『涼宮ハルヒの消失』における少女の新生・接触篇

〜すれ違い続けるインターフェース〜



はじめに 〜問題の視点〜

 本考察では谷川流著『涼宮ハルヒの消失』(角川スニーカー文庫、2004年)の考察に先立ち、関連するシリーズ作品を扱います。以下の単行本のネタバレを含みますのでご注意下さい。『涼宮ハルヒの憂鬱』(以下、引用時にはAと略。例えばA5は『憂鬱』p.5)、『溜息』(B)、『退屈』(C)、『消失』(D)、『暴走』(E)、『動揺』(F)。また、考察の基本姿勢は『憂鬱』考察と同じく、シリーズ作品をSFというより登場人物達の恋物語・成長物語として解釈するものです。

 このたび映画化された『涼宮ハルヒの消失』は、ハルヒとSOS団をめぐる問題に対するキョンの積極的姿勢への転換(あるいはその姿勢の自覚化)や、長門有希の本格的なヒロイン化などによって、シリーズの画期をなす作品です。その叙述によれば、長門が「感情」と世界改変への意志を示したことで、彼女はもはや情報統合思念体の道具ではなく独立した自由意志を有する人間的存在となったようです。これは『憂鬱』考察6(1)で述べた、団員が自らの虚無性を超える過程の一例として理解することができるでしょう。
 しかし、長門がなぜ世界改変を、しかもあのような世界への改変を望んだのかについては、作中ではただ「こいつは疲れていたのだ」「それはな長門。感情ってヤツなんだよ」(D207-8)というキョンの解釈しか直接の説明が見当たりません。ハルヒ問題への対応を一身に担い、またキョンからそのように期待されることによって、長門ははけ口のないままストレスをため込み過ぎてしまった、と言うのです。

   「これは長門の望みだ。こういう普通の世界を、長門は望んだのだ。
    俺の記憶だけを残して、それ以外を、自分を含めたすべてを変えてしまったのだ。
    数日間俺を悩ませていた、この疑問の答えだって今なら自明だ。

    −なんでまた俺だけを元のままにしておいたのか?

    答えは単純、こいつは俺に選択権を委ねたんだ。」 (D209)

 『消失』の最後にあるキョンのこの「答え」を受け入れるとしても、それはただちに次の一連の問題を引き出してしまいます。すなわち、その世界はハルヒの超越的能力に振り回されない「普通の世界」であるとして、その世界に生きる長門はなぜあのような人格でなければならなかったのでしょうか。そして、彼女はなぜキョンにのみ選択権を委ねたのでしょうか。さらに、キョンの選択の結果として長門は何を喪失し獲得したのでしょうか。キョン視点で綴られる『消失』はこれらの問いに直接答えることを避けており、さらにキョンの言い落としも相変わらずであるため、論者のように本作品を長門のほろ苦い初恋物語として理解したところで、やはり気になるところです。
 また、これまでハルヒの傍若無人な態度に反発を覚えていた読者にも本作品は好意的に受け入れられているようですが、しかしその反面ハルヒのメインヒロインとしての地位が危うくなるのみならず、『溜息』と『退屈』の評価が総体的に下がってしまっています。『溜息』への不評や長期シリーズ化のための方針転換から、『消失』で長門にテコ入れすることとなった、などという解釈はその一例です。作中時間で11月にあたる『溜息』が、同じく6・7月にあたる『退屈』や「エンドレスエイト」(『暴走』所収)に先だって単行本刊行されているため、上述の路線修正によって長門の描写に時系列上の齟齬が生じているという意見もあるようです。例えば「ミステリックサイン」で化け物退治の主導権をとり「孤島症候群」で空気を読まない「ジョーク」を試みた長門のかすかな積極性と、「エンドレスエイト」や「涼宮ハルヒの溜息」での観察者としての消極性とが、微妙にずれていると言うのです。

作中時間 イベント・学校行事 作    品    名 雑誌初出 収録単行本の発行
4-5月 始業式、連休 涼宮ハルヒの憂鬱 2003/02 『憂鬱』(A) 2003/06
6月 市内アマチュア野球大会 涼宮ハルヒの退屈 2003/06 『退屈』(C) 2004/01
7月7日 七夕 笹の葉ラプソディ 2003/08
7月 期末試験、試験休み ミステリックサイン 2003/10
7月下旬 夏休み合宿 孤島症候群 2004/01
8月17-9月1日 夏休み、始業式 エンドレスエイト 2003/12 『暴走』(E) 2004/10
11月上旬 文化祭準備 涼宮ハルヒの溜息 2003/10 『溜息』(B) 2003/10
11月 文化祭 ライブアライブ 2004/12 『動揺』(F) 2005/04
朝比奈ミクルの冒険 Episode00 2004/02
11月文化祭の数日後 コンピ研との対戦 射手座の日 2004/04-06 『暴走』(E) 2004/10
12月18-21日 - 涼宮ハルヒの消失 2004/08 『消失』(D) 2004/08

 しかし、長門描写が仮にやや一貫性を欠いているとして、それは作品外の事情のみによって理解されるべきでしょうか。すでに論者はアニメ版シスプリ考察などを通じて作品内論理による解釈を試みてきましたが、その要点の一つは、人物表現の揺れ幅を製作者側の問題としてではなくその人物の内面的な揺れとして捉えるというものでした。この観点に立てば、長門は、キョンとの遭遇以来、直線的な変化ではなくいくぶんかの行きつ戻りつを伴いながら、『消失』での暴走へと至ったと考えることができるでしょう。そして、その戸惑いこそが、『消失』ではあえて露骨に描写されなかった長門有希のキョンへの想いの強さを物語っていたものとして、あらためて理解できるかもしれません。本考察はこの見通しのもと、『消失』に至るまでの長門の変化とその背景を検討し、次に続く『消失』考察の基礎を構築しようとするものです。


1.長門有希の動揺 自己意識に目覚めた3年前

 『退屈』所収「笹の葉ラプソディ」によれば、中1の夏すなわち3年前の七夕の日に、ハルヒはすでにキョンと出会っていました。みくる(大・小)の手引きによるこの出会いの記憶は、やがてハルヒがキョンの手首をつかんでSOS団を結成するひとつの契機になってしまうのですが、そのへんのタイムパラドックス問題は非常に厄介です。ここではひとまず、いわば編年体に基づいて作品中の事件が生起しているという前提のうえで、この過去の七夕以来の長門を振り返ってみることにします。

(1)道具としての存在意義

 3年前の春頃、ハルヒを基点とする情報爆発に対して、情報統合思念体は「対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース」をいくつか地球に送り込みました。「穏健派」に従うそのうちの1体が長門有希であり、その任務は「涼宮ハルヒを観察して、入手した情報を統合思念体に報告すること」(A119)でした。情報統合思念体は、「高次の知性を持つまでに進化」した「唯一」の例外である地球人類(A121)に注目し続けてきましたが、このたびハルヒというきわめて特殊な個体の活動が確認されたことにより、自らの「自律進化の閉塞状態」(A121)の突破口をそこに発見せんとしたのです。この目的において、長門は明らかに一つの道具であり、またそのことを自覚していた(少なくとも疑問には思わなかった)でしょう。この道具としての有用性は、観察・情報収集能力と環境維持能力、そして対人コミュニケーション能力を3つの柱としています。
 長門の能力はこのうち前2つにおいて必要十分なもので、長門自身が「とても優秀」(A194)と評価する朝倉涼子よりも優れていました。しかし、対人コミュニケーション能力を左右するいわゆる情動面の所作については、表面的には本物の人間に非常に近い朝倉に比べて、きわめて貧弱なものでした。これが表現能力のみの問題なのか、それとも感受性そのものの限界なのかはさておき、明らかに長門は他者(地球人類)との関係を積極的に構築しにくい人格を与えられています。おそらくその一因は、「穏健派」がハルヒの観察を主目的として、積極的干渉を避けようとしていたことにあります。他者と関わりがたいインターフェースならば、ハルヒに何らかの直接的影響を与えてしまう可能性も少ない、という判断です。一方、長門の「バックアップ」(A189)である朝倉は、より急進的な派閥の道具であったために、ハルヒに関わりやすい人格を与えられていたわけです。もっとも、そんな普通っぽい同級生に、後のハルヒが関心を持つはずもなかったのですが。この意味で、インターフェースとしての役割、つまり相互関係のための接触面としての十全な働きを、長門は創造主の意図によって、朝倉はハルヒの性格によって、あらかじめ奪われていました。(もっとも、長門の場合は、「自律進化の閉塞状態」を打破するという本来の目的のために、情動面を貧弱にされていたという可能性もあります。つまり、論理的思考のみで構成された情報統合思念体は、人間という例外的な知性体から、その情動というあやふやなものの本質を学び取ることで、自己改革の手がかりを得ようとしていたのかもしれません。そうであれば、うわべだけの情動的表現能力をインターフェースに付与することは、かえって人間の情動をゼロから理解することの妨げになるかもしれないわけです。)

(2)はじまりとしての出会い

 さて、地球に送り込まれた長門は、とあるマンションの708号室で「待機モード」(C117)に入ります。つまり、ただちにハルヒ近辺の観察行動に移るのではなく、3年もの間、無為に過ごすこととなったのです。しかも、キョンと朝比奈さん(小)が訪問した七夕の夜には、長門は早くも北高のセーラー服姿でした(C114)。3年後のハルヒ北高入学を情報統合思念体が予測していたのか、それともこの日の「北高の制服」姿のキョンとの遭遇によって中1ハルヒが北高を意識するようになった(C108)という意識変化を察知した情報統合思念体の命令により、長門も完全待機モードから北高入学待機モードへと(キョン訪問直前に)すぐさま移行したのでしょうか。なお、バックアップの朝倉涼子もこの時期から長門と同じマンションに住んでいたとすれば、『消失』で描かれたのと同様、このころ本当に朝倉が長門の食事を用意していたという想像もできます。
 3年後の七夕から遡ってきたキョン達が訪問したとき、長門は「涼宮ハルヒの知り合いの者」というキョンのインターホンごしの言葉に「凍り付くような気配」で応じました(C114)。運命はかくのごとく扉を叩いたわけですが、この時点では長門はキョンのことを知りません。入室を求めるキョンに「無言で」「部屋の奥に歩き出した」とおり、長門はもてなしの作法に全く通じていません。しかし、部屋に通してキョン達を立たせたまま「ハルヒ物語のあらすじ」を聞いたのち、長門は3年後の自分から情報をダウンロードすることで、その記憶を確認します。ここで「同期した」彼女が眼鏡を外す(C117)のも、「寝るだけ」とやや意味深な一言を発する(C120)のも、3年後の七夕の彼女がここにいることの表れです。しかし、そこでキョンと朝比奈さん(小)を時間凍結した直後、今度は『消失』問題取り組み中のキョンと朝比奈さん(大)が長門宅を訪れるのですが、そこでの長門は再び「眼鏡をかけた」「初対面時の」彼女に戻ってしまっていました(D184)。自分もキョン達もやはり立たせたままです(D186)。いっとき3年後の自分となりながら、それが必要な問題が片づいたらダウンロードした人格を元に戻したようです。とはいえ、この訪問にて長門はキョンの話をもとに3年後の冬に情報の同期を試みて拒絶され、「春以降から夏にかけて」の微妙な表情を浮かべます(D189)。それは未だ獲得しえていないキョンに対する思慕などのためではなく、初めて自分の能力に理不尽な制限をかけられたこと、しかもその制限がなぜか未来の自分によるものであるということなどに対する理解不能ゆえの困惑が、わずかな感情表現として顔に出たのでしょう。未来の記憶と同期していない状態での最初の表情、それがこの困惑でありました。キョン来訪時の沈黙と同様、優秀な道具としての所与の自己像を動揺させられた瞬間に、長門はその動揺をもたらした眼前のキョンを媒介にして自己像への批判的なまなざしを獲得し、「わたし」を意識しはじめたのです。しかもこの自己認識は、次の事実を知ることで今後の長門の行動を決定づけてしまいます。

   「わたしのメモリ空間に蓄積されたエラーデータの集合が、内包するバグのトリガーとなって異常動作を引き起こした。
    それは不可避の現象であると予想される。わたしは必ず、三年後の十二月十八日に世界を再構築するだろう」(D208)

 道具としての自分に「バグ」があり、しかもエラーの原因が分からないという、道具としての能力の不完全さ。そして、観察者であるはずの自分が意志をもって世界を再構築してしまうという、道具的規定からの逸脱。機能不全なインターフェースがここで初めて対面することになったものこそ、長門自身にとって訳が分からない「わたし」の闇であり、それはキョンと対面してかかわりを持つ(インターフェイス)ことによってなされたわけです。つまり、キョンとの交流による自己変容の端緒を、長門は中1ハルヒと同時期に獲得していたのですが、ハルヒが自分の願望をキョンによって支援されるかたちで与えられたのに対して、長門は道具としての自己規定を否定されるかたちで与えられたのでした。そして、ハルヒが暴走する「わたし」を自覚せずにいるのに対して、長門は暴走する「わたし」をここで自覚し、しかもその正体が分からないままにあるのです。


2.長門有希の憂鬱 〜かけがえなさを見出した春

 「わたし」の欠陥とそれによる暴走を予知した長門は、それでもこの時点から対策を検討します。任務を勝手に逸脱しないよう、あくまで自らを任務の道具として扱うこと。エラーやバグの原因に関係しそうな能力の弱点を補強すること。とくに、対人コミュニケーション能力を少しでも向上させること。また逆に、対人コミュニケーション能力の欠落を自分の長所である情報操作能力でカバーすること、等々。もちろん、暴走するという未来が「不可避」であるのなら、どんな努力をしようと無意味のはずです。しかしながら、任務遂行のために創造された長門は、たとえ破局が不可避であっても、その日まで最善を尽くすことが道具として当然のつとめでした。その努力の最低限の成果として、3年後の世界からキョンが世界修復のために訪れるのだと知れば、なおさらです。
 不幸中の幸いと言うべきか、キョンの2度にわたる訪問を通じて、長門は今後の事の成り行きもごくおおまかに知っています。つまり、未来と同期することによる人格一致こそ解消されているものの、キョン達の訪問のさいに伝え聞いた物語だけは、知識として残っているわけです。ですから、文芸部員となったばかりの長門は、これから何が起きるのかのアウトラインを弁えたうえで、うかつにエラーが発生しないような構えをとっていたかもしれません。しかし、これ以降の顛末は、実際には長門にとって既知の情報の再確認にとどまるものだったというわけではありません。たとえ長門がその知識を保持していても、キョンのかいつまんだ物語からこぼれ落ちていたものがあまりにもたくさんありましたし、その情報として整理された知識・記憶と、いま自分がまさに当事者として身体(インターフェース)をまとって参加している体験との間には、あまりにも大きな差があったからです。そして、それこそが情報統合思念体の獲得し得なかったものであり、後のキョンが言う「感情ってヤツ」(D208)の根拠でした。

(1)ユニークなイレギュラー因子とのコミュニケーション不全

 部室で当初、キョン達を無視していたかのような長門は、キョンの視線を受けて「面を上げて眼鏡のツルを指で押さえ」無表情のままで「長門有希」と名乗ります(A53)。名前を聞かれる前に自らキョンに伝えたのは、対人コミュニケーションの基本としての自己紹介を学習した成果と考えられます。そして、「瞬きを二回するあいだぶんくらい」キョンを注視しましたが、それは「それきり興味を失った」ように見える一方で、長門の中で、既知の情報と、いまここでキョンとあらためて対面していることとの間で、微妙なずれが生じた瞬間でもありました。それは、読んでいる本の内容とまさに同じく「ユニーク」(A57)な経験でした(ちなみにハルヒはユニークであること=唯一性を切望しています)が、しかしひとまずこの段階では、キョンの側からもなんとかコミュニケーションを図ろうとしているにもかかわらず、まともな対話には失敗しています。長門が本に向いてばかりで、キョンと向き合って(インターフェイス)いないためです。自己紹介はキョンとの関係をつくるために不可欠な第一歩でしたが、たわいもない会話でその関係を深めるという発想が長門にはありません。関係ができたからには深いも浅いもないわけで、あとはキョンに問題解決上必要な情報を伝達すれば、コミュニケーションに成功したと言えるはずでした。例のメッセージつきの栞を本に挟んでキョンに押しつけて、長門はこれで済んだとばかりに無関心な態度に戻ります。
 しかし、キョン達がオセロを始めたとき、長門は予想以上の反応を示します。「眼鏡の奥の目には初めて見る光が宿」り、「磁力でパチリとくっつくのに驚いたように指を引っ込める」(A102-3)仕草というのは、すでに記憶の反復(それがあったとして)を越える知的興奮などの表現です。しかも、キョンに勧められると「注意して見ていないと解らないほどの微妙な角度でうなずいた」(A103)のは、オセロのルールを教えたのもキョンであることとあわせて、長門にも理解できるオセロという黒白(0-1)の論理的ゲームを媒介にしてキョンの側から長門に語りかけがなされたということであり、それに長門が初めて応じたということなのです。ここに成立したゲーム上の関係は、言語的なそれとあわせて長門をキョンにようやく結びつけ、彼の誘いとルール指示によって、その論理的ルール内での能動的な行為者・意思決定者への道が開かれました。オセロは長門とキョンの間でのインターフェイスとして機能したのです。直後に入室したハルヒがSOS団の設立宣言を行ったとき、「ほんのわずかだけ、目が見開かれてい」(A106)たのは、ハルヒをめぐる事態の急変への反応のみならず、長門自身があたかもこのオセロと同様、観察者ではなく当事者として参加させられた瞬間を、長門なりに看取したということです。その設立自体はすでに分かっていたことであっても、主体的にその場に居合わせることは初めての体験でした。しかも、この人間関係という曖昧なゲームには、最適解を論理的に導き出すためのルールはどこにもありません。

 キョンとの対話の次なる機会は、主目的であるハルヒ観察を容易にするための環境維持を意図するものでした。団設立という急展開に促されて、長門はキョンに手渡し済みのシグナルに気付いてもらおうとしますが、栞というその接触手段(インターフェース)が迂遠にすぎました。長門は毎夜公園で待ちぼうけを喰わされながら(A112)、また若い女の子が一人暮らしの部屋に男子同級生を誘うということの意味も知らないまま、迎え入れたキョンに情報統合思念体と自分の役目についての説明を始めます。このときの部屋はカーテンもカーペットもない(A114)殺風景さですが、現時点での彼女の感受性は、ただ「ファンシーな栞」(A110)のみに集約されていたと言えます。そして、思い出したように「飲んで」とお茶を注ぎ、キョンが飲むのを「動物園でキリンを見るような目で観察」し「おいしい?」と三杯目までたたみかけるのは、3年前には不可能だった彼女なりのおもてなしという対人コミュニケーション方法の学習成果でした(A115-6)。この不器用なおもてなしを受けながら、キョンは長門の微細な感情表現を読み取ります。つまり、二重の努力に苦慮する「困ったような躊躇してるような」「わずかな感情の起伏」(A118)であり、キョンに「なんとなく普通じゃないのは解るけどさ」と言われたときの「膝の上で揃えた指先」に視線を落とすという否定的自己像をめぐるかすかな痛みであり(A119)、意思疎通の失敗に対する「ちょっとばかし寂しげに見えた」後ろ姿です(A125)。そして、それらの機微をキョンは確かに鋭く見てとっていた一方で、説明の中身を受け入れようとはしなかったため、長門自身にはコミュニケーションに失敗した事実だけが強く残りました。対人インターフェースとしての長門は、このキョンとの最初のすれ違いによって、否定的自己評価をいっそう強化されたのです。
 3回目の対話機会であるSOS団第1回ミーティングでは、「長門だけがメニューをためつすがめつしながら不可解なまでの真剣さ−でも無表情−で、なかなか決まらない」(A140)という光景が描かれます。午後には長門は(ハルヒや長門のの能力によってか、はたまた偶然か)キョンと二人だけで散策に出ることになりましたが、道中キョンの問いかけに一切「……」で応じています。何を飲んでもいい、何を話してもいいという自由選択や、そのときの判断基準となる好み・気分・雰囲気というものに、長門はあまりに馴染みがありません。このようなキョンとの対話的関係不全を突破するきっかけとなったのが、図書館訪問でした。キョンが「誘った」この場所で、長門は、「まるで夢遊病者のようなステップでふらふらと本棚へ向かって歩き出」してしまいます(A156)。普段読んでいた本は、大きな書店で購入したものではなかったのでしょうし、朝倉が勝手に買ってきてくれたものだったかもしれません。ところがいまや地球上で培われた情報の膨大な蓄積が部分的なりとも目の前に存在しており、しかもそれらの情報は、彼女に最も欠けているものや、彼女がいま求めてやまないものを、つまり人間精神を理解する糸口を与えてくれるかもしれないものでした。そんな彼女が、手がかりを哲学という思弁的な知の領域に求めたのは(有効性はともかく)納得のいくところです。しかし、そのような合理的行動原理を越えて長門を突き動かしていたのは、オセロのときと同様、むしろ端的に知的興奮だったかもしれません。そこで出くわした未知の思考に興奮し、「床に根を生やしたように動かない」彼女のために「貸し出しカードを作ってその本を借りてや」ったキョンにせき立てられながら、長門はその哲学書を「大切そうに抱え」ています(A158)。キョンはここで長門を図書館に結びつけてくれました。今までキョンの対話努力を妨げてきた長門の読書行為が、こうしてキョンの意思によって、長門を意外な世界へと導いたのであり、ということは本を接点(インターフェース)として、長門とキョンはなんとも迂遠な、しかし二人固有のコミュニケーションを成立させたのです。それは、栞をはさんだ本を貸してくれた長門に対する、キョンからのお礼として長門に理解されたのであり、そしてまた、長門がマンションで一生懸命説明したことをキョンが受け入れてくれたということを、直接の言明(A155)だけでなく相互贈与を通じて間接的にも確信させてくれるものだったのです。キョンが図書館に誘った意図は決してそこまでのものではなかったわけですから、ここに再び両者のすれ違いが生じてはいます。しかしともかくも、こうして長門にとってキョンは二重の意味で「無視出来ないイレギュラー因子」(A119)となっていきます。ハルヒをめぐる問題状況にとっての、そして、長門自身にとっての。

(2)ユニークな体験としての手のぬくもり

 そんな長門自身の中にもいよいよイレギュラー因子が確認されるようになるのが、朝倉涼子の暴走時です。朝倉は「有機生命体の死の概念がよく理解出来ない」ままに、「無邪気そのもの」の態度でキョンを殺害しようとします(A184)。それは、キョンが死ねば「必ず涼宮ハルヒは何らかのアクションを起こす」(A188)という予測に基づく積極的干渉行為でしたが、ここで朝倉は、キョンという人間をモノとして、手段として用いています。自分自身が意思なき道具であることを「現場の独断で」乗り越えようとしながら(A182)、キョンをそのための道具として扱おうとしています。朝倉は、インターフェースとしての自分がハルヒとかかわりを持ちえないがために、キョンと向き合う(インターフェース)のではなくキョン(の死)をインターフェースに用いようとしたのです。そうであればこそ、彼女は「しょせんわたしはバックアップだったかあ」(A195)と自嘲しつつ消滅するほかありませんでした。それは、最期まで道具としての自己規定を超えられなかった朝倉の限界でありますが、しかしまた、長門よりもインターフェースとして優秀であることを手段選ばず証明しようという彼女の、かけがえのない心がそこに確かに認められもするのです(『マップス』のラドウのごとく)。そして、「長門の操り主」(A195)という言葉からやはり朝倉が自らと同じ道具として認識している長門は、たしかにハルヒ観察の道具にほかなりませんし、また長門がここでキョンを救うのも、ハルヒに干渉しないという自分の「操り主」の指示に従う行動であることに相違ありません。しかしながら、長門はそれを越えるものをこの場面でも表出してしまいます。
 例えば、絶命寸前に見える長門にキョンが「長門!」と叫んだとき、容易に再生可能な彼女は「へいき」と答えます(A193)が、それでも戦闘直後は倒れるほどの手傷を負っていました。ここでキョンが手を貸すと、長門は「案外素直にすがりついた」(A197)のです。キョンの手、それは彼が長門に初めて自分から差し出した温かな体、つまり今までキョンと長門との言語コミュニケーションではなしえなかった身体という「このインターフェース」(A197)の触れ合いでした。その感覚と感情の処理がいかに困難だったかについては、「あ」「眼鏡の再構成を忘れた」という彼女の言葉がそれを雄弁に物語っています。この出来事をすでに情報として知っていたとすれば、長門は、これに対するキョンの台詞を待ち望んで、意識的に眼鏡を再構成しなかったのかもしれません。ですが、たとえ半ばそうであったとしても、残りの半ばはやはり、いまこの触れ合いに気を取られて、本当に再構成を失念していたのではないでしょうか。それほどまでに、この一瞬は、彼女にとって何ものにもかえがたい、いまここでの一回性の体験だったのです。そして、それは直後の対話も。

   「……してないほうが可愛いと思うぞ。俺には眼鏡属性ないし」
   「眼鏡属性って何?」
   「何でもない。ただの妄言だ」
   「そう」 (A197)

 このやりとりは今後の両者の関係にとってきわめて重要な意味をもっています。キョンは長門に命を救われながら、その最大の源である彼女の情報操作能力を褒めずに、「可愛い」という別尺度の評価を伝えているのです。そして、眼鏡を再構成し忘れたという失敗を責めず、逆に結果オーライで肯定しているのです。ここで長門は、道具としての評価基準とは異なる尺度をキョンから与えられたのであり、それに加えて情報操作能力の過失が一意的には否定的評価をもたらさないという事実をも突きつけられました。合理的判断の基準はますます揺らぎながら、「可愛い」と言われる自分を発見して、長門はその自己像に直接反応できません。ただその基準を理解しようとして、「眼鏡属性」の定義について尋ねるだけでした。これは「どうでもいい会話」(A198)ではなく、長門が初めて言葉で発した問いかけであり、しかもキョンが与えた自己像(能力評価)を長門が解釈するために必須の情報、つまり自己理解のための問いだったのです。しかもキョンがその「眼鏡属性」発言を「妄言」として撤回したため、長門は、眼鏡を「してないほうが可愛い」という発言のみをそのまま受けとめることとなりました。この言葉に対する彼女の反応は、谷口が突然登場し誤解に基づいてすぐさま退場したときに、心の揺れをほんの一言として漏らします。「面白い人」(A198)。「面白い」というような感情的・感覚的な評価にまつわる単語を長門が他者に対して用いたのは、「おいしい?」についでようやく2度目です。しかも、「おいしい?」はキョンの味覚を尋ねた問いかけ(対話の試み)でしたから、長門自身の感情は「面白い」によって初めて言葉として、しかも普段の彼女にはそぐわない余計な一言として、表現されたのでした。しかもそのときの長門は、なおもキョンの手にもたれ掛かったままでした。その直後、「まかせて」「情報操作は得意」(A199)と語るとき、長門はいま実証したばかりの卓越した能力のみについて自負を垣間見せながらも、キョンの困惑の中身とはまたもすれ違ってしまっているのですが、両者の認識の間にずれをはらみながら接点を持って支え合う状態というこの姿こそが、キョンと長門のこれからの関係を象徴しているのです。

 翌日、長門は眼鏡をかけてきません(A214)。谷口ほか全国の眼鏡スキーを敵に回したキョンでしたが、「長門、昨日はありがとよ」というキョンの初めてのお礼の言葉、つまり彼女の能力を肯定的に認める発言に対して、長門の「無機質な表情」はどんなふうに「ほんの少し動いた」のでしょうか。それは自分の「不手際」に対する自省であるとともに、知っていたのに回避しなかったということへの囚われだったかもしれません。それにしても、能力を賞賛されたときの長門は、ここでも照れているかのように自らを卑下する言葉で返します。「やっぱり眼鏡はないほうがいいぞ」に対する沈黙とは、まったくもって対照的なほどに(A215)。
 夕方、ハルヒに連れられてキョンが朝倉宅訪問に向かった後、「いつもは下校時間まで部室に残っているのが通例」の長門は、「間もなく」学校を出ました(A223)。「缶詰や総菜のパックが入っているコンビニ袋」(A223)を手にしていたのは、朝倉に食事を作ってもらえなくなったからでしょうか。主食だけは後に登場する炊飯器でどっかり炊いているのでしょうか。それはさておき、長門はハルヒもキョンもいない部室を早々に引き上げ、帰宅直前にキョン達と出会い、「眼鏡どうしたの?」とハルヒに問われてただキョンを見つめます(A223)。「眼鏡属性」の意味を知っていればまだしも、長門には眼鏡を外した理由を論理的に説明することはできません。しかも、ハルヒの能力と朝倉消失事件の真相にくわえて、長門はキョンとの二人きりの秘密を、ここで目線で確認してしまってもいるのです。「可愛い」という一言をめぐる大切な秘密を。

 そしてついに、ハルヒが巨大な閉鎖空間を生み出す日がやってきました。このとき長門は、古泉達とともに、世界を回復させるための手だてをキョンに託します。このとき長門は「あなたに賭ける」と送信したのち、ハルヒとキョンについてどう考えているのかをPCモニタというインターフェース上に記します。いわく、「涼宮ハルヒは重要な観察対象」であり「貴重な存在」である一方、キョンについては「わたしという個体もあなたには戻ってきて欲しい感じている」(A278)と。マンションでキョンのことを「涼宮ハルヒにとっての鍵」(A124)と述べたのは、客観的にみて、情報統合思念体の目的にとってのキョンの位置づけでした。それはキョンをその目的のための道具としてひとまず規定するものでした。ところが、ここで長門は、自分自身にとってキョンがどのような固有の存在であるかを告げています。「戻ってきてほしい」という欲求の対象であるということ、それは道具から道具に対する有用性の論理的評価ではなく、一人の「わたし」から、一人の「あなた」に対して差し出された感情のてのひらでした。しかしそれゆえにこそ、「また図書館に」(A278)という切なる一言で現実世界にたぐり寄せるのは、ハルヒとキョンではなくキョンただ一人であり、そのような心の影はまさしく長門の中の「sleeping beauty」だったのです。
 キョン達が帰還したとき、長門はただ客観的に、彼らが「二時間三十分、この世界から消えていた」(A295)ことだけを伝えます。それは、キョンの消えていた間に長門の思考に去来した非論理的な不安を、読者に想像させます。そして、彼女がもはやそのような客観的言辞のみでしか会話できない存在ではないことも、続けて彼女自身が示してくれています。「だいじょうぶ」とキョンを見つめて「あたしがさせない」(A295)と断言したとき、長門は道具としての役割意識を越えた自分の意志というべきものをたしかに表明していました。しかし、その意志とそれをもたらした感情があまりに統御しがたい異質なものであったことも、彼女が
一人称を「わたし」ではなく「あたし」と言い間違えていることに如実に示されてもいたのです。これは、道具=インターフェースとしての長門ではない何ものかとしての彼女が、語った言葉として受け止めることができるでしょう。そしてまた、そもそもこの「あたし」という一人称はハルヒや朝比奈さんが使っているものであることに注意すれば、じつはここに、キョンが明らかに好意を寄せている二人の少女達に対する長門の対抗意識が、こっそり露呈しているのかもしれません。つまり、いまだ人間の少女というものがよくわかっていない長門は、キョンに肯定的に受容されている少女達を具体的なモデル(実例、模倣対象)として捉えつつあるのです。そんな関わり合いの中で、道具としての役割規定を逸脱する可能性と危険性とを獲得しつつある長門は、やがて行われた第2回ミーティングに古泉や朝比奈さんとの打ち合わせ通りに欠席しながらも、いったい何を思っていたことでしょうか。


3.長門有希の退屈 試行錯誤に暮れた夏

 さて、ひとたび自己意識に目覚め、道具的規定から脱却する契機を得たものの、長門が他の何ものかにいきなり変われるわけでもありませんし、本来の任務を捨てたわけでもありません。しかし、その任務遂行のためにはキョンとの関係強化が役立つこともまた事実です。そこでキョンという人間を理解してより接近した関係を築くために、長門が最初に試みたのは、情報統合思念体の代わりにキョンを自分の命令者にしてみるというものでした。対人コミュニケーション全般はまだ不可解だとしても、この命令者と命令遂行者という関係については馴染みがあります。この理解可能な間柄を入口にして、より人間的なコミュニケーション能力を習得しようというのが、長門の意図するところでした。

(1)野球大会

 市内アマチュア野球大会の当初、長門は受動的に参加し、最低限の役割のみを淡々と果たしていました。同じ「ゲーム」でも明らかにオセロのときとは積極度が違いますが、これはスポーツがロジカルに割り切れない身体能力や意志に関わるものだからでしょうか。しかしハルヒの欲求不満爆発の危機にさいして、長門は「呪文」を唱えてバットをホームラン専用に仕立てます。このとき、そのようなチームを勝利に導く手立てを長門に直接依頼したのは古泉でしたが、その古泉に返答する前に「不意に、長門はするりと振り返り」キョンを「無感動な目つきでじっと見つめた」(C52)のち、呪文を発動しています。つまり長門は、キョンが近辺にいる場合には、ハルヒをめぐる問題について彼の指示(否定の身振りがないことも含む)にのみ応じるのです。さてチームは明らかに不審なかたちで逆転し、いたたまれなくなったキョンが再び長門にバット呪文の解消を指示します。そこで長門は「いつもは十秒に一回くらいしかしない瞬きを珍しく連続させ」(C58)ますが、これは彼女がキョンの「もう充分だ」という簡潔な言葉の背景にある論理的・非論理的判断を読み取ろうとしながら、彼に指示されることを通じての二者関係に自らを組み入れていくさまを示しています。実際、作中で描かれるキョンから長門への直接的な行動指示は(キョン自身は自分の言葉が指示・命令だとは考えていませんが)、眼鏡の一件を除けばこれが初めてなのです。しかも、その指示は、キョンがハルヒを欲求の抑制や適度な充足へと導くのと同じように、長門を情報操作能力の発動停止や制限へと導くものでした。ここで長門とキョンの関係は、抑制的指示という観点のみでとらえれば、わがまま抜きのハルヒとキョンの関係と重なりあいます。長門自身のよく知る命令者―遂行者という関係を元にしながら、キョン―ハルヒ関係の行為制約性を模倣対象として、キョンとの関係構築を図っていることが分かります。
 最終回に長門はキャッチャー(つまり女房役)としてリリーフ投手キョンのボールを操作します。さらにパスボール処理にさいしてキョンから「玉を拾って投げろ」と指示されてまずボールを拾い上げ、どこに投げるのか指示を仰ぐためにキョンを見て「セカンド」と指定され、うなずいて瞬時にストライク送球しました(C63-4)。キョンの指示にしたがって行動するという長門の新たな基本原則はこの反復によって確定しました。そして今回バットとボールに仕込んだ操作は、彼女によるSOS団活動のための世界ルール改変、つまり朝倉のような同業者相手ではなくこの日常生活世界の住人に対してなされた「ずる」の第一歩でした。この逸脱は、例えば4番として投手として活躍するキョンを見たいというハルヒの欲求を充足する場合にのみ、しかもキョンの指示による限定的解放という制約下でのみ、許容されるものとなったのです。しかしながら、共通目標のためにバットを操作したのに、なぜキョンは他の者達のように喜ばず、長門の能力を褒めもせず、逆に憮然と停止命令を下すのでしょうか。この命令者に評価される遂行者への道は、また結構なすれ違いに充ちていました。キョンの側もそれを促進するかのように、長門へ向けた言葉が少なすぎます。

(2)七夕

 七夕の日、「さあ、願い事を書きなさい」と短冊を突き出すハルヒの声に、それまで普段通り読書していた長門は、「ぴくりと」顔を上げました(C82)。それはまさに、3年前におけるキョンとの初対面イベントを告げる声でもありました。このとき、長門は自分の短冊に『調和』『変革』と記しています(C90)。自らの本来の目的(インターフェース=「調和させる」)との密かな葛藤をそのまま文字にしたかのように。そして別れ際にキョンに謎文字の躍る短冊を手渡したとき、そこに記されていた「私は、ここにいる」というメッセージは、3年前のハルヒがたまたま考案した記号であったと同時に、長門が3年前の自分自身に宛てた情報コードでもあり、またおそらくは、いまの彼女の存在主張、「宇宙人」の声でもありました(C126)。さて、その3年後から「時間凍結」してきたキョン達を復帰させるに及んで、長門は「感情めいたもの」を微妙に顔に覗かせます(C122)。自分の手中に収められていたキョンをこのまま解放してしまうことへの、何らかのためらいもあったのでしょうか。
 しかし、ここであらためて確認すべきことは、いまの情報をダウンロードした3年前の長門と、ここにいるいまの長門では、保有情報量が同一であるはずにもかかわらず、キョンには「確かに変化を遂げている」と感じられたということです(C123)。「同一の情報が往復できさえすれば充分」(C118)という長門の3年前の言葉は、こうして彼女自身の変化によって裏切られてしまいました。長門のこの3ヶ月は、キョン達との時間を過ごす中で、かつてダウンロードされた記憶をなぞりながらも、やはりそこに収まりきれないエラーを蓄積させていったのです。「ここにいる」私は、いまここにしかいない私でした。
 それにしても、朝比奈さんとキョンに「無敵じゃないか」とまで驚かれた長門は、「今回のは特別。特例。エマージェンシーモード。滅多にない。よほどのことがないと」と、やけに饒舌に否定します(C125)。自分の能力を明瞭に評価されたとき、ここでも彼女の言葉は照れ隠しのように多めになります。ただし、そこには、その「無敵」に思われかねない能力に対する制約をやがて破ってしまわないよう、長門が自らに再確認させ戒めようとする意図もあったかもしれません。長門はその未来を予感して、焦っているのです。

(3)ミステリック・サイン

 期末試験の後、喜緑さんが相談に訪れたのは、そもそもハルヒが描いたSOS団シンボルマークによる情報生命体の覚醒がきっかけでした。しかし、キョンも独白しているように(C179)、長門が今回はその問題解決の筋道を仕組んでいた可能性はあります。キョンの想像にしたがえば、その理由のひとつは、ハルヒの退屈をいくらかでも紛らわせるように、興味をひきそうな軽めの時間をあらかじめ用意しておくというものです。野球大会以降に4人に共有されたこの間接誘導方針に基づいて、長門が事前対応したのだとすれば、ここでの彼女は以前に比べてあまりにも自主的で積極的に思えます。一方これと異なる理由は、やはりキョンの憶測ですが、長門が「一人でいるのは寂しい」(C180)ために、あえてキョン達を問題解決に参加させたというものです。ここでは、喜緑さんもまたインターフェースであることなどは、さしあたり問題になりません。いま重要なことは、この事件を通じて長門が何を獲得しようとしたのかです。
 ひとつには、「とっくに異空間化」して「何種類もの様々な要素や力場がせめぎ合い打ちあって、かえって普通になってしまっているくらい」(C174-5)の部室を正常化するなどして、普段は「誰にも言うことなく陰でひっそりと、何かおかしなモノを未然に防いだりしている」(C179)かもしれない長門が、その努力や能力をキョンにより深く理解してほしかったのかもしれません。それは彼女の存在肯定につながりますし、また、やがて訪れる暴走時にキョンが対応すべきとき、適切な処置の発見に必要な情報を、あらかじめ彼に与えておこうということでもあります。
 あるいは、ハルヒがいない状態でキョンと行動したかったという可能性もあります。長門自身にも理解不可能なエラーの蓄積を、これによって解消しようというのです。この対症療法の結果、コンピュータ研の部長を救出するさいにハルヒはすでに帰宅途上にあり、残る4名で団長に内緒で事件解決を図れたわけです。しかもそのうえキョン達は、北高生徒以外の被害者達を何とかするために、新幹線で出かける必要に迫られました(C177)。もちろんその旅は、事件の真実も原因もハルヒには知られてはならない以上、ハルヒ抜きでやらねばなりません。こうして長門は、ハルヒ抜きの拡大版ミーティングを実現することができました。その旅行にキョンが参加することは、長門の作為によってではなくキョンの意思によって決定したわけではありますが。
 このような展開は、ある意味で『憂鬱』や『溜息』におけるハルヒの暴走を、つまり望む物語を自らの手で実現しようとするハルヒの行為を引き写すものでした。しかし、それはこの段階ではまだ、ハルヒ起源の問題状況に対応するという基本方針を、踏み外すものではなかったのです。そして、この基本方針を守りつつも、長門の行動をキョンが指示するという関係も「言いつけを愚直に守」る水準で維持されます(C164)。長門が情報統合思念体の支配をある程度脱却して「自立」するときをいつか迎えるのだとすれば、ここでは、その段階に先だって、情報統合思念体以外の命令者・評価者を獲得する段階を見て取ることができます。、しかしその新たな評価者たるキョンは、長門を一個の独立した人格として認めてくれているのでしょうか。それとも、彼女の能力のみを有効なものとして、しかし使いづらい道具として評価しているにすぎないのでしょうか。

(4)夏合宿

 夏休みを迎えていきなり、SOS団は初めての合宿を行います。そこでの「殺人事件」のカラクリを、長門はおそらく最初から見抜いていながら、べつだん積極的な行動をとってはいません。例外は、島に入る直前に不安な表情で見つめていたキョンにとりあえず応えるかのように、よろける朝比奈さんを静かに支えていたり(C220)、非常に場違いなうえ分かりにくいジョークを試してみたり(C281-2)、といったあたりでしょうか。とくに後者については、それが本当にジョークだったのかどうかも怪しいのですが、たしかに長門が皆の緊張をほぐそうとして(茶番劇にふさわしく)意図的に行った可能性もないわけではありません。とすると、そのような意識が生じるところまで、彼女の対人関係能力は発達してきたわけです。しかも、場をわきまえない冗談というのは、日頃のハルヒが得意としていたものでもありました(でも人命がかかっている場面では意図的に抑制するということを、長門は今回初めて知りました)。しかしまた一方で、キョンがハルヒの命令を「上書き」することでようやく扉を開いたというのは、キョンにもそのジョークの意図をすぐ察知してもらえなかったという無念があったかどうかはともかく、何よりも長門にとっての命令者としての優先順位が明確にキョンにおかれていることを、あらためて確認させてくれます。そもそも最初の命令にしても、長門はキョンとハルヒを「じっと見つめ」、キョン「にしか解らないような角度でうなずいた」(C269)のですから、これはハルヒの命令ながらキョンの同意こそが重要視されていたわけです。
 もう一つ見逃せないのは、長門が制服ではなく私服を着て合宿参加したことです(C208)。水着はともかく、ノースリーブと日傘の方はハルヒが選んだと明言されていません。もしこれを本人自ら選んだのだとすれば、大変な前進でした。とはいえ、キョンが直接はっきりと褒めてくれたかどうかもまた、判然としないのですが。

(5)エンドレス・エイト

 夏休みが終わる頃、ハルヒの無意識発動によって夏休みは終わらなくなります。長門は、一見すると合宿時のかすかな積極性を失ったかのように、「わたしの役割は観測だから」(E61)と事態を冷静に眺めつつ、キョン達とともに15498回(約594年分)の2週間を繰り返します。その悠久の年月の間、キョンの自転車の荷台に乗ったり(E14)ハルヒと水泳勝負したり(E17)と色々ありましたが、そこでキョンは「長門が退屈そうにしているような感覚」(E22)や表情への違和感(E29)を覚えます。また、彼のひらめきによってどうにか9月1日を迎えたとき、長門は部室に不在でした。「あいつもやっぱり疲れていたのかもしれない」(E83)とキョンは想像していますが、この「エンドレスエイト」時の長門は、おそらく3つの問題に直面していました。ひとつは、既知の経験を何度も繰り返すことに対して飽和しながらも、そのつどキョン達から与えられる小さな刺激の積み重ねが、決して同一事実の上書きではなかったということです。15498回分の経験は、それぞれがわずかずつでも必ず何かを彼女のうちに残し、彼女をキョンにいっそう近づけていきました。もうひとつは、それにもかかわらずキョンが全てを忘却し、自分だけがその記憶を保持しているということへの違和感です。彼女が盆踊りの夜に「光の国出身の銀色宇宙人」のお面(E36)を自腹で買ったのも、最初のループのうちはキョンの好意に甘えていたのかもしれません。しかし、そのお面はたとえ買ってもらっても、それを買ってくれたキョン本人の記憶とともに、繰り返し消えていくのです。キョンが長門の部屋を訪れたり、あの図書館を再訪しようと誘ってくれることさえも一度は叶っていたいたとすれば、その記憶を共有してもらえないことの痛みはいかばかりでしょうか。しかしまた逆に、繰り返される時間の中で、キョンからの誘いが一度たりともなかったとすれば、これこそ残酷な話でもあります。それでもキョンに声をかけられたとき、その万に一つの可能性に対する長門の緊張と自戒(「ほぼ凝固顔が、ことさらに固まっている」)、そして抑えきれない期待(「変に緩んでいる」)が、彼女の表情に浮かんでしまうとは(E29)。
 こうして考えると、長門が「観測」に徹したことと、合宿での態度とは、決して整合性のとれないものでもなくなります。まず長門は、ハルヒの能力発動に対してはキョンの命令がないかぎり常に観測者であり続けます。次に、ループ回数の若い頃は、長門ももう少し能動的だった可能性があります。ジョークのセンスも微妙に磨いてきたかもしれませんし、合宿同様に私服を着てきたかもしれません。しかし、それが成功しようと失敗しようとキョンはすべて忘却してしまい、ただ一人記憶をとどめる長門には、もし感じられるとすれば虚無感のみが残されます。そして、キョン達がループに気づいてあがきながら挫折するというその逃れられなさは、長門がやがて直面するはずの不可避の運命を彷彿とさせるのです。しかしまた、8月の終わりを反復することは、たとえ一時しのぎにせよ、長門の終わりの日に近づかずにすむということでもありました。やがて何百何千ものループを重ねるうちに、自らの運命をつきつけられる長門から積極性が消えていったのだとして、誰がそのことを責められるでしょうか。ただしそれは、運命の袋小路を突破できないという4人の結末を反復することによって、長門自身の運命の袋小路をたえず予感させられながら先送りするという、痛ましい構造を伴っていたのです。「どうして今まで黙っていたんだ?」とキョンに訊かれた長門が答えるまでに必要とした「数秒間の沈黙」(E61)には、このような彼女の境遇が隠されていました。そして、キョンにいま伝えてはならないことや未だ表現不可能なことを全て排除していった結果、彼女に唯一残された言葉が「わたしの役割は観測だから」という突き放した答えだったのです。
 そんな長門の煩悶も知らず、キョンはこの言葉を真に受けて、彼女がマンションでの説明機会を除いて「積極的に俺たちの行動に関わってきたことは今のところない」(E61)「いつしか必要なポジションにいて、俺たちと行動を共にしているだけ」(E62)と納得してしまいます。もちろんこれに続いて「それ以前に、俺にとっての長門有希は、本好きで無口で色々頼りになる小柄な同級生の少女で仲間だ」(E62)とも独白しており、キョンがすでに道具としての長門ではなくユニークな存在としての長門と向き合いつつあることも分かります。ですが、長門の真の問題を知るよしもないキョンは、誰よりも彼女の内面に寄り添っているつもりでいながら、肝心な点で今回もすれ違っているのです。お面の下の素顔をちゃんと見ているつもりなのに、長門自身は一度たりともキョンに向き合って(インターフェース)もらえないまま、観察者という本来の自己像を偽りの仮面として用いていました。天体観測の夜に「棒立ちで天空へ顔を向けている」(E70)その姿は、キョンに向き合うことをいまは避けながら、観測者として定められた自分の内なる意思の揺らぎを、まるで上なる天球の輝きのなかに見出そうとしているかのようでした。あるいはまた、15498回とも変わらぬ星々の運行が、この星空のもとにいれば自らの破局の日が到来せずにすむということの証だったのかもしれません。しかし、そこで期待と失望を繰り返し、キョンがつねにハルヒのそばにいるという痛烈な現実を反復することは長門にエラーを蓄積させ、ついにループからの突破を果たすことでかえって破局への加速を得てしまったのでした。それはあたかも、振り回して放たれるハンマーのように。


4.長門有希の溜息 〜すれ違うばかりの秋

 さて、長門がおとなしいと言われる『溜息』と、逆にきわめて活発な「射手座の日」の間には、同じ11月の出来事であるにもかかわらず大きな差があるように思えます。しかし上述のような夏からの連続性でとらえるならば、そこには表向きの消極性に至る長門の揺れと、「射手座の日」に直結する変化の兆しが読みとれることになります。

(1)学園祭準備

 2学期開始後、長門はエラー蓄積による暴走を食い止めるため、いわば冷却期間にあったと言えます。その間、彼女の表面上の言動は、夏合宿での微妙な積極性さえ影を潜め、春先のようなおとなしさへと戻っていたことになるでしょう。しかし、2カ月ほどが過ぎた文化祭準備期早々に、長門は占い師の黒装束姿で部室に現れるという意外な行動をみせました。これが朝比奈さんへの「対抗意識」(B68)などによる主体性の表れだったのか、それとも校内を闊歩していた謎の「異世界人」(B271)集団との闘いの隠蔽という任務遂行上の手立てだったのか。キョンによるこれら2つの解釈は、しかし決して両立しないものではありません。
 前者については、魔法使いの格好はたしかに団長の見立てでないコスプレとも言えます。ハルヒにクラス企画内容を訊かれて「雨の気配を感じ取ったプレーリードッグのように」(B31)すぐさま顔を上げて答えたという反応には、長門の何気ない前向きな姿勢を再び読みとることもできます。ふだん彼女は本から顔も上げずに返事することが多いですし、キョンに叱られそうなときには「じわじわという動きで」(B39)キョンを見上げているのです。占いというのは(情報結合の許可さえあれば)長門にとって最も容易なことであり、それまで「何を話しかけても無視」(B58)する相手だった同級生がこの企画を立てたとき、「隠れファンの多い」(B58)彼女は占い師役を持ちかけられるままに受け入れたのでしょう(クラスの衝撃いかばかりか)。外見と能力とにおいて、再び彼女が肯定的に評価される機会をわずかながらも求めていたとすれば、これはやはり夏休み末におけるエラー蓄積とそのほどほどの抑制の反映と言えるでしょうか。時間の無限反復から脱出したのち、長門はあらためて一歩を踏み出しました。その場合、長門が「いつもより白い顔」(B67)に見えたのは、黒ずくめの格好だけのせいでなく、さらに本人が緊張していたためかもしれません。
 後者については、作品中に明確な描写はないものの、キョンの想像通り何かの対策を長門が講じていた可能性はあります。しかし、いま記したように彼女が他者からの肯定的評価を望みだしているのだとすれば、「異世界人」の侵入をキョン達に伝えないまま処理することがあり得るでしょうか。もちろん、長門は今なお「観測対象に変化が発生したのは歓迎すべきこと」(B231)という情報統合思念体穏健派の基本的姿勢を維持していますし、彼女の戦いが「血みどろの殲滅戦」(B255)というほどの過酷さであればなおさら、今までどおりキョンにも伝えずにいたということは考えられます(B271-2)。ですが、ここであえて次のように考えてみることができないでしょうか。この謎のコスプレ集団こそは、長門がこの時点で早くも自分の力を充分に制御できなかった証なのだ、と。つまり、古泉が語るように「様々な要素や力場がせめぎ合い打ち消しあって」「とっくに異空間化」している(C174-5)部室は、長門をはじめとする団員3人の力でなんとか平穏を保たれてきています。しかし、この映画製作の時点では、そのような諸力の調整を主に司る長門が、自らの欲求や期待による偏向を統御しかねたために、本来ならば何事もなく日常世界に放散されるべき諸力のゆらぎが、あのような謎の集団として実体化してしまったのです。この解釈からすれば、エラー蓄積による謎の集団の発生と増加は、やがて訪れる長門の暴走の知られざる端緒でした。
 そんな密かな危機を忍ばせながら、長門は映画製作に半ば受動的に、半ば積極的に引きずり込まれます。黒装束姿になったのもやる気の表れならば、躊躇する朝比奈さんに射撃を促しつつ「アンテナをくるりと回し」(B108)てみるのも、手に持つ小道具に細工を施す以上の何かを感じさせます。撮影作業中の長門は、今までと同様、ある限度を越える行動についてはキョンに判断を仰ぎ(B111)、キョンの安全を最大限に守ります。しかし、キョンは彼女の努力をその都度きちんと言葉で評価してくれません。みくるビームの危機にさいしては、長門はキョンの命をまたもや救ったわけですが、当初キョンは朝比奈さんを心配するばかりで、長門にはむしろ詰問するようなまなざしを注いでいました。この誤解を解くべく応えようとしても、「話す内容にふさわしい言語がないとでも言うような顔で無言のままに唇を閉ざ」(B133-4)すほかありません。ようやく説明の機会を与えられて、「無感動に長門はちょんとトンガリ帽子の鍔を左手で押さえ」て「顔の大部分を影の中に仕舞い込みながら、ゆるりと右手を出してくる」(B138)とき、彼女の表情には、「シールドしそこねた」ことへの悔しさだけでなく、キョンを危機にさらしたハルヒと朝比奈さん、そして自分自身への憤りが淡く浮かんでいたかもしれません。しかしこのとき、長門はなぜ手のひらの傷跡をすぐ修正せずに残しておいたのでしょうか。自分の修復より周囲の安全確保を優先するという(朝倉襲撃時と同じ)行動原則に従っただけなのか、それともその傷跡をキョンに心配してほしかったのか。いずれにせよ、「にしても俺は長門に命を救われてばかりだな。立つ瀬がない」(B142)と感じたキョンが、長門への感謝の念をちゃんと伝えたかどうかは、作品中の描写からは分かりません。シールドしそこねのような失敗は後にも繰り返され(「うかつ」B173)るほか、「長門の淹れたお茶は味気ない」(B170)という独白にあるような日常生活でのキョンによる評価など、長門は今回もまた能力統御と能力評価をめぐる問題やキョンとのコミュニケーション困難などに直面させられてしまいました。そうしてみれば、朝比奈さんをめぐるキョンとハルヒのいざこざにも「何の感想もない」ような態度で「門を出てすぐテクテク立ち去った」(B199)のは、キョンの見立てたようにたんに「いつだって無感想」なためというより、むしろこのような複雑な機微のからんだ問題へ主体的に関われないためだったことになります。

 こうして、当初の微妙に積極的な態度は、映画製作の進捗に従って、しだいに「今回やけにおとなしかった」(B271)とキョンが顧みる程度にまで消極的なものになってしまいました。ただしそれは、あくまでもキョンに認識される範囲の行動においてであり、また表舞台でも長門は意外な場所で自分の内面を出しています。それは例えば、ハルヒ解釈をめぐるキョンとの対話にはっきりと示されています。「わたしがどんな真実を告げようと、あなたは確証を得ることができない」と言われたキョンがその意味を問うたとき、長門は「私の言葉が真実であるという保証も、どこにもないから」「あなたにとっては」(B251)と答えて立ち去ります。この言葉は、3つの視点から理解できます。第1に、いま交わされているハルヒ解釈問題についての直接的な回答(はぐらかし)として。第2に、長門(と彼女を創造した情報統合思念体)にとっての真実を告げても、キョンにとって重要なのが事実の正確な認識そのものではなく納得できるかどうかという主観的「確証」であるためそれを満たせるとは限らないという、長門のキョン理解を物語るものとして。これは今回の一件でもレーザーの説明時に確認できたこと(B141)であり、キョンとのすれ違いを通じて得られた長門の対人コミュニケーションについての理解のほどを示すものでもありました。そして第3に、今までずっと長門が抱えてきた重大な問題についての、すなわちやがて自分が生起してしまう時空改変事件についての間接的な言及として。彼女が一番理解しているとおり、ここでキョンにそんな未来についての「真実を告げ」て警告したところで、後の長門自身がその記憶をキョンから消し去ってしまったでしょう。しかしそれでも長門は、真実を伝えることのできないもどかしさと、自分のエラー蓄積に起因する未来を回避できない焦燥感をここで抱いています。そしてまた、その内向きのためらいは、たとえキョンにとって自分の言葉が真実である保証がないとしても、だからこそキョンに自分の言葉を真実として選び取ってほしい、という密かな懇願を込めて、このような言葉として伝えられました。その直前で長門が「迷うような表情」(B251)を見せたのは、まさにこのような自分の欲求を言葉にしてしまうことへのためらいを指し示しています。キョンも長門の微細な表情に対する理解を深めていってはいるのですが、このような含意を読みとるほどの感受性は未だ持ち合わせていませんでした。ハルヒの世界改変をめぐる意見交換では、長門は今回も言葉のうえでは観測者の態度を貫いているのですから(B230-1)、キョンが夏休みの終わりと同様、彼女にやや突き放した感情を抱いてもやむを得ないことです。
 もう一つ、彼女の内面が読みとれるのは、映画「朝比奈ミクルの冒険 Episode00」での「三割くらい」アドリブの台詞です。「あなたは彼女を選ぶべきではない。あなたの力はわたしとともにあって初めて有効性を持つことになるのである」(F74)という台詞は、映画中では古泉イツキをめぐるヒロイン朝比奈ミクルとの闘争に基づくものですが、現実世界においては、ハルヒをめぐる未来人(の一派閥)と情報統合思念体(の穏健派)との静かな世界観対立を想起させます。ところが、続く台詞での「あなたの選択肢は二つある。わたしとともに宇宙をあるべき姿へと進行させるか、彼女に味方して未来の可能性を摘み取ることである」(F75)という言葉には、長門の主である穏健派にはやや相応しくないニュアンスが見いだせます。観察を目的とするにもかかわらず、「あるべき」姿、という何らかの実現すべき方向性がそこに示されているのです。もちろんこれは、情報統合思念体が求める自らの「自律進化」を意味するものと考えられますが、しかしそれは未来人の目的と両立できることかもしれないのですから、必ずしも二者択一を要求するわけではありません。ところが、ここでそのどちらかを選ばれるというのは、長門という一個のインターフェースが、ハルヒの脚本に従いながら、その脚本というハルヒによる団内・映画内規定からも、また創造主による道具的規定からも、逸脱するところの自らの意志を吐露してしまっていることになります。もしもそう解釈できるとすれば、次の長門の台詞はきわめて予言的なものとなるでしょう。

   「あいにくだが、わたしは彼の自由意志を尊重する気などない。彼の力はわたしに必要なものである。
    ゆえにいただく。そのためには地球の征服も厭わないのだ」 (F85)

 この「地球の征服」とは、あくまでも本映画作品中で「悪い宇宙人」長門ユキの台詞として語られたものにすぎません。しかし、ハルヒが映画製作を通じて作品内の虚構設定を無意識のうちに現実世界に持ち込んでしまったのと対照的に、長門は、作品内の虚構の台詞を通じて現実世界における自分自身の意志を意識化させていくのです。ハルヒの場合、『憂鬱』で現実世界を再構築しようとしたのに比べて、今回「映画という媒介を利用して、一つの世界を再構築」(B176)しようとしたのは、その迷惑さはともかくとして、一つの成長であり現実への折り合いの付け方でした。一方、長門の場合は、世界の支配や独自構築など意識に昇っていなかった段階から、この映画製作を媒介に、その可能性を意識する段階へと進んでしまいました。それでもこの時点での長門の欲求は、ハルヒと同じように、映画という虚構の世界の中でなんとか部分的に解消することができたのです。それは、映画の編集作業によってです。文化祭の朝に完成していた映画は、ハルヒがキョンと二人きりの部室(あの夢のなか以来久々、しかも現実のもの)で寝入ってしまった夜、満ちたりた夢のなかで共同作業しながら無意識に作り上げたものかもしれませんが、しかしキョンは長門を「本命」(B268)としています。本当に長門のおかげだとすれば、彼女の力のゆらぎに由来する謎のコスプレ集団は、彼女がこっそり対処したために消滅したのではなく、映画の中で自分自身の意志を再確認したことによって、そしてディスプレイの前で眠りにつくキョンとの共同作業(のつもり)によって、ようやく彼女が力の十全な制御を回復したために消滅したことになるでしょう。とはいえ、そんな作業の最中にも、長門はハルヒとキョンが宿泊している部室の雰囲気をも察知していたはずであり、彼女の心のうちにあらためて波紋が広がったことも容易に想像できます。起き抜けのキョンの「顔半分にキーボードの跡がついていた」(B266)のは、まるで長門につねられたかのようにも思えます。そんな動揺と溜息を胸に秘めながら、長門もやがてハルヒのごとく、自分だけの脚本と舞台と登場人物設定に基づいて、団員達を舞台に昇らせることになるでしょう。『溜息』の物語は、ハルヒの暴走ばかりが目立つ描写の陰に、このような長門の内的危機への着実な歩みを、そしてフィクションに介在された世界再構築への重大な契機を、描き出していたのでした。

(2)コンピ研との勝負

 そして「射手座の日」、長門はいよいよ決定的な一歩を踏み出します。
 コンピ研が持ち込んだPCゲームに対して、長門は「意表をつくような積極性」(E145)で応えました。キョンは、ハルヒの横暴をこのへんで適度に挫いておこうという教育的配慮のもとで、コンピ研と公正な勝負を行うために、長門に「超常能力封印」を指示します(E128,137)。しかし、この指示は、勝敗の行方に関してはむしろ逆効果でした。初夏の野球大会と異なり身体能力ではなく知的能力を基盤とし、さらにゲームルールに加えてキョンの指示による制限というメタルールまでも与えられたとき、その二重の制限の枠内で勝利の可能性を最大限に追求せんとして、長門のやる気は異様なまでに高まったのです。この姿勢は、基本的には、春先のオセロのときに示した論理的ゲームへの関心の延長上にあります。コンピ研のインチキに気づいて「恐いオーラ」(E159)を放つ背後には、ルールをこっそり破ろうとする不公正さへの憤りや、自分の命令遵守を疑うキョンへの異議申し立てにくわえて、このゲームの論理性を純粋に楽しめないことへの不快感もあったことでしょう。それゆえ、長門が選んだ対抗措置は、コンピ研が仕組んだインチキをプログラムレベルでのゲームと捉えてこれにカウンターを食らわせるという、一種のメタゲーム化による公平性の回復というべきものでした。そして、その場合にも長門は、「課せられたルールを遵守し」「地球の現代技術レベルに則ってプログラムに修正を施したい」(E158,161)と、あくまでもキョンの定めたメタルールに従おうとするのです。
 しかし、SOS団活動の半年を経たこの時点では、長門をつき動かす要因はそれのみに留まりませんでした。コンピ研との賭け対象をハルヒが勝手に決めようとしたとき、キョンは「いつまでも長門や朝比奈さんを備品扱いしてるんじゃねえぞ」(E118)と叱りつけています。このような状況で、キョンが朝比奈さんのみならず長門のことも心配だと明言したのは、おそらく初めてのことです。「解析する」(E126)といいながらノートPCを持ち帰り、独自のマクロを組み上げ」(E144)、練習でもその腕前で唯一の勝利をもぎとる(E137)のも、キョンのこの言葉が影響していたというのは考えすぎでしょうか。それはともかくも、『消失』へ向う長門の今後を最終的に決定づけたとさえ言えるのは、このゲームの決着に至るまでのわずかなやりとりでした。
 長門は対抗措置を実行するため、キョンに許可を求めます。それは、目の前の宇宙艦隊戦ゲームからプログラムゲームへと競技の場を拡大するために必要な手続きでした。その長門の「見たことのない感情の揺らぎ」(E161)を前に、キョンは「紛れもない決意の色」や「やる気」(E162)、すなわち長門の意志をはっきり読み取っています。この意志を、キョンは「人間になりたいという欲求が芽生えつつあるのかもしれない」(E162)と解釈し、これを好意的に受け入れることで、ゴーサインを出しました。

   「よし、長門。やっちまえ」
    俺は励ますような笑みを浮かべて太鼓判を押した。
   「この世の人間にできる範囲内で、何でも好きなようにやれ。コンピ研に一泡吹かせてやるんだな。
    二度と俺たちにクレームをつけることのないように、ハルヒが望むとおりの結末を見せてやるがいいさ」
    長門は長い間、俺の主観では途方もなく長く感じられた時間の間、俺を見つめていた。
   「そう」
    発したリアクションははなはだ短く、それから長門は実行キーをパチンと押して、たったそれだけで形勢はいきなり逆転した。(E163)

 この短編の中では読者がカタルシスを得られる場面ですが、ところがここには、ハルヒと対照することで明らかとなる2つの要点が隠されていました。
 1つは、キョン―ハルヒ関係とキョン―長門関係の共通点です。今回のゲームについてキョンが敗北時におけるハルヒの自己抑制を信じ、ハルヒがキョンによる勝利を信じていたように、キョンは長門の能力とその有効性を信じ、長門はキョンの指示の正しさを信じています。SOS団内における「見えざる信頼関係」(E129)とは、キョンとハルヒの間にだけではなく、キョンと長門の間にもまた確立されていました。ハルヒは意識せざる超越的能力と意識下の傍若無人さを兼ね備え、長門はこれまた圧倒的な情報操作能力と生来の非コミュっぷりを兼ね備え、両者ともキョンが最終的に自分の意を汲んで適切な判断を下してくれることを心のどこかで認めています。この、巨大な能力の所有者とそれを抑制するキョンという唯一の異性という関係は、ハルヒと長門で共通しています。そして、今までもキョンの指示をそれとなく仰いでいた長門が、今回ついに「わたしの情報捜査能力に枷をはめたのはあなた」(E162)と名指ししたのは、ハルヒの行動に枷をはめることのできるキョンを、自分の方にも振り向かせようとする宣言にもなっていたのでした。さらに言えば、これは、観測者であるべき彼女が、本来の命令者である情報統合思念体とは別の命令者を、ゲームという限定的局面ながら唯一のものとして自ら獲得するという、この半年の重大な帰結でもありました。
 もう1つは、キョン―ハルヒ関係とキョン―長門関係の相違点です。やはりハルヒは人間であり、自由意志の持ち主であり、その傍若無人さを差し引いても、独立した人格として行動できます。これに対して、長門はどうしても上位命令者を必要とするインターフェースであり、自由意思を認められていないはずの存在です。もちろんキョンは、そんな長門に人間らしさの発露を見出し、支援しようとさえします。しかし、そのキョン自身が長門に「やっちまえ」と許可したとき、それは長門の思うままにしていいということだけでなく、「ハルヒが望むとおりの結末を見せてやるがいいさ」という一言を伴っていました。もちろんキョンは、今回の約束がそもそもハルヒの勝利予想をあえて外すことにあったことを意識して、素直にそう言ったのでしょう。ですが、これは長門からすれば、キョンが長門に対してハルヒの希望をかなえることを指示した、ということでもあるのです。ここでの長門にとって、ハルヒの思惑や能力制約の理由などはすでに問題ではなく、ただこのゲームに勝利することと、そのためにキョンという命令者を獲得することが求められていました。ところが、キョンの返答は、望んでいた許可とともに、キョンがそんな長門を前にしてもハルヒのことを第一に心配しているという、望んでいない内容を含んでいました。キョンの判断はハルヒの意志を基準にしており、長門はハルヒと同じような関係をキョンとの間に構築できたはずなのに、ハルヒのようには配慮されないのです。
 それゆえ、長門は「途方もなく長く感じられた時間の間」キョンを見つめたのでした。ゲームに対する、そしてキョンに対する彼女の意志を、キョンによる受容によって二重に実現することができたはずなのに、それは同時に、キョンによる根本的な拒絶、無理解を意味してもいました。いまこの瞬間、キョンは自分を見つめる長門と顔同士でもしっかりと向き合い(インターフェース)、内面的にも彼女の意を彼なりの誠実さで汲んでいるつもりです。ところが、長門にしてみれば、キョンと対面している自分の内面では、その最も重要な部分において、キョンが向き合ってくれていないのです。キョンにとって会心のコミュニケーションは、長門にとってのディスコミュニケーションでした。もしもキョンが長門への心遣いを、ただ内心で独りごちるだけでなく言葉に出して、たとえハルヒへの言及の後でもきちんと伝えていれば、長門ももう少し考えようがあったかもしれません。しかし、キョンが違和感を覚えるくらいずいぶん「長い間」待ってみたのに、キョンからそのような一言は発せられませんでした。「そう」といういつもどおりのそっけない返事には、どれだけのエラーが絡みついていたことでしょう(E163)。
 ゲーム終了後、叩きのめされたコンピ研を長門が「冗談の通用しそうにない目で見つめている」(E171)のは、インチキへの非難であり、また彼女自身の不本意さの表れでもあります。このときヤケになったコンピ研部長が長門を勧誘し始めたとき、ハルヒは長門を自分の所有物であるとして拒絶し、キョンは団長を抑えながらまたもや長門の意を汲むという態度で「お前の好きにしろ」(E175)と彼女の意思にゆだねます。これは、キョンが独白するとおり、たしかにゲームやPCいじりに楽しそうだった長門を尊重してのことでしょう。実際、長門自身も原始的なれどそれゆえに珍しい制約のある論理的世界を楽しみたいというオセロ以来のきわめて個人的な欲求があるものと思われます。しかし、ここにもまた、幾つかの問題が隠れていました。
 まず、「判断の是非を俺にゆだねる意思の現れ」(E172)とは、いまだ自らの意思をそのまま実行しえない長門が、このたび確立した命令者としてのキョンとの関係を再確認しようとするものです。親に許可を求める幼児のような振る舞い、と言ってもいいでしょう。ところが、親に「好きにしなさい」と言われてそのとおりにできる幼児が少ないように、長門もまた、どこまで好きにしていいのかをまだ明確には判断できません。与えられた自由の使い方に習熟していないのです。もっとも、この自由が、コンピ研に行く・行かないだの、プログラムをどういじくるかだの、その範囲に納まっているうちは、喫茶店で何を飲むかと同じようにたいした問題とはなりませんし、やがて対応可能になるはずです。
 次に、ハルヒでさえ(いつもの我儘ゆえにですが)長門を離すまいとしたのに、キョンは結果的にそのような態度を示さなかったことになりました。コンピ研の勧誘相手が朝比奈さんだったらキョンもはっきりと拒否したでしょうし、ハルヒだったら表向き放置しながらじつは心配するという彼特有の嫌がり方をするはずです。しかし、長門に対しては、キョンが彼女のことを心底思いやればこそ、かえって彼に関わる問題ではないかのような反応となってしまいました。許可の場面での一言といい、長門にしてみればキョンの言動はやはり彼女よりもハルヒを優先する態度で一貫していたのです。
 こうして再び、長門は「……そう」(E176)と答えるのですが、その前にまたもやしばらくの間がありました。キョンはそのさいの長門の表情を「それでいいのかと訊いているようでもあり、どうすればいいのかと尋ねているようでもあった」と解釈していますが、その「揺らめく影みたいなもの」とは、たんに自らの欲求にのみ基づいて行動することへのためらいや、「気の向いたときでいい」という言葉の解釈に苦労した(その成果が「たまになら」)というだけでなく、自分に対するそっけない印象を何とか払拭してくれるような一言がキョンの口から続かないものかという、長門の(こう言ってよければ)乙女心の淡い発露でもあったのです(E176)。
 以上みてきたように、長門とキョンのすれ違いは、キョンが長門の語られざる内面を掬い取っていると確信すればするほど、それが一面において正確であるだけに、キョンが決して悟らない核の部分で決定的な齟齬をきたしていきます。「他者と接触することで学校生活にわずかでも溶け込む」(E175)ことはたしかに必要でしょう、しかし後の暴走時には長門はコンピ研を無視しています。「長門にだって興味を惹かれるものが少なからずある」(E175)のも間違いありません、ですが興味(interest)の対象とは重要事(interest)であり、彼女にとってそれはいまや何にもまして誰かさんです。「たまには気晴らしが必要だ」(E175)というのもごもっとも、しかし長門自身にとっての気晴らし(recreate)とは、いったい何を再創造(recreate)することなのでしょうか。『憂鬱』においてハルヒは最終的に自己を、そして自分が認識する世界像を、キョンとの絆の中で再創造していました。それは、世界そのものを改変してしまおうとする暴力的な衝動を、その原因であるキョンによる受容とその衝撃によって抑制するに至った結果でした。長門の場合は、ハルヒのこの自己抑制過程と真逆に、当初の非人格的・道具的抑制状態から自由意志をもつ人格的存在への経路を辿りつつあります。この自由が日々の選択にとどまらず、彼女の願望を充足させるためにその能力を無制約に発揮するというかたちで具体化してしまうには、背中をほんの一押しされるだけでよかったのです。その一歩を与えたのは、「プレイの最中にゲームの中身を書き換えられる」(E170)という今回のメタゲーム体験。眼前のルールを破りメタゲーム化することを、たとえ統合思念体の指示を越えることであってもキョンはとがめないかもしれないという、かすかな希望。そして、そのような逸脱した手段を選んででも、自分と向き合っているつもりのキョンに、自分の本当の想いと向き合ってほしいという切実な、これこそ彼女のものと言える意志。
 つまるところ、長門は、コンピ研が仕掛けた二重のゲームを通じて、ハルヒをめぐるゲームのコマから、キョンをめぐるゲームのプレイヤーへと、戻れないルビコンを渡りました。そしてキョンは、ハルヒを抑制するというメタゲームの手段としてのコンピ研とのゲームの中で、長門を解放する実行キーを音も立てずに押してしまっていたのです。


終わりに 〜意志に至る病〜

 以上、長門が『消失』での発動に至る経緯を、作品内描写に沿って検討してきました。そこであらためて確認されたのは、彼女が主にキョンとの交流を通じて、所与の道具的自己規定に疑問を抱き、さらに所与の世界規定に疑問を抱くことになったその様々な契機でした。その変化は、古泉が「TFEI端末」の中でも「一際異彩を放っている」彼女には「単なるインターフェース以外に何か役割があるのではないか」(B160)と語ったように、統合思念体が求める「自律進化」のユニークな道具として、長門にあらかじめこのような因子が組み込まれていた、と考えることもできるものです。そのように解釈するならば、創造主の定めた運命を長門が逸脱できるような自由意志などそもそも存在していないことになるでしょう。しかしこの問題については、すべてがハルヒの恣意である可能性にこだわる古泉の解釈をキョンが拒絶したように、論者もまた「確証」がないという名目で措いておきます。
 長門がエラー蓄積を自覚し、その抑制に努めていくとき、自らの情報操作能力と対人コミュニケーション能力は、それぞれ限界をさらけ出していきます。ハルヒやキョンたちと関わり合うなかでのその試行錯誤の過程としてシリーズ作品を読みなおすとき、長門がそれぞれの時点で何を試みどのように失敗したのかという揺れを、はじめて捉えることが可能となります。その結果、本考察でとくに注目することとなったものの1つは、キョンとの間で繰り返されるすれ違いでした。
 インターフェース(interface)という語の意味を調べると、「異なるものの接触面・境界面」「研究分野間の共通事項」という名詞としての意味のほか、「〜と結びつける・調和させる」「〜と結びつく・調和する」という動詞的意味、さらに「〜とつき合う」という俗語的意味もあるようです。11月末の時点で、長門はこれら全ての意味において、インターフェースとして十分機能していないように見えます。はたして彼女は、統合思念体と有機的生命体との接触面としての役割を全うし、SOS団の一員として結びつき、キョンとつき合うことができるのでしょうか。それらは、そして長門のこころは調和可能なものなのでしょうか。これに答えるのは『消失』そのものの検討に委ねられることとなりますが、夏合宿から映画製作、ゲーム勝負、そして『消失』へ至る道は、現実世界のなかに虚構を用意しておくことと、現実世界を改変することの間にある距離が、意外と小さいことを示していました。ハルヒが無自覚に行使しているその世界改変と欲求充足の力を、長門はエラー暴走というかたちで振るうことになります。その行き先がハルヒと重なり合うかはさておき、長門の実行キーを図らずも押して現実世界改変の契機となったゲーム勝負の重要性を振り返るにつけ、今更ながらに「バーチャルリアリティは悪である」と述べておくことを要求されるとすれば、これはまた考察当初の目的とはあまりに大きなすれ違いとなった次第です。

『消失』考察後篇に続く
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