『魔法先生ネギま!』にみる成長の相互性(後編)

〜少女と少年のすれ違う接点〜

はじめに 〜問題の確認〜

 「少年漫画」としての『ネギま!』(いずみの氏『リクィド・ファイア』内「赤松健論「ネギま!編」論考参照)を、とくに少女の成長と、それが少年の成長に対してもつ相互関係とに注目して再検討する。この目的のもとに、既に論者は、主人公である少年ネギの成長とその問題、ならびに少女達=生徒達全体の役割を前編で確認し、ネギに恋する少女の一人であるのどかの成長ならびにネギとの同語関係を中編で検討してきた。のどかとネギのそれぞれの成長には、恋愛による学園コメディパートでの相互性が明らかに存在しているが、それはネギを日常世界での成長に導くものであるとともに、ネギのペルソナ(10歳の少年が担う魔法使いと教師という役割)の分裂をいっそう強く意識させるものでもあった。
 このような特性をもつのどかとネギの関係に対して、メインヒロインである明日菜とネギの関係は、学園コメディパートとバトルパートの両方において進展しているように見うけられる。また、明日菜の性格や背景は、まるで姉弟というより双子のように、ネギときわめてよく似ている。ネギは「失恋の相」を指摘してしまうほど女の子の理解に欠け、明日菜は「ガキは大ッキライ」でそもそも男の子を理解しようとしない(一方「おしゃま」な女の子は「カワイー」、65時間目)。ネギは幼い記憶に刻み込まれた父の後ろ姿を追いかけ、明日菜は幼い記憶の奥に眠る男性の影をタカミチに重ねて思慕する。どちらも両親のいない天涯孤独の身の上であり、そして感情を抑制できないお子様である。両者とも生育歴に謎を抱えており、その空白を学園ではタカミチが支えている。本作品がネギの成長を軸に物語を描く少年漫画であるために、明日菜はそのネギの振る舞いに左右されがちな従属的ヒロインとして受けとめられやすいが、こうして両者の性格を振り返ると、明日菜はネギと対等なもう一人の主人公として捉えられる契機を与えられる。
 さらに、1時間目での二人の出会いを見ると、そこではイギリスから日本にやってきたネギが新しい世界に向き合うという姿に続いて、明日菜がネギに唐突に話しかけられる場面が描かれている。ボーイ・ミーツ・ガールというより、ガール・ミーツ・ボーイと呼ぶに相応しいこの出会いは、明日菜の側に読者視点を置くことを容易にしているのだ。この点からも、明日菜を主人公として捉える見方は一応の根拠を得られるだろう。
 では、このような明日菜とネギとの関係はいかなるものであり、それを通じて二人は95時間目までにどのような成長を遂げ、また問題を抱えるに至っているのだろうか。本論では明日菜の視点からこれらの検討を行い、一連の考察を締めくくりたい。


1.アンバランスなふたり 〜ネギの受容とずれの輻輳〜

(1)明日菜のこれまで

 まず、ネギと出会う前の明日菜について概観しよう。
 ナギ達に同行していたらしい幼少期の記憶の一部を一時的に失ったまま、明日菜は麻帆良学園に小学1年生として転入してきた。学園長の保護と学費支援のもと、明日菜は無愛想な幼女から、自立心に富んだ少女へと成長した。アルバイトをして学費を自弁し返済しようとするのは、その自立心の現れである。また、その合理的・計算的な現実感覚は、魔法その他の非合理的なものをあまり信じず(「アスナはそーゆーの全然信じないんやったなー」7時間目)、やがてその存在を認めたとしても、即物的な欲望へと結びつけてしまうほどだった(「ホレ薬」や「金のなる木」1時間目)。それはあたかも、彼女の魔力完全無効化能力が、彼女の意志にも影響しているかのごとくである。
 そんな明日菜にとって、具体的な将来像はおそらく存在していなかった。体力は傑出しているものの学力は低く、とりあえずエスカレーター式に大学まで行けるこの学園で一応の資格を得たら、あとは学費の完全返済を当面の目標に何らかの職業に就くつもりだったのだろうか。だが、それは後にまき絵が語るように(57-58時間目)、この年齢の少女ならばごく普通の曖昧な未来であり、明日菜の抱える問題ということではない。むしろ、そんな平凡な日常に明日菜が生きていたことと、その日常に大きなアクセントをつけるかけがえのない要素とに、ここでは注目したい。
 その要素とは、明日菜の幼い頃に面倒をみてくれていたタカミチであり、彼への明日菜の淡い恋心である。タカミチからの唯一のプレゼントである鈴の髪飾りを、明日菜は今でも身につけている。実際に「ちりん」と鳴る(1時間目、76-77時間目)この鈴の音は、明日菜のそばでたえず涼やかに響いており、日常に明るい彩りを重ね続けるよすがだった(余談ながら、「鈴の音」といえば超鈴音の名を思い出す)。いわば、この鈴を髪に結わえるという日々の習慣が、明日菜をタカミチと結びつける絆のかたちそのものなのだ。そして、この恋心があればこそ、魔法を信じない明日菜でさえも、恋占いなどにはそれなりの関心を示していた(1時間目)。木乃香が呆れるように、タカミチのためなら占いの指示に何でも従う。しかし、それはあくまでもおまじないとしてであり、間接的な効果や幸運を、つまり自分の力ではない外部からの働きかけを、待ち望むものだった。タカミチの前では勇気を出して告白できない自分を直視できないからこそ、他の手段に希望を見いだそうとするこの姿勢は、現実主義な明日菜の、例外的な現実逃避であり、また現実主義ゆえの自信のなさの表れでもあった。
 以上をまとめれば、1時間目以前の明日菜の課題とは、タカミチへの恋心の行方と、自分の将来とを、自己決定することにあったと言えるだろう。そしてその両方とも、前者は明日菜の勇気のなさによって、後者は明日菜の年齢ゆえの限界によって、未だ正面から向き合うことなく済まされてきていた。そして、これらの問題に向き合う事態に陥るのが、つまりはネギとの出会い以降ということになる。この意味で、ネギとの出会いは明日菜にとって成長の契機なのであり、またネギにとっても、明日菜との出会いは彼の問題解決へのすじみちにかけがえのないものとなる。とはいえ、その出会いが最初から両者にそのように理解されていたわけでは決してない。

(2)学園コメディパートにおける基本的関係の構築とずれの契機

 のどかがネギの魔法を媒介にしたネギとの幸せな出会いを獲得できたのに対して、明日菜のネギとの出会いは、タカミチへの恋心を踏みにじられるというさんざんなものだった(「失恋の相」1時間目)。いわば、魔法による恋の否定がネギと明日菜の最初の関わりであり、それに対して強化される魔法への反発は、「無神経」な「子供(ガキ)」への苛立ちと重ね合わされるようにして、ネギに向けられる。さらにネギは2-Aの担任となることで、タカミチを明日菜の日常から追い出す役割まで担ってしまう。この結果、明日菜はネギの3つの側面、つまり魔法使い・教師・子供の全てにわたって最初から拒絶することになるのであり、しかもその根拠は、タカミチへの明日菜の想いを妨げるからだという意味で共通していた。そして、これに対応するようにして、ネギは3つの面全てにわたって失敗してしまう。事実、その失敗のほとんどに、明日菜は積極的な役割を果たしているのである。
 ところが、その拒絶を和らげるきっかけになるのも、またタカミチへの恋心だった。ネギの魔法によってタカミチに無様な姿をさらしてしまった明日菜は、その罪を償わせるために、今度は魔法を恋愛成就に利用しようとする。そこで逆に再び傷つき、「どうせ…ただの片想いだったし」と諦めかけてしまう明日菜に、ネギは、本作品の主題にかかわる重要な言葉を告げ、それに明日菜が応えることで、絆への最初の一歩を歩む。

ネギ 「おじいちゃん言ってました わしらの魔法は万能じゃない わずかな勇気が本当の魔法だって」

明日菜「わかったよ 私も…勇気出す」

 ここで明日菜はネギを相手に告白の練習をする。髪を解いた明日菜を見てネギはネカネを思い出し、ネギをからかおうとしていた明日菜も不意に接近しすぎて胸が高鳴ってしまう。結局は明日菜がオチをつけることで落着したものの、カモによるのどかとの仮契約計略以前に、ネギがキスをめぐって真剣に動揺し、かつ思わず目もつむってしまった相手は明日菜だけだ。思えば明日菜は、ネカネに似た面影とアーニャに似た性格の持ち主という、好意を抱くにこれ以上もない少女なのである。ただし、これはネギに教師としての自覚がまだほとんどなかったことも影響しており、明日菜にもそのことを厳しく指摘されている。その一方で、明日菜は「このままがんばれば…あんたもいつかはいい先生になれるかもね」と優しい励ましもしており、ここで両者の関係は破綻せずにすんだ。
 この段階では、明日菜の目的は今まで通りタカミチとの恋愛成就であり、ネギはその目的到達のための適切な助言をしてくれた存在であるがために、明日菜もネギの教師稼業への不安を解消してやろうとした。ただし、ネギの魔法使いとしての目的を未だ知らずにいるこの段階では、ネギの子供っぽさはやはり否定できないままにある。それゆえ、初日に明日菜が見たネギとは、「ちょっと頭良くて魔法だか何だか使え」、教師としての可能性を確認できるにせよ、「中身は全然ただのガキ」なのだ。とはいえ、その「ガキ」の中身は、朝方の「無神経でチビでマメでミジンコ」という完全拒絶対象から、キスの真似をしてからかったりほっぺたをぷにぷにしたりする対象や、とりあえず部屋に泊めたり励ましてやったりするような、いくぶん許容的な対象へと変化している。より正確に言えば、先ほどのネギの台詞は、明日菜にとって教師ネギの言葉としてではなく、ネギという人間総体のものとして受けとめた可能性もあるのだ。だが、それでもこの段階では、「少年」としてのネギ像を明日菜が明確に捉えているとは言い難い。いずれにしても、タカミチへの恋心を仲立ちとしてきわめて敵対的に開始した二人の関係は、こうして、ネギの言葉でタカミチへの想いを貫く勇気を持とうと思い始めた明日菜(「自分の力で何とかするわよ」2時間目)と、それに感謝した明日菜の言葉で教師への努力を再び勇気づけられたネギというようにして、タカミチへの想いを今度は肯定的な触媒としながら相互支援関係への端緒を見いだしたのである。

 この関係をより具体的に構築していく過程は、「子供」としてのネギに対する明日菜の関わり方として、つまりネギが明日菜のためにお節介するも失敗して憤らせ、明日菜がネギの子供っぽい生活習慣に我慢ならず世話を焼く、というネギ主動・明日菜優位のかたちでひとまず進展し、年長者(保護する者)−年少者(保護される者)関係を確立していく。その中で、「暴力的で無法者」という明日菜へのネギの印象は、彼女の苦学生という背景を知って和らぎ、また明日菜と一緒の部屋がいいと口ごもるのだが(3時間目)、既にその前にネギは、ネカネに面影の似た明日菜の寝床に無意識に入り込んでしまっており(2時間目)、いかに明日菜という存在に早くから惹かれていたかが分かる。この明日菜という保護者がいるおかげで、ネギは子供としての限界を素直に示し、依存することが可能となった。教師・魔法使いとして無理をためこみやすいネギにとって、これは非常に大きい支援だった。
 一方、明日菜もネギへの印象を、彼の大目的を知ってその一生懸命さへの評価に変える(4時間目)のだが、これはネギの側の評価修正と同様に相手の自立性を認識するものではあるものの、ある全く異質な意義を有している。ここで明日菜は、教師ネギによる補習の最中に、自分だけ最後に残ってしまっている姿をタカミチに目撃され、タカミチに「軽蔑された」と泣き叫んで駆けていく。砂浜まで何とか追いかけてきたネギに、明日菜は降参しながら「変なご機嫌取りはお断り」と釘を刺すのだが、これは(ネギ自身にも教師としての努力と個人的支援努力との区別がやや曖昧なためでもあるが)明日菜がネギの自分への関わりを、タカミチとの関係でのみ捉えてしまっていることを指し示している。だが、ネギが自らを「アスナさんの先生」と語り、さらにマギステル・マギの名を再び口にするに及んで、ついに明日菜はネギがそこまで一生懸命に振る舞う理由を問いただす。それに対してネギが自分の追いかける人の話を、つまり真の目的の一端を物語ったとき、明日菜はネギの背中に、無視できない何かを見いだしてしまった。

明日菜「あんたがそのマギ…何とかになるには 今の先生の仕事を上手くやんなきゃいけないんでしょ? 協力するわよ」

 ここで明日菜は、魔法使いそのものについてほとんど何も知らないために、魔法使いネギの目的を教師ネギの水準で受けとめ、生徒としてそれに「協力」しようと態度を決める。ネギがマギステル・マギになれるように明日菜が「協力」し、学園生活で教師ネギを支援する一方で、ネギは明日菜の役に立てるように、魔法の使える教師として努力する。こうして築き上げられていくのは、生徒−教師としての相互支援関係という新たな段階である。この関係については、英語授業の面では明らかにネギ優位の関係だが、クラスの女子達にからかわれる担任ネギを守るという明日菜の役割も鑑みると、ネギと明日菜はほぼ対等と言えるかも知れない。そして、ネギの目的追求に協力するために明日菜がネギの想像以上に自己努力するという姿勢は、ノートがボロボロになるまで英語の勉強を頑張るときも(7時間目)、刹那に剣道を教わるときも(57時間目)、共通して見られる明日菜の健気さである。また、ここには、教師でありながら子供でもあるネギの保護者としての自覚もある以上、先述した年長者−年少者関係はここで生徒−教師関係に完全に置き換えられているわけではなく、両方が分かちがたく結びついていることになる。

 この相互支援関係がさらに一歩、しかも学園コメディパートを越え出る予感も秘めて進展するのが、ドッジボール対決である(5-6時間目)。そこでネギは、教師として明日菜達を「どんな争い事も暴力だけはダメです」と健全なスポーツ対決に導く。明日菜はネギのその教育的配慮を尊重して、ネギが魔法を使うのを「正々堂々いきなさいよ…男の子なんでしょ」と止めさせ、スポーツの枠内で決着をつけようとする。さらにそれを受けてネギは教師として、明日菜の言葉を借りて他の生徒達を励ますことができたのだが、この展開は一見して、生徒−教師関係の枠内に収まっているかに思える。ところが、ここで明日菜がネギを「子供」「ガキ」「教師」ではなく、初めて「男の子」と呼んでいることに注意したい。それは、スポーツならずるをせず「正々堂々」勝ちたいという明日菜の素直な感情の発露にさいして、たまたま口をついた言葉にすぎなかったかもしれない。しかし、その言葉を受けてネギが生徒達を立ち直らせ、その生徒達の活躍で勝利をものにした直後、ネギは敗者によるドッジボールの不意打ちから明日菜を庇うという行動で、この「男の子」らしさを咄嗟に明日菜に示しているのだ。そして、あくまで反射的な行動であるとはいえ、明日菜の危険にネギが身を挺して守ったのは、これが最初のことである。試合開始時にはネギがただのお荷物でしかなかっただけに、このときの明日菜の驚きは大きかった。魔法使い・教師としての過失に気づき、保護者からのゲンコツに子供として怯えるネギを、明日菜が「助けてもらったしね」とお咎めなしに許したのは、彼女にしてみればネギの振る舞いは「男の子」として立派だったからかもしれない。
 続く図書館島シリーズでは、明日菜は、ネギの魔法使いと教師という2面を一致させるように指導する。その方向性は、先のドッジボール対決と同様、学園生活の範囲内では正々堂々と振る舞うように叱咤するものである。

明日菜「マギ…何とかを目指してるのか知らないけどさ 
     そんなふうに中途半端な気持ちで先生やってる奴が担任なんて 教えられる生徒だって迷惑だと思うよ!」

 この一言は、ネギの目的をいったん教師としてのそれに統合し、教師面での成長を促すことになった。しかし、期末試験を乗り越えるためにそのネギの魔法をあてにした明日菜の思惑は、自分の一言を受けて魔法を封じて頑張ろうとするネギの決意によって、皮肉にも裏切られる。その探索行の末に、明日菜はネギを守るように抱きかかえて墜落し肩を怪我するが、ネギの危険に明日菜が身を挺して守ったのは、これが最初のことである(8-9時間目)。そして、お互いの誤解も露見しあいながら、最終的にネギは教師として明日菜達を守ろうと自己犠牲を計り、明日菜は「ガキのくせにカッコつけてもーバカなんだから!」とネギをいさめてかばう(10時間目)。ここに、生徒明日菜達を守ろうとして戦いに身を投じる教師・魔法使いネギと、子供ネギをかばう保護者明日菜という行動パターンが完成した。しかしそこには、ネギの教師・魔法使いとしての自己意識と、ネギをまず子供として見てしまう明日菜のネギ認識との間にある「ずれ」が存在してもいた。とはいえ、それとともに確認できるのは、「私なんかよりちゃんと目的持ってがんばってるから感心してた」というネギへの明日菜の評価であり、そしてネギにその目的を達成してほしいという、面倒見のいい彼女ならではの想いである(11時間目)。
 以上の流れに加えて、明日菜のあやかへの思いやりをネギが知る14時間目や、ネギのパートナー問題について明日菜が知る15時間目を踏まえれば、今後のバトルパートで必要となる二人の基本関係が、ここまでの学園コメディパートで完全に構築されていることが分かるだろう(ドッジボール対決などはバトルパートと呼べるかもしれないが)。それはまた、ネギが独力で頑張ろうとして泣いてしまったり、明日菜が勇気を出そうとして出せなかったりするという、自分の力で頑張ろうとするがそれだけでは足りないという共通性にも支えられている。ただし、この学園コメディパートでは、明日菜のネギ像はあくまでも子供・教師といった面が中心であり、魔法使いとしてのネギ像と、そこにこそ明らかな彼の主目的とをきちんと受けとめるには、魔法が支配的な空間、つまりバトルパートの中で、明日菜が魔法的な戦いに巻き込まれることが必要だった。

(2)バトルパートにおける発展

 実際に、これに続く最初の明確なバトルパート、エヴァシリーズを確認してみよう。ここで明日菜は、図書館島と同様に学園生活の舞台内での魔法的世界を体験することになるが、その危険度は一挙に生死に関わる程度にまで引き上げられ、彼女の介入度も完全に主体的なものになっていく。
 ネギは教師・魔法使いとして、吸血鬼事件を引き起こしている生徒・魔法使いエヴァと生徒・従者茶々丸に挑むが、魔法使いとしても教師としても全く対抗し得ない。そこで怯える子供ネギを、明日菜は保護者として繰り返しかばう。それはエヴァにからかわれているように(18時間目)、保護者以上の何かを既に少年ネギに感じてしまっているからでもあるが、明日菜はそれを認めようとはしない。そしてネギもまた、明日菜を生徒・保護者以外の何かとして見いだしつつあることにはっきりとは気づいていない。エヴァの脅威を前にして惑乱の極みにあったために、ネギは明日菜との仮契約(パクティオー)する初めての試み(ほっぺたへのキスで終わる)にさいして、生徒である明日菜とキスすることへの教師としての躊躇を忘れ、保護者にお願いする子供になってしまっている。と同時に、(そう言えばこれってアスナさんとキス…?)とようやく気づきながらも止めようとはせず、男の子としての「ドキドキ」はおでこへのキスでひとまず空振りに終わる(20時間目)。
 しかし、その一方でネギは、学園から逃げ出そうとしながら、(僕のせいでアスナさんや)皆に(迷惑はかけられない…)と、明日菜を守るべき対象として捉えてもいる(21時間目)。頼るべき保護者としての明日菜に一度は賭けたものの、魔法使いとして冷静に考えればカモの指摘の通り、素人の生徒にすぎない明日菜を巻き込むわけにはいかない。結局この段階では、ネギは単独で戦おうと意地を張り続けるのだが、楓のおかげで立ち直った後のネギと明日なのやりとりは、注目に値する(23-25時間目)。

明日菜「これでもうあの訳のわからない契約とかに付き合わされることはなさそーね」
ネギ 「…は はい こないだはあんなこと頼んですいませんでしたアスナさん」
明日菜「ん?」
ネギ 「でも もう大丈夫ですよ また何かあっても今度はアスナさんや他のみんなには絶対迷惑かけませんから安心してください」
明日菜「え… あ…そう?」

 ネギの(部分的にだが)成長した態度を見て、明日菜はかえって拍子抜けしてしまう。明日菜は口では面倒くさそうに言っていても、ネギの保護者として厄介事に巻き込まれることを基本的に嫌ってはいない(修学旅行でも同様、29時間目)。「ウチの居候に」などという言い方も、自らとネギを身内同士として理解していることを指し示す(17時間目)。だが、ネギにしてみれば、明日菜は自分の保護者である前に生徒であり、自分が魔法使い・教師であることを再確認した今ならば、なおさら戦いに巻き込んではならない外部の存在である。ここには、ネギの自己認識と明日菜のネギ認識とのずれと表裏一体のものである、明日菜の自己認識とネギの明日菜認識とのずれが、最も早く描かれている。
 だが、エヴァと茶々丸に破れ父の杖を投げ捨てられたネギが子供に戻り、一人で頑張りきれなかったことに泣きじゃくるとき、そこに駆けつけた明日菜は微笑んでネギを励ます。

明日菜「私が来たくて助けに来たんだから迷惑でも何でもないの! ホラ 協力するからチャッチャと問題児をどうにかするわよ!」

 この言葉とエヴァの叱咤に、ネギは明日菜と共に闘う意志をあらためて獲得する。そしてこの直後に、ネギは明日菜にキスされ正しい仮契約を結ぶ。ネギが一人で戦いに赴いたからこそ、その子供っぽい意地の張り方に保護者としての意地をぶつけることで、明日菜も仮契約(キス)への決意を固められたと言うこともできるだろう。だが、それはあくまでも「非常事態」ゆえの緊急措置であり、また「10歳だし…」と言い訳可能なように、例外的状況における保護者としての対応にとどまっていた。仮契約がパートナーシップの端緒であるとしても、ここまでの学園生活とこの場面でのやりとりの中で、二人が「互いに信じ合いいたわりあえる関係」(19時間目)を十分に構築できていたとは言い難い。ネギの真の目的や魔法使いとしての使命を明日菜が明確に理解していないこの段階では、明日菜はあくまでも、ネギという「ガキが意地はった」行動に年長者としての保護責任を果たそうとするのであり、その意味では学園生活での振る舞いも、エヴァとの戦いでの態度も、そう変わるところはなかったのである。また、ネギがエヴァと戦う勇気を取り戻したのも、明日菜による励ましあってのこととはいえ、エヴァが父ナギの名を持ち出して叱咤したことの効果の方が大きい。しかも、ここでの二人の戦術は、明日菜が茶々丸を束縛している間にネギがエヴァを倒すという、単純かつさほど協力性のないものだった。

 これが修学旅行シリーズに入ると、相互を補完し合う戦術はわずかながら進歩する。それはまず、木乃香を道具にしようとする千草への怒りを共有することから刹那も含めて偶然に始まるが(31-32時間目)、対小太郎戦ではそんなにわか作りの連携は全く通用しないまま終わってしまう。そして最終決戦では、明日菜は「ネギの魔力が守ってくれてる」という信頼のもとでネギと離れて戦い、刹那との協力に「いいコンビかもね」と手応えを感じる。だがネギのもとに召還されたとき、ネギと明日菜の共同戦術はやはり無に等しく、フェイト一人に圧倒されてしまう。しかし、敵の石化呪文に明日菜はその身をもってネギをかばい、明日菜を狙った拳をネギは渾身の力で食い止める。明日菜が敵の魔法障壁を粉砕し、ネギが拳をたたき込む。両者ともほとんど反射的な行動ながら、戦闘の中で両者の息がかみ合った最初の瞬間がここにある。お互いをかばい合う姿には、バトルパートにおける相互補完的な関係が、未熟ながらようやく実現しているのだ。
 そして、これとともに両者の関係は、バトルパート以外の場面でも少しずつ進展していた。もちろんそれは、両者の関係総体がただちに相互補完的・相互理解的なものに到達したということではない。旅行初日より、明日菜はネギの任務に自発的に巻き込まれる(「いいよ ちょっとなら力貸したげるから」29時間目)かたちで首をつっこみ、敵の目標が木乃香であると分かった後も、この態度は基本的に変わらない(「いっしょーけんめいがんばってる奴は ガキだろーが何だろーが嫌いじゃないのよ 悪い?」39時間目)。しかし、ネギの父への想いが小太郎への闘志の根底にあることは、明日菜の(殴られて意地になっちゃってフツーの男の子みたいな所もあるのねー)という独白に明らかなように、未だ正しくは理解できていなかった(40時間目)。一方のネギも、明日菜がなぜ自分をここまで助けてくれるのか、また明日菜に対して自分がどう感じているのかについて、はっきりと自覚しているわけではなかった。
 だが、そのような限界を越えられずにいる両者の、子供を守るべき保護者としての明日菜の自己意識や、生徒・一般人を守るべき教師・魔法使いとしてのネギの自己意識が、ある場面で大きく揺らぐ。本山に到着して風呂の中、刹那をからかったお返しを受けたとき、ネギに協力する理由を必死にごまかす場面と(44時間目)、風呂場でフェイトに襲われた明日菜にネギがタオルをかけてやる場面(46時間目)である。前者は、刹那を媒介とした明日菜の自己客観化(とその拒絶)を指し示し、後者は、ネギの行動に直接由来する関係変化を意味している。

ネギ 「アスナさんはここで待っていて下さい このかさんは 僕が必ず取り戻します」
明日菜「え… う うん …」

 このとき、ネギは明日菜にどのような存在として向き合っていたのだろうか。「先生」としてか、のどかに対するように「友達」としてか、それともさらに別の何かとしてか。少なくとも明日菜の方は、そんなネギに「男の子」を感じ、すぐには自分も行くと言い出せずにうなずいてしまっている。子供ネギを守る保護者明日菜から、少年ネギに守られる少女明日菜に、この瞬間だけは完全に移行しているのだ。だから直後に刹那とネギが仮契約するさい、横で見ていて「ドキン」とせざるをえないのだが、その後の戦いの中では、木乃香救出のためにお互いの全力を尽くすことに精一杯で、この明日菜の認識がただちに深化することはなかった。しかし、石化作用による昏睡状態に陥ったネギを前にして、明日菜は今までで最悪の危機感を抱いた。小太郎との戦いでもネギの絶体絶命の瞬間を目の当たりにしていたが、今回のそれは、誰も(ネギ自身も)助けようのない死の訪れに立ち会っていた。結局この危機は、木乃香の決意によって無事回避されたのだが、このときの明日菜の恐怖は、のちの彼女の行動に大きく影響することとなる。その一方、ネギの明日菜認識も、ごくわずかではあるが変化しつつあった。旅館でくつろいでいるとき、偶然明日菜と手が触れたネギは、照れまくりながら大慌てで明日菜に詫びる(53時間目)。明日菜にも「今さら」「ガキのくせに」、と突っ込まれているこの態度は、少年ネギが少女明日菜に抱いている感情が若干漏れ出ている。その好意がじつは修学旅行前からネギが抱いていたものであることは、のどかに告白された場面でのネギの混乱する脳内で、(木乃香と同じく)明日菜の名前にハートマークが、ただし「?」つきで付されていたことにも表れていたのだが。

(3)パートナーシップへの努力

 修学旅行後の明日菜が、ネギに対してもはや生徒−教師関係で相対することはない。それは、ネギ自身が教師としてほぼ自立できたからでもあるが、より重要なのは、明日菜のネギ認識が専ら子供ネギと少年ネギの狭間に揺れ動きはじめることである。惚れ薬入りのチョコのおかげでネギにときめき、エヴァにからかわれる54時間目以降、明日菜はことあるたびにネギとの関係を問いただされては「子供」だからと否定する。逆に言えば、「子供」であること以外にネギへの感情を拒む理由がないのだ。しかも、その明日菜が見るネギはすでに彼女の嫌いな「自分のコトは一人じゃ何もできないクセに生意気言ったり無責任に文句ばっか言う子供」と明らかに異なる以上、この「子供」というレッテルでさえネギを拒むには十分でなかった。しかしだからといって、タカミチに一途な明日菜としては、あやかのような子供好きの「ヘンタイ」になってしまうわけにはいかない。
 そこで明日菜は、少年ネギへの思慕を意識しないようにするために、2つの方策をとることとなる。1つは、子供ネギの保護者としての役割を今まで通り果たしていくというものであり、もう1つは、魔法使いネギに対する仮契約者としての立場を自覚的に強化していくものである。前者については日常生活の中で問題なく可能であり、後者については、修学旅行時に刹那にお願いしていた剣道の稽古を始めることでとりあえず具体化された(57-8時間目)。それらはあくまでも「仕方なくいつも面倒みてるだけ」であり、「何か成り行きってカンジだから 別にやんなくてもいーんだけど…」と言い訳できる程度のものでしかないが、これによって明日菜はネギと適度な距離を確保することができるはずだった。しかしまた、これを通じて明日菜は、子供ネギの保護者・魔法使いネギの仮契約者としての自己認識を、ネギによる明日菜認識からいっそう大きくずらしてしまう。明日菜が剣道の稽古を始めたのは、「私ってちゃんと役に立ててるのかな」(39時間目)と自分の能力に不安を感じ、小太郎やフェイトとの戦いで力不足を痛感した彼女なりの、子供・魔法使いネギの保護者・仮契約者たるに相応しい力を得ようという努力の一環だった。ところが明日菜がなぜそのような努力をしているかについて、ネギは全く関心を寄せようとしなかった。ネギは明日菜を保護者としては認め、子供として依存しているが、魔法使いの世界で共に戦うパートナー候補としては決して認めておらず、なおも一方的に守るべき対象のままでしかない。つまり、保護者・仮契約者としてネギとの関係を深化しようとする明日菜は、魔法使いネギに「一般人」扱いされて仮契約者の立場を拒絶されることによって、子供ネギの保護者である資格も奪われてしまうのである。
 この両者のずれが露呈してしまうのが、59-60時間目である。ネギが「のどかさんや夕映さんみたいなか弱い女性をこっちの世界に巻き込む訳にはいきませんよ」と言い訳するのに対して、明日菜が「つまり私はか弱い女性じゃないってコトね?」とからむとき、明日菜は半ば本気で怒ってはいるが、そこには同時に、夕映やのどかとは異なり自分は危険な「こっちの世界」の側にいるものという自己認識と、それをこんな会話を通じてネギも共有してくれている(自分だけはネギが連れて行くだろう)という安心感とが隠されている。ところがネギは自分に内緒で図書館島の危険区域に潜入してしまい、その事実を後から夕映に伝えられる。そのとき明日菜は、ネギが言うとおり全く大人げなく、ネギにケンカを売ってしまう。

明日菜「危ないじゃない 何で私に言わなかったのよこのガキ!」
ネギ 「ガ ガキってアスナさん(むっ)
     −アスナさんは元々僕達とは関係ないんですから いつまでも迷惑かけちゃいけないってちゃんと考えて僕−…」
明日菜「かっ…関係ないって今さら何よその言い方!! ネギ坊主ーッ」

 この口論では、「ガキ」としての子供ネギを心配しながら罵る明日菜と、「一般人」としての保護者明日菜を心配しながら遠ざけるネギとの、見事なすれ違いが描かれている。やがてネギは、夕映の助けを借りてようやく誤解の原因に気づくのだが、明日菜の側がそれで全てを水に流せるわけではなかった。口論の日から3日もの間ネギと口をきかなかったのも、ネギに対する怒りというよりは、自分自身の気持ちを見つめ直す時間がどうしても必要だったということである。確かに明日菜は、これまでのような受動的な支援の段階から、より積極的な支援の段階へと歩み出た。だが、それが彼女に何らかの明確な目的をも与えていたわけではない。果たして自分は今後何を目指して生きていくのか、その決断を明日菜はようやくここで迫られていたのである。
 この決断をこの時点でいっそう差し迫ったものにしていたのは、2つの要因による。1つは、ネギが父ナギの手がかりとなる地図を入手したことで、魔法使いとしての主目的に向けて邁進し始めたことである。日常世界で今まで通りネギを子供として世話し続けることは可能にしても、明日菜の未だ知らない魔法世界でネギが何を求めているかについて、現状では明日菜はほとんど具体的な手がかりを得ていない。明日菜が「カッコイイとこ」として改めて発見したのは、そのような自分の知らないネギの素顔であり、そこには魅力とともに不安もまた存在していた。もう1つは、エヴァに弟子入りする試験をネギが受けているときの、まき絵の態度である。茶々丸に圧倒されるネギを見るに見かねて、明日菜は止めに入ろうとする。だが、少年としてのネギに恋するまき絵は明日菜を制して、目的を持って努力しているネギを止めてはいけない、と訴える。ここで明日菜は、ネギを止められないことをあらためて理解した。ネギは、もはや子供としての姿だけを見せてはいない。にもかかわらず明日菜が子供ネギの保護者として振る舞い続けていたならば、ネギ自身に置いて行かれてしまい、ネギを守ることもかなわない。そこにはまた、保護者の手を離れて独り立ちし、自分だけの関係を構築していくネギへの、不安と寂しさがあったかもしれない。いずれにせよ、明日菜がネギのそばにい続けようとするならば、明日菜も否応なくもっと大きく踏み込まなければならなくなったのだ。
 そして彼女が示した結論は、パートナーシップへの意志だった(62時間目)。夜明けの海の中で、明日菜はネギを抱きしめて告げる。

明日菜「−どうせ止めろって言ってもお父さん追うのあきらめないでしょ?
     −あんたのこと守らせてよ 私を… あんたのちゃんとしたパートナーとして見て ネギ」

 ここにおいて明日菜は、自らの目的を決定した。それは確かに、例えば職業などの意味での彼女の将来を決めるものではなかったし、ネギの目的に引っ張られるかたちでの決定にすぎなかったかもしれない。しかし、ここで間違いなく明日菜は、自分の想いに嘘をつくことなくネギに伝えていた。1時間目にネギが語った「わずかな勇気」を、明日菜はタカミチへの告白とは全く違うかたちで、まさしくここに示し得ていたのである。
 とはいえ、直後にネギが「ぼぼ僕まだ10歳ですし色々問題が」と慌てふためき、明日菜も「そーゆイミじゃないわよ!」と言い返して、子供ネギと保護者明日菜の関係に戻ってしまうように、ここでの両者はパートナーシップを相互に確認できているわけではない。やがてエヴァの別荘での修行のさいには、ネギは明日菜に「パートナーとして」自分の過去の記憶を伝えようとし、明日菜もそれに応えたうえ、その凄絶な過去を初めて知って、「任しときなさいよ 私がちゃーんとあんたのお父さんに」(66時間目)と、ネギの努力をそばで支える意をさらに固めることになる(64-6時間目)。しかし、ネギとしては、自分の過去を明かしたのは、自分と関わることの危険性を明日菜に理解してもらうためだった(67時間目)。ここでもやはり、ネギは明日菜をなお「一般人」の側に置いており、魔法の世界の恐ろしさを知っているだけにその態度は簡単には変わらないのだと分かる。一方の明日菜も、ネギのパートナーにならんと決意表明したのは、ネギとの関係をはるかに深く結ぶ意志の表れであるとともに、その意志をネギ支援という保護者の立場のままで徹底することによって、少年ネギに守られる少女明日菜という自己像を隠蔽しようとする無意識の発露でもあった。
 こうして明日菜はネギとの絆を通じて自己認識を深化させ目的を獲得してきた。そしてネギの側からすれば、彼の様々な面において問題を乗り越え成長するために、明日菜との絆の構築とその深化は必要不可欠だったと言える。だが、そこには明日菜とネギの両者それぞれに相手をとらえる視線のずれがあり、お互いの関係はこれ以降も接近すると同時に微妙なすれ違いを残していく。もちろんそこには未来における統合の契機も既に看取されるのだが、これについて語る前に、明日菜の成長に大きな影響を及ぼしている親友達の姿へと、いったん目を向けることにしよう。


2.微妙世代 〜あやか、木乃香、刹那〜

 明日菜にとっての親友は、まずあやかであり、木乃香であり、最近は行動を共にする機会の多さから、刹那もこれに加えることができるだろう。それ以外では、例えば彼女は美術部員であるにもかかわらず、活動にあまり真面目に参加していなかった(バイトの多忙と、顧問のタカミチが休みがちなせい)ためか、部員とはごく普通の友人関係にとどまっている。これに限らず本人自身が「友達少ない」と呟いているように、交友関係はさほど広くないようだ。天涯孤独の身である明日菜は、学費も自力で返済しようとしているように自主独立の意識が強く、同時に他人とあまり群れようとしない傾向を持っている。その例外となるような、明日菜が自分の内側へと受け入れ素顔をさらせる者達が、つまりこの親友達ということになる。

(1)あやか

 あやかと明日菜は、明日菜が外国から転校してきて以来の「犬猿の仲」である。小学1年生の頃から委員長として優等生ぶりを発揮していたあやかにとって、そんな自分にあえて突っかかる明日菜との口論やケンカは、自分の素の感情をそのまま発散するいい機会となってきた。明日菜のそのような対立的態度が、レッテルを通さずにあやかという一個の人格に対等に向き合おうとする誠実さの表れであることは、あやかにも正しく伝わっている。かつて、生まれるはずの弟に会えずに終わったあやかの悲痛を癒したのは、「元気だせ」と蹴り飛ばした明日菜の不器用な友情だった。そして中3目前の春休み、弟の誕生日(おそらく命日)にネギを連れて遊びに来たのも、明日菜からの思いやりにほかならない(14時間目)。
 一方、転校時には無愛想でややひねくれていたらしき明日菜が、次第に今のような明朗な少女に成長できたのも、あやかとの関わりあいが大きく影響していたと思われる。天涯孤独の身である明日菜に、あやかもまた対等に向き合おうとしてきた。そしてあやかは、一見何の不自由もない環境で育ちながら、しかし名家の一人娘として「武芸百般」(29時間目)を修得するなど、その身分に相応しい者になるための努力を怠ってはいなかったのであり、またのどかを「正式な好敵手」と認定(38時間目)したり、明日菜とネギのケンカという千載一遇の機会を自ら無視して仲直りの手伝いをしてしまう(61-62時間目)ように、あやかの正々堂々たる振る舞いはほとんどの場面で首尾一貫している。作品中では描かれていないが、あやかのそんな真面目さを見た幼少期の明日菜が、記憶の彼方に眠る大人達の姿をそこに重ねて、あやかの友人たるべく自分も前に進もうという意志をさらに強くした可能性もある。「いっしょーけんめいがんばってる奴は ガキだろーが」あやかだろうが「嫌いじゃない」からだ(39時間目)。

あやか「初めて会った頃からあなたも随分変わりましたけど 頑固な所だけはあの頃のままですわね」
     「…とっくに許してるくせに」

 このあやかの台詞(62時間目)は、明日菜が一人でいる場面で告げられたあやかの本音であり、二人の長年にわたる友情の全てが込められている。あやかは明日菜の変わらざる個性と、変わりゆく成長面とを捉え、日常生活での反応を通じて明日菜自身にそれを気づかせる。また、明日菜が不器用ゆえに示せない心のうちを、ケンカの中で鋭く指摘してやる。そして、このようなあやかの友情に溢れた彼女なりの気遣いは、春休みにネギを連れてきてくれた明日菜への恩返しでもあったはずだ。本人は口が裂けてもそうとは認めないだろうが、こうして両者は意地を張り合いケンカしながらお互いを認め、親友として負けない自分であろうとする。この意味で学園コメディパートは、二人にとっての成長をめぐるバトルパートでもあったのだ。その高めあいは、二人がクラスの中では争いながらも秩序や常識を担い、対外的にはドッジボール対決のようにクラスを守る役目を共有していることにも表れている。明日菜が魔法書探索に参加したのも、試験でイカサマをしようというより、自分のせいでクラスが解体してしまうことを防ぐためだったのを見れば、彼女とあやか(全員に得点向上への努力を喚起した)には、公正さへの感覚と所属集団のためのリーダーシップが確かに備わっている。この面で二人は、似たもの同士としてのパートナーシップを有しているのである。

 このような親友同士も、しかしネギをめぐっては、もともと「ショタコン」vs「オヤジ趣味」という相違もあったとはいえ、普段とやや異なる対立を見せることとなる。「てっきり新任の先生かと思って」黒板消しトラップなどの洗礼を黙認していたあやかが、ネギを見るや一転して露骨に優等生として振る舞うのに対して、ネギを拒絶する明日菜は真っ向からぶつかる(1時間目)。そして、明日菜がネギの「保護者」としての役割を受けいれるにつれ、明日菜はその立場からあやかとさらに激しく衝突することになる。その最初の描写は、あやかの家のプールで、「私がお姉さんの代わりになってあげましょうか」とネギを胸に抱きしめるあやかを、明日菜が「このショタコン女ー」と蹴り倒す場面である(14時間目)。来訪時に「保護者」と自らを位置づけ、あやかを牽制する冗談を放っている明日菜だが、この蹴りの瞬間は、本気でネギの保護者になってしまっている。幼い日に「元気だせ」とあやかを蹴飛ばした構図と、このネギの保護者としてあやかを蹴飛ばす構図とが全く同じであることに注意すれば、それぞれにおける明日菜の配慮対象(弟を失ったあやかを励ます・あやかからネギを守る)の対照性がさらに際だつことになる。
 それでもこの日はあやかのためにネギを連れてきたこともあり、明日菜の反発はこの一瞬のみで終わる。だがその後は、学園コメディパートでネギを(だいたいはクラスの悪ノリから)守るという点では協働しつつも、ネギをどちらのそばに置くかという戦いが、主にあやかの積極的行動と明日菜の防御反応、あるいは明日菜側の事故とあやかの激高というかたちで繰り広げられていく。ネギへの恋という点で、のどかが明日菜と対立しようとしない時期を通じて、あやかは明日菜に誤解も含めて衝突することで、明日菜にネギを無理矢理に意識させていく。また、のどかを「好敵手」と認めたり、古菲とネギの関係を誤解してボーリング勝負を挑み(55時間目)、さらに元気のないネギを励ますべく二人っきりのバカンスに連れ出そうとする(61時間目)ように、恋愛という学園コメディパート内のタタカイにおいて、あやかは主導的な役割を果たしてきた。しかもそれがネギを(のどかのように)「10歳の少年」として追いつめないのは、あやかが同時に「委員長」として自己抑制的に振る舞うことで、「教師」としての自信を失いがちなネギを支える力ともなっていたためであり、そして「弟」として愛することで、明日菜と仲直りさせてあげてしまうほどに、ネギを「姉」として親身に心配できるからである。「先生」あるいは「弟」としてのネギに向き合うこれらの態度と、「少年」ネギへの女性愛とがないまぜになって、あやかはネギを思慕する。そして、「少年」ネギへのあやかの積極的行為を妨害することを通じて、明日菜は、あやかがもう一面で持つ「弟」ネギへの思慕を知らず知らずに受容し、ひいてはあやかの「少年」ネギへの想いをも、自分のうちに取り込んでしまうきっかけを得てしまうのだ。ただしそれが明日菜の無条件のネギ受容に繋がっていないのは、あやかのあんまりな振る舞いが否定的に作用し、「いいんちょと同じ」「ヘンタイ」(54時間目)にはなるまいという抑制が働くからでもある。

 しかし修学旅行を経て、のどかが明確にネギへの恋を宣言し、明日菜へのタタカイへも少しずつ踏み込んでいくのと対照的に、あやかのネギへの熱心な態度はほとんど強化されない。その背景は、学園祭でネギと一緒に各所を回る中、睡魔に負けたネギを膝枕することになった場面で、はっきりした理由を与えられる。以前にネギが家庭訪問してくれたとき、ネギも明日菜の意を汲んで「弟」になると言ってくれたとはいえ、あくまでそれは先生としてのネギの気遣いだった。だが、いまネギが膝の上で穏やかに眠りながら「おねえ ちゃ… ん…」と寝言を呟くとき、それはネギが10歳の少年として、あやかに素のままに甘えていることを意味する。あやかは、会うことのできなかった弟の声と温もりを、ついに感じることができた。二人を風が包むのは、あやかの8年分の時がようやく流れたことの象徴である。その前後をコミカルに描かれてはいるが、「委員長」としての外面的役割に疲れ切っていたあやかが「姉」として内面から再生するこの場面こそ、彼女が弟の死を本当に受け入れることができた瞬間なのかもしれない。
 この空虚を埋められたがゆえに、今後のあやかは、ネギ好感度では不動の2位を保つにしても、今まで以上にはネギに迫らなくなる可能性がある。もちろん、弟の影を重ねずにネギそのものを愛するようになるとも考えられるのだが、ここでもう一つ言及しておきたいのは、あやかと小太郎の関係である。不幸な初対面以来「おばさん」「野生児」とケンカする両者は、1時間目の頃の明日菜とネギの関係を彷彿とさせる。その場合、木乃香の役割を千鶴が担うことになるが、夏美はのどかあたりだろうか。それはともかくとしても、小太郎が家族の団欒」への憧れを漏らしたとき、あやかはふと何かを感じている。それは、弟のいない、両親も家を空けがちな家庭生活を送ってきたあやかに、家の中での孤独という点で共感させた(67時間目)。それでも小太郎との性格的な衝突が繰り返されはするのだが、学園祭でのケンカをネギに「仲が良いんですねー」と微笑ましく受け取られてしまう(90時間目)ように、両者はまるで姉弟のような関係を作り上げつつある。あやかにとってネギが理想的な弟だとすれば、小太郎は反発しあう弟として、彼女に新たな慈愛の対象となっていくのかもしれない。ただし、その慈愛という意味では千鶴が一歩リードしており、また明日菜とネギのような関係になるには、小太郎の正体を知らねばならないのだが。

(2)木乃香と刹那

 母性的でおっとりした性格(やや天然気味)の木乃香は、女子寮の同居人ということもあり、明日菜の親友であるとともに、ネギが最初に好意を抱いた少女の一人である。明日菜に嫌われたネギに木乃香が食事などの世話をし続けるのも、たんに面倒見がいいというだけでなく、ネギが面倒見甲斐のある子供だったためでもある。「ネギ君来てから カワイイ弟ができたみたいで嬉しいえ(はぁと)」と微笑む彼女に、ネギは一瞬見とれてから「ぼ 僕は弟じゃなくて先生ですよー」とムキになるのだが、木乃香はこの時点ですでに明日菜同様、ネギを10歳の少年としてのみ受けとめている(15時間目)。この二人がネギをそのままに受容しているからこそ、ネギは安心して子供らしく悩めるのであり、その生活指導にさいしては、厳しい明日菜と優しい木乃香があたかも父母のように役割分担している。あるいは、アーニャとネカネのような役割分担と言ってもいい。
 ネギがやってくる前まで、木乃香は明日菜のいい同居人として暮らしていた。二人の関係は、14時間目でのあやかの回想場面に登場した黒髪の幼女が木乃香だとすれば、小学校低学年から続いていることになる。両者の魔法的能力を鑑みれば、木乃香が京都から移ってきた直後に、学園長が孫娘を明日菜に引き合わせていたと考えられる(30時間目)。あやかの自尊心と積極性が明日菜の人格形成に影響したように、木乃香の包容力も、明日菜を優しく支えてくれてきたことだろう。ところで、登校時に木乃香がローラーシューズを履いているのは、その明日菜の脚速に合わせるためであるが、こんなところにも木乃香らしさが表れている。それは、他人に対立しないと同時に、他人に自分を無理に合わせないという性格である。明日菜一人を先に行かせしないが、だからといって足を鍛える気もしないのだ。基本的にマイペースであるということが、木乃香の個性の根本にある。
 そのマイペースを唯一乱される日常の亀裂が、幼馴染みである刹那との関係だった。木乃香を守ってくれる存在でもあり、かけがえのない「初めての友達」だった刹那は、しかし別れ別れになってのち中1で再会できたときには、なぜか木乃香を避けるようになっていた。このことが木乃香を2年間悩ませ続けてきたのだが、そのことを明日菜にも相談しなかったのは、そのことが明日菜に彼女の孤独な過去をも想起させてしまうだろうという、木乃香なりの気遣いだったのかもしれない(明日菜にとっては「水くさい」ことだとしても、30時間目)。ともかくこのことに思い悩みながら、木乃香は表面ではあくまでも明るく振る舞ってきたことになる。刹那が木乃香を避けてきた理由は、後にみるように、関西呪術協会長の一人娘である木乃香を無事護衛するためだったのだが、自分の隠された本性を知らされないままでいたために、木乃香は刹那の想いも、自分のなしうることも分からずに生きてきたのだった。
 この、自分自身の本性を知らない(意識と潜在能力のずれ)という点で木乃香と明日菜は共通しており、知った後も立脚点が主に日常生活にあることも、その隠された力を発揮するのが他者のためであることも同様である。木乃香の場合、明日菜の誕生日プレゼントを買いに出かけたさいに、ネギの疲れをとろうというおまじないの中で全く無意識に治癒の力を発動しかけていた(もしくはこの場面も含めて実際に日常的に発動していた?27時間目)が、それが本格的に発動したのはシネマ村にて、自分をかばって重傷を負い墜落する刹那を追って、自らも飛び降りながら刹那を完治し着地させた場面である。それは、刹那に守ってもらえたことでかつての絆が決して消えていなかったことを確信し(32時間目)、刹那への満幅の信頼を抱き直したからこそ、本当に自分を守るために身を犠牲にしようとした刹那のために、木乃香が無意識ながら咄嗟に能力を示しえた瞬間だった(42-43時間目)。さらに木乃香は刹那から、自分に秘められた力や、自分のためにネギをはじめとする皆がしてきてくれたことを伝えられて、ネギの命を救うためにその力を用いようと決意する(52時間目)。

木乃香「今日はこんなにたくさんのクラスのみんなに助けてもらって… ウチにはこれくらいしかできひんから…」

 ここで木乃香は、刹那に守られてばかりだった無力な自分や、刹那に嫌われるようなことをしたかもしれない自分という否定的自己理解を越えて、自分の力を大切な者達のために活かせる道を選び始めていた。彼女に普通の女性としての将来を保証しようとして、父は娘にその力を気づかせないようにし、祖父は孫娘にお見合いを勧める。だが、そのような与えられた道を木乃香は今までも素直には受けいれられず、しかしだからといって自分の道をこれと決められるわけでもなかった。ネギ達のおかげで刹那との絆を回復できたことによって、木乃香はようやく自分の進みゆくべき未来を「魔法使い」という具体的なかたちで見いだしつつある(60-62時間目)。この道に向かうことを決めるに至った内面的過程がほとんど描写されないため、彼女のマイペースさや心の堅固さがいっそう際だつ。こうして木乃香は、ネギ達との関わりの中で、他者の配慮が作り上げた虚構の日常に生かされる段階から、自らの生きる世界を自分で作り上げていく主体的な生の段階へと、大きく前進したのだ。

 その歩みをともにするはずの相手は、言うまでもなく刹那である。神鳴流の見習いとして、幼い頃に木乃香の護衛に任じられた刹那は、「お嬢様」を守る役目を果たすべく努力する中で、木乃香への思慕を抱いてしまう。戦う道具である自分を「せっちゃん」という一個の人格として受け入れ親しんでくれるこの幼馴染みを、刹那もまた任務を越えて「このちゃん」という大切な存在に感じていた。その幼少期に木乃香が川に流されたとき、刹那は彼女を助けようとして一緒に溺れてしまう。ここで刹那は、かよわき木乃香を守れなかった自分の無力さを責め、もっと強くならねばと痛感する。それは、「お嬢様」とその護衛という身分の違いを超えた情愛を持ってしまった自分の弱さへの反省へとつながったことだろう。ここで刹那は、弱者である木乃香を守るために存在する自分の、心身両面での弱さを、克服すべきものとしてとらえていた。
 やがて木乃香が関東に引っ越し、刹那は剣術の修業に邁進することになる。別離の時点では、刹那も木乃香に再びそば仕えすることを夢見ていたかもしれない。だが、おそらくこの時期に、刹那は自分が魔物の血を引いていることを知らされている。それは刹那にとって、木乃香と自分の間にたんに身分の違いだけでなく、人間と魔物という決定的な壁があることを突きつけるものだった。刹那の苦悩は一つの結論を導いた。木乃香に自分の正体を知られてはならない。それは「このちゃん」と自分との絆を断ち切ってしまうだろうからだ。だが同時に、木乃香のために自分の一命を捧げる。それは「お嬢様」への自分の使命であり、また「せっちゃん」として自分を受け入れてくれた「このちゃん」への、せめてもの恩返しだからだ。後に木乃香の父の指示に従い、麻帆良学園に入学したとき、刹那は同級生となれた木乃香に冷たく振る舞う。距離を置くことで木乃香の安全を図りつつ、自分の正体を知られずにすませられる。そして、本当は木乃香と昔のように仲良くしたい自分の想いを、押し殺すことができる。こうして刹那は、自分の心を抑えて任務に徹することにより、2年間を過ごしてきた。木乃香が自らの力を知らずに生きてきたのに対して、刹那は自らの心から目を逸らし、力のみを見て自己犠牲に生きてきたのだ。そこにどれほどの負荷がかかっているかは、刹那が木乃香の前で油断する場面でつい京都弁が出てしまうことにも示される。京都弁は、刹那が「このちゃん」とともに遊んでいられた日々の絆の証であり、それへの憧憬を抑えるために、日頃の刹那は丁寧な標準語で話すのだ。そして、中学での2年間は木乃香にほとんど語りかけることがなかったらしいのも、標準語でさえ「お嬢様」への思慕が漏れ出てしまうことへの懸念である。
 しかし、そのような抑制が外されるときが来た。ネギの隠密任務のために京都行きが決まった修学旅行で、刹那はネギの未熟さもあって表に出ざるを得なくなる。風呂場で木乃香を助けたとき、刹那は「お嬢様」と口走ってしまう。これを聞き、また刹那に抱かれた木乃香は、幼馴染みが自分のことを嫌ってなかったことに安堵して涙なじりに微笑む。自分の定めた一線を越えてしまったと気づいた刹那は、慌てて単身駆け去ってしまうのだが、もはや垣根を越えた木乃香の翌朝からの攻撃を避ける術はなかった。そのさい、二人の過去を知ったネギと明日菜は、刹那の任務に協力しつつ、二人の仲直りを積極的に支援する。その大きな後押しとなったのは、のどかがネギに告白したときに示した勇気であり、そして何より、敵に捕らわれた木乃香を救う唯一の手段として刹那がその正体を明かしたときに明日菜が力任せに励ました一言だった。

刹那「ネギ先生… …このちゃんのためにがんばってくれてありがとうございます」

 ここで刹那は、ついに「せっちゃん」として「このちゃん」を救おうと、心身を一致させた。ありのままの自分を受け入れてくれる木乃香への全面的な信頼をもって、木乃香を敵の手から奪還し、そして腕の中の木乃香に、本当に受け入れてもらうことができた。満月を背にした二人の姿は、お互いが相手を信頼で包み込んでいる。思えば、かつて木乃香に吠えかかった子犬は、木乃香が川で溺れたときには二人のそばにいた。刹那は子犬から木乃香を守ろうと体を盾にしたが、その子犬を友達に迎えたのは木乃香だったのではなかろうか。このような木乃香の包容力は刹那を受け入れ、刹那はそんな木乃香を守り抜く。刹那が攻撃・防御を担当すれば、木乃香が癒す。この両者の間にある深い信頼関係と、それぞれの力の相互補完性とは、理想的なパートナーシップを描き出している。それは、お互いの抱えていた問題をともに乗り越えたからこそ、いっそう強い絆として感じられる。木乃香が「魔法使い」を目指す気になったのも、刹那というパートナー候補がいればこそだろう。
 だが、この二人の場合、ここで新たな問題が生じてもいる。刹那が木乃香に非常に強い恋愛感情を抱いており、しかもそんな自分の本心を伝えられずにいるために、木乃香からの仮契約(キス)の求めに応じることができないでいるのだ。かつては魔物の眷属としての抑制が、今は禁断の恋への抑制に置き換わり、刹那は木乃香を「このちゃん」と呼べないまま、「お嬢様」としての彼女から一定の距離を取ろうと懸命にあがいている。天衣無縫な木乃香の態度もいささか幼いかもしれないが、刹那の態度は完全に恋愛音痴のそれである。たとえかつての心身のずれが消失したとしても、実際の彼女はなお背の小さい女の子であり(旅館の玄関にお札を貼るさいに踵が浮いている)、成長の過渡期にある。それでもその成長が、木乃香と微妙に食い違いながらともに歩まれるであろうことは、木乃香の新スクと刹那の旧スクという水着姿に端的に示されている。

 以上のような二人の関係が、では明日菜にどのような影響を与えてきたのだろうか。
 まず木乃香は、のどかの部活仲間でもある。のどかの恋を、ハルナ達ほどには積極的に支援しないまでも、修学旅行の夜にはのどかの告白を祝って乾杯に加わっているように、木乃香が好意的中立の立場にあることが分かる。そして明日菜に対しては、ネギとの関係をからかうことはあっても、意図的に後押ししようという素振りは見いだせない。タカミチに対する明日菜の想いは早くから知っているが、だからといって助言することもなく、占いなどで軽くからかう程度である。基本的に自分の恋愛についてもほえほえな木乃香は、他者(のどかや茶々丸)の恋についてもロマンチックさを第三者的に楽しむだけで、自ら関与しようとはしない。一方、刹那は、のどか達とはほとんど付き合いがなく、タカミチへの明日菜の恋心も知らずにいた。それゆえ刹那は、彼女と関係を結ぶようになった明日菜とネギの間柄のみに注目し、明日菜にからかわられば明日菜にネギとの関係を問いただし、ネギにからかわらればネギに明日菜とのどかのどちらを選ぶのかと問いつめる。しかしそれらは、他者が刹那に木乃香との関係を詮索されたさいの窮余の反撃にすぎず、お互いが肉も切られて骨も断たれかねない危険な技である。刹那も(自分の抱える問題もあって)木乃香同様、恋という領域には積極的に関わろうとはしていない。そして、明日菜とネギが数日にわたってケンカをしていたとき、両者を仲直りさせるにあたり、木乃香と刹那はほとんど役に立っていない。あくまでも普段通りに振る舞うことで、明日菜とネギの関係をそれ以上壊すことのないように配慮はしているものの、ネギへの刹那の助言はやや的を外し、木乃香は数日の間、同居人達の(というより明日菜の)態度を諫められずにいる。この一方、タカミチへの明日菜の恋心については、いくぶん積極的に関与しようという姿勢が二人に見いだせるだろうか。しかしそれでも、デートスポットの情報などをめぐる木乃香の行動は、明日菜の背中を押すのにとても十分とは言えない。総じて木乃香と刹那は、当人達が疎いのと軌を一にして、明日菜の恋愛面でのパートナーシップに直接的には影響していないのだ。
 これに対してバトルパート関連では、刹那は明日菜から求められて剣術の稽古をつけてやったり、ネギに呪術関連の知識を伝えてやったりと、二人の能力向上のために一役買っている。とくに明日菜に対しては、指南役として振る舞いながら、戦いの中で高めあえる相手を初めて明日菜のうちに見いだすこととなり、同時に、ネギと高めあうことのできない明日菜にとっても、刹那は唯一ぶつかれる対象となっている。刹那と明日菜のこの関係は、小太郎とネギの関係とほぼ等しい。また、修学旅行では明日菜の意識が親友木乃香を守ることに向けられたことで、ネギの保護者という普段の明日菜の自己規定がやや緩み、それと異なる自己像のもとでネギをより広くより深く受容する糸口ともなっていた。
 さらに、上述のような木乃香と刹那の関係総体をとらえ直すと、そこに明日菜への間接的な影響の可能性が見えてくる。刹那は戦闘能力に秀でており、非日常世界について熟知しているが、日常生活では(木乃香を思慕しつつも)恋愛面でためらいを捨てられない。木乃香は非常な潜在力を有しているが未だ使いこなせず、その方面の知識もないが、日常生活では(自分自身の恋愛面ではいくぶん疎いものの)刹那をリードする。この両者の剣士−魔法使いというバトルパート上の関係は、明日菜とネギの関係そのままであり、その一方で刹那の肯定しがたい恋愛感情と木乃香の無自覚な好意という学園コメディパート上の関係も、明日菜とネギにおおよそのところで重なり合うのである。明日菜が刹那には愚痴をこぼしやすいのも、この立ち位置の近さに一つの原因があると言えるだろう。そのうえ、木乃香は未だ能力を発揮できていないものの、刹那とペアで行動する姿を見せることで、ネギと明日菜も自然にもう一つのペアとして行動しやすくなっているとすれば、自分達の相互補完的な関係を一つの典型として示すことで、明日菜−ネギ関係や明日菜の内面への間接的な影響力を今後ますます増していくのではないか、と考えられる。
 そして、これよりもおそらく重要と思われるのは、刹那と明日菜の生い立ちに関する相違である。刹那が自らの真の姿を知りながら隠し通そうとしてきたのに対して、明日菜は自分の魔力完全無効化能力を知らずに生きてきており、生まれの秘密も今の段階では自覚しないままにいるのだ。己の力と正体に無自覚というこの点のみは、明日菜は木乃香に近いが、もし明日菜の隠された何かが禁断の領域に属するものであるとするならば、それが露見することへの恐怖は、刹那のそれに近いものだろう。その事実が明らかになることで、明日菜はネギ達との絆を断たれてしまうかもしれないからだ。しかし、だからこそその瞬間に、刹那と木乃香は彼女達にしかできないことを成し遂げられるだろう。刹那はかつて明日菜に、自分を化け物と哀しむ背中を叱咤されている(50時間目)。

明日菜「このかがこの位で誰かのことを嫌いになったりすると思う? ホントにもう…バカなんだから」

 そして木乃香はその言葉通り、刹那を真の姿のままに受けいれた。ならば、今後もしも明日菜が自らの正体に苦しむことがあれば、そのとき刹那は明日菜に、ネギがこの位で彼女のことを嫌いになったりしないはずだと励ますことができるのではないだろうか。もちろんその言葉は、ネギに対しても同様に向けられるかもしれない。どちらにしても、その言葉には、刹那が木乃香に本当に受けいれてもらえたという事実による深い確信が備わっているのだ。刹那からの反撃は、たんに明日菜からのからかいに対するものだけでなく、このように最も重大な問題についても、明日菜の意識と明日菜−ネギ関係を客観化して突きつけるという鏡の役割を果たすものと予想できるのである。


3.魔法の砂時計 〜二人のこれから〜

(1)パートナーシップの不完全性

 このように親友達の支えあっての明日菜とはいえ、現段階(96時間目まで)ではなお、明日菜とネギの関係に様々なずれや不均衡が見られる。総じてそれは、明日菜からネギへの一方向的な関係が強化される傾向にある。その根本要因はやはり、明日菜からの申し出をネギが全面的には受けいれようとしていないことにあるが、しかしそれだけが双方向的な関係を妨げているというわけではない。

 まずバトルパートについて見てみよう。明日菜がパートナーシップ宣言を示した直後、対ヘルマン戦が開始される。ネギの頑張りすぎや同年代の友人の不在に心を痛めつつも、ネギの父探しに本心から協力しようと決意した明日菜は、しかしヘルマンに簡単に捕らえられてしまい、しかも彼女の魔法無効化能力を逆用されて、ネギ達を危機に陥れることになる。明日菜は自分の「極めて希少かつ極めて危険な能力」を正しく理解できておらず、これをコントロールすることもできない。彼女の目の前でネギは魔力を暴走させるが、それと同様に、明日菜も自分の力を自分の意志のもとににおくことができていないのである。しかも対ヘルマン戦の後も、ネギがエヴァから魔法能力について厳しい修行を授けられているのに対して、明日菜は(刹那から戦闘技能について訓練を受けているものの)自分の魔法無効化能力については、「まほら武道会」の本戦に臨む以前にはほとんど誰からも助言を得られていない。1時間目で制服が破れて以来その能力を随所で無意識に発揮してきた明日菜の能力は、そのアーティファクトを魔法キャンセルに用いる(85時間目)という程度の思いつき以外に、意識的な活用をされずにきたのである。ネギが努力を重ねてその能力を身体・魔法の両面で向上させている一方で、明日菜の能力は魔法面で停滞し続けていたと言っていい。
 しかし、この停滞による技術的な格差の増大を認める一方で、明日菜は当初からネギの手の届かないはるか前方にいたとも言える。ネギの魔法どころかエヴァの障壁すら無効化する能力を持っているとは、つまり魔法面でネギに永遠に勝ち目がないということだからだ。ヘルマンが語る通り、「一般人のはずの」明日菜が「何故か持つ」この能力は、「仮契約」や「契約執行」が可能であることからして、おそらく明日菜の意志によって魔法の効果を受けるかどうかを選択可能なのだろう。そんな能力を持った明日菜を、ネギが対等なパートナーとして受容できないのも無理はないのかもしれない。つまり明日菜は、ネギの魔法面での努力に追いつけないという意味でも、ネギの魔法を超越しているという意味でも、とうてい対等とは言えないのだ。ただしネギが明日菜のパートナーシップを拒む理由は、あくまでも彼女を「一般人」として見なすためであり、ネギにすら明日菜の能力は真面目に受けとめられていないかのようである。
 このような二重の意味での不均衡により、明日菜はネギと肩を並べて戦うことができずにいる。対フェイト戦までは完全な力不足のせいで、対ヘルマン戦では囚われの身となることで、明日菜はその魔法無効化能力を無意識に用いるにとどまった。二人が協力して戦う状況がその後全く登場していないのは、このような対ヘルマン戦までの状態から踏み出す過程をいまなおゆっくりと歩みつつあるからだ。しかしその歩みが着実に描かれてきてもいることは間違いない。例えば、明日菜がネギを鮫(の着ぐるみ)から助けるためにアーティファクトを真の姿で召還したとき(61時間目)、それは、ネギのためにその能力を全面発揮する意志を偶然ながら獲得したことを意味していた。しかもその召還が再び実現するのが、キスプレデターと化したネギにディープキスされた直後の憤怒にわななく場面(85時間目)であるのを見れば、ネギの暴走を一発で食い止められるのも明日菜のこの力だと分かる。もちろんこの直前の対決ではネギに一撃を入れられずに終わっているのだが、のどかへのディープキスを果たさずして世界樹の魔法が解けているのは(キスを媒介とした)明日菜の魔法無効化能力によるものだとすれば、最後には体を張ってでもネギを正気に戻らせることができるものと認められるのである。とはいえ、ネギの身体能力が著しく向上しつつある現状では、やはり明日菜の魔法無効化能力のより有効的な活用が意識的になされないかぎり、明日菜はいつまでも「一般人」のままであり、バトルパートにおけるネギとのパートナーシップが大きく進展することは難しいと考えられる。いや、たとえそのような活用方法が見いだされたとしても、明日菜を魔法世界と無関係な存在として見るネギのまなざしは全く変化しないのだろうが。

 次に学園コメディパートに目を向けよう。明日菜は確かにネギに対して保護者として以上の感情を抱きつつあるが、しかし自覚的な恋愛対象は、ネギではなく依然としてタカミチのままである。というより、ネギへの思慕を振り払うために、タカミチへの片想いをよりいっそう強く意識しようとしている(76-77時間目)。魔法使いと従者が結婚しがちだとしても、理想的なパートナーシップにとって、別に恋愛関係が必須というわけではない。それゆえ、明日菜がタカミチへの恋心を抱き続けていても、ネギとの関係にすぐさま支障を来すということにはならない。だが、もしも将来タカミチとネギが対立するようなことがあれば、そのとき明日菜の心は引き裂かれてしまう可能性がある(あるいは少なくとも、ネギの側に従う確率は今のところ低そうだ)。これでは、明日菜はネギのパートナーとして全幅の信頼をおくに未だ値しないと言っても、言い過ぎにはならないだろう。
 しかも、このような明日菜のタカミチへ向かう努力を、当のネギ自身が支えている。学園祭で明日菜がタカミチとデートできるようにと、ネギはカモの企みに乗ってその予行演習に協力するほか、基本的にネギは1時間目以来、明日菜の片想いを応援する立場を崩していない。これは、彼が明日菜の恋心を正しく理解しているからではなく、明日菜に頑張ってほしいという素直な子供らしい気持ちの表れにすぎない。刹那のことをからかうことはあっても(82時間目)、自分がのどかに再び告白されるとネギはどうしていいか分からない(87時間目)。実際に明日菜に「ぼ 僕はアスナさんのこと… 好きでしたよ」と告げたときも、後に続く台詞が示すとおり、それは他の親しい者達と同様に明日菜を愛しく思っているという程度の意味だった(76-77時間目)。子供ネギは、あくまでも子供としての理解の範囲内で、明日菜の恋を応援するほかないのである。
 この結果、明日菜はネギへの思慕をタカミチへの思いで隠蔽することが可能となり、ネギに対しては今まで通りに保護者として振る舞い続けることができた。しかも、そのネギ理解の深まりを、彼への思慕を反発理由に拒絶しなくてすむことによって、かえってより積極的な行動さえ示されるようにもなった。その最も過激なものは、ヘルマンの指摘に胸を貫かれたままのネギを自分の寝床に無理矢理入れてやる場面である(72時間目)。「あんたのことは大体わかるわよ」という自負のもと、明日菜は「こないだの事件まだひきずって悩んで」いるネギのさまを唯一看破し(木乃香やカモも見破れなかった)、「何悩んでるのか知らないけど」安心して眠れるように計らってやるのだ。ここで明日菜は、なかなかに頑固だと分かっているネギから無理に悩みを聞き出さず、ただ彼が安らげる場所を自らのそばに作っている。それは、ネギの水くさい性格を理解した結果の彼女なりに熟慮した振る舞いであり、子供ネギを保護者としていたわりつつも、男の子としてのネギの苦悩に不躾に踏み込まないという配慮の表れである。この距離感は、無言で佇むネギを遠くから見つめ、小太郎との明るいやりとりにほっとする明日菜の姿にも既に示されていたところのものだが(71時間目)、ここで彼女は、保護者・生徒・仮契約者の全てにわたって共通する、ネギを見守るという役割を獲得したのだと言える。それは、ネギと一定の距離を保ちながら、同時にすぐ手の届くところに居続けるという、彼女なりに安定した位置なのだ。
 しかし、この安定は、明日菜が少女として少年ネギの影に触れるとき、たちまちにして破られてしまう。照れまくるネギとひとたびは強制的に添い寝してあげた明日菜も、麻の寝相で二人の関係を木乃香達に誤解されそうになったり、なぜか夢の中に成長したネギが登場したり、寝ぼけたネギにキスされたりするにつけ、ついに「布団に潜り込むの禁止」と叫ばざるを得なくなる(72、76-8時間目)。たとえそれが子供ネギとしての振る舞いだとしても、子供ネギを透かしてみる少年ネギの輪郭は次第にはっきりとしたものとなり、ネギがそのことを自覚していないだけに、明日菜の側が自らを少女ではなく保護者の立場に留めるために、過剰な反発を示さねばならないのである。

 以上をまとめると、明日菜とネギそれぞれの自己認識と相手の認識とのずれは、明日菜のパートナー告白以来、さほど大きくは変化していない。つまり、ネギは自らを教師・魔法使いとして律し、その主目的に向けて邁進するとともに他者を守る(そしてその力を獲得する)べく努力するが、明日菜から見たネギは、複雑な過去をかかえた子供であり、また自分がそれ以上の想いを込めて見守ろうとする相手である。その明日菜は自らを保護者・仮契約者として任じ、ネギのパートナーに相応しい力を修得すべく努力するが、ネギから見た明日菜は、一般人としての保護者・生徒であり、その片想いの成就を支援しようとする相手である。このような両者の認識のずれは、双方にその原因があるために、一方の反省によって解決できるというわけではない。真のパートナーシップが確立する日は、もしそれが実現するのだとしても、しばらく先のこととなるだろう。そして、それまで明日菜は、学園コメディパートでなおもタカミチに片想いし続けることで、ネギに近づこうとする努力をバトルパートに限定し、これいよってネギへのより深い感情を隠蔽していくのである。

(2)空白の収束点

 ところが、このパートナーシップをずっと早く確立できそうな兆しも、じつは既にいくつか現れている。それらは、前を向いて走り続けるネギを明日菜が見守り追いかけていく、というネギ主導の関係のありかたを、少しずつ、あるいは決定的に、変化させうるものである。

 その一つは、ネギが明日菜を追いかける、という逆の構図が成立する可能性である。タカミチとのデートの予行演習を手伝うなど、ネギは明日菜の恋愛に支援者として関わることはあっても、当事者として参加することは今のところない。しかし、ネギ自身が明日菜への自分の気持ちを全く表に示してきていないわけでもない。明日菜達の部屋に転がり込んで以来、ネギは明日菜にネカネの面影を重ねてきたが、その後は仮契約の場面や修学旅行での先述した複数の場面、そして最近では学園祭のデートでのどかに「例えば…アスナさんといる時とか…」と尋ねられているときに焦りながら「ドキドキ」を否定する場面(85時間目)で、自覚のない思慕の深さがうかがえる。あるいは、タカミチへの想いのきっかけを語る明日菜の横顔に、(おそらくネカネを重ねつつも)見とれる場面も確認できる(76-7時間目)。それらは、ネギが子供ながら、明日菜のうちに少女を見いだしつつあることを意味しているかもしれない。
 現状では、ネギが明日菜にヤキモチを焼くことはなく、むしろタカミチへの彼女のアプローチを応援している。だが、少女としての明日菜を目の当たりにする機会が今後繰り返され、またネギ自身の成長に伴って(そしてのどか達からの影響を通じて)少年としての恋愛感情をもつに至ったとき、例えばタカミチを追い続ける明日菜の姿に、嫉妬心を抱くこともあり得るのではないだろうか。この嫉妬心そのものは、夕映についての項で既に述べたように、本作品から今まで周到に排除されてきている。それゆえ、非常に純粋な人格であるネギがこれを獲得するなどということは、なおさら考えにくい。しかしそれでも、ネギが明日菜への思慕に薄々気づいていくきっかけさえ得られたなら、そこからネギが明日菜への認識を大きく変えていくことは間違いない。つまりこれは、明日菜への想いというネギの心の中にある空白を収束点として、パートナーシップを引き寄せるものである。
 しかし、これらは、マギステル・マギへの到達、そして父ナギへの接近・一体化といったネギの主目的から、目を反らさせることにも結びつく。そして、この少女への恋心を契機とするすじみちは、学園コメディパートのヒロインであるのどかの物語と、少なからず重なり合ってしまう。のどかがネギ−明日菜関係構築のための物語上の道具(触媒)に陥らないためには、明日菜にはまた別の手だてが与えられているべきだろう。
 そこで、学園コメディパートでの恋愛問題から、バトルパートに目を移せば、そこでもネギが明日菜を追いかけねばならない状況が想定できる。対ヘルマン戦では、明日菜は非常に受動的な立場に置かれ続けていたが、これは裏返せば、明日菜の魔力完全無効化能力がネギの行動を左右しうるほどに重大なものであることを意味している。少なくとも、ネギと敵対する勢力にとっては明日菜の能力は看過できないのであり、再び逆用されることがあれば、そのときもネギが苦境を乗り切れるかどうか分からない。たとえ逆用されずとも、その能力を利用するためだけに敵が明日菜を誘拐することも考えられる。そのとき、ネギは教師・魔法使いとしてのみならず、明日菜という一人の少女を救い出すために、少年として敵に立ち向かうことになるかもしれない。それは、明日菜の不在をネギがどのように受けとめるかにかかっている。つまりこれは、明日菜の能力というネギの魔法的理解の中にある空白を収束点として、パートナーシップを引き寄せるものである。
 そして、これに関連して、さらにもう一つの手がかりが作中に示されている。明日菜の夢に登場する幼少期の断片的な思い出、つまりナギ達と一緒に旅をしていたらしき過去の失われた記憶である。修学旅行の終わり頃、明日菜はネギ達と同行してナギの暮らしていた別荘を訪れるが、そこで見た写真に、明日菜は(アレ…この人…?)と何かを感じつつ、はっきりしないままごまかす(53時間目)。続く54時間目でも、明日菜は過去の情景らしき夢を見ているが、これ以降の彼女は、ネギもエヴァ達も知らない彼女だけの秘密を強く読者に意識させつつ、自らはそれ以上気にかけずにいる。しかし、明らかに明日菜はネギに負けず劣らず、ナギとの深い絆を持っている。そして、ネギが父を目指すそのひたむきな努力に明日菜が未だ介在できないのと同様に、明日菜とナギの過去の絆にも、ネギは現状では全く関わることができない。展開次第では、明日菜がネギの物語よりも先行する物語のヒロインとして主導的な役割を担うことも、十分考えられるのである。例えば記憶の回復をともないつつ、明日菜が自らの新たな目的を獲得する、ということもあり得るだろう。あるいは、ナギの「死」や行方不明と明日菜の能力とが密接な関係をもっているとすれば、明日菜はネギの支援というのみならず、自らの罪悪感と責任感からナギを探す積極的な意味を与えられることになるかもしれない。いずれにしても、これは明日菜が「自分は何者かという問いを発することで当然ネギをも巻き込んでいく性質のものである以上、過去の記憶という明日菜の心の中にある空白を収束点として、パートナーシップを引き寄せるものである。

 以上に例示した手がかりの全てが、明日菜の自己認識とともに、ネギの明日菜認識を大きく転換させるものである。例えば、明日菜はネギを追いかける者ではなく、ネギに追いかけられる者となり、ネギの保護者ではなく、ネギに保護されるべき者となり、ネギよりもナギの近くにいる存在となる、といったように。そして、あるいは一人の「少女」として、ネギにとって誰よりも特別な守るべきひとになるかもしれない。しかしとくにナギとの関わりにまつわるその過程において、もしも明日菜がかつてナギ達に何らかの害をなしたことが明らかとなったならば、明日菜はどれほど罪の深さに苦悩するだろうか。ネギはそんな明日菜をどう受けいれられるだろうか。また、そのような悲劇的な経緯がなかったとしても、失われた過去を取り戻すのは明日菜にとってそれほど安易なことではないだろうし、その中で互いが傷つくこともあるかもしれない。
 だが、もしもその果てに、途方に暮れる少女を少年が抱きしめてあげられる時が来たならば。そのときこそ、ナギという同じ存在を目指して、明日菜とネギはそれぞれの主体的意志のもとに、肩を並べて歩んでいくことができるようになるだろう。これは、魔法使いネギの目的に従者明日菜が従うという通常の主従関係(エヴァと茶々丸のような)ではなく、また子供ネギを保護者明日菜が追いかけるという逆の上下関係でもない。それは、共通の目標へと協力して進む少年・少女という対等の関係なのであり、そしてそれこそが真の、文字通りのパートナーシップなのではないだろうか。その努力と情熱と痛みと不安とを互いに告白して分かち合うとき、その絆は分かちがたいものとして二人の魂を結びつける。仮契約の儀式はキスを必要としていたが、本契約には唇を介して精神=息吹き(spiritus)そのものが通じ合わねばならないのだ。
 そして、この意味でのパートナーシップこそが、父を追い求めるだけでなくいつか乗り越えていくという、少年ネギの未来像(そして少年漫画としての本作品の主題)と密接に結びついている。ここでネギの目標である父ナギについて振り返ってみよう。ナギのパートナーは誰なのかは不明なままであり、少なくともエヴァとの戦いでは一緒におらず(22時間目)、また「従者を必要としない程強力」(60時間目)とも称されている。また、ナギと仲間達の写真には、女性パートナーは写っていない。しかし、これだけの理由でナギが本当にパートナーを持たなかったと結論づけるのは難しい。ネギの母親について何の描写もない現時点で、ナギの謎の死ないし失踪が、その妻であるパートナーに起因するものだった可能性は、決して否定できないからだ。さらにまた、ナギが同性愛好者だった可能性も、万に一つ捨てきれない。だが、もしナギが本当にパートナーを持たず、あるいはそのパートナーとの関係で失敗していたのであれば、ナギは自らの力の暴走を制御できなくなった結果、時空の中を転移し続けているのかもしれない。これがナギという強大な魔法使いの行き当たった壁であるとすれば、息子のネギは、明日菜というパートナー共にあることによって、父を乗り越える手がかりを得られるのかもしれない。そして、もし明日菜の力が過去と同様の危険性をはらんでいるとしても、彼女のパートナーであるネギが、明日菜の心を支えてくれることになるのだろう。そのとき明日菜とネギは、保護者と子供、生徒と教師である以上に、少女と少年であり、かけがえのない対等なパートナーなのだ。そして二人は、ナギという焦点を目指して、そのような関係をかたちづくっていくのである。
 とはいえ、この物語が今後あまりに魔法の世界に入り込んでしまい、二人の閉鎖的な絆だけが描かれていくとしたら、それは少年少女の成長にとって一面的なものになり、ナギのかつての足取りを辿るだけのものになってしまうかもしれない。これに対抗する力は、もちろん学園生活の中にある。のどかは主に学園コメディパートで、明日菜は両方のパートで成長していく。そして彼女達を含む生徒達は、ネギがバトルパートにはまりすぎてしまわないように、学園にしっかり根を下ろし続ける。恋愛という日常の中の非日常が、魔法という非日常を、日常へと結びつける。その結びつきの中で、ネギは自らの力を統制し、頼るべき相手と助け合い、こうして初めて全人的な成長が可能となる。少女達の個性とその成長が、ネギをあらゆる角度から支え、また少年ネギの成長によって刺激を受けていく。その多様性・多方向性は、たとえナギが同性愛好者だったとしても、ネギには刹那という実践者やハルナという教授者がいるほどに抜かりない。そしてそんなネギのすぐそばで、明日菜もまた少女の代表として、少年や他の少女達と肩を並べてこれからも成長していくことだろう。


終わりに 〜振り向けば、白い道〜

 この一連の考察を書き始めてから、漫画連載の方は「まほら武道会」が着々と進められてきている。ネギとタカミチとの試合では、明日菜は双方への想いを心中で戦わせざるをえなかったが、結局それはパートナーとしてネギを応援するというかたちで収束した。だが、明日菜はネギの他者を寄せ付けないいつもの態度を鋭く看破し、自分をパートナーとして認めさせるために試合で直接対決しようと決意する(100時間目)。それは、明日菜がネギを自分に引き寄せようという想いの表れであるとともに、タカミチへの少女としての思慕と、ネギへのパートナーとしての欲求を、ひとまず切り分けるものでもあった(刹那の目にはとてもそうとは思えなかったが)。試合後のタカミチには危機が訪れつつあるが、彼を救出する展開がもし予定されているのなら、そこで明日菜は素直にタカミチのために力をふるうことができるだろう。しかし、その一方で、ネギに向けた明日菜のパートナー宣言は、のどかに何かを感じさせずにはおかない(101時間目)。明日菜に恋愛としての意識がなくとも、のどかにはそのような意味で受けとめられ、のどかなりの次の努力を生み出していくことになるかもしれない。しかも、今までのどかは明日菜をライバルとして明確に自覚してはいなかっただけに、新たな展開には大きな期待と不安が寄せられる。こうしてパートナーシップと恋心とを錯綜させ、日常世界と魔法世界とを行きつ戻りつしながら、少女と少年は成長していく。決して直線的にではなく、やがて真に対等な者同士となるまでは、あたかもウロボロスのようにお互いの背中を追いかけながら。

 以上のように、『ネギま!』は優れた「少年漫画」であるとともに、少年と少女の両方の成長を描く作品であることが判明した。ここに登場する少女達は、たんに表層的「萌え」対象として31通り陳列された記号的存在では決してない。(記号性で勝負すれば地丹君の勝ちだ。)生徒達はネギの成長に影響を与えながら、彼女達自身もまた個々人なりに成長していく。ネギとの絆を深め、その絆をさらにクラス外へも広げていく中で、少女達もネギもお互い支え合いながら、それぞれが主人公として自らの道を進んでいく。その軌跡がネギと近い者達は、彼の大目的へと共に歩んでいくかもしれない。しかし、それ以外の者達の歩みもまた、たとえ作品に描かれずとも、読者の心のうちに刻まれ続けることだろう。
 そして、とりわけ明日菜は、ネギと対等なヒロインとして、少女の成長する姿を示してくれている。彼女自身の目的を獲得するのはもうしばらく先のことになるだろうが、しかし、前進することで傷ついたり、何かを喪失したりするという成長のかなしみは、タカミチへの片想いの発露やネギへの距離の取り方などを通じて、既に繰り返し描かれている。ネギが自分のうちに闇を見いだしたように、明日菜もこうして自分を見つめ直し、やがて二人で支え合いながら、それぞれの自己像を再構成するときが来るだろう。その魂の中心にあるネギらしさ・明日菜らしさは、全く変わらないままで。

 最後に、前編で暫定的に答えていた問いに再び向きあおう。ネギがなぜ学園に送り込まれたのか。それは、読者が『ネギま!』に感じるもどかしさに通じている。もしも読者がバトルパートと学園コメディパートのいずれかに肩入れして、残る一方を不要に感じるとき、それはネギや明日菜が学園生活で痛感するままならなさや、戦闘の中で抱く焦燥感とそれぞれ重なり合う。じつに読者の不満は、ネギ達の両パートでの自省を映し出す鏡にほかならない。その反省を全て素直に受けとめて、少年少女は成長していく。そんな二人を導き、またそんな二人に導かれて、他の者達もともに成長していく。このような少年少女達という憧れるべき対象を見つめながら、読者も一緒に各自の人生を歩んでいくのだろう。年齢と性別とを問わず、ネギに少女達に憧れよう、そして彼らを「宿敵(とも)」として、各人の立派な何者か(マギステル)を目指そう。もちろんカモの目線でパンチラを楽しむのも構わない、健全なエッチ感覚もまた「少年漫画」の基本的要素に違いないからだ。そのことは、ただ作中に裸体描写が多いということだけでなく、この物語の主人公達の名前の中にはっきりと示されている。
ネギ=スプリングフィールド、神楽坂明日。それらの綴りは、少年少女の「いま」という人生の春を指し示している。そしてまた、来るべき試練の冬を一緒に乗り越えていこうとする二人の、その先に待つはずの春のかぐわしい香りをも、淡くほのめかしている。いまの彼らに感じる「萌え」とは、まさにこのような未来の「萌(きざ)し」でもあるのだ。


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