「にゃんこ先生の野望」

 

 いま仮に、常時10人以上の従業員を持つ事業所があるとしよう。この事業所の職員の4割が常勤職員であり、残り6割が非常勤(パート)職員である。またこの事業所には労働組合が存在し、常勤職員の9割が加入しているとする。実はつい最近まで、この事業所の職員の6割が常勤職員であり、かつその全てが労働組合に所属していた。それゆえ、この労働組合は労働基準法でいう「労働者の過半数で組織する労働組合」に該当していた。そういう歴史的経緯より、組織率が過半数を割った後においても、労組の代表者が(パート職員を含む)全労働者の代表として、労使協定を締結してきた。とはいえ、職員代表者の選出にあたっては「全職員が代表となるものの選任を支持していることが明確になる民主的な手続き」が要求されるため、手続き的には全職員を対象として立候補を募り、その後に選挙を行うことで単位労組委員長が職員代表者として選出されてきた。「誰も好き好んでやりたい仕事でもないので、他に誰も立候補がいない」から、結果としてこういう事態が続いていて、それで別に何も問題が生じていなかったわけだ。

 

 で、今年も例年同様、労組役員の交代を受けて職員代表者選出選挙を行うことになったわけだが、そこで少し困ったことが起こった。先例に従い立候補募集が行なわれ、労組代表者(ジョニー)が嫌々ながら立候補した。ところが、労組の方針に反対することを生きがいとする非組合員(にゃんこ先生)も立候補してきたのだ。「にゃんこ」というと「『にゅ〜ん』とか言っている、猫の耳をかぶった少女」といった感じもあるが、実際はただのデムパ野郎である。それはさておいても、非常勤職員の動きによっては「にゃんこ先生勝利」も十分にありえる。「にゃんこ」のクセに資本階級の犬である彼は「現使用者以上に使用者的な労働条件」を導入したいと考えている節もあるようなのだが、はたして彼の野望は成就するのか?

 

 常時10人以上の労働者を使用する事業所は、「就業規則」を作成し、行政官庁に届け出なければならない(労基89条)。就業規則には「労働時間・休暇」「賃金」「労働者の退職(解雇・定年を含む)」に関連する絶対的記載事項と、その他8項目の相対的記載事項(法令で「・・・する場合は」と書いているもの)が記載される。使用者が就業規則の作成又は変更を行なおうとする場合には、まず「労働者の過半数で組織する労働組合」があればそちらに、もしない時には「労働者の過半数を代表する者」の意見を聴かなければならない(労基90条)ことになっている。行政解釈としては、「協議決定まで要求するものでなく、意見を聞けばよい」とされている。

 

 とはいえ、就業規則に書いている労働条件の多くは「労使協定」によって決定されるものである。労働条件の最低レベルの所は労基法や最低賃金法で定められていて、それに満たない条件の労働契約はその部分が無効とされ、これらの法律に定める基準が適用される(労基13条)。「労使協定」が締結され(必要な場合は労働基準監督署に届け出)ると、法定基準と異なる基準を締結することができる。一番有名なのが「36協定」(労基36条)と呼ばれるもので、これを結んでおかないと使用者は時間外・休日勤務を命じることができない。その他、フレックス・変形労働時間制度(32条)や裁量労働制度(38条)など、「労働時間・休暇」「賃金」に関わる労働条件の殆どに労使協定の効果が及ぶ。ということは、少なくともこれらの部分については、あらかじめ労使協定が締結されていないと、就業規則に書き込むことができない。だから、上に書いたように絶対的記載事項の多くは事実上、協議決定に基づいているわけだ。

 

 それでは労使協定は誰と誰が締結することができるのか。労基36条で見ると「使用者は、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定をし、これを行政官庁に届け出た場合においては・・・」という書き方になっている。これは他の条文でも似たようなものだ。つまり組織率50%以上の労組か、これがない場合には職員の過半数代表者が使用者と協定を結ぶことになる。つまり、就業規則の場合と同じわけだ。

 

 話は戻って件の事業所のケースだが、現在、この事業所の労組組織率は36%であり、全職員の過半数未満である。ゆえに、労使協定は職員代表者が使用者と締結することになる。もし選挙で勝てば、にゃんこ先生の天下がやって来るわけだ。極端に言うなら、交渉の場で使用者が提示するよりも下の(ただし、労基法の水準よりも上の)労働条件を提示することも可能である。しかし、このような労働条件の切り下げを、労組が認めるわけがない。つまり、職員代表者と労組の間で利害対立が発生してしまうわけだ。使用者まで巻き込んだ、壮大ないやがらせ作戦と言ってもよい。

 

 ところがこの戦い、最終的には、にゃんこ先生の敗北で終わることが決まっている。「労働協約に定める労働条件その他の労働者の待遇に関する基準に違反する労働契約の部分は、無効とする。この場合において無効となつた部分は、基準の定めるところによる。労働契約に定がない部分についても、同様とする。」(労組16条)・「就業規則は、法令又は当該事業場について適用される労働協約に反してはならない」(労基92条)・「就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については無効とする。この場合において無効となつた部分は、就業規則で定める基準による」(労基93条)。つまり「労働協約>就業規則(労使協定)>労基法の規定」という関係があり、かつ労働協約を締結できるのは「労働組合の代表者又は労働組合の委任を受けた者」に限定される(労組6条)。だから、にゃんこ先生が労使協定によって現行の労働条件を切り下げようとしたとしても、労働組合が現行の労働協約によって定める条件を切り下げることに同意しない限りはどうしようもない。

 

 以上の議論で、にゃんこ先生が労働法上、無意味なことに血道を上げていることが立証されたわけだが、ただし過半数以上を占めるパート労働者の労働条件を常勤職員が結果として低水準にとどめているという事実が存在し、それがにゃんこ先生の支持に繋がっているという事実があるとするならば、彼の活動にも一部の理はあるだろう。労組17条で規定される一般拘束力(一の工場事業場に常時使用される同種の労働者の4分の3以上の数の労働者が一の労働協約の適用を受けるに至つたときは、当該工場事業場に使用される他の同種の労働者に関しても、当該労働協約が適用される)による保護が非常勤労働者にも及ぶわけではない以上、労組としても(非組合員である)彼らの労働条件についても別途、交渉の対象とせざるを得なくなるわけだが、労働組合の代表者またはその委任を受けた者は労組か組合員のためにしか交渉を行なうことができない(労組6条)のだから、(使用者側が自らの意思で非組合員の労働条件を交渉事項と認めない限り)労組が交渉を強要することができない(つまり、労組72で定める団交拒否を不当労働行為とみなすことができない)。労組加入への道が開かれていて、自らの意思で非常勤労働者がそれに加盟しないのであれば、それによって救済の道が閉ざされるのも本人の責任だと言えるわけだが、はたして現状がどうなっているのか。

 

#以上の話につき、ある読者から次のようなコメントが来ています。きちんと元判例までは確認していませんが、おそらく、正しいものと思われます。

---以下、引用---

 「にゃんこ先生の野望」を拝読いたしましたが,一般的拘束力(労組法17条)に関するくだりは誤解があるようです。労働組合が少数派である場合については幾つかの最高裁判決があり,判例法理によって処理されます。想定されている事例の場合ですと,少数派である労働組合が締結する労働協約は多数派である未組織労働者に影響を与えず,逆もまた同様という場合になろうかと思います。

すなわち,組合員と未組織労働者とが異なる労働条件になってしまうでしょう(判例法理は,一の事業場で異なる労働条件が現れてくることを許容します)。

 加えて,就業規則の不利益変更についても判例法理があります。

 そのような次第ですので,判例を参照せず法律の文言から事例を組み立てられたと思われる先の事例は,実態に合わない結論になっていると思われる次第です。

---ここまで引用---