日記
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2003年12月1日(月) 妹走(しわす)
 職場の若い者が「心の栄養」とか話していて、思わず脊髄反射の夕暮れ。「心の栄養」が欠乏した状態を、人は「虚栄」と呼ぶのでしょうか。シュークリーム分が足りない、と言う人もいますが。ぼくはアルコール分が足りない(アル中です)。

 『玖劫館』さん(11/29分)に、あ〜るびばんの失態っぽいチラシ(『BRAINSTORM』さんより)。版画が作者の利益に結びつきにくい事情は、以前くわねさんが説明して下さいました。買うな、とは言いません。ぼくは買わないだけです。買う金もないけど。
 それにしても、15万円かあ。つまりオフィシャルキャラクターズブック100冊分。どっちがいいかな。
2003年12月2日(火) ばったんきゅー
 サーバがねむねむだった間に、大変なことが。しすぷりバンドRePureに神崎ちろさん出演っ。す、すごいことです。

 Zoroさん(トップ絵フル装備千影)のSS第7話

 いや、この12/2分のAAは(喜)。
2003年12月3日(水) むしろ微えろ
 「シスプリはエロいと思う人へ100の質問 」。あまりエロいとは思わないけど(だうと)、答えてみる。

1、お名前と簡単な自己紹介をどうぞ。
  くるぶしあんよ、『ページの終わりまで』管理人。
2、はじめてシスプリがエロイと思ったのはいつですか?
  アニプリ第1話、可憐が航の顔をハンカチで拭いてあげる場面。半勃ち。
3、シスプリはどういう点がエロいんですか?
  禁忌を越えられないところ。
4、あなたのマイシスターは?
  可憐。
5、マイシスターはエロいと思いますか?
  単体ではかなり。比較してはあまり。
6、マイシスター以上にエロいと思う妹はいますか?
  咲耶、鞠絵、鈴凛、千影、春歌。
7、あまり色気がないと感じる妹はいますか?
  花穂、雛子、四葉、亞里亞。
8、公式設定では色気がないのにあなたの脳内設定では異常にエロい妹はいますか?
  いない。つか、公式設定での色気の有無が判断できない。
9、シスプリはゲームやアニメなど多くのメディアに展開していますが、一番エロかったメディアはどれですか?
  ゲーム版。
10、原作のシスプリで一番エロかったシーンはどれですか?
  キャラコレ第1巻、可憐に添い寝。
11、最初のアニメ版で一番エロかったシーンはどれですか?
  第11話、潜水艇の操縦席で航にからみつく鈴凛。
12、最初のゲーム版で一番エロかったシーンはどれですか?
  未プレイ。
13、ピュアストーリーズはエロかったですか?
  さほど。
14、リピュア・ストーリーズで一番エロかったシーンはどれですか?
  第1話、可憐の体にリボンを巻き付ける場面(未放映)。
15、リピュア・キャラクターズで一番エロかったシーンはどれですか?
  第2話、衛がグラウンドから保健室に運ばれる場面(未放映)。
16、ゲーム版シスプリ2で一番エロかったシーンはどれですか?
  四葉の水着のチェック模様がモザイクに見えた瞬間。
17、ゲーム版シスプリ2で妹と入浴するのはやりすぎだと思いますか?
  大いに。
18、シスプリラジオのドラマはエロかったですか?
  聴いてなかった。
19、その他にエロいシスプリはありますか?
  存ぜず。
20、可憐はどんな下着を着けていると思いますか?
  白。
21、可憐はどんなコスチュームを着せるとエロいですか?
  シーツ。
22、花穂はどんな下着を着けていると思いますか?
  こけても平気なアンダースコート。
23、花穂はどんなコスチュームを着せるとエロいですか?
  婦人警官。
24、衛はどんな下着を着けていると思いますか?
  スパッツに浮き出ないやつ。
25、衛はどんなコスチュームを着せるとエロいですか?
  どてら。
26、咲耶はどんな下着を着けていると思いますか?
  勝負下着。
27、咲耶はどんなコスチュームを着せるとエロいですか?
  喪服。
28、雛子はどんな下着を着けていると思いますか?
  ぱんつーふぁいと。
29、雛子はどんなコスチュームを着せるとエロいですか?
  バスタオル。
30、鞠絵はどんな下着を着けていると思いますか?
  汗の吸収のいいやつ。
31、鞠絵はどんなコスチュームを着せるとエロいですか?
  ジャージ。
32、白雪はどんな下着を着けていると思いますか?
  出汁がきいてるやつ。
33、白雪はどんなコスチュームを着せるとエロいですか?
  パジャマ。
34、鈴凛はどんな下着を着けていると思いますか?
  静電気防止のやつ。
35、鈴凛はどんなコスチュームを着せるとエロいですか?
  看護婦。
36、千影はどんな下着を着けていると思いますか?
  クマさんプリント。
37、千影はどんなコスチュームを着せるとエロいですか?
  セーラー服。
38、春歌はどんな下着を着けていると思いますか?
  さらし。下ははいてない。
39、春歌はどんなコスチュームを着せるとエロいですか?
  割烹着。
40、四葉はどんな下着を着けていると思いますか?
  スパイ用。
41、四葉はどんなコスチュームを着せるとエロいですか?
  キュロットスカート。
42、亞里亞はどんな下着を着けていると思いますか?
  コルセット。
43、亞里亞はどんなコスチュームを着せるとエロいですか?
  スク水。
44、シスプリには妹の他にもエロいキャラクターはいますか?
  じいやさん。
45、シスプリがこんなにエロいのは公野櫻子先生と天広直人先生のどちらの責任だと思いますか?
  エロを感じてしまう自分。
46、エロの要素がないシスプリはどんなものになると思いますか?
  それでもぼくはエロを見出してしまうだろう。
47、エロゲーを普段からよくプレイしますか?
  はい。
48、シスプリのエロゲーを想像したことがありますか?
  いいえ。
49、シスプリの同人誌を普段からよく読みますか?
  いいえ。
50、具体的に、あなたがキスしてみたい妹は誰ですか?
  可憐。でもできない。
51、いろいろな部分を揉みたい妹は誰ですか?
  可憐。でもできない。
52、一緒にお風呂に入りたい妹は誰ですか?
  可憐。でもできない。
53、入れてみたい妹は誰ですか?
  可憐。でもできない。
54、手で擦ってほしい妹は誰ですか?
  可憐。でもできない。
55、くわえさせたい妹は誰ですか?
  可憐。でもできない。
56、胸ではさんでもらいたい妹は誰ですか?
  可憐。でもできない。
57、顔に出してみたい妹は誰ですか?
  その趣味はない。
58、飲ませてみたい妹は誰ですか?
  その趣味はない。
59、体にかけてみたい妹は誰ですか?
  その趣味はない。
60、縄で縛ってみたい妹は誰ですか?
  その趣味はない。
61、野外露出させてみたい妹は誰ですか?
  その趣味はない。
62、目の前で放尿させてみたい妹は誰ですか?
  可憐。でもできない。
63、剃毛させてみたい妹は誰ですか?
  そもそも生えていない。
64、浣腸してみたい妹は誰ですか?
  その趣味はない。
65、後ろの穴を責めてみたい妹は誰ですか?
  その趣味はない。
66、おもちゃで責めてみたい妹は誰ですか?
  その趣味はない。
67、媚薬を使ってみたい妹は誰ですか?
  可憐。でもできない。
68、フタナリが似合いそうな妹は誰ですか?
  その趣味はない。
69、目隠ししてみたい妹は誰ですか?
  可憐。でもできない。
70、他人に寝取られてみたい妹は誰ですか?
  その趣味はない。
71、観覧車の中で色々してみたい妹は誰ですか?
  可憐。でもできない。
72、お化け屋敷の中で色々してみたい妹は誰ですか?
  可憐。でもできない。
73、公衆トイレの中で色々してみたい妹は誰ですか?
  可憐。でもできない。
74、人気のない路地裏で色々してみたい妹は誰ですか?
  可憐。でもできない。
75、故障したエレベーターの中に二人っきりで閉じ込められるなら誰と一緒がいいですか?
  可憐。
76、無人島に二人っきりで取り残されるなら誰と一緒がいいですか?
  可憐。
77、多人数プレイをするなら誰と誰がいいですか?
  その趣味はない。
78、妊娠させたい妹は誰ですか?
  その趣味はない。
79、シスプリ以外でエロい妹キャラはいますか?
  ドリス・ウェイブ(『巨神ゴーグ』)、リィナ・アーシタ(『ガンダムZZ』)。
80、双恋はエロいですか?
  よく知らない。
81、ストロベリー・パニックはエロいですか?
  よく知らない。
82、ウルトラCはいったいどうなるんでしょうか?
  よく知らない。
83、では、これからの質問がクライマックスですが準備はいいですか?
  よく知らない。
84、可憐に一番似合うエロシチュエーションは?
  嫌いな男を平手打ちする。
85、花穂に一番似合うエロシチュエーションは?
  人工授粉のお手伝いをする。
86、衛に一番似合うエロシチュエーションは?
  自分の汗を拭いたタオルを兄に投げる。
87、咲耶に一番似合うエロシチュエーションは?
  和式のトイレに逡巡する。
88、雛子に一番似合うエロシチュエーションは?
  足指の爪を切ってもらう。
89、鞠絵に一番似合うエロシチュエーションは?
  冷たい聴診器があてられて鳥肌がたつ。
90、白雪に一番似合うエロシチュエーションは?
  洋酒入り菓子の香気にほんのり酔っぱらう。
91、鈴凛に一番似合うエロシチュエーションは?
  作業の大詰めにさしかかり尿意をこらえる。
92、千影に一番似合うエロシチュエーションは?
  胸の横を蚊に食われてかゆいのを我慢する。
93、春歌に一番似合うエロシチュエーションは?
  雨にうなじが濡れる。
94、四葉に一番似合うエロシチュエーションは?
  八重歯で甘噛みする。
95、亞里亞に一番似合うエロシチュエーションは?
  だっこー。
96、妹以外のシスプリ登場人物を一人挙げて、そのキャラに一番似合うエロシチュエーションは?
  じいやさん。生理痛。
97、多人数プレイをするならどんな状況が一番エロいですか?
  その趣味はない。
98、まだこんなエロシチュエーションを語っていない!という心残りがあるならここで思う存分どうぞ。
  間違えて兄のベッドで寝てしまう、とか。
99、あなたはシスプリが好きですか?
  はい。
100、お疲れ様でした。最後に一言。
  自分の視線こそが最大の問題。
2003年12月4日(木) ぴっかーん
 『バーチャルネットしすたーふれんど さやか15歳』さん(ニュース内)、考察の紹介ありがとうございました&お礼遅れてすみません。

 こないだの15年前シスプリ声優ですが、『BRAINSTORM』さん経由で「衛は伊倉一恵」説「じいやさんプロレス参戦」案などを頂戴しました。IRCでは「メテオさんがチェキチェキ言って止まらない」という話も。チェキったらチェキするのよ!

 算数のこと。バイト先の小学生に同じことずいぶん言われました。「いくつかの式を比べるときに困らないよう、並べ方を決めておいた方がいい」と話した記憶が。
 まず「クッキーを6人に5個ずつ」だと6×5だけど、「クッキーを5個ずつ6人に」だと5×6になる、というのはやめとけ、と。(人)×(個)の順番がいいのなら、いつもそれでいけ、と。ここでは、問題文の書き方に左右されずに数式を一定のパターンで立てられることが重要なわけです。でも学校で(個)×(人)で教わったなら、社会でもその順番で計算することが多いわけだし、教わった通りに覚えておいた方が得。
 で、「クッキーを6人に5個ずつ配るのと、7個ずつ6人に配るのでは、どちらがどれだけ多くのクッキーを必要としますか。」こんな問題のとき、立てる式が
 6×5=30
 7×6=42
とするよりも、
 5×6=30
 7×6=42
と同じ並べ方にした方が、後に
 (7−5)×6=12
という計算方法に発展するのに便利ですし、「合理的な数式は美しい」という理解にもつながりやすいはずです。実際、ぼくは小学生にこの「学校でまだ習ってない内容」までついでに教えてやりました。担任には嫌がられたかもしれませんが。ので、最後は教師の指導能力ですね。
2003年12月5日(金) あれこれ
 IRCにて、くわねさんから「衛が日高のり子」「亞里亞は笠原弘子」というご提案。ならば、竜崎先輩は川村万梨阿でいかがでしょ。
 もう2、3年後だと、花穂=こおろぎさとみ、というのもありそうです。『マリーベル』のユーリ。

 妹システム本、1部欲しいですー。システムそのものもえらいデータ増えてるし。

 自分の考察同人誌も、やはり作るかな。どなたか、挿絵などを描いていただけませんでしょうか。

 こないだの妹=戦車連想で反応いただけたことに気をよくして、今度は軍用機だ!と思ったものの、知識が無くて挫折。可憐:SR-71、鞠絵:一式陸攻か二式大艇、春歌:Me109G、亞里亞:B-70ヴァルキリー、と時代的にもバラバラです。

 馬鹿話。

らむだ「あ、BGMは『勉強の歌』か。べんきょうは、できるうちに〜。」
美 森「ほんと、悔やんでも遅いよな。」
らむだ「貧乳は、できるうちに、しておいたほうがいいわ〜。」
美 森「何をだ。」
らむだ「言わせるな。」
美 森「ブルマは、嗅げるうちに〜。」
らむだ「嗅ぐのか(笑)。」
2003年12月6日(土) もちろん初代
 ご指摘の通りで。実際、美森氏と『ガルフォース』の声優を調べつつリストアップしていました。ああ、あれこそは女の子いっぱい萌え&死亡アニメの走りでした。
 女性ばかりの軍隊といえば、ぼくはラビィ達よりも、TV版『マクロス』のラプラミズに惚れていた記憶が。ハマーン・カーンといい、ああいう女性指揮官に弱いのかしら。

 Zoroさんトップ絵の衛があむないー。つぼみから花へ、ボクは衛。
2003年12月7日(日) 逃避しつつ
 レンタルビデオ店店長の憂鬱『カトゆー家断絶』さんより)。最近なんかよく分かる話です。「店長は瀕死の状態」とか。

 豪屋大介『A君(17)の戦争』第6巻(富士見ファンタジア文庫)読了。いわゆる「90%の成功」というやつですか。相変わらずの佐藤、もとい豪屋節です。この作品を「正統派」と呼んではいけないのかな。読んでて泣けました。
 同時に徳間文庫版の佐藤大輔『制途』を読む。トクマノベルス版からの修正はないのね。中巻の解説で押井守が、この作者を世に出すことで仮想戦記が自己実現を果たした、と語っていますが、全く同感です。他作品を早く完結させろ、という要求にも。でも佐藤大輔の問題点は、あれだけ軍事的原則を語りながら、自らは多正面作戦を行っているところなのです。こないだはハードカバーでホラーものを連作したから、今度は仮想戦記に…戻らずに、またSFに取りかかりそうな予感も。
2003年12月8日(月) プロミスジマワタレ
 成り立てえろげライターさんの日記『仮藻録』さんより)。大変そうです。でも、えろげならエロが最重要というのは、ぼくも主張するところです。

 『ちまわり』さん日記(12/7分)でシスプリ・Zガンダム。かなり雰囲気一致してますが、ある妹だけZじゃないし(笑)。
 あと、生シスRePure四葉絵も。トイレの四葉といえば、「屋根上からチェキ中に尿意を催して、ハンカチを口にくわえながら雨樋にこっそりアレする四葉」という場面を妄想しておりましたが、どなたか描いていただけたらなぁ。

 『Lasnow's Room』さん(12/7分)から(リンクどもです)、サイトスカウター。うちのトップ(http://www.puni.net/~anyo/)では、攻撃力7826、防御力8165でした。なかなかバランスがいい。おそらく攻撃力最大はマジカルヒナ(http://www.puni.net/~anyo/magicalhina/magicalhina.html)で、攻撃力9560、防御力4018。で、このさいアニプリ考察の妹メイン話をもとに、各妹の力を調べてみる。

可 憐(第14話):攻5717 防5155
花 穂(第16話):攻5253 防7330
 衛(第9-10話):攻6647 防 184
咲 耶(第7話):攻2277 防6822
雛 子(第4話):攻 541 防9059
鞠 絵(第8話):攻5821 防1194
白 雪(第19話):攻3022 防4845
鈴 凛(第21話):攻4276 防6210
千 影(第18話):攻3626 防9720
春 歌(第17話):攻7750 防 722
四 葉(第22話):攻8036 防3436
亞里亞(第15話):攻 584 防9488

 最強四葉。低年齢の方がタフなのかしら。衛と春歌の防御が甘いのは何となく分かりますが、咲耶が案外打たれ強い。花穂も「転んでも怪我しない」感じですが、一方リピュア(http://www.puni.net/~anyo/etc/repure2.html)で測定すると、攻撃力470、防御力871という弱々さ。この方がらしくていいかも。

 『シュヴェスター』のネタに苦しみつつ、妹同士のペアで注目されにくい組み合わせってあるよねー、という話から、ふと『シスプリ妹×妹同盟』登録64サイトの自己紹介をもとに、攻×受を数えてみました。いや、ペアがいつでもカップリングである必要はないんですが。最左列が攻妹、右に並んでいるのが受妹のパターンです。

可:可−花2衛2咲2雛2鞠1白0鈴0千0春0四0亞1
花:可1花−衛5咲0雛1鞠1白0鈴0千0春0四0亞0
衛:可0花11衛−咲0雛0鞠0白0鈴2千1春0四2亞0総受1
咲:可6花2衛9咲−雛0鞠0白1鈴0千15春1四2亞1総攻1
雛:可0花1衛0咲0雛−鞠0白0鈴0千0春0四0亞2
鞠:可0花0衛0咲1雛1鞠−白0鈴1千1春2四0亞0
白:可0花0衛0咲0雛0鞠0白−鈴0千1春1四0亞6
鈴:可0花0衛1咲0雛0鞠0白0鈴−千2春0四3亞0メカ鈴凛1総受1
千:可0花0衛7咲9雛1鞠0白1鈴2千−春2四13亞6総攻1
春:可0花1衛1咲0雛0鞠1白0鈴0千1春−四0亞1
四:可0花1衛2咲0雛0鞠1白0鈴7千1春0四−亞1
亞:可0花1衛0咲0雛1鞠0白1鈴0千2春1四1亞−
(雛子×亞里亞×花穂1を除いて集計)

 見づらくてすみません。「さくちか(15)」「ちかよつ(13)」「まもかほ(11)」に続いて、「さくまも(9)」「

ちかさく(9)」「ちかまも(7)」「さくかれ(6)」「しらあり(6)」「ちかあり(6)」「かほまも(5)」、うーん。
 咲耶と千影は攻め同士ながら、両者間では咲耶が優勢のようです。一方、受け専に近いのは衛と鈴凛。衛は花穂に対してのみ攻めっぽくなれます。白雪−亞里亞というカップリングはちょっと意外でした。お菓子が鍵なのかしら。
 ここでアニプリでのペアを振り返ると、可憐−雛子、可憐−白雪、咲耶−亞里亞、雛子−亞里亞、鞠絵−春歌、鈴凛−四葉、千影−亞里亞、春歌−花穂などが挙げられますが(一部偏りあり)、ずいぶんこれとは異なった感じ。

 今日は、攻めだの守りだのばかり。開戦記念日だからいいよね。
2003年12月9日(火) がんすりとか
 相田裕『GUNSLINGER GIRL』第1・2巻を読む。以前は読まずに書きましたが、今度はちゃんと原作に依拠しつつ。最初の印象は、ハードボイルドというか、FSSというか、町田ひらくというか。
 少女達をまず排除しようとしたのは、この人間社会(とそこに生きる個人)であり、公社はそのような少女達を再び社会の中へ、ただし道具として、回収しようとする。少女達は道具として生きることを条件付けられるが、その公社(とそこに生きる個人)の条件付けは、少女達の夢や無意識によって対抗される。もちろんこの対抗が一人の人間としての生をかろうじて可能にしながらも、少女達の精神安定に資することで結果的に公社の目的に合致してしまう、ということはあるにしても。
 その生への意志は、例えばヘンリエッタの場合、第1巻の最終2話で、死を賭けて愛を求める態度によって示される。いや、ここでの彼女の態度はまず、ジョゼに彼女を義体ごと(いまのあるがまま)受け入れて欲しい、という想いとしてとらえるべきだろうか。
 しかし、ジョゼはそうしない。彼の振る舞いは確かに偽善的であり、ジャンよりも不徹底であり、要するに最近の萌ええろげの主人公のように生ぬるい。そして彼はその自分の問題にある程度は自覚的であり、そして逃避的であり、だからそこに彼の人間的な部分もまた現れている。いま雑誌連載でどう展開しているのか知らないが、今後は、ジョゼがなぜ数年前に公社に転職してきたのか、その経緯などが描かれる中で、彼への共感がより可能になるのかもしれない。実際この第2課は流れ者の吹き溜まりらしいので、ジョゼにもそれなりの事情があると想像している。だから納得するとは限らないけど。
 読み通して、予想していたほど苦しく思うことも、泣くことも、萌えることもなかった。ただ、生きるということが「必死」につかみ取ることだとすれば、この作品はそういう生のあり方をかたちにしようとしているのだろうし、そう感じるぼくはといえば、「身勝手な大人全般」に含まれながら、自分なりにまさに身勝手に、ということは自己責任で、何かを求めるしかないのだと思う。
 こういう作品を読んで「世界は少女とぼくの敵!」と叫べばセカイ系で、「こんな少女達を生まない世界を!」と叫べばシャカイ系、ということでよろし?ぼくはいきなり「ヘンリエッタを朝まで」という想像をしてしまったので、地獄の底に投げ込まれる者です(最悪)。

 『そよ風のハーモニー』とは最近有名になった地雷えろげで、内容の出来もさることながら、会話場面ではアニメ立ち絵が用いられる一方、えろ場面ではキワ実写になってしまうという有様。

美 森「それって『軽井沢シンドローム』だよねえ。」
らむだ「ああー(爆笑)。よくそんなの出てきたな。」
美 森「しかもあまりに不評なので、全部アニメ版のもこしらえると。」
らむだ「そうそう、そうだった。」
美 森「でもHシーンだけ実写というのも、なあ。」
らむだ「何も分かってないよね。」
美 森「言うなれば、逆『アステカイザー』だな。」
らむだ「それも古すぎ(笑)。えろだけアニメならまだしも、ね。」
美 森「だいたい実写とアニメを混ぜるとろくな作品にならん。
    例えば『アイゼンボーグ』とか。」
らむだ「…後半や最終回は酷かったけど、最初は面白かったんだぞー。
    それに混ぜても名作だった『ボンフリー』があるし。」
美 森「『恐竜惑星』というのもあるか。」
らむだ「あー。」
美 森「…で、Hシーンがアニメ。」
らむだ「えーっ。」
美 森「ほら、アニメ絵なら幼女のHシーンでも大丈夫だろ?」
らむだ「あ。そか、『この番組の登場人物は全員18歳以上です』(笑)。」
美 森「放送許可するのはソフ倫じゃないけどな。」

 その前に、教育テレビじゃ絶対駄目です。
2003年12月10日(水) いろいろ間際
 オルフェノクをイラクへ派遣しよう!(挨拶)がんすりんがー・ふぁいず。ファイズには格好いいおっさんおばさんが一人も登場しないのです。格好悪いとこも含めて格好いい先行世代、少なくともある一点において信頼できる大人を、どうか子供番組に出してあげてください。社会の矛盾も、そこで生きる中での矛盾も、精一杯背負おうとしている大人の背中を見せてあげてください。別にスタッフがそういう大人でなくても、そういう大人に憧れ、目指したいと思うことで、それをなんとか描けるのではないかと思うのです。
 それはさておき、やっと『がんすり保育園(保管庫)』のネタが分かるよ。

 薫さんから「シャカイ系」について補足いただく。
>そのあとに「そのために五共和国派に平和解決を求める市民のネットワークを!」と付け加えかねない勢い
 納得。えらい単純な人間理解がそこにあるわけですね。Love & Peace。だが人類の歴史は、そのLoveとPeaceの相違ゆえに戦争を繰り返してきたのだった。長谷川裕一の『マップス』あたりは、スペオペ少年漫画の水準で「なんかよきもの」を求めようとした作品だと思います。

 マジカルヒナの「おねがいパワー」は、最初は魔法の発現なのですが、もはや指輪が壊れて魔法が使えない最終話では一つの奇跡なんですよね。でもその奇跡は、雛子や航達、そして眞深や亞里亞や千影達が懸命にあがくことで、初めてそこに現れることができたのだ、と。そこには自助努力に加えて、相手を赦し受け入れる心がある。雛子は千影を理解し、航は可憐も千影も見捨てず、亞里亞は千影を愛し、眞深は命を捨てて燦緒を取り戻す。痛みを媒介にして、初めて通じるものも時にはあるのだと思う。

 『萌えたん』が大人気ですが、次はこの作品のCD版ですかね。つまり、例文を少女が読む音声版。これ、相当売れそうです。『どれみ』のももちゃんの声でひとつ。そしてその勢いで、教育テレビの外国語講座に少女講師が登場。

 こちら。どうやら共通の相手からぼくと似たような罵詈雑言を受けたらしく、お察しします。「正義くん」の項目に、あと「被害者意識・弱者意識が強い」を加えたいところ。なんというかあれです、ドストエフスキーの『地下室の手記』。

 妹乳論議に激しく同意しつつ、ぼくとしては、大きかろうと小さかろうと可憐のが一番です。

 『屋根裏部屋』さんにて「ネオシス同盟」参加者募集中。妹一覧表からもリンクさせていただきます。確かに、ネオシス創作に関わるのは無理だけど、そのファンでありたい、という人達がいてこそのシスプリメでしょうから、こういうファンのための場はとても大切だと思います。

 こないだ挫折していた妹=軍用機ネタですが、くわねさんが考えて下さいました。ありがとうございますー。おおっ花穂が優秀だっ(笑)。ツインテールのメンフィスベルとか、はかなくなりそうな飛燕とか。春歌はなるほど、その手がありましたか。
2003年12月11日(木) 足裏のにほひ
 腐臭漂う最悪の驚愕こと、くるぶしあんよです。
 さて、前日書きました「どうやら共通の相手から」云々という文章を、某サイトの掲示板で紹介した人がいたようです。その結果、そのサイト管理人の方から再び罵詈雑言を頂戴いたしました。既に当該書き込みは削除されたとのことですが、書き込みした人は、注意を喚起する意味でそうされたのかな。もしそうだとすれば、お気持ちは尊重しますけど、相手には逆効果です。ぼくはぼくとして反省しますが。己の極限的下劣さとか、なんかそんなのよりは、別のことを。この件に関しては、これで終了。

 『LOAD OF SOUL』さん(12/9分)、考察の紹介ありがとうございますー。

 前日のくわねさんに続いて、薫さんから妹=軍用機(冷戦末期編&センチュリーシリーズ編)。「にやけたエアインテーク」に笑いました。あと白雪はやられた。咲耶はF-14かと思いましたが。鞠絵はF-20タイガーシャークとか。センチュリーは、鞠絵がエリアルールだったり、可憐が迎撃用核弾頭を発射したりと、これまた納得です。しかし腰に注目しますか、完全に一本取られた感じ。
 センチュリーシリーズで検索したら見つかったここ、めちゃいいです。

 算数教育について。「公理的集合論」とか未知の言葉に直面して脱兎。ぼくは高校数学で成績墜落した&嫌いになった人間なので、そのあたりにも考え方の違いが由来するのかもしれません。そして、そこまで「みっちり」教えてくれる先生がいたら、それはそれで自分は学ぶ気になれるかも、と思ったり。数学的思考ができて、しかもその楽しさを伝えられる人が先生だといいんですが、小学校教師の大半はそうじゃないんですよね。

 今日、職場の若手女性が。
「あの店のエレ、…エレ…ええと、箱のやつってエレベーター?」
 大阪一歩手前。
2003年12月12日(金) ぐつぐつ
 くわねさん日記より、マリみてキャラ風Pinky。短いっスカートが短いっ(嬉)。

 咲耶攻め=爆撃機ですか、なるほど。ノースロップ千影というのも凄い(笑)。眞深は…F-21(米軍アグレッサースコードロンのクフィル)でしょうか。これも実戦配備じゃないか。

 いろんなものが煮詰まってます。
2003年12月13日(土) ごぽごぽ
 出張続き。各所に反応したいけど、その暇がないです。
 そろそろ咲耶誕生日祝いのお話なども考えないと。

 こちらのご提案を受け手じっくり考えた結果を、後日ここに記したいと思います。ところで、「アンフェア」と批判しながら、「見ている」だけなら「楽しい」論争を人にやらせようという第三者コメントに、ぼくは何ともいえないものを感じております。
2003年12月14日(日) よむよむ
 作品を解釈するとき、作者の想いを自分のできる範囲で理解し共感しようとするのか、それとも自分の想いを作者に投影しようとするのか、そこでずいぶんと趣は変わるのだと思いました。それぞれはいつも同時に立ち現れるのでしょうけれど、構えを自覚しておきたいということ。あと、相互関係性を構築したいということ。あまりに素朴な解釈学。

 ちょっとだけ怖かったにょ。フセイン捕縛の話を知っていたら、停車中にテロ妄想が広がったことでしょう。
2003年12月15日(月) 3日遅れ
 出張地獄終了、そして煉獄篇へ。おかしい、温泉地を巡っていたのに肉体がボロボロになっている。
 精神がそうなってないのは、出張先の古本屋で見つけたえろまんがと、本屋で見つけた森薫『エマ』『シャーリー』のおかげです。心の栄養ですか。

 デンセンさん「妹達を責めないで」が痛快でした。
2003年12月16日(火) 2日遅れ
 Zoroさん千幸ちゃん第1話。いよいよ本格始動ですね。

 いやもう、すごいことになってたみたいで。すぐ近くまで来ていたのですが、出張中の身でした。

 シスプリメもシスプリコンサートも、この作品がこれからまだまだ勢いを持ち続けることの証拠です。ぼくも自分にできることを続けよう。
2003年12月17日(水) 1日遅れ
 馬鹿話。妹達を萌え文集メンバーにあてはめようという無謀なネタ。

らむだ「それにしても、むくつけき漢どもなわけだが。」
美 森「まあ仕方がない。」
らむだ「ええと、じゃ思いつくままに。」
美 森「花穂はお前。粗忽だし。」
らむだ「ええーっ。しのぶさんに怒られるで。」
美 森「『花穂、絶対に払わないもん!』」
らむだ「最悪だ(笑)。じゃ、雛子はShunたん。幼いので。」
美 森「鈴凛は利休さん。徹夜で何か作るので。」
らむだ「白雪はBeeさん。」
美 森「料理が得意だからか。」
らむだ「それに、頑張っても報われなさそうなところがまた。」
美 森「酷い話だ(笑)。白雪は文月さんかと思ったが。ファンだから。」
らむだ「文月さんは可憐。」
美 森「なんで?」
らむだ「一見柔和そうなのに、じつは腹黒いので。」
美 森「うわ(笑)。」

 このへんで弁士中止。
2003年12月18日(木) 「敵」認定の経緯
 頭と気持ちをすっきりさせるために、ぼくがkagami氏から「敵」認定された経緯を確認しておきます。

 『涼宮ハルヒの憂鬱』論争にぼくが首をつっこんだのが、今年の7/9から。
 ハルヒの感想とkagami氏の論への批判を書き始めたのが7/12から。
 kagami氏とメールのやりとりが始まったのが7/14から。
 ここで、ハルヒという作品についての意見交換と、ろり趣味についての意見交換とが交錯するようになり、7/30のkagami氏からの返信をもってメールでのやりとりは終了。
 これで第1部完。なお、ハルヒの感想は8/3まで継続。

 しかし、ぼくが、8/6に再びkagami氏の論における「排他的対立」の問題(ハルヒ論議での未解決点)について言及。
 これに対する氏の反論がうちの掲示板に書き込まれ、そこでのやりとり(8/7-10、No.522-536)が続く。自分としては、「ずれ」と相互不信の根拠を確認し、それらを解消する努力のつもりだったが、氏にはむしろ粘着的議論として否定的に受け止められていたかもしれない。
 なお、これらのメール・掲示板でのやりとりは、その一部分がkagami氏のサイトでも「徒然なる少女論(往復書簡)」「徒然なる少女論+(往復書簡)」にまとめられている。ぼくの反応は7月分日記など、上記の箇所を参照。
 ぼくの掲示板8/10分書き込みNo.536の後、kagami氏からの書き込みがなくなる。メールもお互いせず。日記での言及もなし。これで第2部完。

 ところが、ぼくの8/28分日記における「ろりげに代表される一点突破えろげの志の低さは、確かに最近とみに感じられるところです。」という文章が、第3部の幕開けとなってしまう。
 kagami氏から突然メールにて、当該日記箇所でリンクしているレビューの主旨を恣意的に歪曲したという批判を受ける。この批判そのものは確かに真摯に受け止めた(「志の低さ」というより、いっそ「本質的限界」というべきだった)が、メールには同時に、そのような「歪曲」を生み出したぼくの人格を罵倒する言葉が縷々と綴られていた。雰囲気としては、魂が腐っているとか、卑怯で低劣とか、お前を敵として認識したとか、一生そのまま唾棄すべき人生を送りなさいとか、そんな感じ。
 どうしてその文章を直接引用できないかといえば、kagami氏が、このメールを公開するな、と書き添えていたため(7月中のメールは公開を了承されていた)。また、こちらからの返信も出していない。今後一切の交流を拒絶する、日記についての弁明もいらない、とのことだったため。ここでは、ぼくの日記文章がろりげのみならずkagami氏への婉曲的な揶揄として読まれたのかもしれない。
 こちらからの対応としては、とりあえずリンクページからのリンクを削除した。なお、作品解釈における「排他的対立」の問題については、ここでの氏の行動自体が一つの具体的事例を与えてくれた。これで第3部完。
 ところでぼくの7/13分日記では、「kagami氏の幼女イメージとぼくのそれとのずれ」に由来する「談判破裂」を既に予感していたが、これが先入観となって不幸な結末を導いてしまったのか、あるいはそれにもかかわらず議論継続のためによく努力したというべきか、自分では分からない。

 で、12/10分日記こちらについて言及。はっきりいって、その内容に戦友的共感を覚えたため。そのことがkagami氏の掲示板に書き込まれたらしく、氏から再び「早く死ね」的罵倒メールをいただく。またそこでは、ぼくが氏にかまってほしがっているみたいだけど拒絶する、という主旨の記述もあった。
 別にその気もないし、「迷惑行為」の通告以外は交信拒絶がなお継続しているものと見なして返信せず。とはいえ、ここまでくるといっそ感動したので、12/11分日記で取り上げる。また、この機会に自分の考えをまとめたいという気分を12/13分日記で記す。
 これについて、kagami氏から形容しがたい内容のメールをいただく。交信拒絶は継続中と見なして放置。

 以上です。氏からすれば、しつこいぼくにまとわりつかれるのはもうたくさんだ、ということなのでしょうが、ぼくも氏にまとわりつきたいわけではないので、ご安心下さい。ただたんに、これまでに経験したことを、自分自身の問題として自分なりに消化しておきたいだけなのです。もし本当に氏の「敵」として、しかも無視される対象としてではなく排除される対象としてぼくが振る舞うべきだとするならば、ぼくは氏が書き込みをされている各所サイトに出没してコメントを残すくらいの粘着的行動をとればいいのでしょうけれど。
2003年12月19日(金) 間に合わない
 昨日の日記内容に関連して、kagami氏に悪意あるメールを送っている人がいる、とkagami氏から伝えられました。もしこの日記がきっかけになったのだとしたら、皆様、どうかそのような行為はやめて下さい、お願いします。それでは問題解決になりません。(むしろ、ぼくがこれから考えていこうとしていたのは、前述第3部以降における氏とぼくの「ずれ」や、そこから生起した・その前に発生していた相互不信などについてなのです。)
 そのようなメールが第三者から送られる可能性を前日のうちに予測できなかったのは、ぼくの過失だとすれば、お詫び申し上げます。

 ところでいまkagami氏が取り組まれている欧米の詩の翻訳ですが、例えばデーメルの詩(原題「Hochsommerlied」、直訳すると「盛夏の歌」)。この詩の森鴎外翻訳版はこちらで読むことができますが、原文1行目の主語ってSommer(夏)なんですよね。なんで森もkagami氏も「日」って訳すんだろ。2行目は主語をSommerのままにとってみることはできないか。4行目のgeliebtを「いとしき」と訳してみたい。でも5行目(という言い方がもはやあれだけど)のBlauを「瑠璃色」と訳してるのは、ロマン主義的な意味合いなのかどうかは知らないけど、すごい。など、詩心のない人間の勝手な反応でした。これが粘着なのかしら。
 自己流翻訳もやってみたけど、引用元が不明なので掲載できず。

 リリアン脳内オフの問題点についてですが、ぼくの場合は
「私はあんよ。正確に言えば、山口真美の左のあんよ。」
という感じでクリアできます。よろしければ皆様もどうぞ。

 ああ、明日は咲耶の誕生日なのに。
2003年12月20日(土) 間に合わず
 咲耶誕生日、お話が書き上がりませんでした。
 ああ、近所で小学生達が騒がしい…。静まれ。あるいは、ぼくも仲間にいれて。

 可憐、処女太り

 昨日の詩ですが、出典を教えてもらったので原文を引用(Richard Dehmel, Gesammelte Werke in drei Banden, New York, 1972, Band 2, p.90とのこと )。

「Hochsommerlied

 Golden streift der Sommer meine Heimat,
 brotwarm schwillt das hohe reife Korn,
 wie in meiner goldnen Kinderzeit;
 habe Dank, geliebte Erde !

 Schwalben rufen mich hinauf ins Blaue,
 weisse Wolken tuermen Glanz auf Glanz,
 wie in meiner blauen Juenglingszeit;
 habe Dank, geliebte Sonne !」

 で、恥を忍んで自己流翻訳。

「盛夏に歌えば

 夏に照らされて、ふるさとは飴のいろ。
 背高の麦の穂も、ふくらんでパンのぬくもり。
 わたしの飴いろの幼き日と、かわらないままに。
 ありがとうを言いますっ、いとしい大地。

 招く声に仰げば、ツバメ舞う蒼いそら。
 白い雲が積み上げる、輝き、また輝き。
 わたしの蒼春のとし月と、かわらないままに。
 ありがとうを言いますっ、いとしい太陽。」

 なぜgoldを「黄金色」でなく「飴いろ」、blauを「瑠璃色」でなく「蒼いろ」と訳したかといえば、
(1)ぼくの「幼年時代」「青春時代」のイメージがそういう色。
(2)この詩人に「神秘的形而上的なエロスによる救済願望」があった(生野・桧山編『ドイツ名詩選』岩波文庫1993年365ページ)らしいので、タナトスと隣り合わせのエロスという印象で。
(3)なんとなく、畑のあぜ道で夏の風に目を細めているという「ありうべき」観鈴ちんの姿が浮かんだため。

 最初はすごく素朴で牧歌的な歌だと感じたけど、(3)の影響で、だんだんせつなくなってきました。にはは。

 さて、18日の続き。
 作品解釈における「排他的対立」の視点は、kagami氏の場合、ネット上での他者との関係にも適用されています。その実例がつまりぼくへの「敵」認定と存在否定なのですが、それに至った直接の原因が、ぼくの8/28分日記の文章にあったことは明白です。その文章に、氏はぼくのろりげへの(あるいは氏への)悪意ある偏向的攻撃を読み取られたわけですが、ぼくにはそのような意図はなかった。しかし、そう読めると言われればそうかもしれない。ここには解釈の相違なり、ぼくの隠された悪意の文脈なりが存在しているのでしょう。
 しかし、ぼくが未だ引っかかるのは、掲示板8/10書き込みNo.536にてぼくが
「それでは、ぼくが感じてきたこの(誤解も含めた)感情を思いやってもいただけますでしょうか。
 ぼくも、あなたに対してそうしたいと思いますので。」
と記したことに対して何の反応もなかったにもかかわらず、8/28分日記に突然あのような罵倒メールを送ってこられたことの意味です。この経緯をふまえるとき、ぼくは、メールと掲示板での意見交換に見切りをつけながらもその後ぼくへの不満を抱えていたkagami氏が、ぼくの日記の揚げ足をとるかたちで不満解消の契機を得たにすぎないのでは、と勘ぐってしまいます。そして実際、このような憶測が、今までぼくにkagami氏からの「悪意」を感じさせてきたところのものでした。

 ところがここで、掲示板でのやりとり(第2部)のきっかけが、メール交換終了後のぼくの8/6分日記における氏の論への言及にあったことを思い出せば、氏にとっては、既に終わった話(しかも、ぼくの方から終了をお願いした話)をぼくがいつまでもネチネチ一方的にいじり続けて非難を浴びせている人間として、この時点までに認識されている可能性も出てきます。
 このことを含めてみれば、この問題への取り組みは、ぼく自身を正当化して終わってしまってはいけません。少なくとも、ぼくが何をしてきたのか・何をしてこなかったのかを再検討しないことには、また自分が同じようなことを繰り返すおそれがあります。例えば「正義くん」については、普段の自分は冷静なつもりでも、kagami氏とのメール交換で自覚したように、シスプリなど自分の大切なものについて嫌なことを言われたときには瞬時に「正義くん」になってしまうのではないか(これは他の機会にも経験あり)。この件で自分が被害者だと思うこと自体、「正義くん」にほかならないのではないか。そう、氏に見出していた「悪意」とは、自分の影にすぎないのではないか。
 いよいよ自省は絶望に近づき、絶望の中でぼくはもはや祈るしかありません。

 腐臭漂う最低最悪な手口が、激しい怒りとおぞましい吐気を覚えさせませんように。
 偽善を盾にして、その実は腐臭ただよう低劣な人格が、おぞましさを与えませんように。
 外面で高潔を装っても間に合わないほど、永久に腐った魂から腐臭を漂わせませんように。
 一生安寧無く救われない呪わしい生を送ることを、避けられますように。
 自分の信じていない偽善を盾にして人間を貶めることに、一生の喜びを見出しませんように。
 呪われた魂のまま人を蔑み、己の欲望だけを追い求めて生涯を終えることを、避けられますように。
 極限的下劣さを省みず醜く生き永らえる醜悪さが、この世界の最悪の驚愕となりませんように。
 自慢の神拳で三年殺しをくらいませんように。
 くるぶしの匂いで即死したチャバネゴキブリのようなサイトを公開しませんように。
 あんよの裏でゴキブリを叩き潰すときの音みたいなしつこい羽音を立てませんように。
 フニャチンなケツ穴ファシストとして嫌われませんように。
 肛門に炭酸浣腸ぶちこまれませんように。
 まだ生きていることが信じられないほど下劣になりませんように。

 それから、それから…。あと、何でしたっけね。
2003年12月21日(日) ちえんちう
 昨日の日記ですが、「誰について」の祈りかは推して知るべし。

 馬鹿話。

美 森「今朝の女子駅伝でな。」
らむだ「うん。」
美 森「『にいや』選手が区間1位だったぞ。」
らむだ「なにー(笑)。」

 それ反則です(違)。

 咲耶SSも書けていない現状を忘れつつ、自分的「今年の十大ニュース」。番号は順位と関係ありません。

1.シスプリが公式に終了。
 『電撃G's magazine』誌でのシスプリ連載が完結、その刊行こそ残っていますが、ゲーム版もプレミアムファンディスク発売によって一段落。公式終了とともに、ウェブ上でも「しすぷりんく」終了など、様々な幕引きがありました。「いつか祭は終わる」、そんな台詞が頭をよぎる出来事でした。

2.シスプリファンサイトグループの拡大。
 その公式終了にも関わらず、シスプリファンサイトの勢いは全体としては止まらず、かえって加速した部分もありました。とくに「変態の館」に代表される新たなサイトグループの方々が大躍進。古参サイトとの相乗効果で、ウェブにオフに同人誌にと八面六臂。まだまだ祭は終わらないと実感させてくれました。

3.ファンによる企画「シスター・プリンセス・メーカー」開始
 その中でも特筆すべきことの一つは、このファン企画でした。原作の要素を継承しつつ、独自の妹を創造していこうとする営みは、多くの人々を招き入れ、企画者・参加者それぞれの発案と相互交流に基づきながら、豊かな世界を構築しつつあります。

4.シスプリバンドRePure初公演
 もう一つの特記事項は、このファンによるバンドのファーストライブでした。神崎ちろさんが同時に公演するという、プロとファンの境界線がきわめて薄くなっていく驚き。そして、ファンバンドも声優もひっくるめて、作品を愛する者として声援を送り楽しむ観客達。シスプリ者の一体感が、まさにここに現出したのです。

 で、こういったお祭に全く参加してないのが自分なわけで…。とほほ。

5.アニメ版シスプリ考察が2作品分完結。
 ここからは個人的なこと。昨年始めたアニプリ考察が3月に、その後続けたリピュア考察が11月に書き終わりました。べらぼうな労力を費やして、シスプリ馬鹿としての記念碑をうち建てた気分です。また結果的に、このサイトの方向性を決定しました。

5.パロディコンテンツ『シスター・プリンセス Wake Up !!』公開。
 昨年の『マジカル☆ヒナ』に続き、アニプリを元にした番組二次創作を4月に試みてみました。完成したことももちろんですが、制作にあたって多くの方々からのご協力をいただけたことが、何より嬉しく思いました。あらためて感謝申し上げます。

6.ハルヒ論議に参入した結果、kagami氏から「敵」認定。
 先日もその経緯を記しましたが、いろいろと学ぶことの多かった、しかしそのための労力も後遺症も過剰だった事件です。ハルヒについては、来年まとめます。

7.脳内オフで旅の宿「かれん」に行く。
 十分に参加できなかったのは痛恨の至りでしたが、次回は何とか。今年は「可憐アンテナ」メンバーそのものも拡大しましたね。

8.電話・家賃の滞納を繰り返す。
 例年のことですが。6月から7月にかけては、2週間の間に電話が3度も停止するという大技を編み出しました(社会人失格)。

9.誕生日にアイスピックと尿瓶をもらう。
 その尿瓶でビールを飲んで悪酔いしました。

10.その他

 以上です。
2003年12月22日(月) 浮上
美 森「昨日の十大ニュースだがな。」
らむだ「うん。」
美 森「10番目の『その他』ってのは何だ。」
らむだ「あ、そのツッコミを待ってました。」
美 森「いや、お前のことだから、終わり近くになったときには
    これが『十大ニュース』だということを忘れてたんだろうと思った。」
らむだ「あうー。」

 駄目なことにかけては随一の信用あり。

 『Sister Freedom』さん(12/18分)から、シスプリサイト管理人=トランスフォーマー編。これによりますと、ぼくは「メトロフレックス」。TFほとんど知らないので検索してみたところ、見つけたのがこちら。でかいっ。移動基地っ。異常キティっ(笑)。
 『ランバダ咲耶』さんから、シスプリサイト管理人=スパロボオリジナルロボット編。これによりますと、ぼくは「ガッツォー」。スパロボ全く知らないので検索してみたところ、見つけたのがこちら。敵役だっ。しかも嫌爺系だっ(大喜)。好みとしてはむしろこちらの姿ですが。あと、一緒に見つけたパクマン&エルエル
 『ちまわり』さんからは、シスプリサイト管理人=ストリートファイターキャラ編。これによりますと、ぼくは「ギル」。このゲームも全く知らないので検索してみたところ(こればっか)、見つけたのがこちら。敵役だっ。しかも変態だっ(狂喜)。
 騒ぎ方が大人気ない。大人毛ない(違)。割とでかめ強めのキャラをあてていただけてるみたいで、ありがたいことです。それにしても『萌え文集』仲間うちでのぼくのイメージとえらい違いです。なんといっても尿瓶ですから(自業自得)。

 『Sister Freedom』さん(12/21分)から。「ネオシスターを通して原作のシスプリへの理解を深める」というのは、間違いなくぼくのリピュアBパート考察のスタンスと共通するものです。そしてそこでも書きましたが、原作(とくにキャラコレ)の分析というか検討が、いまこそ必要な気がします。アーキネオシスターのためには、なおさら。
 その場合、原作の分析(フォーマットや文体から、内容に至るまで)がなされることはもちろん、もう一方で、シスプリメ作品に対する評価・批判をどこかで行わねばならないかと。参加者が自分で行えばすむのかもしれませんけど、アーキネオシスターに限って言えば、やはり厳しめの第三者に評価してもらうべきだと思います。そんな嫌な役回りを進んで引き受ける人はまずいないわけですが…これってつまり、眞深の立場なんですよね。
 とりあえず、自分に協力できるとこから手をつけよう。キャラコレのフォーマットを調べよう。

 せいるさん12/11分)の
「外を変革する力に自覚的すぎるから無自覚に断絶を考えてしまうのかもしれない。」
という言葉が、とても印象深かったです。うまく反応できないのがもどかしいですが。

 アニプリ続編たのみこむも賛同者が30名に。

 最後になりましたが。
 ああ、しのぶさんにそう言っていただけて、あんよ袋があんまぁい汁でいっぱいになるのです。ありがとうございます、なんかもう驚くほどすっきりしました。実感として、真っ黒な螺旋が断ち切られました。
2003年12月23日(火) 今日だけキンノー
 昨日記したことを実行してみる。キャラコレについての、表面的な検討。

1.文字数、行数、ページ数
 最も基本的な形式として、1ページあたり33字×15行(495字)、1話あたり8-9ページ。
 各巻の行数については、以前の日記と美森氏による分析を参照。

2.兄呼称数と「はぁと」数
 以前の日記と美森氏による分析を参照。妹間にそれなりの差がある。

3.独立した兄の台詞の数
 これは、文中に「(兄の台詞)」が挿入されるのではなく、行の頭から終わりまで「(兄の台詞)」のみが独立して記されている箇所をさす。
 例:第1巻第4話p.50「か、可憐!遅くなってゴメンな……」
 このような箇所の数は、以下のように個人差が大きい。
 可 憐:1(p.50)
 花 穂:2(p.46,85)
  衛 :4(p.38x3,87)
 咲 耶:4(p.35,38,40,62)
 雛 子:3(p.49,50,62)
 鞠 絵:6(p.36,38,48,62,74,84)
 白 雪:6(p.15,16,23,40,87,88)
 鈴 凛:19(p.12,13,39,46x2,47,48x2,50x2,58,63,67,69,71,74x2,75,86)
 千 影:14(p.10,21x2,22,28,36,38,39x2,45,62,75,81,82)
 春 歌:6(p.15,40x2,55,75,82)
 四 葉:5(p.11,27,48,52,62)
 亞里亞:5(p.26,39,82,83,86)
 これをもって兄との「距離」ととる場合、例えば咲耶の少なさなどが問題となる。だがこれは、次に見る内容構成と深く関わる事柄でもある。いずれにせよ、兄の台詞と妹の台詞を並べた対話を多用することは、キャラコレ準拠枠から外れるものである。
 また、とくに文章形式としては、可憐の第5話が全編一貫して可憐の言葉のみで記されている。「」なしで綴られる、兄への語りかけの嵐。デートにはしゃぐ妹の感情をそのまま示すのに有効な方法だろう。

4.基本的構成
 各話を単純化して分類すると、以下の通りとなる。 
 可 憐:兄登場6、過去1
 花 穂:兄登場2、兄不在3、過去2
  衛 :兄登場4、兄不在2、過去1
 咲 耶:兄登場4、兄不在2、過去1
 雛 子:兄登場7
 鞠 絵:兄登場5、兄不在1、過去1
 白 雪:兄登場5、兄不在1、過去1
 鈴 凛:兄登場4、兄不在1、過去2
 千 影:兄登場5、過去2
 春 歌:兄登場6、過去1
 四 葉:兄登場6、過去1
 亞里亞:兄登場5、兄不在1、過去1
 例えば咲耶は、兄が登場しない内省的な話が多い(兄登場話でも同じ傾向あり)。また、兄登場話でも、兄が最初から登場している話と、後半・末尾でようやく登場する話とで大きく異なる。
 さらに兄登場話のうち、兄の家を訪問するのは6人(花穂、咲耶、白雪、千影、春歌、四葉)。妹の家に兄が泊まるのは7人(可憐、咲耶、鈴凛、千影、春歌、四葉、亞里亞)。訪問のみなら追加4人(衛、雛子、鞠絵、白雪)。外泊が1人(衛キャンプ)。デート・買い物などは全員。
 ここで特筆すべきは花穂。兄が直接登場しない話が多く、その結果、「お兄ちゃまの笑顔が見える」(p.26)という花穂独特の想いのかたちが、いっそう際だっている。なお、花穂には兄が泊まる話はないが、第7話末尾でお泊まりへの展開が確定している。

5.第三者
 二次創作で最も軽視しがちなのが、この「兄妹以外の存在」ではなかろうか。兄妹が他者からどう見られているのかを読者に示す第三者は、同時に、妹の想いを明確にしたり、兄が兄らしく振る舞う契機を与えたりする。
 可 憐:父母、祖母、ピアノの先生、ゆかり、綾小路、級友女子
 花 穂:母、竜崎先輩、チアの先生、みき、習字の先生
  衛 :父母、真理子、保健の先生、級友男子
 咲 耶:兄級友女子、コスメショップ店員
 雛 子:母、花火屋、奈緒、デパート店員
 鞠 絵:ミカエル、看護婦、ひばり、医者
 白 雪:めぐみ、ミナコ、先生、保育園児、カズ、マダム・ピッコリ、級友
 鈴 凛:小森、母、ジャンク屋、ジジ
 千 影:小さな悪魔、翼ある存在、キューピッド、小さな王様
 春 歌:桂子、老師、麹町、祖父母、ドイツ少年
 四 葉:兄学校関係者、英国寮母
 亞里亞:じいや、音楽教師、庭師
 いかに父母が登場しないかに改めて驚く。また、ほとんどの場合、兄妹関係に相対的な視点を与える(あるいは危機をもたらす)存在がいることに注意したい。

 以上を踏まえて、キャラコレ準拠枠を暫定的にこしらえてみる。

第1話:導入。妹の自己紹介、その長所・短所の明確化。
第2話:妹の特徴に由来する騒動。軽めのデートにもなる。
第3話:第三者の介入。最後に兄が登場して落着。
第4話:過去の逸話。そのときと今とを結ぶ兄との絆。
第5話:「お兄ちゃんの日」。兄との外出。
第6話:兄のお泊まり。兄との距離。
第7話:兄不在話。兄妹の未来へ向けての不安と希望。

 内容や順番は要検討です。
2003年12月24日(水) いう゛
 『蒼天』さん略歴内)、考察の紹介ありがとうございます。「読み物」としても面白い、という評価をいただけるのはすごく嬉しいです。

 こちらのがんすり評に触発されて。
 「義体」に少女ばかり用いられる理由は、大人や男性よりも少女の心身の方が手術・洗脳の条件に適合しやすいからだと考えます(第1話冒頭参照)。コストは「死なない暗殺者」としての長期的視野ではかられるべきでしょう。ただし、本当に長期的に使用可能かは別問題ですが。「無関係の民間人の命よりも政治家から降りてくる依頼や利権が優先される」という思想(というより現実)は、しばしば「国家理性」(マイネッケ)として近代国家の根底に息づいてきました。
 さて、幼児虐待とか、倫理的側面から(安易に)糾弾することを、ぼくも慎むとして。「ジョゼが北朝鮮の人間であり、ヘンリエッタが日本からさらわれた少女であったとしたら」という仮定の仕方は、果たして妥当なのかな、と思います。正しくは、「ヘンリエッタが目の前で家族を殺され自らも一晩中暴行された日本在住の日本人少女で、その彼女を日本国家が暗殺者に改造する」というものではないでしょうか。ヘンリエッタは拉致されてないから。あるいはトリエラの場合なら、「日本で売買の商品に出されていた少女を北朝鮮が保護して改造する」というものでは(彼女の過去は明確ではありませんが)。他にもアンジェラのように実の両親に殺されかけた少女もいましたが、ここで少女達は、そのままでは生存できなかった、あるいは生きる場所を与えられなかった境遇の者達であるということに、注意する必要があると思います。そして、彼女達がそうなったのは、別に国家・公社のせいではない。
 もちろん、そのような少女を生み出す社会を恨むこともできるし、そういう背景を与える作者を呪ってもいいし、そんな彼女達を「救う」かのように欺瞞的に振る舞いながら(そうでない場合も多々あるが)改造する公社の者達を蔑んでもいい。でも、読者が注意すべき問題はそこにあるのではなく、「義体」を必要として(あるいは有用なものとして)しまったこの社会・国家にあって、どうやって当事者個人が自らの人間性と自らの非人間性と与えられた任務とを、向き合わせたりそっぽ向かせたりするか、ではないのでしょうか。既にジョゼはヘンリエッタの想いを知りながら(第1巻)、いつも尊敬される人間でないと、と全く見当違いのことをうそぶき、第2巻ではカウンセラーからその欺瞞をなじられています。
 ところで、「やはりこれだけの数の大人の男たちが雁首そろえていてだれひとりとして最悪の事態を改善しようとしない様子は異様」とありますが、第2課所属の者達の多くは、何らかの後ろめたい過去をもつか、事情あってかつての居場所を失った半端者です。少女達とは雲泥の差があるにせよ、彼らもまたこの社会に明るい居場所を持たない人間であるということを忘れては、いわゆる偽善的な市民運動家達と同じような批判視点しか持ち得なくなってしまうのではないでしょうか。
 読者は別にジョゼの振る舞いを「正当化」せずとも、また「客観的に」批判せずともいいのです。問題はつまり、この先に待っているはずの破局にさいして、読者であるぼく達がいかにしてその破局の中での彼ら彼女らを矛盾そのままの弱い「人間」として受け止められるか、でしょう。
 肉体を改造され、精神も洗脳され、記憶も失っていく中で、朝方の涙だけがただ少女達そのものであるこの作品世界。それでもぼくは、ヘンリエッタをジョゼが選んだことを、読者の責任として祝福します。そのときのジョゼの後ろめたさや、せめてもの良心や、彼が気づかない闇などもまとめて。もはや他者との関係を絶たれた少女のそばに、そんな大人であってもいてやれるのなら、偽善をもってよしとします。
 なぜなら、ぼくはヘンリエッタに何もしてやれないからです。ただ一つ、彼女の生きる姿を今後も追いかけて、そこから何かを自ら見出そうとする以外には。これに対して海燕さんは、作品の大前提を否定することで、その世界に向き合うことを、放棄されているように思うのです。もちろん読者にはそれぞれ好みがありますので、嫌いな作品を無理に読む必要は全くありません。ただ、その場合には、「嫌い」とだけ記せばすむ話です。
 なお、海燕さんは掲示板にて、議論を期待してあえて「挑発的」に書評されたと記してますが、ぼくはどこまでが「挑発」なのか判断できませんでしたので、全部文字通りに受け止めてみました。
2003年12月25日(木) 真面目にシスプリメ
 『Sister Freedom』さん(トップのクリスマス絵が凄い)の、12/24-25分日記に反応して。あと、その記述のきっかけである『ナルラトホテプ』さんの日記(12/22-23分)や、その記述をうけての『double bells*』さん12/25分日記にも関連して。
 26さんのご意見に基本的に賛成なのですが、ある自由参加企画を「質的に発展」させようとするとき、いつも問題になるのは、「自由に参加した人間に、他者が定めた『発展』の方向性を強制することは困難」ということです。ここで急いで注意しておくべきは、その「発展」の向きが本当に正しい&望ましいものかどうかがまず問われるということ。そして、それがもし本当によい方向性だったとしても、強制することは「自由参加」の名目上、無理だということです。もちろんこの場合の「自由」とは、シスプリメに参加する基本要件(シスプリメページにあるいくつかの規定)に既に準拠してのことですので、いわゆるフリーハンドというわけではありません。
 ただし、シスプリメの場合、そのような「自由」が最大限認められる人達と、はるかに強制的な枠組みの中で動かざるを得ない人達とがはっきり区別されています。前者が、現在参加している人達。つまり、ネオシスターの兄姉達です。では後者はというと、これは未だ登場していないところの、アーキネオシスターの兄姉を指します。「戦わなければ生き残れない」とされるのは、この後者の兄姉についてのことだと、ぼくは理解しています。彼らは、原作にできるだけ接近しつつオリジナルシスターを創造・育成していくことが求められ、また、もとよりその自覚のもとに参加するものです。ですから、参加者やファンの裾野を広げるためにも比較的自由度の高いネオシスターと、原作に向かってあえて挑むアーキネオシスターとでは、おのずから取り組み方も周囲の判断も違って当然ですし、大多数が前者のつもりで参加している現状で、後者向けの批判を行うことは誤解を招きやすいと思います。(ぼくも12/22日記では、アーキネオシスターということを強調しているつもりですが。)

 とはいえ、このアーキネオシスターについての規定ですが、『鞠絵さまがみてる』さんからはリンクされているものの、シスプリメページからはリンクされていません。アーキネオシスターについて、最近位置づけが変わったのだとしたら、上記のぼくの文章は全く意味を失いますので、無視して下さい。しかし、そうでないのだとしたら、お互いの善意と努力とが誤解によって衝突してしまう前に、参加するさいの足場のありようを明確化しておくことが必要でしょう。それを整理すれば、次のようになるでしょうか。

<ファン>

1.読者
 完全に読者。見るだけ、読むだけ。

2.参加型読者
 読者だけど、例えばネオシス同盟などに入って積極的に楽しむ。人によっては一時的にヘルパーに加わることもある。

<クリエイター>

3.ネオシスター創造者
 高い自由度で自作妹を創造・育成する。ただし、アーキネオシスターほどには企画を用意してもらえることはなく、個人あるいは集団で自主的にイベントを起こすことが必要。

4.アーキネオシスター創造者
 原作に最大限準拠した低い自由度で自作妹を創造・育成する。ただし、企画を用意してもらえたり、12人(仮定数)用の物語世界を設定してもらえたりする。

<企画者>

5.ヘルパー
 クリエイターの補助を行う。絵やテキストの補完も含む。

6.基本企画者
 企画を立案し、クリエイターを指導する。ア−キネオシスターを選定・管理する。

 以上ざっと並べてみましたが、現在は4.が欠落し、2.が今後の拡大を望まれている段階です。氷室さんの反論は、26さんが全ての3.ネオシスクリエイターに4.アーキネオシスターの要件を課そうとしているかのように受け取られた結果の、それ自体としてはきわめて正当な不安に基づくものです。しかし、26さんの本意は必ずしもそのような強制にはなかったと思います。そして、アーキネオシスターの要件は、ようやくいま分析され議論されるべき段階にさしかかっています。この分析・議論と、ネオシスター育成とを、交錯させ混同してしまわないように、ぼく達は注意すべきではないでしょうか。

 さて、こんな説教まがいの文章を綴っているぼくはといえば、氷室さんの楓ちゃんが大好きだし、26さんのシスプリ愛にも共感しています。そんな自分の役割とは、クリエイターでない限りは、読者か企画者。しかしまだ原作の原作たるゆえんが明らかになっていない今、ぼくの持ち分はやはり分析めいた基礎作業にあるのではなかろうか、と。この分析については、

A.形式
 文字数や行数など。先日一応終了。
B.文体
 句読点の使い方、会話の綴り方、間の取り方など。先日若干手をつけた。
C.内容
 エピソードの中身、細かな描写とその対象、少女観・妹観そのものなど。ほとんど手つかず。

 といった感じで、枠組みさえ曖昧なままです。ぼくもできるだけ頑張りますが、どなたかこういうの得意な方はおられませんかね。
 あ、そだ追記。キャラコレで「あれの個数を数える」とかそういう作業が必要な場合は、遠慮なくぼくに掲示板でもどこでもお求め下さい。それが必要な理由さえ納得できれば、お役に立ってみせます。
 さらに追記。U-MAさんが「具体的に」と求められるお気持ちはよく分かるのですが、例えばご自身でマイネオシスのSSなどを書かれるときに、自分が公野氏の原作のどこに注目し・何を原作らしさと認め・今回それをどうやって自分の作品にも込めようとしたか・といったことを念頭におき、また作品公開のさいにもどこかに記していただけるとありがたいかもしれません。そうすることで、クリエイターが原作をどう読んでいるかが読者・企画者に分かりますし、企画者がまだかたちにできない原作の「アトマスフィア」も、クリエイターによる実践的な蓄積によって、帰納的に明らかになってくるかもしれないからです。もちろん、自分の作品に註釈をつけることほど、クリエイターにとって嫌なことはないかもしれませんから、あくまで一つの案ということで。これもまた、ぼくが考察で述べた「リピューリタン」としての、クリエイター的相互補完行為の例ですし、26さんが記された「再検討」の意味内容だと考えます。
2003年12月26日(金) ぐるんぐるん
 そうか、世の中はコミケなのですね…。
 今年のシスプリ関連の情報は、『映像技術部』さん宣伝ページ『H嬢(♂)のゆううつ』さんの「冬コミリストonネット」などをご参照あれ。

 咲耶=「PURE SNOW」は絶対ですね。その可憐も(笑)。鞠絵=松井菜桜子「呪いのサマーセーター」というのも考えましたが。あと、「野暮」というご指摘はそのものずばり。

 シスプリメについて、昨日は書きすぎだったかもしれません。だけどまあ、憎まれ役も必要なこともあるでしょう。今日はシスプリメクリエイターの方々のご意見を、気づいた範囲でリンクしてみるの巻。
 『いちおくまんえん』さんこちら、この議論の提案者でしょうか)、『T H E.』さんこちら)、『ナラルトホテプ』さん12/26分特設)、『鞠絵様がみてる』さん(12/25分)、『Augurio』さん(12/26分)、『如葉亭』さん12/25分)、『Ringo's Garage』さん12/25分)、『うさうさ亭』さん12/25分)、『華麗'd scope』さん(12/26分)、『陰陽龍』さん(12/26分)、『Sisprism』さん(12/25分)、『こまち×こまち』さん12/24分)、Zoroさん12/26分)。
 様々なシスプリ観や原作(キャラコレ)観、シスプリメへの構えなどを、こうして知ることができるというのも、ファンとしてありがたいことです。とくに『ナラルトホテプ』さんには、クリエイターでも企画者でもないぼくの問いかけにお答え下さり、本当に感謝してます。考え方の違いを確認できたのはとてもよかったです。

 個人的に反応した言葉というと、例えば陰陽龍』さんの26さん言明に対する解釈、「ネオシスからアーキネオシスターへの昇格を考える人が妹を動かす上での心構え」。これには共感します。つまり、それを考えない人は、原作との関係を深刻に考えすぎないでもいいのではないか。
 これはもちろん、現在のネオシスに優劣をつけようというのではなく。ぼくがしばしば驚嘆するのは、クリエイター同士の発案・協力によって、既に多くのイベントやSSリングなどが生み出されていることです(ここでの氷室さんの力添えは、テキスト・絵の両面で、また楓ちゃんを真ん中にしての関係づくりにおいても、とても大きい)。そこにはおそらく、独特な妹相互関係が創造されつつある。過渡期にだけ備わるニュアンスが存在している。けれど、もし彼女達にアーキの枠を後からはめたら、それらの素晴らしいものを失わせてしまうのではないか。読者として、そう懸念しているわけです。
 ただし、現状における相互交流を、『電撃G's magazine』第1期連載時の霧賀ユキ氏によるディフォルメキャラマンガと重ねられるならば、この問題は杞憂に終わります。でも、あのマンガでは、まだ妹間の交流が「公式には」なかった一方で、パロディとして全員集合のさまが描かれていたのです。そしてぼくの理解では、あの本誌パロディがあればこそ、その後の公式全員登場も軋轢なく実現し、シスプリ界を豊かにすることができました。しかしこのぼくの言い方は、おそらくクリエイターの方々には大変失礼なものでしょう…お詫びいたします。クリエイター個人にとってのマイシスと、シスプリメ全体におけるその位置づけとが、うまく調和する方向性を、じっくり考えたいところです。

 このへんについては、『Sisprism』さんの「ネオシスターも原作妹達と同じ軌跡を辿る」というご意見を、自分なりの解釈で強く意識しています。また、同氏の「原作特有の『読者(兄)が原作エピソードから更に踏み出して想像する余地』」を今後も残しておくべきという、長期的視野にたった示唆は卓見だと思いました。
 ところで長期的展望からすると、『こまち×こまち』さんからの(他人のネオシスの設定をきちんと踏まえることへの要望は全くその通りとして)「現時点でのネオシスの人数、どう思われていますか?」という問いかけが非常に鋭く迫ってきます。「現在、関係者が目の届く限界のギリギリの範囲」というご意見にはぼくも賛成です。ただし、氏ももちろん留意されてますように、これは新規参加者をはじく意味でのものではなく。このままの拡大を続けていくと、いつかネオシス全員を追い切れなくなって、相互交流が立ちゆかなくなり、企画自体がはじけちゃうのでは、という危機感によるものです。
 ではどうすればいいかと言うと、アーキネオシスタークリエイターをいま決定するのは難しいでしょうし、あるいは共通の「兄」のもとグループ化をはかって最低限必要な「目の届く範囲」を限定してしまう、というのもちょっとどうか。
 多くの方々がおっしゃるように、しばらく現状のままで自分の務めに専念し、頭が冷えたらもう一度考える、というのが一番かもしれません。そうです、聖夜にさんかく座を見忘れているような自分は、とくに。

 追記。というわけで、自分のなすべきことに立ち返ります。キャラコレ各話の行数を、兄呼称数で割ってみた(分布図はこちらの「行数vs兄数」とこちらの「度数分布」を参照)。これによって、何行に1回「兄」を呼ぶかが分かる。これをとりあえず「兄呼値」と名付けておく。値は、数字が小さいほど頻出ということで「高い」(分かりにくくてすみません)。

 妹名前:平均値 (第1話から第7話までの各話の数値)

 可 憐:2.35 (2.60 / 2.61 / 2.30 / 1.89 / 2.08 / 1.85 / 3.72)
 花 穂:4.58 (5.16 / 2.65 / 7.57 / 4.00 / 4.25 / 10.7 / 4.08)
  衛 :3.83 (3.89 / 5.32 / 2.34 / 9.27 / 2.79 / 3.63 / 5.24)
 咲 耶:2.78 (2.25 / 10.6 / 2.12 / 2.29 / 2.72 / 3.40 / 2.45)
 雛 子:3.22 (2.69 / 4.12 / 2.52 / 3.54 / 3.90 / 3.00 / 3.43)
 鞠 絵:3.86 (3.70 / 5.83 / 3.32 / 6.80 / 9.27 / 2.40 / 2.31)
 白 雪:3.77 (3.10 / 2.36 / 6.88 / 7.20 / 8.92 / 2.92 / 2.76)
 鈴 凛:4.35 (5.22 / 3.93 / 4.07 / 4.30 / 6.31 / 3.65 / 3.85)
 千 影:3.81 (2.68 / 3.08 / 2.71 / 6.64 / 5.75 / 7.71 / 3.52)
 春 歌:3.78 (5.00 / 4.76 / 3.22 / 9.83 / 2.76 / 4.23 / 2.20)
 四 葉:2.96 (2.48 / 2.78 / 2.52 / 2.83 / 3.69 / 4.26 / 2.95)
 亞里亞:4.33 (3.47 / 4.40 / 15.2 / 20.6 / 6.69 / 5.26 / 1.62)

 事前予想では、兄が登場しない話・兄が最後にのみ登場する話・第三者介入話では兄呼値が低く、デート・お泊まりでは値が高い、というものだった。
 しかし、とくに可憐第4話では、ピアノ演奏会に兄がなかなか来ないことへの不安が、逆に凄まじい勢いの兄呼値(1.89)を生んでおり、お泊まりの第6話(1.85)に迫っている。他の妹に比べて圧倒的に兄呼値が高い可憐だが、いるはずの兄がいない状況での兄希求度がいかに強いかが分かる。しかもこれが雛子の迷子話(第6話、3.00)さえ越えていることに注目したい。
 花穂は、可憐と対照的に、遠くの兄をピンポイントで想う話や回想話が多い。値が低いのはお泊まり話がないためでもある。唯一高い第2話はチア話。第6話(子猫の話)は兄呼値が低いにもかかわらず、子猫と自分を乳児期の自分と兄になぞらえることで、重要な視点を与える。
 衛は、値が高いときには兄のそば、低いときは兄不在という分かりやすさ。第4話は自転車が届いた話だが、ここで衛はツーリングの爽快感によって不安を吹き飛ばしていることに注意。
 咲耶は、第2話「ホーリーウェディング」(リピュアBパートのあれ)だけが突出して低く、あとは可憐に劣らず。可憐ほど兄と直接会っていないにもかかわらず、内省的独白が全て兄関連なのがその原因。花穂の場合は、兄以外の第三者との会話で兄が想起されない箇所が多いのだが、これとも対照的。
 雛子は、第三者(母、ライオン、カエルなど)が登場すると値が若干低くなるものの、兄登場話が多いため、結果的に平均値は高い。「おにいたま」が5文字であることを考えれば立派。
 鞠絵は、兄ピンポイント登場による低値話と、とくに第6・7話のデートをめぐる高値話の差が大きい。それでも後でみる亞里亞より差が小さいのは、鞠絵ならではの想いの深さか。
 白雪は、第3話(ミナコ)・第4話(カズくん)・第5話(マダム・ピッコリ)と第三者話が続くため、それらの低値話で平均値が悪化しているが、それらを除くと可憐・咲耶に十分追随できる。
 鈴凛は、導入・紹介話である第1話で小森さんが登場するという意外性。しかも第3話(パーツ買い)・第4話(幽霊話)のデートでさえ、他の妹並みの高値にならない。彼女らしい兄との距離を指し示す。
 千影は、第4話(前世)・第6話(球)の過去話と、第5話(キューピッド)の第三者話の値が高いという普通の傾向。残りの話は可憐達に次ぐが、「……」がやたら多いことを考えると相当高い。
 春歌は、第1話(桂子)・第2話(麹町)の第三者話や第4話の過去話で平均値を悪化させている。第6話(七夕)も低いのが意外だが、これは「催涙雨」説明などのため。それ以外は順当。
 四葉は、全編兄チェキにより平均値が第3位。ただし第5話(夢遊病)での状況説明や第6話(英国)の過去話のため、やや悪化した。それでも第6話は過去話としては良好(4.26)。
 亞里亞は、第3話(サーカス)・第4話(音楽)の第三者話できわめて兄呼値が低い一方、兄お泊まりの第7話では全妹最高値(1.62)。目の前の状況を受け止めるのに精一杯な日常は、いざ兄を迎えたときの精一杯のまなざしと連続している。

 たいしたこと言えませんでしたが、一応暫定的に。それにしても、例えば兄呼値2.00というのは、66字に1回「兄」を呼ぶということです。400字詰原稿用紙なら6回。大変なのかどうなのか。つか、ここから今後、何か意味が出てくるのか。
2003年12月27日(土) 脱兎
 昨日からのシスプリメ−原作論議の経過。こちらで確認できたのは、『Sister Freedom』さん(12/26分)、『T H E.』さん(12/26分)、『月夜宴』さんこちら)、『いちおくまんえん』さん(12/27分)、『よつばねぎ』さん(12/27分)、『華麗'd scope』さん(12/27分)、『Romantic connection』さん12/26分)、『double bells*』さん12/26分)。

 しかし、クリエイターという方々はすごい。ぼくは本質的に物語を最初から創れない人間なので、考察とかパロディとか数かぞえとか、そういうことしかできないわけです。以前利休さんが、「考察を書くだけのエネルギーがあったら、自分ならもう一つ作品を創る」と述べられたことを思い出します。オリジナルなものに憧れながら、ぼくは外野に居続けるのでしょうか。
 『Wake Up !!』の玲香キャラコレをストイックに綴ってみたいという気持ちもあるのですが、力が足りないの。
 それでもSSを書いてはみているわけですが、そのさいのぼくの基本姿勢は、「アニメ版の兄妹達を、よりキャラコレ的な立場から補完する」です。すごい中途半端というか、公式のゲームストリーズと同様のことをアニメ版で行おうとしているあたりは傲慢というか。

 さて、キャラコレの中身についての検討は、『T H E.』さんも既に模写とともに開始されているご様子です(あれは全部読みたい)が、ぼくもぼくなりに試みてみます。対象は第1巻(可憐)、第1話が中心。検討視点は次の通りです。
 リピュア考察で示したように、シスプリの妹達については、妹個人の特性(長所・短所含む)、兄妹関係の固有性、そしてシスプリ妹としての共通性という、3つの観点でとらえることができる。これらがキャラコレ第1巻において、可憐の姿の中にどのように表現されているのかを考察する。とくに第1話は各巻の妹の紹介を行う導入部であるため、それらの要素が何らかのかたちで網羅されているものと予想される。
 というわけで早速、項目を立ててみました。

1.お兄ちゃん大好き。
 当たり前のことですが、可憐は兄が大好きです。そして、そのことを最初に述べますが(p.7)、これは花穂達でも同様なのでむしろキャラコレ第1話の、そして妹達の共通性。

2.お兄ちゃんとは結婚不可能と自覚。
 でも好きな気持ちは変わらず(p.7)。「好きでいるだけなら」「ずっとそばに」いられるのではないか(p.16)というのが、可憐における兄妹関係の、妹側からの基本姿勢です。
 ところで、結婚を意識しているかどうか、それが不可能だと理解しているのかどうか、それでもなお諦めないかどうか(またその構えのありよう)などの意識の組み合わせで、妹達はそれぞれ個性をもちます。可憐の場合は、咲耶と同じ組み合わせですが、咲耶ほどの切迫感はなく、また第7話では祖母のエピソードによって、ある種の解決・妥協方法を学びます。

3.極限的思考。
 そう呼ぶのもあれですが。「この世界の終わりの日にたった1人だけ一緒にいたい人」は兄(p.7)とか、「お兄ちゃんにキライに思われてたら……どうしたらいいかわからないよ……。」(p.8)とか、せっぱ詰まった考え方です。2.で述べたように、結婚できないことに対してはそれほど切迫感はないものの、兄との関係そのものが断ち切られる可能性や、兄が自分のそばに”理不尽にも”いない状況(第4話)に対しては、2.の裏返しとして非常な恐怖心を抱きます。この恐怖心そのものは他の妹達にも一応見られるものですが、可憐の場合は、それが「世界の終わり」などの表現によって、想像世界の中で純化されています。

4.感情の振り幅。
 そう思いつめていながら、次の瞬間には「ピアノを弾くことに夢中なの!」(p.9)と一変。この振り幅もしかし、ある程度は妹達に共通のものですが。
 あるいはこれは、想像と現実の間をどう行き来するか、という項目として位置づけるべきかもしれません。その場合、例えば可憐と春歌はほぼ同列に扱われるでしょう。

5.表現の特性。
 可憐の言葉の特徴としては、繰り返し言葉が多いということがまず挙げられます。「ステキなステキな」(p.7)「大好きで大好きで」(p.14)など。幼児性なり少女性なりの一つの現れです。また、「っ」(撥音便でしたっけ)が多いのも目立ちます。
 また「!」や「はぁと」の多用については、これも感情表現としてそれなりに妹達共通ですが、差は大きい模様。「はぁと」の数については、以前の日記と美森氏による分析参照。ただし「はぁと」にも、心からの愛情表現である場合や、たんなる愛想の場合や、全く兄と関係ない場合などがあり、これらを区別して考える必要があります。

6.性的ニュアンス、誤解を招く表現。
 「ゆかりちゃんも、やっぱり可憐のお兄ちゃんみたいに優しくっておっきくてあったかーい手になでなでしてほしいよね。」(p.13)など。これはゲーム版などの方が顕著ですね。可憐特有の、分かってない・微妙に分かっている・表現形式です。咲耶や春歌ほどの直球ではなく、衛や白雪、四葉に近いものでしょう。なお、同じ直球でも咲耶や千影は分かっている直球、春歌は分かっていない直球でしょうか。性的含意とその禁忌性の自覚度との兼ね合い。

7.行動特性、とくに平手打ち。
 第1話の焦点とされてきた必殺技コンボ第1段。可憐しか行えない行為なのかどうか。それは兄を想う可憐の心のありようを如実に物語っていました。ともかくこれ自体もものすごい衝撃なのですが、これと併せて注意したいのは次の箇所。

8.周囲への敏感さとその偏向。
 綾小路くんに平手打ちをかます直前に周囲がシーンとなるのは、兄妹は結婚できないとわざわざ可憐に告げた「綾小路くんがあんまりヒドイって、きっとみんなも思ったから……。」(p.14)と可憐は考えています。ですが、普通に考えればここで一同が沈黙したのは、可憐の友人のゆかりちゃんが綾小路くんを好きなのに、そのゆかりちゃんの目の前で、綾小路くんが可憐を好きだと言ってしまった、この三角関係の修羅場の出現に対してだったはずです。
 しかぁし可憐の考えはそうではなく、綾小路くんに対する自分の悲憤を、周囲の者達が共感してくれたものと受けとめています。それを踏まえてこそ平手打ちが可能になったのだとすれば、ここには周囲の反応を敏感に察して振る舞うという側面と、それにもかかわらずその察知の仕方が、とくに兄に関連しては、かなりずれているという側面とが、描かれています。これらのうち、周囲に敏感なのは可憐の特性でしょう。偏向については、兄に関連してという点では妹達にほぼ共通ながら、その度合いを見ると、可憐の特性を示すものと言えそうです。

9.救うのは兄。
 泣きながら綾小路くんにとどめを刺した後、なおも泣きながら家路につく可憐の前に現れたのは、兄でした。兄に「甘えん坊」と認められている可憐は、兄の胸に飛び込むことで、「悲しい気持ちがみるみるとけて」いきます(p.16)。妹の問題が兄の登場により一挙に解決するというのは、シスプリの共通形式です。(これの高等なバリエーションは、兄の顔を思い出して解決するという花穂第2話。)

10.第三者の処遇。
 キャラコレに登場する第三者は、どこまでも兄妹関係を描写するための道具にすぎません。綾小路くんもゆかりちゃんも、可憐の悲しみを兄が癒すという展開を可能にするための存在です。だいたい綾小路くんの好意など、可憐にとっては完全に眼中になかったわけで(これは可憐の特性)。
 ただし、これだけで終わってしまうのも何なので。シスプリが基本的に「幸せな物語」であるためには、この第1話で可憐が行ったことは、とくに「綾小路くんなんかきっと一生ずっとちびっこ」「綾小路くんなんかもうよしたほうがいいよ」(p.15)などという台詞を鑑みてもあまりにやりすぎっぽく思えます。それは可憐の悲憤の激しさと兄への想いの深さを確かに明示してはいるのですが、しかし綾小路くん達にも同情したくなります。
 ところで、ここで第4話「ピアノ発表会」で彼らの名が登場していないことに注目すると、例えばこんなことが想像できないでしょうか。二人はその後、気まずいままにピアノ教室をやめた。いやそうじゃなくて、可憐に平手打ちをくらった後、綾小路くんは傷む頬を押さえながら、可憐が残した罵倒の言葉に絶望していた。しかし、そこでゆかりちゃんが(可憐にああ言われたにもかかわらず)ハンカチを差し出し「大丈夫?」と慰め、これをきっかけにして二人はいい仲に。
 つまり、あのままうやむやに終わっていたら三角関係が維持され、ピアノ教室にギスギスした雰囲気が充満していたはずですが、それを可憐が、周囲の反応への誤解に基づく必殺コンボを披露することによって、なし崩しに最善の解決へと導いた、というわけです。もちろんピアノ発表会には、綾小路くんとゆかりちゃんは仲良く参加している、と。
 同様に、春歌第2話登場の麹町は修行不足ということで成長の契機を与えられるでしょうし、鞠絵第5話のひばりちゃんは淡い失恋を乗り越えて健康な体とともに羽ばたいていきます。少なくとも具体名が示される第三者には、それなりの報酬が用意されていると考えられるでしょうか。
 その例外が、亞里亞のじいやさんです。彼女は亞里亞に「兄やが……じいやの代わりに亞里亞のお家に来てくれたらいいのにな」(p.27)とまで独白されてしまってます。第5話や第6話でこの印象は軽減されるものの、根本的な解決は、じつにリピュアAパート第7話を待つしかありませんでした。

 項目が整理されてませんが、さしあたりはこんなところで。来年はキャラコレ考察でしょうか。

 馬鹿話。

美 森「お、なんだ仕事中だったか。」
らむだ「いや、大便してた。」
美 森「それにしちゃ、電話に出るのが速かったな。」
らむだ「拭いてないからな。」
美 森「普通、拭かないよね。」
らむだ「なにーっ。」

 負けました。

 こんな会話を残しつつ、帰省により今年の日記はこれまで。皆様、よいお年を。あと、ぼくはちゃんと拭いてます(最悪)。
2003年12月28日(日) 忘年会
 ここより、1月に入って更新してます。

 新幹線に乗り、缶チューハイを飲みながら一服。
 実家に帰省して、甥や姪をあやしたりびびらせたりする。
 これだけ書くと、完全におっさんです。

 新幹線の中では、シスプリのことばかり考えてました。
 これを書いても、変態なおっさんにしかなりません。

 美森氏、猿元氏と食事。そして占星術本を頂戴したり、今後1年を占ってもらったり。かなり納得できる内容で、びっくりしました。
2003年12月29日(月) めも
 実家にて作業。すなわち、シスプリ考察の微修正。後日チェックすべき点をとりあえず列記。
・アニプリ第8話「『看病して』くれるのはじいやだけ」、『 』内部の台詞を確認
・第17話、老人のせりふを挿入
・第18話、事典引用にページ数を挿入
2003年12月30日(火) 大掃除
 実家の掃除の手伝い。そして筋肉痛(虚弱)。
 今日はコミケもたけなわなんだなー、と思いつつ、親の老いを実感しつつ。

 夜、シュヴェスターの構成をいじろうとして、小ネタばかり集まる。だめっぽい。
2003年12月31日(水) 大晦日
 ああっ、曙がっ…(予定調和)。

 今年も終わり。年越しの時間は、結局シスプリ考察の微修正で送りました。来年は本気で同人誌にまとめましょう、夏あたりまでに。
 そしておそらくそのあたりの時期をどう乗り切るかが、シスプリファンとしての試金石。自分なりに頑張ります。

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