アニメ『シスター・プリンセス Re Pure』補論2

〜ゲーム版・漫画版との相互性〜



はじめに 〜考察の視点〜

 リピュアがシスター・プリンセス界全体において占める位置については、すでに考察1にて「中点」として論じた。そのさい、原作・ゲーム版・アニメ版の関係が検討され、いくつかの作品を通じて各領域が互いに補完し合っていることが明らかにされた。Aパートの場合、この作品がアニメ版からとくにゲーム版への接近である一方で、ゲーム版の側からは、ゲームボーイアドバンスド(GBA)ソフトの『シスター・プリンセス 〜リピュア〜』(以下、ゲーム版リピュア)においてAパートのゲーム化がなされている。考察1では、これを、リピュアとゲーム版の相互関係として理解し、シスター・プリンセス界発展のすじみちをそこに見いだした。しかし、この関係が具体的にどのような内容をもつものなのか、ゲーム版からアニメ版への補完とはいかなるものだったのかについては、そこでは十分には明らかにされないままだった。
 この一方、リピュアAパートにはゲーム版作品のみならず、漫画版作品も存在する。森嶋プチ氏によるこの『シスター・プリンセス Re Pure』(以下、漫画版リピュア)は、ゲーム版とは異なる角度からアニメ版作品の内容を組み替えつつ、1巻分の作品にまとめあげている。アニプリの漫画版である壱河きづく氏作品『シスター・プリンセス 〜12の約束〜』がついに完結しなかったのに対して、このAパートは、ゲーム版と漫画版の2つの立場からの解釈が完全なかたちで公にされているのである。論者は考察1にて、漫画版を独立した領域として置かなかったが、作品として完結されているにもかかわらずこれを無視してしまうならば、シスター・プリンセス界を構成する諸作品による相互補完の多様なあり方を、見過ごすことになってしまうだろう。
 このような問題を受けて、本考察では、ゲーム版リピュアならびに漫画版リピュアとアニメ版リピュアAパートを対照し、前者が後者の内容をいかに組み替えているか、そしてそれによってゲーム版・漫画版独自の立場からいかなる補完を実現しているのかを検討する。

   (なお、本考察は『アニメ版シスター・プリンセス考察大全 改訂新版』のために2004年11月30日に書き下ろされた。)


1.ゲーム版リピュア 〜全妹同時展開〜

 プレイステーション用の諸作品に比べて、GBA用のゲーム版リピュアは内容量が小さく、台詞なども兄を呼ぶ声以外はしゃべらないなど、ハードとの兼ね合いからやむを得ないことだとしても欠点が挙げられやすい。また、リピュアAパートというアニメ版作品への不評が、このゲーム版作品のそれと重ね合わせてしまいがちでもある。しかし、他のゲーム版作品が、そのシナリオなどに関して原作というべき直接的な先行作品を有していないのに対して、このゲーム版リピュアがアニメ版という「原典」をもつ唯一の作品であることは、看過されるべきではない。本作品は確かに単体で楽しめるものでもあるが、考察においてはその性質上、アニメ版との比較が必ず要求されるのであり、そしてその比較を通じてはじめて「アニメ並みの面白さ」と割り切ってしまうことのできない特徴がただちに見いだせる。そしてその特徴とは、考察1で指摘したゲーム版という領域の独自性と分かちがたく結びついているのである。以下、その具体的な内容を、本考察の主旨にしたがいながら確認していこう。(なお、本章の内容の少なからぬ部分はゲーム感想と重なる。)

(1)兄視点

 アニメ版リピュアAパートでは、兄の内面がアニプリの航と比べて視聴者に伝わりにくく、感情移入しづらいという批判を呼んでいた。この兄の曖昧さは原作とさほど変わらぬものであり、また考察5と考察6で、妹から見た兄の姿と兄の自己意識について、それぞれすでに検討した。それでもなお演技的な振る舞いが目立つように感じられるこの兄に、ゲーム版リピュアではプレイヤーの視点が置かれることになる。この兄視点という規定は、他のゲーム版作品と共通するものであり、また雑誌企画が参加読者に与えようとしたものでもある。その結果として妹達の兄は、絵的には目が描かれなくなり、性格的にはギャルゲー的なへたれ具合を示すことになる。プレイヤーの感情移入も常に可能とは限らないこの変更によって、しかしさしあたりは兄の内面、あるいは妹には聞こえないはずの心の声が獲得されることになる。ではその内面は、ゲーム版リピュアの中でどのように表現されているのだろうか。
 TV版第1話に相当する最初のゲームシナリオでは、兄は待ち合わせ場所付近にいる可憐を見つけて声をかけ、彼女がうち沈んでいる理由を知る。ここで兄が妹を元気づけようとするとき、アニメ版のようにただちにリボンで飾り立てようとはしない。そのことを思いつく前に、兄は可憐を花屋などの他の店先に連れて行き、何とか励まそうとするのだ。その中で兄は、例えば花屋では、きれいな花の種を探そうとして野菜の種を手に取ってしまい、(どうしよう。花のことなんか全然わからないや……)と内心で告白する。花穂の兄でもあるはずなのにどういうことか、とプレイヤーとしては首を傾げたくなる場面だが、つまりこの兄は、アニメ版の妹視点・第三者視点で描かれていたような完璧超人ではなく、最初から不備を有しつつ妹のために努力する人間として表現されているのである。
 これに関連して、アニメ版では妹の回想として示された兄との思い出が、当然のことながら兄の側から描き直されていることにも注目しよう。兄は可憐と出会う直前、ブティックの店頭で、かつてここで可憐に服を買ってあげたことを思い出し、今日彼女がその服を着てきてくれることを期待する。兄は兄なりに、自分の好意や努力が妹からかたちとなって返ってくることを望んでおり、その充足による安堵と喜びをもって、再び妹達のために尽くそうという意志もわき上がってくるのだろう。であればこそ、その可憐が兄の期待通りに服を着てきてくれたにもかかわらず、これを汚してしまって悲しんでいる妹の心中が、痛いほどに察せられる。兄へのお礼としてこの日に着てこようとした可憐の、その兄を想い期待に添うよう努力する心がかえって兄への申し訳なさから深く傷ついていることを、切実に受け止められる。
 こうして兄は、花屋や雑貨屋などを連れ回して可憐の気分を変えようと努めるが、その兄心を察した可憐が「ありがとう、お兄ちゃん。可憐を元気づけようとしてくれて。可憐は…大丈夫です…」と無理に笑顔を作れば、プレイヤーは逆にますます何とかしなければ、という焦りにかられることとなる。また、後述する別分岐では、結局対応策が得られず(兄と会うことができず)服を着替えてきた可憐が、寂しそうなまま(でも、あんよお兄ちゃんなら、きっとなんとかして下さると思ったんです)と独白する心の声をプレイヤーが聞くとき、兄失格の烙印を自らに押したくもなる。そしてそのような過失の可能性や、妹への共感があればこそ、アニメ版で描かれたリボンによる装飾という手だてを思いつき、これによって実際に可憐が喜んでくれたとき、兄が安堵する胸のうちを、プレイヤーも一体となって共有することができるのである。
 これらのことは他の場面でも共通に見出すことができる。例えば、第8話相当のシナリオでは鞠絵の療養所を訪問したさいに、彼女に教わりながらロクロを回してみるのだが、プレイヤーの目押しの腕いかんでは凄まじく歪んだ器ができあがる。「沈黙」という文字を背景に出現するその代物に、さすがの兄も情けなくなるのだが、そこで鞠絵は兄を励ましフォローする。この場面では、兄の訪問そのものに元気づけられた鞠絵が、失敗した兄を温かく支えるという、兄妹の相互関係を見てとることができる。同様に、ゲーム版独自の白雪シナリオでは、兄がクレープの材料に梅干しを選んでしまったとき、白雪が「大胆なレシピですの」とあっさり受容しながら、ちゃんとおいしく食べられるものに仕立ててしまうことになる。第5話相当の千影シナリオでは、夜空の星よりも千影の方がきれいだ、とあえてお世辞を言おうものなら、その妹に「無理しなくていいよ、兄くん」とたしなめられてしまう。また、第9話相当のシナリオでは、鈴凛と四葉の尾行に気づきながらも、兄はあえて気づいてないふりをし続けることができる。アニメ版では妹達の視点から、兄が気づいていないかのように描かれている場面だが、ゲーム版リピュアでは、他のゲーム版作品と同様、兄は妹達の楽しみにこっそり応じてやるという付き合いのよさを示している。
 以上のように、ゲーム版リピュアの兄は、アニメ版では第5話や最終話でようやく描かれる不完全さを、全編通じて兄の視点からプレイヤーに指し示す。これによってプレイヤーは、兄をその内面から共感的に理解し、妹達への彼の努力を肯定的に受けとめることができるようになる。アニメ版での完璧すぎる兄の姿が視聴者に距離感を抱かせていたとすれば、ゲーム版では兄視点を通じてその距離感を減少させることに成功しているといっていいだろう。もちろん、この場合は逆に「なぜこのように不完全な兄があれだけ妹達に慕われるのか」という疑問も出てこなくはないのだが、しかしそれに相応しいだけの努力をこの兄が不断にとり続けていることを、少なからぬプレイヤーは理解するはずだ。そして、第13話相当のシナリオで兄が時計塔カラクリの秘密に何ら迫ることなく大団円を迎えてしまうのも、そこで描かれるべき兄の兄ゆえの苦悩と救済を、本作品では兄視点に立つプレイヤーが最初から感得し続けているがために、なおも最後に繰り返す必要がないのだと納得できそうに思えるのである。

(2)妹選択制とその独自性

 先に白雪シナリオと記したが、これはアニメ版には存在しないゲーム版リピュア固有のものである。じつは本作品は、アニメ版と同じ13話分相当の構成をとりながら、その内容を大きく変更し、全妹のメインシナリオを平等に用意しているのだ。その構成をアニメ版と対照させたものが次表である。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
アニメ版 可 憐 花 穂 花 穂 花 穂 千 影  衛 . 亞里亞 鞠 絵 鈴 凛 咲 耶 咲 耶 咲 耶 全 員
ゲーム版 可 憐 四 葉 白 雪 花 穂 千 影 亞里亞 鞠 絵 鈴 凛 春 歌 咲 耶 雛 子 全 員

 ここでゲーム版リピュアは、アニメ版とゲーム版の2領域の問題をそれぞれ解決している。まず、アニメ版では妹ごとの扱いにあまりにも差があり、作品評価にも多大な影響を及ぼしていたが、ゲーム版リピュアでは、1妹1シナリオというきわめて明白なかたちで、この差別を解消した。次に、ゲーム版他作品では各妹のシナリオがあまりに排他的であるために、特定の妹のエンディングを迎えることは他の妹との関係をほぼ断ち切ることとほぼ同義だったが、ゲーム版リピュアでは、12人全員分のシナリオをクリアすることで最後の第13話分シナリオに入ることができるという条件を課すことで、兄妹全員による物語の締めくくりを必然的なものにしている(なお、このような強制的条件は、最初のシナリオである第1話分以外には存在しない)。つまり、本作品は、ゲーム版としての共通特性である妹選択制を取り入れながら、妹の平等性・集団性というアニメ版の共通特性をも維持する方向で、内容の拡張と再構成が図られているのである。
 その内容を具体的に見ていけば、例えば、四葉シナリオでは、アニメ版第2話での花穂によるパンジー種探しの顛末を下敷きにして、ここに捜索協力者として登場した四葉を中心に物語が組み替えられている。白雪シナリオでは、花穂のダイエット騒動を背景に、花穂が安心しておいしく食べられるようなダイエットクレープ作りに努力する白雪の姿が描かれる。春歌シナリオでは、咲耶のラブレター事件話で春歌が兄に詠んだ和歌を手がかりとして、彼女の迷いなき思慕のさまが綴られる。そして雛子シナリオでは、咲耶達のウェイトレス姿を見て花穂ではなく雛子がまずその真似をするという変更により、翌日にまで物語を継続させている。
 これらの再構成は、論者が既に述べてきたような、アニメ版各話のシリーズ内における意味や、花穂咲耶メインの3話に共通する主題などといった観点を、いったん無効にしてしまうものに見えるかもしれない。あるいは、もしアニメ版が妹全員に1話ずつ割り当てたなら生じていたかもしれない「広く浅く」という中途半端な結果を、ゲーム版で実現してしまったものと受け止められるかもしれない。だが、本作品での再構成の内容をより深く検討するならば、そのような判断は単純には容れがたい。四葉が花穂に替わってヒロインとなるとき、四葉が示すのは、花穂と兄のために種を探そうとする、同じ妹としての(彼女なりに)懸命な姿である。このシナリオでは、四葉は(プレイヤーの選択の結果)兄の協力が得られなくても、数日もの間その捜索を続けるのだ。論者は考察2において、このときの四葉の誠実さを指摘していたが、もしアニメ版では犬にかまけてしまうなどの場面の影響でその熱意が視聴者に伝わりにくかったのだとしたら、ゲーム版では、このことを何にもましてプレイヤーに突きつけてくるのである。白雪が花穂のために手間暇かけてクレープを作ろうとする(年少者への配慮、妹の相互支援)のも、春歌の年長者にしては迷いのないひたむきな愛情表現(年長者としての共通性と独自性)も、いずれも本編では描かれなかったものの、その物語から帰結すべきものとして論者が本作品プレイ以前(発売は2003年3月、購入は6月)に考察2考察5にて想像し指摘していたところのものである。これらの点は、アニメ版リピュアで描かれてはいたが見落とされがちだった諸要点を、ゲーム版リピュアが丁寧に取り上げて主題化し補完したものとして、肯定的に理解されうるのではないだろうか。
 また、とくに雛子シナリオでは、アニメ版でほとんど描かれることのなかった要素さえ包摂されている。アニメ版第12話では、雛子はレストラン予約の話を聞いて自分も行きたいと兄にせがみ、またレストランでははしゃぎ疲れて眠ってしまい兄を早々に帰路につかせる原因となるなど、年長者が苦労して面倒を見るべき年少者の典型としての役割を果たしていた。しかしゲーム版では、雛子はレストランのお手伝いを、ウェイトレス姿になってみたいからではなく咲耶達が忙しそうだからという理由で思いたち、しかも予想以上に見事に務めをこなしてしまう。アニメ版同様にウェイトレスになってみる花穂は、ここではその失敗を雛子に救われる。ここでは、年長者や兄の配慮・責務というアニメ版での主題は全く消滅してしまうのだが、その空隙は雛子という年少者に相応しい新たな主題によって充当される。雛子はその翌日も、兄の家を訪問してウェイトレスの真似を続けようとする。それは、たんにその振る舞いが楽しいからではなく、雛子なりの兄妹関係理解と、兄による自分への評価とを睨んでのことである。兄に「いっぱいサービス」しながら、雛子は「おにいたま、ヒナのサービスはいかがでしょうか? ご満足していただけてますか?」と問いかける。確かに傍目には「ごっこ遊び」にすぎないにせよ、ここには、雛子の幼い頑張りとともに、兄のために何かしたいという気持ち、そしてそれが可能となるように早く大きくなりたい、背伸びしたいという年少者の成長への意志も見いだせるのだ。これは、じつはPS版のゲーム2でも雛子の主題になっていたものである。つまり、アニプリによってシスター・プリンセス界に導入された時間の流れへの意識が、その意識をいったん捨象したリピュアAパートのゲーム化にさいして、今度はアニメ版を補完するためにゲーム版の領域から還流しているのである。そして付言すれば、雛子のこの背伸びがおおよそ年長者の真似に基づいているはずだとすれば、アニメ版第12話で描かれた年長者の姿は、最年少者が模倣すべき具体的な振る舞いとして、さらには兄のために何らかの役目を果たすというその姿勢において、そこまでの成長を望む雛子の視点から正しく逆照射されていたのである。

(3)物語分岐

 これらの再構成された各シナリオは、その内部でいくつかのエンディングへと分岐する。ゲーム版でお馴染みの、血縁度の高低による実妹・義妹分岐ではなく、複数回の選択肢による物語の展開と、好感度の高低とによって、辿りつくエンディングと(おそらく)ボーナスグラフィックが決定される。各妹4枚ずつのグラフィックは、リピュアAパート2枚、Bパート2枚からなっているが、さすがにこれのみをもってリピュア全体のゲーム化と称するわけにはいかない。ただし、例えば鞠絵シナリオでは、アニメ版第8話で鞠絵が演じてみせた人形劇のおとぎ話をもとにした、王子様の兄の胸に飛び込もうとするお姫様姿の鞠絵という絵があるが、あの場面で鞠絵の脳裏に浮かんでいたかもしれないその光景を端的に描いており、これもゲーム版によるアニメ版の補完として受け止められるだろう。
 さて、アニメ版の物語をプレイヤーが辿ろうとすれば、迷う箇所が若干あるもののそれほど難しくはない。これ以外の分岐を選んだ場合、プレイヤーはたんにそのメイン妹の話にうまく入れずに終わることもある(例えば白雪の「エンド2 兄のいないティーパーティー」)が、アニメ版で付帯的に描かれていたサブヒロインのルートへと導かれることもある。例えば第1話分シナリオでは、公園を回っていく選択肢をとった場合、可憐と会う前に花穂、雛子、鞠絵、千影、四葉、亞里亞の6人と遭遇することになる。この場面は、アニメ版では兄不在の状況で、兄との待ち合わせの場所に急ぐ彼女達の姿が描かれたところであり、ゲーム版では兄が自分の行動の結果この場面に行き着くのである。ここで亞里亞がリボンを風に飛ばしてしまい、その捜索に一同が追われることになるのだが、最終的に千影によってその対象物が戻されるのは共通としても、そもそもアニメ版では飛んでいったのがパラソルであるなど、各所に変更が施されている。この変更の結果、兄が待ち合わせ場所に到着したとき、すでに可憐は着替えて戻ってきているのだが、アニメ版での展開や本ゲーム版での可憐ルートを知っているプレイヤーならば、ここで可憐にとって必要だったはずのリボンと、今さっき探し回っていた亞里亞のリボンとを重ね合わせて、可憐のために何もしてあげられなかった自分の不甲斐なさを責めたくなるのである。
 こうした「脇道」を設けられているシナリオは多くはないが、そのうち最も衝撃的なのが咲耶シナリオだろう。アニメ版第11話をもとにしたこのシナリオでは、激情に駆られて家を飛び出した咲耶を兄が追いかけていく。このときの選択次第では、兄は咲耶を発見する前に教会で可憐と千影に出会うことになる。兄はその2人と咲耶を探すことになり、その結果、公園の噴水の前にいた咲耶は、感謝の意を込めて、兄のみならず可憐と千影をも自分の家に招くのである。このエンディングを迎えたとき、論者がいかばかり動揺したかを想像していただきたい。咲耶にとってこれ以上大切な日はないはずの兄の「お泊まりの日」に、他の妹を、しかもよりによってこの両名を招くなどということがあり得るだろうか。
 だが、そんな反語的表現を横においてこの結末をとらえ直せば、そこには、アニメ版からさらに一歩踏み出した咲耶の反省のいろがうかがえる。すでにアニメ版でみたように、この時点での咲耶は「私達みんな」という視点の再確認を済ませており、それゆえに自分に与えられたこの時間を大切にしようと反省している。これに加えてゲーム版では、可憐達が実際に咲耶の捜索に協力してくれていたことを知って、彼女達へのお礼も兼ねつつ、自分がこの半日で省みたこの街での兄達との年月を、そこに共に刻んできたしるしを、今度は兄妹であらためて振り返ってみたい、と考えているのだ。兄と二人きりの時間がかけがえのないものであるように、兄妹達がともにいる時間もまた、何ものにもかえられない。そのことを最大級の譲歩ともとれる行動で示し得た咲耶こそ、まさに年長者としての面目躍如である。アニメ版第12話での年少者への譲歩がやや曖昧になってしまったゲーム版だが、それ以上の心映えをこのエンディングに見出すことも決して不可能ではない。もちろん、この夜に咲耶の家であのブーケの決着をつけるという本物の修羅場を予感することもできはする。しかし、エンディング絵にて兄の腕をとって並ぶのが咲耶だけであり、可憐と千影はあくまでもそのやや後方に控えて歩いているのを見るとき、そこに論者は、来るべきタタカイの密かな兆しではなく、やはり「お泊まりの日」をあえて開放した咲耶への二人なりの返礼を確認したい。そしてむしろ、アニメ版では咲耶が回想する幼少期の思い出の中でしか登場しないこの両名が、ゲーム版ではこれほどまでに重要な「脇道」の担い手になることにこそ驚嘆したい。とはいえ、思えば論者は考察3にて、ブーケの因縁をめぐる両名の仕業について妄想していたが、暗黙のサブヒロインとしての資格は、このときすでに確証されていたということなのかもしれない。
 話を戻せば、このように他の妹達にも開かれたエンディングは、他シナリオにも用意されている。それは咲耶のような明確な展開でないとしても、例えば白雪が兄と一緒に作ったダイエットクレープを花穂達にふるまったときに、白雪が「にいさまといっしょに、みんなのためにお料理を作るのも、とってもシアワセなんですの!」と喜ぶ結末のように、妹固有の絆を強めながら兄独占欲求と妹相互支援原則の両方を満たすというものもある。またその一方で、可憐が兄と妹達全員との再会を喜びながら、いつか兄と二人きりの時間も持ちたいと独白する「お兄ちゃんとふたりで」という結末もあるように、妹達の心はこれからも兄とともに揺れ動いていくことになるのだろう。

 以上、ゲーム版リピュアは、ゲーム版とアニメ版の双方の特性を導入することで、アニメ版リピュアAパートを補完し、妹登場機会の不均等をできるだけ解消し、さらに新たな視点をそこに付け加えることに一定度成功している、ということが明かとなった。たとえそこには、ハード上の制約などに基づく様々な問題が存在しているとしても、あるいはその制約との妥協が上述のような組み替えを要請したのだとしても、本作品はゲーム版とアニメ版の2領域を確かに結びつけ、シスター・プリンセス界の相互支援的発展に寄与しているのである。そして、プレイ開始時に入力する兄の名前として、もしプレイヤーが「わたる」という名前を選んだならば、アニプリ以来のファンにはほとんど違和感のない展開が待っていることだろう。兄のおぼつかなげだが誠実な努力を妹達が受け止め、互いに支えあうというゲーム版の構図は、リピュアの兄から海神航へ至る距離を限りなく小さくしてくれる。つまり本作品はゲーム版の領域を踏み越えて、アニメ版の内部におけるアニプリとリピュアの紐帯としても、その重要性を示してくれるのだ。


2.漫画版リピュア 〜相互関係一点突破〜

 この平等主義的なゲーム版に対して、同じリピュアAパートを元にした漫画版は、大きく異なる組み替えを行っている。

(1)妹視点と兄の姿

 アニメ版では、物語は基本的に妹視点で描かれ、兄視点からの描写や兄の内面の告白は、第7話第13話などでごくわずかに示されるだけだった。これは、Aパートが雑誌連載原作とアニプリとの中点にあることの現れであり、ゲーム版リピュアではこれをゲーム版らしくほぼ完全に兄視点へと置き換えていた。これに対して漫画版では、元のアニメ版に倣うかたちで、内容の大半を妹視点から描いている。漫画もアニメもともに、読者・視聴者が物語や登場人物の内面を(たとえ共感的にであれ)第三者として理解・享受するという媒体であることから、アニメ版での視点のあり方が漫画版にもほとんどそのまま用いられたのはむしろ当然のことだろう。
 この結果、アニメ版と同様に兄がやや完璧超人として描かれやすくなるわけだが、漫画版ではその問題を解決するために、兄の内面的台詞や、彼なりの努力の姿などを各所に挿入している。例えば、アニメ版第2話相当の回では、約束したのに家に来ない花穂を捜して、公園まで走ってきたことを示す吐息が(p.47)、また木の根本にパンジーの花壇をこしらえた(この時点ですでにアニメ版の展開を越えているが)ときには、その作業で汚れた手指が(p.56)描かれている。第3話相当の回では、花穂のダイエットのことを隠し通そうとする衛達から無理に事情を聞き出さずにおき、自分が部屋を出てからの妹達の会話からこっそりと事情を察知するという気遣いを示す(p.77、アニメ版では衛達が兄達に打ち明ける)。第6話相当の回では、ロッジ直前で様子が奇妙な衛に(ボクの考えすぎ…カナ?)と思いつつも考えを巡らせ(p.126)、夕飯の支度時にも衛にそれとなく注意する(p.135)といった姿を挿入することで、やがてマグカップを持ってテントに向かうという展開を自然なものにしている。第7話相当の回では、じいやさんの目の前で、じいやさんが悪い人ではなく亞里亞のためを思ってくれていることを亞里亞に説く(p.110、アニメ版での間接的な展開による機微は失われているものの、じいやさんも亞里亞に言い過ぎを詫びる姿が新たに描かれている)。第9話相当の回では、鈴凛の墜落を察知した瞬間の表情が全てを表している(p.169)。そして、第12話相当の回では、クリスマスパーティへの招待券を妹達に手渡すとき、「みんな来てもらえるかな?」と汗をかき咳払いするほどに緊張し、皆が喜んでくれたのを見て(あははよかった……)とほっとしている(p.218-9)。これらの箇所以外では、兄はやはり完璧な存在という印象が強くはあるが、それでも以上のような独自の描写と、森嶋プチ氏による柔らかな筆致や表情づけなどによって、漫画版は総じて、アニメ版で兄への共感を阻みがちだった原因の1つである説明・表現の不足を大きく補ってくれているのである。
 ところで、アニメ版本編でも、とくに第13話では兄の決して完璧ではない内面の揺れが描かれていた。この話によって、アニメ版リピュアは兄妹の「再−浄化」という主題をようやく明らかにしたわけだが、漫画版でもゲーム版と同様、この話を大きく再構成してしまっている。より正確に言えば、第13話そのものが存在しないのだ。兄の不安をプレイヤー視点に組み入れることができたゲーム版と異なり、漫画版では兄−妹の相互救済関係を描くことにはさほどの重みを与えられないままにある。しかしそれは、この作品で救済への確証を別のかたちで表現するための措置であったかもしれない。このことを検討する前に、ひとまずは漫画版の構成を確認しておこう。

(2)全話の構成

 あらためて漫画版の構成をアニメ版と対照させれば、第13話どころか、多くの話が完全に切り捨てられていることが分かる。ゲーム版での再構成も大胆なものだったが、そこでは少なくともアニメ版本編から何らかの手がかりを得たうえでの翻案がなされていた。これに対して漫画版では、そのような配慮は清々しいまでに存在しない。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
アニメ版 可 憐 花 穂 花 穂 花 穂 千 影  衛 . 亞里亞 鞠 絵 鈴 凛 咲 耶 咲 耶 咲 耶 全 員
漫画版 可 憐
(第1話)
花 穂
(第2話)
花 穂
(第3話)

(第5話)
亞里亞
(第4話)
鈴 凛
(第6話)
全 員
(第7話)

 おおよその傾向としては、年少者話を中心に、ということなのかもしれないが、このような再構成によって、アニメ版で問題視されていた妹登場機会の不均衡はいっそう危機的なものにならざるをえないと予想される。これに基づいて漫画版での妹登場コマを数えてみたところ、さしあたり以下のような結果が得られた。

可 憐 花 穂  衛 . 咲 耶 雛 子 鞠 絵 白 雪 鈴 凛 千 影 春 歌 四 葉 亞里亞
コマ数 99 144 179 98 74 72 48 145 60 129 102 181

 各話のコマ割りなどが影響する(衛や鈴凛の場合)としても、やはりアニメ版第5話第8話といったメイン話を失った千影や鞠絵、そして大削減を受けた咲耶は、その登場機会を大きく奪われていると考えられる。しかし、それ以上に意外な数字が出たのは、メイン話がある可憐よりも登場コマ数が多い春歌と、メイン話を削られた千影よりも少ない白雪である。両者はともにアニメ版でもメイン話を持たず不利益を被った妹だが、春歌はメイン話が1本もないにもかかわらず、漫画版の第6話以外に何らかのかたちで登場した。一方、白雪も第5話、第6話以外でやはり若干でも登場しているはずなのに、年長者達にとってのウェイトレス話のような機会が得られないまま、ここでも効率の悪さに甘んじる結果となり、春歌と明暗を分けた。

 このような数値のみをとらえれば、漫画版での再構成はアニメ版に比肩しうる不平等感を与えるものと見なされるかもしれない。だが、本作品を実際に読んでみるならば、(雑誌連載時にはまた別の印象もあっただろうが、)少なくとも単行本においては、そのような格差はあまり感じられないのである。
 その直接の原因は、何よりも漫画版最終話(第7話)の内容にある。本話は、アニメ版第12話を下敷きにしながら、本来は第13話のクリスマスパーティで描かれるべき作品全体の大団円を、ここで巧みに導いているのだ。アニメ版本編と同様、咲耶が年長者向けに予約した兄とのレストランでの食事会は、雛子達が兄の家に偶然に居合わせたことでこの年少者達に譲られ、代わりに咲耶達はそのレストランで臨時ウェイトレスとして兄にサービスすることにした。アニメ版ではこの後、雛子が寝入ってしまうことで兄は年少者達を連れて帰路につくが、やがて単身レストランに戻って年長者達に報いることになる。そこでは、年長者達の責務がいかに苦労の多く、そしてそれゆえに兄の配慮がいかに大きな喜びをを与えてくれるかが描かれていた。これに対して、漫画版では、年長者達に報いを与える契機となるのは兄ではない。そしてもちろん兄の訪れが喜びをもたらすのではあるが、得られるものはそれにとどまらない。店を出てから、衛は兄と語らいつつ、咲耶達に「今日のあにぃとの食事のお礼」をしよう、と皆に呼びかける。これに触発された花穂は、その場ですぐに一生懸命に考えた結果、あることが閃いてすぐさま一度レストランにとって返し、千影に耳打ちして了解を得る(p.204-206)。レストランの片づけを済ませた咲耶達のもとに千影が戻り、しばらく思わせぶりな話をしているうちに、扉が開いて入ってきたのは、可憐、白雪、鈴凛、四葉の4人だった。その後に続いて戻ってきた兄と年少者達が説明するように、咲耶達へのお礼として「今度は咲耶ちゃん達をディナーにお招きしよう」と考えた花穂のこの発案により、招集された年中者達も「そうしよう!って賛成してくれて」(p.213)、たちまちここに兄妹全員によるパーティーの機会が与えられたのである。それはやはり第一に年長者へのお礼として咲耶達をもてなすためのものであり、それゆえ亞里亞さえ例外でなく危なっかしくもお皿運びを手伝う(p.215)。アニメ版とは異なり、咲耶が閉店後の兄とのひとときを期待せずに、ひたすら「みんなの思い出に残る素敵なおもてなししましょ!」と張り切っていただけに、このような予想外の喜びはひときわ大きかったわけだが、しかもそれが咲耶達と同じ妹であり年少者でもある衛の示唆や花穂の発案から生み出されたということに、この漫画版の独自性が最も明確なかたちで示されている。妹の相互支援原則は、アニメ版でも確かに繰り返し描かれていたが、このようにそれが年少者の側からの応答として、しかも兄妹全員を包み込むかたちで示されたことはなかった。これによって漫画版リピュアは、兄妹全員の意志を一つに結びつけた場面で幕を下ろすことができ、しかもその場面での妹達の目線が、兄のみならず他の妹達にも相互に向けられていることで、妹達の間に公平感を与え、登場機会の多寡にかかわらず各人の居場所をそこに見いだせているのである。
 とはいえ、このような印象は漫画版最終話のみで与えうるものではない。間接的な原因として、そこに至るまでの各話において、妹同士の目線が着実に組み上げられていることを、次に確認しよう。

(3)妹達の相互関係

 アニメ版でも描かれていた妹同士の関係は、漫画版では柔らかな筆致のもとでさらなる補足を与えられている。例えば第1話では、待ち合わせ場所に向かって駆けていく花穂達に鞠絵が「そんなに急がなくても」と呼びかけるとき、1コマ用いて年少者達に「はーい」と返事させている(p.8)。続く鞠絵の苦笑といい、亞里亞の言葉に対する一瞬の間を示す1コマ(p.9)などといい、ここでは鞠絵の年長者としての役割と、それへの年少者の態度が明確に示されている。全く何気ない箇所ではあるが、亞里亞以外との関係がアニメ版本編では見えづらかっただけに、論者がここで看取したいわばアニプリ的な妹同士の関係は、作品全体の独自性を見いだす契機ともなる。
 このようなごく些細な箇所は、例えば第2話では、種の捜索に雛子や白雪、春歌が加わっている場面に見いだされる。各人とも登場コマ数はごくわずかだが、花穂と兄の固有の絆である大切な種を捜すために、これだけの妹達が参加するのを目の当たりにし、そしてやがて作られた花壇の背後で彼女達や衛、鈴凛、四葉までもが微笑んでいるのを見るとき、この捜索がいかに妹達にとって重大事であるかが、ゲーム版での四葉の徹底さとはまた違うかたちで強調されていると分かる。第5話では、衛はマグカップを購入するさい、兄と自分のだけは大きめのものを選ぶにしても、同行する他の妹達の分もあわせて入手している(当初は、兄用に大、妹用共通に小を選んでいたが、兄に追いつくために自分も大カップを選び、結果的に「お・そ・ろ・い」にして照れている、p.119-120)。そしてキャンプの夜には、兄にしばし遅れて衛のテントに咲耶達が乱入したとき、その手にマグカップを握りながら「ちゃんと衛ちゃんが私たちの分も持ってきてくれた」ことを衛に直接感謝し、衛も内心で皆の訪れへの感謝を返している(p.14)。そして第6話では、せっかくの兄チャマクイズによる情報収集が意見バラバラのためデータとして使いづらいと漏らした鈴凛が、その言葉にしゅんとなってしまった花穂や亞里亞を見て、慌てて「あっあっでもね!」と今回の情報を参考にすると言い直して安心させている(p.148)。いずれの情景も、アニメ版に描かれてい地点からわずかな延長線上にあり、しかもそれによって妹同士の関係はいっそう豊かに指し示されている。
 また、第1話では、風に飛ばされた亞里亞の持ち物はゲーム版と同じくリボンに変更されているのだが、このリボンをとってくれた千影に亞里亞が「ありがとう」とにっこり微笑むとき(p.11)、この漫画版でのリボンはゲーム版と異なる役割を与えられる。ゲーム版では、亞里亞のリボンをプレイヤーが目にするのは可憐ルートを外れたときであり、それゆえ亞里亞のリボンは失われた可憐のリボンの残像でもあった。これに対して漫画版では、兄はあくまでも可憐と最初に出会うため、リボンが千影の手で亞里亞のもとに取り戻され、亞里亞が笑顔で応えるまでの過程を読者は追いかけたのち、兄と可憐の姿に目を移し、そこにリボンをめぐるもう一つの物語を見てとる。このとき、亞里亞のリボンも可憐のリボンも共にその左袖に巻き付けたものであることが、両者を読者の視線の中で重ね合わせるさらなる契機となる。つまり、この第1話で強調されるべき兄による可憐の救済は、漫画版では、千影による亞里亞の救済によって先取りされ、その効果を大きく削いでいるのだ。だがこれは、パラソルをリボンに安易に変更してしまったための過失なのではない。むしろ、妹を想う兄の行動がアニメ版同様に示しうるはずだった意義深さを、千影−亞里亞という妹同士の間においてほとんど同様なものとしてあえて描きだすことによって、妹の相互関係を兄妹関係と同列に位置づけ直そうという強い意図が働いているのである。アニメ版を踏まえればこそ、このような意図はようやく明らかなものとなるのだとしても、個々の兄妹関係を中軸におくべき『シスター・プリンセス』作品でありながら妹間にいくぶん重心を移そうとするこの試みは、最終話を待たずして兄妹全員の間に均衡ある相互関係をもたらそうとしていた。
 そして、妹から兄へと向かう赦しの導きによってアニメ版最終話が「再−浄化」という主題をついに示したのに対して、漫画版では、年少者が年長者に返したお礼の途方もない幸福感によって、罪の気配のないままに、互いを救済へと誘う歩みは間違いなく描かれていた。レストランに到着後、準備皆無なので腕をふるわねば、と焦る白雪に、咲耶はそれならばと手伝うのだが、それも彼女にとってはもはや自らが受けるもてなしの一部となっている。(こんな素敵な気持ちがいっぱい詰まった贈り物を/受け取らないわけないじゃない!/みんなのおかげで/今日はとてもよい思い出の残る1日になりそう!)と心の中で感謝するとき(p.215-6)、咲耶達はこの兄妹達の一員としての幸福に包まれているのであり、その中で自分が年長者として行うべきことではなく、行いたいことを望んでするとき、その幸福は相互にいよいよ増進されていく。兄の原罪がほとんど感じられない場所で、その罪を贖う救世主の生誕を祝うクリスマスは本来の意味をなさない。それゆえに、アニメ版リピュアAパートの主題にとって象徴的場面である最終話のクリスマスパーティをこの漫画版が描かなかったのは、むしろ必然的なことだったのだ。

 こうして漫画版リピュアは、アニメ版と同じく兄と妹の双方を描きながら、その描写方法と重点の置き方を変えることによって、アニメ版の主題を踏襲しつつ組み替えてしまうことに成功した。アニプリを含むアニメ版にまつわる諸作品の中で、最も甘やかな空気に彩られた作品は、兄妹関係の均衡に一貫してあずかっているこの漫画版リピュアなのかもしれない。あるいは、より端的にこの作品は、アニメ版の領域と、本考察であえて言及しなかったきわめて重要な漫画版作品との紐帯である、と言うこともできるのだろうか。その重要な漫画版作品とは、『電撃G's magazine』連載でお馴染みだった、霧賀ユキ氏によるあの妹12人漫画『ちびっこ妹劇場』である。このパロディ的な漫画において初めて描かれた妹同士の絆は、原作などの諸作品を経て、ついに同じ領域の作品であるこの漫画版リピュアに、その一つの到達点を見いだしたのだ。


終わりに 〜それは終わりではなく〜

 以上に見てきたように、アニメ版リピュアを原点としたゲーム版・漫画版は、それぞれの領域の特性にしたがいつつ、アニメ版作品内容を補完・拡充し、さらに自らの領域をも発展させることで、シスター・プリンセス界全体に寄与していた。原作やPS版、アニメ本編などに比べれば、本考察でとりあげられた作品は確かにあまり目立たない。だが、そんな小さな作品の中に限りない可能性がこめられていること、そのかけがえのなさに気づかされるとき、読者の視線は、パンジーの種を皆で探す兄妹の視線にはじめて重なり合い、彼らを包む世界の中に溶け込んでいけるのかもしれない。
 そう、これらの作品世界はいずれも暖かく兄妹を守り慈しむ。漫画版第2話では、その種のありかを花穂に尋ねられた犬が、やがて、木の根本に芽生えたパンジーの場所を花穂に直接教えてくれる。じいやさん以外の支援的第三者がほとんど登場しないにもかかわらず、作品世界は兄妹の想いを、絆を支えようとする。それゆえに、漫画版第5話で衛が採ってきたキノコにも兄妹達はどうやら中らずにすんだのだろうし、ゲーム版鈴凛シナリオでは、墜落する鈴凛を受け止めようとする渾身の目押しのさい、結局どの選択肢でも何とかなってしまうわけなのだろう。そして、このような絶対的な安心感をもたらすために両作品から排除された時計塔を、唯一その深い主題と結びつけて保持するアニメ版は、両作品から補完されつつもやはりかけがえのない独自の位置を占め続けるのである。
 シスター・プリンセス界のなかで、それぞれの作品は多様でありながら本質においてかわらない。作品の比較を通じて、そのかわらない何かと多様なあらわれとをたえず見出していくとき、『シスター・プリンセス』のいのちは、未だ遙かな道行きを勝ち得ている。そして、アニメ版第7話にて自分の役割をごまかした可憐が、やはりその漫画版第4話でも「わあ…! みんなとってもステキね(はぁと)」などとごまかしているのを目の当たりにするとき、そこに妹のかわらぬたくましさを看取して、論者の兄心は否応もなく新たな感動に突き動かされるのである。


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