日記
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2005年8月1日(月) まだ遠方巡業中
 白雪の時代が来ました(えろげ界に)。見事にくるくるです。リボンがないので偽者決定ですが、これで声優がエレナさんだったら大変でした。
2005年8月2日(火) 燃え少女
 いずみのさんからお勧めあった『あやかし堂のホウライ』第1巻を見つけたので読んでみる。藤田和日郎系列の熱さ満載な女の子少年漫画。うしとら世界に紛れ込んだ春風どれみ風味。ああ、ええ子やアヤカちゃん。根性だ根性。負けない少女が絆を結ぶ中で「ひと」を生み出していく物語、きっといつかスク水シンクロナイズドとか見せてくれそうなので(誤解)、機会をみて第2巻も購入予定です。
2005年8月3日(水) 首の後ろに星のアザ
 ひとやま越えました。しかし、あといくつ山があるのやら……。夏コミ行くのはやはり無理。とほほ。

 日本も核武装を、なんてのどかな議論を拝聴しつつ、「原爆体験ツアー」とか思いつく。広島長崎はあえて避け、ロスアラモスに始まる核実験の名所を巡って最後に地下核実験場を観光案内。というふりして、移動中の物見遊山客めがけて原爆投下。原爆の悲惨さをじかに体験、みたいな。地獄の記憶をもう一度繰り返さないと、人類はそれを忘れてしまいそうです。
 あと、国が核武装しないかわりに天皇が「原爆宣言」する、というのもどうか。ハリウッドでは大統領が戦闘機に乗ってましたが、日本では天皇が核自爆テロを敢行します。
2005年8月4日(木) アイドルとは偶像の意
 今週のネギま、小太郎も相当ですが千雨もやばいです。

 現実世界での常識を十分以上に備えていればこそ、そこでの自分の位置づけを冷酷に行い、そしてネットでの自己と世界の革命を目指すという一見冷静にしてじつは乙女な努力に邁進する千雨。しかし、ネギという存在は、その現実と夢想の境界線を、真実のちぐはぐな姿で彼女につきつけてしまいます。夢を託せる相手が見つかってしまったとき、千雨は少年漫画的物語の傍観者ではなく、その登場人物になってしまいます。いわば、『終わりのない物語』を開いてしまった状態。やがて彼女に勇気をふりしぼるべきときが来るでしょう、この物語を夢で終わらせないために、現実を本当に変えるために、ネギのために。それはきっと千雨と「ちう」が一体化する瞬間であり、千雨が自らを変える瞬間。例えばネギの危機を、その「ちう」としてのコスプレ姿とキャラトークで救ったならば、千雨は本当に「ちう」へと、正義のスーパー美少女ヒロインへと、変身するのです。
 だから、それまで千雨はネギに勝手にいろんなものを投影して期待してやきもきするのです。あやういあやうい。

 小太郎は、自分を受け入れてくれる人を信じることの、第一歩。夕映のあのときの批判が遠く響いて、楓が穏やかに導いて。準決勝がさらに楽しみになってきました。
2005年8月5日(金) 白黒
 馬鹿話。

らむだ「BGM、ウェディングピーチか。」
美 森「懐かしいだろ。」
らむだ「いま思えば、意外と話がよくまとまってたよねえ。」
美 森「セラムンよりはな。」
らむだ「まあ、あっちは何年もやらされたから。
    ウェピーも4年目に突入したらどうなっていたことか。」
美 森「まあ、それはある。いろいろ俄か変更もしただろうし。」
らむだ「例えば、コスチュームが喪服になるとか。」
美 森「なにー。」

 正義の未亡人戦士。あと、ちびうぇぴーとけっこん。
2005年8月6日(土) まもー
 こないだ買った安物の扇風機が、首を振るたびにギギギと嫌な音をたてていましたが、この6日を境に全く静かになりました。とりあえず「ゲン」と命名。
2005年8月7日(日) 夏は来(こ)ぬ
 この日記を書いている12日には、すでにコミケが始まってるわけで。皆さんどうぞ楽しんでらっしゃってくださいませ(涙)。シスプリ関係の参加サークルは『Milky Love』さんのとこに一覧表としてまとめられていますね。まだまだファンの活気が溢れてます。
2005年8月8日(月) ふみふみ
 昨日の日曜朝番。
 マジレンジャー、やおい風味。
 響鬼、あすむがだんだん(バイトとしてだけど)あの店の一員として馴染んできていて、自分が今いる場所で精一杯のことをする、という彼なりの成長が、ドラムの練習とあわせて感じられます。しかし、毎週こんなに面白いのに、半年通してみるとこんなに目立ったピークがない作品というのも珍しい。
 プリキュア、ゆか先輩がなぎさを忘れられず復帰。画面で描かれざるほのかの暗躍がしのばれます(違)。回想シーンであの黒板消しフォークダンスをまんま流すとは、スタッフも分かってらっしゃる。
 プリキュアも響鬼も、敵の背景についての描写を同程度曖昧なままに止めているにもかかわらず、プリキュアの方にはそのことが非常に(欠点として)気になるというのは、どういうことなのかしら。女王とか光の園とか、日常世界ではない「こっち側」が登場しちゃっているからか。
2005年8月9日(火) 自我の危機再び
 胸が大きいのも悪くないかなあ……。
2005年8月10日(水) ゴッセージらくがきしたいだろう
 腰の定まらない生活が続いています。もう疲れた。胸に目がくらみそうになったのもそのせいですきっと。噴水で遊んでるちっちゃいこたちの姿を遠目に見て、全速特攻しそうな衝動にかられたり。60年前の青年と同じさわやかな笑顔で(二重に嘘)。海ゆかば水死体ですが噴水では容疑者がいいところです。警察は、強い。(byヒビキさん)

らむだ「思えば、モテ王のファーさまってクールビズだよね。」
美 森「お前、パンツいっちょで営業に回るつもりか?」
らむだ「とりあえず会社のロゴを入れて、パブリシティを高めてみました。」
美 森「耳にも腐ったプリンを入れろよ?」

 大脳も腐乱気味。フランス腐乱臭。オクラホマオカマーズ。
2005年8月11日(木) 因縁
 子供の頃、実家でよく出前を頼んでた中華飯店の名前が、あちらの言葉で「妹」という意味だったと今日初めて知りました。
2005年8月12日(金) 復習
 ネギまを記憶で辿っていろいろ考える。主人公以外の過去が直接的にほとんど遡及されないというのは、赤松漫画の特徴なんでしょうか。つまり、藤田和日郎漫画に典型的に見られるような、脇役の視点でその脇役の過去が回想される話(主人公にその物語が知らされることはないが、過去に由来する何らかの問題が現在の主人公の働きかけによって結果的に解消してしまうことが多い)。尾田『ONE PIECE』でも繰り返し用いられている叙述方法ですね。
 そういう話では、主人公の知らない脇役の影が読者にだけ告げられることで、読者はそこで物語世界を俯瞰する視点を与えられる一方、物語も大河ドラマ的な幅の広がりを持つことができます。その広がりが主人公のもとへと一気に収束するのが少年漫画の醍醐味でもあるのだけど、またこういうある程度の広がりがあることで、他の登場人物が主人公の目的(成長も含む)にとっての手段・道具と捉えられてしまうことを防いでもいます。
 ところがネギまの場合、小太郎や女子生徒達のそれぞれの過去というものが、ネギや明日菜に対して直接語られこそすれ、それ自体で別個に物語られるということがほとんどありません。だから、物語世界の広がりがあらかじめ相当確保されているはずなんだけど、それを直に味わうことがしづらかったり、ネギと離れた場所で脇役達のそれぞれの人生における主人公ぶり(ネギの成長のための手段ではない彼らのありよう)を読み取りにくかったり。学園生活パートで少女達の日常の姿が時にはネギをさしおいて描かれているために、ついごまかされがちなことなんですけれども、そこには少女達の固有の成長は何一つ描写されていません。前にも書いたなこれ。
 これが赤松漫画の共通性質ではないとすれば。ネギまの物語世界が広大なわりにはそのあちこちに物語の終点に関わる秘密が隠されているために、それらを安易に踏まないようにするためには、ネギ以外の者達に読者視点を移動させにくくしておく必要があったのかもしれません。もちろんその例外として、ネギがあずかり知らない最重要の過去を明日菜の無意識が握っているわけで、これが時折浮上しては忘れ去られることで、読者は明日菜視点に立ちながら明日菜を越える俯瞰視点を持ち得ます。そして、この特権を持つがゆえに、明日菜はネギと並ぶもう一人の主人公と呼ぶことができるのです。
2005年8月13日(土) ぱっと開け
 馬鹿話。

らむだ「『花の子ルンルン』って、幸せをもたらす花を探してたんだよね。
    あれ、最終回覚えてないんだけど、どうなったのかなあ。」
美 森「さあ。」
らむだ「あれだ、ほらルンルンをストーキングしてた奴いたじゃん。花言葉のあいつ。」
美 森「セルジュか。いや、ストーカーとは違うと思うが。」
らむだ「幸せの花、あいつが最初から持ってたりして。」
美 森「なにー。」
らむだ「疲れ切ったルンルンにそっと手渡すの。で、微笑んで『花言葉は、「幸せ」』。」
美 森「目標はずっと背後にあったのか(笑)」
らむだ「道理で見つからないわけ。
    あれだね、幸せの青いパンツは妹が履いていた、てのと同じだね。」
美 森「そんな物語ありません。」

 実際、ルンルンの実家の庭に咲いていたみたいですね。つまるところロマン主義批判なのか。
2005年8月14日(日) あさばん
 見たはずなのに覚えてません。もはや記憶力が……。
 あ、『マイメロディ』を初めて観ました。ふわふわふー。萌え(素朴)。いや、キャラもお話もじつに素直で、すんなり入り込めました。そしてそこから帰ってこない。コミケに行けなかったんだからいいじゃないか。
2005年8月15日(月) 年女
 うちの雛子ちゃんも12歳を迎えてますます意気軒昂。具体的には、夏休みの宿題をやってない。昔ならば、お盆前に少しずつぼくや可憐が見てやったり、亞里亞ちゃんと一緒に進めていたりしたものだけど、今年はそのどちらもなし。亞里亞ちゃんとはこれが小学生最後の夏だから、と訳の分からない理由でとにかく一緒の時間全てを遊ぶことに費やし、うちに帰れば未来の「教育」という名の遊びにかかりっきりで、これで宿題が片づいていたら亞里亞ちゃんと同じ中学にも行けるはずだ、などと言ってしまったら大変なことになるはず。
 そんな思いやりのないことを心に秘めつつ、結局その若干を受け持つはめに。主に算数ドリル。全問題の半分だけ別紙に解答しておき、写させる。残りの半分は本人の担当。休憩ののち、社会科の方にも手を伸ばすが、資料集がないとこっちも皆目分からない罠。子供の頃はあんなに得意だったんですがー、と言い訳するも沈黙をもって返される。しまいにコルホーズとかキブツとか説明しはじめてうるさがられる始末。これだからソ連崩壊以降に生まれた人ってのは、もう。
 雛子ちゃんが夜更けまで頑張れたのは、そうでもしないと誕生日のプレゼントを手に取れなかったから。瑞佳も酷な姉だこと。

「ケータイがよかったなー」

 妹も妹でした。
2005年8月16日(火) 紙芝居もってた
 訳あって「ララーシュタイン」で検索かけてたら、こんな歌がめっかりました。なんだこりゃ、と大喜びしてるうちに、そもそも検索してた理由を忘れてしまう罠。
2005年8月17日(水) ねじれの関係
 ネギ。

 (それに 結局あんたには届かなかったしね)

 声にならない明日菜の口惜しさ。確かにネギには、明日菜の想いは届いていない。しかし先ほどの試合の中で、彼女の戦い振りにネギが驚嘆し、その姿を前に身を乗り出したとき、ネギがそれと意識せぬままに、明日菜に魔力が供給されていた。明日菜の想いは届いていない、だが明日菜もまた、その支援がネギからのものであることに気づいていない。届かない想いとすれ違う想い、それはネギと明日菜の関係総体において基軸をなすものであるが、ここにもそんな一こまが、しかも珍しく明日菜の側の障壁として、描かれている。

 千雨はいきなりまき絵と同じような立ち位置に。常識を持ちながらその常識からの突破口を探し求める彼女の、腕は再びわが身をかき抱く。大人じゃない、乙女です。
2005年8月18日(木) 仕事にならない
 出張先で、えらい久しぶりに一杯引っかける。うめー。しかし一人で飲むと、肴が食べきれないからあれこれ注文できないんだよねえ。

 その主張途中、新幹線に長いこと乗ってたので、その間に一仕事するか、と思いきや。斜め前に座った8歳くらいの女の子が、シックなワンピースにレースの折り返しつきショートソックスと黒い靴、しかもふわふわのロングヘアで愛らしい顔立ちという、ほぼ完璧な塩梅。大きい文字の本を読みふけりながら、あんよがくいくいするさまを眺めているうちに、目的地に着いてしまいました。もし車中でビールが飲めたなら、あのふくらんでないふくらはぎを肴にできたものを(無反省)。
 そうか、居酒屋でもその記憶を肴にすればよかったのか。
2005年8月19日(金) がっくし
 40近いご婦人の尿袋を拝見する機会に恵まれました。昨日の罰でしょうか。
2005年8月20日(土) コミケいきたかったよお
 ご紹介遅くなりましたが、Zoroさんのとこに『魔弾の射手』続編。ば、ばいおれんす。おそらく次話ではえろーすです(違)。

 得意でもないですが(謙遜)、『風車に花』さんは「システリック深海」で非常に有名な方ですよ。設定資料集も前に買ってます。うちでは今まで感想などを書いたことはなかったですが、シスプリに非シスプリ的要素を取り込む技たるや。
2005年8月21日(日) ガノタの鼓動
 ゼータガンダム映画版の声優問題
 テレビ放映を観ていた当時の印象としては、「あの」ガンダムの続編ということでやたら盛り上がっていたのが第1話のカミーユ狂気の沙汰で動揺し、とりあえずファとかキッカとかベルトーチカとかに欲情しつつ頑張って見続けていたら全ての登場人物のささくれ立ち具合に耐えがたくなり、ジェリドがどうして左遷されないのかさっぱり分からず、最後にカミーユが本当に狂気に陥ったときにはぼくもハマーン様に踏まれて驚喜していた、という流れ。ガウ・ハ・レッシィで不完全燃焼だった「踏まれたい」欲求はこうして無事充足されたのでした(バッドエンド)。
 で、そんな作品の中で。島津さんのフォウといえば、あれだけたくさんいた女性キャラのうち、その業というか、生き様というものがきちんと伝わった(と感じた)ほとんど唯一の存在だったのですね。それは彼女の背景とカミーユとの絆、そして最期といった諸々が或る程度かみ合っていたということでもありますが、さらには島津さんのあの声が、女性としてのかなしみと強化人間の狂気を、をこちらに届かせていたのだと思います。
 しかし映画版には島津さんのフォウはいない、ということになったわけですが、後を引き受ける野上さんにはぜひとも頑張って世評を見返してほしいところです。あるいはあれです、お返しにキュアホワイトを島津さんに委ねるという手も。島津ホワイト。もちろんその場合、ブラックも頓宮恭子さんに変更です。地球も光の園も全滅させる伝説の戦士コンビ、ここに再降臨。おへそ丸出しコスも復活。
 問題の発端であるとすれば、藤野貞義音響監督にはぜひザケンナー&ゴメンナーの役を。

 本放映時と絶対に同じ声優さんじゃなきゃだめだ、というわけじゃありません。すでに『バイファム13』で痛い目にあってますので。でも、島津さんには機会さえ与えられなかったわけで。
2005年8月22日(月) にちよあさばん
 マジレンジャー。汲めども尽きぬ勇気。敵の怪人よりも、あの女子学生2人が良い悪役風味を醸してました。
 響鬼。1話見逃したかと思った省略具合。嫌な場面は話の筋に織り込んでしまうというのは、子供向け番組に相応しいともいえるし、分かりづらいともいえるし。それにしてもヒビキさんの思いやりたるや。明日夢との関係を観てると、プラトンの『饗宴』を思い出します。
 プリキュア。自分の将来について。「お嫁さん」という選択肢がすんなり出てこないのは、今風なのかどうか。しかしとりあえず浴衣。そしてほのかの心配具合がたまらん。

 あとエウレカセブンを観ていて、「碇シンジが乗り込んだ変種ゼラーナ」という連想が。最期に監督が「失敗作でした」と。
2005年8月23日(火) 電話
先輩「主張先での仕事は進捗してるか」
ぼく「ぼちぼちです」
先輩「そんなんじゃだめだ、いいか(以下、説教10分)」
ぼく「はい、がんばります」
先輩「ところでこないだなあ(以下、愚痴1時間半)」

 仕事させてください。
2005年8月24日(水) ネギ
 高音って、準備稿のあやか(ちょっとキツメのいじわるお嬢様)の発展型ですか。こうしてこの魔法少女コンビ、それぞれがネギと小太郎に好意を抱いたということで、「学園内の魔法世界での恋愛ライバル」という立ち位置が埋まったということで。
 千雨、完全に縁の下の力持ち風味。情報戦開始です。超はネットアイドル&2chのコンビネーションに敗れるのでしょうか。
2005年8月25日(木) 妖精さん
 サンフェイスさんのを読んで、「自分の寿命を悟った眼鏡が、最後の力を振り絞って夜中に『ご案内状』を取りに行った」とか想像したり。

 WINDOWSの英才教育ソフトCMか何かで、幼女が自作の物語に「兄が文字を読めないだろうから絵もいっぱい入れた」などと威張ってるのがあって。見た瞬間、本気で腹を立ててしまうお子様なぼく。お兄ちゃんのえっちな反撃が待たれます(違)。つか、こんな宣伝で釣られる親の方が問題なのですが。
2005年8月26日(金) 天下無双
 『よつばと!』第4巻。入手したのはこの翌日ですが。
 「さいきょう!」と大威張りなよつばに大笑い。親父もその振る舞いの意味がいまひとつよく分かっていない。この親子を観てると、娘と同じレベルで父が一緒に遊ぶ場面もたくさんあるんですが(もちろんそこでも大人の目線は失われていない)、その一方で、子供の論理というものに父がついていけない場面も少なからず。えなやみうらも子供なのだけど、この年齢になると、よつばとはもう「子供」の中身がだいぶ違ってる。この作品世界、ほんとにしっかりと組み上げられてるなあと毎度思うわけですが、それがこうやって大人達や子供達、またその子供の中でも異なる複数の視線がそれぞれ世界をとらえていて、その重なり具合やずれ具合が、世界を立体的に屹立させている。
 とーちゃんが自分のこと嫌いなのか、と勘違いして一気に真っ黒になるよつばに、失礼ながら爆笑。あと、魚釣りで最初の1匹を釣り上げ損なったときに意外に落ち着いてるのは、蝉とりの経験が生きているからです。いつか絶対捕まえられるという確信。
2005年8月27日(土) ぷかぷかどんどん
 『ローゼンメイデン』第5巻。金糸雀ってば……。ほとんど一人芝居なのにこれだけ可愛く描かれるというのはすごい。そしてヒナヒナカナカナ。おなじレレルでした。
 今回、雛苺はあんまり目立ってはいなかったのですが、翠星石と一緒に窓ガラスをぶち割ったその後日、のりと一緒に窓みがきをしてる姿が微笑ましく。あの日曜日、のりは帰宅後に二人を叱ったんだろうけど、それだけで終わらせずに、正しく楽しくお掃除する仕方を雛苺に実地指導してあげてるわけですかね。こういうところが、のりのいいところ。
 翠星石はやきもちやき。あの2コマで悩殺。どすどす。
 水銀燈は、マスター(には未だなってないが)との独特な関係が初めて描かれる。孤独と絶望を抱きかかえた者同士の絆。癒されてはならない、しかしかけがえのない相手。
 そして担任の全力空転。くわああ。あと、薔薇乙女達のお父様はフェイスレス。
2005年8月28日(日) ゆるりと過ぎ行く夏
 どこかでとり・みきが吾妻ひでお漫画について、人物の全身や背景がきちんと描きこまれてる、と述べていたのを思い出して、『ネギま!』も含めてぼくが好きな作品にはそういうのが多いなあと感じました。ただみっしりしてればいいというものでもなく、全体を捉えつつも、細部に変態は宿る、という感じで。
 『よつばと!』もそういった作品のひとつですが、第4巻の表紙がずっと眺めてても飽きない(仕事しなさい)。陽の入り方や影のゆれ具合もさることながら、こまごまとした物の案配が。左上の似顔絵入りおもちゃ箱には、つくつくほーしの新聞紙兜もすでに入っているわけで、これは少なくとも収録分最終話の午後のこと。たぶん、その日の買い物のさい、ついでに本屋で折り紙と折り紙の本とを購入し、兜をはじめセミとかいろいろ作ってあげたのでしょう、この親父は。
 で、その折ったものの中にヨットがあって、これだけが折目をやたら細かく描かれている。実際に折ってみれば確かにあちこち折目がつくんですけど、このヨットって遊べるんですよね。帆の先っちょを子供にしっかり掴ませて、目をつむらせる。その間に、船体の部分をくるりと折り返す。子供が目をあけると、なぜか指は帆じゃなくて船体を掴んでてびっくり、という。よつばが「今度こそ」とぎゅっと指先で掴んでも、そのたびに「おぉーっ!?」と目を丸くする姿が浮かんできます。とーちゃん魔法使いだ。そんなこんなで繰り返すうちに、折目がさらにくっきりついた、と想像してみる。時間がつながったまま流れています。
 昼寝から目覚めた後は、日射浴びまくりのウーロン茶ペットであちちち。
2005年8月29日(月) ローザ・ムースクリ
 ローゼンメイデン続編「薔薇漢女」。マッシヴ薔薇族な人形達が繰り広げる愛憎劇。モザイク代わりに人工精霊が大活躍。雛苺達がちいさくまえへならえ。
2005年8月30日(火) 日曜朝番
 マジレンジャー見逃し。
 響鬼、明日夢の前に悠然と戻ってくる響鬼紅、この場面で変身が解けて轟鬼風味に下半身露出という展開を想像していました。
 プリキュア、この脚本家らしい教訓的内容。来週は淫獣王女登場でしょうか。
2005年8月31日(水) アニマ・ププリ
 雛苺と翠星石が動揺する中、ひとり落ち着いた真紅は、本を閉じる。夢を見ていないジュンの心に、翠星石は扉を開けない。だがこのとき、真紅もその手に開いた本を通じて、ジュンの無意識に届かないかと一縷の望みを託していたのではないか。それが不可能なことだとは知りつつも。

「嘘だもの」

 そうからかった先日の自分の言葉が、いまは真紅の胸に痛い。

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