日記
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2007年2月1日(木) いま25日
 2月です。日記記入時の「日付」欄を「1月」から変更しなくてもよくなりました。わーい。やっぱり月遅れの日記は不便ですね。それってそもそも日記ではありませんけど。
2007年2月2日(金) ようやく17巻終わり
 159時間目。火星人だから火炎魔法。

 「唯一の計算違い」が、「とても楽しい2年間だた」こと。「このためだけにこの時代にやて来た」超は、ハカセや龍宮などその計画の協力者こそいるものの、その計画も含めた人生を重ね合わせられる仲間を持ってはいない。ネギも、マギステルとなり父を探し求めるというその目的を、彼の人生とあわせて少女たちとどこまで共有できるのだろうか。今回はゲームのお約束により少女たちの傷はさほどのものでもなかったけれど、いつか真の戦いを間近に控えたときに、ネギは今回のように彼女たちを巻き込む勇気を起こせるかどうか。

 まあ、そこで明日菜がネギに一発お見舞いしてくれるんでしょうけど、でもその明日菜もまた、いろいろ地雷を抱えておりますので。そのへんの壁をネギと明日菜の双方がある程度いっしょになって乗り越えたとき、ネギと明日菜のパートナーシップがバトルパートでも初めて発揮されることになるのかな。
 今回のシリーズを通じて、個人能力もパーティ戦術も三分咲きならではの期待感いっぱいなのですが、千雨vs茶々丸とか、楓vs龍宮とか、のどかvs夕映とか、バトルでも恋愛でもたくさんの対決が、ワンショットだけであとはそのまんま残されてますもんね。超の事件しか解決していないというのが凄いというか、風呂敷広げすぎというか。しばらく話のネタに困らない罠。
2007年2月3日(土) 逆境先生ネギま
学園長「解雇だっ!!」

 逆境とは、思うようにならない境遇や、不運な境遇のことをいう!!

明日菜「毛糸のくまパンの上にノーパン見られてしかもパイパンなんて〜」(号泣)

 なんかいけそうかしら。

いいんちょ「『それはそれ』!! 『これはこれ』!!」

ネ ギ「よーし名簿の所に『僕が勝った』と書いとこ(はぁと)」
学園長「ふっ……若いうちは増長もよし!」

夕映「こじつけでもつじつまがあえばそれにこしたことはない!!」

明日菜「記憶を失ったなどという、うしろ向きないい方はやめてください!!
    過去を捨てたのです!!」

ネ ギ「そんな気持ちで先生やってたなんて僕…みんなに…恥ずかしくて…」
五 月「誰だって、たたけばホコリはでる!!」

 ひどいやさっちゃん。
2007年2月4日(日) 今春のぷりきゅあ
 日曜朝番。仮面ライダーの新番組もかなりいいのですが、やはりプリキュア5が。もう。
 明朗快活素直馬鹿という、どれみのような性格の主人公ですが、いきなり遅刻しかけて大急ぎのさなか、ちょうちょが飛んで路地裏に入って思わずそこに駆け込む、って、あなたいったいどこの亞里亞ですか。おリボンも風に運ばれますか。
 あやうく異世界への神隠しをくらうところでしたが、ぶつかったのは二枚目青年。しかしその正体は珍獣。この珍獣、もう1匹オスが登場するみたいですが、OPを見るかぎりでは珍獣同士のちちくりあいなら男×男でも問題なしという番組制作者の素晴らしい読みの深さ。しかも性格まで珍獣モードと青年モードでは別なのか。これならヒロインと一緒の入浴シーンだってばっちりだ(却下)。
 何はともあれ期待大です。
2007年2月5日(月) 業務連絡
 あうー、また日記が。へんたいなことに(無変化)。

 いま2/27なのですが、追いつくの待ってたらどうにもならないので、取り急ぎ氷室沙羅さん『double bells*』のサイト移転に伴うリンク修正と、
Johncoさん100質問回答の修正を行いました。ご連絡どもです。
2007年2月6日(火) ヨコシマみたいな
 この頃、公私にわたる一切の判断が間違っていて我ながら呆れる。逆神というのはこういうものですか。自分を信じるんだ。絶対に間違うって。
2007年2月7日(水) 第三艦橋的人間
 そんな絶対自己不信(不審でも可)のぼくが、若い人から相談を持ちかけられる罠。来るな! そんな「いいひと」を頼る目でこっちに近づくな! どうせ来るならもっとずっと低めの(以下略)
 邪念満載ながら親身になって聞いているうちに、なんか解決したみたい。おかしい。そのアドバイスすらもが逆向きではないのかしら。でもねえ、ぼくは自慢じゃないですが、他人にできるアドバイスの中身を自分自身で実践してみたことはないのですよ。ほんとに自慢になりませんね。
 ええとあれです、ぼくはシューティングゲームのオプションみたいなものなのです。自分単体では何もできないけど、行動する他人にくっつくと微妙な効果を発揮するという。よくこんなんで考察書けましたね。……ああそうか、考察も創作じゃなくて、元の作品にぺたりとくっついてるだけですもんね……。
2007年2月8日(木) 新語
 本を読んでて「昭和一桁」という言葉を目にし、ふと「ショーワひとけた」というフレーズを思いつきました。学習用のショーワノートに罫線の数がまだ1ケタしか引かれていないような、そんな年齢を指す用語。
 会社HPで調べて見たら、だいたい小2あたりまでですかね。
2007年2月9日(金) が、がお
 それは2/26のことなのですが、うひゃ。えらいことになっただ。以前、考察の書き方のことなどでご意見くださったthen-dさんから、この同人誌企画へのお誘いをいただいたので、喜び勇んだまではよかったのですが。

   なんという執筆陣・・・
   載った瞬間場違いだとわかってしまった
   この俺は間違いなく浮く

 今頃ボールネタでもありませんけど、いやしかし。

   妹妹妹妹妹
    妹妹妹妹
    妹妹妹

 こう並べるとデンドロビウムっぽくないですか(ずれてなければ)。これをひっくり返しただけですけど。

 それはともかく、これはあむない。参加しておいてへっぴり腰。ぼくのような半端な書き方する人って他にいないじゃないですか。ここから出してくださいよ(カミーユ)。知ってる方もいらっさるのでとても心強いのですが、でもぼくはこれまで鍵系作品についてきちんと語ることから全力で逃げてきたチキン野郎なのです。たまに語るとこんなのとかこんなのとか。難儀だ。「シスプリと麻枝作品とを交えた考察」というのもそんな感じの軽いものを、と思ってましたが……。あるいは、真面目な評論集の中休みになりそうな妄想テキストを全力で書くとか。しかしせっかくの機会なので、少し真面目に考えてみるのもいいかもしれません。前向き前向き。もうゴールしてもいいよね(却下)。
 とりあえず思いつくネタ。

・「間に合う」ことについて
・みさおと黄色い帽子の少女の関係について
・長森を襲おうとしてきゃんたま蹴り潰された男子のその後について
・『同棲』考察

 びったんびったん、すぱんすぱん。
2007年2月10日(土) 半生かけて
 触手くん、とつぜん顔だす(えろまんが山田くん)

 TRPG始めて20年になりますが、その最初期から続けてきたキャンペーンが、もうじき「第1部・完」を迎えそうな塩梅。大団円になるといいなあ。
2007年2月11日(日) きんろー
 建国です。

 こないだの「逆境先生」ネタまで『ネギのス』さん(2/26)には捕捉していただいてて、もうほんとに頭が下がります。毎度のことながら水も漏らさぬチェック。

 『XoD』さん「北海道侵攻」プレイレポート。ああこの作品、ボロボロになるまで遊びましたねえ。デザイナーは佐藤大輔。吹っ飛んだユニットの再編成は、d6の出目の分だけ後のターンに減耗戦力で再登場、というルールでしたが、ここで6の目を出しちゃうと「壊滅した」ということで再編成不可という。第7師団が下手に反撃かけると、消耗しやすい遭遇戦仕様の結果表ですからすぐにユニット消えちゃって、同一師団効果がなくなり大ピンチ、ということがよくありました。一方のソ連軍(懐かしい)も、師団構成ユニットのうち戦車ユニットは優先して損害を受けますから、たちまち消え去った戦車が再編成で出てくるまで、2コラムシフトを失うという厳しい状況がしばしば。それでもいくのさソ連。おとこだから。
 プレイレポートでは、旭川の扱いや道東での耐久など、いろいろ参考になりました。
2007年2月12日(月) 前にも書いたか
 kamimagiさんより。その文脈で言及いただけたのはとても嬉しかったので、すでにコメントさせていただいていたり。前後の「萌え」についての文章も面白いです。
 で、ついでに出てくる自分の勝手な考えは、この日記で発散。

 「粋」という概念については、九鬼の本にしろ岡田の本にしろ曖昧な記憶しかぼくにはないのですけど、何だろう。態度としては、自分にとって大切な・崇高な何かを、作品なり登場人物なりの中に真摯に追い求める、ということなのかな。でもその何かは、その作品全体や登場人物そのものと重なり合うかたちで、掴み取られるのが理想です。具体的なもの・個別的なものの中に普遍性があるという、古典的な美学の立場なのかも。例えばコンセプトアートとかだと、ぼくは、もはや具体的なものを離れて抽象的な概念の骨組みだけがいじくられているような、そんな不安感を覚えるのです。ってなんかあまりにも平凡な感性ですね。
 批評というものについても、ぼくは読むのも書くのも苦手なのですけれども。ある批評の方法をある作品に適用して一刀両断、というよりも、作品を斬った刀がその結果として変質してしまったり、その刀を握っていた批評者までもが変質してしまったり、というものの方が、書いてても読んでても面白いんでしょうね多分。そのためには、特定の批評方法でばっさり斬れない引っかかりを、安易に除けずに丹念に向き合っていくという、そういう面倒くさい手続きが必要なのかもしれません。「それはその批評方法では語れない箇所だから」というのは、もちろん御尤もなわけですけど。
2007年2月13日(火) うぉーむあっぷ
 ども、よろしくお願いします。でも疏水さんの絵もしみじみ凄いし、ぼくはますます気後れしたりして。
 つまるところ、この同人誌企画で何を書こうか延々と悩んでるわけですが、とくに今回はあれですね。東さんとか批評系の方々に「対抗して」何かを書かねば、と考えがちなので、そのあたりがいかんです。

 以前、アニプリのガルバン考察を手がけたときに、同じような対抗意識に陥ったことがありまして。あのときも屁理屈をこねようとさんざん唸ったあげく、だんだん作品よりもその屁理屈を優先しそうになって、危なかったものでした。そこで美森氏から「お前は馬鹿なんだから、頭のいい人の真似はどうせ無理」と言われて、やっといつものやり方に戻れたという。これも既出の話ですけど。つまり、考察スタイルや萌え語りなら、ぼくの持ち味が出るのではないか。
 ただ、アニプリなら『萌え文集』の仲間うちでもぼくの立場はありましたが、今回の鍵系作品となると、身近にMK2さんをはじめとんでもない方々がおられるので、萌え語りだと批評以上に自信がないわけですよ。やっぱり中途半端な人間です。と、いつもながらのうだうだ加減ですが、こうやって日記で書いてるうちに構えをつくっていくのがぼくのパターン。

 とりあえず、「長森の厳しい目つきについて」とか「エロシーン総括」とか、ネタだけ記しておきます。
2007年2月14日(水) 義理の数
 2個でした。
2007年2月15日(木) 友情は見返りを求めない
 『CROSS†CHANNEL』について各所の意見を読みながら、プレイ時を回想。以下ネタバレ。

 ラスト近くの選択肢で、太一が誰から帰還させようか考える場面があります。あそこで皆さん、どういう順番で帰還させたんでしょうかね。 ぼくの場合、ミキミキ、霧、冬子、みみ先輩、友貴、曜子、桜庭、の順だったはず。

 これってどういう順番でもよかったのかもしれませんが、ぼくはずいぶん悩んだ覚えがあります。弱い者(みんな弱いんだけど、比較として)から早く送り出してあげたいけど、でもあっちで独りきりだったらそれも不安でたまらないだろうし、最後の一人になる奴も相当きついだろうし、などなど。
 で、結局は女性・男性で年齢順(曜子だけは例外)というかたちに落ち着いて、その最後の一人である(そして太一も本当に孤独となる)桜庭との別れの場面で、あいつのあの言葉にがつんときた、という。なんかね、太一=自分が悩みに悩んで一人ずつ送り返していることを、桜庭が黙ってちゃんと見ていてくれたような、そんな「報われた」という感慨を得られたのですね。
 もしかしたら、最後の一人になる人物には全員分そういう別の場面が用意されていて、桜庭を残さなかったら他キャラでそういう場面に向き合えたのかもしれません。でも、もしもあの自由選択場面にさえ「正解」というものがあるのだとしたら、ぼくはそのルートを選べたのだと今でも勝手に思っています。
2007年2月16日(金) 握り続けてきた手のひら
 2/11の日曜朝番。ライダーは「男の子が男の子を陥落させていく物語」、プリキュアは「女の子が女の子を陥落させていく物語」。恋愛はまあ、別の作品にお願いするということでひとつ。例えばONE PIECEとか。それ無理。あれもすさまじく男の友情物語であります。よく言われるように、恋愛は仲間集団を分解するということですか。

 プリキュアは早くも2人目。のぞみの幼馴染の、りんがルージュに。東映お得意の、夕方から夜にかけての色使いですよ。幼児期の支えあいをそれぞれの視線から描くことで、のぞみにとってりんが、りんにとってのぞみがどれほど頼りになる大切な友達であり続けてきたのかを教えてくれてます。日頃うかつでほっとけないのぞみが、じつは自分よりも勇気があることを知っているから、りんはそんな親友をいつだって守れるように、自分の得意な運動能力を伸ばし続けていく。仕方なさそうに面倒見ながらも、いつだって逆にこの子に励まされて、ここまで一緒に来れている。
 だから、ちょっと怖いくらいで逃げたりしない。たとえ相手が怪物でも、やるべきことはいつもと同じ。この子を守りたいという気持ちも、いつもと同じ。

「友達なめんなー!」

 このひとことがすべて。震えました。
2007年2月17日(土) 全員キントレスキー
 鋼鉄の体の疼き、キュアマッシヴ!(高原みなこ)

 IRCにてそんな話が。来年度番組『The プリキュア!4 〜工事現場でプリキュア!〜』みたいな。ジャンルは、マッシヴファンタジーコメディ。「よう、お前プリキュアになりたいんだろ?」と気さくに肩を叩くタカさんに引きずられて、お嬢やアキラが画面いっぱいに大活躍。最終話では、救出された魔法界の王子様がタカさんたちによって(以下削除)。

 EDではタカさんたち一同がハレ晴れユカイします。
2007年2月18日(日) はまった
 プリキュア。うらら。黄色。萌え。夏コミ同人誌でこの子に「はじけちゃうっ」と叫ばせるの禁止。あらあらまあまあ。それはチャチャのうらら園長。

 女優を目指して頑張る姿には頭が下がるけど、その結果として友達いないという寂しさが、おそらく演技にも表情にも影を落としてせつなさ炸裂。そんな後輩を、のぞみの天真爛漫&傍若無人な人懐っこさが巻き込んで、気がつけば「ともだち」になっていたというささやかな奇跡。

 とはいえ、授業をさぼって学校めぐりなんて、普通の子からすれば破天荒すぎるし、そもそものぞみの夢は自分の将来のことじゃなくて当面の問題のこと。彼女自身の夢をつかむには、そばにいる人達のことがまだまだ気になりすぎて、でもそんなのぞみの笑顔が好きになったから、うららも恐怖に震える足を叱咤して、舞台に戻ってきたのでした。
 第2話での街灯にしても、この第3話の舞台暗幕にしても、怪物を怖がってそれに背を向けてしまったら、それが象徴している幼い日々から培ったふたりの絆や、頑張って目指している未来像を、自ら裏切ってしまうことになる。そういう逃避の危機って誰にでもあることで、そこを乗り越える力をくれるのがのぞみという一人の女の子であり、彼女によってあらためて気づかせてもらえた自分の中の大切な何か。

 どれみと同じく、のぞみも物語が進むにしたがって自分の夢に迷ったり、すでに未来へ向かって歩んでいる仲間たちの姿に焦ったりするんでしょうけど、その前にまずは、未だバラバラでいる仲間たちを、のぞみの全面肯定的な笑顔と言葉で結び付けねばなりません。
 のぞみと支えあってきたりん、このふたりが手をさしのべたうらら、そしてたぶん次には三人の手が先輩たちにのばされて。お互いの手がこんがらがるときもあるにせよ、「ふたり」から広がっていく絆の心地よさは、アニメ版シスプリでの調和の拡大と重なります。

 ところでうらら、公式サイトには「見た目に似合わず、とにかく食べることが大好き。お昼はのぞみに負けないくらい食べている」とあるんですが……。やはりキレンジャー? キュアウコン?
2007年2月19日(月) はたらくプリキュア
 昨日分にて、プリキュア5の主人公のぞみには自分自身のための夢がまだない、と書いたのだけど、物語の中でやがてそのきっかけが獲得されるであろうというのはもちろんとして。
 別段このことは、のぞみの幼さとか、自分の将来を曖昧にしか考えてないとか、そういう否定的な意味合いとしてのみ考える必要はないように思います。というのは、「将来自分がこうなりたい」という夢は、自分のためだけに育つものじゃなくて、誰かのためになりたい、みんなのために自分の力を役立てたい、と意志するときに、本当にかたちになるものなのかもしれないから。

 自分を生み育んでくれた、自分とかかわりを結んでくれた人達が生きるこの世界だから、その世界に生きる人達のために、今度は自分が何を果たせるのか、何をお返しできるのかを考える。それが大人にとっては「働く」ということの一面であるのなら、製作者が視聴者の子供たちに伝えようとしている「夢」や「希望」とは、そんなふうに他者のためにと思ったときに輝きだすものでもあるんだよ、そんな大人になってくれよ、というメッセージとして、作品に表現されているんかないでしょうか。

 のぞみは、ココとその世界のために頑張ろうって思って、それを「夢」としてほんとに頑張ります。りんやうららは、自分に手をさしのべてくれたそんなのぞみのためにって勇気を奮ったとき、その手に蝶が訪れました。それは夢のようにはかないものだけど、その夢を信じて頑張る仲間のために、と一緒に前を向いて進んでいけば、夢は自分自身のものとしてほんとにかなうものなのかもしれません。そしてそのとき、彼女たちは、最初にはまったく想像もしていなかった新たな「夢」や「希望」が互いの手の中にあることに、気づくのではないでしょうか。

 だから、この作品の背後にある主題は、「感謝の気持ちに基づく自発的な相互贈与」です。ああそうか、これってまさにアニメ版シスプリと同じなんだ。製作者のみなさんありがとう。
2007年2月20日(火) 俺様、人形!
 仮面ライダー電王あらすじ(3/5記)。

 学校で嫌なことがあったため自室に引きこもり、趣味のネット通販に溺れる良太郎。そんな彼の机の中に入っていた謎のダイレクトメール「かえますか かえませんか」を見て、面白半分に良太郎が「かえます」と記すと、やがて家に大きな革製の鞄が届けられた。

 開けて出てきたのはモモタロス。

 あっという間に暴力の嵐に巻き込まれた良太郎が「ぼ……ぼく、どうなっちゃうの?」とわななく暇さえないままに、窓を破って進入してきたイマジンが刃を向けてくる。

 モモタロス「おいお前、俺と契約しろ。」

 有無を言わせず契約させられてイマジンを粉砕。

 騒ぎを聞きつけて1階の喫茶店舗から上がってきた姉の愛理を部屋に入れず、良太郎はただコーヒーを持ってくる世にとだけ命令して何とかごまかす。しかし、コーヒーを淹れたのは姉ではなく従業員のナオミ。糞不味いコーヒーを吐き出す良太郎をよそに、モモタロスはうめぇうめぇと舌鼓を打つ。

 その頃、喫茶店の前に訪れていたのは、良太郎の同級生ハナ。しばらく2階を見上げたのち、店の扉に手をかけながらしかし思いとどまり、空手着を肩に背負いなおして家に帰る。

 部屋に待っていたのはウラタロス。

 ハナに背を向けて嘘泣きすんすん、今日は早く帰ってきて遊んでくれると約束してたのに、とハナを困らせる。そして夜には良太郎の家の物置にある大きな鏡の中に現れて、気配に感づいたウラタロスを前にして囁く。

 ウラタロス「電王ゲームがはじまるんだよ」

 翌日、この鏡を通ってnのフィールドに入り込んだモモタロスは、馴染みのあの不可解で不快な紳士に出会うのだった。

 デンライナーのオーナー「トリヴィアル!」

 最初から最後までまさちゅーせっつ。
2007年2月21日(水) 挫折ねた
 昨日分の日記、「プリキュアゲームがはじまるのよ」で「つなぎますか つなぎませんか」というのも考えましたが、さすがに無理がありました。

2007年2月22日(木) プリキュア5展開捏造
 久々にやってみました、番組捏造ー。しかも今放映してるプリキュア5(3/5現在で第6話予告まで)のその後を勝手に妄想してみるという、まったく無意味な情熱のほとばしり具合です。これ、あと40話分も作るつもりなんじゃろか自分。
 なお、設定についてはABC東映の2公式サイト、Wikipediaを参照しました。一部の新規捏造キャラの名前は気にしない方向でひとつ。

第7話:
 ついに5人揃ったが、ナッツは行方不明のまま。ココを励まそうとしてかえって泣かせてしまったのぞみは、お詫びにと一生懸命に手がかりを探すが見つからない。しょげるのぞみを今度はりん達が笑顔で支え、そんな5人の姿にココも心打たれてのぞみの腕の中に駆け戻る。そのとき、不意に異世界への扉が開いた。

第8話:
 異世界の惨状に心を痛めながら、のぞみ達は何とかココをいたわろうとする。そこに現れた敵幹部ブンビーは、名誉挽回のチャンスとばかりナッツの周りに罠を張って待ち構える。だが、そんな卑劣な罠をこまちの怒りが敵もろとも粉砕し、5人は見事にナッツを救出できた。

第9話:
 人間世界に連れてこられたナッツは、快方に向かうとたちまちドリームコレットの守護者としてのえらそうな態度を発揮する。りんとケンカしたり、しまいには人間世界の視察と称して、勝手に外を出歩いてしまう。慌てた5人は手分けして捜索するが、そこにナイトメアが割り込んで大騒ぎ。それでも反省のないナッツを、かれんが厳しく指導するのだった。

第10話:
 新聞部長の美奈子が、学園の奇妙な噂をキャッチした。ココやナッツが見つかったらどうしよう! 必死にごまかすのぞみとりんに、かえって不信感を抱く美奈子。うららを尾行するも、突き止めた女子トイレに待っていたのは東スポ型コワイナーだった。目覚めた美奈子にのぞみが差し出したのは、捏造された顛末を描いたこまち執筆の短編だった。これがこまちの学園新聞への小説デビューとなる。

第11話:
 テニス部の助っ人に出たりんの素晴らしいプレイぶりを見て、新入部員で引っ込み思案の桂は、ますます自信をなくしていく。そんな桂に気づいたのぞみが、桂を誘ってテニスをすると、下手なのに楽しそうなのぞみの姿を桂は怪訝に思う。ラケット型コワイナーを撃退したのち、りんは桂に、上手いからやるんじゃなくて、楽しいからやりたいんだろ、と微笑みかけ、はっとした桂もまた笑顔を取り戻した。

第12話:
 オーディションに失敗したうららを励まそうと、のぞみとりんは街に誘う。デパートのヒーローショーを見てはしゃぐのぞみの横で、ヒーローなんていないと呟くいじめられっ子の少年。翌日公園で級友に囲まれているとき、現れたのはランドセル型コワイナー、そして颯爽と飛び込むキュアレモネード。少年に勇気と希望を与えられたとき、うららは、そんな女優を目指したい、とあらためて前を向いた。

 思いついたら続きも書きます。
2007年2月23日(金) 捏造続き
 なんだかやる気(逃避衝動)。13-19話は、のぞみと各人との間柄シリーズで。ちなみに昨日分の7-12話では、5人それぞれを配置しつつクラスメートものなどをメインに据えてました。

第13話:
 ココが変身する小々田コージは、クラス担任としてのぞみ達を校外見学に引率することとなった。街をまだよく知らないココのため、のぞみはコージ姿のココを連れて見学地周辺を事前チェックすることにした。しかし、なんとなくデートの雰囲気であることに気づいて照れるのぞみは、焦ったついでにプリクラ型コワイナーの強襲を受けてしまう。その窮地を救ったのは、こっそり尾行していたりん達だった。

第14話:
 かれんの母親が海外公演を終えて帰ってきた。久々の娘との安らぎの中で、なぜか母親の顔は沈みがち。じつは彼女はバイオリン奏者としての自信を失いかけていたのだ。メトロノーム型コワイナーを打ち倒したのぞみは、かれんと母親の共演を求め、その実現に拍手喝采。その素直な明るさに励まされた母親は、かれんに演奏のアドバイスをしながら本当の安らぎを回復した。

第15話:
 ナッツはココと同じく人間男性に変身し、アクセサリーショップを経営し始めていた。女子生徒に大人気のこの店を足場にして、敵アジトの情報を集めるナッツ。ついに発見したかと思いきや、それは敵の罠だった。その危機に飛び込んだのぞみは、ナッツを庇って怪我を負ってしまう。それでも立ち上がり守ろうとするのぞみを見上げて、ナッツはこの頭の悪い少女を軽んじていたことを反省した。4人が駆けつけ窮地を脱した翌日、人間姿のナッツは横を向いたまま、のぞみに髪飾りを差し出すのだった。

第16話:
 ボーイッシュなりんが、ナッツの口車にも乗って乙女チックな夢を見、手芸を志す。だがなかなか上手くいかず苛立ち、横からついちょっかいを出したのぞみと口論になってしまう。間でおろおろするうららに、かれんは涼しい顔。だが、モノゲンユニ型コワイナーを撃破したのぞみとりんは、いつの間にか普段の仲良しに戻っていた。きょとんとするうららも、こまちが用意した和菓子を全部食べつくそうとするのぞみ達に気づいて慌てて参戦するのだった。

第17話:
 のぞみの父親が童話作家であることを知って、こまちは自分の作品を手に訪問するが、父親は「ここには読者がいない」と指摘する。その意味に悩むこまちが公園を通りがかったとき、滑り台型コワイナーが子供達を襲おうとしていた。撃退後こまちは、ベンチに置いておいた自分の作品を子供達が見てあれこれ話しているのを聞き、意外な反応に驚く。そして、自分が子供のためと思いながら子供を知らなかったことに気づき、助言の意味をようやく掴むのだった。

第18話:
 演技の上達に燃えるうららは、多彩な表情を修得するためにのぞみを模倣しようとする。熱心すぎてつねに付きっ切りの後輩に、さすがののぞみもタジタジ。そこに現れた日光猿軍団型コワイナーが、プリキュア達の行動をただ猿真似するのを目の当たりにして、うららは自分のしていたことの無意味さに気づく。戦闘後、うららは自分の内面をより豊かにし、そこから素直に浮かんでくる感情を表情に活かせるよう、努力の矛先を変えるのだった。

第19話:
 ドリームコレット奪取失敗の責任を取って失職したギリンマ、ガマオ、アラクネアたちリストラ組が、雁首そろえて復讐と復職の狼煙を上げた。用務員になりすまして学園に潜入し、5人の弱点を探る中で、ココとナッツに彼らの牙が剥く。その危機に参上した5人は、個々の力はあれど身勝手な敵達のコンビネーションの悪さを尻目に、見事な連携攻撃でたちまち敵達を撃破するのだった。
2007年2月24日(土) 細工は流々
 明日は朝まで帰れないので、ビデオテープを買ってきて録画予約しておくですよ。このさい7:30から全部録っておくですよ。と、こんなときだけ準備万端なぼくでありました。だったら仕事のほうを要領よくやっとけば、別に泊まらずにすんだのでは、という疑問はあーあー聞こえない。
2007年2月25日(日) つうこんのいちげき(自爆)
 まあ、当然録画予約し忘れたわけですが。これだ……これがぼくという人間なんだ……。あんまり筋書き通りなので笑うしかありませんでした。なんでこう古典的な抜け方をするんでしょう自分。こないだなんて、ガラスのドアが見えなくて顔面から突撃しましたし。いつの時代の漫画だそれ。

 部屋に戻って灯りをつけて、コタツの上にちょんもり置いたままのビデオテープを見たときの寂しさたるや。
2007年2月26日(月) 捏造続き
 というわけでプリキュア5展開捏造20-26話。前半部クライマックスまでです。案外、最後までいけそうなのかしら。

第20話:
 ついに強力な敵幹部が登場、リストラ組を復職・昇給の餌でそそのかし、まずは怪しいアクセサリーショップの調査を開始する。危険を察知したナッツは、彼のファンとしてつきまとう女子生徒達をまくために本来の姿に戻って逃げようとするが、両親の不和が悲しくて家出してきた幼女に見つかり抱きしめられてしまう。そこへ出現したドールハウス型コワイナーを、駆けつけた5人が辛くも撃退したとき、幼女の両親も子供を捜し求め息せき切ってやってきた。両親の仲直りに喜ぶ幼女は、のぞみの抱くココがナッツを見つめているのに気づき、ふうふなかよしさんがいちばんよね、とナッツを解放するのだった。

第21話:
 敵幹部は次なる作戦として、学園に自ら教育実習生として潜入した。クールな二枚目として生徒の人気を集めた偽実習生は、のぞみに学園の案内を依頼する。浮かれたのぞみはココの疑念を「もしかしてやきもちー?」とからかい、喜んで案内を請け負ったはいいが、裏庭の木陰で本性を表した敵幹部とその僕となった教師達にまんまと追い詰められてしまう。ココとナッツの機転によって4人が駆けつけ撃退した後、しばらくのぞみはしょげていたが、担任姿のココからの励ましと依頼を受けて、元気を取り戻して作業に取り組むのだった。

第22話:
 りんの今回の助っ人はサッカー部。だが、自分を試合メンバーに入れるために、毎日コツコツ努力している選手を下げるという事実を知ったりんは、練習中に足首をひねったのをチャンスとみて、「捻挫した」と喚いて出場を辞退した。繰り上がり出場となった当の選手は、りんの足首が無事なことに気づいてりんに訴えるが、りんはごまかしながら頑張れと励まし、去り際に彼女のシュートの長所をちらっと指摘する。レッドカード型コワイナーの撃退後、同点で進む試合終了間際に、彼女はりんの言葉を思い出し、自分のシュートの特性を活かしたキックで見事にな決勝点を挙げた。

第23話:
 こまちの実家である和菓子店の隣に、洋菓子専門店が出現した。馴染みの客までを奪われそうな勢いに、こまちの父親が立ち上がる。店の存亡をかけた勝負の決定打となったのは、のぞみ達が徹夜で考案したココ&ナッツ型の新作和菓子だった。饅頭型コワイナーの邪魔はともかく、シャッポを脱いだ洋菓子店長は、なんと昔こまちの母親をめぐる恋敵だった友人。あのとき以来の真剣勝負に満足した二人はしばし旧交を温め、一方のぞみは大福とプリンのどちらから手をつけようか迷うのだった。

第24話:
 うららが出演するドラマの主演女優が、うららに何度も厳しい言葉を浴びせる。憧れの大女優だけにうららも激しく落ち込み、自分には見込みがないのかと悲しむ。事情を聞いたのぞみは憤り、その女優に一言申すつもりでテレビ局に乗り込もうとする。かれんの母親のツテで見学者として入り込んだのぞみ達の前に、視聴率型コワイナーが出現した。余波を受けて気絶した女優の懐から、うららと同じ年頃の少女の写真が転がり出た。それは、女優が駆け出しの頃の純粋な気持ちを忘れまいとして、肌身離さずにいた過去の自分の姿だった。意識を回復した大女優のその話を聞いて、うららは女優の厳しさの裏側にある後進への愛情を感じて、深く感謝し頑張るのだった。

第25話:
 のぞみ達のくだらない暴走にこまちまでもが巻き込まれていくのを見て、ついにかれんがキレた。驚いたのぞみがついついりんと罪をなすり付け合ったりしているうちに、いつの間にか全員がお互いにケンカしはじめてしまう。最初に反省したうららが仲直りを画策するが、かれんは全員が詫びるまで許さないと突っぱね、りん達も意地を張って譲らない。そんな困った状況を見計らったかのように、敵幹部が強襲をかける。チームワークが乱れ、力も満足に出せない5人はあざ笑われ撃退されて、とうとう敵幹部にココとナッツを奪われてしまった。

第26話:
 2匹を連れ去られた衝撃から立ち直れない5人。しかし、テストに記された担任ココの赤ペン字と、ナッツからもらった髪飾りを自室で眺めているうちに、のぞみはやる気爆発立ち上がる。りん達3人を無理矢理集合させたのぞみは、かれんの家の前で許しを求めて土下座に及び、慌てて飛び出してきたかれんも自分のかたくなさを詫びる。再び心を一つにした5人の前に蝶が飛来し、各人のドリームコレットが輝いて異世界へのゲートが開いた。ココとナッツを尋問する敵幹部は、5人の出現に驚きながら今度こそ止めを刺そうとするが、互いをかばいあいながら戦うプリキュア達に圧倒され、ついに5人とココ、ナッツの想いが一つになった瞬間に放たれた新たな全員必殺技の前に敗れるのだった。
2007年2月27日(火) えらそう語り
 『のともえ』さん2/20分((『カトゆー家断絶』さん2/26より)を拝見。ぼくが批評系サイト(という呼び方が適切かどうかも問題ですが)に抱く違和感が再び。

 まず、コメント相手の『日々ノ日キ』さん2/20分にて、「しかし、私が書く理由はアニメのクオリティ云々よりも、数多い作品のなかで出会っちゃった奇跡そこに意味を見出していく的なものです」という文章が記されています。
 これに『のともえ』さんは「さすがにクリエイターだなあ」と返しているのだけれど、こういう感覚は、例えばぼくの考察でも基盤になっているし、身近な方々のサイトにも同じものを感じます。クリエイターかどうかではなく(『日々ノ日キ』さん自身も「クリエーターである前に人間なんで!」とのこと)、その作品が自分にとってどんなにかけがえないかを大事に考えるから、自然と「そこに意味を見出していく」ことになるんじゃないでしょうか。そして、その前提には当然、その作品が「好き」という自分の気持ちがないとどうにもなりません。愛とは構築的な関係原理です。
 では、一方の『のともえ』さんはどんなふうに述べておられるのか。

「こちらとしてはアニメを見るというのは、作品から引き出せる感動や面白さの全てをすくい上げようとすること。そのために血眼になって一フレームもも見逃さないように画面にへばりつかんばかりに集中して見ていて、少しでも不明な点があれば巻き戻して見返している。集中していると言っても力んでるわけでなく、できる限りニュートラルな視点で見るために全力でリラックスしなければならないという矛盾を常に抱えながらアニメを鑑賞している。まあ、ある意味命懸けなわけです。」

 じつは、この態度も、ぼくがアニメ版シスプリ考察を書いたときの態度そのものです。まさに「命懸け」で何十回も観返してました。何度観てもすごく楽しかったですが。で、「そのような細部が見えてくるに従って、アニメを見るのはより楽しくなっていく」という言葉にも一応、同感。
 ところが、「このサイトではがくえんゆーとぴあを脚本の出来の悪さから駄作としてきたわけだが、単純に『好き』と言えるかどうか、多くの視聴者が楽しめるものであるかという点から評価しなおしてみようと思う」というあたりから、ぼくには何だか分からなくなります。自分がその作品を「好き」と言えるかどうかを語るために、なんで「多くの視聴者が楽しめるものであるかという点」から考える必要があるのでしょうか。「好き」かどうかの判断に必要なのは、「多くの視聴者」ではなく、たったひとりの視聴者、すなわち自分自身なのではないでしょうか。それとも、多くの視聴者が楽しめる作品でないと、「好き」と言うこともできないのかしら。
 と問いかけるのはしかし、言いがかりみたいなものでして。この点はすでにご本人が「さらに追記」として、「自分にとって」好きかどうかでなく「普遍的に」好かれるかどうかを述べてしまった、と注記されておられますので、ぼくがいまさら指摘することでもありません。だいたい、『日々ノ日キ』さんが自らの好きな作品について語っているのに、『のともえ』さんはわざわざ自分が「駄作」と判断した作品を取り上げてるわけなので、最初から話がかみ合ってないという。あ、でも「駄作」だけど「好き」なのかしら。

 しかし、ここで再び気になるのですが、なんで「普遍的に」好かれるなんてことを敢えて考えるんでしょうかね。いや、カントにおける趣味判断の問題とかいろいろあるんでしょうけど、判断力という点でいえばむしろ『日々ノ日キ』さんの「出会っちゃった奇跡」という言葉にこそ、目的論的な意味づけがはっきり読み取れるわけです。これに対して『のともえ』さんのように、「現在多くの人たちが楽しんでいる」から「普遍的」に好かれている、というのは、むしろ「普通」に好かれている、というべきなんじゃないのかな。そして、ある作品(しばしば普通に好かれてない作品)が「好き」な自分が、その想いを何とかしてみんなに分かってもらえるように伝えようとあがいた結果、誰も気づかなかったかもしれない「普遍的」な価値を抉り出すことができたり、もっと多くの人にその作品のよさを理解してもらえたりするんじゃないのかな。
 だから、ぼくは作品の細部が見えてくるに従って、「アニメを見る」のがより楽しくなっていくというより、「その作品を見る」ことがより楽しくなっていくのであり、もっと言えば、好きな作品がもっと好きになるのであり、好きなキャラがもっと好きになるのです。その作品やキャラというかけがえのないもの(個別性)と出会えた「奇跡」に感動しつつ、その作品やキャラに見出せたかけがえのないもの(普遍性)に知的興奮を覚えつつ。

 とまあ、いつもの調子で一人よがってるわけですが。こないだのkamimagiさんのとこで、「今席巻してる考えって作品への『粋(恋慕)』を切り落として、どれだけみんなに同意を得られるか、みたいな考えが広がってる気がします」というご指摘をいただいたのですが、今回のがその実例なのかも。そんな乾いた観方で楽しいのかな……その作品をもっと好きになれるのかなあ。それとも、作品を好きになる必要なんてない、ということなんでしょうかね。もしかしたら、あまりに安易な「好き」「萌え」を拒むがために、「好き」ということ自体が言いづらくなってしまってるとか。他人が「それは安易な好き・萌えだ」と言えなくなるほどに、自分の「好き」をとことん徹底してしまえばいいのにね。
2007年2月28日(水) すぐ反省
 昨日分の日記を書いたあとで気づいたこと。「つまらなかった」「嫌いな」作品について語ることのあるサイト管理人と、そうでないサイト管理人の違いということなのかも。『のともえ』さんは前者、『日々ノ日キ』さんとぼくは後者です。前者はいろんな作品を「語る」ことが目的だけど、後者は「この作品」を語ることが目的。
 これはおそらく、どちらが正しいとか優れているとかいったことではなく。自分がつまらなかったと感じた作品について、この日記で語ることはぼくの場合ほとんどありませんが、他の方々のそういう意見を読むことへの抵抗もまた、ぼくにはないのです。そんなふうに相手の立場を認め合えればそれでいいのだとすれば、昨日分のぼくの書き方はきわめて一方的なものでありました。

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