はしれ!パットン  (アドテクノス)


 暴走指揮官の生き様を描く西部戦線作戦級クォドリ。
 日本人がイメージする指揮官というと、だいたい誰が思い浮かぶでしょうか。織田信長、徳川家康、東郷平八郎に乃木希介など、人によって様々とは思いますが、これが外国の将軍・指揮官となると、その国の(国民性や軍隊の)イメージと重なるような典型的「外国人」が一般に受け入れられるようです。フランスならナポレオン、イギリスならウェリントンやネルソン、ドイツならグデリアンやロンメル。そして、アメリカならリーやパットン。
 アメリカという国はまさに人種の坩堝、あるいはサラダボールであり、一概に「これがアメリカ人」とは決めかねるのですが、しかし白人像としてはヤンキーかカウボーイというのが定番です。そして、魅力的な指揮官というと、やはり南部生まれのカウボーイ。剛胆で荒っぽく、そして男性的な良さも悪さも兼ね備えた馬上のガンマンは、決してフロンティアの昔話でも、スクリーンの中の幻影でもありませんでした。少なくとも、1940年代までは。その精神をそのままに、アナクロニズムの塊として生きようとした人物、それがこの元騎兵将校であるパットンであり、その魅力に引き付けられた人々は、多くの仮想戦記で彼の雄志を描き続けています。まあ米軍でアクのある指揮官といえば、彼とマッカーサー、それにハルゼーぐらいしかいないのかもしれませんけど。

 ここで取り上げる作品は、あのアドテクノスが独立後に発売した西部戦線もの。英語タイトル“The Fighting General Patton”が示す通り、パットン将軍が戦った4つの戦場を、作戦級でシミュレートするものです。SPIが十八番だったこの同一システムで4つ1パック方式をクォドリと呼ぶそうですが、遊び相手も十分なゲーム空間もないぼくにとって、コンパクトながら面白く、そして小さなテーブルの上でソロプレイ可能なこの作品は、とても重宝しました。
 基本ルールは、戦場に応じて概ね大隊〜連隊規模のユニットと、B4マップの上で、再編成−移動−攻撃を手番ごとに繰り返すもので、作戦級に慣れている人ならすぐにでも始められるシンプルさです。デザイナーは福田誠氏。後にツクダから東部戦線ものや戦国時代シリーズを発表していますし、最近は小説でもお名前を見かけます。準備砲撃・爆撃の重要性や、戦闘後前進の強制、機械化部隊の戦闘後消耗(次の自軍ターンまで必ず裏返る)、練度による戦闘結果表の修正など、シンプルな中にうまく特色が込められていて、教科書通りの戦術を盤上で実現しようとしたデザイナーの思惑は間違いなく成功しています。
 「教科書通り」というと、パットンには何かそぐわない言葉に思えるかもしれませんが、彼の作戦を見ると、戦線突破後の電撃的な侵攻にしても、要塞・丘陵地での遅々たる進撃にしても、戦の常道を逸して勝利を収めているわけではありません。機甲部隊の戦術については敵ドイツ軍の著作から学ぶだけでなく、過去の戦史を絶えず繙いていたパットンは、歴史上の人物に自らを重ね合わせるロマンティストであると同時に、現実に即した作戦を実行することに躊躇しないリアリストでもありました。この「現実」とは、しかし「軍事的現実」のことであり、米英ソを中心とする「政治的現実」を見ようともしない彼の言動には、アイゼンハワーをはじめとする同僚・上司達も困惑するところでした。ところが戦後長らく続いた冷戦を知るぼくたちからすれば、パットンの極端な反共姿勢こそが、実は政治的にすら最も「現実的」だったかもしれないわけです。

 最初の戦場は、ハスキー作戦(シチリア島上陸作戦)。第1師団と第3師団、そして第82空挺師団がイタリア軍張り付け部隊を蹴散らす間に、駆けつけたヘルマンゲーリング師団と第15装甲師団が海岸へ向けて怒濤の反撃。ユニット単体としてはお話にならない戦力差なので、準備砲撃や、特殊ルールの重巡艦砲射撃を上手く使って、ドイツ軍を効果的に包囲・殲滅する必要があります。ルーズベルトが言う「うちの坊や達」もそろそろ戦争に馴染んできているはずですが、ドイツ軍には到底及びません。増援が登場する道路端ヘクスをできるだけ早く占領したいところです。あるいは油断と見せかけてドイツ軍を調子に乗らせ、装甲部隊の回復が間に合わないほど攻撃・消耗させ、次ターンでの包囲を図るという手もありそうですけど、そのまんま海中に叩き込まれるかも。

 なお、この島では英軍のモントゴメリーと初めての競争を行っており、作戦計画の勝手な解釈や変更、何事にも慎重なモンティに先んじてのメッシナ占領など、米英を代表する指揮官同士の熾烈なライバル意識がむき出しになりました。しかしパットンは戦闘に精神的に参ってしまった兵士を殴打するという行為をマスコミにすっぱ抜かれてしまい、日本なら話題にすらならなかったこういう所業を許さない「民主主義国」アメリカの軍人としてけしからん、ということで、任を解かれてしまいました。
 この間、軍を率いることのできなかったパットンですが、もちろんドイツ軍からすれば、彼らが編み出した機甲戦術をきちんと理解している数少ない連合軍指揮官を、ただ遊ばせておくなどとは考えられません。パットンに対するドイツ軍の評価が高ければ高いほど、彼の解任は、連合軍が行う次の大作戦のための欺瞞にすぎないのではないか、という疑念をドイツ軍に与えることになりました。そして、来るべきノルマンディ上陸作戦を欺瞞する数々の隠蔽工作のうち、パットンに紙の上で与えられた「第1軍集団」こそは、彼がカレー海岸に連合軍主力をもって上陸するという予想とともに、ドイツ軍を迷わせたのでした。結局ドイツ軍は真の上陸海岸を特定できないままに、連合軍のオーバーロード作戦(ノルマンディ上陸)をみすみす許してしまいます。この時点で既にドイツの戦略的敗北は決定的ではありましたが、しかし連合軍の進撃計画は予想以上の遅れを見せ、いつまでもノルマンディに封じ込められている現状を前に、米英の首脳部では次第に焦りの色が濃くなっていきます。

 そこで次の戦場は、コブラ作戦(ノルマンディ突破作戦)。未だ軍の実質的指揮を任されていないパットンがこの作戦を実行したわけではありません。指揮官はブラッドレィ、北アフリカ以来のパットンの有能な部下であり、しかし今や階級的には上官である、米第1軍の司令官です。モントゴメリー率いる英軍の消耗作戦(望んでそうしたものではないが)によって、予備を東部正面に吸引されたドイツ軍は、西部正面の米軍による大規模な爆撃と、それに続く部隊の突破によって、一挙に戦線の崩壊へと転落していきます。ゲームでは、当初の混乱から何とか戦線を後退させて持久しようとするドイツ軍を、米軍がひたすら押しまくるという展開。包囲下におかずに攻撃すると、ドイツ軍の戦線が混乱なく一歩下がるだけになりますから、準備砲撃で混乱させ、移動で包囲、攻撃で殲滅という、まさに教科書的な手順を繰り返すことを米軍サイドで勉強できます。一方のドイツ軍は、いかにユニットを減らさずに逐次後退できるかが勝負。それでも要所では反撃を行いたいところですが、装甲部隊で反撃すると消耗状態から回復しにくいうえ戦闘後前進強制でスタックさせられ、場所と運が悪いと次の米軍ターンで包囲殲滅という悲劇が待っています。また、米軍の戦闘結果表にはEX(相互損害)がありますが、これはつまり防御側全滅。否応なくユニットを減らされるので、これが続いたら諦めるしかありません。

 この作戦が順調に成果を収める最中、いよいよパットンは首枷を解かれ、戦場に放たれます。彼を描いた映画『パットン大戦車軍団』でつぶやかれた“I love War.”の言葉通り、戦争の申し子はその本領を発揮。突破口から一気に機械化部隊を押しだし、命令にあった制限をのらくらとかわして、ブルターニュ半島とフランス内部へ、ドイツ軍のお株を奪うような電撃的侵攻をものにします。敵味方ともにあっと言わせ、セーヌ河以西のドイツ軍の運命を決定づけたこの大突破は、しかし同時に、ただでさえ需要に追いつかない連合軍の補給を一層混乱させ、連合軍の足並み揃えた進撃にこだわるアイゼンハワーのお達しとともに、パットン第3軍の速度を鈍らせました。メッツ要塞などの攻略に取りかかる頃には、ライン川西岸一帯に広がる戦場は秋から冬へ、白い雪の中へと埋もれていきます。
 この冬の最中に、ドイツ軍が突如奇襲を仕掛けてきたのは、連合軍にとって寝耳に水、では本来ありませんでした。その徴候は逐一知らされてはいたものの、ドイツ軍には攻勢能力はないという先入観が、この攻撃を本物の奇襲にしてしまったのです。場所はアルデンヌ、4年前にフランスへの電撃戦の門となった因縁の森です。「ラインの守り」作戦と名付けられたこの攻撃は、悪天候のため空軍の支援を受けられない米軍守備隊を蹂躙しつつも、しかしかつての精強さを欠くドイツ軍の姿を露呈していました。米軍も直ちに予備を投入しながら、なお決定的な安定は図れていません。混乱と焦燥にまみれる作戦会議の中で、ただ一人、部隊移動を準備してきた男がいました。もちろん、パットンです。

 第3の戦場は、バストーニュ救出作戦。アルデンヌの主要交通路を掌握する最大要所の一つであるバストーニュの町では、急遽投入された虎の子の予備第101空挺師団などが、重包囲下にありながら必死の抵抗を続けていました。包囲を破ってこの町を解放すれば、友軍部隊を救うだけでなく、西方に進撃中のドイツ軍は後方を遮断されることになります。もっと東で進撃していればより容易に後方を絶てたという意見もあるようですが、町に立て籠もる部隊の指揮官がドイツ軍の降伏勧告に“Nuts !”(ふざけるな、とか馬鹿野郎、とかの意)の一言で返事をしたということを知っていたとすれば、どのみちパットンはそんな男を見捨てるはずはなかったでしょう。
 町の米軍とそれを包囲するドイツ軍、南方から救出に来るパットン第3軍と、それに対応して北方より増援されるドイツ軍。盤上のあちこちで遭遇戦が発生し、手に汗握る展開が続きます。場合によっては、戦闘結果表にEXが存在するドイツ軍が米軍を道連れにしまくることで、結構パットンにも辛いことになるでしょう。なお、ドイツ軍ユニットにはオスト大隊の名もあり、泣かせます。EXの時には優先的に除去するのが、その後の過酷な歴史を知る者のせめてもの情けでしょうか。

 このいわゆる「バルジ大作戦」の結果、ドイツ軍は予備を消耗し、米英連合軍は計画に若干の遅延を来しますが、春には全戦線にわたる攻勢を行い、ライン川を乗り越えます。ここでもモントゴメリーが派手な渡河作戦を実行する一方で、たまたまの巡り合わせをものにして一歩先んじて渡ってしまうパットン。彼の栄光は、しかしつかの間のものでした。この後の分割ラインでの停止と、素行や作戦指導に対する批判、そして何よりソ連軍を挑発しかねない危険性によって、彼は表舞台から引きずり降ろされてしまいます。栄光の後の凋落はまた劇的なものでした。彼のライバルだったモントゴメリーがNATOの司令官としてさらなる輝かしい経歴を積んでいく一方、パットンは、自動車事故であっけなく死んでしまうのです。共産主義を、ロシアを毛嫌いし、必要とあらばドイツ軍と手を組んでさえソ連軍とすぐさま戦うべきだと考えていたパットン。もし彼が、史実以上に、戦争を愛していたらどうなったでしょうか。上官からの命令や詰問に聞こえないふりをし、報告をわざと遅らせ、時には高慢な貴族のように、時には悪戯好きな悪童のように振る舞った彼が、この終戦の瞬間に本領以上のものを発揮していたとするならば。

 最後の戦場はそれを描く仮想戦です。第3軍の停止線を無視し、プラハへ突入し、逆らう赤軍を叩きのめす。無茶苦茶ですが、あり得ない話ではなかった戦いです。第6親衛軍などソ連の精鋭を含む大部隊が、パットン第3軍をそのスチームローラーで押しつぶすかに見えますが、しかしユニット除去を回避しつつ北方で地歩を進めていけば、勝利条件を満たすことは可能です。米国のレンドリースが切れたため、中盤からはソ連軍の補給も途絶えがち。一方第3軍には、チャーチルが即時RAFを送り込んでくれるので支援も豊富。終盤で戦線突破ができれば、後方に対応できるソ連部隊は皆無でしょう。逆にソ連軍は、最初の大攻勢でどれだけ米軍を押せるかが勝負です。プラハ3ヘクスを占領しないとまず勝てないので、中央制圧に邁進することになります。なお、ドイツ軍の戦闘団が米軍に味方してくれるのは、あの状況では宜なるかなというところです。

 「側面なんか敵に任せておけ!」というフリードリヒ大王ゆずりの言葉とともに、連合軍唯一の電撃戦を意図し、そして実行したパットン。その荒っぽい印象とともに、彼の指揮は、味方の混乱をも誘うものであったように受け取られもします。補給部隊の略取などの所業は、確かにそうであったでしょう。しかし、この作品でオプションルールに付けられているパットンユニットは、参加した攻撃で敵へのダメージを拡大するだけでなく、EXの結果を攻撃側混乱に換えてしまうという効果も持っているのです。これは、EXの結果がある最初の2つの戦場ではこのユニットを使わないというゲーム的な知恵を要求しているのではなく、パットンという指揮官が、基本的に自軍のユニット除去レベルの損害を忌避していた、ということを、ぼくたちに伝えようとしています。それが希望通りにいくことは、実際の戦場では希であったかもしれないとしても。
 そして、そのような被害を最小にする攻撃とは、パットンにとっては、準備万端の粛々としたものではなく、敵の虚をついた、速度ある突撃・突破にほかなりませんでした。第二次世界大戦は、全体として見れば消耗戦であり、国力の大きいものが倒れずに生き残る戦いでした。しかし、パットンは、彼が称賛した敵軍の電撃戦を、国力のないドイツにとっての必要性とは異なる視点から学び、己の騎兵的能力の、そして騎兵的性格の発露として、存分に活用しようとしたのです。それが往年の戦争を愛する彼の美学であり、合理性だったのでしょう。

 いえ、あるいは彼は、電撃戦を、ドイツ軍と同じ視点で理解し尽くしていたのかもしれません。長期戦に耐えられないドイツは、戦術的奇襲を戦略的勝利に結びつけて短期間で戦争を終わらせる方法を検討し、ついにこの戦術を編み出しました。それは消耗戦を回避し、より少ない被害で国家目的を達成するはずのものでした。ドイツはポーランドに、そしてフランスにこの戦術で挑み、見事に勝利します。しかし、ソ連に同じ手で挑んだ結果、最初のチャンスを逃した後は、アメリカをも敵としてひたすら消耗戦を続けざるをえず、そして完膚無きまでに敗れました。
 では、パットンなき後のアメリカはどうでしょうか。ソ連との冷戦の中で、アメリカは西側陣営の盟主として、長く不毛な軍拡競争を続けざるを得ませんでした。それは一面で、経済的な消耗戦とでも言えるでしょう。そして、実際の局地戦争でも、アメリカは消耗戦に敗れ、大きな傷を残しました。そう、ベトナム戦争です。
 冷戦構造が破綻した結果、アメリカは世界の盟主となり、経済復興にも成功し、そして湾岸戦争によってベトナムを忘れることができたかに見えます。この湾岸戦争で多国籍軍がとった作戦は、空爆やミサイルでとことん叩き、機甲部隊で一気に突破攻撃という、パットンゆずりに思えそうなものでした。彼の魂は、今なお米軍の中に息づいているのでしょうか。
 おそらく答えはNoでしょう。米軍指揮官の中に、バグダッドまでとは言わずとも、状況に応じて無断で戦果を拡大しようとした者はいなかったと言われているからです。定められた目標をきっちり攻撃し、そのための準備を最大限行うが、それ以外は許容しない。これはむしろ、NATOの、つまりモントゴメリーの血が流れていることの証拠なのかもしれません。イラクの政権を打倒できなかったことは、湾岸戦争の政治的目的を達成できなかったということである、と批判する向きもありますが、これは望ましいシビリアンコントロールの徹底を示すとともに、「現実」を直観する指揮官が、軍事的「事実」を作り上げてしまうことによって、政治家の先入観では分からない真の「政治的現実」を明確化しうる可能性を喪失してしまったことをも示しています。官僚化・システム化する米軍に、いまアルデンヌの幽霊戦線は存在するのか。するとしたら、それを果敢に攻撃する敵が現れるのか。そして、その混乱の時に再び、パットンのような男が現れるのか。
 現れずにすむ平和な世界なら何よりですが、もしその平和が危機に瀕する時には、せめて彼のような人物の手で、戦争をいくらかでも人間的なものにとどめてやってほしいと切に願います。たとえそれが、古き良き戦争芸術をかなたに望む、ドン・キホーテのアナクロニズムにすぎないとしても。

 この古き良き作戦級作品を再販するとの声もあるようですが、ぼくは当然買います。ついでに、シリーズ予定のはずだった『さよならモンティ』とかも出していただけると嬉しいのですけど、ここでもまたパットンは、モンティに先んじっぱなしということなのかもしれません。


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