日記
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2006年7月1日(土) においもの第5話
第5話「むずむず、かさぶた」

 休み時間、ドッジボールを手にしたかけるに追いかけられたかおりは、逃げているうちに転んで膝をすりむいてしまう。心配するみはや、怒鳴るモレナ、まずいと思いながらも謝れないかける。やってきた沢谷先生は、すぐにかおりを抱えて保健室に向かい、膝を消毒して絆創膏を貼ってくれた。憧れの先生を間近にどきどきのかおりはあまりに嬉しくて、教室前で待っていたかけるが詫びるのにも上機嫌で応え、肩透かしをくらわせた。
 帰宅後、かおりは先生の絆創膏がはがれないように注意し、アロマさえ膝に寄せつけまいとする。風呂場でも膝を湯船につけずに頑張り、バブルが新しい絆創膏に換えたほうがいいと助言するのにも耳を貸さない。その夜、先生の夢を見ることができたかおりは、朝方に布団の上を転げ回りながら、絆創膏のおかげだね、と納得するが、膝のそれはやや古びてしまっていた。校庭での授業中に沢谷先生の説明を聞きながら体育座りをしていると、先生の姿と絆創膏が重なってくすぐったい気持ちになりながら、その臭いがかおりの鼻先で少々気になってしまう。
 帰宅後、かおりの絆創膏をアロマがはがそうと延々とじゃれつく。散歩の最中もしつこくまとわりつく愛犬に辟易としながら、かおりは、今晩もう一度だけ先生の夢を見てから新しいのに換えようと考えていた。そんなかおりをいきなり引っ張るように、アロマが唸って駆け出した。公衆便所魔人が出現して、目に刺さるようなアンモニア臭を町中に垂れ流しつつあったのだ。携帯シャンプーで変身したコーミィだったが、絆創膏を気にして戦っているうちに、強烈なしぶきをくらって倒されてしまう。絶体絶命の大ピンチ、そこに身を挺して魔人に喰らいつこうとアロマが吠える。アロマだけでも助けなければ、とコーミィは愛犬に下がるように命令するが、アロマは言うことをきこうとしない。いよいよ魔人の腕が襲いかかった瞬間、コーミィはとっさに絆創膏をはがすと、魔人から遠ざかる方に投げ捨ててアロマをそちらへひきつけることに成功した。しかし魔人はコーミィに向き直り、ついにとどめを刺そうと便器を振りかぶる。
 そのとき、絆創膏を口にくわえたアロマが玉虫色に輝き、みるまに5倍もの大きさの狼めいた怪物へと変化した。驚きのあまり声も出せずにコーミィが見守る前で、魔獣アロマは魔人に飛びかかり、あっという間に地面にたたき伏せた。バブルの叱咤に我を取り戻したコーミィは、ようやく起き上がるとたちまち魔人をぱちんと消し去った。力を使い果たしたコーミィに、魔獣はゆっくり近づくと、アロマの変じた姿を恐れながらも逃げようとしない飼い主に、おごそかな声で問いかけた。
「かさぶたも、はがしていい?」
 ……えー、だめー、と答えたコーミィの言葉を聞いて、魔獣は残念そうに唸ると、再び怪しい光をまとって元のアロマに戻った。もはや一言も語らないまま飼い主の膝のかさぶたに鼻先をこすりつけようとする愛犬を抱きかかえながら、かおりはバブルと顔を見合わせる。パヒュームランドの住人ではないこの魔獣、いったい何者なのだろうか。かおりの不安な表情を見つめながら、バブルは、ともかくコーミィの能力をアップさせないと、ともうひとつの懸念を口にするのだった。
 そのころ、とある闇の世界では。濁った水晶球の中に浮かぶコーミィたちの映像を、指先の動きでかき消しながら、そこにいたのか、と呟く偉丈夫がいた。その男こそスティンカーの支配者オドレスであり、その背後には幾体もの魔人の影と、一人の少女の姿が控えていたのだった。

 次回、第6話「ころころ、コロン」。
2006年7月2日(日) においもの第6話
第6話「ころころ、コロン」

 魔人に負けない力を得るために、かおりはバブルの指導のもとで、日頃からいい匂いを身に纏う訓練をする。とは言っても、お風呂で体や頭をもっと念入りに洗うのがせいぜいのところ。しかもあんまり洗髪に時間をかけすぎて、おでこにシャンプーハットの跡が残ってしまう。続いて母親の化粧品に手を出すが、化粧のまねごとをしているうちに顔面が大変なことになり、まだ早い、と半ば笑われながら叱られる始末。
 焦るかおりが迎えた授業参観日、教室でひときわ注目を集めたのがモレナの姉のユリアだった。多忙な親の代役で現れた彼女の若さと美貌は、周囲の母親達を圧倒し、沢谷先生までもが動揺してしまう。そのことで辛さを感じたかおりは、しかし授業後にユリアから、妹と仲良くしてくれてありがとう、と輝く笑顔で感謝されて気がほぐれ、かえって憧れの気持ちを抱くとともに、その体から漂うコロンの匂いにうっとりするのだった。
 数日後、かおりから相談をもちかけられたモレナが、今回だけよ、と釘を刺しながら、姉の愛用コロンを微量拝借してきた。代わりにモレナの家で禁じられている漫画本を渡しつつ、かおりはうきうきとコロンを仕舞い込む。これで次はすごい力が出せるよね、とほくそ笑むかおりとバルブに、アロマはなぜかよそよそしい。
 その帰宅途上、焼却炉魔人が出現し、プラスチックなどを焼く臭いを煙もろともまき散らし始めた。かおりは絶好のチャンスとばかりにコーミィに変身するが、ふりかけたコロンの匂いを強烈に纏っているにもかかわらず、パワーアップできていない。なんで!?と問うまもなく窮地に陥るコーミィ、迫る魔人の炎熱に髪の毛の端が焦げてしまう。その焦げ落ちた毛先をくわえたアロマは、またも魔獣に変じると、敵の煙突に石ころを投げ込んで煙を止め、コーミィがぱちんと倒す隙を作った。
 戦闘後、コーミィは魔獣をいいこいいこしようと近づくが、魔獣は鼻先をしかめて、そうじゃないんだよなぁ、と呟くと、たちまち元のアロマに戻った。何を尋ねても再びさっぱりな愛犬を抱えて家に戻ると、かおりのコロンの匂いに気づいた父親に呼び止められる。おしゃれしたい気持ちは女の子らしいが、あまり背伸びしすぎるのはかえっておしゃれじゃないし、かおりらしくない。そう諭されたかおりは困惑しながら、わたしらしいにおいって何だろう、と自問するのだった。

 次回、第7話「かびかび、おふろ」。
2006年7月3日(月) においもの第7話
第7話「かびかび、おふろ」

 家の風呂が故障したため、かおりは両親より一足先に銭湯に行くことになった。久々の大きなお風呂に心浮き立つかおりだが、番台に座っているのがここの息子のかけるだったため、顔を真っ赤にして恥ずかしがる。動揺したかけるもまた、お前の裸なんか見たってしょうがない、などと憎まれ口を叩いてそっぽを向く。憂鬱なまま服を脱いでいるとき、後から来た客のややきつい目をした凛々しい少女が、かおりにふと鋭い視線を投げかけるのを感じた気がした。
 湯船に入る前に体を洗っていると、遅れて入ってきたあの少女がそのまま湯船に入ろうとして、先客のおばさんに、体を流してから入りなさい、と叱られる。しかし少女は、どうせ洗ったって汚れは湯に溶け出すのに、などと澄ました顔で、おばさんを怒らせてしまう。少女は何事もなかったかのようにかおりの隣に腰掛けると、石けんを貸してちょうだい、とぶしつけに言う。あ、はい、と思わず貸してしまったかおりに、少女は、安物ね、と心ない言葉を返し、そんな匂いでこの世界を幸せにできるのかしら、と謎めいた微笑みを残して、結局入浴せずに風呂場を出てしまう。
 かおりが呆然と見送るなか、さっきの口うるさいおばさんが今度は、なんかカビくさいわねえ、と文句を言いながら風呂から上がろうとして、滑って頭を打ち気絶してしまう。あわわと焦って助けに行こうとしたかおりは、床タイル一面が突然ぬるぬるしたカビに覆われていくのを発見し、急いで変身。タイル魔人の攻撃に、足下不如意のコーミィは大いに苦戦するが、風呂桶をスケート靴がわりに滑走する戦法で、なんとか敵の背後をとりぱちんとやっつけた。戦いを終えたかおりは、湯船の中で一息つくが、ずっと熱気の中にいたためにのぼせて倒れてしまう。やがて目が覚めたとき、頭上ではかけるが心配そうにうちわを扇いでいた。照れながら体を起こすかおりに、かけるは安堵しつつも、迷惑かけんなよ、とつっけんどんに冷たいフルーツ牛乳を少女の首筋に押し当てて、かおりに悲鳴をあげさせた。
 翌朝の教室。かおりは、昨晩風呂場から助けてくれたのがかけるの母親だったと聞いてほっとする。しかし、沢谷先生が連れてきた突然の転入生を見て、かおりは思わず声をあげる。銭湯で出会ったあの無表情な少女が、そこに立っていた。黒岩アスカと名乗る転入生は、教室内を鋭いまなざしで見回していたが、やがてかおりを視線にとらえると、妖しい笑みを浮かべるのだった。

 次回、第8話「すーすー、しょうどく」。
2006年7月4日(火) においもの第8話
第8話「すーすー、しょうどく」

 転入生のためにと親切に振る舞うモレナをアスカは冷たくあしらい、女子生徒達の心象を大きく損ねる。しかし、なぜかかおりにだけはわずかに言葉を交わすため、モレナとの板挟みに苦しむかおり。そんなかおりをみはやは元気づけ、モレナもかおりにアスカの世話をお願いするなど度量の大きさをみせ、かおりは素敵な友人達の期待に応えようと発憤する。アスカに語りかけるもなかなかうまくいかないが、めげずに頑張るかおりを見て、沢谷先生は励ましの声をかけ、かおりを大喜びさせた。
 予防注射の日を迎えたかおりは、戦々恐々と自分の番を待つ。モレナとみはやが軽々と済ますのを感嘆しつつ、かおりはみはやに手を握ってもらって何とか乗り越えようとする。だが、ふと何かを感じて振り返ると、ちょうど真後ろには青白い顔のアスナがいた。かおりはすぐに一計を案じて、みはやではなくアスナに自分の手を無理矢理握ってもらうことにした。消毒液の臭いとひんやりする感触、そしてちくっと痛み。涙目で我慢できたかおりは、もう少し手をつないでてね、とお願いし、不承不承うなずくアスナの手が、注射される間自分の手をぎゅっと握るのを黙って受け止めた。
 腕の脱脂綿を押さえながら微笑みかけるかおりを、アスナは気まずそうに避けてトイレに姿を消す。それでも何となく彼女に近づけた気がしたかおりを突然襲ったのは、腐ったタマネギのような悪臭と、それを嗅いでむせこんだとたんに催眠状態に陥った級友達と看護婦、お医者さんだった。勢い変身したものの、みはややかける達を攻撃することができず、トイレ前に封じ込まれるコーミィ。そこに迫るのは、怪しい液体をたたえた太い注射器を構えた医者。さらにその隣に出現したのは、今までの魔人とは違う、一人の少女戦士だった。ネスティと名乗るその敵は、コーミィの無力さをあざ笑いながら医者達を操り進ませる。注射器への恐怖で半べそのコーミィは、だがトイレの奥へ逃げようとしない。そこには、きっと友達がいるはずだから、わたしが守らなきゃいけないの。
 その震え声にネスティはなぜか一瞬躊躇し、その隙にどこからともなく駆け込んだアロマが、コーミィの腕の脱脂綿を器用にかすめとって魔獣に変化する。助っ人を得たコーミィは一気に反撃、あわでぱちんと消そうとしたとき、不利を悟ったネスティは姿をくらました。しかしその寸前、コーミィの目はネスティの腕に脱脂綿が貼られているのをとらえ、皆を回復させながら小首をかしげる。その廊下の陰ではネスティがアスカの姿へと変身し、かおりの後ろ姿をにらみ据えながら、いまいましげに脱脂綿をはがして床に投げ捨てるのだった。

 次回、第9話「ぷかぷか、たばこ」。
2006年7月5日(水) においもの第9話
第9話「ぷかぷか、たばこ」

 かおりは父親の煙草の臭いが好きではない。体にも悪いしやめようよ、と母親ともども説得し続けているが、効いたためしがない。モレナの誕生パーティに着ていく服に煙草の臭いが染みこんでいたとき、かおりは激高のあまり父親をなじってしまう。
 パーティの場で、かおりの怒りにモレナやみはやは同情する。だが、モレナとかおりに請われて仕方なく出席したアスカは、その臭いはかおりの父親自身にとってはどうなのか、それはいい匂いなのではないか、と問いかける。そんなはずない、たとえそれでも、と言い返そうとしながらも、かおりは父親にきつく言い過ぎてしまったかもと反省した。そんなかおりの着飾った姿を横目に、同じくお呼ばれしたかけるは何となく気もそぞろ。
 かおりが帰宅すると、ちょうど父親が禁煙を決意し、灰皿などを片付けていた。驚いたかおりは父親に先の件を謝るが、母親の喜びようや父親自身の熱意の前に圧倒される。しかし父親も近所の「禁煙の集い」などにまで参加して頑張るものの、長年の習慣はすぐには変えがたく、悶える父親の姿にかおりは応援しながらもいたたまれない。
 そんなタイミングの悪いときに、煙草魔人が出現し、集い参加者を煙に巻いて次々と喫煙の道に舞い戻らせ始めた。みはや家に遊びに行くかおりと、集い会場の公民館への道を途中まで一緒に歩いていた父親は、いきなりの煙に襲われて、たちまち自販機の煙草を購入してしまう。父親の手にしがみつきながら、がんばって、と訴えかけるかおりに、出現したアスカが、悪しき臭いの威力には誰も逆らえないのよ、たとえ身を滅ぼそうとも、と嘲笑する。
 だが父親は、娘の涙顔を前にして、震える手を気合いもろとも握りしめ、つぶれた煙草を投げ捨てた。目を見開く娘ににっと微笑みかけた父親は、さらに敵からかおりをかばおうとするが、力を使い果たして昏倒する。父親の手をそっと両手で包んで、お父さん、かっこいいよ、とうれし涙をこぼしたかおりは、なおも驚愕したままのアスカに向き直り、怒りの変身でたちまち追い詰める。救援に赴いたアロマが手を出す暇もなく、コーミィはパワー倍増でアスカを退散させた。
 あまりの威力に自分でもびっくりしたコーミィに、バブルも信じられない面持ちで、これはもしかすると、父上殿の煙草の臭いのおかげみたいだ、とつぶやいた。愛犬アロマも黙って同意するかのようにしっぽを振る。えー、いい匂いじゃないのに、と訝しんだかおりはすぐさま、でもお父さんの煙草臭さはなんだか安心するね、と思い直す。そこでようやく意識を取り戻した父親は、何があったんだっけと首を傾げながら、懐に隠していた煙草を取り出して一服してしまう。かおりは、あーずるっこだ!と指を指し、娘が横にいたことに気づいた父親は慌ててもみ消しながら言い訳を始めるが、かおりはくすくす笑いながら、お母さんにはナイショにしてあげるからちょっとずつ減らしていこうね、と諭すのだった。

 次回、第10話「ちりちり、ひやけ」。
2006年7月6日(木) においもの第10話
第10話「ちりちり、ひやけ」

 夏休み直前、みはやの両親に伴われて、かおり達は一足早く海に遊びに行くことになった。晴れた海岸は磯の香りに満ち、かおりは喜び勇んで波打ち際でみはやとちゃぷちゃぷ遊ぶ。泳げない二人をモレナはお節介にも厳しく水泳指導しようと試み、独りすいすい泳ぐアスカはかけるにクロール勝負を挑まれるも、あっさり大差で片付ける。何度挑戦しても相手にされず、仲間にも笑われたかけるは、腹立ち紛れに皆を離れて岩場の向こうへ歩み去る。
 一方、かおりは不意に尿意をもよおして、急いでトイレに行くが満員。海の中でしてしまう度胸もなく、懸命に我慢しながら仕方なく岩場の陰へと小走りに向かう。ここなら大丈夫、と気を緩めた瞬間、背後の岩間から大声をかけられて、かおりはへたりこむ。笑いながら出てきたかけるは、じんわり濡れていく砂の上にしゃがんだかおりが泣きべそをかいているのを見て、大慌てで謝る。それでも顔を伏せて嗚咽するかおりに、困り果てたかけるは、これやるから、と、美しい貝殻をいくつも差し出した。
 ようやく顔を上げたかおりに、ほっとしたかけるは、この穴場に転がる貝殻やカニを集めて皆を驚かせようぜ、と誘う。カニはともかく貝殻に惹かれたかおりは、皆の分もお土産がわりに、とその気になり、腰下の濡れ跡にこっそり砂をかけると、いそいそと探索を開始した。久々に幼いころと同じようにかおりと二人はしゃぐかけるだが、かおりの手をとって岩の上へ引っ張りあげたとき、水着のずれた肩口に日焼けのない肌の色を間近に見て、なぜか胸がどきどきしてしまう。それに気づかないかおりは、なんか日焼けのにおいがするよ、と暢気に笑い、かけるはぶしつけに返事をしてそっぽを向いた。
 二人とも腕いっぱいに戦利品をかかえ、次で戻ろうと決めて新たな岩間を覗くと、そこからは、先客がひたすら集めたまま放置したと思しき海産物の小山が、いまやふんぷんたる悪臭をかもし出していた。悲鳴をあげて腕の中の貝殻などをばら撒いてしまった二人の背後に、突如現れたのはネスティと潮溜まり魔人だった。魚発酵系の臭いスプレーに悶絶したかけるは、ネスティの催眠ガスでまたもや操られ、かおりに襲いかからんとする。しかし、恐怖する幼馴染の肩口をつかみ、その日焼けのない肌の色を目にしたかけるは、曖昧模糊とした意識の奥底で何かをつかんだ。前にも学校でこんなことがあったような……。息を吸い込めば日焼けの匂い、昔と同じく自分のせいで泣いてる顔、たいせつなおんなのこ。
 思わず足元の小山を敵めがけて蹴り上げると、渾身のシュートを受けた貝殻の散弾がネスティ達を射止めてわずかな隙を作った。崩れ落ちるかけるを抱きとめながら、かおりはたちまち変身し、幼馴染のためにも全力を振り絞る。それでもなお苦戦するコーミィに力を与えたのは、かけるの手にしっかり握られていたとっておきの貝殻のにおいだった。魔人をぱちんとやっつけネスティを退散させたコーミィは、かけるの意識が戻るのを見て、慌ててかおりに戻る。いまの出来事を覚えていないかけるは、日射病ぽかったというかおりの説明を半信半疑で受け入れながら、ばらまいてしまった貝殻を一緒に集めなおす。皆の分を1個ずつだけ選び終えて戻ろうとするとき、かけるは手の中のとっておきの貝殻を、これやるよ、と無愛想に差し出す。しかし倒れたときにか端が欠けてしまっているのに気づき、かけるは気まずそうに手を引っ込めようとするが、かおりは素直に受け取ると、ありがとね、とってもきれい、と微笑んだ。
 照れくさくてたまらず顔を背けたかけるは、かおりから漂うシャンプーの匂いに気づいて、あれ、なんでだ、と訝しく感じる。しかし鼻をひくひくさせているうちに、海の家の方からやってきた香ばしい匂いに空腹感が募り、そろそろお昼だな、と言うと砂浜めがけて走り出す。かおりも慌ててその後ろを追いかけるが、腕の中の土産がこぼれそうで走れない。ちょっとまってよ、もー、と叫ぶ声が、岩の合間に響き渡った。

 次回、第11話「ぺたぺた、うわばき」。
2006年7月7日(金) 七夕
 日記がぜんぜん追いつかないので、においものシリーズを一時中断して普通の更新。当時のメモより。

 こちら、「長門有希の100冊」を実際に読破されつつある方のサイト。本気度高いです。

 馬とハルヒ、まじめに馬鹿やってる加減がすばらしい。下のほうにハルヒ関連各サイトへのリンク集あり。
2006年7月8日(土) センス・オブ・ワンダふる乙女心
 ぼくのハルヒ考察に対するこちらでの反論によせて。言及いただきありがとうございます。

 SFなり何なりのはずなのに、少年誌的な乙女心の枠内でおわまってしまう哀しさ、というのはぼくも分かるところではありますけれども。SFとして読んだ場合でも、この作品は、例えば宇宙を丸ごと外側から包み込もうとするような巨大作品に対して、あたかも赤瀬川源平の「宇宙の缶詰」のような、くるっと内側にひっくりかえしたミニマムかつマキシマムな世界観を示してくれているのだと考えます。ので、乙女心がありきたり、という解釈そのものが、むしろ少年誌的な先入観にとらわれてるのであって。逆に、乙女心こそは最後に残るSFの未開拓地、とでも考えたほうがいいのではないかと。文字通りの処女地ですよ。

 キョンが何なのかとか、舞台装置としての役割がとか、論じることももちろん作品批評のために重要だとは思う一方で。そもそもキョンて

のは、ハルヒが好きになった同級生なのであり、なぜ好きになったかなんてそれこそ本人もよく分かっていない、ということもあわせて考え

ておかないと、ハルヒもキョンもモノとして扱う=虚無性の落とし穴にはまることになりますまいか。

 そこまでいかずとも、キョンのせいでハルヒが恋愛という日常レベルの問題にかまける普通の女の子になっちゃった、という悲しみを抱くひともいるでしょうし、逆にそのことをもって喜びとするひともいるでしょう。それは当然、読者各人の好みによって違っていい。ただ、ハルヒの変化をどう捉えどう受け止めるかというこの問題に対する議論って、アニメ版シスプリ第1作での前半から後半への転換のときのそれと、なんか似てるんですよ。変わるまえがいいとか、変わったあとがいいとかじゃなくて、その変化前も変化後も全部ひっくるめてのハルヒなのではないかしら。とくに変化における喪失を重視しすぎてしまうと、世界変革に対するぼくたちの期待を勝手にハルヒに担わせることになり、あたかもミヒャエル・エンデの描いた翼ある男のように、身に纏わされた重荷のために飛べなくなってしまうのではないのかな、と。

 そんな(これまた勝手な)心配をよそに、ハルヒは勝手に空へ舞い上がるのでしょうけれども。キョンや考察者の意図に回収されない程度には、ハルヒも立派な他者であることでしょう。
2006年7月9日(日) 機械の体をもつ女
 鈴凛の誕生日。ああ、再インストール時に辞書が消えたので名前が一発変換しない……。
 鈴凛とマリア(ランスシリーズの)が力をあわせて暴走し、チューリップ2号を搭載した巨大メカ鈴凛を開発する夢を昔みました。

 『憂鬱』のキスをめぐって。コメント欄でも「もしかして」の話など、いろいろと。

 テレビシリーズ対応コンテンツリンク集
2006年7月10日(月) これはないな
 馬鹿話。

らむだ「えろげアニメのブランドで、ピンクパイナップルってのがあるけど。」
美 森「ん。」
らむだ「あのブランド、原作えろげがぷるぺた志向でも、大抵でっかくしちゃってたんだよね。」
美 森「なんだ、騙されて何か買ったのか。」
らむだ「いや、事前に調べてるからそういう悲劇は起こしてない。
    でも、条例対策だとしてもひどいよねえ。」
美 森「しかし、それは文句をつける方がいかんだろ。
    そもそも『パイナップル』などという名前自体がすでに巨乳志向だ。」
らむだ「なるほど……。あ。だったら、『ジェリーフィッシュ』に変更すれば、
    形状的につるぺたブランドの名前にふさわしいよね。」
美 森「お前は何も分かってない。
    それだといつまでもゲーム出ないで、言い訳だけふわーりふわーり。」
らむだ「あ、あー……。」
2006年7月11日(火) くすん
翠星石が解析してやるですぅによるあんよの解析結果。

>あんよの61%はジャンクで出来てやがるですぅ
>あんよの30%は梅岡の呪いで出来てやがるですぅ
>あんよの9%は根暗で出来てやがるですぅ

 だいたいあってる。
2006年7月12日(水) おてまみ
 馬鹿話。

らむだ「いやー、いま礼状書いてるんだけど。なかなか面倒。」
美 森「面倒くさいという気持ちを素直に文字にすればいいんだ。」
らむだ「それ礼状じゃない。ええと、『おおさめいただければ』……。」
美 森「書けたか。」
らむだ「いま『おおさめ』を『お幼め』と書いてしまいかけました。」
美 森「そんな言葉ありません。」
らむだ「お幼めいただく……ちっちゃくなってもらう、ということでしょうか。」
美 森「『敬具』のかわりに、『愚兄』とでも書いとけ。」
2006年7月13日(木) 長門さん考察断片1
 長門さん考察が頓挫して久しいので、準備原稿の断片をいくつか転載してお茶を濁しておきます。また後日、まったく別の内容で書くかも。

 『退屈』所収「笹の葉ラプソディ」によれば、中1の夏すなわち3年前の七夕の日に、ハルヒはすでにキョンと出会っていました。朝比奈さん(大・小)の手引きによるこの出会いの記憶は、やがてハルヒがキョンの手首をつかんでSOS団を結成するひとつの契機になってしまうのですが、そのへんのタイムパラドックスその他の問題は非常に厄介です。ここではさしあたり、いわば編年体に基づいて作品中の事件が生起しているという前提のうえで、この過去の七夕以来の長門さんを振り返ってみることにします。

 3年前の春頃、ハルヒを基点とする情報爆発に対して、情報統合思念体は「対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース」をいくつか地球に送り込みました。「穏健派」に従うそのうちの1体が長門有希であり、その任務は「涼宮ハルヒを観察して、入手した情報を統合思念体に報告すること」(A119)でした。情報統合思念体は、「高次の知性を持つまでに進化」した「唯一」の例外である地球人類(A121)に注目し続けてきましたが、このたびハルヒというきわめて特殊な個体の活動が確認されたことにより、自らの「自律進化の閉塞状態」(A121)を突破する糸口をここに発見できるのではないか、と期待したのです。この目的において、長門さんは明らかに一つの道具であり、またそのことを自覚していた(少なくとも疑問には思わなかった)でしょう。この道具としての有用性は、観察・情報収集能力と環境維持能力、そして対人コミュニケーション能力を3つの柱としています。
 長門さんの能力はこのうち前2つにおいて必要十分なもので、長門さん自身が「とても優秀」(A194)と評価する朝倉涼子よりも優れていました。しかし、対人コミュニケーション能力を左右するいわゆる情動面については、本物の人間に非常に近い振る舞いが可能な朝倉に比べて、きわめて貧弱なものでした。これが感情表現のみの問題なのか、それとも感受性そのものの限界なのかはさておき、明らかに長門さんは他者(地球人類)との関係を積極的に構築しにくい人格を与えられています。おそらくその一因は、「穏健派」がハルヒの観察を主目的として、積極的干渉を避けようとしていたことにあります。他者と関わりがたいインターフェースならば、ハルヒに何らかの直接的影響を与えてしまう可能性も少ない、という判断です。一方、長門さんの「バックアップ」(A189)である朝倉は、より急進的な派閥の道具であったために、ハルヒに関わりやすい人格を与えられていたわけです。もっとも、そんな普通っぽい同級生に、後のハルヒが関心を持つはずもなかったのですが。
 さて、地球に送り込まれた長門さんは、とあるマンションの708号室で「待機モード」(C117)に入ります。つまり、ただちにハルヒ近辺の観察行動に移るのではなく、3年もの間、無為に過ごすこととなったのです。しかも、キョンと朝比奈さん(小)が訪問した七夕の夜には、長門さんは早くも北高のセーラー服姿でした(C114)。3年後のハルヒ北高入学を情報統合思念体が予測していたのか、それともこの日の「北高の制服」姿のキョンとの遭遇によって中1ハルヒは北高を意識するようになりましたが(C108)、そのようなハルヒの意識変化を察知した情報統合思念体の命令により、長門さんも完全待機モードから北高入学待機モードへと(キョン訪問直前に)移行したのでしょうか。なお、バックアップの朝倉涼子もこの時期から長門さんと同じマンションに住んでいたとすれば、『消失』内で描かれたのと同様、この頃本当に朝倉が長門さんの食事を用意していたと想像することもできるでしょう。(続く)
2006年7月14日(金) 長門さん考察断片2
 3年後の七夕から遡ってきたキョン達が訪問したとき、長門さんは「涼宮ハルヒの知り合いの者」というキョンのインターホンごしの言葉に「凍り付くような気配」で応じました(C114)。運命はかくのごとく扉を叩いたわけですが、この時点では長門さんはキョンのことを知りません。「入れてもらっていいか?」と尋ねたキョンに「無言で」「部屋の奥に歩き出した」のは、長門さんがいわゆる客あしらいのマナーに全く通じていなかったことを示しています。しかし、部屋に通してキョン達を立たせたまま「ハルヒ物語のあらすじ」を聞いたのち、長門さんは3年後の自分から情報をダウンロードすることで、その記憶を確認します。ここで「同期した」彼女が眼鏡を外す(C117)のも、「寝るだけ」とやや意味深な一言を発する(C120)のも、3年後の七夕の彼女がここにいることの表れです。しかし、そこでキョンと朝比奈さん(小)を時間凍結した直後、今度は『消失』問題取り組み中のキョンと朝比奈さん(大)が長門宅を訪れるのですが、そこでの長門さんは再び「眼鏡をかけた」「初対面時の」彼女に戻ってしまっていました(D184)。自分もキョン達もやはり立たせたままです(D186)。いっとき3年後の自分となりながら、それが必要な問題が片づいたらダウンロードした人格を元に戻したようです。とはいえ、この訪問にて長門さんはキョンの話をもとに3年後の冬に情報の同期を試みて拒絶され、「春以降から夏にかけて」の微妙な表情を浮かべます(D189)。それは未だ獲得しえていないキョンに対する思慕などのためではなく、「完全無謬な宇宙人」(D185)が初めて自分の能力に理不尽な制限をかけられたこと、しかもその原因がなぜか未来の自分であるということなどに対する理解不能ゆえの困惑が、わずかな感情表現として顔に出たのでしょう。未来の記憶と同期していない状態での最初の表情、それがこの困惑でありました。優秀な道具としての所与の自己像を動揺させられた瞬間に、長門さんはその自己像への批判的なまなざしを獲得し、その動揺をもたらしたキョンを目の前にしながら「わたし」を意識しはじめたのです。しかもその自己意識は、やがて自分が途方もない異常動作を起こしてしまうという不可避の未来をここで知ったがために、そのときをただ待つしかありませんでした(D208)。これもまた、道具としての自分の中にどうにもならない欠陥を発見するという動揺と、そのエラーの不明な原因が何であるのかという「わたし」の中への問いかけをもたらしたのです。
 その原因を、後のキョンは独白で「感情ってヤツなんだよ」(D208)と明確に指摘しており、ぼくもそれに賛成です。ただ問題は、それがどのような感情なのかであり、このことも考え合わせながら3年後の春以降の長門さんを追っていくことにしましょう。(続く)
2006年7月15日(土) 長門さん考察断片3
 『憂鬱』にて文芸部唯一の部員となった長門さんは、3年前のキョンの2度にわたる訪問を通じて、今後の事の成り行きをごくおおまかに知っています。つまり、未来と同期することによる人格一致こそ解消されているものの、キョン達の訪問のさいに伝え聞いた物語だけは、知識として残っているわけです。その知識をふまえつつも、長門さんは当初の計画通りに目立たない文芸部員としてハルヒ観察を遂行するはずでしたが、やはりハルヒはキョンを引き連れて登場し、長門さんをSOS団に巻き込んでしまいます。それではこれ以降の『憂鬱』の顛末は、長門さんにとって既知の出来事の再確認にとどまるものだったのでしょうか。
 いえ、違います。たとえ長門さんがその知識通りにふるまっていたのだとしても、キョンのかいつまんだ物語からこぼれ落ちていたものがあまりにもたくさんありましたし、あるいは情報同期による記憶がそのまま残っていたとしてもなお、その情報として整理された知識・記憶と、いま自分がまさに当事者として参加している体験との間には、あまりにも大きな差があったからです。

 例えば、最初はキョン達を無視していたかのような長門さんは、キョンの視線を受けて「面を上げて眼鏡のツルを指で押さえ」無表情のままで「長門有希」と名乗ります(A53)。名前を聞かれる前に、自ら名前をキョンに伝えたのです。それは、対人コミュニケーションの基本として名前を名乗るべきだということをあれから学習した成果であるかもしれませんし、3年前に自分を「長門」と呼んだキョンがいま自分を知らないという状況に、なぜか名乗ってしまったということなのかもしれません。そして、「瞬きを二回するあいだぶんくらい」キョンを注視しましたが、それは「それきり興味を失った」ように見える一方で、長門さんの中で、既知の情報と、いまここでキョンとあらためて対面していることとの間で、微妙なずれが生じた瞬間でもありました。それは、読んでいる本の内容とまさに同じく「ユニーク」(A57)な経験だったのですが、しかしひとまずこの段階では、キョンの側からもなんとかコミュニケーションを図ろうとしているにもかかわらず、まともな対話には失敗しています。顔がキョンではなく本に向いてばかりなのです。

 その後、長門さんは例の栞を本に挟んでキョンに押しつける一方、無関心な態度を維持します。しかし、キョン達がオセロを始めたとき、長門さんは予想以上の知的興奮を覚えます。「眼鏡の奥の目には初めて見る光が宿」り、「磁力でパチリとくっつくのに驚いたように指を引っ込める」(A102-3)仕草というのは、すでに記憶の反復(それがあったとして)を越える感情表現です。しかも、キョンに勧められると「注意して見ていないと解らないほどの微妙な角度でうなずいた」(A103)のは、オセロのルールを教えたのもキョンであることとあわせて、長門にも理解できるゲームという論理的玩具を媒介にしてキョンの側から長門さんに語りかけがなされたということであり、それに長門さんが初めて応じたということなのです。ここに成立した対話的関係は、言語的なそれとあわせて長門さんをキョンにようやく結びつけ、彼の導きとルール指示によって、そのルール内での積極的な行為者・意思決定者への道が開かれました。直後に入室したハルヒがSOS団の設立宣言を行ったとき、「ほんのわずかだけ、目が見開かれてい」(A106)たのは、ハルヒをめぐる問題状況の急変というのみならず、長門さん自身があたかもこのオセロと同様、観察者ではなく事態のプレイヤーとして巻き込まれつつあったことを暗示します。しかし、この人間関係というゲームの中で、オセロのような最適解を論理的に導き出すためのルールは、いったい誰が与えてくれるのでしょうか。(続く)
2006年7月16日(日) 長門さん考察断片4
 キョンとの対話の次なる機会は、主目的であるハルヒ周辺の環境維持を意図するものでした。ハルヒの意思決定によるSOS団設立にキョンが巻き込まれていることを重視して、長門さんはキョンに手渡し済みのシグナルに急いで気付いてもらおうとしますが、その手だてが無理矢理貸した本の栞とは、そもそもあまりに迂遠でした。長門さんは毎夜公園で待ちぼうけを喰わされながら(A112)、また若い女の子が一人暮らしの部屋に男子同級生を誘うということの意味も知らないまま、長門さんは情報統合思念体と自分の役目についての説明を始めます。このときの部屋にはカーテンもカーペットもない(A114)殺風景さですが、現時点での彼女の感受性は、ただ「ファンシーな栞」(A110)のみに集約されていたと言えます。そして、思い出したように「飲んで」とお茶を注ぎ、キョンが飲むのを「動物園でキリンを見るような目で観察」し「おいしい?」と三杯目までたたみかけるのは、3年前には不可能だった彼女なりのおもてなしの学習成果であり、またその進歩のほどをキョンの反応に確認したいという想いの表れでした(A115-6)。結局この時点ではキョンは理解してくれなかったわけですが、それでも長門さんはなんとか言語化し伝達しようと努力します。それは、ハルヒとキョン自身と自分について正しく理解してもらうためであると同時に、予定上の行動を越える何かを表現してしまわないようにするための努力でもあったかもしれません。にもかかわらず、その余計な何かはキョンに解るかたちで滲み出てしまいました。つまり、二重の努力に苦慮する「困ったような躊躇してるような」「わずかな感情の起伏」(A118)であり、キョンに「なんとなく普通じゃないのは解るけどさ」と言われたときの「膝の上で揃えた指先」に視線を落とすという自己像をめぐるかすかな痛みであり(A119)、意思疎通の失敗に対する「ちょっとばかし寂しげに見えた」後ろ姿です(A125)。そして、それらの機微をキョンは確かに見てとっていた一方で、長門さん自身には、論理的思考の伝達という彼女にとって最も基本的なはずのコミュニケーションに失敗した事実だけが強く残りました。ハルヒ問題をめぐる役割規定によってしかキョンとの関係構築をはかれないこの段階において、長門さんは所与の役目を果たすにはきわめて困難な状況と否定的な自己評価のもとにおかれたのです。

 この状況を変えたのが、3回目の対話機会です。SOS団第1回ミーティングでは、「長門だけがメニューをためつすがめつしながら不可解なまでの真剣さ−でも無表情−で、なかなか決まらない」(A140)という光景が描かれます。この手の店に入るのも初めてなら、メニューに並ぶ品々を選んで注文するのも初めて。そして、団員すべてに対するものではあれど、キョンにおごってもらうのも初めて。ともかくも長門さんは午後にはキョンと二人だけで散策に出ることになりました。これは『憂鬱』考察で述べたようにハルヒの無意識のなせる技だったかもしれませんし、あるいは長門さんの能力もまた、あえてキョンとの行動を求めて、その一端をすでに暴走させていたのかもしれません。もちろんこのペア行動は既知の情報通りだったとしても、最後に爪楊枝を引いたのは長門さんなのです(A154)。歩き出してからはキョンの問いかけに一切「……」で応じているのは、照れや緊張によるものなのか、はたまた返答のために何かを検索中なのか(A156)。それとも(今後の出来事を知っていたのなら)次に訪れる場所の衝撃に備えていたのか。しかしおそらくは、相変わらず世間話のできないコミュニケーション能力がそのまま露呈しているのでしょう。ハルヒをめぐる問題状況についての論理的説明ならもう済ませているわけであり、しかもキョンはその説明をいくぶん受け入れたと答えてこれているのですから、それ以上何を話す必要があるのか、と。喫茶店でアプリコットを選ぶさいにもそうでしたが、嗜好に関わる選択や非目的的な言動に対して、つまりどうでもかまわない判断について、長門さんはあまりに馴染みがなかったのです。(続く)
2006年7月17日(月) 長門さん考察断片5
 このようなキョンとの対話的関係不全を突破するきっかけとなったのが、図書館でした。キョンの独白では特に理由もなく訪れたかに見える(アニメ版では意図的に訪れたことになっている)この場所で、長門さんは、「まるで夢遊病者のようなステップでふらふらと本棚へ向かって歩き出」(A156)してしまいます。普段呼んでいた本は、大きな書店で購入したものではなかったのでしょうし、朝倉が勝手に買ってきてくれたものだったかもしれません。ところがいまや地球上で培われた情報の集積が部分的なりとも目の前に存在しており、しかもそれらの情報は彼女の能力を直接的に向上させるだけでなく、場合によってはSOS団員達との関係の中で役立つような何かを、つまり彼女に最も欠けているものや、彼女がいま求めてやまないものを、与えてくれるかもしれないものでした。その期待はひとまず、キョンの思考の論理や、キョンと自分との関係、そして長門さん自身の中に発生しつつある何事か割り切れないものを理解する努力へと向けられました。そんな彼女にとって、その手がかりを哲学という思索的な知の領域に見出そうとしたのはある意味で納得のいくことです。しかし、そのような合理的行動原理を越えてこのとき長門さんを大きく突き動かしていたのは、知への衝動としか呼べないものだったかもしれません。そこで出くわした未知の思考に興奮し、「床に根を生やしたように動かない」「長門の貸し出しカードを作ってその本を借りてや」ったキョンにせき立てられながら、長門さんはその哲学書を「大切そうに抱え」ます(A158)。キョンはここで長門さんを図書館に結びつけてくれました。今までキョンの対話努力を妨げてきた長門さんの読書行為が、こうしてキョンの意思によって、長門さんを意外な世界へと導いたのであり、つまり本を媒介にして、長門さんとキョンはなんとも迂遠な、しかし二人固有のコミュニケーションを成立させたのです。それは、栞をはさんだ本を貸してくれた長門さんに対する、キョンからの途方もないお礼として長門さんに理解されたのであり、それはまた、長門さんがマンションで一生懸命説明したことをキョンが受け入れてくれたということを、相互贈与を通じて間接的に確信させてくれるものでもあったのです。
 このようにして、長門さんにとってもキョンは二重の意味で「無視出来ないイレギュラー因子」(A119)となっていきます。ハルヒをめぐる問題状況にとっての、そして、長門さん自身にとっての。このことがはっきり示されたのが、朝倉涼子の暴走時です。朝倉は「有機生命体の死の概念がよく理解出来ない」ままに、「無邪気そのもの」の態度でキョンを殺害しようとします(A184)。それは、キョンが死ねば「必ず涼宮ハルヒは何らかのアクションを起こす」(A188)という予測に基づく積極的干渉行為でしたが、ここで朝倉は、キョンという人間をモノとして、手段として用いています。自分自身が意思なき道具であることを「現場の独断で」乗り越えようとしながら(A182)、キョンを道具として扱おうとしています。そうであればこそ、彼女は「しょせんわたしはバックアップだったかあ」A195)と自嘲しつつ消滅するほかなかったのです。そして、朝倉が「長門さんの操り主」(A195)という言葉からやはり自らと同じ道具として認識している長門さんは、たしかにハルヒ観察の道具にほかなりませんし、また長門さんがここでキョンを救うのも、ハルヒに干渉しないという自分の「操り主」の指示に従う行動であることに間違いはありません。しかしながら、長門さんはそれを越えるものをこの場面でも表出してしまいます。(続く)
2006年7月18日(火) 長門さん考察断片6
 例えば、絶命寸前に見える長門さんにキョンが「長門!」と叫んだとき、彼女は「へいき」と答えます(A193)。実際に彼女の肉体−インターフェースはたちまち再生可能なものでしたが、それでも戦闘直後は倒れるほどの手傷を負っていました。ここでキョンが手を貸すと、長門さんは「案外素直にすがりついた」(A197)のです。キョンの手、それは彼が長門さんに初めて自分から差し出した体の一部であり、今までキョンと長門さんとの言語コミュニケーションではなしえなかった触れ合いでした。その感覚の情報処理がいかに困難だったかについては、「あ」「眼鏡の再構成を忘れた」という彼女の言葉がそれを物語っています。この出来事をすでに情報をして知っていたとすれば、長門さんは、これに対するキョンの台詞を待ち望んで、意識的に眼鏡を再構成しなかったのかもしれません。ですが、たとえ半ばそうであったとしても、残りの半ばはやはり、いまこの触れ合いに気を取られて、本当に再構成を失念していたのではないでしょうか。それほどまでに、この一瞬は、彼女にとって何ものにもかえがたい、いまここでの一回性の体験だったのです。

「……してないほうが可愛いと思うぞ。俺には眼鏡属性ないし」
「眼鏡属性って何?」
「何でもない。ただの妄言だ」
「そう」(A197)

 キョンから面と向かって「可愛い」と言われたとき、長門さんはその単語に直接反応できませんでした。ただ、その意味の全てを理解しようとして、自分の知らない「眼鏡属性」という単語について尋ねるだけでした。ここには「どうでもいい会話」(A198)には収まらない理解への欲求が込められています。しかもキョンがその「眼鏡属性」発言を「妄言」として撤回したことによって、長門さんは「可愛い」という単語の意味のみを受けとめて反応しなければならなくなったのです。その反応は、あるいは第1回ミーティングのときのような沈黙で終わりえたかもしれません。しかし、谷口が突然登場し、誤解に基づいてすぐさま退場したとき、長門さんの心の揺れが、ほんの一言として漏れ出ます。「面白い人」(A198)。谷口の振る舞いを見て「面白い」と表現したわけですが、長門さんが感情的・感覚的な評価にまつわる単語を用いたのは、「おいしい?」についでようやく2度目です。しかも、「おいしい?」はキョンの味覚を尋ねた問いかけ(対話の試み)でしたから、長門さん自身の感情は「面白い」によって初めて言葉として、しかも普段の彼女にはそぐわない余計な一言として、表現されたのでした。谷口の振る舞いの面白さの影に、いま自分がキョンとの触れあいを通じて感じている何ものかを密かに忍ばせるものとして。その後、「まかせて」「情報操作は得意」(A199)と語るのは、自らの役割と能力についての自負を垣間見せながらも、キョンの困惑の内容とはずれてしまっているのですが、そのときの長門さんは、なおもキョンの手にもたれ掛かったままでした。

 翌日、長門さんは眼鏡をかけてきませんでした(A214)。全国の眼鏡スキーを敵に回したキョンでしたが、「長門、昨日はありがとよ」というキョンの初めてのお礼の言葉、つまり彼女の能力を肯定的に認める発言に対して、長門さんの「無機質な表情」はどんなふうに「ほんの少し動いた」のでしょうか。それは自分の「不手際」に対する自省であるとともに、知っていたのに回避しなかったということへの囚われだったかもしれません。それにしても、能力を賞賛されたときの長門さんは、ここでもやけに饒舌です。「やっぱり眼鏡はないほうがいいぞ」に対する沈黙とは、まったくもって対照的なほどに(A215)。

 夕方、ハルヒに連れられてキョンが朝倉宅訪問に向かった後、「いつもは下校時間まで部室に残っているのが通例」の長門さんは、「間もなく」学校を出ました(A223)。「缶詰や総菜のパックが入っているコンビニ袋」(A223)を手にしていたのは、朝倉に食事を作ってもらえなくなったからでしょうか。御飯は後に登場する炊飯器でどっかり炊いているのでしょうか。それはさておき、長門さんはハルヒもキョンもいない部室を早々に引き上げ、帰宅直前にキョン達と出会い、「眼鏡どうしたの?」とハルヒに問われてただキョンを見つめます(A223)。「眼鏡属性」の意味を知っていればまだしも、長門さんには眼鏡を外した理由を論理的に説明することはできません。しかも、ハルヒの能力と朝倉消失事件の真相にくわえて、長門さんはキョンとの二人きりの秘密を、ここで目線で確認してしまってもいるのです。「可愛い」という一言をめぐる大切な秘密を。(続く)
2006年7月19日(水) 長門さん考察断片7
 そしてついに、ハルヒが巨大な閉鎖空間を生み出す日がやってきました。このとき長門さんは、古泉達とともに、世界を回復させるための手だてをキョンに託します。このとき長門さんは「あなたに賭ける」と送信したのち、ハルヒとキョンについてどう考えているのかをPCモニタ上に記します。いわく、「涼宮ハルヒは重要な観察対象」であり「貴重な存在」である一方、キョンについては「わたしという個体もあなたには戻ってきて欲しいと感じている」(A278)。マンションでキョンのことを「涼宮ハルヒにとっての鍵」(A124)と述べたのは、客観的にみて、情報統合思念体の目的にとってのキョンの位置づけでした。それはキョンをその目的のための道具として規定するものでした。ところが、ここで長門さんは、自分自身にとってキョンがどのような固有の存在であるかを告げています。「戻ってきてほしい」という欲求の対象であるということ、それは道具から道具に対する有用性の評価ではなく、一人の「わたし」から、一人の「あなた」に対して差し出された言葉のてのひらでした。しかしそれゆえにこそ、「また図書館に」(A278)という切なる一言で現実世界にたぐり寄せるのは、ハルヒとキョンではなくキョンただ一人であり、そのような心の影はまさしく長門さんの中の「Sleeping beauty」だったのです。
 キョン達が帰還したとき、長門さんはただ客観的に、彼らが「二時間三十分、この世界から消えていた」(A295)ことだけを伝えます。それは、キョンの消えていた間に長門さんの思考に去来した非論理的な不安を、読者に想像させます。そして、彼女がもはやそのような客観的言辞のみでしか会話できない存在ではないことも、続けて彼女自身が示してくれます。「だいじょうぶ」とキョンを見つめて「あたしがさせない」(A295)と断言したとき、長門さんは道具としての役割意識を越えた自分の意志というべきものをたしかに表明していました。しかし、その意志とそれをもたらした感情があまりに統御しがたい異質なものであったことも、彼女が一人称を「わたし」ではなく「あたし」と言い間違えていることに如実に示されてもいたのです。そもそもこの「あたし」という一人称はハルヒや朝比奈さんが使っているものなのですが、じつはここに、キョンが明らかに好意を寄せている二人の少女達に対する長門さんの対抗意識が、こっそり露呈してもいたのでした。そんな関わり合いの中で自分の意思というものを、つまり道具としての役割規定を逸脱する可能性と危険性とを獲得しつつある長門さんは、やがて行われた第2回ミーティングに古泉や朝比奈さんとの打ち合わせ通りに欠席しながらも、いったい何を思っていたことでしょうか。(続く)
2006年7月20日(木) 長門さん考察断片8
ハルヒの夏は、SOS団という楽しいオモチャを手に入れた子供そのままの日々でしたが、そんな中にも幾分かの変化が確かに生じていました。例えば、野球大会の時点では、ハルヒはキョンに4番バッターとして格好いいとこを見せてほしいと無意識コントロールし、その欲求をある程度満たせた段階ではキョンの2回戦出場辞退の提案をいきなり却下することなく、「あんたは、それでいいの?」(C68)と上目遣いで訊ねています。さらに数日後には、別のスポーツ大会のチラシを手にしながら、「で、キョン、どっちがいい?」(C72)と、参加自体は確定にせよ、その種目の選択を自覚的にキョンに委ねる態度が示されます。『憂鬱』の閉鎖空間で「あんたは、つまんない世界にうんざりしてたんじゃないの?」(A284)と駄々をこねていたときと比べれば、なんとキョンに寄り添った態度でしょうか。また、ハルヒは夏合宿の事件にさいして、団員が過失致死の加害者である可能性に思い当たり、それでも団員を守ろうとしました。事件発生を待ち望みながらも、身近に不幸が生じると、団長らしい態度とともに常識的かつ女の子らしい反応を示すのがハルヒです。ただし、ハルヒが団員を対等な仲間と思っていたかというと、決してそうではないでしょう。キョンに判断を委ねられるのも、団員への配慮も、ハルヒの欲求通りに現実世界が面白いからこそ可能というほどの段階です。ですから、その欲求が満たされない場面になると、たちまち「神人」が出現してしまいます。キョンとの関係をひとまず安定させた5月以降、SOS団を引きずってどこまでも退屈しのぎに遊び倒そうというのがこの時期のハルヒであり、しまいにはあんまり楽しいので夏休みを終わらせないという暴挙にまで及んだのでした。

 そんなハルヒに振り回されるキョン達は、対応方針を徐々に練り上げていきます。最初の方針は、「非現実的な現象とは無関係」(C14)なイベントであればハルヒの選ぶに任せて従うという受動的・消極的なものでした。しかしこれは、野球大会などというごく普通のイベントでさえ「非現実的な現象」を招くという恐るべき事態をもたらしました。「確実に負ける要因を入れておく」(C29)という逃げ腰な姿勢では、ハルヒの欲求を満足させることなどできなかったのです。この反省を踏まえた次なる方針は、古泉主導による「あらかじめこちら側で舞台を調え」ておくという誘導的なものでした(C206)。組織スタッフの協力を得たこの取り組みは夏合宿で見事に成果を得ますが、しかし古泉はその後もこのようなネタ作りの骨折りをさせられることとなりました。それでもなんとか、変化の方向性を統御可能なものへと局限して劇的な変化を未然に防ぐという方針は、ひとまず平団員達に容認され、各自ごとの役割を担っていくことになります。そしてまた、団員のそのような役割分担をハルヒも受容しつつ、とりあえず集めてみただけの各人をあらためて評価し直していくのです。
 では、この夏を通じて、長門さんはどんな姿をみせていたのでしょうか。(続く)
2006年7月21日(金) 長門さん考察断片9
 市内アマチュア野球大会の折り、長門さんは受動的に参加し、当初は淡々と最低限の役割のみを果たしていました。しかしハルヒの欲求不満爆発の危機にさいして、長門さんは「呪文」を唱えてバットをホームラン専用に仕立て上げます。このとき、そのようなチームを勝利に導く手立てを長門さんにお願いにいったのは古泉でしたが、その古泉をおいて「不意に、長門はするりと振り返り」キョンを「無感動な目つきでじっと見つめた」(C52)のでした。つまり長門さんは、キョンがそこにいる場合には、彼の指示によってのみ応じるのです。その結果、チームは明らかに不審なかたちで逆転し、その不審さにいたたまれなくなったキョンが再び長門さんにバット呪文の解消を指示します。そこで長門さんは「いつもは十秒に一回くらいしかしない瞬きを珍しく連続させ」(C58)ますが、これは彼女がキョンの指示の背景にある論理的・非論理的判断を読み取ろうとしながら、彼に指示されることを通じての二者関係に自らを組み入れていくさまを示しています。実際、作中で描かれるキョンから長門さんへの直接的指示は、これが初めてなのです。ここで長門さんは、自分の能力にキョンが期待していることやその結果を評価してくれていることについて、いっそうの自己肯定的理解を獲得しえたかもしれません。あるいは、最終回にリリーフ投手キョンのボールを受ける(つまりボールを「呪文」で操作する)キャッチャーになったとき、キャッチャーとはいわゆる「女房役」であることを知っていたら、また別の何かを感じたかもしれませんが。

 七夕の日、「さあ、願い事を書きなさい」と短冊を突き出すハルヒの声に、それまで普段通り読書していた長門さんは、「ぴくりと」顔を上げました(C82)。それはまさに、3年前におけるキョンとの初対面イベントを告げる声でもありました。このとき、長門さんは自分の短冊に『調和』『変革』と記しています(C90)。自らの密かな葛藤をそのまま文字にしたかのように。そして別れ際にキョンに謎文字の躍る短冊を手渡したとき、そこに記されていた「私は、ここにいる」というメッセージは、3年前のハルヒがたまたま考案した記号であったと同時に、長門さんが3年前の自分自身に宛てた情報コードでもあり、またおそらくは、いまの彼女の存在主張、「宇宙人」の声でもありました(C126)。さて、その3年後から「時間凍結」してきたキョン達を復帰させるに及んで、長門さんは「感情めいたもの」を微妙に顔に覗かせます(C122)。自分の手中に収められていたキョンをこのまま解放してしまうことへの、何らかのためらいもあったのでしょうか。
 しかし、ここであらためて確認すべきことは、いまの情報をダウンロードした3年前の長門さんと、ここにいるいまの長門さんでは、保有情報量としては同一であるはずにもかかわらず、キョンには「確かに変化を遂げている」と感じられたということです(C123)。「同一の情報が往復できさえすれば充分」(C118)という長門さんの3年前の言葉は、こうして彼女自身の変化によって裏切られてしまいました。長門さんのこの3ヶ月は、キョン達との時間を過ごす中で、かつてダウンロードされた記憶をなぞりながらも、やはりそこに収まりきれないエラーを蓄積させていったのです。

 それにしても、朝比奈さんとキョンに「無敵じゃないか」とまで驚かれた長門さんは、「今回のは特別。特例。エマージェンシーモード。滅多にない。よほどのことがないと」と、やけに饒舌に否定します(C125)。自分の能力を明瞭に評価されたとき、ここでも彼女の言葉は照れ隠しのように多めになります。ただし、そこには、その「無敵」に思われかねない能力に対する制約を破ってしまわないよう、長門さんが自らに再確認させ戒めようとする意図も、あったのかもしれません。(続く)
2006年7月22日(土) 長門さん考察断片10
 期末試験後、喜緑さんが相談に訪れたのは、そもそもハルヒが描いたSOS団シンボルマークによる情報生命体の覚醒がきっかけでした。しかし、キョンも独白しているように(C179)、長門さんが今回は意図的にその問題解決の筋道を計画していた可能性はあります。キョンの想像にしたがえば、その理由のひとつは、ハルヒの退屈をいくらかでも紛らわすというものです。野球大会以降、この方針は古泉発案により周知のものでしたから、長門さんがこれに基づいて対応したということになるでしょう。もしそうだとすれば、ここでの彼女の対応はあまりにも自主的で積極的なものに思えます。また、これと別の理由は、これもキョンの想像したところですが、長門さんが「一人でいるのは寂しい」(C180)ために、あえてキョン達を問題解決に参加させたというものです。ここでは、喜緑さんもまたインターフェースであることを長門さんが知っていたかどうかなどは、さしあたり問題になりません。いま重要なことは、この事件を通じて長門さんが何を獲得しようとしたのかです。
 ひとつには、「とっくに異空間化」して「何種類もの様々な要素や力場がせめぎ合い打ちあって、かえって普通になってしまっているくらい」(C174-5)の部室を正常化するなど、普段は「誰にも言うことなく陰でひっそりと、何かおかしなモノを未然に防いだりしている」(C179)かもしれない長門さんが、その努力や能力をキョンにより深く理解してほしかったのかもしれません。それは彼女の存在肯定に結びつきますし、また、やがて訪れる暴走時にキョンが対応すべきとき、適切な処置のために必要な手がかりとなる情報を、あらかじめ与えておこうということでもあります。
 もうひとつは、ハルヒがいない状態でキョンと行動したかったという可能性です。コンピュータ研の部長を救出するさい、ハルヒはすでに帰宅途上にあり、残る4名で団長に内緒で事件解決を図ったわけです。しかもそのうえキョン達は、北高生徒以外の被害者達を何とかするために、新幹線で出かける必要に迫られました(C177)。もちろんその旅は、事件の真実も原因もハルヒには知られてはならない以上、ハルヒ抜きでやらねばなりません。こうして長門さんは、ハルヒ抜きの拡大版ミーティングを実現することができました。その旅行にキョンが参加することは、長門さんの作為によってではなく、キョンの意思によって決定したのではありますけれど。

 このような展開は、ある意味で『溜息』におけるハルヒの暴走を、つまり望む物語を自らの手で実現しようとする行為を、先取りするものでした。しかし、それはこの段階ではまだ、ハルヒ起源の問題状況に受動的に対応するという基本方針を、踏み外すものではなかったのです。そして、この基本方針を守りながらも、長門さんの行動をキョンが指示するという関係も、「言いつけを愚直に守」るほどにまでいっそう強化されていきます(C164)。長門さんが情報統合思念体の支配をある程度脱却して「自立」するときをいつか迎えるのだとすれば、ここでは、その段階に先だって、情報統合思念体以外の命令者・評価者を獲得する段階を見て取ることができます。すなわちキョンがそのような存在であるわけですが、しかしその新たな評価者は、長門さんを一個の独立した人格として認めてくれているのでしょうか。それとも、彼女の能力のみを有効なものとして評価しているにすぎないのでしょうか。(続く)
2006年7月23日(日) 長門さん考察断片11
 夏休みを迎えていきなり、SOS団は初めての合宿を行います。そこでの「殺人事件」のカラクリを、長門さんはおそらく最初から見抜いており、別段積極的な行動をとってはいません。例外は、島に入る直前に不安な表情で見つめるキョンに対して、その期待にとりあえず応えるかのように、よろける朝比奈さんを静かに支えていたり(C220)、非常に場違いなうえ分かりにくいジョークを試してみたり(C281-2)、といったあたりでしょうか。とくに後者については、それが本当にジョークだったのかどうかも怪しいのですが、たしかに長門さんが皆の緊張をほぐそうとして(茶番劇にふさわしく)意図的に行った可能性もないわけではありません。とすると、そのような意識が生じるところまで、彼女の対人関係能力は発達してきたわけです。しかしまた一方で、キョンがハルヒの命令を「上書き」することでようやく扉を開いたというのは、キョンにもそのジョークの意図をすぐ察知してもらえなかったという無念もあるいはあったにせよ、何よりも長門さんにとっての命令者としての優先順位が明確にキョンにおかれていることを、あらためて確認させてくれます。

 夏休みが終わる頃、ハルヒの無意識発動によって夏休みは終わらなくなります。長門さんは「わたしの役割は観測だから」(E61)と事態を冷静に眺めつつ、キョン達とともに15498回(約594年分)の2週間を繰り返します。その間、キョンの自転車の荷台に乗ったり(E14)ハルヒと水泳勝負したり(E17)と色々ありましたが、そこでキョンは「長門が退屈そうにしているような感覚」(E22)を得ます。また、彼のひらめきによってどうにか9月1日を迎えたとき、長門さんは部室に不在でした。「あいつもやっぱり疲れていたのかもしれない」(E83)とキョンは想像していますが、この「エンドレスエイト」時の長門さんは、おそらく2つの問題に直面していました。1つは、既知の経験を何度も繰り返すことに対して飽和しながらも、そのつどキョン達から与えられる小さな刺激の積み重ねが、決して同一事実の上書きではなかったということです。15498回分の経験は、それぞれがわずかずつでも必ず何かを彼女のうちに残し、彼女をキョンに近づけていきました。もう1つは、それにもかかわらずキョンが全てを忘却し、自分だけがその記憶を保持しているということへの違和感です。彼女が盆踊りの夜に「光の国出身の銀色宇宙人」のお面(E36)を自腹で買ったのも、最初のループのうちはキョンの好意に甘えていたのかもしれません。しかし、そのお面はたとえ買ってもらっても、それを買ってくれたキョン本人の記憶とともに、繰り返し消えていくのです。
 これらの問題を抱えながらも、このハルヒ能力発動にさいして、長門さんは「観測」という本来の役割を越え出ようとはしませんでした。マンションでの説明機会を除いて「長門が積極的に俺たちの行動に関わってきたことは今のところない」(E61)のであり、「いつしか必要なポジションにいて、俺たちと行動を共にしているだけ」(E62)なのです。道具としての所与の自己規定は、なお彼女の表情に仮面(ペルソナ)として半ば覆い被さっているのであり、天体観測の夜に「棒立ちで天空へ顔を向けている」(E70)その姿は、観測者として定められた自分の内なる意思の揺らぎを、まるで上なる天球の輝きのなかに見出そうとしているかのようでした。そんな長門さんをキョンは「それ以前に、俺にとっての長門有希は、本好きで無口で色々頼りになる小柄な同級生の少女で仲間だ」(E62)と受けとめているのですが、この認識を深化させる機会到来までにはいましばらくの月日が必要だったのです。(続く)
2006年7月24日(月) 長門さん考察断片12
 秋を迎えて文化祭準備までのおよそ2ヶ月間は、『溜息』冒頭で10月の体育祭について若干触れられている以外、ほとんど何も描かれていません。しかし、そこにもSOS団の活動は日々続いており、その中でハルヒ達も少しずつ変化を重ねてきました。その変化を如実に示すのは、ハルヒが体育祭にSOS団としてのみならずクラス対抗競技にまで出場し、「総合優勝に貢献していた」という事実です(B16)。団員達との面白おかしい毎日を送るにつれて、ハルヒの人間関係は他の生徒達にも次第に開かれていきました。それはまるで、親の承認のもとで思いのままに振る舞える安心感と満足感を与えられた子供が、そのおかげで他者との関係を構築できるようになっていくという社会化の過程さながらです。しかし、それは同時に、他者関係の中で可能な欲求充足には限りがあることを、その大切なひとから厳しく突きつけられる過程でもありました。
 映画製作を通じて、ハルヒはSOS団あげてのこの一大企画にのめりこみますが、彼女自身は監督であり主演を務めはしません。一番偉い役職しかやる気がないのにくわえて、そもそも自分を観てくれるのはキョンだけでいいのです。そんな彼女の無意識はともかく、監督を支える役職にキョンが選ばれたのは当然でしたし、キョンもまた付き合いの良さを示し続けます。その中で、ハルヒがキョンに妥協する場面もありましたし(B73)、ついキョンがハルヒに手を振り上げかける場面もありました。「言って聞かない奴は殴ってでも躾てやるべきなんだ。でないとこいつは一生このまま棘だらけ人間として誰からも避けられるようなアホになっちまうんだ」(B197-8)というキョンの心の叫びは、彼のハルヒに対する庇護的愛情が、朝比奈さんへの思慕とからみつつ発露しています。キョンだけは「何があろうと自分の味方をすると思っていた」(B211)らしきハルヒは、『憂鬱』時とはすでに異なり、「イライラするより、しょんぼりすることに忙しい」(B210)ありさまでした。キョンとの絆が、そして彼を含むSOS団という居場所がかけがえのないものになっていたからこそ、彼女は閉鎖空間を発生させるかわりに、この世界での関係回復を切望します。とはいえ自分から詫びるなんてとうてい考えられませんからどうにもならず、しまいにはあの夢の出来事を思い返してポニーテールの魔法にすがってしまうわけですが(B216)。このおまじないが功を奏してか、キョンから「この映画は絶対に成功させよう」(B216)なんて言葉を聞くに至っては、ハルヒもアクセル全開で突っ走るしかありません。もとより今回の企画は、SOS団の結束の証としてキョンと一緒にすごいものを作るということが大切なわけですから、文化祭前日に「あたしも手伝うから」(B266)と二人で部室に泊まり込むのは、共同作業の仕上げとして不可欠なことでした。そしてこのお泊まりは、あの夢と同じ二人きりの部室を、あの夢とは違うかたちで再現するものでもありました。キスほどの衝撃こそないものの、キョンがハルヒとSOS団のために真剣に作業に取り組んでいる背中を見て、ハルヒがどれほど安堵し、彼との絆をあらためて確かめられたことでしょう。間もなく眠りについたハルヒはその夢の中でも、現実と同じ部室にキョンと二人いながら、かつてのような苛立ちもない安らぎに満ち足りていたかもしれません。そして夢が終わり目覚めたときも、キョンはそこにいました。なぜか映画作品も完成していました。キョンは長門さんの仕業かとまず想像しましたが、案外ハルヒの能力が、ここで初めて本当に前向きなものとして働いていたのかもしれません。
 明くる文化祭で、ハルヒは病気の先輩に代わって軽音バンドのボーカル代理を務めます。「他の仲間たちの努力まで無駄になっちゃう」(F34)のが嫌だろうというハルヒの突然の思いやりは、やはりSOS団での活動を通じて培われたものです。(中断)(続く)
2006年7月25日(火) 長門さん考察断片13
 その頃、長門さんは、夏の沈黙を越えて大きな飛躍を遂げていきます。

 文化祭前、長門さんは早くから占い師の黒装束姿で部室に現れますが、これに対してキョンは当初、朝比奈さんへの「対抗意識」(B68)かと疑い、やがて学校内を闊歩していた謎の「異世界人」(B271)集団への対抗策だったのではないかと慮っています。

 前者については、ハルヒの見立てでない私服としては初めてのものですし、確かに一種のコスプレでもあります。「黒帽子の縁を不意に上げ、相変わらずの無機質な目で」(B81)キョンを見たのも、彼の評価を確認する所作だったかもしれません。そもそもハルヒにクラス企画内容を訊かれたとき「雨の気配を感じ取ったプレーリードッグのように」(B31)すぐさま顔を上げて答えたという反応に、長門さんの何気ない前向きな姿勢がにじみ出ています。だいたい彼女は本から顔も上げずに返事することが多いですし、キョンに叱られそうなときには「じわじわという動きで」(B39)キョンを見上げるのです。占いというのは(情報結合の許可さえあれば)彼女にとって最も得意とする分野であり、それまで「何を話しかけても無視」(B58)する相手だった級友達がこの企画を立てたとき、占い師役を持ちかけられるままに受け入れたのでしょう(そして、物は試しと持ちかけた側の驚きたるや)。外見と能力とにおいて、彼女は肯定的に評価される機会をいくぶん積極的に求め始めているのです。

 後者については、作品中に明確な描写はないものの、キョンの想像通り何かの対策を長門さんが講じていた可能性はあります。しかし、いま記したように彼女が他者からの肯定的評価を望みだしているのだとすれば、「異世界人」の侵入をキョン達に伝えないまま処理することがあり得るでしょうか。もちろん、長門さんは今なお「観測対象に変化が発生したのは歓迎すべきこと」(B231)という情報統合思念体穏健派の基本的姿勢を維持していますから、終わらない夏休みのときと同様、とくにキョンにも伝えずにいたということは考えられます(B271-2)。ですが、ここであえて次のように考えてみることができないでしょうか。この謎のコスプレ集団こそは、長門さんがこの時点で早くも自分の力を充分に統御できなかった証なのだ、と。つまり、古泉が語るように「様々な要素や力場がせめぎ合い打ち消しあって」「とっくに異空間化」している(C174-5)部室は、長門さんをはじめとする団員3人の力でなんとか平穏を保たれてきています。しかし、この映画製作の時点では、そのような諸力の調整を主に司る長門さんが、自らの欲求や期待による偏向を統御しかねたために、本来ならば何事もなく日常世界に放散されるべき諸力のゆらぎが、あのような謎の集団として実体化してしまったのです。この解釈からすれば、謎の集団の発生と増加は、やがて訪れる長門さんの暴走の知られざる端緒でした。

 そんな密かな危機を忍ばせながら、長門さんは映画製作に半ば受動的に、半ば積極的に引きずり込まれます。黒装束姿になったのもやる気の表れならば、躊躇する朝比奈さんに射撃を促しつつ「アンテナをくるりと回し」(B108)てみるのも、手に持つ小道具に細工を施す以上の何かを感じさせます。撮影作業中の長門さんは、今までと同様、ある限度を越える行動についてはキョンに判断を仰ぎ(B111)、キョンの安全を最大限に守ります。しかし、キョンは彼女の努力をその都度きちんと評価してくれません。みくるビームの危機にさいしては、長門さんはキョンの命をまたもや救ったわけですが、当初キョンは朝比奈さんを心配するばかりで、長門さんにはむしろ詰問するようなまなざしを注いでいました。この誤解を解くべく応えようとしても、「話す内容にふさわしい言語がないとでも言うような顔で無言のままに唇を閉ざ」(B133-4)すほかありません。「無感動に長門はちょんとトンガリ帽子の鍔を左手で押さえた。顔の大部分を影の中に仕舞い込みながら、ゆるりと右手を出してくる」(B138)とき、長門さんの胸中には、「シールドしそこねた」ことへの悔しさと、キョンを危機にさらしたハルヒと朝比奈さん、そして自分自身への憤りが渦巻いていたかもしれません。しかしこのとき、長門さんはなぜ手のひらの傷跡をすぐ修正せずに残しておいたのでしょうか。自分の修復より周囲の安全確保を優先するという行動原則に従っただけなのか、それともその傷跡をキョンに心配してほしかったのか。いずれにせよ、「にしても俺は長門に命を救われてばかりだな。立つ瀬がない」(B142)と感じたキョンが、長門さんへの感謝の念をちゃんと伝えたかどうかは、作品中の描写からは分かりません。シールドしそこねのような失敗は後にも繰り返され(「うかつ」B173)るほか、「長門の淹れたお茶は味気ない」(B170)という独白にあるような日常生活でのキョンによる評価も鑑みるに、長門さんは一方でなにがしかの期待に心躍らせつつ、他方では能力統御と能力評価をめぐる問題やキョンとのコミュニケーション困難などにいっそう強く直面させられていました。そうしてみれば、キョンをめぐるハルヒと朝比奈さん(彼女はほぼ巻き込まれた被害者ですが)との間のいざこざにも、「何の感想もない」ような態度で「門を出てすぐテクテク立ち去った」(B199)のは、キョンの見立てたようにたんに「いつだって無感想」なためだけでなく、むしろ彼をめぐる色恋沙汰に主体的に介在できないためだったことにもなります。

 こうして、当初の微妙に積極的な態度は、映画製作の進捗に従って、しだいに「今回やけにおとなしかったしな」(B271)とキョンが顧みる程度にまで消極的なものになってしまいました。ただしそれは、あくまでもキョンに認識される範囲の行動においてであり、また表舞台でも長門さんは意外な場所で自分の内面を出しています。それは例えば、ハルヒ解釈をめぐるキョンとの対話に示されます。「わたしがどんな真実を告げようと、あなたは確証を得ることができない」と言われたキョンが問いただしたとき、長門さんは「私の言葉が真実であるという保証も、どこにもないから」「あなたにとっては」(B251)と答えて立ち去ります。この言葉は、いま交わされているハルヒ解釈問題についての直接的な応答であるとともに、今までずっと長門さんが抱えてきた重大な問題についての、すなわちやがて自分が生起してしまう時空改変事件についての間接的な言及でもありました。彼女が一番理解しているとおり、ここでキョンにそんな未来についての警告を発したところで、後の自分自身がその記憶をキョンから消し去ってしまったでしょう。しかしそれでも長門さんは、真実を伝えることのできないもどかしさと、自分を原因とするエラーを回避できない焦燥感をここで感じています。そしてまた、その内向きのためらいは、たとえキョンにとって自分の言葉が真実である保証がないとしても、だからこそキョンに自分の言葉を真実として選び取ってほしい、という密かな懇願を込めて、このような言葉として伝えられました。その直前で長門さんがはっきりと「迷うような表情」を見せたのは、まさにこのような自分の欲求を言葉にしてしまうことへのためらいを指し示しています。キョンも長門さんの微細な表情に対する理解を深めていってはいるのですが、このような乙女心(ともはや呼んでよければ)を読みとるほどの感受性は未だ持ち合わせていませんでした。(続く)
2006年7月26日(水) 長門さん考察断片14
 もう一つ、彼女の内面が明確に表出していたのは、映画「朝比奈ミクルの冒険 Episode00」でのアドリブ「三割くらい」の場面です。「あなたは彼女を選ぶべきではない。あなたの力はわたしとともにあって初めて有効性を持つことになるのである」(F74)という台詞は、映画中では古泉イツキをめぐるヒロイン朝比奈ミクルとの闘争に基づくものですが、現実世界においては、キョンをめぐる未来人(の一派閥)との情報統合思念体の闘争を想起させます。ところが、続く台詞での「あなたの選択肢は二つある。わたしとともに宇宙をあるべき姿へと進行させるか、彼女に味方して未来の可能性を摘み取ることである」(F75)という言葉には、長門さんの主である穏健派にはやや相応しくないニュアンスが見いだせます。観察を目的とするにもかかわらず、「あるべき」姿、という何らかの実現すべき方向性がそこに示されているのです。これは情報統合思念体の意志についてもう少し突っ込んだ解釈の手がかりとなる一方で、長門さんという一個のインターフェースがハルヒの脚本に従いながら自らの意志を吐露してしまっていると理解することもできそうです。そうであるならば、次の台詞はきわめて予言的なものとなります。

「あいにくだが、わたしは彼の自由意志を尊重する気などない。彼の力はわたしに必要なものである。ゆえにいただく。そのためには地球の征服も厭わないのだ」(F85)

 この「地球の征服」は、あくまでも本映画作品中で「悪い宇宙人」長門ユキの台詞として語られたものにすぎません。しかし、ハルヒがこの映画製作を通じて作品内の虚構設定を無意識のうちに現実世界に持ち込んでしまったのと対照的に、長門さんは、作品内の虚構の台詞を通じて現実世界の自分自身の意志を意識的に浮かび上がらせていきます。ハルヒの場合、『憂鬱』で現実世界を再構築しようとしたのに比べて、今回「映画という媒介を利用して、一つの世界を再構築」(B176)しようとしたのは、その迷惑さはともかくとして、一つの成長であり現実への折り合いの付け方でした。一方、長門さんの場合は、世界の独自構築など意識に昇っていなかった段階から、この映画製作を媒介に、その可能性を意識する段階へと進んでしまいました。
 それでもこのときは、長門さんの欲求は、ハルヒと同じように、映画という虚構の世界の中でなんとか解消することができたのです。それは、映画の編集作業によってです。文化祭の朝に完成していた映画は、上述の通りハルヒが夢の中で満たされながら無意識に作り上げたものかもしれませんが、キョンも「本命」(B268)として予想しているように長門さんによる編集作業にも大きくあずかっていたかもしれません。この視点に立てば、長門さんの力のゆらぎに由来する謎のコスプレ集団は、彼女がこっそり対処したために消滅したのではなく、映画の中で自分自身の意志を再確認したことによって、そしてディスプレイの前で眠りにつくキョンとの共同作業(のつもり)によって、ようやく彼女が力の十全な制御を回復したために消滅したのです。
 とはいえ、そんな作業の最中にも、長門さんはハルヒとキョンが宿泊している部室の雰囲気をも察知していたはずであり、彼女の心のうちにあらためて波紋が広がったことも容易に想像できます。起き抜けのキョンの「顔半分にキーボードの跡がついていた」(B266)のは、まるで長門さんにつねられたかのようにも思えます。そんな動揺と溜息を胸に秘めながら、長門さんもやがてハルヒのごとく、自分だけの脚本と舞台と登場人物設定に基づいて、団員達を舞台に昇らせることになります。『溜息』の物語は、ハルヒの暴走ばかりが目立つ描写の陰に、このような長門さんの内的危機への着実な歩みを、しかもフィクションに介在された世界再構築への契機というきわめて重大な段階を、読者に突きつけていたのでした。(中断、おわり)

 以上、日記滞納分の埋草としてまとめて並べてみました。とにかくなげー。しかも『消失』まで進んでないー。長門さん新規考察では『消失』を中軸に、もっと文章を絞って書く予定です。……いつになるやらですが……。
2006年7月27日(木) 入婿哀史
 馬鹿話。

らむだ「『サザエさん』のエンディング、相変わらずサザエさんが家族全員をソリで引っ張ってるのね。」
美 森「マッシヴだから。」
らむだ「いや違うと思うが。しかし、せめてマスオや波平だけでも一緒に引っ張らないものですかしら。情けない。」
美 森「大丈夫。テレビに映ってないとこではマスオさんが独り引っ張ってるから。」
らむだ「あ、あー(笑)」
2006年7月28日(金) タスクは一度に1つまで
・新卒者向け説明会に代理担当となる
・準備する
・当日午前に別の用件を済ませ、お昼から会場に出向く
・駅から会場までのバスが大混雑
・文庫本を片手に「なんでこんな混んでるんだろ」
・会場に到着してから、「あ、説明会のためか」と気づく

 やる気なしと言われてもしかたない有様。でもとりあえず普通に終了。

 シャナの件で薫さんより確認いただく。どもですー。原作だけでも一度読んでみるしかないかも。
 原作はまだ続いてるので、登場人物の変化・成長は未来の連載分で描かれるはずだけど、アニメでは原作より先に終わってしまうので、最終話で何らかの落としどころを迎えないといけない。ので、分かりやすいかたちでのハードル越えを行うことになる。というのは、『ローゼンメイデン』第1作なんかの場合でしたが、シャナもまたそういう状況なのかしら。
2006年7月29日(土) うれっこヒナ
 Zoroさんより、プロデューサー鞠絵の話。その鞠絵の絵はトップに。そでの余り具合に転がります(ごろごろ)。ところでなぜか『マジカル☆ヒナ』のプロデュースということですが、いやぁこの番組でも刑事ドラマエピソードが作れるじゃないですか。ほら、美少女怪盗クローバーで(無理)。

 そのヒナですが、なんと。とちるさん達のシスプリRPGに、登場するかも……。うわーかわええー。しかも動き出しそうです。絵師のかつをさんにも感謝感謝。こうなればせっかくなので、アリアやカホも(外野は勝手)。
 冗談はともかく、このRPGはシスプリ二次創作を総合する金字塔なので、今後もほんとに楽しみです。
2006年7月30日(日) にんげんぎらいなのか
 見知らぬ人と新しく関係を作ることも相当苦手なのですが、いったんこじれかけた関係を修復することほど難しいものはなくて。小学生のころから、いったんぎこちなくなった相手とは、どうしていいのか分からずにそのままずるずると疎遠になってきたように思います。
 このままだといけないよなー、と思う一方で、このままのほうが静かでいいなー、と思う気持ちが必ずどこかにあるのでしょう。ほんとにほっぽりだされないと分からない人間なんだろうか。そして、こういうことをしゃべったりするから、「お前はひとごとのように自分のことをしゃべる」と叱られるのでした。

 そういうわけで、こんな人間を受け入れてくれてる場というのはほんとありがたいものです。
2006年7月31日(月) ハルヒとエヴァ
 こないだの長門さん考察断片はあくまでも断片ですので、現時点でのぼくの解釈があのままというわけではありません。と逃げをうつ。

 だいどうじさんからこちらへ。『萌えの研究』の執筆者さまですか。コメント欄で読者の方がうちのハルヒ考察を紹介してくださったのですね、どもです。

 で、ハルヒとエヴァをめぐる議論に触発されて、キョンがおなにーする光景を想像してみるテスト。いや光景というか、どういう妄想でいたすのか、とか。SOS団の誰で、とか。性欲の置き所というものを考えてみたとき、キョンはノベルゲーの主人公のごとく、普段は抑制的(でもいざとなると激しい)というキャラにも思えます。そうなるとキョンに対しては感情移入、あるいはむしろちんこ移入しずらくて、キョンが見ている女性キャラの方にこそかえって自己投影しやすくなってしまう。
 ただまあシンジの「最低だ」発言と比べるためには、妄想おなにー程度ではいけないわけで、例えば眼前で活動停止した長門さんをいきなりオカズにいたすくらいの外道ぶりが必要ではあります。そこでキョンだと、そんなこと思いついても自制するし、そもそも思いもつかないのではありましょう。
 そして、そんなことを思いつかない根源には、『憂鬱』考察でも記したように、キョンにはごく普通の家族がおり(ただし父親はあえて隠されているのか)、何より妹がいる、というその一点があります。すなわち、エヴァとハルヒを主人公少年の比較において検討するならば、それは、兄たりえなかった少年の衝動の出口なき閉塞感と、同級生の浴衣姿に妹の影を透かして妙な気持ちになってしまう兄たる少年の危うい衝動の発露との比較として、解釈することもできそうです。

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