日記
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2008年4月1日(火) ぴんくふれでぃ
 四月馬鹿ということで、今日だけ真面目に生活してみました。一人で爆笑。

 「四月ばか。」って書くと、ちょっと萌え。

 そんな悠長なこと言ってられないベビプリ虹子(4/1)。
 フレディがいなくなりましたとさ。って、えええええまじっすか。がってんしょうちのすけ、と外に駆け出して、行きかう人々に「ぴんくのぞうさんを見ませんでしたか」と尋ねゆく兄。白いワニなら見えました。いやまてぼくは正気だ。自分で正気だというやつが一番信じられません。すいませんぼくがやりました。
 やー、いくらちっちゃくったって象ですからね。どんな被害が周囲に及ぶか分かりませんし、フレディの方も気がついたら麻酔銃くらってたとか、想像するだにたまりません。薬局の店先で鎮座ましましてれば、案外みんな分からないかもしれませんけど。うかつに叩いたら、プラネットボンバー発射ですよ。どんなスレンダースカラですか。

 とりあえず虹子もピンクで固めるようにお着替えさせて…もうそうなってますね。ええと、兄は急いで茶色になりかけのバナナを買占めに走るのでした。おいしそうな台湾バナナでも、1本たりとも口に入れずに我慢です。ああそれにしてもどうなることやら。心配のあまりぼくちんのバナナもふにゃふにゃです(常態)。

 これでフレディが鼻で「ドッキリ」と書かれたプラカード握って裏庭からのっそり戻ってきたら笑う。その昭和の香りに。
2008年4月2日(水) ぱおーん来訪者
 ベビプリ観月(4/2)。
 四月馬鹿ではなかったようです。だったら昨晩のうちに再更新してるよね。つか、まだ行方不明なのかフレディ。フリーダムにもほどがあります。

 さてこの観月、自分も幼児だけど視線はお姉さんそのもの。虹子だってそうでしたが、妹の面倒をみようとするうちにちゃんと成長するのね。ぼくはしませんでした。むしろ妹の面倒になってました(駄目)。
 しかし、「じゅう」。獣。フレディは「けもの」じゃないんだ。一方、兄は「けもの」ですか。今回「けだもの」ネタが各所で満開です。この分かっていても避けられない罠を前にして、「そもそもけものは」と舌を噛まずに言える観月ってすごいねー、と別ルート開拓。兄に余裕の笑みを向けながら、自分の座る横ちょをぽんぽん叩いて「ここ」と指し示すこの妹の姿が目に浮かびます。そして蛍という頼れる姉を讃えつつも、その姉に進言したのが自分であることをさりげなくアピール。蛍にしてみれば、この妙に大人びて独りでいがちに思える妹が、虹子を気遣っているというのが、また嬉しいんでしょう。頭なでなで。観月も思い出しながら顔がほころぶ始末。いいですねこういうの。

 さて、問題の計画はといえば。餌で罠にかけるという王道です。餌はバナナか、と思いきや、どうもそうではなさげですね。「フレディが寄ってくるような、/虹子の大切なもの」とはいったい何ぞや。兄か(違)。
 虹子にとって大切なもので、フレディもそれに引き寄せられるようなもの。おくるみかしら。虹子が生まれたとき、赤ちゃん虹子をくるんでいたおくるみ。やがてちっちゃなフレディが家にやってきたときに、もう虹子は使っていなかったそのおくるみで、フレディを暖かくくるんであげたのでした。虹子のにおいのするおくるみに抱かれて、フレディが家族の一員になったのだとしたら、このぞうさんの一番のお気に入りが虹子というのも納得できます。そして虹子にとっても、フレディは特別な存在。『ママ4』を思い返しつつ、そんな想像をしてみたり。
 ところで、いくら子象でも蚊帳くらい突き破れませんか。星花の期待するまなざしを受けて、兄は水も漏らさぬ計略を練るのでした。

 蚊帳の中にバナナを仕掛けておいたら、姉妹の誰かが捕らわれたりして。青空……それとも立夏……いや、みぞ……。
2008年4月3日(木) しまった、これは
 ベビプリ(4/3)。
 頼れる姉(長男にとっては妹)登場です。さいくはりゅうりゅう。さて「面倒をかけ」たというのは虹子や観月ならまだしも、真璃までがなんで?と思いましたが、虹子を慰めるためにわざとはしゃいでたのね。えらいわー。虹子の結婚相手である兄に、フェルゼンフェルゼンとわざとくっついて挑発するとか、いろいろ考えたのかしら。とくに幼稚園以下のきょうだいの中では最年長になりましたから、姉として頑張ろうとしたのかも。そうでなくてもここの姉妹は思いやりに満ちてますけどね。
 で、そんな妹達のお手本の一人である蛍がこのたび罠に用いたのは、虹子の腹巻き。あー惜しい、おくるみじゃなかった。でも、においにつられるだろう、という読みは一応合ってたか。くんくんなら任せてください(意味不明)。ばんそうこうの方がよかったと思います(弁士中止)。

 そんな蛍にとっての、頼れるひとが兄。姉達がどんなに心配して気遣っても泣きやまない虹子。そんな妹を寝付かせたのは唯一この長男。蛍だって本気で妹のために知恵を絞ったのだけど、それを上回る兄の威力。ちょっとだけ悔しいけど、さすがと安心させてもくれる存在感。だけど、そんな兄にしてみても、この頼れる妹を誇らしく思っているのです。面と向かってそう言ってあげたい気分。
 虹子にしてみると、姉達の気遣いや工夫は嬉しいとしても、自分が何とかしてやる、と兄が勢い告げたとすれば、そっちの方が(たとえ実績はなくても)納得し安心できたのかもしれません。
 で、騒ぎに目覚めたら、フレディの代わりに兄が捕えられている罠。あはは。何やってんだ、餌はぱんつじゃないのに(そこじゃない)。わざとからまったのか天然なのか、いずれにしても、このお兄ちゃんが捕まるくらいだから、フレディだって大丈夫。そして兄は山狩りに出かけるであった。

 裏山からのっそり戻ってきたフレディの背中に、ちっちゃなうさぎが乗っかってたらいいなあ。虹子の腹巻きとお揃いで。

 追記。ピンクの蚊帳について。これ、蛍によればお古なのですが、家族がいつ頃からいつ頃まで使ってたものなんでしょうかね。フレディが入るほどのゆったりサイズですから、たぶん姉妹の数がそれなりに増えてきたあたりで購入したもの。幼い立夏たちによる裂き跡だとか、おやつや飲み物をこぼした跡だとか、いろいろ残ってる思い出の一品。だけど、吹雪のような接近状態が苦手な子や、綿雪のような病気がちな子もいますから、そういった子も含めて人数が増えたあたりから、もちょっと小さめの蚊帳を複数使用してるのかも。
 とすると、このピンクの蚊帳って、ある年齢以上の姉妹にしか共通の思い出がなかったのかもしれません。たとえば、真璃より下の子はもう新しい蚊帳の下でしか寝たことがないとか。そういう思い出の溝みたいなものが、少し探せば家の中に見つかるものなんでしょう。
 だけど今回、長男が何故にかこのピンクの蚊帳の罠にかかったことで、その情けない姿を見て大笑いした姉妹は、かつてこの蚊帳を使っていた頃の記憶の有無にかかわらず、いまこうして共通の思い出を獲得しました。「ピンクの蚊帳」といえば、みんなが「ああ、あれね」「あさひはちっちゃかったけど、あのとき一緒にね」と語り合える。もしかしたらこのお古の蚊帳が好きだった子も、物置にしまわれた蚊帳を寂しく思っていたかもしれないけど、こうやってみんなの、そう、兄も含めたみんなの楽しい思い出ができたことで、その寂しさを昇華できたんじゃないでしょうか。
 姉妹のなかにある溝の一つを、最も新参者の兄が、ぴょんと一跨ぎさせてくれました。懐かしいピンクの蚊帳が、もう一度いのちを取り戻しました。モノの意味が変わっていく幸せ。もちろんこの蚊帳を兄の前に示してくれたのは蛍だけど、蛍が嬉しかった理由にはこんな事情もあったかしら。と妄想。
2008年4月4日(金) 分かるわけにはいかん
 ベビプリ氷柱(4/4)。
 わー、フレディ帰還ー。と思ったら……え? なにゆってるの氷柱?
 とりあえず、青空のぱんつに「ドッキリ」と記されていないことを確認しつつ(破廉恥行為)、まじっすかご主人様。
 ええと、脳生理学者になりたいって、そういうことだったのか。つまり、この子は『ネギま』でいえば千雨なのか。あまりに非常識なこの日常生活に毎度ツッコミを入れて生きているのかな。んんー。でも今までの日記を読むかぎり、家族との日々そのものにはさほど違和感や不満はなかったはずですから、フレディだけが例外なのかしら。
 さっぱり分かりません。ここで金曜日というのが素晴らしい。週明けに、何事もなかったかのように別の話が進みそう。

 解釈の多様性を残すのに、シスプリのようにある領域について語らないだけでなく、ある事象について相容れない認識をキャラクター達が示す、というのは、読参企画としてまた一歩前進したということなのかどうか。千影の魔法もキャラコレだと彼女の主観だけなので本当にあるのか解釈多様なのですけど、ポケットストーリーズだと妹達にその存在を認識されてる雰囲気の話があるんですよね。
 ただし、氷柱の場合は「こんなの絶対現実じゃないですから!!」「とにかく――私は絶対に認めないからね!/あれが現実だなんて。」と、「これ」「あれ」という指示語を用いてますから、つまり彼女にも見えていることは間違いなさそう。見えてるんでなければ、兄や他の姉妹の言った内容を指して「それ」と呼ぶだけですみますから。
 すると、キュウビの場合は、見える兄・観月と、見えない他の姉妹との間に決定的な溝がありましたが、フレディの場合は、兄も姉妹も全員が見えるけど、氷柱だけは見えても認めない、と。こうなると、ピンクのちっちゃな象とは、妖精さんとか、アフリカの山奥で修業した父親からのお土産とか、そういう類のものなんでしょうか。
 うん、千雨というより明日菜に近いかも。「ちょっとー!?」とか笑い泣き顔で叫びそう。いま、頭の中で赤塚絵に高速変換中。こないだは猫玄絵でしたが、これなら未成年もおっけーです。

 他の姉妹に目を向ければ、真璃やさくらに加えて観月も「大騒ぎ」してるという姿が微笑ましいです。姉として虹子のために頑張ったものね、嬉しいよね。こうふんじゃ――。蛍も続けて大活躍。そんなふうにフレディが何ものかという疑問も持たない姉妹と、全面否定で突っ張る氷柱の間に立って、小雨がUMAという妥協案を提出するあたりがまた優しいというか、この子らしいというか。むしろHFOで(違)。

 本日誕生日の鞠絵が綴った物語の挿絵に描かれたピンクのぞうさんが、千影の魔法でいのちを得たという説を提唱しておきます。マホウもあるこの世界、夕凪もがんばれ。そいえば鞠絵もアニメ版だともう二十歳ですか。
2008年4月5日(土) 後追い人生
 お前は自分の頭の中にあるストーリーに沿って他人が動くと思っている、と指摘されました。ぐうの音も出ません。人間が分からないんです、あんな考察を書いておきながら。というか、ぼくの考察は解釈によるストーリー再構築だから、まさに同じことなのかも。うーん。人間知らずのストーリーテラー。現実の人間をもとに物語化しているのではなく、フィクションを通じて獲得した人間像を考察に適用しているということなのか。すると、ぼくの考察とは、類型的な萌えキャラを人間化する試みというよりも、徹底してキャラクター化する試みなんだろうか。
 まあ、難しく考えずとも。複雑な機微を残さずに、行動の背後にある意志や原因を割り切ったかたちで示そうというのだから、そこだけ見ても明らかに人間を単純化してるわけですし、そもそも考察とはぼくがその作品をどのような物語として理解したかを述べるものだから、そりゃフィクションのままでいいのです。普段の生活ではそれはドリーム入った他者理解になるのですが。
 あとね、その解釈対象となる世界に自分がいると、とたんに解釈できなくなるし、一歩以上遅れるのね。

 デンセンさんの分類。やた、「シスプリ原理主義」だたっ。わーいわーいと欣喜雀躍しつつ、「生べび大好き派」に頭をガツンと。それは思いつきませんでした。そしてトゥルー世界の新説、ええー。でも説得力がありますね……むしろ、「家族」のイデアがこのべびぷりである、と妄言してみるテスト。プラトンが観たえいえんの世界。

 ONAさんのトップはヒカル。なんでこうたまらん曲線ですか。そしてああ、胸が。ベビプリのちちくらべってどなたか実践済みでしたっけ。
2008年4月6日(日) 薔薇は薔薇は
 プリキュア。スコプル達も含めて、みんなの表情がとてもよござんした。
 せっかく転職したのになぜまたどん底に、と叫ぶブンビーの悲鳴が、起き抜けのぼくの股間を濡らします。ありがとうよ。最悪の気分だ。危機を迎えて初めての共闘となりましたが、しかしプリキュア達と異なり、相手を対等な仲間、助け合い信頼し合う友人とは見なしていないのですね。それでもスコルプを見捨てないあたりがブンビーの人の好さというか計算高さというか。
 そしてミルキィローズ、王道をゆく登場シーン。まるでグレートマジンガーのよう。つか、名前に「ミルキィ」ってあるじゃん……馬鹿か自分。いや、まだ正体がミルクと決まったわけではない。メルポかもしれない。15年後の未来からタイムスリップしたのぞみの赤ちゃんかもしれない。父親はりん。
 これだけの強さ、格好よさをいきなり見せつけたローズが、今後エンディングのような軽さをだだ漏らしていくかと思うと、ぞくぞくわくわくします。
 赤い薔薇、青い薔薇。合体した紫の薔薇の人が、うららを女優へと励ましながらフローラを救います。

 さて、敵の名前はスコルプ(スコーピオン)にアナコンディ(アナコンダ)。以前にカマキリ、ガマガエル、クモ、コウモリなどが登場してますが、これからの新幹部は何をモチーフにするのやら。女の子戦隊にとっての最強の敵として、ゴキブリを所望します。決め台詞は「こっくろーさん」。
2008年4月7日(月) むにっ
 通販で届いたG'smagazineを開こうとした瞬間、鼻血が出ました(実話)。
 いや、年甲斐もなく……。てへへ。

 そしてベビプリ春風(4/7)。
 先週の騒ぎが何でもなかったかのように、長男という王子様が自分の高校に入学することを心からお喜びのご様子です。フレディ以上にドリームぢから。さすがの三女。なんかアニプリ第3話が懐かしいです。
 と、いつものようにしみじみしていたら、

「ほら――

 ちょっと――さわってみて(はぁと)」

 鼻血再噴出。それはもういいんちょ並みにどばどばと。
 い、いやちょっと待て。ピンク色に染まったのはフレディだけじゃなかったのですか。「ヒカルちゃんのいじわる……」あたりは、口をややとがらせた子供っぽい表情を想像させて微笑ましいのですけど、しかしそこまでの展開があまりにあまりなのでして、はい。そして最後は文字通りの怒涛。春歌だ。これは可憐ではない、その名の読み方どおりの春歌だ。きょうだいとなり、ただ同じ学校に通えるというだけなのに、気がついたら新婚生活のごあいさつ。しかも姉だけに春歌以上の抵抗突破力。だめだ。ウルトラマンレオが負ける(錯乱)。
 アニメ版パロでもネタにしましたが、手作り弁当が本気で愛妻弁当になってそうです。でんぶでハートマーク。

 ベビプリミニゲーム。あさひのよだれ爆弾を右へ左へ受け止めて、みんなの制服を守ります。キャンディーやぱんてぃーがボーナスアイテム。ときどきつららが降ってきたり、電車が突進してきたりしてゲームオーバー。

 先週のフレディ問題についてかとまんさん(4/6)の解釈。おお、日記の表現をじつに丁寧においかけておられます。結論に同意するかは措いても説得力あるなぁ。絵の方はアレですが(笑)。そしてこういう唸らされる考察を可能にするのが公野テキストの懐の深さです。
 さてさて、これで家族の身近に存在する動物・獣などは、綿雪のオコジョ(名前不明)、観月のキュウビ、虹子のフレディ、青空のカエル、そして新たな仲間のフラミンゴ。わーお。オコジョについても日記での言及って今までなかったですかね。ということは、オコジョもカエルもかつてのフレディと同様、その妹(と長男?)にしか見えていない可能性があるという。やはりスタンド能力なのか。とりあえず、この動物たちは「これから生まれてくるはずの妹達の魂」という、たんば的解釈を掲げておきます。
2008年4月8日(火) 受け継がれるもの
 ベビプリヒカル(4/8)。
 春雷。新田真子の短編を思い出しますね。雷の轟きに、真璃までもが泣くんだ。さくらや虹子と一緒の部屋で、二人が怯えているのを最初は余裕の笑みを浮かべつつ安心させようとするんだけど、自分も怖いから二人につられてどんどんたまらなくなってくるし、度胸のよさげな観月や青空はとっとと寝ちゃうしで、妹達と連れ添ってヒカルの部屋へ駆け込んだんですね。でも、そんな足元おぼつかないときでさえ、真璃はさくらと虹子の手をしっかり握ってあげていた、と思うこのごろ。ぼくもあのときはそうしてたはずなんだけど、なんでいまはこうなっちゃいましたかね。

 それはさておき、ついに姉妹の幼き日の回想が。「のんきな子」だった蛍のしれっとした表情も想像するだに面白いのですが、春風さんは「べそべそ」ですか。萌え(直球)。姉なんだけど妹のような可愛らしさ。ヒカルが男の子の役目を担っていたのは、こういう姉がすぐ上にいたからでもありますか。
 とか書きながら読み進めてたら、あら。さっき真璃の姿を想像して書いてたことを、春風さんがそのまんまに。まじか。顔がにやけてしまいました。そうです、そうでなくてはこの家の姉ではありませんものね。

 しみじみとこの歳月を振り返るヒカル。立夏が生まれたのはこんな春雷の夜だった13年前の今日。雷は夏の訪れ、と思い込んでいた姉妹の幼さ。そして、そんな娘達の勘違いを聞いて、新たないのちの喜びに「立夏」と名付けたのかもしれない両親。「夏至」じゃなくて本当によかった(それはない)。出産のために親が不在の間、小学生以下のこの娘達は、みなで寄り添いながら助け合い、親を心配させまいと頑張りぬき、新たに一員となる妹を迎え入れるこの家を守りぬいたのだから。その娘達への感謝と誇らしさも込めて、そのつよさを分かち持ってもらおうと、立夏と名付けたその願い。こないだの小雨といい、愛と信頼に満ちた逸話。

「今年は――優しいお兄ちゃんが一緒で、良かったな。」

 そんな温もりの中で、そしてそんな温もりを支え合ってきたヒカルの最後の一言は、この冬にやってきた長男にも、この家に再び生をうけたという目眩を与える祝福の言葉。過去の思い出は分かち持っていないけど、こうして少しずつ語り聞かされ、これからは一緒に作っていく日々。

 そんな姉の優しい微笑みはつゆ知らず、立夏は妹達を「おへそとられるYO!」と脅かしていたのでした。しかしそう言いながら立夏自身のおへそは丸出し、見つめる兄の目は優しげ。定例の金獅子丸オチ。
2008年4月9日(水) 春の台風
 雷の晩に幼い妹達が兄ではなくヒカルの寝床へ避難した理由を考えてみる。

(1)兄の部屋が遠かったので、そこにたどり着くまで我慢するよりも姉の部屋を選んだ。
(2)混乱してたので、半年前まで習慣化されていた行動が咄嗟に現われた。
(3)兄の部屋にはなるべく入らないように、という幼児向けの指導が日頃なされていた。
(4)兄の部屋にはすでに枕を抱えてべそべそ泣いている春風がいた。
(5)兄はすでにべそべそ泣きながら海晴の部屋にいて留守だった。

 というわけでベビプリ立夏(4/9)。
 新年度のうきうき気分。しかもこの春から中学生。鼻歌まじりに支度を整え、いざ出陣。「授業の準備」だから、入学式は済ませてるのね。この季節は、新しいクラスになじめるかとか不安を抱く人もいるわけですが、立夏にはそういう悩みは無縁かも。つか、おやつは忘れないのね。
 新品に総入れ替えできることを快く感じるのは、霙とは対極に位置するのでしょう。あるいは、ヒカルや小雨もしんみりするかもしれません。でも立夏はそんな寂しさとは無縁。まぶし。まさに夏の少女。こんな太陽みたいな妹が、いつかふと陰りを覚えることもあるんだろうか、とほほ笑みながら想いを馳せていたら。
 あらら、さすがは女の子。遠まわしなセリフで様子見、上目づかいで挑発。中学生らしく背伸びをすれば、兄は身をかがめねばならないのでした。夏ごころあれば兄ごころ。

 どうぞ練習台にお使い下さい(駄目)。

 つか、こないだまで滑り台でぱんつ見せまくっていた小娘にキスをせがまれて転がされるような兄ではございません。ええ。ぱんつの方が威力でかいです。いやそうじゃなくて。
 あーでもこのテンションで学校だいじょぶじゃろか。上級生に「生意気だ」と睨まれたりせんじゃろか。そういう不届き者には氷柱が刺さりますか。あ、立夏自身が氷柱に睨まれるか。
2008年4月10日(木) うやらましい
 ベビプリ夕凪(4/10)。
 あ、そうか姉が制服を着て喜ぶさまを見せつけられたら、妹だってそりゃ真似したがるか。こういうことって、とくに年少妹たちにはよくあるんでしょうね。……もしや年長でもありがちですか。とりわけ春風吹いちゃってる人とか。
 さて夕凪は、えーと3年生になったのでしょか。小学校の中でそれほどお姉さんというわけでもない微妙な学齢。いちおう中学年とはいえ、真ん中より下だし。そのうえ遠慮なくえばる立夏に我慢ならず、床に転がって、とまではいかずとも、椅子に腰かけて両のあんよをばたばた、という姿がまざまざと。
 そして立夏も「おしゃれ」だし、もっと年長の姉たちも「かっこよくて、かわいかった」。素直に褒められる妹と、その称賛に値する姉。憧れるよね。

「夕凪はねーけっこうブレザー好き!」

 ここで「けっこう」という語を用いるあたりがぼくはけっこう好き。そして夕凪のブレザー姿を想像してみるテスト。ひえーけっこう(駄目)。

 『まぼろしパンティ』だと「うーん満足」になります(誰も聞いてない)。

 年下から見れば年上はいつだってずるくて、どんどん憧れの大人になっちゃうし、自分がそのくらいに大きくなったときには、もうその場にはみんないなくなっちゃう。とりかえしのつかない遅れにしょんぼりしつつ、そこで終わらないのが夕凪のつよさ。そうだ、マホウだ!
 ……ぐはっ(ねこさんポーズが眼前に出現)。
 ……ぶはっ(待っててと言われて悶絶)。
 あのね、ちょっと待ってる間にお兄さんは、夕凪が姉の制服をこっそり急いで借用に及ぶさまに思いを馳せてね。立夏が貸してくれなかったら蛍のかもしれないけど、ぶかぶかのを着こんで転ばないよう駆け足でとてとて戻ってくるまでに鼻にティッシュを詰めておきます。

 いや昔、とある小学4年生の女の子が中学生の姉の制服をこっそり着てぼくにえへへと笑いながらくるっと回って見せつけてたなぁという記憶が鮮やかに蘇りました。その子は小3のときには雨の日に黄色い長靴を履くのを最初は嫌がってたのに気がついたら水たまりにちゃぷちゃぷ長靴で入って遊んでてぼくが見ていることに気づいたとたん一瞬固まったけどえへへと笑ってばちゃばちゃ駆けていきました。小5のときにはおへそを出して寝ていました。
 高1のときには、すっかりけばいねーちゃんになっていました。むーざんむーざん。

 明日は、自分の過去を思い出して妹の制服を着用に及ぶ海晴姉さんの出番です。それなんてイメクラ。
2008年4月11日(金) 妹は兄姉のかすがい
 ベビプリ綿雪(4/11)。
 あー……氷柱のを借りようとしたのか夕凪……。昨日は立夏のを拝借しようとして、と想像しましたが、立夏なら嫌がっても怒るとこまではいかないかな。とか考えてたら綿雪もそう言ってました。久々に氷柱が刺さりましたが、夕凪もあの可愛らしいマホウの直後だけに、その急転直下の空気の冷え込みに兄としても責任を痛感します。ごめんよ夕凪。でもそうやって謝ったら夕凪が「お兄ちゃんのせいじゃないよ」と健気にかばいそうでたまりません。
 うん、マホウがね。うまくいかなかったというのがまた。つらい。や、泣いてる夕凪を兄がだっこして慰めたのなら、別のマホウが発動してるわけですけど。

 しかし、夕凪に共感しつつ氷柱の気持ちも斟酌する綿雪はすごい。この子、今春小1ではなかったですか。すると、あわせて夕凪と相部屋になったのかな(小学低学年グループに仲間入りなので)。そのへんはまだ分かりませんが。ともかく、夕凪に近い年齢のこの妹が、日頃世話をしてくれている姉の気持ちも一番よく分かっていて、その大好きな姉が怒っているがために兄が遠ざかったり誤解したり、あまつさえケンカしたりするのは耐えられません。
 そう、昨晩は夕凪が部屋をちょこちょこ出て行ったあと、制服姿で戻ってくるのを楽しみにしていたのに、氷柱の怒鳴り声と夕凪の泣きながら謝る声が響いたのではないでしょうか。すぐさま駆けつけた長男が夕凪をかばったところ、氷柱は感情を高ぶらせたまま兄をも罵倒して、んで兄もついカッとなって口論したとか。氷柱は一歩も引かないだろうし、兄も「そんなに怒鳴ることないだろ」と真っ向からぶつかったまま。結局互いに譲らないままそっぽを向いて、気まずい雰囲気が家の中を満たしていたのかも。だから綿雪が、姉の気持ちを兄に分かってもらおうと。

 その氷柱は、制服を妹にさえうかつに触れられたくない誇りを抱いていて。それは成績のことよりも、綿雪を治療するための一歩をたしかに刻んだ証しであり、その目標に向かってゆく自分の信念の象徴であり。って氷柱は「脳科学者」になりたいんだよね……? てことは、綿雪の病気って脳にまつわるものなの? 春風が吹いてるとかそういうレベルじゃないの?

 なんてことを考えながら読み進めていたら、「うらやましい」ときましたか。うあー。すぐにおちゃめな口ぶりを挟んでるけど、こう、ぐっときました。公野先生、尊敬してます。
 氷柱は綿雪の頭に(しかも脳の器に)ゲンコツなんて考えもしないだろうけど。自分のために何でもしてくれる姉の気遣いに、優しさと一体となった遠慮を感じてしまっていて、でも姉にそんなこと言えるはずもなかった。だけど今は、兄にこうして内緒を打ち明けられるようになりました。だから、自分のために生きようとしている姉が、姉自身として生きられるように、幸せでいるように、兄にお願いするのです。
 学校で氷柱が肩肘を張りすぎませんように。友達と、そして何より兄と仲良くしてくれますように。だって、それが氷柱の密かな願いでもあるのだから。綿雪のために我慢して氷柱が大切な他者を遠ざけてしまうようなことを、この優しい妹は望んでいないのです。そして、こんな気遣いを可愛い妹がしてくれてるなんて、意地っ張りの姉は気づいていないのだろうし、知ってしまったらショックだろうから、綿雪と兄のナイショの約束。指きりげんまん、破ったら針千本……は大変だから、綿雪のゲンコツでひとつ。「めっ」てしてください。そんなペナルティがなくても、この妹を悲しませることはできませんけど。

 とりあえず昨晩の反省の意を示して、学校休みがちの綿雪のために、夕凪と二人で家庭教師します。夕凪は立夏がうらやましい、綿雪は夕凪がうらやましい、そして兄のレクチャーを受けている綿雪をうらやましがるきょうだいは、プライベートレッスンの支度を着々と整えていたのでした。
2008年4月12日(土) けんけんぱ
 アニメ版ベビプリ1話分追加しました。前回更新からだいぶん間が空いてしまいました、完結まであと4話ですか。ううむ。今月中に終わるかしら。

 『マップス シェアードワールド』読む。長谷川世界を舞台とした日本人SF作家の競演です。あとがきにある「ハデ目のスケール」とはまったく無関係に、古橋秀之の「町からきた先生」と新城カズマの「さよなら三角、また来てリープ」が自分の好みに合いました。もうそのまんま長谷川絵で想像できたという。しかも古橋作品の「先生」は、『サン・ド・ホリー西へ!』の天使様の登場シーンをなぜか思い出しすしまつ。ああ懐かしい。
2008年4月13日(日) あめこん
 プリキュア。ああ、スコルプ……。さらばさらば。最期の一言も泣かせます。これでブンビーはまた独りになってしまったわけですが、安心してローンを返済できる日は来るのでしょうか。
 それにしてもミルキィローズつえーです。必殺技も文字通りの必殺でございます。投射範囲が広すぎて避けられないよ。戦闘面でこれだけ卓越しているということは、バランスとして日常面で存分に抜かっていると考えてよろしいでしょうか。変身元がミルクだとして、敵をやっつけて立ち去ったあと、自らの格好よさに一人悶えて喜んでると想像。しかもその事実を王子達への手紙に書けずにまた悶絶。もしかしたら変身時にはミルクの意識が消えてたりするかもしれませんが。
 一方のドリーム達は、こないだパワーアップしたばかりなのにもう力不足。青い薔薇との接触によって、お互いに戦闘面と日常面で目覚めの時を迎えるのかな。そのへん来週ますこさんに突撃取材をお願いします。

 『電脳ポトラッチ』さんとこの非モテ話を読んで。
 「自分が誰からも好きになってもらえないという恐怖」と似ているんだけど、「自分の好意を誰にも受け入れてもらえないという恐怖」ってけっこう重大なんじゃないでしょうか。それは、ただ「ごめんね」とフラれることへの恐怖じゃなくて、「お前に好かれていると思うとゾッとする」という類の過剰な反応を恐れるものです。誰にも好かれないのみならず、自分の「あなたが好きだ」という感情を否定されるという。
 もちろん、人づきあいが苦手なために他者をゾッとさせるような感情表出をしてしまうという、こちら側の原因も想定できるのですけど、ともかく「感じるな。誰も好きになるな。」とさえ命令されているかのような被抑圧感。「あなたの好意は嬉しいけどそれに応えることはできない」という誠実な反応によるフラれかたを経験できれば、ずいぶん違ってくるのでしょう。それはとても苦しいことだけど、嘲笑・嫌悪による全否定よりは遥かに素晴らしいものなので。
 二次元の意義は、二次元スキーの好意をすべて受け入れてくれることではなく、好意を否定しないことなのかな。スキャンダルという危険のないアイドル。「大好き」と言ってくれなくても、こちらが「好きだ」と告げたら微笑んでくれれば、それで十分。つまりぼくがあれだけ考察に没入できたのは、シスプリに対するぼくの好意を読者が認めてくれたからか。

 馬鹿話。

らむだ「児童ポルノ法案もいよいよですか。」
美 森「単独所持とか、まあいろいろ問題があるなぁ。」
らむだ「でも先進諸国と足並みを揃えるんだよね……。アニメなどは規制回避されるかな。」
美 森「世界に誇るHENTAIだからな。」
らむだ「もう『12歳以下の児童をモデルにしたら何でもアウト』でいいかもしれんね。」
美 森「2次元でもか。お前どうするんだ。」
らむだ「そのかわり、民法などを改正して『13歳から大人』と定める。」
美 森「そこで折り合いをつけるな(笑)」

 民主党案では14歳。
2008年4月14日(月) 変わりゆく役割
 ベビプリ(4/14)。
 えーと、ただいま長男が感じている「興奮」の原因が霙姉さん自身だということに、どうやったら気づいてもらえるでしょうか。それを承知でからかわれてるだけかもしれませんが。が。
 霙の立ち位置って基本的に傍観者、諦観者です。この幸福がうつろなもの、たちまち消えさるかもしれないものだと知っているから、うかつに雰囲気に浸らない。ということは姉妹の中でも最も繊細で傷つきやすいのですか。そして、その中身の繊細さを押し隠した落ち着きは、一見してとても頼もしく揺るぎないものに思えるので、ヒカルとは別の意味で男役を引き受けていたのでしょう。海晴が小母親として妹達を叱りつけている横で、娘にとっての男親としてどっしり冷静に構えているという。
 …まさか、ヒカルに男親の役割を奪われたから、妙に老成して達観しちゃったなんてことは……。ないよね。うーん。でもね、背が高いからこの姉。けっこうそのつもりで頑張っていた時期もあるんじゃないかしら。で、成長したヒカルが状況打破に邁進する後ろで、最悪の結果に備えているのが新たな役割だと理解した、と。ヒカルが霙のことを苦手にしていたのも、こんな経緯があったとかなかったとか。

 んで、そんな役割に閉じこもっていた霙の前に、弟が現われてついちょっかいだしたくなってるという。天岩戸が開くとき。「弟の姉」というのはなかなか新鮮な役割ですから、霙も楽しんでる風情です。
 こうなったら、一緒に『自省録』とか読めばいいんじゃないかな。広大な宇宙の前にある有限な存在の卑小さとか、ストア派の本にも影響されてませんか霙さん。マクロコスモスに圧倒されていたこの姉が、弟というミクロコスモスを通じて、自分と世界の関係を結び直すのでした。君のコスモを燃やせ。

 ちなみに、『自省録』には性交はたんなる粘液のこすれあいだとか何とか書いてあった記憶があります(覚えてるのはそこだけか)。

 氷室さんベビプリ姉妹コンプリート。おおー(拍手)。みんなかわええです。
2008年4月15日(火) うらー
 ベビプリ(4/15)。
 今回もまた鉄道ネタはさっぱり分からないのですが、この子の感情の起伏がじつに激しいことはよく分かりました。最初に平坦なのかと思わせて、すぐにしんみりして、EXEの話題で昂ぶってきて「かわいそうだわ!!」と義憤にかられる。
 しかし続けて「そのせいでプラレールもないんだから。」には参りました。目の前にいたら、思わず笑いをかみ殺してしまって激怒させそうです。んで、MSEに展望台がないという事実に気づいたとたん「私、あの青色は結構好き。」と急展開。もうね、連想のままにあっちこっちへ振り回されて、いささか目眩がしますよ。どこでどんな相槌を打てばいいかさえまったく見当もつきません。
 しかし、これって鉄の会話なりオタクの会話なりの特徴でもあるっぽいけど、この年頃の女の子がおしゃべりするときの特徴でもあったりしますか。そのへんどうなんでしょう。
 そしてオチが「人生ゲーム」のコマの色……。のけぞりました。男色は禁止ですか。白でも使うか。でも白は吹雪が使いそうだし、うーん。黄色は立夏かなぁ。つか、人生ゲームを一緒に遊ぶ間柄にはなりましたか。それとも、兄が参加しているときにかぎり麗は不参加だけど、それにもかかわらず青と緑は兄に使わせないということなのでしょうか。後者だと泣ける。あんまりせつないので、青のコマを金色に塗ってこの妹を大噴火させてみるテスト(やめれ)。

 以前、シスプリ原作について考察していたときに、現実世界のガジェットを作品世界に導入すると、そのガジェットを媒介として作品世界が現実世界に引きずられてしまう、と書いたことがあります。具体的なブランドとかテクノロジーとか漫画・アニメ作品とかに言及することで、読者がそれらの知識をもとにした現実世界の文脈でテキストを読むようになってしまう、という。だから、鈴凛の発明はあくまで曖昧な表現にとどまっていましたし、咲耶のファッションなどについても固有名詞をあまり大量には使えなかったわけです(登録商標などの制約は大前提として)。
 ところが、ベビプリで公野さんは見事に前作の限界を正面突破して、鉄道についての具体的で詳細な言及をもって新たなキャラクター表現の地平を切り開きました。これは、ライターの知識・素養はもちろんのこと、鉄道ファンというものが現実世界において相当の厚みを持っていることや、鉄道という対象そのものが一般的な存在であることなどによって、はじめて可能だったのかもしれません。そしてぼく自身は、鉄道について皆目無知であるために、このガジェットにまったく引きずられないまま麗という妹に向き合っているのでした。
2008年4月16日(水) まて、これは長女の罠だ
 ベビプリ海晴(4/16)。
 あー、赤ちゃんの誕生日って本人は状況が分かってないですよねー。観光などでもそうですが、大人の方がほらほらーって勝手に喜んでる腕の中で、赤ちゃんは無表情という。あさひは周囲の嬉しさをそのまま感じ取りそうですけど、でも眠たくなったらどうしょうもなく。そこでちゃんと延期するとこがこの家族ですか。バレンタインパーティのときもそうでしたね、あさひが寝ないうちに始めようという話がありました。もちろんそれで皆が素直に納得わけじゃなくて、立夏ふくれるさくら泣く。負の感情を出せるのはいいことです。その立夏も、あさひを措いてパーティしたり、無理やり起こそうとしたりは考えないんだろな。だいたい、昼間にあさひのお祝いとして思いっきり遊んであげた主犯は、この立夏かもしれず。

 で、さくらの代わりに麗ですか。海晴姉さん、またあなたの策略ですか。「ちょっと趣味に走りすぎ」とか、こっちもうんうん頷いておりますが、ああ。この新たな弟のためだけじゃなくて、麗の今後を考えてのことでもあったのか。さすが長女。「昔っから食わず嫌いの性格で、凝り性で固くて――」という言葉にも、ずっと妹のそばで成長を支えてきた実感がこもっています。そう言う海晴姉さんは弟でも遠慮なく食っちまうんでしょうか(誤解)。
 というわけで、麗を男の子に馴染ませる計画発令です。ただし、男の子一般に人間関係を開かせようという姉の計画の背後で、兄ただ一人を関係構築可能な男の子と見なさせようという儚き謀略が進みゆくのでありました。そして海晴に「ムギュムギュ」してもらい鼻の下のばしてるところを麗に目撃されてたちまち失敗。
 まあ、海晴が麗のことを心配してるのは本当だけど、こうやって妹への配慮をお願いすることで、間接的に弟自身に頑張る対象をも与えてるのかもしれません。姉として弟を直接気遣うだけじゃなくて、妹達を気遣う立場を、この弟と分かち合いたい。長女と長男ゆえの固有の絆、という話を以前書いたけど、そこへ向けて海晴はさらに一歩アプローチを進めたということなのでしょう。

 ところで「0歳の誕生日」って……普通は1歳じゃないのかしら。誕生パーティをまだ迎えていないからこう表現したのか、それとも一般的にこう言うものなのか。まさか、学年は上がるけど年齢はそのままなんてことはないでしょうね。
 そして「この子が私の最後の妹に――なるのかな?」という最後の一言はじつに重い。この10年ほどは確実に毎年思っていたことでしょう。もしかしたら、シスプリのようにゲーム化・アニメ化などの段階で突然人数が増えたりして。比率的には追加6名ほどで。うん、来年生まれるのは六つ子ですね。


 というわけで下品短歌の師匠に褒めてもらえました。以下下品。
 自作の説明をするのもまた品がないというか無粋なのですが、その歌で最初考えた下の句は「残る根ほどに深き我が業」でした。でもこれだとストレートな説明すぎてどうかと思い、考えあぐねているうちに、「そうか、花を手折られた根と自分の業とを重ねるのなら、最初から自分が根になればいいんだ」と気づいて修正。尻毛が伸びて地下10メートルくらいの根っこに育ってるイメージが浮かび、となると埋まる場所はもうそこしかありませんでした。
 もちろん「女の子がふうっとか吹いてくれる」のをじっと待つわけですが、それが果される頃にはもはや意識も消えかけてるんですね。で、息を吹きかけられた瞬間には、上からも精が飛ぶんです。つまり精神が。かすかな人格の名残が、綿毛と一緒にぱあぁぁって、空に放たれるんです。息(spirit)で蒸発する精神(spirit)、それこそが世界精神へのきざはし。
 などといういま思いついた馬鹿な作意はともかくとして、「絶品」の方の短歌がすごい。元ネタ知らなくても迫りくるものがありますが、元ネタの歌を知ってると、その歌を完膚なきまで台無しにしながら、しかしぐるっと回ってもう一度同じ魂を歌い上げているというとこがすごい。ゴージャス宝田が描く真摯さを連想しました。こちらにある他の作品も卒倒ものなんですが……「刺身」なんてどうやったら思いつくんですか。
 MK2さんの作品はどれも雄渾壮大。神話世界的というか、下品で世界を染め上げる超人の屹立。ぼくのはゴージャス宝田でもむしろおまけマンガ的というか。歌を詠むって、その人の本質が如実に現れますね。でもよりによってこんなジャンルで。
2008年4月17日(木) えなめるなめる
 ベビプリ真璃(4/17)。
 赤い靴です。花穂ですね。幼稚園でも最年長ですし、この新品の靴がよほど嬉しいのでしょうけど、しかし兄も子供靴をみてもの欲しそうにしますかね。真璃にはそう見えた、ということでなければ、兄は靴でなく真璃のあんよを「よだれの出そうな顔」で見ていたのではありますまいか。いや変態でなくても可愛いと思うはずですよ小さなあんよ。
 などと説得行為に励んでる間に、ああ蛍こわい。けっこう厳しい。姉妹のなかでほんわかしたクッションの役目を果たしつつ、公正さを護持するというそのバランス。ずるは許さないのね。蛍の前でたくさんの約束をさせられて必死な
真璃の年相応の姿がこれまたかわええのです。あと、約束のなかで「なるべく」妹たちとけんかしない、というのがいいですね。絶対に、じゃなくて、できるだけ、という現実味。

 そして真璃は甘え上手の自覚あり。だから蛍もあえて厳しいのね。真璃ばっかり、という声があがってしまえば、これだけ姉がいる家の中で真璃自身の立場があまりに悪くなってしまうから、先んじてバランスを回復させる蛍はやはり大したものです。海晴は春先だからというだけでなく、真璃にはちょっと甘いのかなぁ。兄に褒めてもらおうとする真璃の「新しいおくつが」以下の台詞って、以前の海晴の言い回しに近いように思います。この長女からかなり影響されてるんじゃないかしら。
 さて、選択肢として2つあります。上手に褒めて真璃を喜ばせるか、わざと下手に出て踏んでもらうか。全部ハッピーエンド。ファー様に叱られそうなぬるげー。
 明日、新品の靴が汚れて泣いたりしないかな。ちょっと心配です。

 以下、下品注意。
 下品短歌をまた師匠に紹介していただきました。どもです。そしておっしゃるとおり、好きですこういうの。もともとのぼくからすれば、シスプリよりもこっちのが親和的なわけだし。ともかく趣旨に沿えて安堵しました。情景の解釈を拝見すると、ぼくのと微妙に違うとこもあって、新たに気づかされます。あと「縦笛」には反応していただけるとぼく信じてた。

 そして短歌の方からもお言葉をいただけて恐縮しました。いやー、秋ひものさんありがとうございます、というかごめんなさい。上の句の強度に負けない下の句を、というのは指摘されてみて納得。普段のやりとりが下品vs下品の腕比べなので、短歌でも自然にそうなったのかもしれません。ただ、いきなりはうまい言葉が出てこないんですよね。試行錯誤するうちに、ふっとはまるときがあって、その瞬間が快感です。すると、そうじゃないときは「説明短歌」になるのかな。技巧を凝らそうとするとその意図ばかりが目立っちゃって、かえって味が悪くなると実感します。でもいじりたくなる文字数なんですよ短歌って。
 真面目な歌も詠んでみたいのはやまやまなんですが、ぼくはこういうノリでないと想像力が働かない人間なので……でも機会を見て作ってみたいですね。
 以下、作意などの野暮な説明。

 「くだくだ〜」:上の句で「管」を連想したものですから、掛詞っぽく作ってみようかと。ちなみに最初の「くだ」はたんぽぽの茎、次の「くだ」は尿道です(どうでもいい)。末の7つは納得いかず。言葉遊びにかまけすぎました。

 「天に〜」:当初の想像は、その姿で全速ダッシュしたらライダーベルトのように花がくるくる回らないかな、というものでしたが、「仮性ライダー」で呻吟したあげく挫折。要するにへんちんポコイダー。けっきょく風車のイメージのみ残して、自家発電と掛けてみました。

 「恋を〜」:たんぽぽで花占いするかね、と根本的なミス。でも、それならいつまでもいじっててもらえるんじゃないかと欲張った考えも。「さかむけ」は「ためらい」から修正。もちろん占ってるのはようじょです。

 「スクール〜」:当初のままじゃなくてよかったー。ただ、突き刺し「て」と埋まっ「て」が被るのがちょっと気になってました。

 「後ろは〜」:ほぼギャグ。「お〜いお茶」缶によく書かれてる女子高生の俳句を念頭に置いて、当初は「兄貴」じゃなくて「あいつ」でした。そっちがよかったかなぁ。詠み手が妹か弟かで印象変化するかも。

 後半の6作は、上の句が(さっきのと比べればまだ)穏やかな内容だったので、下の句で安心して暴走してますね。

 「アイロン〜」:何が「つもり」なのか自分でも分からない作品。きっと外はいい天気です。

 「跡が〜」:スク水相撲なのです。と言ってもスク水着用して取る相撲じゃなく、スク水にぐいぐい押しつけて10秒後どちら側に跡が強く残ったかで勝負します。「残った残った」と一人で叫びながら、もう7回もくり返してるんですね。たぶん横に勝敗表を記したノートが。

 「顔を〜」:「顔で笑って心で泣いて」の逆です。視点を下・上・下と移動させて、おやこんなところに表情が。って誰がその状況を見ているんでしょうか。

 「威張って〜」:「どうだ、こいつめ」と勝ち誇りながら、裏地を汚せないという気後れ。腰を突き出しているのに腰が引けている哀しみというか、情けない行為に徹底できない情けなさというか。持ち主への密かな崇敬もほの見えて自嘲。

 「代わりに〜」:スク水を勝手に拝借しておきながら、その相手にお返しに自分の縦笛を渡して「使っていいよ」と真顔。相手も自分と同じ判断・変態趣味ではないかもしれないとはつゆ疑わない、どうしょうもなさ。

 「色が〜」:完全に悪ノリ。でも手先でこしらえたんじゃなくて、頭の中に「てーてっててー」とファンファーレが聞こえたんです。

 最後に新作。上の句はいずれも師匠からお借りしてます。

 尿道に たんぽぽ一輪つきさして 魔法少女の隣に座る

 清流にぼくの精液注ぎ込む 赤いおにぎり行方に沈む
2008年4月18日(金) どうしよう
 ベビプリあさひ(4/18)。
 指の次はぱいぱいです。ええ。もうしょうがありません。兄もまた油断しっぱなしというか、反省がないというか。
 でも、指なら分かりますが何故こんどはぱいぱいなのか。どうして兄は胸をはだけていたのか。そのへんの事情がさっぱり不明です。

(1)風呂上がり、パンツ1枚の姿でそのまま寝てしまった
(2)上もちゃんと着て寝ているところを幼い妹達にまくりあげられてしまった
(3)あさひが来る前に姉達と何事かあった
(4)そもそもこれは兄のぱいぱいではない

 ならば誰のだ。昨日の流れでいくと真璃ですか。それとも、もしや、ヒカルとか。ちっちゃーい!(金獅子丸オチ)

 つか、これを週末に持ってくるあたりが公野ワールドです。

(5)おっぱいマウスパッドだった
2008年4月19日(土) 下品短歌とか
 さて下品短歌ですが、ぐわー。さすがサンフェイスさん、と今まで何度のけぞったことか……。「ひみつきち」とか凄過ぎる。「だぞ」じゃないよね(笑)。言葉の力がわけわからない強さを発揮してます。「たまたま」も二重に言い訳になっていないとこなど素晴らしい作品ですが、「守護霊」もじわじわきました。お願いするのがちょっと遅い(そこじゃない)。「来夏」はとてもきれい。でもそこに着床するのか。そして「スーパー」なんてぼくがどう頑張っても思いつかない。
 もうだめです。なんかこう、情景の質よりもまず、下品のイデアというものがあるとすればそれとの距離が決定的に違うように思います。これは今回の短歌に限らず、また下品のみのことでもなく、テキストを読んで毎回痛感させられることなのです。真似できないのが本物の個性なのだから、ぼくはひたすら軽い道を行くしかないのかな。

 しかし最後のオチの歌は、これまた……。何をしてるんですかいったい(笑)。考えるな、感じるんだ。いやそうじゃない。ロダンの彫刻でこういうのありませんかね。
 とりあえず、思いついたのをを置いときます。

 尿道にたんぽぽ一輪突き刺して 徐州徐州と人馬は進む

 朝焼けにさらしたぼくのちんちんは 皮を引きあげ「あと5分だけ」

 赤い靴 エナメルなめる 甘い靴 知るも知らぬも おおさかの味


 馬鹿話。

らむだ「児童ポルノ法改正、進みそうだねえ。」
美 森「単独所持禁止と決まった瞬間に、どっかから画像添付メールが届きそうだな。」
らむだ「怖いよねー……そういう罠ありそう。」
美 森「その手の画像満載の新聞がときどき投げ込まれるとかな(笑)」
らむだ「『ああっまた来てしまった』(笑)」
美 森「1回届くと寿命が縮む。」
らむだ「社会的寿命が。」
美 森「恐怖新聞ならぬ幼女新聞。書いとけ。」
らむだ「あう、『養女新聞』と変換してしまた。」
美 森「幼女を養いたいんだろ、お前。」
らむだ「むしろ幼女が朝方に届く。」

 執事新聞など応用可能。
2008年4月20日(日) うねうね
 朝プリキュア。ブンビーの悲哀さめざめ。しかし新たな敵はタコですか。頭に見える部位に脳味噌なさそう。ともあれ触手はあむない、いろいろあむない。ミルキィローズ逃げてー。
 そのくるみさんですが、転校早々からクライマックスです。そんな居丈高では普通いじめられますよ。でも『ベニスの商人』を言い間違えたり、バスケットのゴールを間違えたりと、にわか人間らしいお茶目なところも発揮してるので、バランスとしてはちょうどいいのでしょうか。
 くるみの厳しい物言いをくらっても微動だにしないのぞみは、さすがポジティブリーダーでございます。ラストではすでにマブ友になってる風味だし。でも、教師ココにひっつくくるみに若干やきもきしてましたね。たいへんおいしゅうございました。

 26さんからあの夕凪絵。上、うえー! これがあのとき兄の待っていた姿。白バージョンも素晴らしいです。

 こないだのあさひ問題について、YU-SHOWさん説。あ、なるほどお風呂ですか……。それなら状況もごく普通でした。デンセンさんの説。え、ええーっ(笑)。

 アニメ版ベビプリ、1話分更新しました。残るは3話、ここからは大団円に向かって一直線となるはずです。その過程でちょっと辛い展開になるかもしれないけど、あのアニメ版シスプリを知っていればきっと大丈夫(主にぼくが)。

 いまごろ『絶対可憐チルドレン』を読みはじめる。なんとなく手を出さずにいたのですが、いや、やっぱりこの人の漫画だなぁ。第1・2巻だけ読んだ時点で、久々に椎名世界が脳内に展開。ベビプリの姉妹がこの絵柄とノリで動き出しました。ほかに長谷川裕一、藤田和日郎、赤松健、だいたいこのメンバーの絵で想像してもキャラが動く作品が、ぼくの好みですか。
2008年4月21日(月) あなーきすと
 ベビプリさくら(4/21)。
 おやつはドーナツ。においにつられて浮き立つ気分。さくらの言葉もいつも以上に踊っています。ドーナツに牛乳というあたりが栄養も考えた組み合わせですが、牛乳といえばこぼす危険。でも、おひげになっちゃう方が女の子としては一大事。それとももう年中さんだから、こぼすなんてことないのかな。あ、時々ドーナツではなく「ドーナッツ」なのか。真璃の影響かしら。両方の言い回しが混ざってるとこがいい感じ。
 「ねじねじドーナッツよりもあなあきドーナッツ」。この子、できる。なぜかと申しますと、ねじねじの方を食べるときは先っぽか尻っぺたかで迷う程度で済みますが、あなあきの方はどこから食べ始めたらいいのか見当もつかないからです。でも、穴のとこってほんとにどこに消えたんでしょうかね。考えだすと夜も眠れなくなっちゃう(70年代の漫才)。
 そして、悩んでいるはずなのに唐突にコナコナさとうミルクの話題へ。甘いの好きね。にこにこさくらの笑顔とリズミカルな言葉を楽しみながら、揚げたてのドーナッツにパクつく幸せ。蛍と3人で、「ドーナッツのうた」を思いつきで歌います。

 中国オリンピックの聖火リレーがたいへんなことになっていますが、日本在住のおたくとしましては、真正面からの批判運動ではなくその趣味を生かした主義主張をしてみたいものです。すなわち聖火リレーと別コースで星花リレーを実施。チベット問題の早期解決とともに、中国の歴史・文化への憧憬をもうたう作戦です。女らんま、超鈴音、ジャスミン(『飛べ!イサミ』)、リン・ミンメイなどのコスプレも可。ぼくはとりあえず兄の格好で「愛妹無罪」と掲げて叫びます。そして帰宅後、姉達にすねられる甘い罠。
2008年4月22日(火) 19%のひらめき
 ベビプリ公式日記も、先週末のあさひがちょうど100回目だったんですね。うはー。
 今日は吹雪(4/22)。
 吹雪が真璃たちとブランコで遊んでる姿、なかなか味わい深く。でも遊んでる最中にこういうことを考えつくのね。考えつくだけならまだしも、その理解をこうやってきちんと説明可能な程度に言語化できるというのが、この妹の恐ろしいところです。経験的な知を理論的な知へと展開できる高い知性。「おもしろくなって――/何度も何度も――試してみました。」というのも、子供らしい無邪気な興奮とともに、実験によって仮設を検証していくという科学の冷静な面白さを指示しています。すげー。
 で、そこで確認できた法則性を、今度は自分自身にも適用するという。自分すら知的探求対象の例外ではない。つか、兄が出現して以来の自分のありさまこそが目下のところ最大の謎なわけだから、これを探究するすべをいつだって掴みたくてしょうがないのですね。「交流抵抗を0にする共振回路」なんて言われた兄がさっぱり分かりませんな顔をしていても、要するにさわってみたらお互いが心臓どきどきになればいいんじゃないかな。単振動の貧乏ゆすりに共鳴すれば、どちらかの肉体が爆散するんじゃないかな(それはない)。ちなみに接触しなくったって気持ちが共鳴することを日々感じているはずですが、熱に弱いこの妹がさわる理由を思い立ったことだから、まあどうぞどうぞ遠慮なく。

 登校中の姉たちの胸にも、「固有の振動数」があることを発見しました。
2008年4月23日(水) 大きいまごいはお兄ちゃん
 ベビプリ星花(4/23)。
 あー、この子ってばふつー。出だしからなんか落ち着く。他の妹達もあんまり突飛な書き出しというのはないのですけど、星花は妙に安心させてくれるところがあります。
 さて「端午の節句」。男の子の日。星花はもちろん憧れておりました。「竜の背中」ですか。滝を登り切った鯉は龍になるんでしたっけ。『宇宙家族カールビンソン』にそんな巨大鯉がいたような記憶が。「ウチにもうたくさんあるお雛様なんかよりも」と、女の子家族に飽いていたこの子が、ヒカルたちに救われていた部分も小さくないんでしょうね。それでもやはり、男の子の世界は手の届かないところにあったわけで。
 でも今年からは。「鯉のぼりを作る」一大計画、この星花の発案だったりするのかな。だったらそう主張するだろうから、雛祭りの感激再び、と蛍が言い出したのかしら。なんにせよ、星花が真っ先に大賛成したことは間違いなく、裁縫の苦手なこの妹も、今回ばかりは積極的です。まごいの制作を引き受けるほどに。しかしチームメンバーが何と言いますか、氷柱に麗に星花に夕凪。あのー、裁縫が得意な人は夕凪だけなのですが。小雨によれば、麗は裁断が上手だとしても、その、氷柱と星花は……。
 もーまんたい! だって星花のやる気MAXだから。というか今回は裁縫じゃなくて「工作」だから(そこか)。真面目な話、工作ならばそれなりに細かい作業向きな、しかも「可愛らしさ」よりデザイン的な美を追求できる面子が揃っていませんか。妙な女の子らしさは無用。兄のためだから、徹底して男の子らしく。質実剛健。少年チャンピオン。REDはらめぇ。あと夕凪と氷柱のその後に安心しました。姉妹です。

 ところで「観月ちゃんくらいにちっちゃかった頃」って表現、いいなあ。「氷柱お姉ちゃんは怒ると恐いけど、工作は得意だから」というのも実にいい。「怒ると怖い」と「工作は得意」というのが本来は並ばないはずなのがとてもいい。
2008年4月24日(木) 麗ちゃんぶつじょ
 ベビプリ(4/24)。
 お、「お願い」ですって? と速やかに身を乗り出すぼく。たちまち怪しい要求が。無条件に賛意を示せ、とな。自慢じゃないですがこのわたくし、賛成さんせーと騒ぐことでかえって逆効果を生むこともしばしばですよ(まったく自慢にならない)。
 ええ、ゴールデンウィークの家族旅行の話ですかね。電車派vsバス派の仁義なき戦い。バスは小さい子達が酔うからどうでしょうか。それともこの一家は乗り物酔いに強い血筋なのかしら。蛍が敵では、そりゃ麗も必死になります。味方にすればこれほど頼りになる人もいませんが、対立した日にゃもう、人望が厚いから多数決はまじやばい。つか、麗の側に確実についてくれる人がいなかったりして。あらー。やはりこういうときに日頃の行いが(Bang!)
 そこで兄に懇願しにきたというのが、いよいよ追い詰められているご様子です。最近少しずつ打ち解けてきたけれど、でもまだ心を許しているとは思えない。是非もない最終手段、しかも今度の旅行全体を占う重大事ですから、この妹の真剣な瞳に射られた兄も大変です。可愛いとか内心思ってる場合じゃない。裏切ったら本気で命があむない。トレインくんの角で撲殺される。うふふ。
 しかし、兄が電車派に賛同すれば、バスにこだわりのない姉妹も複数なびく可能性がありますか。たしかに一発逆転を狙える、麗なりに考え抜いてのこの策略。

 ええ、この直後に蛍も兄を味方に引き入れようとする手筈が描かれて、明日どうしようという展開を希望します。


 下品短歌の会がまたえらいことになってますが、ぼくも当事者なので何も言えません。でもみんなすげー。そして味の悪い自作解説。

・「青き衣の〜」:これ、ナウシカがあの世界からいなくなった後の世界を想像してました。やがて人類とともに腐海が消えた世界を、びっしり埋め尽くしていく一面のちんこ。これもある意味で腐海。

・「黙って〜」:「ぴたり」か「ぴとり」かで悩みました。

・「高いところ〜」:礼儀正しいふりをしても手遅れ。

・「愚息で〜」:ゴルゴです。ライフルよりもナイフ使った方が早い距離です。

・「『上』という〜」:「人」の方がよかったかなぁ。でも短い横棒がちんこなので。

・「薄目で〜」:仁王なので「阿吽」と掛けました。虚勢と小心さ(精神的去勢)の対比も。

・「蛍光〜」:コンサートでファンがサイリュウム(でしたっけ)を振って応援する姿を想像しました。寝ている君のたった一人のファンとして、ぼくは密かに応援する。この自前のサイリュウムで。とか。ちんこを左右に振りながら、体もリズムをとってる感じ。
2008年4月25日(金) うあー
 ベビプリ小雨(4/25)。
 いや……公野先生、あなたはどこまでぼくたちを奈落の底へ嬉しそうに飛びこませるのか……。のっけからもう。小雨がこんな台詞をという衝撃。しかも小雨自身が「口にするだけでもドキドキ」ですか、そうですよねまったくそうですよね。ああもう。

 しかし、麗の支援に失敗か長男。兄という特別な存在の力に賭けようとしていたのに、その兄がいるためにかえってバス説が有利になってしまったという皮肉。そりゃ麗が激情をぶつける相手は他におりません。あーあ。しばらく駄目かな。「この世の終わり」を思わせる落ち込みようですか……。部屋の中が暗黒に包まれてます。立夏の「野生のカン」がなくても誰も近寄れない。夕凪も明るいボケをかませない。何か書いているのが完成しかけの栞の修正だったら、なおも旅行のために自分の役目を果たすという誠実さの表れとなるのですが。当然直してるのは電車の項目。泣ける。トレインくんの絵がにじむ。
 でもねえ、電車だと兄の隣の席が奪い合いになるとして、バスなら問題ないわけですか? やっぱり隣席が一つあるのではないのかな。そこは母親とあさひの席なのかな。それとも兄は2席分必要な恰幅なのかな。よくわからんです。
 あ、お座敷バスとかそういうのがあるのかしら。座席の部分がぜんぶ畳敷き。事故ったら終了。

 まあ、海ですね。水着を買いに皆で出かけましょう。アニメ版シスプリ第9話です。小雨はスクール水着でもおっけーです。つか、むしろそれで。でもどこの海だろ。千葉県なら銚子鉄道というボーナスがあるやもしれません。
 ……あれ? この季節に海? 夏休みの話なのか、それとも沖縄や海外? それならバスは無関係だし。プロミストアイランドだったら、島内機関車が走ってますよ。
2008年4月26日(土) がったんごっとん
 イカロスMOOK『普通列車年鑑2008-2009』購入。ああ、こんどは麗のために情報をにわかに求めております。美森氏からも教授してもらいながら、あらためて奥の深い世界なのだなぁと。103系の先頭車両とかすごく懐かしいにゃー、と思いつつ、他の車両との区別があまりつかないのも事実。戦車ならある程度判別できるのに。電車もファンなら横向きシルエットで判別可能なんですかね。
2008年4月27日(日) みるくんくん
 朝プリキュア。せっかく童話の世界に連れ込まれたというのに、なぜあの服装のまましばらく話を進めてくれなかったのか。ああいう平民の少女っぽい格好が好みなんですよぉ。
 くるみは早速ボロを出しはじめていて、まことに結構です。最初の登場直後も、きっと姿を消した後で一人わきわき喜んでたんですね。決まったーって。つか、その前はさんざん練習してたんですか。たまらん。
 あと「あのキャラのかっこいい待受け」という文字が「総数受け」にしか読めませんでした。ホシクナイナー。
2008年4月28日(月) あの海
 ベビプリ青空(4/28)。
 バスばくはくはく。海へ行くのは夏休みなのでしょうけれど、予約するのに一度現物を確認しておくのかこの家は。まあ一家だけで21人ですし、資産ありそうな雰囲気ですが。しかし「すっごいおっきい」ということは、青空視点だとしても普通の貸し切りバスではなく、本気で「おういちみたいな」移動式住居タイプですか? フレディがフラミンゴとともに連れてきた猫バスですか? エアバスだったら笑えますね。亞里亞んちにガチで対抗。

 で、そこまでブルジョア風味だというのに、青空は本物の海を知りません。まあ1歳児だし。でも、海の映像も観たことないのかな。立夏は海水のしょっぱさや海から仰ぎ見る空の美しさを話してあげてますが、「じゃあ、海の映像を観ましょう」とはならない。実際に経験していないことは、経験するまで教えすぎない。たんなる知識として知ったつもりにならないよう配慮するという、この家の教育方針が垣間見えるようです。
 そしてお星様やお日様やお月様は「ある」んじゃなくて「いる」。存在の切り分け方はまだできない・しない年齢だから、「そらもいる?」と尋ねるときには、青空自身とお空とはこないだ同様に一緒くたです。家から見あげる空とはまた違う、海の上の青空。見あげるその空を、兄とお手手つないでうわーっと叫んで目を見開いて、胸いっぱいに吸い込んできましょう。

 「しょっぱいちー」については不問に付します。甘いちーが出ると病気です。
2008年4月29日(火) じっじっじったいを
 ええ、ヤンジャンの『ローゼンメイデン』読めました。各所のネタバレに出くわす前に。毎月1回の楽しみが増えましたよー。

 こないだ、下品短歌の件で秋ひものさんに褒めていただけたのだけれど。その終わりの方で述べられている

>ウソでもいいからこれくらいの事が語れる作品って、それはその作品にそれだけの「ウソ」を許容する「実体」があるということなんです。

という言葉がずっと心に残っています。
 MK2さんの上の句にぼくが下の句をつけるとき、ぼくにとってそれは合作というより、MK2さんの意向をぼくが汲んで補足する、という感じなのです。上の句にすでに全てが包まれていて、下の句でその一端を引き出す作業をするような。だから、一つの歌全体が「実体」であると同時に、上の句もまた「実体」であるという、うまく言えないけどそういうこと。
 で、ぼくの場合は短歌よりも考察の方が主たる表現手段ですが、この考察がつまるところ、あるアニメ作品という「それだけの『ウソ』を許容する『実体』」をもとに、作品内解釈という説得的な「ウソ」(根拠ある飛び技)を語っていくというものです。ぼくの表現能力や表現への興味とは、そういう「実体」として掴んだ作品を、より「実体」らしく飾り付けていくことにあるのかな。
 だから、下品短歌でも自分で上の句から詠もうとすると、たちまち言葉が出なくなるのは、一次創作が苦手であることと全く同じ原因に由来します。基本的に受け手の側の表現、反応としての表現なのですね。サンフェイスさんへの憧憬も、まさにその一次創作としての凄さを目の当たりにするから。
 とはいえ短歌も創作も、世界に対する作者の反応であることには違いないのだろうけど、ぼくはそういう一次反応ではなくて、人の一次反応に反応する立場。人間嫌いなのに、他者がいないと表現すらできないんだなぁ。そのかわり、二次反応ならではの強度はできるだけ高くありたいと思います。一次反応へのぼくなりの敬意としても。

 スコラ哲学とか古典註釈というのも、最初はそういう、聖書や一次文献への敬意をもって、そこに届かない自分にせめてなしうることをしようという努力が、長いこと積み重なっていくうちに目的そのものに転化しちゃった、という悲劇なのかしら。「『ウソ』を許容する『実体』」ではなく、その「ウソ」の方が実体だと誤解されていく過程。『マップス』のブゥアーですね。
2008年4月30日(水) 目に青葉と少女
 ベビプリ(4/30)。
 やーほんとにいい天気だったねー。おんもに出て絶叫したくなるくらい。ゴールデンウィークに出かける予定もとくにないわけですが(吐血)。そんな憂鬱も「――ぷん!」でさっくり消滅です。ほっぺたふくらませてるんでしょうか。

 さて、このごろ話題となっている旅行は、夏休みじゃなくてこの連休中ですか。この間際でバスの予約とか間に合ったんだ。しかも5月の海。頃合いよく気温も上昇中なのは、きっとみんなの人徳です。その筆頭に挙がるはずの蛍ですが、しかしこのたびはひな祭り以来のテンション高め。なんだか可憐っぽい。つかちょっぴり春風吹いてる。日常生活ではおさまママとして大活躍してますけど、それは蛍が皆のために役割をきっちり演じているということでもあり。母性的な面はもちろん生来のものだとしても、蛍自身の年齢相応のやんちゃさとか甘えたい面だとかは、あまり表に出す機会がないのですかね。ひな祭りでも皆の面倒見ながら自分の趣味を爆発完遂できたのが両面満足でよかったわけで、今回の旅行でも姉の一人として妹達のお世話をしつつ、非日常の開放感をどれだけ味わえるかが勝負です。そのへん、やはりアニメ版の白雪っぽいですね。

 ところで、「4日間」兄を独占、はいいのですが。その顛末って、公式ブログでは読めない可能性が大ですよね……。だって連休中だし。お休みの日だし。そう思わせておいて、まさかのプレゼントが計画されてるんでしょうか。そう、ぼくのような連休中の楽しみのない者達のために。まるまる4日間も姉妹達を独占しちゃうの(はぁと)

 うううっ(いろんな意味の涙)。

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