日記
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2004年1月1日(木) 一年の計
 あけました。おめでとうございました。

 ほぼ完全に寝正月。年末は疲れたにょ。
 横になりながら、シスプリ考察の見直し続行。しばらく読んでないと、自分の文章なのに驚いたり呆れたりできます。いわば馬鹿の再確認作業。今でも時々この考察を発見して驚いて下さる方がいらして、そんなときにはいつもすごく嬉しく思います。自分が書いたものが、誰かに何らかの喜びや楽しさを与えられる。それを通じて、読者にも自分にもシスプリへの興味やさらなる想いを喚起できる。それはファンとして自分になしうる最大限のことであり、またサイト管理人として自らの誇りとなすことです。
 今年もそんな矜持をもって取り組んでいけるかどうか。そこに自分自身の楽しさを感じたままでいられるかどうか。妹達への愛情はどのみち消えないので心配する必要はありませんが、年末にも偉そうなことを言っていた以上、それに見合うだけの結果を出すのがぼくの責任というものでしょう。
 さしあたっては、先日手をつけたようなキャラコレを読む枠組みを提示して、最低限のたたき台を作るとか。その場合、自分がしようとしていることが「分析」(それも非常に粗野な)でしかないことに留意すること。これに対して、クリエイターによる創作は、各人のシスプリ解釈・キャラコレ分析を基盤としつつも、その「綜合」として具体化されていることを看過しないように。こういう用語の使い方も、いい加減なのですけど。
 そして、そういう努力の方向性が役に立つものかどうかについては、第三者の判断をあおぐということで。シスプリ以外のことも、もちろんやっていきますし。

 『赤の7号』さんが昨年末に述べられてますが、「このサイトなんかバックミラーの点にしてしまってください」というのは、はっきりいって自分には無理。ネタのセンスとか努力の質・量とか意志そのものの純度や強さとかに、とにかく圧倒されてるわけで、そのへんがまた何気に悔しいわけです。きー。
 でも、悔しいと思えるうちが華といいますか。意地を見せたい兄魂が滾りもするのですね。自分の得意技を磨きながら、それが「そのサイトを見るのが楽しみになる」ということとうまく噛み合って、時々は「おぬし、やるな」と笑ってもらえるサイトになれれば、と思います。
2004年1月2日(金) 兄の攪乱
 自宅に戻ったものの、風邪をひいて倒れておりました。かなりやばげでした。
 ああいう状況でぼくは、脳内妹のいたわりを受けてほっと安堵ということすらできなくなるという不徹底ぶり。でも、そんなことしてたらたぶん幸せになって「このままはかなくなって」しまいそうなので、不徹底なのが生物的には正しいのかもしれません。文化的にはともかく。でかるちゃー。
2004年1月3日(土) 駄目駄目に
 昨年末の十大ニュース、なぜか5番が2つあることを、ご指摘を受けてようやく気づきました(駄目)。

 ほら、先月の咲耶誕生日に記念SSも掲載できないまま、もう花穂の誕生日が迫るわけですよ。もちろんその準備もできてないし。
 ゲーム版シスプリ2もこの2人はエンディングを見ていないし、どうも愛情が薄いのかな…。反省。
2004年1月4日(日) 追走
 既に一段落した感はありますが、シスプリメ論議。『Sister Freedom』さん(12/27-29分)、『Milky Love』さん(12/29分)、『せんべい屋本舗 暁堂』さん12/24-30分)、『Sisprism』さん12/29分)、『いちおくまんえん』さん(1/4分)、以上こちらでの確認分です。『Milky Love』さんのは確かに決定的かも。
 この議論が現在の参加者に何をもたらしたかはさておき、例えば『MistyTown Clover』さん12/30分)にとってのように、ネオシス創造に新たに興味をもっていただく機会になったというのは、論議の一つの成果ではないでしょうか。

 ご存じ『しろはた』萌え論。さすがの切れ味。
2004年1月5日(月) 盤外砲撃
 かつてエポックから発売された名作戦術級シミュレーションゲーム『装甲擲弾兵』がコマンド・ザ・ベストで復活。いやもう何といいましょうか、こんな感想(日本唯一の本作品解説か?)を書いているほどのぼくですから、その喜びたるや。皆さん買いましょう、そして次の『東部戦線』も再版させましょう、さらに予定されていたはずのイタリア軍関連もこのさい作らせましょう(それは無理か)。
2004年1月6日(火) 年賀絵のお礼とか
 ようやくのことながら、giftにお年賀絵を掲載させていただきました。あまのさん氷室さんタカさんZoroさん秋ヶ瀬さん、この場で失礼ながら、お礼申し上げます。素晴らしい絵をどうもありがとうございましたー。
 それにしましても、一挙に可憐以外の妹絵が増えました。シスプリサイトみたいだ(自覚なし)。

 溜めているメール返信も、少しずつでもなんとかします。

 シスプリサイトの中での自分の立ち位置などについて、少し考えたり。最近のシスプリメ論議の中で、自分があれこれやることがどこまで役に立つのかとか、小理屈こねているあたりがかえってうざく感じられているのではないか、とか。考えすぎかもしれませんけど、あんな考察まで書いているので、よけいに高圧的に受け止められることもあるのではないか、とか。しかも理屈に見せかけて自分の感情をぶつけているだけだったりしないか、とか。やりがちなだけに。
 シスプリサイト管理人対応表Masaさん作)を見返してみれば、ぼくは超然と構えているっぽい管理人なのですが、『萌え文集』の仲間うちではむしろ、思いつきで言いたい放題&無責任に脱兎という典型的いい加減キャラ(属性:滞納、尿瓶)なので、両方を合わせると非常にあむない気が。いや、もしやこれはこれでバランスがとれてるのか自分。Y字バランス!(ひえーけっこう)
 そうじゃなくて、ええと。バランスとれてないけど。
 自分のことから一度離れて考えてみると、例えばシスプリサイトの場合、管理人同士の意見がぶつかったりそのことにショックを受けたりして、さてそれでサイト管理が嫌になったとき。そこで「やっぱりもう少し頑張ってみよう」と思えるのは、他の管理人や訪問者の応援のおかげもあるだろうけど、最も重要なのはシスプリへの愛だと思います。やっぱりシスプリファンはやめられん、という深い愛、というか、むしろ業かもしれませんが。
 で、それってつまり、キャラコレの「妹が衝撃を受ける−プチ絶望−兄登場−救済」という展開と重なります。妹がそれぞれ、兄への想いと兄からの想いによって、日々の壁を乗り越えていく。いやもはやシスプリが終了したいま、ぼく達から「兄からの想い」は失われている、そういう反論もあるかもしれません。でも、連載は終わってもシスプリという作品の魂は消えてないわけですよね。ここでめげたら、チアで挫折しかけながらも、そしてそばに兄がいなくても、兄を感じて「お兄ちゃまの笑顔が見える」と微笑むことができた花穂に、叱られちゃいます。
 だから、シスプリへの愛がそれぞれにあれば、その作品そのものを兄として、各サイトは妹となるでしょう。兄を信じればこそ、妹は妹であることを絶対にやめないでしょう。
 で、その兄へのアプローチのしかたは、妹の個性ごとに違ってくるわけで。ぼくのやり方は、アニプリから、文字の考察で、情動を抑えつつ、てな感じでしょうか。12人、いや13人の中では誰でしょう。鞠絵、鈴凛、そのあたりかと思いつつも、考察の荒唐無稽さは四葉的かもしれないし、そもそも秘めたる腹黒さはやはり可憐かしら。あるいはやはり山田(滅)
 まあともかくも、お互いのスタンスの違いを認め合ったうえで、妹達と同じように相互支援できたらいいな、と思ったわけです。
2004年1月7日(水) また挫折
 駄目だ、咲耶に続いて花穂誕生日祈念も間に合わない…。もう駄目です、駄目駄目です。どれくらい駄目かというと、『Sister Freedom』さん(1/7分)の絵を見て、
・花穂がテレビのリモコンを奪ってチャンネル変更
・そのリモコンを自分のお尻の下に隠す
・取るに取れないで困る兄
・仕方ないので、脇の下をくすぐってどかす作戦決行
・花穂耐えきれず降参、見事リモコン奪還成功
・でもそのリモコンの温もりにしばし兄は瞠目
 という展開を想像するほどに。

 しのぶさん女の子コミュニティ話。この視点って、ぼくの考察からは全く抜け落ちてるんですよね。

 がんすりについては今木さんが12/29前後にずっと詳細に述べられていて、ほぼ納得。

 『ナラルトホテプ』さんこちら。ネオシスをめぐるクリエイターと企画側の折衝、枠組み適用の具体例。クリエイターも自分の考えをどんどんぶつければいいのですかね、漫画家と編集者みたいに。あまり軽いことを言い過ぎてもいけないのですが。

 こちら各年エロゲー統計をみて、いかにデータ数上位(つまり反応が多い)作品を遊ばなくなってきたか再認識。各年10作品中、96年はプレイかつクリアした作品数3。97年は7。98年は4、99年は2、00年は1、01年は2、02年と03年は0。なお、『CROSS†CHANNEL』と『水月』はこれからプレイします。
 『Clannad』の情報もいろいろ出回っているみたいですが、ほぼ遮断状態。でも、歌が「メグ・メル」? めぐ・める?
「めぐー!」
「めるー!」
「姉妹のー!」
「もっとー!」
「もっとー!」
教えて、お兄ちゃんせんせーっ!
 いや、ふと思い出したもので。他社作品のOPを(逃走)。
2004年1月8日(木) 飛沫をあげて快走
 「おまるスクーター」について議論白熱した記憶があるのですが、詳細を忘れてしまいました。

 知財関連でここここ『RinRin王国』さんから)。
 ここここの呼びかけ『りとる・ろまんす』さんから)。

 シスプリメ創作を試みたとして、自分が一番困りそうなのは、表現力などよりも(それも問題だけど)むしろ、女の子らしいファッションについてではないか。服の名前とか全然分からないし。そういうわけで、こんなウェブショプのカタログを眺めてみたりするわけですが、うーん。もっといいデータリストはないものか。
 と、探していたら『週刊ファッション情報』『脱オタクファッションガイド』などに落ちつきました。
2004年1月9日(金) 2日遅れ
 いつもより半歩ほどやる気なし。その半歩で社会からおっこちるんですが。
 この季節は毎年ちょっとあむないにしても、今年は病み上がりというだけでなく意気が上がらなすぎ。考察終わったからかしら。生き甲斐って大切ですね。

 『涼宮ハルヒの退屈』を読む。長門さんの眼鏡について作者があとがきで何やら言ってますけど、一度は眼鏡を外した長門さんが再び眼鏡をかける瞬間こそが最も萌えるときかもしれないということを、作者は知っているのでしょうか。
2004年1月10日(土) こーなーべろしてぃ
 某所から、制作中のアニプリRPG。こ、これは…。完成が待ち遠しいです。

 『Air War』と聞いてときめいたり。RHミサイルのトラッキングコーンとか、とうとうまともに適用できないままに終わりましたが。ええと、スロットルとー、エネルギーとー、速度とー。
2004年1月11日(日) 科学的シスプリ運動
 創作も進まずにまったりしてます。

 花穂について色々語られておりますが、あれですね。転んだ花穂を抱き起こすとき、

「よいしょ」

 とか、余計なかけ声を言わないのがお兄ちゃまでしょうかね。
 あと、中流妹について。花穂あたりは確かにそれっぽいのですが、あの妹達の生活水準は亞里亞などを除けば基本的に「中流の上」あたり。つまり、中産階級の妹が兄を愛し、その中産階級が依拠する小市民的社会倫理によって引き裂かれている、と。
 …そうか、これは革命の物語だ。近代社会における家族という桎梏を打破し、真の人間解放をもたらすために、兄妹は戦わねばならないのだ。いや、共産主義の世界なら兄妹が結婚できるのかは知りませんが、マルクス先生は「女は男の共有」みたいなことを仰せられてた気がしますから、もはや血縁は問題ではないかもしれません。ビバ。でも結局は、少数の男に女の子が群がって「1兄12妹」が実現とか、そういうオチがつきそうです。

 アニプリ第23話を見ていて、航と燦緒が再会を喜んで抱き合う場面。それを目の当たりにした妹達の多くは「わお」という感じではしゃいでいるのに、咲耶と雛子だけは顔を曇らせています。とくに雛子は強烈。幼児性もあるわけですけど、このへんからも、やがて彼女が咲耶に似た妹に成長するという予感が得られます。
2004年1月12日(月) 妹、応答せよ
 昨日の将棋NHK杯、中井女流名人残念でした。とはいえ、中原16世名人と公式戦なんて、一昔前には考えられなかった快挙。お見事です。

 えろげ『CROSS†CHANNEL』開始。お薦めいただいた通り、なかなか面白い作品です。なにより主人公がいい。馬鹿で。ほとんどロードせずにプレイ継続中。

 おじさま同士(1/11分)ということで、今後ともよしなに(笑)。しかし自分の場合、持ち上げる途中でぎっくり腰、というのもありそうで…。

 妹をアニソンに喩えると(全)。う、だめだほとんど知らない。春歌なんて思わず「哀戦士」とか出てきちゃう年頃です。

 ところで、各所で調査されている「女性訪問者の数」ですが。シスプリサイト管理人のはしくれとしては、やはりこう呼びかけてみたいものです。すなわち、

 うちのサイトを訪問されている可憐ちゃん、お手数ながらメールあるいは掲示板にてご連絡下さい。

 反応があったらどうしよう(杞憂)。
2004年1月13日(火) まだまだ未熟
 しのぶさんから「女の子コミュニティー」について詳述いただく。これをふまえると、なるほど第5話のメール攻勢もそれっぽい。第6話では眞深がこのコミュニティーと航を繋いでくれるかに見えますが、しかし第7話では彼女もやはり「女の子コミュニティー」の側の存在だと明示されるわけですかね。リビングに航がいるのに、誰も相手してくれないというあたりが今見るとすごい。してみると、第2話から第3話までの振り回されっぷりたるや。
 それにしても「不可解」なそれに「振り回される」良さというのは、なんというか、玄人好み。一対一の兄妹関係だと、曽我さんの「女の子による蹂躙を正しくもてなすことの出来る力」ということになるのでしょうけど、全員一緒にいるアニプリだから、コミュニティーが兄の前に圧倒的な存在となる。
 ぼくのアニプリ考察は中・後期から前期を手段化しているということになるかも。いや、書く楽しさは明らかに前期分のが上でしたけど。前期分ではこう、分からないものを分かった気になろうとする懸命さに浸っておりました。…ああっ。この気分こそ、わりと山田的なのかっ。
 あと、第23話の航と燦緒の再会場面は、男の子コミュニティーと女の子コミュニティーが接触した瞬間だったのかも、と思いついたり。抱き合う兄達を「男の子同士の友情」の想像図と重ねて喜ぶ妹もいれば、男の子コミュニティーによって自分が排除される危機感情から反発する妹(咲耶、雛子)もいたという。
 まだまだアニプリは深い。

 『バンド・オブ・ブラザーズ』の最終巻を観る。戦争が終わっても人は死ぬ。これからは第101空挺師団506連隊を大切に扱います。でも『D-DAY』ではいつもあっちに降下してC状態。
 そいえばHSミサイルまでとうかがって、妙に安心しました。『Air War』で爆撃までこなした人っておられるのかしら。空戦でターンオーバーというのは恐ろしい話ですね。

 『おしえてABC』をフルインストールしたら、PCが壊れました。あうー。考察やシュヴェスターの修正分も、くろすちゃのセーブデータも吹き飛びそうでしたが、なんとか復旧しそうです。美森氏ありがとう。

 マリみて『バラエティギフト』読む。一箇所、名前の間違いがあったような。真美が登場しないのが残念ですが、次代の妹達に向かってだんだん盛り上がってくる雰囲気がいいです。
2004年1月14日(水) 台無し
 先日、ここを読んでる可憐ちゃんに、連絡下さいと呼びかけましたが、そのときの会話。

らむだ「まあ、女性からの反応の有無をネタにするのもアレだし、
    どうせネタにするなら最初から華々しく散ろうかと。」
美 森「まあ、お前のとこの女性ファンなんて元々いないだろうし。」
らむだ「そだね。そう悟りさえすれば泰然自若。」

 そしたら昨日、女性の方から1通メールを頂戴しました。

らむだ「きたーっ!」
美 森「え、まじ?」
らむだ「うああ、ど、どうしよう。えへへ」
美 森「お前、全然悟れてないぞ(笑)」

 見事なまでの浮き足立ちっぷり。お名前は伏せますが、この場でもお礼申し上げます。
 他の方々の様子は分からないのですが、うちって励ましのお便りとか非常に希なのですね。とくにこの頃は、サイトの今後にちょっと思い悩んでもいたので、ちょうどありがたいお言葉をかけていただけました。これからもシスプリ考察には前向きに取り組んでいこうと思います。

 そういうわけで、2chアニプリ板で話題に上っていた、妹達の胸サイズ考察。
 っていきなりこれなのか…(最悪)。女性読者が逃げる話題と分かっていながら。「分かってはいるが分かるわけにはいかん」。いや、島本先生の狙いはこんな方向にはないはず。

 シスプリの妹達の身体的情報は、身長と誕生日以外ほとんど明らかにされていない。例えば年齢は、アニプリについては第3話分考察でおおよそ検討されたものの、原作やゲーム版については(身長からの推論を除いて)未だ根拠ある結論が出ていない。このことは、シスプリの兄である読者の年齢が多様であることから、その兄の年齢を上回らないなどの制約により、未確定なままに残されているのだと理解できるが、その延長上で、他の身体的情報も兄達の自由な想像に委ねられているわけだ。
 とくに一般男性が気にしがちな3サイズもまた、この曖昧さのもとに置かれ続けているが、年齢と同様に、その曖昧さに一定の蓋然性を与えることは果たして不可能なのか。ここでは、その試みの端緒として、妹達の胸サイズについて検討してみることにする。なお、ここでの「胸サイズ」とは単純にトップでの数値を意味する。
 これを行うにあたり、美森氏と論者の協議により幾つかの方法が提案された。

(1)フィギュア測定法

 シスプリのフィギュアの胸回りを測定し、身長比から実際のサイズを算出する方法。
 この方法を適用するために、美森氏に協力を依頼し、『FIGURE Maniacs』付録可憐フィギュアを用いて測定してもらった。

美 森「うお、糸がねえー。電話線とか縄しかない。」
らむだ「却下。なんだ縄って。」
美 森「どうせ『俺が縛りたい』とか言うんだろ?」
らむだ「いや。むしろ縛られたい。血縁という名の呪縛。」

 結果、フィギュア胸サイズ4.4cm。フィギュア身長11.4cm。という数値が与えられた。
 可憐の身長は148cmであるから、計算上の実サイズは57cmとなる。

美 森「ということだ。胸なくてよかったな。」
らむだ「いやまて、これなさすぎ。胸囲としても妙。」

 測定対象がリピュアAパートフィギュアということを無視しても、このサイズは健康な女子の骨格としてあまりに小さすぎる。その原因としては、a)兄の前でチョコを渡す可憐の胸キュン具合を表現している、b)このサイズのフィギュアは頭・顔と胴体の比率が前者に有利になってしまう、c)たんに造形が下手、などが考えられる。なお、b)については、『ONE』の里村茜フィギュアが可憐よりも小スケールにもかかわらず適性な胸サイズ(計算上85cm、設定上82cm)だったことから否定されている。(女性キャラの3サイズなどについてはこちら参照。)
 以上のことから、フィギュア測定法は妥当ではないと結論づけられそうだが、アニプリDVDおまけフィギュアで試みた場合はどうなのだろうか。唯一手持ちの可憐フィギュアでは腕と胴体がくっついてて測定できないが。

(2)設定資料比較法

 『アニメシスター・プリンセス完全ビジュアルブック』に収録された妹達の設定資料から、サイズそのものでなく、妹相互の比較を行う方法。
 実際の数値を判定するのは困難なので、せめて妹間の上下関係だけでも明らかにしようとするもの。ここで注目するのは、水着姿での胸曲線。第10話用に全員分の水着姿が設定されているという好条件と、志田ただし氏による夏制服設定では氏の貧乳絵傾向が強すぎて比較にならないことなどから。
 具体的方法としては、設定絵をトレーシングペーパーでなぞり曲線を写し取る。それらを相互に比較。

らむだ「…一人で黙々と、何やってんだろ…。」

 ここで一つの仮説を立てる。「胸サイズが大きい者は、胸曲線が円弧に近づく。」これを前提にすると、咲耶、春歌は明らかにサイズが大きい。続く者達を検討していくと、現時点では、可憐と白雪が意外に大きく、鈴凛が意外に小さい。ただし、ワンピース・ビキニなど水着の形状の影響があるため、これで結論づけることはできそうにない。また、アニメ作品内では第11話の鈴凛は明らかにサイズが大きめであり、設定との溝が確認できる。
 これらの問題から、この比較法も単独では必要を満たさない。

(3)ゲーム2立絵比較法

 『Sister Princess2ビジュアル&完全攻略ブック』の妹立絵から、ビキニとワンピースのそれぞれについて曲線の比較を行う。現時点で最も期待できる方法がこれ。ただし、アニプリからは離れてしまう。
 数学の得意な人が、各曲線を数式化してくれると助かります。どなたか検討して下さい。
2004年1月15日(木) くろすちゃとか
 「腹黒い」というのは、ほ、ほら。『辺境警備』にあった、闇を知ることで真の光に至るというアレですよっ(苦)。
 というわけでぼくもファンタジー職業適性診断

>戦士レベル -9 あきらめましょう
>盗賊レベル -8 あきらめましょう
>僧侶レベル 4 天性の才能あり
>魔法使いレベル 5 天性の才能あり

>占い師「そなたに最も似合う職業は、他人のケアやサポートが得意な『呪術師』じゃ。
>魔法使いの『慎重さ』『丁寧さ』と僧侶の『優しさ』『調和』を併せ持つタイプじゃな。
>自己主張が弱く、裏方作業に向く。調査とサポートを両方できるところが特徴じゃ。
>決定権を持たせることや、素早い決断を迫られることが苦手なようじゃの。
>たまには自分の意見や主張を言って、自分を理解してもらうようにしてみることをお勧めするぞ。」

>(職業メモ)精霊や幽霊など、目に見えない存在の力を借りる万能系術者。身体能力は低い。

 とのことでした。対人スキル皆無と申しますか。でも可憐や妖精さんとお話できます。

 『しろはた』えろげライターに(1/14分)。「妹萌え」&「鬱」だそうですが、どないでしょうか。今後の情報が待たれます。

 『CROSS†CHANNEL』クリア。以下、ネタバレのため迷彩します。
 Web上でかなり評判のこの作品、実際プレイしてみて確かに引き込まれました。主人公が『同級生』的ノリの躁&エロ男なので、そのノリに馴染めたぼくはギャグや会話のテンポを素直に楽しめた模様。
 物語はいわゆるループもの。最初に登場人物達の集団としての和やかさを提示されてしまうがゆえに、その後かたちを異にして繰り返される日々での反目と憎悪が、どうにもやりきれません。あの日々はもはや帰ってこない。というか、そもそも虚構にすぎなかったわけですけど、それでもその虚構をどうにかして再現したいという努力は、あくまでも各個撃破を通じてしか進展せず、最終的には主人公が自らを排除することでのみ関係性が修復(というか再構築)される。その主人公が抱き続けてきた自己の空虚を満たすのは、孤独な世界に陥ってから見出した母の記憶。自己肯定感情がここでようやく獲得されることで、主人公は自分と世界を肯定し、その世界に存在する他者に向かって呼びかけることができる。ヒトが人間になるという誕生の過程を描いた作品、と言ってもいいのでしょうか。『MOON.』の自我と母性、『ONE』のえいえんの世界、『AIR』の反復される夏、そういったものを再び感じられもしました。
 キャラは萌えるというより、好き。「あの連中」という感じ。むしろ萌えたのはラジオや電波塔にこそ。アンテナっていいよね。キャラではミキミキかと思いきや(もちろん好きですけど)、最初から冬子に傾いておりました。ああいうのに弱いのです。わりとアイスピック系だと思います。
 プレイ中はほとんどセーブデータをロードせずに、一気に進みました。これも物語の構造上当然とはいえ、好ましいところです。エロは質重視。小エロネタの方が大切かも。

 以上、いい作品でした。お薦め頂いた文月さんに感謝。そしてMK2さんに薦めたい気分。
2004年1月16日(金) きみのきみのなーまえ
 『おどりこ』さんからハンドルネームうらない。「くるぶしあんよ」だと見事「大吉」でしたー。しかも「恋愛運:A 健康運:A 成功運:A 金運:A」という完璧さ。あの恥ずかしい選択肢の中からこの名前を選んだ眼力たるや。でも「πパン」や「しびん」でも「中吉」でしたけど。

 既出でしょうが、シスプリでマリみて。

蓉 子:じいやさん
祥 子:咲耶
祐 巳:花穂
 聖 :眞深
志摩子:可憐
乃梨子:千影
江利子:亞里亞
 令 :衛
由 乃:鞠絵
 静 :白雪
瞳 子:雛子
可南子:春歌
蔦 子:鈴凛
真 美:四葉
祐 麒:航
 優 :燦緒
花寺学生:山田
マリア像:マッキー像

 「祥子わがままじゃないもん」というのも考えましたが。鞠絵はじつははっちゃけだったということで。カニーナ様は、なんとなくキャラの立ち位置で…。マッキー様のこころ、それはウニ。
2004年1月17日(土) てんてんてん
 キャラコレ各巻の、ダブル三点リーダ(「……」)の数調べ。千影必須の「…………」は、これ1個で2つ分と数える。

可 憐: 98+ 62+ 54+ 83+ 90+ 74+ 65=526
花 穂: 49+ 74+ 66+ 66+103+ 83+ 65=506
 衛 : 75+ 96+103+ 77+ 99+ 76+112=638
咲 耶:108+101+108+ 87+ 76+ 75+106=661
雛 子: 51+ 39+ 63+ 71+ 78+ 61+ 29=392
鞠 絵:113+109+ 90+ 90+ 95+120+ 88=705
白 雪: 95+ 71+ 87+108+ 87+102+111=661
鈴 凛:112+ 89+ 88+ 93+105+ 91+118=696
千 影:375+361+318+262+331+279+338=2264(半分にすると1132)
春 歌:100+ 84+107+ 77+ 72+ 96+ 99=539
四 葉:108+ 78+ 81+ 87+ 83+ 70+ 77=584
亞里亞: 78+ 97+ 86+ 74+ 98+ 89+100=622

 以上、千影の圧勝については語るまでもないが、他の妹達の巻でも相当数の三点リーダが用いられており、本文1〜2行あたりに1回は登場することに注意したい。これは兄呼称数の平均と比べてもかなり多い。
 この三点リーダの意味については、
(1)口調(とくに千影)
(2)内面性、自分のありかたに悩んでいる度合い
(3)恥ずかしさや嬉しさを示す乙女心の強さ
 などがあり、数の多寡にもそれらが複合的に影響している。例えば最少(392)の雛子は幼児ゆえの真っ直ぐさで言葉に感情のタメがなく、また内省的な描写がほとんどない。一方、鞠絵はためらいがちな口調や行動、内省的独白などによって、三点リーダの数が多い。春歌の場合は、妄想や乙女心による増加分が、明朗な性格や口調ゆえのタメのなさによる減少分に越されている。
2004年1月18日(日) 朝寝坊
 うう、ナージャ見逃した…。

 いただきものページに、秋ヶ瀬夜月さん26さん神奈備祐哉さんからのお年賀絵を掲載しました。ありがとうございますー。

 「もてなす」の反転。そいえば「兄のために」という表現はキャラコレでもよく出てきますが、あれも妹が一方的に「兄のため」だと思いこみつつ自分の欲求を満たしてもらおうとする行為だったりしますね。しかし、メイドよりもそちらを選ぶとは。

 森薫&村上リコ『エマ ヴィクトリアンガイド』によれば、亞里亞のお屋敷でのじいやさんの役割は、「子守(Nurse Maid)」がそのまま妥当しますでしょうか。

 キャラコレ文章の余裕について(1/16分)。確かにシーンあたりの文章量は多いかも。その内容は「どうでもいいこと」というより、女の子が何に意識を向けるかを示す材料として受け取っています。

 花穂キャラコレ註釈(1/17分)。まとめは今後とのことですが、ぜひ参考にさせていただきます。
2004年1月19日(月) おおー
 『Sisprism』さんから、キャラコレ仕様SS。ついにきたっ。キャラコレ第1話の「妹の特徴と兄との関係の基本的説明」という目的を満たす内容やその雰囲気もそうですが、カット入れや縦書きなどの形式も、かなり原作の雰囲気に忠実です。単行本表紙もなかなか。
 形式面であえて一言付け加えれば、
(1)三点リーダは「……」と、2個つなげて用いる。
(2)「!」や「?」の後は、スペースを1個分入れる。
といった表記上の一般的な約束事があるので、それらにご注意いただければ、と。
 ついでに、
(3)会話文「 」内の最後の文章には、句点(。)をつけない。
というのは既に守られてますが、このさい記しておいたり。このへん参照しつつ。そして、自分のSSでは全部破りまくりなことも忘れつつ。
 あと、黒いハートマークはこれによれば"♥"で出るそうですが、本文中の白いハートマークはどうやって表記されたのでしょうか。教えていただけたらありがたいです。

 サイト管理人のファンタジー職業適性診断結果集。す、すごい数。呪術師は多数派でありました。
2004年1月20日(火) はぁと
 『Sisprism』さん(1/20分)から、白いハートマークは、"HolidayPi BT"という絵文字フォントの"9"で出ると教えていただく。ありがとうございますー、ただし要フォントインストールということで。あと修正はお手数かけますです。
 また、『T H E.』さん(1/19分)と『よつばねぎ』さん(1/19分)からは、白いハートマークは♡で出る(全部半角で)との情報いただく。これもIE6以上かネスケ4以上でのみですか。ありがとうございますー♡。
 教えて君で申し訳ないのでしたが、こういう製作上の情報をやりとりできるということも、シスプリメの発展のためには必要ということで(言い訳)。
 で、それだけだともらってばかりだし、美森氏からの「まとめてないと見づらい」という声にも応えて、日記で書いたキャラコレ関係の数字だのをまとめてみました。暫定的なものですので、それとしてご参照下さい。しかし数字ばっかりで頭痛いです。

 『悪徳商法?マニアックス』がgoogleから消されたとのこと(『BRAINSTORM』さんより)。あらら、企業圧力でしょうか。

 追記。成慕ちゃんキャラコレSS第1話の形式を検討してみる。
 28字×16行(448字)が8ページ強、全部で104行(副題込み)。オフィシャルのキャラコレは33字×15行(495字)ですから、ページあたりの文字数は若干少なめですが、換算すると亞里亞第2話(88行)相当ですので、ぎりぎりセーフ。
 兄呼数は、「お兄さん」「兄ちゃん」も含めて32、除くと29。この数値で、オフィシャル換算行数を割ると、兄呼値は2.75ないし3.03。可憐(2.60)や白雪(3.10)と比肩しうるという、第1話として見事な値でした。
2004年1月21日(水) やまのてなでしこ
 解説どもです。「呪いのサマーセーター」は、『道楽女王』というアルバムに収録されていた謎曲です。作詩は松井菜桜子本人。髪の毛編みのマフラー怖いとか、「あれは私のものなの、取ったら酷い目にあう」とか、そのサマーセーターで喉を締め付けられるとか、確かそんな歌詞でした。
 同アルバム中の曲では「優しくいきたい」が好き。

 ボキャ天のネタにあったような>ユキエ。と反応してみるぼくは、『ダイの大冒険』文庫版の最新刊を買い逃しております。あうう。

 竹宮恵子の『アンドロメダストーリーズ』は、人類の運命と禁断の兄妹愛とを重ねて描いた古典的SF作品ですが、この作者がシスプリや『最終兵器彼女』を描いたらどうなるのだろうか、とふと想像。さらにそこから、永井豪版シスプリとかまで流れてみたり。デビルマンとなった兄を最後に葬ったのは、共に戦ってきたはずの可憐だった。
 あ、『最終兵器彼女』ってのは、自分の彼女がサタンになっちゃった男の物語なのか。そしてやがてはバイオレンスジャックに(なりません)。

 マリみてブームが一過性のものだとかどうとかいう議論があるようですが、それはそれとして、ぼくにとってはかけがえのない学園もの、つまりちゃんと卒業という「終わり」がある作品なのです。例えば『あずまんが大王』、例えば『究極超人あ〜る』、さらに遡れば『すくらっぷ・ブック』にまで至るという。一つの作品が完結するとしばらくして次の作品に傾いていくのですが、それは「萌え」の対象を乗り換えていくということではなく、これらの作品の底流にある何かを、いつだってぼくが必要としているということです。そして、それらの作品は忘れられることなく、自分の中に生き続けているわけで。とまとまりなく終わる。
2004年1月22日(木) こきこき
 運動不足を解消しようと、少年律動体操ここから)を試みて挫折。

 こないだの松文館裁判について、猿元さんの日記唐沢俊一氏1/14分日記を読んだり。表現の自由などをめぐっての判決批判は確かに重要だと思うのですが、ぼくとしてはむしろ、『赤の7号』さん1/14分日記で記されていたような、「消し」の問題に関心があるわけです。
 昔、アニメ絵系のえろ漫画雑誌(『ペンギンクラブ』だの)や同人誌が書店に並びだした頃、「消し」はそれ以前に比べてきわめて薄く小さくなりました。また、当時の同人誌にはそもそも規制自体がなかったから、「消し」なしの描写がウリだったわけです。しかし、連続幼女殺人事件などを背景とする書店摘発・同人誌規制などが行われた時、商業誌の「消し」はすさまじく厳しくなりました。あきふじさとしのある作品なんか、腰部全消しという有様。何か別の物でわざと隠してんじゃなく、ただ真っ白な「消し」。寒い時代でした。
 その後、えろ漫画はそれなりに穏当な「消し」へと戻っていきました。消し方は黒白モザイクスクリーントーンなど様々でしたが、その「消し」の度合いや方法が、ある意味では作者と編集者のえろに対する力量をも示していたわけです。規制を守りながら、その上でどうやってえろくするか、という努力。
 ところがその努力が、ある枠内でのやりくりでなく、次第にルール(たとえそれが強制力をもたないにせよ)を無視する、あるいはそこからはみ出ては戻る、という戦術に置き換わっていく、と。「消し」が薄かったりほとんどなかったりする本が出るかと思えば、逆に「消し」がえらく厳しい本が出たりする。ギリギリを越えて客を寄せ、やばくなったら反省したふり。これのおかげか、あらきあきらの本を並べると「消し」の盛衰をひもとけるし、おがわ甘藍のある本なんて墨塗りの嵐となり、ぼくはひとり泣きました。ちなみにその本の出版元は松文館だから、その頃からやばいと思って度合いを操作してたんじゃないかこの会社。ふざけるな。
 そういう姑息な商売の仕方は、もうやめてほしい。「消し」という制限を武器にした「えろ」への努力に、再び立ち戻ってほしい。昔、森山塔は、「消し」の部分を切片にしてコマの間に貼り付け、読者が「工作」できるようにしていました。もはやこれも不可能であれば、やはり昔にある漫画家(誰だっけ)が女の子の表情だけで表現しようとしたように、新たなえろ表現のかたちを探求することが求められているのではないか。こんなことはずっと言われ続けていることだろうし、それで食えなければどうしょうもないわけだけど。つか、いったい何を力説しているのか自分。久々に、かつてのような文章。
2004年1月23日(金) 花粉
 ひらしょーさんのルソー話がいい(ここも)。共感的、というとちょっと違うのだけれど、ルソーへの向き合い方が。

 そして、思想家の著作と呼ばれるものを漫画にするなら、誰のがどの漫画家で、というのをふと思いつく。現代思想家はいしいひさいちが『現代思想の遭難者たち』で網羅していますが。

 ルソー:永野のりこ。すげこまなルソー。エミールもソフィーも大変だ。
 ニーチェ:かわぐちかいじ。たんなるビッグマン漫画になりそう。
 キルケゴール:吾妻ひでお。絶望しつつ、少女。
 フィヒテ:島本和彦。熱き漢の息吹をここに。
 アウグスティヌス:永井豪。デビルマンの呪縛から抜け出すチャンスにも。

 こういうのは専門家に任せた方がよさげ。そう思いつつ、ディルタイの『体験と創作』下巻(小牧・柴田訳、岩波文庫、1961年)を読んでたら、ノヴァーリスからのこんな引用文が見つかったので重引(18-9ページ)。彼の婚約者であるゾフィー、13、4歳の少女の姿を述べたものです。

「早熟。みんなの気に入ることを望んでいる。父に対する従順と畏怖。知らない人に対する慇懃。慈善。子供っぽい遊びを好む。女たちにつきまとう。家庭内で立ちはたらく。きょうだいへの愛情。音楽的な耳。女向きの仕事を好む。何にもなろうとは欲しない。何かではある。文学をさほど重んじない。率直。まだ本当の反省をするには至っていないらしい。私だってやはりある時期になってはじめて反省するようになったではないか。私に対する態度。結婚生活を怖れる。煙草を吸う。子として母になつく。父に対する大胆さ。幽霊をこわがる。倹約。模倣の才。凡庸で−慈悲深い。怒りっぽく−感じやすい。教養を積むことを好む。揶揄をいみきらう。他人の判断に気を配る。観察の精神。小児をかわいがる。几帳面。支配欲。行儀を守ろうとする慎重と熱心。私が到るところで人の気に入ることを欲している。私が早く両親に打ち明けすぎたこと、それをすぐにみんなに気取られすぎたことを、わるく取った。あれは私の愛のため気がねをしたくないのだ。私の愛はしばしばあれを圧しつけることがある。概して冷静だ。驚くべき猫被りの天分、女性一般の隠蔽の才能。未来の生を信じないが、輪廻を信じている。シュレーゲルに興味をもっている。あまり注意を向けられると我慢できないようだが、そのくせ等閑に付せられると悪く取る。蜘蛛や鼠をひどくこわがる。私にはいつも楽しんでいてもらいたがる。私には傷をみせまいとする。自分をお前と呼ばせない。自分のことより他人のことを多く思案する。」

 ちなみにノヴァーリス(これは筆名だけど)、当時20代前半。彼のこの少女に向けたまなざしも何ですが、この引用文に続けた「言うに言われぬ愛らしいわがまま娘をこれ以上はっきりと思い浮かべることはできない」というディルタイ自身の言葉にも感慨を覚えます。
 なお、ゾフィーは15の春を待たずに病気で亡くなり、ノヴァーリスをたたきのめします。こういう言い方は悪趣味ですが、いわゆる「萌え」や少女について考える場合、彼やダンテあたりは読んでおいて損はないかも。『青い花』なんてKeyっぽいし。
2004年1月24日(土) 
 『Sisprism』さん(1/21分)、修正ありがとうございました。「第1話ということで、イントロダクションということと現在につながる過去の回想を意識して書いた」とのこと、兄呼値もあわせてどんぴしゃでした。行数などは条件が合わなかったのですね、何か共通のフォーマットとかあればいいのかな。

 各所より適職診断

>大魔道師 MAGUS
>魔法を使いこなす最強の術者……それが大魔道師。貴方ほど魔法に優れた者はいないでしょう。
>その才能を生かして世界征服を企むというのはどうでしょうか?
>同じ道を歩むライバルは非常に多いかもしれませんが……。

 魔法…。滞納魔法ならかなりこなせますが。しかも連続発動可能。

 やはりそうですか。そしてリンク先を確認しつつ、「おわー」とか吠える。このよさというか快さを、なんと表現したらいいのやら。ルソーがそこにいる…違う。ルソーの言葉を、ルソーの言葉として受け止めている。ええとそうじゃなくて、いやそうではあるんだけど。ともかくルソーの著作を読み直したくなります。そのことは間違いなく。
 で、早速『孤独な散歩者の夢想』を開いてみる。いきなり「こうしてわたしは地上でたったひとりになってしまった」だって。むはー。ルソーヲチャーになりそうな勢いです。

 愛してほしかったあのひとに、今は敬愛されていると知ったとき。嬉し涙と、なおわずかの悔しさと。フラグ立て失敗とかルート錯誤とか第一パラメータ不足とか色々苦笑混じりに思うけど、それでも、いまのこの絆は、かけがえのないもの。「よーい、どん」に近い気分、でもぼくはまたあのひとに会える。あの頃のしがらみは時とともに流れ去り、そして、結ばれた心の誇らしさが、輝くというRe Pure。でも頑張るのは明日から(駄目)。
2004年1月25日(日) 
 Zoroさんから車ものSS「Driver's High !」募集中(トップの鈴凛絵より告知ページへ)。チームシスプリと合わせて、独自の世界が開かれつつあります。
 シスプリメの方では、「St.Valentaine's Stories」(仮題)募集中。
 『Sisprism』さん(1/25分)から、ネオシス簡易データベース。これは便利です。…が、なぜかうちの環境では文字化け…。ううう、何とかしよ。
 自分の書き物はさっぱり滞りっぱなし。わたしぱなしのお兄ちゃん。

 ふたつ並んで咲いている。でも巨乳はめーなの。あと、サイトの件はちょっとさみしいですが、『萌え文集』では震えさせていただきました。

 ナージャ完結。ちゃんとした終わり方でした、最後まで王道を崩さなかったということで。あえて一言申し上げるならば、この年頃の少女であるにもかかわらず、ナージャの胸が1年を通じてとうとう大きくならなかったということには、宮崎駿監督なら絶対少しずつ成長させていただろうという予感はさておき、その英断に惜しみない拍手を送るものであります。

 昨日の「適職診断」。

美 森「俺もやってみた。」
らむだ「どうだった?錬金術師とか?」
美 森「暗殺者。」
らむだ「ええー(笑)。」

 そんなのもあったのか。アサシンがass-ass-inだというのは、『超兄貴』の漫画版より。
2004年1月26日(月) 
 しのぶさんから、「兄妹関係にあるまじき“力み”」ということと、「応援にだけ過剰な意味を与える」属性的単純化ということと。前者については、花穂がお兄ちゃまと喜びを分かち合いたい、自分の喜びをお兄ちゃまにも共に感じてほしい、というのは、兄の喜びを自分も共にしている妹の「らしさ」だとしても、それが強制的ニュアンスを纏い始めたら、確かにちょっと違う関係になってしまう。アニプリでは、そのへんが「応援する自分自身への誇り」というかたちである程度解消されていたというのがぼくの解釈ですが、ゲーム版の複数作品ではその問題性のみが反復されてしまうので、関係の成長がどこかにうち捨てられてしまう。うーん、うまく言えてないのですけど、そんな感じ。後者の属性的単純化もこれとからんでいるわけで、本質的要素の発露とマンネリとは違う。
 前にゲーム版1・2の不連続性を指摘されていた曽我さんから、四葉におけるこの問題のありよう。「それは呪いであるから,解かれなくてはならない」。解かれたはずなのに、次の作品ではまたその呪いが復活しているというのでは、新作品を出す意味がない。商売としてはあるのだろうけど、彼らの生きる歩みの物語としては、ない。
 でもまあ、“力み”も「呪い」も、起点や途中経過としては構わないとは思います。「お兄ちゃんの日」など、元々の設定で思い切り負荷をかけているわけだし。でも、収束は今やこちらに委ねられているんだから、自由にほぐしてやっていいはずですよね。

 『double bells*』さんから「シスプリメクリエイターによるネオシスのパターンについて」『H嬢(♂)のゆううつ』さんから「シスプリメ参加者(企画室・クリエイター)のマイシス」調べ(提案は『Kaleidoscope』さん)。相互理解の進展。
 『Sisterfreedom』さん(1/23〜)はネオシスイラスト・容姿設定。
 どんどん充実していくシスプリメ世界。

 『ちまわり』さんの「生シスRePure」から、白雪のお題をいただきましたので、前回鞠絵での反省を踏まえてトップで回答してみる。えろネタを回避して自分だけいい子風味。いや、白雪がこのだまし絵から、どんな「にいさまと…ムフン」な想像に驀進するかが楽しみなので。
 ところで1/25分の日記もたいへんなことに。

 国旗デザイン評価こちらより)。日本がAランクというのはともかく、その上にあるパキスタン国旗の説明が笑えます。意訳すると、「残念なのは、こんなふうに月と星が重なることが天文学上は無理ってことなんだけど。あ、でももしかしたら、これって星じゃなくて、インドを狙っている核ミサイル衛星なのかにゃー?(笑)」

 あと、情報元サイトから亀甲縛りの仕方
2004年1月27日(火) なちきゃらっとへようこそ
 昨日リンクミスした「亀甲縛り」はこちらでした。

 『存在と時間』の訳文について、でやりとりがあったので、原文を参照してみる。
 まず緒論よりも先におかれたページで、ハイデッガーは、「存在」の意味の問題を具体的に検討することが必要だし本書の目的だとぶちあげる。で、これがなぜ問題とされるべきかについてを、緒論で述べる。訳文をめぐって議論されている文章は、この緒論の前半部分にある。
 まず、当該文章の直前から訳してみる。「この研究を始めるにあたり、存在への問いを不必要なものであるということを絶えず新たに植え付け手入れをしているような偏見について、詳細に論じることはできそうにない。それらの根っこは、古代の存在論そのものの中にあるのだ。」

 で、当該箇所。

“Diese ist wiederum nur - hinsichtlich des Bodens, dem die ontologischen Grundbegriffe entwachsen sind, bezueglich der Angemessenheit der Ausweisung der Kategorien und ihrer Vollstaendigkeit - zureichend zu interpretieren am Leitfaden der zuvor geklaerten und beantworteten Frage nach dem Sein.”

 その怪しげな拙訳。

「しかしてこの古代の存在論もまた、(そこでの存在論的な基礎概念が成長しきたった地盤についても、またカテゴリーの証明の適切さやカテゴリーの完璧さに関してもだが、)これを十分に解釈しようとするのなら、その手引きとして、存在への問いをあらかじめ解明しこれに回答を与えておくことがどうしても必要である。」

 必要だけど、でもそれを満たすことはいまのところできない、と。zuvorを「本書で先に」とも訳せそうですが、実際には緒論だから未だ「解明」も「回答」もしてないので、やはり「古代の存在論を解釈する前にあらかじめ」ととるのがよさげか。
 これに続いて、「だから、偏見についての議論は、ここでは、存在の意味への問いを復活させる必然性を納得してもらえる程度にとどめておこう」とくる。こちらの問題意識に正当性があることを納得してもらえる程度にだけ、先行研究を軽く批判します、それにとどめておかないと古代哲学と真っ向勝負するはめになるけど、それって本書でやりたい「存在への問い」の研究を必要とするのでできません、というわけかしら。まとめると、

「存在への問いなんてうざいっつー馬鹿をいちいちかまってるときりないにょ。だいたいそんな馬鹿が出てくるのも古代の存在論のせいだにょ。根が深いにょ。だけど、この古代の存在論をちゃんといじるにも、そもそも存在の意味を具体的に検討してからでないと無理にょ。でも、それはこれからやるんだにょ。困ったにょ…。しょーがないにょ、ちょっとだけしかかまってやれないけど、そのかわり、その検討がいま必要だていうこちらのあつーい気持ちもちょっぴり分かってほしいにょ。これでお互いさまにょ。(これで馬鹿どもには感謝され、こっちは奴らをダシにして自分を正当化できるにょ。うけけ)」

 むしろ曲解。ハイデッガーが腹黒くてうかつかどうかは知りません。アレントが「にゅ」とか言うんだろうか。それはさておき、今木さんの指摘するニュアンスをひしひしと感じました。

 馬鹿話。

らむだ「既出かもしれないが。」
美 森「なんだ。」
らむだ「私、かつて在英中にYOTSUBAという妹を取得いたしました。
    でも確認のために訪英したところ、妹取得の記録はないと言われました。
    そこで私は、これは独国のHARUKAの誤りであると気づき、HPを修正しました。
    しかし、その妹についても記録が残っていない、とのことなのです。」
美 森「あの国会議員か(笑)。」
らむだ「今後の行動につきましては、地元に戻ってから、
    可憐と協議の上で決定したいと思います。」
美 森「うわ(笑)書いとけ。」
2004年1月28日(水) ふるへっへんど
 新仮面ライダーですが、子供そっちのけな第1話でもうどうでもよろしい。ただ、見ていて牛乳を飲みたくなるのは非常によいことだと思いました。

 あ、なるほど。両義性というか、ひらがな書きで意味を重ねるというのは、便利でもあり、ややこしくもあり。

 リンちゃんのあんよに反応。あのオープニングイントロの踵ちょんちょんには、ぼくも初見時に卒倒しました。

 『田中邦衛研究所』なんてものがあるのか。

 ネオシスター簡易データベース修正版。おかげさまで、ちゃんと見ることができました。これは大変重宝します。

 イラクのマスコミについて『カトゆー家断絶』さんより)。あれですね、自衛隊の後ろをネタのおこぼれ狙いでくっついて回る姿は、軍隊の後ろをついて回る戦場商人や売春婦のようですね。かつては略奪物や性が、現代では情報が売買されるのでした。いや、いつの時代も直接くっついて回る人々は必死でしたが。あんなに部下を送り込んでいる馬鹿どもが問題だし、現地でも不慣れな環境でストレスたまりまくった派遣員達が、自衛隊員の苦労を水の泡にするような振る舞いをしていませんようにと祈ります。

 先日の国旗デザインについて、欧米偏重という指摘はまさにその通りで、美森氏とさんざ揶揄してました。あと、欧米やその旧植民地諸国では紋章学的発想があるとすれば、デザインだけでは一概に評価できないよね、とか。歴史的含意の問題とか。東欧諸国にはこないだ変えるチャンスがあったのに三色旗を継続使用しやがって、という文句もあのサイトに書いてあったと思うけど、例えばバルト三国がソ連に飲み込まれる以前の三色国旗を使おうとすることには、そりゃ思い入れってものがありますよね。
 そのへんは『世界の国旗』に詳しそう。あそこで「日本の盗作」と断罪されたパラオの国旗なんて、こちらでは「青は太平洋を、黄色の丸は満月で繁栄を表す。日本の国旗を模して作られたが、満月は少し左にずれている。これは日本に対しての礼儀からわざと中心をはずしたもので、パラオの人たちの慎み深さがうかがえる」とあります。ええ話や。

 クトゥルー論文要旨。これいいです(笑)。

 自分で読み返しても、すごいまとまりない日記。

 追記。するほどのことでもなさげですが。
 新仮面ライダーで、「橘(たちばな)」という名前のライダーが登場してますが、この名前はかつてのシリーズを知る者にとっては、「立花」と聞こえてしまいます。そう、立花藤兵衛です。仮面ライダー達のそばで、ずっと彼らの戦いを支えてきたおやっさんです。その名前と同じ音の登場人物に、ああいうことをやらせるというのは、一方で許し難く、もう一方では、平成ライダーのへたれっぷりにおやっさんが我慢ならなくなったような気もして。
2004年1月29日(木) ぱーんぱん
 こちらこちらから、神の不存在証明について。「自分にとって必要であった時に登場しなかった」けれども、自分を助けてくれない神様がいる、という説もありか。この場合、神様は存在するけれど、ぼくにとってはほぼ無意味。でも瑞佳や可憐達を助けてくれるなら、それでおっけーです。

 それはもちろん、「慧眼な高校生」だったのですよ。ですともさ。そして今でもそのときのピュアな心を持ち続けているのです。なんか外道校長の「心はいつまでも少年」みたいだけど。あと、リンちゃんは走っている姿もなかなかでした。
 二次創作については、うちの考察なんて完全にそれですね。考察とパロディとは、ぼくの中では表現方法が違うだけで、解釈として等価です。

 『如葉亭』さんネオシス身長表が便利。以前も指摘しましたが、低年齢・低身長の妹が不足してます。
2004年1月30日(金) ぷらぷら
 原体験について。ぼくの場合は、リンちゃんのあんよから『綿の国星』のチビ猫のあんよ、『夢のクレヨン王国』のクレヨン王女のあんよ、と流れていきました。ふんにゃり系に弱くなっていったのかしら。

 アニプリ・リピュア考察をちまちま修正。細かい箇所ばかりなので、修正日は入れてません。でもタイトルにシスター「・」プリンセス、と中黒を入れたのは、大きい修正なのかどうか。
 もうじき白雪の誕生日だけど、咲耶のも花穂のもSS書き終えてません。だめか。だめなのか。その一方で、GBA版リピュアの感想を書いていたりする自分。時宜というものを全く心得てません。
 つか、ゲーム版で全員クリアしたのってこのGBA版だけなのか…。でもでも、まだ他のゲーム版の多くが手つかずだからこそ、これからゆっくり楽めるわけなのです。
2004年1月31日(土) しちにんしちにん
 「ぼくらのぼくらのローラースルーGoGo」『仮藻録』さんから)。そんなメロディを口ずさんでしまうあたりがおっさんです。

 、「論拠」というより、有神論を前提として無神論を批判するとすれば、ということで。もちろん神の存在証明を無視してます。

 『Sister Freedom』さんにて、シスプリメ企画第2弾「St. Valentine stories」のタイトル絵。すごい、シスプリメはついにここまできました。
 その企画者の『よつばねぎ』さんは移転。リンク修正しました。

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