レッドサン・ブラッククロス
リターン・トゥ・ヨーロッパ  (アドテクノス)
エスコート・フリート


 日本における仮想戦シミュレーションゲームの代名詞であるシリーズ3部作。
 一口にシミュレーションゲームと言いましても、その中には数多のジャンルと序列が存在します。一般に格調高いとされるのは、時代でいえばナポレオンなどの古き良き戦争芸術、クラスでいえば会戦を描いた作戦級。逆に見下されることが多いのは、現代戦やアニメゲーム、戦闘級など。このやや低めの扱いを受けやすいジャンルの一つに、仮想戦というものがあります。
 この仮想戦にもこれまた色々ありまして、例えば、実際には生起しなかった戦いが起こったと仮定してその状況をシミュレートしてみるもの。これはシミュレーションゲームの名に相応しく、きっちりしたデータを基にしてさえいれば、硬派な作品として評価されることも可能でしょう。しかし、歴史そのものを大きく改変して、現実世界と全く違う架空の世界を作りだし、そこでの戦争を描くとなれば、これは荒唐無稽のそしりを免れません。もしその非難をかわそうとすれば、よほどの綿密な設定と、真面目なゲームの出来が求められます。そして、勢いだけでゲームが作られた場合、そのどちらも満たされることなく、ただ「ネタとして面白いが、ただそれだけ」という感想を残して、好事家以外には忘れ去られる一発芸としての運命を辿ることになります。
 そんな末路を辿りやすいこの分野で、しかし凄まじい成功を収めてしまった作品が我が国にありました。それがこの『レッドサン・ブラッククロス』シリーズです。

 「今は亡き」アドテクノス。この枕詞も、内外の古参メーカーがほとんど息絶えている現状ではあまり意味がないのですが、真面目なヒストリカルのホビージャパン、鈴木大佐のエポック、戦闘級とアニメの岡田ツクダ、など大まかな棲み分けがなされていた80年代中葉の日本シミュレーションゲーム界にあって、新星のごとく現れたこの会社は、彗星のごとくあっという間に消え去っていきました。最初は別会社のもとでブックタイプのゲームを製作していたのですが、このラインアップときたら、バルジや北アフリカ、タイフーン作戦に関ヶ原はともかくも、壬申の乱や、アレクサンドロス死後の後継者戦争という、恐ろしいまでのマイナーテーマを含んでいたことで一部に有名でした。メジャーテーマにしても必ず新機軸が盛り込まれており、このあたりで既に、商売よりもゲーム製作にかける情熱が飛び抜けていることがうかがえます。今後希望するテーマについてのアンケートにも、訳の分からん戦場が山ほど並べ立てられており、どこまで本気なのか、たぶん全部本気だと思わせるだけのアマチュア的迫力が感じられました。
 やがて独立し旗揚げを行った時も、いきなりナポレオンを扱うなど非常に挑戦的な姿勢。ですが会社の勢いをつけるには、どうしても「売れる」ゲームが必要です。多くのゲーマーが買いそうな、アドテクノスの名を知らしめるのに十分な作品。ここでとりあえず、アンケートの項目にもあった第二次世界大戦ものでも作っていれば、その後の流れはずいぶん変わったはずです。しかし、彼らがその起爆剤として選んだのは、よりにもよって途方もない項目でした。第二次世界大戦に勝利したナチスドイツと、日本帝国との世界戦争。しかも一切ごまかしのない本気のビッグゲーム。アドテクノスのサイは投げられたのです、それはもう力一杯に。

 ゲームデザイナーは高梨俊一氏。『壬申の乱』のデザイナーでもあります。アイディアのみならず、学者としての知的探求心をもって『レッドサン・ブラッククロス』に取り組まれたことは、デザイナーズノートからも読みとれますが、それにしても、ベトナム反戦運動の中からこういう作品のネタが生まれたというのも痛快です。「もしも日本が第二次世界大戦に勝利していたら、日本がベトナムで泥にまみれていただろう」という発想は、この作品中で20世紀初頭からの歴史を修正することで、作品世界の背骨を形づくりました。
 すなわち、日露戦争での陸戦の敗北により日英同盟が破棄されず、英国の庇護のもとで通商立国に励んだ日本が、ナチスドイツのあしか作戦により本土を失ってカナダに亡命した英国政府にかわり、インド亜大陸を支配下におく。ドイツはロシアをも征服し、その野望はさらにアーリア人の故郷たるインドを目指す。アメリカはモンロー主義を貫きながら、漁夫の利を得るべく介入の機会をうかがう。
 ここで、佐藤大輔氏の同名の仮想戦記のみをご存じの方は、違和感をもたれるでしょう。そう、小説ではアメリカこそが2大パワーの主戦場となりますが、小説の原作であるこのゲームでは、アメリカを含む3つの勢力が、あたかもオーウェルの『1984年』のように、世界の大半を分割支配しているのです。

 ゲームの規模は戦略作戦級、舞台はこっちの第二次世界大戦で行っていない地域、つまりインパール〜エルアラメインまでの南アジア地域中心で1ヘクス対辺100kmのフルマップ2枚。ゲーム期間は1948年から1950年までの、「史実」での第三次世界大戦全体にあたります。ユニットは基本的に、陸軍が1個師団(4ステップ)、海軍が1隻および1グループ、航空部隊が1機種ごとに20-30機程度。このほかに大量のマーカーがあり、ビッグゲームの名に恥じないコンポーネントです。
 ドイツ軍の戦闘序列を見れば、GDだの黒SSだのが居並ぶ陸軍の壮観さ。海軍もZ計画が順調らしく、デア・フリートランデルや空母の偉容に加えて、ポケット戦艦も未だ健在。空軍はMe262戦闘爆撃機を主力に、世界最強の戦術空軍としての実力を見せつけます。
 一方の日本軍は、大本営が未だ存在する旧態依然の体制に相応しく、航空部隊は陸海軍それぞれのまま。ジェット化も遅れており、空戦能力は見劣りします。陸軍部隊も歩兵中心で威力不足。唯一、艦隊だけは圧倒的な力を示していますが、太平洋とは勝手が違い、その攻撃力の行使も沿岸部にとどまります。
 こういう仮想戦といえば、新兵器の設定に関心が集まるのは当然なことですが、やはりこの作品では充実した設定がなされています。日本の戦車ではまず撃破できそうにない重戦車レーヴェ、RHミサイル搭載ジェット戦闘機、超重爆撃機、超巨大戦艦などなど。戦闘艦艇を除けば全般的にドイツがリードしているのは明らかで、ここでも日本軍の運命はあまり明るいものではないようです。
 これでは亜大陸内部を疾走するドイツ装甲部隊を阻むものはないのでは? 実際序盤をプレイしてみると、アフガニスタンからあっという間に突破をくらい、どれほど下がっても戦線構築もままならない有様です。これで長丁場の戦争ができるのか。どうやったら持久戦、つまり戦線を維持した消耗戦にもちこめるのか。

 その答えは、補給にありました。装甲集団をフルスタックでオーバーラン、というのはとてつもない破壊力を有していますが、しかしこの作品では、師団は移動するだけで1ステップロスするのです。そして戦闘を行えば、戦闘結果に関わらずさらに1ステップロス。つまり、1ターンに移動−攻撃を行えば、自動的に2ステップを失い、攻撃力はほぼなくなります。初期には反攻を行えるほどの敵兵力はまず周囲に残っていませんから、そのまま次のターンに戦力回復を行えるにしても、スタックまるごとを2ステップ回復させるのには相当の補給が必要です。
 そして、陸軍だけが補給を必要とするわけではありません。海軍艦隊が出撃するにも補給、空軍ユニットが活性化するにも補給。補給を与えないと空軍ユニットは損耗状態になり、そのターン何もできなくなります。そして、補給の総量はターン毎にほぼ決まっています。もう1回の全力攻勢で勝利できるのに、そのための補給が足りないのが、ドイツ軍の実態ということになります。
 さらにこの補給は、連絡線を維持するためだけにも相当消費します。北アフリカを思い出させるような補給の浪費、東部戦線のような末端の疲弊。おまけにドイツ軍は各軍ごとに、そして陸軍の中でも4つの軍集団毎に、長大な連絡線を引かねばならないのです。
 このような問題は、日本軍にもある程度共通していますが、元々機械化が遅れているだけに、ドイツ軍ほどの悲惨さはありません。開戦直後はどうしょうもない補給切れ状態になりますが、何せ戦線は自軍後方に近づくばかりですから、次第に補給は楽になっていきます。そして日本軍には、敵の血管を断ち切る手段があります。陸軍・海軍の爆撃機・攻撃機による長距離侵入です。一度補給基地を叩かれると、直後のターンには、その基地に依存する全てのユニットが被害を被ります。つまり、前線で頑張る以上に、後方を爆撃することが、圧力を減らす有効な手段なのです。もちろんドイツ軍は基地周辺に迎撃機ユニットを貼り付けるでしょうが、その行動範囲は日本軍に比べて非常に小さく、離れた基地同士の相互支援は困難。となれば、弱いところを探して爆撃を集中すれば、ドイツ陸軍の悪夢がそこに出現します。もっとも日本軍の航空機ユニットも無尽蔵というわけではないので、タイミングが重要となりますが。
 なお、日本軍に味方するゲリラのユニットも存在し、ドイツ軍後方を攪乱してくれます。これに対処するために、同盟諸国の2線級ユニットを各地に貼り付ける様は、ユーゴスラビアや白ロシアなどを彷彿とさせます。

 この同盟国として、ドイツ側にはまずイタリア。薄い戦力の陸軍や弾が当たらない海軍は健在です。ヴィシーフランス艦隊やロシア・ウクライナ・アイルランドなどの師団は、戦場に彩りを与えます。一方日本軍の同盟国は何といっても英連邦。さすがになかなかの戦力で、貴重な増援となるでしょう。しかし、連合艦隊に協力するプリンス・オブ・ウェールズやレパルスの姿は涙を誘います。他にインド軍や自由オランダ軍などがありますが、アメリカ軍もランダムイベント次第では日本軍にレンドリース(補給の増加)を始めたり、相当幸運なら対独参戦し、支配下にあるイランを足場に強力な陸海軍部隊を差し向けてくれます。

 ぼくたちの世界では計画倒れに終わった兵器がユニット単位で活躍する戦場。電撃的に突進する装甲部隊、巨大戦艦同士の撃ち合い、ジェット戦闘機vs超重爆撃機。日本とドイツが戦うという『宇宙戦艦ヤマト』同様のわくわくする世界。こういう見た目では派手なゲームながら、しかし、その実は補給と部隊のやりくりこそが勝敗を決定するという、きわめて地味かつ「正しい」消耗戦シミュレーションゲームがここにありました。20世紀の世界戦争を知る者にとって、兵器や戦術の優位で戦略的勝利を得られる見込みが限りなく0に近いことは自明の理であり、勝敗を分けるのはただ、物的・人的資源の総合的運用と、それを可能にするシステム的合理性の優劣にほかなりません。総力戦では我慢に失敗した方が負けるのです。
 このような冷静な戦争観は、ただ「日本が強い世界が見たい」という凡百の仮想戦記にありがちな自慰史観とは明らかに一線を画しており、この認識の上に、ぼくたちの戦史を知る者ならば思わずニヤリとしてしまう架空の史実やエピソードが、年表などの設定の中にごまんと盛り込まれています。さらにスタッフ日記に、「やはり優は元気なのが一番」とかいった記述を見つけると、あの時代の特定の傾向をもった若者の生き様にぼく自身を重ね合わせたくなってしまいますが、そんな安易な共感を許さないだけのエネルギーを、この作品は確かに内包しています。

 そのエネルギーは、さらに続編の『リターン・トゥ・ヨーロッパ』と、エキスパンションの『エスコート・フリート』にも注がれます。
 前者は、パットン大統領率いる合衆国が、モンロー主義をかなぐり捨てて英連邦とともに欧州十字軍を結成し、西からはアイスランドから英国本土などに上陸作戦、東からはイランからロシアへと侵攻という二正面作戦の、1952-3年の欧州を舞台とした第四次世界大戦を描いています。迎え撃つドイツのリーダーはロンメル。ちなみにモンティは米英枢軸の総司令官。日本軍は強力ながらも脇役です。ルールは補給を中心に大幅に変更・簡略化されており、全くの別物と考えていいでしょう。強襲上陸がメインの展開なので、全欧州がノルマンディになった気分です。なお、この作品の「史実」では、マンシュタインは東部の冬季反攻で大戦果を挙げたり、モンティは大規模空挺作戦を実施してやはり無惨な失敗を遂げたり、パットンは国民の厭戦気分が増大して罷免された後自動車事故で死んだりと、お馴染みの役者が期待通りの(迷)活躍を見せています。
 一方、後者は『レッドサン』の拡張セットで、海上護衛戦を扱っています。『レッドサン』ではまだしも「規定ポイントの消費」として簡略化されていた補給を、ここでは油田などの資源生産地から戦地の港へ輸送するルールへと変更され、そのための護衛艦や潜水艦、仮設巡洋艦や対潜哨戒機などのユニットと、東南アジアの追加マップなどが用意されています。これ単体でも遊べますが、『レッドサン』と連結すれば、この戦争の本質が否応なく理解できることでしょう。どんな優秀な部隊や艦船があろうと、油が切れれば即、負けます。開戦早々の対潜能力が低い日本海軍にとり、デーニッツの「灰色の狼」は最大の敵なのです。この「史実」で日本の海上護衛総隊を率いるはもちろん大井篤たち。通商国家の海軍と、通商破壊海軍との、お互いの補給と艦船のローテーションをしのぎ合う熱く息詰まる戦いが繰り広げられます。なお、これと連結すると、『レッドサン』のゲーム時間はほぼ3倍になります。うへえ。プレイヤーの方にも消耗戦略適用ですか。戦争経済を理解しても間に合うかどうか分かりません。

 と言いながら、こんな作品を一緒に遊んでくれる暇な友人をもたなかったぼくは、高校時代の夏休みに、十日ばかりかけて『レッドサン』グランドキャンペーンをソロプレイするという暴挙に出ました。途中何度も挫折しかけながら、なんとか最後まで行き着くことができたのは、ぼくもこの作品にこもる熱量に感化されたということでしょうか。かくも少数の人間に、かくも多くのことを成し遂げさせるとは。シリーズの他作品にはそこまでのめりこむことができませんでしたが、ぼくの高校時代を彩る思い出のシリーズであることは疑いのないところです。

 これらの作品の製作に中心的に関わった一人こそ、小説版『レッドサン・ブラッククロス』作者の佐藤大輔氏。彼のシミュレーションゲーム関連の文章を集めたとある本の中に、このゲームについての記述があります。曰く、この仮想戦ゲームの意外なヒットは、まともなヒストリカルシミュレーションゲーム製作への意欲を減退させるという効果ももたらし、それはアメリカでの同様のブームをも生起させ、結果として日米のゲーム業界を崩壊させた、と。それは確かに一面の真実なのでしょう。アドテクノスは凄まじい勢いでゲームを発売し、そして行き詰まり、姿を消しました。SPIと比べていいものか分かりませんが、何とも伝説的な会社でした。
 会社が消えてもなお、この世界設定は影響を残し、やがて似たような雰囲気のゲームや小説が内外で量産されています。しかし、それらのコピーたちには、オリジナルが持っていたあの冷徹な戦争観や歴史認識が、どれだけ受け継がれているものでしょうか。どん底の不況が続く中、不透明な現実からの逃避先として「強い日本」像を垂れ流すことは、それなりの需要を見込めるに違いありません。ですが、そんな時代だからこそ、戦争のリアリズム、当事者双方が経済的・精神的に破綻するほかないという勝者の存在しない世界を、仮想戦の中で描いてみせたこの作品に、改めて思いをはせるのもけして無意味ではないと思うのです。

 アドテクノス消滅後、ほどなく日本のシミュレーションゲーム業界そのものが壊滅しましたが、しかしヒストリカルの世界を守り抜いた人々の手によって、今再び業界が再生しようとしつつあります。その商業誌方面での旗手である『コマンドマガジン』では、ライセンス生産してほしい過去の作品を以前アンケートしていましたが、途中経過の最上位には、この『レッドサン・ブラッククロス』の名がありました。もしコンポーネントを一新して再販されるのであれば、ぼくも喜んで購入するでしょう。しかし、どうして多くの人たちがこの作品の再販を望むのか。この作品に込められた思想を踏まえてのことか、それとも佐藤大輔ファンの力か、仮想戦記ブームに乗ってのことなのかが、ぼくにはどうしても気になります。この作品の真の健全さを理解せずに、勢いで復活させてしまうのならば、それはまたも業界の死をもたらすことになるでしょう。なぜなら、シミュレーションゲームの生命は、それを遊ぶぼくたちの、健全な戦争観、つまり結局は世界観や人間観にこそ依拠するはずだからです。
 スーパーパワーとしての日本像、「勝てる」世界を求めるだけなら、その歪んだ自慰史観的な現実逃避は、現実に立ち向かおうとしないゲーマーあるいはただのコレクターに、やがて自慰の後の虚無感だけを残すでしょう。とりわけ、ゲーム世界が小説世界と異なり、アメリカがスーパーパワーの一角として健在であることを鑑みれば、アメリカの解体とアメリカを救う(そして蹂躙する)日本の姿が存在しないゲーム世界に、多くの小説ファンは物足りなさを感じるでしょう。そして、満たされぬ者たちは、再びTRPGへ飛びつくかどうかはともかく、業界を捨てて顧みないでしょう。だったら再販なんてしない方がましです。耐え続ける者だけが生き残るというのが、この作品のメッセージである以上、耐える意志のない者は戦場を求めてはいけないからです。だからといって、ぼくがこの大好きな作品を再び世に出すな、と言いたいわけではありません。ただ、ぼくたちが一人のゲーマー、一人の人間として、戦史に学び、遊び相手と向き合い、そして現実に立ち向かおうとする時にのみ、『レッドサン・ブラッククロス』再販は仮想ではなくなるのだと、ぼくは思うのです。
 あの夏のソロプレイでさえ、自慰の虚無感なんて無縁だったのですから。


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