日記
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2009年5月1日(金) いっそカレーにトッピング
 べびプリ小雨(5/1)。
 メーデーですね。でも今日の日記はむしろメイデイ、救難信号かしら。いきなり小雨のごめんなさいパワー発揮ですが、さらに何やら問題があるような。

>昨日、1番大きなパックに
>びっしり――2パック分。
>40個買ってきた、かしわ餅――。

>まさか、
>まさか――

>全部、ミソあんだったなんて――

 ……小雨……(笑)。
 いやいやいや、笑ってる場合じゃありませんねこれ。小雨も恐怖に怯えてるように、霙姉さんがどれほど憤られることやら。あああ。想像するだにたまらん。憤る前に、がっくり地に伏せるかもしれませんが。
 もーあれですか、長男がよっしゃと再び柏餅を買いに出かける場面ですか。今度こそ普通のあんこで。ここしばらくしっかりしてきた小雨でしたが、最初の頃もお買い物で失敗してたことを思い出しますねー。あのときは氷柱や麗が率先してフォローしてくれてましたけど、今回はまず長男に相談してもらえたわけですから。やはり、喜んで一肌脱ぎたいところです。あと、昨日も真璃が「フェルゼンの係」と言ってたし。
2009年5月2日(土) 批評のべんきょう
 ぼくは自分の作品解釈のさいに「考察」という言葉を用いてきてますが、それは、「感想」というには手間をかけすぎている一方で「批評」というほどの方法論を持ってないから、という腰の引けた理由からでした。でも、そもそも「批評」って何なんだろか。そこがよく分からなかったので、イーグルトン『文学とは何か 現代批評理論への招待』を、訳者の大橋洋一による解説本『新文学入門』(どっちも岩波書店)とあわせて読み進めてます。
 現時点の理解としてはあれかな、ぼくの考察というのは、ニュー・クリティシズムの<精密な読解>から方法的な精密さを差し引いたものというか。……それってつまりただの読解では。文学が自然科学に負けない学問たりえようと頑張って方法論を作りつつあるその途上感もたまらんのですが、とりあえず以下のような自分の考察手法は、これとしっくりくる感触ありです。

 作品の内的統一性を、「作品内論理」という原則の連関として明らかにしようとする。
 制作者の意図や、(自分も含めた)視聴者の感情を、「作品外論理」として排除する。
 「萌えアニメ」という<烙印>や商業的制約を科されたシスプリを、兄妹の相互関係における人間的情愛や成長という視点によって人間ドラマとして再評価する。

 シスプリ考察はその当初から、否定的・冷笑的評価に対して真っ向勝負するという目的で書かれてます。その具体的な姿勢は、上に挙げたように、例えばデータベース論的解釈による見下しから、伝統的で保守的な価値観によって作品をまとまりある物語として救い出すというものです。
 ただし、このとき「そのへんの萌えアニメと一緒にするなこれはもっと業の深い作品だ」という叫びのほうが「萌えアニメ作品もじっくり観ればけっこう評価できるんじゃないの」という提言よりも、まさっていたというのが自らの実感。既存の価値観によって作品を解釈しつつ、その価値観(例えばきょうだい愛)を常識の範囲から踏み出させてしまうことができていたのなら、それはそれで批評的行為だったのではないかしら。考察を読み終えたときに、12人の妹がいるという状況を受け入れる気分になれたとしたら、これは大成功ですよ。

 大橋が指摘する「祈りの対象となるように文学を作り替えた」「文学のそのような救済力に対する絶望的な信仰に身をゆだねた」という文章は、ぼくの場合にそのまま当てはまりそうです。それは、第一次大戦後の英国で伝統の崩壊に直面した若者が統一性の最後の砦をシェイクスピア作品に求めたように、ぼくもまた現代日本においてその砦をシスプリに求めたということであり、さらにまたぼく自身の分裂した生の焦点をシスプリに見出したということ。シェイクスピアに英国民精神の典型を、そして人間の姿を見出そうとしたように、シスプリにアニメドラマの典型を、そして人間の姿を見出そうとした。その人間は、しかし古き良き「人間」像。受容される作品像についてはガラリと変えることに成功したとしても、依拠する価値観については決して批判的ではない。ここが優れた批評とは違うところ。
 そいえば以前、MK2さんにぼくのネギま考察を「素直」と評されたことがあったけど、それはつまり、作品に内在するイデオロギーなどの析出・批判・解体という作業に至ることなく、むしろ既存の規範に合致する物語として作品を肯定するという、ぼくの考察の特徴を指し示してたのだと思います。このとき、例えば「成長」や「家族」といった(考察でもお馴染みの)理念に賛同しなくても、「物語」への愛好さえあれば、考察で示された作品解釈を受け入れられることになります。こう考えてみると、作品の展開におおよそ沿って叙述されるぼくの考察形式というものは、「物語」の面を強く打ち出すことに役立っているのかな。そして、一方で具体的解釈によって提示される伝統的価値観が、その「物語」的叙述にくるまれることで、読者に拒否されがたくなっているとか。

 で、受容理論の箇所にあるように、そのために作品の空白部を「想定された作者」=「想定された読者」としてのぼく自身の欲求や価値観に基づいておもいっきり充溢させた、ということ。それはたしかに、「読者が読者自身としか出会わない閉鎖回路」をひたすら構築することでもあるでしょう。
 しかし、その作業は反面として、ぼく自身の回路がどのようなものであるのかを、考察テキストを通じてぼくに反省させることにもつながりました。もちろん、その自覚は決して深くはないでしょうし、またシスプリにせよハルヒやネギまにせよ、作品に潜在するジェンダー的暴力を(例えば「少女の成長」に注目せよと指摘しながらその成長の方向性を恋愛における少女らしさに局限することで)いっそう強化するように荷担してるのが、ぼくの考察であるとも言えそうです。でもまぁ、そのことにあらためて気づけたということでひとつ。そして猿元さんのとこを読み返したり。

 自分のはさておき、材料を切っているうちに包丁も磨かれた、というのが面白い批評な気がします。包丁を振り回して喜んでるだけの批評ってあるよね。というわけでお薦めの批評作品がありましたら、どうか教えて下さいませませ。
2009年5月3日(日) ゆめがいっぱい
 朝プリキュア、4人目の噂。4という数が微妙でいいですね、ジャッカー電撃隊を思い出します。するとやがてビッグワンまでも登場か。や、少女チームならウェディングピーチを想起すべきとこですが。セントサムシングフォーだっけ。
 さて、アカルンとやらに対応するのは誰かしら。そりゃもうイースに決まってる、と言いたいわけですが、今回も何気に追跡ラインの先に出現してたりして、気を揉ませてくれます。これでドーナツ屋のおやじが当たりだったら泣くしか。しかしイースもプリキュアになったら、変身後も血色いいままなんだろか。ぜひ今のクールビューティを続けていただきたい所存です。
 アカルンなので、管理国家の一員から共産主義に転向するとか。あまり変わってないような。
2009年5月4日(月) ふてね
 ああ、連休中はやはりべびプリ日記の更新がないのであった……。しかしそのことを忘れたいがために、ぼくも日記を滞らせるのであった(無関係)。

 伝統的な通過儀礼が困難になりつつある現代日本のため、妹に去勢される新たなシステムを提唱してみるの巻。具体的な方法としては、妹に(1)「キモい」となじられるか、(2)囓り取られる(次世代消滅)。

 シスプリは、兄−妹関係を軸に伝統的性役割を強化させながら、質・量の過剰さによってかえってそれを解体させた批評的作品だった、とか言えるのかしら。アニメ版第1作の前半は、その批評性を『トゥルーマンズショー』的舞台や眞深・山田によって明瞭に表現しようとしたため、逆に作品内在的な批評性を喪失してしまった、と。
 あんま面白くないなこの解釈。たぶん過剰さに過剰さで応えたいんだろな自分。それこそが批評的行為だと正当化する前に、好きな作品をしゃぶりつくしたいという貧乏人根性です。プラトンの『饗宴』によれば、愛の神はそんなガツガツした風体らしいじゃないですか。
2009年5月5日(火) おおきな……はおとうさん
 味噌あんの日ですね。今年もたくさんの鯉のぼりが空に舞ったのでしょうか。

 昔『がきデカ』で、端午の節句に鯉ではなくちんちんのぼりをあげてたエピソードを思い出しました。下品想像力の根源をたどると、だいたいあの頃の少年誌に辿り着きます。子供が幼いうちにできるだけ漫画を読ませるべきだと考える次第です。
2009年5月6日(水) なにもせず
 体調不良あんど精神疲労でだうん。長門考察を完成させる予定がおじゃんです。誰か代わりに書いてくれないかしら……。堕罪と救済をキーワードに、いつもの調子で解釈できるはずなのですが。
 『溜息』から『消滅』までまとめて扱おうとするからいけないのかな。文章量が多すぎて。2つに分けるべきか、それともばっさり減量すべきか。
2009年5月7日(木) いつだって少し前へ
 べびプリ綿雪(5/7)。
 ああ、おかえりユキ……。うんうん楽しかったよねこの連休。寝床に倒れつつ、みんなの行楽を想像してうふふあははと笑ってました(危篤)。
 しかし、宿泊旅行よりも日帰りでよかった、と喜ぶ綿雪ですが。連日おでかけというのも、けっこう大変な気がするのですよね。それに無事耐えきったというのは、綿雪自身の体力がほんとしっかりついてきたということだろうし、またそれだけ最近の気力も充実してるということ。長男が来てからずいぶんと良い方向に変わってくれた妹です。
 とか微笑んでたら、

>お兄ちゃん、だーい好き(はぁと)(はぁと)(はぁと)

 うきゃー。
 画面のこちらでのたうちまわるおっさん約1名。いや、自分に言われたと感じたからではなく。ここまで直球を投げ込むに至ったか、という驚愕でありました。氷柱がどんな顔してるやら。
 前にも書いたと思いますが、綿雪というのは、病気が治まって以前の快活な頃に戻れた鞠絵、というイメージなのです。鞠絵は子供の頃、野球のバットを兄に倣って振り回したがるような女の子でしたから。完治したとはとうてい言えないとしても、だいぶ具合が落ちついてきたときに、病弱な妹はどのような変化を示すのか。病気という否定的設定は、精神と肉体の間に高低の差を与えて、意志に応えてくれない肉体への焦りによって、つねに精神をずっと上の方へと引き上げてしまいます。それは将来の夢への想像力にも、いまに向き合う忍耐力にも、帰らざる過去を哀惜する絶望感にも、そのときどきに結びつきます。しかし、いずれにしても肉体の許容度を大きく越えたところを見すえていた病弱な妹が、いざ健康を取り戻してその許容度を上昇させたとき、彼女の肉体は欲求に追いついてバランスがとれるどころか、精神はその差を維持したまま、あるいはさらに加速を得て、はるかな高みへと駆け上ってしまうのではないか。最初の正月の凧揚げとは、そんな綿雪の共感しうる危うさを、如実に物語っていたわけです。
 ずっと元気でいてください。
2009年5月8日(金) その後の展開をまだ知る由もなく
 べびプリヒカル(5/8)。
 雨ですね。雨といえばヒカル。ぷろれす。
 と思いきや、今度は匂いときましたよ。匂い。臭い。においって何だろう?というのはこないだの『セイント・コーミィ』のテーマでしたので、ヒカルもぜひ視聴してください。

 さて、ヒカルのにおいですが。気にしてるみたいですね。ぼくも気になりますくんかくんか。これがぼくの5月病(年中無休)。正直な話、この女の子だらけの家の中って、女の子のにおいで充満してるんですよね。というか、長男の部屋だけ異臭。そこはくつろぎ別世界。春風さんならそのにおいできゅんきゅん飛翔してくれるでしょうけど、長男は毎日いたるところで様々な姉妹のにおいにくんくんさせられてるわけで。たまりません。
 そしてヒカルの通常攻撃が本日も。

>オマエさ、ちょっと――
>確かめてみてくれないか?

 味見はいいのでしょうか。
 というか、その後輩の女子はあむない。ヒカルを黄色い声で慕う第三者登場です、さぁ衛・鈴凛モードに突入でしょうか。わくわく。
2009年5月9日(土) ねほり
 批評行為について、なお勉強中。
 作品に内在しながら読者・鑑賞者にそれと意識されない(無自覚に共有されている)イデオロギーを、暴露すること。それがイーグルトンの求めている批評なのだとすれば、基準がマルクス主義であろうとフェミニズムであろうとそれらをも批判しうる何かであろうと、そのような批評の意義はたしかに理解できます。そこから、抑圧に対抗するすべ(あるいはフーコー的な権力への向き合い方)をも提起できるのであれば、なおさら。
 で、ぼくはというと、蔑称としての「萌え作品」や「ハーレムアニメ」というレッテルを貼り付けて思考停止するイデオロギーをひたすら批判するのみ。具体的には、東の動物化論のエピゴーネン(何でも萌え属性の堆積として解釈する)と、過去賛美主義者(何でも「昔のアニメはちゃんとしてた」でくさす)。正面から作品を観なさいよ、と反論してるわけだけど、しかしぼく自身にもその声は突き刺さってきます。
 というのも、ハーレムアニメの典型としばしば言われている『天地無用』を、ぼくは毛嫌いしているから。なんかもう観るに堪えなかった記憶があります。『うる星やつら』のグロテスクなカリカチュアというか、主人公に魅力がない『うしおととら』というか、そういう好きな作品を汚された的な反発が先立っていたのです。都合のよすぎるハーレムアニメ、大嫌いなのぼく。
 ああ、なのにシスプリは大好きなのぼく。
 可憐に一目惚れしたときも、「いかんいかんこんなあざとい企画につられては」と必死にブレーキかけてましたが。あのアニメを数話観たときに、これはぼく好みの人間ドラマかな、という感触を得たことで、これはハーレムアニメではないから可憐が好きでも堂々としていられる、という安堵感を抱けたんでしょうね。だけどあの作品への世評は非常に悪かったから、ならば自分で正当化せねば、と一念発起したという。一連の考察はすべて可憐への恋文であり、可憐の兄に相応しいだけの愛情を自分が有していることを証明しようとしましたが、それは裏返せば、自分の妹になるに相応しいだけの存在の厚みを可憐が有していることを、証明しようとすることでもあったのかしら。どんどんいやな感じになりますね。
 でも、そんな理由であんなに文章書けない。やはり推進力は、可憐が好きだということ。
2009年5月10日(日) 裏返ったなえーめんびーめん
 朝プリキュア、せつな話。おお、続いてる。本音を暴かれる恐怖、今回もまたえぐい攻撃ですサウラー。しかし、この町の住民は結果的に親密度を深めてしまうのだった。えー(笑)。まぬけ時空に引きずり込まれてる気分です。ぼくがこの町にいて羽が刺さったらと思うとほぼ失禁。
 でもミキとブッキーには効果抜群だったような。うわー。今後、二人が笑顔のときに内心で何を考えてるのか想像するという、素晴らしい楽しみ方が生まれました。たまらん。
 そんでラブの純粋さにはまったく無効という。ああ、さすがこのシリーズの主役を務めるだけのことはあります……。せつなにも羽が刺さるといいよ。
2009年5月11日(月) ちくわとかまぼこちょーらいな
 べびプリ青空(5/11)。
 ああああもう青空の担当日記はたまらーんっ。かわいい。かわいすぎる。らっちゃいらっちゃい。
 青空くださいな(不許可)。

 ええと、ごっこ遊びですね。テレビで見たのか、あるいは連休中ひおしがりに出かけたときや買い物のお供で見たのか。ともかく舌が回ってないのが最高。「いかかれすか?」とか。
 そして売り物の種類は適当。そりゃ1歳児の思いつきですからね、現実の知識よりむしろ概念連関で疾走。さかなといえば猫の好物、よって「ねこちゃんさかな」。魚介類のかたちや名前がついたもの、よって「たこやき」と「たいやき」。海の生き物、よって「らっこちゃん」。食べるのかそれ。それでもヨットなどが出てこないあたり、ちゃんと一線を引いてます。とどめは、

>あとは――
>あとは、
>あとは、

>そらさかな!

 くはーかわいいかわいい……。もう完全に思いつきでしかないのですけど、一番のお魚はそうでなくては。お兄ちゃん、てっかまきー。
 女体盛りとか考えた読者、すまき。
2009年5月12日(火) 自爆さん
 べびプリ(5/12)。
 あ、ヒカルのにおい話を引っ張ってきましたね。例の後輩もまだ未登場ですから今後が期待できます。
 しかし、のっけから「臭い物は−−/臭い」とど真ん中。さすが霙姉さん、自分の役割をきっちり担ってます。運動すれば体臭が強くなるのが「仕方のないこと」だし「くだらないことで悩む必要はない」。厳しい表現ですけど、むしろこう言われてヒカルもすっきりする、ことも多いのでしょうかね。逆に長男はたどたどしかったのかにゃ。気にならないよ、とごまかしたり、この臭いの方が好き、と暴走したり(それはない)。
 つか霙姉さん、この日記を綴る当初は、そんな長男とヒカルをからかう意図があって筆をとってませんか。粘膜接触だとかなんとか、吹雪のような刺激的表現を用いてみたりして。吹雪に教わってたりして。それはともかく、そんな霙姉さんらしい悪戯心をもって書き進めているうちに、

>ついに和菓子屋の店頭のかしわ餅も
>見かけなくなって――

>……

 おや、自分で地雷を踏んだような(笑)。
 そのあと、いい話としてまとめているようで、実際テンションが急落してますね。姉さんの味蕾が痛い、みそ餡すりこむ。
2009年5月13日(水) 若い胸の谷間よ
 べびプリ立夏(5/13)。
 さて、トラブルメーカーさんの出番です。立夏が騒動を起こすというより、この子経由で小雨や麗や夕凪に増幅されていく、という感じ。
 立夏が「ガールズラブ」も「意外と楽しくてスキ」と語るのは、友人に桐乃がいるのでまぁそういう知識や感覚もあるんかな、と。「意外と」というあたりが、以前の常識的な恋愛観を暗示していて面白いですが。
 そして、ヒカルの胸の谷間のにおいについて怒涛の解説。兄の指をくんくんしたこともあったっけね、などと言う余裕もすっとびます。甘いか。甘いのか。

 ぱふぱふ(懐かしい)。

 そんな動揺をさらに激しくする春風さんの登場。これは……嵐の予感が……。春風&ヒカルペアって今でも相当の親密度ですからね。ただし、長男がやってきてからは、春風からヒカルへの言及はきわめて少なくなっていました(最初の1年間のデータ)。今回の事件をきっかけに、これがどの程度揺り戻すのか。わくわく。もちろんヒカルの行動もどうなることやら。
2009年5月14日(木) 葵ちゃんでぱにっく
 べびプリ(5/14)。
 名前が出ましたね、「葵ちゃん」。現時点では否定的第三者です。きょうだいの関係に割り込んで、その関係を批判する立ち位置。
 シスプリの場合は、キャラコレの中で衛や鈴凛にこういう妹に好意的な(つまり兄に敵対的になりうる)少女が現れましたが、実際に兄に噛みついてる姿は描かれませでした。なぜなら、それは、作品世界に敵意や嫉妬心という影を持ち込むことになるから。そのような面を最大限排除して、妹達の純真さを淡く描き出すのが、シスプリ原作の少女小説的な方針でした。
 これに対して、べびプリではどうなるのやら。すでに桐乃という立夏の友人が長男を日記にてやや嘲弄したとき、ネット上でもこれに反発する声がいくつか確認できました。(『俺の妹が〜』を読むと、あの子のよさや日記でああ記した理由も分かってくるのではありますけれど。)今後、葵が長男に対して戦闘的な態度を示すならば、本作品はあえて負の感情面にも踏み込もうとすることになります。それはおそらく、姉妹の側からも反撃としてやはりきつい部分を露呈することにつながるでしょう。そういう試金石です、この事件は。

 さて、問題の大きさに困ったのは蛍。媒介者になっちゃったのね。ほわほわさんなので、まさかこんなことになるとは思わなかったわけですが、コスプレ趣味と百合感覚とは重なっていなかったのか。あるいは、知っていてもフィクションとしてのみ受容していたのか。「パンツの色」まで訊かれて、素直に「苺柄」とか答えてたのかしら。まあ、蛍が言うように、よくある先輩ファンだったんでしょうね。
 しかし意外にもイケイケな勢いのついた葵であった。体操着のフェロモン効果ばつぐんです。じゅん。思い出すのは、マリみての田沼さん。令とデートできたはいいものの、肝心の思い人はずっと由乃のことばかり話してたという……。「義理堅い」ヒカルがデートのおさそいに応えたとして、まさかその最中に長男のことばかり話してしまうとか、そういう恐ろ面白い展開になったりは……。
2009年5月15日(金) 郵便的不安
 べびプリあさひ(5/15)。
 はい、こういうときのあさひ様頼みです。食べれ。いや、手紙食べちゃだめです喉につかえます。
 ちゃんとあの歌を知ってるあたりもスーパー0歳児ですが、においで人を判別する能力までも成長させてるみたい。桐乃のもきっと覚えてるよね。でも食べてはならないということは分からない。あるいは分からないふり。
 でもそうか、おさそいのおてまみが届きましたか。……どうやって? ヒカルに直接渡すのは難しいとすれば、蛍経由なのか郵便受けに入れたのか。
 さて長男はどうするのやら。介入する正当な理由は何ひとつないのですけど。コヤマくんのときの記憶が鮮明に蘇ります。また集団監視なのか氷柱。今回はドッヂボールではすみません。
2009年5月16日(土) じつりき
 将棋棋士の瀬川四段がC2に昇級決定"。おめでとうございます。
 奨励会を退会して、その後アマチュア大会に参加して優勝を重ね、さらにアマ優勝者特別枠でのプロ棋戦出場時にも多くのプロを破りまくり、特例措置(当時)を願い出て審査試験に合格し、フリークラスのプロ棋士となって3年半。あの試験のときも社会的な注目を浴びましたが、このままフリークラス10年で終わってしまったらという不安を、ファンも、そしてもちろんご本人も、ずっと消せずにいたはずです。
 それが、このたび見事に昇級。「勝率0.657」って全棋士中でも相当に高い数字ですからね、しかも最近は強い若手を倒してます。試験のときは批判もあったけど、今回は誰もが納得できる内容でしょう。これからのさらなるご活躍をお祈りします。
2009年5月17日(日) ごろごろ
 朝プリキュア。大輔、素直になれずラブと喧嘩するの巻。いいぞーもっとやれー(非道)。二人きりの文化祭準備とか、少女を守るために身を呈するとか、敵と一緒に赤面してしまう展開でした。もうウエスターも仲間になっていいよ。
 しかし、初期シリーズの頃は敵幹部のキャラが曖昧でしたが、ブンビーやウエスター達はずいぶん進化しましたね。来年は敵も全員女の子か。それはプリキュア5の映画か。
2009年5月18日(月) ばいばいきん
 べびプリ吹雪(5/18)。
 冷静な書き出しから最後に厳しいツッコミへという流れがいつも美しい吹雪さんですが、今回はゲノムですか。それでは蛍謹製の虫スーツを。いま頭の中で、長男がパクマンなべびプリを高速妄想しております。象よりも猿が頻繁に登場。
 さて、話題の中心はウィルス。インフルエンザが怖いです。でも吹雪の関心は、なんというか存在論的? 何か別の目的のために存在するのではなく、存在すること自体を目的として存在する非生物、それがウィルス。「いる」のではなくて「ある」。宿主を云々と言いつつ「親近感を覚える」のは、家の中での自分の存在意義を省みてのことなのか。いいから膝の上におのんなさい(断熱シートを広げつつ)。
 そしてウィルス対策について。家内に持ち込まないウィルスとは、しかし例のヒカルの後輩も含まれるのかどうか。いやその前に、「肉体接触」とはまたどういうことか吹雪さん。相変わらずの単語選択です。
2009年5月19日(火) しあげはおねえちゃん
 べびプリさくら(5/19)。
 もちろん流行病対策に熱心なのは学校や幼稚園。さくらたちの通園先も、さっそく園児に分かるように指導してますね。でも、「はとて」という文字を読んだとき、「は」「と」「て」のそれぞれで始まる3つの言葉を思い悩んでしまいました。以前もそういうのあったよね。素直に歯磨きと手洗いなのね。
 で、この指導についてはそれとして。さくらが今回もちょっぴり成長の証を獲得できたというのが何より結構なことでございます。幼稚園の先生も、あえてさくらを指名したというのがまた。みんなの前で発言するのがすんごく怖いわけですが、そこでさくらは。

>きっといまお兄ちゃんが
>「さくら、がんばれ!」って
>言ってくれてるって思って――

 はい、これはもう花穂ですね(キャラコレ参照)。ただし大きな違いもあって。
 弱気で自信のない妹に、不在の兄が内面化して、こういうときに励ましてくれる。そして、自分には応援することしかできないという否定的自己認識をもとに、自分を励ましてくれる兄を自らも励まそうとする、という相互関係を構築していくのが花穂の特徴でした。
 これに対してさくらの場合は、そういう「応援」を固有の絆にする方向では進んでいません。なぜなら、応援しかできない、と自分の能力を局限する以前の段階であり、今回のように少しずつできることが増えていくことの喜びを味わってきているからです。「ユウキの子になれた」という言葉はとても嬉しそう。
 教わったこと、身についたことを、「だから」兄に教えてあげる、してあげるというのが、今のさくらの行動原理。兄のおかげで頑張れたから、その成果を兄に「お礼」としてお返しする。今日ははみがきしてあげる。「ぎゅっぎゅっぎゅー」というのが力入れすぎそうでちょっぴり不安ですけど。
 兄のために頑張る、というこれまた花穂的な発想もたとえ思いつくにせよまだまだ先のことでしょうかね。そしてどちらの兄も、もちろん妹を見捨てません。
2009年5月20日(水) 無防備女子宣言
 べびプリヒカル(5/20)。
 さあ、ここしばらくのヒロインの登場です。ヒロインというか王子様というか。
 すでに「私をクサイって言った」という誤解をもとにあれこれ想像してますけど、このまますれ違いによる悲喜劇が出来するんでしょうか。とか考えてる暇もなく、

>――あ。

>それともこれって、もしかしてオマエ宛の――

>……

>そうだったら……どうしよう!

 いやぁ、どうしようって言われても。それはない(笑)。なんだこの浮き足立ちっぷりは。そんなに長男宛てである可能性が心配か。えーでもどうしてそう考えるかなぁ。自分宛てのはずはない、恋文としたら男宛てにほかならない、ゆえに長男。という思考経路でしょうか。
 どうしようもこうしようも、仮に長男狙いであったとしても、それは長男自身が判断すべきことでして。たんに手紙がべちゃべちゃになってしまったことへの動揺とは思えないヒカルの態度に、長男としてもどうしよう。
 そして、「なんであさひが持ってたのか」はたしかに謎。例の子が直接渡したのではなく、郵便受けに入れた? 蛍に頼んで渡してたのをあさひが目ざとく発見した? そうやって家の中に持ち込まれた手紙が床に落ちていたとすれば、それは姉妹の誰かが捨てようとしていたのでは……などと妄想炸裂。いや、だったら痕跡すら残さないよね。
2009年5月21日(木) ムシ無視Q
 べびプリ海晴(5/21)。
 独身社会人長女、満を持して出陣。いやお姉ちゃんも若いのは知ってますはい。はい。
 その長女が語るヒカル像。おお、おおお……。これはまた……。

>単純(はぁと)

 ええ、肉食系長女ですね。

>小さなコバエの1匹や2匹――

 うは、怖ぇー(笑)。目の輝きがまるで笑ってないようなふいんき。
 本誌連載08年11月号で、年長の姉達が妹達へのクリスマスプレゼントを買いに出かけたときの霧賀先生絵を思い出します。あそこで、海晴はヒカルの腕に手をかけて嬉しそうにしてました。長男が来るまでの間ずっとこの四女は家の男の子役であり、頼りにもされまた可愛がられてもいました。とくに春風は依存的関係を示してましたが、海晴の場合には、長女とパートナーシップを組む長男役としても、ヒカルを位置づけてきてたんじゃないかしら。ただしそこには、やはり海晴らしく、妹に女の子らしさを求める姿勢もあったわけで。長男が家に来てからは安心してヒカルをお役御免にできたわけで、何のためらいもなく女の子としての成長を期待してたはず。
 けどねぇ、その相手が女の子では。と考えるのも分かります、ええ。しかしまた、たとえ今回の当事者が男子であったとしても、やはり「コバエ」呼ばわりされそうな気が……。家内にあまねく長女の嫉妬心。うちの子は誰にもやらん。みたいな。いいからお姉ちゃんも彼氏こしらえなよ。本当にウィルス対策みたいな様相ですねこれ。
 というわけで、蛍とともに尾行を依頼されました。つか、これは命令ですね。センパーファイ。星花のときを思い出すなぁ、今回も他に数名参加しそうです。
2009年5月22日(金) 奇襲直後
 べびプリヒカル(5/22)。
 というわけで、葵ちゃんとの初デート?だったはずですが、どうなったのか。なんか大変なことになったのか。

>あんな――
>あんな、キスのことなんか――

 うわああああああ(錯乱)。

 いかん。つぶあん載せたトーストの切れ端を喉につっかえさせそう。
 葵ちゃん、海晴姉さんのヒットマンから逃げてー。いや春風さんからも逃げて。つか、本当にそないなことになったんでげすか。ええええ。じつは相手が長男、とかいう怒濤のラブコメ展開だったりしないよね。あと、「初めて」のキスはきっと幼少期に春風相手にすませてたはず。
2009年5月23日(土) 政見妄想
 現在わが国におきまして、いわゆる児童ポルノ禁止の範囲を漫画・アニメ等にまで拡大すべしという議論が見受けられます。がしかし、現実に生起しております児童への性暴力事件を調査してみますと、そのような流通物からの影響に危機意識をもつよりも、むしろ家庭内における性暴力を問題とすべきであることが分かるのです。つまり、実親からの暴力や、親の再婚者からの暴力などこそが、実態としてきわめて憂慮すべき状況にあるのです。
 このような状況を鑑みるに、親の都合に振り回されてしまう児童の立場を改善できないことには、問題の幾分なりとも解決しえないことは明らかであります。そこでここで提案しますのは、児童が親権を有する大人から必要に応じて自衛手段を講じることのできる方策です。
 ただし、児童が大人に対して十分に独立した主体として権利を行使できると考えることは現実的ではありませんから、ここでは具体策として、適切な庇護者を児童が指名して契約関係を結べるようにしてはどうかと考えるものであります。すなわち、社会的に有資格者とされる成人が児童とけっこんすることこそ、今後の……あ痛いいたい物を投げないで
2009年5月24日(日) だっこして
 朝プリキュア。自分だけに出現しないピックルンを求めて、シフォンのお世話をしようとするミキ。でもそれって、子供を別の目的のために手段とすることなので、シフォンの受け入れるところとなりません。しかも、子育ての情報を熱心に集めてそれに従うほどに、現実の厳しさをつきつけられて、かえって赤ん坊との折り合いを悪くするという。まさに近年問題の母子関係そのままです。
 最終的には、シフォンのために、という原点に立ち返ることで解決するわけですが。この展開は、どれみとドドの最初の頃(ドドが家出した話とか)や、航と雛子のくまさん探しなどと共通ですね。好き。
2009年5月25日(月) ちゅーちゅーとらっぷ
 べびプリ虹子(5/25)。
 っていきなり過激な……(笑)。先週のキス騒動の顛末が不明なまま、こういう無自覚な煽りで襲いかかる幼児の罠。まんまとひっかかる読者と長男とヒカル。うぎゃー。まぁ、コスプレの具合によっては、千葉県の某所から別の騒動が惹き起こされるかもしれませんが……。キミノトモダチダヨ(甲高い声で)。
 ええ、このネズミさんコスプレは蛍の手製なんですよね。一緒に遊んでるのが立夏&夕凪という、今回の一件をどこまで知っててやってるのか謎な、しかしいつも通りとも言える「マホウのプリプリ軍団」(本誌連載参照)ですが。事件の発端を握り動揺していた蛍が、虹子たちのこの遊びを「とってもかわいい」と平気で支援してるわけなので、これはそんなに心配する必要もないのかな。とはいえ「大物」と評判の蛍のことですし、とか思ってたら、春風とヒカルの前で歌ってはいけないという指示の意味は……。ええと、春風さん?
2009年5月26日(火) おおあらし
 べびプリ春風(5/26)。
 うはぁ、そっちでしたか……。目の前で葵にヒカルの唇を奪われて激昂したまんまとも想像してたのですが、そうかそれなら蛍がもっと深刻になってたか。
 いや、これはこれで深刻というか。蛍が春風の前でも歌っちゃめーと釘をさしていたのは、この上昇気流がさらに暴走しないようにという心遣いだたみたい。もう手遅れですね。自然災害だから避けようがないよね。
 蛍の台詞からも、もうどうしていいやら、という気持ちがありあり伝わってきますが、同時に、こうなったらしょうがないよね、と堂々受け入れてるふうでもあり。さすが大物。ヒカルはずんどこに落ち込んでるわけですので、この3人を並べるとほんと面白いなぁ。

 さて、以前に麗vs海晴の喧嘩のとき、ぼくは長男が長男として独特の行動に出るチャンスと主張しまして、しかし実際にはヒカルのフォローが長男に先んじました。今回は、ヒカルの窮地に長男がどう割って入るのかと想像したものの、春風が咄嗟に動いて解決(?)してしまったという。
 これらは、長男との関係以前にずっと編まれていた姉妹関係を、長男にはっきり示すものであるわけで。つまり、長男の遅れてきた存在・遅れ続ける存在という自意識を、反復強化される機会です。そもそも男の子は女の子から必ず遅れている、というのが例えば少年漫画の基本であるとして、本作品もたんに長男が後から参入したというだけでなく、こうしてあっけにとられる事件の積み重ねによよって、その感をたえず確認させられるのでした。

 しかし、ヒカルの衝撃と、春風のヒカル像とのずれがまた面白いですね。観測者としての長男=読者。そして長男が観測者ではなく当事者、つまりヒカルの相手となってしまったときに、春風はいったいどんな反応を示すんでしょうかね。とりあえず「コバエ」は退治されたとして、ヒカルの「長男が手紙の宛先だったらどうしよう」と焦ったその感情は、解決されないまま沈潜するのでありました。
2009年5月27日(水) カメレオンのおもちゃは不要
 べびプリ綿雪(5/27)。
 あ、落ち着く……。ここんとこ、ずっとキス騒動であわただしかったので、綿雪の文章にはいつも以上に安堵させられます。
 やあ、来週土曜日に授業参観ですか。1年生になってから体もかなり丈夫になり、運動会も参加してた(トゥルー時空)綿雪なので、この行事もそりゃ全力で挑むところです。他の小学姉たちも同様でしょうけれど、とりわけこの子は。
 で、自分が頑張ってる姿も兄に見てほしい、というだけじゃなくて、なんと友達に自慢の兄を見せたいという。おお。おおお。氷柱、今回は我慢しておくれ。

 いや待て、普通はこういうのは母親が行くものですよね。あれかー、お母様方が居並ぶ中に、高校生男子がぽつねんと混じるわけか。うは、そっちに参観者の視線が集中しかねない。さらに参観後にPTAの集いとかありそうだけど……あ、母親に加えて長男も参観するということかな。それならば。
 綿雪もこういう我儘をするようになってきてるというのが長男にとって幸せなことですので、ここは一つ素直に聞き入れまして。制服かそれともスーツ姿か、綿雪が誇らしく思えるように長男も準備に気合を入れましょう。
 ……しかし、ラストの2行にちょっと不安がよぎります。このごろ雨空でやや気温も低めですから、また体調がやや思わしくない日が続いてたのかな。小雨のせいじゃないからね。どんなときだって綿雪も「自慢の妹」の一人なのですが、いまはこの子の気合いを削がないように、参観日を楽しみに待つことにしましょう。
2009年5月28日(木) てるてるさん
 べびプリ夕凪(5/28)。
 おや、3年生は遠足ですか。天気がここんとこすぐれないからね、夕凪のユウウツも分かります。
 せっかく期待してるその楽しみといえば、要するにおやつ。300円ですか。バナナは? ねえバナナは? 「ハツコイの味」というのは立夏直伝か。「お菓子屋さんで死ぬほど悩んだ」というのに、その姿が想像できて笑ってしまいましたごめん。
 そして無茶なお願いを長女にしてみる気まんまんの夕凪。えー、さすがに天気予報を左右するのは無理では……。苦情が来ますがな。レモンチョコにつられる可能性もないわけではないですが……いやいや。あんこならやってくれそうな人は担当者ではなし。
 でも夕凪のみならず長男も一緒にお願いにいくのであれば、お礼と引き換えにやってくれるかも。……いやいやいや。そこまで仕事に持ち込むとはちょっと考え難い。

 ところで、立夏が卒業したらたちまち行事の晴れが確定しなくなった、というのがなるほどですね。こっちは素直に納得してしまう罠。そういえば、いまの小学6年生は……小雨……。雨雲の蓋が開いたという感じなのでしょうか。いや、小雨のせいじゃないからね(しつこい)。
2009年5月29日(金) 明日もはなまる
 べびプリ氷柱(5/29)。
 はい、雨ですね。ごめんなさい(何が)。夕凪、残念だったなぁ。
 氷柱も雨女疑惑があるのか。ぼくはわりと雨男です。局地的な土砂降りを伴うこともあります。氷柱はむしろ雷雨かな。登場するなりサンダーブレーク。瀕死のマジンガーZに見事命中(とどめ)。
 そして小雨に痛烈な攻撃。地味です。ええ地味ですとも。来週、小雨の反撃があったらいいなあ。つか、自分で「かわいくて華のある子」と言ってしまうあたりがうざかわいい。可愛いかわいいと繰り返してキレさせたい。
 さらに夕凪を「無法者」呼ばわり。……いや、これは正しいですね。氷柱もときどきテキトーなことやってますけど、夕凪は揺るぎなく無法者です。でも非道じゃないからね、この姉妹は誰にせよ。そこが安心です。普通か。

 しかし、なんといっても驚きなのが……。

>夕凪に頼まれたからって、天気予報の本番で
>明日は晴れ〜!って腰をくねくねさせながら
>マホウ踊りしちゃって――

 やったのか(愕然)。
 そりゃ「電話殺到」もするでしょうよ。うわー、ようつべあたりで流れるわー。つか、「電話殺到」って、海晴姉さん本人が笑って話したのか、それともちょっとしたニュースになったのか。大丈夫ですか姉さん。ぼくも電話したかった。「もっとやってください」って。もはや予報の的中率は眼中になし。年柄年中晴れハレ。夕凪も姉とおやつに満足で、いつも通りのお天気でした。

 さて、さしもの氷柱も「地味にすごそ」とのことですが。こういう雨模様のときに鬱屈するといえば、ヒカルです。しかしヒカルの場合、この週末は天気のみならずこないだの一件がまだ響いてないでしょうかね。なんかこう、どんより。その分、横で春風さんがカラッとフェーン現象なので、ちょうどよい塩梅かもしれませんけど。
2009年5月30日(土) ぐらちーがやった
 こないだ、栗本薫逝去の報。もう、ねー。
 この人の作品で読んだことあるのは、『グイン・サーガ』と『レダ』だけ。でも、その2作品だけで、巻数でいうとたぶんぼくの読んだ作家の中で一番多い。

 ぼくが『グイン・サーガ』を知ったのは、『ファンロード』の特集でした。休刊してしまいましたが、栗本薫や新井素子を教えてくれた恩ある雑誌。で、ある変人の叔父が本屋にぼくを連れて行き、好きな本をどれでも買ってくれると言うので選んだ中に、外伝(当時の既刊4冊)があったわけです。生まれて初めて読んだヒロイックファンタジーでもありました。
 その1冊目である『七人の魔道士』を読んだときの記憶が、まだ残ってます。なんか大げさな表現を使う人だな、とか感じてた。表紙のおっぱい絵が恥ずかしくて嬉しかった。だけど気がつくと、それぞれの場面を読みながら、その光景を頭の中で全力想像してる自分がいました。まじない小路。空いっぱいの顔面。そして何より、豹頭の戦士。
 2冊目以降をそのまま読み継いで、グインとイシュトヴァーンとマリウスの三人組が冥い世界を旅する姿に心躍らせて。そのまま本編にも手を出して、毎月の小遣いが入るなりすぐに3、4冊づつ買い求めて。通学中にページを繰って、あっという間に刊行に追いついた中学生の頃。
 パロ奪還のあとしばらく、登場人物の独白が長くなって話が進まなくなったと感じて、それでも新刊が出れば買い求めて。トーラスのオロのエピソードがちゃんと着地したとき感動し、ああ今まで読んできてよかったこれからもずっと読むと心に誓って。ずっと気になってたフロリーが再登場したときは声をあげ、同じく気になってたアストリアスが再登場したときにはややずっこけ、アルド・ナリスがみまかったときには本を伏せて瞑黙し、ふと魔がさしてアンダヌスの表紙を確認し。

 ああ、なんと多くのものがぼくの中に息づいていることか。アーイ姫さま。アルフェットゥ。ノスフェラスの砂漠から、パロの宮廷まで、おびただしい人々、様々な存在の声と音。ヴァシャ果。カラム水。揚げた魚と香草をはさんだガディ粉のパン。あの世界の食べ物を、どれほど思い描いて味わおうとしたことか。地名、時間と距離の単位、神々の名。赤い街道を辿り、ウィレン山脈を越え、ケス河を渡り、どこまでも行ける限りない、しかしグインの戻る場所まではまだ見つからない世界。
 RPGを始めたとき、そのエピソードを綴り始めたとき、ぼくは『グイン・サーガ』の真似をした。スカールの話なんてほとんどそのまま模倣した。あれからぼくは数々のファンタジーを読んだ。エルリック、アズュラーン、ザンス、ベルガリアード、でも日本の作家が書いたファンタジーは、『グイン・サーガ』のほかには『扉を開けて』など新井素子のものしかほとんど知らない。ロードスなどは、当時のぼくには読む必要がまったくなかった。世界のすべてを表現するファンタジー作品として、『グイン・サーガ』は唯一無二のものだった。もちろん、やがてクトゥルー神話的な要素も含まれていることが分かったが、その時点になるともうどうでもよかった。
 英雄といえばグイン。吟遊詩人といえばマリウス。王女はリンダ。船長はカメロン。神はヤーン。

 別れる場面を、どれだけたくさん覚えていることだろう。
 粉を練る時、ミルクをたくさん混ぜるんだよ。

 ああ、グインはスーティを忘れたままだ。これから出るはずの残り2巻ほどで、どこまで話は進むのか。
 グインの記憶が修正されたときヨナが語った台詞を、読んだぼくはまるで作者の遺言のように感じたものだった。見えざる何者かの意志によって操られるとしても、その束縛をふりほどいてグインは自由を奪い返すだろう。自由と運命。ヤーンの定めるままに、しかし人は自らの道を求めてあがく。そんな人々の希望をグインは担っていたとすれば、もはや完結しないこの物語は、ぼくたちに想像の自由と、取り返しのつかない運命とを与えた。

 パイ皮で包んだシチューを食べることがあったら、ぼくはそのたびにトーラスにいることだろう。そして、「グインの中から美青年が出てきてショックを受けたナリスが『おやじ涅槃で待つ』と書き残して自殺」という、昔のあとがきにあった読者投稿のネタを、何度でも思い返して苦笑することだろう。
2009年5月31日(日) フリーダム表現
 えろげ自主規制のニュースを読んで考えたこと。

 作品タイトル:『弾圧のちNPO』(だんあつのちえぬぴーおー・だんあつのちんぽ)

 ストーリー:
  弱者の人権を、とくに性暴力から守るために日々邁進する市民団体。
  だが、その活動を支えるスタッフの中に、一人の異常性欲者が潜んでいた。
    相談に訪れた少女、若き女性活動家、相談員未亡人、
    新人風俗嬢、エロゲー美人絵師、零落資産家の一人娘、
    嗜虐趣味の婦人警官、二代目女性政治家、不法滞在母子、純潔教育家の教え子、
    市民裁判員、痴漢被害者、外国NPOリーダー、そしてやんごとなきお方まで、
  奴の魔の手は犠牲者をどこまでも追いかけてゆく。
  彼女達に、本当の救いは訪れるのか……?

 ゲームの流れ:
  最初のプレイでは、異常性欲者が主人公です。
  プレイヤーは、連続する悪事とその手口を、犯罪者の視点で学んでいきます。
  偽善者の皮を被って他人を騙しつつ、どこまで己の欲望を満たせるでしょうか。
  2回目からは、この異常性欲者のほかに、別のスタッフを主人公として選べます。
  彼は正義漢であり、同じ組織に潜伏する異常性欲者の犯罪を暴いていきます。
  プレイヤーは犯罪者視点ルートで学んだ情報を活かして、被害を未然に防げるはず。
  さあ、あなたは全ての女性達を守ることができるでしょうか?
  そして、この作品を通して学んだ知識と知恵でがあれば
  現実の悪と闘うことだってできるはず。
  そんな人権擁護の促進を希求する我ら製作スタッフが、全力でお届けします。

 親切設計:
  ヘア・断面図・白目・妊娠・ふたなりの有無を、スタート画面で選択できます。
  行き詰まったときのために、ルート一覧チャートをご用意。
  さらに、行政・NPOなど各種相談窓口へのリンクまで完備しました。
  (注意! それらの窓口へ、攻略情報などを質問しないようにしてください。)

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