「まこピーに人権はあるか」

 

身寄りのない、記憶もない浮浪児がいます。

年のころは中学生くらい。女の子のようです。

警察が保護し、とりあえず血縁者を探すため、採血してDNA鑑定をすることにしました。

するとキツネの遺伝子が出ました。

さて日本の法は、この女の子にいかなる人格を与えることができるというでしょうか?

 これは「Kanon」(key, 1999.6.4)の沢渡真琴を想定した質問であるが、真琴がキツネと人間の遺伝子を持っていて、前者が発現していないために人間の表現型を示している場合、キツネ特異的遺伝子が検出できたとしても、彼女をキツネとして取り扱うことが妥当なのか。つまり「遺伝学的にキツネでもあるが、見た目・行動パターンが人間の場合、法的な人格を認めることができるか?」という問いであるが、これは法律の範囲外の質問である。

 

私法上の権利がないものは法律行為の主体になることができない。例えば「鯛焼き食い逃げ」という行為は債務不履行を構成するが、月宮あゆのような生霊はそもそも法律行為を行うことができないのだから、売買契約そのものが無効である。同様のことが、「To Heart」(leaf, 1997.5.23)のマルチ(ロボット)についても言える。これに対し、真琴が「人」とみなされるならば「代価を払って肉まんを買う」という契約は成立しうる。民法1条3項は「私権ノ享有ハ出生ニ始マル」と規定している。だから、人から生まれたものであれば、有無を言わせず出生の時点で自動的に民事上の権利主体になる。普通、ヒトからキツネが生まれることはないのだが、何かの間違いでヒトから人間の形をしたキツネが生まれてしまい、ひとたび出生届が受理されてしまえば、後で本当はキツネだとわかってもどうしようもない。彼女は「人」として扱われる。「本当にこれは人間か?」などという合理的な疑いを抱くだけの理由があれば別だが、おそらく常識的な判断から無籍者扱いにされて終わりだろう。無籍者(本籍を有しない者)は、家庭裁判所の許可を得て戸籍の記載の届け出をすることができる。これを就籍という(戸籍法110条)。戦後外地から引き揚げた者や、父母が出生届けを怠ったまま死亡しているときなどに、就籍の届出が生じ、就籍を許可した審判例が多いそうだ。

 

世の中には戸籍に書いてある基本的身分関係(婚姻関係や親子関係など)が、真実のそれと異なっていることが往々にしてある。ただ別に、戸籍に書かれていることが絶対的なわけでもなく、実は一応の証拠にすぎない(大決大111.16民集1巻1頁)。たとえば戸籍に親子と書いてあっても、それが真実に反していれば親族関係は存在しないし、逆もまた真である。世の中、独男暦=年齢の新中年が、本人も知らない間にシナ人と結婚していたりするといった事例があるようだが、このように、届出によって効力が生ずべき行為(婚姻など)が無効な場合は、家庭裁判所の確定判決または無効を宣言する審判を得た後に訂正を申請しなければならない(戸籍法116条)。訴訟手続は人事訴訟法に従い、管轄裁判所は「相続開始の時における被相続人の普通裁判籍の所在地」ということになる(民訴第5条13項)。

 

 ここで真琴が仮に就籍したとしても、その後、キツネであることが判明したならば(キツネは法律上、人でありえないので戸籍に記載できないから)、戸籍の訂正を求めなければならない。「そんなことわざわざやる奴がいるのか」という疑問は当然に思い浮かぶ所であるが、たとえば真琴が人間として戸籍に登録されている間に、誰かが遺産を与える遺言を残して死亡し、その後、真琴がキツネであることが発覚した場合、他の相続関係者が自分の取り分を増すために訴えを起こす可能性がある(人でなければ、財産相続権は存在しないはずだから)。ところが、これは人事訴訟に該当しない。そもそも人事訴訟法で想定しているのは「社会的な身分関係の安定を揺るがすケース」なのであって、目の前にいる奴が人間かどうか、なんてことは想定の範囲外なのだ。だから戸籍の訂正を求めると言っても、人事訴訟手続きでは無理。それではどうやって訴訟を起こせばよいか、といえば民法第1条3項を持ち出してきて、「私権を享有できるのは人から生まれたものだけだ。キツネが人から生まれることはない。ゆえにキツネに私権は享有できない」という三段論法で、財産相続権を否定するしかない。