日記
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2004年5月1日(土) めーでー
 26さん(4/30分)、考察の紹介ありがとうございます。そして咲耶フォーマー(4/28分)とかSisterformerとか(笑)。
 美虎音ちゃんの考察が的を射ているとすれば、それは、彼女のコンセプトがきちんと作品に表れているということであり、つまりクリエイターがすごいのだということです。

 半紙(笑)。いやもう激しくうなずきつつ。あと、ツバタ町って実在するんですねえ。
2004年5月2日(日) くらなどとか
 で、でかれんじゃーが牛角…(笑)。司令が骨をかじってたら最高でしたが。
 そのデカレジャー、赤ん坊の中の人になりたかったです。

 プリキュア。作画がちょっとあれでしたが、なぜかポイズニーだけはしっかりした絵姿。幼稚園児が真似するのかと思ってたら、なんと同級生がっ。公園の新たなヒロイン誕生で、きっと夏休みにはラジオ体操をこの格好でリードするのでしょう。そんな話がどこかにあったような…ああ、水田恐竜の『放課後キッチン』だ。
 敵に操られる仲間におろおろの二人ですが、こういう相手にあのセラピー技は使えないのでしょうか。幻の銀水晶を見つけないと駄目ですか。リフレーッシュ。
 家庭科の時間、先生に叱られる場面でなぎさ達はボケ顔を見せるものの、ほのかは後ろ向きのため顔が見えず。ときどき二人とも崩れることがあるにせよ、どちらかといえばなぎさが顔面崩壊役でほのかが綺麗顔のまま。とくになぎさの崩れ方がどれみを思い出させるわけでして、ふと、なぎさ=どれみ、ほのか=コメットさんという連想をしてみたり。2001年のあの二大女の子アニメヒロインがいまここに転生。
 来週は温泉話ですか。すなわち混浴でコブラツイスト。たとえそんな場面がないとしても、浴衣姿が見られればもう満足です、はい。あ、あとおばあちゃんの大活躍も。

 くらなど届いたので、ちまちま進めています。「あのしょうもない、しかしかけがえのない学校生活」というものに感慨を覚える人向け。当然ぼくはど真ん中。それと、移ろい行く日々のかなしみ。笠原弘子の「くちびるにメモリー」ですよ。『すくらっぷ・ブック』の第2部ですよ。ここからは君の手で。そして、「いつか祭りは終わる」。そう、アニプリにしみじみできる人にはお勧めの作品かもしれません。ネタバレは慎むということで、ひとまずそんな感じです。
 あと、主人公の男友達の部屋絵に大笑い。あれはまるでぼくの部屋だ。きっとKeyのスタッフがぼくの部屋を参考にしたに違いない(妄想)。いや、こっちは3倍の汚さですけど。しかも角つきで。
2004年5月3日(月) けんぷふぁー記念日
 逢ちゃん(5/1分)、考察の紹介ありがとうございます。改行の仕方については、翻訳詩を読んでて色々感じるものがあったりします。

 志摩子さま8歳、ぐはっ。しかも天野さん、売られた勝負をきっちり買うところがさすがです。天野さんに大事な一線を越えさせたからには、ぼくもお返しをしなければなりません。何か書きます。

 さざれ石の 軽石となりて 志摩子さんの かかとをこするまで

 こんなことを思いついているようではアレですが。かかとこすこす。

 とらさんから、プリキュアについて。

>二人の中にはザケンナーが入っていなかったようなので(催眠術っぽい)、無効なのでは。

 あー(納得)。

>むしろ、ザケンナーが入った教頭にセラピーを使う気を微塵も起こさなかった二人は変な意味ですごいと思います。

 ああー(爆笑)。

 そしてデンセンさんの日記に、あああー(涙)。でも、「D・V・D」の文字を見ると、あのじいやさんAAを思い出してしまいます。
2004年5月4日(火) 2日遅れ
 よつばねぎさん(5/3分)、考察の紹介ありがとうございます。

 デンセンさんから、こないだの日記に反応していただけたのかDVDじいやさん。さすが生みの親です(喜)。そして幼鈴凛。めちゃ可愛いです。

 ONAさんの別サイト。渋いです、絵もサイト名も(笑)。

 シスプリメ企画に反応して猿元氏から新作。正直、短編としてすごい。もう一つ言うと、これはしかしシスプリではない(がーん)。逆にまた、シスプリの表現技法って非常に制約されてるんだなーと改めて思います。

 プリキュアについてのゆっこさん発言。ち、違うっ! 全然まだ生えてないんだっってば!(何を必死に)次回の温泉話で確認しようと思います。
2004年5月5日(水) くらなど感想とか
 『Clannad』クリア。

 『しろはた』日記でネタバレ含めて色々書かれてます。「(春原調)」には笑った。それにしても、そちらでの批判も分からなくはないのですが、しかしこの手のゲームの主人公が「キモオタ」だったことなんてあったっけ。『ONE』だって、浩平の姿形は(膝枕絵などで見るかぎり)美男子とは言いきれないにしても「キモ」ではなさそうだし。キャラとしてはむしろ『To Heart』の浩之に近いかもしれませんが。渚の髪をお下げにすると、いつの間にか朋也の幼馴染みとして立派に黒い性格を獲得できそうです。
 さて、お気に入りの女性キャラは渚。芽衣じゃないのか、と言われそうですが、あの「ほ兄ちゃん」的妹キャラは別腹ですので(自明)。ところで、太古の女神はやがて母−妻−娘に分かれたそうですが、この作品はぼくにとってそういうお話だったみたいです。以前の作品ですと、『ONE』では長森と繭、『kanon』では真琴、『AIR』では観鈴とみちる、というように、母−娘を軸としながらも「娘」の方に好みの重心を置きやすかったのですが、今回は、渚という一者にそれらが集約され、そして再び分かたれていくという感じ。

 それから、文月さんの光学迷彩部分について、納得しつつ考えたこと。こちらも迷彩かけます。全クリアネタバレ含みます。

<光学迷彩>
 あの光球は、使用なり消費なりされる存在というよりは、想いの結び目というか、縁というか、そういうものかと感じました。光のもととなる想いは、世界に満ちている。でも、それは、それだけでは目に見えない。それがお互いに交わり結び合うときに、初めてそれは光となって輝き、見えるようになる。もちろん、光球が掌に降りてくる場面を見れば、そうとも言いにくいのですけど。光ってのは粒だったり波だったりするそうなので、想いそのものでもありながら、響き合う想いの結び目でもあったりする、と。
 あと、もし最終的に全ての光が集まったのだとしたら、それで渚も風子も一緒に救われたというのはもちろん結構です。でも、このとき、ことみはどうなっているのでしょうか。たんに問題そのものが、あるいはそのキャラそのものが消滅しているのでしょうか(よく『Kanon』について言われるように)。でも、この『Clannad』の物語と結末には、それは相応しくないように思えます。少なくとも、この町の住人達すべてが、その結ばれた絆の中にいるのだとしたら、ことみこそ、風子と並んでどうにかして救われねばならない存在であるはずです。今のところ、ことみも登場するAfter storyの結末は確認できていません。もしそれがあるのなら、それはそれで安心できます。しかし、もしそれがないのであれば。安心を下さい。
(以上)

 要するに、文月さんと利休さんには、SSを書いて下さいということです(どーん)。ぼくは久々に雑感を書きます。

 『男爵ディーノ』さんのとこで、「完全パンクマニュアル」の出版社等売り込み先を探されてます。お心当たりのある方は、ぜひ。
2004年5月6日(木) もいちど感想とか
 昨日分の、迷彩部分の続き。今回もネタバレにつき迷彩です。

<光学迷彩>
 さて、After storyにて、ことみは一体どうなったのか、という問いかけをしたわけですが。今のところ、彼女が何らかのかたちで登場したという話は出ていないようです。すると、朋也達との交流がないままに、ことみは米国に旅立っていったのでしょうか。
 それはいやです。ぼくにとっては、それはこの作品に描かれた絆の広がりを、損なってしまうことに思えるからです。では、他にどういう展開が考えられるでしょう。
 ここで、ことみの他に、After storyに登場しない、しかもことみに何かしてくれそうな人物を捜してみます。
 有紀寧がいました。
 彼女は本編での朋也との交流がなかったとしても、やがて自分で、あるいはあの仲間達の支えを受けながら、自分が寄りかかれる相手を見つけることができるでしょう。とりあえずそう考えたときに、もしも、ことみがいつもの図書室ではなく(急の修繕などで)、資料室に赴く機会を得たとしたら。そこに、有紀寧が待っていたなら。たまたま、ことみが出て行こうとする前に、資料室に留まる気まぐれを起こせたならば。そう、それらはもちろん、あの光の輝きにこっそり助けられてのことなのですけれど。
 そうして、ことみと有紀寧が、お茶を飲み、お昼を食べるという姿が生まれたならば。そこに現れた不良達を怖がることみを、有紀寧が優しく包んであげられるなら。有紀寧のおまじないを、ことみが色々と解釈しながらも、施してもらえるなら。何か、そこからほどけていくことができないか。そこから結んでいくことができないか。
 そんな光景を、ちょっと想像しました。
(以上)

 これは文月さんに書いてもらうしか(再び、どーん)。
2004年5月7日(金) 一休み
 ほのかさんが下ボーボーだったら、ぼくの手で剃らせていただきます。

 さて。プリキュアなどについては、こういうしょうもない話も書けるのですけど、なぜかシスプリについては最近あまりない。考察を書いて、リンクいただいて、「考察者」というレッテルを自分に貼ってからは、シスプリに対してわりと冷静で非エロな立ち位置に自らをとどめ続けているように思えます。それと同時に、妹達を神聖化してしまってるのかもしれず。このへんバランスが難しいようです。そりゃ昔は、利き尿(小水の味でどの妹のものか識別すること)などといったネタもだだ漏れでしたが(極端)。

 Zoroさんトップに四葉絵。胸サイズが適正値です(ぎりぎり「非エロな立ち位置」のふり)。
2004年5月8日(土) ふへえ
 PC修復の日。ようやくまともに動くようになりました、さんくす美森氏。

 杉浦修さん(5/6分)、次のキャラコレなども期待しておりますー。

 「シスター・プリンセス アニメ」でぐぐると、ついにうちの考察ページが1位になる時代がきました。メディアワークスに勝ったと喜んでいいのか、いよいよオフィシャル終了の影響が現れたと悲しむべきなのか。いや、まだまだこれからですとも。
2004年5月9日(日) ネクタイの長さ
 デカレンジャー、戦隊ものと宇宙刑事ものの見事な融合がここにっ。いえ、ジャッカー電撃隊の末裔という可能性もありますが。司令、格好よすぎです惚れました。100人斬りカウンタほしいです。そして玩具も魅力的。つか、メインの5人は芝居があまり上手じゃないので、こういう人の方が見得を切りやすいのかも。もちろん、5人は5人でいい味出してます。

 プリキュアは待ちに待ってた温泉話。しかし、肝心の温泉場面は「カコーン」イメージで終了。や、やられた…。各員一層奮励妄想せよ。
 ミップル達が「愛の力」で引き寄せあったという話に、ほのかが納得。やはりそうなのですか(何が)。今回はなぎさの父親メインということで、やや頼りないところもあるけど子供への厳しい愛情も見せるその姿、ますますどれみの一家に似てきました。ああ父親の左腕になりたい。両親の性格がちゃんと子供達に引き継がれているさまは、次回予告でのなぎさのおやじぶりにも明らかなわけで。ほのかの呆れるような「またらいしゅー。」には笑いました。
 今回はアクションも伏線もいい具合で、ポイズニー姐さんは相変わらず三枚目だし、だんだんに様々な要素がかみ合い始めているのが分かります。そして、温泉土産の子宝飴を二人で分け合うなぎさとほのかでありました(違)。
 …ああっしまった、画面を下から覗き込むのを忘れてたっ!

 その衝撃の余韻もさめやらぬ中、CLANNAD雑感とシスプリメ考察を平行して書き進めたり。

 ああ加藤一二三先生、あなたの勇姿はすべての視聴者の記憶に焼き付けられました。
2004年5月10日(月) そりそり
 いや、鱗はちょっと。しかし「眉毛の濃い妹」…む。むむむむ(高速回転中)。測定測定。
 ということは、妹の眉毛を剃るという行為は、下を剃ることの暗喩となるのかな。眉毛剃りたい。いやこのさい、ぼくのも剃らせたい。
 太陽を「剃る(Sol)」と申すのも、天照大神とつながるイメージでして。

 可憐と花穂登場ー。アンテナがらぶりーです。6人集結姿も壮観。

>今回からあんよが太くなってます。

 ぼくのは細いです(何が)。
2004年5月11日(火) 移ろい
 『Kaleidoscope』閉鎖、お疲れ様でした。

>シスプリを、そして妹達を穢しているとしか思えない行為をしている方々へ。あなたはそれでも、“シスプリ萌え”と言い張るおつもりですか?

 例えば、えろ創作について。人間である以上、妹達にも性欲はあると思います。その性欲が、各人の個性や成長度合いなどに応じて、しかもシスプリの基本的要素に則って描かれていたならば、それはある程度シスプリらしい二次創作であり、その作品がシスプリ界を広げるのに貢献していることを認めたいと思います。ここでは、シスプリと妹達は、目的として、つまり表現されるべき対象として、扱われています。
 この一方で、いわゆる「えろ」の記号的パターンに妹の外形を被せただけの創作は、一時的な興奮を呼びこそすれ、たちまち消費されていくだけで、シスプリ界に何ら寄与しません。こういう作品は、あるいはサイトのアクセス増加を期待して生み出されることもあるでしょう。いずれにしても、ここでは、シスプリと妹達は、手段として、つまり安易なポルノ表現や管理者の自己顕示欲の道具として、扱われています。

 さて、もしも、最近とくにシスプリの妹達を「穢している」ような創作が多く見られるとすると、それは、今述べた理由による他に、オフィシャルからの供給が途絶えたために生じた渇望を何とか埋め合わせようとする努力の現れなのかもしれません。しかし、その努力が、妹達「を」描くのではなく、妹達「で」描くことへと向けられてしまえば、やがて別の巨大な萌え作品が登場したときに、道具としてのシスプリは捨てられていくことでしょう。キャラを手段として消費する限りは、どんな作品でも同じ末路を辿ります。この点で、シスプリという道具の寿命は、そう長くはありません。
 では、手段としてではなく、あくまでシスプリに向き合おうとする人間は、どうすればいいのか。正直、もう少し待てば自然に淘汰される(安易な創作者が別の作品に逃げる)とも考えられますので、それまで雌伏するという手もあります。ですが、その場合、ファンダム全体が淘汰されてしまう危険性もありますから、やはりシスプリ愛をどこかで誰かが唱え続けておく必要はあると思います。その在処を記し残しておくべきだと思います。ぼく自身、アニプリ愛を唱え続けてかたちにしてきましたし。
 ただ、「テンションを維持」するのは確かにしんどい。ぼくも冬になると気鬱になって、幾らも書けなくなります。だから、PSYCHICERさんが不在の間、そのテンションを維持できる者達がウェブ上のファンダムを支えていければと思いますし、ぼくもその一人として、自分のできる範囲で頑張ろうと思います。

 そう綴っているうちに、岡崎律子さん逝去の報が。あまりに突然のことで…。リピュアBパートの完成度は、この方の歌に多くを負っていました。感謝とともに、ご冥福をお祈りいたします。
 鞠絵と鈴凛のテーマを思い出して、泣きそうになりました。
2004年5月12日(水) 追悼
 岡崎律子さんが編まれている最中だったアルバムが、作者逝去のため残念ながら発売中止になっています。これをうけて、たのみこむで(部分的であっても)アルバムを発売してもらえるようリクエストがかけられています。
 正直、ぼくは岡崎さんのアルバムではリピュアのCDしか持っていませんが、及ばずながら賛同させていただきました。彼女の最後の歌声を聴いたとき、ようやくその「最後」という事実に、向き合えるようにも思うのです。皆様も、もしよろしければ、ぜひ。

 追記。

 逢ちゃん(5/10-11分)、「あに」さんを支えてあげてくださいね。それから、遅れましたが、お誕生日おめでとう。

 シスプリメクリエイター企画「Happy morning & Sweet night」、作品公開中です。今月いっぱいが募集期間ですから、参加作品はまだまだ増えそう。

 『おっさんだもの』(5/11分)にて、ONAさんが岡崎さん追悼&後進の創作者としての決意。全く同感です。そして素敵な笑顔の花穂絵。

 そのONAさんのちまわり日記(5/11分)から、リンク先サイト管理人の年齢問題。自分のサイトが成人向けコンテンツとそれ以外のものとをきっちり区分けしているならば、未成年管理人サイトにリンクすることには何ら問題はないと思います。
 ただ、こちらから未成年管理人サイトにリンクするとき、自分の日記が成人向けの場合は確かに困ることに…。ぼくのこの日記もそうだし。日記を2つに分けるか、成人向けの箇所を光学迷彩するか、そもそもそういうサイトには(こちらのリファを残さないために)リンクを慎むか。とりあえずそういう方策しか今は思いつきません。
 「オタまも宣言」運動活動報告記も更新されてます。この運動、確かに下火になってきてはいますが、でも今回のONAさんのご指摘のように、まだまだ自覚できていない自分のほころびってものがあるわけで。前にも書きましたが、「自分では潔白だと思っていても、実は無自覚に誤っていた」というのが一番厄介ですから、こうやってそれに気づくこと、お互いがそれを気づかせ合うことも、現時点ではなお重要なのではないでしょうか。
2004年5月13日(木) 2日遅れ
 可南子可憐(爆笑)。目に浮かぶようです。

 昨日の未成年管理人サイトリンク問題ですが、ONAさんのご指摘は、あちらからこちらにリンクされた場合、ということでしたね。ちょっとぼくの書き方(前半部)がおかしかったです。その場合にもやはり、自分のサイトでコンテンツをきっちり切り分けていることが大事ではありますけれども。

 文月さんのとこから、くらなどふらっしゅ。思わず「ぷりょスレイヤー」を探したくなりました(『ランス4』)。
2004年5月14日(金) 1日遅れ
 Winny作者逮捕についての東浩紀氏の意見と、これに対する切込隊長氏の批判。どちらがより冷静かは言うまでもないですが、望月さんのとこを読めばなおさら、東氏が自分でブログの価値下落を招いているのが物悲しい。でも、どのみち氏は、困れば日本を立ち去るだけのことだったりします。

 亞里亞は腰がくびれているので、アリアルールで大空を超音速で飛行できます。前も書いたなこんなの。

 明後日はオフ会。参加者は、

・風子の人(勤務時間の凄い人)
・智代の人(RFCの偉い人)
・ことみの人(SSの巧い人)
・渚の人(滞納の好きな人)

 の4名みたいです。問題は、起きられるかどうか…。
2004年5月15日(土) 追いつかず
 明日のオフ会のために、便座カバーを購入しました。それと便座カバー。いや、U型とO型などがあって、利休さんちのトイレにはどれが適合するのか分からなかったのです。ネタなのに真面目に悩む馬鹿がここに1名。

 春歌の誕生日祝いは…?
2004年5月16日(日) おふ
 オフでした。参加者はさらに増えて、利休さん家に集まったのは、入江さん、文月さん、美森氏、桜井みなみ氏、そしてぼく。
 早朝、無事に起床し出発。駅でもみじ大家族を購入し、大阪へ。地下鉄の駅にたどり着くまでは完璧だったのですが、降り口で難儀するという罠。携帯電話で4回ほどやりとりをしたあげく利休さんに保護されて改札口へ。そして自動改札で遮断されるという見事なオチ。 その後も、「髪が別パーツ」「職安帰りの佇まい」「一度痛い目に遭わないと」などと全周攻撃され、「ひいっ」っと超ビビリ。Shunさんとぼくを足して2で割ると、春原になるそうです。すっかりいじられキャラ確定。
 利休さんは相変わらず怖かったです。
 入江さんは見事に悟られてました。でも下着はブラクラ。
 文月さんはぬいぐるみと別世界に旅立ってました。
 美森氏は利休さんの弟子になってました。
 桜井氏ははじめてのおふかいでした。
 そういうわけで、久々のオフでしたが楽しませていただきました。また、貧乳アンソロやCDなどありがとうございました。夜に帰宅し、泥のように睡眠。

 入江さん撮影のひとこま
2004年5月17日(月) おん
 そして朝寝坊(駄目)。職場にはぎりぎりせーふの巻。

 うう、演説ですか(笑)。後日ちょっと試してみます。あと、「どこかへ行ける」ということについては、おどりこさんが取り上げているシューベルトとは、やはり全く質の異なる話だと思います。ぼくが問題とした事例では、そこまでの孤独への決意はなされていないと考えるからです。

 録画プリキュアも春歌祝いもまだ確認してません、うう。でもシスプリメ考察は1名分完了。
2004年5月18日(火) こやけ
 更新したのはいつの日か。

 春歌の誕生日だったわけですが、Zoroさんトップの胸が許容範囲超過絵や、『CROSSROAD』さんとこの「妹日本画計画」絵などを拝見しつつ、今回もひたすら受け身で終了。いけません。

 上海さんとこのねろ画伯による4コマ漫画には、ちょっと驚きました。というのも、ぼくが理解していた春歌とは、衛(身体能力)や鞠絵(和風)、白雪(料理)たちの特徴を上書きしつつ一身に体現する後進の万能妹、というものだったからです。それがここでは、衛に追いかけられるとか、苦手な種目とか、そういう負の側面が描かれている。こんな全く逆向きの春歌像に、まだまだシスプリは奥が深い、と感じ入った次第です。確かに、登場順では春歌の方が後だけど、年齢からすれば衛達の方が後進なんですよね。
2004年5月19日(水) 妖精さん
 日本女子サッカー代表チーム愛称募集。「エルフ」(elf、ドイツ語の「11」)というのはいかがでしょう。あるいは「エルフィン」。

 馬鹿話。

美 森「日記、そろそろ更新したらどうだ。」
らむだ「お、毎日読めないと寂しいか。」
美 森「べつに内容はどうでもいいんだが、
    お前から『日記を毎日更新する』ことを除いたら、
    もはや何も残らないだろが。」
らむだ「がーん。
     で、でも裏でこっそり考察を書いてるにょ。」」
美 森「仕事しろ。」
らむだ「ががーん。」

 何を言っても駄目な春原気分。
2004年5月20日(木) ぷりっ
 日曜のプリキュア、やっと見ました。2人だけの無限フォークダンス。もう最高。私も仲間に入れてくれないか。あんよは赤面した。ほのかに無視された。あんよは昇天した。そんななぎさにつきあいつつも、そっと肘でこづいたりと、配慮を見せるほのかが素晴らしい。
 一方のマドンナはといえば、欲求不満を抱えつつも、それを自力で発散する機会と意志は今回とうとう得られませんでした。話としてはオチてないようで、しかし、中学生ともなればそう簡単には自分の殻を破れないという、ある意味リアルな結末。それでも、なぎさが遠慮無く笑うことで、マドンナも自分の恥ずかしがる気持ちを露呈してしまうし、それを見てほのかも一緒に笑ってしまえるというのが、なぎさが導いたいい意味での(?)崩れ方。
 まあ、お嬢様として育ったからには、なぎさのような子どもっぽい振る舞いを可愛らしく思いはしても、それを自分にも勧められたら、何よこいつ、と見下しつつ怒りを覚えたりもするかもしれず。後日、そういう反発の感情がなぎさに向けられるような展開があるとすれば、そのことこそを喜びたいと思います。そしてそこでのほのかの立ち回りぶりにも期待。
 予告では、いよいよほのかの攻撃性が露骨に。

 将棋名人戦、羽生がんばれ…。
2004年5月21日(金) ギャラとか
 『しろはた』の日記で、よくジョージ秋山の話が出てくるのですが。ぼくは幼少期に『ピコピコロボベエ』『ほらふきドンドン』『ざんこくベビー』といった作品を通じて、コミカルな、また世相を風刺する毒の強い漫画の楽しさを、この漫画家に教えてもらってきました。その後も、伝説の『海人ゴンズイ』や『シャカ』、また『ピンクのカーテン』など、色々な意味で印象の強い作品を多数享受してきた中で、最も思い出に残る、というか子供ながらにショックを受けたのが、少年キングに連載された『ギャラ』(1979年)でした。以下、記憶で概要を書きます。

 この作品の主人公は、顔が醜く、能力もなく、飯をくちゃくちゃ食う音が不快感を与えるような、いいとこなしの少年です。その不快感を覚える者こそ実の父親で、こいつは優秀なイケメンなのですが、自分の息子の無能さに憎しみを抱いている。母親は息子を愛しながらも、夫の怒りをなだめることができない。
 そんな家庭と学校で孤立する少年のもとに、謎の悪女系美少女が現れます。で、この少女が少年を唆して悪の道に引き込み、父親を殺害させる。その後、故あって母親も殺すに至る少年は、まさに「人の性、悪なり」を地でいくわけですが、しかしどこまでいっても結局は、孤独を癒したり救済を得たりすることがかないません。
 袋小路に陥っていく少年の前に、盲目の少女が現れます。彼女は、少年の姿かたちを知ることなく、少年の優しさを感じ取り、自分の罪に傷つき救いを求めている少年の心のありかを包み込みます。彼女との交流を通して、自らのありようを直視するに至る少年は、悪なる少女の甘言や脅迫に迷いながらも、ついに決算を図ります。それは、悪を教唆する少女を殺害して、警察に自首するというものでした。彼を連行するパトカーのサイレンを遙かに聞きながら、盲目の少女は事実を知らないまま、少年の救いを神に祈るのでした。

 確かこんな話。これを小学生の時に読んでしまったぼくは、一体何を感じたのでしょう。そして、この話そのままにえろげが作れそうなどと考えてしまう自らの罪深さ。
 そいえばこの時期の少年キングには、はしもとかつみの『おかあさん』などという作品も連載されていて、少年が母親にいかに愛され育まれるか、そしてリストラくらった父親までもが妻の努力でいかに立ち直るかという話を、じつに地味に描いていました。これって、今の姉萌えとか母性回帰とかのそのまんまです。しかもこの作品の原作が梶原一騎だったといま知って失禁しそう。人の性を悪と喝破した梶原も、最後の救いを母なる存在に求めていたのだとすれば、手塚も梶原も行き着く先は全く同じ。

 その『しろはた』で妹萌えSS(妹えろげの残滓)が連載されてますが、これはまた重いなあ。

 アニプリファンへの100質問、3104さんの回答をご指示に従い修正しました。遅れて失礼しました。100問目に対して、実写版シスプリのネタ(キャスティング)が追加されております。
2004年5月22日(土) 漫画版リピュアとか
 森嶋プチ氏のリピュア漫画版を読む。アニメ版に比べて、兄の言動がよりまろやかになり、妹同士の交流がより親密になっています。全体としてアニプリに接近している雰囲気。衛のマグカップが全員分だったり、花穂の種袋を大勢で探したり、レストランに全員集結したりと、リピュア考察で示した「妹の兄独占欲求」の問題はかなり薄められてます。また、アニメ版の最終話も含めて数話が省略されているので、兄の側の問題も明らかにはされず。これらの変更点を確認しつつ、これは立派なシスプリ作品だなぁとしばし耽溺しました。あと、千影がらぶりー。

 ああ、映画『まぼろしパンティVSへんちんポコイダー』見たかった…。けっこう仮面の皆さんや、へんきんタマイダーも登場するのでしょうか。どれも雑誌連載時に読んでいた人間としては、とても気になります。
2004年5月23日(日) ばんそーこふやふや
 プリキュア。なぎさが藤ぴーに接近しようと試みるも、あえなく失敗するの巻。それはもう微笑ましい場面が次々と。ほのかも色々とお節介を焼くわけですが、彼女は彼女でまたキリオに教育的指導。指に怪我を負ったキリオは、その傷によって悪としての完全性を明らかに喪失するという神話的展開。あの絆創膏は来週になっても指に巻かれたままで、そのふやけた香ばしい臭いがいつしかほのかの面影と重なって、くんくん。くんくんくんくん。
 そんな(どんなだ)ほのかのことを、なぎさは真心からかばう。厳しいのは、相手のためを思ってのこと。ほのかは本当は彼女自身の規範にのっとって行動しているに過ぎないのかもしれないけれど、そんなほのかを、なぎさはなぎさで、彼女の目で捉えたままに受容している。ここに、二人の「ずれ」があるとするならば、やはり、ずれたままで近づくことの、決してかみ合わないのではなく結び合う面白さが、描かれているのだと思います。
 分断された危機を突破して、なぎさは自らを「ヒーロー」と名乗るけど、なぎさにとってヒロインとはあくまでもヒーローに守られるべき存在で、それは憧れの先輩に好かれるための理想的な自分の姿であり、でも実際にはそうでないことの自覚と、その上でキュアブラックとして戦いホワイトを救う意志を「ヒーロー」に込めている。その役割分担は、老夫婦に端的に示されていたし、そんな理想像と自己像のずれこそが、実はなぎさをヒロインにしてくれてもいる。一方、ほのかはブラックの助けに感謝するどころか、そのことをもはや当たり前のものとして受け止めるまでに絆を確信しており、そして悪に立ち向かう姿勢において「ヒーロー」と「ヒロイン」の別はない。
 それにしても、額に輝く汗や二人のおしりが素晴らしい話でありました。
2004年5月24日(月) 失速
 ネタ元確認のために、マリみてを読み直したり。
 シスプリメ考察の2人目を書き終えたり。
 くらなどの感想をちまちまメモったり。
 でも、5月なのになかなか勢いが出てきません。おかしい。
2004年5月25日(火) くらなどとか
 美森氏の、「CLANNADの舞台は何年か」という問題に対する暫定的な回答を読んでかなり納得。
 こちらの考えを付け加えておくと、以下ネタバレです。

<光学迷彩>
 本編は1997年だとすると、After storyはだいたい2003年になりそうかな。
 ところで、背景画像は2003年っぽいが、テキストは1997年っぽい、という美森氏の(電話で聞いた)指摘について。例えば、次のように考えることもできるでしょうか。つまり、背景に映し出されるあの町の様々な光景は、2003年のもの、つまりAfter storyの時点での朋也や汐たちが見ている世界の姿である、と。本編でも同じ背景が使われている理由は、まさにあの本編が、After storyの時点での朋也が過去を回想したその記憶を、物語化したものだからです。『ONE』について、物語は浩平が「えいえんの世界」から過去を回想しているその中身だという解釈がありますが、これが本作品でも適用される、と。あるいは、町の風景の中に溶け込んでいる、町の住人の姿の記憶、と言っていいかもしれません。これをハッピーエンドから捉えなおすと、汐や朋也や渚やその親達やその仲間達が幸せを互いの絆の中で獲得し増進しているという現在の姿は、それまでの時の中で様々な想いが結び合い重なり合ってはじめて可能になったのだということ、「いま」の中に過去は溶け込んでいて、その「いま」も未来を指し示すために過去となって溶け込んでいくということ、そういったことを示しているのだと思います。風景は時間の流れとともに移ろい行くけれども、その中で生きた者達の想いは、いのちは、その場所に生き続けていく。汐の手を握り、町を散歩する朋也と渚の目には、かつての日々と「いま」とが、そんなふうに重なり合う。そして、その時間の流れこそは、ほかならぬ汐の日々の成長の中に、確かな幸せを育んでくれているのです。

<光学迷彩終了>

 たまにこういう文章を書かないと、勢いは戻らないのかも。あれだ、狭義の萌えが足りてないんだ。
2004年5月26日(水) 再起動
 ここのところ、サイト更新意欲さえも減退するという滅入りっぷりでしたが、いくらか持ち直しつつあります。シスプリメ考察はやっと半分書き終えました。今月中になんとか公開する予定です。

 考察と言えば、アニメ作品での将棋の場面を取り上げて棋力を診断するという素晴らしいページ『カトゆー家断絶』さんより)。駒字のにじみまでも判断材料にするというその視点の屈託ある鋭さに、考察者として刺激されました。
2004年5月27日(木) 湿気
 キリオは、まだあの絆創膏を指に巻いてくんくんしているのでしょうか。

 今更ながら、『ケロロ軍曹』を読んでみたり。『ゲノム』の人と同じく、何というか懐かしいタッチの漫画家さんです。つまり、曲線がいやらしいのです。正統派駄目漫画として、喜んで読み続けていく所存。
2004年5月28日(金) 過失
 「間違いだらけの痴漢冤罪回避マニュアル」『RinRin王国』さんより)。ぼくもあのマニュアルを鵜呑みにしてたので、自省もこめて。

 梅雨入り。どれみ#のエンディングを思い出しながら。
2004年5月29日(土) くらなどくいずとか
 美森氏のとこにCLANNADクイズ開設。中級はなんとかなりますが、上級はなかなかの難問ぞろいです。

 昨日の横浜ベイは酷かった…とくに監督采配が。『大洋ホエールズだ!』もお怒りのご様子です。このサイト、本当に愛がある。同じような思いを抱かれる阪神ファンの方は、こちらへどうぞ。
2004年5月30日(日) ずるずる
 日記も滞納。

 プリキュア。聖子がキリヤ(キリオといつも間違える)に告白しようとしてすげなくされ、そのあまりの非道な仕打ちにほのかが男子中等部へ乗り込むという熱い展開。人の気持ちを考えなさい、と叱られたキリヤは、だったら自分の気持ちは考えてくれたのか、と逆に怒鳴るのだけど、この非難はかつてなぎさがほのかに浴びせたそれと重なる。そして、キリヤがいまどうにも割り切れなくてもどかしくてしょうがない心のうちは、あのときのなぎさのそれとは違う。だから、キリヤがほのかに怒鳴るとき、それはずいぶんな甘えであり、かつ自己主張であり、ということは、ほのかのおかげでずいぶんとこちら側に引っ張り出されてきてしまったキリヤくんでありました。ところで、人間の姿をとって潜入しているのは、作戦なのか、それとも最初から人間と人間世界に興味があってのことなのか。
 謝るほのかはしょんぼりしょぼんで、彼女のあとを慌てて追いかけてきたなぎさは、さっき「大人じゃないもん!」などとまで言い切っていたほのかのその揺れ具合に対して、保護者とならずにひたすらなぎさのままで向き合う。自分はこういう役割を、などという一歩離れた視線がなくて、とても気持ちいい。
 で、ポイズニーさん強い。
 で、なぎさの一夜漬け・居眠り・諦めという行動パターンはとても共感できました。
 今回もまた、ほのかのやりすぎは反発を生んで反省を促されるのだけど、やはり今回も、相手はほのかの純粋さに向き合うことで、変化していく。こういう人の前では、もはや薄笑いを浮かべているなんてことはできないものです。
 キリヤの変化によって、聖子の心もすっきりとして、なぎさはそれでも聖子がなお傷ついているだろうと感じてパフェに誘う。それはもちろん、なぎさの試験勉強から逃げたいという身勝手な気持ちと重なっている。その一方で、ほのかはキリヤの変化を知ることによって大きく回復しているはずだと理解して、なぎさは無理に誘おうとしない。なぎさにとってほのかはそこまで弱いはずのない親友なのであり、ほのかもそんななぎさに屈託なく呆れる。
 来週は夏服です。やがてスク水も、きっと。
2004年5月31日(月) 間に合わない
 いずみのさんご指摘の「古いもの」の力。最近、80年代以来の軽い第三者的振る舞いが行き詰まり、再び熱さを求める潮流がある、というのは『しろはた』でもよく語られていますが、そういうことでもあるのかな。

 とらさんの日記で、『ブラックエンジェルス』の文字を見て大喜び。「ド外道が」。少年ジャンプ的展開に同意。あと、ぼくもあの場面で失禁しました。

 月内に考察書き終わらなかった…ううう。
 ともかくも、あと1人分。

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