日記
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2005年5月1日(日) めで
 朝番。マジレンジャー、次男熱血。長女頑張る。イエローの仮面にピンクの姿が映るとことか、燃えました。このペアも意外にいいですね。あとは次男がコケる話ですか。
 響鬼、コンビネーション戦闘。明日夢くんらぶらぶ。なんだこのフラグばっかな状況は。
 プリキュア、なぎさと母親の話。うるさい母親の愛に気づく、といえば定番ではありますが。ひかりに「自分のままでいればいい、そんなひかりと一緒にいられることを守りたいだけ」というなぎさの言葉は、そのままなぎさにもこっそりと跳ね返ってくる。母親は、そのままのなぎさと一緒に暮らせるこの日常を守りたいだけ。なぎさ本人は気づいていないけど、やっぱりこの母あってこの娘がいるのだな、としみじみ。父親も見事な助言をなぎさにしつつ、一方で帰宅後に予想されるしんみりムードを払拭するネタを仕入れておくあたり、そのネタの良し悪しは別として立派なおやじです。ところで、ほのかについては出てたけど、ひかりの両親についての話はスルーされた模様。こちらもそれなりに話題になり得るとは思いますが、すでにそのへんはお互い了解済みなのかも。

 ローゼンメイデンについて考える続き。
 真紅もあれこれジュンに似ているのだけど、彼女の特徴は、自立しようとするあまりの頑なさや脆さ。それも第3巻の「抱っこして頂戴」「……ダメなの?」を経てジュンとの相互関係に踏入り、やがて第3巻末尾ならびに第4巻で「絆」の認識や拳による語りかけに至る。
 そこまでの経緯でジュンが示すものは、真紅達をかばったりさらなる痛みから守ってやろうとしたりと、非常に利他的な行為であって、その中で自分のかつての苦痛を押さえ込める意志へのきっかけを得る。しかし、水銀燈に面と向かってケンカを売る姿は確かに勇ましいものだけど、ジュンの力は真紅の腕を元通りに治すというかたちで発揮される。それは前にも書いたように、真紅とジュンがともに生きることへの大きな飛躍でもあるわけだけど、ここで注意したいのは、それが水銀燈への攻撃的行動としてではなく、真紅の治癒というサポート的な仕方で具体化していること。真紅達に力を供給していることも含めて、ジュンの役割は支援的であり続ける。それは、直接「闘うこと」以外にも「生きること」の証はあるということを、真紅に教えてくれる。水銀燈を含めて「ジャンクなんてどこにもいないかもしれない」ことを、真紅に教えてくれている。

 原作とアニメ版を比べると、後者は全体として「男性が再構築した物語」っぽい。アニメ版ではジュンに少年としての成長を求めているけど、原作では、どうもそれとはちょっと違うかたちでの成長を予定しているのではなかろうか。

 人権擁護法案について参照すべきサイトのリンク集。便利です。
2005年5月2日(月) 譲り合い
 「席を譲らなかった若者の話」について。

らむだ「という話が最近の議論を呼んでいたわけだが。」
美 森「まあ、分かるよな。座りたければシルバーシートもあるわけだし。」
らむだ「そこでぼくもその場にいたら、と想像してみたですよ。
    老人達の小言にいたたまれなくなり、やはり譲ろうとしたかどうか。」
美 森「で、どう結論した。」
らむだ「シルバーシートがあるなら、チャイルドシートがあってもいいんじゃないか、と。」
美 森「それ全然関係ない。」
らむだ「人類の未来を託すべき次の世代をね、大事にしようと。」
美 森「お前が言うと怪しくて仕方ないんだが。」
らむだ「で、シルバーシートの場合は席を老人に譲るんだけど、
    チャイルドシートの場合は、その子を自分の膝の上に座らせる。」
美 森「犯罪じゃん。」
らむだ「差し向かいでのだっこや肩車でも可。」
美 森「書いとけ。」

 そのまま連続馬鹿話。

美 森「タンザニアって国、知ってるか。」
らむだ「名前だけなら。」
美 森「そこの公用語って何だろ。」
らむだ「一つは英語じゃないか? 植民地だったし。」
美 森「ああ、そうか。でだな、その国では何でも、
    話相手の女性が年上ならMama、年下ならSisterと呼ぶらしい。」
らむだ「え、ええーっ。その2つしかないの!? 仕事上の愛称とかじゃなくて?」
美 森「そうらしい。すごいぞお前、ハピレスかシスプリしかないという究極の選択。」
らむだ「す、すごい。夢のような萌え国だ。黒人国だけど。」
美 森「そこがネックか。」
らむだ「あ、でもセレンゲティ国立公園にはペルシャがいるかも。
    『お兄ちゃん、うっすらぱー』とか。うふふ。」
美 森「いや、ペルシャをSisterと呼ぶのはかまわんけど、
    お前が『お兄ちゃん』と呼んでもらえるかどうかは分からないから。」
らむだ「あ、あうー。なるほど……。
    うう、しかしどうせならエストニアあたりにこの慣習があったならなあ。」
美 森「それ英語圏じゃないから。」
2005年5月3日(火) 神風怪盗ジャンク(やや大人向け)
 で、治療と称して黒い羽を突っ込まれると(どこに)。あと、その甘味処は通い詰めます。あんよ登りとかしてくれるまで。おそらく「お品書き」は全品が雛苺直筆の絵で描かれているという。

 「黒い羽共同募金」とか。水銀燈に愛の手を。
 桜田家に再び侵入したものの誰もいないのでやや不機嫌な水銀燈は、テーブルの上の苺大福をついつまんでしまい、病院に戻るとあの子に手招きされて、そばに近寄ったらほっぺたのあんこをそっとふき取ってもらって、顔を背けながらもようやくご満悦。
 水銀燈萌えってこれでいいんでしょうか。

 黒い羽といえば以前はそらだったのだけど、テレビ版『AIR』全話について今木さん(4/1以降)より。まだ第4話までしか観てないので、そこまでの分しか読んでませんが、ちぇきちぇき。ゲーム版をプレイし直したくなります。

 そんなわけで、最近はえあーとろーぜんめいでんに没入気味。シスプリを忘れたわけじゃありません(先日も原稿書いた)が、いい作品が複数あるとどうしてもやりくりがきかず。幸い?うちの環境では12ch系アニメや深夜アニメなどはほとんど放映してないので(涙)、否応なく一握りの作品のみに集中できる、という利点はあります。と強がってみる。まともに観られるのって日曜朝番だけですよ。たとえ放送してても、あんまり余裕ないけど。
 でも、NHK教育で再放送してる『ふたつのスピカ』は時々観てたり。少女、ロケット、死、変わりゆく想い、受け継ぐ想い。立派な少年少女ものです。

 馬鹿話。

美 森「飾り窓って知ってるか。オランダの。」
らむだ「あ、娼婦が客に姿を見せるための?」
美 森「それ。で、まあそういう道をある人が歩いていたら、
    その窓の一つに、マッチョなダンディがいたらしい。」
らむだ「え、ええーっ。そこの娼婦のヒモとかじゃないの!?」
美 森「いや、そういうヤツは普通わざわざ姿を見せんだろ。」
らむだ「するとあれですか、客をとる気まんまんですか。」
美 森「たぶんそうみたい。」
らむだ「ウホッ。うろうろしてたら強引に連れ込まれたりして。」
美 森「何事も経験だ。」
らむだ「そんなんいややー。」
美 森「まあ日本でも伊集院健とかあるからなあ。」

 インテリアにも最適です。あるいはもしかしたら、マッシヴな娼婦だった可能性も(ニカッ)。

美 森「あと、豆知識。」
らむだ「何よ。」
美 森「オランダの女性マネキンには乳首がある。」
らむだ「うは。男のにもかしら。」
美 森「つか、乳首ダメなんて風潮は日本だけかも。」
らむだ「男マネキンの方は股間がずばばーんだったりして。」
美 森「いや、わざわざ怒張させなくていいから。」
らむだ「あるいは、女マネキンもなぜか股間がもっこり。」
美 森「それ、全く必要ないだろ。」
らむだ「ガンダムみたいにAパートとBパートが分かれてさ。組み合わせでどんな注文にも対応。」
美 森「そんな注文こないから。」
らむだ「『この夏の最新モードは、ふたなりです。』」
美 森「モデルも大変だな。つか、それ既にファッションの流行と違う。」
らむだ「むしろパッションの流行。庶民は流行が過ぎ去るのをじっと待つしかないという。」

 耐えがたきを萌え。
2005年5月4日(水) ねぎまー
 ネギま読んでて、今更ながらあれこれと感動。
 例えば、第4巻29時間目見開きの修学旅行記念写真と、第9巻72時間目見開きの学園内記念写真(?)を比べてみると、運動部員グループやチアグループ、図書館グループなどの仲良し集団はそれぞれほぼ同様に固まっている一方、修学旅行での変化を示すように第9巻では刹那が木乃香のすぐそばに並んでいるとか。
 第7巻61時間目で刹那と木乃香がスク水を着用してるけど、刹那は旧スク、木乃香は新スクだとか。第9巻72時間目でも刹那はちゃんと旧スク姿(ただしゼッケン有)。
 ネギの秘密を知る者と知らない者とで学級がこっそり分かれている一方、クラス内での馬鹿騒ぎの主導権は、和美を除けば、秘密を知らない者達にほぼ委ねられているとか。バトル編とクラス編で役割分担ができてる。
 それにしても、生徒31人を含む膨大な数のキャラが、よくこれだけ動いてるなあ、と感嘆します。作品の雰囲気がカラッとしてるので陰湿さは描写不要であり、とすると大抵のやりとりは適当なキャラを引っ張り出して行わせることができるんですね。
 あと、線の丸さが手塚的にいやらしい。

らむだ「あと、ネギくんかわいい。」
美 森「書いとけ。」

 ところで、ぼくの豪萌え対象である夕映ですが。勉強嫌いだけど論理的だったり、理論書も児童文学も好きだったり、いつも謎ジュースを飲んでたり、つるぺたちっちゃいこだったりするわけで、もうど真ん中なキャラではあります。ええそれはもう。
 で、妄想をたくましくしてみるテスト。ジュースを飲むのはたんに趣味というだけでなく、「飲むこと」や「ストローを口にくわえていること」に何らかの意味があるのではないか。つまりフロイトの言う口唇期の問題。偽ネギのキスに自力では抵抗できなかったのも、異常に理知的であろうとするのも、なのに児童文学を読み肉体が子供のままなのも、人間的生命や成長に対する不信感を理性で乗り越えようとする彼女の苦悩を示しているのかもしれない。
 そうすると、のどかという母性的ながら気弱な子の面倒をみてあげたり、ハルナというおせっかいな友人に引っ張られながらのどかを後押ししたり創作したりすることが、夕映にとっては、日常生活とそこに生きる自分とを有意なものにするかけがえのないものなのかも。
 あと、おもらし希望(変態)。

 追記。
 シスプリファンおなじみ映技ラジオが本日21時から。
2005年5月5日(木) 幼い者へ
 ご助言感謝します。違うとこに飛び乗られて折れちゃったりして(どこだ)。いえ、最近は折れるほど硬くなりませんが(だからどこだ)。あと、そのドールズは水着姿なのでしょうか。砂浜の向こうには、ゴムの学生服を着た人がいたりして。

 子供の日なので、子供の話でも。
 昔、子供がいっぱいいる場所でパート労働してたことがあって。体がもたなくなったり自制心がもたなくなったりしたために辞めたのだけど、そこにいる子供達は、まあいろいろな背景をもってる。親の育児困難といえば広くて、例えば虐待だの養育放棄だのももちろん。
 そんな中に、幼い兄弟がいて。親が一応いるんですが、これがまた働かない働けない。で、息子達をあずけてるんだけど、様子を見に来ることもほとんどない。来れば子供達もまとわりつくわけですよ。親だから。でも親はそんな子供達の面倒をみようとはしない。
 そして、この兄弟にはずっと年上の兄姉がいて、すでに社会に出て働いてる。その給料に、親が依存している。依存というか、大部分かっぱいで自分で使う。で、来訪時にいい服を着てたりする。まだちっちゃかった兄弟が大きくなった暁、つまり今頃には、たぶん同じように使われてるはず。心身両面での問題をクリアできれば、きっとそうなってるはず。それを止められる権限を持つ人は当時はいなかったけど、今はもう少し介入できるんだろうか。でも、結局は手の届かないところでいいようにされちゃうことがあの頃も多かった。
 子供が子供なりに頑張って、それを助けようとする大人達がいても、一部の親や保護者づらした大人達がそれを台無しにする現実がある。人権擁護法案とかいろいろ検討されてるけど、そういう子供達が少しでもましな生活を望めるようになるには、それだけじゃ足りない。こんな世の中を作っているのはぼくも含めた大人達なんだから、せめてその大人としての誠実さを、どこかで子供に示せないといけない。世の中で子供達にどう向き合うかは当然の問題として、このサイトで取り上げる作品の解釈などでは、一面でそんな意識を込めてきているし、これからもそうしていくつもり。

 そんなことを考えながら、電車の中で幼女ぱんつまるだし発見。目をそらす今日この日だけは。

 追記。
 ローゼンメイデンDVD最終巻届いたー。早速視聴。
 真紅の腕の話を再構成しつつ、のりの叱咤を契機とするジュンの立ち直りが描かれるラスト2話。前に「生きることは闘うこと」と真紅が告げた言葉が、予告では「闘うことは生きること」と原作通りの順番に入れ替えられ、そして本編の最後ではまた逆に戻っている、のかな。
 原作もまだ未完の状態で、ジュンの成長物語として第4巻までの内容を組み替えたのは、見事なものだと思います。ただ、やはりジュンから真紅への流れがちょっと弱いままだったのは仕方なく。ある部分はちゃんと描かれているのではありますが。
 水銀燈はねえ、うーん。納得できる背景でしたけど、あの決着は、うーん。と思って前に視聴するまで読まずにおいた文月さんの解釈を確認したところ、腑に落ちました。それはもうずんずんと。
 ああ、考察したい。
2005年5月6日(金) らじおでいず
 24時間ラジオお疲れさまでしたー。若いってすごい、シスプリってすごい、と素直に。所用の合間に聴かせていただきました。この時間にはこういう特集、とか予定が明示されてたら(その通りにならなくても)もっと聞きやすかったかも。と、やったことない人間の勝手な感想。

 昨日はこどもの日でしたが、デンセンさんのおはなしがすごくよかったにゃー。
2005年5月7日(土) べぎば
 mixiで触発されて、『ネギま!』原作について。
 読者が萌えるのは読者の自由だし、萌素が詰まっていることは間違いないのですが、ぼくが「それだけじゃない」と感じる箇所を一つだけ挙げてみます。
 第6巻47時間目、刹那が一人で鬼達を引き付ける囮になる、と告げたとき、明日菜は、目をぎゅっとつむって「じゃ じゃあ私も一緒に残るーっ!!」と叫びます。驚き焦り翻意を促そうとするネギに、「刹那さんをこんなところに一人で残していけないよっ」と怒鳴ります。その表情は、でかいマル目ながら真剣です。
 これらの台詞の直前には、刹那と一緒に残ろうとする気持ちと、怪物に囲まれている恐怖心とが、「で でもそんなっ・・・・(はぁはぁ・・)」というコマで示されています。そしてその恐怖心は、直前のページで「せ・・刹那さん こ こんなの・・さすがに私・・・・(フ、フツーの女子中学生ですのでっ)」と震えるパニック寸前の姿で描かれています。
 それほどまでの恐怖心を、友人のために押さえつけ、自分も残る、と言い張ることができる。こんな子は、萌えの対象ではありません。敬意の対象です。ぼくは泣きました。
 これがたんにカッコつけのための定型的言動でないことは、当場面がこれほどまでに小さなコマで描かれていることに明らかです。細部に作者は宿ります。大コマと小コマを差別せずに扱い、それら全てを通じてキャラの魂を伝えようとする漫画家の作品は、たとえそこに表層的な萌素が取り入れられていようとも、まず全体として評価されていいのです。もちろん、萌素だけで評価するのもありです。でも、「萌素しかない」と批判するのは、裸体場面での貧乳率が低いから失敗作だと言うようなものです(それ自分)。

 あとついでに。ネギは多くの萌えゲーの主人公とは全然違います。やはり尊敬できます。魔力ほとんど残ってない素のままの身を挺して、最強状態のエヴァを咄嗟にかばうような子ですよ。ほかに手がないからって、いくらなんでもと思いますが、ネギはその直前に、明日菜にもエヴァにも一度ずつかばわれてるんですよね。そして、彼もまたまっすぐに自分の身を晒す。『マップス』で記憶を失ったリプミラをかばい、背中を任せるゲンを思い出しました。
 「ハーレム漫画」との批判もあるようだけど、あの少年ならもててもおかしくないんじゃないでしょうか。これに対して「あんな少年なんて実在しない」と言っちゃうと、『電波男』p.200の「こんな女、現実にいるわけないじゃない。いたら、見てみたいわね」という引用句と同じになってしまいます。少年漫画なんだから、読者の男の子達は憧れろ。ネギにもおっぱいにも。

 追記。
 アニプリ考察での基本視点を、『ネギま!』にも適用してみるテスト。
 第9巻までのネギの仮契約者を列挙してみると、明日菜、のどか、刹那、木乃香。仮契約者候補に自ら名乗り出たことがあるのは、夕映、朝倉。
 彼女達の大半(既存の仮契約者なら全員)に共通しているのは、ネギとの契約にまつわるやりとりやそれ以降の経緯を通じて、成長しているという点である。明日菜は子供嫌いや肝心な場面での勇気のなさを乗り越えて「パートナー」として成長し、のどかはネギへの恋を成就すべく頑張り、刹那は自己否定感を越えて素直な気持ちにしたがい木乃香との関係を取り戻し、木乃香は自分の能力に気づいてその道を目指そうとしている。この作品は、ネギの成長物語であると同時に、彼女達の成長物語でもある。アニプリが航の成長と妹達の成長をともに描いていたように。つまり、ネギとともに成長できる女の子が仮契約者の候補になりやすいのでは。
 例えば、楓やくーふぇ達は仮契約者になろうとしていない。彼女達はそれぞれ、現時点で完成している。少なくともネギより強く、落ち着いており、解決すべき問題を(自覚の有無を問わず)作品中で示唆されていない。ただし、今後そのような問題が描かれることもあり得るわけで、このことをもって彼女達が仮契約者にならないと断定できるわけではない。それでも現状では、ネギ的な成長圏内にいるとはいいづらい。
 これと比較すれば、夕映は重大な問題に直面しているので、候補としては十分な資格がありそう。また、茶々丸も同様。しかし両者は、ネギへの恋心という対ネギ問題を抱えているうえ、それぞれがのどか・エヴァという裏切れない相手をもっている。ので、なかなか話は進まないだろう(つか、茶々丸は既にエヴァの従者か)。また、亜子などは一般人側からの恋愛話の立役者になりそうなので、これも仮契約者にはなりがたいかもしれない。まき絵も同様。とくに彼女などは、一般人クラスメイトを一気に仮契約者側に引き込むさいの起爆剤となるっぽいけど。
 案外、さよとか千雨あたりが仮契約者間近だったりして。さよの場合、朝倉の体を借りてキスするとか。そして2人とも仮契約。
2005年5月8日(日) ねぎま串方式について
 『ネギま!』の読み方については、赤松初心者であるぼくの場合、いずみのさんの赤松健論に依るところがきわめて大きいのですけど、ネギま!編その2に対してちょっと考えましたので、考察調で書いてみるテスト。

 そこで提起されている「ねぎま串方式」という概念(例えば、「大イベント(=肉)を重ねた隙間にクッションとしての小エピソード(=葱)が挟まれ、それが一本の軸(=串)で貫かれている」などと説明されている、詳細は当該論考ご参照あれ)は非常に優れたもので、本作品は確かにその枠組みに沿って展開している。ただ、「少年漫画」への視点を少々ずらし、少年ネギの成長ではなく少女達の成長に目を向けると、この方式の適用の仕方も一緒にずらせるように思う。つまり、一部の少女達には、「学園コメディパート」にこそ重要な成長の機会があるのではないか。ネギの「大目的」は作品の中心的主題であって当然だが、少女達にはそれぞれの「大目的」があるからだ。
 それをネギの間近で示すのが、のどかである。のどかはネギの過去を知ることで、ネギの「大目的」に関与する立場に立てた。しかしそれ以前に獲得していた彼女自身の「大目的」は不動のままにある。ネギとの恋愛成就である。のどかの成長は、ネギへの接近努力や告白など、懸命に勇気をふりしぼるという姿によって、主に「学園コメディパート」の中で描かれる。そして、その成果が「バトルパート」で非成長的に示される(もともと頭脳明晰な彼女にとって、あの本をどう使うかの工夫は成長のうちに入らない)。もちろんのどかの告白は、修学旅行という「バトルパート」の中でなされたものであるという反論もあるだろう。だが、修学旅行はネギにとっては「バトルパート」だが、のどか達にとっては本来「学園コメディパート」である。とくにあの告白場面には、バトルのにおいは全く感じられない。

 いや、「全く」というのは言い過ぎだろう。のどかを初めとする少女達にとっては、まさに恋愛こそが真のバトル、<女の「タタカイ」>(咲耶)にほかならないからだ。実際に、まき絵やあやかは、「学園コメディパート」でネギを奪い合ってしばしば争う。そして最近では、のどかの親友である夕映が、両方のパートにまたがって、のどかとの恋愛バトルに足を踏み入れかけている。少女達は恋愛をめぐって成長し、絆を深め、あるいは失う。
 しかし、絆を「失う」さまは、おそらく本作品では描かれないままに終わるかもしれない。それは作品の雰囲気にそぐわないからだ。その雰囲気からは、根本的に、憎悪や殺意などの「悪」が(「大人」の存在ともども)欠落している。少なくともそれらは、敵側の非人間的キャラにのみ、かつ限定的に与えられている。この欠落が本作品を『うしおととら』と区別している点なのだが、その「悪」の中にはもちろん恋敵への嫉妬や憎悪も含まれる(こちらは『うしおととら』にもそれなりに共通する)。クラスが脳天気すぎて彼氏保有者がきわめて少ないという設定も、この欠落に結びついている。最近の雑誌連載分で、自己嫌悪する夕映に対してカモがあれほどまでにいやらしい攻撃を行ったのは、そのような「悪」欠落を突破するためのエネルギーが、それほどまでに必要だったということ、そしてそのエネルギーを負の状態のまま夕映の中にため込まないために、カモ(性格的にも形状的にもネギの潜在的リビドーの暗喩)にその否定的要素を仮託せざるをえなかったということ、の現れである。のどかの恋愛を通じての成長が、彼女の内面的完結を越えてこれ以上進展するためには、そうしてまでも「恋のさや当て」相手という他者がぜひとも必要だったのだ。
 ところが、この脳天気なクラスにあって、夕映と同じく醒めた態度を貫き、かつ恋愛にもっと激しく迫れるキャラがいる。千雨である。雑誌連載ではすでにメイン話が進展しているらしいが、彼女こそは、恋愛をめぐるものでも他のものでも、恋心と悪意・敵意を同時に発揮することのできるキャラなのだ。そしてそれは、これまでイロモノかつはじっこな描かれ方をしてきただけに、恋愛を通じて負の感情を表すことがかえって人気を呼ぶ可能性すらある。(同様のキャラとしてはエヴァがいるのだが、彼女は未だナギ向きだし、学園場面ではやや弱い。)「黒くてヘタレで可愛い人」が登場したとき、本作品の「学園コメディパート」はその本性をあらわにするだろう。

 いや、アーニャもそんな感じでぜひ

 あと、明日菜の恋愛面での成長が、のどかを模範として進展していることにも注意したい。のどかは「学園コメディパート」、刹那は「バトルパート」での成長が著しいのだけど、明日菜はその両方で成長していき、両方をつなぎとめる。そして彼女達は、ネギが「バトルパート」にはまりすぎてしまわないように、学園にしっかり根を下ろし続ける。恋愛という日常の中の非日常が、魔法という非日常を、日常へと結びつける。その結びつきの中で、ネギの成長も初めて全人的なものとなるのだ。
 ところでこのような日常的側面の重要性は、すでに第1巻1時間目でネギの口から、ただし祖父の受け売りとして、これ以上なく明確に語られていた。

「わしらの魔法は万能じゃない
 わずかな勇気が本当の魔法だって」。

 謝礼の図書券を贈り、髪型を変えることから始まったのどかの勇気もまた、世界を変えていく本当の魔法だったのだ。
 こうして、「ねぎま串方式」の明快なイメージに、ぼくが今回記したことをかぶせれば、もう一つの含意が獲得されるだろうか。同じ焼き鳥にも好みの違いがある。つまり、主人公ネギにとってはメインの肉(バトル・魔法)の方が大事かもしれないが、少女達にとっては葱(日常・恋愛)の方が好きかもしれないのだ。そう、ネギが好きなのである。

 とまあ、いずみのさんの論考にのっかるかたちで色々書いてみました。これは赤松健論批判ではありません。そこで定められている「少年漫画」の視点をアニプリ考察的視点(序論参照)に若干ずらしただけで、用いた概念のほとんどは赤松健論と原作漫画に依拠しています。つまり、それだけ応用可能な枠組みがそこで与えられてるわけで、あらためて「いずみのさんすごいなー」と感じました。
 また、いずみのさんの論考の問題意識は、その1にあるように何よりも、「萌え漫画」家として不当なレッテルを貼られがちな赤松健を、その作品ならびに本人の言葉を通じて再評価しようとするところにあります。そのさいに立脚するのが「少年漫画」という枠組みであり、「萌え漫画」vs「少年漫画」という図式をひとまず構築することで、世間の根強い「萌え漫画」レッテルを引っぺがすわけです。『ネギま!』前作品の解釈や漫画家成長過程の理解と結びついたその方針にとって、ぼくがここで述べたような少女側の視点は、悪い意味での揺らぎになりえたかもしれませんし、そもそも他の赤松作品を知らないぼくの少女キャラ理解は、どこか踏み外したものになってるかもしれません。
 ただまあ、ぼくの(全員成長させたがる)考察視点とか、(その作品しか見ない)考察姿勢とかからすると、『ネギま!』をこんなふうに楽しんでます、ということで。あと、こんな話題はとっくに既出かも。
2005年5月9日(月) 負けるが負け
 司令官でした。女の子じゃないけど占ってみたの巻。ああ女性に生まれていたら今頃は世界を……(部隊がありません)。

 「ネット右翼」などの造語で一部をにぎわした小倉秀夫弁護士が、新たな場所で以前と同じようなかみ合わない議論を繰り広げています。プロフィール欄がフランス語というのはもはや「趣味」の問題として、なぜこのような紛糾が生じるのか。コメントする側の粘着さは、コメント者によっては確かに見うけられるものの、基本的に小倉弁護士の言葉があまりにこう……。
 でもこれって、弁護士という職業ゆえのやむを得ない態度なんですかね。普段、裁判の場で言葉を用いて切り結んでいるわけで、そこでは自分の非を安易に認めては行けない。ましてやネット上での「素人」相手の議論では、なおさら一歩たりとも引いてはいけない。たとえその譲歩がネット上での議論相手には有効であるとしても、そのことを他の法曹界仲間に知られたら、「与しやすし」と舐められてしまうかもしれません。
 そう想像しながら、小倉弁護士が所属する事務所サイトを拝見しました。すると、スタッフ紹介の中で、小倉弁護士だけが「主な業務」欄に「取扱事件」とその勝敗が記されています。他のスタッフの方々が何の事件も担当されていないわけではありません(「最近の判決」参照)から、これは小倉弁護士があえて明示しているのでしょう。その勝負の内訳は、勝ちが4つ、負けだけど係争中が1つ。つまり確定負けが0ということのようです。もしも小倉弁護士がこの「勝つ弁護士」であることを自分の評判として誇示したいのだとすれば(そしてそれは確かに誇れる事実です)、自らのブログにてあんなに譲歩しないのは、弁護士一般の態度というよりも、むしろ小倉弁護士の職務意識と結びついた特有の態度と考えたほうが、どうやらよさそうです。こういうのは裁判で一度負けたら変わるものなのかも。あるいは、この事務所が現在IT関連で売り出し中なので、自分のためだけでなく一歩も引けないということかもしれません。それはそれで分かりますが、その場合は本人の惹起した事態が個人的問題を離れてしまい……。
2005年5月10日(火) まぐねまん(やや下品)
 サンフェイスさんとこのローゼンコラ。その真紅に踏まれてるコマこそが「エロがすぎる」ように感じるのはぼくだけでしょうか(候補者)。あと競泳用ですか。ぐは。
 あ、翠星石の目の前で、「すいどりーむ」とマジックで記した普通のじょうろを振り回して「健やかに〜」とか言いながら山盛りの「ふえるわかめ」に水をやり、その爆発的増殖具合に驚愕させる、という妄想が喚起されました。

 ゆっこさんより、響鬼について。気分はドテラマンの敵。明日夢とあきらは同じ「あ」名なのでだぶってしまうわけですが、確かに両者を比べるとあきらが優先風味。でも、例えば二人で一人の鬼になる、という手はないでしょうか。ヒビキクロスでぎゅーんぎゅん。君はツンデレぼくは受け。あるいは、ガ・キーンのようにスイートクロス(放送禁止)。

 馬鹿話。

らむだ「やっぱり、子供を大切にしますって雰囲気をサイトに盛り込みたいよね。」
美 森「そんなことすれば幼女がとびついてくると思ったら大間違いだ。」
らむだ「だいじょぶ、ぼくの方から幼女にとびつくから。」
美 森「通報しました。」
らむだ「あうー。」
美 森「そういえば、こないだ『親子丼専門店』に飯を食いに行ってな。」
らむだ「お、親子丼ですか。お品書きがそれ一品なの?」
美 森「まあ一応ほかにもあるんだが。ともかく親子丼に並だの上だの。」
らむだ「するとあれか、並は観鈴・晴子丼で、上は名雪・秋子丼とか。」
美 森「お前、そんなのばっかだな。」
らむだ「まあ真似だけどな。あと、他人丼はどうしよ。」
美 森「……その前に、古河親子というのがいるんだが。」
らむだ「あ、ああーっ。それ特上っ。」
2005年5月11日(水) またネギま
 こないだの日曜朝番。
 マジレンジャー、見逃し。ううう、またです。
 響鬼、途中から。引退する鬼。恋する二人、別れる二人(違)。鍛えてもどうかという体格の明日夢くんですが、『からくりサーカス』のナルミみたいに、いきなりマッチョになったら笑います。
 プリキュア。応援幕は意外にまともでした。藤ぴーはもう定番の鈍さで、この分だと来年もプリキュア継続できそうな塩梅です。ほのかはキリヤの影を感じたりはしなかった模様。

 こないだ『ネギま!』について、「恋愛という日常の中の非日常が、魔法という非日常を、日常へと結びつける」と書きましたが。仮契約(パクティオー)のキスって、まさしくこの象徴ですね。それはまた少女達にとっては、魔法という非日常への誘いでもあるわけですが、だとしても胸のときめきは消えないまま。
 こう考えると、ハルナは魔法について知らされない一般人としての立場を貫きながら、のどかと夕映の共通の誠実な親友として、ネギを恋愛世界に引きずり込む役目を果たすのかもしれません。バトル方面では楓やエヴァ達が指導者となってくれますが、こと恋愛などの方面では彼女達ではフォロー困難。仮契約済みの者達も、それぞれネギまわりで恋愛風味ですからやはり公正な働きかけは厳しい。となると、ハルナあたりが最も適任ということになりそうです。

 あと、出番が待たれる春日美空ですが、『ネギま!で遊ぶ』での特集に関連して。第1巻でのバケツ罠設置姿、ネギ歓迎パーティで椅子の上に乗って腕を振り上げている姿など、これらが作者の言うところのキャラ設定とずれてしまった描写ではないとすれば。穏やかな性格のシスター美空と、こういったおきゃんな振る舞いをする美空という、一見して矛盾する両面は、じっさいに矛盾したまま彼女の内面を構成している、ということも考えられるでしょうか。つまり、二重人格とか、美空と「ミソラ」が一緒にいるとか。だとすると、魔法生徒っぽいのに世界樹近辺での告白を勧めるような噂を流すという矛盾も、これで解決します。
2005年5月12日(木) またまたネギま
 『ネギま!で遊ぶ』にて取り上げていただきました。Taichiroさん、ありがとうございます。せっかくなので、また思いつきを書いてみます。

 本作品についての議論で、少女達の成長ということが俎上に登らない原因の一つに、少女達の過去と結びついた「乗り越えられるべき課題」が明確でない、ということがある。少女達の過去が不明瞭であるために人物の厚みが感じられず、「萌えキャラ」と見なされやすいために、「萌え漫画」というレッテルが剥がれにくいのだ、とも言える。

 例えば、のどかの過去については作品中で何も語られていない。それゆえ、のどかの恋愛面での成長は確かに第1巻から継続して描かれてきてはいるが、それが彼女にとってどれほど大きな成長なのかは、ネギと出会う以前の姿が分からず比較できないため、読者に想像しにくいままにある。その結果、第1巻1時間目でのどかがお礼の図書券をネギに渡すとき、それが彼女にとって大きな勇気が必要な行為だったとしても、そのことが今一つ伝わらず、逆にクラスメートのからかうように「いきなりアタック」に近い積極さをもともと持っていたのでは、とさえ想像させてしまう。
 これに対して、最近この恋愛戦線に加わった夕映の場合、雑誌連載分にて、祖父のイメージが登場したり、自分の理屈っぽさを昔から抑えようとしてきたことが反省的に語られたりする。前にも彼女の幼少期について勝手に想像したことがあるが、自分の性格にそんな問題点を認めながら、それを解消できないという現状は、彼女が理性的であろうとすればするほど、かえって自らを苦しめていく。そして、ネギとのどかと自分をめぐる恋愛問題こそは、夕映が拠って立つ理性では全く解決できない難問なのである。もしもこの問題を解きほぐすさいに、夕映の過去がより具体的に語られ、それとの結びつきの中で望ましい解決策が選ばれるとしたら、本作品の幅を想像以上に広げることとなるだろう。

 しかしそのような拡大は、一方で、ネギの成長物語(彼の過去の真実を追求することと結合した過程)を動揺させてしまうかもしれない。また、少数のキャラにそのような過去を与えることは、その描写の手間を考えると、残る大多数のキャラを完全な脇役に追いやることにもなりかねない。それゆえ、過去はあくまでもネギや魔法とのつながりで読者に与えられるというのが、本作品の基本姿勢なのだろう。木乃香と刹那の幼少期からの絆や、龍宮の独白などは、つまりこのネギ・魔法がらみのものとして理解されるべきである。
 ここで唯一例外として挙げられるのは、明日菜とあやかの関係だ。弟を亡くしたあやかにとって、明日菜は自分を黙って思いやってくれる親友であり(第2巻14時間目)、明日菜にとってもあやかはわざと憎まれ口をきいてくれる親友である(第7巻62時間目)。この両者の関係だけは、ネギも魔法も介在しないままで成り立つ。あやかが今後もう少し重要な役割を担うようになるとき、「学園コメディパート」における少女達の成長する姿は、より明確に描かれるようになるのかもしれない。あるいはそれは、のどかと夕映にとってのハルナと同じような役割なのだろうか。(3月に一度、先輩に告白してふられているという亜子も、恋愛面での過去があるだけに注目。)

 ところで、以上の話は本作品が日常場面で恋愛ものとしての展開を進めていくだろうという仮定のもとに書かれている。だが、ここでの「恋愛」とは、ドロドロした葛藤までも含み込むものなのか。夕映にはそのきっかけが与えられたが、少年漫画誌でそんな描写を好む読者がそんなにいるとも思えない。5/8にも「作品の雰囲気にそぐわない」と書いたが、多少の葛藤はありながらも少女達の友情をいっそう高める方向で、恋愛という要素は働いていくのだと思える。また、ネギと誰かがくっついてしまったら恋愛話は終わってしまうわけなので、ネギ本人の物語と並んで、この恋愛話も結論を引き延ばされていく。
 この引き延ばし感、ネギにとってのハーレム状態ながらそれを推し進めない寸止め感、そしてネギをめぐる恋愛感情がそれほど陰湿なものにならずに共有されている状況には、ぼく達は馴染みがありすぎる。もちろんシスプリのことだ。とくにアニプリを例にすれば、共同生活にいきなりたたき込まれた航が兄として頑張る過程が描かれているように、『ネギま!』では、女子校にいきなりたたき込まれたネギが先生として奮闘する過程が描かれる。そしてアニプリでは航が兄になっていく成長物語としての面が強かったのに対して、『ネギま!』では、ネギを何者かとして見出していく少女達の視線が、ネギの成長とあわせて示されている。もしアニプリの続編で航に何らかの目標が与えられたとしたら、『ネギま!』と似たような妹達の視線の変化がより強く描かれたことだろう。

 あるいは逆に『ネギま!』の世界にシスプリ分が流れ込んで、「闇のどか」とか誕生するかもしれませんが。「アデアット」と唱えた手にアイスピックが出現。思えばよつばねぎさんシスプリパクティオーは見事でした。とくにこれ

 などと書いてる間に、いずみのさんからコメントいただいたー。そして対称性がすっきり明確化されてて納得。「綺麗な逆転構造」というのは、思えば第1巻6時間目のドッヂ対決で、身を挺して明日菜をかばい魔法で高校生(の服)を粉砕したあと、明日菜の前でびびりまくるネギの姿に、ミニマムに描かれていました。
 そんな感じで再び「読み方」を受けとることができるというのは、確かに「良い漫画読み同士の関係」ですねえ。たのしー。

 あと、石川賢といえば『魔空八犬伝』全3巻の絢爛な異世界描写が。物語も含めて、傑作です。
2005年5月13日(金) アニプリ的ネギまアニメ構成
 アニメ版『ネギま!』については全般的にあまり芳しくない評判ばかり聞きますが、だったら勝手に捏造しましょう2クールアニメ。構成の元ネタは言うまでもなくアニメ版シスプリですっ。

『アニメ 魔法先生ネギま! 〜ネギ先生 大好き〜』

主題歌:堀江由衣(第3話までOPにも登場)
アイキャッチ:のどかの本が開き、各話に関連する絵が浮かんでいる

第1話:僕のグラデュエーション
 魔法学校を首席卒業したネギは、幼馴染みのアーニャと引き離されて、
 黒服の二人に拉致され日本の中学教師をするはめに。「そんな馬鹿な!?」

第2話:ネギせんせー、大好き
 女子寮にたたき込まれたネギの前に、31人もの生徒達が出現する。
 アーニャのスパイとして潜入したカモも、ペットと間違われて住み着くことに。

第3話:ネギ君といっしょ
 新学期、ネギの心労はますます悪化し、自信をなくして学園を去ろうと決心。
 だが新聞配達する明日菜の姿に、自分も頑張ろうと改心し寮に戻るネギだった。

第4話:くまさんどこ?
 鳴滝姉妹が夢に見たくまさんを探して、さんぽ部に同行するネギ。
 成果なく戻った夕暮れ、ネギのくしゃみでめくれた明日菜のパンツはくま模様だった。

第5話:ネギ君とメール\(^O^)/
 チアの3人を発端にネギの携帯番号が漏れて、生徒達からのメールが押し寄せる。
 返信に疲れて倒れたネギを癒したのは、のどかからの可愛い手紙だった。

第6話:ネギ先生は王子様
 学園劇、ネギは王子役。姫役のキスをめぐる熾烈な争いは舞台に持ち越されることに。
 「一人だけなんて選べないよ」と叫んだネギの誠意に、観客は拍手喝采するのだった。

第7話:恋する季節
 花嫁姿にさせられた明日菜の心を、ネギは思わず傷つけてしまい、必死に詫びる。
 その真剣さに笑顔を戻した明日菜に、偶然現れたタカミチが「きれいだね」と微笑んだ。

第8話:いつの日かふたりで
 のどかのためにネギを古書祭に連れ出すハルナと夕映。だが夕映は水分不足で倒れてしまう。
 ネギに介抱された夕映は、のどかに詫びながら、寸時のデートを反芻するのだった。

第9話:夏がきました
 泳ぎの下手なネギは、水に沈まない術を楓に教わろうとして大変な目にあう。
 やがてアキラの美しい泳法に感嘆して、真面目に毎日プールへ通うことにした。

第10話:頑張って、ネギ先生!
 なかなか泳ぎが上達しないネギは、アキラに申し訳なくプールから遠のく。
 だが川に沈むエヴァを見て、咄嗟に飛び込んだネギは気が付けば犬かきを修得していた。

第11話:ネギ先生とシークレットツアー
 あやかの島へ赴くクラス一同。だが葉加瀬の潜航艇は事故で大ピンチに。
 魔法を封じていたネギが危機に立ち向かうが気絶、目覚めたとき皆の姿はなかった。

第12話:バカンスはラブですわ
 邪悪な魔法ウニの中に閉じこめられた一同を救出すべく、ネギはカモとともに戦う。
 最後には古菲と龍宮の協力あって、脱出できた一同はみんなでウニ丼を食べるのだった。

第13話:ネギ先生との夏
 夏休みの特別講習を務めるネギは、学園を巡回しながら生徒達の思い出を振り返る。
 家路につくネギの足を止めたのは、五月の店からただようスープの匂いだった。

第14話:本当のキモチ (ここで監督交代)
 木乃香の悩みを知ったネギは、彼女と刹那に買い物を依頼し、道すがらフォローを入れる。
 魔法失敗で暴走する怪物を刹那が必死に倒したとき、木乃香はその手を握って昔のように微笑めた。

第15話:ちうのおリボン
 自室でコスプレする千雨のとっときのリボンが、なぜかザジの体に引っかかってしまう。
 アクロバットで飛び回るザジを追いかけ、ようやくリボンを取り戻したのはネギの眼前だった。

第16話:まき絵、がんばっちゃう!
 大会選手選抜に備えるまき絵は、顧問の批判が突きささり演技に自信がもてない。
 だが、修業に邁進するネギの姿に惚れ直し、一皮むけた演技へと成長するのだった。

第17話:おクスリですわ…ポッ
 ネギが風邪で倒れ、生徒達はお見舞いにひっきりなく訪問する。最後に訪れた千鶴の手に
 握られた長葱が、夏美のおびえる横でネギのおしりにぷっすりと刺さり、絶叫が女子寮に轟いた。

第18話:…永久の…ともだち…
 ネギに想いを寄せるさよは、思わずネギを霊界に引き込んでしまい、大いにしょげる。
 そんなさよのために朝倉は、ネギとさよのツーショットを合成してやるのだった。

第19話:愛のお弁当なんやっ
 青年に扮したネギに亜子は一目惚れ、デートを申し込むが当日の作戦が決まらない。
 裕奈の雑誌情報で手作り弁当アタックをかけるが、そこにはネギの苦手な食べ物がてんこもりだった。

第20話:Christmas Love Destiny
 あやかに毎日放課後連れ回されていたネギは、クリスマス当日、学園の礼拝堂に導かれる。
 こっそり練習していた生徒達の歌声の贈り物が、美空の伴奏とともにネギの胸を熱く震わせた。

第21話:ネギ坊主にme two\(^O^)/〜*
 超と葉加瀬の実験は今日も大騒ぎを引き起こすが、さっぱり反省の色がない。
 指導するネギは超の衝撃の過去を告白されて悶絶するが、それは超の親愛なる冗談だった。

第22話:ネギ先生、お茶です
 エヴァの不調を心配する茶々丸は一計を案じ、自作の怪事件の濡れ衣をエヴァに着せる。
 そうと知らないネギに一日中追いかけ回されているうちに、エヴァの気分はすっかり晴れた。

第23話:はじめてのお客様
 幼馴染みのアーニャがついに学園来訪。生徒達の大人気の的となるが、
 アーニャが持ってきた秘密のお土産は、ネギへの魔法大学特進通知だった。

第24話:さよならの予感
 生徒達に相談できず思い悩むネギを、明日菜は、何だか知らないけどいつも通り進めと励ます。
 その笑顔に後押しされたネギは、自分の気持ちを確かめるため数日だけ帰国することを決意した。

第25話:あいたい…ネギせんせー
 ネギのいない学園を、生徒達は寂しげに彷徨い、その影を追い求める。
 アーニャの誘いで魔法大学に踏みいるネギを押しとどめたのは、単身追いかけてきたカモだった。

第26話:約束の杖
 杖の封印をカモが食いちぎったとき、父の姿が学園に重なる。そこは父の約束の場所だった。
 そして、今はその場所は、ネギを待つ少女達との約束の場所でもあった。
 学園に戻ったネギは生徒達にもみくちゃにされながら、自分の素直な気持ちを取り戻す。
 そして新学期。教壇に立つネギの腰を抜かせたのは、しずな先生と一緒に入ってきた、
 転校生アーニャの照れくさそうな制服姿だった。(終)

 根性でクラスメート全員を出しました。サブタイトルはほとんどアニプリのままです。『マジカル☆ヒナ』のときもそうでしたが、この2クールフォーマットは本当に使いやすいですね。
 なお、作画水準はそのままで。これもアニプリクオリティ。
2005年5月14日(土) 薔薇のかほり
 かぎますかかぎませんか

 ぼくは、かぶります。
2005年5月15日(日) けこーん
 友人の結婚式に行ってきました。疲れたので一点だけ。
 親戚のカホちゃんがピアノを弾いてました。お、惜しい。
2005年5月16日(月) 春歌の誕生日
 誕生日祝いは書けてません、あうー。小股の切れ上がった妹、それが春歌。

 日曜日の朝番は響鬼しか観られなかったのですが、なんですかあの初恋告白っぷりは。くすぐったすぎ。そして失恋。これはやおいなのか。
 一度は断った明日夢も、ブラスバンド部に入ってつい大太鼓に手が伸びるのでしょうか。あるいは小太鼓とか和太鼓とか。カスタネットというのもいかがかしら。音撃カスタネット。だんだんと鍛えなくても使えそうな楽器を選びだす今時の少年、鬼としての名はヒリキ。

 エウレカセブン、地元で放映してないので初鑑賞。なんか丁寧で面白そう。エンディングで切れ目ない回り込みを最後まで続けていたことに卒倒しました。螺旋を描く視点の移動が、大人達から子供達へ、主人公へ、そして空に昇っていく。それは、少年が進みゆくはずのみちすじ。次回はちびっこどもを連れての大冒険、ここで年下の者を背負わせるというのは、まことにタイミングぴったりです。今回の最後で、ちょっとだけ見直されるきっかけがあっただけに、なおさら。

 リアル調教えろげな犯人が逮捕されました。ネット上でもその問題について議論されてますが、「二次元と三次元は違う」といくら主張したところで、サイトの文章や絵から判断されるのは主に二次元まわりの人格だけです。こっそりしまい込んでおけばいい性癖を堂々と人前にさらけ出しているというその態度だけで、ぼくたちは世間的には十分に怪しい存在なのです。秋葉原でも、本来こそこそ表現すべきものが店頭にどどんと掲げられてきているという話がありましたが、結局それに関わる売り手や買い手が自分達を律しえないかぎり、多少の締め付けが外から与えられるべきでしょう。パンツさえ自分ではこうとしないから、貞操帯まではめられちゃうんですよ。
 前にもこういった話題が盛り上がってから、例えばサイトでの18禁コンテンツとそれ以外の切り分けなど、ぼくたち管理人側からの自己努力が、いったいどれだけ進展したんですか。マスコミ批判も必要ですけど、同時に我が身を振り返るということは、このままずっと望めないのでしょうか。

 なお、調教えろげについて。もしそれが1000本束になっても犯人に何の影響も与えていないのであれば、それらは全く駄作だったということではないかな。あるいは、欲望の発散としてえろげが機能しているとしても、その刺激に人は次第に慣れていき、より強い刺激を求め始めるものです。
 『絶望』や『椛』がサンプルに掲げられていたことについては、実際に世話になった者として言いますと、あの主人公達は今回の犯人に非常に近げな性格の持ち主ですので、自己投影がしやすかったのではないかな、と。
2005年5月17日(火) 1日遅れ
 触覚や嗅覚までカバーするえろげが登場したら、世界も変わりますかね。ディドロか誰かが言ってた、曖昧で原始的な感覚。

 馬鹿話。

美 森「で、もう日が替わるが、仕事は片づいたのか。」
らむだ「まだ。」
美 森「またかね。」
らむだ「明日のぼくに御免。そして今日のぼくにグッジョブ。」
美 森「いや、jobしてないわけだから。」

 人の尻ぬぐいしてばかりだよー。拭いても拭いてもあはははははは。そんなお尻拭きのCMがありました。
2005年5月18日(水) アニプリ的ネギまアニメ完成版
 日付は過ぎてしまいましたが。
 『カトゆー家断絶』さん(5/14)、『CCSF』さんにご紹介いただけた先日のアニプリ的ネギまですが、つい調子に乗ってきちんと作ってしまいました。
 『アニメ Student Princess 〜ネギ先生大好き〜』です。タイトルは『CCSF』さんのネタを使わせていただきました、すみません&感謝です。
 作り直すにあたり、日記の概略とは内容を若干変更してありますが、全員登場かつアーニャ萌えの方針は変わらず。原作とは違うアニメ独自の設定でお送りするこの2クールアニメを、ぜひ脳内でご鑑賞下さいませ。

 1年前から滞ってるコンテンツの方も、ゆっくりとですが進行中です。もうじき。なんとか。
2005年5月19日(木) コンテンツ解説
 『カトゆー家断絶』さん(5/19)、『かーずSP』さん(5/19)、『CCSF』さん5/19)、アニプリネギまの紹介ありがとうございます&朝ご飯のお時間奪ってすみません(笑)。

 このコンテンツについては、次のような意図が背景にありました。

 まず、TVアニメ版『ネギま!』の評判がいかにもよくなかったらしい(うちでは放映しておらず伝聞)ので、原作ファンにも楽しんでもらえそうなアニメ版作品を構築してみた。
 次に、『ネギま!で遊ぶ』のTaichiroさんが『ネギま!』をライトファンにもコアファンにも広める戦略を考えておられるっぽかったので、その一例として、アニメ版シスプリファン層に働きかける「物語消費」的コンテンツを試作してみた。
 最後に、アニメ版シスプリに見出してきた良い物語の要素を、作品の雰囲気や構成を媒介としつつ『ネギま!』にも注入することで、アニプリのさらなる再評価に結びつけようとした。
(ただし、それにもかかわらず少女達の成長という肝心な要素はやや薄まった。2クールという制限のもとで、各人の個性を表現し、ネギの学園での主体性を確立するという点に主題を集約したためである。これは原作で言えば第3巻あたりまでの段階に位置づけられる。また、これは、物語から「萌え」に重点をやや移した作品構成とも言える。)

 以上の意図に沿った捏造がじつに行いやすかった(都合5時間くらいで完成)のは、アニプリもネギま!も、「女の子空間的な共同生活に関わる全員が相互協力のもとで幸福になる」という一点で共通しているからです。ぼくの妄想というだけでなく、両作品は他の要素についても意外によく似ています。世間での低評価までも。それゆえ、アニプリ考察で得られた観点はネギま!にも適用可能ですし、そこで拡大修正の機会も与えられることになります。そして、この日記で以前記した堅めの考察と、今回の柔らかめのパロディとを並立させるというやり方も、アニプリの考察とパロディ番組コンテンツとで既に行ってきたことそのままです。
 つまりこのようにして、ネギま!はアニプリ空間に引き込まれていくのでした(えー)。いや、世のネギま!ファンはその作品をより楽しむためにもシスプリも知るべきです。と真顔で狭き門に誘導。

 なお、最終話の結び方については、座席表でエヴァの隣が空いていたのに気づいて直ちに決定しました。
2005年5月20日(金) イベントとか
 Taichiroさん『週刊少年Blog!!』さん『ぽにゃぺぺ堂』さん(5/19)、『DEEP BLUE』さん(5/19)、『MY thoughtのニュースとかピックアップページ』さん(5/19)、『あっ!とランダム』さん(5/20)、『b_o_dのニュース箱2』さん(5/19)、ネギプリの紹介ありがとうございました。「15話は危険」というご指摘もありましたが、「ちうのおリボン」はわりとお気に入りです(笑)。

 Zoroさん(腰、お大事に……)とこのトップ絵に、つちのこさんの絵。『魔弾の射手』の表紙絵とのこと、おおお美麗ですー。
 今度の日曜日、5月22日の『杜の奇跡7』C-12「Purple Sights Z」にて頒布予定、メイン内容はもちろんZoroさんのSS「魔弾の射手」。表紙絵でもお分かりのように、千影と春歌の妖しくも美しい物語です。詳しい内容は読んでのお楽しみ。参加される皆様、ぜひお手元にっ。
 なお、おまけとしてぼくの「『シスター・プリンセス』二次創作の可能性」なる新規コラムを載せていただいてます。短編考察といった塩梅で、シスプリ二次創作の基本要素を概括し、それに基づいてZoroさんの作品を解説してます。
2005年5月21日(土) よむよむ(下品)
 『Blue Manager』さん(5/20)、ネギプリの紹介ありがとうございました。「でも汚さがないんですよねぇ。」という評価は素直に嬉しいです。結末があったかい物語が好きなので。

 いま『ネギま!』原作を読み込んでるのですが、第3巻19時間目p.70。カモがネギとのどかに一芝居うったとき、カモがのどかをネギらぶ度で「現時点クラスNo.1」と断定するのですが、このとき描かれている表彰台にご注目。1位はのどか、2位はあやか、3位はまき絵、4位は木乃香、5位は明日菜。問題はその次の6位、木乃香の左隣にいる子です。髪型とリボンの具合からして、夕映ではないでしょうか。ネギ&バカレンジャーの図書館島探検があったとはいえ、既にこの時期にこの位置ですよ。なお、反対側の7位は、二人が並んでいるのだとすれば鳴滝姉妹ですね。これもさんぽ部のお話がありましたので納得できるところです。

 なぜ読み込んでるかと言えば、ぼくのいつもの行動をご存じの方なら容易に思い当たられることでしょう。

 こないだの少女調教事件についてのコラム。節度を知ること、世間からの視線を内面化することなど、だいたい同感です。

 そして同感しつつ下品話。IRCでの馬鹿な会話を一部抜粋。

<あんよ> 歯、だいじょぶですか
<しゅん> だいじょぶじゃない歯はもう僕から巣立ってゆきました
<あんよ> ひとりだちですか
<しゅん> うゆ。
<あんよ> ちんちんもやがて巣立っていきますか
<しゅん> みないつかは巣立っちゃうのです(えー
<あんよ> そして、世界の果てにあるちんちんの墓場に集結(えー
<しゅん> 脳内でえの素ライクな世界が展開中
<あんよ> 周囲をおええ鳥が飛び交ってます
<あんよ> ついばまれるちんちんたち
<しゅん> ギャアアア
<あんよ> ちんちんも身を守るために集団化
<あんよ> 黒いちんちん「ぼくが目になろう」(スイミー
<あんよ> 普通のちんちん「ちんちんには目はないにょ」(完
<しゅん> あんよさんはすごいなあ
<しゅん> |彡サッ
2005年5月22日(日) ついにネギま考察
 というわけで、『ネギま!』原作考察「『魔法先生ネギま!』にみる成長の相互性(前編) 〜ネギと生徒達の成長と問題〜」を掲載しました。後編は近日公開予定です。
2005年5月23日(月) ぴるぴる
 Taichiroさんいずみのさん水野さん『ネギのス』さん(5/23)、『カトゆー家断絶』さん(5/23)、『かーずSP』さん(5/23)、『御影の湯』さん(5/21)、『それさえも自虐的な日々』さん(5/23)、『ネギま魂日記』さん(5/23)、『CUTTING EDGE』さん(5/23)、『自由からの遁走』さん『しこたまツインテール』さん(5/23)、『気まぐれ日記』さん、考察などの紹介ありがとうございました。
 この考察の視点は、いずみのさんの作品解釈視点に、(前にも日記に書いたとおり)ぼくのアニプリ考察視点とを結びつけたものです。兄も妹も相互関係の中でともに成長する、というアニプリ視点を、ネギも少女達も相互関係の中でともに成長する、というネギま視点へとずらし、航よりも少年漫画的に成長するネギを中心に論じてみようとしています。いわば、アニプリ解釈視点の応用を試みているわけです。これがうまく落着するかどうかは、後編をお待ち下さいませ。

 Taichiroさんからは95話分更新。ネタを使っていただき感謝です、少しでも恩返しになればと。

 Zoroさん、お疲れさまでしたー。そして回復祈願。むむむー。
 最近ネギまに没頭してますが、シスプリもまだまだこれからなのですよ。

 馬鹿話。

らむだ「いや、広島vs楽天がえらいことに……。」
美 森「シリーズ通して一方的だったな。」
らむだ「お互いアレゲなチームなればこそ、楽天が大虐殺されっぱなしの展開に涙ですよ。」
美 森「まあ楽天だからしょうがないだろ。」
らむだ「しかも、どっちもユニフォームが赤いわけですよ。TV場面が真っ赤なうえに、
    出てくる投手がみんな打たれまくり血しぶきあげてもう一面の血みどろ。
    この広島楽天戦を、『ドクロちゃん』シリーズと名付けたいくらいに。」
美 森「撲殺選手か(笑)」

 でもそれって、ぼくのあいなの。
2005年5月24日(火) ぴるぴ
 『CROSS WING DIARY』さん(5/24)、考察の紹介ありがとうございました。

 こちらはご紹介遅れてました、黒鮫さんリピュアキャラクターズ全BGM使用場面一覧。注釈も含めて、今回もまたお見事です。

 のどかと夕映のお互いへの想いについて、おがわさんの想像。ああー。こういう考えは浮かばなかったです。で、改めてこのへん考えると、夕映はこれからのどかっぽくなるチャンスがあって(本人はそう思ってないけど)、ハルナこそのどかに強烈な「諦めのコンプレックス」を抱いていないか、とか。

 馬鹿話。

らむだ「子供の頃は、年2回の墓参りの帰りに食べる中華料理が一番の御馳走だったねえ。」
美 森「御馳走という感覚自体が、最近は薄いかもな。」
らむだ「ぼくの場合、ビッグマックも御馳走だったけど。」
美 森「帝国ホテルのバイキングはどうだ。」
らむだ「あれは紛うかたなき御馳走だよ! お腹も懐もびっくりだったよ!
    あんなの食べたらもう、罰が当たるね。」
美 森「美味いもの食べるのは罰当たりか。それも最近ない感覚だな。」
らむだ「おかげで電話が止まったよ。」
美 森「またかね。何とかしろ。」
らむだ「そんなに怒鳴らなくても。ぼくだってもう飽きたよ。」
美 森「書いとけ。」
2005年5月25日(水) 今週のネギまんが
 今週の『ネギま!』。ついに雑誌買ってしまった。マガジン買うの、たぶん生まれて初めてです。以下ネタバレ含む。

 ネギvsタカミチ戦開始。タカミチも、やはりエヴァと同様に、ネギを通してナギを見ている。いつか彼らがネギ本人だけを見つめるようになったとしたら、そのときネギは、父がそこにいたはずの、人々から遠く離れた場所に立ってしまうかもしれない。そのとき、そばに明日菜はいてくれるのだろうか。ぼくが念頭に置いているのは、ワッハマンだったりダイだったりします。
 タカミチにぶつかる前、ごちゃごちゃ考えるネギの脳裏に、対フェイト戦のときのエヴァの言葉までが蘇る。彼を囲む皆がくれた言葉が、ネギを素直な自分に立ち戻らせる。レオナの「ぶんなぐっちゃえー!」ですねこれ。ただし注意すべきことは、これらの言葉の中に、明日菜の声がまだ混じっていないことです。当たり前です、明日菜自身がどちらを応援するか迷ってるわけだから。その声が届く瞬間が来たら、そしてサギタ・マギカの新たな使い方をネギが編み出せたら、もう今回は負けてもいいかも(えー)。今回の戦いは明日菜にとっては、77時間目でぶかぶかの服の中から明日菜を「好き」と言っていたネギが、その服に見合う成長を遂げていくのをおそれ半ばに見守る場面です。まき絵は今回いないけど、タオルを投げ込まずに頑張って見守れ明日菜。
 最後のエヴァの独白で思い出したのは、こないだ読んだコマンドマガジン誌にあった、防御は計算的合理性だが攻撃は確率へ投企する勇気だ、とかいった内容の文章です。

 で、萌えポイント。
 アーニャの「もう」に転げまくり。ネギってばお父さんのことになるとすぐ夢中になっちゃうんだから(このあたしをほったらかしにして。)。
 千雨の、自分の体を腕で抱きかかえている姿。ネギの登場に緊張しまくり不安漏れまくり。プルプル。しかもそんな自分に気づいてない。
 茶々丸の「あ あの…」という焦り。今まで冷静だったのに。

 ところで、高音と愛衣のペアですが。この二人、木乃香と刹那の関係に影響与えていきますかね。

 追記。
 ハルナに「そんなに強いの?ネギ君」と訊かれて、「うん」と答えるのどかの声の嬉しそうな力の入れようたるや。
2005年5月26日(木) サイトの空気
 ネット上での実名・匿名論議に関するリンク集と一つの「現実解」
 要するに、お互いが納得できるようなマナー・モラルを構築できるか、それともルール・システムで縛らないといけないのか、という話ですか。それって、どちらとも折り合いを付けるしかないのでは。匿名コメントの圧力に耐えられなければコメント欄を閉じるなどすればいいし、恐くなければ開放すればいいし。自分の語りあう力に応じて、相手との距離をとればいい。あとは、誰かの個人情報を漏らすなどした匿名加害者がきちんと訴えられて、きちんと実名などの個人情報を晒されるという実例が生じれば、抑止力としては一応いいかと。

 自分に即して考えると、例えばコメント欄つきの日記やブログに移行しようなんて思わない。現状で満足してるし、手続きも面倒だし、何より読者からのコメントに十分応じられる自信がないから。「そんなにコメント来ないだろ」という話もありますが。日記から掲示板にいちいち移らないと意見を伝えられないというのは、うちのサイトの面倒臭さであり、またそこに手間をおくことで、敷居を高くしているわけです。(mixiでは、日記の直下にコメントが付けられるため、その敷居の低さにあらためて驚いています。よそ様のとこにちょいちょいコメントしたくなるのです。)
 で、現状として。うちのサイトでは匿名・ハンドルネームで掲示板書き込みもメールも受け付けてるし、自分もそうしてる。「くるぶしあんよ」という名前で書いた文章には、自分の言葉としての責任感と誇りをそれなりにもってるし、たとえ実名でなくても誰かから鋭い批判を受ければ、そこは反省するしかないと思う。感情では腹が立っても、それを抑制する理性がちょっぴりあるわけだし、以前やらかした失敗経験はまだ忘れたわけじゃないから。
 あと、罵詈雑言を投げつけながら「このメールは公開するな」と命令するという攻撃を一度だけくらったけど、あれは例外にして論外。ぼくも日記でぼくなりに対応しましたが、その後しばらく相手と同じことをしそうになったり、ウォッチャーになったりと、感情を抑えにくい状態が続きました。荒らしなどの被害を受けた人に必要なのは、その「理不尽な被害を受けたまま」という痛みを語ることができるような、そして荒らしが入れないようなID入力必須の掲示板を、どこかに用意しておくことでしょう。語りたくてサイトやブログを開いた人が、語れなくなるというのは、部分的には自己責任だといってもなかなか辛いはずです。

 これは傲慢かもしれないけど、ぼくの名前のついた文章に、読者の方々はいくつかの期待を抱かれると思う。シスプリなど特定作品についての長文考察。その他の作品についての情緒的反応。「萌え」についての駄々漏れな言説や脳内家族。電話停止の定期報告。それらは、オタ趣味人としてのぼくのスタンスへの信頼と、大人としてのぼくのありようへの不信感をないまぜに含んでいる。前にシスプリサイト管理人のイメージでわりとラスボスっぽいキャラをあてがわれたときは、考察者としての堅めな態度を主に取り上げられたのだろうし、考察と日記とで別人みたいと言われるときは、両極を感じていただけてるのだろう。なお、『萌え文集』の仲間達には、立派な変態として認められてます。わーい。
 で、そういった期待を裏切ることもあるけれど、わりと自然なつもりの自分像を受け入れて下さってる方々に、「次はこんなのどう?」と楽しくお返ししたい気持ちはいつもある。でもそれは専ら、直接的なコメントのやりとりとかじゃなくて、考察やパロディコンテンツなどを通してのもの。サイト管理者としては、たぶん冷たい態度な方だと思う。だけど、もともと余力のないぼくとしては、読者を喜ばせる努力を、新たなコンテンツにまとめて注ぎ込みたいわけですよ。それでようやく作りあげられたものを、読者に「まあ、あんよだからなぁ」と苦笑しつつも喜んでもらえれば、次へのやる気がゆんゆん出てくるという、だいたいいつもそんな感じです。だから感想(意見含む)や紹介リンクはとても嬉しいのです。こないだのネギプリ完成版なんて、元ネタ日記への水野さんの感想で舞い上がり、「やたウケた。このさいきっちり書くか」と決めたわけだし。
 ただ最近、読者に甘えた態度はそのままながら、またも感謝の念がやや薄れてきておりまして、今回を機に反省。

 そいえば「コメントラッシュ」とかでコメント欄が荒れてブログ閉鎖という流れが少なくないようで。昔のテキストサイト界だと、「ネガティブアクセス剛掌波」という言葉もありました、懐かしの『斬鉄剣』。大手サイトがどこかに批判リンクを張ると、信奉者がそっちの掲示板などへ雪崩れ込んで荒らしまくる、そういう攻撃命令技のことです。
 今でも一部ニュースサイトによる晒し目的のリンクは効果的でしょうし、「大手サイトへの批判はしにくい」という中小サイト側の遠慮もあるでしょう。実際ぼくにもあります。たまに批判しても、穏当に無視されたり。日記とかで大人失格なこと書いてるので、理屈を述べるときにも一人前扱いされないのかしら。これはこれで情けないですが、逆に自分が批判されるときには一つの逃げ道になるでしょうか。例えば論理vs論理で自分の言動の非を認めねばならなくなったとき、「ごめんなさい、ぱんつがあったらかぶりたい」とか書けば、それ以上のまともな批判を浴びずにすむかもしれません。ただしこの場合、それ以外の読者まで失う可能性もありますが。肉を守って骨を断たれる。

 などと書いているうちに、思い出したダイジェスト集『1日6hotだけど…』。テキストサイト界の一部が過激な戦争状態だったり厳格な序列制度だったりしてた一方で、こういった弱小サイト同士の誠実さや幸福も各所に見られるんですよ(2chスレだけど)。ここを読むと、サイト・ブログ初心者は同じ場所からの助言を受けられた気分になると思いますし、ぼくは初心に返る思いがします。でもあれかな、ブログは相互のやりとりが簡単だしカウンタも置いてなかったりするから、この気分は伝わらないかな。
2005年5月27日(金) 中編あっぷ
 『ちゃんぽん道楽』さん(5/25)、考察の紹介ありがとうございました。

 というわけで、「『魔法先生ネギま!』にみる成長の相互性(中編) 〜少女の魔法と日常の引力〜」を掲載しました。結局、後編1本にまとまらず、今回はのどか(とハルナ・夕映)のみ。後編で明日菜(と木乃香・刹那)を取り上げる所存です。
2005年5月28日(土) ない胸は揺れない
 『へたれラボラトリー』さん(5/23)、『えるめるDiary』さん(5/24)、『ネギのス』さん(5/27)、水野さん5/27)、『カトゆー家断絶』さん(5/28)、『かーずSP』さん(5/28)、『K's Station』さん(5/28一言)、考察の紹介ありがとうございました。
 反応というのは、ほんと嬉しいですね。

 『ネギま!で遊ぶ』更新。Taichiroさんが不在のため、いずみの御大が登場(どーん)。「わずかな勇気」の話など、さすが。そしてちょっぴり悔しい。mixiでも勝手に宿敵(とも)認定してるのですが、要するに、こういう先達に立ち向かって考察するのは、とてもしんどいし、とても楽しいのですよ。胸を借りてる気分。タカミチに向かってくネギ、と喩えるとちょっと言い過ぎで、ちづ姉に対抗する鳴滝姉妹というか。局部的に。

 馬鹿話。

らむだ「『セラフィムコール』観させてもらってるんだが、なかなか凄い。」
美 森「あれが電撃G'sアニメの原点だからなあ。」
らむだ「しかし、このシリーズが1話1キャラ方式だったから、
    次のアニプリは変えようということで共同生活設定になったのかもしれない。
    だとすると、もしセラフィムがアニプリ方式だったら、
    アニプリはリピュアBパートのキャラコレ方式になってたのかも。」
美 森「そういう可能性もあるか。」
らむだ「だったらぼくはアニプリにはまらなかったかもしれないわけで。
    ほら、雑誌連載に興味を持たなかったくらいだから。」
美 森「そこで運命が変わってたわけだな。」
らむだ「そう。アニプリ考察も書いてなかっただろう。」
美 森「そうなるな。」
らむだ「だからぼくのサイトも全然違ったものになってるはず。
    例えば、えろげの感想がいっぱい並んでるような。」
美 森「それ大差ないから。」

 選べるエートスがどれも似たり寄ったりです、ウェーバー先生。
2005年5月29日(日) むねまわり
 種運命のシンってあれか、ゼータでいうところのジェリドなのか。

 『赤の7号』さん(5/25)にて、「『未』という字は、『木に新芽が生えた様子』を表す」とのお話。ところで、その意味は別の漢字でも示されrところのものではないでしょうか。それすなわち「萌す(きざす)」。ということは、「女未」とは、「女萌」と置き換えてもいいのですね。
 ちなみに「兄」は「『ロ』リの『人』」。

 デンセンさん日記を読んで、つい妄想。

千 影「…………亞里亞くん…………胸が、あたっているんだが…………」
亞里亞「あててるのー。」
千 影「…………あ、亞里亞くん…………」
亞里亞「ふわふわー?」(くすくす)

 氷室さん拍手コメント欄で、春歌のバスト88なる定説が論じられてますが。これって、88mm対空砲とか、そのへんからの連想でしたっけ。通称の「アハトアハト」も、ちょっと色っぽい響きに。弾着音は「ポッ」。
2005年5月30日(月) 悲劇ノシ
 よつばねぎさん(5/29)、『自由からの遁走』さん『コレデモクラエ』さん(5/30)、考察の紹介ありがとうございました。

 うわー、ご快復をお祈りいたします……。

 今木さんが以前触れてたスタイナーの『悲劇の死』を読み終え、何となく悲劇マイブーム。久々にギリシャ悲劇がおもろいです。
 エウリピデス『ヘラクレス』(ちくま文庫)より、あちこち引用。

コロス「父親がわが子に手を下したその悲惨な禍いは、いかにして起ったのだ。話してくれ。(……)」

使 者「(……)だが父親はゴルゴンのような無慈悲な眼を回しながら、弓を引くには
    近すぎると見るや、鍛冶屋が槌を振り上げるように棍棒を頭上にかざして、
    わが子の金髪の頭に打ちつけ、砕いてしまった。(……)」

ヘラクレス「おお、なんでこの命を惜しむことがあろう。われとわが手で愛しい子供達を殺した私が。(……)」

テセウス「何をしようとするのか。猛り狂う心に導かれてどこへ行く。」

ヘラクレス「何人も私を助けることはできぬ。世はヘラの思うままなのだ。」

   「ぴぴるぴるぴるぴぴるぴ〜♪」

 いや、射殺された妻子は帰ってこないんですが。
2005年5月31日(火) 電話復旧
 停止から2週間がんばりました。

 Zoroさん(5/29)、考察の紹介ありがとうございました。そして……たぶん腰ですか、お大事に……(6/1)。

 「インターネット上で自分の見解を不特定多数人に宛てて公開するにあたっては、現実社会での人格とのトレーサビリティを一定程度以上維持しなければならない」とする法制度について肯定的に論じていた小倉秀夫弁護士のとこで、「あえて匿名法律家」と名乗る方がコメント欄に参戦。おそらく法律の専門家である立場から、小倉弁護士(とその賛同者)をばっさり切り捨ててしまいました。皮肉もなく非難もなく、ただひたすら法とその精神と人間の具体的生を手がかりにして。感動。
 しかしこれって、法律の専門家の主張が別の専門家によって批判されるという、裁判の場面でしか見る機会のなさそうなものを、ウェブ上でぼくのような素人にも見せてしまっているわけで。ある分野の専門家が別の分野にちょっかいだしてその分野に詳しい一般人に叩かれる、というのとは明らかに違うインパクト。「公(Publicum)」の範囲をどこまでと定めるのかにもよりますけど、世間にそれなりの影響を残す出来事のような気がします。評判法ってこういうとき使う言葉だったっけ。「法律家」の名誉回復までも果たしてるところがまたお見事でした。

 歌。

「そして ハリコフ ザポロジェ 下流地帯(大事な資源が減ってるし ハァ)
 ナチスの国に平和はいつ来るの (それって必敗必敗じゃん)
 キャパが上陸した浜辺 驚きも大きい
 被害がふくらんでいく そんな気がするOKH (豚だけ強気だね)」

 うーん、うまく作れない。あと、

「めげない SS Panzer vor !(Tomie Tomie Amie Amie Injury MIA! )」だの、
「国体護持って 大事な講和 後回しって意味ないじゃん」だの。

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