日記
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2005年12月1日(木) ネギま本のこと
 「赤松健論公認」のお墨付きを頂戴しましたー。というわけで、もし問題があってもいずみのさんの責任ということで(恩知らず)。いやもう、丁寧にチェックしていただきほんと助かりました。元の考察が「長めで読解に苦労しがち」というのは、まったくもって。つか、あの考察3編の主旨が2ページで収まるとは思いませんでした。
 執筆者リレー企画では、hidakaさんに容赦ない放置ツッコミを入れられてて嬉しかったです。さすがツボを外さない。
2005年12月2日(金) 闇の力を封じなさい
 出張帰りの電車内で少し眠っておこうと思ったら、斜め前の座席に腰掛けた3、4歳くらいの赤タイツ幼女が延々とプリキュアごっこをしてて、「やみのちからに……かえりなさい!」とやたら省略された科白を繰り返し、こっちも黙って瞼を閉じつつ18回まで数えたところで東京駅に着いてしまい、結局一睡もできませんでした。なお、打ち上げの席でこの話をして笑顔で退かれたのは一つの必然でした。あと出張の疲れもとれました。
 それにしても、プリキュアって確かに女児に人気あるんですねえ。ショルダーバッグも靴もマックスハート商品に身を固めて終始にこにこ。だから、子供からああいう笑顔を奪うようなことはだめです。
2005年12月3日(土) 遅すぎるネタ
 バキシリーズの新連載名は、『はんま1/2』でした。主人公はお湯をかぶると女の子になってしまい、金的が効かなくなります。クライマックスは全員まとめてのバキSAGA状態。

 公園で女児達が鳩を追い回す姿に出会う。のこのこ歩いてる鳩たちめがけて、わーわー叫びながら突撃かますというまことに子供らしいわるさ。鳩も災難だなあと思いつつ、ふと、その女児達めがけてこっちが奇声あげて突撃かましたらどうなるかな、と想像して面白くなる。つか、いまはすぐ逮捕されます。
2005年12月4日(日) 空気の壁
 こちらの「ふうせん」を見て。ローゼン漫画で有名な『オトウフ/マテリアル』さんのとこの4コマですが。
 子供の頃、ゴム風船を自分でふくらませることがほんとにできなくて。あれができるかどうかが、つまり大人と子供の境界線でした。なるべくゴムの味を感じないように注意しながら口にくわえて、思い切り空気を吹きこむのだけどびくともしない。で、力尽きてこの漫画みたいな顔になっちゃう。ところがそのうちに、空気の抜けた風船は自分でもふくらませることが分かって、最初のやたら「硬い」段階さえしのいでしまえば後は何とかなる、ということを発見。祖母にちょっとだけふくらませてもらったのをひったくって、思い切り吹きこめばもう思いのままの大きさに。とはいえ、ゴム口をゆわえることができないから、結局は最後も大人に頼ることになるのでした。
 そんな自分がいつの間にか風船なんかに見向きもしないようになり、やがてバイトに雇われた先で。地域の小さな祭りで風船を飾り付けることになり、若手のぼく達がその作業をしていると、近寄ってきた幼稚園児たちが、じきに手を伸ばして自分もやる、と。もちろんゴムの壁は微動だにしないわけで、こちらが助け船を出すと、たちまちぷうっとふくらむ風船と、ぼくの顔とを見つめる幼い瞳が、大人というものを見るいろになっていて、ああ、こうだったのか、と気がつきました。そして、もうすっかり忘れてたあの頃と同じように、大人になってもぼくは、あの壁を乗り越えんとして最初の一息に力を込めすぎていました。
2005年12月5日(月) 砂男
 昔、バイト中に幼児の添い寝をする機会がありまして。などとぼくが書くといきなり犯罪風味ですが。
 で、なかなか寝ないんですね。いつもの添い寝役の保護者ではないので子供が落ち着かない、不安でというよりも面白がって。そこで「もう寝なさい」と言っても逆効果。なので、寝ないんじゃあっちへ行く、と突き放して去るそぶりをして、ようやく少しおとなしくなりました。でも寝ない。しまいにこっちが眠くなったので、目をつぶって寝息をたてるようにしばらくゆっくり呼吸していると、そう間もないうちに子供もほんとに寝入っていました。そのあと試行錯誤して、呼吸のリズムを子供とあわせると効果的だという経験則を見出し、寝かせ付けの専門家としての地位を確立しました(文字面怪しすぎ)。そんな折りに子供達と一緒にテレビを見ていたら、『ママはぽよぽよザウルスがおすき』なる番組で、この経験則がそのままネタになってて、ああみんなそうなんだ、と喜んだ覚えがあります。

 あの頃は、「普通の人間」であることが難しくてしょうがなかったのですけれど、そんな自分の背中に子供がおぶさってくるわけで。完全に油断しきったその重みに、ああ、だったらちゃんと風呂に入って洗濯しとかなきゃな、と思いました。つまり、それが相手への誠意なのだと。ちなみに今は、戸外の子供達にはうかつに近寄らないのがぼくの誠意。ああいう犯人達を見つけ出すことができないのでれば、せめて今以上の不安を与えないように。
2005年12月6日(火) 自制のもと
 また昔語り。
 あるとき、バイト先によく来ていた小学生女児が行方をくらましたことがあって。幸いすぐに見つかって、というか本人が戻ってきて、家出とはとうてい言えない「遠出」にすぎなかったと判明したのですが、しかしそれまでの間、こっちは他の大人達と一緒にそれはもう必死に探し回ったものでした。心当たりをさんざん駆け回り、体力のない自分がさすがに疲れて一息入れていたときに、ある人が「あの子、可愛いから……」とぽつんとつぶやいて。それは確かに冗談のような口ぶりだったのですが、こっちはもう合いの手を入れる余裕もなくなって立ち上がりました。万一がリアルに想像されてすごい怖かった。そして、想像上の犯人に殺意を抱いた。
 だから、もしぼくが二次元から三次元に越えでようとしたくなったなら、ぼくは自らにその殺意を向けねばならないのです。
2005年12月7日(水) カバーはずして笑った
 今頃、内藤泰弘『TRIGUN』『TRIGUN MAXIMUM』を読む。昔、アニメ版をちょっとだけ観た記憶があるのですが、待合いで見つけて第1、2巻を読んだらもうとまらない。
 人が生きているために犠牲にしている他の存在者、そのありかたをめぐる兄弟の愛憎。ひとの想いを受け継いでいくこと、その絆の場を守り抜いていくこと。それはいつも身を引き裂かれるような痛みや悲しみをともなっているのだけど、でも諦めずに、信じて歩いていく。永遠に一人であるのなら『超人ロック』だし(最近は相棒がいるけど)、そばに女性が一人いれば長谷川裕一作品になる。罪を背負った主人公が、愚直なまでに己の信念を貫く中で、ひとびととの間にかちえていくいのちの意味。それがつまり「贖罪」ということなら、これはそう、『シスター・プリンセスRe Pure』と同じ主題なのです(えー)。あと、ウルフウッドの声が速水奨で、レガート・ブルー・サマーズが関俊彦。レガートが赤い光弾放ったりしませんか。おぱおぱー。
 それはさておき、すごく面白くていい漫画です。
2005年12月8日(木) いい作品を読んでも進歩しない
 好きな作品から、叱咤激励されるということはしょっちゅうあって。だけど、それによって実際に自分の行動が変わる、ということは、ぼくの場合はあまりありません。イメージとしては、頭の中でこんな会話してる感じかしら。

らむだ1「ヴァッシュの重荷に比べたら、お前のなんか何でもない。がんばれ。」
らむだ2「う、うん。ううう」
らむだ1「あのな、そんなんじゃ可憐に叱られるぞ」
らむだ2「あー、叱られてぇー」

 すなわち逆効果。
2005年12月9日(金) まかろに・うぇすたん
 今朝の夢。民間会社の事務員として自衛隊員達とともに異国に派遣され、内乱の収まらないその荒涼たる土地をひたすら歩く。サボテンを横目に、ここはメキシコの砂漠近辺なのだろう、と行ったこともないのに確信。夕暮れの中、気がつくと周囲を完全に包囲されており、部隊と一緒に投降するはめに陥る。こちらを武装解除するのは、坊主頭で赤服のおっさん集団。やたら引き締まった肉体をもつ彼らは、フォーゴットンレルムの「赤の魔道師」さながらで、しかしそれにしてはやけに表情が柔らかで「すまないねえ」的視線を送ってくる。そのまま連行された先の巨大な洞窟の中では、すでに到着していた連中に囲まれて、二人の赤服おっさんが突発漫才を繰り広げている。捕虜ともども凄いなごみ空間。そのうち、奥の方の暗がりに何かの気配を感じ、ああきっとあそこからやってくるのはアステカイザーなのだろうな、と予感する。
 画面がアニメ絵になる前に目覚めてしまいました。
2005年12月10日(土) 受け継ぐもの
 アウシュヴィッツ関連の新書を読みながらお昼ご飯(悪趣味)。歴史修正主義の問題はずっと続いているわけですが、いわゆる「南京大虐殺」については、史料批判の重要性もさることながら、当事者(兵卒)による記録って何かしら残されているんでしょうか。出征された方々の声というのは、例えば学研の『歴史群像』でもその反戦的な意識とともに記事にされてはいるのですが、「語り得ないもの」をどうやって残してもらうかは、やはり大きな課題のままだと思います。事件があった・なかったを判断する前に、まずそういう継承努力がないと。ぼくが自分の祖父から聞く機会は(もし話してくれたとしても)とうとう得られないままでしたが。
2005年12月11日(日) 非モテロマン主義者VS個人主義リアリスト
 こちらを読んで。
 恋愛資本主義が消滅したら、自分をそのまま受け入れてくれる誰かが現れるんでしょうか。見栄えや収入や能力などで判断されずにいわゆる人格そのもの(もしそれが存在するとして)によって判断される時代が到来したとき、ぼくはその人格そのもの「だけ」では結局やっていけないでしょう。そして、社会にはまた別の新たな外面的尺度が登場して、かつてあった尺度に取って代わるでしょう。
 それはそうとして、「非モテ」の中身をいくら分類したところで、それらを全部含みこむことに変わりないのであれば、被差別者性と非社会性とを混在させた集団、という以上にはどうしてもなりようがないのでは。そして、「自分が社会から疎外された」というとき、まず最初にあるのは、実際にその要因となった何らかの他者による意識的あるいは無意識的な攻撃的行動であって。少なくともそれは、ネット上で経験する前に、生身の対人関係の場で獲得されているはず。だったら、まずその相手をどうにかしないとどうしょうもないのではないか、と。例えば豪屋大輔の『A君(17)の戦争』は、冒頭でそういう話を書いてるわけで。
 対処療法にすぎない、と言われるかもしれませんが、非モテへの攻撃を実際にくらった場面でどのように対応すれば乗り切りやすいか・相手の肯定的な変化を得やすいか、と考えた方が、これから生きていくのには役立つのではないでしょうか。あるいは、非モテを見下す相手を逆にうまく持ち上げながら利益を得るような方策とか。純粋恋愛にはマニュアルは不要だとしても、それこそそういう相手に対応するためのマニュアルなら、作成し利用してもいいように思います。自分をモノとして扱う人間を、マニュアルに適合するモノとして扱うことは、一つの対等な関係性の構築でしょうから。

 つか、とりあえずぼくの視線がキョドるのを直す方策を教えてください。
2005年12月12日(月) フィクションと生きるということ
 非モテについて考えているうちに、ドストエフスキーの『地下室の手記』を思い出す。あの主人公がいまの非モテ論者の一部とかなり重なる感じがする。それはまた、ぼく自身と延々と重なり続けていることでもあるわけですが。あの短編を読んだときは泡吹きました。

 などとまたあれこれ考えているうちに、議論の当事者(にさせられてしまった人)であるMK2さんのこれ。「みんな変わんねえなあ……。」という一言に万感を込めて大笑いしてしまったわけですけど、ほんとそうですよね。
 で、最後の方に出てくる一節。

「今回俺がなによりも気に入らなかったのは、フィクションのキャラクターを逃げに利用すんじゃねえよ、ということ。もしある人が『俺には観鈴ちんがいるからいい』と言ったら、観鈴ちん以外は『価値のないもの』であるのが建前でしょう。どうせフィクションが逃避の対象である限りは、正々堂々と観鈴ちんの前に立つことはできないですよ。」

 そのまま引用しちゃいましたが、これぞMK2さんという文章。本気でその通りに生きてみようとした人の言葉だからこそ、否定できない力があります。そこから続く部分もまた猛烈に正しいので、皆様ぜひ直接お読みください。なお、この場合の「正しい」とは、MK2さんの文章にもある「筋」の通し方としてのものです。つまり、生き方としてのそれです。

 そして、サンフェイスさんのこれとその翌日分。非モテの問題に限らずですが、これまたさすがというか、参りました。泣いた。

 このお二人のような、真っ直ぐな、あるいは包み込むような言葉を読むにつけ、ぼくがあのような問題について語るとなるといつも皮肉めいた批判しか出てこないのですよね。筋の通らない生き方をしているからなのかも。
2005年12月13日(火) アレックスとお幸せに
 『TRIGUN MAXIMUM』。レムみたいなひととかつて出会えたことがあって。もちろん、そのひとはレムのように命がけでぼくを守ってくれたわけじゃない。だけど、そのひとなりに一生懸命ぼくと向き合ってくれたことだけは、疑えませんでした。そのとき、この世界もそんなに悪いものじゃないとあらためて分かりました。出会えたことに喜べたとき、喜んでもらえたとき、そういう瞬間がどれだけ自分を助けてくれることか。
 ただまあ、いまのぼくに必要なのは、胸に弾丸ぶちこんで「生きろ」と言ってくれる人のほうかもしれません。
2005年12月14日(水) 立てては消え
 なんか、お見合い計画がまたも周囲で発動中。しかも複数。以前は、親類が無断で設定した出会い空間を台無しにした(しかもその親類を共犯者にして)ということもありましたが、最近は年齢のせいかだいぶ気弱になってきてるので、現在直面してる問題が片づいたらなし崩しになりそうで怖いです。いや、一生独身という覚悟があるわけでもないし、結婚や家庭というものもある程度好きだし、親の気持ちも考えて、など色々あるのですけれども。

 とメモ書きした後、どうやら計画案のまま破棄された模様です。うわっはー。
2005年12月15日(木) 結果は同じ
 馬鹿話。

美 森「ゲームのセーブデータあててみたら、ロードに不都合が生じたので要注意。」
らむだ「またノートン先生の仕業かね。」
美 森「いや、違うと思うが。」
らむだ「昔、やたらメモリを食うえろげやってたとき、
    動作がやばげなタイミングでノートン先生がいきなり活動し始めてフリーズ、
    という悲劇が繰り返されたものですが。」
美 森「それもノートン先生のせいではないだろう。」
らむだ「やはり先生、えろげが好きでいちいちノゾキに来るのかね。」
美 森「むしろ、不純異性交遊は許せんということで厳しく取り締まりに来てるんじゃ?」

 意図はどうであれ、困るのです。
2005年12月16日(金) やっとここまで
 というわけで、先月29日あたりから一括更新しました。ここしばらくサイトの危機的状況でしたが、ご覧下さっていた方々ほんとにごめんなさい。
 公私ともに煮詰まっている(現在進行形)うえ、シスプリからも離れているのがかなり響いていますか。なんかこう、逃げまどうばかりで噛み合わない生活。
2005年12月17日(土) ぐち
 オタクが保守主義的だという話が前からありましたが、とくに軍事系に限っていえば、一般社会から排斥されていた軍事的知識やその手の趣味を、一応のかたちで受け入れてくれてたのはアニメなどの世界だったわけで。一方では漫画的な肉体の問題などがあるにせよ、オタク的文化全体に罪をなすりつけるような振る舞いは、しかもその中で生きてきた人間のそれとして、果たして説得力をもつものなのかどうか。だいたい、その文脈にはまらないような作品もたくさんあるのに。
2005年12月18日(日) 世界市民主義的内政干渉
 ジュネーブ条約の誤解釈に基づいて、地方自治体が「無防備地域宣言」を行おうとしているらしく。こういう、志はともかく理が間違っているやり方をとるよりも、政権奪取などに向けた努力を行った方が人もついてくるように思うのですが。いや、それが困難だからこんな「平和都市宣言」の焼き直しみたいなことをしてるのか。平和時の在日米軍による民間人への暴力と、戦時の在イラク米軍による民間人への暴力を比較すれば、米軍ならずとも戦時にどんな「平和的」占領を行うかは想像できそうなんですが。
 もちろん、運動側の念頭にあるのは、そのような直接的占領ではなく、ミサイル攻撃などの間接的脅威に対する恐怖を払拭する、というものなのでしょう。けどねえ、どうせなら本来の世界市民的な意識でこの運動をもり立ててもらえまいか、と。つまり、例えば日本のどこかの市町村が「無防備地域宣言」を(国際法上の問題はさておき)行うのであれば、同時に、日本が仮想敵国とする他国の一市町村にも宣言してもらえるようにするとか。日本に照準を合わせているミサイルサイロは国有地にあるでしょうから、あまり実効性はないですが、それでも日本全ての地方自治体がこうやって宣言すれば、もう一国規模の地域をあわせて「平和」にできるんですよ。ここまで妄想して、市町村合併前ならもっと効果的だったのに、と口惜しく思ってみたり。
 真面目な話、ぼくだって平和な方がいいに決まってますが、東アジアに軍事的空白をつくることで平和が実現するとも思えません。それよりは、東アジア全体の軍縮を推進したり、民主主義や萌えを輸出したりする方が、比較の上ではよほどまともです。
2005年12月19日(月) トーラスよ、私は帰ってきた
 グインサーガ第105巻。黒竜戦役以来のあの未解決キャラ(そう書くとほとんど全員がそうですけど)が、ついに再登場。うはー。いつ出るかいつ出るかと思いながら、「作者本人にも忘れられている複線」との世評を次第にぼくも共有したりしておりましたが。
2005年12月20日(火) 我が名は兄
 咲耶誕生日。
 やばい、妹達の誕生日が本気で曖昧になってきてる……。来年はシュヴェスターを完成させよう。
2005年12月21日(水) 先送りの対決
 ネギま。気がついたらトーナメント終わってる。
 父親から、自分みたいになるな、と言われてしまうネギ。お前がそれを言ってしまうのか、とツッコミたくなったものの、この言葉を、つまりネギにその理想像であるところの父をそのまま目指すことを断念させるだけの説得力を持つ者といえば、もはやこのナギしかいないのかしら。ネギはネギの人生を歩むべきであり、またどう頑張ったって他人と全く同じ道を歩むなんて誰にもできるはずがない。だけど、それでもネギが父の道を歩んでいくことを「自ら」決意したならば? それはただの後追いではなく、ナギと同じ未来が待っていると決まったわけでもない。「どうせあんたは」とかぶつくさ言いながら、明日菜が肩を並べてくれるのですし。
 とはいえ、自分の思うとおりに振る舞おうとすれば、その背中を勝手に支えてくれる者達にも、ネギはちゃんと報いることができねばならない。もう子供じゃないんだ、と我を張るのであれば、自分が周囲に及ぼした影響の一部なりとも尻ぬぐいしろ、と。そういうわけで来年のネギまでは、おっぱいよりもおしりがメインになります(違)。
2005年12月22日(木) 変わりゆく日々
 『ふたつのスピカ』第9巻。以前、「アスミはマリカ以上に死に近しい」と書いたけど、うわーこっちで来ましたかー、という展開に。言われてみれば、確かにこいつにもライオンさんが感じ取れていました。アスミの場合は、「大惨事」に遭遇するまでの間は、「死」よりもむしろ「別れ」に近しい。その思春期に最も痛切だった「別れ」については、このたび新たに生き直されることができたわけで、死者に向けた言葉が別の生者から自分に届けられるというのは、この世界の奇跡。しかしその安らぎを味わう暇もなく、いまの「別れ」の−夢を分かち合う者同士の別れの予感は、不気味にそこにある。もちろん、作品に繰り返されるモティーフの一つである以上は、何としてもここでその危機をまたもや乗り切ってもらいたいものであり、そのために既にマリカはずいぶんと友人達にその手を伸ばせるようになってきていることではあります。だって、花をつけたあの木を見せるためだとはいえ、アスミの手を引っ張っていくなんて、ねえ。
 ただ、その場合、回避された「別れ」の瞬間は、やがて積もりつもって、ライオンさんとの「別れ」を招き寄せることになるのでしょう。それはかなしいけれど、いつか訪れるべきこと。
2005年12月23日(金) 窒息寝具
 アンダヌス抱き枕。と入力したら、「唾棄枕」と正しく変換しました。ちなみに、「アンダヌス抱き枕」でぐぐっても1件も見つからないので、しばらくはここが世界唯一です。
 なお、裏面はアリストートスの絵柄になってます。発熱時には、イシュトの気分でアリ公に抱かれて眠りましょう(うなされます)。
2005年12月24日(土) おまけ漫画で、ひぎい
 依澄 れい・麻枝 准『ヒビキノマホウ』第1巻。もう、魔法少女ものの現代的王道というか。紫堂恭子とひな。の間をとったようなファンタジー物語。どんなだそれ。でも自分なりに的確な表現だと思いました。ともかく、素直にいい漫画っぽいです。主人公が少年じゃないので、麻枝原作でも安心して読めます。今のところは、突然に少女の視界一杯に青空が広がって嫌なBGMが流れたりはしません。それでもあちこちにちりばめられた、さすがの麻枝節。師匠は既に青空BGM状態だし。失うことへの覚悟をマホウは求め、そして彼女は今日も「……分かりません」と応える。分からないけど、とにかく信じて生きている。
2005年12月25日(日) 旧交
 クリスマスには毎度のことながら特に何もなしでしたが、金曜日には学生時代の仲間達とちょっと酒を飲む機会がありました。って金曜日の日記に書けばいいのに。この歳になるともはや全員そうは中身が変わらないわけですが、昨年は一人が新たに結婚したので、そのへんの後日談などを中心に一献。あとは仕事の話など適当に。おっさんくささは確かに全員増量中。でも鞄の中にはマリみて。隣の奴もMtGのネタ。やはり変わらないものは変わりません。
 みんな健康そうなのは何よりだな、と後でしみじみ思いました。
2005年12月26日(月) 瞳のいろ
 マリみて最新刊。「白地図止め」という言葉がさっそく登場しつつあるこの頃。むぎゃー。てか、祐巳はまさに自分の気持ちにいきなり気がついてしまったという、なんか自分の辛い記憶を呼び起こされつつそうだよね気がつくときはそんなもんらしいよねと半泣きでうなづかざるをえない展開でしたが、その先がまた辛すぎ。でも読みながら、瞳子の側の視点で状況を捉え直していくと、うはー瞳子もこれはたまらんなー、とその態度に納得しかけてみたり。でもでも、いやしかしそれはそれとしても結局この子がそもそも駄目じゃん!と思い直し、次巻で瞳子の壁が崩壊して自尊心も崩壊して失禁しそうな展開を切に望みます。いろんなものが全部からみあったまま年度末に向かう怒濤の今後。そして外伝シリーズ開始。全100巻達成。アルフェットウ。
2005年12月27日(火) その笑顔を胸に抱いて
 あまのさんとこのトップ絵については、左のロリメイドは、右の病弱お嬢様の実兄であると愚考いたしました。療養所から短期帰宅している妹のために、今日の午後いっぱいは、兄が全部お世話してあげるのです。手に提げたバッグの中には、ハンカチやリボンやパチンコやシロップやミニチュアティーセットやブラシや小刀や秘密の地図などがぎっしり詰め込まれていて、妹の万が一に備えながら、楽しんでもらえるネタを用意してあるのです。
 だけど、何より妹が楽しむ遊び道具とは、いまひとつきっちりした身だしなみを整えられないにわかメイドな兄そのものに他なりませんでした。あれを見せようかこれをしようか、と数日前から気構えてきた兄も、自分が妹の前にじっと座ってただひたすらに髪やリボンをいじくられ直されているだけとなると、照れくさいようなくすぐったいような、どうにも落ち着かなくてもじもじしてしまい、妹にたしなめられてしまいます。不承不承、黙ってされるがままにしていると、そのうちようやく満足な出来映えとなったのか、兄の頭に身を寄せていた妹が、小さなクッションの上に腰を戻して、手鏡を兄に向けながら、できました、とにっこり。その満面の笑顔は、兄がいつもこの妹に見せていたものとそっくりでしたが、兄はといえば、自分が頑張って元気づけようとしていた妹のそんな自然な笑顔にただただ不意を打たれっぱなし。なんだか悔しいので、こんな格好やめときゃよかった、とぶっきらぼうにつぶやき、耳を真っ赤に染めたまま顔を横に背けても、妹の転がるような笑い声につられて、つい普段通り大口開いて呵々大笑、それをまた、いけません、と妹ににこやかにたしなめられるという始末。
 夕暮れ、また手をつないで屋敷に戻る幼い兄妹。3日後に妹は再び療養所に向かい、半年後に兄は寄宿学校に入り、そして、数年が経ち。
 霧深い都の闇を切り裂く悲鳴。今日もまた誰かの血が、あの「復讐者」の真紅のドレスをさらに深く染め上げていく。そして、その紅の影を追いかけるもう一つの影−ひとはかれを、メイド探偵と呼ぶ。

 内容的には、30日頃の妄想です。
2005年12月28日(水) 体調急降下
 風邪と下痢。体しびれる。飲むゼリーのつまみが開けられない。口調が自然にみさくら語になる。かゆ。うま。らめえぇぇぇ。
2005年12月29日(木) もどり
 熱はたちまち下がりましたが、あちこちリンパ腺はれまくってました。これって流行風邪なんでしょうか。

 やはり、冬はティーゲルですねえ。ちゃんと騎士十字章もらってる働き者な春歌。ああ、教育されたいです(死にます)。

 ユリイカ掲載、うわーすごー。おめでとうございます、これは購入せねば。
2005年12月30日(金) 行きたかったよう
 冬コミお疲れ様でした。ぼくはとうとう会場に入れませんでしたが、当日は、自室から発掘された考察本改訂版を猿元さんたちのとこに4部ほど置かせていただきました(宣伝になってない)。じつは、改訂版はまだ若干数存在しております。ご希望の方がいらっしゃるようでしたら、何らかの方法でお手元に届くようにしたいものです。と考え中。
2005年12月31日(土) 紅白対抗放物線
 馬鹿話。

らむだ「冬コミお疲れ様。どうだった。」
美 森「猿元氏のとこ、完売した。」
らむだ「うお、すげ。」
美 森「ついでにお前の考察本もはけた。」
らむだ「あーありがたや。ご購入いただいた皆様、猿元さん、どもでした。」
美 森「でも、萌え文集界隈の人はあんま集まらなかったなあ。
    あと、せいるさんのとこにも行ったけど、買い出し中とかで会えなかった。」
らむだ「ありゃ残念。」
美 森「行ったのはいいんだが、名前ど忘れしててな。仕方ないから、
    『ぱんつの人いますか』って尋ねたら通じた。」
らむだ「うは(笑)それで通じるあたりがさすがというか……。」
美 森「いや、お前もレベル的には似たようなもんだから安心しろ。」
らむだ「シスプリのひととかじゃまず通じませんが。」
美 森「いや、にょうのひと。」

 皆様よいお年をお迎え下さい。

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