日記
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2009年1月1日(木) としのはじめの
 あけました。今年もよろしくお願いいたします。

 というわけで初べびプリ。氷柱と立夏についての想像。
 氷柱は、知能も責任感も妹を叱れる性格も備えている優秀な姉である。春風・ヒカル・蛍が幼かった頃に相部屋だったことを考えれば、氷柱が立夏・小雨と相部屋になり、そのリーダーを務めていてもおかしくなかった。というより、とくに立夏の妹的な性格を見ると、幼児期にはそういう役割分担がなされていたのではないか。
 しかし氷柱は、何らかの理由により、綿雪の専属姉になることを希望した。綿雪が病床に伏した時期を2-3歳と想定すると、氷柱は9-10歳。ちょうど女の子が思春期への入り口を迎え、精神的にも自分より下の者と今までどおりには付き合いにくくなる頃である。また、十二女の吹雪の誕生によって六女の氷柱は姉妹の中で真ん中よりも上、つまりはっきり姉の立場に身を置くことになった。吹雪はおそらく未熟児として生まれたため、氷柱にできることはほとんどなかったが、母や長姉達が吹雪の世話をするその様子をずっと間近で見ていた氷柱は、綿雪のために何か自分ができることを、と求め始めた。幸いというか、綿雪は吹雪のように手を触れることも難しいというわけではない。また、姉達が家族生活の中で役割分担をしているのを認識しつつ、氷柱は自分ならどんな役割を担えるかを考えたはずだ。全体に貢献できなければ姉ではない。しかし、家事や基本的リーダーシップなどはすでに姉達が分担している。そこで氷柱が選んだのは、妹達への叱り役もそのまま担いながら、新たに特定の妹の世話係となることだった。もちろん、そこに綿雪への素直な愛情があることは言うまでもない。
 さて、氷柱はこうして自分が選んだ責務のために邁進することとなったのだが、問題は、このすぐ上の姉と相当仲が良かったのにこのたび距離をおかれることになった、立夏の心境である。もともと外向的な性格だから、そうそう寂しがることはなかったかもしれないが、しかし頼れる氷柱が今までどおりかまってくれないことに不満を抱いてもおかしくはない。その表現が、氷柱と同じ髪型である。氷柱の側は真似されることをしばらく嫌がったとしても、立夏がしつこく真似するため、また霙あたりが氷柱に言い含めたために、黙って認めることにした。こうして立夏は、自分と距離が開いた姉とのつながりを再び強く確信するために、同じツインテールを編んでいるのである。
 そんな立夏は今に至るまで姉に頼っているため、妹気分が抜けず、部屋のリーダーも姉達が願うほどには務まっていない。小雨もまた、氷柱・立夏と相部屋ならば両者の間で緩衝となりつつ最年少の立場で姉達に倣っていけたはずだが、今は頼れない姉の立夏と、自分よりずっとすごい麗との間で困り続けてきたのである。
2009年1月2日(金) 輝く瞳
 昨日の続き、氷柱とヒカルと霙についての想像。
 氷柱は綿雪の世話係として頑張ることに決めたわけだが、しかしその意志を母や姉達がすんなり受け入れたのだろうか。たとえ周囲から支援するとしても、まだ小学中学年程度の氷柱では、本人の勉強や生活に差しさわりが大きすぎると心配して当然である。ここで当時のヒカルが氷柱に真正面から無理だと言ったと仮定しよう。すでに男の子役を任されていたヒカルはこういうときにあえて厳しいことも言える立場にあり、また2つ違いで小学高学年という年齢もあってのことである。だが、ヒカルの正論を、同じ父性的役割で年長者の霙が却下した。氷柱の本気度を再確認したうえで、その意志を認めてやったのである。
 霙の後押しによって綿雪の面倒を見ることができるようになった氷柱は、姉との約束を守るためにも勉学にいっそう励むことになった。一方ヒカルは、氷柱の努力を目の当たりにして、妹の責任感と霙の思慮深さを見直すことになり、それ自体はヒカル本人にも素直に受け入れられるものではあった。
 しかし、霙が氷柱と一緒になってオヤツ食い逃げなどしていることには、納得がいかなかった。これは、霙としては言い訳がたつ行為である。つまり、能力も意欲も高いとはいえさすがに年齢相応に遊びたくもあり、ストレスもたまるであろう氷柱のガス抜きをしてやるために、わざと一緒になってちょっとした悪戯をして、一緒になって叱られてやるという姉らしい配慮をしていたのである。もっとも、そこに妹を言い訳にした霙自身の遊び心の充足も混じっていたから、純粋に立派というわけではない。ともかくも、ヒカルから見た霙の姿は、氷柱をどの方向へ指導したいのかさっぱり分からない矛盾した態度の持ち主と映ったのである。これが、どら焼き事件以前までヒカルが霙に抱いていた苦手意識・つかめなさについて、一つ想定しうる背景である。
2009年1月3日(土) 属性の呪縛
 というわけで、昨日は上司に紹介された女性の方とお会いしてきました。なんでこんなひとが独身なんだろ、少なくとも鍵作品に出てきそうなタイプではないような。と思いながらお話してると、

「私も、けっこう面倒くさがり屋なんですよ」

 ……もしかして。

「後でするのが面倒なので、先にどんどん片付けてしまうとか?」
「はい、そうなんです」

 やはり、めどいさんでした。
2009年1月4日(日) 東京特許とかれふ
 『よやのメモ帳』さん(12/30)、『タドゥーの部屋』さん(1/3)、べびプリデータ分析の紹介ありがとうございます。

 なんか年末からずっと妙な引っかかりが消えないのですが、これたぶん羽生名人が渡辺竜王に負けたという事実を納得できていないため。ぼくにとってそれだけ凄い同世代ヒーローなんじゃよー。一つの趣味の世界からこんなに影響を受けてしまうのだから、それこそ戦争に負けたときの衝撃というのはもう大変なものなのでしょう。

らむだ「もうね、2chの将棋板さえ見なくなりましたよ」
美 森「どっちみちそんなもん見ないで仕事しろ」

 正論すぎてどうにも。
2009年1月5日(月) まとめべびプリ
 年始めのべびプリ立夏(1/1)。元旦更新とは……またもや……くくく。
 めでたい日にぴったりのこの妹、さっそく顔面チョップからの切り出しです。こういうのって、1年ちょっと前までは氷柱やヒカルが被害担任だったんでしょうか。当然反撃あり。倍返し。
 さて、クリスマスこのかた食べ過ぎの立夏様ですが、雑煮に餅5個とはその健啖ぶりに感嘆するほかありません。野生児は食べられるときに食べておくのです。さくらは2個食べられるようになったのかなあ。
 とか書いてたら、やはり氷柱が昨年のチョップの犠牲者だったのですか。そして御利益が切手シート3枚という微妙なさじ加減。今年もまずは大過なく、小吉くらいがいいですかね。
 で、「リカは今年こそは――/オニーチャンと/初キッスめざしてがんばりまぁーっす!」とのことですが、立夏はこう見えて意外とオクテではないかしら。常日頃、兄を挑発してるようですけど、友人とのコイバナに声を弾ませつつも、いざ自分がその番になるとものすごく困惑したりして。星花騒動の倍返しで。
 それは想像にすぎないとして、「オニーチャンのクチビルをかけて」の双六対決の呼びかけに、はせ参じたのが霧賀さん絵のこの面子なんでしょうか。春風さんはいいとして、氷柱と吹雪は果たして。

 続いて海晴&霙(1/2)。
 あー落ちつくこの二人。霙姉さんの方が年上に見えてしまうのが、らしいというか。海晴姉さんの色合いが、赤橙緑とトリプルファイター状態でいいですね(意味不明)。よい結果だったおみくじにきゃいきゃい言いながら、その光景を微笑ましく眺めていた弟に気づいて、左手で二人の間の席をぽんぽん叩いてほらここに座りなさいなと長女の命令。こいつは春から縁起がいいわい。そこを写真に撮られて真ん中なので寿命が縮む。

 小雨&麗(1/3)。
 貝合わせですね。この貝殻、5月の連休で海に遊びに行ったとき、麗達が拾い集めていたものでしょうか(本誌参照)。だとすると、兄と一緒の最初の海を思い出しつつ楽しんでるのかもしれません。真剣に考えている麗も可愛いですが、小雨の袖を枕にミミちゃんがお座りしてるのがまた。あと、小雨の髪の毛のほつれを見ていて、海晴姉さんと髪質も近いのかな、とか。この二人の組み合わせはかなり好きです。

 ヒカル&青空(1/4)。
 じつは、このコンビも相当好き。本誌連載でも、二人が布団の上でプロレスごっこしてる絵がありましたね。青空のはっちゃけをそのまま受け止められる年少姉っていませんし、立夏だと一緒にはしゃぎすぎそうなので、このヒカルが面倒見もよくてぴったりなのかも。さすがに青空は完全防寒ですが、ヒカルも太股はストッキングはいてるんでしょうか。それで走れるのかな。凧揚げといえば綿雪ですので、たぶん長男はヒカルの向こうで別の凧を揚げている模様。
2009年1月6日(火) つづき
 さくら&虹子&あさひ(1/5)。
 スーパー乳幼児タイムです。拙者にお任せあれ(却下)。虹子のあんよでぺちぺちされるフレディの背中に生まれ変わりたいとかはともかく、このピンクの子象も3匹のオコジョやキュウビと同様、実在するということなんでしょうか。でも冬だよ。カエルもちゃんと地中に潜んなさいよ。実際に動物と一緒に暮らしてると掃除なども大変ですが、そこは全員の力でなんとかしてるのか、それともキュウビあたりが音頭をとって動物達自ら始末をしてるのか。とりあえず夜中にミミちゃんが動いてる説。

 春風、蛍、氷柱&立夏(1/6)。
 羽根突きといえば墨塗り。台所ペアが横結びペアに破れたようですが、それはあれだ、運動神経というより胸が邪以下略。勝ち誇る立夏の横で勝利の笑みをたたえる氷柱ですけど、たぶん昔は必殺技の名前とかつけてたタイプ。しかし仲良いねこの二人も。息ぴったりなのでしょう。一方の年長組は、春風さんのおでこが(笑)。直後に弟にふきふきしてもらい、間近に感じる吐息にきゅん。ただし、長男の顔がすでに真っ黒でなければですが。
2009年1月7日(水) こしとしりがいたい
 べびプリ公式サイトから発信された姉妹年賀状が全員分届いているはずでした。しかしメールボックスを見ると半分にも満たない数。あれ……? 申請できてなかた……?
 念のため確認すると、以下の姉妹からの年賀状が迷惑メールとして弾かれてました。

   海晴、春風、ヒカル、蛍、立夏、夕凪、綿雪、真璃、観月、さくら、虹子

 なぜだ。何がひっかかったというのか。たんに不運というのか。小雨はちゃんと通ったのに(酷い言い草)。霙姉さんがむこうでニヤリ。


 んで、べびプリ綿雪・真璃・観月(1/7)。
 あ、いかん。この絵すんごく嬉しい。真璃と観月がわりと仲良いことは、本誌連載などでも明らかとなっておりますが、綿雪はあまりこのすぐ下の妹達とどんな関わりをもってるか描かれてこなかったのです。こないだのデータでも、綿雪から二人への言及はそれぞれ2回と1回、二人から綿雪への言及はどちらも0回なのです。
 日記上ではとくに幼い妹達は自己言及的ということもありますけど、今まで綿雪が病気がちだったから、吹雪に対するのと同様に気遣って距離をおいてたのではないかしら。それが、綿雪が元気になってきたこの頃では、こうして一緒にケーキを作るようになったという。ああ、しあわせ、しあわせ。
 もっとも、この3人でケーキを作れるというあたりがすでに恐るべきこと。さすがに生地こしらえて焼くとこまでは年長者の世話になったのかと思いますが。そしてクリームとトッピングで仕上げ中と。さくらの誕生日はついこないだでしたから、そのときの光景ですね。今日はこのケーキを食べたそうな先輩妹の誕生日。
2009年1月8日(木) 年頭発射
 べびプリ小雨(1/8)。
 さて、冒頭文末に!マークを用いるのは、小雨は今回が初めてです。しかも体言止め。なんか勢いが違うと思ったのはそういうことで、日記内容を読む前から、ああこの子はずいぶん変わってきたな、としみじみ。
 そして2文目も!マーク入り。お、おお。そいえば小学校最後の学期ですね。もうすぐ卒業だから、思いもひとしお。
 そこで「後悔して泣かない」という今年の目標。これ、春風さんあたりが掲げてたら微妙なのですが、小雨がこんなことを言うようになったとは……と再びじーんときてたら、なんと立夏と麗が「真剣な顔で」二人して決めてくれたという。
 ああ。もう。
 吹雪の「バミューダ・トライアングル」という喩えのとおり、この三人組はなんともがちゃがちゃしたトリオなのですけど、それはそれでお互いに支えあうところがあります。ただ、立夏と麗は自分の好きなことを優先するタイプだから、小雨はこの姉と妹にはさまれて振り回されることも多かったと思うのですね。
 今回も、立夏達はある意味でおせっかいをしてくれてます。それはとても嬉しいことで、小雨の秘められたよさを何とか発揮してほしいという思いやりの表れだとしても、しかし今までの小雨なら、そのおせっかいを受け止めかねて、ただ慌て戸惑い逆に委縮してしまい、そんな自分のことをいっそう情けなく感じて落ち込んだりしたんじゃないでしょうか。「自分でもなんだかどんくさいって/思ってたまに涙が出ちゃう」のですから。
 だから、今春はそんなふうに内向きにならずに、姉妹のおせっかいを正面から受け止めて、自分でも頑張ろうって思えたというのは、すでにこの妹の華麗なる成長のすがたと見えます。ただ、「お兄ちゃんの役に立つ女の子」というのは春風や蛍のような母親的姉タイプを目指すという意思表示なんでしょうけど、以前に兄と一緒にしたいことがなかなか思いつかないともこぼしていたように、小雨自身のやりたいことを見つけてほしいな、とも思います。それはもちろん、誰かのために役に立つ、つまり困っている誰かを助けるという仕事への熱意であってもいいわけで。ケアの心を十二分に持っているこの子ですから、兄とお互いに手助けしながら、その喜びを深めていってくれればと願います。
2009年1月9日(金) おうさまのみみは
 べびプリ青空(1/9)。
 「ぱんのみみ」。食パンの耳でしょうか。そんなことを考える前に、最初の数行で頭がめろめろになっております。青空はかわいいなぁ。
 パンの耳が「いいこのたべもの」というのは、逆に言えば食べ残すのが悪い子ということですが、ぼくも子供の頃はあまり好きじゃなくて、まず耳をぐるりと食べてしまってから白いとこを味わってました。好きなものは最後に残すタイプです。きょうだいで好物が違ってたから、先に食われるという恐怖がなかったのですね。
 で、パンの耳はお耳じゃないと笑う青空のお耳をぱくーってしてきゃあきゃあ。
 ふう。
 あさひが食べないというのは、すでに離乳食に移っているけどまだパンの耳のような硬めの食べ物は噛めないのでしょう。この「ちっちゃいちゃん」は白いとこだけ食べるので、耳は残ると。それを貪る青空はさすが野生児立夏の後継者、かと思いきや、「はちみつおちゃちゃ」につけて食べるそうなので、なんだ甘柔らかくしてなのか。砂糖をまぶして揚げたのも想像しましたが、あれはお腹にもたれるよね。そのころ霙姉さんは、名古屋のあんこトーストの話題をテレビで見ていた。
 相変わらず、話が思いつくままにあちこちへ飛ぶのがこの妹の年相応なとこですが、ふと気がつくとぼくの日記もそうでした。がーん。1歳児並み。「こんですみるく」とか舌が回らないあたりも同様。これなら、おまるとかおむつとか叫んでても大丈夫ですね(駄目)。
2009年1月10日(土) よむ詠む
 というわけで、うたのわに参加してみました。別名で。歌の基本方針は、下品短歌のときとあまり変わりません。つまり静謐と諧謔と下品。無理せず思いついたときに追加していきます。

 こないだの小雨ですが。立夏と麗が励ましたのはもちろん姉妹としての思いやりであるとして、しかし同時に小雨がもっと長男に積極的にアプローチしてくれたら、自分達も日頃ためらいがちな小雨に遠慮することなくもっと堂々とひっつける、などという無意識の欲求も働いてたりするんでしょうか。いや、立夏はそういうやり方の遠慮をしないタイプだし、麗はまあ、あれだし(何ですか)。麗の場合は公正さへの意志というか、ほんとは素敵な小雨が自信なさげなのが正しくないと感じてるんでしょうね。
2009年1月11日(日) へびさん
 朝プリキュア。いよいよ決戦です。先週観られなかったので思わず力も入ります。……ああ、アナコンディさんが……。悲恋の人でありました、合掌。
 ミルキィローズに向かって「似ている」と呟いたときには背筋が引き締まりました。ローズは違うと反論してましたが、ここですれ違いが生じてるのかな。ローズは、絶対的他者のために自分を捨てて(そして他の者達も道具にして)使命を果たそうとするアナコンディを批判して、自分はココ様やドリーム達やフローラの道具ではなく、そんなアナコンディ達が許せないという自分の気持ちにしたがっているだけ、と言い返す。でも、アナコンディからみれば、一人とみんなが理想的に調和しているローズ達のことが理解できない一方で、ココへの悲恋を秘めているローズ=ミルクのことはとてもよく理解できる。しかし、幼いミルクはそのことをまだ理解できない、という。せつないです。
 そして石化させられたプリキュアだいぴんち。これは、来週にブンビーさんが大活躍するという予感……? トリックスターの本領発揮でしょうか。

 11月の夕凪暴走事件について。麗は日記を書かされることが罰だったのだから、夕凪は書かせてもらえないことが罰だったはず。まさか海晴姉さんも、麗への罰のためだけに夕凪から日記担当機会を奪うことはしないよね。だから、あの3か月という期間内には、夕凪は毎月なにかしら余計なことをしていたはず。
2009年1月12日(月) 夕暮れの公園(追記あり)
 MK2さんの「かつてエロゲ論壇というものがあってね」を読んでうんうん肯きつつ。もう少し幅をとって当時を眺めてみるならば、『死刑台のエロゲーマー』リンクページで、その状況をだいたい左右に分かれて一覧できます。本田透の『しろはた』は当時、この中間よりやや右に位置してたのかな。

 左側には、汁・妻・マッシヴ・スカ・炎多留・オナニータイムアタックなど趣味嗜好は様々なれど、基本的にえろげを「えろ」と「恋愛」なり「コメディ」なりとの統合として楽しむタイプが多い模様。その代表例が『エロゲカウントダウン』(跡地)で、どのレビューでもイチャイチャとエロエロのバランスが論じられています。しかも、それぞれの文章が面白い。サイト管理者がある趣味嗜好のもとにエンターティナーとして自覚的に楽しんでいる姿がうかがえます。
 ところで、その中に「エロゲカウントダウンの作り方」という文章があるのですが、ここからちょっと引用します。
「思えば、ボクがサイトを開いた1998年辺りは最初のレビューサイトの興隆期で、とにかく沢山のレビューサイトができた。当然、数が増えればバラエティもできてくる。どんどん個性的なサイト、フェティッシュなサイトが増えた。もちろん、我がサイトは一点突破系の典型。しかも、2000年辺りはそれらレビューサイトでの嗜好なり主張なりが、ブランド側からフィードバックされてきたのだ。汁ゲも一気に増えた。これが世界の狭さの強み。この頃はサイトをやってて充実感があった。」
 まだ手頃に狭くてそれゆえ力量と意志とが高いレベルで一致していたえろげファンサイト界、そして同じく発展途上の訳の分からない活力と空白地への野心に満ちていたえろげブランド界との、相互関係。といってしまっては理想化しすぎですけど、SFでいう拡大と分散でしたっけか、、そういう流れのただ中での幸福な瞬間が、ここにあったわけです。
 で、サイト読者のぼくも、それぞれの趣味嗜好とは相容れなくても、そのレビューは楽しんで読んでました。発売えろげ数もまだそんなに多くなかったから、有名な作品ならサイト間でも管理者と読者の間でもその知識を共有できやすかったし、少なくとも面白いレビューを読んだ後にその作品をネットで探すくらいの気持ちになりました。

 んで右側には、いわゆる葉鍵作品を中心とするいわば文芸的なレビューサイトが並んでいます。おそらく東大と京大を拠点とする友人同士のファンの繋がりとその周辺。彼らは学生としての知性と暇を惜しみなく注いで、ただ感動するばかりでは収まらない作品への傾倒をサイトに綴っていきました。そういう人達を刺激しえたのがとりわけ麻枝准に代表される一群のえろげライターなどであり、ここでもヴィジュアルノベルえろげという新興分野と批評能力保有者との幸福な逢瀬が果たされていました。
 こちらのテキストを読んですぐ気がつくのは、底の知れ無さです。『astazapote』『CLOSED LOOP』が読者に突きつけるその博覧強記と論理性と視点の切れ味。特定のポストモダン思想家などに依拠することなく次々と繰り出される文献引用。それが衒学に陥らず、ただ読者のぼくがおのれの無知を恥じてその本を探してしまうばかりという。一方、『魔法の笛と銀のすず』や『づしの森』では、言葉に込められた圧倒的な力を前にただ打ちのめされるという経験をしました。知性と感性、いずれをとってもこの人達にはかなわないな、そう素直に受け止められたわけです。そしてまた、えろげ業界や文化産業などの諸事情を知っていながら、作品を語るときにはそれらを表に出さないという禁欲的な態度が、なんといっても誠実に思えたものです。

 この2つの集団(ととりあえずまとめてしまいますが)は、べつに対立してたわけじゃありません。泣きえろげとそのファンへの揶揄は左側集団から上がっていたけど、それはえろげの一面かへの警告にほかならない。また、性欲そのものの話題は右側集団でほとんど見られなかったけど、それはえろげにおける性欲の否定を意味してはいない。両者とも、えろやえろ以外の何かに重心を置きながら、性欲処理や感動だけで片づかない情念をサイトテキストにたたき込んでいたという点で、構えを同じくしています。単純に言って、好きなればこそえろげを弄くり倒して楽しんでるわけです。
 で、右側集団に限っていうと。その弄くり倒し方が相当な知性と知識を要求したというのが、あの作品群であり、この面々と友人関係であり、まだ手狭なネット界隈だった、ということでしょうか。べつに膨大な数の感想サイトを読まずとも、これらのわずかなサイト群を読めばそれで十分以上のものが得られるという、読者(つまりぼく)にとっても幸せな時期でした。
 それでは、今はどうか。かつてえろげ論壇を担った人達は、すでに学生から社会人となったりネットから離れたりして、以前のような更新頻度を維持していません。場合によっては更新停止・サイト閉鎖ということも。そうでなくとも、MK2さんがいま書いてるえろげ感想日記と、あの『AIR』感想日記とはやはり別ものであるとか。そこには、管理者の変化もありますし、あの瞬間にあの作品と出会ったということは繰り返せないわけだし。そういう作品、読者の多くがその作品を自分で体験しつつ固唾を呑んで馴染みのサイトの更新を見守るような作品が、いまどれだけ存在可能なのかしら。それは作品の質のみならず量の問題でもありますし、また読者としてのぼくの変化にも因っています。葉鍵作品みたいなえろげ、たぶんぼくは時間的にも感性的にももう遊べないんじゃないかしら。『CLANNAD』が最後かも。べびプリでお腹一杯になってるという話もありますけど。
 そして、入れ替わりうる次の人達や次の作品は膨大なブログ群や発売リストに埋もれていたり、飛び抜けたものをピックアップするためのニュースサイトやネットコミュニティが機能不全に陥っていたり。あるいは、本当に素晴らしいテキストを書いてる人達の静かな場に、外野がわんさか押しかけて欲しくないという気持ちもあったりして。しかし、そうするうちに訳の分からない思いこみが「正史」となってしまうのだけは嫌なのですけど、うーん。という。
 『一人懇親会』「極寒レビューサイトの記録2008版」(詳細はpdf版参照)によれば、『エロゲカウントダウン』閉鎖前年の2004年がえろげレビューサイトの曲がり角だったという。2001年に大学に入って4年で卒業とすると、だいたいえろげ界の拡張分散期と重なるんでしょうかね。

 うちはいろいろあって2002年開設ですが、上述の2集団のどちらを目指しても厳しいので、間をとりました。つまり中途半端。今でも葉鍵作品の批評や徹底的な感想を書かないのは、そんな無謀なことできないからです。思えば、理屈の体裁をまとって情念と諧謔を語る考察というスタイルは、ぼくに可能な唯一の方法だったのかもしれません。しかしそれでも葉鍵作品は厳しいという。ちなみに情念は『萌え文集』で爽やかに完敗しております。
 まあ、偉大な先駆者の背中をしっかりそこに感じながら、自分の方向を定められたというのも、ぼくには幸せなことでした。おまけにその方々とのやりとりさえ叶ってるわけですから、これ以上のことはありませんね。

 追記を読んで追記。はい、どうにかできたかどうかはともかく、もう御心のままに反応いたしました(笑)。
 このさい、上記でリンクしてないけどあの頃に拝読してた重要な批評サイトも思いつくかぎり挙げてみるの巻。といえば、やはり『ONE卒業文集』(おねぐら)まわりです。
 『presented by tatuya』諸批評
 『S.MA.P.』「一〇cm四方の青空」
 『C.F.F.』内の日記や諸批評。
 おねぐら以外では、例えば『ひらしょー』ゲームページと日記。
 そこからやや時が下って、『The World's End and Net Life's Wonderland 』内の諸批評。『四季折々のかおるさん』『In a flurry』『ハーたん観察日記』『転叫院のページ』

(1/13追記:
 MK2さんが言ってたエロゲ論壇の関係図ですが、雪駄さんのとこにありました
 さらにそこから辿って、『サロニア私立図書館』「『ONE』『Kanon』『AIR』関連サイトリンク」。これも関係図、APRIL FOOLさんの労作です。
 それと、『届かない場所を見つめながら』(跡地)内の網羅的なリンク集。こちらは遥高さんの、もはや歴史的事業。『AIR』のとこだけ見ても圧倒されますし、またあの夏の暑さが思い出されます。)

 こんな感じかしら。後半部はうちのリンクページの右側からそのまま引いている気もしますが。あと『storybook.jp』の過去日記が探せなくて今ごろ泣いてます。疏水太郎さんの文章、大好きなので……。

 全体を通じて、日記での短いやりとり中心だったことは間違いないのですけど、その一方で重厚な考察もまた少なくありません。代表例として、tatuyaさんのKanon構造分析とか。ここまで徹底していなくても、ある一つの作品についてじっくり語るために、日記から切り離されたテキストを1本掲載するということは、この頃けっこう見られたことでした。だから、重厚長大なテキストと軽快な日記とをうまく使い分けていたのが、このテキストサイトの時代のよさだったのでしょう。いまのブログサイトの短所は、日記と別にそういう長大なコンテンツを掲載できないという点ではないかしら。
 ぼくのこのサイトも当時のテキストサイトの影響を受けて構成されており、メモ的な日記とまとまりのある考察・雑感等をコンテンツとして分けてます。日記で考察連載したのはハルヒのときくらいですし、それらも結局は1本にまとめ直したり。『マジカルヒナ』他のパロディなんかブログでは絶対無理でした。システムが発想とその表現を制約するのに甘んじるはちと悔しいので、もしぼくがブログに移行するとしても、このサイト全体を維持したまま日記だけ入れ替えると思います。

 というわけで、今木さん、なんか書いて(便乗)。
2009年1月13日(火) えろげ論壇的ミスター味っ子の夢
 MK2さんが言ってたエロゲ論壇の関係図ですが、雪駄さんのとこにありました。さらにそこから辿って、『サロニア私立図書館』「『ONE』『Kanon』『AIR』関連サイトリンク」。これも関係図、APRIL FOOLさんの労作です。それと、『届かない場所を見つめながら』(跡地)内の網羅的なリンク集。こちらは遥高さんの、もはや歴史的事業。『AIR』のとこだけ見ても圧倒されますし、またあの夏の暑さが思い出されます。
 そう、あれはえろげの夏だったのかな。作品もファンもぎらつかせていた天頂の太陽、1000回の夏。つまりせんずり(台無し)

 昨日の日記を辿ってこられた閲覧者のために、そちらにも上記サイト名を追加しました。「あとはあんよさんがどうにかしてくれる」という言葉に応えて、このへんまでは承ったよぉ。

 あと、関連で「オタキングのおかげで、何でエロゲー論壇が流行り廃れたのかわかったよ!」について。こちらでは、蓄積がまだ少なくそれゆえに先行世代の圧迫を受けにくかったえろげが、伸び伸びとした活力ある論壇の形成を促したが、しかしある程度の蓄積を備えるにしたがい、新参者が語りにくくなって衰退した、という説明がなされています。
 しかしぼくは、今回の話の流れをふまえて、別の理由を挙げてみます。それは、当時のえろげファンが望むような論壇バトルが生じなかったからだ、と。
 例えば『美少女ゲームの臨界点』の執筆者一覧を見ると、東たち批評家・思想家や、原田・元長らえろげライターなど錚々たるメンバーが集っています。しかし、ここでぼくは思うわけです。この2004年に刊行された、いわば業界側から提出された論壇に対して、それまで相当な積み重ねを経てきたネットえろげファン論壇が、もしも真正面から勝負していたならば。この夢の対決の過程と結果は、どんなものになっていたでしょうか。ガチ対決を想像するだけで血圧が上がってくるのですよ、そもそもそんなバトルが必要かどうかさえ考えずに。
 だけど、ネットで観測してるかぎり、そういうやりとりの光景は視界に入ってきませんでした。たぶん、かおるさんたちは実際にそういう対決をしていた(している)んだと想像しますし、ぼくがちゃんと見ていなかったというだけかもしれません。ネット論壇の担い手はすでに雑誌や制作側で活躍されていたのかもしれません。でも、双方向的なやりとりが確認できなかったというのは、書店やフリマではともかくぼくの馴染みのネット界隈では、論壇の主役半分がすっぽり欠けているような気分だったわけです。
 もちろんこんなことは、読者であるぼくの野次馬根性による言いがかりにすぎません。要するに、頭のいい人達同士のバトルが見たかっただけ。もっと露骨に言えば、ぼくら凡人の憧れる横町ヒーローチームが権威者軍団をやっつける姿に、拍手喝采したかったのですから、それを期待される側としてはいい迷惑です。
 ともかくも、2000年前後のあの夏を感じていた一人の身勝手な閲覧者からすれば、2004年は秋の気配だったのです。

 追記。べびプリさくら(1/13)。
 おやつのバナナの話かな、と思いきや、ああうんちのことかとすぐ判明。ぼくはここんとこずっとこまったちゃんです(聞いてない)。

 べしょべしょさんだよ!
 おにくもはいってる。

 青空風に言ってみるテスト終了。さて、幼稚園での健康教育でしょか。最近こういうの流行ってるんですかね。まぁ、朝食をきちんととって云々というのは実際よいことなので結構です。とくに、「そのに」は大切です。ぼくは幼稚園児の頃、大ピンチに陥ったキューティーハニーが心配でうんこ我慢してたら、若干ちびりました(聞いてない)。そのよんのお水はね、この季節はお湯とかにしようね。ぼくは幼稚園児の頃(もういい)。
 とか馬鹿言ってるうちに、

>あんよがさむくって涙が出そうになっちゃうの。

 きた。きましたよたわばさん。ぼくの時代がまたやってきました。……ええ、寒い人間ですとも、ええ。また何かあったのか自分。あったというか、やったというか。
 そんな読者はほっといて。「そしたらお兄ちゃんといっしょにかけっこする!」とさくらが返事したとき、ユリ先生は、このおとなしくて泣き虫な子がこんなにも元気よく嬉しそうに、つまり自分から声を出したのを見て、とても驚き喜んだのではないでしょうか。「さくらちゃん優しいお兄ちゃんがいてよかったね!」という先生の言葉は、さくらのそんな変化の原因が感じとれたということ。
 で、この言葉はべつに、先生がさくらを「ほめてくれた」わけじゃなくて、むしろ共感してくれてるものですよね。その前にさくらを褒めてくれた言葉があったとしても、その言葉をさくらは兄に話してません。ということは、今日のさくらが兄に伝えたかったのは、自分が先生に褒められたというものすごく嬉しいはずのことよりも、兄が先生に褒められたということの方が、さくらにはもっと嬉しくて誇らしいことなんだ、ということです。「優しいお兄ちゃん」がいて、とってもとっても幸せなんだ、と。そりゃ寒くたって明日はかけっこですよ。さくらとかけっこ。こんな日が来たんですね。
 ここで霧賀先生によるうんち絵が入ったら最強でしたが、さすがにそれはなく。

 でっかいごろごろは、フレディ。
2009年1月14日(水) さむーい
 雪駄さんより反応いただく。ご紹介の「書評系サイトの相関図」も未完成ながら凄まじいですねー。でも、こういう繋がりのなかで作品解釈のすりあわせが進んだり、意外と近い立場からも真っ向勝負が挑まれたりしてたんですよね。この界隈でシスプリが論じられてたら、たぶん現在のぼくはありませんでした。あと「周回遅れで先頭にいるだけ」というのが痛烈です(笑)。
 2004年が秋というより冬、「雪のイメージ」というお話。あー。一時代の幕が閉じた、という感慨。ぼくはそのときシスプリに邁進してたし、前年には『涼宮ハルヒの憂鬱』原作発売当時の論争に参加してたので、まだ熱気を近くに感じてたのかもしれません。あれは今思えば、ぼくにとっては葉鍵作品論壇の縮小版にやっと参加できたという心地でした。

 そちらでもご紹介のthen-dさんの同人誌、ぼくもお声をかけていただきました。その節はありがとうございました。詳細は週末にどっかり書く予定ですけど、『Moon.』から『CLANNAD』まで全部網羅してしまうという偉業には、心底驚愕したのでした。そのどれ一つの作品をとってもぼくには厳しいというのに。then-dさんの「2〜3周程度の周回遅れ」とは、むしろその跳躍のための大いなる助走だったのだと感じるほどです。

 真似できないテキスト、ということについて。
 あの頃は『侍魂』の影響で、フォントいじりサイトがやたら増えてました。元サイトでのネタの選び方や料理の仕方などを真似することなく、フォント表示の形式だけ真似してともかく文字をでかくカラフルにすればいいという、軽佻浮薄な流行。とくにえろげレビューサイトでこれを過剰にやられると、管理者のプレイ時の感動を強調したいのは分かるけど閲覧者には逆効果という。感動の内容を文章で深く掘り下げられないから、見た目でごまかしてるのね、と感じちゃうのです。テキストサイト界の流行としては、他にもVNIサイトバブルがありましたね。あれも『ちゆ』の形式だけ真似して、なぜかROファンサイトが量産され消えていきました。いま生き残ってるVNIの多くは、『ちゆ』とは異なる専門性という中身で勝負しています。
 で、ぼくが葉鍵作品に関するテキストを求めてネット界を徘徊してた当時、これは他者が(もちろんぼくも)真似できないな、と感じたのが、一方では今木さんやおねぐらなどの方々で、もう一方がMK2さんたちでした。基本的にいじってない白文字・黒文字の羅列が、下手な感動系レビューサイトよりもよほどの感動を、というか戦慄を伝えてくれるという。
 そうそう、あの当時は自サイトのリンクページからリンクを張るのが先方に失礼ではないかと恐れてたんですよ。リンクフリー云々じゃなくて、むしろ自分みたいなのがそんなことするのは身の程知らずだという気後れがあって。例えば今木さんちをうちのリンクページに登録したのって2003年夏以降のはず。それまではずっと、ブラウザの「お気に入り」などを用いて日をおかず伺ってました。馬鹿っぽいけど事実です。ハルヒ論争に参加したとき、言及してくださった夏葉さんをリンク登録させていただいた後、「萌え批評」という枠も作ったことだしこの機会に、と今木さんもこっそり登録したのです。何やってんだ自分。でもそのときはすんごい勇気がいりました。
 現在ではそういう初々しさもなくなって、平気でばんばん追加するすれ具合。

 べびプリ(1/14)。
 読み始めて、すぐ正座。いやいや、どうもこちらこそ、とかもごもご言いながら、よくできた妹だなぁと改めて感じ入ります。

>きっと蛍の愛情はまだ小さくて弱くて――
>大人や他の人に比べたら、
>頼りないほのかな光でしか
>ないかもしれないけれど――

 ええと、もしや蛍さん、自分の名前に小雨と似たようなこだわりを持ってらっしゃる? 仲良しのヒカルや春風のようなドーンと明るい名前に比べて、自分の名前が地味でかぼそいように感じてらっしゃる? 夏休みに『火垂るの墓』が放映されるたびに辛い気持ちになってたり?
 真夏の夜に浮かぶ蛍の灯火は、天の川に負けないくらい美しく清らかに輝いています。家族のなかにいる蛍も、日頃そんな暖かな灯なわけであり。このうえあんまりでっかくなると、ウィル・オ・ウィスプになってまうし(そうじゃない)。
 年頭から静かに気合いの入っている蛍ですけど、これは彼女の愛情のつよさや深さ、母親的保護者=姉タイプとしての資質のさらなる顕現というだけでなく。この子、来月は高校受験なんじゃないかしら。中高一貫だとしても、今年は高校生としていっそう責任ある行動が求められるのだと我が身を振り返り、しかしやっぱり不安が残るから、蛍は兄にその決意を告げて、背中をそっと支えてもらうのでした。その信頼に、長男が応えられますように。
2009年1月15日(木) もっとさむーい
 べびプリ(1/15)。
 昨日は蛍のいじらしさにぐっとこみあげたというのに、今日はこれか(笑)。いきなり、この日記もうやめてもいいんちゃうか、というご意見です。
 また明日も罰当番かな、などと結論する前にちょっと真面目に考えてみます。始まりあれば終わりあり。麗はこのことを一番よく痛感してる子の一人ですので、日記を書くのが面倒というだけでなく、いつか終わってしまう日記を自分の手で早めに幕引きすることで、長男を含むきょうだいの日常が続くことを確実なものにしたい、とか。考えすぎですか。あるいは、こないだ日記で小雨に自分のことをしんみり書かれてしまったので、なんか気恥ずかしくなってしまったとか。
 もひとつ言えば、「みんなとも仲いいみたいだし。」という前後に空行のある一文がポイントで。これ、自分とも仲いいということを含んだ言い方なのか、それともその逆なのか。
 勘繰りはともかくも、これで公式日記が終わるとは想像しがたいけど(それも公野先生しだいだけど)、別の企画に発展解消したりして。

 こないだぼくが書いた、「読者の多くがその作品を自分で体験しつつ固唾を呑んで馴染みのサイトの更新を見守るような作品」というのは、もちろん『AIR』をその嚆矢とするわけでして。MK2さんが『AIR』プレイ感想を日々更新してるとき、ずっとづしのファンになっていたぼくが、そろそろ勇気を出して掲示板で挨拶しようかと思ってて。ちょうどそのタイミングで、MK2さんがAIR編を終えてたいへんなことになった様子がお二人によって記されて、うわぁどうしよう、と画面のこちら側でおろおろしたことを思い出しました。これ、自分の都合のいいように事の順番を捏造してる気配もありますが、ともかくぼくが狼狽えたことだけは間違いないです。

 Su-37さんより、しのぶさんのこと。
 しのぶさんは、えろげを「えろ」げとして楽しむことも文芸として楽しむこともできたし記せた人だったから、どんな方面であれその人が作品とちゃんと向き合う姿勢を示すかぎりは、受け入れていたのではないかと思います。だから銀すずは、サイト関係図で見ると繊細感想系に位置づくんだけど、実際にはぼくみたいなのにも関心をもって下さってたように、も少し下世話な部分への視線もあわせもつ結節点にあったはずです。
 ちなみにその頃のぼくのテキストは、叙情と下品を小理屈で綜合することを目指してました。しのぶさんの文章は美しくて、それに憧れたぼくは美を均衡・調和として理解し、自分のテキストで真似しようとしたんでしょうね。でも、現実に書けたものはいかにも対立する部分を寄せ集めた感じで、とうてい似ても似つかない。知性も感性も足りない(つまりセンスがない)人間は、こうなれば部分を徹底的に積み重ねるくらいしかできないのかな、と思ったときに、考察という野暮なスタイルが生まれたのでしょう。

 それはそれとして、あの写真を見たとたん直感が働いたのに、メールさえ送らなかった自分の非人情は忘れない。
2009年1月16日(金) 長男の鼓動
 べびプリ夕凪(1/16)。
 きた。きましたよたわばさん(こないだと同じだ)。夕凪がきました。これ、見事だわー……。さすが公野先生。

 何が見事かと申しまして、この日記での麗と夕凪の関係を振り返れば。さんざ日記担当を嫌がってかえって罰当番が増えた麗。そのぶん出番を削られたのかあるいは日記の外でお茶目したかで去年の秋に日記担当をしばらく外され、ついに11月にはもう我慢できないとばかり日記&兄隠匿によって大爆発を勝ち取った夕凪。この二人、隠れた因縁があるわけなのです。もちろんそれは対立ということじゃなくて、麗も以前、むしろ夕凪のような「書きたくて書きたくてしょうがない子」に譲っていいじゃないかと述べてます。

 つまり、この二人に示されているのは、海晴が弟妹に定めた公平原則のもつれなのです。長女の海晴は、弟と妹達の仲を差のつかないように等しく近づけようとして、日記担当順を決めています。ところが、その結果、麗は罰当番が多くなって不満を抱き、夕凪は罰ゆえに(あるいは兄とすでにたいへん仲良しさんなので麗に譲りなさいという命令が下って)担当を減らされて不満を抱きました。公平原則の実質的適用が、かえって不公平感を招いてしまっているのです。麗の不満の原因は、夕凪にとっては「すっごいうらやましい」のですから。
 しかし、麗の反発や夕凪の暴発に対して、海晴は今までと同じ対応しかとれません。従来の公平原則を維持しようとすれば、そうするほかないのです。それはべつに妹達への意地悪ではなく、長女としての責任感からやってることなのですが、それがかえって不公平感の源になり、しかも解消し得ないという皮肉。それゆえ、今回の麗の態度をみて、海晴は「もうそんなにオウチャクするならやめちゃいなさいっ!」と怒るしかなくなりました。これ、海晴もちょっぴり困ってるんじゃないですかね。海晴と麗は似ているそうですが(立夏説)、ここまで頑固だと氷柱のようにはいかないし。

 さあ、そこで長男の出番です。
 夕凪騒動についてヒカルが日記に記した折り、ぼくは自分の日記にて、長男に期待されていることは夕凪の寂しさを受け止めてやりながら「姉としても振る舞えるように支えてやる」ことだと述べました。今回、長男に求められているのは、長女でさえどうにもしがたいこの状況を、自らの手で何とかすることです。具体的には、麗と海晴の間に入ってやり、できれば麗が日記に戻ってくるように……いやその前にまず、この妹の不公平感をいくぶんなりとも解消してやることです。それは麗に対するアプローチだけでは足りず、海晴に別の視点を示したり、場合によっては諌めたりすることも必要となります。夕凪のときには、「今回読者は、眼前にいない海晴・霙に、長男としての成長ぶりを試されてる」と記しました。ところが今回、読者=長男は、姉の見守るまなざしなしに、今まで評価尺度を与えてくれていたその姉さえも、配慮と指導の直接対象にしなければならない、ということなのです。男一匹、立たねばならぬときなのです。
 この解釈が合っているとすれば、ついにこの日がきたか、とずっしり感じます。海晴にとって、弟が長男という本当のパートナーになる瞬間が、これから目の当たりにできるのかもしれません。もっとも、明日になれば麗がぶちぶち文句たれつつ平常復帰という可能性もありますし、小雨とか他の姉妹がフォローしてくれる(そして自らの成長を示してくれる)可能性も高いですが。予測がはずれる場合も含めて、これからの展開が非常に楽しみです。
 なんつっても、こないだ書いてた原稿まんまの展開ですからね。すんごいわくわくしてます。つか、このタイミングで大幅な補足修正が必要になるかも。間に合うのか島。無理だ。
2009年1月17日(土) 堰を切る
 しのぶさんについて、文月さんMK2さんが語ってくださり、もうほんとありがたくて。

 しのぶさんのことをぼくが書き始めると、必ず自慢話になってしまいます。要するに、しのぶさんにこんなふうに評価されたんだ、こんな言葉をもらえたんだ、と威張りたくなるのですね。まぁ、とりわけそういう人だったのです、ぼくにとっては。
 この人に日記で言及してもらえるとえらい嬉しいのでその通り綴ってたら、なんで自分の文章が他人に感動を引き起こすのか分からないなどと困ったことを書かれてて。あなたがどう思おうがこちとら勝手に感動して勝手に好きになってるんですよ、とからんだら、予想以上に驚き喜んでくれてました。ほら、今回も自慢話になった。
 ぼくはそのやりとりをずっと支えにしてて、しのぶさんをネット上の恩人の一人だと思ってたんだけど、彼自身は自らの存在を肯定してくれるかけがえのない誰かを求めていたんですよね。

 しのぶさんとぼくには、似てるとこが結構あると思います。好きな作品への依存的な寄りかかり方とか、他人の言動をすぐ(あれは自分への好意・害意だ)などと受け止めちゃうとことか、いろいろと駄目なとこが。でも、違うとこもいっぱいあります。しのぶさんは、ぼくのように鈍くなかったし。
 傷つきやすすぎるから、ぼくでさえ彼の日記を読んで(うわぁ、どうしよう)と困惑することも多かったけど、そんなしのぶさんなので、ぼくの日記の揺らぎをすぐさま見抜いて、それを善意で黙って見過ごすということができなくて、わざわざメールを送ってくれました。初めてのIRCでみんなに慰めてもらえたあのときからちょっと経った頃。慟哭というのはこういうことか、とわが身で知ったっけ。

 そういうしのぶさんとどこかの土俵でがっぷり四ツに組めないものか、とそのうち考え始めたりして。それがシスプリ。この作品に関しては、ぼくは途中から、尊敬する好敵手(とも)のつもりで彼と向き合ってたんです。どちらがシスプリを、妹をよりよく理解しているのかを、競う仲間として。アニプリ第16話分考察は、当時のしのぶさんを励ますためもあって書いたとか、いろいろ。花穂関連の考察群は一連のシスプリ考察の中でも高水準と思うけど、それはこの対抗意識ゆえです。ぼくの態度がお互いの劣等感を刺激する可能性については、あえて考えませんでした。
 この数年ずっと、しのぶさんのシスプリ観とぼくのそれとを包括的に比較するテキストを書こうとしては止めてます。要は単純な話なので。つまり、しのぶさんがシスプリ世界に求めたものは、変化も敵対も悲しみもない永遠不変の調和的で幸福な世界でした。一方、ぼくが見出したものは、成長も別離も含めて時の流れのなかにある、それゆえにこそ「いま」がかけがえないという世界です。ぼくのシスプリ体験がアニメ版から始まったためかもしれませんが、でもキャラコレ咲耶第2話を読めば、アニメ版を知らずとも今と同じ解釈に至ったでしょう。
 ぼくが電話で脳内家族における雛子の成長について話したときに、しのぶさんは成長という可能性に初めて気づいたと当時の日記で綴っています。彼にとってシスプリなどの作品世界は、美しい夢であり、「どこにもない国」という語義通りのユートピアであり、ジョージ・マクドナルドの『北風のうしろの国』のように、行けたらこっちに戻らなくてもいいという場所でした。いや、ぼくにとってもそうですよ。だけど、考察本が完成したとき、あまのさんの表紙や挿絵を見られないしのぶさんの負けだ、と勝手に納得しましたから。

 たくさん後悔しました。メールしなかったこと。『ココロ図書館』の感想を送らなかったこと。『水月』やらなかったこと。一度も下宿訪問しなかったこと。元来ぼくは薄情な人間です。
 ただ、いまふと思いついたことがあって。一度でいいから、しのぶさんに「この変態駄目人間め」と言えたらよかったな、と。ぼくから彼に差し出す手としては、それが最も真心こもったものだったんじゃないかな。
 しのぶさんの文章は途方もなく美しいけど、人間としてはぼくと同じ変態駄目人間。であれば、ぼくとしては、同類の生きざまをこれからも見せてやるのみです。他の変態同志のお歴々もそうしていただけると、まことに勝手ながら心強いです。
 で、いつか追悼文集つくって、どうだこの本読めないだろ! と空に向かって突きつけてやりたい。そっちの世界にはないよ。考察本もないしべびプリもないよ。時間が流れるってそういうことだから、ぼくはこっちの世界にへばりつくのです。いつか再び会う時には手土産抱えてさんざん羨ましがらせてあげますので、覚悟しといてください。
2009年1月18日(日) 頭痛がんがん
 うう、じっくり書く時間がとれない。上司の裏切り行為に深酒して風邪ひきました(馬鹿)。

 朝プリキュア。ブンビーさんが予想どおりというか、ここで見せ場です。もともと部下を切り捨ててきた小悪党だけど、このシリーズではスコルピオを気遣ったりと最初の頃から他者を思いやる態度も示してきてましたね。プリキュアのリーダーになるとか血迷ってたのも懐かしい。
 で、今のボスが部下を完全に道具としてのみ用いているのを目の当たりにして、トリックスターの面目躍如。ローズに秘密の抜け穴を教え、あとは彼女達が自分で何とかできればよし。実際に何とかなったのは、しかしブンビーもそれを期待していたのではないでしょうか。こいつらならどうせ何とかしちゃうだろ、と。
 復活して駆けだすプリキュアメンバーの背中に、自分も行ってやろうか、と呼びかけたものの返事はなし。またもリーダー就任ならず、ということじゃなくて、ただ自分のしたことを受け止めてほしかったんですよね。もちろん、ドリームだけはすれ違いさまに立ち止まり、言ってくれました。ありがとう、と。このときの、ブンビーの照れくさそうな顔ったら。
 一緒に戦いに赴くわけではなかったブンビーだけど、彼は彼なりに汚れた機会主義的な大人として、この純粋な少女達のためにできるかぎりのことをしました。それは、初代プリキュアに登場した銀行強盗の二人のように、自分の過ちに責任をとる大人の姿を、子供たちにちゃんと示してくれた瞬間です。よかった。この大人の姿も初代から一貫しててほんとによかった。これで来週にも見せ場があったりしたら泣きますが、それなんとなく死亡フラグ。
2009年1月19日(月) おなかこまったちゃん
 べびプリ(1/19)。
 ここでこの人か(笑)。ほんと構成が絶妙です。週明けまで待たせておきながら、いきなりしょうもない話ですからねー。ダジャレは嫌いと言いながら「ミルクを飲んでみるく?」で「くすっ」じゃないですよ。ところで「ツララとウララ」ってどこかのサイトで以前ネタにされてましたっ。どちらで拝見したんだっけ、ええと。

 ただ、このダジャレ云々には霙姉さんらしい配慮が働いておりまして。今回、本人も語ってますけど、麗が「怒って日記に書き込まずには/いられない」ようにしむけるのが、この姉の策略です。このことについては、ぼくの公式日記データ分析4.でも次のように指摘してました。

「霙はもともと悪戯好きであるため、かつての「オヤツ食い逃げ」はさすがに無理ではあるが、麗の頑なさをほぐそうとする配慮に重ね合わせたり長男の風呂場を覗いたり(10月号1st day)などして、ときどきガス抜きをしている。」

 この、「麗の頑なさをほぐそうとする配慮」については、公式日記では例えば観月が具体例を綴ってくれてます。甘いものを食べた霙姉さんが「紫色のオーラ」を放散して「よく麗姉じゃを怒らせたりする」わけです。それは、麗の潔癖で融通のきかない(そしてそれゆえに付け入るすきの大きい)性格を、海晴のように正面から治してやろうとするのではなく(それは長女の役目なので)、からかいを通じて和らげてやったり別の視点に気づかせてやったりしようとする男役タイプとしての配慮です。もちろん、それはこの姉自身の悪戯好きな性格を、次女という立場からいっとき離れて発散するための方便でもあります。
 しかし、それが麗の過剰な反発を招くこともあるし、麗自身もまた以前から変化しているかもしれません。はたして今回はどうなりますか。明日、氷柱がでてきて怒ってたら笑うけど、担当回数的には無理っぽい。もう少しこの流れを引っ張って今年のバレンタインデーまで持ち越したら喝采です。

 追記。ダジャレといえば、ねろさんの4コマでした。
2009年1月20日(火) 無能な働き者は
 上司「こんな通知がいきなり届いたんだけど、何のことか分からないよねぇ」

 いや、あなた以外みんな知ってるからそれ。先日あなたが転送した部内メールで。
 というわけで、ダメな上役の特徴について。

1.論理的な思考や正確な記憶ができない(感情と利害計算、想像と事実を区別できない)
   どうやってここまできたんでしょうか。運か。ぼくと同じか。
   でもまあ、これは加齢のせいかもしれません。昔はたぶん、ちゃんと……。

2.自分の利益しか考えない
   保身第一。全体の利害について話してても、自分の都合がにょっきり。
   そして、相手の都合とすりあわせる気は毛頭なし。
   その結果、自分の利益さえ守れていないという有様です。

3.責任感がない
   第三者意識と被害妄想が紡ぐ壮絶なハーモニー。
   自分が適役でないと自覚してるのはいいけど、いまそこに立ってるわけだからして。
   別集団がこちらからの反応を真剣に待ってるときに「今日はいい天気ですね」とか
   メール出してて、それが先方からぼくのとこに転送されてきたときは失禁しかけた。

4.正確な情報を知らない(部下に伝えない)
   しかたないのでこちらでこっそりもらいにいき、相手から足下見られまくるという。
   でも、部外秘の情報が部内の誰も知らないままだったときは笑いました。
   上司自身も忘れてたんだから、そりゃ見てたのはマリア様くらい。

5.敵を憎み蔑み、その存在を身内に想像する
   わかりやすい陰謀論者。至るところに内通者がいるんだって。へー。
   誤解を解こうとしても、まったく受け付けない強靱な思いこみ。
   ええと、ぱらのいあ? 部下、それは反逆です(zap zap zap

6.必要な場合でも敵と戦う恐怖を抑制できない
   見下してる相手=怖い相手。大地震のときに何かしそうなタイプ。
   武器が手元にないときは自ら利敵行為に及ぶという暴挙が、先日明るみになりました。
   自分が第一反逆者じゃん。もう感動のあまり失禁です。

7.否定的状況において後悔しかできない
   反省なら次に活かせるのに、ただ愚痴るばかりで次の対策をまったく練れないという。
   「自分のせいで」と言うときは、そうじゃないですよ、と言ってほしげな顔。
   いわば弱気なインパール牟田口。

8.そもそも所属集団の目標を知らない(あるいは誤解している)
   まじで血の気が引きました。半年以上かけてみんなで教え直したのは、よき思い出です。
   なのに、こないだ元通りになってて爆笑。「みんな勘違いしてる」いや逆です逆。
   形状記憶妄想。カップ焼きそばのお湯捨てて流しがベコンってした瞬間とかに戻る。

 やー、自分で書いてて信じられない。佐藤大輔の短編にいたよね、こういう塹壕守備隊長。ここんとこ毎日「あははー」と利休さん笑いで乗り切ってます。次節ではこのひと引き下ろされるとようやく決まったらしいので、気を取り直しつつ敗戦処理の手続き中。春先に痛みをなるべく残さないように……。と後ろ向きな作業してるときに当人が満面の笑顔で来臨。

上司「次のこれこれの担当、君にしかできないと思うんだよね」
  (意訳:自分のせいでこじれた箇所をひとつお前にひっかぶせるよ)

 了承。先方も誰が原因か分かってるので、関係修復だけなら簡単です(貸し借りはでかいけど)。これでぼくも内通者扱いなのかな。陰謀論者はこうして自らの虚妄を現実のものにしていくのでした、誰も幸せになりませんが。ちなみにその先方とは昔いざこさがあって、この上司も日頃から危機の再来を避けねばと口癖のように言ってました。でも、よかれと信じた愚行で拡大版対立をもたらしたのはご当人という皮肉。

 さて問題は、こういう人間が今までやってこれたということは、組織全体が緩慢な崩壊中であることのほかにも理由があるはず。周囲に強力な支援者はいませんので、おそらく本人の政治的本能みたいなものが凄い。つまり、ぼくが自分の判断で自他の最善を期して行動すると、このひとに最悪のタイミングで裏切り者呼ばわりされて足元をすくわれ、当人だけ生き残るための材料にされる、という展開も予測しとかなきゃなりません。今までだって、ぼくをどっか別の場所で加害者扱いしてることもあり得るわけですので。上で書いた利敵行為の直後も、ぼくには他の部下の所業だと話してたよねー。でもウラをとってみたら当人の自爆だったというオチ(非難されてた同僚はむしろ逆を求めてた)。そのへんは、当人が押しつけようとしてる担当こそぼくの生命線になるはずなので、真面目に頑張ろう。
 以前も、このひとの集団内改善案(という名のわがまま)でぼくの業務をこのひとのと入れ替えられたことがありましたね。その後、ぼくが意味不明な雑務の後始末をしてる横で、数年間の積み上げを文字通り一瞬で台無しにしてくれて。「最近の客はよくないね」って、ぼくのときはいいお客様ばかりでしたよ。事情を知ってるお得意さんが慰めてくれたけど、ほんと隠れて泣きました。だって、ぼくのわずかな矜持はその不器用な積み重ねのなかにあったから。このサイトでいうと、シスプリ考察を14話あたりから作品に無関心な他人に書かれた気分。うわ、そっちの方が耐えられない(駄目人間)。

 そんなときに、べびプリ虹子(1/20)。
 おててを洗うのは冷たい水なのか、それとも適温のぬるま湯が出る蛇口なのか。どのみち2歳児では背が届かないので、低いとこに流しがあるのか、それとも幼児専用の台があるのか、お兄ちゃんだっこなのか。いずれにしましても、

>ぶくぶ、くらいでお水がでちゃうの。

 この1行で、腹の奥に溜まった泥がすっきり消え去りました。ありがとう虹子。
2009年1月21日(水) ひえた
 また風邪ひいたっぽい。頭がんがんです。
 べびプリあさひ(1/21)によれば、麗も風邪かもしれず。いや、風邪なら乳児が近づかないようにするでしょうから、こないだの霙姉さんの策略がまんまと奏功してるのかしら。
2009年1月22日(木) 見晴るかす
 べびプリ海晴(1/22)。
 はい、長女の登場です。妹達がこの怖いけど慕う姉を心配してるのが、とても微笑ましくてたまりません。オヤツを分けてあげよとしたのが、さくらや青空あたりだっら感動。
 まあ氷柱のときとは異なり、麗はまだ一歩も引いてない様子ですからね。海晴ももちろん下がれませんから、静かに緊張が続いてる家の中。立夏や小雨はどうしてるんだろ。麗の側に立ってくれてるといいな、と思います。だって今回、麗の積極的な味方になってくれそうなきょうだいはいませんから。孤立は麗の頑なさをいっそう強めるだけなので。
 海晴もそこんとこは分かってるはずだけど、でも長女の立場としては緩められないのが辛い。しかし、緊張緩和を求める妹達の気持ちもそりゃよく分かる。だけど、それって自分のせいなの? という、長女ならではの悲鳴が今日の主題です。こないだ書いたとおりになりましたよー。もやもやを長男以外にはあずけられないんだよね、海晴姉さん。よしよし。

 さて、海晴の真意が麗に「もっと素直になる事」や「他にも好きなこといっぱい作」ること、「素直な愛情表現を学」ぶこと、だというのはいいでしょう。それらはたしかに必要に思います。しかし、問題は、この長女の思いやりが、麗にとっては肝心な部分で抜けているということです。「鉄道好きもいいけれど」と言いながら、海晴は麗が鉄道好きであることを「いい」とは思っていません。少なくとも麗の側は、10/17にこう記しています。

>私、知ってるの。
>海晴姉様は私が鉄道にばかり興味があるのを
>きっとあんまりよく思ってないの。
>だから家族の決まりとは別に――
>私に鉄道博物館には行って欲しくないって
>思ってるわ。

 麗から見れば、海晴は普通の思いやりの範囲を超えて、麗の趣味を阻害しようとしてるんですよ。そして、このことが、麗には長女の思いやりを素直に受け入れられない原因なのです。なぜなら、麗から見た海晴は、妹に社会性を身につけてほしいという姉としての当然の・公正な配慮の陰に隠れて、自分の少女像を妹に強制し、そこからはみ出る鉄道趣味を否定しようとしているからです。これが、麗にしてみれば、すっごくずるいんです。おかしいんです。不正に対する麗の潔癖な反感を、いっそう痛烈にかきたてるのです。
 海晴姉さんの言い分も分かるし、その優しさも嘘じゃないって知ってます。いま辛いよね、と頭をなでなでしたくなりますよ。だけど、だけど、北風だけで麗の頑固さを吹き飛ばそうとしても駄目なんです。だから、長男は、長女がいま選べない太陽の役割を自ら担い、素直じゃなくて鉄道ファンで頑固な麗を、そのまんま受け入れるときなのです。
 いいじゃん、鉄道ファンで。頑固なままで。そういう麗が好きだし、無理して変わらなくても急ぐことじゃないし。麗が日記を書かなくても、べつに構わない。日記を通じてでなくても、麗から鉄道の本を借りたり、一緒に人生ゲームをしたりするなかで、麗と心を通わせることもできるのだから。新参者の長男がこの姉妹にちゃんと受け入れられ、一人ひとりの個性に応じて確固たる絆ができあがっているのであれば、それで日記の目的は麗が言うとおり正しく満たされているのだから、もうその子は抜けてもいいんです。日記が本来の目的を離れて形骸化することの方が、むしろ辛く悲しいことでしょう。書きたい子だけが満足いくまで書けばいい。それが、今後求めるべき実質的な平等でしょう。そして、海晴姉さんへのねぎらいもまた、同時に長男がすべきことです。

 こんなふうに書くと、それじゃお前は麗が今後ずっと日記担当から外れてもいいのか、と問いつめられるかもしれません。ええ、ぼくにはその覚悟があります。それで麗と長男の関係が最も満ち足りたものになるのであれば、ぼくは麗が担当しない今後の日記を受け入れます。彼らの幸福のためなら、一人読者としてそれくらいの犠牲を払うことなど、ぼくにはいささかも苦にならないからです。たとえそれがやせ我慢であるとしても、他の姉妹が麗のことをちらっとでも言及してくれるときに、その痛みは十分癒されるでしょうし。

 もちろん、すでに日記は別目的を獲得しているかもしれません(海晴が麗の性格改善の場と見なしているように)し、麗もほんとは日記を書きたいのかもしれませんが、それはまたそれで。あるいは、独立コンテンツとして「麗の鉄道写真録」とか立ち上がったりして。もっとも、兄同伴なら休日(で家族の用事や先約のないとき)に鉄道乗車できると許可したうえで、その交換条件として日記復帰なり何なりを長男から求めてもいいんじゃないのかな。フェアな取引ですよ。
2009年1月23日(金) 光と影
 べびプリヒカル(1/23)。
 今回の一件では、同じ男役タイプでも霙とヒカルの違いがはっきり出てます。霙は変化球、ヒカルは直球で、それぞれ姉妹の問題にあたるという。霙も妹達の病気のときはまっすぐ行動してますが。
 似ている海晴と麗のガチンコ勝負。こないだも書いたとおり、長女としては引くに引けないのだけど、しかしヒカルが言うとおり、それは麗もまた同じ「意地っ張り」。

>日記書きたくないなんて――
>本心じゃないのは誰だってわかってる。

 という一文を読んで、すごくほっとするわけですけれど。そして、そこにヒカルは麗の長年積み重ねてきてしまった「男嫌い」という束縛を見てとっているのですけれど。ぼくとしては、なおもしつこいことながら、麗の側にある屈託を、まだ想定から外せずにいます。
 それは後で考えるとして、さらに続けて読みますと。

>小さい子達は知らないだろうけど。
>海晴姉はさ――まだ麗くらいの頃。
>まるで今の麗が鉄道を好きみたいに――
>お天気情報が大好きな子だったんだ。

 ……そうかー。なるほどなー。
 海晴が、自分の幼い頃のことを綴ってましたけど。それは長女の告白ではあるけれど、一番肝心なことを記してはいなかったのかな。海晴自身が気づいていなかったことかもしれないし、書けなかったことなのかもしれない。この日記を読んで、麗はもちろんだけど、海晴も相当に揺れるんじゃないでしょうか。見事に長女も労わりつつ諌めてますよね、これ。
 こういうことできるのが、きょうだいに必要な長男の役目なんですよね……。それをぼくは長男に期待してたわけですが、やはりあれかしら。読者参加企画としては、読者=長男をそこまで能動的な存在として認めてしまうと、長男像を限定することになって感情移入を損ないかねないという、シスプリ以来の制約をあえて越え出ることはしないということなのかな。氷柱が日記を長男に譲ったとき、勝手に「おにいちゃん」「大好き」などと書いてたので、この企画では長男に比較的大きな能動性を与えていくのかな、と予測してたんですよ。ちょっと勇み足だったか。
 だから、ヒカルが長男の代わりに、これだけのことをする必要があって。というか、成育歴からすれば、もともとヒカルはこういう役回りを担ってきてて、今回も長男の眼前でそのとおりに動いただけ。なんとなく長男としては、寂しさを感じるところかも。自分がまだできないこと、自分がまだいなかったときのこと。この数日、長男が姉妹に対してどんなふうに相対してたのか、想像しづらいんですよね。そりゃなんとかしようと頑張ったんだろうけど、なんか空回りしたって印象で。それはぼく自身のことかもしれませんけど。アニメ版シスプリでいうと第14話あたりの航。ポケットストーリーズなら四葉の七五三。
 ヒカルに感謝しつつも、悔しいというか。うん。長男として、きょうだいの一員としていま頑張っても、うまくそこにピタッとはまらない感じ。最初からずっとこの家にいれば、ヒカルみたいにできたはずなのに。

 しかし、この感覚は、麗も持ち続けてきたものかもしれません。鉄道趣味もそうだし、なんか姉妹の間にしっくりはまらないという。一方で自主独立の性格を持ちつつも、その裏ではみんなと同じでない自分がさみしい。もしそうであるならば、このたび長男があらためて抱いた疎外感や欠落感は、麗との共感に至る重要な手がかりなのかもしれません。そして、過去の海晴が自分と似ているとヒカルに教えてもらえたことも、麗が長女との距離をずいっと縮めるきっかけになるんでしょう。
2009年1月24日(土) うらー
 べびプリ(1/23)。や、誰とは書いてないけど。海晴や母親だったりして。
 内容については多言を要せずでしょうけど、野暮なので思うところを記しておきます。

 そもそも今回の騒動の原因は、1/15に麗が日記を終わりにしようと海晴に提案したためでした。その理由は、日記がもともと長男をこの家に早く馴染ませるために姉妹が交代で語りかけるというものだったけど、1年を過ぎてすでに皆と仲良くなったのだから、その役割を終えていいのではないか、とのこと。
 これについて当日のぼくは、4つの指摘をしています。
 まず、日記を書くのが面倒である。このことは本人が繰り返し綴ってますね。ただし、面倒である理由は、日記を書くことというよりも、長男に読ませる日記を書くことのそれです。鉄道関連の話題であれば滔々と綴ることができるのに、それはきっと長男の喜ぶところではない。でもそれ以外の話題では書くことが思いつかない、という。自分のいいところを他の姉妹のようにはアピールできない、どうせ面白く思ってもらえない、共有してもらえないという屈託がここにあります。
 次に、「いつか終わってしまう日記を自分の手で早めに幕引きすることで、長男を含むきょうだいの日常が続くことを確実なものにしたい」。1/24に記しているように、麗は、いまあるものが消えていくことにとても敏感な子です。しかも、自分が大切に思っていればいるほど、それをすぐ失ってしまうという「不吉な予感」に怯えます。これは自分が鉄道ファンであることに対する自罰感でもあります。海晴に言われるまでもなく、こんな趣味さえ持たなければみんなと同じでいられるのに、でも好きなものはどうしたって好き、という。そんな辛さ悲しさの不意打ちに耐えねばならないくらいなら、いっそ自分からちゃんとした終わりを定めれば、もう少し苦痛を和らげることができるはず。日記も、いましっくり書けない辛さがある一方で、もし逆にずんずん楽しく書けるようになったとしたら、止めるときのショックが大きすぎます。日記に限らずとも、兄をすっかり受け入れてしまったときこそ、兄を失いかねない危機のとき。だから、自分から距離をとらねばならない。そんな感じです。
 3つめが、「こないだ日記で小雨に自分のことをしんみり書かれてしまったので、なんか気恥ずかしくなってしまった」。これはどうかな。でも麗の自意識ってけっこうなものだと思うし、そういう年頃だとも思うし。あと、べつに小雨が悪いというのではなく、麗から見た小雨というのは、あんがい憧憬の対象なのかもしれません。自分よりもよっぽど海晴に近い、女の子らしい容姿と優しさを備えた姉。それに比べて自分は、鉄道趣味で頑固者ですぐ感情的になって、云々。そんな小雨に褒められたり羨ましがられたりすると、嬉しさもあるけどそれに加えて、自分はそんなじゃない、そんなこと言ってもらえる資格ない、とマイナス思考が生まれたりもするんじゃないかしら。
 最後に、「みんなとも仲いいみたいだし。」という前後に空行のある一文について。上述のような自罰感や疎外感、強迫観念を持っているとすれば、ここでの「みんな」とは、自分以外のことですね。だから日記をもう止めてもいいと伝えるのはそれが言える自分だし、日記を止めれば自分以外のみんなが楽しそうなのをもう読まなくてもすむし。とかね。もう。
 表向きは日記の「そもそも」論に依拠しつつ、そこに自分の感情を混入させるというのは、麗が拒絶する海晴のやり方とまったく同じでありまして、このへんもよく似てます。

 さて、これで月曜日に麗が日記を書いてめでたしめでたし、となるかと言えばまだ分かりません。だって麗の問題は未解決のままだから。もっとも、ヒカルのおかげで麗が海晴に親近感をより深く抱けましたから、ずいぶんと態度は変わってくるのでしょうけれども。つまり、趣味と性格による疎外感は、同じ姉妹の間で共感的な絆へと転換することになる、と。
 もう一つ問題だと個人的に思ってるのが長男の疎外感なんですけど、これは、麗が兄からのこれまでの心づかいについて訥々と記すことで一挙に至福の時へ、ということもありそう。ああ、今まで頑張ってきたことは無駄じゃなかったんだな、と。
2009年1月25日(日) 伝達の物語
 プリキュア最終回。のぞみとココの本題はすでに昨年すませてるので、今回はキュアローズガーデンのこれからだけが気がかりでした。
 ……あ、アナコンディさん……。女の執念というか、純愛というか。
 さて、のぞみに庭を委ねるというフローラの爆弾発言に驚きつつ、CM明けを待っておりましたが。なるほど。庭の守り手と日常世界のどちらかを選ぶのではなく、どちらも選ぶのが、のぞみですよね。誰に対しても開かれた庭は、5人を結び付けた蝶と同じく、個々人の夢を目指す者同士の絆をすべての者に開いていきます。それは、のぞみとココがこれからも時々会えるということであり。
 そして、ブンビーさん一念発起。ついに会社を起こしましたか。……って、カワリーノさん……!?
 あー、ブンビーものぞみに対抗しましたかね。夢に向かっていく子供達に負けないよう、大人も夢を再建して大人らしく泥にまみれて頑張ります。そして、その歩みは、彼なりの仲間と分かち合う苦労でありたい。だから、まずはカワリーノを命がけで救出してみたという。まぁ仲間というより部下と上司という間柄だとしても、そこにブンビーとしての責任あるリーダーの生きがいがあるのなら、これからも逞しくあってほしいと思います。勝ち負けだけじゃない未来へ、でも少女達に負けまいとして、競い合う者同士として。
 メルポの正体が、庭でシロップの育ててきた薔薇だったというのも、きれいでした。メッセンジャーのシロップ宛てに初めて届いたのぞみ達の手紙、でもそれを届けたのは、シロップ自身がこの花に託した気持ちだったということ。伝えるということ、伝わるということ。ブンビーにまで届いたその言葉は、視聴者にも間違いなく聞こえました。
2009年1月26日(月) きらきらひかる
 うおおおおべびプリ(1/26)。待ちかねたーっ。今日はこのままスルーされるかと心配だた。

 24日がヒカルの誕生日だったんですよね。で、その直前にああして気遣ってくれてたわけで。だから、せめてものお礼というかお詫びというか、その支度を自分から頼んで手伝った麗。綿雪が企画メインというのもすごい話だけど(さすがというか)、その役目を奪うんじゃなくて、あくまでも「ちょっとだけ」お手伝い。
 で、
 
>少しは役に立てた、かな。

 これを読んだとたん、なんか、きゅーってきました。
 もうね、あとの文章は。しみじみ何度も読み返しながら、うんうんとうなずくばかりで。

 でもま、やはりぼくらしく野暮ったく、一点だけこだわっておきましょう。
 ヒカルという姉に敬意を抱き憧れるのは、これまでの流れからしてよく分かることです。関心事優先タイプが男役タイプになるというのは、ヒカル自身の成長過程そのものだし。ボクシングなどのいかにも男子向けな志向をもつヒカルは、テツの麗にとっても良いお手本になることでしょう。
 だけど、それとの関連で今日の日記で気になるのは、もっと上の方に記された一文です。

>アナタと並んで――ロウソクを吹き消して――
>すごく、嬉しそうだった。

 ここにはもちろん、誕生パーティに喜ぶ姉の姿を見て、なにがしかのお返しができたと安堵する麗の心境がうかがえるわけですけれど、あえてツッコミを入れますと。長男と並んで嬉しそうなヒカルの姿を見ながら、

>私もいつか――
>あんな風になれるといいな。

と感じたのではないか、と勘繰ってしまうのでありまして。
 ええ、直接的には「あんな風」というのは、優しくて強くて真っ直ぐなヒカルのことです。だけど、そのヒカルというのは、長男のすぐそばですごく嬉しそうな笑顔を浮かべられる、そんな女性でもあるのです。変にベタベタもせず、つっけんどんにもならず、ごく自然に長男を受け入れ、喜びを与えてもらえているヒカルの姿。
 猫耳メイドコスプレをさせられた姿を長男に発見されたとき、麗は何か言われるまで我慢できずに暴発してしまっていました。でも、あのとき何か言ってくれるのをちゃんと聞いて、そして兄の言葉を素直に受け入れ喜ぶことができたのなら。いや、ヒカルにしてもトラビキニにげんなりしたことがありましたけど。でも、ヒカルのようになれるのだったら、自分も兄の横にごく自然に立つこともできるのではないか。とか。
 今までは、姉妹の誰かが長男のそばにいるのを見てもただ疎外感や反発心を抱くばかりだったわけでして、それがずいぶん様変わりです。姉妹を鉄道車輛に喩えたのも今日が初めてのはず。それは、趣味がつきつける孤独を、麗自身がきょうだいへの意識によって少しずつ切り崩していこうとする、日記に刻まれた明確な一歩です。鉄道趣味の語り方が今後変わりそう。

 まあ、これでヒカルへの嫉妬もはっきり残るのですけど。悔しがれ長男。
 でも、麗がこれだけ「苦手」と語る「ありがとう」を、言ってもらえたあのときの喜びがあるから、ヒカルに学びつつ対抗して頑張っていけますね。夏旅行前のあのときは、しかし「絶対、放っておいてね?」の余計なひと言がくっついてましたから、これからは全力でひっついて嫌がられる所存。

 追記。長男の誕生日のことですが、昨年の1/24では虹子が「こんどおにいちゃんのときも、にじこおうたうたうね!」と言ってます。これは、今回ヒカルと長男が並んでたのは別に双子だからということではなく、たまたま(あるいはパーティ企画上の理由あって)のことだということなのか。それとも、虹子はその時点でヒカルの誕生祝い直前だったので、じつは長男も同じ日だとまだ知らなかったのか。どっちでしょう。
2009年1月27日(火) 女の子には幸せになる義務があるのです
 べびプリ綿雪(1/27)。
 先週末、ヒカルの誕生日パーティ企画のメインを務めたユキでしたが。麗はどんなふうにこの妹に手伝い参加を願い出て、綿雪もどんなふうに受け入れたんでしょうかね。姉が「ふつうの」きょうだいの一員となりたくて頑張っているのを見て、自分も「ふつうの子みたいに」なりたかったことを思い出す、そんなこの頃。
 なんで、って繰り返すその問いに、姉達が答えようとすればそれは綿雪の体を批判することになってしまい、この妹をただ追い詰めて自罰的にするだけ。それよりはむしろ、もっと「わがまま」にふるまってほしい、と願っていたかもしれません。氷柱とかとくに。
 でも、いまは「ふつう」に家の中でみんなと一緒にいられるから。「ふつう」の夢ができました。この幸せをたくさんの人に伝えられるように、お話を書きたいという。「大きくなれたら」じゃなくて、「大きくなったら」だから、綿雪はもう万一のことを最初に考えなくなったのかな。それとも、皆を心配させないよう作文には記さずに、胸の奥にだけ忘れずそっと秘めてるのかな。そいつはもはや兄に委ねていただきましょう。そーれもっとしあわせしあわせになれー。
2009年1月28日(水) ビョーキ
 べびプリ吹雪(1/28)。
 たいへんなことになってますね、インフルエンザの流行。ぼくも罹患したらもう終わりかもしれません、真面目に。体力ないのよ。吹雪のクラスも「学級閉鎖」ということで、姉妹も毎日心配なことでしょう。
 しかし、相変わらず吹雪は科学的情報に詳しいなぁ。ウィルスの侵入速度なんて初めて知りました。長男と一緒に、へー。と。そして「濃厚接触」だの「唾液」だの「粘膜への接触」だのと、これまた相変わらずでした。インフルエンザよりも、「体液の交換が成立」という言い回しの方が流行してしまう気配濃厚です。
 幼児さんのちゅーも禁止。ひとのドーナツを横からぱくーも禁止。

 あと、こないだの麗騒動で思いついた会話。

兄「『ヒカル姉様』、か……」
麗「……なによ」
兄「……」
麗「……?」
兄「……『きゅん』?」
麗「違うっ!!」
2009年1月29日(木) 出した子いっとうしょう
 べびプリ真璃(1/29)。
 そいえば、「璃」の字がこないだ常用漢字に加えられたっけね。おめでとー。
 さて今日のお題は、またもお菓子。あと1番。「キャラメルファッジ」と言われても分かんないよぉ。この子、歯磨きは相当達者なんだろな。これだけ甘いもの好きで、虫歯の話がまだ出てきません。虫歯菌をキュウビあたりが駆逐してる可能性もありますけど。キュウビすごい。姉妹にちょっかいだす男子も全員引っ越しさせる。白面の者が少しまともに生まれ変われたんでしょうねきっと。
 いいからマリーじゃ。コットンキャンディが最新のお気に入りとのこと、こっとんぱんつが永遠のお気に入りな人はよく存じ上げておりますがそれはさておき。コットンキャンディ……わたあめ? 相変わらず口が回るなーと黙って読んでるうちに、幼稚園の行事があるのだと理解。「お店屋さんごっこ」で「わたあめやさん」。これは、すでに勝利が保障されていませんかマリー陛下。お菓子系は卑怯です(実際に作るのは、わたあめを模した物だとしても)。でもあれか、もしかして仮想敵がいたりするのかしら。妹達の日記でその後の顛末が読めることを期待しつつ、言われるままにお手伝いしましょう。
 そして手伝うからには、さすがのマリーでも思いつかなかったアイディアを披露すべし。例えば、使用する綿に、あらかじめ甘い香りを薄く含ませておく。これは効果あるはずくんかくんか。あと、邪道ですがわたあめを包む袋を用意しておき、そこにアニメキャラの絵を描いておく。蛍さん出番です。
 こういうキラキラしたもの作りなら、立夏も好き&得意そうですが、どこかで失敗しそうでもあるので真璃に邪険にされたりして。「ヘタクソなんだもん!」の衝撃再び。
 一緒にお店を開く妹達については、観月はもう完璧な助手であるとして、さくらも尊敬する姉を見倣って頑張ることでしょう。ついでにリボンの結び方を教わっておくといいよね。そうすれば自分だけでなく妹達も飾ってあげられるから。
 
 みやもさんのとこで名前を挙げていただき光栄です。日記でご指摘の内容は、いわゆる再契約の件ですね。
 YU-SHOWさんの日々の更新は、じつのところ相当に意識してたりします。自分の日記でべびプリ感想を書き終えるまでは、読まないように心掛けてます。だって読んじゃったら影響されちゃうから。自分の意見をまずまとめてから、さて今日はいかがかしらと拝見し、そこで解釈の違いなどを確認するというのが密かな楽しみなのです。正直、しょっちゅう悔しい思いをしますけど、公式日記感想の標準(平均ではなくスタンダード)を提示していただけてるのは、ぼく個人にとってもファンダムにとっても幸せなことです。ちなみに、他にもそういう意識で巡回してるサイトがいくつかあります。
2009年1月30日(金) 来月はネギ型のチョコ
 べびプリ氷柱(1/30)。
 1月の締めは氷柱ということで、ええ。こう、おしりの括約筋をきゅっと締めるお話。
 こないだも吹雪がインフルエンザのことを記していましたが、姉妹全員が心配なのはもちろんとして、綿雪が最も気がかりなわけです。そこで出番だ氷柱。今日も過保護だ。や、新聞で罹患者の死亡記事など読むにつけ、いろいろ怖い想像が膨らんじゃったりするんでしょうね。
 で、長男のこともそれなりに心配。綿雪との接触感染防止を理由に、あれやこれやとお世話をやいてくれるあたりが通常進行です。だってね、これで長男が罹患したら、せっかくこないだ夢を綴った綿雪がしばらく長男と会えなくなて寂しがるわけだし。氷柱自身も寂しいということについては絶対に認めないとしても。
 さて、麗との仲が修復されつつある、というかほぐれつつあるのは結構なことなんだけど、それで長男が自分に割いてくれる時間もまたさらに少なくなります。みんなにチヤホヤされる姿を見て、疎外感を抱くのが麗ならば、ムキーッとなるのが氷柱。今回もまた綿雪への配慮に半分かこつけて、やきもきしてらっさいますね。
 その混乱した精神のありようが、ネギ1本に如実に表れてるという。これをいったいどうしろと。夜食に生ネギを齧れと。とりあえずありがたく頂戴しておくとして、長男がすべきこととしては例えば。この話を聞いたさくらが、猫ちゃんも風邪ひかないように、とネギをあげに行ったりしないように、まず注意しておくとか。このネギとショウガかなんかでスープでも作ろうと思い立ち台所に向かうとそこには春風さんがおり、みじんぎりの仕方を手取り教えてくれると言いつつ背中からおぶさってきてきゅん、とか。エマージェンシー、粘膜接触! 体液交換!
 ふぅ。
 それでも風邪をひいてしまったら、蛍特製の卵がゆを、また麗におすそわけ。
2009年1月31日(土) 微熱
 薫さんから反応いただく。あ、「対決」というのはぼくの妄想でしたか。すみませんですー。あと、商業出版の優位性というのは、あらためて確認。ところで商業の書き手というのは、同時に商業のうえで必要となる人間関係も受け入れる人々だけがなり得るものであり、それを忌避する・面倒と思う人は参画できないのかな。当たり前のことだろうけど、どこで自分の折り合いをつけるかという。
 そしておすすめリストを順次再読したり。ついでに、アーカイヴからここここ、自分用に置いておきます。 

 わぁ、こないだ書いた上司が別集団の全員を敵に回したー。見事に有終の美を飾られました。むしろ拍手で送りたい気分。

 般若心経ってのは、人間の感覚はすべて空虚なものだから、くんかくんかされたいぺろぺろされたりしてもても気にするな、という教えと理解。

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