(1)「若い根っこの会」とは何ぞや

 「若い根っこの会」とは加藤日出男が会長を勤める財団法人である。彼は昭和4年(1929)8月31日に秋田市の洋服屋の次男として誕生した。小学校時代に結核で長期の療養生活を送った後、県立秋田中学で第二次世界大戦に巻き込まれる。その後、秋田鉱業専門学校(現秋田大)に入学し、農民作家を目指したが「農村の閉鎖的な環境になじめずに」一年で断念。昭和23年(1948)に東京農業大学(農学部農業経済学科)に入学し、学生自治会のリーダーとして活躍した。同大学収穫祭大学祭で有名な「大根踊り」を発明したのも彼である。

時まさに昭和28年(1953)年、この年はメディアの新風であったTV本放送が開始した年であり、また日比谷で11月に行われた「53年日本のうたごえ」祭典に6000人もの若者が集ったほどに「うたごえ運動」が隆盛を高めていた。この年、彼は大学を卒業して日星産業(株)に入社するも、3ヶ月ももたずに退職。自宅のある世田谷区経堂に地方からの住み込み青年を集めて「あすなろ会」を結成(翌年に「経堂青年会」に発展)。その後「世田谷区青年団体協議会」(1954)、「東京青年の会」「雑草の会」(1957)を続々と結成した。昭和32年(1957年)には処女作「東京の若い根っこたち」(第二書房)を発表し、これを劇団民芸が映画化したことで「根っこ運動」がマスコミに登場するきっかけとなった。

 昭和34年(1959年)11月20日に上記の3団体を統合して「若い根っこの会」が誕生した。また昭和36年(1961)4月16日、埼玉県川越市に「根っこの家」が完成し同年10月9日に財団法人「根っこの家」設立、11月20日には出版部門である株式会社「根っこ文庫太陽社」が設立された。高度成長期の当時、金の卵ともてはやされて都会に就職したものの、都会になじめず1人ぼっちの若者たちに、「美しい花を見て根っこを思う人は少ない。根っこを張ってがんばろう。」と根っこ運動を提唱したわけである。当時の会員はピークの1967年で約32,000人、その大部分が住み込みで働く地方出身者であり、雇用者が労働条件について話し合われるのをいやがったために、会員であることを雇用者に知られたくなかったという。
 

 上記のように「根っこの会」というのはその設立のいきさつを見てもわかるように基本的には集団就職で都会に出てきた若者のつどいの場であり、「根っこ運動」は青年労働者の友達作り運動であった。少なくともそれは当時の時代が要求したものであったかも知れない。この集団就職は昭和47年に終わり、根っこの会は「友達を求める若者のサークル」に変貌する。会員数も80年台には数千人に減少し、マスコミからも忘れられた存在になっていった。現在、「根っこの会」は「生涯青春」の幻想を求める仲間たちの集いの場としての性格が急浮上している。

 1995年発足の「サザンクロスクラブ」(代表幹事:福田貫一)に続き、1997年8月31日に「生涯青春クラブ」がスタートした(代表幹事:佐藤欣子)。いずれも加入登録料5000円だけで永久終身会員になれ、メンバーシップとしての会費は不要。とりあえず1000人の組織を第一目標とし、その時点で地域ごとのグループ結成をめざすとしている。最近では「今、この20代に生涯青春のバイタリティーをつちかっておかねば!」と20代の若者もどんどん加入した結果、生涯青春クラブ加入者が706名(99年10月末、機関誌Vol.426)、サザンクロスクラブ加入者が151名(99年5月末、機関誌Vol.423)に達したそうだ。
 「サザンクロスクラブ」は「洋上大学」(後述)OBらによる親睦会兼支援団体で、加入すると洋上大学参加費が5%割引になる特典がある。「生涯青春クラブ」は「いくつになっても、夢とロマンをもちつづけ、気持ちを若々しくしていこうという肩のこらないサークル」であり、その趣旨は「人は老いやすく、若返ることは困難ですが、若者よりも、夢やロマンを追求し、創造的生涯青春の英気を持続させることはできます。生涯青春!!という意気込みを持続し陽気に知的好奇心を旺盛に!」とのことだ。

 この「生涯青春クラブ」について、『友情Dream』(Vol.411 p5)には「たとえ年齢をかさねても、夢やロマンを追いつづけ、好奇心を失わず、若々しい躍動する精神を衰えさせることなく、終わりなき青春をたたえあい、はげましあう運動でなくてはならない。」と書いている。もちろん、こんな発想が現役の「若者」から出るとは考えにくい。
 『友情Dream』Vol.408の「ハートフル・レター・ターミナル」に三浦嘉子(75歳)は次のように書いている。「人として生きる真実の道は一つであると、形や外見は様々変化しても底流にあるものは一つであると。根っこの会の若人はその真実を感じ、集い、手を取り合って、輝いているのでしょうね。その真実がある限り75歳のおばばでも、あなた方と手をとりあっていけると思っているのですがどうでしょうか?」。こういう「若者のイデアは世代を越える」などいう発想のおしつけは老人の自己満足に過ぎないようにも見える。

 『友情DreamVol.430によれば「生涯青春クラブ」などの運動は「定年を目前にして青春時代にノスタルジーを求める団塊世代と、他力本願でアパシーな若者たちが同じ『青春』をめざすとともに、擬似的な家族体験により『中高年の生活の知恵と若者の斬新な生気みなぎる若さ』を共有することで、人生のプロセスの英知を互いに引き出すことを目指す」ものだそうだ。 しかしそれは本当に可能なのだろうか?

 『友情Dream』Vol.423に掲載された両クラブの紹介記事は次のような論理構成がなされている。

  1. 少死高齢化社会が進展する
  2. 子供のオモチャにコンピューターが組み込まれ、子供がメカとのつきあい上手になる
  3. そうした同時期を体験した同世代だけの共通価値観は、学級崩壊のみならず、あらゆる組織で話しが全く通じない世代破壊の時代が訪れる。
ということで、「とにかく世代隔差は隔離の空間をひろげ、人間関係の疎遠は、いとかんたんに想像され」るので両クラブの登場ということになるわけだ。ここには世代格差の原因を若年層世代に帰そうとし、自らにとっての未知の価値観に対する好奇心や学習意欲の低下に対する認識が見て取れない。たしかに彼は『友情Dream』Vol.422(1999/4)のエッセイで「人は、年をとると、考え方、価値観、流行や風俗、言動からして、若い世代が、無軌道に見えてきて、思わず、俺達の若い頃は-と過ぎ去った遠い青春の日々が、いかにも、つつましく、律儀で、モラルの上でもしっかりしていたと思いがちになる病癖をもつものだ。遠い過去というものは、苦々しい思いでまでも、歳月というフィルターをかさねあわせると、みな美しくもなつかしい景色になって、物語を綴るものらしい。」と書いている。その一方で、同Vol.421(1999/2)のエッセイでは、次のような論理をもって、現在の若者のもつ価値観を理解しようとする努力を放棄している。
  1. 「自分からさえ逃げ出したい」と漂泊する若者たちは、この「自分を支えてくれている人たちに素直に感謝する感性の量」を、飽食の時代の中で、摩滅してしまった。
  2. 「ものわかりのいいインテリ」たちが、若者をもちあげ、理解ありげな立場に立つことで、学者・文化人・ジャーナリストとしての地位を確保した。
  3. 若者たちは、まごころをこめて叱ってくれる大人たちを喪失し、逃げを打つのは大人の方だと、大人の欺瞞に背を向けてきた。そのツケが学級崩壊や少年事件の多発。
  4. 問題の原因は「家庭、なかんずく父親の不在」にあり、大人としての権威をみずから構築する方が解決の早策。

同じ号の「ゼンセン同盟会長 高木剛さんを訪ねて」という記事でも同様の話が出ている。そこでは「父親は親を教えていない。母親も働く女性になり、女を教えていない。子供の反発を受けて葛藤を起こすことを、親は逃げている。」と書いている。
 同じ頃(1999.4)に「望星」(東海教育研究所)という雑誌が「『団塊の世代』の功と罪」という特集を組んでいる。ここでは「根っこ第一世代」にあたる団塊の世代について次のような分析を行っている。「ひょっとしたら社会の変革に参加できるんじゃないか」と漠然と思っており、そのために古いものに対して否定的かつ破壊的であった。特に家父長主義的な家庭システムに反対して、親を「乗り越えた」などと言っていた。子供であっても「話せば分かる」という幻想から、「権力なき父親」を目指して失敗。母親もリベラルで、娘に「職業を持って自立」を説いた。その結果として家庭が崩壊した。その一方で「いつも帰っていく場所としての田舎-ノスタルジア的な家庭の原風景イメージを内面に持ち、それと決別できない。

 (一般庶民の間でも)明治以降続いてきた家父長的な家庭システムの崩壊の原因説明として、上の議論はそれほど間違ってはいないだろう。しかしながら、今の現役の父親世代が「大人の権威を再構築」できるのか?あるいは疑似家族システムとしての根っこの家が「大人」の姿を社会に対して示していくことが可能、あるいは意味あることなのか?疑問があるところだ。

 現実問題として、団塊世代の根っこな仲間たちの多くが、このような自己批判の精神があるようには見えない。『友情Dream』第426号(1999.12)の「生涯青春クラブ706名に達す!」という記事で加藤代表は「舞い戻った50代の会員たちは集会に出ても、やはり今の若い人たちと価値観が合わない。後ろ向きに過去の楽しさを求めようとする。」とした上で「こうした人たちに抵抗がないように、少しでも、残りの人生に、夢や希望をもって、今から、何かはじめようとする好奇心が、どれほど、人生を楽しませ愉快にするか--そのため、いろいろ、この世代にあったレクリエーションをしかけてきたのです。」と書いている。その一つが1999年11月21日に行われた「くりあげクリスマスパーティー」と我が国初の「大人の七五三クラブ」旗揚げだ。後者は「さあ!今日から新しい元気じるしのエネルギーの着物を心に着替え、まだまだ誰かのために役立つ人生なんだと決意する<<大人の七五三クラブ>>の旗をひるがえそう」というユーモア・ルネッサンスの宴とのことだ。
 ともあれ、今後の少死高齢化社会の進展は確実である。『日本の将来推計人口(平成9年1月推計 国立社会保障・人口問題研究所)』によれば、2040年には全人口の1/3が老人になる。1998年には「老人力」という本も話題になったようだが、かつて若者運動のイノベーターであった「根っこの会」は、これからの「老人運動」においても先駆者たりうるのだろうか。

 加藤会長の奮闘の賜物か、はたまた会員の依存性が高いせいかは不明だが、会長のカリスマ性は極めて高い。しかし彼も自らの寿命を悟ったのか、最近は文章の端々に「私の生きている限り」という言葉が出てきている。もう70歳を越えたはずなのだからそれももっともではあるが、はたして彼なきあとに誰がこの会を引っ張って行くのだろうか。前途多難ではある。
これまで加藤日出男会長の「青春塾」(「逃げるな!受け止めろ!そしてきり拓け!」等)が行われてきており、2000年8月27日の71歳の誕生祝賀パーティー当日、ついに7000回を達成するそうだ。その一方で会長亡き後の青春塾後継者軍団の強化を目指してなのか、「会長代行駅伝青春塾」がスタートしている。阿部裕子会長代行講師による「尾崎豊のレコードをききながら尾崎豊について語りましょう!」などという講義が行われ、全18回参加者には特別記念賞が授与されたということだ。1999年6月5日-7月18日には第7回目、計14コースが実施され、今回はすべて会員が講師を勤める。近い将来、四季にわたって2ヵ月間ずつ、4回、年間8ヵ月オール開催をめざすそうだ。

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