日記
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2003年8月1日(金) ハルヒ追い込み
 3日分溜めました。ハルヒ文章もようやく結末部です。

2(7)収束

 意識では「自分を変える」努力に邁進してきたつもりのハルヒは、無意識では「自分を変えずに世界を変える」ことに努めてきました。それは、一方では長門さんや朝比奈さんという異質な存在を招きよせ、一方では自分の欲求不満を発散しつつ世界破壊を回避するための機能を古泉たちに付与するというかたちで具現化されていきました。しかしそのいずれもが、ハルヒに認識されうる「面白い謎」にはなりえませんでした。そして、高校生になっての同好会設立という試みは、ハルヒにとり全く新たな行動の局面を与えてくれるものでしたが、これがキョンをめぐる葛藤を通じて破綻してしまうと、意識における「自分を変える」「自分で作る」のいずれの方向も袋小路に陥り、ハルヒは何もなしえなくなります。だからといって平凡な日常に回帰しようとしても、もはやそこにはキョンはいません。いるとしても、おそらくは朝比奈さんの横。
 こうして唯一の共感的理解者としての(そしてそれ以上の存在であるはずの)キョンを失うという事態に直面したハルヒは、無意識において、ついに世界の再創造を決心してしまいます。この手始めにハルヒは閉鎖空間内部の学校にキョンとともに出現しますが、ハルヒの意識は、なぜキョンと二人きりなのか、なぜ学校なのかを理解できませんし、この「気味が悪い」状況を不安に思います(p.267-272)。探索行ではキョンの裾をつまみながら(p.270)。この時点では不安の現れであるこの態度は、その後の場面でキョンが身を挺して自分を庇ってくれたり手を引いてくれたり(p.280)といった彼の積極的行動とあいまって、キョンにリードされることの漠然たる喜びを彼女に与えます(「なぜだか少し嬉しがっている」p.280-1)。これこそ、彼女が求めていたキョンとの時間、キョンとの関係ではないのでしょうか。ハルヒはこの「気味の悪い」世界に、一つの肯定的な意味を見出します。
 そして、より決定的な肯定は、ハルヒが巨大な神人と遭遇した瞬間に生起します。それは、彼女の意識と無意識の遭遇であり、彼女が自分の無意識的な欲求に直面することを指し示していました。神人は学校を破壊していきます。学校はハルヒがキョンと出会うためにのみ必要な場所であり、それが果たされたのみならずキョンが自分だけを見てくれている今は、ここを通じての他者(朝比奈さんなど)の介入を拒絶するためにも破壊されねばなりません。その神人の振る舞いを、ハルヒは「邪悪なもんだとは思えない」と受け入れようとします(p.281)。自分の無意識を受け入れること、それは、キョンと二人きりになりたかったという、そしてそれを妨害する一切(世界総体)を都合よく再創造するという、自分の意識せざる欲求を、それと自覚せずに認めてしまうことでした。このままいけば、ハルヒは世界を無制限の欲求に基づいて再構成しつつ、キョンをそこに閉じ込めるという、最悪の展開が待っていたことでしょう。

 ではここで、キョンは何をなしえたのか。
 同好会員の3人からは、必要な情報やヒントが嫌というほど与えられました。古泉からは既に、ハルヒが消滅した後の世界について尋ねたことがあります(p.170)。ハルヒを殺すという選択肢がここで否定されます、もしキョンがそんなことを思いついていたらとしてですが。また、長門さんや朝比奈さんのヒントは、キョンの意識(「理性」)が受け入れられるものではありませんでした。「他人の思考を読める」かどうかが問題なのではなく、ハルヒが自分をどう思っているか、そしてキョン自身がハルヒをどう思っているのかが問題なのですが、「アダムとイヴ」という比喩にすら「そんなベタな展開を俺は認めない。認めてたまるか」と強弁するように、キョンはどこまでもその感情に向き合おうとしません(p.282)。この場面でハルヒが自分の無意識の欲求と自覚なく一体化しつつあるとすれば、キョンは自分の感情に直面させられつつも必死に抵抗している状態です。
 そこで、キョンは自分の内面の整合性を脇に押しやったまま、ハルヒの説得を始めます。「元の世界に戻りたいと思わないか?」と訊く声が「棒読み口調」なのは(p.283)、そこに感情が込められないからです。感情を込めようとすると、別のものが鎌首をもたげてしまうから。食物がない、という理屈には、ハルヒは「なんとかなるような気がする」。SOS団設立の責任については、「もう不思議なことを探す必要はない」。とりあえずつけてみた理屈は、こうしてハルヒに弾かれます(p.283)。続いてキョンは「俺は戻りたい」と自分の意志を明らかにし、「連中ともう一度会いたい」と語りますが、これは前の理屈と異なり、ハルヒに嫌な印象を与えます。キョンがこの世界を、この関係を拒絶するものと理解されるからです。それでもハルヒはさしあたりの妥協として、不本意ながら(「うつむき加減に」)、「会えるわよきっと」と、この世界に彼らも都合のいいかたちで再創造されることを、漠然とした予感のもとに約束します。ここで「あたしには解るの」と彼女が語るとき、それはいよいよ無意識の欲求が意識を併呑しゆくことの現われなのですが、キョンはさらに「元の世界のあいつらに」会いたいのだと告げ、ハルヒに対する決定的な拒絶を行ってしまいます。だいたい彼は、ハルヒと一緒に戻らねば意味がないということを、決して認めようとはしませんから。
 それゆえハルヒは「怒りと悲哀が混じった微妙な表情」で、キョンを共感的理解者として、唯一の他者として、繋ぎとめようとします。しかしその言葉は、自分の内面を観ようとせず変えようとしないハルヒの視線を、キョンにも共有してもらおうとするものにしかなりません。「あたしと二人きりじゃ嫌なの?」などと直截的な詰問など意識に未だ昇りませんから、つまりは非常に迂遠なものになるわけです。

「あんたは、つまんない世界にうんざりしていたんじゃないの?特別なことが何も起こらない、普通の世界なんて、もっと面白いことが起きて欲しいと思わなかったの?」
「思ってたとも」(p.284)

 これを肯定と理解したことで、ハルヒの無意識は神人の破壊活動を再開します。部室も粉砕します。ハルヒにとって、キョンはもう自分の側の人間のはずです。しかし、キョン自身はここで最後の賭けに出ようとします。その賭けとは、キスのことではありません(あれは賭けではなく解です)。キョンがハルヒに彼女の正体について、あるいは元の世界の真実について、明かそうとしたこと。これが最後の賭けです。「ヒントならすでにいくつも貰ってある」からと決意したのは、「世界はお前を中心に動いていた」「お前が知らないだけで、世界は確実に面白い方向に進んでいた」という言葉を紡ぐことだったのです(p.285-6)。ですが、これが全く無意味であることは明らかです。まず、キョンからの情報をハルヒは重視しない可能性が高い(p.125)。次に、ハルヒがそれを理解したら、そのおかげで結局は世界が根本的に変わってしまう可能性が高い(p.234)。最後に、今のハルヒにとって問題なのは、元の世界がいかにキョンにとって面白かったとしても、そんなキョンの姿を見ていること自体が彼女にとっては苦痛だったのであり、そんな「面白い方向」は願い下げだった。つまり、kagamiさんが述べていた理性的な説得という方法は、世界を元のままにおくという目的にとっては完全に無効であり、おそらくはまた、逆効果なのです。もちろん、キョンがいる世界においては、なおさらに。(キョン以外の人間の理性的な説明や忠告は、つまりは愚行あるいは行為者の自己満足です。)
 そしてハルヒ自身も、キョンのこの言葉に拒否反応を示します。それはあまりにも致命的な深さをもっていました。キョンによる度重なる拒絶に、ついにハルヒは、キョンをも再創造の対象に含めてしまおうとするのです。視線は自然に神人に向けられ、神人はそれに応えるかのように、キョン目指して向かってきます(p.286-7)。それは、唯一の他者からもハルヒが切り離され、絶望に陥りかけていることを意味していました。

 この破滅の直前に至って、キョンは、自分とハルヒとにまともに向き合うぎりぎりの機会を得ます。先ほどの逆効果な言葉を語りつつ、ハルヒの肩を掴もうとしたとき、キョンはハルヒの「手を握りしめたままだった」ことにきづきます。手を離したくないという、意識されざる自分の想い。いくら理屈をこねまわしても、合理的な説得を試みようとしても、だからこそそこから零れ落ちてしまうもの。神人に目を向けたハルヒの横顔の「年相応の線の柔らかさ」。そんなハルヒを見つめる自分の心そのものを、キョンはようやく真っ直ぐに見つめようとあがきます。「涼宮ハルヒの存在を、俺はどう認識しているのか?」(p.286)そこでもキョンは、自分の感情を素直に認めなかった今までの癖でごまかそうとしますが、ついに「これもごまかしだな」と自省します。

「俺にとって、ハルヒはただのクラスメイトじゃない。もちろん『進化の可能性』でも『時間の歪み』でもましてや『神様』でもない。あるはずがない。」(p.286)

 あるはずがない。こうしてキョンは自分の想いを認めました。それをハルヒに伝えなければなりません。ハルヒに伝えて、そして彼女と一緒に生きるための元の世界を取り戻さなければなりません。でも、この想いを言葉で伝えるには、ずいぶんと言葉を浪費してしまっています。というより、もはや言葉では感情にも状況にも追いつかない。そこで思い出す(ここに至らないと思いだす気にもならなかった)ヒントは、「白雪姫」に「スリーピング・ビューティ」であり、これを受け入れることにはやはり理性の抵抗があり、でもいまや自分の感情を認めたキョンは、その感情のままに素直に行動への意志をもてるのです(p.287)。「俺、実はポニーテール萌えなんだ」とは、「あんた、メイド萌えだったの?」(p.260)への遠い返答でもありますが、「いつだったかのお前のポニーテールはそりゃもう反則なまでに似合ってたぞ」とは、そのままキョンとハルヒの馴れ初めです。こんなひねくれた告白によって、ようやくキョンはハルヒに口づけることができ、彼が意識では傍観者のつもりながらハルヒのために無意識にしていた行動が、この意識的行動のもとで収束しました。
 そしてハルヒは、キョンさえも再創造の対象として切り離しつあった自分の絶望感を一瞬にして払拭され、驚き、喜び、そして、反発します。ここにおいてもなおハルヒの意識はキョンへの感情を充分に明確化していなかったのであり、また恋愛を遠ざけていた癖もあり、手を繋ぐだけならともかくも、こうしてあっという間に踏み込まれては、展開の急に対応できません。意識はこの状況を受け入れられずに抵抗し、無意識はこの状況を受け入れて、世界再創造の根拠となる欲求不満を解消します。こうして危うく一体化しつつあったハルヒの意識と無意識は再び分離し、そしてさらに、キスを事実として喜びたい気持ちとなかったことにしたい気持ちの葛藤や、キョンを受け入れたい気持ちと恋愛なんてという反発、キョンと二人きりでいたいけど二人きりはちょっと怖い等々、ハルヒの中で相対立する思いがせめぎあい混乱し、彼女の意識ではどうにもならなくなります。そのどうにもならなさの宙ぶらりんな状態で、自分がいったいどうしたいのか分からなくなってしまったとき、ハルヒは、この顛末を「夢」にしてしまいます。つまり、他にどうしょうもないので、宙ぶらりんなままにしておいたのです。
 さて、目覚めて戻った世界が本当に元の世界のままなのか、それともそうと気づかないうちにやはり再創造されてしまっているのか、それは誰にも(ハルヒにも)分かりません。しかし少なくとも、ハルヒはキョンと同好会員がいる世界を望みました。もしハルヒがキョンとのキスによって完全に満足してしまっていたなら、キョンと二人だけの世界でよかったはずですし、あるいはもう少し都合のいい世界に作り替えてもよかったでしょう。ですが、ハルヒ自身の戸惑いが、そして意識と無意識、理性と感情のずれが、世界をこのままにすることを勢い選ばせてしまいました。

 とはいえ、世界が概ね無事そのままだったとしても、何もかもが変わらずにいられたわけではありません。ハルヒはキスに至る顛末を「夢」にしてしまいましたが、それは確かに彼女の記憶に残ってもいます。「全然寝れやしなかった」ほどの衝撃と煩悶を与えたそれは、キョンに対する感情を彼女自身に突きつけています。まず、この意識化という点で、ハルヒは否応なく変化しています。それから、彼女はあの顛末を素直に認めず「悪夢」と言いつつも、「ポニーテール萌え」というキョンの「夢」の中での言葉に応じるかのように、ひっつめでポニテにしてきます。これまでのハルヒにはなかった、キョンの言葉を受け止め応えようとする彼女なりの誠意、彼の趣味に合わせようとする可愛らしさ、そしてもちろんその前に、あの「夢」の中でキョンが語ったことが真実か確かめたいという乙女心とが、ここに示されています(p.292)。しかもキョンの方を見るに見られず横を向き目を隠し、しかもキョンに「似合ってるぞ」(p.293)と言われて嬉しいやら恥ずかしいやら、そして「夢」の言葉がどうやら真実なのかと思いつつだったらキスはどうなのよとかキョンは自分をどう思ってるのよとか自分こそキョンのことどうなのよとか色々噴出してしまい、それでもお昼までは頑張ってはみたもののやはり耐えきれずに元に戻す(p.294)という揺れっぷり。これはまた、かつてキョンに髪型の変化を指摘されたときにばっさり切ってしまった時と同様に、キョンとの固有の関係を再確認できたがゆえの安堵に基づく、そしてそのことを認めようとしないひねくれに基づく、行為でもあります。
 このようにまだまだねじれているハルヒですが、しかしそこには、彼女が本来求めてやまなかった「かけがえのないもの」が存在しています。キョンがそうですし、彼との関わりがそうですし、そして何より、彼のことを想う自分自身の心。確かに世界はほぼ変わりませんでした。ですが、その代わりに、彼女の意識が求めながら果たせずにいたこと、つまりハルヒ自身の変化が生起しているのです。あの「夢」を思い起こすとき、そこにキョンへの、そして自分への問いかけが生まれる。その問いにすぐさま答えが得られず、答えを得ることを恐れるとき、彼女のうちに、大いなる謎が生まれます。今まで外へと向かっていた彼女の「面白い謎」を探す旅は、キョンと自分との関係において、自分自身の中をも探る内的探求へと組み替えられていきます。別に自分の超越的な力について認識せずとも、ハルヒにとってはこの想いとその行方こそが、不安と期待に満ちた「面白い謎」なのであり、その探索行の方法も目的すらも未知なのであり、その探索の対象であり相棒もあるキョンとの手探りの関わり合いそれ自体が、何にもましてかけがえのないものなのです。こうして探索の目的と過程は一致し、主体と客体も一致し、ハルヒ自身が変化することで、ハルヒにとっての世界もまた一変しました。そうです、少女なら誰でも恋した瞬間に、世界を再創造しているのです。「白雪姫」「スリーピング・ビューティ」とは、現実世界への回帰というだけでなく、まさにハルヒの乙女としての目覚めを指し示していました。そしてまた、「キョン=日常のかけがえのなさ」なのではなく、キョンとの関わりの中で日常全体が非日常に、つまり謎の探索行に変換されたのであり、かけがえのないのはキョンだけでなく、ハルヒ自身もそうなったのです。ここには、自己の存在の意味さえも否定する虚無性も、自分だけを唯一者とする全能性も、およそ存在していません。

 しかし、虚無性の可能性が消滅したわけでも、もちろんありません。端的に言って、キョンが死んだらその瞬間に、ハルヒは世界を再創造しようとするかもしれないからです。ですが、これからの二人の関係の中で、ハルヒはキョンとともに、そのような悲しみに耐える力を、少しずつ身につけていくのではないでしょうか。既に嫉妬心については、朝比奈さんとキョンがじゃれあっていても、先日のように絶望的になることはありません(p.297)。第2回目の「不思議探索パトロール」では他の3人の足止めを無意識に行っていたかもしれませんが(p.299)、これは放っておいても3人が自発的にしていたはずのものです。そしてキョンは、ハルヒの世話を今後もやくつもりですし、同好会員以外の人間とも関わりを持たせようとしていますし、さらに彼の方から「宇宙人と未来人と超能力者」についてハルヒに話してやるつもりでいます(p.300)。その話をハルヒがどう受け取るにせよ(あるいは長門さんが言うように無視されるにせよ)、キョンはハルヒにとにかく話してやりたいのですし、そんなキョンの振る舞いこそが、ハルヒにとっては初めて目にするもの、わくわくどきどきするもの、そしてかけがえのないものなのです。(もちょっと続く)
2003年8月2日(土) 追い込みその2
3.3人の行動の推移

 最後に、同好会員3人について振り返ります。

 長門さんは、早々にキョンに自分とハルヒについての情報を伝えようとします(「貸すから」p.80)。それは、キョンがハルヒに選ばれた者であるという判断に基づく行為であり、キョンにその自覚と危機意識の喚起を促すものでしたが(p.124-5)、果たしてこの内容が、ハードカバーをキョンに手渡した当初の予定そのままかどうかは分かりません。そう留保する理由は、長門さんが貸した本を読むようにキョンに言う場面の直前でハルヒがSOS団の目的(「宇宙人や未来人や超能力者を探し出して一緒に遊ぶこと」p.105)を明言ていることから、これが長門さんの言うべき内容に影響を与えた可能性があるというのが一つ。もう一つは、キョンと朝比奈さんが遊んでいたオセロに長門さんが異様に興味を示したことです(p.103-4)。ここでは、長門さんが初めてその感情といえそうなものを示しており、ハルヒの監視役という道具としての自己規定を逸脱して、(たとえロジカルなゲームではあれ)遊ぶことに個人的な欲求を喚起させられています。このきっかけを与え、そして情報の集積である自分に遊び方を教えたのはキョンであり、このような逸脱や非論理的行為を通じてのキョンとの関係構築こそが、その後キョンの訪問のさいに、お茶で形式的にもてなす彼女の形式からの揺らぎ(「おいしい?」p.116)やためらい(p.118)、「信じて」と語る「真摯な顔」(p.123)などを生じさせていると考えられます。
 このような個人としての振る舞いは、第1回パトロールで喫茶店にて「アプリコット」と注文するときの真剣さ、キョンが歩き出すとついてくる(p.155)ように受動的かと思いきや、図書館で発見した哲学書(以前ぼくはブロッホの『希望の原理』かショーペンハウエルの『意志と表象としての世界』ではないかと憶測しました)を読み耽って動こうとしない(p.158)など、ごくかすかながら繰り返し示されていきます。そしてそれらのほとんどはキョンとの関わりの中でのものであり、キョンも彼なりにそれらを受け止めます(貸し出しカードを作ってやったり)。やがて長門さんは「奇妙なほど人間くさい仕草」(p.173)さえ見せますが、そのとき既に彼女は、キョンに迫る危険について察知していたのかもしれません。翌日の夕方に朝倉涼子によって殺害されかけたキョンを救ったのは長門さんであり、それは統合思念体の「相反する意識」の代理闘争を長門・朝倉という道具が「操り主」の命令に従って演じたにすぎないのかもしれません(p.195)。しかし、キョンが伸ばした手に素直にすがりつき、眼鏡の再構成を忘れ、自分とキョンが身を寄せ合っていた姿を人(「面白い人」)に見られてもその記憶を操作して消そうとせず、さらにキョンの「…してないほうが可愛いと思うぞ」という言葉のままに眼鏡をかけなくなり、不手際を詫び(p.197,p.214-5)と、明らかにキョンの安全を確保する以上の意志を、彼に対して見せています。また、ハルヒに眼鏡のことを尋ねられたときの長門さんの振る舞いは、彼女の困惑をも示しています(p.223)。キョンに一言「気をつけて」と告げるとき、それはハルヒの危機状態を認識してのことだったのでしょうか、それとも自分とキョンとの関係に思いを巡らしてのことだったのでしょうか。
 ハルヒによる再創造の場面で、長門さんはパソコンを通じて最後の重要な助言をキョンに伝えます。そこでの内容は「操り主」由来のものではあるのでしょうが、ただ長門さんは、「わたしという個体もあなたには戻ってきて欲しいと感じている」と付け加えます(p.278)。ハルヒが「重要な観察対象」であるのとは実に対照的です。「また図書館に」との文字列には、情報の集積であり道具である長門さんが、キョンと一緒に過ごした土曜日のひとときのかけがえのなさに込める想いが潜んでいますし、「sleeping beauty」という最重要の文字列をぎりぎり最後に叩いたということには、この情報によって二人が帰還することはよいとしても、それが同時にキョンとハルヒの結ばれをも意味するということへの、長門さんの個人的なためらいがまとわりついてもいます。
 二人が無事帰還した後、長門さんは二人が消えていた時間を告げ、その間の自分の感情については一切語りません。しかしキョンは彼女から借りていた本をちゃんと読みつつあり、関係はなお結ばれているのであり、キョンを守るために決意を示します(「あたしがさせない」)。しかし、ハルヒが大切な存在となった今では、キョンは長門さんに図書館の話はあえてしません。長門さんからの好意を受け止めたうえでの、男のけじめではあります。

 朝比奈さんは、いきなりハルヒに拉致されて以来、マスコットというかおもちゃとしてもてあそばれます。その中で彼女は、ハルヒの暴走をある程度抑えられる(自分の写真をウェブサイトに載せないようにした)キョンに驚き、その存在理由そのものに関心を抱き、そして長門さんと同様に自分とハルヒの情報をキョンに伝えます。それにしても朝比奈さんの行動は、ほとんど受動的、いやむしろひたすらハルヒのなすがまま。これは一つには、ハルヒの重要性を知っている未来人の朝比奈さんが、「この時代で歴史を改変しようとしても、未来にそれは反映されません」(p.146)と言いながら、ハルヒにできるだけ反発すまい、悪影響を与えまいとするがゆえです。もう一つには、キョンに好意を寄せる彼女が、同じ感情を抱くハルヒの暴力性に怯えてもいるからですが。
 ところが、そのように細心の注意と臆病さで頑張っていたはずの彼女が、わざわざさらに未来から大人の姿でキョンのもとを訪れ、「白雪姫」という重大な助言をしたはいいものの、胸元のホクロを見せることでかえって「わたしとはあまり仲良くしないで」というもう一つの助言を台無しにしてしまいます(p.208-211,p.258-260)。このことがハルヒの欲求不満を爆発させ、朝比奈さんが回避させようとしていたはずの再創造が開始されることに、彼女はただ「ごめんなさい、わたしのせいです」と詫びるほかなく(p.276)、それでもキョンたちが戻ってきたときには、朝比奈さんはキョンに泣いて抱きつき、そしてキョンに胸元のホクロのことを指摘されて驚愕します(p.296-7)。つまりここでは、いわゆるタイムパラドックスが描かれており、ホクロの言いだしっぺは一体いつ誰がというのは、この循環の中で不明となります。こうして未来人として本来不干渉のはずが、どうにもならないほど問題とその解決に関与してしまっているわけであり、ここに長門さんと同様の、そもそもの自己規定から逸脱してしまう朝比奈さんの姿が見てとれます。しかもそれは、彼女の監視者としての役目を逸脱した、キョンへの個人的感情に由来するものでした。

 古泉は、男なので説明はもういいやと思います。一点だけ指摘しておくと、長門さんや朝比奈さんと異なり、彼はキョンと同じ現代の地球人であり、ただし何の変哲もなかったはずなのに唐突に超能力とその意味認識を与えられて、否応なくそれを受け入れ、そのままに行動しています。同好会員の中では、最初から最も絶望的な意識状態にあったといえましょう。そのような自己規定をもってはいながら、しかし同好会活動を通じて、ハルヒを怒らすまいとしつつも、キョンというごく普通の、そしてそうであるがゆえに不可思議な存在に前向きに賭ける気になり、最終的には賭に勝ちます。
 確かにそれは問題の解決からはほど遠く、何もかも元通りというだけにすぎません。古泉の苦労は世界がこのままである以上は休まることもないわけですが、以前と違うのは、そのような能力を与えられ、そのように行動することに、もはやそれほど絶望していないということです。こうするしかない、仕方ない、というのではなく、「また、放課後に」と、キョンやハルヒと会えるこの場所、この時間に彼なりの楽しみを見出しています。古泉もまた、上述の2人と同じく、与えられた自己規定から逸脱し、自分の感情をそこに獲得しているのです。

 以上のように、3人はそれぞれに、自分自身の所与の規定に従おうとしながらも、ハルヒとキョンとの関わりの中でこれを逸脱し、自分自身というものを形作りさらけ出していきます。虚無性は、ここではモノや道具としての存在が自分自身の意味を見出す過程においてという、ハルヒの場合とは違ったやりかたではありますが、やはり乗り越えられているのです。
 だから3人は、たとえハルヒの無意識の力が働いてなくとも、第2回パトロールに自発的に欠席したことでしょう。今まではハルヒとその環境の監視役としてどこまでも傍観者であり受動的な状況受容者でなければならなかった3人は、ついにここに至って、あえて活動を休む、あえてハルヒたちを放置するという、自発的な不活発的・否定的行為を、選択することができるようになったのです。そして、万が一彼らが本当に何らかの事件発生によって不参加を余儀なくされたとしても、もう3人はその背後にあるハルヒの力に今まで同様に絶望したり恐怖したりすることなく(全くないわけではありませんが)、そのようにせざるをえないハルヒの心持ちを慮ったり困惑したりくすくす笑ったり嫉妬したりできるはずなのです。
 もちろん3人は、キョンの存在の重要性と、彼が消滅した場合の問題について自覚しています。それゆえ、長門さんは「あたしがさせない」と断言しましたし、他の2人もまた、それぞれの新たな役目を自らそこに見出していることでしょう。そしてそのための行動がハルヒへの干渉になったとしても、ハルヒとキョンがそこにいれば、まあややこしくも面白い事態になるだろうとは期待できるのでした。これが結局は、3人が同好会員として発見したハラハラドキドキの「面白い謎」であるとすれば、ようやく5人はそれぞれの仕方で本当の意味でのSOS団員になれたということなのかもしれません。(あともちっと続く)
2003年8月3日(日) 追い込みその3
4.キョンについての若干の補足

 本作品のおおよその解釈は既に終えていますが、ここでもう一点だけ、キョンについて述べておくことがあります。前回に記した最終場面における虚無性の不在は、キョン以外の4人について検討されたものでした。では、キョンについてはどう考えるべきでしょう。
 彼の性格を、ぼくは非常に肯定的に理解していましたが、その根拠をさしあたり、ハルヒに対するいくつかの態度と、彼自身が過去に抱いていた非日常への関心から、導きだしていました。他者に関心を寄せられる人間は、その時点で既に虚無的ではありませんから、問題は既に解決しているともいえます。しかし、ぼくとしては、ここでもう一つ重要な事実について指摘しておかなければなりません。
 それは、キョンが兄であるということです。ぼくが言う「兄」とは、もちろん「妹の兄」ということです。彼は、たとえそれが親戚間の年中行事ではあるにせよ、ゴールデンウィークに「小学の妹を連れて」田舎に行っています(p.26-7)。また、長門さんの伝言に気づいて慌てて家を飛び出すとき、「台所からアイスくわえて出てきた妹」の「キョンくんどこ行くのー」という声に、無視することなくちゃんと「駅前」と答えています(p.111)。キョンが妹に対して日頃どのように振舞っているのかが、これらから漠然とですが読み取れます。妹は小学生となれば、6年生としても高1のキョンとは4歳離れています。また兄を「お兄ちゃん」ではなく「キョンくん」と(叔母の真似をして)呼び始めたのが「数年前」ですから、少なくとも当時3歳以上、これが3年前とすれば現在小学1年生、キョンとほぼ10歳差という可能性もあります。いずれにしても、それなりに年の離れた妹に対して、キョンは比較的寛大です。自分のことを「面白がって」キョンくんと呼ぶようになった妹に、怒ることもせず無理矢理にでもやめさせることもせず、とうとう友人にもそのあだ名で呼ばせることすら許容したのですから(p.27)。このような兄は妹の世話をすることが根本的に嫌いなはずはなく、うざったいふりをしながらも結局はちゃんと面倒をみてしまうものです。
 いえ、そもそもこの作品では、キョンの本名が明かされることがついにありませんでした。妹が喜んで繰り返すことで定着したこの「キョン」というあだ名が、主人公の唯一の呼び方として用いられているということ。ここには、この全く目立たない脇役である妹こそが、じつは物語の背後に隠された存在として、重要な働きを担っているということを看取すべきでしょう。キョンの自己規定は、名前においては妹による呼称から、行動特性においては妹に対する振る舞いから、それぞれその根幹を導き出されるのです。極言すれば、キョンは、妹との関係において虚無性を脱却していました。

 考察前にこのことを予感していたぼくは、キョンの妹の絵を誰か描いてくれないものか、と以前の日記に記していましたが、それはこの隠されたヒロインの役割を明確化しようと考えたためでした(牽強付会)。そして、いったんこのような認識を獲得したならば、この作品はハルヒやキョンたちの物語であるだけではなくなり、その背後に存在するキョンの妹の物語を、いまや読者に想像させずにはおれません。
 例えば、キョンと一緒に田舎へ行くときの妹はどのように浮かれていたのか。キョンが「駅前」と答えて家を駆け出た後、妹は母親にどのように言いつけたのか(母親は帰宅後のキョンに「どこへ行っていたのか」と誰何しています。p.125)。キョンが帰宅したときにはおそらく就寝していたとしても、翌日どのように兄を問い詰めたのか。「夢」の場面では、隣の部屋で寝ていた妹も兄が自分から離れていってしまう夢を見て夜中に目覚め、夢だと分かっても不安が消えずに兄の部屋を覗こうとしたら部屋の中から何やら足音だの椅子に座る音だのが聞こえてきて、ああキョンくんいるんだよかったと安心しつつも、場合によってはこっそり兄の布団にもぐりこんでしまおうと思って持ってきた枕を何となくぎゅっと抱きしめて自分の部屋にとぼとぼ戻ったのではないか。土曜日のパトロールでは、何か怪しい雰囲気の兄をこっそり尾行しようとして、第1回は兄が自転車出動だったため失敗したとしても、第2回はきっちりマークに成功して、しかもハルヒと二人きりという状況を目の当たりにして大変なことになったのではないか。そこまでせずとも、最近どうも兄が自分をかまってくれないことに敏感に気づいて不満を抱き、そのうえやたらに暑い日が続いてなおさら機嫌が悪くなり、教室でむすーっとしながら下敷きでパタパタ仰ぐ姿はじつはハルヒにそっくりだったりして、しかも汗で張り付いたシャツが微妙な曲線を浮かび上がらせていたのではないか、等々。
 そんな病的な妄想はともかくも、キョンと妹の関係に目を向けるとき、著者のもう一つの作品『学校を出よう!』が兄妹の喪失をめぐる物語であることの意味が、そこから新たに浮かび上がってくるように思われるのです。

 以上、ハルヒ文章ようやく完結。えらい遅延してすみませんでした。
2003年8月4日(月) 清子小母さまへ
 小笠原清子さま。
 あなたにちょっと似ているひとを知っています。ぼくが好きだったひと。いや、べつに口説き文句とかじゃなくて、でも清子さまのことは好きですよ。ああもう、そんなに笑わないでください。
 作中でも、清子さまはかわいらしいひととして描かれています。ぼくからすれば、花のようなひと。目池の生まれで、お嬢様で、どこまでも真面目に浮世離れしていて。一見すると、お人形さんのようで。
 でも、「なかきよ」を今でも続けられているというのは、小笠原家にただ飲み込まれてもいないということでもあり、意外に芯の強いひとなのだと思います。それから、祥子さまにお弁当を作ってあげるときだって、作ることに一生懸命になりすぎて、結局間に合わずに終わってしまうけれど、誰を喜ばせてあげたいからそんなふうに滑ってしまうのかは、当の祥子さまが一番よくお分かりです。もし清子さまが本当にお人形だったら、祥子さまがあなたを敬愛することはなかったかもしれません。あなたの中のしなやかなたくましさと包み込むような愛情が、ちゃんと祥子さまにも伝わっています。
 その祥子さまといえば、祖父や父親からの影響でもありますか、清子さまよりずっと明瞭な気丈さを備えています。でもその分だけ、心の脆さをも抱えています。祥子さまは、あなたのように自然に耐えることはしないし、できない。あなたの心に一番近いにもかかわらず、小笠原家の一人娘として、その繊細さを押し殺さないといけなかったから。
 祥子さまが、あなたに抱っこしてもらえたのは、いつの頃まででしょう。
 でも、あなたはあのとき自ら泣きじゃくってしまい、祥子さまが泣く暇を与えませんでしたね。それはいいんです。あなたの感情は誰にも止められない。止めてはならない。子供のようにはしゃいでもいい。拗ねてもいいし、コンビニにのめりこんでもいい。祥子さまは溜息をつくでしょうけど、いまはもう大丈夫。
 あなたの代わりに、祥子さまの脆さを受け止めてくれる妹がいますから。彼女はあなたと生まれの育ちも違うのに、なぜか一面でよく似ていて、それ以上に自然であることで重なります。自然というか、天然ですか。いえ、褒めているんですよ。
 ありのままでいる、またそうするしかない祐巳さんの前で、祥子さまもまた自然の姿でいられます。祐巳さんのタイを直したのは、清子さま、あなたが日頃祥子さまに垣間見せているどうしょうもなく素のままの心と同じかたちを、祥子さまが祐巳さんのタイのあどけない崩れかたに見出したからです。
 それは、祐巳さんが清子さまの代わりということではなくて。祐巳さんがもっていないものを清子さまはもっておられるし、逆もまたしかりです。互いに結ぶ愛情のありかたも、三者三様でしょう、きっと。でも、突っ張りながら甘えていた祥子さまの態度は、ずっと直球なものに変わりつつあるわけですし、祐巳さんもまたなかなかに、したたかさを身につけつつあります。
 だから、清子さまも、肩の力を抜いていけるときなのかもしれませんよ。
 ぼくの知っているあのひとは、家の名から逃げても逃げ切れずに苦しんでいました。この春も、自分の居場所に思い悩んでいたみたいでした。でも、そのときにはどん底からうめくような相談をもちかけておきながら、すぐさま勝手に立ち直っているというひとなので、ぼくは何をするまでもないのでした。
 清子さまも、辛いときにはそうやってお一人で立ち直られるのでしょうか。たぶん、そのくらいにおつよいのでしょう。だけど、これからは時々、今まで以上に肩の力を抜いてみませんか。祥子さまとその妹をも巻き込んで。鍋焼きうどんのその先までも、もちろん品位を落とせというのではなくて。
 そうしていつか、まだ見ぬ小笠原家の旦那衆をも、その賑やかさの中に紛れ込ませてください。あの方々のことだって、マリアさまは見てるのだと思います。きっと。

 ここまで、4日分(8/1-4)一括更新。
2003年8月5日(火) 別方面で追い込まれ
 薫さん、こちらこそずいぶん遅くなってしまい失礼しました。7日以降ということで、承知しました。ご多忙の折りご無理はなされませんよう、よろしくお願いいたします。
 文章量もえらいことになりましたが、虚無性の否定までの道筋を明らかにするには、結局のところ物語全体を解釈するしかありませんでした。これはまた、kagaiさんがハルヒの本質的問題性を批判しているのに対して、ぼくは物語の中で示された彼女の変化の可能性を指摘する必要があったからでもあります。
 一般に、結末においてもハルヒの不変的問題性を強調する人は、なぜ元の世界(らしき世界)に戻ったのかを十分に説明し得ていないように思われます。だいたい、ハルヒの力がなくならない以上、問題が解決されないのは当然であり、それをいつまでもくり返すのは「人間は死ぬから何をしても無意味」というそれこそニヒリズムと何も変わりません。その事実を読者が受け止めたうえでハルヒたちが何をなしえたのかを見極めることが、読者自身のニヒリズム回避のためには必要でしょう。

 MK2さん(No.561 20030803 22:28:31)の『ハルヒ』感想。『学校を出よう!』が愛する者の死の受容という主題であるならば、『ハルヒ』は恋愛の受容ですかね。子供から乙女へ。これ、ハルヒが幼稚園児だったらずいぶん展開も変わるのでしょう。

 猿元さんからフーコー批判。若干の研究書を読む限り、どうも権力的なものとしての国家や社会は出てきても、「自律的な主体」相互の人間関係については語られない思想なのかな、と。あるいは、エピクロスにおける実践知が、ここでは語られ得ないとか。

 『仮藻録』さんの『ハルヒ』感想リンク。トピックとしてはもう旬を過ぎたのでしょうかね。

 「靴下の心理」伝道師というのは素敵な呼び名ですが、「靴下」ではなく「くつした」ですのでご注意を。まこみし文庫は何とか入手したいところです。

 豪屋大介『A君(17)の戦争』をまとめ読み。素晴らしい。佐藤大輔の遺言みたいな作品です。いや、作者が佐藤大輔かどうかはもはや問題ではないというか、あれだけ『皇国の守護者』や『レッドサンブラッククロス』や大昔のデザイナーズノートなどのネタ・枠組み・風味をどかすか入れられるような別人というのも凄いなぁと思いますし、第4巻でメタラノベしてしまえるほど辣腕な新人というのもあまり見たくない存在ですが、それはともかく。若者に向けた、佐藤大輔なりの「矜持ある生き方」のススメ、みたいな物語ですねこれ。作品内における国家や戦争のカリカチュアの是非というのはあまり問題ではなく(どれも彼らしい掴まえ方ですが)、むしろ、現実への向き合い方とか、健康なひねくれかたとか、悪意と純情の折衷方法とか、そんな構えこそをちゃんと読みとるべきだと思いました。
 そして必要なピースをここに発見。アドテクノスのSDFシリーズ、SSの『北海道侵攻』、『征途』、コマンドマガジン、このラノベ。背後にレッドサンなどを感じながら、佐藤大輔の北海道ものを繋ぐ鍵が得られました。コマンドマガジン50号付録の『北海道戦争』は、『征途』を元に作られた仮想戦シミュレーションゲームであり、そのおまけとして、『A君(17)の戦争』の登場人物たちが数多くユニット化されているのです。せっかくシミュレーションゲーム関係会社からリンクいただいていることですし、これで1本、ゲーム文を書きましょう。

 IRCの滞納戦隊メンバー、いったい誰が現員なのだろう。

 Phantom of CCSさん(電話代)
 とくそんさん(電話代
 入江さん(地方税
 あんよ(家賃、電話代、新聞代、Web通販代、書籍代)

 ここまでは現役で確定。あと、利休さん(電気代?)、沖田さん(電気代、ガス代、水道代)、つくねさん(?)だったかしら。
 滞納戦隊ハラエンジャー。恐いもの無しの、向こう見ずっ。(タイノウガッツ!)

らむだ「止めろ止めろ電話をとーめろー。NTTに悪魔はやーどるー。」
美 森「家賃を払うのかー、ピリオドうつーのかー。」

 タイムリミットは近い。ほかにも、「滞納は 千代に八千代に」というネタも。
2003年8月6日(水) 光る空
 『In a flurry』さんの議論をめぐって。

>たとえば「誰かが救われるためには、必ず他の誰かが犠牲にならなければならない」というのは、僕にとっては「蓋然性を無視した」「世界に対する可能性を閉ざす」御伽噺です。逆に、(部分)確定的な記述こそが世界の可能性を開き得ることもあると思うのです

 という言葉に賛成。ぼく自身が、そういうつもりでシスプリ考察を書き、『涼宮ハルヒの憂鬱』感想を書きました。一方、ここで問題となる「誰かが救われるためには、必ず他の誰かが犠牲にならなければならない」という発想は、議論の相手であるkagamiさんの批判の根幹に、しばしば見受けられるように思います。
 例えば、ぼくが7/12に書いた感想では、次のようにkagamiさんの意見に対する批判を行いました。

>つまり、作品を図式的に単純化し批判するそのような視点こそ、神とその対立者という二項対立を絶対化し、「共存の世界」そのものを唯一神の代わりに据えてしまうものなのではないでしょうか。それこそは、虚無性に一見立ち向かっているようでありながら、じつは虚無性を生み出す根源にある「他者を否定する唯一者」というものを、再生産してしまうのではないでしょうか。

 この、ぼくとしては最も重要な指摘については、今のところ直接的な返答を得られていません。それゆえぼくはその根拠を暫定的に、kagamiさん自身が排他的対立(その一方の勝利が約束されているような)を必要としているから、あるいは自明なものと捉えているからではないか、と考えています。このことは、kagamiさんの別の文章にも確認できます。

>私としましては、社会人・大学生・高校生ヒロインなどというものはまったく無用の長物であり、
>やつら、非ロリヒロインどもを撃滅し殲滅して、幼稚園児・小学生・中学生ヒロイン連合がオタ界を制覇するのが理想なのです。

 ここで用いられている「やつら」という人称には、相手を「汝」として受け止め向き合う対話可能性が閉ざされています。つまり、kagamiさんが望むヒロイン以外の存在は、それらに排他的に対立するものとして一括されモノ化され、望ましいヒロインたちの絶対的勝利のために消滅させられねばならないわけです。おそらくここには、そうしなければ望ましいヒロインたちが逆に滅ぼされるという不安があるのでしょう。別の箇所で「世界の構造の多様性」とか、「正常」とされている性のあり方には反対しないとか述べられるのは、たんなる矛盾でなければ、理想的状況のもとでこの排他性をいったん棚上げしてのことですね。
 このような姿勢から、ぼくはカルヴァンやルソーやロベスピエールといった歴史上の人物を思い出すわけですが、そう思うぼくは不徹底さを批判される対象になってしまうのかもしれません。どうしてそうなるかといえば、kagamiさんが自分を排除する敵として現実世界を捉えるのに対し、ぼくは現実世界とそこそこ折り合っているからだと思いました。これは別にぼくが自分の「社会的にアレな」欲求を抑圧しきっているということではなく、過剰な抑圧を換骨奪胎するように生きているつもりということです。これをもって欺瞞と言われればそれまでですが、ぼくは自分にできるぎりぎりのところまでは、そういう組み替えをしながら相互に(あくまでも相互に)妥協をはかりたいと思ってます。しかし仕事進まないあたりは全然折り合いがついてないのですが、それはそれ。
 で、本当に二者択一でしかない状況もあるかもしれず。そこでは自分の選択を引き受けるのみ。

 ところで、今回の多くの方々のやりとりでは、
(1)選ばれなかった少女たちのゲーム上の物語自体が存在しないことを引き受ける
(2)選ばれなかった少女たちのゲーム上の幸福な結末が消滅することを引き受ける
(3)そのような選択を不可避のものとするゲームをプレイすることを引き受ける
(4)自分のヒロイン以外へ他者が関与することを引き受ける
 などなど、それぞれの選択の引き受け方が示されているのではないでしょうか。ですから、ほとんどの方々にとって共通なのはおそらく、そのいずれも引き受けようとしないくせに哀れみを覚えたりゲームをなじったりするような傍観者的自己満足や偽善への批判ではないのかしら。『死刑台のエロゲーマー』さんにしても、他者の死をさも共感的に受け止めているかのような振る舞いの欺瞞にまず目を向けているのですから。(もしこれに対して応答するのであれば、「それは共感性の欠落だ」と批判するよりも、「そんなあなたが死んだらやはりぼくはぼくなりに悲しむ」と言うのがこちらの流儀。)そしておそらくは「どっかそのへんで人が」という書き方からして、「汝」でありうる他者とそうでない他者とは予め区別されているわけで、これは「少女ヒロインはいいけど成人女性ヒロインは撲滅」というのと大差ありません。
 ついでに言えば、例えば『はじるす』の双子にしたって、彼女達のことを好きな同級生とかいるかもしれないのに、kagamiさんもぼくもその可能性を気にしてないし。いたら排除するだろうし、いないとしても、それはそういうものとしてゲームの前提を無感覚に引き受けているわけです。ので、「存在しないってのはそういうことです」という言葉は、kagamiさんにもぼくにも既に妥当しています。あとは、これに気づくかどうかであり、その後どういう態度をとるかは、こちら側に任されています。

 ジムの選択については、自殺する(あまり好きな選択肢ではないが)、意志決定の期限が設けられていないので選択を可能なかぎり引き延ばす(周辺状況が変わるまで待つ)、もしもそういった可能性が本当に「閉ざされている」のであれば、誰か1人を殺して19人を解放した後に反政府活動に参加する、自分が殺した人の家族のために献身する、などの「その後」を思いつきました。道徳的一貫性とは、あらゆる状況において静的に適用されるものではなく、動的な生の中で過不足を補いながら最大限実現されるはずのものでしょう。これが冷静な答え。
 妹12人から1人を選べと命令されたなら、ぼくは全員での死を望むのでなければ、千影を殺し、彼女に来世を誓います。そして命令に関わった者達全員を殺そうとするか、11人のために現世での生を捧げます。これがもっと冷静な答え。
 でもそんな状況に陥る前に、可憐が何とかしてそうにも思います。これがたぶん正解。
2003年8月7日(木) 全部バッドエンド
 雑用で10代の女の子たち多数と話す役回りに。耐えられるか島。無理だ。ああ、こんなの毎日続いたら絶対捕まる。こういうとき「結婚するべきかなぁ」とも思うのですが、でも家族ができちゃうといざというとき本当に迷惑かかるので、それもどうかなと(どのみち捕まるのか自分)。
 幼女から同年代まで、何とも広いストライクゾーン。それはもう始球式なみに。

 こないだのハルヒ感想で書き忘れていたこと。ハルヒがキョンとの関係において自らをかけがえのないものと受け止めたとき、もしキョンが消えてしまっても、キョンと共にあった自分というものを捨て去ることはできなくなり、過去を書き換えることも難しくなる。かつてあった自分を消してはならないから。それは、大切なものだから。まあ、キョンがぎりぎり蘇生したりするくらいなら別段いいんじゃないかとも思いますが。こんなハルヒの面倒を見るなんて大変なんだから、それくらいのメリットがあってしかるべきだし。
 では、キョンじゃなくてハルヒが死んだらどうなるか、ということですが。そのときにハルヒが「お前は美しい」と世界に語りかけることができれば、世界はそのままにあるでしょう。

 あるいは、ハルヒのいる世界には、同じ能力を持つ可憐も存在しているので、互いの欲望に基づく再創造がうまいこと拮抗してこの世は元のままに保たれている、とか。可憐じゃなくても、キョンの妹でもいいですね。この世は夢。妹の見る夢。ならば、兄として何をもって楽しまざらんや。

 栗本規司さんから『精霊合体シュヴェスター』のメカ絵を頂戴しております、ありがとうございますー。凄いです。早くお披露目したいです。そういうわけで3番目のシスプリパロディ製作、そろそろ本格始動です。
2003年8月8日(金) はちはち
 最近、シスプリ離れが進んでないか自分。いけません。反省しつつ考察かきかき。

 一昨日の話は、『死刑台のエロゲーマー』さん(8/6分)のコメントを読んで納得。

 昨日、何者かによって鋭利な凶器で突き殺されるという事件が相次ぎました。
 亡くなったのは、「12人の妹のうち1人を殺せ」という命令を下した長官ペドロさん(42)とその部下6名、そして、この問題を考案したバーバード・ウィリアムズさん(57)です。調べによりますと、いずれも胸を鋭い物で刺し貫かれたような跡があり(…)

 薫さんへ。うちの掲示板で、kagamiさんから回答いただいてます(No.522以降)。お手数ですが、そちらもご参照いただければ幸いです。世界をゼロサムゲームとみることなど、重要な指摘がなされていると思いますので。
2003年8月9日(土) 光る大地
 2日遅れなり。

 どもです。しばらくお世話になります。あと、ああなるほど混同があったのか。頭悪いので、こういうご指摘はありがたいです。

 『A君(17)の戦争』第4巻は、涼宮ハルヒがその能力に自覚的だったら、という問題に既に答えているような。登場するのはハルヒ的少女ではないので、直接の答えではありませんが。
2003年8月10日(日) 久々考察
 猿元さんより、功利主義についてなど。

 考察のためのメモ。『電脳御殿』さん2002年11月28日分)の春歌Bパート解説。

 そして、久しぶりのリピュア考察更新しました。Aパートのラストは別コンテンツとのからみでちょっと後回しにして、先にBパート前半6話を検討。キャラコレとの比較対照など試みております。掲載日は、もう11日なのでそのようにしました。可憐や花穂の話をだいぶくさしてますが、まあぼく個人の意見ということで。
2003年8月11日(月) 動燃パオソク
 『チェき。』さんのとこから、これ遊び方)。「リサイクル一色」なんて、むしろチョンボにならないか非常に不安です。

 あ、的はずれでなくてほっとしました。「バランス感覚」というのは、ええと、バナナを食べたら「ごちそうさま」って言えるかな、食べ残したりしないかな、ってことですかね。
 『Kanon』については、ぼくは真琴と一緒に過ごしましたが、友人は栞が好きだったりして、「ああ、そこで栞は幸せになれたのだなあ」と感じることがあります。

 これに関連して、以下『マリみて』のネタばれ。
 『いばらの森』で、祥子さまが祐巳に文庫本を読むべきかどうか尋ねる場面で、祐巳は、もし読んで聖さまが書かれたものでないと確信できれば安堵するし、もし聖さまが著者だと分かったら尊敬するしサインをもらう、と答えます。この答えに祥子さまは半ば呆れ、半ば気を楽にしてもらえたわけですが、つまり祥子さまは、聖さまが関与している(やばい)/関与していない(セーフ)、という結果予測しか頭の中になかったわけです。で、悪い方の結果を恐れていた。ところがこの可愛い天然妹は、プラス思考と言ってしまうと味気ないのですけど、どちらの場合でもオッケーな姿勢を示し得た。まさに「それはそれで!」。もちろんそれは、祐巳が過去の事件についてまだよく分かっていないからでもありましたが、それでももし事実を知ったとして、そして聖さまが著者だったとしても、祐巳はやはりその事実をきちんと受け止めたと思うのです。それによって周囲がなんと言おうと、自分と白薔薇さまとの関係は壊れることはない。そこで自分に降りかかってくる物事は、自分で何とか引き受けようとするはず(無理しすぎても)。その健やかさが、祥子さまを安心させ、好ましく思わせるのです。
 そのよさが、肝心の祥子さまに向き合うときにはなかなか上手く示せなかったために、『パラソルをさして』までは色々と大変だったわけですが。

 ついでに。祐巳がずいぶん変わってきた、成長してしまったという話がありますが、ぼくはあんまりそうは思えなくて。『涼風さつさつ』では確かに見事な振る舞いをみせつけてくれましたが、思えば1年前だって、学園祭の舞台に上がるくらいの肝の据わりようでしたし、蓉子さまも祐巳の「するどさ」にはちゃんと気づいていました(『いとしい歳月』)。そして、それらについて祐巳自身が無自覚なままという点では何も変わってません。つよいのにそのことに気づいていないほど迂闊だから、祥子さまも、つい彼女のタイにすがってしまうわけですかね。
2003年8月12日(火) むしむし
 『CCSF』さん8/11分)、『*The'00s must GO on』さん(8/11分)、考察ご紹介ありがとうございます。


 『*The'00s must GO on』さんより。『マリみて』「叙述トリック」というのは、なるほどなぁと。その一方で、女子の間で「美人」とされることと、男子にとって「可愛い」とされることの間には、それなりの距離があるのかもしれないな、とか。あとサタスペページに喜びました。

 ZoroさんのSS第6話。『Wake Up!』の野神玲香が再び登場です、わお。物語はいよいよ山場に。

 シスプリファンサイト結集の怒濤同人誌。この参加メンバーは壮絶の一言です。『チョップスティック教習所』さんからは初同人誌とのこと。

 こないだの詐欺メール続報

 転叫院さんのとこから、ソーカル事件について。これを読んで「ポストモダン駄目じゃん」と短絡しそうな自分の性根が一番駄目だったり。その一方で、自分のしていることの限界をわきまえておかないと色々危ないですね。

 リピュア考察7は、「原作通りなのでよい」とする立場と、「あれは恣意的に過ぎる解釈」という立場の、中間をとろうとしたものですが、どうもまだうまくなかったかな。たぶん愛が足りない模様。ちょっと手を入れて、自分のキャラコレ解釈と制作者の解釈をつきあわせるかたちに直してみます。後半の8は、明日には掲載できるかしら。帰省する前に何とかせねば。
2003年8月13日(水) ふいふい
 朝からメモ。『涼宮ハルヒの憂鬱』とこれとの関係は。って、思い切り今更なのでしょうか。

 で、夕方。

 「由美ちゃん…。」「太陽くん…。」「…。」「…。」
 「って照れるぜ照れるぜ」(ばんばんばん)

 廊下に立ってろ。いや、IRCで懐かしの『キックオフ』話が出ていたもので。
 2chと雑誌『ファンロード』を重ねてみるという発想はもう既出もいいところですが、自分の記憶でも、例えばこの『キックオフ』作者ち○拓が見事1位をとったヨモスエ(これは『アウト』語なので別のタイトルだったはずだが)漫画家ベスト10とか、常連叩きとか、誰かの失敗や言い間違いの一般化とか、いろんなものがこの雑誌には存在していたのだなぁとしみじみ。ああ、ぼくがこれを読んでたのはもう20年前の話ですか。ふぁろちゃん、タコ部屋タッコちゃん、博多人形、ダークカモノハシ、能村よしお、ふふんふふん、点描のーてんき(黙祷)、攻撃しないで下さい、ゴーグルイエロー、台湾、ぺぺぺぺっ。訳分かりません。寝る前にハシラを読み耽って視力をだいぶ落としたのも、今となってはいい思い出です(被害甚大)。

 こないだのジムの問題について。ジムの道徳的一貫性を守るために、横合いからぼくがその悪人士官達を狙撃するというのはいかがでしょうか。漫画などでよくある展開だとは思いますが、要するに問題において局限されている当事者とは別個に、自分自身を投げ込むやり方。その場合、ぼくの道徳的一貫性が問題化してしまいますが、そんなものは犬に食わせておけばいいような気もします。
 こういう役割分担の考え方は、あれですね、TRPGの常道。「パーティ内の利己的キャラでさえ、自分自身のみならずそのパーティ全体にも利益をもたらすように行動しなければならない」という、パーティプレイングの基本です。「誰かがやらねばならんことだ」とは、リプシアンの台詞でしたか。

 『苺ましまろ』を読む。既にけっこんされてる方や縦笛撲殺志願の方もおられますが、『あずまんが大王』の後継者とか何とか色々言われている理由は分かりました。確かにそんな感じでもありますね。でも、よみの要素がちと弱いのでそのへんの努力を希望します。そんな何様なことを考えているうちに、ああ2巻目に手が伸びて。
 イリヤ第4巻も早く買わねば。
2003年8月14日(木) しゅくだい、おわらないよ
 う、だめだ間に合わない…。
 リピュア考察8(後半6話分)ですが、千影の話でえらいことになったため、咲耶の話とまとめが書きあがってません。ので、更新はもちょっと先になります。
 考察7につきましては、既に各所からリンクいただいてますが、以前述べましたように修正点がまだそのままに残っております(だったらいったん差し戻せばいいのでしょうけど)。可憐の話はこのままでも考察8でフォローされる予定ですが、花穂の話は叙述を修正するとしても、基本的な批判視点はあまり変わらないはず。それでも、もう少し映像に歩み寄ったものに書きかえようとは思ってます。あと、「はじめに」での視点の明確化も。
 見苦しい言い訳&自分用メモ終了。

 さて、盆休みということでちょっと留守にします。
2003年8月15日(金) 雛子の誕生日
 というわけで戻りました。まとめ書き。

 『Romantic connection』さん8/12分)、『Re-404NF』さん『Sister Freedom』さん(8/13分)、考察へのリンクありがとうございます。

 『涼宮ハルヒの憂鬱』について、今木さんからリンクいただいてました。きゃ。「人間自分のことがいちばんわからんものです。」という言葉に納得。キョンもそうですし『学校を出よう!』の主人公もそうですが、この作者の一人称叙述は感情をあえて抑えているので、そこを勝手に読むのが楽しいというか。ぼくは「ああこいつらは素直になれないのだなぁ」と思って読んでいました。「死刑はいやだったからな。」なんて、言い訳としての説得力がなさすぎてそれはもう大喜びでした。
2003年8月16日(土) うらー
 徹夜カラオケオフ。参加者は、Beeさん、manieraさん、文月さん、Phantomさん、秋月さん、美森氏、ぼくの7名。初対面が4名もいらっさるのに、全然そんなそぶりなし。でもぼくは基本的に歌えない人なので、もっぱら皆さんの声に聞き入ってました。詳細はこちらにて既にあぷされてますが、やられた
 朝方は何を話していたのやら、記憶も曖昧模糊としておりますが、確かShunたんについて議論していたような。実姉の美早ちゃんを蹴り出すなど、IRCでは目に余る傍若無人ぶりなので、ここはひとつ皆で協力して、Shunたんを躾ようという話に強制誘導してみるテスト。

 なかなか入手できなかったイリヤ最終巻を、文月さんから頂戴する。ありがとうございましたー。徹夜カラオケ明けの電車中で一気に読み終えてしみじみ。まとまった感想は後日。
2003年8月17日(日) おろー
 今回夏コミには行かずじまい。今年が例外なのではなく、今までも2回しか行ったことなかったり。

 相変わらずごちそうさま気分。以前お会いしたときも思いましたが、「こういう人が実在する世界もまあ満更ではないなぁ」とか。なんか失礼な書き方ですね。ええと、尿。(もっと失礼)
 現実と虚構(妄想含む)とを並べたときに、ある凄まじい虚構を見せつけられたとして、それは現実よりもぼくを惹きつけるものであったとして、でもそれは、現実にいる誰かがぼくに示してくれたところのものです。だから、結局はいかなる虚構も、現実のうちにある。あるいは、現実と切り離せない。だから虚構は現実の部分でしかないとか、現実にはかなわないとか言いたいのではなく、そういう虚構まで包みこんでいればこそぼくはこの現実の中で生きている気がするし、そんな現実のとらえ方そのものが虚構であることも認めつつの現実主義者でいられるように思う。そして、シスプリにせよどれみにせよ『AIR』にせよ、創り出したのはこの世界に生きている人間であり、それらの作品をきっかけに湧きでた妄想をもって交流できる(または全然噛み合わない)というのは、なんかそれ自体が面白い。で、えろげや『萌え文集』やシスプリを通じてそういう方々と知り合えたというのも、ぼくにとっては大きなことなのでした。
2003年8月18日(月) 最後まで名字を呼んで
 イリヤ。以下ネタバレです。

 第3巻での自分の予感をかつて記しておりましたが、このうち、事情を知る大人達のことはほぼ予感のままに実現していましたが、晶穂達については半分空振りということで。級友も家族も、この夏が終わってもなおそこにあり続ける日常と、この夏を過ぎ去らせていく時とを、ひたすら担っていく。
 どの人間も「仕方がない」とは言わなかったけど、仕方がないのはこの日常の変わらなさ&移ろいの方で、だからそれは浅羽が自分の手でしっかりと内と外に刻みこんでいこうとする。その「よかった」シール文様を地面に描いていく途中で、浅羽は今更ながらに涙をしゃっくりあげて嗚咽にむせんで鼻水まみれになってそれでも手を休めなくて、ただ小便がしたくなったときにはだいぶ遠い場所まで離れてから愚息をつまみ出して、そこにまたもや自分の仕方のなさを追認したりして、それらをも全部ひっくるめて、浅羽は自分とイリヤとを刻み込む。
 誰もイリヤにはマルあげないが、ぼくから大きなマルをあげるよ。『減点カナ』。
 かなぶー。
 それは、皮一枚の下にある闇を描くために挿入された脳天気な日常だったのかもしれないけど、榎本はそのくだらないかけがえのなさを守るために計画を自ら引き受け、困惑し、子供と殴り合い、罰を受けようとして失敗し、それこそが本当の罰だった。
 世界に悪は存在しなかったのかと問えば、異星人と地球人の排他的関係がまず悪だったりする。『銀曜日のおとぎばなし』のように自己犠牲が対立を昇華する可能性は、ここでは浮かびもしない。そして浅羽は、晶穂も家族も含めた人類を、イリヤとの僅かな時間と引き替えにしようとした。浅羽もまた悪を引き受けたのであり、そこで彼は「仕方がない」とは決して言わなかった。
 だからぼくは、そんな浅羽が晶穂にいつかようやく話し始めたとき、晶穂には、素直に怒ってほしいと思う。浅羽にも、イリヤにも、その周囲にも、イリヤと彼の間に存在できないままの彼女自身にも。その怒りは問題全体にとっては全然無力で、あのときにはどうにも間に合わなかったものでしかないけれども、そこで浅羽はやっとのことで、自分の悪を分かち合いながら受け入れてもらえるのであり、この二人の「間に合う」かたちでまた、夏が終わりながら永遠になることができるのだと思う。浅羽にとっては、イリヤと自分との間だけでそうなっているだけで別に十分なのだけれど、そんな満足感をもぐちゃぐちゃにしてしまってくれるのが、つまり大切な他者というものなのではないか、と。

 昔からこういう作品を読んだ時は、世界が灰色になったように感じられたし、実際に目の前にざらついた靄がかかったものだったけれど、今回は電車の中で急いで読んだこともあってか、前もってこういう結末の方向性を予感していたので心の準備ができていたからか、それともぼく自身が変化したからか、その感覚はとうとう訪れなかった。
 これがフィクションからの離脱ということであれば、確かにそうなのかもしれない。だけど、ぼくはまだこんな作品を読むことができるし、その作品世界の人間たちに手を伸ばそうとする無体さもなお消えていない。話としてはまとまりすぎていて違和感が残ったとしても、それは彼らができるだけのことをしたことの裏返しでもあって、浅羽も榎本も地獄には堕ちてほしくはないと思うし、もし誰かがそうしなければならないのだとしたら、吉野の下に組み伏せられたイリヤの肉感を我が皮膚に直感してしまったぼくこそ、それに相応しいのかもしれない(台無し)。あの場面に至る吉野の惨めな心の揺れは見事というほかなかったのでした。
2003年8月19日(火) 衝撃
 久しぶりにAmazonで何か買おうとサイトトップに行きましたら、「おすすめ」の最上位が、

 これ

 でした。
2003年8月20日(水) 休み中の思い出
 帰省中の会話。ガソリンスタンドでフロントガラスを拭いてくれてる店員さんを眺めながら。

らむだ「例えばこの店員さんが、スタンドのご主人の若奥様でさ。
    彼女が拭いたばかりの窓枠にぬらっと近づいて、指でしゅっとこすって、
    その指先をじっと見つめる姑がいたりして。」
美 森「嫁いびりされてる店員さんに萌えるのか。」
らむだ「でもその車の運転手にも嫌な気分を起こさせるという、諸刃の剣。」
美 森「だったら、客が店員をいびれるサービスをオプションに入れるというのはどうだ。」
らむだ「あー(笑)」

 レギュラー:80円
 嫁いびり:1800円

 みたいな感じか。「マルチ」というサービスだと、ドジな店員がガソリンをはわわーとこぼしてくれるので、それを客がふきふきするわけですね。精神的にも物理的にも危険なガススタンド。
2003年8月21日(木) ドナルド幼女
 昨日の続き。
 景気が悪すぎるマクドナルドも、「スマイル0円」の次を考えないといけなかったのでしょうかね。「上目遣い0円」とか、「スクール水着の跡0円」とか。あるいは、カウンターにレジ担当が3人並ぶとすれば、それぞれが「妹」「メイド」「幼稚園児」を分担するとか。

 妹 :「いらっしゃいませ、お兄ちゃん。」
    「お兄ちゃんはいつもたくさん食べてくれるから、とってもとっても嬉しいです。」
    「お待たせしちゃってごめんなさい、お兄ちゃん。」

メイド:「ようこそおいで下さいました、ご主人様。」
    「ご主人様のお体を考えればこそ、これをお勧めするのですよ?」
    「いえ、さしでがましい真似をいたしました、申し訳ございません。」

園 児:「せんせー、いらっしゃーい。」
    「ね、ね、これしんせーひんなの。すっごくおいしいんだよー。」
    「できたらすぐぴゅーってもってってあげるからね。」

 客の列がまちまちになった場合は、「お兄ちゃん、こっちこっち。」「ご主人様、どちらにおられますか?」「ぶー。あたしもおしごとしたいー!」などと、該当する客を自分の列に誘導するわけです。そして客に追加注文をうまく取り付けられないと、時々背後に店長の高飛車お嬢様が現れて「あら、まだそんな拙劣なもてなししかできないの?」などと嫌味を投げかけ、言われた当人はぐっと涙をこらえて「失礼いたしました、ご注文を確認させていただきますね。」と客に無理矢理微笑むのでした(もちろん園児さんは時々我慢せずに泣き出したりして、待機していた小学生のしっかり者なお姉ちゃんと入れ替わります)。

 リピュアAパート第12話は、つまりそういう趣味に理解のあるレストランオーナーがいた、という話でしたか。
2003年8月22日(金) 伯仲
 マルチvs花穂のエアホッケー。

 さらに昨日の続き。
 ファストフードのセットメニューも、

「ハンバーガー&Mポテト&Mドリンク&Sおこづかい

 とか、

「ホットドッグ&アップルパイ&Sドリンク&M資金援助

 とか、そういうのにすればいいのかな。資金援助のサイズ(M・L)しか違わないセットメニュー。空腹を満たすには何の違いもないけど、要は心の栄養の問題です。
 あと、献血のときの看護婦さんが千影の格好とか。普段は素通りする人でも、あまりに怪しすぎるその雰囲気に、つい初めての献血を。「そんなに怖がらなくてもいい…。」無事終了後もらえるジュースの中身は「フッ…知りたいかい、兄くん…」。でもこれでは普段の献血者が遠ざかりそうです。
2003年8月23日(土) ぴちぴち
 NHK教育で、小学生の陸上競技大会を観てました。

美 森「中学生の水泳競技も放映されてたの、知ってたか?」

 負けました。

 昨日まで書いてたようなネタって、最近ではえらい久しぶりだったのか。7月からこのかた、別のことに脳味噌を使っていましたからね。そのためリピュア考察も家賃並みに溜まり、『シュヴェスター』はメモばかり増え、「game」の佐藤大輔北海道シリーズ文章も全然進まず。あきまへん。
 実家に帰ったとき佐藤大輔の『主砲発射準備よし!』は見つかったものの、『征途』が3巻とも見あたらず。古本屋で探さねば。ところで、コマンドマガジン付録の「北海道戦争」ユニットシートですが、本誌目次にある写真では直衛やUFOのユニットも存在しているのに、ぼくの手元のそれには『A君(17)の戦争』関連のものしか付いていません。変更があったのかしら。
2003年8月24日(日) 今頃夏が
 アバレンジャー。『釣りバカ』のキャラがそのまま登場するという夢の2D&3D競演。次はぜひナージャと。

 ナージャ。ホセとカルメンの話が、きっちり完結してお見事でした。太陽は天頂に輝き、そしてそのまま墜落する。婚約者を捨てて美少女を選んだ英雄は倒れる(違)。そしてナージャは、疑念を知る。

 朝方の番組を観て朝食、NHK将棋を観ながら昼寝。素晴らしく怠惰な時間。夜はリピュア考察8をちまちま進め、あとひと踏ん張りというところです。いつもここからが長いわけですけど、せめてこれだけでも今月中に。ああ、シスプリンク終了前に完結させたかった。
2003年8月25日(月) シスプリは続く
 ご紹介が遅れてしまい申し訳ありませんが、Zoroさんのトップに雛子絵。そしてオリジナル妹コンテンツ。米国帰りの黒にーそですよ旦那。そんなおっさん的反射はさておき、千幸ちゃんのこれからに期待です。
 で、更新が滞っていた妹一覧表も一気に直し。これで見落としはないかしら。

 『潮見工房』さんDVD比較も既に完結されていて、こちらも早いとこ書かにゃー、と相変わらずかけ声ばかりで進まない考察。
 いま書いている&修正しているリピュアBパート考察で主張しようとしているのは、BパートとAパートやアニプリを比べてどっちが上か、などということではなく(これはシスター・プリンセス界の分裂を生むだけ)。とくにBパーtの場合は、作品を「原作準拠」と捉えるにせよ「制作者の恣意的解釈」と捉えるにせよ、どこまで本当に原作と重なっているのかを、まず確かめることが必要だろう、ということです。そうじゃないと、いつまでも「エロさ」なんかで評価されてしまうし。そのうえでぼくは敢えて「逸脱」などという非常に傲慢な言葉を用いていたりするわけですが、これはちょっと反省すべきか。このへんは、既に放映時に四葉話の原作との対照を綿密になされていた曽我さんの、内容ももちろん叙述方法がまた理想的です。花穂話についてはしのぶさんの感想を。

 考察のためにBパートDVDを何度も見直してますが、現時点で、一番凄いと思うのは千影の話。これは原作を大きく組み替えながら、逸脱せずに補完しています。一番好きなのは雛子の話。幸せ。
2003年8月26日(火) やっと追いつく
 楽しく読んでたら、最後の方でひどいこと言われてるような(自業自得)。

 滞納戦隊の危機。いや、活躍と言うべきなのでしょうか。猿元さんにはご教授いただいてたりしますが、ぼくは先日家賃滞納分を支払ってしまいました。先月分までですが(中途半端)。
2003年8月27日(水) いろいろ間に合ったのか
 というわけで、リピュア考察8掲載しました。Bパートの後半6話を扱ったものです。前半部分の考察7はまだ修正中、一緒に更新できればよかったのですが、急ぎますです。
2003年8月28日(木) 歩き続けてシスプリアン
 『カトゆー家断絶』さん(8/28分)、『かーずSP』さん(8/28分)、『■ちぇき。■』さん(8/27分)、『Stick'n'RudderMan』さん(8/27分)、『* The'00s must GO on 』さん(8/28分)、『Romantic connection』さん(8/27分)、考察の紹介ありがとうございます。

らむだ「最後のとこに書いたけど、BパートのDVD見てるとリピートから抜け出せなくなるよね。」
美 森「いや、お前だけ。」

 そんなはずは。

 次は考察7の修正と、Aパート最後の考察6。これでアニメ版シスプリ考察は完了となるはず。修正分は今月中に掲載するとして、考察6は来月になってしまいますね。並行して『シュヴェスター』などにも取りかかり、ゲーム版感想などをぽちぽち書いて既存コンテンツに手を入れる。とまあ今年一杯は色々できそうです。
 しすぷりんくももうじき終了、投稿企画にSSを1本書ければと思います。いつものノリで。

 ところで、昨日のうちにカウンタが10万を越えました。読者の皆様、紹介下さるサイトの皆様、おかげさまでここまで歩き続けることができました。深く感謝いたします。サイト開設より約1年半、1日平均200アクセスというのは、ぼくにとってあまりに大きな数ですし、様々な感想や反応をいただけてきたことで、いつも支えられていました。
 そういうわけで、可憐ありがとう

 ええと、これからもよろしくお願いいたします。

 『エロゲカウントダウン』さん『恋する妹はせつなくて〜』レビュー。ろりげに代表される一点突破えろげの志の低さは、確かに最近とみに感じられるところです。

 どちらの方でしょうか(繁体字中国語)、リンクいただいてます。2つある「妹妹公主系列網頁(日)」の下のがうちですね。でも周りのリンクみると、18禁ばかりのような。
2003年8月29日(金) 遅々たる歩み
 『Re-404NF』さん(8/27分)、『Winter SNOW』さん(8/29分)、Zoroさん(8/28分)、『CCSF』さん8/27分)、考察の紹介ありがとうございます。
 ところで黒にーそはきほん(8/28分)ですか。

 考察7(Bパート前半部分)、花穂話以外を修正。肝心な箇所が残っていてまだ修正途中なわけですが、一応そこまでの状態で更新しております。鈴凛あたりはかなり追加しました。雛子ももう少し増やそうかしら(量の問題にあらず)。

 フランスポストモダン思想(そんな括り方が存在しているかどうかはさておき)に基づているかに見せている様々な意見に対して、例えばガダマーなどの批判者(本当にそうなのかはさておき)の名前「だけ」を持ち出して終了、という手はどうか。いや、どうかと言われてもあれですが、なんか適当に見える引用をもってくればすむのならそれでも。もちろんそれだけでも簡単ではないし、それだけではすまないのですけど。
2003年8月30日(土) ぱろでー
 『Sister Freedom』さん(8/29分)、考察の紹介ありがとうございます。咲耶の部分はもうノリノリでした。

 その咲耶の名産物(8/29分)。さすがはZoroお兄様です。

 ドッコイダーというアニメの最新話がやばかったみたい。作中に登場するゲームということですが、まことにもってやりすぎというところ。眞深が入っているあたり、メディアワークスというよりアニプリスタッフがらみでしょうか。

 画像を確認すると、『Thirteen Sisters』というゲームパケでの妹達の服装は、衛と咲耶と雛子と白雪と四葉がリピュアAパート、他はアニプリの春服か。ただし鞠絵と春歌は夏服か、亞里亞は夏制服の色違いっぽい。しかし唯一顔を隠されている白雪が不憫でならない。
 作画は新田絵に非常に近い。(原画に新田靖成氏の名前があった模様。)
 ゲーム場面で、兄の部屋に入ってきた四葉はアニプリ夏服。花穂、春歌、兄(航)も同じ。メッセージウィンドの日付を見ても、夏休みの終わり頃と分かる。
 春歌後方の街並みはプロミストアイランド1丁目か2丁目に近い。
 咲耶と花穂の部屋の内部は、だいたいアニプリのウェルカムハウスと同じ。
 可憐はベッドにかけられた夏服がアニプリのものだが、ベッドの形状がどうか。そして胸がありすぎなので偽者。なお、「私もずっとお兄ちゃんの事」と言っているので、この直前に兄が可憐に告白しているものと思われるが、だとすればこの場面では、アニプリの可憐はこのような媚びた笑顔(ここだけ新田絵的でもない)で答えずに、「お兄ちゃん…!…可憐、可憐ね…。」とか言っているうちに泣き出してしまって兄の胸に飛び込みそうな気がする。やはり偽者。

 追記。
 ある方に「敵」として認識された旨メールいただきましたので、その方へのリンクを削除しました。
2003年8月31日(日) 夏休みの終わりに
 しすぷりんくが本日で更新終了です。氷室沙羅さん、これまで本当にありがとうございました。シスター・プリンセスのファンが集う大切な憩いの場所でした。これからも『double bells*』でのご活躍をお祈りいたします。

 とか言いながら、その最終日になってやっと企画SSを送るという迷惑ぶりを発揮するぼく。すみません。脳内家族もの以外のSSはこれが初めてですが、内容は相変わらずです。

 しすぷりんく的な場の引き継ぎは『Romantic connection』さんGMGにて拡大化して行われる模様。

 馬鹿話。

美 森「『催涙雨』っていう誤字があったろ。」
らむだ「あ、春歌のね。無理矢理『誤字じゃなくて春歌自身の勘違い』っていう話にしたけど。」
美 森「いや、『催涙弾』とか『催涙ガス』の文字そのまんまってのが、
    いかにもドイツ仕込みらしいなあ、と思ったんだが。」
らむだ「なにー(笑」

 第一次大戦ですか。

 そんな話はさておき、リピュア考察7(Bパート前半6話分)をようやく修正・更新。前回から花穂を大規模に修正、雛子を若干追加しました。なお、8/11の掲載当初から比べれば、ほとんど全員の文章に手が加えられていますが、主張そのものはほとんど変化していません。
 さて、Aパートに戻ろう。

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