日記
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2006年2月1日(水) 火の用心
 馬鹿話。

らむだ「この時期、火事は怖いよねえ。そいえば子供の頃、
    寝ている間に火事になったらどうしよう、と眠れなくなったことがあったなあ。」
美 森「そんな神経質な子供だったのか。」
らむだ「なのに、家でボヤを起こしかけたことが3回もあります。」
美 森「なにー。」
らむだ「ちっちゃかった時、ストーブで絨毯を焦がしたのが1回。」
美 森「ほう。」
らむだ「小5くらいの時、ストーブでカーテンを焦がしたのが2回。」
美 森「2回って……しかもそんなでかくなってからか。」
らむだ「1度目は、カーテンがストーブの前にかかってるのに気づかずに、
    煙があがってきて大騒ぎ。親にえらい怒られて大泣きしました。」
美 森「で、2回目は?」
らむだ「そのわずか1週間後に、まったく同じことを繰り返しました。」
美 森「お前、神経質でも何でもないな(笑)」
らむだ「親もさすがに怒る気力すらなかった模様。」
美 森「その頃から諦められてたわけだな。」

 いまの下宿にストーブはありません。
2006年2月2日(木) これは悪い見本
 ひさびさにうちのシスプリ考察がリンクされてるな、と思ったら、「がんばればどんな題材でも立派な論文にできるという見本」『ダメ院生テンプレ集』 内)としてでした(爆笑)。やーでもここ読んでると、駄目な大学生時代の記憶がまざまざと。

2006年2月3日(金) 恋する考察
 昨日の「論文」云々について。最初、リンク先のテンプレを読んで「院生の人達もいろいろだなー」と思いつつ、でもシスプリ考察がたとえネタであっても「論文」と呼ばれることに対して違和感を覚えていたのでした。だって、論文てものにはきちんとした方法論があってしかるべきでしょうし。卒論程度としてなら、「頑張ってこんなに書きました」という熱意を汲んで通してもらえるかもしれませんが。つか、あのときこれで通してもらえていたら(遠い目)。
 でも、内田樹の卒論生への通知(1/17)を読んで。「読む人への愛」や「贈与」ということであれば、その結果の是非や厳密さなどはともかくも、確かにあの考察にはそういったものを目一杯つめこめたという自信があります。天野さんも刊行当時、「アニメ版シスタープリンセスを見たことのないひとにこそお薦め」と宣伝して下さったけど、それは、自分と同じ初学者への「贈与」と同じように、ようこそこの世界へ、という新兄姉たちへの歓迎の気持ちをも、考察文章から汲み取っていただけたのだとしたら有り難いことです。
 しかしまあ、実際にはあの考察、そもそも可憐への恋文なわけですが(がーん)。その証拠はこちらに。そりゃまったくもって読む人への愛です、贈与です(自分にリボン巻いて)。

 掲示板でも励ましていただいたし、春からまたがんばらねば。メールのお返事も書いてます。
2006年2月4日(土) お赤飯でぃすの
 アニメ版シスプリ第10話。あの日、衛が水泳指導に現れなかったのは、航の水泳用ゴーグルを買ってくるためであり、後日のウェルカムハウスのプールで衛が意気消沈していたのは、航が水泳の練習から逃げだしていたため。これは考察するまでもなく、作品で描かれていたとおりの光景でした。
 が、ふと。あのとき、衛が生理中だったのでは、と妄想。すると、「この夏がいつまでも…」の台詞は、まさしく子供時代の終わりという意味になるわけですけど、しかし犬かきする航の横で衛も一緒に泳いでいたよなあ、とたちまち妄想撤回。
2006年2月5日(日) いぞん
 「脱オタク」や「脱非モテ」のための服装変更指南というのは以前あちこちで見受けられましたが、そのような今時の服装に身を包んで、さてえろげや漫画などの購入物はどうやって持ち運べばいいのでしょう。(ヒント:同行者の有効利用)

 最近、サイトで生産的なことをしてないので、過去を振り返ることが多くなってます。はてな系で考察が取り上げられたのに気づいて喜んだり(ありがとうございます)。ただ、それはそれとして感謝しつつも、自分の態度は過去の栄光にいつまでも縋り付いているみたいで何ともはや。

 馬鹿話。

らむだ「出張から戻るたびに自室の汚さに以下略。」
美 森「つか、今の狭さじゃ荷物が入りきってないだろ。引っ越せ。」
らむだ「片付けさえできない人間に、引っ越しなんてできるでしょうか。」
美 森「利休さんを呼べ。」
らむだ「それなら滞りなく進みましょうが、ぼくも一緒に片付けられそう。」
美 森「まあ、お前その場にいてもいなくてもかわんないし。」
らむだ「ひどいや。」
美 森「だいたい、利休さんに全部任せようとするからいかん。」
らむだ「お、お前が呼べと言ったのに……。
    それにほら、『人』という字は人と人とが支え合って」
美 森「お前、誰も支えてないから。」

 反論無用。
2006年2月6日(月) メイドさんバトン
 メイドさんバトンを勝手に拾ってみるの巻。

1.PCもしくは本棚に入っている『メイドさん』
 本棚の外に散らばってますが、シスプリのじいやさん、『まほろまてぃっく』、『エマ』、『シェリー』、『A君(17)の戦争』に出てくるメイド達、『グインサーガ』のフロリー(元メイド)、もりしげのマリエル(花右京じゃなくて『子供の森』か『蹂躙』に出てくる哀れな方)とか、いろいろ。

2.今妄想している『メイドさん』
 昔書いたものを以下転載。
「メイドさんについては、ぼくは元来依存的な性格なので、自分が主人であると同時に、メイドさんの存在にべったり従属しているというのが理想です。
 ただ、そのことに全然気づいていない自分が他の少女に心惹かれて、メイドさんの前で「あの少女が〜」などと平然と話していて、メイドさんも微笑みながら聞いてくれていて、そしてやがて今までの生活から離れようとする瞬間に、初めて自分がそのメイドさんとの「当たり前」の関係の中でひたすら幸せだったことに気がついて、そのかけがえのなさをようやく知って、はっと目を見開いて振り返ると、そこにはいつものように優しく微笑むメイドさんが立っていて、というシチュエーションにウルトラ萌えです。」

3.最初に出会った『メイドさん』
 たぶん、江口寿史『すすめ!パイレーツ』第1話に登場した、オーナー家のメイドさんです。たんつぼの扱いが巧みでした。

4.特別な思い入れのある『メイドさん』
 両極でいくと、一方はシスプリのじいやさん。もう一方は、PILの『メイドインヘブン』のヒロイン。ぱやぱや。

5.最後にバトンを回したい人5人
 えへへ……バトン忘れちゃったぁ。 
2006年2月7日(火) 普及ですわ……ポッ
 将棋棋士でシスプリ。

先崎 花穂:「こんな『元(?)天才』でも、見捨てないでいてくれますか?」
田中 鈴凛:「序盤の発明王に、株の資金援助よろしくー」
丸山 千影:「…………フフフ…………」

 全員分いまひとつ作りきれなくて断念。なお、可憐は加藤一二三先生でひとつ。盤上に駒をたたきつけて「パアァァァァン」。5秒に1回「お兄ちゃん大好き」。

 秋ヶ瀬さん2/6)より。

「あんよ氏と並んで、シスプリ考察サイトの二大巨根……、
 いや、二大亀頭……じゃなくて、二大巨頭と目されていた、
 どっかり鯨さんが閉鎖とのこと。」

 ぼくのは小さいです(違)。いや違わないんですが、そうじゃなくて。黒鮫さんのサイト閉鎖はほんとに残念でした、考察と二次創作の見事な両刀遣い、BGM関係ではまさに右に出る者なしという方でしたから。またどこかでお会いできればと思います。

 こないだの「どじっこふにゃっこ」に水野さんから反応いただく。やはり花穂ですよねあのイメージ。あと、リンク先は勉強になりました。童謡の誕生秘話。
2006年2月8日(水) おーへんりー(下品)
 デンセンさんの黒ミサ話を読んで、ふと「最後の一毛」というパロディを思いつく。頭髪ネタではもちろん既出ですが。

「この陰毛が全部抜けたとき、私は天に召されるのね」

 そう呟くジョンシーに、スーはかける言葉を持たなかった。ジョンシーの下の毛は残りわずかに1本、伸び具合からして明朝にはもうおしまいかもしれない。
 しかし翌朝ジョンシーが見たものは、ぼーぼーに生えそろった見事な下の毛だった。

「スー、私は悪い子だったわ。私に少し日本酒をちょうだい」

 ジョンシーがわかめ酒していた頃、彼女の下の毛を夜中にこっそり描き入れたベールマン老人は、その黒々とした光景に絶望してひとり身罷っていたのでした。

 こういうの、ロリこんに投稿できないかしら。
2006年2月9日(木) 大暴落
 持っていた株を慌てて全部売りに出して、そのことを他サイトで揶揄される、という夢を見ました。株なんて買ったことないのに。ただし、自分の近況と重ねると、あまりに象徴的。
2006年2月10日(金) 明日菜パイパン考(下品)
 明日菜が「パイパン」だと作品中でも喧伝される(第7巻)のは、ときどき作品の批判点として挙げられるけど、これはまあ、明日菜の幼さをネギとの関係の中で表現するための手がかりであるわけで、つまりは明日菜が自分の殻を打破することができないという事実の象徴でもある。タカミチへの恋心から一歩踏み出せない子供っぽさとか、自分の過去の真実を忘却させられてしごく明朗に生きていることとか、そういった明日菜の無垢性はすべてこの「パイパン」に集約される。
 しかし、そうであるならば、明日菜が自らの過去を取り戻し、痛みとともに前に歩み出そうとするときに、明日菜の無垢性は失われ、そしてもちろん、「パイパン」ではあり得なくなる。明日菜ぼーぼーの危機。
 いや、別にいきなりぼーぼーにならなくてもいいのですけど、子供時代の終わりというのは、明日菜の近い未来に待っていることには変わりありません。そのとき、不安に怯える明日菜の手をとり、寄り添うようにして一緒に前に歩んでくれるのは、やはりネギかなぁと思うわけですが、このときのネギもまた、エヴァの別荘での修行三昧で成長しすぎてしまい、気がつけばぼーぼー。ネ、ネギくうぅぅん1?
 そこでアーニャ登場でしょうか。
2006年2月11日(土) 新妻妹
 白雪の誕生日。Zoroさんねろ画伯フンムさんをはじめとする方々のお祝い絵を鑑賞(『BRAINSTORM』さんにて捕捉一覧)。翌日が『りすこみ』ということで皆さん大変なご様子でしたが、さすがだなあ。
 こちらは、「考察のレシピ」とか言ってこの日までに1本間に合わせようとしたのですが、まったく無理だったのでした(涙)。
2006年2月12日(日) ゲーム感想あぷ
 ゲーム感想のとこに、初代が遺したシミュレーションゲーム雑感を8本ほど転載することにしました。先日、ゲーム関係のファンサイトからリンクいただいており、この機会に少し賑やかにしておこうかと。問題は、取り上げられているゲームの大半が今では入手困難だということです。まあ、思い出話みたいなものだということで……。
2006年2月13日(月) 冬の終わり
 唐突に冬が終わったかのような暖かさですが、部屋の奥から春服をひっぱり出すだけの体力がありません。

 あと、いつの間にか始まっていた冬季オリンピックですが、開会式に登場したイタリア人の女の子(9さい)がやたら可愛かったそうで。

美 森「お前、観てなかったの? なにやってんだ馬鹿。」
らむだ「だって知らなかったんだもん。どうやらその直前まで観てたみたいだけど。」
美 森「つける薬なしだな。」
らむだ「なんで教えてくれなかったんだよー。
    まあいいや、どうせどこかに映像あがってるだろうし。」

 それっきり、その子のお姿を映像で見かけないのでした(とっぺんぱらり)。昨日のラグビーでの早稲田勝利に喜んでる場合ではなかったよう。
2006年2月14日(火) もらえただけでも
 義理チョコにも格差があるという事実への衝撃。露骨すぎます(涙)。
2006年2月15日(水) 久々に更新
 日記も全然追いついてませんが、書きかけだった「考察の書き方」をようやくまとめてみましたので、ご笑覧いただければ。
2006年2月16日(木) 単行本装丁による作品印象への影響
 いずみのさんより(『エーミッタム』原稿の紹介どもです)。リンクされている方のと全く同じ転換過程をぼくも経験しましたねー。ぼくの場合は、対エヴァ戦での明日菜の振る舞いで「あれ?」と思いました。でも、その時点ですでに『ラブひな』を知っていたなら、明日菜の一本気な姿に鳴瀬川なるのイメージを重ねてしまって、素直に受け入れることができなかったかもしれません(コピーっぽく感じてしまうため)。その意味では、『ネギま』を先に読んでおいてよかったです。『ラブひな』はまた別の楽しみ方ができましたし。

 で、赤松健インタビュー書き写しと、前の大衆娯楽論とを読み直しながら、ちょっと考えたこと。
 少年漫画としての『ネギま』というものを、単行本の体裁に注目して捉えるとどうか。例えば藤田和日郎の『うしおととら』と比較すると、『うしとら』は言うまでもなく少年漫画作品の代表として名高く、『ネギま』は同様に少年漫画らしい作品なのにそう受け取られにくい。
 で、両方の単行本をみてみますと、『うしとら』ではカバーの見返しに、導入的文章や、作者のメッセージなどが記されています。このメッセージからは、人間として大切な何かを読者(少年)に伝えたい、という強い「想い」が読みとれます。一方『ネギま』では、そういう作者のメッセージはほとんど記されていません。作者の言葉そのものはあるのですが、執筆の苦労だとか新グッズだとかアニメ化だとかの話題ばかりで、作者自身が少年に伝えたいという「想い」を見いだせないのです。そのかわり、商品展開の話が目立ったり、カバーを外すと表紙絵ラフやキャラ設定などが描かれていたりと、その旺盛なサービス精神が企業や大きいお友達に向いているように見えてしまうのです。
 このことは、単行本をみるかぎりにおいて、『ネギま』が『うしとら』に比べて少年向けというよりオタク(等)向けであるという印象を強めています。ところが、作品主題や少年に伝えたい想いを、自分の口で伝えないという赤松の態度は、主題は作品の中だけで語る、という首尾一貫した態度のあらわれである、と考えることもできます。逆にむしろ藤田の方が、作者の言葉の熱さによって、作品を読む側に、作品外部から先入観を与えているとも言えるのです。作品内論理だけで考察するという姿勢をもつぼくにとって、赤松のこの態度は、彼のインタビュー露出を読まずに単行本だけを読んで考察するかぎり、とても好ましいものです。
 ただまあ、藤田は自らのメッセージを記さなくても作品そのもので全てを伝えられる漫画家だと思いますし、赤松は作品にいわゆる主題というものを込めているのかどうか微妙に感じられることがあります。しかし、少なくとも『ネギま』には、少年にも受け取ってほしい何かが描かれていることは間違いありません。
2006年2月17日(金) 言い訳っぽく
 『ネギのス』さん『独り言以外の何か』さん2/16)、『青ひげノート』さん2/16)、『かーずSP』さん(2/16)、『痕跡症候群』さん(2/16)、『PC-SAKURA』さん(2/17)、『e_p_iの日記』さん2/16)、『猫とネギま!と声優さん』さん(2/17)、『こらむろ』さん(2/17)、「考察の書き方」をご紹介いただきありがとうございました。

 やはり少なからぬ方々が「書き方」というものに関心を寄せられていることが分かりました。
 例えば、「はてな」をご利用の方であれば。日記などのトピックとして一応の「感想」や「考察」を書いたあと、そこにつけてもらえた他者コメントや、「はてなブックマーク」から辿れる他サイトの意見を読んで、それらをふまえてもう一度自分の考察を書き直してみる、という作業ができそうです。この、「書き直す」というのがえらい手間ではありますが、自分の文章のどこが上達したかを後で確認できますし。

 さて、その「はてなブックマーク」。考察更新全開期には存在してなかったわけですけど、今回のコンテンツにはこんな感じでブクマいただいております。「例示がマニアックすぎ」とか「考察というより詭弁」あるいは「創作」だとか、「微妙に用途が限られて」るとか、だいたいその通りです(えー)。ですからぼくも最初のあたりで、ここで扱う「考察」が限定的用途向けだとちゃんと述べてます。いわんや「批評」などではないことも。他のコメントで言及されているここに説明されているような、本来の批評を目指すつもりは毛頭ありません。あえて「考察」と称しているのは、ぼくの能力と目的に基づく自己限定なのですから。
 なので例えば、アニメ版シスプリについてぼくの知らない真摯な批評がもしあるならば、ぜひ読んでみたいです。そして読み終えたあとで、これがぼくの知っているアニプリだろうか、と驚いてみたいです。

 それにしても、「きっと読まない」というタグの、意味はさておき正直なこと。
2006年2月18日(土) 小さくても高性能(下品)
 『ゴルゴ31』さん(2/17)、『東京ピクトリウム』さん2/17)、『Winter SNOW』さん(2/18)、『マンガ☆ライフ』さん『faith』さん2/18)、『ニュースとネギま道』さん(2/18)、「考察の書き方」のご紹介ありがとうございました。

 馬鹿話。美森氏から届いた段ボールを開封すると、30cmくらいのクッションが出てくる。

らむだ「なに、このちっちゃい枕?」
美 森「荷物のスペース埋め用。」
らむだ「うわー、ふにゃふにゃ。これって抱き枕?」
美 森「そんな小さい抱き枕があるか。」
らむだ「いや、ちっちゃくていいんだよ!」
美 森「ああー!(笑)」

 二人ともただ笑うしか。

らむだ「そろそろ春物のスーツあつらえないとねえ。」
美 森「お前、仕事着でいっぱい持ってるだろ。」
らむだ「いやそれが、出てこないので。」
美 森「なんでだ(笑)」
らむだ「山のような段ボールの奥に、クローゼットが隠れてるのですね。」
美 森「意味ねー。」
らむだ「あの荷物の向こうに、翼を持った女の子がいる気がして(オリエント工業謹製)」
美 森「書いとけ。」
2006年2月19日(日) リンクタイトルのこと
 『Temporary Feeling』さん(2/18)、『虹色カタルシス』さん(2/18)、『REVの日記』さん(2/19)、
『ぷらずまだっしゅ!』さん(2/19)、コンテンツをご紹介いただきありがとうございました。

 しかし、この「考察の書き方」ですが。タイトルには「あんよ流」と書いているのに、ほとんどの方は紹介時にそこを省略してます。「はてなブックマーク」がそうなってるからかな。
 ですが、「あんよ流」と付けたのは別に売名とかそういう理由ではなく、そこで語られている考察がぼく固有の目的等によって規定されている、ということを明示したかったからです。だから、別の目的等を掲げる人なら、別の考察の書き方がある、と。しかし、タイトルでのこの限定を引用しない結果、一般論として誤解されてる節がどうもあるみたい。
 もちろん「あんよ流」なんて文字列自体が恥ずかしいとか、まずぼく自身がプロレスというものを誤解しているとか、そういう批判は甘んじて受けます。
2006年2月20日(月) おちけつ
 『カトゆー家断絶』さん(2/20)、『のんべんだらり』さん(2/17)、『小さな刺客の大きな野望』さん(2/19)、コンテンツご紹介いただきありがとうございました。
 昨日分の日記にああ書きましたけど、カトゆーさんは「あんよ流」と付けて下さってますね。思えばシスプリ考察の頃からそうでしたが、タイトルをそのまま掲載する(ニュースサイト側の解釈を挟まない)というのがリンク時の基本姿勢なのでしょうか。

 ごくたまに真面目な話。「在日のすべてが強制連行ではない」というこの発言は、文脈から考えるに、全否定ではなくて部分否定と理解すべきでしょう。全在日が強制連行ではない、のではなく、強制連行によるものではない在日もいる、という意味。それを取り上げる保守系サイトは、例えばここでは「強制連行を今回否定し」なんて言い切っちゃってるように、このへんを全否定に持っていこうとしているみたい。それは意図的であれば悪意そのものだし、無意図的であれば国語の読解力の問題かも。ゆとり教育の(以下略
 それと、「日本の植民地開発政策との因果関係」への真面目な検討も必要だ、とここでは述べられているということは、例えば社会経済史的な観点からの冷静な学問的検討などもこちらから求められるわけ。ということは、これを突っぱねる保守系サイトならびにその賛同者の方々は、史実の検証をせずに思い込みで騒いでいる一部の韓国ネチズンなどの行為を嘲笑しながら、それとまったく同じ振る舞いをしていることになりはしませんか。横で見てるぶんには面白い光景でしょうけど。
 むしろ、こういう前向きな意見が出されたことにネット上でも賛意を示して、お互いにとってよりよい歴史認識の構築と問題解決の糸口を探るというのが、実際的ではないのかなあ。

 それはそうと、太らなきゃなあ
2006年2月21日(火) 謎だ謎
 『Temporary Feeling』さん『ランデイーはマンガがあれば幸せ』さん『無気力通信』さん『ABO』さん『コレデモクラエ』さん、コンテンツの紹介いただきありがとうございました。

 先日記したリンクタイトルの件で、『REVの日記』さん『恋愛ノスタルジィ』さんから反応いただく。自分のサイトなんだからそれぞれの考え方に応じて、ということではありますが、「はてなブックマーク」の仕組みについては謎が。

 謎といえばタンサー5ですが、たまたま検索してたらこちらの玩具紹介を発見。トミー恐るべし。そして、イデオン解説にある

>初期の構想では三機のメカは装甲車と幼稚園バスとタンクローリーというものだったそうで

という一文に爆笑しました。えー、そうだったんですか。
2006年2月22日(水) 夏が終わらない
 出張中、テレビ版『AIR』のDVDが自宅に届くと困るので、予約分を美森氏宅で預かってもらっていたのでした。で、その不在時預かり分をこちらに送ってもらったわけですが。

らむだ「最終巻だけ中身が入ってないにょ。」
美 森「え、そう?」

 そんなんいややー(悲鳴)。荷物のどこかに紛れ込んでいるかもしれないので、いまの残務を片づけてから探します。
2006年2月23日(木) 胃が痛い
 いかにもこちらの作業を全面的に潰そうという態度で、えらいひとがつっかかってきました。ので、そのひとに批判的なもっとえらいひとの見てる前で、論理的に罵倒しました。すごいすっきり。後で尾を引きそうですけど、それはそれ(考えなし)。
2006年2月24日(金) くいっくいっ
 『みすてりあすりっと』さん『黒羽の徒然物語』さん『余暇を如何にして過ごすか』さん、コンテンツ紹介いただきありがとうございました。

 ONAさんとこで、「しんこんメイデン」更新。初々しい二人(笑)。しかし、内股の少年を描かせたら右に出る人いませんね。
2006年2月25日(土) 爪切り鋏の方が怖い
 ローゼンメイデン。担任教師の梅岡がジュンをさらに傷つけてしまったことは間違いないのだけれど、あの善人(であればこそ尚更たちが悪いとはいえ)は基本的に頑張ってる人間なのであり、そもそもの問題は梅岡の姿を透かして襲いかかる同級生達の影。ジュンの趣味をからかったのはあの生徒達なわけで、たとえそのからかいが軽い気持ちでなされたものだったとしても、ジュンはそこに圧倒的な悪意を見出してしまった。
 そこで、今後の問題解決の方向性ですが。

1.ジュン自身が、そんな連中の悪意に負けないように心たくましくなる。
2.巴とふたり、支え合う。
3.真紅がいればあとはなんにもいらない。
4.薔薇乙女達が夜中に蒼石星の剪定鋏で、あの男子生徒達のちんちんをちょんぎって回る。

 あの物語は、じつは去勢コンプレックスなどと深い関係が(妄想)。
2006年2月26日(日) めがねー
 せいるさんより。「考察をしてもらえる作品は幸せ」というのは、確かに「作り手」からすればその通りですね。で、考察者からすれば、そういう作品とそういう作者に出会えて幸せ。

 こないだ届いた美森氏からの荷物中、桑原ひひひ『きつねさんに化かされたい!』単行本があったので読んでみる。まんまな駄目漫画(笑)。いわゆる萌え4コマの生き残りなのでしょうか、寝る前に読むといい夢見られそうな和み系。
2006年2月27日(月) 差別と差別者だけは(以下略
 映画『ホテル・ルワンダ』への感想をめぐる町山智浩氏による批判から、『音極道茶室』さん加野瀬氏など。
 とくに加野瀬氏からリンクされてる麻草氏の「憎悪がなくても虐殺は起こる」という指摘はまったくその通りです。あるいは、ある集団に憎悪を抱いている一部の者達の暴走を、その憎悪を共有していない他の大多数が阻止できない、という状況もあり得る。「憎悪を抱いていない」ということと「関心を持っていない(どうでもいい)」ということは矛盾しないから。だから、その映画を鑑賞して感動しても、その感情をフィクションの枠内にとどめてしまい、「どうでもいい」他者への意識は何も変わらない。それとも、映画内の虐殺側のイメージを自分の憎悪する集団へ、被虐殺側のイメージを自分達へと投影し、かえって恐怖と差別意識とその正当性への確信を強めるかもしれない。とくに今回の映画作品は、「われわれ自身の中の」虐殺者を突きつけることを目的にはしていないっぽいので、そういうことも起こり得る、と(それで作品の価値が下がるわけではもちろんないです)。

 だからまあしかし、「人間なんてそんなもの」と言って終わらせずに、何度でも繰り返し語るしかないわけで。町山氏もそうしてるわけで。その説き聞かせ方がまずい、という批判もあるけど、では、言われなき差別的言辞を投げつけられた町山氏の憤りまで込めてぼく達に伝えるには、どういう言葉が適切だったのでしょう。
 さらに言えば、フツ族による虐殺からツチ族の人々を守った人間が、もしもツチ族による虐殺が生起したならば、今度はフツ族の人々を守ることができるのか。つまり自分がそうできるか、ということですが、そのあたりまでは自らに引きつけて考えておきたいです。
2006年2月28日(火) 声なき死者
 昨日分に続いて、真面目な話。
 『アンネの日記』の真偽について『BRAINSTORM』さんより)。だいぶ前の話題ですが、ずっと気になっていたので。
 この分析結果や裁判の内容については、一次資料を見てないので判断を保留します。ただ、リンク先では、『アンネの日記』が後代の作品であるという判断を元に、ホロコーストそのものが虚構である、という印象を導こうとしているようです。これも、こないだ記したような部分否定を全否定にすりかえる論法ですし、アンネの死という事実そのものの意味を結果的には曇らせてしまうものです。もちろん、彼女の死を政治的に利用することは、一人の人間の尊厳を奪い、モノ化してしまうことにつながります。しかし、それを批判する側もまた、その批判を特定の民族や政治団体への攻撃に結びつけることで、同じような非人間的な行為に陥っていないでしょうか。もちろん、これは歴史的事実の検討をしなくていい、ということではなく、その事実の意味をどのように受け止めるべきか、という問題です。それをいつも念頭に置かないと、ぼくたちは二重にホロコーストしてしまうことになります。

 こういうこと考えてると胃が重くなるけど、自分だけの問題ではなく。雛子ちゃんや未来が差別されたり人を無自覚にでもモノ扱いしたりしたときに、きちんと対応できないと、瑞佳や可憐に顔向けできないと思いました。

 ああ、思えば『TRIGUN』のヴァッシュは凄いやね。

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