「アイドルポップス」に見る「少女」たちの世界(1)

古典的な女性アイドルは、ファンの男の子たちが、それを歌っている歌手の年代(中学生から高校生)の女の子たちに対して抱いている、「女の子とはこんなもの」という勝手な幻想の上に成立しています(23)。恋多き「少女」たちは楽しい学園生活の中で「素敵な恋」に憧れ、「片想い」から出発して、最後は「失恋」に至る。もちろんその恋愛の相手は、一連のレコード(CDでもいいけど)を聞いているファンというわけ。そういうわけで、曲の内容も一昔前の「りぼん」や「なかよし」なんかで展開されていた少女漫画の世界(24)を、もっとディープかつ恥ずかしくしたようなものになるのも当然です。以下にはその典型的なパターンについて紹介していこうと思います。

アイドルポップスが流行した1980年代というのは、恋愛のマニュアル化とともにファッション化が進んだ時代です。「恋人」というものが、もはや「自分らしい生き方」に華を添える一アイテムと化した世紀末の今日からは想像しにくいものがありますが、バブル絶頂期には「クリスマスに恋人がいないのは恥ずかしい」という意識すら若者を席捲しました。そういうわけで、中学生や高校生の女の子が「私も恋人が欲しいな」と夢想する歌も作られました。たとえば「待ちわびていた12月」に今年も華やかな思い出が作れず、「本当にいるのなら/サンタクロースより恋人に会いたい」と涙する、中嶋美智代の「Merry X'mas to me」(25)はその典型例といえましょう。これのポジティブシンキングバージョンとでもいうべき曲が、小林千絵の「Love With You」(26)。この曲の主人公は、悲しい朝や眠れない夜、いつも目と閉じて「どこかに私/待つ人がいる/この空の下で息をしている」と思い、誰もみんな、はじめは一人ぼっちだけど、いつの日にか「恋する人につつまれて/星の中寄り添いあい/幸せ紡いでいくの」と、まだ見ぬ恋人との生活を思い描いています。坂上香織も「蜜の月」(27)で、まだ見ぬ恋人を思う気持ちを「神様が指先が結び忘れてる/誰かがどこかにいる/時々夢で逢う人に/似てるかしら?違うかしら?」と歌っています。

この種の夢想は今や絶滅寸前である「少女」特有のものと相場が決まっています。たとえば浅田美代子の「ひとりっ子甘えっ子」(28)では、「いつも夢を見てる」私が「背中向けて/泣きまねしたなら/やさしくこの肩を/抱きしめて」くれるだろうなんていう妄想をするシーンが出てきます。伊藤つかさの「夢見るシーズン」(29)の主人公は「春がくればきっと/めぐりあえるはずよ」「目と目があったなら/すぐに気づくはずよ」」と恋の予感に胸をときめかせ、まだ出会ってもいないのに「一人の日曜日はつまらないけど/たとえば好きな人に誘われたら/二人で過ごす時は恋の気分で/少しだけせのびしたいの」とデートシーンを勝手に想像して喜んでいます。菊池桃子の「カレンダーにイニシャル」(30)は、一見、遠距離恋愛の彼が家にやってくる日までの女の子の姿を丹念に描いているように見せておいて、最後の「そんな夢をいつも見てるサリンジャーのように/一人きりの時は過ぎて太陽傾いた」というフレーズで実はこれも妄想だったことがわかる、秋元康にしてはひねった作詞が光る作品です。

多くの恋愛ドラマを見ていただいてもわかるように、「愛する二人」にとっても「別れる二人」にしても、「クリスマス」というのは絶好のイベントです。それゆえ多くのアイドルポップスにおいても種々の形でこのイベントが取り上げられています。「愛する二人」の例を一つ出すと、島田奈美の「粉雪のプレリュード」(31)。これは「片想いの彼にクリスマスプレゼントのおそろいの手袋をないしょで編んでいた女の子に、ある日、彼から手紙が届く。そして粉雪の降る日、美術館に呼び出されて(皆さんご想像の通り)「ずっと好きだったよ」といわれ、頬を染める。」という、聞いている方が恥ずかしくなるような曲です。

この中で主人公は「どうして見つけたの/目立たない私を」と語っていますが、「クラスで一番目立たない私」なんていう勝手な決め付けは岡田由希子の「ファースト・デイト」(32)の主人公にも見られるパターン。かつてTBSで放映されたドラマ「三年B組金八先生」(第二期)に近子というおとなしくて地味な女の子が出ていました。その役をやっていた伊藤つかさはその後、「少女人形」(33)で「夢見るお人形のような女の子」を歌って大ヒットを飛ばすことになります。この事実は少なからぬ数の男の子がこういうタイプの女の子が好きだったということを証明しており(34)、先に挙げたような曲はアイドルポップスの戦略としても間違っていなかったといえましょう。

「女の子の気持ちは微妙なの」という気分な作品が白石まるみの「オリオン座のむこう」(35)。この曲は松任谷夫妻が作詞・作曲を担当した曲で、後に笹森愛がカバーしています。この作品の主人公は冬の日にずっと憧れだった彼とデートできたのはいいのですが、彼が急に抱きしめてきたので怒ってしまいます。でもそれはびっくりしただけで、「素直になれなくてごめんなさい。」というお話です。西村知美の「ポケットに太陽」(36)という曲では、主人公の女の子は駅の改札口で彼氏に声をかけられて振り向いた時に「切りすぎた前髪を/キミに見られるなんて恥ずかしい」とうつむき、ホームの階段を彼の後ろから少し離れて登ってゆくときにも「迷惑かな/困ってるかな」と、駆け出して行ってしまいます。松本典子のファーストアルバム「STRAW HAT」の1曲目に入っている「いっぱいのかすみ草」(37)では、何度かデートを重ねたカップルが主役。女の子は地下鉄3つ分の距離を歩いて行く途中、彼への想いが高まりすぎて足どりが遅くなり、それを見た男の子が「疲れなかった?」と心配してくれたことで、さらに好きになる。こういう淡く広がっていく気持ちを「めだたないけど/いっぱいの」「やさしい風に/そよいでる」かすみ草に喩えています。

男の子が女の子に告白して両想いになる曲がある一方で、女の子が「今はお友達でいましょう」と答えてしまう曲もあります。例えば山中すみかの「時間をください」(38)の主人公は下駄箱に手紙をくれた男の子に「今は恋より楽しいことがそばにあるから、好きと自然にくちびるからこぼれる時まで時間をください」と語り、河田純子は「輝きの描写」(39)の中で「無理して心に/ヒールを履いたら/駆け出す/君を追えない」と歌っています。これらの曲は「彼のことは気になるけど、今の時を大切にしたいから」という女の子の思いを歌ったものです。こういう女の子も時間が経てば、友達付き合いの中でだんだん、ときめきや恋心が積もっていくものでして、そういう女の子が感じている、「愛」というものに対する怖さや眩しさ・せつなさを描いた作品が「ようこそようこ」こと田中陽子の「陽春のパッセージ」(40)です。その一方で「彼はあくまでも友達として好きなの」という曲が、小田茜の「友達のまま好きでいて」(41)。これに出てくる女の子は「友達のまま好きでいたい/いつも笑顔で励ましたいの/ただ・・・ただ・・・/君にもっと輝いてほしいの」語っています。

こういう風に恋愛に対して過剰に潔癖な態度を取ろうとするのは、恋に恋する気持ち同様、少女特有なものです。これをテーマにした曲の一つが中山美穂の妹、中山忍の「夏に恋するAWATENBO」(42)。女の子に言い寄っている男の子に「キッスばっかり急ぐから/綴りかけた夢の続き ああ見失う」ので、「大切にしたいから」あなたも我慢してほしい、っていうもの。伊藤美紀の「哀愁ピュセル」(43)はこの年頃の女の子の背伸びしたい心と恋愛に対する恐れの気持ち間の葛藤を描いた作品です。もっともこれは少なくとも男の子にとってはもっと悲惨で、せっかく渚のバンブーハウスに女の子を連れ込んだというのに、「私少女がせいいっぱい」「女なんかになれないのよ」といって逃げられてしまう。

だけどそういう女の子の臆病な気持ちが時として友達を失うことにも繋がることを示した曲が杉本理恵の「キミの瞳のX'mas」(44)です。この曲の主人公はクリスマスイブに友達と過ごした帰り道、駅の改札口で待っていた友達の男の子に出会います。彼はちゃんと昨日の電話で断っていたはずなのに、寒空の下、長い間待っていた様子で、「ただの贈り物でいい」と「赤いリボンをかけた箱」を無造作に差し出す。理由を捜す心がとても辛くなりながらも、彼も拒んでしまい、その夜を境に、それまで気兼ねなくつきあえた彼がいなくなってしまうというお話です。アイドル系ラジオ番組の構成作家だった青木一郎は「アイドルにせつなソングは不可欠」とまで語っていますが(45)、このように「せつなさ」や「揺れる心」を表に出した曲はファンの男の子達の「守ってあげたい」という心をくすぐるもので、アイドルポップスの王道の一つといえましょう。

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