若い根っこの会は「友情Dream」という機関紙を発行している。この雑誌は1961年6月25日に「若い根っこ」として創刊され、以後「友情」、「友情・夢」を経由して1990年11月号から現在の名称になった。1995年9,10月合体号が第400号であり、その後、隔月のペースで出版が続いている。一部300円(税込み)で大手書店にて販売されているほか、各地の図書館にも寄贈されている。また年会費3,600円也を支払って「根っこの会」の会員になれば自宅まで郵送されてくるので「ディープな根っこな人」にはお薦めかもしれない。ちなみに25年前から3年分以上の会費を前納するキャンペーンもやっているのでお金が余っている人はどうぞ。
「友情Dream」のコンテンツといえば、まず加藤日出男のエッセイ「荒野に愛を求めて」があげられよう。1998年11月に死去されるまでは淀川長治も「Essay Park」を連載していた(加藤&淀川 エッセイ題目)。特集記事として「海軍主計大尉鈴木慎二の日誌」「労働運動の戦後史を築いてきた静かな闘士 宇佐美忠信さん、勲一等に輝く」などがこれに続くこともある。特集記事といえば、機関紙420号(1998/12)で甘利明労労働大臣(当時)は「自分の生涯の最高の作品が、子孫を残すということなんです。自分の生きた証を歴史にきざんでいくということは本来不変の価値であるはずなんです。その価値観に目覚めて欲しいなと思います。」と書いていたが、若い女性会員(男性でもいいけど)はこれを読んで何の疑問も持たなかったのだろうか(世の中には本人の責任じゃなくても子供ができない人もたくさんいるというのに)。
若者総合情報誌(嘘)「友情Dream」には「TV,ラジオ,アルバム紹介」ページもあり、その昔には、「本当のやさしさって何だ、本当の勇気って何だ、本当の愛って何だ、本当の友情ってなんだ!?」(「ロミオの青い空」)といった世界も展開されていた。
次に見るべきはやはり「悩みの非常口・人生相談の110番」であろう。読んでいる方が恥ずかしくなるような質問と、それに輪をかけて頭が痛くなるような回答のオンパレードである。数年前までは女子中学生の授業中の落書きのような挿し絵が入っていたが、加藤先生名回答集を読んでいただければお分かりのように、加藤先生が午前3時過ぎに書いている回答は思いっきり外していたり、答えになってないものも多い。加藤先生が出演する「正義のラジオ ジャンベルジャン」を聞いてみたいと思ったのは私だけだろうか(笑)。
恥ずかしさという点では投稿「ポエミー」雑誌『My Poem』のサクジ(編集長)もびっくりな「ポエム・ギャラリー」「ハートフル・レター・ターミナル(ふれあい交差点)」も捨て難い。どうやら「ベル友が、ノートにぎっしり200人余も書き込まれていても、出会ってよかったと思いレターをかわしあう友人の一人ぶんの生きがいもない」らしいのだが、まあ「根っこの家がぼくのフリータイムのふるさと」な若者(?)や「ああ!根っこの家にいって民謡うたいたい!」みたいな古い仲間たちのたまり場であれば納得といえよう。詩といえば会誌Vol.426(1999/12)のポエム・ギャラリーで加藤代表は面白い論理を展開している。
唯一の救いというべきは、少しずつとはいえ過去の「若者運動」に染まっていない若手の活躍の場が増えてきているところだ。たとえば「ポエム・ギャラリー」によくイラストを投稿していた近藤じゅんこはVol.420より「夢見るキーウィバード」というマンガを連載している(いかにも同人誌にありがちな身辺記事ですね)。同様の若手路線ということでは、会誌Vol.426(1999/12)から表紙イラストを担当することになった進士絵里子も注目かもしれない。そういえば「悩みの非常口・人生相談の110番」の挿し絵を書いていた美翔真紀もVol.420あたりからCGを使うようになってきましたね。
根っこな仲間たちの活動(3章参考)が「根っこの会活動報告」に多くの写真とともに掲載されている。「その小さな冒険のエネルギーこそが若さだ。年齢的若さをもてあまし、夢みることさえ疎ましいものを青春とはいいがたい。たとえ、白髪におおわれても、想像的ロマンに生きる人生を青春と呼びたい!」みたいなオシャレなコピーが満載!これを読んで「根っこの家」に行きたくなった人のために「若い根っこの会って?根っこの家って?」というインフォメーションのページがあり、毎月のイベント情報が掲載されている。ちなみにこれは機関誌Vol.422に書いてあるコピーだが
「置き忘れた友情、信頼、勇気、愛、奉仕、感謝、感動などといつでも出会える。
誰と出会うか?若い日、それは、凄いときめき。すべての楽しみは、出会という好奇心の中に、つつまれてあるのだ!
さあ!恥も迷いもない。みーんな。たのしんじゃおう!
ときには、「もう年だから」という言葉さえ、まるで焼却炉で、燃えてしまうように、中高年と若年世代が、ひとつになって楽しんでしまえるのも、根っこの家。」
それはそれでいいのだが、一歩間違えると「根っこの家」が同世代の若者とのコミュニケーション能力に欠ける青年たち(老人たちもか?)の逃避先になる可能性を秘めているのではなかろうか。「ボクはここにいていいんだ!」と勘違いした「イケてない」ヤングを老人たちが取り囲んで「おめでとう!」と祝福する構造は、かつて「自己啓発セミナー」系であるとして批判されたアニメーション『新世紀エヴァンゲリオン』のTV版最終回を想像させる
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