日記
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2006年9月1日(金) 光陰ぼにうのごとし
 8月23日に「母乳ぴゅっぴゅっ」が現実にありえるかどうかについてご意見をうかがいましたところ、29日の段階で否定的に考えておりましたが、しかし薫さんのご指摘により、現実にありえるというまったく逆の結論に達しました。薫さんに感謝申し上げますとともに、ここに自らの短慮を深くお詫びし、謹んで訂正するものであります。
2006年9月2日(土) 真面目な読書
 靖国問題で東京裁判への批判・非難がまたぞろ見られたけど、それに関連して。たまたま読んでたアーネスト・メイ『歴史の教訓 アメリカの外交はどう作られたか』(進藤榮一訳、岩波現代文庫)に興味を惹かれる箇所があったので、備忘録として引用しておきます。

「彼ら[ローズヴェルトとその助言者たち]は、第一次大戦でドイツが敗戦の苦痛を十分に経験していなかったと考えた。そのため、今ドイツが完全に征服される経験をすることこそ重要なのだと彼らは判断したのである。[中略]
 ドイツの処置に対する諸計画は、ひとつひとつ綿密に、先の大戦の誤りと言われてきたものを回避する形で作成されていった。かつて連合国は、戦争犯罪人を罰するとしながら、その訴訟をドイツの法廷にまかせ、結局訴追された者たちすべてが釈放されるか、せいぜい軽微な罪を問われるかにとどまった。だが今回は、戦勝者たちが裁判の取り決めを作った。[中略]
 日本に関して第一次大戦は、ドイツの場合に適用できたような指針を提供してくれはしなかった。というのも、日本は第一次大戦時に連合国側についていたからである。そのため、対日敗戦計画は、対独敗戦計画から借用することになった。」(p.9-10)

 基本常識なのかもしれませんけど、ぼくはこういう経緯を知らなかったので。法学的にはあの裁判が批判されうるとしても(そしてそのことの重要性は消し去られてはならないとしても)、第一次世界大戦という経験を踏まえた当時のアメリカの主導者たちは、敗戦国の内実を外からいじることなくその国民自身に自己批判させようとしても無理だ、と考えていたというのは、歴史的な視点としてひとつ押さえておくべきだし、またもしも当時の日本国民や現代のぼくたちに委ねられたなら何ができただろうか、と想像する手がかりにもなります。

 あと、こないだ疑問を残した『戦争における「人殺し」の心理学』ですが、原典に当該叙述がありました(p.395)。やはりこの箇所だけは脇が甘い文章だと感じるのですけど、それでもなお内容全体は非常に鋭い本です。
2006年9月3日(日) 祖父は戦争の写真を戦後に焼き捨てた
 プリキュア。ああ、満と薫が復活して変身するんじゃないんだ……。まだこれから分かりませんけど。

 中国・韓国による日本批判に関して、よくネット上では、それは「アジア諸国」全体ではないのだから「特定アジア」という言葉を使え、という意見がありますが。たしかに日本が当時占領したアジアの全諸国政府から批判されてはいないとしても、例えば東南アジアの占領と中韓のそれとは期間の長さも占領体制の性質も相当違うはずでは。ですので、「内政干渉」に対する日本からの批判も必要である一方、そのへんを言い訳にして「特定アジア」からの批判の厳しさをわやにしてしまうというのも、いかがなものかと考えました。
2006年9月4日(月) 名作と再会
 ソ連映画『炎628』DVD鑑賞。
 内容は、第二次世界大戦中の東部戦線で、パルチザンに身を投じた少年が凄絶な恐怖を通じて変貌していくというもの。パルチザン狩りも兼ねて村を住民ごと抹殺するドイツ軍と、その犠牲となり押し込められた教会に火をつけられてすさまじい断末魔を重ねる村人たち。トラックに押し込められる住民女性の悲鳴と、ドイツ将兵の笑い声。狂気は普通の兵士のなかにすでに存在していて、その狂気と憎悪とに少年もほとんど飲み込まれていくのだけれど、最後にぎりぎりのところで人間としての共通のなにかに踏みとどまりかけたかのような、あるいは逆にそこにこそ絶望が隠されているような、そんな結末。
 この映画、学生のころに夜中にTV放映していて、ぼんやり観ているうちにその内容と映像美にぐんぐん引き込まれていったのを覚えています。久しぶりに見直す機会を得て、あれこれ気づかされることがいっぱい。それにしても、燃え盛る教会の中からまだ反響している断末魔に胃の中がひっくり返りそうになりながら、軍用トラックの女性の悲鳴に下半身が反応しかけるというあたり、やはりぼくも戦争にいけばこういうことをしてしまうのでしょう。そんな事態を自ら招いてしまうだけでも、戦争はよくないです。

 恐ろしい戦争映画を観たあとは、『おねがいマイメロディ』DVD第1巻。いいのかそれで。最初から素晴らしいノリのよさ、いい作品です。
2006年9月5日(火) 決死の告白
 またアニメ化されるらしき『Kanon』ですが、「美汐さんの話は」「原作の美汐シナリオを」などという声を聞くにつけ。

「え? 『Kanon』には美汐さんいないだろ?」

 と思ってしまいました(文月さんに背を向けて遁走)。

らむだ「こんなこと書いてだいじょぶかな?」
美 森「すごいチャレンジャーだね。」
2006年9月6日(水) 夕暮れに飛ぶ
 『ネギま!』の夕映について、ぼくはよく「ミネルヴァのふくろう」云々と書きますが。第10巻87時間目の表紙ページに登場した夕映が手に持つOrbis sensualium pictusでも、そのタイトル下に描かれてますね。ふくろう。読み返してて気づきました。
2006年9月7日(木) ふたぐん
 ドナルド・タイスン『ネクロノミコン アルハザードの放浪』(大瀧啓裕訳、学研)読む。これ年頭に刊行されてたんだ。
 ラヴクラフトの作品に登場するあの『ネクロノミコン』を実際に1冊の本としてきちんと完成させるという力技。いわゆる旧支配者やその眷属・下僕について、隠蔽された歴史について、などなどが説得的に記述されており、手元にラヴクラフト全集がないのが残念ですが、それでも非常に楽しく引き込まれます。あえて難点をあげるなら、説明があまりにすっきりとしているために、狂気をさほど感じさせないというところでしょうか。その描写されている情景を想像すれば、たしかに淡々と狂っているともいえますけど。
2006年9月8日(金) しょうがないやつだ、といいながら
 えらい前の話ですが、その箇所はp.196とp.198-9の間のずれですかね。ぼくも読んでて最初「あれ?」と思いましたが、ええと。マサルがフェイスレスに感情移入するのは、今までの経緯を思い返すとかなり困難であり(マサルが自分自身の中に暗黒の太陽をはっきりとは感知していない)、一方フェイスレスはマサルを、弟である自分の鏡として、そして兄の鏡として、理解してしまっている。この相手理解のずれからすれば、マサルがフェイスレスのために泣くことができないのはやむをえないことなのかな、と思います。
 マサルはまだ自分の中に潜む闇を自覚できていないとすれば、彼はやはり非常に偏ったかたちでしか成長できていないわけであり。だからこそ、そんな純粋な成長を遂げてしまったマサルを前にして、フェイスレスはもはや一人の兄=大人として、その身を挺してやるしかないという。プリキュア第1シリーズのほのかと強盗話と、基本は同じかもしれません。
2006年9月9日(土) あしたはへんたいゆうかいま
 おなか壊して目を覚ます直前の夢。

 真琴といっしょに繭を学校から連れて帰る途中、繭がてりやき食べたいと言い出して、てりやきたくさん買って、やっぱり食べきれなくて、しょうがないのでいくつか食べてやって、残りを持たせて繭を家に届けたあと、真琴がなんだか不機嫌に肉まんたべたいとせがみだして、肉まんたくさん買って、真琴がうれしそうにむしゃぶりついて、3個だけこっちに分けてくれて、すでにおなかいっぱいなのだけどしょうがないので胃の中に詰め込んで、あたりいちめんきつねいろのたそがれ。

 もう少し続いていたら、たぶん家に帰って長森に牛乳飲まされてたまらず失禁、という展開だったでしょうか。
2006年9月10日(日) だんじょん準備
 寝坊で朝番スルー。プ、プリキュアOP6ED更新だったそうなのに……。

 しかたないのでRPGの資料集め。赤箱以来のD&Derなのですが、『Vaults of Pandius』には長いことお世話になってます。最近はマップも昔のサプリメントのが修正のうえ掲載されてて、見知らぬ地域の美麗さを眺めてるだけでも楽しい次第です。そして記事を読む時間がなくなる罠。
2006年9月11日(月) しかもアニメ版か
 しばらくまた日記溜めてたので、メモを開いてみるとこんなのが。

 仮面の忍者 さかむけ

 何なんだろう。
2006年9月12日(火) 日本以外全部純白
 いずみのさんとこの「以外全部」遊びに参加してみてたり。「虎よ、虎以外全部よ!」は思いついた時には既出だったという悔しさです。他に考えたネタは、SFかどうか全くあれですが。
 『グイン以外全部サーガ』。なにげに「ああそんな時期もあったよね」という懐かしいかんじが。
 「佐藤大輔以外全部最新刊!」という帯アオリなんてのも。

 SF限定でなければ、「お兄ちゃん以外全部大好き!」。もうぶちこわし。
2006年9月13日(水) 古典だったら
 あ、『聖以外全部書』がありましたか。
2006年9月14日(木) おずおず
 これだけ溜めてしまうと、もはや何を書いても日記ではありません。どうしたものやら。

 とりあえずメモを見返しても、

>「アンパンマンは君だー」と歌いながら幼女の顔にしゃぶりつく

 とか、そんなのしか出てきません。どういう文脈だったんだろ。
2006年9月15日(金) 敬幼の日
 馬鹿話メモより。

らむだ「『幸せの青い妹』って話はもう書いたっけ。」
美 森「それ、つまり『ラ・ブルーガール』か。」
らむだ「あー(笑)でも違うー。」

 前に書いたのは、「幸せの青いぱんつ」でした。帰宅したら妹がはいてたという。
2006年9月16日(土) 妄想のたどり着く丘(下品)
 馬鹿話メモより2。

らむだ「大根でおなにーできる、という話が『サルまん』にあったけど、
    そうなるとやはり直線一本でハァハァできる人々もいることになりますね。」
美 森「人として終わってるわけだが。」
らむだ「棒が一本あったとさ♪
    すじかな?」
美 森「あっというまにかわいい犯罪者♪」

 かわいいかどうかはともかく、まさに一瞬で人生終了。
2006年9月17日(日) うたたん
 この頃、マイメロDVD第1巻を鑑賞してその完成度に感動する。でも考察はしません。
2006年9月18日(月) おねがい
 マイメロ短感。
 第1話。マイメロがこっちの世界にやってくるまでのいきさつ。こっちの世界が柊宇宙であることの説明。歌ちゃんが反省する顛末。この1話で、仲良し3人組の各人がくっきり表現されてます。自分にあそこまで恥をかかせたバイオリンに、ちゃんと謝ることのできる歌ちゃんの姿を見て、感動しました。
 第2話。クロミをめぐる問題状況の明確化。初の学級話による、マイメロ成功例の提示。駆が同級生の一人としてなんとなく登場し、微妙に活躍。担任の数学教師がさっそくおかしいのでした。
 第3話。続けて学級話。クロミの攻撃的でネガティヴな態度の強調による、マイメロ(というより歌ちゃん)の温かさの明確化。悪いことした同級生カメコのために、泣きながら叫ぶことのできる女の子。そんな歌ちゃんを、駆はしっかり身を挺してかばっていました。
 第4話。初の隣人話。クロミの因縁の説明による、マイメロとのバランスとり。クロミ成功例の提示。歌ちゃん一家の全体像。美紀ちゃんとの親しさの提示。姉妹3人と父親のいかにもな関係が、なんとも微笑ましくてよいのです。

 この4話までで、歌−マイメログループと柊−クロミグループのそれぞれが、この世界での人間関係とマリーランドでの関係とが重なり合うかたちで構築されています。この関係図のうえで、悪夢をめぐる問題が家周辺や学校で展開され、物語をかたちづくっていくわけですが、マイメロの成功例と失敗例とがこの時点で両方とも描かれてたり、マイメロとクロミの性格が単純に善悪で割り切れないことも示されてたり。うまいもんですねえ。そしてヒロインの歌ちゃんですが、自分の欲望にもけっこう忠実でお調子者なところもありながら、でも他人への共感を決して失わずに行動できるという、どこにでもいそうでなかなかいないかもしれない女の子です。いわば、どれみの正統後継者。もちろん各話の主題は子供に伝わってほしいものばかりだし、そのうえで小ネタも効いてるし、正直ここまで良作だとは思いませんでした。
2006年9月19日(火) うたたね
 新商品「加藤一二三の将棋」。内容は以下の通り。

 1.対局ソフト。コンピュータ側は序盤で長考し終盤で1分将棋になる。絶えず「あと何分?」とメッセージボイスが入る。一定の局数に勝利すると、「なかなか素晴らしい成績ですね。ま、私もタイトルは8期獲得してますが、」と褒めてもらえる。ミカンの食べ比べをしながら対局するモードや、背後にたった加藤九段のネクタイに首筋をくすぐられながら対局するモードなどもある。
 2.ミニゲーム。
 (1)食事注文神経衰弱。「うな重」ばかりの札の中に、「てんぷら定職」「てんぷらうどんと桃8個」「鍋焼きうどんとおにぎり3個」「鍋焼きうどんとおにぎり9個」などが少数混じっている。
 (2)エアコンスイッチ。加藤九段がエアコンを入れたらすぐに切る。
 (3)ストーブスイッチ。加藤九段がストーブを点けたらすぐに消す。
 (4)盤直し。加藤九段が将棋盤をいじったらすぐに直す。
 (5)駒直し。加藤九段が相手駒をいじったらすぐに「触らないで!」とコールする。
 (6)秒読み。加藤九段の指離れの悪さを考慮しながら、切れ負けにならないように秒読みする。上級モードでは対局者の阿部八段に反則を指摘されてゲームオーバーになることも。
 (7)TV司会者。加藤九段のマシンガン解説に正しく合いの手をいれたり、「それではお二人の対戦成績を」などと割り込む。
 3.RPG。バチカンの騎士としてなぜかヒロイックファンタジーする。
 4.デスクトップアクセサリ。加藤九段の後頭部が画面手前からのっそりはみでて揺れるスクリーンセーバーや、HDDの空き容量を10秒ごとに「あと何バイト?」と尋ねてくれるツールなど。

 初回特典は長いネクタイ。
2006年9月20日(水) ザンスざんす
 だいぶ前に買ったままだったザンスシリーズ第16巻『ナーダ王女の憂鬱』を読む。答えはいつもX(A/N)^thの胸に(違)。
 すでにここまでの流れを大半忘れてしまっておりますが、それでも馴染みのキャラクターが登場すると、ああ久々にこの世界に戻ってきたな、という感慨にひたれます。馴染みというのは例えば、コン・ピュータとかメトリアとか片層積乱雲閣下とか。ろくな連中じゃありません。あるいは御馴染みのフレーズ。<大人の陰謀>とか。
 アメリカやフロリダを背景にしたこの世界、今回のように人種差別などナマの問題もしばしば直接的に取り扱われるわけですけど、黒人のシャーロックが明らかにホームズ風なのがそのこともからめて楽しげでした。「初歩的なことだ」とか言ってるし。元ネタのシャーロック・ホームズ作品自体は、人物描写における差別的バイアスが問題視されることがあるので、ここであえて黒人にこの有名探偵をかぶせるところが、ピアズ・アンソニィの真面目な諧謔なのかもしれません。
2006年9月21日(木) コナン・ドイルの顔にびっくり
 新潮文庫のシャーロック・ホームズシリーズをゆっくり読破。今夏、入院直前にコンビニで「軽い文庫本も暇つぶしにいいだろう」と考えて『冒険』を買ったのですが、気がつけばそのまま引き込まれてしまいました。どうして今まで読んでなかったのか、と思うくらい素直に面白いー。そりゃ四葉だって少年少女探偵団もしたくなります。ぼくの頭の中では、名探偵くんくんな格好をしたホームズが、「普通の犯罪者には興味ありません」とか教室で自己紹介してるわけですけど。
 このまま探偵小説にはまりそうかと言われれば、しかしそうでもない雰囲気。今のところ興味があるのは、ポーの作品とルパンシリーズです。
2006年9月22日(金) 注意:リンク先は全部えろげ
孫「おじいちゃん、戦国ランス買ってきて!」
爺「ああ分かったよ、また並んで買ってきてあげるよ。」

爺「ほら買ってきたよ、これだね?」
孫「おじいちゃん、違うよ! これは外道勇者だよ!」

 そんな楽しい今年の師走。
2006年9月23日(土) 不在にまだ慣れない
 嫁いだ妹の誕生日。
2006年9月24日(日) おらいなえ
 映画『バンデットQ』中古DVD届く。わーい。
 このファンタジー作品、子供向けながらちょっぴり怖くて苦い内容。昔TV放映したときに偶然観て、えらい面白く、しかしそれだけでない引っ掛かりを心に残したのでした。ってそうか、『バロン』もこのテリー・ギリアム監督の作品だったのか。あれも大好きです。
 今回久しぶりに観直して、やはりわくわくしながら楽しめました。時間を越える盗賊団、キリスト教を皮肉った神と悪魔の闘争、子供と大人、最後の場面の不気味さ。盗賊団の連中と少年との交流を眺めていると、これに成長する少女と辛口のユーモアを付け加えて分かりやすいハッピーエンドに差し替えれば『ラピュタ』になるかしら、などと思ったり。少年を少女に入れ替えてハッピーエンドだと、完全に『バロン』ですね。
 この作品、名作だと断言したいのですが、もはや品切れらしく残念です。
2006年9月25日(月) 場面の臭いがすごそう
 ベルセルク最新刊。焼肉屋で読んでて大失敗でした。
 シールケがますます急接近ですが、やがて嫉妬心などが危険を招くこともあるのでしょうか。それはともかくも、次巻のあの共同戦線に期待しっぱなし。
2006年9月26日(火) アリススクランブル
 ローゼンメイデン最新刊。
 ジュンのこととかみっちゃんのこととか、インターネットの意味変容についてとかドールたちの成長についてとか。いろいろ書きたいことはあるのですけど、しかし。雛苺苺に語りかける言葉を見つけないかぎり、ぼくは何も語れないままなのでした。
2006年9月27日(水) 大吟醸かつお出汁
 麦茶と麺つゆを間違えたことは何度もありますが、日本酒と麺つゆを間違えたのは今日が初めてでした。
2006年9月28日(木) ぼんくら戦術
 いじめについて。話題としては10月向けなんですが(いま10月23日)。

 いじめの被害者となった記憶としては、中学1年生のとき。教室の机の奥に押し込んだ英語の単語テスト(2回目の追試でも不合格)に、いつの間にか赤字で「バカ」だの「何回落としてんだよ」だの書かれてたこと。あのときは確かにショックでした。文字は複数の生徒による、しかも女の子文字でしたが、このこともまた衝撃的だったような。
 なのにこのあと、さしたるダメージも残さずに登校していたというのは、ぼくがもともと忘れっぽくて鈍かったためであり、自分でもさすがに駄目だよなぁと納得していたためでもあり、そしておそらくは、クラスの中で最下層ではない「つもり」だったからでしょう。要するに、自分の立ち位置を冷静かつ客観的に把握する能力に欠けていたがために、今ならクリティカルなはずの攻撃を受けてもそれと意識できず、同級生との「いじりあい」にも平気でそのまま参加できたわけで。
 まあ運がよかったとも言えますし、あるいはぼく以外の誰かを「いじりあい」の中で最下層に追いやることで自分を保っていたのかもしれません。この場合、ぼくも明らかにいじめる側。

 いじめる奴等を何とかしたいと本当に望んでいるのであれば、豪屋大輔『A君(17)の戦争』第1巻の前半部を読んでおくといいかも。排除される前に排除せよ(生命の存否にかかわらない程度に)。
2006年9月29日(金) 男坂(下り)
 すでに秋ゆえか、ここのところ毎日2時間ずつ物語をしゃべり続けているためか、それとも新規の入力がほとんどないためか。空想力の余剰がほとんどなくなっています。ちょっと休めば回復するとは思うのですけど、なんかこう、枯渇するんじゃないかという不安が。あっちの方はすでに枯れそうだし(謎)。年齢相応に、萌えのピークもすぎてるんでしょうね。
2006年9月30日(土) ほほえみがえし
 涼宮ハルヒの最終回は、3人娘が

「私たち、普通の女の子に戻りたいんです!」

と叫んで大団円。戻るもなにも、な人もいますけど。

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