日記
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2008年1月1日(火) おめでとございます
 パウル・カレル/ギュンター・ベデガー『捕虜』(畔上訳、学研M文庫)を読みながら新年を迎えました。冒頭ではUボート乗組員を中心に、脱出計画とその顛末などいいツカミのエピソードに引き込まれましたが、気がつくと西部・東部を問わず戦線背後で捕虜となったドイツ軍将兵たちの悲惨な姿が眼前に。ついつい捕虜に同情しながら連合軍への敵意を募らせかねないそのタイミングで、当時のソビエトやフランスを包み込んでいた劣悪な食糧事情や、ドイツ軍の捕虜となった連合軍捕虜、そして強制収容所への言及が挟まれてすっと冷却。このバランス感覚が見事です。
 思えばコンザリクの『スターリングラードの医師』を読んで年明けしたのが21世紀の始まりでした。太平洋戦争の虜囚についても、こういう本てあるのかしら。
2008年1月2日(水) こらえて生きるも北欧なら
 で、続けて中山雅洋『北欧空戦史』(学研M文庫)。冬戦争と東部戦線におけるフィンランド空軍の破天荒な活躍は有名ですが、この時期のスウェーデンやノルウェーについては知識が皆無なことにようやく気づいたり。冷戦時代の3国の戦略まで視野におさめられた名著です。

 そいえば、フィンランドの子供の学力がすごいとか一時期騒がれてましたが、こういう歴史を経た国が冷静に生き残りをはかろうとすれば、次世代の育成にそりゃ力を入れざるをえませんね。冷戦が終わってもまったく油断していないわけです。もちろん、ガスなどの必須資源の供給者であるロシアと端的に戦う可能性ということではなく、外国の影響下にあることを認めたうえでいかにして独立を保ちながら生きるかを考えれば、人的資源、つまりその例外的な手持ちの資源である子供を最大限に活かさねばならない、と。
2008年1月3日(木) 特急通過
 姪っ子と甥っ子と遊んでました。すごろくをやるというので、8面体や20面体のダイスを見せて、反応を楽しむの巻。

「3がでたらあがりー。」
「よーし、えいっ。……16」

 ちなみに、余った数だけ戻るルールでした。
2008年1月4日(金) 滞納の去年
 思えば昨年は新規考察を1本も公開しませんでした。あうー。まあ無理に書くものでもありませんが、しかしネタが色々あって実際に手をつけているのにこの体たらく。ハルヒ第2期放映前に、なんとか『消失』考察だけでも書きあげねば。
 あと、年度で区切ればまだ大丈夫ですね(姑息)。
2008年1月5日(土) 虚空に描いたことば
 ガンスリ第9巻。もう9巻なんだ。
 アンジェリカの最期。ついにこの日が。ここしばらく作中で予兆が繰り返されてましたが、それにもかかわらずまったく覚悟のできていなかった自分がここにいました。うあー。

 「亡霊(ファンタズマ)」、とマルコーは言い捨てた。アンジェリーナという少女はすでに亡く、ここにあるのはただの義体としてのアンジェリカ。ひとではなくて、モノ。そこに人格を重ねるのは、それがプリシッラたちの痛切な願いだとしても、ただの幻想。
 でも、そんな亡霊であるはずのアンジェリカが、犬の幻影を見たとき、ファンタズマの見たファンタズマは、はたして存在しないものなのか。
 喪ったものに囚われるのも、喪われそうなものを手繰り寄せるのも、たしかにあやふやなものだけれど、マルコーは
その犬を探し出してしまう。ペロ、とその名を呼んだアンジェリカは、アンジェリーナの記憶さえ一瞬取り戻して、モノとひとが重なり合って、そこにあるのは一個の義体、そこにいるのは一人の少女。
 赦しを求め、しかしそれを得られないと分かっているマルコーに、アンジェリカが語り聞かせるパスタの国の物語。

マルコーがしてきたこともまた一つの幻影なのだとしても、いまこの少女は、彼にもらったかけがえのないものを、疑いようのない真実として、それと気づかずにお返しする。両親からも愛されなかった短い人生のなかで、一番大切にしてくれたはずのひとへ。
 マルコーやプリシッラたちが守りぬいてきたファンタズマは、アンジェリカの壊れゆく記憶のなかに、現実ではないけど真実のファンタジーとして揺るぎなく根をおろしていたのであり、そして、それが、現実に生きた少女の証。
 マルコーの慟哭も、たしかないのち。それが幸せかどうかではなく。
2008年1月6日(日) 答えはいつも私の胸に
 マルコーの胸の痛みに、ふと、『電脳コイル』の優子の痛みを思い出す。
 母親が諭すように、電脳空間という仮想世界をただの虚構として捨て去りかけたとき、優子は逆に、いま感じている胸の痛みを、そのちぎれる感覚を、かけがえのない現実のものとして確かめなおした。デンスケを忘れることは、今までデンスケとともに生きていた自分の大切な歩みまでも捨て去ること。一緒にいたい、別れたくない、という気持ちを見て見ぬふりすること。何が現実なのか、何がなくしてはならないものなのかは、自分の心が、体が、知っているから、優子は母親との約束を破る悪い子になりました。少女時代の終わりと思春期のはじまり。自分の過去に悪いものがある。自分の中に悪いものがある。そのことを思い出して正面から見据え受け入れ、それでもなお誰かのためになすべきことをするとき、ほんの小さな隙間から、勇子の心を手繰り寄せられる。その痛みは現実。その切望は真実。
 ミチコさんという亡霊は、優子と勇子の絆という曖昧でたしかなものへとかたちを結んで、幼い日の初恋のファンタジーとして記憶されていく。
2008年1月7日(月) これが最後の次の真実
「花穂ちゃん、ハッピーバースデー!」

 えへへっ……やっぱりお顔がほっこりしちゃいました。毎年お祝いしてもらっているのに照れちゃうのは、なんでなのかなぁ?
 お兄ちゃまは、こないだのバトントワリング大会の写真を、ピンクのかわいいスタンドに飾ってプレゼントしてくれました。あのときは、花穂、とってもドキドキして前の日も眠れなくて、自分の番がきたのに居眠りしちゃってたらどうしよう……って心配だったの。でも、春歌ちゃんが、自分も舞踊の集いのときに緊張して指が震えたんだって話してくれて……お兄ちゃまも、そのときみたいに花穂の手をぎゅって包んでくれたんだぁ。そしたら、胸の中が暖かくなって、おでこの奥のもやもやもすっきりして、怖くなんかなくなったの! お兄ちゃまは、花穂の元気のスイッチがどこにあるのか知ってるんだよね。

 16本のローソクを吹き消して――今年は一息でできたんだよ――白雪ちゃんの特製ケーキがみんなのお皿に分けられました。あんまりおいしいものだから、花穂、お客さまがいらっしゃったことにすぐには気がつかなかったの。遅れて来るはずの眞深ちゃんたちかな? って話していたんだけど、可憐ちゃんの後ろをくっついてお出迎えに行った四葉ちゃんが、急いで戻ってきました。そしたら声をひそめて、見たことのない綺麗な女性のひとデス、もしかしたらスパイかも!? って真剣な顔をするから、花穂、笑い声がお客さまに聞こえちゃわないように、慌てて手でお口を塞ぎました。あ、お口のはしっこにクリームがくっついてた……。
 四葉ちゃんは扉のこっち側から、「自動追尾型虫眼鏡 みえーるくん」で玄関の様子をチェキしています。あの虫眼鏡、6月に鈴凛ちゃんがアメリカから送ってくれたんだよね。まだ帰ってこれないのかな……。
 可憐ちゃんに呼ばれたお兄ちゃまが、お客さまを連れてリビングに戻ってきました。わぁ、ほんとに綺麗なひと。明後日に1丁目に引越してこられるので、挨拶にきたんだって! 花穂もすっごく驚いたけど、みんなもお口をまんまるにしてました。でもでも、こんな素敵なご近所さんなら、みんな大歓迎だよね! 咲耶ちゃんはちょっとピリピリしてるみたいだけど、今めくったカードを見つめる千影ちゃんの目は優しいもの。
 お客さまはとても気さくで明るくて、花穂、このおねえさんがすぐに好きになりました。お友達が集まってるんじゃなくて、ここにいるみんながきょうだいなんだって教えても、ぜんぜん驚かないくらい大人っぽくて落ち着いてるの。そのうえ、花穂にお祝いの歌までプレゼントしてくれたんだぁ。明後日からがほんとに楽しみ! 夜になって、せっかくだから今度みんなでお返しの挨拶と差し入れに行こう、ってお兄ちゃまが提案したとき、花穂もみんなも大賛成でした。

 そしてお引越しの日。
 運送屋さんとバイトの山田さんが荷物を運び終えて一服しているところに、みんなで飲み物とおやつを持ってうかがいました。そのとき、玄関から顔をのぞかせたのは、一昨日のお客さまのおねえさん。今日からよろしくお願いします、なにかお手伝いできることはありますか、って尋ねたら、おねえさんの後ろから、バタバタバタッてたくさんの足音がして――花穂たちが13人きょうだいだってことに、おねえさんが驚かなかった理由が分かっちゃったのでした。
 だって、海晴という名前のおねえさんの家は、19人きょうだいだったんだもん

「そんな馬鹿な!?」

 思わず飛び出たお兄ちゃまの一言はとっても久しぶりだったから――なんだか花穂、懐かしくてわくわくして、えへへっ……お顔がほっこりしちゃったのでした。
2008年1月8日(火) 捕れないボールがありました
 昨日の話ですが、もちろん正しくは20人きょうだいです。だけどまだ主人公の男の子が到着してないので。

 いや、正直このベビプリには参りました。こ、こう来たか。なんと言いますか、倍速のまっすぐど真ん中というか、バロムパンチに耐えたらもっと強いバロムパンチが飛んできたというか(意味不明)。まさか野球チームを2つ作ってアンパイアまで用意できるなんて、戦いは数ですよお兄ちゃん。もはや「よき後継者を得た」と言うしかありません。しかもテキストは公野さんですか、うわー。とろける大脳ふたたび。
2008年1月9日(水) 地図帳が友達
 美森氏に教えてもらったTraveler-IQテスト。掲示された地名のある場所を地図上でクリック。実際の場所との距離が近ければ高得点です。12面まで確認しましたが、各面に設定された最低得点ラインを下回ったらそこでゲームオーバー。
 「ブルンジ」や「バルバドス」など、国名はおおよそ問題ないのですが、都市や名所となるとこれが厳しい。それでも地名の後ろに国名が付いていれば、ロシアみたいな巨大な国や、本土から離れた島嶼なんかでなければ許容範囲です。つまり、そういうケースが辛いわけで。とくにオーストラリアが鬼門。島が、島が。
 最初のアタックでは、11面で終了でした。

  Final score 506472
  Level 11
  Travel IQ 126

 一度だけ、距離の差が「2km」という奇跡を起こしましたが、あとはだいたい知っている地名なら50-80kmで収め、曖昧な場所ならその国の真ん中あたりをクリックしてごまかし、トータルで勝利する戦法をとってます。
 あと、地名の英語が読めないという罠も(無知)。
2008年1月10日(木) 分析不要(下品)
 目覚めかけの夢のなか、なぜか雪歩の股間に顔をうずめていました。

 な、なぜなの……アイマスもってないのに……。
2008年1月11日(金) 連荘狙い
 今朝は伊織が出てこないかと思ったんですが、だめでした(駄目なのは自分です)。
2008年1月12日(土) 一転マッチョ
 映画『300』観る。ラケダイモン人がどうしてあんなに戦争強かったのかよく分かりました。一心同体男隊。で、視聴中は「ああ、みんな見事に似かよった筋肉美……。これ、CGとかでそう見えるようにいじってあるんだろうなあ」と思ってたのですが、なんと俳優全員がこの映画のためにトレーニングで体づくりした結果、こないになったという事実が発覚。うわー参った。
2008年1月13日(日) 進歩主義的歴史観
 馬鹿話。

美 森「思えば、シスプリって人数少なかったよね。」
らむだ「リアルだったね(笑)」
美 森「昔の家なら、13人きょうだいなんて普通だったし。」

 すでに感覚が壊れています。恐るべしベリプリ。
2008年1月14日(月) あらほらさっさ
 ヤッターマン第1話。

 オープニングを聴いた瞬間、台所に向かってしまいました。絵は山本正之の歌声になら合うはずなのに……。テレビのこっちで子供の体が動き出しませんて、これじゃ。

 ブルース調のアレンジで、かつての子供視聴者だった大人達が懐かしさに泣けるという効果を狙ったのかもしれませんが、元々の編曲の方が、明るいのに泣けるんですよこれが。演歌っぽさによってヒーローのかなしみを歌い上げているんですね。この、かなしみとそのうえでの快活さというのが、タイムボカンシリーズの歌から子供達が感じ取った大切なメッセージだったんですが、今回の歌手も編曲者も彼らを起用した人も、なんか勘違いしたのかな。で、主題歌でずっこけた分、本編冒頭のボヤッキーの一言で救われたような、かえって悲痛さが増したような。

 結局、このリメイクは、現在の世知辛いテレビアニメ事情のさなかで小原さんたちが渾身の力で大切なものを守りとおそうとする姿を描く作品になるかもしれません。それは、ドクロベーの理不尽な命令とおしおきに辛酸をなめさせられながら、それでもヤッターマンを倒すために全力を尽くすというドロンボーの作品中の健気さを、作品制作そのものにおいてメタ的に表現してしまうものであります。辛すぎる戦いをいつもどおり笑い飛ばせるのか、三悪。全員が70歳を越えている三悪+ドクロベーが、これからどうやって次の子供達にその想いを伝えていくのか。子供時代の一部をこのシリーズに育てられたかつてのファンとしては、見届けなければなりますまい。

 さて、もう一つの見どころは、世良&野村のコンビがこの不評をふまえて再挑戦するかどうかです。彼らの胸の奥に、今でも「少年の夢は生きている」のであれば、この屈辱をはらすべく、不満な視聴者を見返すような歌声と旋律を届けようと立ち上がるでしょう。そのとき、ぼく達の胸を震わせるのは、「変わる音の組織」ではなく、歌い手の「押し寄せる思い」のはずです。
 そして、たとえそうならなかったとしても、ヤッターマンという作品がこれで倒れるわけではありません。「一度くらいは死んで生き返る」、そんな可能性を信じる大きい子供達の愚直さが、小さい子供達に受け継がれていくのですから。
2008年1月15日(火) ガッツが足りない
 かわいい後輩も『おお振り』を読んでいることが発覚。「あのマンガ、面白いですよねー。」「うんうん。」などとほのぼの雑談。

後輩「私ほかにもけっこうマンガ読んでるんで、オタクって思われないか心配なんですよ(笑)。」
ぼく「えー、そうは見えないから大丈夫だよ。」
後輩「ならいいんですけどー。先輩はほかにどんなの読んでます?」
ぼく「そうだねえ、『ONE PIECE』とか。」
後輩「えー、あれってまだ続いてるんですか?」

 帰宅後、枕元の『はなまる幼稚園』単行本の前で詫びました。
2008年1月16日(水) ベビプリまじ語り
 さて、全国の諸兄姉が発狂中のBaby Princessですが、表題に「プリンセス」と掲げて公野さんが執筆している以上、この企画がシスプリの発展的後継者を任じていることは明らかでしょう。
 ぼくも最近はシスプリ話から遠ざかってしまってますが、ならばベビプリのテキストをシスプリの視点から捉えつつ、逆にベビプリからシスプリを再検討する手がかりもこの機会に得られないものか、などと考えてみたり。

 というわけで海晴です。

 「姉」という設定は言うまでもなくシスプリの「読者−キャラクター」関係中には存在しなかったものであり、この点ですでにベビプリはシスプリを包摂しつつ拡大しています。もちろんシスプリではポケストとゲーム1以降、妹同士の姉妹関係が確認されることになりましたが、読者は兄の立場に固定されていたわけです。近年大流行した「姉」を今回取り入れたことは、シスプリよりも複雑なきょうだい関係と、読者側の依存願望の充足期待をもたらしています。シスプリの兄は最年長者として気の抜けない日々でしたが、ここでは機会があれば上に頼れるんですね。ただし、この「くつろげる」空間の提供は、反面「からかわれる」ことへの覚悟と期待も求めるわけですね。
 そして、この最年長者である姉は、妹達の語らざる気分を代弁します。「なんだかムキになってしまっている子もいるけれど——ふふ。」という1行には、姉として全員を束ねてきた者の自信と責任感、そして年少者達への共感的理解が込められています。そして、それは読者−新たなきょうだいに対して、困惑や不安をできるだけ取り去ってあげたいという優しさとして立ち現れます。自分達全員から「愛されているっていうこと」を、これ以上もなくあからさまに伝えられるという、その真っ直ぐな視線。企画当初は姉妹関係が明示されていなかったシスプリでは不可能だった、見事なツカミです。で、「私たちの心のつぶやきを見て、/少しでも私たちの気持ちをわかってもらえたら——/うれしいな。」という最後の3行は、そういう姉妹の共感的つながりを分かち持たせて、早く真のきょうだいになってもらおうという働きかけでもある、と。

 その一方で。この日記の記念すべき最初の1ページが、12月24日に書かれていることを見れば、この企画がシスプリの正統後継者であることを疑いえません。なんつってもクリスマス・イヴ、写真の中できらめくツリー。シスプリの根底にキリスト教的モチーフが潜んでいたことはアニメ版について考察したところですが、この海晴の語りかける言葉は、新たなきょうだいの(発見という)誕生への祝福です。ようこそ、この家へ。ようこそ、この世界へ。それは、ウェルカムハウスの礼拝堂や夜の工場跡地で妹達が兄に贈ったあの歌を思いおこさせます。
 そして、あの歌声が脳裏に響くとき、妹達がそこに託して兄に伝え、兄を救ったあの想いが鮮やかに蘇ります。それは、兄がいてくれることへの、感謝の気持ち。兄がいてくれることで自分達と世界が生まれ変わったことへの、喜びに満ちた「ありがとう」。海晴が綴る「大切な大切な新しい家族ができたこと」という文字を透かしてみれば、そこにはやはり新たなきょうだいへの「ありがとう」が、そっと込められているのです。

 だから、迎え入れてくれてありがとう。シスプリの魂はベビプリに確かに息づいています。救済と浄化のとき、いま再び。
2008年1月17日(木) ベビプリまじ語り2
 ベビプリ五女・蛍(12/25)。ほんわかコスプレ娘。

 前日分に記した「新たなきょうだいへの感謝」を、いきなりそのまま綴っているのがこの蛍です。他の姉妹達の様子を、これでもか、と描き出してくれてますが、するとあれですね。主人公は、クリスマスのパーティにサンタの格好で登場したのですね。姉妹達と早く打ち解けられるようにという作戦ですが、これ誰が立案したのかな。主人公自身でしょうか、それとも打ち合わせの結果なのか。昨日の海晴の日記を読んだ主人公が、この姉の言葉に応えようと自分なりに考えて思いついたのだとすれば、これまたなんという海神航でしょうか。素晴らしい。「海晴姉さん」も「とっても楽しそうだった」のは、そんな主人公の返答に誠意と希望を感じたということかもしれません。この相互贈与はアニメ版シスプリと共通です。
 「去年は」「切りにくかった」けど「19個に分け」たクリスマスケーキ。毎年、新たな妹が加わるたびに、1個分ずつ増やしていったわけですね。人数分だけ幅が狭く、しかし人数分だけ大きくなってきたこの特製ケーキは、お互いがお互いのために助け合い分かち合いながら、喜びの総体をどんどん増していったこの姉妹達の、これまでの暮らし方を象徴しています。んで、主人公も今回そこに加わったということ。来年はもしかしたら21個必要になっているかもしれませんが、でも今回は、「きれいに切れました」というぴったりはまった喜びが。

 そして氷柱の突っ張った態度を陰で粉砕するそのほんわかぶり。お美事にござりまする。シスプリでは、どの妹も兄愛を前面に出さざるを得なかったので、いわゆるツンな態度は御法度でした。それゆえアニメ版では、兄妹間の問題は両者の衝突によって生じることはまれであり、気持ちの掛け違いによって生じた問題の修復には例えば眞深というアグレッシヴな異分子が必要だったわけです。しかしベビプリでは、海晴や蛍といった柔軟剤が揃ってますから、主人公と姉妹の誰かが多少ぶつかっても何とかなるという安心感があります。つまり、そういう状況を期待できる、と。姉妹間の相互言及がこれほど自由というのは、シスプリではついに到達し得なかった状態ですね。

 蛍のコスプレ趣味というのもまた、シスプリにはなかった要素ですが、よく見るとイラストもおそらく蛍が描いたものですね。「サンタガールのコスプレ」を本物のサンタに願うのは、主人公と蛍の関係においてこの元々持っていたコスプレ趣味が意味を拡大させるということであり、兄妹関係のなかで妹の趣味・特技が意味を与えられていたシスプリとこれまた共通する構図です。そして、「サンタコスプレ」という言葉には、蛍がコスプレをするのが(今回のパーティでそうなったように)妹達を楽しませるためでもあるということが読み取れます。そんな役目と趣味を分かち合うことで主人公との固有の絆を獲得しようという、蛍から差し伸べられた手の温もりを、読者はじかに感じ取るべきなのでしょう。
 ところで、この日記は主人公が読むはずのものだとすれば、サンタガールの衣装を用意するのは誰かといえば当然のことながら。
2008年1月18日(金) ベビプリまじ語り3
 ベビプリ十一女・夕凪。魔法しょうがくにねんせい。

 ねこさんですね。服装、リボン、アイテム。ぜんぶねこさん。猫には人間に見えないものが見えますが、夕凪も何気ない風景のなかに「マホウの力」を発見できます。しかも見いだすだけじゃなくて要素抽出を志すというその意気やよし。
 これだけ年下の子がいると、たとえ小2という幼さでも、時には「お姉さん」として振る舞わねばならないのですね。我慢が必要になってしまうのです。そういう我慢をし続けるのもなかなか厳しいものだから、次女との関係はまだ分かりませんが、そこでマホウの出番なのであります。マホウの力は、この世界と夕凪を結びつける固有の絆。願いを叶えてくれる不思議な力。そんなマホウの輝きを見つけているうちに、幼い妹達にもそんな不思議なマホウがかかっていることを発見したりして、だって毎年増えていく妹達は日々の喜びも増やしてくれてるもんね。それはマホウ。気づいた夕凪は、みんなからもらったそんな幸せを倍増してふりまく愛の魔法使い。
 その力をびびっと発信している新たな兄に向けてステッキを一振りすれば、固有の絆はその通り、ちゃんと兄を連れてきてくれるのです。ねこまっしぐら。マホウ、それは共にあらんとする意志。シスプリで魔法と言えば、千影(や亞里亞)という不思議オカルト系だったわけですが、今回そのへんはたぶん次女に委ねて、明朗快活な魔法使いがここに誕生です。

 「何に効く」かは「よくわからないけど」、「きっときっと不思議なことがおこる」と確信している夕凪。ツボはこの行間にはさまれた「えへへ」です。こんなに「大切なお兄ちゃん」がいきなり現れるなんて、それはもう極大マホウと言うほかなく。そんなマホウそのもののお兄ちゃんが、夕凪の想いを込めた、夕凪だけが発見した世界のステキな不思議を込めたお薬を飲んだなら、マホウとマホウの相乗効果で、お兄ちゃんにはまだ見えない世界の綺麗なマホウが、「小さくてキラキラの粉雪」となって、隣にいるお兄ちゃんにも自分と一緒に発見できるようになるのです。
 亞里亞はリボンを風に飛ばされて、兄やとの絆を取り戻すため冒険の旅に出かけました。それは結果として、精霊達と兄妹を結びつけ、調和を拡大させることとなりました。夕凪もまた、お兄ちゃんと見つけたマホウで家族を、そして読者を含むこの世界を、包み込んでくれるのでしょう。兄との固有の絆によって、世界は一変するのです。

 いや、ほんと愛乃ちゃんを思い出します……シスプリメの。凄かったんですよ。
2008年1月19日(土) ベビプリまじ語り4
 ベビプリ七女・立夏(12/27)。今風元気娘。

 プロフィールでは、「お兄ちゃん」はめんどくさいから結婚して「チャオ」でいこう、とすんなり飛び越えているこの妹。「かわいくてヤバイよ」だの「れもんキャンディ」だの、言い回しがいちいち軽めです。賑やかそうです。うるさそうです。「トラブルメーカー」という設定もあわせて、シスプリなら四葉を思い出しますが、さすがにチェキはしないんじゃないかしら。むしろ、この明朗さは鈴凛に近いかもしれません。アニキに対する調子のよさが目立ちながらも、絶妙なさじ加減で依存と自立のバランスをとっているタイプ。「たーすーけーてー」という締めくくりの叫びを読むと、お兄ちゃんにもたれかかりながら甘える立夏の声が聞こえてきます。
 キャンディに有り金全部を使ってしまうあたりに、鈴凛と真逆の経済感覚のなさを露呈しているかのようですが、しかし「1329円」としっかりその金額を覚えているのを見ると、案外きっちり考えて浪費しているのではないでしょうか。年賀状のシールという予定外の出費さえなければ、おそらく年越しまでの出費がないことを見込んで年内に使い切るという計画的行動。お年玉による収入とその使い道まですでに計算してそうです。資金援助よろしくー。下のイラストに描かれたシール文字も、こないだお兄ちゃん宛てに贈ったお手紙だったりして。これをもらっていたからには、お兄ちゃんも助けてあげねばなりますまい。ええと、「スワロフスキーみたいな」シールの手持ちが切れたとのことですが、代わりにベクシンスキーはいかがでしょう(無理)。

 さて、鈴凛ということは、その明朗さの陰に辛い未来への予感をそっと忍ばせているわけですが、立夏の場合はどうか。さすがに小6でそこまでは、と思いますものの、彼女の天真爛漫さがふっと消える瞬間に、読者はその落差の衝撃にもはや目を離せなくなるわけで、その時点から立夏はまごうことなきトラブルメーカーになるのかもしれません。そのときには、髪型から連想される咲耶の方に近しくなったりして。今は「お兄ちゃんと結婚」なんて言ってられるけど、やがてリピュアBパート第12話のかなしみ再び。とか。
 髪型といえば、ひとつ上の姉の氷柱と似ていますね。案外仲がいいのかもしれないこの姉の真似をしてるのか、それとも。シスプリでは差異を強調する必要があったため、互いに似た髪型の妹はいませんでしたから、このへんも最初から姉妹であるがゆえの描写ですかね。たとえ文句を言われてもそれなりに安心して真似もできるしチャラチャラした格好もできる関係。
2008年1月20日(日) ベビプリまじ語り5
 ベビプリ十五女・観月(12/28)。霊感幼女。つか卑弥呼幼女かな。

 キュウビが「寝入ってしまった」そうですが、初詣間近であることと何か関係があるんでしょうか。それとも、鞠絵にとってのミカエルのように、アニムスなり無意識なりとしてこの行動を解釈すべきなのでしょうか。「守護霊」なので後者ですか。であれば、「普通の幼児」として「そち」と遊ぶ時間を無意識に求めていたがために、キュウビは休眠して観月を自己規定から解放した、ということになります。アニメ版第8話で航に飛びかかったミカエルと同じですね。

 同様に、キュウビがブランコを苦手としているのも、カイヨワの言う「眩暈(イリンクス)」としてのブランコ遊びが日頃の観月の自己規定(霊感の強い者としての使命感など)を動揺させるから。そしてもしかすると、一人でブランコに乗るのが怖いから。「そちも一緒に乗ってみるかの?」ということは、二人乗りなのですね。だっこですか。わー。しかし「そち」としては、この幼い妹が転げ落ちてしまわないかと心配しながら漕いでいるわけで、その結果「全然足に力が入っておらぬぞ?」などと叱られてしまうのです。
 それにしてもテンション上がりまくりな幼女。「興奮じゃ−−」ええ読者も興奮です。冷静な表情から一気にはしゃぐ幼児っぷり全開モードへ。そしてたちまち「−−まあ、たまにはこんな日もある。」と復帰。この場面、まだブランコに二人で乗ったままだとすると、「ふふふ−−兄じゃ。」以下の最後の3行は、観月がくいっと首をのけぞらせて、自分をだっこしている「兄じゃ」の顔を下から見あげてニヤリと笑ってゆ、という状況ですかね。しかもブランコの興奮でほっぺたが(イラストのとおり)真っ赤という。幼女の息づかいを間近に。大きく深呼吸。

 もちろんここで「兄じゃ」を自分の霊的世界問題に引き入れてしまうのは、それが「共に」霊体を見ることのできる者という固有の絆であるから。これは一見して千影の魔術と近いようで、千影の場合には兄くんが魔法を感知できないという明確な相違があり、むしろ逆。ただしアニメ版第18話の状況なら観月と似てますか。あと、「百鬼夜行の襲来」を引き起こすのは、観月自身の無意識の暴走という可能性もあります。
 実際には魔法が使えないらしき夕凪あたりとのやりとりが、これから楽しみです。

 ところで、イラストが蛍のときと同じタッチなのですが、これって蛍が描いたのか、それともそういうことではないのか。
2008年1月21日(月) ベビプリまじ語り6
 ベビプリ十六女・さくら(12/31)。泣き虫甘えんぼ。

 設定では、ママを妹達に取られてさみしいので、「お兄ちゃん」に甘えたがるということですが、海晴たちはママの代役にならなかったということですか。ということはママの存在感が大きいのね。シスプリは原作でこそ各妹の親がそれなりの役割を演じていましたが、ゲーム版やアニメ版ではほとんど言及されずじまいでした。今回は、どうやってこれだけの人数を産んだのかというシスプリ以来の重大問題を、親の不在によって避けないという恐ろしいまでの顔面受け。いやもう経緯なんてどうでもいいんだ。ここに家族がいるんだから。もう帰れない。

 さて、ママの代わりとなるはずの「お兄ちゃん」ですが、すでにこの代役も争奪戦のターゲットになっております。さくらはどこまで頑張るのか。そのためにどれだけつよくなれるのか。つまり、「お兄ちゃん」との絆を強化することがそのまま自己の強化を意味するという、まさにシスプリと共通の構図です。そしてその第一歩が今回の日記。
 きっかけは、雑煮に入れる餅の数。ですが、さくらは「お兄ちゃんみたいに早く大きくなれるかなぁ」と期待して、「がんばって2つ食べよう」と決心しています。もう「お兄ちゃん」はさくらにとっての模倣対象なのですかね。甘えながら真似していくことで、その分つよくなる。近づきすぎると「お兄ちゃん」に甘えられなくなるかもしれないけど、でも自分の中に「お兄ちゃん」が増えていく。真似するのもたいへんだけど。花穂&衛という感じかな。
 しかも、頑張ると「きっと」「ほめてくれる」のであり、この信頼と期待によって「毎日いろんなことがんばろう」って思える。そりゃもう「うれしい」。褒めてくれることも嬉しいし、褒めてもらえるかもしれないってわくわくすることも嬉しい。この「うれしい」の前後の空行が、難しい言葉にできないほわわーとした高揚感を如実に示しています。それほどまでに幸せだから、その気持ちを「ちゃんといわなきゃ」と思い切ることができて、もはや甘えんぼだけのさくらではないのです。風呂場ではとことん甘えてほしいけど(駄目)。

 ところで、雑煮に「まぁるいおもち」ということは、両親のどちらかが関西出身でしょうか。「やわやわでふわふわ」なのだから、おそらく焼いていないのですよね。
2008年1月22日(火) ベビプリまじ語り7
 ベビプリ三女・春風(1/1)。夢みる乙女の底力。

 元旦という1年の始まりを押さえたのはこの春風でした。なんか可憐を彷彿とさせます。美味しいところは逃さない。そしていかにも乙女らしい姿かたちも、新参者への視線も、じつに可憐風味。「優しくてかっこいい、/たった1人の我が家の王子様」。かっこよくって優しくて、世界にたった一人のお兄ちゃん。「私たち」の王子様、というあたりに家族最優先というベビプリの基本的態度が示されてはいるものの、屠蘇の杯をあおぐ姿を見て「きゅん−−−−」ときてしまうその上昇性能たるや。長く尾を引く飛行機雲。これ春歌っぽくもありますか。「高砂みたい」なんて表現もですが(可憐もキャラコレで「お袱紗」という言葉を用いてますけど)、名前からして春歌と似てるものね。
 しかし、「王子様」へのこの切迫的な思慕は、元旦の一家揃っての儀式に父親がいないということと関係あるのかもしれません。「頼れる男性」としての家長という姉妹の視線の焦点が、今までは存在しなかったということ。非常に保守的な言い方ですけど、でも「長男」が最初に杯をというあたり、それなりに保守的な家風です。や、しかし19人+母親の視線が集中するなかで、わずかな緊張しか覗かせずに「堂々と立派に」務めを果たすその姿は、さすが王子様でした。春風補正が入っている可能性もありますが、「ほんの少しだけ手を震わせ」ていることまで見逃さないその注視ぶりからすると、やはり本当に堂々としていたのでしょう。そして、その杯を「王子様」の次に海晴が用いたとすれば、そのときの春風の視線たるや。杯のどこに口をつけたか脳内レーザーでマーキング。上から3番目だから希望がありました。

 何はともあれ、思いこんだら命がけ(自分も相手も)という純粋さが、シスプリから継承されていることは間違いなさそうです。ということは、シスプリでその純粋さを最も衝撃的なかたちで「お兄ちゃん」に突きつけたのがキャラコレ第1巻の平手打ちだったとすれば、春風もまた、否定的第三者が日記中に登場したときに、初めてその真価を発揮することになるのかもしれません。姉妹の間でそれやっちゃうと大変だし。や、きょうだいげんかも見てみたいものですが(実現した場合、これもシスプリになかった要素となります)。

 ところで、イラストで春風の書き初めが描かれてますが、「初」の下は何でしょうか。「デート」かしら。晴れ着は墨で汚すといけないので、普段着に替えてますね。

 さて、この夜の初夢に主人公が登場した姉妹は何人いたでしょうか。
2008年1月23日(水) ベビプリまじ語り8
 ベビプリ十三女・綿雪(1/2)。めめんともり。

 名前のとおり、病弱ゆえに溶けて消えてしまいそうな幼児さん。この年齢にして、すでに死を意識しています。はかなすぎる。周りが賑やかなだけに、よけいに自分だけぽつねんと孤独を噛みしめてしまうのですね。もちろん家族はみんな綿雪を大切にしてくれているのだけれど、それもまた迷惑をかけてしまっているという自己否定に結びつきかねない。「こんなユキでも……」ですからねプロフィール。否定的自己像とその原因が病身といえば鞠絵です。キャラコレで「このままはかなくなっても」とさえ思いつめた鞠絵のぎりぎりの兄愛は、綿雪にもその幼さゆえの痛切さを重ねつつ継承されています。シスプリメのいずみちゃんは、その閉塞感を積極性によって突破しようとしていましたが、綿雪はもう体と心の悪循環。鞠絵のように健康だった頃の思い出もなく、ものごころついてこのかたお布団の中。苦手な遊びを「そっと」手伝ってくれる氷柱へのひそかな感謝と愛情とすまなさ。

 そして、そんな負の連鎖を断ち切る契機が「お兄ちゃん」との絆にあるわけであり、また逆にそこにこそ新たな希望と絶望のきわどい綱引きが生じるわけです。「からだがはずむみたいにうれしい」ってのは、嬉しさの比喩的表現であると同時に、体が弾むこと自体も珍しくて嬉しいことなんですよね。毎年の正月だってそんなに嬉しいことだったのに、「その上−−」今年は「信じられないくらいに/幸せな幸せな−−」。アニメ版第8話で駆けながらはしゃぐ鞠絵の姿。この幸せがまるで夢の中のような、物語のヒロインのような、そんな非現実感。「お兄ちゃん」と一緒に空を駆ける飛翔感。鞠絵と兄上様が見あげる梅雨の晴れ間の青空、綿雪と「お兄ちゃん」が見あげる冷たく透き通った青空。姉達が体調を心配してくれたけど、「大丈夫!」と突っ張ってしまえる、そんな綿雪は「こんなユキ」とは違います。

 でも、「バラ色のほっぺた」は、綿雪の心についていけない体の赤信号。鞠絵は梅雨の戻りに倒れ、綿雪も熱を出し、そんな自分のいうこときかなさに、「お兄ちゃん」の前でかなしくて情けなくて泣いてしまいます。そんな幼い妹の姿を目の当たりにして、「お兄ちゃん」ならどうすればいいのでしょう。なんかね、読み終えてすごく後悔したの。調子に乗りすぎた、綿雪の体調をもっと気遣えばよかったって。家族に会わせる顔がありません。
2008年1月24日(木) ベビプリまじ語り9
 ベビプリ六女・氷柱(1/3)。氷面下の情熱。

 プロフィールでは新参のきょうだいを相当警戒しているようなのに、この10日間ですんなり受け入れられたみたいです。つか、初日以前からすでに、という事実をが暴露してはりましたが。それにつけても「下僕」ですよ「下僕」。全国のゲボキストここに集結。自分の優秀さも弱さも自覚すればこそ、相手につけいる隙を与えないために先制攻撃。上下関係を確立した安堵をもって、「初詣」の「おとも」にでもしようか、という間接的な親近感表現。その程度には気を許していたから、昨日も綿雪を「下僕」に託したのでしたが。
 ああ、なのに可愛い綿雪が発熱だなんて。

 氷柱の高飛車な態度や優れた知性は、綿雪の病弱な体には通じません。それは理不尽。この妹だけが病弱に生まれついたなんて、とんでもなく理不尽。納得がいかない事実があることが許せない。「私みたいな気の強い子が病気になればいいのに。」という1行は、幼い妹への自己犠牲的な愛情と、この毅然たる少女の正義感を、不正に対する止むことのない闘争心を、雄弁に物語っています。「意地悪」な「神様」が創ったこの世界で、それでもなお理想実現への努力を続けてきたのが、この家族という親密圏でした。その中に「下僕」も入れてあげてもいいかな、と思いはじめたその刹那、「下僕」が綿雪たちと一緒に遊んでおきながら世話に失敗したという。ぎゃーす。
 もちろん、氷柱は綿雪の発熱がたんに「下僕」のせいではないと分かっています。元々の体の弱さ、どうにもならなさについては、そばで何くれとなく面倒をみてきた氷柱が一番よく知っている。自分の無力さも痛感している。だから、「下僕」をなじっても仕方がないのです。それでも我慢できずに罵倒したかもしれないけど。

 で、翌日になって気持ちが安定した頃によくよく見れば、「下僕」がずんどこ落ち込んでいるじゃありませんか。綿雪が自己否定してしまうのを拒むように、この「下僕」が今回の責任を感じすぎて自己否定してしまうのも嫌。だけど、自分が昨日言い過ぎたとは絶対に言えないし、それで問題が片づくわけでもない。そこで、とりあえず綿雪の事情について冷静に再教授しながら氷柱が思いついたのは、「下僕」に名誉挽回の機会を与えることでした。ユキがなぜか気にいっている「下僕」に、もう一度綿雪を喜ばせて元気を回復させる大切な使命を担わせるのです。「下僕」の芸のなさを罵りながら、「ユキが歌が好き」という新たな情報まで提供して、強引に「下僕」をサポート。ある意味、居丈高に強制応援する花穂であります。
 そして、こうして綿雪の枕元で「下僕」が頑張り、綿雪が心から喜ぶのをそばで見守るなか、氷柱は「下僕」に対する自らの評価の天秤を、優しさの重りでちょっとだけ傾けようとするのでした。それって別にずるじゃないよね。

 勢いで日付もオーバーラン。

 追記。ここで氷柱の日記に見出した、理不尽さへの闘争心は、シスプリならば咲耶が世間に対して挑んでいる戦いの意志と近似しています。その意味で、ぼくは氷柱をツンデレと理解することにやや躊躇を覚えています。
2008年1月25日(金) ベビプリまじ語り10
 ベビプリ十女・星花(1/4)。温州みかん小学生。

 チャイナといえば鈴凛ですが、この星花は語尾が「アル」でもいいくらいの外見チャイニーズガール。そして趣味も三国志という、内外が完全一致な特技派妹です。たぶんこの日記も、劉備たちの名前を正しく漢字で書いてます(公野さんのテキストには、年少者のものにもそれなりに難しい漢字を用いる傾向がありますが、その水準以上であるということ)。日常生活でまったく役に立たない漢字博士。弟が生まれたときのために、凄い名前や字を用意していたに違いありません。

 さて、三国志の何を読んでるのか定かではありませんが、この年齢で堅い文章も読みこなせるとしたら、やはりまず吉川本でしょうか。せめてものもてなしに人間の肝を食わせるくだりなどはどう反応したのかしら。いま「官能」と打ち間違えました。星花はどうも男同士の絆が生きる世界に燃えているご様子ですが、そういう血なまぐささや残酷さまでも見過ごさずにいるのだとしたら、この子はとてつもない。でも、おそらくはそういう個所をまだ意識できていないでしょうね、戦争というものを知らないでしょうから。この家族にはケンカはともかく、そういう真黒なものは無縁だったでしょうから。「命も落とせます」というくだりからも、せいぜいカンフーの延長としての暴力理解かと想像します。
 しかも、カンフーで自分が戦うことだってとても想像できないんじゃないかと思わせる「臆病」という言葉。「ラヴリー」なキーホルダーを気に入っているあたりを見ても、星花は基本的に女の子です。自分が女の子であることを自覚したうえで、男の子の世界(と想像するもの)を切望する。

 この態度は、シスプリなら衛を思い出させます。あにぃといつまでも一緒に走りたいけど、だんだんその背中が遠ざかる焦燥感と寂しさを、キャラコレとリピュアBパート第2話が描いていました。
 星花の場合は、衛とは対照的に、最初から女の子であることを前提として、「できることなら」「男の子に生まれたかった!」と見事な言い切り。でも豪傑じゃなくて「知将」。そこで「孔明」ではなく「関羽」というあたりが、きょうだいにこだわるベビプリらしさです。プロフィールでは「お兄ちゃん」なのにこの日記では「兄貴」なのは、「男気いっぱいの高潔な」義兄なる「お兄ちゃん」に義弟として仕える自らの姿を妄想してのこと。だけど、星花と「お兄ちゃん」はもう完全な兄妹なのだから、義きょうだいの契りを交わす必要は残念ながら&嬉しいことに、ないのです。「兄貴」と呼ぶのは、夢の古代世界でのこと。まあ、「お兄ちゃん」が豪傑ぶりを発揮するたびに、その夢の世界と現実世界との境目は崩れていくかもしれませんが。

 なお、三国志をご存じでない読者は、運動音痴のあにぃや科学技術・機械に疎いアニキのような、特技派妹と趣味が一致しない兄の立場を再び体験することになります。また、超時代妄想で尽くす愛という点では兄君さま気分も。
2008年1月26日(土) 19人姉妹の妊娠日と名前の相関
 ベビプリ姉妹の誕生日と名前のイメージがあまりにも一致しない、と指摘されています(例えば『お助けアニキ事務所』さん1/11分)。12月生まれなのに「春風」はないだろ普通、ということで、そこからママの奔放さが想像されているようですが、しかし別の考え方はできないものでしょうか。あれだけ家族を大切に想うママが、その家族の新たな一員に、あんまりフリーダムすぎる名前をつけるというのもちょっと合点がいかないのです。

 そこでぼくは、姉妹の名前は産まれた月に由来するのではなく、着床した月か妊娠が判明した月に基づいているのではないかと考えました。
 妊娠期間はここによればおよそ「280±15日」。9ヶ月と10日前後となりますか。ベビプリの19姉妹の誕生日から、この分だけさかのぼるとどうなるでしょう。
 また、実際に妊娠の可能性に気づくのは、生理が1週間以上遅れた(前回の生理から5週間以上経過した)ときと考えるならば、これも計算するとどうなるでしょうか。単純に妊娠日に加えてみましょう。

名前  誕生日  (-9ヶ月10日)  (+1ヶ月1週)

海 晴:10月 9日  (12月31日)  ( 2月上旬)
 霙 :11月11日  ( 2月 1日)  ( 3月上旬)
春 風:12月 5日  ( 2月23日)  ( 3月末-4月頭)
ヒカル: 1月24日  ( 4月14日)  ( 5月下旬)
 蛍 : 2月12日  ( 5月 2日)  ( 6月10日頃)
氷 柱: 3月14日  ( 6月 4日)  ( 7月10日頃)
立 夏: 4月 8日  ( 6月28日)  ( 8月上旬)
小 雨: 5月16日  ( 8月 6日)  ( 9月中旬)
 麗 : 6月19日  ( 9月 9日)  (10月中旬)
星 花: 7月 1日  ( 9月21日)  (10月末-11月頭)
夕 凪: 8月10日  (10月31日)  (12月上旬)
吹 雪: 9月21日  (12月11日)  ( 1月下旬)
綿 雪:10月 2日  (12月22日)  ( 1月末-2月頭)
真 璃:11月 9日  ( 1月31日)  ( 3月上旬)
観 月:12月17日  ( 3月 7日)  ( 4月中旬)
さくら: 1月14日  ( 4月 4日)  ( 5月10日頃)
虹 子: 2月 7日  ( 4月27日)  ( 6月上旬)
青 空: 3月 3日  ( 5月24日)  ( 6月末-7月頭)
あさひ: 4月15日  ( 7月 5日)  ( 8月中旬)

 以上の結果となりました。ただし、妊娠に気づくのは、実際には生理不順その他でもっと遅れることも多いでしょうし、逆に徴候が明確なため早めに分かることもあるでしょう。出産日も早産だったりその逆だったり。
 さて、誕生日の季節と合わないイメージの名前の子のなかに、妊娠日や妊娠発覚日の季節とほぼ合致するケースがあります。(例えば、霙、春風、立夏、吹雪、綿雪、さくら。)「3ヶ月ズレればちょうどいいのにね」という指摘は、つまり(12-9)ヶ月ずれているということなのでした。
 もちろん、誕生日の季節と相性のいい子もいます。(氷柱、星花。)
 あとは、誕生日でも妊娠日でも大丈夫な子はともかく、やはりどっちもあまり合わないという子がいます。(蛍。あと、氷柱も3月ではちと遅い季節かも。)
 問題のすべてが解決したわけではありませんが、こうして見ると、おなかの中に新たな命が宿ったことを認識したとき、ママはそのことに感謝し、その子のいのちを祝福して、その時点で名前を決めようとした場合も多かったのではないでしょうか。そして、それ以外のケースでも、新たな子供に対するその想いは変わらないものだった、とぼくは想像します。少しずつ大きくなっていくおなかをそっとさする日々のなかで、世界のなかにある何かきれいなものにめぐり合ったとき、その喜びを名前に託したのではなかったか、と。

 あと、父親が船乗りか何かで、外国からの絵葉書や写真を名前の元ネタにしたという仮説も一応。
2008年1月27日(日) 私は蝶になる
 プリキュア5最終回。
 敵の親玉を倒すのではなく、非暴力的に救済の手を差し伸べるというのは、ウェディングピーチの大団円を思い出させます。あれは積極的に救済したというより、主人公達の姿に敵が心打たれて改心したのでしたっけか。
 デスパライアも彼女なりに絶望と闘ってきたつもりだったけど、それは個人的な恐怖や欲望のための努力でしかなく、部下を使い捨て邪魔者を貶めていくうちに孤独はいやまし、内奥の恐怖を癒してくれる他者はどこにもいない。そんな絶望に光を投げかけたのは、最初からずっと具体的な他者のために頑張ってきた少女のぞみなわけで、その希望の光としての「誰かのために」という意志は、敵・味方で世界と他者を切り分けてしまう壁をあっけなく突き倒してしまう。
 デスパライアが自らの罪を認めて詫び、この世界とそこに生きる者たちのために身を捧げるのは、そんな希望がいのちを宿したから。人の心は恐怖と絶望と憎悪を生みもするけど、勇気と希望と優しさを生みもする、そんなたくましい物語。
 その主人公をつとめた少女はといえば、ココの夢をかなえたときに、自分の夢をココからもらいました。ココのような先生になって、希望を実現するみんなの意志を支えてあげたい。それは、「キュアドリーム―ココ」と「教師ココ―のぞみ」という保護者―被保護者の交錯関係における相互贈与の見事な結実でした。
 で、この交錯関係を図にするさいに4つを線で結ぶと、

教師▽ココ
戦士△のぞみ

を横倒しにした塩梅になるわけで、この結んだ線からなる2つの三角形があわさって蝶のかたちになるという。伝説の戦士に訪れたあの輝ける蝶は、こうしてずっとずっと大きな希望の証として二人の絆のなかに息づいたのでした。

 先週の電王最終回は見逃したのですが(泣)、概略を確認したところ、物語は結局まとまってないけど、勢いでキャラ同士の絆のつよさだけは間違いなく視聴者に届いた、という感じだったのでしょうか。響鬼以来の仲良しライダー達だったので、そこはぼくも気に入ってました。話の展開は、まあ。その。コハナちゃん萌え。
2008年1月28日(月) 時をかける姉妹
 ベビプリまじ語りがこの最新枠で追いつかないので、先月分の日記枠で進めています。もはや日記でも何でもありません。
2008年1月29日(火) ほとばしる
 前日にパロディコンテンツのネタを思いついて、この日に着手。
2008年1月30日(水) アニメ版ベビプリ第1クール公開
 というわけで、久方ぶりのパロディコンテンツ『アニメ ベイビー・プリンセス Re Birth』第1-13話分を公開しました。

 日記がまた遅れてしまっていてアレですが、こういうものを作ってたわけです。はい。公式サイトにない姉妹設定やアニメ版主人公の性格など、思いのままに捏造しておりますが、ぼくなりの作品愛の発露としてご笑覧いただければ幸いです。

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