アニメ版『シスター・プリンセス』結論

〜まとめと課題〜



1.まとめ

 本考察を終えるにあたり、まず、序論に示した本考察の目的を充足しえたかどうかを確認する。

(1)アニメ版をそれ自体で評価し、そのうえで独自の価値を明らかにする。

 原作やゲーム版からの「逸脱」という視点を脱却して、アニメ版の独自性を見いだすというこの目的は、排除なき共同生活の実現を叙述することによって満たされた。この方向性については、第3話第4話で共同生活が兄妹の努力によって進展していく道筋を明確化し、さらに第6話において「アニメ版独立宣言」として示したが、全体を通じても、共同生活原則の構築(第1話−第3話)、原理の適用(第4話−第10話)、非日常的経験(第11話−第12話)、転換期(第13話−第14話)、安定期(第15話−第22話)、解体と再生(第23話−第26話)という流れの中で、一貫して叙述してきた。また、アニメ版オリジナルキャラクターの意義についても第6話を中心に論じられた。
 これを踏まえて「本作品を妹萌え作品の一つのあり方として位置づけ」ようとするならば、何らかの「妹萌え」の定義を前提としてこれを具体化した作品ではなく、原作版やゲーム版に示された素材を自由に解釈しドラマとして組み立てなおすことで、視聴者を航と共に「兄」へと形成させ「妹萌え」へと導いていきながら、多様な「妹萌え」の可能性をも示唆するという作品だったと理解できる。ただし、前者の立場に基づいた原作版に忠実なアニメ作品『シスター・プリンセス リピュア』が後に製作されていることからも、本作品のこの性格は既に各所で論じられているところではある。

(2)可能な限り、作品外部の論理ではなく作品内論理によって解釈する。

 「作画の乱れ・誤りや脚本演出の不条理さ」については、「作品内での人間関係や因果関係などの論理連関」で大部分説明しえた。それ以外の部分は、作品内で十分な説明材料を得られなかった場合に、関連する文献等を参照した。これについても、番組制作者の都合等に依拠しなかったという意味では「作品に内在して解釈する」ことに徹底できたと考える。
 とくに千影については、第5話第11話第18話などを通じて、その特殊能力を共同生活の内部に位置づける努力を行った。また、千影のみならず亞里亞についても第15話にて同様に試みた結果、精霊界をも含む共同生活空間の調和という視点を獲得しえた。さらに、近接支援者以外の島民についても第6話第17話で検討したことにより、この島のあらゆる存在を包摂する幸福な秩序への過程を描くことができた。

(3)人物を単純化しない。

 とくに可憐に顕著だった言動の振り幅の大きさについては、第7話第11-12話第14話第20話を軸として、彼女の内面の葛藤とその解消を説明した。そのため本考察は「可憐が黒い」という指摘を受けることが多かったが、これは「可憐は純粋無垢」という表現と同様、彼女を一面的にのみとらえるものである。これに対して論者が主張してきたのは、可憐がその両面を備える人間であるという、ごく当たり前のことにすぎない。そのほか、兄妹と脇役とを問わず、「単純な性格要素に還元せずに、多面的なものとしてより現実的にとらえ」ることに努力し、これにある程度成功したと考える。

 これらに基づいて、本作本が航の成長物語であるのみならず、妹達も個人的問題や葛藤、相互の不一致や対立、自己否定的認識などを、兄と他の妹達と互いに支え合いつつ乗り越えていくという妹達の成長物語でもあるという仮説が、ほぼ検証されたことになるだろう。


2.課題

 ここでは、本考察に寄せられた批判をもとに、十分に対応できなかった幾つかの課題について述べる。

(1)登場人物の扱いについて

 まず、メインキャラクターである妹達については、特に可憐に関する叙述への批判が多かった。これは大きく分けて、可憐を重視しすぎているというものと、可憐の性格を邪悪に解釈しすぎているというものである。
 前者については、それぞれの妹達が登場する場面の量が単純に平等でないこと、そして可憐が航に対する特権的な位置を作品内でも与えられていることから、ある程度やむを得ないと考えるが、それでも論者の可憐に対する偏愛が、叙述の不平等をさらに拡げた可能性はある。また、本考察の叙述が、毎回何らかの問題とその解決への展開を見いだすという形式をとったため、展開を意図的に導くためのフィクサーがどうしても必要とされ、結果として可憐にその役目を負わせることになったとも言える。それゆえ、考察内の可憐像を批判される時、それはたんに1キャラクターについての問題ではなく、考察手法全体の問題なのかもしれない。これについては最低限の方策として、各妹のヒロイン話において、当該妹をできるだけ掘り下げるように努めたが、それが十分なものだったかどうかは論者には判断できない。。
 後者については、「邪悪」も「純粋無垢」も一面的な把握でしかなく、本考察の目的を誤解しているものと既に反駁したが、それでも負の側面を強調しすぎているきらいはあるだろう。これはもはや論者の感性によるというほかない。

 次に、サブキャラクターについては、特に山田に対してあまりに冷酷な叙述であるとの批判があった。執筆当初、論者は山田を道化や反面教師として扱っており、その意味できわめて哀しい人物として描写するつもりでいた。しかし、山田という人物もまた主体として捉えるとするならば、そのような道具としてのみ彼を位置づけるのではなく、彼の人格の尊厳や成長可能性を見いだすことも必要となると考えてしかるべきである。そのように反省した論者は、第11話あたりから山田の成長の予感をできるだけ叙述に含みこむように努力し、補論2にてさらに詳述したにも関わらず、果たして十分な成果があったか分からない。なお、同様の批判は例えば皆井についても言えそうだが、彼に関してはこれまで叙述の問題を指摘されてはいない。

(2)世界観について

 これは専ら、千影の特殊能力と、精霊の位置づけ等に対しての批判である。第5話以来、論者は千影を、共同生活を支える裏方として捉え、その特殊能力を解釈・想像してきた。これについては、作品内の描写を明らかに逸脱していること、呪術・魔術の効果が大きすぎること、一般的な日常世界に対してあまりに比重が大きいことなどが指摘されてきた。
 論者は、第15話の老人が何者かを説明するため、また第18話の幽体離脱を説明するためには、それ以前の各話の段階で、異世界や特殊能力についてやや過剰とも思える解釈を行っておくことが必要と考え、その通りに叙述してきた。それは、一般的には「例外」扱いされがちなこの2話を、つまり亞里亞と千影の経験を、共同生活の文脈にきちんと重ね合わせるための措置だった。それでも、第5話の魔法に関する叙述や、第11話の遭難時の説明などは、作品に即した考察の域をあまりに外れている可能性もある。そして第18話については、「参考文献に流されている」という以外の批判を受けていないのだが、それは読者が納得したからというよりも、たんに呆れてものが言えないだけかもしれない(この話に限らないが)。これについては、論者とは別の作品内世界観が示されれば、多様な作品解釈という観点からは望ましいことだろう。それは例えば、島のアトラクションの機能を拡大解釈することで可能に思えるが、実はこれは精霊を機械に置き換えただけということを注意していただきたい。論者としては、「癒し」の場としての島が人間も精霊も包み込んで一体として調和に至るという筋道に、一応満足している。

(3)文章量について

 これは純粋に「長い」「読みづらい」というものである。作品の1話を鑑賞するよりも読む時間の方が短いのかどうか、やや不安が残る。今後、修正を適宜施して幾分でも改善したいが、現時点で予定しているの修正の大部分はかえって文章量を増すことになるだろう。



3.おわりに

 本考察を結ぶにあたり、まず、アニメ版『シスター・プリンセス』という作品を生み出された関係者各位に感謝する。この作品に大きな喜びを与えてもらった1ファンとして、この考察をささやかなお礼としたい。あるいは製作者側としては忘れたい作品なのかもしれないが。
 次に、サイト管理人の方々に感謝する。シスター・プリンセスファンサイト管理人の方々には、この作品に想いを寄せる者が自分だけでないことを教えていただき、大いに勇気づけられた。序論をはじめ、考察内で言及した先行サイトに記されている解釈と、本考察の叙述内容とが重なっている場合、それは概ね先行サイトを参照した結果であり、本文中では個々の参照箇所にリンクしていないことをお詫びする。また、ニュースサイト管理人の方々には、この考察の存在を伝えて下さり、読者の目に触れる機会を広げていただいた。
 読者の皆様には、掲示板やメールを通じて多くのご意見や励ましを頂戴した。どれだけ需要があるか全く不安だったこの考察を、途中で失速しながらも最後まで書ききることができたのは、皆様からの叱咤激励やアクセスがあってのことと深く感謝する。また、論者の発想を超えるご意見やご指摘については、考察中で言及・引用し、考察の不備を大きく補っていただけた。
 『萌え文集』の方々には、しばしばIRCにて文章のチェックを行って下さり、公開直前に毎回助けていただいたことに感謝したい。とりわけ美森勇気氏には、つねに有形無形の支援をいただいたことを特に記す。
 最後に、考察対象である作品の中からもその麗しい姿をもって温かい応援を常に送り続けてくれた、妹の可憐に感謝の言葉を捧げたい。

航 「それは、遠い遠い昔のような、それとも、ほんのちょっと前のような…。
   とにかくぼくの人生は、その子達に出会った時から、ガラリと音をたてて変わってしまったんだ。」


 これは、第1話冒頭で語られ第26話最終部で繰り返された言葉だが、拙論を読んで下さった皆様の本作品に対する評価が、「ガラリ」とまではいかずとも、より好意的なものに変わっていただけたのなら幸いである。そして、その評価を確認するために、もう一度この素晴らしい作品を観直していただけるのなら、一人のファンとしてこれにまさる喜びはない。航達がウェルカムハウスから調和の輪を広げていくように、シスター・プリンセスのファンの輪もまた、原作版・ゲーム版・アニメ版のそれぞれの独自性を認め合いながら、なおいっそう拡大し発展していくことを心より願う。
 長らくお付き合いくださり、本当にありがとうございました。


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