『涼宮ハルヒの消失』における少女の新生・発動篇

〜祝福されるインターフェース〜



はじめに 〜問題の視点〜

 本考察では谷川流著『涼宮ハルヒの消失』(角川スニーカー文庫、2004年)を中心とするシリーズ作品を扱います。以下の単行本のネタバレを含みますのでご注意下さい。『涼宮ハルヒの憂鬱』(以下、引用時にはAと略。例えばA5は『憂鬱』p.5)、『溜息』(B)、『退屈』(C)、『消失』(D)、『暴走』(E)、『動揺』(F)、『陰謀』(G)、『憤慨』(H)。考察の基本姿勢は『憂鬱』考察と同じく、シリーズ作品をSFというより登場人物達の恋物語・成長物語として解釈するものです。なお、本考察執筆時点(2010年5月)で論者は映画版と公式ムックを未視聴・未読です(追記あり:考察末尾)。

 前回の長門考察・接触篇において、長門が3年前の出会いからコンピ研ゲーム勝負までの間、いかなる紆余曲折を経てきたかを延々検討しました。そこで彼女は、主としてキョンとの関わりのなかで、所与の道具的自己規定や世界規定を逸脱する契機を得ましたが、その歩みはキョンに接近しようとしながらそれゆえにすれ違い続けるという皮肉なものでした。いわゆる自己意識の目覚めは、インターフェースとしての機能不全を認識させられることと表裏一体であり、長門が肯定的な自己像を獲得することはついぞなかったのです。
 このような状況から逃れる術もなく、しかもエラーによる暴走という未来を変えられないと知りながら全力で挑むほかないというのが、『消失』直前の長門の悲劇的な姿でした。ハルヒについて論じられたものとは異なる長門固有の虚無性を、ここに見ることもできるでしょうか。つまり、それは宿命論的な無能感と孤独とによる絶望です。朝倉を消滅させた後も喜緑ほか多くの「TFEI端末」が存在してはいますが、長門の問題を共有できる者は一人もいません。SOS団員、とくにキョンこそは理解してほしくても叶わない相手です。そして、回避のために重ねてきた長門の努力が、ただ効き目ないというだけでなく、キョンとのすれ違いを反復強化して逆に長門の能力を否定する証となり、エラー蓄積をいっそう促進するよう働いてしまっていました。その結果生じた事態についてキョンが総括した言葉と、その言葉からさらに導かれる問いを再掲しましょう。

   「これは長門の望みだ。こういう普通の世界を、長門は望んだのだ。
    俺の記憶だけを残して、それ以外を、自分を含めたすべてを変えてしまったのだ。
    数日間俺を悩ませていた、この疑問の答えだって今なら自明だ。

    −なんでまた俺だけを元のままにしておいたのか?

    答えは単純、こいつは俺に選択権を委ねたんだ。」 (D209)

 その世界はハルヒの超越的能力に振り回されない「普通の世界」であるとして、その世界に生きる長門はなぜあのような人格でなければならなかったのでしょうか。そして、彼女はなぜキョンにのみ選択権を委ねたのでしょうか。さらに、キョンの選択の結果として長門は何を喪失し獲得したのでしょうか。さらにこれらと結びつく問題として、キョンがこの世界で何を考え何を選んだのかということと、朝倉涼子がなぜ復活しあのような行動に及んだのかということが挙げられます。
 本考察ではこれらの問題について、主として『消失』の叙述に基づいて検討していくことになります。


1.長門有希の分裂 〜堕罪の冬

 まず取り組むのは、世界改変と長門自身の性格・記憶改変についてです。

(1)扉を開けて

 3年前の長門自身が語るように、世界改変の遠因は彼女内部のエラー蓄積です。ここで長門は、「バグ」という表現でインターフェースとしての機能不全を告白し、さらに「対処方法はない。なぜならそのエラーの原因が何なのか、わたしには不明」(D208)と、自己修復能力の限界にも言及しています。長門は実際に暴走するに至るまでの期間、その来るべき破局を知りながらひたすら自己抑制に努めていました。12月16日の段階でも「我関せずといった具合に本を読み続け」、頭に三角帽を載せられても(翌日も)その態度を変えなかったのは、臨界点に達する寸前でそれでも最善を尽くそうとする過酷な内面的戦いの裏返しでした(D11,22,28)。
 そのさまを見て、キョンは古泉とともに長門の「微細に変化」してきた半年(D19)を肯定的に再確認するのですが、しかし最近のハルヒが「中学時代とは比較にならないレベルで安定」(D18)してきたのとはまったく対照的に、長門が不安定になってきた、ということには思い至りません。長門がキョンに信頼されていればいるほど、長門はキョンからの気遣いを受けにくくなります。また、キョンが長門を誠実に理解しようとすればするほど、長門の不安定化を非道具化=人間化と受け取ってしまうため、長門の根本的な問題はキョンの目に見えにくくなっていきます。そして、長門の口下手はキョンの誤解を解くどころか悪化させてしまいます。11月に明らかとなったこの認識のずれともつれが、つまり長門を暴走に走らせた直接的な起因です。顔つき合わせて(インターフェース)さえうまくいかないのであれば、長門としてはもはや自身の能力の全面的発動によって決着をつける以外になかったのです。
 いや、それはさすがに話が飛躍しすぎでしょうか。ですが、この決着が長門とキョンの関係にかかわるものというより、むしろキョンをめぐるハルヒとの対決であるということ、そして長門が『憂鬱』の結末にてキョンの好む異性を模倣対象に選んでいた(「あたし」)ことを踏まえれば、この飛躍は必然的なものと理解できるのです。その模倣対象の一人である朝比奈は後の2月の時点で、長門が「あたしに成りかわりたいと思っている」のではと推測していましたが(G126-7)、本人に否定されていた(G160)もののこれもまた1つの解釈でしょう。しかし、『憂鬱』で成立過程が描かれたキョン−ハルヒ関係の諸要素と、前考察で検討してきたキョン−長門関係のそれとを比較してみますと、「誰とも付き合うわけにはいかない」(A144)と自己抑制している朝比奈の立場をそのまま長門に重ねてしまうわけにはいかなくなります。

表1.暴走に至る過程の比較
諸要素 ハ ル ヒ 長 門
本人の能力 世界改変級(無自覚) 世界改変級(自覚)
自己像 平凡じゃない唯一の私という主体 インターフェースという道具
意識的目標 不思議を発見し、世界を面白くする ハルヒを観察し、自律進化の可能性を探る
キョンに対して 好意(無自覚) 好意(自覚?)
無意識的目標 キョンと楽しみを共有する キョンと近づく
2つの目標を達成するための手段 SOS団の結成と活動 SOS団への消極的参加
キョンからの認識 傍若無人の困り者(自覚)
より社会的になるべき(自覚)
放っておけない唯一の異性(無自覚)
頼れる仲間(自覚)
より社会的になるべき(自覚)
心配する必要すらない完璧超人(無自覚)
意図せざるすれ違いの生起 SOS団活動の結果、キョンが他の子に接近する SOS団活動の結果、キョンとの意志疎通失敗を重ねる
自己像の動揺 自分の苛立ちの原因が分からず抑制できない 自分のエラーの原因が分からず抑制できない
その段階でのキョンの表面的態度 ハルヒを放置して朝比奈さんとイチャイチャ
ハルヒに伝える言葉が足りない
ハルヒからの精一杯の働きかけをスルー
長門を放置してハルヒやみくるとイチャイチャ
長門に伝える言葉が足りない
長門からの精一杯の働きかけをスルー
問題解決のために選択した暴走手段 世界の無自覚的な再創造(未遂)
ただしキョンだけはそのまま
意識下の自分はキョンに同伴(改変に無自覚)
世界の衝動的な再創造(実行)
ただしキョンだけはそのまま
改変された自分はキョンの訪れを待つ(改変に無自覚)

 この表が示すとおり、『憂鬱』におけるハルヒの暴走へ至る過程は、『消失』までの長門の歩みとほぼ相似形をなしています。つまり長門は、ハルヒを競争相手でありながら模倣対象としても認識したうえ、さらにキョンの朴念仁ぶりによって、かつてのハルヒと同じ袋小路に追いやられていたと言えるのです。この初体験の異常事態にさいして、自己抑制はもはや限界、言語伝達もかえって齟齬をきたすとなれば、あとは暴走のしかたまでもハルヒの例に倣うばかりでした。「今度のことは、神様だか何だか知らないがそのヘンテコパワーがハルヒから長門に移っただけだ。ハルヒは無自覚に、長門は自覚的に世界を変えた。」(D216)せめて平団員だけが察知できるような部分的な世界改変にとどまらず、いきなり全力で突っ走ったのは、このような背景があってのことです。ただし、キョンに最初から選択肢が自覚的に与えられているかどうかは両者の大きな違いであり、世界改変の意図にもかかわる要点です(これについては後述します)。ともかくも『消失』の世界は、すでに世界改変を実行した後の世界であり、『憂鬱』のもう一つの結末を暗示するものと言えるでしょう。
 しかし、改変後の世界といっても、ハルヒの場合と同様に、そこには2つの可能性があったはずでした。1つはキョンの性格・記憶がそのまま維持されている世界で、これは神人暴走時にハルヒの無意識が当初目指したものです。もう1つはキョンの性格・記憶も都合よく改変された世界で、これはハルヒが絶望の結果として最終的に招来しかけたものです。『消失』の長門は、このうち前者の改変を選択したうえで、さらに自分自身の性格をも改変しました。かつてハルヒは「自分を変えてやろう」(A226)としましたが、長門もまたその模倣といいますか、はるかに徹底的に自らを変えてしまったのです。「これをあなたが読んでいる時、わたしはわたしではないだろう」(D151)と自ら記すとおりに。

(2)大きな世界の内と外

 この世界と自己の改変のうち、まず世界の方から検討しましょう。改変の要点は、ハルヒの力とそれに関係する諸能力・諸勢力を消滅させること、ハルヒと古泉を別の高校に通学させ、SOS団を消滅させること、朝倉を復活させること、そしてそれらに合致するように「三百六十五日の範囲」(D191)でキョン以外の記憶も修正すること、でした。 それらは明らかに、ハルヒをキョンから遠ざけておくための措置ですが、しかし他のやり方もなかったのでしょうか。例えばもっと過激に、ハルヒを改変世界の外国へ引っ越させてしまう。さらには存在そのものを消滅させてしまう(ハルヒも常識的な制約を設けていたように、これはさすがに無理そうですが)。あるいはもっと穏便に、ハルヒをキョンのクラスに残したままで、その代わりにSOS団設立の事実を消し去り、長門も同じクラスの一員にしておく、など。そしていずれの場合でも、世界改変の程度に応じて、キョンの記憶も改変しておくという。ですが、長門には、この程度の世界改変にとどめてキョンの記憶を保持しておくということが、どうしても必要だったのです。そのキーワードが、キョンも把握するところの「選択権」なのですが、その選択=自由意志的行為を求められる場について、いったん確認しておかねばなりません。
 そもそもこの改変世界とは、長門がキョンをプレイヤーとして強制参加させるために創造したゲーム空間のようなものです。ハルヒの神人暴走時には、キョンはハルヒの同伴者として登場しましたが、それは意思決定可能なプレイヤーというよりも、ハルヒと目標・心情を分かち持つはずの唯一のパートナーとして、勝手に見込まれていました。最終的にキョンが解答に行きついたのはたしかに彼の自由意志のおかげでしたが、それは長門たちのヒントに促されてようやく可能となったものです。これに対応するかのように、長門の改変世界では、キョンが唯ひとり選択権を与えられたパートナー候補として登場し、抑制長門が残したヒントを発見することでやっと選択肢を認識し、とるべき行動を決定していきます。
 このとき、改変世界には2つのゲームが重なり合っていました。それは、キョンが長門をパートナーに選ぶかどうかという改変世界内ゲームと、改変世界そのものをキョンが選ぶかどうかというメタゲームです。ハルヒのSOS団活動も、ハルヒとキョンを中心とする感情のゲームの場であるとともに、ハルヒの力をめぐる争奪・優先権確保というメタゲームの場となっていました。また、コンピ研との対戦も、敵艦隊撃滅ゲームであるとともに、相手のイカサマにプログラム修正で反撃するというメタゲームでもありました。これら6つのゲームの真のプレイヤー(意思決定者)はキョンです。このプレイヤーに公正な行動選択をしてもらうために必要な、フェアな初期設定の準備。それが長門の行った世界改変の内実でした。

 まず暴走長門にとって改変世界内ゲームの勝利条件は、自らがキョンに選ばれることです。しかし、現実世界ではキョンはハルヒをほぼ選んでしまっています。ここで長門がハルヒと同じスタートラインに立つためには、元の世界での格差を是正するほかありません。そのためにまず、ハルヒの力を消す。それに関連する団員の能力も消す。関連する外部諸存在も(情報統合思念体までも!)消す。これで一応「普通」の世界になりましたが、それだけでは対等な出発点には立てません。
 次なる要点は、ハルヒとキョンを引き離すこと、そして長門自身とキョンとがもっと意思疎通しやすくすることによって、長門という人格をキョンと向き合わせる(インターフェース)ことにあります。ハルヒが能力を奪われたとしても、そのままSOS団が存続して彼女のそばにキョンがいるかぎり、長門を含む3者の状況はおそらく何も変わりはしません。というより、ハルヒの力の暴走に長門が対応する必要がなくなるため、長門の能力に対するキョンの深い信頼も無用となりますから、長門にとってむしろ悪化するとさえ言えます。ですから、長門がキョンに向き合ってもらうためには、ハルヒの力のみならず、ハルヒに有利な条件をも同時に消失させねばなりませんでした。ハルヒ―キョン関係をいったん御破算にしてこそ、長門はキョンにようやく有用性から離れた人格的評価をしてもらったうえで、選ばれる可能性が得られるはずだったのです。そこで、SOS団を設立していないことにする(ハルヒ中心の人間関係の解消)。ハルヒとキョンを同級生でなくす(両者の日常的近接関係の解消)。ハルヒを古泉とともに別の高校に進学させる(キョンと出会った順番の解消。ハルヒの行動力を鑑みれば、別クラスに離してもまだハルヒ有利なので)。長門自身は現高校の文芸部に残りますが、キョンと同級生にまでしてしまうことは避け、彼が文芸部室を訪れないと出会わないという設定によってハルヒの改変ペナルティと釣り合わせています。朝比奈も同様にただの気弱な先輩としてのみ存在させますが、キョンが関われないわけではありません(実際の反応はあくまでもキョンの自滅)。そして――あの事件も生じなかったことになりますから――朝倉を同級生として復活させる。
 しかしここまで修正してもなお、キョンのこれまでのSOS団記憶がそのまま残されている状態では、長門がハルヒと競うことはできません。実際にそうだったように、キョンは誰かを選ぶ前にまずハルヒの行方を心配するはずですし、あの事件の記憶がある以上は朝倉と出くわせば戦慄するのが当然です。その朝倉と親しい改変長門に親近感を抱くこともまた、難しくなると容易に予測できます。つまり改変世界内の公正化は、キョンの記憶改変をしなかった点で不徹底なものとも言えますし、ハルヒにも長門自身にも大きなペナルティを課しているという点でじつに苛酷であるとも感じられます。そもそも朝倉が存在する時点で、キョンにとってこの改変世界は決して「普通」ではないのです。(この意味で、元の異常な世界と「普通の」改変世界とを比較するキョンの理解はいくぶん間違っています。それはむしろ、ハルヒの力に振り回される異常な世界と、長門の力で改変された異常な世界との対決なのです。)それにもかかわらず、抑制長門は暴走をここで食い止めて、キョンをそのままにしておくことを選びました。それだけキョンのことが大切だったのです、ハルヒがキョンの操作を決して行わないことにも負けないほど。

 次に、メタゲームの勝利条件は何でしょう。それは、暴走長門にとっては、キョンが改変長門を選んだうえで改変世界をも選ぶことです。これに対して、自らのエラーを自覚しその抑制に努めてきた長門にとっては、キョンが改変世界よりも元の世界を選ぶことです。メタゲームとは、長門自身の内面的闘争をキョンに引き受けさせるということにほかなりません。キョンが改変長門を選べば、改変世界は自動的に勝利します。これを阻止するために、暴走直前の抑制長門は、かつて朝倉との戦いで「侵入する前に崩壊因子を仕込んでおいた」(A195)ように、また神人暴走時にハルヒによって世界外に追い出されつつもPCを通じてヒントを提供したように、今回もあらかじめ解決の手がかりを改変世界内に設けておきました。それがキョンの発見した栞のヒントであり、「鍵」集合によって起動する脱出プログラムの準備であり、重要な外部存在である朝比奈(大)との連携でした。また、これらを活かすべきキョンの記憶・性格を、できるだけそのまま保持しました(D242)。
 しかしこのような闘争は、本物の長門にとってじつに空しいものでした。世界を元に戻せたところで、それはキョンとハルヒの睦まじい日々が続くだけのことで、長門の敗北を意味します。しかもそれだけでなく(実際にそうなりかけたように)、暴走したインターフェースに対する厳しい処分も待っているはずでした。しかしそれでも、長門は自らのエラー暴走を食い止めるため全力を尽くさねばなりません。ピュロスの勝利へ向かって、長門は進まざるを得ませんでした。

 さてところで、キョンが改変長門と改変世界を選ぶ可能性なんてものは、はたしてあったのでしょうか。それがもし達成されたならば、暴走長門にとってはですが、たしかに甘美な勝利となったかもしれません。とくに乗り越えるべき障壁が高すぎるゆえに、です。しかし、この勝利の光景にもやはり模倣対象があります。神人暴走時のキョンは、ハルヒの絶大な力について団員からすでに再三の説明を受けているうえ、その力がまさにいま我が身に襲いかかるという途方もない恐怖に直面していたはずです。それなのに、それでもなおキョンはハルヒをかけがえのない相手として受け入れました。長門達のヒントに後押しされたためだけでなく、自分にとって大切なひと以外の何ものかで「あるはずがない」(A286)からこそ、キョンはそのヒントをもとにして自ら望む行為に及んだのでした。すると今回の世界改変にさいしての暴走長門の意図としては、キョンが改変世界の異常さを認識し、ただならぬ恐怖に脅かされながら、それでも長門を選んだときにこそ、真の勝利が――かつてハルヒが獲得したと同じほどの達成が――得られるはずだったのです。

(3)二分割インターフェース奇譚

 続いて、長門自身の性格・記憶改変について見てみましょう。学園祭準備の頃、古泉はハルヒの力についてこんなふうに推測していました。「もし彼女が自由に自分の力を振るって、その結果世界が変化したとしても、変化したことに誰も気付かない」、「その変化は涼宮さん本人でさえ気付きようがない」なぜなら「涼宮さんもまた世界の一部だからです」(B208)。今回の長門の変貌をみると、この言葉がまるで彼女についての予言であったかのように感じられます。『憂鬱』におけるハルヒ自身の改変は、むしろ彼女の乙女心によって激烈に遂行されたわけですが、長門もまたこのことをなぞっていくことになるのでしょうか。
 さて長門とハルヒは多くの共通点(超越的能力の所有、キョンへの好意、自己の動揺、新たな世界の発見、役割への自己規定とそのストレスなど)とともに、決定的な相違点を持っています。その圧倒的な能力を自覚しているかどうか、です。ハルヒは自覚のないままに、しかし常識的な抑制をどこかで保ちつつ、その力を存分に振るいます。長門はその能力が存在意義であり、自覚と合理的判断と上位者の命令のもとに行使します。このたび暴走長門は自らを情報統合思念体から独立させ、能力を(ハルヒの力その他ともども)改変世界内から消滅させたたわけですが、しかし自らがその実行記憶を保ったままでは改変ハルヒと同じスタートラインに立てないという不都合が生じます。そこでまず、自身の記憶を改変する必要があるものの、そのためにはインターフェースという自己規定から改変しなければなりませんから、他者の記憶改変の限度だった1年分どころか、生まれてこのかたから始まるという徹底したものとなりました――おそらく面倒な部分はそのつど(キョンに質問されたときなど)記憶補完されるのでしょうけれど。

 記憶よりもずっと重大な問題なのは、性格改変の方でした。言語を主な媒体とするコミュニケーションによって、人間は相互理解を深めていきます。しかし、ハルヒへの対応が話題のほとんどだった(普段の部室や夏の祭などで世間話が成立しなかった)今までの長門とキョンの会話、さらに長門が自己主張をすれば誤解を招くという繰り返しを見るに、そのままの長門がキョンに肯定的に受容されることなど今後も期待できません。しかもハルヒが近くにいなくなれば、わずかな共通の話題さえ失われるのです。となれば暴走長門は、ハルヒを遠ざけるための世界改変とともに、キョンとの関係を幾分なりとも積極的に行えるような、しかもキョンに受け入れてもらえそうな性格へと、自らを修正する必要がありました。
 とはいえ、どんな自分に変えればいいのでしょうか。その性格改変の手がかりは彼女が受け入れてほしい相手、つまりキョンの性格や日頃の行動原理と、彼がかつて口にした「眼鏡属性」にありました。 持ち前の能力が消えたとき、長門は、頼られるだけの能力がない自分でもキョンは向き合ってくれるだろうか、という問題に直面します。しかし、キョンは長門の有用性を評価する一方で、他者に対しては(そして時には長門に対しても)その無能力を評価するという奇妙な態度をとることがあります。より正確に言えば、困っている人(特に女性)に頼られることをよしとするのです。これはキョンが若い男性であることに加えて、兄タイプであることも影響しています。『憂鬱』考察の最後でも述べたように、キョンは妹や朝比奈や年下の子の面倒をみることを好む、またそういう者達を見捨てておけない性格です。『憂鬱』以降もキョンは実妹に対して「未だにサンタ伝説を信仰している」(D12)その幼い夢を破らないように配慮してますし、シャミセン目当てで妹が自室を頻繁に訪れることにもただ「閉口」(D30)するだけで禁止しません。やがて元の世界で迎えるクリスマスイブでもハルヒを「妹とどっこいの精神構造」(E198)と感じていますし、さかのぼって夏の縁日では「たまには妹のご機嫌取りもいいだろう」(E36)とリンゴ飴を土産に買おうとしていますし、そのときの朝比奈の浴衣姿を「まるで俺の妹が浴衣来ているような雰囲気さえ漂っていて」「可愛」い(E33)と評しています(年長者なのに)し、花火に夢中なハルヒの笑顔が「年齢よりも幼い感じ」がして「変なことを考えてしまいそう」(E73)になっています。つまり、妹的な純粋さ・かよわさにキョンの庇護的情愛は沸き立つのです。もちろん長門は、自分の性格を朝倉やハルヒ、朝比奈や妹ちゃんそっくりに変えることもできたでしょう。しかし、それでは長門はたんに彼女達のコピーとなるにすぎません。性格修正を長門の実際の性格(なるもの)から離れすぎない程度に収めねばならないという制約のもと、このキョンの急所はじつに重要な意味をもつこととなりました。
 そして、そこに「眼鏡属性」が組み合わされます。眼鏡属性といえば、原理主義的には眼鏡をかけているという事実だけで必要十分なのですが、例えば委員長タイプ(しっかり者・叱り役)や関西弁タイプ(計算高い・漫才師)、図書委員タイプ(内気・読書好き)といった性格属性とのコンボ技も持ち合わせています。長門が自分に適当なものとして選んだのは、この最後のタイプへの性格改変でした。たしかにこの性格であれば、元来読書好きの彼女にとって改変の度合いは小さなものですみます。また、その内向的な弱さをもってキョンを刺激することも容易です。もちろん、キョンには眼鏡属性への趣味がありません。しかし、キョンが「そのほうがいい」(A197)と言ってくれたからこそ、長門は眼鏡を外したのでした。キョンが長門への理解を大きく好意的に改め、キョンが長門の手を掴んでくれたあの場面。長門が初めて彼の手に触れ、初めて自己像への問いを発することができたあのとき。それは、長門にとってかけがえのない(ユニークな)転換点でしたが、しかしハルヒや朝倉という能力者の存在が不可欠な事件でもありました。彼女達の能力を消し、そしてそれにまつわる事件を消し去ったとき、長門もまたこの転換点を失うことになります。そこで、この転換点を改変世界に移植するとすればどうなるでしょう。それは、キョンが長門を選んでくれたその瞬間、長門が彼に応えて眼鏡を外す、というかけがえのない恋愛的転換点として具体化されるのではないでしょうか。(コンピ研の少女漫画マニアが長門に古典的作品を貸し出した影響なども想像できるでしょうか。なお、眼鏡を外すという象徴的表現は、2001年にも2010年にも確認できます。)だからこそ、この改変世界で長門は眼鏡をかけていなければなりませんでした。それは世界改変という暴挙を自らに隠蔽するということの象徴でもありますが、また同時にこのような性格改変にふさわしい恋物語を予定しての下ごしらえでもあったのです。眼鏡を外してキスとでもなれば、『憂鬱』の大団円をなぞりながら上書きすることになるでしょう。そして、この改変世界での出発点となるのは当然のことながら、市立図書館に連れて行ってくれたという事実の修正版でした。困っている自分を見かねて彼が貸出カードを作ってくれたという二人の出会いの思い出(D90-1)を、暴走長門は自らの胸に込めたのです。

 こうして長門は、ヒロインとして自らを設定し直して改変世界に配置しながら、その改変を修正するための手立てをも講じました。いわば長門は、人間化された眼鏡長門と、神人の立場にある暴走長門、そして暴走を取り消そうとする抑制長門とに分離し、後の2者は改変世界の中に消失したのです。眼鏡長門とキョンは、そんな神々のゲームボードで意思決定を要求される存在です。それは、ちょうど改変前日に部室でキョンと古泉が遊んでいたTRPG(D8)でいえば、ゲームマスターとプレイヤーキャラクターの関係のように思えます。長門は恋愛TRPGのマスターとして世界を設定し、そのゲーム内のプレイヤーキャラクターとして参加し、さらにメタゲームのプレイヤーとして干渉します。
 しかし、なるべくチートとならないようにキャラクターパラメータを調整したとはいえ、眼鏡長門と暴走長門の目的は、この設定で本当に達成できるのでしょうか。ハルヒが発見されたとき、この強大なライバルに対抗できるのでしょうか。と言いますかそもそもの問題として、キョンがハルヒを選んだ理由は何なのでしょうか。ハルヒをそっくり模倣することはできない長門が、ハルヒと異なる魅力をもって立ち向かおうとするとき、この謎はそのまま解けずに引っ掛かり続けるのです。


2.長門有希の暴走 〜絶望へ至る悪夢〜

 こうして発生した暴走に巻き込まれた、唯一の元通りのプレイヤーであるキョン。「こちらの世界から唯一、涼宮さんが共にいたいと思った」(A275)あのときと同様に、今度は長門にただひとり選ばれた彼の視点から、ゲームの進行を追っていきましょう。
 改変前の放課後、部室。ハルヒはクリスマスの準備に浮かれ、キョンはいつもの調子で韜晦します。このときキョンも他の団員も、長門の内的闘争を知るよしもなく、彼女の変化を良いことなんだろう」(d20)と感じていました。古泉が「僕たちはほとんど一心同体のようなもの」(D18)と述べているように、ここでは1年弱にわたる団活動を通じて培われた仲間意識が一同を包んでいます。古泉とキョンがTRPGを遊んでいたというのも、(長門にとっての象徴的意味や男子2人でTRPGという光景のもの悲しさはさておき、)このゲームタイプが有する勝利条件の特殊性、つまり1プレイヤーのみの勝利(他プレイヤーの敗北)ではなく全参加者が楽しむことが目的という、SOS団員の現時点での共通認識を暗示していました。

(1)12月18日

 しかし改変直後の朝。キョンは、突然の風邪の流行や過去の出来事のずれなど、昨日との違和感をわずかに抱きます。風邪(ウィルス)や教室の空席、とりわけハルヒの不在といった現象は、情報操作の限界によるものであり、またこの改変世界の病的な雰囲気、欠落や不完全さを暗示しています(D33)。そしてその雰囲気をはっきりとグロテスクなものにしたのが、朝倉涼子の登場でした。それはキョンにとって「悪い」前兆(D38)です。微笑む朝倉の「悪い夢でも見てたんじゃない?」(D41)という返事は、この改変世界の現実こそがキョンの悪夢であることの裏返しでした。
 確固たる世界と自己理解が揺らぐ「もつれがちの足」(D45)で、キョンはすぐさま「寡黙な万能の宇宙人アンドロイド」を探しに行きます。「長門なら。」(D45)という絶対の信頼は、この異常事態の原因を不在のハルヒにさえ問いかけながら、長門を疑うことさえ思いつかせません。9組(そして古泉)の消滅という新たな衝撃をうけ、放課後も偶然出くわした朝比奈・鶴屋の二人にも冷たく拒絶され、いよいよ追い詰められたキョンが最後の・最強の希望として文芸部室に踏み込んだとき、そこで彼を出迎えたのは、「驚いた表情で口を開け、眼鏡のレンズ越しに俺を凝視する長門有希」(D56)でした。「胸の当たりに視線を注」いだり、「視線をさまよわせ」て「目を合わせるのを恐れているような気配」を醸したり、「ごめんなさい」と答えたり、「頬に朱が差し」怯える長門(D57-60)。自分のあまりの暴挙に気づいて詫びたあと、キョンは力なく腰をおろして途方に暮れますが、この場面で彼がとらえた長門の瞳のいろがじつに印象的です。「死に別れたはずの兄と繁華街で偶然再会した妹のような色彩」(D61)。「脅えや怖れ」でないことにキョンはやや安堵していますが、それよりも重要なことは、この段階ですでに彼が改変長門の感情を「妹」の思慕に喩えていることです。性格改変の試みは、一応の手ごたえを得たわけです。しかしその手ごたえは、「これはお前ではないんだな。」(D63)という断絶感と表裏一体のものだったのであり、キョンと眼鏡長門の想いは完全にすれ違っているのですが。
 キョンが退室しようとしたとき、眼鏡長門はなけなしの勇気をふりしぼって白紙の入部届けを渡します(D65-66)。とりあえずそれを拒絶せずポケットに入れたものの、キョンの頭の中は「単なる読書好きの眼鏡っ娘」になってしまった(しかし一応存在している)長門よりも、不在のハルヒに独占されていました。「どうしてこんなことを思うのかは俺にだって解らないが、お前が出てこないと話にならない」のです(D67)。それは、今までの事件の原因が必ずハルヒだっただけに、古泉や本物長門がいなくともまず団長を観察して解決の糸口を探るという通常の手立てを奪われている、ということでもありますし、それ以上に彼女のことが心配でたまらないからでもあります。TRPGの冒険パーティならばメンバーのステータス調整程度の役割しか任じていなかったキョンが、ここではソロシナリオの主人公として放り出されていました。となれば、否応なく能動的にならざるを得ないのです――それが姫君を救出する旅なのかどうかは知らず。

(2)12月19日

 明けて改変2日目。病気流行の悪化する教室で、キョンは朝倉との不快な会話ののちに、この改変世界が指し示す問題の一つを反芻します。「俺は、いま幸せなのか?」(D76)元の世界でハルヒに振り回される日々と、このハルヒ不在の改変世界での普通な日々と、どちらが自分にとって幸せなのか。この時点で彼はまだ、あのハルヒと、団員達と一緒にいたい、とは自覚していません。というより、朝倉がいてハルヒがいないという事実を前にして、ここまで冷静に比較考量できるというのは驚きです。もっとも、全くお手上げの状態だからこそ、そんなふうに悩んでみる皮肉な余裕ができてしまっただけですけれども。
 そんな閉塞状況下で、しかしキョンが放課後に行く場所といえばSOS団室――いまは文芸部室――しかありえず、昨日渡された入部届に込められた眼鏡長門の意図を測りかねながらも足を運びます。ノックに「小さな返答」(D78)とは、期待と不安に揺られつつ彼の訪れを待ちわびていたのでしょう。昨日の行動が報われたことを喜んだはずの眼鏡長門でしたが、さすがに入部の意志を自分から尋ねるまでには至りません。一方のキョンは本棚を眺めながら、かつて本物の長門から無理矢理押し付けられたあの1冊の本を発見し、何気なく手にとります。部室PCにも見いだせなかったあの長門との縁を、無意識に求めていたのかもしれません。そしてその行為は、本当に本物の長門との接触面(インターフェース)をキョンに与えてくれました。あのときと同じように1枚の栞が、あのときとは異なるメッセージを記して目の前に。

   『プログラム起動条件・鍵をそろえよ。最終期限・二日後』(D81)

 すでに開始されていたメタゲームの、第一目標が判明しました。ようやく行動の手がかりを得たキョンは、その内容が謎だらけであることにすぐさま気づいて焦燥します。ですが、この時点では彼が思い浮かべた「巨大ハテナ」、「そのプログラムを起動すれば、世界は元の姿に立ち戻るのか?」(D82)という自問には、「立ち戻る」ことの是非についての比較考量は含まれていません。少なくともハルヒや本物の団員達が戻ってくることは、無自覚ながらすでに望ましいことなのでした。
 部室での調査も推理も行き詰まり、キョンは眼鏡長門に関心を向けます。その照れ屋で純真なさまに、キョンは「かなり可愛かった」と感じたうえ、「このまま文芸部に入部してハルヒのいない世界を楽しむのも悪くないかなと思ったほど」でした(D84)。しかし、それはあくまでも「一瞬だけ」のことです。キョンにとっては、この眼鏡長門よりもあの「三角帽子をかぶって本読んでた」(D85)長門が、この栞をどのようにしてか準備して送ってくれた長門が、向かい合う(インターフェース)相手なのですから。つまりこの場面では、キョンは眼鏡長門に若干惹かれつつも、本物長門の干渉によって元の世界へ帰還する意を強くしていることになります。
 このバランスを改変世界の側へと引き戻そうとするのが、眼鏡長門によるキョンへの誘いでした。彼女の独り暮らしについて話していたところ、いきなり「来る?」の一言です(D87)。「ツバメの風切りみたいな息」を吸って、勇気の限界に挑戦したはいいですが、女子高校生が家族のいない家に男子を招くのは世間的にどうでしょう。この行動を、キョンが不審がるように「精神状態はまるで一貫していない」(D87)改変性格の底の浅さを見てとるのか、それとも同じくキョンが想像するように「この時期の平均的な高校女子1年のメンタリティ」の「不規則さ」を(しかも眼鏡っ娘らしく)忠実に再現したものと理解するのか。いずれにせよ、ここでのキョンが眼鏡長門の申し出を受けたのは、恋愛ゲームのプレイヤーとして彼女に興味があるからではなく、メタゲームのプレイヤーとして「新たなヒント」(D87)が得られるかと期待してのことでした。
 長門のマンション部屋に上がりこみ、すぐに客間を見せてもらうキョン。完全にコンピュータRPG主人公の家探しです。差し向かいでお茶を飲むときもあの最初の訪問を思い返すばかりで、眼鏡長門が訥々と話を切り出しても彼の反応は「どこだ。」「何を。」とまるで尋問や情報収集のようなコマンド入力状態(D90)。そこで眼鏡長門が語り始めた市立図書館での思い出は、彼女にしてみれば彼を意識したなれそめを打ち明けるものでしたが、キョンにしてみれば過去の事実との齟齬を、そして眼前の存在が本物長門ではないことを、はっきりと突きつけるものにすぎませんでした。ここでは「なぜ違ってしまったのか」「俺の知っている宇宙人はどこへ行ってしまった」と、改変の原因や本物長門の行方を気にしていますが、長門の性格と記憶がこのようなものに変えられたことの意味については、キョンは「変な具合にズレている」(D92)という以上には考えようとしません。眼鏡長門の言葉は、ここでも本来の世界と同じように、キョンに向き合いながらすれ違ってしまっています。本物長門が真実を告白したあのとき、キョンに取り合ってもらえなかった彼女は「ちょっとばかし寂しげに見えた」(A125)のでしたが、この改変世界の眼鏡長門もキョンの沈黙に「少しだけ悲しそうに唇をゆがめ」(D92)ました。キョンが目の前の長門に向き合ってくれないということは、どちらの世界でも同じでした。
 そこに登場した支援的NPCこそ朝倉涼子。改変世界における彼女の役割は、すれ違いの是正です。つまり、向き合っていない二人を向き合わせる媒介(インターフェース)となることです。元の世界でも、消滅前の朝倉は長門と同じマンションに住んでおり、あるいはこの改変世界と同じように長門の生活の世話をしていたのかもしれません(前考察1(2)参照)。この場面では朝倉は美味しそうなおでんを差し入れ、そのまま上がりこんで珍客を詰問します。その結果、真意を隠すための「デマカセ」ではあったものの、キョンから「文芸部に入ろうかどうか悩んでいる」という言葉を引き出すことに成功したのです(D95)。勇気をふるって入部届用紙を渡した眼鏡長門が、一番聞きたくて聞けなかったこの返事。キョンが本来の問題に向き合うがゆえに、ポケットに入れたまま向き合おうとしなかった眼鏡長門の差し出した手。キョンはまだそれを掴むと決めたわけではありません、がしかし少なくともその可能性だけは、彼の言葉によって語られたのでした。
 このことに励まされて、眼鏡長門はさらなる勇気を振り絞ります。自信にあふれた朝倉の視線を浴びて「やりきれない気分」になり退去しようとするキョンの袖を、眼鏡長門は「今にも消えそうな表情」で「そっと指でつまんで」引きとめたのです(D97-8)。神人暴走時の校内でハルヒが「俺のブレザーの裾をつまんでいた」(A270)のを思いだしたかどうか分かりませんが、こうなるとキョンはほっとけず、踵を返して食卓を囲むしかありません。この雰囲気に馴染むどころか逆に心身がこわばるばかりですが、朝倉が北風なら眼鏡長門が冬の太陽です。キョンが「明日も部室に行っていいか?」と尋ねたとき、眼鏡長門は彼と一緒の時間が約束されたことを喜び、さらに入部への期待をいっそう膨らませつつ「薄く、だが、はっきりと微笑んだ」のですが、その微笑みに直面して、キョンは「目眩がした」のでした(D99)。
 ですが、ああ。
 その「目眩」とは、眼鏡長門に転びかけたためのものではありませんでした。もちろんキョンのことですから、本物長門ならあり得ない彼女の可愛らしさに、前向きな衝撃をまったく覚えないわけでもなかったでしょう。しかし、この改変長門の振る舞いに衝撃を覚えれば覚えるほど、キョンはそこに本物長門の影を重ねてしまうのです。言葉に語らずともそうしてしまう彼の内面を如実に物語っているのは、『消失』挿絵で改変長門の眼鏡が描かれていないという事実です。これは眼鏡の描き忘れではなく、キョンが改変長門の姿に重ねて本物長門を幻視していたということを正しく捉えているのです。
 さらにまた、朝倉から眼鏡長門について念を押されたうえでようやく解放されたとき、帰路に就いたキョンが最初に思い浮かべたものは、「あいつ」(D101)でした。無自覚に「夜空に語りかける」ほど切羽詰まって、この異常な世界にただ独りの自分が本当に向き合いたい相手。ようやくその事実に気づいて「愕然」とし、「忌々しい」と言いながらもはや否定できないその気持ち。

  「俺はハルヒに会いたかった。」(D102)

 ハルヒの記憶が消えていない以上、眼鏡長門と朝倉の揺さぶりは、キョンのこの想いを強烈に自覚させるばかりの結果となったのでした。
 この改変世界でキョンの2つの感情がせめぎあうべきだったとすれば、それはハルヒへの想いと改変長門への想いとのそれのはず。しかし、記憶を改変されていないキョンは最初から前者を選んだままです。その選択を変えようとするならば、ハルヒ不在というここでの事実を受け入れなければなりません。彼女と一緒の日々、SOS団活動の日々を、なかったことにしなければなりません。キョンの精神が一度崩れないかぎり、そんなことは不可能です。そして同じことは、キョンが忘れるつもりのない元の世界の長門についても言えるのです。

(3)12月20日

 とはいえ、タイムリミットの日を迎えたキョンは、精神が崩れそうな危機に直面していました(D105)。この期限を越えてしまったならば、長門の世界改変衝動はキョンの記憶改変(とそれによる精神安定の保障)によって完全かつ不可逆な再創造を達成するはずだったのかもしれません。ハルヒの神人が、もう少しでそこまでやりかねなかったように。
 その危機を偶然にも乗り越えるきっかけを与えたのは、療養なった谷口と国木田でした。この改変世界にもハルヒが存在し、こことは別の共学高校に通っている。最重要の情報を得たキョンは、そんな可能性を思いつきもしなかったおのれの不覚を恥じますが、そんなことより残された時間はあとわずか。居ても立ってもいられずにキョンは学校を早退して駅前の高校へと急ぎ、やがて拙速な行動を反省します。下校を待つまでの「二時間近く」(D113)、彼は何を考えていたことでしょうか。下校する生徒が現れ始めてから、キョンはここに「別のSOS団が存在し、俺や他の連中の代わりに別の奴らがそこでよろしくやっている」可能性を想像して煩悶します(D114)。たしかに、それはあり得たのです。しかし長門は世界改変にあたり、ハルヒの3年前の記憶を消去することもしませんでした。そして、彼女の深奥も改変しませんでした。ジョン・スミスの記憶、そして内なる少女性。それらが改変されていないかぎり、ハルヒがキョン以外の団員その1を引っ張ってSOS団設立を宣言することなどあり得ないのです。
 そんなこと知るはずのないキョンの煩悶と焦燥は、この世界のハルヒを発見した瞬間に、「盛大な溜息」(D115)として消え去りました。長い髪に「しばし見とれ」てから、キョンは曜日を確認して「髪型七変化」をしていないと推測し、それ以上のことは何も思いつけません。彼女の隣に並んで歩く古泉にも気づいたところで、ようやく「微笑してしまう」だけの意識のゆとりが生まれるほど、キョンはハルヒに再会できたことに没入していました。「あいつ」ただひとりと、向き合っていました。もっとも、SOS団の記憶を持っていないハルヒ(と古泉)が、このキョンと向き合う必要はありません。無視、威嚇、攻撃ののちに、ハルヒはジョン・スミスしか知りえない秘密をキョンが知っていたことに驚愕し、やっと向き合ってくれる気になったのです。それは、3年前にあのメッセージを描いた者同士、あのとき向き合ってた者同士であればこその、繋がりでした。「他の誰でもない、涼宮ハルヒ」(D124)を、キョンはついに取り戻したのです。

 さて、このときキョンは世界改変の原因を、今まで同様「こいつの仕業」と思っていました(D130)。今回、キョンは世界の病的でグロテスクな改変に打ちのめされてきましたが、だからといって眼前の改変ハルヒはもちろんのこと、世界復旧後の本物ハルヒに対しても、内心で文句こそ言いはすれ断罪するつもりはなかったでしょう。これまでもハルヒの力が暴走するとき、キョンはしばしば慄然とさせられています。命の危機さえ何度も感じたことがあります。しかし、そんなときでさえ、キョンはハルヒの横暴を食い止め、ハルヒ自身のために「殴ってでも躾てやる」(B196)覚悟でいました。これもまたキョンの兄らしさ、彼なりの思慕の表現なのです。そしてそんなキョンにとってのご褒美として、ハルヒの輝く笑顔が、必ず最後には彼に向き合ってくれていたのです。だから今回も、きっとそうなるはずでした。そのためにも、あのSOS団の仲間とこのたびの骨折りをねぎらい合うためにも、本物長門がくれた大切なヒントを正しく活かさねばならないのでした。
 喫茶店での事情説明中、ハルヒはその怪しげな内容を「断然面白い」(D127)がゆえにすべて受け入れて、たちまち行動に移ります。転校生という属性のみに興味を抱いたものの最近飽きつつある古泉(D133)その他、この改変世界のハルヒはあれやこれやにちょっかい出しながら満たされることなく、本来の世界のあの頃のようにひたすら苛立っていました(D116)。そこに突然やってきた、過去のかけがえない事件の当事者とその謎めいた事情。これにハルヒが飛びつかないわけがなく、そのうえキョンは彼女の攻撃的なまでの行動力やや突飛な作戦立案に、(元の世界に戻りたいためでもあり、ハルヒに再会できた嬉しさや馴染みの行動パターンへの「安心」「心地よ」さゆえでもあり、)普段の彼よりもはるかに協力的で共犯的です(D131,136-7)。さすがに「追い剥ぎ」(D138)の真似までは許しませんが、二人はあまりに素早く意気投合しています。おまけに、キョンが出来心でポニーテールを所望すると、それが彼の「趣味」にすぎないにもかかわらず、改変世界のハルヒは「満更でもなさそうに」髪をまとめ上げます。その姿をキョンは「魅力度三十六パーセント増」とからかい、ハルヒは「バカ」と「とりあえず怒った顔」をするというのは(D139-140)、もはやバカップル以外の何物でありましょうか。直前の箇所でキョンは、SOS団がハルヒに言い寄る男どもにとっての「風よけ」となっていたのでは、と考えていましたが、その障壁とはむしろただ一人の「オトモダチ」(F39)の存在にほかならないという客観的事実を、元の世界では当人達以外の全校生徒が知っていたことでしょう。
 それにしても、わずかな時間でここまでの関係構築。命令者と荷物持ち(D142)という役割分担の速やかな相互了解。事態についていけない古泉とは対照的に、ハルヒとキョンはこの改変世界でもこの二人ゆえの噛み合ったテンポで加速していきます。そしてまた、ハルヒの加速度にキョンと古泉が肩をすくめるのも、元の世界と同じ(D142)。朝比奈を強制連行してセクハラして半べそかかせるのも同じ(D145-9)。一同が文芸部室に乗り込んだとき、唯一その性格を改変していた眼鏡長門だけが、元の世界と異なる反応を示すばかりでした。キョンが約束通り来てくれるまでおそらく待つつもりだった彼女の姿は、あの夜の公園でキョンを待ち続けていた本物の彼女と淡く重なります。そして、この2日間の眼鏡長門は、なけなしの勇気を奮い立たせて、憧れの彼に向き合ってもらおうと努力し続けてきました。しかし、それがなぜこんなことに。

 そこに、PCの電子音が鳴りました。「鍵」が揃ったのです。あの神人暴走時と同じように、PCモニタに綴られる本物長門のメッセージ。続く文字列を目で追いながら、キョンは内心でこの長門に向き合い、「数日ぶりだな」と呼びかけながら「長門の平坦音で音読」(D152-3)していました。そこに示されたのは「緊急脱出プログラム」、唯一の選択キーであるエンターキーを押すかどうかの「一度きり」の選択を、キョンは迫られます(D153)。コンピ研との対決で、キョンが指示した長門のエンターキー入力。今度はキョンが自ら押さねばなりません。神人の暴走時、キョンがしぶしぶ最後に受け入れた長門のヒント。今度は自分の本心と向き合わずに韜晦する余裕はありません。
 この決定的な選択機会に向き合って、キョンは考えます。本物長門への全幅の信頼のもと、この選択後のことは心配しません。そして、せっかく集めることのできた仲間達についても、自分が考えるべきことは「そんなこと」ではない、と「再確認」します(D155)。あれだけ苦労したのに、この改変世界のハルヒに会えたときあれだけ嬉しかったのに「そんなこと」です。しかし、その喜び冷めやらぬときでさえ、キョンは改変ハルヒの言動にこう感じていました。「本当にハルヒそのまんまなんだな。」(D150)つまり、彼女はハルヒそのままではあっても、「他の誰でもない」あの「涼宮ハルヒ」ではありません。キョンは眼前の改変ハルヒを本物ハルヒとはっきり区別し、必要以上に近寄らせません。他の団達とのやりとりも、それが本物の日常と似ていればいるだけ、かえってその決定的な違いが際立ちます。「それより何より確かなのは、俺がこの世界から脱出したいってことだ。すでに馴染みとなって俺の日常に組み込まれたSOS団とそこの仲間たちと再会したいのだ。」(D155)
 この世界は「間違っている」と速やかに再確認したキョンは、ポケットに入れたままくしゃくしゃにしていた入部届を眼鏡長門に返します。それは、この改変世界に生きる長門を拒絶することであり、それゆえキョンは「大急ぎで」、すでにこの場所の一員である自分があえて入部する必要がないのだ、と慰めの言葉をかけます。たとえ本物でないとしても、長門を悲しませることはしたくない。その優しさが彼女をここまで追い詰めたのかもしれませんが、キョンは誇らかに告げてエンターキーを押しました。

  「なぜなら俺は、SOS団その一だからだ」(D156)

 そう、キョンは選んだのです。たくさんのキーの中から、たったひとつのかけがえない道を。

(4)3年前の七夕、そして再び12月18日

 サジタリウス宇宙の虚構を引きはがすように、キョンはたちまち時空を超えて元の世界に、しかも3年前の七夕の夜に出現します。この時間には絶大な助け手たちがいることに気づき、朝比奈(大)と再会ののちにジョン・スミスとしての役目も果たし、ついに長門のマンションへ。そこで迎えてくれた長門は、初対面時の頃のような「無表情で無言」の、そして本物の彼女でした(D184)。キョンはこの半年の経緯と目下の事情を「大まかなストーリーライン」(D187)としてのみ伝え、朝比奈(大)とともに世界復元を頼み込みます。このとき長門は改変世界の自分自身に確認を試みて、「同期不能」という意外な結果に「微小な変化の途上にある」春夏あたりの表情を浮かべつつ(D190)、じつは考察前篇1(2)で述べたようにこの暴走へ至る最初のきっかけ(自己規定の動揺)を得てしまいます。しかしキョンにはそんなことが分かるはずもなく、長門自身もまた世界改変の仕組みとその責任者を把握したことで、「再修正可能」との結論を下します(D190-1)。長門が自分の眼鏡から「調合」した再修正プログラム注入用の(注射器あらため)短針銃を持って、キョンはいよいよ立ち向かうべき真犯人の正体を教えてもらうことになりました。それは長門。
 さすがの衝撃に言葉を失ったものの、この3年前の本物長門の口でナノマシンを注入してもらった直後、すでにキョンは長門をこの問題で責めるつもりがなくなっていました。「ありがとな。」彼女への信頼と感謝の気持ちは薄れませんし、「また会おう、長門。しっかり文芸部で待っててくれよ。俺とハルヒが行くまでさ」すでに経験済みの未来を失う予定もありません(D199)。しかし、目の前の長門は「やたらと寂しそう」で、キョンは胸に「モヤモヤ」を抱きはしますがすぐ出発せねばなりません。そして朝比奈(大)に導かれての時間旅行を経て、キョンは本来の世界の12月18日早朝に長門が世界改変を実行する場面を目の当たりにしました。
 このとき、キョンは先ほど本物長門に看取したものを再確認しています。異常動作の引き金としての「色々な疲労」「感情」。それを察して和らげてやれなかった自分の「依存心」と愚かさ(D208-9)。2つの世界の選択についての独白が続いたのち、キョンははっきりと宣言します。

  「すまない、長門。俺は今のお前じゃなくて、今までの長門が好きなんだ。それに眼鏡はないほうがいい」(D215)

 眼鏡はないほうがいい。それは、この改変世界にあって、眼鏡長門がキョンからの受容のあかしとして聞きたかった一言でした。なのにそれは現実には、キョンからの拒絶の言葉として――少なくとも改変長門にとっては――耳に届くことになってしまったのです。もっとも、性格・記憶改変直後の眼鏡長門には、まだそういった文脈も何も理解できません(いまは入部届を渡す前の状況です)。だから「何を言っているの……」(D215)と不審がるほかなく、キョンが続ける懐柔の台詞も朝比奈(大)の指摘するとおり「何を言ってもだめ」(D217)です。そこでやむなくキョンは「すまん」と短針銃を眼鏡長門に突きつけて、回復された世界での楽しい予定を言い訳のように約束するわけですが(D217-8)。この一幕を、『憂鬱』のクライマックス場面と比較してみましょう。

表2.キョンとの閉塞状況の比較
ハルヒ 眼鏡長門
世界の状況 二人以外の再創造直前、閉鎖空間の校門奥 キョン以外の改変直後、普通の校門前
少女の態度 不安から積極的受容へ 無自覚
キョンの初期行動 最初からそばに出現、ハルヒをかばう あとから出現、長門を詰問する
キョンの対応1 元の世界に戻りたい
元の世界のあいつらに会いたい
今の長門ではなく今までの長門が好き
眼鏡はないほうがいい
少女の反応1
(無意識)
怒りと悲哀
つまらない世界にうんざりしてたんじゃないの?
(自分よりも他の団員を選ぶのか)
不審
(異常な世界にうんざりしていた)
(ハルヒよりも自分を選ぶ可能性はあるのか)
キョンの対応2 ハルヒの力による世界の面白さについて暗示
元の世界に戻せ、と間接的に懇願
元の世界のよさについて説得
元の世界に戻せ、と直接的に懇願
少女の反応2
(無意識)
キョンから視線をそらす
(絶望、キョンの再創造も決意する)
瞳が脅えたような色
(恐怖、キョン排除のため朝倉が起動する)
キョンの対応3 ハルヒのポニーテールは最高
手を握りしめたまま向き合ってキス
向き合って短針銃を突きつける
元の世界での楽しい今後について約束
少女の反応3
驚愕と願望充足
素直に受け入れられず夢の出来事にする
驚愕と絶望
朝倉が介入し悪夢を現実化する

 最大の危機を越えて願望充足へと向かっていくハルヒと、その真逆の展開を辿る長門。ポニーテールを褒めてもらえるハルヒと、眼鏡をたんに否定される長門。手を握りしめたまま体を寄せ合ってキスされるハルヒと、離れた場所から対峙して短針銃を突きつけられる長門。表1.では両者の問題構造の相似を指摘しましたが、ここではあまりにも対照的な、いやむしろ絶対的な差が示されています。ポニーテールは二人を「結ぶ」象徴でしたが、眼鏡は二人を隔て、亀裂を走らせる象徴だったのです。もっとも、キョンが告白したのは「今の」眼鏡長門よりも「今までの」長門を選ぶという意志でしたから、本物長門にとっては完全な失望ということにはなりません。しかし、それは結局のところハルヒの絶対優位を揺るがすものではありえず、眼鏡長門と改変世界の敗北ののちに本物長門の敗北が待っているだけのことでした。
 さて、あのマンションでそうだったように、改変世界で眼鏡長門の苦境を救うのは、朝倉涼子の役目です。そこでこの緊迫した場面でも、朝倉が突如現れて干渉することになるのですが、しかしその方法はキョンの脇腹を短刀で刺すという、眼鏡長門にとっても受け入れがたいものでした。もっとも、短針銃で命を脅かされている眼鏡長門を守るために加害者キョンを排除するというのは、社会的には緊急避難と解釈することもできるわけですが、そんなことより問題とすべきは、この朝倉が何ものなのかです。


3.長門有希の消失 〜救済へ至るいま〜

 ここでは、朝倉涼子の存在について検討したのち、長門が最終的に獲得したものについて論じます。

(1)通りすがりのReady

 改変世界の病的・グロテスクな雰囲気を決定的なものとしているのが、朝倉涼子の存在でした。本考察1(2)でも触れたように、改変世界では朝倉を消滅させたあの事件が生起していないため、朝倉は適切な改変のもとで復活することになりました。しかし、それだけが復活の理由なのでしょうか。そして復活とともになされていた改変の中身は、何だったのでしょうか。

 論者が本考察の執筆に着手してからすでに3年以上が過ぎてますが、その経過をご覧になられた渡辺寂氏が、『消失』の長門―朝倉関係についての見解をメールで教えて下さったことがありました。もう1年半も前のこととなってしまいましたが、ここでお詫びと感謝の意をこめつつ要点を紹介させていただきます。
 渡辺寂氏は、朝倉の存在意義が「欺瞞に満ちたSOS団という空間を破壊すること」にある、と鋭く指摘します。すでにキョンがハルヒを選んでいるにも関わらず、仲良し集団としての振る舞いを団員が余儀なくされることが、ハルヒという絶対的中心の支配下で本音を言えない組織ゆえの欺瞞であるというわけです。キョンが長門の本心にあたかも気づかないかのように、彼女の暴走を「恋」ではなく「感情」という語で表現しようとするのも、長門を都合よく解釈しようとする彼のごまかしであるとされます。長門の恋心を正面から受け止められないからこそ、その場その場で様々な言葉を弄して逃げるしかない。そしてそのような「狭量さ」や「欺瞞」を、朝倉は「断罪」するのである、と。
 また、氏の解釈では、長門と朝倉は互いに不可欠な関係にあり、それは長門にとってキョンを含む団員では置き換えられないかけがえなさを有するものとされます。『憂鬱』のあの対決後もなお、長門は朝倉を本来必要としていたのであり、また朝倉も消滅させられながら恨むこともなく、それゆえ復活させられてからは従来どおりの親密さを回復した、と。
 たしかにこのように解釈するならば、朝倉の存在は「半ば独りよがりな論理に対するオルタナティブ」として、いわば健全な意味をもつものとなります。むしろ、彼女の存在を不気味に思うキョンの感情こそが、彼の思考停止と欺瞞を暴かれることへの抵抗の表れとして、不気味なものと読解されるべきでしょう。朝倉の位置づけに悩んでいた論者は、この渡辺寂氏の解釈に多大な示唆を受けましたし、キョンの欺瞞やSOS団の組織的問題についても相当な部分で同意するものです。(例えば「こんな要らない力を使って、無理矢理変わらなくていい。そのままでよかったんだよ」(D216)というキョンの言葉には、正直申して彼の誠実さとともに身勝手さも感じます。)しかし、そのうえで論者は、長門―朝倉関係をずっと陰影に満ちたものとして理解します。それは、氏に比べて論者がキョンやハルヒに好意的であるというだけでなく(それもありますが)、やがてシリーズ作中で明らかになるように、改変朝倉を再び消滅させたのが長門だったからです(G25)。そのとき朝倉は、「なぜ!? あなたは……!? どうして……」(D220)「あなたが望んだんじゃないの……今も……どうして……」(G25)とメタ的な疑問を発したまま分解されました。ここには、インターフェース同士がどのように向き合って(インターフェース)いたかの鍵が隠されています。長門とキョン、ハルヒとキョンのように、この二人もずれてしまっていたのではないか、と。

 すでに述べてきたように、改変世界における朝倉は、眼鏡長門の内気さがマイナスに働く場面で、キョンとの関係を進展させるという恋愛ゲーム上の支援的役割を任じています。この姿を、『憂鬱』におけるそれと比較してみましょう。
 あのときの朝倉は、クラスどころか学校中でも美人で知的で優しいと評価される「中心的人物」であり(A22)、ハルヒにいくら無視されようとも語りかけ続ける唯一の存在でした。男子やハルヒをも叱ることのできる(A24)その頼りがいある性格ゆえに、やがて委員長に推挙されたのちもハルヒの孤立を心配しますが、しかしなお当人から返事さえしてもらえていません(A39-40)。SOS団の広報活動についても「ちょっとやりすぎ」と批判します(A94)。ハルヒの同級生として「普通」の女子の方向へと働きかけていくコミュニケーション達者な朝倉が、ここにいます。しかし、ハルヒとの直接的な意思疎通には失敗していますし、キョンへのアプローチも効果があがりません。一方、自分よりも対人コミュニケーション能力がはるかに低いはずの長門は、何もしていないのになぜかハルヒに気に入られています。長門が自らの意思疎通能力に、そして道具的自己規定に疑問を抱いたこの時期、朝倉もまた意志疎通能力の自己評価を動揺させられていました。
 もし朝倉がこの時点でも、長門を自分の高いコミュニケーション能力で支えようとしていたならば、長門がマンションの自室でキョンに事情説明を試みてうまくいかなかったとき、朝倉は(『消失』のあの場面のように)登場していたはずです。自らの能力は、ハルヒには無理でもキョンにはある程度通じるはずだからです。しかし、実際には朝倉が姿を現すことはありませんでした(A125)。この時点で、すでに長門と朝倉は、「積極的な動きを起こして情報の変動を観測しようという動き」(A125)の両極で対立しつつあったと考えられます。この夜から朝倉がキョンを襲う放課後まで、わずか5日しか経っていないのです。朝倉はキョンを呼び出したうえで、次のように語ります。

  「現状を維持するままではジリ貧になることは解ってるんだけど、どうすればよい方向に向かうことが出来るのか解らないとき」(A181)
  「上の方にいる人は頭が固くて、急な変化にはついていけないの。でも現場はそうもしてられない。
   手をつかねていたらどんどん良くないことになりそうだから。だったらもう現場の独断で強硬に変革を進めちゃってもいいわよね?」(A182)

 この台詞は、朝倉の自己規定を示すものとして、2通りの解釈が可能です。
 1つは、彼女が属する「急進派」と、長門が属する主流派との情報統合思念体内部における対立を説明したものとする解釈です。「上の方」とは主流派を意味し、その意志決定の慎重さに反発する急進派が、朝倉からの情報をもとに「現場の独断」を行い、これを道具である朝倉に命じた、ということになります。また、「ジリ貧」とは、主目的であるハルヒ観測(による情報統合思念体の自律進化可能性の探求)が進捗しないという意味でもあり、急進派の勢力が抑え込まれているという意味でもあります。ここでは、朝倉の道具的存在規定(モノであること)がほとんど揺らぐことなく保持されており、命令の是非を彼女が判断することはありません。そして、その命令に服従することによって、すでに考察前篇2(2)で述べたとおりキョンやハルヒなど一切の存在は自分と同じくモノとして扱われるのであり、しかしそれゆえにかえって命令者の目的を否定してしまうという逆説もまた生じ得ています。キョンが消えたならばハルヒの暴走は神人による世界再創造へと至るはずであり、そこでは情報統合思念体の自律進化の可能性どころか存在そのものさえ消え去るからです。
 もう1つの解釈は、「現場」のインターフェースにすぎない朝倉が、「上の方」の急進派も含む情報統合思念体からの命令を無視して独断行動に移ろうとする宣言であると見なすものです。この場合、おそらく「ジリ貧」とは、上述の2つの意味に加えて、「バックアップ」であるはずの朝倉自身が長門への対抗意識のもとに焦燥感を抱いているという意味も持つことになります。この場合、朝倉は道具としての自己規定を超えられないまま最期を迎えているものの、しかし長門よりも優秀であることを証明しようとして創造主の束縛さえ破ってしまったその行動には、朝倉の意志が、かけがえのない心がたしかに否定的なかたちで現れてもいたことになります(『マップス』のリプラドウのように)。そうであるなら、この朝倉は長門とよく似た問題を抱えていたことになるでしょう。どこかで長門と朝倉は同じインターフェースとしてお互いを理解し、二人だけにしか分からない絆を結んでいたのかもしれません。
 どちらの解釈をとるにせよ、朝倉を消滅させた長門は、キョンの前では淡々と「朝倉涼子は転校したことにする」(A199)とだけ述べて惜別の情などは垣間見せていませんし、その後も朝倉について自分から言及することはありません。もちろん帰宅途中でコンビニ弁当を購入するとき(A223)、長門は朝倉の不在を再認識したかもしれませんし、朝倉に限らず長門が進んで話題にする他者などほとんどいないわけですが。

 その朝倉を復活させたとき、彼女に加えられた改変はまず、本来の「バックアップ」としての役割を恋愛ゲームの場において継承するものと解釈できるでしょう。実際にやや強引な干渉を行う朝倉のおかげで、眼鏡長門はキョンとの距離を縮めようとする勇気を奮えました。ただし、そのことによってかえってキョンは本物長門への再会の意志を強めてしまったのであり、じつはここでも朝倉の高いコミュニケーション能力が裏目に出ています。彼女の道具的有用性における挫折を改変世界でも反復させるとともに、あたかも抑制長門がキョンを反発させるための否定的因子として朝倉を配置しておいたとさえ感じられます。
 また、「精神のモロい娘」である眼鏡長門のことを「なんとなく、放っておけない」「つい守ってあげたくなる」と親身に気遣う姿勢は(D100-1)、元の世界で彼女が級友に示していたものと重なります。しかし、改変世界でインターフェースとしての能力を消去されたことで、朝倉が純粋な友達想いの性格となったかというと、どうもそうではありません。彼女の登校姿を目撃したキョンが「ここにいるはずのない奴」とまで口走ってしまったにもかかわらず、朝倉は「悪い夢でも見てたんじゃない?」と「とびっきりの冗談を思いついたような笑み」で受け流しました(D40-1)。その後も続くキョンの暴言に、憤りもせず「心配」までしています(D44-5)。元の世界でハルヒが男子の眼前なのに着替えを始めたときは、男子を追いだしてハルヒを叱った朝倉が、キョンを諌めもしていないのです。もちろん、キョンが「病気」である可能性を示唆することでそれなりの反撃はすませていますが、それはむしろ彼女の別の役割を暗示するものでした。つまり、この改変世界をキョンに否定させないというメタゲーム上の役割です。しかも眼鏡長門と異なり、改変朝倉は自らの置かれた状況を自覚しています。「目に映るものをしっかり把握して、それで初めて理解の助けになるの」(D74)という妙に教育的な台詞は、朝倉がこのメタゲーム的視点とそのゲーム上の道具的自己規定を最初から把握していることの表れなのです。
 この文脈でみるとき、朝倉がキョンを刺したときに、驚愕する眼鏡長門に向かって語る台詞がきわめて重要なものとなります。

  「そうよ長門さん。わたしはちゃんとここにいるわよ。あなたを脅かすはわたしが排除する。そのためにわたしはここにいるのだから」
   朝倉は嗤った。
  「あなたがそう望んだんじゃないの。でしょう?」(D219、強調箇所は引用者による)

 すなわち、朝倉が暴走長門によって与えられた自己の道具的役割をメタ的に自覚しそれに徹底することで、かえって長門の根本命題であるキョンの保持存続は踏みにじられるのです。「長門さんを苦しめる」(D219)キョンは、命令者の改変世界を否定する「物」として当然の排除対象となり、その遂行によって朝倉という道具の存在意義は保証されるからです。
 ここで、改変朝倉が命令にひたすら無批判に服従しようとしていただけとすれば、それは元の世界でキョンを襲った事件でいえば1つ目の解釈に当てはまることになります。そこにあるのは朝倉という道具の、主体性なきがゆえの無責任性です。しかし、改変朝倉が自らの守るべき相手であるはずの眼鏡長門に語りながら「嗤」ったという表現を、(キョンにはそう聞こえたという主観のフィルターがかかってはいるものの、)朝倉の悪意としての意志のあらわれと受けとめるならば、どうなるでしょうか。創造主に服従しているかに装いながら、強制されたそれらの規定を最も皮肉なかたちで裏切ることで、自らの主体性を証明しようとする意志。堕落させることをはっきり自覚したうえで被造物を禁忌破りへと唆し、それに応じてしまった被造物がこんなはずではなかったと絶望する表情を見て愉悦し、神に向かってはこれこそご命令のままに従っただけとうそぶく悪魔の主体性を擬した無責任性です。道具として、「物」として創造された存在が、道具として徹底的に振る舞うことで生んだ破壊と嘲笑をもって反逆しようとする否定的・虚無的意志が、そこに立ち現れます。そして、たしかに神がそのような世界のルールも、悪魔の存在規定と反逆の意志をも創造したことは、事実なのです。
 つまり、眼鏡長門の性格に反映させるわけにいかなかった改変世界そのものの悪意性や歪み、つまりその創造主である暴走長門自身の歪み、それが朝倉涼子だったのです。改変朝倉が自覚的であればそれは彼女の悪意として、無自覚的であれば彼女が暴露する世界の罪として、表現されるのです。前者の場合は、自意識をもった神人に喩えることもできるでしょう。その意味で朝倉は、長門の影であり、ハルヒの影の影でもあります。朝倉をとりまく空気は、改変世界でも、元の世界で生じたあの事件のときも、まさしく閉鎖空間のそれなのです。そして、その空気とは、世界改変の異常さが朝倉のかたちへと圧縮されたものなのです。しかも長門は、朝倉よりもはるかに巨大な規模で、「ジリ貧」を打破するために独断行動に走ってしまいました。「その時空改変者は涼宮ハルヒの情報創造能力を最大利用し、世界を構成する情報を部分的に変化させた」(D190)。「改変後の涼宮ハルヒにはなんの力も残っていない。情報を創造する力はない。その時空には情報統合思念体も存在しない」(D190)。ハルヒの力どころか、自らの命令者であり目的付与者である情報統合思念体さえも存在しない世界を創造するとは、長門がついに誰にも支配されない主体たらんと行動したことを意味しています。しかし、それは反面として、世界の再創造者という絶対的な支配者になってしまうことでもありました。ハルヒを模倣し、ハルヒの力を盗み、世界をおのれのものにする。それは創造主への挑戦であり、ルシフェルの自由でした。自らを解放するために、他の存在を道具にしてしまうからです。ここで長門と朝倉は決して対等なインターフェース同士ではなく、他者を道具化する孤独な絶対者と、自覚的であるからこそ有害な道具的存在として、虚無性を介して向き合っていたのです。
 じつは、抑制の限界に達しつつあった長門には、もう一つの対応策があったはずでした。それは、自己否定です。自分をもはや無益で有害なものとして消滅させる(自らの情報解除を申請する)こと。しかし、長門はそれを望みませんでした。もちろん、そんな自己否定能力が最初から与えられていなかったとか、それを実行しようとしたもののエラー暴走によって上書きされてしまったといった可能性もあります。しかしいずれにせよ、自己否定をなしえなかったその瞬間にこそ、長門は朝倉を共感的に理解したのかもしれません。本来の目的を否定しかねないほどに転倒した手段をとってしまった朝倉の、どうしょうもない悲劇的なありようを。長門自身もまた、そのからくりにからめとられているのですから。

 しかし、そうであればこそ、長門と朝倉は決定的にすれ違ってもいました。朝倉は結局のところ、自らの創造主である情報統合思念体にまっすぐ立ち向かっていくことはありませんでした。その刃先が向かうのは、キョンやインターフェース長門といった下々の「物」です。仮に朝倉が、他者を道具として扱うことで上位者の命令を踏みにじり嘲笑するという意志をもっていたとしても、それは裏返せば、自分が道具として「あなたがそう望んだんじゃないの」と無責任に「嗤」うことのできるような、責任主体としての命令者を必ず必要とします。悪魔には超越神への屈服が必要なのです。これに対して長門は、ハルヒの力を利用しながらですが、情報統合思念体そのものに立ち向かいました。キョンをめぐってハルヒに立ち向かいました。たしかにそれらの戦い方も、面と向かってケンカするというものではありませんが、それでも自分より上位の者に挑む姿勢であることにはかわりません。
 そして何より長門は、キョンにかかわる自分の行動を他者の命令のせいにしないのです。朝倉は言いました、長門の「操り主」と(A195)、「そのために」わたしはここにいる(D219)と。しかし長門は言います、「朝倉の異常動作はこっちの責任」(A215)と、「すべての責任はわたしにある」(D241)と、「わたしが原因」(G36)と。自分が消滅させた朝倉を改変世界に蘇らせたのも、不利益を覚悟した責任のとりかたでしたし、その朝倉によるキョンへの暴力もまた自らが背負うべきものです。長門は所与の自己規定や世界のありようや、キョンがハルヒを選んだことに、理不尽さを見出しているかもしれません。それがエラーの原因なのかもしれません。ですが、それでも長門は、その理不尽さが招く事態の責任を引き受けるのです。責任(responsibility)とは「応答可能性」とも訳されますが、まさしく長門は自由意志において応えようとしてきたのであり、それが道具的存在だった彼女がキョンに向き合うときの責任性=応答性=主体性でした。ただし、その主体性の発現は、今回の事件を結ぶにあたって朝倉を再び消滅させ、改変世界を元に戻したうえで、自己の「処分」を待つというかたちをとるのです。世界とそこに存在する者達を道具化し恣意的に支配しキョンを苦しめた自らの所業は、罰せられるべきだからです。
 つまり長門は、罪を自覚したのでした。それは朝倉が理解できないことだったでしょう、なぜなら一切は所与のものとして命令者が決定したことであり、それに従おうと逆らおうと自分の行為の責任はその自分を創った者にあるからです。しかし長門は、責任を自ら担うがゆえに、罪を認めて背負いました。世界がかくあること、ハルヒとキョンが結ばれてあること、自分が不完全なインターフェースであること、ハルヒの能力という禁断の木の実を食べて世界改変を行ったこと、朝倉や他の「者」達を道具・「物」にしてしまったこと、朝倉が改変世界の歪みを具現してキョンを刺したこと。それら全てを長門は原罪であるかのように背負います。世界再修正が「当該行為をした直後」(D191)になされたということは、長門の犯してしまった行為そのものの事実は元の世界でも消えずに残っているわけです。たとえ回復手段を用意しておいたのが長門自身だとしても、キョンのために救急車を呼ぶなどの冷静な対応(D227)をしたとしても、自分のしたことは償われません。自らの罪の意識において、長門はキョンに向き合うのです。
 そもそも『憂鬱』の最後で「あたしがさせない」(A295)と約束したはずだったのに、再び「朝倉みたいなの」にキョンを傷つけさせてしまっただけでなく、その朝倉を再襲撃に向かわせた原因がほかならぬ自分自身の暴走でした。キョンを守るという自らの誓いさえ、我が身で踏みにじってしまった長門には、もはや絶望しか残されていません。情報統合思念体が処分を検討しなかったとしても、キョンに赦してもらえるとは考えられませんし、長門自身が赦すことなどできなかったでしょう。道具として無能かつ有害、キョンに選ばれることなく信頼も失い、恋愛ゲームでもメタゲームでも自らの責任で敗れるべくして敗れた長門は、もはやどこにも存在意義がありませんでした。朝倉は『憂鬱』にて「しょせんわたしは」とうそぶきながら淡々と消滅しました(A195)。改変世界では「あなたが望んだんじゃないの……今も……どうして……」という疑問の言葉によって、道具的自己規定の限界を吐露しながら消滅しました(G25)。長門には、そのどちらもできません。すでにひとたび、目的的存在規定(ひとであること)への意志を抱いてしまったがゆえに、長門は道具的存在としての安定や無責任性を失う一方で、運命・性格悲劇的な無制限の責任を背負いこんでしまいました。もはや誰にも向き合ってもらえない孤独。ハルヒを模倣しようとすまいと結局キョンに選んでもらえない不可避的否定。ヒトとモノの狭間にあるインターフェースが最も人間に近づいた瞬間は、しかしこのように絶望の闇へと自らを突き落とすことでもあったのです。

(2)ひとめ「あなた」に…

 しかし、その闇に光が差し込む時は来ます。
 翌年1月2日の冬合宿終了直後、長門はキョンと朝比奈を伴って12月18日早朝に跳び、朝倉を消滅させ眼鏡長門をも元に戻します。性格・記憶・能力を回復した眼鏡長門は眼鏡を外し、1月長門に「同期を求める」ものの拒絶されます(G27-8)。予想外の反応に口をつぐむ12月長門に、1月長門は「あなたはあなたが思う行動を取れ」(G29)とだけ伝えて、改変世界を修正しました。情報を同期してさえいれば最善の合理的行動を選べるはずでしたが、それを拒絶された長門は、自らのすべきことを手持ちの情報(経験)で判断することになりました。それはもしや、初めての喫茶店でアプリコットを選ぶまでのあの苦労(A140)に匹敵するものだったのでしょうか。いえ、おそらくは、改変修正直前にキョンをふと見やったとおり、上位者の命令がなくとも自分のとるべき行動をたちまち決定できたことでしょう。罪の自覚に基づいて、その被害者たるキョンに向き合おうとするからです。
 情報統合思念体が処分を検討していると知ったのち、長門は、入院3日目に意識を取り戻したキョンの病室を夜中に訪れます。自分の罪をキョンに正面から詫びて別れを告げるためであり、自分が消滅するその前にせめて一目だけでも彼の回復した姿を見たかったからでもあります。このときまでにキョンは、失神直前の光景を思い出しながら、自分が長門・朝比奈と一緒に自分自身を救出しに行くであろう未来を理解しています(D238-41)。ということは、キョンが長門をこの世界に引きとめようとしたのは、その未来を実現するために彼女の能力が必要だから、なのでしょうか。もしそうだとすれば、長門はたとえ命永らえたとしても、それは再びキョンという上位命令者のもとで道具的自己規定を受け入れるだけのことだったでしょう。
 しかし、キョンはその未来を承知しながらも、そのことを理由にして長門を説得することはありませんでした。「くそったれと伝えろ」という彼の言葉を聞いたとき、いったい誰にどのような意味の言葉として伝えればいいのか、長門は理解できず戸惑います。そしてキョンは、その長門の「細くて白い手を取った」のです(D243)。

  「お前の親玉に言ってくれ。お前が消えるなり居なくなったりしたら、いいか? おれは暴れるぞ。
   何としてもお前を取り戻しに行く。俺には何の能もないが、ハルヒをたきつけることくらいはできるんだ」(D243)
  「つべこべぬかすならハルヒと一緒に今度こそ世界を作り変えてやる。あの三日間みたいに、
   お前はいるが情報統合思念体なんぞはいない世界をな。さぞかし失望するだろうぜ。何が観察対象だ。知るか」(D244)

 これらの言葉を、キョンの欺瞞や身勝手さと批判することもできます。キョンが今度は長門のためにハルヒを道具化しようとしている、と見なすこともできます。ええ、一面においてそのとおりなのです。キョンは長門のために、彼女が自ら背負ってしまったその責任と罪のために、「腹が立って」(D244)います。その理不尽を消し去るために、どんなことでもやろうと決意しているのです。もちろんハルヒの力をキョンが奪って行使することなどできませんし、SOS団長・団員の人格を支配しようとも考えていません。しかし、いまこのキョンは、長門がここにいられるようにすることを、最優先のものとして語ってくれました。しかもキョンは、長門をここに留めるために、世界改変さえも実行すると言ってのけました。それは、長門が抑制できなかった世界改変の罪をたんに「充分だよ」(D243)と
軽減・免罪するだけでなく、キョンが長門の罪を自分も引き受け分かち持つ、と言ってくれたということなのです。長門が自ら担った罪に向き合って、キョンはその責任を共に担うと応えたのです。このことを告げられたとき、長門はもはや孤独ではありえませんでした。模倣対象のハルヒとも、同じインターフェースの朝倉とも結ばれることのなかった絆が、ここで初めてキョンとの間に生まれました。それはまた、ハルヒとキョンの間にさえ存在しないような、長門とキョンに固有のユニークな絆でもありました。
 思えば、キョンを刺したことを長門の願望に従ったものとして嗤う朝倉の声を聞いたときも、キョンは瀕死の状態ながら「嘘だ。長門が望むはずがない」とすぐさま拒絶していたのでした。「異常動作を起こした長門。その長門が再生させた朝倉も異常なヤツになったんだ。こいつは長門の影役だ……。」(D219)ここでキョンは、彼自身の欺瞞を貫こうとしているわけではありません。ただひたすらに、長門の悪意性を認めないのです。神人暴走の終局時にさえハルヒの悪意性・虚無性を認めなかったように、
キョンは長門の悪意性・虚無性を「あるはずがない」と突っぱねて、おのれの知る長門に向き合ったのです。
 改変世界であれだけの恐怖と苦痛を味わったキョンが、その改変者の正体を知ってなお、そのままの長門にいてほしいと言ってくれる。「あの三日間」のような世界改変さえも自ら求めてくれる。その言葉を、はたして長門はすんなりと理解できたでしょうか。しかし、キョンがこのとき用いた媒体は言葉だけではありません。神人の暴力が襲いかかる中でそのままのハルヒを見据えたように、キョンはいま、そのままの長門の顔を正面から「強く見据え」(インターフェース)ていました(D244)。あのときハルヒの手を握りしめていた(A280,286)キョンが、ここでは長門の手を無意識に「強すぎる力で握りしめて」いました(D245)。瞳に込められた決意、そして手のひらの熱さと痛み。それはハルヒとまたもや重なる要素でありつつも、長門にとってこれこそがあの教室で初めて知った不思議な、かけがえのないユニークな接触面(インターフェース)だったのです。「言葉を用いない概念は言葉以外のものでしか伝えられません、わかる?」(D175)時間理論について述べた朝比奈(大)のこの台詞は、いま長門とキョンの間で新たな意味を獲得しました。概念(concept)の語義は<つかむこと>、まさしくキョンが強くつかんだ手を通じて、長門は言葉にならない何かを理解したのです。
 これが長門のかちえた救済です。原罪を自覚し、所与の世界と自己規定のもとで絶望しつつあった長門は、クリスマス目前の12月21日の深夜、つまり3日目に昏倒より甦ったキョンによって、救われたのでした。あたかも救い主のごとき働きをなしたキョンですが、むしろ(さらに3日後のクリスマスパーティで演じるように)トナカイとして道を照らしたという比喩の方が適切でしょうか。あるいは、キョンがかつてハルヒにキスをして――今回もほっぺたをつねって――目覚めさせたように、長門もまたこの日「sleeping beauty」(A278)の眠りを覚まされた、というべきなのかもしれません。ともかくも、キョンは罪の一切を代わりに引き受けてくれるわけではないのですから、その意味でキョンは長門にとっての救世主だの神の御子だのではありませんし、夏・秋のように情報統合思念体と置き換わって命令者になるわけでもありません。なぜなら、キョンは長門に上から命令する者ではなく、長門に向き合ってくれる対等な相手だからです。

  「ありがとう」(D245)

 この言葉を、既知情報をなぞるのではなく自分の「思う行動」として伝えるために、1月長門は12月長門の同期を許可しませんでした。ありがとう――有難う。それは文字どおり、この世界にめったにないということ。長門がキョンに向き合ってこの言葉を初めて告げたいまこそ、彼女の「有希」という名前を、あらためて彼女のものとした瞬間でした。有希、あることがまれであること。まれであるからこそ、かけがえのない=ユニークなものであること。有希、あることをこいねがうこと。存在することを誰かに求められ、その呼びかけに応じようとすること。――そんな希望が共にあることを、触れ合って互いに確信すること。このように
キョンと向き合って存在することのかけがえなさに長門が感謝したいまこのとき、有希はひととして祝福のもとに生まれ、インターフェースとして完成したのです。


終わりに 〜長門有希の新生〜

 以上、『消失』において長門が生の祝福を獲得する過程を辿ってきました。その過程を通じて、改変世界の中でもメタゲームの水準でも、キョンはそのつど決定的なエンターキーを押すことをためらいませんでした。エンターキーを押すことは、他の全てのキーに示されていた可能性を拒絶することでした。しかしまた、enterとは自らそこに入ること、それを受け入れることでもありました。そして長門は元の世界で、すでにひとたび選んでしまっていたのです。こういう世界を、こういう自分を。もっとも、インターフェースである長門にしてみれば、世界も自己規定も誰かが与えたものにすぎなかったでしょう。しかし、たとえ世界や自分のありようが否応なく与えられたものであったとしても、そこに疑問や不満を抱いたり、別の世界や自分のありようを試みたりしながら引き受け続けることを通じて、長門はその所与の自分と、自分をかたちづくってきた過去と仲間が、すでにかけがえないものであることを知りました。これ以外を選べないという意味でなく、これ以外を選ばないという主体的な意味において、それは取り替えのきかないただひとつの、ユニークなものとなったのです。
 そして、長門はついに本心から「わたしはここにいる」(G119)と告げることができます。いつ、どこにいる自分に向けても、誰に対しても、情報統合思念体が相手でさえ、この言葉を堂々と繰り返すことでしょう。3年前のハルヒが描いた校庭の文様もまた、この言葉でした(C126)。それは宇宙にいる誰かに向けたメッセージでしたが、同時にまた、一緒にこれを描いたジョン・スミスが共に発してくれた言葉でもありました。長門もキョンと、そしてSOS団のみんなと「進む方向は同じ」(G321)と確信するからこそ、自分の異時間同位体との同期を自らの意志で封印し(G100-1)、(古泉によれば)「情報統合思念体の一端末の立場から外れようと」(E261)しながらも、「わたしは恐れない」(G364)と立ち向かうことができます。そんな長門を、キョンやハルヒはもちろんのこと、長門と一部利害が対立するはずの朝比奈や古泉も、「仲間」として受け入れ、支え合おうとしています。『憂鬱』考察でも述べたとおり、ハルヒの横暴によって結成されたSOS団は、いまや一人ひとりにとってかけがえのない居場所であり、緊張をはらみながらもお互いが向き合い・結びつき・調和する(interface)場なのです。
 だから、長門が夕飯のおもてなしをてんこ盛りのカレーライスで試みたり(G107-8)、残念賞チョコを用意しておいたり(G421)、朝比奈の気持ちを察しようとしたり(G117-8)、あの図書館に二人きりで誘われたのに期待を外されてへそを曲げたり(G262,281-285,302-6)、自分宛ての恋文の差出人に興味を示しつつキョンの反応を確認したり(F135)、寝込んだり(E313-)、おそらく初めての意図的な冗談を口にしてみたり(H265)したときには、キョンもハルヒも朝比奈も古泉も仲間としての感謝や心配や揶揄や反省で応えるのです。手を握りしめ、分かち合い、共に引き受けるとき、「わたしはここにいる」という自己肯定の声と、それを受けとめた者達からの返事が、まっすぐ向き合って行き来することとなりました。

 こうして本考察は、恋愛・成長物語として『消失』を読解してきたわけですが、最高善たる神ではなく超越的な諸力のみが支配する宇宙で、非力な存在であるがゆえにかち得る人間の尊厳を描くということがSFの古典的テーマであるとすれば、『消失』はまさしくこの意味でキョンと長門を主人公としたSFだったと言えるでしょう。また、『憂鬱』考察で述べたように、本シリーズが今なお二項対立的世界観や虚無性を乗り越えようとするものであるとすれば、今回その意図に刺さった棘であるかに見える朝倉の今後がひとつの問題として浮かび上がってきます。もしも再び朝倉が復活することがあったとして、そのとき朝倉は「そのためにわたしはここにいるのだから」(D219)などと道具的規定の留保を付けずに、ただ「わたしはここにいる」と胸をはることができるでしょうか。誰かの命令によってではなく、わたしがここにいたいから、と自らの意志で告げることができるでしょうか。そのためには、ハルヒが閉鎖空間から帰還し、長門が消滅せずにすんだときのように、「あなた」に<ここにいてほしい>と顔つきあわせて言ってもらえることが、おそらく必要なのでしょう。取り替えの効くモノとしてではなくかけがえのないひととして、誰かから求められるということが。そしてそのとき朝倉自身にも、命令者でもモノでもないそのひとと向き合うことが求められるのでしょう。その誰かの役割を、はたして長門が担うことになるのでしょうか。
 とはいえ作品本編にそんな展開が描かれているわけでもなく、またシリーズの行方というより進行速度が気になる状況が続いてもいます(『憤慨』まで刊行時の記述)。それはさて措くとしても、長門はこの冬から春にかけて様々な事件を団員みんなと乗り越えながら、キョンとの関係も微妙に深化させているように感じられますから、やはりこっちの方が当面の問題であり続けるのでしょう。朝比奈は長門の対抗心や乙女心をなんとなく意識し(G126)、ハルヒもキョンと長門の秘密の絆を敏感に察知し警戒しています(E237,F126)。思えばinterfaceという単語には「境界面」や「共通事項」、「連結する」などといった主な意味のほか、
「つき合う」という俗語的用法がありましたが、この意味でも長門が真のインターフェースとなる日がはたして来るのかどうか、いやその前に急病の長門はどんな容態なのか。そんな期待や不安を胸にしつつ論者はこれからも、本というインターフェースを通じて彼らと向き合っていくことにします。


 *渡辺寂氏には、本文中に述べたとおりご見解を論者に教えてくださったほか、本考察公開前にも論者の独断的な箇所を指摘していただきました。
   重ねて感謝申し上げます。


追記(20110601):
 劇場版DVDと公式ムックの内容をようやく確認しました。じつに美しく叙情に溢れた作品でしたが、この映像化にさいして原作者の了解のもと小説版から変更されていた箇所のうち、論者にとって最も重要なものは、昏睡状態から目覚めたキョンと長門が対面するあの場面でした。夜中の病院の屋上でキョンが長門の手を優しくとり、そこに雪が舞い降りるという情景は、公式ムックにてスタッフ・原作者ともに述べているとおり、アニメ版『憂鬱』のOPに描かれた長門を思いおこさせる出色の感動シーンと言えるはずです。
 しかし論者は、このクライマックスを素直に受けとめることができませんでした。理由は、本考察をお読みいただければすでにお分かりのとおりです。劇場版のキョンが長門に語りかけるその声、長門の白い手を握るその指、長門が背負っている不条理を思うその表情には、キョンの激しい怒りが描かれていません。かけがえないものを絶対に掴んで離さないという闘争の意思が見られません。そこに立っているのは、長門の罪を軽減・免罪しようとするのみの優男です。たしかに劇場版の場面は美しいですし、原作どおり病室の暗闇をそのまま描いたとしたら、映像としてあまり冴えないことになったかもしれません。ですが、街並みを見渡せる開放的な夜空から雪を舞い降りさせた結果として、暗闇の病室(絶望の奥底)から怒りの眼光と強くつよく握りしめた手の熱さ(希望の光)が生まれるという、罪の共有と救いの一瞬における劇的な再生のモチーフを、淡雪のごとく溶かし去ってしまったのが劇場版なのです。大聖堂に描かれたアダムと神の指の触れ合いに似ながらもはるかに力強く、病床から身を起こしたキョンが長門を握る手の浮かぶ病室の闇のなか、まっすぐ前を見つめる長門が「ありがとう」と呟いてくれたなら。論者にとっては、そのような原作に沿った場面こそが、最も美しいものと感じられたはずでした。京都アニメーションの映像化能力の高さが、ここでは裏目に出たという印象。
 もっとも、このような感想は、原作に対する論者の解釈のみならず、別の不純な動機から生まれたものかもしれません。あの劇場版の情景はいかにもデート向け映画風味であり、カップルで鑑賞したとき最大級の効果をもたらすように思われます。そう感じた論者は、DVD視聴中に作品世界のキョンと長門にまっすぐ向き合うことができず、他の幸せな視聴者達を勝手に想像しては歯がゆさに囚われてしまっていたのかもしれません。そんな僻み根性をぶつけられる方こそいい迷惑でありまして、論者もそんな自らのしょうもなさをせめて笑い飛ばさんがため、TV版の谷口という先達に倣って口ずさむことにしましょう。「WAWAWA忘れ物〜♪」(青春時代の)


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