ニイタカヤマノボレ  (アドテクノス)


 国産仮想戦シミュレーションゲームの白鳥の歌。
 佐藤大輔氏と言えば、現在では仮想戦記『レッドサン・ブラッククロス』などを代表作にもつ小説家としてつとに有名ですが、彼が同名の仮想戦ゲームのディヴェロッパーでもあったことはすでに書きました。その後、新興会社アドテクノスから発売されたその手の作品には、大抵彼が関わることとなりますが、今日に至るまで史実のゲームをほとんど手がけていない(しかも現代戦)というのは一つのスタンスとして評価すべきなのかもしれません。もともと未来戦、SF、モンスターゲームなどという言葉にとりつかれていた佐藤氏でしたが、ついにその本領を発揮したのが、このもはや入手不可能な『ニイタカヤマノボレ』です。

 この作品の前に、アドテクノスは、『北海道共和国』という明治維新ものを発売していました。そこでは、榎本・土方らによる北海道分離独立運動が、政府軍に敗れた後、ハワイに渡って現地人とともに独立国家をつくってしまうという「史実」が描かれていたようです。アメリカに占領される前に独立してしまったハワイは、日本人移民とその子孫である日系人に支えられ、日本の友好国となっていきます。これを踏まえて、その後の「史実」が、つまり日本軍によるハワイ真珠湾攻撃があり得ない世界が、続編である『ニイタカヤマノボレ』の中で表現されることとなりました。
 仮想戦ゲームの続編となれば、アドテクノスは既に『リターン・トゥ・ヨーロッパ』という先例をものにしています。あれは『レッドサン・ブラッククロス』以後の欧州世界大戦を描いたもので、ビッグゲームではあれど十分遊ぶことのできるサイズに収まっていました。今回も同様にいけば、この作品はあえてここで取り上げるまでもない作品となったはずでした。しかし、佐藤氏は同じことは繰り返しませんでした。今度のコンポーネントは、艦船は1ユニット1隻、陸軍はほぼ師団規模、とここまでは安心できますが、その戦場は実にフルマップ4枚。もはや部屋に広げられません。収められた地域は、西はノモンハンから、東はカリフォルニア州まで。なんと、日本にとっての第二次世界大戦を、仮想戦世界で、戦略作戦級で描ききってみせようという魂胆なのです。とうとう佐藤氏は、彼が望むモンスターゲームを、創り上げてしまったのでした。

 では、その「史実」で語られる第二次世界大戦とはいかなるものなのでしょうか。それは端的に言って、「米ソvsそれ以外の列強」です。第一次大戦での戦時債務をめぐって、20年代には特に英米の関係はぼくたちの歴史でも非常に険悪になっていましたが、この作品の中では、アメリカの世界恐慌への対応の失敗や、対ソを念頭に置いた英仏のドイツ融和政策、日英同盟の維持などによって、世界は、列強から排斥されたアメリカとソ連が接近してしまうという、あまりにも「国家理性」的な状況を生み出してしまいます。当然、海軍軍縮会議なんてうまくいくはずもなく、日本もアメリカも建艦競争を全力で続行します。
 互いの国力、というより国そのものを傾けるこの競争に、黙っていれば敗れるべきはもちろん国力で劣る日本なのですが、しかし我慢できずに戦端を開いてしまうのは我が国ではありませんでした。アメリカには、民主主義国家であるがゆえの開戦への意志が存在していたのです。「強いアメリカ」「市民的生活の保障」を求める国民の声によって当選した大統領は、その手段を戦争に見出します。欧州と極東でソ連が巨大な陸軍を侵攻させる一方で、アメリカが海を制圧すれば、列強はあっけなく降伏するはずであり、そのための優勢な武力もアメリカは既に所有していました。あとは国民を勝利の連続で熱狂させ、少ない被害で目的を達成できれば、次の選挙も間違いなく自分のものに……。
 おや? 大統領の皮算用は結構ですが、これは逆に、民主主義国家のアキレス腱をも意味しています。つまり、あまり戦争が思わしくなかったり、被害が大きかったりすると、国民の支持が得られなくなり、戦争を継続することが困難になってしまうのです。強大な軍事力を持ちながら、その運用は、きわめて政治的な意図に左右されてしまう。この、軍事目的への政治目的の多大な干渉が、本作品で描かれたアメリカ軍の問題であり、ルールとしては、ユニットを動かすために必要な作戦ポイントが、以前の作戦での日本軍の撃破状況や自軍の損害、要所の占領などによって、決定されてしまうという形で表現されています。となれば、ユニット戦力そのものはいかに大きくても、これを用いる作戦自体が基地・敵戦力などへの直接アプローチへ傾きやすくなってしまい、日本軍にその動向を読まれてしまうことになります。

 この「動向を読む」というのは非常に重要です。なにしろ、艦隊を動かす場合、最初にその艦隊の目的地や任務を決定し、その後はそれに従って行動させなければならないのですから。小さいマップの戦略級ゲームならいざ知らず、膨大な数の海ヘクスを擁するこの作品ですから、先の展開を読まないと、あたら貴重なポイントを無駄にしてしまいます。つまり、開戦以後攻撃的な役割を担うのはアメリカ軍であり、確かにそれは主導権を握っていると言えなくはないのですが、逆にその行動が直接的になりすぎれば、日本軍に「攻めてほしい」地点へと攻撃を誘因され、戦略的な主導権を奪われてしまうことにもなりかねないのです。
 では、そうできれば望ましい日本軍の状況はどうか。もともと国力のない日本ですから、最初は頑張って敵軍を誘引できても、それを撃破するに足るだけの補給がありません。何もしなければ負けてしまいますが、何をしても当初の戦力差で負けます。そして、勝てる作戦であったとしても、日本海軍の序列意識がそれを邪魔することがあります。この作品には指揮官ユニットがあり、両軍ともに、艦隊規模に応じて大将や少将などを指揮官に選ばないといけないのですが、その数値の高低によっては、せっかく優勢に進めていた戦いも、「謎の反転」でふいにしてしまう可能性があるのです。そして日本軍の場合、山口・角田といった有能な指揮官がいるにもかかわらず、同じ階級でも先任の者がいた場合、そちらのより低い能力を用いざるをえません。しかもアメリカ軍が割合均質な能力を持っているのに対して、日本軍にはみるも無惨な奴がいるのです。いかにも日本的なこのルール、納得はしますがプレイヤーにはたまりません。そんなこんなで、作戦計画自体が困難なだけでなく、実際の指揮でも「まさか」という結果が出てしまう、しかもそれがより大きく影響するのが日本軍ということになります。

 もしこの作戦的な敗北が日本軍の退萎的な作戦指導を生んでしまうのであれば、それは直ちに本物の戦略的敗北につながるでしょう。ですが、アメリカの弱点は、小さな損害で勝利し続けなければならない、という点にありました。これを妨害すること、つまり敗北させられないまでも損害を与え続けることが、日本軍の主たる作戦指導とならなければなりません。本来その国力ゆえに、短期間で勝利する方法として決戦思想に基づく艦隊整備を行ってきた日本海軍ですが、全力出撃が不可能な間に漸減してしまいかねない自軍艦隊を、いかに効率よく運用し、敵を妨害していくか。しかしそれはアメリカ軍を消耗戦に巻き込めということではありません。無理にでも決戦しないとポイントが得られにくくなるように、アメリカ軍をしむけなくてはならない、ということなのです。そして、その決戦海域は、敵が必要とする勝利の大きさから、日本軍が事前に予想し対応することができるはずなのです。
 アメリカ軍はこれを回避しながら、最初の有利な状況で一気に決戦を行って押し切るか、あるいは細かい消耗戦に日本軍を引きずり込むかですが、あまり悠長にやっていると、ポイントの問題もさることながら、英仏独蘭連合が艦隊(とポイント)を率いて来援してしまいます。やはりと言うべきか英国艦隊にはプリンス・オブ・ウェールズがいますが、セントアンドリューの偉容にはしばし陶然とします。しかしやはり白眉は日本が誇る大和と武蔵。ともかく戦艦や巡洋戦艦などが目白押しの作品ですし、戦闘ルールも航空攻撃と大鑑巨砲を並立させた塩梅です。戦艦同士が激突するシナリオも少なからず用意されており、軍艦マーチも高らかにダイスを振り合えることでしょう。

 以上、ぼくたちの史実が「決戦思想の日本海軍がその不徹底な戦略のために主導権を失い消耗戦に陥る」という図式で言い表せるとすれば、この作品で描かれるのは、「軍事的戦略上優位にあるアメリカ海軍が政治に束縛されて主導権を失い誤った決戦を試みる」という図式です。アメリカ海軍による真珠湾攻撃で幕を開けるこの戦争は、この戦略的図式の意味でも逆説的です。アメリカが直接アプローチの誘惑にどこまで耐えられるか、あるいは日本の罠を相手への罠に転じるか、そこに勝敗を分けるポイントがあるのでしょう。

 と書いてはみたものの。ぼくはこの作品をきちんと遊んだことがありません。雑感を書く資格そのものが問われる次第ですが、無理を承知であえて続ければ、果たして日本にこの作品を遊べた人が、それ以前に広げるスペースのあった人が、どれだけいたのでしょうか。ぼくは物理的に遊べない状況の中で、どういう戦略・戦術がとりうるかを考えました。上述の内容もその一部ですが、他にも日本軍なら、無能な指揮官を早いとこ戦死させてしまうとか。また、ユニットを並べてみたり、戦闘序列や世界設定に思いを致したりと、楽しみ方はそれなりにありました。しかし、遊べないゲームに本来の楽しみは許されません。
 もちろん、いくつものシナリオが用意されているこの作品が、全くプレイ不可能とは言えないでしょう。ですが、この圧倒的なコンポーネントは、ついに商品としてのゲームを転倒させてしまいました。遊べるかどうかよりも、まず作りたいものを作る。そして拡大の一途を辿る仮想戦ゲームの規模は、これ以上ないところまで到達しました。それは進化の極限であり、同時に袋小路でもありました。今後作られるべき仮想戦ゲームはこの作品を越えることを目指さねばならず、そしてそれは不可能でした。事実上、モンスターゲームと一体化してしまった仮想戦ゲームには、未来はなかったのです。

 この袋小路は、ゲームを支える背景世界にも訪れました。『レッドサン・ブラッククロス』では、3大パワーとしての日独米という構図でしたが、これは巧みな歴史的補正を行いながら、現実の冷戦構造を日本が当事者の形で具現化したものでした。その世界では、今度は独米戦争が発生し核兵器が使用された後、しばらくは3点間のバランスがとられるはずです。これに対して『ニイタカヤマノボレ』では、米ソが倒れる戦後世界をどのように予想すべきでしょうか。日本は勝利したものの、欧州列強と今後も帝国主義的なパワーポリティクスを続けていく以外に何もできません。冷戦構造のような分極化もない以上、支配下にある諸地域の独立運動は抑えようもなく、そして弾圧は苛烈なものとなるでしょう。にもかかわらず日本は最終的に敗北し、全てを失うはずです。そのとき他の列強に対して、アメリカが挑んだのと同じような戦いを、自らが繰り返さないとは限りません。もし世界が『レッドサン』世界と同様のブロック化を果たしたとするならば? その場合、アメリカが最初から日本に敵対的な『レッドサン』世界が実現するだけです。
 米ソを相手に勝利するというのは、史実を知る者からすれば、これ以上ない快挙です。しかしそれが逆に、日本が敗北する未来を指し示しているとはまた何という、これ以上ない皮肉でしょうか。昨今の仮想戦記が、日本の低迷にさいしての現実逃避にもなっているとして、その最大級の「勝つ歴史」は、最も厳しい歴史でもありました。ここにはぼくたちを甘えさせてくれる「強い日本」「勝利者日本」の真の姿が暴露されています。仮想戦記ブームの内実はいざ知らず、その滅びの末路は、既にこの『ニイタカヤマノボレ』に予言されていたと言えるでしょう。
 ではライプニッツ先生が言うように、ぼくたちが生きるこの世界、この歴史こそが、最善のものなんでしょうか。虐殺やホロコーストや無駄死にが山盛りの第二次大戦という愚行が最善だとは到底言えませんが、少なくともぼくはこの世界でここに存在し得ていますし、この作品についてこんな文章を書くことができています。そして、仮想すべきは「ありえた過去」かもしれませんが、日々目指すのは「ありうべき未来」です。袋小路に入り絶滅した仮想戦ゲームに瞑目しつつ、ぼくはここに描かれた「強い日本」の運命を忘れずにいたいと思います。


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