マジカル☆ヒナ

「天耳通」編


 それはまだ、雛子が「マジカル☆ヒナ」と呼ばれる前のことであった・・・。

 「もう帰っちゃうの?」

 さっとベンチに走り寄り、赤いランドセルを手に取った雛子を見て、砂場の 幼女たちの一人が声をかけた。一緒に遊んでいた男の子が掘った深い穴から 2日前の雨の残り水が染み出しており、それが彼女たちのワンピースに泥色の 染みを作っている。また一人の名札にも最後の一字に泥が跳ねており、「亞里 ●」としか読めない。彼女もランドセルのお子さまのご学友なのだろうか。

 「うん、今日は可憐おねえたまとお出かけなの。」

 公園横の並木道の葉っぱも歩道のブロックを7分方埋める季節だという のに、今日はいつになく日差しも暖かい。今にも2匹の猫と一緒に、「さいたま さいたま さいたま さいたまー」とでも叫びだしそうな陽気である。

 「じゃあ、また、明日ね〜」

 雛子同様に、服の汚れなど気にもしない様子で、数人の子供たちが手を振ると、それに軽い笑顔を返して彼女は入り口の車止めをすり抜けて言った。

☆☆☆

 公園横の大通りから、信号を二つ過ぎたとこを右に入ると、そこは雛子たち の学校への近道。10年以上も続く不況のせいもあって、商業開発予定地だった この辺りは、一時期かなり寂れていたのだが、近くに私鉄の駅ができた1・ 2年前から新住民たちのマイホームラッシュが起こっている。雛子たちが幼 稚園時代に「秘密基地」遊びをしていたあたりも、今では誰かの一軒家となっ ているに違いない。

 「もうすぐ、おうちだ。」

 雛子がますます駆け足の速度を上げて、マンション建設中の造成地の横を曲 がった刹那、何かに足を取られて派手に前転した。それと同時に、その物体も 雛子の体から約5m程度先まで一気に転がっていく。地面に倒れている自分に気 づいた雛子は、目にいっぱい涙をためて今にも泣き出しそうになったが、そ の視線の先に誰かがいるのを見て、「ぐっ」と泣くのを我慢した。

 「ひなこ、よわむしじゃないもん。」

 そう言って立ち上がると、足についた土を掃った雛子は目の前に転がって いる人の方に歩いて行った。ひざこぞう辺りは少し擦り切れて血が滲んでいた が、わざわざ絆創膏を張るほどのことはない。

 「みっ、みず・・・」

 頭にアンテナのようなものをつけた全身タイツの男が、雛子を目にして弱 弱しく呟くと、彼女は近くの土から顔を出してうねうねと動いているものを手 にして、

 「はい」

と差し出した。最後の希望を奪われたかのように、この「ストレッチマソ」も どきの若者は一度首をうなだれたが、最後の意志を振り絞るかのようにして、

 「そっ、そこに転がっているベルトを・・・」

と言うと、がっくりと肩を落とした。さっきまでの痛みももう忘れたかのよう に、雛子は自分を転がしたものを手に取り、

 「はいっ」

と、その男の首にかけた。

 「シャキーン!」

という効果音が入りそうな大げさな様子で、まだ高い太陽をバックにそのスト レッチマソは立ち上がった。首にはベルトがぶら下がったままだが。

 「ありがとう、お嬢さん。私はひと呼んで『遊星人ラ・ムーダ』。1せんね んのみらいから、ときのながれをこえてやってきた。」

 そのまま流星号に乗って飛んで行きそうなナレーションを一人で演じている ストレッチマソを雛子はあっけに取られて見ていたが、

「ねえ、おじさん、おじさんはどうしてここで倒れていたんですか?」
「やあ、ちょっとね、この上を見て歩いていたら、足を滑らせてこのざまだよ。 いやあ、とんでもないところを見せてしまったね。」

 この人は大丈夫そうだとわかったのか、雛子が

 「じゃあね、おじさん」

と踵を返して、もう目の前に迫っている家にむかって走りだそうとすると、

 「ちょっ、ちょっとまった〜」

バブル華やかかりし時代の「ねるとん紅鯨団」を彷彿とさせるような、ヤラセ 臭マンマンなストレッチマソの声が雛子の後ろから聞こえてきた。思わず彼 女は立ち止まり、

 「な、なに?」

と、ちょっとおびえたように彼の顔を見上げた。雛子はこのまま袋に詰められ て、北朝鮮に拉致されるのか。

 「お嬢さんのおかげで、不肖、ラ・ムーダはこの地球で日干しとなって果て ることなく、また宇宙の正義のために戦い続けることができる。ついてはお礼 としてだが…」

というと、彼は股間のもっこりとした所に手を突っ込んで、もそもそと何かし ていたが、

 「じゃじゃーん、変身ぶるまー」

と、大山の○代の声で、イカ臭い、いや、いかがわしいブツを取り出した。

 「説明しよう、この変身コスチュームを着用した幼女は、約1ミリ秒でコン バットスーツが蒸着され、宇宙少女刑事に変身できる。ノーベル賞をもらった、田 中耕一さんのレーザーイオン化法を応用した優れものだ。」

 紺色のブルマを片手に一人、能書きを垂れているストレッチマソを無視して 走り去ろうとする雛子。彼は行く手をさえぎるように前に回って、その足を止 める。

 「そんなの、いらないもん。おじさん、『へんたいゆうかいま』でしょう!」

どこでこんな言葉を覚えたのか、実にごもっともな意見であるが、ストレッチ マソは、あくまでも食い下がって

 「ちっ、ちが〜う。私は宇宙人であって、誘拐魔ではな〜い。」

 誘拐魔ではないにしても、インチキ教祖の可能性は疑われそうな様子でこ の男は続ける。

 「宇宙刑事はいいぞ〜。いかなる場合でも令状なしに犯人を逮捕する事がで きるし、相手がバイオロンと認めた場合、自らの判断で犯人を処罰する事がで きる。ついでに場合によっては、抹殺する事も許される。」

 「それはちょっと魅力的な話ね。」

 いつの間にか変態誘拐魔の背後を取っていた少女が、手にしたアイスピック を彼の腰のあたりに突きつけて、後ろからささやいた。

 「じゃあ、手始めにあなたから抹殺してもらおうかしら。」

 あくまでもにこやかに、明るい声で言っているのが、逆に恐怖を誘う。

 「可憐おねえたま」

雛子はその少女の右斜め後ろに走りよると、右手で彼女のフレアスカートを握 り締めた。少女の手の方にも力が入り、アイスピックの刃先は誘拐魔の首筋斜 め2ミリに接近。そんな時、

「あっ、あんな所に黒いカラスが!」

 ヘンタイ誘拐魔の指差した先には、たしかに黒い物体が、今しも電線から飛 び立とうとしていた。「これを見逃したら一生の不覚」とばかりに、彼女が思 わず手元のことなど忘れて、カラスに見入ったスキに、この男は秒速2.9979m の速度でどこかに走り去ってしまった。後に残されたのは、二人の女の子と、 自称宇宙人が残していったと思しき、雑多なガラクタばかりである。

 「大丈夫?どこか怪我はない?」

妹の無事を確認した少女は、腰を落とすと、小さなスカートと靴下の間に付着 した砂を払い落としてやりながら聞いた。

 「うん。大丈夫。」
 「もう、絶対に、あんな変な人について行ったらダメよ。最近、 『まいなたん』とかいう女の子が出てくる、変なゲームが流行っているせいで、幼女たんにハァハァしているおにいちゃんが多いんだから。」
 「うん。ひな、覚えた。まいなたん、ハァハァ。」
 「違う!」

 かような楽しき姉妹の会話を行いつつ、二人は一度、自宅の門を潜った。し かしわれわれは、少しドレスアップした二人の姿を、約20分後に目にすること になる。

☆☆☆

 「ねえ、ヒナ、かわいいかな?」
 「うん、きっと、おにいちゃんも、かわいいって言ってくれるよ。」
 「わあー、ヒナ、うれしいんだよもん。」

 4つ目の駅の改札を出てからアーケード街を潜り、二人は軽い足取りで進ん でいく。普段ならばついつい気になってしまう、甘い誘惑の匂いのするワッフ ル屋や、くまのぬいぐるみやなまけもので一杯の人形屋も、今の二人の足を止 めることはできない。そう、今日は久々に「おにいちゃん」と会える日なのだ。

 「おにいちゃん、いないねえ。」
 「うん、どこに行ったんだろうね。」

 ここは、ちょっと有名なデパート「ベティーズ」の前。待ち合わせ場所のラ イオンの銅像の近くは、一年に肉ばかり20万円分ぐらい食ってそうな、茶髪や 金髪のドキュソたちや、みのもんたの言うところの「お嬢さん」たちでごった 返している。

 「待った?」

 いかにも爽やか系のイケメンなヤングが、「ポン」と少女の右肩を叩くと、

 「わっ、可憐ちん、びっくり。」

彼女にしては珍しい、モノトーンのシック系なドレスの裾を膨らませながら、 約100度ばかり右に体をひねると、目の前にその人は立っていた。

 「おにいたま、こんにちは。」

 姉の傍にから、少し後ろに回りこんだ雛子が、短く切ったばかりの頭を、ちょ こんと下げると、航はその上に手を置いて

 「雛子ちゃんも、ちゃんと挨拶ができるようになって、えらいね。」

と、可憐の肩越しに声をかける。誉められて「ヒヒヒヒヒ」と笑う雛子。 そんな兄の姿を見て可憐は少し不機嫌そうに

 「おにいちゃん、10分遅刻ですよ。」
 「ん?ボクの時計ではまだ1時半まであと5分あるけど。」

   たしかに、向かいのビルの電光掲示板の数字は13時25分を指している。ます ます混乱モードの彼女は、それにわざと気づかない振りで、

 「それに、たしかおにいちゃんは、そこのライオンの上で薔薇の花を持って いるはずだったと思うんですケド」
「おいおい、それって可憐が勝手に言ってたことだろ。」

 むきになる妹の顔を、航は微笑ましげに見ていたが、その小さな対立は

 「ねえ、おにいちゃん、ひな、おなかがすいた。」

という雛子の一言で簡単に片がついてしまった。

   「じゃあ、屋上で軽くごはんにしようか。」
 「うん!ひな、『大盛りネギだくギョク』ね。」

 どこでそんなマニアックなメニューを覚えて来るのだろうか。小学生なら小 学生らしく「ステーキ」とでも答えれば良さそうなものだが。

 「よーし、それじゃあ、おにいちゃん、大盛り頼んじゃうぞ。」
 「意地悪なおにいちゃんは『牛鮭定食』でも食べてなさいよ。あと、卵は 1万個に何個かアタリがあるから、雛子は食べちゃダメよ。」
 「うぐぅ。いじわるだよ。」

 兄弟仲良く吉牛ライフ、まことにおめでたい限りである。

☆☆☆

 「おにいたま、もうかえっちゃうの?」

 雛子ががっかりしたような声を上げる。

 「雛子ちゃん、今日はおにいちゃんに、一杯、遊んでもらったでしょ。」

 牛丼を食っていた時にはまだ高かった陽も、西側のビルの頭にかかろうとし ていた。それも雛子が、食堂を出てすぐの階段の上で、赤と青が高速にフラッ シュする不思議な風船を配っているカッパを見つけてしまったせいである。

 「おにいたま、ヒナ、あれほしい。」

 上目遣いに見上げる雛子を見て、「仕方ねえなあ」とばかりに航が屋上に続 く階段を上っていくと、可憐も雛子の手を引いて、その後ろをついて行った。

 そこはまさにワンダーランドだった。

 いや、それはどこにでもあるデパート屋上の、お子様向けプレイコーナーに 過ぎないのだが、「しゅーぽーしゅーぽー」と声をあげながら走る「やえもん」 の顔をした汽車や、空気でパンパンに膨れたガネーシャの形をしたトランポリ ンなどは、雛子をして「向こう側」の世界に行かしめるに十分、魅力的なもの だったのだ。しかも今日は、大好きなおにいたままで、雛子と一緒に遊んでく れるのだ。少し離れている所に集まっている、デビュー前のアイドルを取り囲 んでいるヲタクたちの群れは言うまでもなく、おそらく可憐の存在すら、雛子 の目には映っていなかったの違いない。

 「私たちはもう少し見て回ってから帰るけど、おにいちゃんはどうするの?」

 左手に持ったバッグから携帯電話を取り出すと、その液晶画面を見るふりを しながら、可憐は航に質問した。そこに表示されている数字は、もう、今日の 時間は残り少ないということを教えている。

 「可憐には悪いけど、もうすぐバイトのシフトだから、帰らないといけない んだ。悪かったな、洋服選び、手伝ってやれなくて。」

 可憐の隣に立っていた航は、あくまでも爽やかに白い歯を光らせながら、 いかにも悪気なさげに言った。名残惜しい気持ちを悟られないように明るい声 で、

 「ううん、雛子ちゃんも喜んでたし、可憐も楽しかったから。気にしないで。」

と言う可憐の声を背後に聞いた彼は、今日、同僚とシフトを交代したことを、 少し後悔していた。

 「バイバイ、おにいたま。」

 手を振る雛子の声に振り向きもせず、しかし軽く右手を後ろに上げて、彼が 何もなかったかのように、階段を下って行くと、

 「じゃあ、行こうか。」

 ちょっとがっかりした顔をしている雛子の肩に手をかけて、可憐も洋服売り 場に向かって歩き出した。

☆☆☆

 「ねえ、可憐おねえたま、まだー」

 秋もののセールが一段落し、今年の冬物が並ぶ店内。いつもはユニクロ商品 を愛用して中国人労働者の金儲けに貢献している可憐だが、別におしゃれが嫌 いな訳ではない。

 「ねえ、可憐おねえたま…」

 可憐のバッグを引っ張りながら、退屈を持て余している雛子が声をかける。 はじめのうちは珍しいものが一杯で、吊るしの服の群れの間に潜ったりして遊 んでいた彼女も、さすがに一時間も経つと、一人遊びには飽きがきた様子だ。 一方、可憐は時間の経過など忘れて、服選びに余念がない。次の「お兄ちゃん の日」は、ちょうどクリスマス。その晴れの舞台を飾るに相応しい、シックで 大人らしいものを選ばねば…。

 「それでしたら、そちらで試してみてはいかがですか?」

 女性もの売り場には珍しい背が高くて少しマッシブ系の店員が、彼女に淡 いグレーのシャツを手渡しながら言った。不自然に日焼けしている顔と窪ん だ大き目の眼、光る白い歯が妙に印象に残る。

 「ねえ、…おしっこ、いってきて、いい?」

 可憐が服を受け取って、今しも試着室に行こうと思っていた所に、黄色いス カートを押さえながらちょっと内股になっている雛子が声をかける。可憐の 斜め前に立っているマッチョダンディーの背後約5mぐらいの所にあるトイレ の目印が、彼女の目に飛び込んできた。

 「一人で大丈夫?ついて行ってあげようか?」
 「ひな、もうおトイレ、ひとりでできるもん。」

 そう言うと、雛子はちょこちょこと小走りに、看板に向かって走って行った。 彼女がトイレに吸い込まれて行くのを確認して、可憐も安心して試着室に入っ て行った。

 一瞬、叫び声のようなものが聞こえたのは空耳だろうか。


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