてもまったく同感です。そのうえでぼくは、昨日のような方策をとるべきという(ぼく個人としての)政治的意見を持っています。
 幸い、すでに行動を示された方々のおかげもあって、改正審議は6月まで延長されたとのことです。であれば、この時間的猶予をうまく有効利用して、あるべき手立てについて議論していくこと、そしてそのための情報を相互に提供しあうことを進めていければ、と思います。

 なお、昨日の日記にはてブをつけていただけました。MK2さんどもです。昨日日記で言及したMK2さんのテキストはこちら
 既存コメントの中に、「表現(活動)に処世を越えてモラルを求めるのはどうか」というのがありますが、ぼくが表現活動そのものにモラルを求めていないことは昨日の日記に明らかです。ゾーニングっつってんだから流通の問題ですよ。もう一方の現実児童のケアについては、それこそ表現の問題じゃなくて人権問題です。
 もちろん、今回の一件を「表現の自由」のみに焦点をあてて考える人は、ぼくがそこに子供の健全育成という余計な主題を混入させているかのように感じるでしょう。しかし、この提案を出してきた人々が表向き主張しているのが、ほかならぬ健全育成の方だということを忘れないでほしいと思います。主題は最初から2つあるんです。
 ぼくが昨日述べたのは、「表現の自由」を守るというこちら側の目的を完遂したうえで、相手側の目的である子供の健全育成(そのための保護)に対してもいくぶんかのプラスを提供しようという、両者あい並び立つための政治的行為についてです。ただ「敵」を倒せばよいと考えてる人は、このへんについての必要性を感じておらず、その二項対立によって「敵」側にどれだけの憎悪のエネルギーが蓄積されていくか(つまり自らが「敵」によく似た存在となっていくか)に気づいていないようです。政治というのは、相対立する立場の勝敗を決するだけでなく、両者にそれなりのポイントをもたらす手段を模索するという行為でもあるんですよ。
 そして、ぼくはそのための焦点として、3次元の子供という存在を挙げたわけです。実在児童のポルノは消滅すべきで、2次元えろコンテンツはそれと一緒にしてはいけません。しかし、今回の議論をただ本条例案の可否を問うだけのものにとどめず、このさい実在児童に利益となる方向やゾーニング徹底の方向へ修正してもらっちゃったらいいんじゃないの、という意見なわけです。

 さて、ぼくは自分のこの意見に基づいて、今後行動していくことになります。サイトの外では、政党・議員などにメールを送る予定です。ただ、その送り先としてどこかの政党や個人を特定するつもりは、今のところありません。自分の意見(あるいはよりいっそう優れた意見)が政策に反映されるならば、どの政党だろうと関係ないからです。ぼくは常に個々の政策に関して賛否を抱く人間ですので、今回の条例案が自民党や公明党から賛成されていることについては両党を批判しますし、だからといって民主党や共産党をいつも支持するというわけではありません。
 そして、ぼくとは異なり、特定政党などをつねに支持したり、つねに批判したりする人も世の中にはいます。その根拠のないまま賛否を示す(例えば今回、条例案を出した主たる責任者として民主党を責めるというような)のはたいへん間の抜けたことですが、特定政党を支持することそのものは市民として当然の権利です。

 そのような方々にお考えいただきたいのは、今回の条例案が可決・否決されたら勝利などというレベルでおさめるのではなく、自民党だろうと民主党だろうとかまいませんので、より優れた修正案をご自身の支持政党が提出し可決されることを目標としてみてはどですか。
 そうすれば、自らの支持政党に前向きの政策立案という実績を作ってもらえますから、他の有権者からいっそうの支持も集まりやすくなり、次の選挙で票を伸ばす手がかりにもなるわけです。過去の衆議院選挙や国会では、自民党のネガティブキャンペーンや民主党の揚げ足取りがしばしば笑い物となっていました。これらを批判しながら、しかしぼくたちも今回の一件について同じ振る舞いをしているとなれば、こんな馬鹿な話もないでしょう。しかも批判する相手を間違えたりなんてのは、もう自分の首を絞めてるようなもんですよね。

 「敵」を引きずり下ろすことばかりに汲々とせずに、相手が提出してきたチャンスをつかんで社会改善のための方策を打ち出す。そういう前向きの競争によってこそ、民主主義というのは本当にかたちを伴うものとなるはずです。そして、このときぼくたちが提起する有効な修正案が、オタクだからこそ獲得できる視点に基づいたものであるとき、ぼくたちはあらためて「オタクとして女の子を守りました」と胸張って言えるのではないでしょうか。
2010年3月19日(金) 「非実在青少年」規制問題にみる本当の「敵」
 最近話題の、東京都で「非実在青少年」の性的表現を規制する、という動きについて。Twitterでは以前から言及してきてますが、この日記で自分の現時点での意見を総括しておきます。

 最初に、この条例改正案には修正が必要である、とぼくも考えます。
 そのうえで、多くの反対者が行っている攻撃的な言動に対して、ぼくは批判します。むしろ賛成論者と協力して、現実に子供を食い物にしている連中を規制するためにこの機会を利用して行動すべきです。

 まず、このような提案がなされた背景には、いわゆるロリものやそれ以外のえろコンテンツが、店舗販売やネットフィルタリングの緩さによってあまりにも子供達の目に触れやすくなってしまっている、という現状認識があるはずです。そこには、当事者による自主規制や市場内でのモラル形成などに期待できないということも含まれています。
 例えば、「成年コミック」マークのような成人指定。そもそもこれが生み出されたのも外部からの圧力あってのことでしたが、現在は(増田でも指摘されていた)秋田書店の漫画雑誌『チャンピオンRED いちご』のように、明らかに成年コミックと同等の性表現を掲載しながら「成年コミック」マークを付していないものが存在します。そして、そのようなルール違反に対して、消費者であるぼくたちの側から「そりゃまずいんじゃないの」という批判の声が大きくあがることはなく、むしろ『アキバBlog』その他の個人サイト・商業サイトによってネタとして楽しまれ、また宣伝されてきた(そして購買・宣伝によって収入を得させてきた)という経緯があります。とくにネットでは「あなたは18歳以上ですか?」という年齢確認以上の壁を情報発信側に設けることが未だにできず、蛇口の側で個々に(不十分な)フィルタリングをかけさせるか、今回のように水源を枯れさせるかという選択を保護者に迫る一因となっています。
 街角のどこかに性的なビラや落書き、その手の店が存在することを、ぼくは拒絶するものではありません。しかし、どの街角にもそういったものが溢れているとすれば、話は別です。

 さて、そういうぼくもまた、その手のコンテンツを享受している者の一人です。それらが全て消え去ってしまうことに耐えられない人間です。ただ、だからといって今回の問題を、「表現の自由」という表看板で批判することにも耐えられません。その理由は、すでにMK2さんが告白されていることとほぼ同じです。ぼくの場合はかつて、ロリ趣味を持ちながら、虐待児も含む子供の世話をする仕事に就いたことがありました。自分の危険性を理解しているつもりだったので子供たちに手を出すこともそういったものを持ちこむこともまったくありませんでしたし、うしろめたさゆえに子供のためにと熱心に働きましたが、しかしただ一度、幼児をおひざだっこしたときに勃起しました。ぼくは職員からも子供達からもマシな評価を得ていましたが、そのとき以来、子供に直接かかわることをできるだけ避けてます。自分自身のつよさを信じてはならないからです。(その後ぼくは、子供のみならず何でも「温かい肉体」に触れると性衝動にかられることを発見しましたが、それはまた別の話。)おおっぴらに表に出してはならない欲望というものはあるし、それをさらけ出させるような商売は露骨にしちゃいけないんですよ。

 そのようなぼくが反対論を批判するからといって、別にそれが自罰感情によるものだ、というわけではありません。むしろ問題と考えるのは、この条例案を否決に追い込んだところで、現実にある子供達の問題は何一つ改善しない、ということにあります。
 現状、多くの反対論者は、「表現の自由」(しかし多くのオタクにとってその実態はむしろ、消費・享受の自由)とそれを担う創作者(とその創作の消費者)vs「自由の弾圧」とそれを担うと(しばしば根拠なく)見なされている公安・特定政党/宗教/団体、という図式で論じているようです。しかし、その二項対立は本当に正しいのでしょうか。あるいは、有効なのでしょうか。
 ぼくの考えは、どちらが勝利したところで性的被害を受けている子供にとって救いとならないのであれば、今回の政治的行為は両者と子供にとっての敗北でしかない、というものです。反対論者はこれを条例の無効性として提起してるわけですが、逆もまたしかり。じゃあお前らは何ができるっていうの?と言い返されたとき、いや自分は行政担当者じゃないから、都民じゃないから、とうそぶくのは、ただの言い訳でしかありません。街角にえろビラが充溢したことを見て見ぬふりしてきたのは、その恩恵を享受してきた自分達でしょ。(最近の成年コミックの「消し」があまりにも甘くなっていることを、ぼくたちファンは批判しましたか。このマークが生まれるに至った頃は、女性の下半身を丸ごとホワイトで消してたなんて事例もあったんですよ。)

 いま都議会などで議論されているということは、つまり、例えば「子供の健全な育成」という目的にとって有効な方策を具体化するプロセスにある、ということです。政治というのは、その社会の構成員が納得できるような改善を講じていくことであり、議会はそのための一つの場です。だから、例えば都議会や賛成論者を「敵」として糾弾するような反対論者の姿勢は、反対論者を絶滅対象と見なすような賛成論者の姿勢と同じく、野蛮で唾棄すべきものなのです。

 むしろ本当の「敵」を、両者が協力して倒すのがベストじゃないですか?
 現実の子供を喰い物にしている連中や社会のルールを破ってる連中こそ、両者にとっての「敵」じゃないですか?

 となれば、反対論者のすべきことは、賛成論者の偏見や先入観に真っ向から立ち向かうことではありません。とくに、相手を挑発して逆上させるなんてのは、戦術的に最も愚かな方策です。
 それよりも、賛成論者の正義感や危機意識を正しい「敵」に向け直してもらうために情報提供して、まずそっちからやっつけて子供達を救おうぜ、と話をもっていくというのが、少なくとも有効なやり方なのではないでしょうか。

 皆様、とくに「オタクだから少女を守ります」とかつて主張したことのある方々、何ができるか考えてみてください。ぼくからの提案としては、さしあたり次のようなものです。
(1)現実に子供を性的搾取しているところのビジネス、例えばジュニアアイドル系企業と保護者(こちらの「その5」参照)を規制対象にできるような条例修正案を要求すること。ただし、以前もその規制がきわめて難しいという指摘があったことを受けて、
(2)せめて可能なこととしてその手のビジネスで被害を受けた子供達の相談窓口や基金等、支援体制の整備を要求し、必要な情報提供を行うこと。
(3)ゾーニングを破っている出版社・店舗などを名指しで批判し、必要があれば行政に訴えること。
(4)とっくにそういうことやってる人々がいるのなら、その宣伝周知と情報提供にこれ努めること。

 もちろん、ゾーニングが緩いことで利益を得ている業者・消費者の方々は、ぼくの立場と対立することになるでしょう。しかしそれは、「表現の自由」などという人間の基本的自由の水準で争うことに比べれば、はるかに現実的な歩み寄りを可能にする対立点です。
 そして、ぼく個人は、その結果としてえろコンテンツが入手しづらくなってもそのデメリットを受け入れる覚悟でいます。
2010年2月28日(日) 長門考察1掲載
 『消失』映画まだ観てないんですが、「『涼宮ハルヒの消失』における少女の新生・接触篇 〜すれ違い続けるインターフェース〜」を掲載しました。『消失』考察ではなく、あの事件に至るまでの長門がどんなだったかについて、『憂鬱』以降のシリーズ作品をもとに考察したものです。2年以上も前、この日記に分割掲載してたものを、ようやく完成させたという塩梅。引き続き『消失』に取り掛かりますが、とりあえずその前にご笑覧くださいませ。
2010年2月15日(月) 帰ってきた考察人間
 えっと……新年おめでとうございます(何)。
 もう日記の書き方も忘れかけておりますが、えー。昨年書きかけてた「『ベイビー・プリンセス』における継承と発展 〜『シスター・プリンセス』との対比にみる〜」、やっと完成したので公開しました。シスプリと比較しつつ現時点でのべびプリの特徴について概括したものです。久々の考察どころか文章綴るのさえリハビリ中なので、あとで適宜修正していきたいと思いますが、ひとまずこれにて。

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