バスの中


*本編は、リピュアAパート考察補論1の4(2)
ならびに主題歌考察の2(2)で述べた、
リピュアAパート作中作品仮説に基づいています。


 バスの中を照らす灯りは……音もなく降る雪を、窓辺に淡く映しだしています。

 今日は、撮影最終日。この半年、わたくしは兄上様やみんなと一緒に、ドラマを作ってきたのです。演技をひとさまにお見せするなんて、とても恥ずかしくって……はじめはわたくし、ほんの一言の台詞も満足に言えませんでした。でも、みんなと励まし合いながらがんばっているうちに……気がつけば最後のクリスマスの話まで、13話を無事に撮り終えていました。できあがったフィルムを見ることにもだんだん慣れてきて……いえ、それはまだ照れてしまいますけれど……。
 それで今は最後のしめくくりとして、オープニングの映像を撮っています。わたくしがいるのは、舞台の街を走っている市内電車の中……。停車場に止まったトラムバスの客席に腰掛けて、撮影開始の合図を待っています。雪が舞う窓の外を、静かに眺めながら……。

 こんな冬の夜は……療養所にいた頃を、思い出します……。
 年下の子供達が、大きな暖炉のあるコミュニケーションルームに集まって、明日は雪が積もっているか楽しみにしてはしゃいでいるとき……わたくしはいつも自分の部屋に閉じこもって、窓辺から雪を眺めていました。灯りひとつない療養所の庭に、遠くうっすらと浮かぶ木立に、白く小さなかけらが揺れ落ちていくのを……じっと、息をひそめるようにして、見つめていました。それは、わたくしの胸の奥にも……静かに、しずかに、舞い降りていくようで……。暖かな部屋の中にいるのに、わたくしの体を少しずつこごえさせていくようで……。ほぉっと溜息をつくと、冷え切った窓ガラスに、薄い靄がかかります……。まるで、凍りつきそうなわたくしの心のように……。ぼんやりかすんだ未来のように……。そんなとき、わたくしは思わず涙をこぼしてしまって……頬をそこだけ、温めてしまうのでした……。そして、この世界にたったひとりぼっちでいるみたいに思えてきて……。音のない夜に、吸い込まれて消えていくような気がして……。もう二度と、そこから……。

「キュ〜ン?」

 あ、ミカエル……! 昔のことを思い出していたから、顔に出ちゃったのかしら……? ごめんなさいミカエル、心配してくれたの? そうよね、あのときもミカエルは、わたくしのそばにいてくれたのよね。窓辺で涙ぐんでいたわたくしのかかとをいきなりペロッてするから、わたくし驚いて怒ってしまったけれど……悪びれていないミカエルの顔を見ているうちに、だんだんおかしくなってきて……つい笑っちゃったこともあったわよね。わたくしが悲しいとき、いつもそばにいて……こごえそうな気持ちを溶かしてくれた……。ありがとう、ミカエル……。
 それに、療養所の人達も……主治医の先生も、担当の看護婦さんも……とても温かく、わたくしを励ましてくれた……。だから、入所しているみんなと一緒に、がんばっていけました……。ドラマでも、療養所のことをお話にしたのは……お世話になった人達へ贈る、わたくしからの感謝のしるしです……。そして、ちょっぴり恥ずかしいけれど、みんなに見てほしい……です。聞いてほしいです。わたくし、こんなにつよくなったんですよ、って。
 わたくしが島に来られたのも、多くの人達に支えられたから……。そして、島でみんなと出会って……兄上様と一緒に暮らせて……わたくしは、とっても、とってもつよくなれました。最初は胸がどきどきして、けれども不安でたまりませんでした……わたくしが兄上様たちの迷惑になってしまうのではないかって……。そして、やっぱりご迷惑をおかけしてしまったとき、わたくしはもうここにはいられないって……泣きました。けれども、兄上様がわたくしに約束してくれて……貝殻を、探してきてくれて……。そのときこぼした涙は、それまでと違う温かさでした……。そう、兄上様の手のひらのように……わたくしの手を握ってくれた、あの大きな手……。
 初めての一緒の夏には、本当に約束どおり、兄上様はわたくしと海岸を歩いてくださいました。初めての一緒のクリスマスには、本当に楽しい聖夜を迎えることができて……あのとき舞い降りた雪を見上げて、わたくしは、幼い頃から久しぶりに、雪に手を伸ばしてはしゃいでしまいました……。雪が、こんなに美しいものだったなんて……こんなに心を温めてくれるものだったなんて、って……。
 だからわたくし、雪が好きになりました。それは、わたくしの胸の奥にも……静かに、しずかに、舞い降りていくようで……。

「ワン、ワンワン!」

 ……あらミカエル、どうしたの……?
 ……あ! いけない、撮影開始の合図があったのね!?

 わたくしは慌てて立ち上がろうとして、ふと目元に指をあてました。涙ぐんでいないかしら……ちょっと心配になったのです。……大丈夫みたい、よかった……。せっかくの撮影なのに、赤い目をしてたら台無しですもの。
 もう一度、髪と服装をチェックしてから、ミカエルに目を向けます。早くはやくって、そんなにせかさないで。分かってます、兄上様たちのご迷惑になるものね。ミカエルのおしゃれもチェックしてあげたら、これで準備は完了です。わたくしが大きくうなずくと、ミカエルはドアの外に向かって、「ワン!」と嬉しそうに吠えました。その返事を待っていたかのように、トラムバスのドアは低い響きをたてて開き、ひんやりした空気が滑り込んできます。さあ、行きましょう、ミカエル。
 停車場に駆け降りたミカエルは、お行儀よくお座りして、わたくしが降りるのを見つめています。暖かな空気の中から、冷たい空気の中へ……少しだけ体が震えましたけれど、でも、寒くはありません。この場所に、大切な温もりがあるから……。ゆっくり息を吸い込んで、ミカエルのそばに並んで、雪舞う夜空を見上げます。数えきれないほどの、白く小さなかけら……。それは、わたくしの胸の奥にも……静かに、しずかに、舞い降りていくようで……。幸せな思い出を、一つひとつ積み重ねていくようで……。そんなふうに重ねてきた日々に支えられて、こんなにつよくなれたわたくしを見てほしくて……わたくし、雪空に向かって、微笑みました。この空を見ているかもしれない人達に、この想いが伝わりますように……。そんな言葉を込めた吐息が、夜空を淡くかすませます。凍てつく空気を、溶かすように……。

 撮影そのものは、すぐに終わりました。監督さんはご満悦で、もっと雪の多いカットを入れよう、って思いついたみたいです。ウフフッ、「最後」の撮影って何回繰り返すことになるのかしら……? さっきまでの静けさが嘘のように、みんなのにぎやかな声が響いてきます。とてもお利口だったミカエルの頭をなでてあげていると、こちらに駆けてくる足音がします……。

「鞠絵ちゃん、お疲れさま。寒くなかった?」

 兄上様……。
 コートをわたくしの背中にかけながら、兄上様は優しく微笑んでいます。……兄上様こそ、わたくしのために、雪の中をずっと待っていて下さっていたのに……。バスの中は、鈴凛ちゃんが暖房を入れておいてくれました。白雪ちゃんがたったいま、甘い香りのお茶をカップに注いでくれました。みんなに囲まれて、わたくし、寒さなんて感じません。兄上様の瞳に見つめられて、わたくし……わたくし、とても……熱い、です……。
 わたくしの頬が赤いのを心配されたのか、兄上様は身をかがめて、「ほんとに大丈夫?」と、お顔をわたくしに近づけられます。……あ、兄上様……。わたくし、本当に平気です……。いえ、ほんのちょっとだけ……胸が、ドキドキしてますけれど……。この胸の奥に、兄上様がいるから……わたくしは、もう大丈夫です。

「ありがとうございます。兄上様こそ、お風邪を召しませんように……」

 そう答えて、わたくし、兄上様の御髪についた雪を、ハンカチでそっと払いました。兄上様のために、わたくしができること……今はまだ、こんなことばかりですけれど……きっといつか、兄上様のおそばで、わたくし……。
 ……あら? 兄上様、黙ってしまわれて……どうなさったのですか? ……あ。兄上様……お顔がちょっぴり赤くなられてます……? もしかして、照れてらっしゃるの……?

「ワン!」

 突然ミカエルが吠えたものだから、わたくしびっくりしてしまったけれど……兄上様が、ミカエルにまるで言い訳するみたいに言葉を探されているのを見て、わたくし……わたくし、つい……クスクスッて笑い声をあげてしまいました。ごめんなさい兄上様、わたくしのことを心配して下さったのに……笑ってしまうなんて、いけないことなのに……。だけど、わたくしを見てきょとんとしている兄上様のお顔が、とてもおかしくて……とても嬉しくて……。涙がこぼれそうになったけれど、わたくし、ぐっとこらえました。兄上様のおそばにいられて、わたくしはつよくなったんですから。

 ほら、兄上様。わたくし、今はもう、こんなふうに笑えるんですよ? 

 そんな想いが聞こえたのでしょうか……兄上様は、まだちょっぴり照れくさそうに笑いました。その笑顔に、また甘えたくなってしまったのは……内緒のまま、胸の奥に……。

(終)




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