日記
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2004年3月1日(月) 真っ赤なまふらー
 『Sincerely Yours』が届きました。「シスプリ最終章」。そして半年後には「シスプリよ永遠に」(違)。私はメディアワークスのスターシャ。
 雑誌連載をリアルタイムでほとんど追っかけてなかったので、どきどきしながら少しずつ読んでます。白雪は、兄と結婚できないことを自覚したけどすぐ立ち直った雰囲気。うーむ。
 こないだ白雪に生活臭を、などと書きましたが、生活臭は原作からできるだけ排除されていた要素なので、これを求めるのは横暴でした。庶民的と言われる花穂にしても、キャラコレでは他の妹達とそんなに生活感が違いません(亞里亞などは例外として)。ただ、性格的に庶民っぽさを喚起するのは確かに花穂なのですけれど。これについて一つ確認しておくと、花穂を庶民妹の代表とする認識がウェブ上で広まったきっかけは、ぼくが知る限りでは、ONAさん生シス花穂絵だったはずです。つまり、あの絵はそういう新局面を切り開く力があったということ。

 シスプリメ考察、やっと忍ちゃんの節まで書き進めましたが…もう16作品。全然追いつきません。
2004年3月2日(火) シスプリメとかろりとか
 Zoroさん(トップ絵は可憐っ)のとこで、シスプリ&車SS企画「Driver's High !」全応募作品公開中。こういう独特の切り口からの企画は、車について無知なぼくにとっても興味深く面白いいです。

 一方、シスプリメはとうとう22作品。あうー。いや、いっぱい読めるのは嬉しいんですが、考察が。作品感想はこの日記に書いちゃいますかね。

 『Sincerely Yours』については、MAS-Rさん(3/1分)が、さすが。

 昨日の「生活臭」ONAさんから反応いただく。「おとぎ話」ゆえの限定、そしてそれを踏まえたうえで「妹のイメージを崩さないレヴェルでの新たな要素の構築」という言葉には、まさに同意です。そしてぼくも時々は「ぶっちゃけ」たいわけです(駄目)。

 これがまた「物語消費」であることは先日猿元さんから指摘いただきましたが、今回の話についても第三者問題
 キャラコレには一応父親が登場する(可憐第2話、衛第1話など)けど、そこには父−兄のやりとりは描かれない。また、母−妹のやりとりは各所で示されるけど、母−兄のやりとりはない。ゲーム版でも兄は一人暮らし。確かにシスプリには、「去勢」の恐怖を喚起する関係は排除されている。
 にもかかわらず、家族絵がファンに(パロディとしてではなく)受容されやすくなってきているのは、「キャラコレのそれとは別の原理」としての「妹の成長によるシスプリ的兄妹関係の変化」を、その「終わり」の可能性も含めて、アニメ版や最近の雑誌連載がオフィシャルにファンに示してきているからだと思われる。
 ここからすれば、ONAさんのあの生シス絵が、「お赤飯」という「妹の成長」を端的に示すイベントを描いているという点に注意すべきだろう。本来ならシスプリ的兄妹関係を動揺させるはずの両親の登場は、花穂自身が成長しゆく存在であることを描くことで、その暴力性を骨抜きにされている。兄妹関係の変化は、両親という外部から強制されるのではなく、妹自身の成長によって兄妹関係の内部からもたらされる。それゆえにファンは、兄妹関係の否定的破壊に憤ることなく、むしろ妹の成長を寂しがりながら喜ぶという兄の心持ちに、肯定的に感情移入することができるのである。
 このような兄妹関係の変化は、兄妹の絆そのものを維持したまま、連綿と続けられていくことになるだろう。そしてその道筋は、既に可憐のキャラコレ第7話における祖母の生き様に与えられている。もしシスプリメが原作に並んだならば、あるいは少なくともシスプリメ関係者の創作活動がネオシス最優先となったならば、そこでの原作関連の創作は、妹達の未来を描くものが中心になるかもしれない。かつて原作妹が担っていた兄妹の「いま」をネオシスが継承する一方で、原作妹には、新たな妹達のために幸せな未来を切り開く役目が与えられるからだ。
 なんか、生シス絵考察みたいな。

 「普遍の実体」というより、「そういうものへの共通理解」なのかしら。そして堂々とパクリ。

 「少女愛」とか「少女スキー」とかについて、それらに普遍の実体があると信じるか否かを縦軸にとり、さらにそれらを知っている者として振舞うか否かを横軸にとると、次の4通りの立場を書き出すことができるかもしれない。項目名は仮称で。

(1) 「啓蒙主義者」:少女愛にはじじつ実体があると信じており、少女スキーたる我々はそれを知っている者として振舞うべきだ。もし社会が少女愛を否定するなら、抵抗権の行使や暴力的政権奪取(「しみ革命」)も辞さない。なお、生えかけの少女までも無毛にしてしまおうとする過激派を剃毛主義者」と呼ぶ。

(2) 「ロマン主義者」:少女愛の実体はじじつ存在すると信じるのだが、それは現代日本ではないどこかに存在するのであって、自分はそれを知らない夢見る青年として振舞う。戦前の翻訳では「炉満主義者」と表記された。なお、えろ表現より物語や思想を重視する者は「日活ロマン主義者」なので混同しないこと。

(3) 「ポストモダニスト」:少女愛の実体なるものは存在せず、それらは単にバラバラで独善的な考えの群れであり、自分もそれを知らない者として振舞う。略称の「ポモ」が指し示すようにホモセクシャリストが多く、しばしばそのことを隠蔽するために論理を組み立てる。「フタナリスト」と混同しても怒らないが、「ホタリスト」と混同すると怒る。

(4) 「社会システム論者」:少女愛値の実体なるものは存在しないが、えろ社会のバランスをうまく保つためには、私(やあなた)がそれを知っている者として振舞わなくてはならない。そうすれば、システムやストーリーは地雷でもそこそこ売れるし、地雷だと分かっていてもつい買ってしまう。そして地雷購入者による叩きが、えろ社会全体存続のために一定の機能を果たす。

 ろりげライターにも適用できそうな区分。とはいえ、普遍の少女なんて信じている人は以下略。ちなみに「少女愛」を「兄妹愛」「妹スキー」に置き換えると、ぼくは啓蒙主義者かしら。シスプリストの乱に参加して刑死。
2004年3月3日(水) ドイツ人にゃー
 ぼくもいつも通りで。

 ONAさん(3/2分)から、可能性のお話に納得。そして、

>しかしながら、特にシスプリ初期のシスプリユーザーは
>初期故の「情報量の皆無さ」を逆手にとった「悲恋とするシスプリ」への
>支持が、少なからず存在しました。したはずですし、今もあると思います。

 この「初期」の記憶が、遅れて参入したぼくにはないわけで、すごくせつないわけです。そして、「パフェのサクランボ」という言葉に違う部位のチェリーを想像してこれまたせつないわけです。

 26さん(3/2分)ご指摘の通り、ぼくも26さんが「花穂=庶民的妹」ということを(シスプリメ界隈で)初めて明確に主張された方だと思っています。その参照先は2003年12月2日分。ただ、あの生シス絵は2003年6月13日に掲載されているので、その前にも26さんからご指摘あったかもしれません。このあたりはうろ覚えで失礼。

 貴也さん(3/2分)から、創作において「妹達の未来というのはその外側」というご意見も。このあたりはスタンスの違いが分かって興味深いです。

 『好き好き大好きっ』さんの「アルバムとして」というのは、シスプリという作品そのものへのスタンス。とてもよく分かる言葉ですし、そして同時に、まだまだアルバムにはさせまいと頑張る所存です。

 転叫院さんから反応いただく。もろパクリですみませんでした。「その場の関係性の中で」というのは実感あり。
 そいえば昔、TRPG.NETで「極論実験」というのがあり、そこではそれぞれの立場をあえて極端にして議論してました。それによって、お互いの相違や問題点を洗い出そうという。自分を安全圏においた似非批評的振る舞いではなく、相互理解のための真剣勝負。それは、冷静な参加者同志も観客も相手への敬意を抱きあって初めて実現しえていましたが、その敬意というのがぼくの場合なかなか難しい。

 『カトゆー家断絶』さんから、ドイツオタ雑誌。勢いで翻訳してみる。

「世界を席巻するにゃん!」

「近々、日本の着物姿のねこみみ少女が町中をわらわら駆け回るようになったとしても、驚いてはいけないよ! この謎なヤツはじつはずっとこの世に存在していたんだ、もっとも今までは地下に潜伏していたんだけど。こいつらは文化的な革命を目論んでいたんだ、ぼく達の西洋風のモードや芸術、音楽なんかを滅茶苦茶にひっかきまわしてやろうとね。そしてたまたまこのたび、この革命の助けになるお供を得たってわけさ。2月の終わりに、フランクフルトにほど近いRaptor出版から、『Koneko』(「子猫」)の第1号がお目見えしたんだ。西洋のメインストリームに背を向けて新しいトレンドを探しているヤングメンには、このちょっとおかしなライフスタイルマガジンがぴったりだ。エキゾチックな美の中に、極東のモードと芸術が発見できるぞ。アニメに向き合うそのときに、終わりなきデカルチャーのコスモが現れる。新たなマンガやアニメやアートブックのレビューと並んで、とりわけ『Koneko』が力を入れているのは、地元や日本のオタクシーンについてだ。そこには、有名ミュージシャンなり絵師なりのポートレート、世界中からのイベントやメッセのルポ、それに笑いあふれる国からの最近の映画やビデオゲーム、テレビシリーズなどの紹介が盛りだくさん。基地外になればなるほどよし! そして多くの女性読者には、『Koneko』は属性ばっちりで目立つこと請け合いなモードやコスメのティップスを与えてくれる。アクティブな読者コミュニティにとっては、『Koneko』は自分だけのイメージを作るのに力となってくれる大事なトレンドマガジンなんだ。それらに負けずすごいのは、ファンアートやSS、伝説に残る同人マンガなどのページ。ここに掲載されることは、みんなに認められるマンガキャリアのステップとなるぞ。さらにさらに、料理や手仕事、日本語や縫い物、それにイラストなどの講座まで用意してあるんだ!」

 かなーり意訳で太字もこちらの作為ですが、なかなかの煽り具合だし内容もそれっぽい。「第1号は45000部発行」、「隔月刊」で「3.90ユーロ」。500円強でしょうか。

「68ページまるごと、オタクのハートが求めるもののために捧げられている。それにくわえてこの第1号には、ポスター6枚とファンカード4枚に全プレまでつけちゃって、しかも魅力的な特別価格だよ。」jede Menge Gewinnspieleって、「全員プレゼント」でいいのかしら。
2004年3月4日(木) にゃーにゃー
 シスプリメで作品人気投票開始、期限は9日までです。

 昨日のドイツオタ雑誌ですが、こちらに主な内容が出てました。『Love Monster』『Moon Child』『FF7』『絶愛』『ぴちぴちピッチ』『Noir』『アルジュナ』『マリア様がみてる』『Dr.リンにおまかせ』『コスプレワークショップ』『.hack』など(名称の誤記はぼくの適当さのせい)。コメント欄では、ナージャとかセラムンとかにも言及してる人がいました。
 さらに、でっかい表紙絵も発見。右上の日の丸に、「カリナ(Carina)の秘密な日本日記」と書いてありますが、この表紙絵のネコミミ少女がカリナという名のマスコットキャラなのかもしれません。しかし、着物というよりセーラー服ですねこれ。

 ビーカーなどでビール。だったら負けないぞ。戦いに勝って人として負けている風味。この写真に懐かしさを覚えるあたりも、なおさら。

 26さん(3/3分)から、こちらのシスプリ論。大学のせんせーさんということで盛り上がっておりますが。
 主たる指摘である「悪意の不在」については、既にファンサイトでも語られていました。例えば『The 男爵ディーノ』「本気で薦めるシスプリ論」など(これはアニプリ放映時に掲載されてますので、高橋氏の論に先行しています)。この「悪意の不在」はファンにもある程度自覚されており、それへの抵抗を感じるかどうかがファンの様々なスタンスを生み出してきています。
 妹の兄への直接的な悪意はもちろん作品の性質上ありえないわけですが、悪意そのものは作品内から排除されていません。キャラコレには麹町やミナコちゃんが登場しますし、彼らの悪意そのものは最終的に解決されません。また、雑誌企画の段階では妹からの悪意なき愛情を読者の兄達が争奪するというかたちがとられ、またゲーム版では妹達が兄を争奪するという競争原理が存在している以上、これを単純に閉鎖的幸せ空間として把握するのは一面的に思えます。むしろ、悪意は巧妙に隠蔽されていたと言うべきでしょう。
 このへんについてぼくは、アニプリ考察で既に妹間での悪意の存在を指摘しましたし、兄への悪意も、妹の愛情が暴走することによる無自覚な隘路としてですが示しました。燦緒の行動には「友情であり、悪意ではない」と単純化せずに、友情と悪意が表裏一体のものとしてそこに現れていると解釈しています。
 もちろん自分のこういう読み方が一般的だとは思いませんし、シスプリという作品に氏が指摘された問題があることも理解しています。ただ、氏の論は心理学的に基礎づけられたものであるとはちょっと言えません。専門研究分野(認知心理学)に関係ありそうなのは、素人の目からすれば「情報構造体」という用語ぐらいです(その内実はさておき)。また、これによればSF研顧問だそうですが、それでも学問と趣味を一応分けられているということは、シスプリ論などがあくまで私的な場所に掲載されていることからも明らかです。
 それゆえ、この論はあくまで、「読む麻薬」を必要とするような「『こちら側』の住人」である氏の、一ファンとしての言葉、あるいはシスプリ史としてとらえた方がよさそうです。とくに『ビューティフルドリーマー』への文章を読むにつけ、その感じは強まります。
2004年3月5日(金) 鍵の結び目
 掲示板でおどりこさんから情報いただいた(どもです)『七人の妹』。素晴らしい(笑)。「物語紹介」があからさまに馬鹿なので、この勢いで本編も突っ走ってくれたら、期待できそうです。
 最近のえろげだとほかに、メイビーの『へんし〜ん!』がエスクード『メタモルファンタジー』の後継者になれるかどうか。あと、『大番長』起動デモのアリスちゃんが春服に着替えててびっくりしました。

 東雲大尉さんからこちらの「全自動二つ名付けマッシーン」。試してみる。

「ミステリー系あだ名
 夜の墓場を音も無く、彷徨う者がいる。
 …そ奴には近づいてはならん子供たちよ、暗黒の魔女っ子 あんよには…」

 黒おジャ魔女を思い出します。ちなみに「さわやか系あだ名」は、「ご家庭の中間管理職」。

「ほんとにそんな感じだね。」

 そう笑う雛子ちゃんは、戸棚の奥に見つけた雛あられの残りを未来と半分こする作業中。折り紙でこしらえた器に袋から注がれる色とりどりの粒を、3歳の未来は全身全霊で見つめている。適当に切り上げた雛子ちゃんに、器に移した方のがいいかビニール袋に入ったままの方がいいかと訊かれるが、未来の答えは決まっている。いいおやつにはいい器が必要なのだから。
 ではいただきましょう、と雛子ちゃんが手を合わせると、未来も真似して頭を下げる。もうすぐ5年生になる義妹は、既にぼくのことを「おにいたま」とは呼ばなくなっている。今は「おにい」と簡略化されてしまい、それは寂しくもあるのだけれど、いつまでも幼いままの彼女ではない。その代わりといっては何だが、雛子ちゃんの幼い日々を継承しつつある娘の未来は、父親であるぼくを「おとうたま」と呼んでいる。ぼくはだからこの家では、「おにい」であり「おとうたま」であり「お兄ちゃん」であり、

「ちょっと、洗濯物取り込んどいてくれる?」

 さらに「ちょっと」でもある。ただしこの人称代名詞は単複同型なのだけれど、大抵は雛子ちゃんによって単数として解釈され、その結果としてぼくがその単数として動くはめになる。よっこら、と立ち上がれば「腰に気を付けてねー」と義妹にからかわれ、中間管理職の悲哀を背負いながら、ぼくはベランダにはためく衣服の群れを求めてガラス戸を開ける。手にした洗濯かごが風になびき、吹き込む冷たい空気に雛子ちゃんも未来も雛あられを抱え込みながら文句ぶぅぶぅ。後ろ手に閉めたぼくの前を、白い雛あられがかすめて飛ぶ。食べ物を粗末にするのはさすがに

 いや、雪か。

 横殴りの風に吹き散らされて、淡い雪が洗濯物にまとわりついていく。慌てて取り込みガラス戸を開けようとして、鍵がかかっていることに気づく。ガチャガチャやっていれば、そのうち瑞佳の雷が雛子ちゃんに落ちるのは確実だ。でも誰にとっても幸いなことに、雪が舞う外の景色をようやく見つけた義妹は、未来の手をとってガラス戸の鍵を開けて、吹きすさぶ白い風を受け目を細めてはしゃぎだす。季節はずれの雪に「明日までに積もるかな」と過剰な期待をかける義妹の背後で、カチッと再び鍵が閉まる音。振り向いてわめく雛子ちゃんと、部屋の中であられに手を伸ばして挑発している瑞佳は、誰がどう見ても似たもの姉妹だ。
 そんな雛子ちゃんの背中と、なおも雪に手を伸ばす未来の体とを、一緒くたに腕に抱え込んで、「悪い子はいねがー」と不気味に唸ってみる。娘はきゃーきゃー笑い、義妹は嫌がりもがき、妻はロックを外して戸を開ける。部屋の中に二人をかかえたまま躍り込み、罵声に気づかないふりをしたまま振り返れば、雪はガラスをなぞりながら清らかな空の彼方へ。そこに待つ休らぎに思いをはせても、この騒がしさこそが今は求めてやまない永遠。

 帰宅後の可憐に雛子ちゃんが言いつけたので、ぼくは明日のおやつ当番になりました。

 というわけでいつの間にか脳内家族、ほんとに久々です。Beeさんのリクエストに遅れて反応ということでひとつ。
2004年3月6日(土) 千影ちゃんがぴょん
 各所で千影の誕生日祝い。ぼくは相変わらず沈滞してますが、デンセンさんこれには参りました。

 というわけで、せめて千影について一言。
 千影は特技派妹の中でも特殊な存在で、何が特殊かと言えば、その特技が実際にその世界でどのように位置づけられているのかがわざと不明瞭なままに置かれている、という点です。鈴凛の機械いじりにせよ、白雪の料理にせよ、それらは兄にも第三者にも存在を確認でき、その成果を分かち合えます。しかし、千影の魔術や前世の記憶などは、千影以外の者には、ほとんど共有されません。ゲーム版やアニメ版では魔術を兄も具体的なものとして体験しますし、ポケストでも他の妹達が千影の魔術の恩恵にあずかっていますが、キャラコレではそのような現世の第三者は登場せず、兄も現実と幻想のあわいにとまどっています。いわば超常能力系である妹をうまくシスプリ世界に包み込むためには、この曖昧さが不可欠なのかもしれません。
 さて、ファンが千影をイメージするとき、そこには、彼女のこの曖昧さをどう受け取るかが影響します。魔術的側面を強調すれば、兄妹の住む世界はそのような魔術を許容する場所となり、読者の世界での現実感から遠ざかってしまいます。逆に、千影の日常生活面を過剰に描写すれば−それは「普段は〜だけど、じつは意外と女の子っぽい」と感じさせることで読者に「本当の彼女を自分だけが知っており、それをぜひとも守ってやりたい」という庇護感情・支配欲を抱かせるための作業でもあるのですが−、千影の魅力を支えている危うさが弱められ、最終的にオカルト的要素はたんなる振る舞いに落ちついてしまいます。
 ゲーム版では兄は千影と一緒に向こう側に行ってしまいますし、アニメ版では日常生活が優越します。ぼくのアニプリ考察は、オカルト的要素を世界観に包摂させようという試みでしたが、あれもまあ、千影の曖昧さを解消させてしまう野暮さ炸裂ではありました。
2004年3月7日(日) プリキュアクロスでぎゅーんぎゅん
 ほのかの腕がぼくの股間に伸びて空気投げの日曜日。前半のなぎさと母親とのやりとりが、後半のクマの母子をめぐる言動に反映しているあたりは、ちゃんとしていてよかったな、と。ただ、なぎさが「早く帰ろう、お母さんも待ってるし」と言ったとき、ほのかは普通に返事してましたが、あまり寂しくはないのかしら。

 シスプリメのバレンタイン企画、ようやく全応募作品を読み直しました。投票のためにどれか一作品を選ぶのが、えらいきついです。
2004年3月8日(月) 浄化槽ジョースター
 こちら(3/6分)で、完徹明けにアニプリ考察読んでさらに睡眠不足、というお話。ありがたいやら申し訳ないやら。
 考察の出版についてですが、夏には同人誌としてまとめようかと思っています。文章はそれに向けて修正中。ただしコミケに参加応募してませんので、お求めの方に郵送で、ということになるかも。どれだけ捌けるか激しく疑問ですが…。あと、サイトに掲載した考察だけだとあれなので、何らかの新作をおまけにくっつける予定です。

 馬鹿話。

らむだ「和式のウォシュレットってあるんだろうか。」
美 森「あるんじゃないか。」
らむだ「あんなに距離があるのに、どうやって温水を命中させるんだろう。」
美 森「さあ。」
らむだ「しゃがむ位置だって個人差があるし。」
美 森「出てくるお湯に、自分の尻を合わせるんじゃないのか。」
らむだ「便座の前にモニターとコントローラーがついてて、自分で操作するのかも。」
美 森「自分で見るのか(笑)。」
らむだ「ターゲットスコープでロックオン。」
美 森「まさに『アスに向かって撃て』だな。」
らむだ「ああーっ(笑)」

 個人的にツボでした。

らむだ「ガクガクブルブルって、『学ラン学ランぶるまぶるま』の略だっけ。」
美 森「書いとけ。」
2004年3月9日(火) 久々の考察とか
 シスプリメ考察の前振りとして、「キャラクターコレクションにおける妹の設定」を掲載しました。まだ不十分な内容なのですが、独りで煮詰まってしまうよりはご意見をいただいた方がよさげ。ネオシスの設定や創作のさい、何がしかの参考になれば幸いです。
 この掲載のついでに、妹一覧表も置き場所を変更しました。

 一升飲みますか、すごいなあ。尿だってそんなに飲めないや(違)。
 こういうことを言う人間は、こちらの記事について、いずみのさんのように左下の記事に目が向かうのではなく、右下の記事に吸い寄せられてしまうのでした。睦月影郎だー。わー。

 昨日の和式ウォシュレットについて、おどりこさんから平置型和風便器用シャワートイレなるものが存在していたとの情報をいただきました。ありがとうございます。また、美森氏からは、「カタログを見たことがあるから、昨日のような曖昧な言い方を自分はしていなかったはず」と指摘されました。謹んでお詫びいたします。

 最初の更新通知以外、下の話題ばかり。
2004年3月10日(水) 次だ次
 『■ちぇき。■』さん(3/9分)、考察のご紹介ありがとうございました。「キャラコレの最も意義のあるところは、それまで複数の中の1人だった存在を、ただ唯一の個として最初に扱ったモノ」というご指摘はその通りですね。そのキャラコレという作品の枠内で描かれた妹像の共通要素を抽出してみたわけですが、これを急いでシスプリメに応用してみないと。

 『Crannad』だけ買うのは恥ずかしいので、一緒に購入するえろげを探しています。レジに出すときには、こんな感じで。
    えろえろげ
     くらなど
    ろりえろげ
 まるでエロ本を買う中学生みたいだ。並びが全く逆ですけど。

 屋敷八段、ついにB級2組に。このままだと、「上から落ちてきてないC級九段」という凄まじい存在になれてしまったはずでしたが、本当によかったです。

 こちら。『プラネテス』を読んでいないのであれですが、物語としてちゃんとつながっているというご意見も。あと、ガルバン考察書いてた頃に読んだ「アニメ解釈論」を思い出したり。
2004年3月11日(木) 感想とか
 26さん(3/10分)、よつばねぎさん(3/11分)、考察の紹介ありがとうございます。とりあえずの分析枠組み提示ですので、いま「St Valentine's stories 」参加ネオシスの独自性をこれで割り出してみてます。

 で、その今回のシスプリメ企画応募作品について、ひとまず感想を。

 秋那作品。少女への態度と兄への態度を対照させてネオシスを立体化。兄の台詞や秋那の感情描写をぎりぎりまで削って、抑制的な効果を高めているのは、個人的に好き。聖バレンタインにまつわる知識も巧みな小技。でも、夜中に女の子が外を出歩くのはいけませんよ二人とも。

 梨愛作品。幼女スキーの自分にとって総じてツボ。幼いなりの一生懸命さと、感情の大きな起伏とが、共感的に描かれている。最後の手紙の用い方も好き。ただしキャラコレ的には、本筋に関わらない箇所を省略した方がすっきりすると思う。

 いずみ作品。彼女の独特の強さが伝わる小品。「わたし、すっごくほんきだから……。」とその次の行に悶絶。兄がそのリボンをほどく時、それはいずみ自身が兄の手で生まれたままの姿にされるとき。そういう想像をかきたてる危うさと、未来へ開かれた秘めやかな明るさ。

 成慕作品。キャラコレ形式準拠再び。チョコ作り過程を丁寧に描きながら、彼女の日頃以上の頑張りや、友人との支え合いを示して、とくに第三者関係の中での妹像を充実させている。「普通」であることの難しさと、それをかたちにする見事さ。

 忍作品。ポッキー食べたくなる結末部。兄の度重なる攻撃に開き直った妹の自爆的反撃が、読んでいてとても痛快。ただ、13日と14日の間にもう一言ほしかったかも。沙耶はきっと熱いファンがつく準レギュラー。つか、ぼくが既にファンになってたり。

 杏奈若菜作品。双子でザッピングという挑戦的作品。妹間の感情の交流がちゃんとあるのが幸せ。このさい、二つの文章を横に並べてみては。各文章の行数を完全に合わせて内容をそれぞれの視点からのものに変えるという描き方もできそうだが、自分が昔やってみた経験では、かなりしんどかった。

 楓作品。思わず父親的な視線で包んでしまいたくなる健気さと高揚感。描写の適度な省略と、特技の巧みな適用など、キャラコレ的にも完成度が高い。この後ちゃんと兄に渡せたのか、続きが気になるが、その描写を本編に求めるのはもちろん野暮というもの。エプロンの胸元に注目。

 続きは明日以降に。
2004年3月12日(金) また感想とか
 東雲大尉さん(3/11分)、考察紹介ありがとうございます。あれは未完成な代物ですので、不明な点はご指摘いただけると幸いです。そちらの四葉考察ですが、四葉という妹は、

兄 「あーもうまとわりつくな! 暑苦しい…。」
四葉「あーん兄チャマってば、かまってくだサイー。」

とかいった会話ができるようになったら、もう安心なのだと思っています。

 昨日に続いて、「St.Valentine's stories」作品感想。

 彩音作品。「普通言わない」に拍手。チョコが欲しくて焦って失敗してさらに焦って自滅した、と思しき兄の心中察します。彩音の軽快さと途中の重たさが対照をなし、兄の格好悪さを共有したときのほぐれ具合がそのぶんとても心地よい。ノーサイド。

 愛乃作品。魔法少女ものの決定的場面の一つをここに敢然投入。その意気やよし。口調の統一性が高い。そして呪文可愛いすぎ。最後にほんのちょっとだけ、再び魔法を入れてもよかったかもしれないけど、蛇足になるかも。ちゃんと愛乃の想いは舞い上がっているので。

 乃彩作品。書き出しが素敵。チョコの選択が特技と噛み合ってて納得。学校場面をもう少し縮めて、不安の消失を結末部で述べてもいいかも。最後の「トッピング」には魂の流星号がマッハ15で応答。夜空の下で、カップから口を離した兄の吐息が伸びていく白い天の川。

 焔作品。咲耶十八番の「赤いマフラー」モチーフをここで使用する大胆さ。性格特性としての嫉妬心をからめつつ、背反する想いをもとに咲耶と違う「タタカイ」の姿にまとめあげようという力業。感情がやや乱気流すぎか。ヒトミおばさまの背景は、別の作品でぜひ詳述希望。

 美虎音作品。生命力が伝わってくる。元気娘の本領発揮でもあり、野生児の文明化の過程でもあり。チョコンがチョコの選択に影響するという手もありそう。ただし、美虎音の想いは既にチョコンに具現されている。チョコよりも動物達こそが、彼女の想いのかたち。

 詩帆作品。夏少女の暖かな冬日。できることから一歩ずつ、の姿。今日はいいけどホワイトデーはどうする兄、と野暮な突っ込みを入れる前に、兄妹の相互贈与性をまず確認。手紙の内容をあえて秘したままなのが余韻を残していて効果的。

 作品。硬派で内気な少女の純情。メール文面の硬さがたまらなく、こちらも丹田に力を込めたりして悶える。兄以外全員知ってる状態とは独特。女友達が皆、嫉妬しつつ応援してあげてるとか。進藤君は、そこで逃げてはいけません(肩に手をおきながら)。

 明日に続く。

 「自分の歴史学は『マルクス主義歴史学』であるとは思っていなかっただろう」ということでしたので、ホブズボームの『歴史論』(原剛訳、ミネルヴァ書房、2001年)を読んでみた。堂々と「人間社会の進化」(p.238)や「思想的・政治的闘争と階級闘争と解放闘争」(p.242)や「党派性」(p.198)を条件付きで前提にしてますね。もちろん「マルクス主義」という括り方の中身が問題になるわけですし、いわゆる教条主義的なマルクス主義歴史学が批判されてもいます。ただ、序文の中で、「(本書の論文にある限定つきで)マルクスの『唯物史観』が歴史への抜群にすぐれた指針であると思い続けている」(iv)と述べた直後に、いきなりイブン・ハルドゥーンの言葉を英訳本から引用しているのだけど、そこで「革命と蜂起」という表現が出てくる。この「革命」という単語に、ホブズボームがどのような意味を込めているのか。だいたい、イブン・ハルドゥーンがここで述べる原語不明の「革命」って、ホブズボームがそこに込めている意味とどこまで重なり合うのだろう。それは既に、ホブズボームによる「マルクス主義歴史学」的な解釈によって超歴史的な意味内容を上書きされてしまっているのではないか。
 こう考えていると、ではぼく自身の「革命」理解ってどんなものなんだろなーと問題が移行し、そこで自分が抱いている「革命」理念があまりに西洋の文献の翻訳やその引き写しである日本の文献の記述によって規定されており、そこに自分の生が関わらないためにどこまでも抽象的なものとしてしか理解できない、ということに気づく。で、これってつまり、野嵜さんが指摘されている日本人の西欧輸入における根本問題。そういうわけで、元の話題に早く戻っていただけると「外野」としては嬉しいです。
2004年3月13日(土) またまた感想とか
 『悪徳商法?マニアックス』さんによれば、匿名掲示板(仮)が家宅捜索を受けたとのこと(3/11分)。
 この問題やgoogle・はてなの対応などをめぐるウェブ上の反応については、こちらの批判も参照。

 そして「St.Valentine stories」感想。

 聖羅作品。母性愛の発露。わりと大人な落ち着き方は独特。兄への語りかけ文体は意外に珍しい。彼女に向き合いながら、行間に表情を読み取る楽しさ。そして結びの「好きだから」に込められた二重の意味。チョコ作りが、そして兄が。2行の空白に微妙な照れを見出したり。

 桜仔作品。東雲さん何本書いてるんだ(驚)。チョコレートとの対話。過去と未来の狭間で自問自答。向き合う勇気と、待つことの強さ。そして最後にやられた。ここまでがワンセットだから、あんなに躊躇してたのかしら。雰囲気はキャラコレなら第7話。

 瑠巳佳作品。女の子にモテる妹を持つと兄も辛い。チョコが兄の手に渡る過程の独自性。行当たり文字数は減らした方がいいかも。15分待つ間、妹に見つめられる兄の心中たるや。沈黙という背景に鮮やかに映える、瞳に息づく想いのいろ。

 來夢作品。「普通」が変化する、というかためらいがほぐれる瞬間。無自覚な幸せから、照れを乗り越えて、意識された近さの幸せへ。兄の言葉と表情のずれへの注目はなるほど。そして周囲の生徒の視線はもはや眼中になし。

 麗音作品。二重の意味で「告白」。でもそれでいいのかシスター。だってシスプリなんだもん(自問自答)。これで暴走しない自己抑制によるバランスの妙味。シスターと別れる直前、彼女の言葉への反応を受け止めた独白が若干あってもいいかも。

 海羽作品。前人未踏のオリジナルストーリーズ仕様。ビバ制服。兄を招き寄せる絆の力。学校でのどんな振る舞いを兄が見て心配したのか想像して楽しむ。チョコもらってないのが気がかりなだけだったりして。最後はきっちり正面アップ絵、お見事です。

 彗作品。コスプレっ娘非甘党派。つか、どんな店ですか。V作戦のVは、ValentineのV。このチョコがあれば兄はあと10年は戦える。つか、どんな親ですか。そりゃ兄も魂消ます。坊やだからさ。このチョコ動くぞ(食べられません)。次はぜひ軍服を(「軟弱者!」)。

 鏡子作品。兄と双子で同居の設定。名前ありの恋敵登場という大胆な主題。兄の態度が明確化されてるのが今後の流れに決定的。ぼかした上で、ノックの音を響かせる結び方もありかも。つか、続きがえらい気になります。

 以上、簡潔ながら感想(というか何というか)を綴らせていただきました。クリエイターの皆様、素敵な作品を読ませていただき、ありがとうございました。読み返すたびにいろんな発見があり、楽しませていただいております。絵師の方々には、自分が絵について語る言葉を持たないので個々の感想を記せずごめんなさい。ただ、皆様の絵に共通するのは、妹達の目がみんな生き生きとしていることで、ここに彼女達の想いと絵師の愛情を感じとりました。
2004年3月14日(日) そして考察とか
 シスプリメ考察もだいぶ長引いておりますが、5人分だけある程度まとまりましたので、『シスター・プリンセス・メーカー』における妹の可能性(その1)として掲載します。今回考察させていただいたネオシスは、秋ヶ瀬さんシスプリスト)の秋那ちゃん、竜胆さんの梨愛ちゃん、ふれでぃさんのいずみちゃん、ALINEさんの成慕ちゃん、タカさんの忍ちゃん、です。考察記述に問題点ありましたら、ご指摘いただければずんずん修正します。
 いや、可愛いですよネオシス達。今日は企画応募作品の人気投票結果が公表されるのでしょうけど、順位にかかわらず、ぼくはみんな好きになりました。

 了解しました。そういうことでしたら、理念史や精神史、文化史あるいは比較文化論といった領域にも(当然ながらホブズボームらによるこれらへの批判は確認すべきとしても)、それなりの方法論があることをお認めいただければ幸いです。既述ならごめんなさい。もちろん野嵜さんがそれらに依拠しているかどうかとか、依拠具合がどうかとかはまた別問題ですし、現状ではぼくには判断できません。
 本件については以上で。

 プリキュア、いいお話でした。とくに教頭が(笑)。あれだけ「嫌なヤツ」風味をまき散らしながら、あそこで暴発するとは。思わず笑い泣きしてしまうあたり、ぼくももう若くないです。あと、全面的に同意です。「プロレス技目当て」は真理。そして来週見逃さないように自分。ほのかの祖母が登場してくれたら歓喜。
 ところで、「幼馴染み」はいいとして、「お兄ちゃん」みたいな、とは何事でしょうか。おそらく一部のほのかファンは、あの表現にただならぬ危険なかほりを感知したはずですが、みんな頑張ろう。

 デカレンジャーにも泣けました。ピンクええ子や。
2004年3月15日(月) おつー
 シスプリメ企画応募作品人気投票結果発表(漢字つなげすぎ)。順位はここには記しませんが、上位の皆様、おめでとうございます&残念だった皆様、次こそは。
 全体について若干感想を述べておくと。ぼくも投票しましたが、たった1作品に絞るのにえらい難儀しました。ただ、原作キャラコレの枠組みをあえて前提にして読みましたので、それらと違う形式の作品はぼくに対しては若干不利でした。このへんは確かに不公平ですけど、考察書いている人間なりの筋目でもあります。
 それから、このような投票によって順位付けがなされる企画に敢然と挑まれた参加クリエイターの方々には、1人のファンとして心から敬服いたします。そこには自分の妹への愛情と、評価を受け止める誠実さと、結果をバネにして兄妹ともども成長していこうという意欲とが、はっきりと示されているからです。
 そして、企画を発案・運営された企画者の方々、本当にお疲れ様でした。この時点で投票つき企画というのは多少冒険的だったのではと感じましたが、今回の成果を大きな土台としてシスプリメがさらなる発展を遂げますことを、お祈りいたします。
 …なんて自分が読んでも偉そうな書き方ですし、シスプリメ考察も大きなお世話の可能性があるわけですが、そのへんはぼくも批判をいただくとして。

 26さん(3/14分)、ALINEさん(3/15分)、考察紹介ありがとうございます。26さんのお言葉通り、これは「シスプリとシスプリメの相互練磨作用」なのです。そしてALINEさん、「標準故の宿命」とは、まあその…(泣笑)。

 野嵜さん(3/14分)がご指摘のように、「批判・吟味に先立つて、解釋が既に入り込んでゐる」可能性にまず注意したかったのでした。しかし、ホブズボームが原文ではどんな単語を用いているかをチェックするという基本作業をぼくはしてません(原著持ってない)ので、そのへんを突かれたらあうーでした。何もそこまで、と言う人もいるでしょうけど、ぼくが著作の中に見たホブズボームとは、そういう歴史学的・イギリス的ねちっこさを備えている学者でした。
 そう感じたぼくが「歴史」という言葉から思い出す名は、マイネッケやブルクハルトなのですが。このへんは趣味です。これだけ追記して、あとはほんとに「本件については以上で」。失礼しました。
2004年3月16日(火) 守るも攻めるも
 ドモン2さん(3/15分)、考察紹介ありがとうございます。クリエイターの方々にも感謝。内容に問題があれば、ぜひご指摘下さい。正直、皆様の足を引っ張るのが一番怖いのです。

 既に時宜を逸した感もありますが、MAS-Rさんの「オタクだからこそ女の子をまもります」バナーについて。主旨には一部賛同できるのですけど、ONAさん(3/15分)の「安易さ」への警告を受け止めつつ。
 例えば、何らかのきっかけでシスプリキャラが好きになった女の子がいたとして。その子がシスプリサイトを巡回したとき、何の断りもなくいきなり18禁トップ絵に遭遇、という事態も考えられるわけですよね。女の子が踏んだら爆発するという、地雷のごとき暴力性。で、そういうサイトがこのバナーを貼っていても、何の説得力もないどころか、その女の子に「ああ、この管理人は守ると言いながら攻めている」と思われても仕方がないのではないか。自分の無自覚な暴力性をまず確認し、その自省から生まれる行動が、オタクかどうかを越えた自律的な個人の振る舞いとして、世間に承認されるのだと考えます。そして、今回の事件の犯人に最も欠けていたのが、この自省と自己管理でしょう。
 トップ絵以外でも、例えばMAS-RさんのCGページでは、一般絵とえろ絵の区別なく並べられているわけで、特に注意書きのない「チュッパチャップス亞里亞」をクリックするとこんな絵が出てきちゃう。この地雷原状態は問題なので、「18禁」と一言入れておくべきではないでしょうか。3/14分日記ではえろ漫画をそのまま出してるけど、こういう日記を置くのなら、トップに警告文を入れておくとか。
 で、そういう自分のサイトはと言えば、再掲のトップ絵はストーカー的な暴力性、日記は妄想だだ漏れという同罪の罠。現実の行動とサイト内妄想は別と言っても、どちらも自分の表現なのでして。とりあえず、トップその他に警告文を付け加えたり、giftページを修正したりしました。自分の妄想の危なさを自覚したうえで、そこに女の子を近づけさせないのも、消極的ながら3次元の女の子を守る具体的努力の一つ。もちろん、ぼくのこのような反省と行動は、MAS-Rさんの今回の積極的行動によって喚起されたものであり、その点でぼくはMAS-Rさんに深く感謝いたします。

 サイト名ですが、「うタカた」はいかがでしょうか(ニカッ)。あるいは至極順当に、「しみの園」「くいこみ割烹着」というのもありですが。

 話題を振られて困ったにゅ。「『正しい』という価値判断自体が共同体内の道徳的価値観に立脚しているからだ」ということについては、アリストテレスも『ニコマコス倫理学』で述べてますね。「『正』ということは、およそお互いの関係を規定する法の存在しているごときひとびとにとってのみ存在する」(高田訳、岩波文庫、1971年、上巻p.192)。
 昔、民の一人を射殺した貴族に対して、王様が「今後、この貴族を誰が殺しても、その者の罪を問わない」と裁いた、なんてお話が。つまり、その加害者は自ら「道徳」の内側から飛び出してしまったわけだから、「道徳」に基づくところの「人間」ではもはやなく、それゆえその者を殺しても「殺人」にはならない、と。この場合、もはやその加害者が社会の中で罪を償うことができないという判断も、背後に存在している。
 今回の場合は、元少年をそのように社会から排除しようとしていない(つか、社会の外部から内部へ入れるように「教育」した)。ならば、犯罪によって生じた不均衡を是正する「矯正的正義」をどこに実現するかが問題で、教育や矯正の結果いわゆる「一生をかけて償う」ことが可能となったのであれば、それは死刑という「目には目を」な手段よりも、社会的に(あるいは遺族にとっても?)肯定的な方向で不均衡の是正をなしうるかもしれない。しかし、今回はその償いがなされる保障はないのかな。いずれにせよ、責任能力がない加害者にはその責任を肩代わりする保護者がいるはずだけど、刑事罰は肩代わりできないので、その代わりに民事訴訟や社会的圧力で一家離散や自殺に追い込まれるのが社会の一つの仕組みですか。
 「なぜ人を殺してはいけないのか」と問う子供には、「じゃ、あなたを殺してもいい?」(にっこり)と問い返すのが色んな意味で効果的です。より教育的なのは、「あなたが殺されてほしくないから」と抱きしめてあげることでしょうけど。 『しろはた』3/14分日記では血の叫び。
2004年3月17日(水) くろまによん
 六寺のあらさん(3/15分)、『カトゆー家断絶』さん(3/17分)、考察紹介ありがとうございます。

 『月夜宴』閉鎖、そして『Sisprist』へ。秋ヶ瀬夜月さん、お疲れ様でした&これからもよろしくお願いします。

 
薫さんから補足いただく。四葉のランスロ役については、配役を先生が決めたっぽいので、外国人留学生ゆえの配慮ってあったのかなぁ、と思っておりました。それが英国に馴染む見方かどうかは分からないのですけど。

 昨日のバナーの話題について、『Unterwelt』さん(3/16分)から反応いただきました。サイトの内容への視線に配慮、ということで。ただ、「周りに対してオタであることを言い、その上で今までどおりに生活する」というのは「カミングアウトした瞬間にレッテルが張られる」という留保の通り、「オタ」の中身によっては全く不可能です。幼女スキーなオタがそのことを公言すれば、世間の親達の視線は厳しくなり、自分の子供をそのオタから遠ざけるのが普通です。「今までどおり」はあり得ません。逆に、「このオタが今までも何かしていたんじゃなかろうか」と、「今まで」の対外的な健全さまで否定されるのがオチです。
 『1018kHz』さん不参加理由や、デンセンさん3/16分日記を読んでみたり。

美 森「いや、お前の日記って、『ネタにマジレス』なんじゃないの?」
らむだ「ああーっ…(思考中)いや、問題の性格上、ネタとは言いきれない。」
美 森「でも、一般人が見ればネタだぞ。」

 その美森氏からえらいツッコミが。あうー。

 少女を犠牲にする男の問題については、成年漫画なら鎌やん『アニマルファーム』あたりとか。町田ひらくとか。
 ちなみにぼくは、宮崎事件のときに「あんたも危ないんじゃないの?」と実妹に言われた経験があります。

 それは(笑)。下敷き絵は正しくは左下のだったそうですが、それにしても。それはさておき、おめでとうございます。

 いやもう、厨房相手という以前に、子供相手にそんな対応をしたことがあるわけです。
2004年3月18日(木) まにょん
 よつばねぎさん、考察紹介ありがとうございます。

 秋ヶ瀬さん、メールちゃんと届きました。こちらの具合が悪くて送受信がやばげでして、ごめんなさい。
 どうやばげかと言えば、具体的には、電話会社に解約されるくらい。

 ゆっこさんから「三次元の女子は(女児であってさえ)オタクに対して加害者たりうる」というご指摘。その瞬間、「ぼくは守りたいだけなのに!こいつがぼくを裏切ったんだ!」みたいに沸騰する、と(激痛)。ぼくは小4女子に嘲られて(そうされたと感じて)やばかったことがあります。これに関連して、

美 森「『守る』んだから、バナーに使うのなら衛の顔だろう。」
らむだ「そこで亞里亞、というのがぼくたちの『女の子』像の反映なのです。」

という会話も。
 もちろん、自分の弱さを自覚したうえで何ができるかが今回のMAS-Rさんの問題提起だったと思いますし、そのことは言われるまでもない。悪意の隠蔽についても、その悪意をオタク内部から、つまりは一人ひとりから、まず自己の言動を反省し対処していこうというのが、一昨日のぼくの主張でした。だから、氏の無反省な態度こそが、むしろここでは問題となるのです。(例えばここのえろげ評などは、性的描写を含む画像を用いていますが、このページに至る間にその旨の注意書きがない。)
 あと、「オタク」と「幼女・少女性愛者」の切り分けって可能なのかしら。もし可能であるならば、オタクの方々を安心させるためだけなら、ぼくを含む一部の者達が、「幼女or少女スキーだから女の子は近寄るな!」バナーを貼ればよさそうです。ちなみにぼくは「週刊わたしのおにいちゃん」を購入しておりません。

 「悟り」については、ええと、おむちゅ姿でもトップに晒しましょうか(滅)。

 TRPGは、D&Dもごく内輪でちびちびという、リアルHollow World状態です。それ以外のシステムはさっぱりなロートル。RQあたりはサプリメントばかり持ってます。サタスペは逆に昔のルールブックだけ持ってますが、あれ読むだけでもえらい楽しい作品ですね。『大悪司』とか好きな人にはお薦めできそうだし。最近はたくさんサプリメントが出てたんですね。

>割と「お会いしてみたい管理人さん」のトップランナー

 きゃ。でも本当にお会いできたら、がっかりしていただける自信はあります。かなり。一方、いずみのさんのイメージの一部は、速水螺旋人さんとご友人というあたりで構築してたり。
2004年3月19日(金) ぼく2さい
 今日でサイト公開2周年、これも皆様のおかげです。まだまだページは終わりません。

 ドモン2さん(3/17分)から。他の方々も述べられているように、まず自分の振る舞いを正せ、ということで。そして、自省と自虐は違う、と。
 ONAさん(3/18分)から。主張に見あう手間って、意外と大きいものですよね。
 その手間について、猿元さんの指摘がもう正しくエピクロス的。というわけで、早速トップこちらの「クリック募金」バナーを貼ってみるという素朴な対応。例えば「オタクだからこそ女の子をまもります」バナーも、そういったサイト(各人が自由に選んだ)にリンクさせるというのは、当面の「できること」の一つかも。
 あと、もう一つ思いついたのが、滞納募金。これは、日頃滞納している電話代や家賃、公共料金などを、きちんと期日までに支払うことで、浮いた追徴利息分を募金に回すというものです。これならぼくにも、来月から始められます。今月の期限は過ぎてるので。
 関連して、コンテンツフィルタリングの話とか。むしろ、情報リテラシーの話か。

 えー、せっかく考えたのに(笑)。
2004年3月20日(土) まだおむちゅ
 どもですー。そちらも相変わらずのらぶらぶぶりで何よりです。

 ちょと早いですが、またいずれ

 ふれでぃさん3/19分)、お気持ちだけでも。つか、あの考察は鞠絵のことをずいぶん取り上げてるので、ふれでぃさんといずみちゃんに失礼かな、と反省してます。いずみちゃんは、病気の捉え方がとても独特なのだ、ということを言おうとしたかったのですが。

 考察を書いてると、その対象作品よりも自分の方が偉いかのような錯覚に陥ることがあって。今回のシスプリメ考察も、『カトゆー家断絶』さんに紹介されたりして、それは非シスプリ専門のニュースサイトでも取り上げられたという意味でとても嬉しかった(シスプリメファン以外の人にこの素晴らしい企画のことを伝えられるから)のだけれど、そもそもその考察が書けるのは、シスプリメ作品の原作者と企画者の方々のおかげです。

 コメント欄で指摘された、オタクを男性に限定という錯誤の問題ですが、守る対象を「少年少女」に拡大したONAさんの文章(3/14分)がありましたので、こちらにもその視点が適用されるものと考えてました。

 そのONAさんですが、まあ、ゆっくりいきましょうよ。
 ところで、18禁パロディなどをトップから見えにくくすると、アクセスカウンタにも影響します。ぼくもアクセス数ほしさに色々掲げてますが、このへんをどう抑制するか。
 例えば、ぼくのようなトップページがあるサイトの場合は、その手のコンテンツを別ページにすればいい。もしトップページに新規コンテンツや日記を置いている場合は、どのみち画面をスクロールさせないと一覧できないのだから、その手のコンテンツを下の方に置いて、上の方には注意書きと下方へのアンカーを置けばいい。氷室さんの日記の置き方は、別にやばげなコンテンツのためじゃなくトップの美観のためですけど、この点で参考になります。
2004年3月21日(日) ふたりはずらぷま
 盲腸の手術跡が痒くなってきました。もう春ですね。

 プリキュア。ああお婆ちゃん、よかった…(感涙)。あの日記に、ほのかの幼馴染みへの想いが綴られていたら、愉快に壊滅でしたが。しかしどれみ顔が増えてきましたね。最後の場面で、無印どれみのエンディングが流れてきたらどうしようかと思いました。その場合、お婆ちゃんはマジョリカ。
 そのどれみと序盤の展開を比較してみれば。無印どれみでは、第1話で「世界一不幸な美少女」であるどれみ、第2話ではづき、第3話であいこ、と最初に各メインキャラ話を並べ、その次にはづき&あいこがおジャ魔女になるという流れでした。第6話では同級生信子の「片親」という嘘にあいこが怒るという内容で、あいこの母親への想いが強調されつつ、学級内への舞台拡大もなされていた。これに対して、プリキュアでは、なぎさとほのかのどちらかをはっきり中心に据えた話がない。学級への拡大は、先日美術部の子の話があったので、今後少しずつなされていくのでしょうけど、メインの2人の個性や生活が今一つ明確には語られなかったことは、視聴者のモヤモヤを誘っていたように思います。ただし、なぎさとほのかがようやくお互いを理解し始めたように、視聴者もまた、彼女達を理解する端緒についたばかり。
 次回は夜の学校ものですか。走る人体模型。定番といえば定番ですが、あさりよしとお的世界が広がったらいいな(あり得ない)。そこに現れるワッハマン。キュアゴールドここに誕生。ベローネ学院で用務員やってそうな塩梅です。
2004年3月22日(月) ぷねうま
 というわけで、ネオシス同盟に加入しました。今後ともよろしくお願いいたします。「クリエイター側としては参加しない・参加出来ない(SS書けない・イラスト描けない)けれど企画に賛同出来る方や自分も応援したいなんて方」のためのこの同盟、ぼくは既に色々書いてはいますけど、自分では創作しない一ファンであることに間違いはなく。本家シスプリのあの盛り上がりも、雑誌などでのファンの後押しがあればこそ。皆様もどうぞご参加下さい。

 しばらくはクリエイターを目指そうかとも考えましたが、ちょっと無理っぽいのでこれにてファン決定。シスプリメ考察の続き6名分も、何とか今週中に掲載します。
2004年3月23日(火) への5番
 疲れが全然抜けません。疲れるようなことしてないのに。たんに寒いからかしら。

 ちまわり宣言。現実世界で頑張る姿。ぼくも見習おう。

 お返事どもです。学校も教師も、国を問わずああいうものだったりして。つか、寮生仲間が1人でも登場してくれれば、ずいぶん雰囲気も違うのですけど。
 もしかしたら、学友もみんなかっちりした子供ばかりで、勉強が苦手で落ち着きのない四葉は、留学生というだけでない理由で、皆から敬遠されていたのかもしれない。先生が彼女なりの配慮をもとに、敢えてランスロットを任せたのに、肝心の四葉は上の空で失敗続き、とうとう先生も業を煮やしてしまう。どこにも行き場のない四葉の視線は、飛行船の向こうに兄を捉えるわけで。双子座生まれの彼女には、その落ち着きのなさと飛翔感が、とても似合っています。だから日本に戻っても、兄の回りをいつでもいつまでもふわふわくるくる。
 プライマリースクールというより「私立のプレップスクール」では、というご指摘はこちら

お祝いさんくすです。あと、まぬけなら負けないぞ。
2004年3月24日(水) 西方浄土
 ばばんばばんばんばん「また来世!」(いかりやさん追悼)
 既出ですか。

 宣言の次がこれとは(笑)。でもお兄ちゃんなぼくとしては、平手打ちをする可憐の手の痛みを思うと辛すぎて、とても耐えられませんでした。
 20回までしか(駄目)。

 プリキュア、母子熊の話について。「一番気楽」、ああー。どれみ#の中山さんの話を思い出しました。あと、その妄想はありえ…ます。
 ほのかは善悪とか正不正とかをすごく割り切る子で。なぎさが自分の常識や日常感覚で「あり得ない」と叫ぶのだとしたら、ほのかは価値基準に照らして「あり得ない」と断定する。だから、あのお互いの日記の中で綴られた「あり得ない」の意味は、言葉は同じでも中身が若干違っているのかもしれなくて。でも、ほのかが祖母の言葉を聞いて自分の心に素直になろうとしたとき、彼女の「あり得ない」の意味は、ようやくなぎさのそれと重なり合っていく。なぎさはなぎさで、ほのかの日記を読みながら、そこに自分と同じ意味の「あり得ない」を(あえて強く言えば)「誤読」していたのかもしれないけど、でも結局は、それが「正読」になったのでした。

 「膝上靴下愛好連盟」リーダーのZoroさんに、「NSAニーソックス連盟」バナーを貼っていただきました。「ニーソ共同戦線」ということで、セクトを越えて連帯です。NSAの主催者は、本当はバナー作成者の文月さんなのですが、最近またにーその季節が到来された模様です。春はにーそ。

 ネオシスの逢ちゃんの日記より。文章が「優しい」と言っていただけるのは嬉しいです。あと、胸の大きさを気にしなくてもいいと思います。兄にとって最適な胸サイズとは、まさに自分の妹の胸の大きさに他ならないので。
 そうだよね、可憐(そこに平手打ち)。
2004年3月25日(木) 馬鹿話ばかり
 シスプリメ考察、まだまだ書いてます。人に話しながら思考を整理。

らむだ「…で、つまりこのネオシスは、」
美 森「あれか、衛的なわけだ。」
らむだ「そう! ただし、近いんだけど微妙に違うのがミソ。
    しかしなかなか勘がいいな。さすがぼくの考察を読んでるだけのことはある。」
美 森「いや、読んでないし(笑)」
らむだ「がーん(笑)」

 デンセンさんご意見を読んでいるうちに、ふと「胸の大きさと髪の長さは比例するか」という問題が脳裏にひらめいて。つまり、大きい胸に対するカウンターウェイトとして長髪が機能している、という仮説です。
 咲耶、春歌は言うまでもなく、鞠絵もおそらく大きいということに。鈴凛は髪こそ短めですが、その分はお尻でカバー。千影はわざわざ結い上げているところが重要で、たぶん可変。衛、白雪、四葉はまだ小さめで、雛子、亞里亞はまだお子様。そして花穂が転びやすい理由もこれで分かりました、髪が短いうえにお尻などが未成熟という成長期のアンバランスさによって、重心が前にあるからです。
 あと、可憐のは欺瞞(刺)。

 このまえから、「和式ウォシュレット」のことを考え続けているわけですが。馬鹿話。

らむだ「どんなメカニズムだったのだろう。」
美 森「カタログ持ってたんだけどなあ。参照できないのが残念。」
らむだ「あれかね、下からすーっとノズルが伸びてくるのかね。」
美 森「知らん。」
らむだ「おどりこさん曰く『お釣り』として長年実用化されてたとのことですが。」
美 森「それが正解かもなあ。」
らむだ「あるいは和式というからには、水芸みたいに扇子が出てきて水しぶきとか。」
美 森「無意味。」
らむだ「じゃ、鹿おどしみたいに。カコーンて。」
美 森「それ、全然落ち着けない。」

 謎は深まるばかりです。

美 森「でもお前の場合、おまるウォシュレットとかの方がいいだろ。」
らむだ「いや、そんなことは。」
美 森「『拭くならぼくの手で』とか『いっそ下から覗けるスケルトンタイプ』とか、
    どうせそんなこと言いたいんだろ。」
らむだ「失礼な。おまるを下から覗き込んでどうするんだ。」
美 森「違うの?」
らむだ「見るべきところが全然違うだろ。局部なんて問題外だ。
    おまるにまたがって力みつつ恥じらう顔を見ずしてどうするのか。」
美 森「書いとけ。」

 真剣おまる場。要閉鎖。

 これからのプリキュアで、トイレの個室の壁越しに会話するなぎさとほのかの姿に期待(あり得ない)。あと、お互いのカードコミューンを交換して変身したら、ブラックとホワイトが入れ替わったりしないかしら。なぎさがキュアホワイトな服装に恥ずかしがる姿を期待します。

美 森「キュアグレーとかどうだ。」
らむだ「いや、それ全然キュアっぽくない(笑)」

 追記。Zoroさん、掲示板にも書きましたが、どうぞ現状のままで。メールの送受信がなお上手くいかない状態で、ご迷惑をおかけします。
2004年3月26日(金) 懐かしすぎ
 ああそうか、「ぶっちゃけありえない」に何か引っかかると思ってたら、『はっちゃけあやよさん』だったのか。

 あー、大丈夫です。ぼくもこないだまで気づいてませんでしたので(駄目)。

 東雲大尉さんから、ネオシス研究兼リンク集Mk−II。おおー。これは…ぼくへの挑戦状ですね(誤解)。つか、内容があんまり重なるようだと自分がこれ以上考察する必要がなくなるので、執筆途中のものと対照させてみる。さしあたっては、お互いの共通点も相違点も出ていそうでした。いろんな解釈が可能というのは、原作妹もネオシスも同じですね。

 こちらにて、雑誌『映画秘宝』でのわたおにパッシングに対する批判。

 あの事件以来、いろいろ意見が出たけれど。身近なところでの推移を簡略化すれば、
(1)オタクは二次元と現実を混同する。
という報道などに対して、
(2)現実で犯罪を行うのは不可。二次元では何でも自由。
というオタク側からの常識的な線引きがバナーなどによって試みられた。ここからさらに、
(3)サイト運営や現実での言動でも良識を示すべき。
という行動への指針が提起された。というのが、とりあえずの大まかな流れですか。要するに、「各自、恥を知れ&わきまえろ」ということ。
 で、これを踏まえながらの漠然とした考えなのですけど、
(4)オタクの良識が二次元作品からも学んだものであることを証す。
というのは、やはり難しいことなのでしょうかね。それにはまず、自分が良識を持たねばならないし、そういう作品を見つけねばならないし、それ以外の作品の扱い方を考えねばならないし。
 たとえそうだとしても、また、子供を守る力が自分にあるのかどうか疑わしいにしても。せめて、子供がある作品を観て何かを感じたときに、それを同じ人間として誠実に受け止め、大人として応えてあげられるような、オタクでありたいです。

 そんな折りに、どれみ復活という嬉しい知らせ。ぼく自身のためにも、これを観ることのできる子供達のためにも。
2004年3月27日(土) 溜めるのは得意
 日記をえらく溜めました。でも家賃には負ける。

 リピュアBパートを通し観る。鞠絵や咲耶のたまらなさは、続けて観たアニプリの第7話や第8話で解消。

らむだ「鞠絵の体力は花穂に吸い取られてるから、花穂は鞠絵に返さなくちゃ。」
美 森「無茶な。花穂の体力が元通りになったら、転びすぎですぐ逝くぞ。」
らむだ「大丈夫。」
美 森「体力のない花穂に何が残る。」
らむだ「食欲が。」

 ひどい会話です。
2004年3月28日(日) 日曜朝の上下運動
 デカレンジャーで上昇、ブレイドで下降、プリキュアで上昇。ブレイドではしばしば「風呂」だったりしますが。
 人体模型であさりよしとお。これで教頭が読んでる漫画が『ラジオマン』だったら笑います。暗くするともっと光る。あと、メップルを治療する前にツッコミを入れてしまうほのか萌え。
 あのサンダー技も、途中でパワーアップするんですかね。シュープリームサンダーがシュープリームサンダードラゴンになったように。あるいは武器を手にしてサンダーブレークとか。いっそ二段変身とか。それはサンダーマスクだ。
 来週は、ほのか大荒れ。遠方から両親が戻ってきて、という展開は、ママ4を思い出してそれだけで泣けてしまうのでした。
2004年3月29日(月) そばにいる
 以前漠然と考えてたネオシスを、試しに具体化してみる。

名前:ひなた
兄呼称:にいちゃん
概要:ひなたちゃんは元々可愛い女の子だったけど、いまは小さな妖精さん。
   普通の人の目には見えません。でも、ちっちゃな体から溢れる気持ちを、
   大好きなにいちゃんに何とかして伝えようと頑張ります。

 ひなたは、ちっちゃな妖精さんです。
 でも、生まれたときから妖精ってわけじゃなくて……ええと、こないだ死んじゃったときからだったりします。だからひなたは、新米の妖精なのです。普通なら……ほんとに普通なにか知らないけど、ほら、若いのに死んじゃった人が、幽霊になって出てくるってお話はよくあるでしょ? だから、ひなたもこわーい幽霊とかお化けとかになってもよかったはずなんだけど。こんなに可愛い妖精になれちゃったのは、たぶん、ひなたの日頃の行いがよかったせいかも。……って、うそうそ。もしもほんとにそうなんだったら、そもそもコロッと死んじゃったりしないよね。えへへ……。
 どっちかっていうと、ひなたは、罰当たりな方だったと思うのです。だって、にいちゃんを困らせてばっかりだったから。しかもしかも、死んじゃった今でも、にいちゃんを困らせ放題だったりするのです。えっへん! ……ええと、そうじゃなくてっ。どうしてひなたは、いつもこうなんだろう? なんとかは死んでも直らないって言うけど、やっぱりそうなのかな。でも、今はこうして反省できるんだから、ちょっとは成長したつもりなんだぞ。……もっと早く成長しておけば、こんなことにはならなかったのにね。えへへ……。
 そんなわけであのときも、おバカさんなひなたは、にいちゃんにわがまま言ってたのでした……。

 未完。このネオシスの独自性は、その存在を兄が認識してくれる場面がきわめて限定されていることです。第三者のほとんどはひなたの存在すら認めないけれど、兄だけは、光や水面、風のそよぎなどの中に、不意に妹を見出すのです。
2004年3月30日(火) 謀ったな
 こちらから、SEEDのあの監督が「アスランがシャア」発言とのこと。赤い服で赤い機体ならシャア、という頭の悪さ。でも、角度とかどうなのでしょう。それはともかくも、もしキラがアムロだったりしたら、SEEDとはアムロとシャアが手を繋ぐというお話だったのでしょうか。解毒のために、長谷川裕一のガンダム漫画を猛烈に読みたくなりました。

 よつばねぎさんのパクティオーについて。“sister princess”を“Sororius Prinseps”と訳されてますが、頭のchartaに後ろの2語がそのまんま属格でかかっているとして、“Charta Sororis Principis”とするのがいいかも。信憑性はありませんし、カードの表記法も知らないのであれですけど。
2004年3月31日(水) 年度末
 サッカー予選、勝ったはいいものの問題山積み。そして試合後の中田ヒデへのインタビューは、「ジーコ監督の途中指示はどのような」と訊かれた中田の顔に微妙な笑みが浮かんだ瞬間に中継終了。テレビ局も必死です。

 先日のネオシス案で怖がらせたみたいでごめんね。でも、逢ちゃんのあには、いつだってどこにいたって逢ちゃんのことを見てくれていると思うのです。

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