『魔法先生ネギま!』にみる成長の相互性(中編)

〜少女の魔法と日常の引力〜

はじめに 〜問題の確認〜

 いずみの氏『リクィド・ファイア』内「赤松健論「ネギま!編」論考での提起に従って、『ネギま!』を「少年漫画」としてとらえようとするさい、主人公ネギという少年の成長なみならず、少女達の成長という視点からも理解することは可能だろうか。もしこれが可能であり、そして少年の成長と少女達の成長に相互関係が見いだされるならば、「萌え漫画」というレッテルに伴う登場人物の少女達の記号性・道具性を払拭して、登場人物全体の協働的な成長を描く作品として『ネギま!』をとらえることができるのではないだろうか。このように「少年漫画」の性質をより拡大するための作業として、論者は『ネギま!』に描かれる各人の成長過程を具体的に検討することにした。その第一歩として、前編では、ネギの少年としての成長とその目的、そしてそこに潜む問題について考察した。これらの要点に対しては、ネギが教鞭を執るクラスの少女達(生徒達)が全体として深く関わりを持っていることも明らかとなったが、ネギと少女達との相互関係については十分検討することができず、比較的一方向の影響関係についてのみ強調するにとどまった。
 この前編での結果と課題を踏まえて、本論では、ネギに最も親密な少女である明日菜とのどかの中から後者を取り上げ、95時間目までの段階で、のどかの個性と成長過程がネギからのいかなる影響に基づいているか、また逆にネギがのどかからどのような影響を受けて成長しているかを検討する。そのさい、のどかの親友であるハルナと夕映についても、各人の成長が相互影響の観点から論じられることになるだろう。


1.恋による成長過程

(1)のどかの恋とネギ像

 ネギがバトルパートで大きく成長するように、少女達は学園コメディパートで重要な成長の機会を得る。先に見てきたように、それは恋愛を媒介としてであり、ネギの「大目的」が作品の中心的主題であって当然な一方、少女達はそれぞれの「大目的」として恋愛成就を目指す。これをネギの間近で示すのが、のどかである。のどかはネギの過去を知ることで、ネギの「大目的」に関与する立場に立てた。しかし、それは彼女をバトルパートに引き込む(つまり一面においてネギの戦闘手段にしてしまう)ことには結びついていない。修学旅行での対小太郎戦での支援参加を除けば、のどかは他の戦闘の一切にほとんど積極的には関与していないのだ。これは、仮契約以前に獲得していた彼女自身の「大目的」であるネギとの恋愛成就が不動のままにあり、そのための努力を通じて成長していることと、強く関連している。
 のどかの恋心は、ネギの着任当日、階段から転落しそうになったところをネギに助けてもらったことに始まる。その後の歓迎会で、のどかはネギにたどたどしくお礼を言いながら図書券を渡す(1時間目)。翌日、のどかは髪型を少し変え、ハルナと夕映に後押しされて、ネギに質問しにやってくる。ネギの褒め言葉に照れてしまったのどかはここでは逃げ出すが、その後、惚れ薬の影響下にあるネギと二人っきりになり、ネギにキスを迫ってしまう(2時間目)。ここでネギはあくまでも「先生と生徒がこういうことしちゃいけない」と抵抗するものの、名簿に「すごくカワイイ」と書き込むに至っている。この段階で既に、ネギとのどかは教師ー生徒関係の範囲内で、比較的親密な間柄に立っていると言える。
 エヴァシリーズでは、カモの計略でネギとの仮契約(キス)を強制されそうになるが未遂で終わる。しかし、授業中のネギの「パートナー」についての質問に、必死になってOKと答えようとするなど、気弱で純真な彼女なりに頑張っていることがうかがえる。そして修学旅行では、ネギを自由行動に誘うために、宿泊部屋で練習までしている。悪く言えばカマトトな彼女が嫌みに受け取られにくいとすれば、それはハルナと夕映の親友らしいおせっかいが好ましいことと、のどか本人のこの健気さとによるものだろう。
 そんな彼女が修学旅行中、まだネギの正体を知らない時点で彼をどのように理解していたのかは、次の台詞に端的に示されている(33時間目)。

のどか「普段はみんなが言うように子供っぽくてカワイイんですけど…
     時々私たちより年上なんじゃないかなーって思うくらい 頼りがいのある大人びた顔をするんですー」
    「それは多分ネギ先生が私たちにはない目標を持ってて…それを目指していつも前を見てるからだと思います」
    「本当は遠くから眺めてるだけで満足なんです それだけで私 勇気をもらえるから」

 そう語るのどかの瞳は、青空を映して澄みきっている。このネギ像は、前編第2章で確認したまき絵のものとさほど違いがないかに見える。だが、まき絵が修学旅行後のネギに大人びた面を感じ、直接ネギの目的・意志を訊くことでそれを確信したのに対して、のどかは修学旅行以前の段階で、既にネギの力と、その内面に隠された何かに気づいていた。それは、のどかが自らの中にないものをずっと自覚し悩んで生きてきたからこそ、それを持っていたネギの素晴らしさを看取しやすかったということなのかもしれない。やがてネギの過去を知った後にも、のどかはネギに訥々と語る(85時間目)。

のどか「私 ホントにトロくてドジで引っ込み思案なんですけど…
     先生が来てから色んなことにがんばれるようになりました ネギ先生のおかげだと思います」

 魔法の世界と全く無縁な日常生活の中で、のどかは自分の性格の短所に思い悩んできたことが、このたった一言からうかがえる。そして、その突破口を与えてくれたのが、ネギという一人の「先生(せんせー)」であり、彼への自分の恋心だった。ここでネギは明らかに、魔法世界とは関係なく、のどかにとっての尊敬する人間であり、憧れの教師であり、恋の相手となっている。あるいはこう言ってもいいだろう、のどかにとっては、ネギと出会えたことこそが、日常と自分を変える「魔法」にほかならなかった、と。この学園祭でのデートにて、のどかは頑張って「お姉さん」であろうと努力するが、それは、「子供だけど紳士的」なネギを見下すことではない。教師であり魔法使いであり10歳の少年でもあるネギをありのままに受けいれ、その彼に相応しい年齢相応の女性に、ありのままの自分を高めようとしているのである。この、ありのままのネギを受容し、そこへ自分を引き上げようとする態度こそ、のどかの長所であり個性的成長の過程といっていい。刹那に「恐い人だと思ってましたけど…」と先入観を素直に修正し、自分の話を聞いただけの明日菜にもお礼が言えるのどかの純粋さが、ネギをも教師・魔法使いの分け隔てなく丸ごと優しく包み続ける。

(2)女のタタカイ

 いや、包みこむ前にやるべきことがある。何よりのどかはネギと相思相愛になりたいのだ。修学旅行に話を戻すと、そこでのどかは何度も失敗しながらついにネギに告白している(33時間目)。

のどか「私 ネギ先生のこと 出会った日からずっと好きでした 私…私 ネギ先生のこと大好きです!!」

 さらに「私の気持ちを知ってもらいたかった」と告げた後、さすがに逃げ出したこの場面を経て、やがてのどかは偶然とはいえネギとキスもでき、学園祭では再び告白したうえ、さらに今度は自分から進んでキスまでする。のどかの成長(主体性や勇気の獲得)は、懸命に勇気をふりしぼる恋愛行動によって、主に学園コメディパートの中で描かれる。例えばクラスの仲間達がネギをめぐって騒いでいるとき、最初の頃のどかは中心に入れず、集団からやや離れた位置にいることが多かった。のどかがネギ争奪戦の参加者として(ハルナと夕映を除く)級友達にしばらく認識されていなかったことは、旅行直前の27時間目で、ネギと木乃香の関係を疑ったチア3人衆が、明日菜に電話しあやかに気を使いこそすれ、のどかのことが全く念頭に昇っていないことに読みとれる。しかし、修学旅行の自由行動をネギに「一緒に」と誘うとき、のどかはあやかやまき絵たちと堂々はりあい、級友から「本屋ちゃん動いた!」「本屋が勝った!」などと好意的に驚かれ、ようやく皆に争奪戦参加者として認められた(33時間目)。さらに告白とキス後の時期に入ると完全にネギ恋少女として公認され、また本人もかしまし集団の輪の中にぎりぎり入るほどに頑張って身を進めようとしている(55時間目)。このへんにも日常的な前向きさの現れと、それがクラスに受けいれられていく過程が見て取れるだろう。ここに、のどかの日常生活面での成長が確認できる。
 一方、もともと学年21位と頭脳明晰な彼女にとって、あのアーティファクト本をどう使うかの工夫は、ドッジボール対決での厳格なルール適用同様、能力の成長のうちに入らない。しかし、それらは「ワタシも何かできること…」(6時間目)「なな何か私にできることはー」(41時間目)という、ネギのために役に立ちたいという彼女の意志の成長をやはり証しだてている。のどかの成長は、バトルパートでは、意志の成長の成果を確認するかたちで示される。
 もちろんのどかの告白は、修学旅行というバトルパートの中でなされたものであるという反論もあるだろう。だが、修学旅行はネギにとってはバトルパートだが、のどか達にとっては本来「学園コメディパート」である。とくにあの告白場面には、バトルのにおいは全く感じられない。いや、「全く」というのは言い過ぎだろうか。のどかを初めとする少女達にとっては、まさに恋愛こそが真のバトル、<女の「タタカイ」>にほかならないからだ。実際に、まき絵やあやかは、学園コメディパートでネギを奪い合ってしばしば争い、のどかもそれに今のところ勝ち続けてきている。
 さらにのどかは告白以降、恋敵に対する意識を持つに至った。「ネギ先生との初キキキキスの証」と大喜びする仮契約カードを、明日菜も持っていることを知ったとき、のどかは(私だけじゃないんだー…)とややがっかりしている。そして、アーティファクトを発現させた後、ネギと明日菜の後を追いかけるのも、ネギと明日菜の関係を気にするのどかの心情そのものである(38-39時間目)。それゆえ、ネギの正体を知ったとき、のどかが「何だかドキドキ」したのは、「図書館の本の中だけの話だと思って」いた魔法が現実にあったという興奮のみならず、ネギと明日菜がいる場所に自分も入れたという安堵感にも由来していた(42-43時間目)。また、ボーリング場では古菲に対して(もしホントだったら私どうしようー)と悩み(55時間目)、エヴァには明日菜に「色々と先を越されてしまうかも知れんぞ」と催眠術をかけられて服従し(65時間目)、そして学園祭では自らネギに、明日菜のことを尋ねるに至る(85時間目)。

のどか「誰かと一緒にいるととっても胸がドキドキしたりとか… そういうコトはありませんか?」
     「例えば…アスナさんといる時とか…」

 ついにのどかの警戒アンテナ(アホ毛)が、明日菜を自覚的にとらえた瞬間である。ここで、65時間目の催眠術のさいに、エヴァが「ぼーやの姉貴面した神楽坂明日菜」と表現していることに注意しよう(「姉貴面」には傍点までついている)。エヴァがそのような暗示をかけたというのが問題なのではなく、その言葉によってのどかが不安をかき立てられてアーティファクトを使うに至ったということが、今は問題となる。そして、ネギの過去を知った後では、「姉貴面」という言葉は、明日菜が日頃ネギの姉のように振る舞っているということに加えて、故郷の姉貴分だったネカネに「面」が似ていること、その姉貴分達についての記憶をネギが「姉貴面」の明日菜とだけ分かち合おうとしていたことなど、いくつもの意味が込められた言葉として受けとめ直される。そのような存在である明日菜への対抗意識が、(その明日菜に「大人のキス」失言を打ち明けていることから)たとえほとんど気がついていないまでも心中に抱かれたことで、のどかは学園祭デートで「お姉さんっぽさ」を醸し出そうと悪戦苦闘するのだ。

のどか(今のはちょっとお姉さんぽかったかもー キャー(はぁと))

 おわびの代わりにとキスを頂戴して駆け去った学園祭デートの終わり(85時間目)、ここにのどかは、「姉貴」たる明日菜に対して、「お姉さん」としてタタカイを挑んでいるのだった。そう考えればこの前の場面、明日菜とのどかがネギのディープキスの犠牲になるとお互い言い張っていた姿は、このタタカイが両者の間できわめてコミカルに実現した最初の光景である。この勝負がやがて両者の間にいかなる葛藤をもたらすのか、それはまだ分からない。だが、それ以前にのどかは、既に別のタタカイに(それと知らずに)巻き込まれてもいる。


2.親友達 〜ハルナと夕映〜

(1)親友との相互関係

 のどかが勇気をふるうとき、その背後には必ずハルナと夕映の姿がある。というより、若干の例外を除けば、この親友両名が積極的に煽ることで、のどかはやっとの思いで勇気を鼓舞していると言った方が正しい。この親友達がのどかに行うお節介は、本作品の学園コメディパートにおける恋愛面での展開を支える屋台骨である。
 彼女達の支援は、ネギ着任日から開始されている。のどかがネギにお礼の図書券を渡しているとき、その向こうで夕映が驚いており、また直前の教室風景(p.58)ではのどか・ハルナ・夕映がバラバラにいることから、このあたりではまだ夕映とハルナはのどかから相談を受けていない。だが2ページ後には、親友両名はネギに乾杯をしに近づいて彼を間近でチェックし、さらにハルナはのどかのために早くもネギのスケッチを描いてくれている(p.59)。この間、三人の姿が一度も描かれていないことから、おそらくそこで二人がのどかから初めて事情を聞き出しているものと思われる。図書券を渡すなどという主体的行動を級友の面前で示すなどというのは、それまでののどかを知る両名にとってはとても考えられない大胆な振る舞いだったに違いない。それゆえ両名はのどかに詳細を尋ね、ならば一肌脱いでやろう、という話になったのだろう。(しかし、その直後のネギをめぐる明日菜とあやかの騒動には三人は顔を出していない。おそらく、スケッチ絵で満ち足りてしまったのどかをハルナが嘘ビンタもまじえて説教していたのだ。)

(2)ハルナ

 この親友達のうち、恋愛面での指南役を主に務めるのはハルナである。基本的にさばけた性格で、ネギの正体を知らないまま、ありとあらゆる場面でのどかの背中を押し、危機感を煽り、より積極的な行動へと駆り立てる。その攻撃的なハッパのかけ方は、ほんの一歩に満足しがちなのどかの勇気を、必要以上に発揮させている。例えば、親友の手を借りずにのどかが自分からネギに修学旅行の自由行動を誘ったとき、ハルナは「見直したよ あんたにあんな勇気があったなんて!!」と歓喜する。だが、のどかがそれで満足しきっているのを見て、ハルナは「告るのよ」と次の段階へと無理矢理に進ませる(33時間目)。のどか自身も結局は「でも今日は自分の気持ちを伝えてみようって思って…」と決意してはいるのだが、それもこの親友の激しいお節介を内面化しているようなものなのかもしれない。
 ただし、このハルナのさらに凄いところは、のどかを焚きつけるために全力を注ぐ一方、ネギの感情に対する直接アプローチはほとんどしないという点である(2時間目で失敗しているということもある)。ハルナの干渉は、あくまでものどかのための環境作り(33時間目のネギ人形も含む)に徹しており、障害物排除などの間接的な支援行動が非常に多い。もともと漫画描きという趣味からして、当事者達を支援的第三者の視点から見守り、そしてある程度のストーリーを定めておいてやることに馴染んでいるのかもしれない(クラスの悪ノリ連中の一人でもある)。また、これに関連して、ラブ臭への鋭敏な感覚がある。一方で早とちりもあるなど「パル情報は怪しい」とも言われるが(55時間目)、恋愛感情を察知する力は全体としてかなり鋭い。その感覚は、ネギと明日菜にも正しく向けられる。

ハルナ「……ねえアスナちょっと聞いていい?」
     「…あんたネギ先生とつきあってないよねぇ?」

 明日菜にこう尋ねた最初の級友であるハルナは(38時間目)、のどかが後ろに離れているのを知って、あえてここで確認をとっているわけだ。これはハルナがネギと明日菜の間にある秘密、つまり魔法のことを全く知らないため、親密そうな内緒話を恋愛の視点でとらえるしかなかった、ということでもある。その後も彼女は明日菜を「怪しいリストの上位」に置き続けている(83時間目)のだが、もし明日菜がのどかの恋敵になったなら、ハルナは一体どのように対処するのだろうか。ただ、彼女にとってより重大な問題になるはずなのは、親友が二人とも関わる三角関係である。

(3)夕映

 その一翼を担う夕映は、ハルナと三人でいるときには主導権をハルナに委ねているが、のどかと二人だけのときはハルナ並の強引さを見せてきた。それだけ、のどかのことが好きなのだ。きわめて知性的に振る舞う彼女の根底には、こののどかへの好意と友情という強い感情があることを忘れてはならない。ところが、その夕映がネギへの恋心を自覚してしまったのは、皮肉なことにこののどかへの支援を通じてのことなのだ。最初の好意の芽生えは、図書館島探索で足をくじいた夕映をネギがおぶっていこうとしたことにあるかもしれず(10時間目)、その結果、19時間目の時点で早くもネギへの好意度第6位にいる。だが、その好意を夕映自身は恋愛感情としては理解していなかった。本人が「男の人」嫌いであることに加え、ネギがのどかにとって相応しい人かどうかをまず問題ととらえていたからだ。だからそれは、ネギを「私の知る中でも最もマトモな部類に入る男性です」と評価したとき、「絶対勝ってのどかにキスさせてあげます」という支援の意志に結実するだけのはずだった。
 ところが、偽ネギにキスを迫られたことで、夕映は唐突に、支援者という傍観者の立場から当事者の立場に追い込まれる。ここでの彼女の焦り具合は、その知性が全く有効活用できないことにも関わっている。彼女の豊かな知識や機転は他者のために活かされるが、彼女自身のためには全く活かされないのだ。その結果、夕映は自分のふがいなさへの反省とのどかへの罪悪感を抱き始める。それはひとまず、のどかにネギとキスさせてあげる手伝いをすることで一時的に解消された(36-37時間目)。だが、偽ネギの一件やシネマ村での騒ぎを冷静に批判し、フェイトの攻撃に対処する中で楓達の戦いを目の当たりにして、夕映は魔法というものの存在を感知し(49時間目)、のどかに確認して裏を取り、地図の調査を請け負いながらネギとの取引に勝利して真実をものにし(59時間目)、ついに魔法使いになることを志す(62時間目)。ハルナがどこまでも学園コメディパートに身をおき続けるのに対して、夕映はこうして、バトルパートにも踏み込んでいく。それは、学校的知識をかえりみずに図書館探検や哲学その他の教養に関心を持つ夕映ならではの、知的好奇心に突き動かされた行動だともとらえられる。また、そのさい必ずのどかと一緒であることから、この親友のための支援の一環とも見えなくもない。しかしこれは、のどかのネギへの恋を媒介として、魔法という謎に接近しようという行為でもある。ここで夕映は、のどかの支援者という親友の手段としての役割とともに、自分の知的好奇心を満たすという目的と主体性を、ネギとの関係の中に獲得したのだ。
 しかもこれが知的な目的という姿をまとうことで、より根本的な夕映の目的は本人にさえ隠蔽されていた。やがて学園祭で露見するように、これは夕映がネギ当人に接近するための手段でもあったのである(87時間目)。この時点での夕映のネギ好感度はもはや第3位という高さ、しかも彼女は、ハルナと同様にのどかの恋愛の支援的第三者のつもりでいながら、また古菲たちと同様に心身の成熟度のずれが非常に大きい少女だった。肉体的な未成熟と理知的な成熟とのずれもだが、ネギへの恋愛感情を自覚する直前の場面で、小太郎を批判した自分の振る舞いを大人気持ないと恥じ入っているところに、知性と感情のずれが巧みに描かれている。このずれがネギへの恋愛感情を喚起しやすい要因になっていることは、前編第2章で既に述べた。そのずれが夕映の場合、知性偏重というかたちをとっているために、彼女のここまでの過程は、大きな弧を描くこととなった。つまり、友情という感情に基づく支援的・傍観者的段階から、恋愛という感情に基づく主体的・当事者的段階へと直線的に移行するのではなく、それらの間に、魔法への関心という知性に基づく主体的・当事者的段階という迂回路が必要だったのだ。
 それゆえ、夕映がネギと二人きりで遊覧船に乗る場面で、未だその恋愛者としての主体性を獲得していない夕映は、ネギと何を話していいか分からない。のどかについては支援者としてデートの結果まで心配できるが、自分とネギとの関係を当事者としてとらえる視点をそもそも持っていないのだ。そこで夕映は、(のどかはあんなに話せているのに…)と独白する。のどかと自分を比較してしまう視点を垣間見せながら、夕映が思いついた話題は、魔法の練習の成果だった。知的関心の水準での会話を試みているのである。だが、毎日3時間もの魔法の練習も何もかも、彼女自身がついに認めるように、「気づかないフリをしていた感情と抑えつけていた気持ち」のための手段にすぎない。そのことを彼女は、抑制されるべき感情が自分の言葉を支配してしまい、のどかの支援者で居続けようとする理性を内面の声に押し込んでしまったとき、その自己規律を喪失した自らに愕然として、ようやく受けいれるのである(87時間目)。

夕映 「『愛を知らぬ者が』『本当の強さを手にすることは永遠にないだろう』 恋愛をバカにしてはダメです」

 小太郎に説教したときのこの言葉は、他者への知性活用という点で、のどかへの暖かな忠告と何ら変わらない。だが、小太郎の言葉にこんなに感情的に噛みついたのも、のどかの恋心を揶揄されたからというだけでなく、夕映自身の意識されざる恋心をも否定されたと感じたからだ。二つの感情的水準への攻撃に、知性的水準をもって反撃するあたりも、じつに夕映らしい。しかし、確かに愛を知れば「本当の強さ」を獲得できるのかもしれないが、その「本当の強さ」が何なのかは、じつは彼女もいまだ知らない。それを知ったとき、果たしてその知識は彼女を幸福に導くのに間に合うのかどうかも分からない。ここで彼女の「夕映」という名前がじつに深い意味を持って浮かび上がる。ヘーゲルが言うとおり、ミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛ぶのだ。

 以上見てきたように、のどかの親友達のうち、ハルナは学園コメディパートの中でのどかを恋愛へと積極的に導くという、ネギにとっての戦いの指導者と似た支援的役割を果たしている。それゆえにハルナは、自らの成長をあまり示してはいない。これに対して夕映は、学園コメディパートの枠ものどかの支援者という限定も踏み越えて、ネギへの恋の当事者となってしまっている。そこには明らかな成長が、あるいは少なくとも、今まで知らなかった自分の発見がある。このように両者は、のどかの支援者としての立場を共有しながらも、それぞれの成長という面では大きな違いを示している。とはいえ、ハルナもまた夕映と同じく、親友の恋によって学園生活を大きく様変わりさせられたことは間違いない。そしてそれは、ネギが学園に着任したあの日、ネギのスケッチを描いてやったあの時から、既に始まっていた。のどかの恋が、ネギによって日常を変えられ自分を成長させられていくという「魔法」であるとするならば、やはり親友達もまた、のどかを通してその「魔法」にかかっていたのであり、今ものどかの成長とともに、日々その魔法をより複雑なものに育んでいるのである。


3.ネギへの影響とその問題

(1)日常の中でのネギの発見

 ネギへの恋心に結びついたのどかの個性的成長は、このように親友達にも変化の契機を与えている。それでは、恋の相手であるネギ本人には、いかなる影響を及ぼしているのだろうか。
 先述したように、ネギは当初のどかを第一に「先生と生徒」の関係でとらえ、その基盤の上で「カワイイ」「おとなしい人」などといった個人的な感情を抱いていた。その彼女からの好意を認識するに至ったのは、対エヴァ戦に備えたカモの計略の中である。そこでネギは(み…宮崎さんが僕のことすす好っ…!? そ そんな僕困るよ〜っ)と惑乱しているが、この「生徒」からの好意はネギにとって驚きであり、安易に受けいれてはならないものだった(19時間目)。修学旅行の2日目で、ネギがのどかからの求めに応じて自由行動を共にしたのも、同じ班である木乃香を護衛するなどの理由が別にあったからだ。ここまでのネギは、のどかに好意を抱きながらも、あくまで教師−生徒関係の枠内でのみ意識していたと言えるだろう。
 その枠をのどかの側から越えられてしまったとき、ネギは教師という仮面を引きはがされ、またのどかの知らない魔法使いとしての仮面も被ることができないまま、10歳の少年としてのどかに向き合うはめに陥る。それにもかかわらず、ネギは常にそれらの役割を忘れるわけにはいかない。のどかの恋愛行動は、ネギの内面と役割との分裂をいっそう際だたせる
 その最初の機会である修学旅行での告白場面では、のどか自身も「先生と生徒」なので「迷惑」だと分かっている、と言ってくれはしていたものの、彼女が駆け去った後、ネギは魔法使いとして・教師としての任務の重圧とあいまって、パンクしてしまう(33-34時間目)。しかし、ここではいったん頭を冷やしたネギが、「誰かを好きになるとか…よくわからなくて」と言い訳しながら、それでも精一杯の返事をのどかに告げることで、事態は収束する(37時間目)。

ネギ 「だから僕 宮崎さんにちゃんとしたお返事はできないんですけど… その…」
    「−あの と 友達から… お友達から始めませんか?」

 のどかは、これににっこりと微笑んで「はいッ(はぁと)」とうなづく。確かにそれは、夕映が思うように「まだ10歳の子供」であるがゆえの限界である。だが、これが言葉の上辺だけのものでないことは、呼び方が「宮崎さん」から「のどかさん」にすぐさま替わったこと(38時間目)に加えて、フェイトによってのどか達が石化したときのネギの憤りに明示されている(46時間目)。

ネギ 「先生として…友達として…僕は…僕は…許さないぞ!!!」

 前編でも引用したこの台詞に、はっきりと「先生」と並んで「友達」という言葉が並んでいることを、あらためて確認したい。それはネギが本心からのどかのことを友達として、普通の「生徒」とは異なる特別な存在として、理解していることの現れである。のどかがネギに告白したときの誠実さは、こうしてネギからも、「友達」としての誠実さによって正しく応じられているのだ。ここに、のどかとネギの間で初めて実現した、恋愛感情を媒介とする教師ー生徒関係の相互超克の端緒が見いだされるのである。旅行から帰ってきた後、改めて顔を合わせた二人は、お互いに意識し照れてしまう(54時間目)。ボーリング場では世間話の時間記録を更新し(55時間目)、学園祭に向けては「嬉しハズかしハプニング」を起こす(79時間目)。これらは、緩やかに関係を深めていく過程として理解していい。そして、決定的な飛躍は、学園祭で訪れる。遊覧船の上で、のどかはネギに再び告白する。しかしそれは、修学旅行のときのそれと同じものではない。このときのどかは、既にネギの過去を知り、父ナギへの想いを知っているのだ。だからのどかも、そんな過去があっても「負けずにがんばって」いるネギを、先生として、魔法使いとして、そのような夢を抱いて努力する少年ネギ総体として、もう一度「私… そんなネギ先生が大好きです」と告白し直しているのである。それゆえに、この告白は、ネギの心に深々と染み込んだ。ネギはのどかに自分を丸ごと受けとめてもらい、愛されたからだ。ここには、前編で述べた五月が指導的支援者として与えた自己肯定感とはまた異なる、自分と対等な女性からの全人格的な愛情がそのままにある。そして、ここまで受容された瞬間に無防備になったネギは、のどかのキスを、今までのものとは全く違ったものとして発見する。デートでのキスの後では、ネギは小太郎をよそに内心振り返るのだ(87時間目)。

ネギ (のどかさんの唇 柔らかかったな… 仮契約で何回かキスはしたことがあったけど…)

 この場面こそ、ネギが「女の人」というものを見いだし、彼にとってのどかが明日菜たちとも違う特別な存在として認識されるに至ったことがはっきり分かる描写である。のどかのタタカイは、間違いなく功を奏してきている。ネギという少年は、のどかという年上の少女によって、学園生活の中で新たな人間関係へと導かれていく。そしてのどかはバトルパート・学園コメディパートの両方でネギを追いかけていこうとする。こうしてネギとのどかの関係は、魔法・バトルパートと恋愛・学園コメディパートの相互性によって、ネギが恋愛に、のどかが魔法に結びつけられていくかたちで進んでいく。それはネギにとって、今まで経験したことのない日常の中の冒険世界にほかならなかった。

(2)ずれに対する矛盾

 しかし、お互いが相手の領域に十分に馴染めるわけでも、今のところないようだ。のどかは海水浴のさい、裕奈ら一般人クラスメートに対してではあるが、「…でもー 戦わなくて済むならホントはそれがいいと思いますー 平和が一番…」と呟いている(62時間目)。それは、自分達も魔法を学ぼうという決意とあくまでも表裏一体のものであり、ネギの知る世界を拒絶しようとするものでは全くない。だが、その決意そのものはこの段階では魔法という存在への浮かれた気分によるものであり、ネギの悲痛な過去や魔法の脅威を知った後では、自分の浮かれ気分への反省とともに、「お父さん見つかるといいねー…」とやや引っ込み思案な態度が戻ってしまっている(夕映に「違うですよ のどか 協力するです」と突っ込まれている、67時間目)。本来彼女は、戦いや魔法には無縁の日常世界で生きてきた女の子であり、いくら読書やネギを介して興味を抱いたとしても、実際のそれにすぐ馴染めるものでもない。そもそも、恋愛も含めて「戦う」などということに前向きになれない性格なのだ。それを知るネギも、明日菜の指示もあって、のどかには魔法のことを当初秘密にしておこうとしていた(38時間目)わけであり、また仮契約自体がのどか・ネギの意志によらず、カモの計略と夕映の機転による偶発的な事件にすぎなかった。のどかは基本的に、ネギを学園コメディパートに、つまり日常世界に引き寄せようとする存在なのである。
 そんなのどかの気持ちを、だがやはり10歳の少年にすぎないネギは、十分に受けとめることができない。魔法使いとしての、あるいは教師としてのネギにではなく、一人の少年としてのネギにのどかがその想いを自分ごとぶつけるとき、ネギは魔法使いや教師といったペルソナによってその衝撃を和らげることができなくなってしまう。その結果、ネギは学園祭でのデートの後、「ー女の人を好きになるって僕よくわからなくて…どうすればいいのか…」、教師や修行で精一杯で考える余裕がない、と悩みを夕映に告白する(87時間目)。そこでの結論は、問題を「のどかが卒業するまで」先送りするというものであり、それまでのネギの成長に期待するのはともかくとして、今のネギには正直対応できないことを再確認するにとどまった。しかし、ネギはそのつもりでいるとしても、はたしてのどかが待っていてくれるものだろうか。ナギを探す行動に自分も加わる決意をし、ネギの修行にも参加した(60時間目)のどかだが、それはネギと彼女の絆が学園コメディパートでもバトルパートでも隔てなく強められていく未来を約束している。その中でネギは否応なく魔法使い・教師として彼女達=生徒を危険から守らねばならず、同時に10歳の少年として少女達=友達との恋愛の問題に向き合わねばならないだろう。そこにはもちろん夕映も加わっていることだろう。ネギはここで学園コメディパートからの回避不能で解決困難な問題をつきつけられ、そして自らのうちにあるずれを再確認させられていく。のどかはネギの心身のずれを含めて彼を総体的に受容しながら、そのずれをいっそう強く意識させるというかたちで、ネギに迫っていくのである。ここにいかなる突破口が開けるのか、少なくともいま一つだけ言えることは、親友達が放つこんな濃厚なラブ臭の激突をハルナがいつまでも見逃しておかないだろうということだ。


終わりに 〜もう一度中間まとめ〜

 いずみの氏が指摘する「日常と非日常という逆転軸」は、以上確認してきたように、のどかとネギの関係の中で最も明瞭に見いだせる。そしてそれは、のどかの成長をネギの魔法と彼への恋が導き、ネギの少年としての成長を主に恋愛面でのどかが促すという関わり合いとして、理解することができるだろう。ここで改めて、恋というものが「魔法」の名に相応しい力を持っていることを確認したい。ネギは明日菜に対してではあるが、着任初日にこんな言葉を贈っている(1時間目)。

ネギ 「おじいちゃん言ってました わしらの魔法は万能じゃない わずかな勇気が本当の魔法だって」

 ネギの魔法で助けてもらったことがきっかけで始まり、謝礼の図書券を贈ることで恐るおそる踏み出したのどかの恋路への勇気もまた、世界を変えていく本当の魔法だった。恋する少女とは本質的に魔法を使えるものなのかもしれない。思えば修学旅行2日目の朝(33時間目)、「よ… よ〜し〜!!」と決意の眼で髪を「きゅっ…」と後ろに結ぶその振る舞いは、まさしくポニーテールの魔法ではないか。そして、「ネギま!編その2」に示された「ねぎま串方式」の明快なイメージに、本考察で検討したのどかのネギへの関係を重ね合わせれば、そこに新たな含意が獲得されるだろう。同じ焼き鳥にも好みの違いがある。つまり、主人公ネギにとってはメインの肉(バトル・魔法)の方が大事かもしれないが、のどかにとっては葱(日常・恋愛)の方が好きかもしれないのだ。そう、ネギが好きなのである。
 しかし、このような立場に身を置いたのどかであれば、たとえネギの成長に日常生活面・恋愛面では多大な影響を与えるとしても、それがバトルパートでの彼の成長についても同程度ということにはならなくなる。前にも指摘したとおり、のどかはネギのバトルパートにほとんど関与しておらず、そこでのネギの成長についてもまた、のどかが直接・間接に手がかりを与えているという描写は一切ない。あるとすれば、それは「僕と関わるのは考えた方がいい」「いや やっぱり僕が強くならなくちゃ」といった「一人で気負って張りきっちゃって」しまう姿勢を強化するというものである(67時間目)。だが、これではネギの戦闘能力向上への意志を刺激こそすれ、戦いそのものをとらえ直すという方向での内面的成長や、共に戦うという方向での相互関係的な成長などを導くことはできない。のどかの場合、それらは今後に期待されるとしても、現段階ではやはり彼女はネギを日常世界での冒険に導くべき存在であると言えるだろう。それゆえ、ネギのバトルパートをも含めた成長を把握するためには、唯一の「パートナー」としてネギも受けいれている明日菜を取り上げ、彼女の成長と、ネギとの関わり合いを再確認しなければならない。


(2005年5月27日公開 くるぶしあんよ著)

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