日記
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2007年1月1日(月) 一年の計
 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 と書いてるのが2/7。今年も電話代に家賃に日記にと、一意専心で滞納してまいります(やめれ)。
2007年1月2日(火) まだ1か月分以上ある
 今日に追いつかないよー。

らむだ「いやー、去年の日記がぜんぜん埋まらなくてにゃあ。」
美 森「そんなもん日記と呼べるか。とっとと年明け分から書いたらどうだ。」
らむだ「でも、毎日書くのが身上だから。」
美 森「書いてないじゃん!」

 あうー。
2007年1月3日(水) 1年は短くて
 とりあえず、去年からの繰越作業。

・シュヴェスターのこと
・SSのこと
・シスプリメのこと
・『からくりサーカス』最終話のこと
・長門さん考察のこと
・佐藤大輔北海道シリーズ雑感のこと
・考察全般の手入れのこと

 なんかもう、今年中でも終わらない予感が。
 ……また来年!
2007年1月4日(木) 元気よく
 昨年各所で紹介されてたアニプリ評論「表層的な、あまりに表層的な」。部分的にはうなづける箇所もありますが、なんだこりゃ。

>時間の流れがゆっくりになれば、そこで描かれる「現在」もまた限りなく静止に近づいていく。しかし、動画である以上、完全に静止することもまたあり得ない。こうして映像が静止に近づけば近づくほど、映像の流れにおける「論理」とか「展開」といったものの意味がどんどん稀薄になっていく。そのかわり目の前に提示されている「現在」という「表層」だけが際だってくる。現実を切り取り完全に静止したものとして定着させる写真メディアが、「過去形」のメディアであることとは、その点が大きく違う。

 ええと、例えば航のデジカメ撮影とその写真は、作品中の「現在」と「過去」を航と視聴者に意識させていたはずです。「表層だけが際立ってくる」のではなく、あのテンポで「現在」を「表層」化することによって、「過去」との関係におけるその危うさを明確化していたのではないでしょうか。そんなふうに、流れのゆるやかさとガジェットの役割とは相補関係にあるわけですから、一方のテンポひとつで作品全体を解釈されてはたまりません。

>要するに彼女たちの個性もまた、人間的な裏付けのない、ひたすら「表層的」なものなのだ。

 それは読み取れなかっただけでしょう。ぼくのように偏執狂的に物語を構築しようとせずとも、描写の端々に妹たちの「個性」は首尾一貫したものとして描かれていました。「細部に神は宿り給う」のがアニメだとぼくは思うのですが、どうもこの評者は「人間」とか「表層」とかいう言葉でざっと把握したつもりの立論を好むようです。ので、

>「なにも考えぬ兄妹が登場して、慕い合う様子を、現在形を中心とする粗雑な映像で綴った作品」

 という結論のはまあ、この評者の目と想像力の限界ではないかと。
2007年1月5日(金) りたーん
 そして実家から戻る。電車の中で、仲正昌樹『集中講義! 日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』(NHKブックス)読む。戦後日本の思想の流れが、問題点とともにコンパクトにまとまっていて、今後の手がかり一覧としてとても助かりました。このへんの基礎教養がさっぱりだったもので。
 続いて読んでるのが、D.H.ロレンス『黙示録論』(福田恆存訳、ちくま学芸文庫)。訳者の名はどこかで見たなぁ、と思ってたら、ああそうだ野嵜さんのとこで。しかしこの本、真面目な意味で面白すぎます。いろいろ腑に落ちるという感覚。
2007年1月6日(土) うわむき
 だいたいこの頃から、昨年後半いっぱい続いていた気分の塞ぎが、少しずつほぐれてきました。ぼくは毎年、春先に軽い躁状態に入って、7月半ばで頂点に達し、その後は4月頭までじりじりと意気消沈していく、というサイクルで生きてます。後退期が長すぎです。しかし今年は暖冬だったせいか、回復がいつもより早いみたい。
 なんといっても、部屋の掃除とかしてしまうくらいだし。ちょっと近年にない高揚感。考察の季節到来か。自分でも期待はできませんけど。
2007年1月7日(日) あそびかた
 D&D3.5版サプリメントプレイヤーズハンドブック2』『。こちらで詳しく解説されてますが、いやこれは素晴らしい本です。みんなが楽しめるようなロールプレイングやキャラクター表現の手がかりを、パワープレイヤーの嗜好にも逆らわないようにしながら、たくさん提供してくれています。
 赤箱の頃にも新和の雑誌にて部分的にフォローされていた領域ではありますが、あのときはともかく、アライメント問題とかそのへんから始めないといけない段階でしたからねえ。
2007年1月8日(月) 兄のみぞ知る
 新婚ほやほやのあまのさんですが、そのご結婚式に挿入された小ネタ。むむむ、犯人はこの部屋の中にいるデス!(と自室を見渡す)
 しかし、どなたもお分かりになりませんでしたか……。「長森瑞佳」で出せばよかったしら。でも、それだとご参集の長森スキー(もしいたら)に叱られるかも、と思ってやめてたのでした。
2007年1月9日(火) 3年寝かせ太郎
 部屋の片付けをしてたら、考察本(改訂版)が何冊か出土されました。まだ需要ってあるんでしょうか。イベントでの頒布というのももはやあれですし、どうしたものやら。
 他にも部屋の奥からいろいろ出てきましたが、掘り出したはいいものの仕舞う場所がないので、次の再会を約束しつつまた埋め戻してみたり。
2007年1月10日(水) 信用できないという信用
 馬鹿話。

らむだ「先輩からのお小言で、また長電話くらいました。うひー。」
美 森「いやなら電話代滞納して、止めておけばいいじゃないか。」
らむだ「いや、それは社会人としてさすがにどうかと思いますが。」
美 森「その気もないのにうそつくな。」
らむだ「そんなあばれはっちゃくな。最近は止められないように支払ってるし。」
美 森「それもうそつけ。だいたいお前、1年通して電話繋がらない日の方が長いだろう。」
らむだ「そ、そんなことはないですじょ。」
美 森「むしろ七夕みたいに、1年に1回だけ繋がる電話とかな。」
らむだ「うわ。しかもその日にかぎって洒涙雨だったりして。」

 年中不通。

美 森「まあ、小言くらわないようにすればいいだけなんだが。」
らむだ「もっと無理です。」
2007年1月11日(木) ネコの手も
 馬鹿話。

らむだ「あー作業終わらないー。」
美 森「やってないからな。」
らむだ「いや、やってますよ。窓辺にミルク皿でも置いて、小人さんに助けてもらおかな。」
美 森「虫がわくだけだろうがな。」
らむだ「うん……うちの生活環境だと間違いなく……。
    でも、やってほしい仕事がPCの中に入ってるから、小人さんへの贈り物もデータの方がいいのかも。」
美 森「どうせお前が持ってるデータなんて、えろ画像とえろげくらいだろ。」
らむだ「あうー。」
美 森「で、せっかく来てくれたPCの中の小人さんが、たんに一晩中えろげ遊んで帰るとかな。」
らむだ「しかも顔はみんなノートン先生。」
美 森「嫌すぎる。」
2007年1月12日(金) ふと
 巫女の手も借りたい。というのはどうか。
 そう思いついて検索すると、既出ですた。ネタですらオリジナルになりがたいこのごろです。
 「ペコの手も借りたい」(不二家)だとせーふ
2007年1月13日(土) はいじんさんが通る
美 森「どうだ仕事は。」
らむだ「やだ。」

 まことに社会人らしい会話でした。

 相変わらず「otouto」とローマ字入力しようとすると、指が勝手に「imouto」と打ち込んでしまいます。

 と以前書き込んだ日記、なぜか日付が1900年12月になってました。明治時代のへんたいゆうかいま。
2007年1月14日(日) ふんわり
 山崎パンと臭素酸カリウムの話をちらっと教えてもらったのですが、なるほどWikipediaにも記述ありました。
2007年1月15日(月) 関東生まれ
 納豆を2個食べて、その値段分のお菓子を1個減らせば確かにダイエットできると思いました。納豆に砂糖入れる人の場合はまた別ですけど。
 いやほんと、近所の大衆食堂から納豆がしばらく消えてて驚きましたよ。そうがないから生卵。
2007年1月16日(火) ネギま単行本感想
 日記追いつけ計画その1。ネギま第17巻の各話感想開始ー。

 150時間目。ガーリックメロン。

 タカミチが「元教え子」と呼ぶとき、それは学園でのそのままの意味というだけでなく、明日菜たちがすでにネギとともにいるということ、つまり、たとえタカミチと衝突するとしてもなお自分たちの道を進もうとする(第16巻)独立した人間へと成長したということを、指し示している。しかしまた、真実の全てを明かしえてはいない明日菜への、今まで同様の保護者意識と後ろめたさとが、そこにないまぜになっている。

 その明日菜はといえば、超の威圧に言葉を飲み込んだ刹那の隣で、ただ一人みごとな啖呵を切る。ネギの話が出る前は、不安そうに刹那の横顔に目を向けていたのに、ネギの居場所を聞かれたとたんの、刹那も驚くこの爆発。そう、ネギの保護者はこの私。

 あと、美空をかばったココネ萌え。
2007年1月17日(水) 感想続き
 151時間目。2665。

 頬のメディカルテープを引き剥がすネギ。傷をさらすのは、やましさを隠さず罪を自覚して背負おうとする覚悟のあらわれ。その覚悟を眼前に見る千雨は、かつてネギに、まっすぐな少年であれ、と叱りつけた少女。だから今のネギのために腹芸もするし、そんな千雨のアイコンタクトにネギも以心伝心。

 図書館を飛び出したネギたちの前に立ちはだかるロボットを、ナギゆずりの攻撃コンボで粉砕するネギ。だけどそこにはちゃんと、老師直伝の拳法もはまっていて。

 龍宮の単独攻撃に敗れ去った魔法先生たち。でもこれって、いまのこの世界で対時間移動攻撃手段を発展させる契機になってまうんじゃないのかしら。そして瀬流彦先生放置。む、無体な。

 「私はうまくやる」。超はひとり、世界と責任を担おうとする。ハカセたちに協力してもらいながらも、ただひとり背負おうとする。その重さを知っているからこそのことだけど、そこに親友の居場所はあるのだろうか。
2007年1月18日(木) 感想続き
 152時間目。たっちゃん。

 扇動する朝倉。ゲームの舞台と化した学園で、互いに虚構としての役割を演技しながら、虚虚実実のかけひきが続く。でも、もう少し朝倉&さよのコンビがこっそり大活躍するかと思っていたんだよう。

 ちうの呪文、グノーシス? ピタゴラス学派か。二進数の世界というのはもちろんとして。

 ネギ、隊長と接触。ところでここまで駆けてくる間、のどかはずっとネギからちょっとだけ離れてるんですよね。その隙間に夕映が入れるように。のどかは今回、魔法能力的に役立たずだから(これについては次の話で)、むしろもっと有効な手が打てて、しかも大事な話をするという役目を負っている夕映を、ネギのそばに近づけようとする。大好きなネギのために、そして自分と同じくらいネギのことが大好きな親友のために。いや、たんに後手後手に回ってるだけかもしれませんが。
2007年1月19日(金) 感想続き
 153時間目。たぬき忍者。

 強制時間跳躍を耐えたネギの雄姿に、思わず見とれるのどかと夕映。いま何が起きたのか、という動揺ももちろんそこにあるわけだけど、くーふぇだけは毅然とした表情のままでネギに目を向けている。それは、アーティファクトを持たない者としてこの魔法使いの力量を信頼しているからであり、師匠としてこの愛弟子のつよさを知っているからであり、そして少女としてこの少年に心を通わせているから。たしかに152時間目の最後の場面、時間跳躍魔法の奔流に揉まれる車内で、くーふぇは咄嗟にのどかを抱えてネギに手を伸ばそうとしている。くーふぇにとっては、超もまたそんなふうに背中を預けられるひとりのはず。

 夕映の問いに、うそをつかず真正面から答える龍宮。言葉は勝つための手立てにならず、互いの信念を知ってこその決着を、すでに隊長も望んでいる。

 囮カモ君大行進。哀れ。ノートに「再生可能時間」「再生可能時間」と記されてるけど、これってバンクということですか。あらかじめ作戦を考えてこういう絵をいくつも描いておけば、その場で描かずとも、一定期間に一定回数分だけ再生できるという。あとはハルナの想像力しだい。「こんなこともあろうかと」!

 刹那に頼まれたとおり、以前に木乃香を守り通したくーふぇ。今度は親友を止めてくれと、ネギを信じて頼む。最初から最後まで、大切な人たちを信じ続ける愚直なまでの誠実さ。

 「今回はお役に立てないですのでッ」だから身を挺してネギをかばい、時間跳躍の犠牲となるのどか。普段どんくさい彼女が、着弾よりも速くネギを突き飛ばす。これが愛ですよ。こうして十分役に立ちながら、そのアーティファクトでは結局お役に立てないから、「ダメですっ」自分を救い出してくれようとするネギを語気強く阻んでおいて、「そのっ がんばってくだ」ネギせんせーに全てを託す。役に立てないことがたくさんある。他の仲間たちみたいに、力も頭も強くない。だけど、せめて応援だけでも。
 それはまた、ネギにとっての重荷ともなり、それを背負うからこそネギの足は地について離れない。

 しかし、これがもしも実弾だったなら。ゲームだからこそ、相手が超だからこそ、この程度の被害で済んでいるけれど、やがて到来するやもしれない魔法戦争のなかで、この仲間たち=生徒たちが無傷でいられるはずもなく。いまの戦いに歯を噛みしめるネギも、その恐怖と向き合う未来がもはやそこにある。
2007年1月20日(土) 感想続き
 154時間目。ねぎ。

 電脳世界、ラクダとか歩いてたらperl本っぽくてあれでしたが。つか、ビブリオンてすっかり作中作品として確立しましたね。ぜひ「続編では5人組」とかいう設定で発展する方向でひとつ。追加メンバーの一人はルーランルージュ(敵側から離脱)で。

 「あなたの言葉を 聞かせてください」うひー。夕映も読者もどきどき。
2007年1月21日(日) ここだけ朝番
 カブト、なんか友情大団円。最終話だけ「おばあちゃんが言ってた」じゃなくて自分自身の言葉となったのは、あれを思い出します、クロノスの大逆襲。

 プリキュアSplashstarラス前。
 まだ土が残ってる、まだ空がある。それは、あるということを識っているから。土に触れるから、空が見えるから、それを分かちあえる人たちを識っているから、だから私たちは。認識論的に生きる意志発動。
 満と薫の変身コスチュームは、てっきりキュアブライトとキュアウインディのまっまかと思っていたのですが、シンプルにアレンジされてました。これはこれで。
2007年1月22日(月) 感想続き
 155時間目。剣山!(まさいちろーvs西尾)

 ちづ姉、魔方陣を探すと言いながらいきなり空を観ますか。だがそこがいい。

 裕奈、相変わらずのリーダーシップ発揮。大騒ぎの中核にもなりますけど、ほんと貴重な存在です。

 ネギの一撃。150時間目でのタカミチの一撃と遜色ない、あるいはそれ以上の遠慮ない粉砕っぷり。「…CGです!」の一言も成長した彼の割り切りかたを示してるけど、この男らしい背中は、今後の学園・恋愛モードでも維持できるのかしら。
2007年1月23日(火) 感想続き
 くーふぇについてこないだちょっぴり書きましたが、なんかひっかかったのでもう一度考えてみます。

 くーふぇは図書館を出発するまでに、親友の超を正道に引き戻そうという決意をすでに固めていました。しかし、その心中には、まだ若干のためらいがありました。単行本がすぐに出てこないんだけど、たしか第15巻あたりでくーふぇ自身が決意を語るときに、そんなためらいもまた微妙に描かれていたはず。

 で、151時間目では。図書館を出た直後に、くーふぇは一瞬動揺して、しかしすぐさま反撃に出ようとします。ところが、師匠よりも先に見事な反撃を行ったのは、ほかならぬ愛弟子のネギでした。その攻撃の見事さは、ただ技のキレやコンボの強力さというだけでなく、その体からほとばしるためらいのなさにこそ示されていました。これを間近で見てとったくーふぇは、親友を正そうとする自分の想いと同じ純度をもった、大切な生徒を救い出したいという教師ネギの真情を、また、そのために障害をためらわずにはねのけるつよさを、そこに看取しました。

 そんなネギのまっすぐな意志をこのとき掴みとったからこそ、152時間目の車内で強制時間跳躍をくらいかけたとき、くーふぇは何のためらいも不安もなく、ネギにその手を伸ばしました。師匠が弟子の、生徒が教師の、力と心とを信じきった瞬間です。それはもちろん、少女が少年の、ということでもありうるのですけど、それはここでは描かれていません。いまはただ、くーふぇが本当なら自分の手で連れ戻したい親友のことを、この少年に託すのです。

「ここは私達に任せるアル

 そんで・・

 超が本当に悪いコトしてるならお前に止めて欲しいアル」

 この台詞を、「お前に」にアクセントを置いて読んでみましょう。ほかの誰でもなく、ネギにこそ止めて欲しいのだ、と。
 ネギの背中を守れるのは自分達。そして、一切を信じて親友の命運を委ねられるのはこの少年。自分はまだ、親友が「本当に悪いコトしてる」かどうかためらいがある。だから、全てをこの少年に託して、自分はただその背中を守りぬく。
2007年1月24日(水) 感想続き
 156時間目。俺が見込んだライバル。

 コタローの「アホ」を「莫迦」と勝手に読み替えて呻吟しているぼくは新井素子世代。

 この話って、個別に成長したネギと明日菜が、はじめて同じ戦場に立った場面なんですよね。とはいえ、「共闘」と呼べるほどに力をあわせてはいないわけで、むしろ明日菜と刹那など少女達の側での協力が目立った一連の戦いぶりでした。

 明日菜は、ネギがいなくなったら承知しない、と言います。
 刹那は、超をお願いします、と言います。
 コタローは、早く行け、と言います。
 みんな、ネギのために力を貸してくれていて、ネギとすでに分かち合っています。勝手な想いが共鳴するという、当たり前の不思議。
2007年1月25日(木) 感想続き(こればっか)
 157時間目。コアラ。

 「航時機参号機」ということは、ネギが持ってるのとあわせて、ええとあと1個ある?
 ナギがその1個の暴走に巻き込まれてたんだったりして。てか、超が未来に帰るための1個と考えるのが普通ですか。

 ネギが成し遂げた、基本的魔法によるカシオペア制御って、「一方、ソ連は鉛筆を使った」みたいな雰囲気ですか。

 夕映はネギを説得しようと懸命に言葉を尽くす。一方、ハルナは『クロノアイズ』単行本を手渡した(えー)。

 しかしネギは、かつて自分を救ってくれた五月のあの言葉を、今後は超のために適用しました。ここでそれを出すのかネギ君。ううん。
 結果の正しさ、目的・動機の正しさ、手段の正しさ。夕映は超の動機にほころびを見出しますが、それはまさしくカント的。でもネギは結果の正しさを捨てることができない。そんなネギが日頃示してしまっている自己犠牲心の強さを、夕映は恐怖する。「知に足のついてない議論」に、彼女の方こそ驀進してしまう。
 つまり問題は、意志そのものということに。
2007年1月26日(金) いつかおまるになれるまで
 雑用中に「サワダスト」という名前をふと思い出して、何だったっけかなーと検索したらゴーメンガースト。うひぃ。第1巻冒頭の引きずり込まれる感覚は鮮明に覚えています。そして一緒に、思い出したくない記憶まで発掘する罠。あーもう叫びたい。萌えー(雄叫び)。

 まあ、たいした話ではないのですが。大学生のときに教室でこの黒表紙文庫本開いてたら、男の友人に「また怪しいものを読んでらぁ」と大声で言われ、そいつはぼくの趣味をよく分かっている奴だったので「まあね」と笑顔で返したら、その向こう側にいた女子学生達がこっちを汚物のように眺めていたという、今となっては甘酸っぱい青春の思い出。
 嘘です今でも苦酸っぱいです。取るに足らないことだと分かっていても、あのまなざしこそ反吐臭い。マーヴィン・ピーク先生もこういう目で見られてたんでしょうか。しかもあの女子学生のひとりは、いつか別の学校で資格とってカウンセラーになりたい、とか言ってましたっけ。宗教家のような輝く瞳で。その前に、目の前の汚物の心をケアしてくれませんか。自分の善意を疑わない人間がいちばん残酷なことをします。
 でも、そんな汚物のように扱われてきたおかげで、ぼくも今では立派な社会の便器になれました。
2007年1月27日(土) 世はなべて
 先輩の靴下のエンブレムが見たことないけどかっこいいなー、と思って眺めてたら、それはお昼のサンドイッチからこぼれたキャベツの千切りでした。
 そんな些細なことに和みながら、愚痴のジェットストリームアタックをかまされる初春の午後。
2007年1月28日(日) 録画し忘れ
 プリキュアスプラッシュスター最終回。すなわち勝利。

 他の一切を消滅させんとする虚無の存在は、混沌たる生命の息吹によっておのれを虚無に叩き込まれるのでありました。誰からも手向けの花をもらえない、誰にも手を握ってもらえない、絶対者の末路。

 満と薫は、覚悟していたとおりに死を迎えますが、「生きてる」(byりりか)てな感じであなたたちが大好きってふたりとみのりが思ってるから、見事に復活を遂げるのでありました。大団円でいいのです。
 やがて咲がチームを率いて決勝戦に臨むとき、満はすでに咲からパンの作り方を、薫は舞から絵の描き方を教わっており、みのりと一緒に応援旗っぽい絵まで用意したりして、ああクラスにもおっかなびっくりながら馴染んできてるんだな、としみじみ。
 だけど、咲と舞の絆には、そんな親友たちでさえ容易に手をさしはさむことはできなくて。咲がいちばん不安なときに、そっと勇気をくれるのは舞であり、その逆もまたしかり。
 でもこんな割り込めなさは、苦楽と生死をともにした満と薫の間にもきっとあるはずで。かけがえのない親友である咲と舞にも見せることのない、ふたりだけの絆のかたち。それはこの球場の観客席なんて場所で人前にさらされてしまうものではなく、月夜の晩にそっと確かめられるべきものなのかもしれません。
 だからぼくは、咲と舞の手のひらが結ばれる瞬間に心震えながら、これと同じようで全く違う満と薫の光景を、重ね合わせて観ていたのでありました。あるいは、舞が観客席から姿を消したときに、その理由に同時に気づいた満と薫が顔を見合わせて、言葉もなく微笑む姿を。あと、その横できょとんとしているみのりの表情を。つかこれって作品内でも描かれてたでしょうか、記憶に定かでないのですけれど。
2007年1月29日(月) ぐずぐず(下品)
 風邪でしばらく伏せていたわけですが。

美 森「で、治ったか。」
らむだ「ん、いくらか復調。いやー、やっぱり毛布敷いたほうが暖かいね。」
美 森「当たり前だ。あんな煎餅布団1枚じゃ、好んで風邪ひいてるようなものだからな。」
らむだ「湯たんぽも欲しいこの頃ですよ。
    ところで、バイブ型の湯たんぽってあるのかなぁ。」
美 森「知るか。」
らむだ「あ、検索したらこんなんありますた。」
美 森「そういう品があるわけではないようだが。」
らむだ「ありそうだけどね。でも、湯たんぽ型のバイブはさすがにないよね。」
美 森「……だいぶ体調は戻ったみたいだな。」
らむだ「頭の中は悪化してますが。」
美 森「いや、さして変化ない。」

 底辺に平行。
2007年1月30日(火) によいくろぐろ(下品)
 馬鹿話。

らむだ「円形脱毛症でつるぺたに、てことはありえませんか。」
美 森「知らん。」
らむだ「考えてみれば、『つる』にはなっても『ぺた』にはならないか。」
美 森「そもそもそんな場所が円形脱毛症にかかるかどうか不明。」
らむだ「こう、受験ストレスとかで。ひとつ。」
美 森「なにがひとつだ。」
らむだ「でも円形かどうか判別しずらいかもね。」
美 森「そういう問題じゃない。」
らむだ「ちんちんの方がとれちゃったりして。」
美 森「書いとけ。」

 逆に増えちゃったりして。
2007年1月31日(水) やっと1月分終わり
 ネギま第17巻感想に戻り。158時間目。あと「がんばれ」と。
 論理でネギを説得できなかった夕映は、思い余ってつい手が出てしまい。第10巻でコタローを口だけでやっつけた直後、自分の感情・意志の弱さに苦悩した彼女が、すぐに親友のどかの手のひらの熱さを頬に知ることとなり、幻影の中で殴られることの苦痛を初めて覚え、そして今、大好きな人を叩く辛さに涙します。どんどん身体的になっていく夕映、これはもしや、おもらしへの大いなる助走か(違います)。いや、やはり夕映は漏らさないと! 健全な成長は遂げられませんよ! そう叫ぶ自らの不健全さに遠く想いを馳せながら微笑。花王・愛の劇場(謎)。

 しかしこう、夕映の父性的な役割に母性的な面がむりっと入り込む瞬間を目の当たりにして、たまりませんね。一緒に背負うんですよこれからも。でも、その言葉に満面の笑顔で「ありがとうございます!!」と答えた少年は、父譲りの杖に跨って、少女の手の届かない空の高みに駆け上ってしまうのでありました。
 エンデの短編集『鏡の中の鏡』に、空を飛ぶ資格を得た若者が、他の人々の期待と願いを身にまとってしまったがためにその資格を失ってしまう、という作品がありました。そんなふうに、少女達の想いを一身にまとったネギは、やがて父の高みへと舞い上がろうとするとき、その想いの重さに負けて地上へと堕ちてしまうのでしょうか。それとも、そんなオーバーウェイトが暴走を呼んで、父の想像もつかなかった斜め右の方向で、大気圏突破を果たすことになるのでしょうか。
 そのへん、ちびっと気がかりではあるのですが。というのも、ネギが到達した結論はカモによって手短にまとめられてしまうようなものであり、しかも以前に別荘でエヴァから厳しく示唆された内容とほとんど変わらないからです。

 だけど、タカミチのようにためらうこともなく、エヴァのように諦念をもって割り切るのでもない道をネギが選びうるとすれば。それはやはり、彼が教師として超を含むすべての生徒たちを守ろうとするその背伸びした少年らしい意地にこそ、手がかりを見出すものなのでしょう。そしてそんな少年を少女たちはつい手助けしたくなって集まってしまうわけであり、その意固地な可愛さをついかまいたってしまいたくなるわけであり。
 そういう以前同様のネギくんかわいー(はぁと)な感覚は、いくらネギが立派にかっこよくなろうとも、ずっと変わらずにあり続けるのです。その証拠はこの単行本の表紙で、勝ち誇るゆーなの小脇に抱きかかえられたネギが、額に汗を浮かべているあたり。

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