『ハートキャッチプリキュア』 堪忍袋の緒が切れるまで


〜デザトリアンの苦悩・敵幹部による否定的評価・プリキュアによる反論の一覧〜




はじめに

 
本論は、テレビ番組『ハートキャッチプリキュア』(東映朝日)の戦闘シーンで定番となっているやりとりを、放送話分まとめ、若干の考察を付したものです。そのやりとりはおおよそ、(1)デザトリアン犠牲者による苦悩の吐露、(2)敵幹部によるその否定的評価、(3)プリキュアによる反論と犠牲者の弁護、の3つから構成されています。(考察本文はその主要部を2010年9月に公開し、その後の放映分については一覧表に順次追加しています。)
 本作品の各話では、このやりとりに至るまでの展開も、ほぼ定型化されています。まず、各話に登場するゲスト(場合によってはレギュラー)が不安や葛藤によって心の花をしおれさせたところ、通りがかりの敵幹部にたまたま目をつけられて、その苦悩をデザトリアンの素材にされてしまいます。(素材にされるのはあくまでその苦悩する人格の一部のみであり、犠牲者本人は玉の中でいっそう苦しみを味わい絶望に近づいていきます。)デザトリアンは周囲に暴力を振るいながら、犠牲者自身の苦悩を告白するように叫ぶのですが、その苦悩に対して敵幹部はいちいち見下しや嘲笑、叱責といった否定的評価を示すのです。そして、この敵幹部への反論をプリキュアが行うとき、それはたいていの場合、「わたし、堪忍袋の緒が切れました」(キュアブロッサム)、「海より広いあたしの心も、ここらが我慢の限界よ」(キュアマリン)、「その心の闇、私の光で照らしてみせる」(キュアサンシャイン)、「全ての心が満ちるまで、私は戦い続ける」(キュアムーンライト)という決め台詞と義憤をともなっており、デザトリアンを浄化する必殺技の発動へと続きます。(それらの決め台詞が技発動の必要条件というわけではありません。)
 つまりプリキュアは、敵幹部によって否定された犠牲者達の苦悩を、同じ人間として理解し掬い取ろうとするわけです。しかし視聴者の側では、敵幹部の言葉にも一理ある、むしろ正論や適切な叱咤ではないか、という感想を抱くことも少なくありません。論者の場合、ブロッサムの義憤する姿を見て、『ヤットデタマン』の大巨人が大激怒するあの理不尽なお約束−「罪を憎んで人を憎まず」と許しておきながら、「偏平足」と言われてキレる−を思い出すことさえあります。ですが、もちろんプリキュアは女児向けの東映作品である以上、あの「身勝手な激怒」というギャグパターンとは異なる真面目な(教育的な)メッセージを、毎回のやりとりに込めているはずです。そうであるならば、はたして敵幹部の言葉をどこまで正論と見なしていいのでしょうか。そして、プリキュアの反論はどこまで的を射ているのでしょうか。
 このような問題意識にたって、本論ではまず毎回のやりとりを確認し、次にそこから読み取れるいくつかのポイントを整理してみることとします。


1.各話におけるやりとりの一覧

 すでに放送されている話について一覧表を作成しました(10/10放送分まで)。反論の多くがブロッサムによるものですね。なお、カギカッコ中の多くは正確な台詞ではなく要約です。(なお、クモジャキー登場回については、後日あらためて一括検討しました。)

デザトリアンの苦悩など
/解放後の展開
敵幹部による否定的評価など プリキュアによる反論など(主に反論と義憤)
(a)-(f)は下記考察2(3)内の区分記号
1 来海えりか「もも姉みたいになりたい、でもなれない」 サソ「くだらない悩み」 つぼみ「くだらなくなんかない」(否定の根拠を明言せず)
来海さんの悩みを利用して魔物を暴れさせるなんて堪忍袋の緒が切れた」
2  (同上)
/自分の強引さをつぼみに謝る
(サソ)- ブロ「えりかさんを苦しめるだけでなく花達まで。堪忍袋の緒が切れた」
薫子による説明「友達や花達を助けようとする気持ち」
3 上島さやか「サッカーを続けたい」
/女子サッカー部設立を決意
サソ「ちっちゃな悩み」 ブロ「ちっちゃくない」(否定の根拠を明言せず)
「さやかさんの純粋な心、サッカーが好きという気持ちを弄ぶなんて堪忍袋の緒が切れた」
4 小笠原まお「ペアを解消されたくない」
 (つぼみも同じ苦悩)
/お互いの誤解がとけて元鞘
(えりかからの申し出を受容し親友に)

クモ「コンビだの一人じゃないだのくだらん。漢は独り生きるもの」
マリ「ブロが好き。ブロでいい、じゃなくてブロがいい」
ブロ「くだらなくない。人が人を求める気持ちは大切」(c)
「まおさんの気持ちを利用して魔物を暴れさせるなんて堪忍袋の緒が切れた」
5 三浦あきら「キャッチボールしてほしいが父の仕事を邪魔したくないので言えない」
/父がキャッチボールに誘い和解
コブ「弱くて情けない奴」 ブロ「弱さじゃない、三浦くんの優しさ」(a)
「その気持ちを利用し踏みにじるなんて酷い。堪忍袋の緒が切れた」
マリ「むかーってきてがーって感じ」(f)
6 多田かなえ「写真への愛は誰にも負けないのに」
/愛のある写真を目指す
サソ「くだらないこと言うな」 ブロ「くだらなくない」(否定の根拠を明言せず)
「写真を愛するかなえさんの心を弄ぶなんて堪忍袋の緒が切れた」
7 いつき「我慢してるが可愛いのが好き」
/可愛いの好きを隠さない
コブ(いつきデザトリアンによって排除ずみ) ブロ「それが生徒会長さんの本当の気持ちなんですね」
「心の奥に秘めた思いまで引っ張りだしてデザトリアンにするなんて堪忍袋の緒が切れた」
8 ももか「友達がほしい」
マリ「姉の心を弄ばないで」
/仕事も友達作りもがんばる、姉妹仲良し
クモ「弄んだのは周りのお前ら」 ブロ「気づかなかったのはその通りだが引きずり出して弄んだのはクモ」(e)
「堪忍袋の緒が切れた」
マリ「気づけなくて悔しい、だからこそこれからは」
「ここらが我慢の限界」
9 小畑「研究したいが怖くて言えない」
/研究の夢を捨てず、まず営業を頑張る
コブ「臆病者には何もできない」 ブロ「そんなことない。不安なのは、花にかかわる仕事が好きで真剣だから」(a)
「一生懸命な心を弄ぶなんて堪忍袋の緒が切れた」
マリ「ここらが我慢の限界」
10 - ダーク「信じても、努力しても勝つことはできない。すべては無駄。ムーンライトのように」
「お前達を倒せば私が本もの」
ブロ「ムーンライトを馬鹿にしないで」
マリ「偽もののくせに」
ブロ「ムーンライトに託された思いはいつも胸の中にある。だから負けるわけにいかない」
11 よしと「格好悪い兄でいてほしくない」
/兄弟でカンフーの稽古にいっそう励む
クモ「その場で力が出せない臆病者は最初から負けている」 ブロ「臆病ではない。(ここで兄まさとは弟玉を奪取)自分は無理と思ってしまう弱さは誰にでもある」(bかc)
「卑怯な手で兄弟の絆を弄ぶなんて堪忍袋の緒が切れた」
12 柴田リサ「彼の愛を信じているが自信がない」
/婚約成立
コブ「恋だの愛だのくだらない感情」 利岡ユウト「くだらなくなんかない。俺達の気持ちは本物」
ブロ「感動しました」
13 - - -
14 志久ななみ「自分も寂しい、母の代わりになれない、たまには遊びたい」
/母から言葉と笑顔とともに受け継いだものを思いだし、姉妹で共有。部員に
サソ「遊びたいなら遊べ。そんなこともできないのは弱い」
「へらへらした笑顔なんて弱いだけ」
ブロ「誰かのために頑張れる、辛いときも笑顔になれるとても強い人」(a)
「笑顔を大切にする優しい心を利用するなんて堪忍袋の緒が切れた」
15 ヒロト「師匠に叱って欲しかった」
/素直に謝罪し、道場への復帰を許される
クモ「甘えん坊」 ブロ「謝りたかった心を利用するなんて堪忍袋の緒が切れた」(a)
マリ「ここらが我慢の限界」
16 高岸あずさ「部のために一生懸命やってきたのになぜついてきいくれない」
/部員と和解、一緒に舞台作り
コブ「本来バラバラの人間がみんなで一つのことをやるのは所詮無駄」 マリ「無駄なんかじゃない。仲間と一緒は楽しい、仲間と作ることで生まれるものもある。一生懸命な心は絶対に伝わる」(a)
「演技を愛する熱い心を利用するなんてここらが我慢の限界よ」
17 原野正広「自分の努力を認めてほしい」
/何のための和菓子作りかを再認識
サソ「そんなサムい信念は時代遅れ」(vsブロ) ブロ「誰かに認められることよりも、皆に喜びを与えることや努力すること自体が大切」(vs正広デザトリアン)
18 番ケンジ「漫画を描きたいが母を心配させたくない」
/自分の夢を母はすでに受容してくれていた
クモ「うじうじした弱虫に熱い漫画は描けない」
「番長は強さのみ、優しさ不要」
ブロ「うじうじなんかしてない、優しい」(a)
「心の強さは本当の優しさに宿る。その優しい心を利用するなんて堪忍袋の緒が切れた」
19 堀内アキ「父がつれない、父が心配」
/父との絆を感じつつ安心して嫁げる
コブ「写真に込められた思いなど馬鹿らしい、道具にすぎない」 マリ「それは違う。カメラの向こうに思いを込めてシャッターを切る写真は愛」(a)
「父を心配する優しい気持ちを利用するなんてここらが我慢の限界」
20 露木カリン「自分の実力を認めようとしない七光のももかが許せない」
/ももかの本心を知り、素直に謝る
(サソ)- ブロ「傷ついた心の隙につけいるなんて堪忍袋の緒が切れた」
マリ「ここらが我慢の限界」
21 鶴崎先生「立派な教師でありたいのにお化け怖さを抑えられない」
/生徒達から信頼と敬意を告げられ復活し感謝
コブ「そんなことで心の花を枯らすとは馬鹿らしい」 ブロ「理想があるからこそ苦しんでいる」(a)
「それを馬鹿にするなんて堪忍袋の緒が切れた」
22 水島アヤ「なぜうまく育てられない」
/悪い思いこみに負けずじっくり頑張る
(クモ)- ブロ「植物へのひたむきな愛を利用するなんて、堪忍袋の緒が切れた」
マリ「植物を使って植物を駄目にするなんてここらが我慢の限界」
23 明堂院さつき「手術が怖い、自分の弱さを妹に見せたくない」 サソ「嫌なことは全部忘れて大暴れすればいい」 いつき「違う。兄はそんなこと望まない。人を傷つけて喜ばない」(a)
24  (同上)
/弱さを告白、妹の励ましを受けて手術に挑む
サソ「怖いと言っている奴に勇気があるはずない」 サン「人の弱みにつけこみ、その心を悪事に使うなんて。その心の闇照らす」(a)
ブロ「ポプリとこころの大樹を傷つけて、堪忍袋の緒が切れた」(vsダーク)
25 - サソ「世界は砂漠になるから何しても無駄」 サン「その心の闇照らす」
26 沢井なおみ「生徒会長と仲良くなりたいがどうしたらいいか分からない」
/いつきに自分から申し出て受容され、友達に
クモ「くだらん。理由も不明。ごちゃごちゃ悩まず相手に飛び込め」
「ぬるい友情では己を高められない」
マリ「憧れの人との接し方が分からない乙女心を馬鹿にするな」(d)
ブロ「その心を利用するのはひどい」
サン「友情のあり方は多様。うち一つを押し付ける心の闇照らす」(c)
27 中野みつる「オルゴールを返したいのにできない」「花咲、俺は……」
/オルゴールを返し、本心の一端を告げて受容される
サソ「つまんない話。うじうじ悩んでるだけの駄目な奴」 ブロ「駄目なんかじゃない。人は悩みながら成長していく」(b)
その心を利用するなんて堪忍袋の緒が切れた」
28 子供達「宿題いやだ。学校なくなれ」
(えりかも同じ不満)
/先生に教えてもらいつつ宿題に取り組む
(親友に教えてもらいつつ、分かる快感を再認識)





コブ「所詮人間は愚か。学校なんて無駄」
ブロ「勉強して何かが分かるようになるのは楽しい」
マリ「それはブロが勉強得意だからでは。宿題嫌い」
サン「マリンは全力を出さず言い訳している自分に納得できるのか」
マリ「反省。気合い入れろあたし」
マリ「そんなことない。勉強が苦手だからこそ学校に通う」(b)
「それを壊そうとするなんてここらが我慢の限界」
29 林ゆうき「みんなに嘘をついた自分は駄目」
/みんなに謝り、箱根越えに再挑戦
クモ「くだらん。自分を駄目という軟弱者は気合の足りない弱虫。情けない」 ブロ「情けなくない。本当に駄目なら嘘をついた自分に悩んだりしない」(a)
「まっすぐな心を弄ぶなんて堪忍袋の緒が切れた」
30 はるかの母親「はるかが行方不明で心配」
/娘が見つかり安堵、はるかも母に大切にされていると実感
コブ「醜い光景。たかが子供がいなくなったくらいで喚いてうるさい。そんなに大切なら自分のそばに置いておけ」
コブ「くだらん」
ポプ「そばに置いておくことと大切にすることは違う。離れていてもいつきは大切に思ってくれている」(c)
サン「そう。はるかの母も娘を誰よりも大切に思っている」
「人が人を思う気持ちは大切。コブの心の闇照らす」
31 才谷秀雄「努力しても試験で1位になれず、月影に負け続けで悔しい」
(ゆりも敗北の痛手から立ち直れずにいる)
/諦めず好敵手に挑み続ける
(「新しい自分」を求めてみる)
サソ「負けたら諦めればいい。ヤケになって暴れればいい」 ブロ「大切なのは、負けても諦めず挑戦する強い心」(b)
「才谷さんの悔しい気持ちを利用するなんて堪忍袋の緒が切れた」
32 - - -
33 - - -
34 - - -
35 杉山ごう「映画制作が間に合わない、学園祭がなくなればいい」
/大切な作品を発表したいから全力を尽くす


クモ「ムーンがいくら戦おうとこいつの心はもうボロボロ」
ムン「学園祭がなくなって後悔しないのか。本当にやりたいことは何かを自分で考えろ」
「決して枯れさせはしない。全ての心が満ちるまで戦い続ける」
36 池田彩・工藤真由「大勢の客の前で下手だと思われたくない、歌いたいけど歌えない」
/仲間とともに勇気を出してステージへ
コブ「信じるだの仲間だの馬鹿馬鹿しい、臆病者は臆病なまま何もできない」 ブロ「信じているから頑張れる、仲間がいるから強くなれる、それを馬鹿にするなんて堪忍袋の緒が切れた」(a)
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39 - - マリ「大事なパートナーを傷つけられてここらが我慢の限界」
40 佐藤一二三「生徒会長への欲望丸出しな姿を見せてしまい恥ずかしい」/みんなのために働き率先垂範 サソ「心だのくだらない」 -
41 ノリコ「高校生に敵わない自分、どうやったら先生らしくなれるの」
/自信と愛情をもって園児のために

クモ「なんちゅう軟弱」
ゆり「園児に最も頼られているあなたが自信を失ってどうする」
42 ハヤト「もっと早く生まれたかった、ゆりに弟扱いされたくない」
/勇気を出して告白、ゆりを守れる一人前の男になる決意
コブ「人の心は簡単に弱り傷つき嫉妬や憎しみに染まるので醜い。人の心が枯れ果てた世界こそ美しい」 マリ「あんた間違ってる」
ブロ「美しいものを美しいと感じるのは、あなたが否定した人の心」(a)
43 カスミ「妹にかまけてばかりの両親に自分は愛されていない」
/先輩の姉としてすすんで妹を大切に


クモ「愛だの家族だのくだらん。大切なのは勝つか負けるかのみ」
ブロ「親に愛されていない子はいない、本当はカスミちゃんも妹が大好きなはず」
「家族や妹を思う気持ちを戦いの道具にするなんて、堪忍袋の緒が切れた」
44 ケーキ屋バイト「彼女がほしい、でも自分にはプリキュアがいる」
/プリキュアサイン入り色紙をゲット
橘まゆか「友達をつくるため嘘をついて自縄自縛」(デザトリアンにはならず)
/嘘を告白、友達はとっくに友達のつもり
- -
45 - - つぼみ「くじけてしまいそうだった自分の心に堪忍袋の緒が切れた」
46 - クモ「戦いが全て、俺を楽しませろ」
「何の力もない弱い妖精」
「そうかもしれんが分かるわけにはいかん」



コブ「人間の心は醜いから滅ぼし去るべき」

コブ「無様な姿は美しくない」
「今となってはもう遅すぎる」

コフ「マリンのためならどんな無茶でもする」
マリ「コフレの方が何万倍も強い、誰かを守るためなら頑張れるその心が本当の強さだと思う」(a)
「ただ自分が強くなりたいがためにたくさんの心をもてあそび世界を砂漠にした、ここらが我慢の限界」

ポプ「どんな時でもみんなを守るために頑張るサンシャインの心が一番美しく見える」(a)
サン「どれだけ醜くても無様でもかまわない、世界を、みんなの太陽のような笑顔を守りたい」
「まだ間に合う、その心の闇照らす」
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2.正論かどうかについての検討

 以上の表をもとに、作品内の具体的描写も参照しながら若干考察してみましょう。

(1)反論と義憤との関係

 プリキュアの欄を見てみますと、敵幹部の否定的評価に対する反論にも、義憤を示す決め台詞にも、多くの場合それぞれ別に根拠が説明されています。例えば第27話では、「うじうじ悩んでるだけの駄目な奴」というサソリーナの評価に対して、ブロッサムはまず「駄目なんかじゃない」と反論するのですが、それがなぜかといえば「人は悩みながら成長していく」ものだから、と根拠づけています。そして続けて、「堪忍袋の緒が切れた」(義憤)根拠として、敵が「その心を利用する」からだ、と説明されます。同じような構成は第4話以降のあちこちに見つかります。
 反論の部分というのは、プリキュアと敵幹部の間で、犠牲者の心情(他者との関係をめぐる人間の感情や判断、またそこに生じる葛藤など)をどのように評価するか、評価基準を含むその相違が示される部分です。一方、義憤の部分は、敵幹部が人間の心を道具(世界の砂漠化のための手段)として利用しようとすることと、プリキュアが他の人間に対してあくまでも尊重すべき人格として向き合おうとすることとの対立を意味しています。手段ではなく目的としての他者という、カント的とあえて言うまでもない人間観が、プリキュアの側には共有されているわけです。なお、彼女達が心を「弄ぶ」と表現するとき、それはこのような道具化のための操作を意味しています。
 こう区別して考えるならば、義憤の部分については、他者の心を道具化するような敵幹部のふるまいを「正論」として受け入れることはできないでしょう。むしろ、
堪忍袋の緒が切れて当然です。つまり視聴者が「正論」かどうかと思いを巡らすのは、残る反論の部分です。

(2)正論か否か? 反論の根拠が明言されない場合

 さて、反論の部分を検討するその前に。第1・3・6話では、ブロッサムは敵幹部の言葉にすぐさま「〜じゃない」と反論していますが、その根拠を続けて述べることなく、すみやかに堪忍袋の緒が切れています。反論の根拠を明言しないこれらのケースでは、ブロッサムが理屈で言い返せないほど、敵幹部の言い分が「正論」だったということになるのでしょうか。ブロッサムはたんにキレてしまっているだけなのでしょうか。
 しかし、それらの話で敵幹部が述べていたのは、「くだらない」「ちっちゃい」といった評価だけです。人間はこうだ、一般論としてこうあるべきだ、という基準を示すこともなく、簡単な一言で評価を終えています。これらの言葉をつぼみ・ブロッサムが聞いたとき、彼女は、そこに敵幹部の主観的な評価基準があると直観したのでしょう。サソリーナ達にとってはたいしたことのない問題でも、当事者にとっては何より辛い苦悩をもたらすことがある。相手のそんな事情に寄り添って考えようとしないからこそ、一言でばっさり否定することもできるし、その心を弄んで道具として利用することもできる。この隠された論理や卑劣さに、つぼみ・ブロッサムはまっすぐ反発し、「くだらなくない」「ちっちゃくない」と同じく一言で反論していることになります。つまり、ここに見られるのは、プリキュアの説明不足や飛躍やヒステリーではありません。他者の心情の否定に対する反論と、他者の道具化(他者の人格の否定)に対する義憤とがこれらのケースでは最も接近しているからこそ、反論の根拠を言わずにすまし、義憤の根拠にすべて委ねていいのです。
 そうであるならば、プリキュアが反論の根拠を示さず義憤の根拠のみ示す場合も、敵幹部の側に「正論」を認めることはやはりできないでしょう。もっとも、無関係な第三者がそう解釈してしまうこともあるよね、という程度の消極的な受け入れならば可能です。このことを考えるためのサンプルが、第12話です。「恋だの愛だのくだらない感情」と嘲笑するコブラージャに反論するのは、プリキュアではなく利岡ユウト(犠牲者の恋人)でした。「くだらなくなんかない。俺達の気持ちは本物」と叫ぶ彼の気持ちは、たしかに彼にとって「本物」でしょう。とはいえ、それが間違いなく「本物」かどうかは他人に判断できませんし、何が「本物」かの基準も人それぞれです。しかしデザトリアンにさせられた柴田リサの心は、彼の告白に涙して喜び、そんな二人のハートキャッチを見つめてブロッサムは「本物」を認め、「感動」しました。彼女は恋人同士の間主観的な真実をキャッチし、二人に(勝手に)寄り添いながらその真実を共有したのです。

(3)正論か否か? 反論の根拠が明言されている場合

 残るは、敵幹部の否定的評価に対するプリキュアの反論根拠が述べられているケースです。というより、これが最も多いケースであり、論者もときどきクモジャキーの叱咤に肯いたりしている次第なのですが。
 このケースについては、すでにネット上でも、「どちらも正論。それが世の中であり人間」「どちらも正論だが、敵幹部はそれを唯一の正論として押しつけるからいけない」「大人の世界の厳しさと、子供の世界の優しさの違い」などといった意見が上がっています。いずれも納得できる点があり、本論もそれらを全てひっくり返すものではありません。
 ただし、もう少しつっこんで考えるための手がかりとして、敵幹部の「正論」とプリキュアの「反論」がどのような対立軸でつくられているのかを、ここで整理してみようと思います。

 a)否定的な一面化 vs 肯定的な捉え直し

 例えば第5話で、三浦あきらのことをコブラージャは「弱くて情けない奴」と見下し、ブロッサムは「弱さじゃなくて優しさ」だと反論しています。三浦あきらは、父と再びキャッチボールしたい、父にかまってもらいたいという寂しさゆえの欲求と、父が念願かなってラーメン屋を繁盛させているのだからそれを邪魔してはいけないという自己抑制の間で、ひとり葛藤していました。そこに、コブラージャは自分の欲求を素直に言えない弱さを見出し、ブロッサムは父の気持ちを思いやれる優しさを認めたのです。
 この対立軸を、敵幹部による人間心理の否定的な一面化と、プリキュアによるその肯定的な捉え直し、としてみました。もちろんプリキュアの側が肯定的な「一面化」を行っているとも言えますが、それぞれの言葉を語る順番からすれば、敵幹部の評価の硬直性を反面から突き崩すという意味合いの方が強いでしょう。他にも第9・14・16話など、シリーズを通じて最も多く用いられている対立軸です(というか、bからfまではまとめて例外と言ってもいいくらいです)。
 敵幹部の正論度としては、人間や世の中を「そんなもん」と見ればそうも言えるよね、という程度でしょうか。

 b)結果としての評価 vs 過程としての評価

 先述の第27話で、中野みつるのことをサソリーナは「うじうじ悩んでるだけの駄目な奴」とあざ笑い、ブロッサムは「人は悩みながら成長していく」と反論しています。中野みつるは、(つぼみへの淡い恋心を秘めながら)オルゴールを返しそびれていることに悩んでいました。そこに、サソリーナは自分の欲するままに行動できない駄目さを見出し、ブロッサムは成長の糧を認めたのです。つまり敵幹部は、犠牲者の現状を、もはやどうにも変えがたい固定的な結果として解釈するのに対して、プリキュアは、むしろそれと向き合うことを通じて成長していくプロセスに大切なものを見てとっています。
 この対立軸を、「55点は不合格」というような結果としての評価と、「解けなかった問題を練習してできるようになればいい」というような過程としての評価、としてみました。a)の一種とも言えますか。もちろん、人はそこで結果を出さねばならぬという瞬間に直面するものですが、デザトリアンから解放された者達はちゃんと反省を活かして成長しようとしますし、少なからぬ者達がかけがえのない結果を残してもいます。
 敵幹部の正論度としては、目先の話ばかりよね、という程度でしょうか。

 c)特定原則の絶対化 vs 個別対応の必要性

 第26話で、沢井なおみのことをクモジャキーは「ぬるい友情では己を高められない」と否定し、サンシャインは「友情のあり方は多様」であるがゆえに「一つを押し付ける」クモジャキーの態度を批判しています。沢井なおみは、いつきと仲良くしたいのに一歩踏み出せない自分の勇気のなさに苦しんでいました。そこに、クモジャキーは彼自身の友情観を絶対視して馴れ合いの友情の無意味さを見出し、サンシャインは相手を思いやりながら人それぞれに友情の結び方があることを認めたのです。
 この対立軸を、敵幹部の特定原則を絶対化して他を排除する姿勢と、一般的な理念の適用にあたっては個々人に応じて柔軟に最善をはかろうとする姿勢、としてみました。クモジャキーの言うことは世間一般で通用するし、彼個人がそういう信念で生きていることも結構なことです。しかし、それを他者に強制するのはおかしい。そして沢井なおみも、いつきの方から「友達になろうよ」と言い出してくれるのを待つことなく、自分から申し出て受け入れてもらえました。その意味では彼女も、相手に気づいてもらえれば、という「ぬるい」姿勢ではなかったのですし、いつきもそれを期待してあえて待ってましたよね。
 敵幹部の正論度としては、お前いつもそればっかよね、という程度でしょうか。

 d)論理的な批判 vs 心情的な共感

 同じく第26話で、沢井なおみのことをクモジャキーは理解不能としつつ「ごちゃごちゃ悩まず相手に飛び込め」とまるでアドバイスのような言葉を投げつけ、マリンは「憧れの人との接し方が分からない乙女心を馬鹿にするな」と反論しています。これは論者には少々噛み合っていないように感じられるやりとりで、なんと申しますか、女性からの相談を聞いた男性が論理的な対応策をその場で伝えたら女性の気分を害した、というような雰囲気です。せっかく真面目に助言したのに「そんなこと分かってる」と怒られて、じゃあ愚痴ってないでそうすればいいのに……みたいな。
 沢井なおみは頭でとっくに分かっている(えりかのお節介にさえ感謝している)のにできないわけですから、クモジャキーの言葉はたしかに正論でありデザトリアンにする前に教えてやれよとさえ思うものの、本人にはあまり有効ではないのです。ですから、反論はクモジャキーの対応策が見落としている面、つまり当事者の理性でコントロールできない「乙女心」を尊重しろというものとなりました。面白いのは、この反論をしたのが他ならぬマリンというところでして、さっき席替えタイムとかやってしもうたのは君ではないのか、と言いたくなります。ですが、あのときもえりかはこの友人の気持ちを馬鹿にしていたわけではありませんし、友人のために真面目に一肌脱いだつもりだったからこそ、すぐ反省もしていました。
 この対立軸を、論理的な批判と、心情的な共感、としてみました。場の特性や個性に応じた多様化の必要性と考えれば、c)の一種と見なせるかもしれません。
 敵幹部の正論度としては、その通りだけど空気読め、という程度でしょうか。

 e)責任回避 vs 責任追及

 第8話で、来海ももかの心を弄ばないでくれと言うマリンに向かって、クモジャキーは「弄んだのは周りのお前ら」とあざ笑い、ブロッサムは自分達がももかの苦悩に気づかなかったのは事実だが、その苦悩を引きずり出して弄んだのはクモジャキー」であると指摘しています。(ここはシリーズを通して面白い展開のひとつなのですが、敵幹部の言葉にマリンが衝撃を受け自責の念にとらわれるのですね。そこで、第4話で自己否定に陥りそうなときマリンに支えられ、えりかと親友になれたつぼみが、第1話でえりかの姉への想いを知るがゆえに、その想いが踏みにじられそうな場面でマリンをかばい恩返ししてるわけです。海より広いえりかの心からあふれそうなのは、つぼみへの感謝の気持ちだったかもしれません。)
 ここでブロッサムは、クモジャキーの言葉が部分的に正論であると認めてしまっています。自分達の至らなさのために、えりかの姉が今まで辛い思いをしていたかもしれない。そこは素直に反省したい。しかし、だからといってその苦悩につけいるクモジャキーの卑劣さが正当化されるわけではない。なるほど、そのとおりです。つまりブロッサムは、傾聴すべき正論と、それを隠れ蓑にした敵の責任回避とを冷静に切り分けて、後者について糾弾しているのです。
 この対立軸を、ごまかしによる責任のなすりつけと、その詭弁を批判することによる責任追及、としてみました。もう一つの例としては、第25話を上げることができるでしょうか。サソリーナが「世界は砂漠になるから何しても無駄」と叫ぶのに対して、サンシャインは「そんなことはない」と反論するのでなく、「その心の闇を私の光で照らしてみせる」と答えて浄化技をくり出しました。つまり、「何をしても無駄」というのは世界が勝手に砂漠化するからではなく、サソリーナ達がそれを促進するからであり、問題の責任は敵幹部の心の闇にある、と見てとったわけです。すでに第17話でもブロッサムがサソリーナの心が真っ暗であると指摘していました(サソリーナも自分で認めていました)が、敵幹部の浄化を本気で試みて成功しかけるあたりが
サンシャインの怖さです。決め台詞も、ブロッサムとマリンのものは敵に対する率直な義憤のみですが、サンシャインのものは感情を表に出さない代わりにデザトリアンや敵幹部の「心の闇を照らしてみせる」ことを宣言しているんですよね。抑制された義憤ならではの力を感じます。
 敵幹部の正論度としては、お前何様だ、という程度でしょうか。

 f)
むかーってきてがーって感じ

 第5話のマリンです。とにかくコブラージャの言い分に納得できないんだけれど、何が間違っているのかをうまく言語化できないので、その義憤や反発をそのまんま表現するほかなかったという。幸いにもこのパターンは一度きりでしたが、だからといってマリンのこの言葉で説明できないという問題が解決されたわけでもないようです。このときマリンは、ブロッサムのような台詞でカチッと決まらないことに不満を抱き、次までに自分の決め台詞を考えておく、と言いました。実際に第8話から「海より広い」の決め台詞を使い始めていますが、しかし、ブロッサムがするように決め台詞の前に義憤の根拠を掲げるというやり方を示すことができたのは、なんと第16話になってから。それまでは、ブロッサムがきちんと説明して堪忍袋の緒が切れたあと、それに乗っかる格好で我慢の限界を宣言しています。マリンの決め台詞がどうも滑っているように感じられるのは、こういう展開にも原因がありますが、そもそもえりかとつぼみの間で言語能力の差というか、直情径行の度合いの差があるため、どうしても付け足しのようになってしまうのかもしれません。
 もっともその分、マリンの決め台詞がカチッとはまる話はじつに見物です。第16話では同じ部長の苦悩を抱く高岸あずさのため、第19話では父の写真への思いを否定されたくないがため、マリンはブロッサムに先んじて義憤の決め台詞とその根拠を叫びます。これらは、えりかの素直な共感を言葉で表しやすい対象であり、それゆえにマリンの決め台詞も説得力を伴っていると論者には感じられます。
 このケースでは対立軸も何もないのですけれど、第5話についてはa)で述べました。敵幹部の正論度としては、うきゃーって感じ

 以上6種類に分けてみましたが、各話ではそのいくつかが重なっていることもあるでしょうし、ぴったり当てはまらないものもあるかと思います。そのうえで再確認してみますと、敵幹部の正論度は作品を通じて当初感じていたほどには高くない、というのが本論の結論となります。敵幹部の言葉をごく部分的に、文脈を取り除いて適用すれば世の中で十分「正論」と理解してもらえるでしょうが、上記の対立軸の両端を見れば、さらに作品の中でそれが誰のどんな問題に対する言葉であるかを見れば、やはりプリキュアの反論の方がはるかに「正論」であると論者は判断します。もちろんプリキュアの反論も、そこだけを切り取ってしまえば敵幹部とは反対側の極論にもなりえるわけなので、あくまでも敵幹部の否定的評価と結びついたうえでの正しさの度合いであるということを、念のため補足しておきます。
 そして、ときどき「キレやすいプリキュア」などと揶揄されることについては、毎回堪忍袋の緒が切れるという意味ではそのとおりですが、「正論」に対して理不尽にも感情的な反発をするという意味ではまったくあてはまらない、ということをはっきり述べておきます。『ヤットデタマン』の大激怒のように個人的な理由で激昂したり、自分達の過失から目を逸らすために敵に責任をなすりつけたりといったことは、本作品のプリキュアには見られない行動です。まぁブロッサムが「むかーってきてがーっ」とか言い出したらさすがにちょっぴり心配ですけれど、あのときのマリンにしてもその心の奥にはちゃんとした義憤の根拠がある、そう信じられるだけのことを彼女達は日頃示しているというのが論者の理解です。そして逆に、敵幹部がいくら説得的な「正論」を唱えたとしても、論者は今後もそこに欺瞞やすり替えを看取し、素直に受け入れることができないと思います。

 そこまではっきり差をつけてしまうというのは、さすがにひいきのしすぎでしょうか。しかし論者のこの姿勢は、プリキュアと敵幹部の戦う目的をみれば、いっそう強固なものとなるのです。プリキュアは、誰に命令されることなく、みんなの心を守るために戦います。こころの大樹を守り復活させるため、という言い方もされますが、それはみんなの心を守ることがイコールこころの大樹を守り育てることだからです。こころの大樹が上位目的・競合目的というわけではありませんし、こころの大樹の側も初対面でつぼみ達に挨拶をしています。これに対して、砂漠の使徒の敵幹部は、地球の砂漠化という命令に服従しており、そのための道具としてスナッキーやデザトリアンを用います。幹部同士では助け合う場面も多少ありましたが、他者のために何かを成し遂げ、そのこと自体の喜びを幹部同士で分かち合う、という姿はまだ描かれていません。この組織の中では、幹部もまた道具にすぎないのです。
 そんな敵幹部が人間に対する態度ともなれば、犠牲者の苦悩に共感する気もないが使えるので使う、使えなくなったら捨てる、という水準にとどまるほかありません。「正論」の主張者として論者も認めたくなるクモジャキーでさえ、犠牲者をデザトリアンにする前に助言する気はないようです。つまるところ、敵幹部は説教強盗であり、盗人猛々しいにも程があるのです。
 もしかすると、敵幹部は自分達の組織のイメージを相手にも重ねて、こころの大樹がその意志を実現するための道具としてプリキュアを理解しているのかもしれません。キュアムーンライトが敗れたため、ブロッサム、マリン、サンシャインが登場した。それは敵幹部にしてみれば、こころの大樹が無能なムーンライトを捨てて、新たな道具として3人を指名したということ。そこには、ムーンライトの心を受け継ぐというブロッサム達の決意と敬意を感じる余地などないのでしょう。はたして敵幹部は今後、プリキュアの心を理解する機会が得られるのでしょうか。それともこのまま変わらず、やがてプリキュアに倒される定めなのでしょうか。敵幹部が砂漠の生物を改造したものだとすると、クモジャキーが元の姿に戻ったらえりかが絶叫しそうですが……。
 なお、ダークプリキュアは、キュアムーンライトを倒すための道具として創られながら、ムーンライトを完全に排除することで(最も有用な道具となろうとするのではなく)道具としての自己像から脱却しようとする意志を持っているようにも見えます。サバーク博士に対する不服従の兆しも含めて、このあたりが他の幹部との違いでしょうか。こちらもムーンライトの復活とあわせて、今後ますます期待するところです。


おわりに

 というわけで、大好きな『ハートキャッチプリキュア』をもっと楽しむための視点を、自分なりにこしらえてみました。本論の分析や結論に対するご異論もあるかと思いますので、ぜひご教示いただければありがたく存じます。
 本論の表を作成しようと思い立ったのは、Twitterにおけるいずみのさんの一連の呟きに刺激されてのことでした。最後になりましたが、心より感謝申し上げます。しかし、ご指摘いただいたいくつもの論点を検討するには、まだ手が足りておりません。その中でも例えば、敵幹部による否定的評価がデザトリアンのさらなる暴走やそれによる目的遂行に結びついていない、というご指摘については、本論でまったく検討できずに終わっています。これは論者の想像でしかないのですが、敵幹部は人間の心の機微がよく分からないのかもしれません。第7話でいつきデザトリアンに蹴飛ばされるコブラージャは、相手の痛いツボを心得ているわけでもなかったようですし(自分が被害者になってるあたり、コントロールしきれていない)、第28話で宿題と子供という非常にいいポイントに着目しながら徹底できていません。だからこそ人間の心を枯らす砂漠化への歩みが遅々として進まないのであり、新たな幹部の登場が待ち望まれる次第なのです。
 そう、新幹部。人間の心に寄り添いながら、デザトリアンの犠牲者をさらなる苦悩へと追いやり暴力を引き出していけるような、恐ろしい敵です。この役割にふさわしい人物が、すでに作品中に登場していることに、論者は気づかされました。最も犠牲者に寄り添える少女、花咲つぼみです。まだデザトリアン化していない彼女が敵の支配下におかれて
ダークブロッサムとなったとき、砂漠の使徒の野望は大きく前進することでしょう。そして、闇に囚われてしまったブロッサムを取り戻せるのは、かつて彼女に救われた最初の親友、マリンの胸のなかにほかなりません。うきゃー(えりか声で)。

(2010年9月3日公開・2011年10月9日一覧表最終更新)


考察2(クモジャキー総括)も読む
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