アニメ『ガールズ&パンツァー』にみる後継者育成と戦車道の諸相・その1

〜聖グロリアーナ女子学院篇〜




はじめに 問題と視点


 アニメ『ガールズ&パンツァー』(以下「ガルパン」)本編では一瞬で終わったアンツィオ高校(以下アンツィオ)戦がOVAで描かれたことで、大洗女子との大会対戦校はすべてその戦いぶりが示されることとなった。そこでは、本編のサンダース付属高校(以下サンダース)戦とプラウダ高校(以下プラウダ)戦の間に大洗女子のメンバーがどのような練習や準備をしていたかを描くことにより、彼女たちの個人として・チームとしての成長過程がいっそう具体化されてもいる。それは裏側から見れば、この成長しゆく大洗女子メンバーに敗れた各対戦校が、いかなる要因ゆえに敗退したのかを、分析することにもつながり得る。各所で見受けられる対戦校それぞれの戦術・指揮の比較検討や、副隊長(あるいはサブリーダー)の役割への注目などは、そのような要因を探り出そうとする試みと言える。
 本考察もまた、いち視聴者としての論者が、各出場校の指揮体制を副隊長・車長たちサブリーダーに焦点を当てつつ検討するものである。ただし、そのさい、勝敗を分けた要因を指揮系統やその実態のなかに見て取ることよりも、隊長とサブリーダー・隊員との関係から、チーム内の世代交代(戦車道の後継者育成)に対する各校の姿勢を浮かび上がらせるということに、より重きを置いてみたい。この作品世界における戦車道は、第1話の大洗女子学園(以下大洗女子)内での選択科目ガイダンスで述べられているとおり、何よりも女子教育の文脈でとらえられるべきだからである。

   「戦車道。それは伝統的な文化であり、世界中で女子の嗜みとして受け継がれてきました。
   礼節のある、しとやかで慎ましく、そして凛々しい婦女子を育成することを目指した武芸でもあります。
   戦車道を学ぶことは、女子としての道を究めることでもあります。
   鉄のように熱く強く、無限軌道のようにカタカタと愛らしい、そして大砲のように情熱的で必殺命中。
   戦車道を学べば、必ずやよき妻、よき母、よき職業婦人になれることでしょう。
   健康的で優しくたくましいあなたは、多くの男性に好意をもって受け入れられるはずです。
   さあ、皆さんもぜひ戦車道を学び、心身ともに健やかで美しい女性になりましょう。」

 この説明は、大洗女子の生徒たちに戦車道を選択させるための宣伝文句でもあるため、実際の戦車道を美化・一面化しすぎているかもしれない。しかし、基本的な理解として、戦車道が何らかの理想的な女性像に向けて女子を育成しようとするものであることは間違いないだろう。また、例えば柔道などといった武芸が修養としての側面を(少なくとも理念的には)保ちながら実態としては競技スポーツ化しているように、戦車道もまたこの伝統的な建前をとりあえず掲げながら、競技的傾向を強めるなかで有名無実なものにしている可能性はある。とはいえ、戦車道を学園艦という学校教育施設で、しかも部活動ではなく選択授業科目として履修させている以上、そこに教育目標が存在することは疑い得ない。そして、いかにも戦車道が生まれた時代を彷彿とさせる良妻賢母的なこの女性像が、それぞれの学園艦にて多様なかたちで現代化されているであろうこともまた、想像できるのである。そうなると、戦車道における後継者育成とは、試合に勝つための技術・練度の継承発展であると同時に、各学園艦の個性を反映した女子教育理念の絶え間ない実現過程でもあることになる。
 この観点からすれば、戦車道全国高校生大会のもつ意義がいっそう明らかとなる。第1話で語られたように、大洗女子が出場した第63回大会は、今後予定されている世界大会への弾みをつける晴れ舞台であると同時に、その開催回数が示すとおり、強豪校を中心に毎年開催される恒例行事でもある。ということは、今大会はたしかに例年に比べて勝利の重みが増してはいるものの、とくに毎年参加の強豪校にとっては、この大会終了後に行われるであろう3年生の引退と後輩への引き継ぎへ向けての重要な一里塚でもある。つまり、戦車道大会は、引退しゆく3年生の花道であり、またその後を引き継ぐ下級生に先輩が最後の実践的な指導を行う機会なのだ。各出場校は、試合での勝利と、後進の育成とを、二つながらに目的としている。そして後進の育成とは、各校なりの戦車道を継承させていくことにほかならない。とくに戦車道は女子教育としての面を強く持っているため、たんに試合・大会に勝利するためにその学校の戦車道における伝統を乱すことは、少なからず憚られることと思われる。各校が培ってきた戦車道の精神と鍛錬をもとにしつつ勝利を目指すことが、高校生らしい戦車道大会の理念であるとすれば、この大会参加は後進育成にとって最後の、そして最大の実践的機会ということになるだろう。
 この想定にたてば、各対戦校のリーダーとサブリーダーの関係は、試合に勝つための合理的な指揮系統というだけでなく、各校の戦車道を受け継がせていく先輩・後輩リーダー間の教育関係としてもとらえるべきである。対抗試合という設定上、視聴者の目はどうしても勝利獲得のための戦術とその功罪などに向きがちではあるが、そこからすれば軽挙妄動と批判されがちな登場人物の言動にも、この育成や伝統の継承という観点からは別の肯定的な意味を見いだすことが可能となるだろう。そしてここから、各対戦校がイメージモデルとしている諸外国についても、機甲戦のみにかかわるフレーバーやカリカチュアの素材というだけでなく、その社会・文化などのありようまで含めて各校の戦車道や校風とのつながりを想像することも、ひとつの楽しみ方として提起できるかもしれない。

 以上に基づいて大洗女子の対戦校を眺めてみると、ほとんどのチームでリーダーとサブリーダーとの教育関係が主に試合中に描かれていたのに対して、聖グロリアーナ女学院(以下聖グロ)では試合中にそのような直接的描写が一切なく、代わりに大洗女子の試合を観戦する中でダージリンとオレンジペコの教育関係が長期的に映しだされていたことが分かる。この点で聖グロは、大会を通じての継続的な後継者育成を捉えるのに適した対象である。また、「礼節のある、しとやかで慎ましく、そして凛々しい婦女子」という戦車道の女子像は、大和撫子のみならずイギリスの淑女の姿をも連想させる。そして、そもそも戦車を発明したイギリスこそが戦車道発祥の国でもあるのだとすれば、聖グロは戦車道の原点とその変遷を追っていくさいにも役立つ対象ということになるだろう。

 (なお、本考察は、あんよの日記2014/8/3の内容に大幅な加筆修正を行ったうえで単一コンテンツとしてまとめたものである。)



1.聖グロリアーナ女学院戦車道の理念と伝統


 大洗女子との親善試合のみならず作品を通してその独特な存在感を主張していたのが、聖グロのダージリン隊長である。まずは、親善試合におけるこの隊長の指揮に注目しながら、聖グロの戦車道のありようを見ていこう。


(1)「礼節のある、しとやかで慎ましく」

 桃のブリーフィングによれば、聖グロは、「強固な装甲と連携力を活かした浸透強襲戦術を得意としている」。その背景には、第一次世界対戦中にイギリス陸軍戦車隊参謀長フラーが提唱した機甲戦構想があるのだろう。歩兵戦車による敵陣地の突破とそれに続く巡航戦車による敵指揮中枢の迅速な破壊によって、敵を組織的に崩壊させるというものである(葛原和三『機甲戦の理論と歴史』芙蓉書房出版、2009年、p.74以下参照)。そのさい、双方の指揮系統が成り立たなくなるほど敵味方が入り乱れてしまっては、相手の混乱に乗じて主導権を握ることはできない。味方はあくまでも規律を維持したうえで敵のみ混乱させることが肝要なのであり、隊列行動を重視するのはそのような「連携力」を失わないための手法である。ドラマCDその3で喩えられているように、同じイギリスでも海軍のネルソン・タッチ的な切り込み戦術の発想と言えるだろう。また、クルセイダー巡航戦車も所有しながら「強固な装甲」の歩兵戦車を主力としているのは、強襲時に簡単に撃破されないための備えである。
 しかし、親善試合における戦いぶりを追っていくと、聖グロ戦車道の特徴は、このようなイギリス由来の装備と機甲戦術のマッチングだけでなく、試合のさなかにも戦車の中で紅茶を嗜むという、イギリスかぶれあるいはアニメ的カリカチュアと思える行為にも示されているということに気づく。

ダージリン「どんな走りをしようとも、わが校の戦車は一滴たりとも紅茶をこぼしたりしないわ」

 この台詞は、「戦車」の安定性や動作の落ち着きのみならず、それに搭乗する隊員の練度や立ち居振る舞いについても述べたものである。実際に、市街地での遭遇戦に持ち込まれるまでの前半部では、聖グロの戦車は優花里も賞賛する一糸乱れぬ隊列を維持し、伏撃を受ければダージリンの命令が特段なくとも冷静に左右に分かれて対応移動し、反撃の準備を整えていた。隊員の練度の高さを物語るこの安定した隊列行動は、日々の訓練の成果であると同時に、装甲に包まれた安心感がもたらす落ち着きぶりの表れでもある。簡単には撃破されない車輌に搭乗することで、隊員たちはすぐ脱落してしまわずに試合経験を積みながら、敵からの攻撃を受けても焦らず行動できるようになる。つまり、重装甲車輌を選ぶことには、戦術的合理性だけでなく、隊員たちが日頃修得した礼節や慎ましさを試合中にも発揮できるようにするという教育的合理性の側面もあるのだ。
 もっとも、試合中に平常心を保ち続けるのはそれでも容易ではないだろうし、各車輌内での隊員たちの精神状態をリーダーがこまめにチェックするわけにもいかない。そこで聖グロでは、試合中にも紅茶を飲むという習慣を取り入れることによって、とりわけ責任の大きな車長が自らの精神状態を自己点検できるようにしたのである。自分は紅茶を穏やかに飲めているか。カップの中で紅茶が揺れすぎてはいないか。それは搭乗戦車の振動のみならず、車長の手と心の震えをも映し出す鏡なのである。
 実際にこの親善試合でも、ダージリンは市街戦での予想外の被害報告を受けて取り乱し、思わずカップを落として割ってしまっている。これは、聖グロ隊長の余裕が失われたことを示すアニメ的表現というだけでなく、ダージリンがそのカップの割れた音で自分自身の動揺を客観視することができたということも暗示している。だからこそ彼女は、カップの割れる音が響いた次の瞬間には、なお汗を浮かべながらも心の動揺を抑えようとしながら「おやりになるわね……でもここまでよ」と大洗女子の力量の再評価を行い、戦術の見直し・指揮へと意識を切り替えることができた。つまり、この
車内喫茶という一見異常な習慣は、戦車道が求める自己チェックや感情抑制をなし得る冷静沈着な女性の育成を、イギリス流の礼節と結びつけて実現しようとする独自性の現れなのである。
 ところで、戦車道理念に掲げられた礼節や慎み深さを今なお体現しているのは、TV・OVA内ではこの聖グロをおいて他にない。ダージリンたちの感情を抑えた振る舞いに見られるように聖グロがイギリス淑女を模範とするお嬢様学校であり、また戦車道がおそらくイギリス発祥であることによって、
聖グロでは日々の学園生活の中での修養が戦車道における修養と連続している。このことによって聖グロは、他校では現代的風潮への迎合のなかで歪められがちだった戦車道の原点を、よく保持できたのだろう。


(2)「そして凛々しい」

 もちろん、ごく常識的に考えて、激しい機動戦の最中ともなれば車長が優雅に喫茶してはいられない。あんこうチーム車の追撃時には、さすがのダージリンも紅茶を淹れ直させてはいない。しかし、このときのダージリンは、あまりの動揺に紅茶を飲む余裕を失ったわけではなく、いまはそうすべきときではないと冷静に判断したにすぎない。彼女が優れた自己コントロール能力を維持していたことは、みほのフェイントをその直前に看破して自車隊員に的確かつ迅速な指示を出せている(4号戦車の回りこむ方向に、チャーチル戦車の砲塔を前もって回転させている)ことからも明らかである。淑女然とした慎み深さといざという時の獰猛さの切り替えを冷静に判断し実行できる知性と思慮と胆力もまた、戦車道を通じて育まれるべき理想的女性の資質であるとすれば、この点ダージリンは隊長として率先垂範しており、その悠然たる態度は隊員にも落ち着きと到達モデルとを与えていたことだろう。そのような資質とはまさしく、お上品にえげつないというイギリス人らしさそのものでもあったが、それらを隊員たちが獲得し発揮しやすくするためにも、やはり心の余裕を与える強固な装甲が有効なはずだった。
 この資質に裏付けられた猛々しさ・凛々しさについては、ダージリンが親善試合中に語った他の言葉からもうかがえる。1つは試合開始前の挨拶時のもの、もう1つは市街戦であんこうチーム車を追い詰めた時のものである。

ダージリン「それにしても、個性的な戦車ですわねぇ。ですが、私達はどんな相手にも全力を尽くしますの。
       サンダースやプラウダみたいに下品な戦い方はいたしませんわ。騎士道精神でお互い頑張りましょう」

ダージリン「こんな格言を知ってる? 『イギリス人は恋愛と戦争では手段を選ばない』」

 これらの台詞を合わせると、さらに2つの性質が明らかとなる。
 まず、ダージリンが述べている「騎士道精神」とは、ドン・キホーテ的な夢想ではないし、弱者にハンデを与えるようなフェアネスとも無縁であるということ。あたかもライオンがウサギに対するように「どんな相手にも全力を尽く」して「手段を選ば」ず叩きのめすのが聖グロの「騎士道精神」であり、それが自分たちに戦いを挑んだ相手への敬意の示し方なのである。この立場からサンダースプラウダを「下品な戦い方」と批判するとき、それは両校の圧倒的な物量へのあてつけではない。むしろケイが弱小の対戦相手に合わせて戦力を手加減したり、カチューシャが相手をすぐに圧倒できるにもかかわらず猫がネズミをいたぶるようにわざと手間をかけたりといったような、上から目線でベストを尽くさない高慢ぶりこそを「下品」と評価しているのである。
 次に、しかし「手段を選ばない」という(イギリスのことわざの引用とはいえ)過激な表現が、アリサの通信傍受のようなルールぎりぎりの行動を容認するものとは言い難いということ。大会1回戦観戦中にこの通信傍受を見破ったダージリンが遠回しなジョーク以上の非難を浴びせてはいないあたり、少なくとも可能な手段の1つに数えているのかもしれない。しかし、決勝戦でのマウス撃破のシークエンスにダージリンは感動して自分たちも試してみようかとさえ言っているが、1回戦の通信傍受についてはそのような興奮を示してはいない。おそらくダージリンは、通信傍受がたとえルール解釈の範囲内だとしても、聖グロの校風や戦車道の伝統からみて「下品」と感じたのだろう。彼女たちにとって戦車道の試合とは、あくまでもチーム同士の鍛錬と連携と知略の真っ向勝負であり、相手の次の手を読み合うのもまた勝負の醍醐味である。その機微を失わせてしまう通信傍受は、いかにも味気ないものと映ったのかもしれない。いわゆる正々堂々の「騎士道精神」は、こちらの態度に該当することになる。サンダースではその手段の是非が有用性とアメリカ的公正性の綱引きで判断されるのに対して、聖グロでは有用性とイギリス的審美性との緊張の中で判断されるのである。
 また、これと結びつけて、大洗女子が練習試合を申し込む相手がなぜ聖グロだったのかについても考えてみよう。それは、両校がこれまで友好的な関係を維持してきたおかげかもしれない。またダージリンが電話口で告げた「受けた勝負は逃げませんの」という聖グロの基本姿勢は、急な申し込みを受けてもらわねばならない大洗女子にとって都合が良かったのだろう。しかし、これらに加えて重視したいのは、絶対に負けられない大会に備えんとする大洗女子が、今のうちに自分達のあらゆる課題を把握しておこうとするならば、どんな弱小チームにも手を抜かないという「騎士道精神」の強豪校である聖グロが最適な練習相手だったということである。つまり、これから見ていくように、聖グロ戦車道は、大洗女子を参照しながら自己改革していくためのきっかけを、偶然にも聖グロ自身の伝統のおかげで得ていくのである。



2.聖グロ戦車道の課題とその克服の契機


(1)親善試合にみる聖グロ戦車道の課題 (第3話―第4話、ドラマCD3)

 さて、それではこのような聖グロの戦車道チームが抱えている課題とは何か。大洗女子との親善試合の中で、大きく2つのポイントが浮かび上がる。

 試合前半では、優勢な戦力と優れた指揮統率、そして高い練度をもって大洗女子を圧倒しかけた聖グロだったが、大洗市街戦に移ると包囲・索敵のため各車輌が個別に行動せざるを得ず、再集結するまでは各個撃破の危機に瀕した。この索敵時の個別行動は、各個撃破の可能性と、戦車隊列が(その前後の車輌を撃破されることで)狭い市内道路で立ち往生する可能性とを比較して、ダージリンが前者のリスクを選んだ結果である。マチルダを確実に撃破できる大洗女子車輌は三突だけなので、その伏撃を受けてマチルダを1輌失ったとしても、チームの残り4輌でこれを包囲撃破してしまえば勝利が確定する、という計算だろう。ところが2輌からの被撃破報告を立て続けに受けて、ダージリンはその予測を覆されてティーカップを落とすほど動揺したのだった。
 まずここに、聖グロ戦車道の1つ目の課題が立ち現れている。彼女たちは「連携力」をもたらす隊列行動を重視しているが、その反面、各個に分散しての機動や臨機的戦闘には慣れていない。例えば、眼前に飛び出してきた38(t)を反射的に全車輌で砲撃してしまい、4号を撃ち漏らしてしまう場面(それはそれで、1輌ずつ確実に仕留める訓練の成果かもしれないが)。そして、4号の停車や回り込みを予測できず十字路へと飛び出してしまい、2輌が側面を撃破される場面。それらの場面で聖グロの隊員たちに欠けていたのは、みほたちが市街戦で示した創意工夫を生み出す源となるような、様々な可能性についての想像力(たんなる空想ではなく演繹的・帰納的思考としての)や、それに基づき一歩先を読んで主導権を握るための構想力、そして何よりそれらを用いて能動的に戦う主体性である。
 大洗女子はたしかに見かけの戦力評価を大きく裏切る敢闘をみせたが、彼女たちが示したもののうち戦車道試合の常識を破っているのは大洗市を「庭」とする89式の立体駐車場を用いた奇襲くらいであり、みほの采配は相手の隙を突くその正確さと迅速さを除けばきわめてオーソドックスなものだった(最後のフェイントも、重装甲を相手にするときの合理的な手立てのひとつなのだろう)。つまり、常識的な手堅い手段であっても、的確な状況判断に基づいて素早く組み合わせて実行すれば、それは相手の不意をついて機先を制する力になるのである。そもそも聖グロの「強固な装甲と連携力を活かした浸透強襲戦術」とは、そのような物的・精神的衝撃によって相手の抵抗力を急激に失わせる方法だったはずだが、大洗女子は装甲も連携力も劣っていながら聖グロのお株を奪った戦いぶりを示したことになる。
 ところが、当の自分たちはというと、序盤では伝統的な戦法で圧倒していたにもかかわらず、その後2回も主導権を奪い返されてしまった。それを余儀なくされた原因の1つは、ダージリン隊長が最後の一騎打ちで見せたような先読みの能力を、各車長が十分に高めていない(少なくとも試合中に維持できていない)ということにある。ドラマCD3では、聖グロの一糸乱れぬ隊列行動訓練の様子が描かれているが、それはどこまでも隊長の命令に全車が従うものであり、この反復訓練によって集団規律も徹底されていく。しかし、それは同時に、各隊員が自らの判断を停止してひたすら服従するという姿勢をも強化していってしまうのである。隊列行動を重視することはたしかに必要かつ有効だが、これに偏重するあまり、各隊員が主体的に判断する訓練の機会はきわめて少ないままなのかもしれない。しかもそのうえ、重装戦車による編成は、隊員に冷静で臨機な判断を可能にさせるための方策であったにもかかわらず、むしろ安心感に包まれた各隊員の判断を鈍重に、受け身にしてしまうという側面も持つのである。このことは、聖グロ戦車道が「強固な装甲と連携力を活かした浸透強襲戦術」を掲げる以上つねにつきまとう弊害ということになる。それは、たんに勝敗の確率だけでなく、
聖グロの戦車道理念とその伝統的様式そのものにかかわっているからこそ解きがたいのである。やがてケイによって指摘される黒森峰女学園(以下黒森峰)の問題は、じつは聖グロにも共有されていたということになるだろう。
 しかもこの問題をややこしくしているのは、そのような隊員とりわけ車長の問題点が、装備の向上や訓練の改善によって直ちには解消しがたいということにある。例えば、使用車種をファイアフライなどに変更して砲撃力や機動力とのバランスを高めたところで、車長は搭乗車輌の能力向上にますます安心してしまい、さらに積極性を失ってしまうかもしれない。しかし逆に装甲の薄い巡航戦車に乗せたとしても、次の大会までには変更車種への慣熟がとても間に合わないだろうし、何より重装甲や隊列行動訓練を自ら捨ててしまっては伝統の「浸透強襲戦術」やそこで期待される徳性の発揚が成り立たなくなってしまう。
 もっとも、戦車道が誕生した時代であれば、このような部隊運用や、このような従順な女性像でもよしとされたのかもしれない。また、作品中の時代にあっても、在学中のわずか1、2年で競技チームの一員を鍛えるとなればまずは集団規律への服従を優先させるだろうし、聖グロはこの伝統のもとに準優勝校という過去の実績を残してもいる。しかし、それは同時に聖グロが優勝経験を持たないということでもあり、また現代社会における女性像の主流はとっくに主体的・能動的なものへと変化してしまっている。校風と社会の需要からしてこの現代的潮流に安易に迎合する必要はないとしても、伝統に安住するばかりではいられないというのが、近年の聖グロが置かれ続けてきた状況なのだろう。そして、大洗女子という弱小チームにさえ追い詰められたという今回の経験は、聖グロが直面する伝統維持の限界と改革の困難という問題を、あらためて明瞭に突きつける機会となったのである。

 もう1つの課題は、ダージリン隊長の優れた能力に潜んでいる。それは、隊長があまりに優秀であるために隊員たちが自然と頼りきってしまうという組織上の弊害である。もっとも、これもまた多くの強豪校に共通の課題ではあるし、また戦車道にかぎらず学校の部活その他でも見受けられる一般的な悩みでもあるだろう。しかし、ここでは、聖グロの戦車道がとりわけ突出したリーダーシップを常に必要としているということに注意したい。隊員たちが隊長の命令に従って隊列行動を維持していくさい、隊長だけはチームの中で主体的に判断している存在ということになる。さながら羊の群れを率いる一匹の狼のごとく、規律正しい集団を統率するために、チームのすべてを司る冷徹果断なリーダーシップの持ち主が屹立しなければならないのだ。
 これについて試合の場面で考えてみよう。「浸透強襲戦術」を伝統とするとき現実に直面するのは、フラッグ車をどうやって守るのか、という問題である。平凡に考えるならば、フラッグ車とその護衛は浸透強襲に加わらず安全な後方に留め置かれるべきということになるだろう。しかしそうなれば、敵隊列に突入する味方車輌は強豪校同士なら必ず相手より少数にならざるをえず、たとえ奇襲できたとしても主導権を握り続けられるとは限らない。つまり、最初の突撃で敵フラッグ車を速やかに撃破できないと、たちまち劣勢の不利が露呈してしまい、強襲部隊を撃破されたのち後方の味方フラッグ車めがけて逆襲されかねないのである。となれば聖グロの戦術は、まさしくネルソン・タッチのごとく、フラッグ車もろとも一斉に浸透突破を図るものと想像できる。そのさいフラッグ車が容易に撃破されないための重装甲と隊列行動であるわけだが、それだけで守りきれるものでもない。フラッグ車自身の戦闘能力をきわめて高いものにしておかなければ、つまり主体的な判断と行動が的確迅速にできなければ、この伝統的戦術は成立しない。つまり、隊列行動訓練によって従順さを鍛えられていく聖グロチームのなかで、フラッグ車の車長は例外的に主体性を求められるのである。
 この主体性を育むことは日々の隊列行動訓練ではなしえないが、しかしそのための特別メニューを組むことも、実際には時間・場所の配分や隊長・フラッグ車の負担増大などの問題もあって難しい。そこで聖グロが選びうる手立ては2つある。1つは、主体性が弱いというデメリットには目をつぶって一般車長の搭乗車輌をフラッグ車とすること。もう1つは、このデメリットを避けるために、隊長か副隊長の搭乗車輌をフラッグ車とすること、である。もちろん、隊長がフラッグ車に乗る場合には、自車輌の指揮とチームの統率という二重の負担を強いられることになる。しかし、チーム訓練によって迅速な隊列行動が可能となっているのであれば、チームに手短かな命令を下して副隊長に後を委ねながら自車輌の指揮に専念することは不可能ではない。あるいはまた、隊長車の乗員の練度が十分に高ければ、車輌のコントロールを彼女たちに任せながら隊長はチーム指揮に専念できる。もちろん、リーダー格の後進育成が順調なときは副隊長車をフラッグ車に指定できるだろうが、そのような人材は隊長車の搭乗員にも振り分けねばならず数が不足しがちだろう。となれば、聖グロにおいてコストと利益が最も見合うのは、最精鋭のメンバーで固めた隊長車をフラッグ車にすることである。ネルソン提督はトラファルガーの海戦に勝利を収めながらも戦死したが、聖グロ戦車道はいわば不死身のネルソンをトップに据えようとするのである。
 そのように考えると、ダージリンが搭乗するチャーチルは、たしかにこのネルソンの旗艦(フラッグシップ)に相応しい能力を備えていた。もちろんそれは彼女自身の力量だけでなく、アッサムやオレンジペコら最精鋭乗員の練度の高さによるものでもある。ただし、副隊長格と思しきアッサムがわざわざ隊長車に砲手として搭乗しているのは、他の砲手にそこを委ねてアッサムを副隊長車の車長に据えられるだけの人材の余裕が今年度のチームにないことを暗示している。一方でオレンジペコが隊長車の装填手を務めるのは、彼女の現在の技量を評価してのことだけでなく、この装填手という立場が隊長の指揮統率ぶりを間近で学ぶのに最適な配置であるがゆえでもある。オレンジペコは1年生ということもあり、部隊指揮を分担する副隊長の役には就いていないが、すでに将来の隊長候補として抜擢され、英才教育を受けつつあるのだ。この意味でオレンジペコは、指揮系統のなかでリーダーを直接支援するというよりも、
隊長を模倣しつつリーダーシップを修得すべき見習い的なサブリーダーなのである。親善試合開始直後、チャーチル車上で紅茶を嗜むダージリンと、見上げるオレンジペコとが視線を交わす姿は、このような両者の関係を無言のうちに描き出していた。
 また、搭乗車輌であるチャーチルがもつ性質も、ダージリンの能力を大きく支えていると言ってよい。(分厚すぎる装甲については言うまでもないが、それに安住することなくダージリンが優れた積極性を持ちえているのは、例えばこの車輌の優秀な登攀能力が1つの原因かもしれない。現実の戦闘でも、チャーチルが他の戦車では越えられないような急斜面を踏破して奇襲し、敵を混乱に陥れたという逸話があるらしい。秩序ある隊列行動に従いながらも、状況判断によってはあえて隊列を離れての単独行動によって敵の不意を突き主導権を奪う、という経験を、ダージリンはこの搭乗車輌とともに重ねてきたのかもしれない。)しかし、そもそもそれらの高水準な組み合わせを要求するのが聖グロ戦車道の伝統なのである。
 こうしてダージリンが聖グロ戦車道の求める隊長とフラッグ車長の理想像を彼女なりに体現すればするほど、そのリーダーシップに服する一般隊員との格差は、部活集団や他校の戦車道チームよりも大きく開いてゆきかねない。イギリスの階級社会性まで真似しなくてもとは思うが、ある意味でダージリンの優秀な能力と強い個性は、聖グロ戦車道が掲げる伝統的女性像の従順さを踏み越えて、現代的女性像の主体性へとたどり着いているかに見える。しかし上述のとおり、
ダージリンの現代的女性らしさと一般隊員の伝統的女性らしさとは、聖グロ戦車道において相補関係にあるのだ。

 これらの課題を解決する手立ては、どのようなものがあり得るだろうか。1つの考え方として、完璧すぎる隊長と従順な隊員たちとの間の距離を縮める、というものがある。隊員たちの能力水準をいきなり引き上げるということは難しいわけだから、リーダーに依存しすぎる態度を改めて自ら考える姿勢を促すためにリーダーの側を一時的に引き下げる、例えば隊長があえてリーダーシップを発揮しない状況での訓練を行うのである。ただし、もしも隊長車がフラッグ車になりがちだとすれば、試合中に隊長の指揮が届かない状況とはつまりフラッグ車が撃破されたか隊列が大混乱しているかということであり、隊員にはあまり実感がわかない設定かもしれない。
 また、訓練に限らず学園生活をつうじて隊長を隊員がフォローする機会を設けるという手も思いつくが、日常的に距離感を縮めるという意味ではこちらのほうが有効ではありそうだ。しかし、ここでイギリスに倣った校風が邪魔をする。淑女は他人に安易に弱みを見せるものではない。そのうえダージリンという隊長が弱みを見せずにツッコミどころを見せ、しかもツッコミを無視しがちなタイプであるため、ますます始末におえないのである。付け加えておくならば、たとえダージリンが百歩譲ってわざと弱みを見せたふりをして隊員たちにフォローさせるよう仕向けたとしても、勘の良い隊員がその意図に気づいてしまえば、かえって隊長の深謀遠慮への畏敬(あるいはめんどくさい隊長というイメージ)が深まるばかりとなってしまうだろう。
 このように、聖グロ戦車道チームは理念と伝統を保持し続ける中で、その理念を追い求めるがゆえの課題を抱えている。そして、課題解決の試みが、装備・訓練・リーダーシップのいずれの観点からも困難であるのは、それらの課題が理念・伝統と表裏一体のものであるがゆえという、きわめて悩ましい状況を突きつけられていたのである。


(2)課題克服の手がかりとしての大洗女子 (第4話)

 このような課題をダージリンもまた認識していたとするならば、彼女はいかなる対応策を講じようとしたのだろうか。作品内でそのことが直接描かれたわけではないが、ダージリンの親善試合後の行動を再確認すると、いくぶん方向性が見えてくる。その手始めに、試合後ダージリンがみほに贈った紅茶の添え状を確認しよう。

「今日はありがとう。あなたのお姉様との試合より面白かったわ。また公式戦で戦いましょう」

 優花里が言うとおり、聖グロは「好敵手と認めた相手にしか紅茶を贈らない」。みほの敢闘にダージリンが敬意と関心を表しているのは明らかである。しかし、ここで問われるのは、彼女がいかなる「好敵手」を見出し、いかなる関心を抱いたか、である。ダージリンが「面白かった」というのは、親善試合の後半戦について述べた感想であるだろうから、この後半戦を彼女がどのように理解したかが当面の手がかりとなる。

 まず、終盤で孤軍奮闘したみほ個人を、ダージリンは自分たち聖グロ戦車道に、そしてその隊長たる自分自身に、近しい存在と感じている。試合開始前の挨拶をみほではなく副隊長の桃が行っているように、市街地への移動までのみほはまったく目立たない慎ましい存在だった。しかし、味方が自車のみとなり試合が圧倒的に不利になったそのときに、彼女はたちまち獰猛で冷徹な牙を剥いたのである。それはダージリンに、チーム再編まもない未熟さを露呈していた大洗女子にこれほどの逸材がいたという事実自体や、みほの自車指揮能力そのものへの関心にくわえて、「礼節のある、しとやかで慎ましく、そして凛々しい婦女子」つまり戦車道の理念に即した女性であるみほへの関心を、呼び起こしたのである。
 もちろん、大洗女子の校風はイギリスに倣ったものではないし、みほ個人もそのような傾向をみせていない。にもかかわらず彼女は、聖グロが守り続けてきた戦車道の女性像のうち隊長側のそれを、図らずも体現しているかのようだった。この点において、ダージリンが見出した「好敵手」とは、聖グロの戦車道に通じる何かを聖グロとは異なる手立てで獲得した存在なのである。この時点でのダージリンがほとんどみほにのみ評価を与えていることは、紅茶があくまでもみほ個人に贈られていることからもうかがえる。

 次に、この個人への贈り物という事実を裏返してみれば、親善試合におけるみほの活躍は、チームを指揮する隊長としてのそれよりも、搭乗車輌単体でのそれが目立っていたことになる。前半戦での待ち伏せは(実際には桃の発案であり、みほも難色を示していたのだが)ダージリンが語っているように「安易」な手立てだったし、後半戦でもマチルダ被撃破の報に動揺したもののすぐ態勢を立て直せた聖グロに対して、大洗女子はせっかく奪取した主導権を維持できずたちまち各個撃破されてしまっている。この時点でダージリンが捉えたみほは、車長としては間違いなく優秀だが隊長としての能力にはまだ疑問が残る。
 もっとも、今春こしらえたばかりのチームを指揮統率することの難しさは、ダージリンにも想像できる。現時点での評価よりもはるかに重要なのは、大洗女子チームが今後その集団規律を高めていくとすれば、そこで隊長のみほが聖グロと同じ課題に直面するだろうと予測できることである。きわめて優秀で主体的なリーダーが従順に訓練された隊員を率いるとき、チームは一定程度まで能力を向上させつつ壁に行き当たる。この壁に大洗女子は聖グロと同じように妨げられるのか、それともみほ個人のように聖グロと異なった手立てでこれを突破できるのかが、ダージリンにとって今後の強い関心事となったのである。もし大洗女子がこれに成功するのなら、ダージリンはそこから学びながら聖グロに応用できるかもしれないのだ。
 とはいえ、ダージリン自身が熟知しているように、聖グロでも改革努力は長らく試みられてきたのであり、しかし上述のとおり課題が理念・伝統と一体となっているからこそ解決困難のままとなっている。たとえみほと大洗女子が独自の手立てで課題解決できたとしても、聖グロの伝統がその応用を阻むことはあまりにも容易に想像できてしまう。この厳しいイメージを吹き飛ばしてくれたのは、みほがあの西住家の生まれだという事実だった。紅茶を贈るに先立つ試合終了直後、ダージリンはわざわざ大洗女子の4号車長へ挨拶に向かったが、みほがまほの妹だということにそこで初めて気づいた。

ダージリン「もしかして西住流の……? ずいぶん、まほさんとは違うのね」

 そう、ずいぶん違う。そしてこの、姉と大きく異なる妹が現れ得たという事実が、ダージリンの心に波紋を広げる。このとき彼女は、
あの西住流の強固な伝統からみほという可能性あるイレギュラーが生まれたのであれば、そして彼女の指揮に適うチームが育まれていくのならば、自分たち聖グロの伝統のなかからも新たな息吹を生み出し定着させることが可能なのではないかという希望を抱いたのだ。もちろんダージリンはイギリス流の保守主義者であるから、漸進的改革ならともかくも、新奇なアイディアを無理矢理取り込もうなどとはしないだろう。しかしまた、戦車発明国イギリスに倣うチームの誇りにかけて、伝統維持ならぬ旧態依然に陥らないためにも、自分たちの精神をたえず再活性化するための努力を惜しまないはずでもある。彼女のこの意志と希望をさらに力づけていくものこそは、みほと大洗女子の戦車道の行く末なのだ。こうしてダージリンはみほと大洗女子の今後の成長過程にあくなき関心をよせることとなり、全国高校戦車道大会では大洗女子の試合を欠かさず直接観戦することになるのである。

 さて、この観戦時、ダージリンはつねにオレンジペコを同伴する。親善試合終了時には、ダージリンと同じ3年生のアッサムもこの二人と共に行動していたが、大会観戦時には彼女の姿はない。アッサムが現時点で副隊長格だとすると、ダージリンが大洗女子と大会で戦うことを想定して偵察に赴いたのであれば、当然アッサムも引き連れてくるはずである。しかし、実際には彼女不在でオレンジペコのみが一緒にいるということは、ダージリンはこの観戦を、将来の隊長候補であるオレンジペコの教育機会とするつもりなのだ。ただし、それは他の強豪校の試合を観戦しても得られるような、試合中の臨機応変な指揮能力についての観察学習といったレベルに留まらない改革的目的をもっていた。
 しかしそもそも、なぜ2年生を飛ばして1年生のオレンジペコなのか。2年生の隊員層が薄いなどの理由があるのかもしれないが、ここでは彼女自身の能力の高さにのみ注目しておこう。現時点でのオレンジペコは、装填手としてはすでに隊長車(つまり高い確率でフラッグ車)の搭乗員として十分に優秀である。親善試合の最終場面で4号を仕留められたのは、彼女の装填速度もあってのことだ。華奢に見えるがチャーチルMk.Zの6ポンド(75mm)砲弾も手慣れた様子なので、マチルダの2ポンド(50mm)砲弾を扱っている上級生隊員から難癖をつけられたところで腕力的には心配ない。さらに、桃からの試合申し込み電話をダージリンが受けた場面でアッサムとオレンジペコだけがアフタヌーンティーに同席していたように、日頃の学園生活も含めてつねに隊長のそばにおくことで、聖グロらしさや隊長としての気品ある態度を実見させつつ直接指導することができている。ついでに言えば、日頃3年生のリーダー格と行動を共にすること、とりわけダージリンという面倒な先輩の相手をすることに耐えられるわけだから、芯の強さも問題ない。この強さとともに穏やかな性格の持ち主でもあるオレンジペコは、聖グロ戦車道が求めるリーダーの資質のいくつかを備えた有望株と呼べるだろう。
 もちろん、彼女が再来年ではなく来年にはもう隊長となるのだとしたら、さすがに不安な点も多い。なんといっても、3年生がオレンジペコを手ずから鍛えられる時間は、あと半年がいいところなのだ。ダージリンにしても、そのことを意識すればこそ個別指導をいっそう熱心に行ってきたのだろうが、それはそれで2つの新たな問題を生んでしまう。1つは、ダージリンが指導すればするほどその影響力が増大し、オレンジペコの長所を損なってしまうかもしれないということ。ダージリンのようなアグレッシヴさはオレンジペコにはないが、後輩には先輩が持たない柔和さがある。その温和な性格が隊長となった後も今のままであり続けるとすれば、窮地のチーム(上級生も含む)を強引にでも率いようとするさいに、やはり無理が生じてしまうだろう。しかし、だからといって先輩が干渉しすぎれば、自らの個性を活かせるようなリーダーシップのありかたをオレンジペコ自身が作り出していく前に、先輩のやり方を強制してしまう危険性があるのだ。もう1つは、その危険性をうまく回避して後進育成に成功したとしても、それは結局のところ従来の聖グロ戦車道の課題を、つまり隊長格と一般隊員との格差問題を温存してしまうということ。こちらの問題は、今までのダージリンにしてみればやむを得ないことでもあった。
 ところが、みほと出会ったことによって、これらの問題に新たな切り口が与えられるだけでなく、オレンジペコの未熟さや個性にも積極的な意味が付与されていく。現在2年生ながら見事に隊長を務めているみほのリーダーぶりを実地に観察することが、来年同じく2年生としてチームを率いるオレンジペコにとって模範を得る機会となる。しかもみほは聖グロ戦車道の理念に近しいうえ、オレンジペコと似て温和で芯が強そうな性格であるため、これ以上適切なモデルはいない。さらにみほが大会を通じてその統率力を高めていくとすれば、その過程もまたオレンジペコにとっての一つの教材となるはずである。しかし、もしもオレンジペコが聖グロの伝統にすっかり染まっていたならば、いくらみほから学ぼうとしても、身についた習いがそれに抵抗してしまうだろう。親善試合中に彼女が見せていた穏やかすぎる表情は、すでに感情表出のコントロールという聖グロ伝統の淑女らしさを習慣化していることの表れである。だが、ここでオレンジペコの未熟さが、つまり副隊長などの立場で指揮にあたった経験がまだ全くないという未熟さが、聖グロ戦車道の伝統にサブリーダーとして染まりきらないうちに高い可塑性を発揮できるという利点として、再認識されることになる。そして、やはり隊長としてまだ未熟に見えるみほが、自らの成長のみならず、ともに成長しゆく隊員たちの能動的な支援によって助けられていくとすれば、そのような姿もまたオレンジペコが一般隊員とより接近した(ダージリンとは異なる)リーダーシップや訓練法を模索するための手がかりとなり得るだろう。とくにチームとして見たとき、大洗女子が個別行動のなかで各隊員の主体性をどれほど発揮できるか、そしてそれを隊長の指揮とどのように調和させることができるか、そこがダージリンの関心事となるのである。たとえ最悪、この調和にみほと大洗女子チームが失敗したとしても、それはそれでオレンジペコにとっての反面教師となるだろう。

 以上をまとめれば、ダージリンが試合観戦を通じて期待するのは、
隊長と隊員の成長過程において主体性と集団規律を両立させ得る大洗女子モデルの獲得である。これらをダージリンひとりが観戦して理解し後輩に伝えるのではなく、オレンジペコというリーダー候補が自ら観戦して主体的に学び取ることが重要となる。そして、ダージリンが一緒に観戦することで、オレンジペコに彼女が何に気づけないのかを気づかせることも、また必要だろう。こうして観戦を通じて聖グロ戦車道理念の別の具体化の方策を検討させることが、(作品中では描かれなかったが)自分達の試合を通じて聖グロ戦車道を実地学習させることと並んで、ダージリンの後継者育成における左右の駆動輪となるのである。



3.大会試合観戦による後継者育成の実態


 それでは、大会の大洗出場試合観戦時にダージリンがどのようにオレンジペコを教育し、また大洗女子の戦いぶりから何を教材として見出していたのか、そしてオレンジペコが何を学びとっていたのかを、時系列に沿って見ていこう。ここで取り上げられる観戦時の二人の会話は、とりわけオレンジペコがしだいに大洗女子びいきとなっていく過程として理解されやすいが、そこに彼女の成長の過程をも確認できるかどうかが主な検討対象となる。


(1)大洗女子vsサンダース戦 (第5話−第6話)

 まずは1回戦の対サンダース戦である。大洗女子のウサギさんチーム車M3がサンダースに3方向から挟撃されかけた場面で、聖グロコンビの最初の会話が描かれる。

オレンジペコ「さすがサンダース。数に物を言わせた戦い方をしますね」(淡々)
ダージリン 「こんなジョークを知ってる? アメリカ大統領が自慢したそうよ。『我が国には何でもある』って。
        そうしたら外国の記者が質問したんですって。『地獄のホットラインもですか?』って」

 きわめて回りくどい表現だが、ここでダージリンは早くもサンダース側の通信傍受器の存在に気づいている。空中の気球が画面にも映っているのはその示唆だが、ダージリンはみほよりも優れた状況判断力を見せていることになる。もちろん、試合中のみほと観戦中のダージリンでは余裕の有無や視野の広さに大きな差があるのだが、それにしてもこの判断力は素晴らしい。なぜ彼女が気づけたかといえば、それはサンダースの包囲機動があまりにも巧みすぎることを不自然と捉え、また視線を戦況ビジョンのみならず実際の試合会場とその上空にまで動かして状況全体を自らの目で把握したからこそだろう。一方のオレンジペコは、おそらく視線を戦況ビジョンと地表の間で動かしながらも上空の気球の存在には気づいておらず、もし気づいていたにせよそれが意味するところを考えようとはしなかった。サンダースの巧みな機動を「数に物を言わせた戦い方」という先入観のまま理解できたつもりで説明してしまったとき、彼女は隊長がもつべき主体的な判断力とその前提となる想像力や観察力の不足を露呈していたのである。
 オレンジペコのこの課題を見て取りながら、しかしダージリンは本人に分かりやすく指摘しようとせず、いかにもイギリス流の皮肉を込めたジョークで遠回しに伝えている。これは、聖グロの校風とダージリンのめんどくさい性格を除いて考えれば、あえて説明しきらずに隊長の言葉の意味を考えさせようという教育方針を物語る。おそらくオレンジペコは、日々のダージリンとのやりとりの中で、この隊長が語る言葉にはそれらがどれほど眼前の状況と無関係に思えても何らかの深いつながりがありうる、ということを理解しているだろう。もちろん、どうでもいい格言薀蓄の披瀝でしかない場合もあるわけだが、それはそれで何が重要な言葉なのかを選り分けるという習慣をオレンジペコに培っていることになる。そしてこの大洗女子出場試合の観戦ともなれば、ダージリンの軽口はそのままのジョークとしての意味ではないはずなのだ。
 しかし、少なくともこの段階では、オレンジペコは自分の先入観に基づいた判断を振り返るには至っていないのかもしれない。みほが通信傍受器に気づいてそれを逆手にとり、最初のシャーマンを撃破できた時の会話は、そのことを暗示する。

オレンジペコ「やりましたわね」(平然)
ダージリン 「ええ」

 もしもオレンジペコがここまでの時点でサンダースの策略に気づいていたならば、大洗女子が情報戦で圧倒的に不利であることも容易に理解しただろう。となれば、その大洗女子が逆に見事な伏撃を成功させたのを目の当たりにして、驚き、その手立てを知りたがるはずである。だが、ここでのオレンジペコの口調と表情は、親善試合での態度と同じくあまりにも穏やかだ。すでにサンダースの手の内とそれに対向する大洗女子の欺瞞情報戦の方法についてダージリンから教わるか、あるいは両者の会話を通じてオレンジペコが気づくかしていたのであれば、ここでオレンジペコはダージリンへの敬意や大洗女子への驚きなどをもう少し言葉に込めてもよかった。しかし、そういった描写が見られないということは、やはりオレンジペコはダージリンの求める水準に遠く及ばない。隊長としての視点でみほの成し遂げたことに感動する手がかりさえも、掴めていない。そしてダージリンも、観戦中にそのことをあからさまに責めはしない。すぐその場で看取できなくとも、ここまでの展開をあとで振り返ったさいに自分で気がつくことができれば、オレンジペコの判断力や想像力には一応の評価が下せることになるし、次なる課題はそれらの臨機の発揮にあると絞り込めるからだ。
 続いて、アリサ車を大洗女子が全力追撃する後半戦である。

オレンジペコ「まさかこんな展開になるとは……」(汗)
ダージリン 「うふふっ。まるで鬼ごっこね」

 ここでもオレンジペコは、大洗女子が成し遂げたことの意味をまだ理解していない。おそらく先ほどのシャーマン撃破が、3号突撃砲などによる地形を活かした伏撃という戦術的優位による成果として受け止められている。それゆえ、たとえ1、2輌程度を撃破されようとも、サンダースの「数に物を言わせた戦い方」が覆るほどではない、つまりサンダースの戦略的優位は維持されている、と判断している。だからこそ、ここでサンダースのフラッグ車が孤立したうえ全力追撃されているという状況を見て、こんな展開になってしまう理由が分からないのである。このことは、オレンジペコが試合展開を作り出す指揮能力についてまだ理解できていないことを意味すると同時に、それが自分には分からないという問題認識を、そしてその分からないことをみほたちが実行できたことへの疑問と動揺とを、この試合観戦を通じて初めて獲得できたのだ。これこそ、
オレンジペコが主体的に観戦し学び始める瞬間である。
 これに対して、すでにダージリンは、みほがサンダースの情報戦を何らかの方法で逆手にとったことを、先ほどのシャーマン撃破に至る大洗女子の機動から推測している。つまり、大洗女子が戦術的優位どころか戦略的優位を奪取したと判断しているのである。それゆえ、主導権そのものが大洗女子に移ったこの状況も、当然起こりえる一つの可能性として悠然と受け止められたのだ。そして後輩の困惑に対しては、やはり直接的に答えを与えることなく、オレンジペコが抱いた問いと感情と自己認識を彼女自身に抱えさせたままにする
 もっとも、この「鬼ごっこ」自体は蝶野教官が「こんな追いかけっこ初めて見たわね」と大喜びで語るように、高校戦車道大会では非常に珍しい光景であることは間違いない。隊列行動を旨とする聖グロや黒森峰ではまず起こりえないし、それ以外のチームでもたいていは追いかけっこを続ける前に、自力に勝る側が相手フラッグ車を撃破して終わるものなのだろう。その点、アリサ車の撤退走行も見事だったし、大洗女子の火力と練度と運が一歩及ばなかったということでもある。
 さて、サンダースもケイの指揮のもとで追撃に入り、大洗女子はアリサ車を追撃しながら自らも挟撃されるという事態に陥った。この手に汗握る場面で、聖グロコンビのあの有名なやりとりが登場する。

オレンジペコ「大洗女子、ピンチですね……」(眉根を寄せて)
ダージリン 「サンドイッチはね、パンよりも中のキュウリが一番おいしいの」
オレンジペコ「はい?」
ダージリン 「挟まれたほうがいい味だすのよ」

 ダージリンのしたり顔とオレンジペコの無表情が何ともいえない余韻を生むこの会話だが、単純に考えればここで隊長が言いたいことは、挟撃された大洗女子がその真価を発揮するだろう、という期待まじりの予測である。しかし、過去のイギリスでは上流階級の証とされたらしいキュウリのサンドイッチに大洗女子(そして隊長のみほ)を喩えるあたり、ダージリンの予測は期待というより確信に近い。なぜ彼女はここまで言い切ることができたのだろうか。先ほど述べた大洗女子の戦略的優位は、すでに情報戦ではなく数と火力の勝負になっている以上、もはや失われている。そして、車輌数はいったんケイの命令で同数となったものの、たちまち大洗女子の2輌が撃破されて再び劣勢に陥っており、火力については最初から思わしくない。いかにも主導権をサンダースに握り返されているという状況なのである。
 だが、とダージリンは考えたのだろう。親善試合のあの1vs4の状況よりは、まだ余裕がある、と。たしかに3号突撃砲は後方カバーのためにその火力を発揮できない。しかし、ともかくもまだ撃破されてはいない。また、フラッグ車の38(t)はたしかに装甲が脆弱ではあるが、しかしここまで敵の砲撃を回避できてもいる。むしろ条件は親善試合終盤より恵まれているとさえ言える。であるならば、あのみほが隊長であるかぎり、例えば3号突撃砲を囮にしてその隙にシャーマンを仕留める(相手の油断を利用する)とか、38(t)と共に林に逃げ込んで各個撃破を挑む(相手の長所を活かしにくくする)とか、そのさい38(t)との通信をあえて傍受させて今度はその通信内容どおりに行動する(再び情報戦で逆手にとる)とか、次の手を粘り強く講じてくるに違いないのである。マチルダを立て続けに3輌食ったあの猛獣ぶりをダージリンは忘れていないし、そして何より、サンダースのフラッグ車が自分やオレンジペコたちのチャーチルに匹敵する狩人であるようにも見えなかった。実際には華とみほの一撃への賭けが成功したわけだが、これはダージリンからすれば、短砲身の4号が接近戦だけでなくあの距離での砲撃でも有力であることを掴んだ場面である。
 しかし、本考察の観点からすればこの場面でより重要なのは、オレンジペコが大洗女子の苦境に寄り添いながら対応策を懸命に考えているように見えることと、ダージリンが自らの思考をそのまま伝えずに再び謎めいた格言(?)で応じていることである。
観戦者としてのオレンジペコは、大洗女子への共感とダージリンとの対話を通じて隊長の視点を内面化していく。そしてダージリンは、オレンジペコの感情面での内面化と判断面での内面化の進度とバランスを調整していくのである。
 ともあれ、大洗女子が辛くも勝利を収めたのち、みほとケイの握手の場面で聖グロコンビはこの試合最後のご登場となる。

オレンジペコ「うわー!」(瞳きらきら)
ダージリン 「……ふふ」(紅茶)

 大洗女子の勝利を喜ぶのは両者共通だが、この握手の光景を見てオレンジペコはじつに素直に感動している。それは、ケイとみほが、高校生戦車道の理念を目指す女性が互いに認め合う清らかな友情のさまを、はっきりとかたちにしているからでもあるだろう。また、じつは聖グロのお固い校風ではなかなかお目にかかれない素朴な心情の交流を、オレンジペコが求めているという表れでもあるかもしれない。とくに戦車道の試合では、相手チームとマナーに則った交歓こそ重ねているものの、いわば格下の学校とはもちろんのこと、強豪校同士ならなおさら、このようなオープンマインドな間柄になれるものではない。しかし、今までのオレンジペコであれば、この場面でも聖グロの校風に素直に従って、できるだけ感情表出を抑えていただろう。それがここまで素直にさらけ出してしまったのは、やはりこの試合観戦を通じて、彼女の感情が大きく揺さぶられ、
本来の性格が引き出されたことの証である。
 そう、ダージリンの微笑みは、オレンジペコの振る舞いが可愛いというだけでなく、このことを理解したうえでのものなのだ。みほに率いられる大洗女子は、聖グロやサンダースを含む強豪校の、そして高校生戦車道の雰囲気を一変させるかもしれない。そして聖グロの内部では、将来のチームを担うオレンジペコが、みほの影響をすでにこうして受けつつある。オレンジペコはダージリンよりも感情とその表現の振れ幅が大きいが、それは聖グロ隊長としてある程度コントロールできるようになるべきである一方で、ダージリンとは異なるリーダーシップを発揮するさいに役立つかけがえのない資質・長所であるかもしれない。そこで活かせるような情動面でのバランスの取り方はダージリンでは指導できないが、いまケイの差し出した手を握りしめて顔をほころばせるみほの姿に、またもや一つの模範を見出せることが明らかとなったのである。


(2)大洗女子vsアンツィオ戦 (第7話・OVA)

 続く2回戦の対アンツィオ戦では、聖グロコンビの姿は映しだされているものの、会話の場面は一切ない。それは、この試合がいわば復習教材であるからだ。
 対アンツィオ戦の内容を見ると、対サンダース戦とほぼ同じ展開であることが分かる。まず、対戦相手が主導権を握るために術策を用いる(通信傍受・「マカロニ作戦」)。術策に気づいたみほがそれを逆手に取り、大洗女子が主導権を奪いながら対戦相手を分散させ、敵フラッグ車の護衛を薄くして撃破を狙う。これを受けた対戦相手が再び主導権を奪い返そうとするが、大洗女子が一手早く勝利する。という展開である。
 1回戦終了後、学園艦に戻ったオレンジペコがダージリンから事後検討の場を与えられていたとすれば、オレンジペコは試合中の自らの不明を痛感しつつも大洗女子の指揮統率について学び直したことだろう。それを踏まえれば、この対アンツィオ戦の試合運びには、特段ダージリンとの会話場面を必要とするような新味は感じられない。もちろん個々の注目すべき場面ではお互いのコメントがあっただろうが、大枠としては対サンダース戦の応用問題として、オレンジペコはほぼ満足のいく予想を立て事後の自己評価を行えたのではなかろうか。
 このことは、後進育成を目論むダージリンにとっては、ひとまずの成果として受け止められた。しかし、あくまで極端な想像ではあるが、オレンジペコがここで見出された基礎とその応用ばかりに習熟し、自らの判断力や想像力をその範囲内に無自覚に限定するようになったならば、結局は聖グロの問題が形を変えて、しかも隊長レベルで繰り返されることになってしまうだろう。まださほど大きくはないこの危険性も見過ごすことなく、また今大会試合観戦の学習効果を最大限に発揮させるため、ダージリンはみほの可能性に賭けながら、密かに一つの策を編んだ。


(3)大洗女子vsプラウダ戦 (第8話−第10話)

 準決勝第1試合にて聖グロは黒森峰に敗れた。つまりダージリンは、黒森峰の装備や練度、そして指揮統率の総合力を上回ることができなかったのである。ここまでの試合観戦は、そこで学んだことを自分たちの試合に活かすという直接的な意義もあったわけだが、ここから先は純粋に後進育成を念頭においていくことになった。
 そこでダージリンが行ったことはと見れば、聖グロの敗退から大洗女子vsプラウダ戦までの期間に、彼女はわざわざプラウダ艦へと足を運んでいる。しかもオレンジペコを連れずに単身で、である。

ダージリン 「次は準決勝なのに余裕ですわね。練習しなくていいんですの?」
カチューシャ「燃料がもったいないわ。相手は聞いたこともない弱小校だもの」
ダージリン 「でも、隊長は家元の娘よ。西住流の」
カチューシャ「え!? そんな大事なことをなぜ先に言わないの!」
ノンナ    「何度も言ってます」
カチューシャ「聞いてないわよ!」
ダージリン 「ただし、妹のほうだけれど」
カチューシャ「えっ?……なぁんだ」
ダージリン 「黒森峰から転校してきて、無名の学校をここまで引っ張ってきたの」
カチューシャ「そんなことを言いにわざわざ来たの? ダージリン」
ダージリン 「まさか。おいしい紅茶を飲みに来ただけですわ」

 言うまでもなく、ダージリンは「紅茶を飲みに来ただけ」ではない。すでに敗退したという立場を利用して(まだ勝ち残っているチームのリーダー同士は試合外で接触しづらいだろう)、明らかにカチューシャを煽りに来たのである。ただし、その煽りは、カチューシャを感情的にさせて冷静な判断を失わせ、大洗女子に有利にするためのものではない。むしろまったく逆に、大洗女子に対するカチューシャの警戒心を高め、彼女の優れた作戦立案能力や指揮能力をいっそう発揮するよう刺激しているように見える。
 この会話までのカチューシャは、大洗女子を他の弱小校と同列にみなしており、2回戦までの戦いぶりをもとに作戦を立て訓練をする気もなかった。仮にも1回戦でサンダースを破っている相手に対して、完全に油断しきっていると言ってよい。もしもこのまま試合に入ったとしたら、弱小校相手のパターンどおりに機動するプラウダに対して、敵の出方をじっくり探るみほはこの油断を見逃さず、主導権を奪いに果敢な行動に出ただろう。そして、そのままフラッグ車撃破・試合終了となったかもしれないし、さすがのカチューシャが即応して一手を争う好ゲームになったかもしれない。しかし、そのような展開は、対サンダース戦や対アンツィオ戦のパターン反復にすぎない。大洗女子が勝利できる可能性はこの展開ならばこそ高まるわけだが、それではオレンジペコにわざわざ観戦させる意義が大きく損なわれてしまうのだ。
 これを避けるために、ダージリンは、まず西住流の名を出すことでカチューシャの注意を強く惹きつける。「家元の娘」とはカチューシャにとって黒森峰の隊長まほの肩書にほかならない。それは、プラウダの優勝を過去9年間にわたって阻んできた憎き敵のリーダーであり、昨年度ついに(おそらく自分の働きによって)打ち破ることに成功した劣者であり、そしてなぜかその自分よりも世界大会への推薦選手として目立っているという不届きな存在である。これを再び打破して自らの優位を周囲に認めさせることが今大会におけるカチューシャの最高目標なのだが、ダージリンは彼女のそんな情念の火にそっと油を注いだのである。そこに続けて、西住といってもまほではなくその妹だと明かしつつ、弱小校を準決勝まで進めさせた原動力であると言い添えてその優れた士気能力をそれとなく褒めそやすことで、カチューシャはもはや完全に焚き付けられた。油断ならない西住妹に率いられた大洗女子は、もはやただの弱小校ではなく、黒森峰との決勝戦に先立つその前哨戦として、しかも西住流に2回連続で勝利するというまたとない機会をもたらすものとして、捉え直されたのである。
 こうして瞠目すべき外交術よってカチューシャの着火に成功したダージリンは、大洗女子vsプラウダ戦に後輩を伴って訪れた。プラウダの戦いぶりを「下品」と呼んだダージリンは、その「下品」なプラウダを利用することをためらいはしなかった。しかし、そんな
間接アプローチという戦略的能力を後輩に伝授するのはまだ早すぎる。何も知らないオレンジペコは、試合開始前にしごく当然の懸念を口にする。

オレンジペコ「この寒さ。プラウダより圧倒的に劣る車輌。これでどうやって勝つつもりでしょう」

 だが、そのうえカチューシャの攻撃性まで高めてきたのがこの隊長だとは、ダージリンの普段どおりの涼しい横顔からは想像もつかなかっただろう。この平静さをとりあえず、パックス・ダジリニカと呼んでおこう。ところで、オレンジペコのこの懸念は、対サンダース戦時の「数に物を言わせた戦い方」よりも自らに引きつけた言葉である。これは大洗女子への共感によるのみならず、彼女はすでに黒森峰と戦って敗れ、その車輌の質の差を肌で痛感しているがゆえのものである。この実戦経験とその反省を下敷きに、おそらくオレンジペコは聖グロ対プラウダ戦もイメージしながら観戦しているのである。
 試合開始直後、大洗女子は珍しく攻勢に出て、幸先良くT34を撃破する。この場面でオレンジペコの表情は映しだされていないが、ダージリンは目元を引き締めて無言で戦況を見つめている。

ダージリン「……」

 このとき、ダージリンは、自分の注いだ油がどの程度の炎をかきたてたのかを確認しようとしている。プラウダ車のあまりにも不用意な撃破のされ方を見て、カチューシャがあえて引きこもうとしていることはすぐ掴んだだろう。つまりプラウダは徹底的に殺る気だ。すると問題は、大洗女子が相手の作戦をどこまで察知しているか、である。みほがカチューシャの策略を事前に予測したうえで、罠にはまらないうちに敵戦力の漸減に努めているのであればいいが、もし気づかないまま攻撃を進めているのだとすると、これまでの2試合とは異なり、気づいたときにはプラウダの圧倒的な戦力の前に手遅れということになりかねない。そして、過去のみほは相手の策を偵察行動で察知してこれたが、今回はその堅実な手段を用いていないのである。ダージリンはあえてプラウダに塩を送ったものの、一方の大洗女子がなぜかみほの指揮能力を発揮しようとしないがために、戦力の不均衡が想定以上に大きくなりすぎてしまった可能性があった。
 これがみほの指揮統率の失敗を意味するとすれば、その原因がみほの指揮能力と隊員練度のいずれにあるにせよ、集団規律なき主体性(あるいは主体性なき集団規律)がもつ負の面として受け止められるだろう。それはたしかに一つの教材となりはするが、しかし、いまのオレンジペコにわざわざ見せたいものでもない。真摯な表情のダージリンが、その内心で(やりすぎてしまったかしら、てへぺろ)などと考えていてもおかしくない状況なのである。いわば欧州大陸のパワーバランス操作に失敗したイギリスの気分であろうか。
 そんなダージリンの懸念どおり、大洗女子はプラウダの圧倒的戦力に包囲されて建物の中に押し込められてしまう。ここでカチューシャがあえて降伏勧告を行い協議のための休戦時間を設けた場面で、聖グロの二人が久々に会話する。

オレンジペコ「どうしてプラウダは攻撃しないんでしょう?」
ダージリン 「プラウダの隊長は楽しんでいるのよ、この状況を。彼女は搾取するのが大好きなの。プライドをね」

 ここで明らかに、オレンジペコは戦いに及ぼす精神面の影響をダージリンほどには理解できていない。しかしそれと同時に、勝つチャンスがあるならそれを逃すべきではない、という基本をしっかり理解できている。このことは、黒森峰ならばそうするのに、という経験活用の結果でもあるし、聖グロの「騎士道精神」をオレンジペコが正しく修得していることの証でもあるのだ。彼女の問いをきっかけにして、ダージリンはプラウダの隊長カチューシャの性格や思考法をオレンジペコに説明し、将来彼女が隊長としてプラウダに相対するさいの心構えと、付け入る隙のありかを伝授している。そして熟練の隊長として・聖グロの淑女として心の機微を知るダージリンは、協議中に降雪がさらに激しくなる中で、カチューシャの性格に試合の突破口を見出していた。

オレンジペコ「ますます大洗女子には不利ですね。敵に四方を囲まれこの悪天候、きっと戦意も……」
ダージリン 「それはどうかしらね」

 そう、まだ全てが不利と決まったわけではない。なぜなら、カチューシャやプラウダ隊員たちが大洗女子の不利を認識すればするほど、カチューシャがダージリンの示唆によって一度は捨てたはずの弱小校への油断に、そして合理的判断のためにある程度抑制していた西住流を屈服させることへの快楽に、再び強く囚われていくからである。ただし、それらの情念を利用できるかどうかは、大洗女子の指揮統率と士気が回復するかどうかにかかっている。
 退避中の建物にて大洗女子全員によるあんこう音頭が繰り出されたのを観て、オレンジペコは場違いなその行為の意味がまるで分からず目をぱちくりさせ、ダージリンは両方の条件が満たされたことを穏やかに確認する。みほを中心に全員が揃って歌い踊っているというのは、みほの指揮統率のもとで全隊員が一致団結し、あきらめず勝利を目指そうとする意志の表れにほかならないからだ。

オレンジペコ「……」
ダージリン 「ハラショーですわね」

 何が「ハラショー」(結構)かと言えば、大洗女子が士気回復したことへの、そしてこれでオレンジペコへの教育が継続できることへの、である。
 そしていよいよ大洗女子の脱出突破行が開始されると、オレンジペコは観客の声援に注意を向ける。

オレンジペコ「みんな大洗を応援しています!」
ダージリン 「判官びいきということかしら」

 ここではオレンジペコは完全に大洗女子の側に立っているが、ダージリンはあくまでも「判官びいき」と状況を客観視してオレンジペコを冷静にさせ、後輩の感情面と判断面のバランスをとらせようとしている。この後輩の本来の性格が引き出されたのは一つの成果だったが、それが隊長として活用できる範囲を超え出て表出してしまうのであれば、それとなく注意を与えるのはダージリンの役目である。
 ところで、ここまで観客の雰囲気が一変したのはやはり、さんざん待たされたあげくしょっぱい結末を見せられるかと思いきや、大洗女子が絶望的な窮地を脱して見事な反撃に及んだからだろう。それは言うまでもなく、試合の主導権を大洗女子が奪い返しつつあるということを意味する。そして、いま大洗女子が演じているのがまさしく絶望的状況下における敵中突破、言い換えれば被包囲下における浸透強襲戦術であることに注意を向けるならば、正しく鍛えられた聖グロがこれと同じ声援を得ることもまた十分想像できるのである。
 やがて試合は、逃げまわる敵フラッグ車をどちらが先に撃破するかという大洗女子ペースの展開となり、ついに訪れた決着の場面を、オレンジペコは前のめりの姿勢で不安そうな表情で汗を浮かべやや口を開け、ダージリンは厳しい眼差しで見つめる。この場面ではダージリンも、大洗女子にいくぶんか肩入れしていたであろうか。それとも決勝戦が後進育成の場になるかどうかをあくまで冷静に見極めようとしていたのだろうか。それはともかくも、こうして対プラウダ戦はダージリンの狙いどおり、これまでの2試合とは異なる展開の中で、みほの指揮能力とこれに応える大洗女子隊員の練度の向上を確認する舞台となった。まず大洗女子が攻勢に出たのち主導権を奪われて大きく劣勢に陥り、そこから再び勝機を掴み直すというこの展開は、じつは親善試合にてみほとダージリンが演じたそれと似通ったものである。しかし、この準決勝戦でのみほは、あのときのように搭乗車単独での挽回を図ったのではなく、最後まで部隊としての協働を維持し、隊員たちも彼女の指揮のもとで個々の役割を能動的に果たし、それらが噛み合うことによって勝利を得た。明らかに
指揮能力と隊員の主体性の両面において調和的な成長を遂げたみほ率いる大洗女子チームの姿を、オレンジペコに直接学ばせることができたのは、ダージリンにとって期待以上の収穫だったのかもしれない。そして、これほど貴重なものを提示してくれたみほと大洗女子チームの成長ぶりに、ダージリンはあらためて思いを致すのである。


(4)大洗女子vs黒森峰戦 (第10話−第12話)

 大会試合観戦による後進育成もいよいよ大詰めとなったが、そこではオレンジペコのみならずダージリンもまた、多くのものを得てきた。聖グロの二人がどのように変化してきたかを、ここで確認していこう。
 決勝戦直前、最終整備にあたるみほの元をダージリンとオレンジペコが訪れる。試合前にみほたちと接触するのは、大会を通じてこれが初めてとなる。

オレンジペコ「まさかあなた方が決勝戦に進むとは思いませんでしたわ」
みほ     「あ、私もです」
ダージリン 「ふふっ。そうね、あなた方はここまで毎試合、予想を覆す戦いをしてきた。今度は何を見せてくれるか、楽しみにしているわ」
みほ     「あ……がんばります」

 この、親善試合で縁を結んだ「好敵手」同士らしいやりとりの中に、注目すべき点が2つある。まず、オレンジペコもダージリンも「あなた」ではなく「あなた方」と語っていること。親善試合後のプレゼントメッセージには「あなたのお姉様」とあったように、あの時点ではダージリンが意識した相手はみほ個人であり、実際の試合内容を鑑みればそれも当然だった。しかし、大会での3試合を経て聖グロの二人の目に映るのは、もはやみほ隊長ひとりではなく、大洗女子というチーム総体としての輝きである。「予想を覆す戦い」をしてこれたのは、隊長の指揮能力だけでなく、その意図を実現できる隊員の練度あってのものなのだ。もう1つの注目点は、まほについて何も言及していないこと。親善試合ではみほを賞賛するにあたっては、どうしても姉まほや西住流との比較が念頭に置かれていた。しかし今となっては、姉妹の能力や個性の比較などするまでもない。うっかり「あ、私もです」などと答えてしまうような西住流はあり得ないのだから。決勝戦を迎えてのこの(隊員たちの士気を下げないかぎりでの)自然体もまた、オレンジペコの教材とすべき隊長としての模範的態度である。
 そんなみほを応援に、ケイたちやカチューシャたちが次々と足を運ぶのを眺めながら、ダージリンはふと問いかける。

ダージリン「あなたは不思議な人ね」
みほ    「え?」
ダージリン「戦った相手みんなと仲良くなるなんて」
みほ    「え……それは、みなさんが素敵な人たちだから」
ダージリン「ふふ。あなたにイギリスのことわざを贈るわ。『四本足の馬でさえ躓く』。強さも勝利も永遠じゃないわ」
みほ    「あ……はい!」

 みほの「みなさんが素敵な人たちだから」という返事を聞いたときの、ダージリンの柔らかな笑顔。相手のよさを立てるのは、第1話でも沙織や華を相手に見せたみほの社交能力の高さである。しかもそれはどうやらタテマエではなく、みほがもつ謙虚さと他者への敬意の自然な発露であるらしい。それが悪く出れば自尊心の低さにもつながるのだろうが、いまのみほは仲間との信頼に基づいた静かな自信に支えられている。作らざる淑女としてのみほと隊員たちとのこの関係こそ、ダージリンがオレンジペコと今後の聖グロチームに期待するものなのだ。そして、みほが全ての対戦相手と培ってこれた好意的なライバル関係もまた、そこに加わることのできたオレンジペコが今後他校のリーダーたちと維持し深めていってほしい新たな財産である。これは、ダージリンでは生み出すことのできなかったものであり、むしろオレンジペコの性格の方がその発展のためには向いているかもしれない。
 試合開始からさほど経たずに、大洗女子は4式を撃破されて逃走に移る。戦況を見つめるオレンジペコの目元はきりりと引き締まり、一方のダージリンは(ケイと同じく)余裕の微笑。最小限の損害で抑えたのちの開豁地での撤退行動をどのように成功させるかを、静かに見守る。そこでみほが指示した「もくもく作戦」への二人の反応が、次の会話である。

オレンジペコ「煙幕を張るなんて……」
ダージリン 「All is fear in love and war. 恋と戦いは、あらゆることが正当化されるのよ」
オレンジペコ「あっ、煙幕が晴れてきました!」

 最後のオレンジペコの言葉に、ダージリンは口に運びかけたカップをすぐ下ろして戦況を確認する。煙幕が晴れれば大洗女子は黒森峰の遠距離砲撃にさらされるわけだが、そこでどんな事前の策を講じたのか。二人が目にしたものは、ポルシェティーガーを3輌で牽引し登攀の支援をする光景であり、煙幕の中で短時間に牽引の準備を整える大洗女子の技量の高さであった。
 ところで、ダージリンの台詞にある格言は、親善試合で彼女がみほに言い放った「イギリス人は恋愛と戦争では手段を選ばない」の原文である。これを聞いて視聴者が、格言の使い回しではないか、あるいは最近ダージリンが原文を知ったので披露したかったのか、とのみ考えるのはやや一面的だろう。なぜなら、今回は英語の格言をそのまま引用することで、親善試合時の「イギリス人は」という主語を意図的に消しているからである。親善試合でのこの格言引用は、自分たちイギリス流の伝統を持つ聖グロが、そのような伝統を持たない大洗女子に向かって講釈するという、上から目線のものだった。しかし、今回の場合は「イギリス人」や聖グロのみが対象ではなく一般論として、つまりみほ率いる大洗女子も含めての言葉として用いられているのである。ここにも、ダージリンがみほや大洗女子を聖グロ戦車道と近しい存在として認識していることが読み取れる。続く丘陵登攀時のやりとりも、この視点から理解できよう。

オレンジペコ「やられる前に、有利な場所へ逃げ込まないと……!」
ダージリン 「あなたもいつの間にか、彼女たちの味方ね」
オレンジペコ「はっ!?……うう」

 照れるオレンジペコを優しくからかうダージリンだが、「あなたも」ということはダージリン自身「も」また、大洗女子の味方になっているということでもある。ただしそれは、オレンジペコのように素直な応援の相手というだけでなく、ダージリンは自分たちと大洗女子との同じベクトルを看取したうえでの親近感を抱いているのである。その一方で、この場面でとるべき部隊行動についてオレンジペコが発言していることにも注目したい。攻撃される前に有利な場所へ退避、という発想そのものは素人でも思いつく程度のことだが、オレンジペコはこれを実行するさいの部隊の困難についても思いを巡らし、それを可能にするために隊長には何が必要であるかを同時に考えようとしているのである。ただ、やはり大洗女子を贔屓目に見ているのは明らかなため、ダージリンが優しく釘を差して、感情面と判断面のバランスを回復させようとしているわけなのだ。
 さて、無事に到達した高所の利を活かす大洗女子に対して、まほはヤークトティーガーを前に進めて対処する。

オレンジペコ「んんーっ……」
ダージリン 「重戦車を盾に使うのね……」

 ダージリンもさすがに険しい表情だが、まほのこの対応策はじつに堅実でありながら、同じことを聖グロがされた場合に打開が難しい。そのままでいれば火力差によって正面からじりじりと圧倒されるだろうし、浸透強襲を行おうとすれば自ら高所や陣地を捨てることになる。どのように対応するかについて、ここではダージリンもオレンジペコとある程度同じく、ひたすら考え悩み抜くほかない状況である。これに対するみほの手は、生徒会のヘッツァーという遊撃隊を用いて黒森峰の隊列を混乱させ、その隙に乗じて一気に突破脱出するというものだった。ここで大洗女子が示した打開策は、やはり隊員車輌の自主性と隊列行動との調和という、聖グロの学習課題そのものに立脚していた。大洗女子のこの見事な機動に黒森峰も素早く対応しようとするが、しかし追撃中のエリカ車はアクシデントに見舞われる。

ダージリン 「プラウダ校対策だった重戦車運用が裏目に出たようね」
オレンジペコ「黒森峰の重戦車は、足回りが壊れやすいのが欠点。それを狙ってたんですね!」
ダージリン 「走り回っていれば、黒森峰側は燃料切れを起こす車輌も出てくるわ」

 オレンジペコは(よっしゃぁ)という感じで拳を握っており、もはや大洗女子びいきを隠すつもりもない。だが同時に、彼女はダージリンの示唆に対して、自分で考えた回答を提示してもいる。戦況や表面的な行動そのものについて語ったり感想を述べたりするのではなく、みほの行動が何を目的としたものなのか、その隊長としての思考のすじみちをオレンジペコなりに想像し判断しているのである。先ほどの発言とあわせて、そのような姿は観戦場面を通じてここで初めて描かれていることを、論者は強調しておきたい。そして、大洗女子びいきの感情表出と、指揮統率についての冷静な判断とを、ここでのオレンジペコが両立できていることも。いかにも説明台詞的なこのやりとりにおいて、じつは大会での自らの実戦と大洗女子試合の観戦とを通じて得られたオレンジペコのリーダー面での成長が見出だせるのである。
 さて、渡河時にM3がエンジン停止したさい、みほはあの八艘飛びを披露するわけだが、実況画面を見つめる聖グロの二人の姿はまたもや対照的である。

オレンジペコ「んんーっ……!」(両手を祈るように握り合わせて)
ダージリン 「……ふふっ」(瞼を閉じて)

 オレンジペコは相変わらずのみほ贔屓として、ダージリンは何を考えていたのだろうか。追撃されるなかでこの救出に無事成功すればうさぎさんチームのみならず全隊員の士気が大きく高まるかもしれないこと、そしておそらくみほ自身はそんな損得勘定で動いておらずただ大切な仲間を助けたいだけであるだろうということに、(さすがね)と感じ入っていたのか。あるいは、大画面で映しだされるみほの勇姿に、(これは恥ずかしい。私にはできない無理)と目を塞いだのか。はたまた、オレンジペコがいっしょうけんめい飛び渡る姿を想像して
(これはお茶うけに最高ね)と喜んでいるのか
 そんな論者の邪推を吹き飛ばすように、市街地に突入した大洗女子をマウスが襲う。

ダージリン 「史上最大の、超重戦車……」

 聖グロ隊長もさすがに汗を浮かべるが、その動揺がいつまでも続くわけではない。

オレンジペコ「さすがマウス、大洗女子の正念場ですね」(身を乗り出すように)
ダージリン 「正念場を乗り切るのは有能さじゃないわ。冷静な計算の上に立った捨て身の精神よ」
オレンジペコ「……はい!」

 ここでの二人は、大洗女子が大きな犠牲を払いながらも苦境を乗り越えるだろうと確信している。「冷静な計算の上に立った捨て身の精神」とは、親善試合以来みほがその身をもって示してきた指揮統率者の真髄だった。このことを把握するに至ったオレンジペコは、しかし、具体的な方策について自らのアイディアを述べることができてはいない。ただしそれは、ダージリンも同様である。ごく常識的に考えれば、履帯や転輪を狙って移動不能にしてしまうという手が浮かぶが、固定砲台となったマウスもそれはそれで脅威かもしれないし、黒森峰本隊の合流までに無力化できないという危険性もある。そこでみほが選んだ攻撃法には、論者と同じく聖グロの二人も驚嘆した。

オレンジペコ「!」(大きく口を開けて驚き)
ダージリン 「……」(小さく口を開けたまま見つめる)

 ダージリンが口を開けて感情を露わにしたのは、観戦中これが初めてである。その驚きと興奮は、マウス撃破で頂点に達する。

オレンジペコ「すごい! マウスを仕留めました!」
ダージリン 「今度私たちもやろうかしら、マークYで」

 ダージリンの横顔に浮かぶ不敵な微笑と汗。ここで彼女ははっきりと、みほの・大洗女子の底力に畏敬の念を抱いている。だが、その感情を素直に表さないのがやはりオレンジペコとの差であり、しかも咄嗟の一言にはさすがの捻りが加えられていた。「私たちもやろう」「マークYで」。先ほどの会話から今までの間、ダージリンは、みほたちがどのようにマウスに対処するかだけでなく、自分たちならこの状況でどうするかについても、同時に考え続けていたのである。だからこそ、ここでマウス撃破に驚嘆するだけでなく、ただちに聖グロで可能なアレンジを口にすることができたのだ。(ところで、マークYは89式の役目を果たすとして、ヘッツァー役はどうするのだろう。あるいはマークYを上面に乗せたチャーチルを、マウスに横付けして乗り移らせるのだろうか。)オレンジペコはさすがに驚嘆の感情を先に表したが、ここまでの彼女の成長を踏まえれば、ダージリンのこの言葉が意味する隊長としての思考に、すぐに気づいて反応できたのではないかと想像する。
 その後のウサギさんチームによる駆逐戦車撃破という偉業や、レオポンチームによる進入路閉塞などの場面では、聖グロの二人が映し出されることはなかった。次に登場するのは、あんこうチーム車以外すべて撃破された直後である。

オレンジペコ「あと1輌……!」
ダージリン 「……」

 さすがにここでは、二人とも表情が険しい。だが、その「あと1輌」とは、みほが「冷静な計算の上に立った捨て身の精神」で実現した、フラッグ車同士の1vs1というお互いにとっての「あと1輌」である。もちろん黒森峰のエリカたちが進入路を啓開してしまえば悲惨な戦力差に戻ってしまうわけだが、最後の1輌となったみほの獰猛さは聖グロの二人が最もよく知るところなのだ。そんなみほの勝負をまほが真っ向から受けて立った結果、大洗女子はついに大会優勝の栄冠を獲得した。

オレンジペコ「やったー!」(少し泣きそうな顔で拍手)
ダージリン 「……」(穏やかな笑顔で拍手)

 決着の瞬間、そして表彰式の場面で、聖グロの二人は素直な賞賛の意を示す。

オレンジペコ「おめでとう!」(目元に涙)
ダージリン 「おめでとう」

 感極まるオレンジペコと、慎みのなかに好敵手への敬意を忍ばせたダージリン。そしてこの隊長は、みほの挑戦を単独で受けてしまったまほの気持ちを、誰よりもよく理解していたのではなかろうか。勝つためには「手段を選ばない」のが聖グロ戦車道だが、あの決闘場面には、聖グロ戦車道の同じく目指す気高さが漲っていたのである。



おわりに


 以上、聖グロ戦車道の理念と実態からみる課題、そしてダージリンによる対策としての後継者育成について検討してきた。試合観戦を通じてダージリンが達成したものをまとめると、次の3点となる。
 まず、聖グロが課題とするチームにおける主体性と集団規律の両立や、そのための隊長・隊員の資質能力について、大洗女子という参照モデルを獲得したこと。
 次に、オレンジペコが大洗女子とその成長のさまを実地に観察して戦車道の新たな可能性を発見しつつ、隊長候補としての自身の能力・態度向上や個性表出に役立てたこと。
 最後に、可愛い後輩の新たな魅力を間近で満喫できたこと、である。

 個人的な余録はともかくも、オレンジペコがすっかり大洗女子びいきになってしまったことは、みほたちが独自のかたちで体現する聖グロ戦車道の輝きをも進んで追い求めているということだから、その意味でもじつに好ましいことではある。ただし、この後輩が大洗女子に過剰に共感し、みほを見習おうとしすぎて暴走してしまうなら、観戦中もダージリンが行っていたように、彼女やアッサムから感情面と判断面のバランスをとるよう促し、いわば伝統の側へと引き戻してやる必要がある。逆にオレンジペコが堅固な伝統の前に遠慮してしまうなら、ダージリンが再び大洗女子との交流機会を用意することもできるだろうし、隊長自ら仮想敵チームを率いて刺激を与えることもできるだろう。それだけの能力がダージリンにはあるし、彼女に訓練される仮想敵チーム隊員も従来の隊列行動訓練とは異なる判断を求められ、しだいに主体性を育まれることになるかもしれない。
 伝統的手法を改革することは意識の面でも物的な面でも困難であることに変わりはないが、みほ・大洗女子という新規モデルを得たオレンジペコは、これとダージリン・聖グロという伝統的モデルとの間に立って、比較検討し、良いとこ取りを模索しながら、良き先輩たちとともに努力していくことだろう。時にはそれが2つのモデルの間で引き裂かれることをもたらすかもしれないが、そのような危機もまたオレンジペコにとっては挑む甲斐のある成長の機会であり得るし、彼女の持てる資質能力と新たに勝ち得た意志が突破口を切り開くことになるだろう。ダージリンがサンドイッチについていみじくも述べたとおり、
オレンジペコもまた「挟まれたほうがいい味だす」はずなのである

 いまダージリンの格言引用について触れたが、ここまで検討してきた聖グロ戦車道のありようをふまえれば、彼女の格言へのこだわりについても、戦車道に資する積極的な意義が見出だせるかもしれない。本考察を結ぶにあたり、これについて記しておこう。
 他の聖グロ隊員が格言をいっさい引用していないことからして、あれは聖グロの戦車道の伝統の一部というよりはダージリンの独特な個性・趣味や衒学的態度の発露としか思えないのが当然ではある。しかし、格言というものは判断基準や思考の理路といったものを簡潔明瞭なかたちで表現していることに注目するならば、試合中の慌ただしい局面で的確な判断を下さざるをえないとき、ああいった言葉を覚えていることが役に立つこともありうる。つまり戦車に搭乗中は、手元の紅茶をこぼさないことに意識を向けて落ち着きを取り戻したのち、格言を思い出して迅速な判断を行うのである。もちろん、格言であれば何でもいいというわけではなく、様々な問題場面に応じたものをあらかじめ選んで記憶しておく必要がある。だが、選別できるためにはそれだけ多くの格言を学ばねばならないし、それが試合中の緊迫した状況下で咄嗟に口をついて出てくるためには日頃の学園艦生活のなかでも習慣化しておかねばならない。たとえ自らの趣味に由来するものであろうとも、格言を用いることでダージリンは戦車道における自己統御とリーダーシップ発揮に彼女なりの確実化・効率化を図ることができた。もしかすると、あれだけ優秀でタフなダージリンでさえ、戦車道を始めた当初や隊長候補となった時期には、自分を律し隊員を率いるにあたり、不安とともに厳しい自己分析を行っていたのかもしれない。おのれの未熟さを痛感し、克服の手立てに思い悩んだとき、彼女がついに発見したものは、自らが好む格言を戦車道に利用するという独自の手法だったのではないか。格言という伝統の産物と、自分自身の個性とを融合させて、聖グロ戦車道に自分なりの新たな指揮統率の手がかりを導入したのだとすれば、いかにもダージリンらしく保守的ながら個性的な改革の姿と言えるだろう。
 しかし、仮にそうだとしても、もう少し他人に分かりやすい格言やことわざの方が有効なのではないか。そういうもっともな疑問に対して、ダージリンはまず隊長としての彼女自身のためにこの手法を用いているのであり、隊員たちに強制するつもりはないのだろう、と答えることはできる。しかし、間近で毎日それを聞かされるオレンジペコの身になってみればどうなのだろうか。
 ここでダージリンの問題意識と後進育成の方針をふまえれば、あくまで彼女は彼女固有の手立てをオレンジペコに示しているにすぎない。真面目で礼節を知るオレンジペコは、ドラマCD1でダージリンの繰り出す格言すべてにその発言者・由来を答えているが、たんに先輩に合わせるだけではダージリンの期待に沿わないし、そのついでに知識を得るとしてもまだ不十分である。オレンジペコは隊長のこの独自対応策を参考にしながらも、オレンジペコの個性に即したかたちでの、速やかな判断を下すための手立てを自ら見つけ出していくべきなのである。もちろんダージリンのやり方を引き継いで格言を用いたり、あるいは「こういう場面では、ダージリン様ならこういう格言を引用されるに違いないわ」と推測しながら自らを落ち着かせて状況判断するというのでもかまわないが、それらが先輩からの強制や伝統化によってではなく、オレンジペコ自身の意思決定によって選ばれなければならないのだ。
 さらにダージリンは、大洗女子vsサンダース戦の観戦時に、格言のもう1つの効能をそれとなく、もしかすると自覚のないままに、オレンジペコに示していた。ダージリンはアリサによる通信傍受を看破しながら、聖グロならばこれにどのように対処するかについて、オレンジペコにヒントを授けていたのである。沙織のように携帯電話を駆使するというのは聖グロ的にはあまり馴染まないやり方だろうし、かといって傍受を恐れてまったく通信しないわけにはいかない。そこで、部外者には意味が分かりづらい格言などを符丁として通信するのだ。状況とは無関係としか思えない格言や、聖グロ生徒ならニュアンスが伝わるが他校の生徒には伝わらないようなイギリス流のジョークなどを存分に混ぜこむことによって、傍受側が分析に苦労したり誤解したり疑心暗鬼にとらわれたりすることを目論むのである。これは、戦車道の常識内で通信傍受を逆用するという点で、聖グロ好みの対応策と言えるだろう。こうしてオレンジペコの手には、みほから学んだ欺瞞情報の流布という方法と、ダージリンから学んだ暗号利用という方法とが並び与えられたのであり、さらにこれらを自らの個性を活かして結び合わせることが、オレンジペコには可能なのだ。
この段落を本人が読んだら真顔で「はい?」とか言いそうだが、ダージリンという自校にいる聖グロ戦車道の鑑と、みほという他校にいる鏡とから多くを学び取って、オレンジペコが新たなリーダー像を聖グロにもたらすことになるかもしれない貴重な存在であることは疑いない。そしてそれは、聖グロ戦車道の理念と伝統を否定することではなく、その理念に再び活力を吹き込むことになるのだろう。例えば次の対サンダース戦で、オレンジペコとアリサがどのように知恵比べを行うのかを、想像するだに楽しみである。


(2014年12月25日公開・くるぶしあんよ著)

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