「To Heart」
(leaf / 1997.5.23)
「
leaf
Visual Novel Series Vol.3」。1994年発売の「
ときメモ
」
と並んで、もはや古典的な学園ものギャルゲーの部類といえるだろう。この手の比較的多数のキャラクターの中から特定キャラを攻略するタイプのゲームは1992年に
elfから発売された「同級生」にまで遡り、それ以降えろげ・ギャルゲ問わず、種々の作品が発売されている。
有名作品であるせいか、東浩紀や斉藤環も時々、議論のネタに取り上げていた。そういうこともあって、一応、プレイしてみたのだが、個人的にはそれほど見るべき点は感じなかった(というか、正直、これほど時間の無駄を感じたのも久々)。放課後の行動で多様な分岐を用意するという、ゲーム性を重視した作りになっているために、各キャラについての大きいシナリオが用意できないというのは仕方ないにしても、ストーリー全体を通して何を言いたいのかよく分からない点は、かなり気になる。ライターは「キャラの属性に萌えられれば、それで無問題」と思っているのだろうか。以下、クリアした5人について軽く感想を書いてみる。
- 芹香シナリオ
大財閥のお嬢様で、主人公の先輩。「オカルトマニア」らしいのだが、読んでいる本は「幽霊入門」など、とにかくヌルい。それはともかくとしても、淡々と日常が過ぎていくうちに、ご都合主義的な設定が語られて、そのままエンディング直行というのはいかがなものか。ラスト近くでセバンスチャン(自称)によって芹香の過去が語られるシーンがあるが、それまでの行動がこの伏線となっている節も見られないし、そもそも、ストーリー展開上、何で「魔術ヲタ」という属性を付与する必然性があったのか、全く理解できない。まさかとは思うが、「奥様は魔女だったのです。」という台詞をセバンスチャン(自称)に言わせるためだけだったりして。唯一、魔術系の設定が使われているのは「惚れ薬」云々の話だけだと思うが、どうせこういう展開にするなら、せくーすしてしまった後で、それが芹香の本心からだったかどうかを、あえてぼかしておいた方が、ラストのパーティーを抜け出してくるシーンが生きると思うのだが。
- マルチシナリオ
まあ、狙っている線は分かるし、信者が出るのもうなづける。とくにえちしーんの後の展開は(変なオヤジが出るシーンは無駄だと思うが)かなりいい感じで、これでラストのDVDが届く展開がなければ言うことなしと思われ。最終的に「過去の記憶を持った」マルチが復活することがあるべきエンディングと考える人が多いのかもしれないが、個人的にはここで安易にマルチを復活させては「ロボットに心があるべきなのか」というテーマの重さをせっかくぶつけた意味がなくなると考える。この点では、セリオの優秀さをマルチと比較する形で露骨に出したシーンがなかったのもマイナスだと思われる。もう一点。マルチが研究所に戻った後のあかりとの会話シーンだが、私なら断固「メイドロボなんて欲しくない」と、あかりに言わせているだろう。このシーンで表現すべき点は2つあって、一つはメイドさんのご主人様に対する一途な愛情、もう一点はマルチが同級生の婦女子にも受け入れられるキャラクターであったということである。シナリオでは後者を表現することを選んだように見えるが、えちシーンからのストーリーの流れから見ると、むしろ前者をここでは強く表現しておくべきだったように思える。
- あかりシナリオ
「日常を描くって、こんなに退屈なものですか?」と思うぐらい、平坦な会話とシナリオ展開が最後まで続く。好意的に表現するならば「小さな日常の積み重ねの中で、少しずつ変わっていく二人の様子を描いた作品」とでもいうところだろうが、あまりにメリハリがなさすぎて先を読む気力が全く沸かない。これは葵シナリオの格闘試合イベントにも言えることだが、平凡な日常を揺るがす事件の設定があまりにありきたりで、しかもその盛り上げ方が下手すぎるのだ。余談ながら、「立たない」という話で「
五代くん」を思い出したのは私だけですか?
- 琴音・葵シナリオ
超先生が書いたとは思えないぐらい真っ当な話で、きちんと筋が通っている(「半数染色体」云々は別)。ただしそれ以上でも以下でもない。無駄にネタが濃いのは作風か?
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