BaseSonの第1作(初版発売の約1年後である2003年4月25日にフルボイス版が発売予定)。知ってる人なら、誰でも知っている「ONE」(Tactics)の「二匹目の泥鰌」を狙った作品(そう言いきってしまうと実も蓋もありませんが)。 Iyahoo! JAPANに、この作品に関連するサイトが多数リンクされている。
ゲームスタート時点の先生との会話だけ見ると「テキストレベルからして全然、だめぽ」かと思うが、そこから先はかなり真っ当なので、ここで挫折すると損をする。ストーリー展開も基本思想は間違っておらず、素直にエンディングに繋げれば、そこそこの良作になったはずの作品である。しかしながら「ヒロインが消える」ことにこだわった所が全ての間違いの始まりで、どのシナリオをとっても「全くの不条理な展開」にしか見えないところが悲惨ですらある。以下、各シナリオについて簡単に見て行こう。
このシナリオの見所の一つは、主人公が無邪気に彼女を応援し続けることが、逆に破局をもたらすという香ばしい展開にある。同級生の及川は、奈穂が「もうすぐ母親に会えるから、頑張らねば」と言っていることが電波であることを知っていて、その妄想から彼女を解放できなかったことが、どうも負い目になっている様子だ。無論、主人公に対してそんなことはいちいち説明するようなキャラクターではないので、「あいつを手伝うのはやめろ。」と強く主張し、最後には一切、奈穂や主人公とかかわるのをやめてしまう。
三角関係のようにも見える3人の人間関係をかなり緻密に記述することを通じて、「奈穂の妄想への囚われ」に対してどう対処するのが正しいのか、というテーマを描いており、その点では高く評価されてもよいシナリオだと思う。しかしながら最悪なのは、最後の最後で全く意味不明かつ必然性のない展開(永遠逝き)が待っている点にある。むしろこの「妄想の崩壊」に続いて描くべきは、「現実を受け入れた奈穂」と、2人の男たちの関係の変化であるはずなのだが。
クラスの中で孤立している望月綾芽。彼女が他人と距離を置く理由は、「他人は信じられない」「他人と絆を持つと、それが否定された時に悲しい思いをする」の2点。これってどう見ても「里村茜」のパチモソですね。で、その思想の背景にあるのが、姉との別離体験にある。彼女の姉、幾美さんは(どうした訳か理由は語られていないが)永遠の世界に行ってしまい、綾芽以外の誰もがその存在すら全く忘れている。一方、主人公は幾美が永遠の世界に逝く直前、偶然に出会っているのだが、彼女のことは綾芽に会うまで忘れていたと。
上の事実が判明して、主人公は綾芽が「姉の思い出」の世界に閉じこもって生きるのは好ましくないと主張。陰湿な嫌がらせだの、DQN登場だの、 なんだかんだあって、一旦は彼女もそれを受け入れたように見える(ここでえちシーンが入る)。だがその後、こんどは「主人公への想いが膨れ上がることで、姉のことを忘れる自分が怖い」などと言い出して、綾芽がエイエソの世界へ。あとはお約束通り、1年後に復活すると。
「ONE」里村茜シナリオを意識しているのだろうが、茜シナリオは主人公の介入により、彼女が一旦過去から解放され、新たな絆が成立した所で、その相手が消える。つまり囚われの対象から開放した、まさにそいつが新たな囚われの世界に引きずり込むという構造を持っている。主人公=プレイヤーの立場としては、それが避けがたい展開であるだけに、最後の出会いのシーンは非常に重い意味を持つ。
これに対して綾芽シナリオでは「私が死んだら、姉もこの世界からいなくなる」と言っていることからわかるように、綾芽は姉を求めてエイエソの世界に逝くつもりはない。ただ、リアル世界の中で他人との交流を拒否して、精神的に引きこもっているだけだ。それがなぜか最後では永遠の世界に逝ってしまう。よく目にする解釈では「主人公と絆ができた時点で、既に扉が開いていた」とするものだが、それでは綾芽の主体的な判断とは独立の「運命」としてエイエソ逝きが決定されることになり、逆に1年後にリアル世界に戻ってきたのも、主人公の行動とは無関係に、偶発的に生じたことになる。
多分、このシナリオの分かりにくさの最大の原因は綾芽が永遠の世界に行ってしまうことに起因する。彼女が「姉がこの世にいた証として自分が忘れないようにしなければいけない。」と考えているならば、彼女は永遠の世界に行く理由はない。ONEワールドでは永遠の世界に行く理由として、永遠側にいる人との間の「約束」を必須としており、綾芽に関してはそのような約束が幾美さんとの間に存在しない。故に彼女が永遠の世界に行くべき理由が存在しないのだ。この点では奈穂シナリオの方が、まだしも筋は通っている。ベタな話しにはなるが、単純に病弱系の姉がたまたま病室の外で知り合った主人公の事を思いながら氏んで行き、その妹が主人公によって引きこもりから解放されたというストーリーの方がはるかに分かりやすいと思うのだが。
香咲乃逢は蔵谷孝子(2年生)と二人で、女子陸上(長距離)をやっていた。ふとしたことから彼女と知り合いになった主人公は、いつの間にか彼女たちの部活にも顔を出すようになる。乃逢は走るのが嫌いという訳でもなく、かなりよい記録が出ているにもかかわらず、どうしたわけだか対外試合には出ようとしないのだが、その理由は中学時代の無理な練習で故障をしたことがトラウマになっていたからだった。一計を案じて孝子が「二人だけで試合をしよう」という提案をして、主人公は試合までの間、乃逢のコーチを引き受けることになる。が、彼女が無理をしていることに気づかないままに当日を迎え、結果、乃逢は二度と走れないかもしれないという状態になってしまう。関係者には停学などの処分が下り、乃逢も行方不明になってしまう。ここまでは実に王道の展開で、不自然な点はない。
しかしこの辺から「ONE2の呪い」が発動する。乃逢がどうしたわけか、主人公を含めた他人から存在を忘れられて行くのだ(綾芽だけは乃逢に何が起ころうとしているのか把握している節がある)。結果的には「走ること」ができなくなっても、別に存在意義がなくなるわけじゃあないよ、みたいな話の展開になっている訳で、そこに付け加えられている「放っておけば、永遠の世界に走っていってしまう」みたいな描写は無駄かつストーリー展開上、何の必要性がない。このシナリオの最も重要な所は「走ること」に過剰な自己の意味づけを求めていた乃逢が、そこから開放される道筋を描くことだろう。そうであれば、そのレーゼンゾールの喪失に引き続いて、新たな自己規定の根拠の発見のストーリーを描いてエンディングに持っていくのが普通の発想だろう。例えば「乃逢たちが学校側に目をつけられた女子陸上部を復活させる話」などだ。この点の描き方が非常に薄いために、最後の最後で一気にストーリーの説得力が失われているように思える。
主人公は、ふとしたことから音楽の教師の深月遙がピアノを弾いているのを聞き、音楽室に通うようになる。その曲はなぜか未完成な所で終わっていて、実はそれが全体の伏線になっている。
ある日、主人公がいつものように音楽室に行くと、先生は2年生の麻生久遠にピアノの個人レッスンを行っているところだった。この久遠、自称「天才」というだけあって、筋はいいのだが、一方で性格の極端さから担任の児玉とひと悶着起こしてしまう。児玉の「結果も出していない奴は信頼しない」という言葉に、「だったらコンテストで優勝してみせる」みたいなことを言い返す。レッスンは続き、いよいよコンテストが近づいてきた所で、久遠がプレッシャーで潰れそうになる。先生は「私もそうだったけど、コンテストに入選した」といって励まし、何とか立ち直った久遠は会場に向かう。しかしいざ演奏が始まると、全くダメダメで、戻ってきた彼女は先生に「嘘つき」と行ってそのまま帰ってしまう。
ここで事実が明かされる。遙はたしかにコンテストに参加したが、前の演奏者の天才的なプレイに恐れをなして、そのまま逃げ帰ってしまった。その事実を久遠が自分の演奏の直前に耳にしてしまったのだった。遙が久遠を指導していたのは、自分が果たせなかった夢を彼女に託していたのだが、常に「結果を出していない自分が、彼女を入選させることができるのか?」という問いを抱き続けていた。その結末がこれだ。
その後、遙は皆から存在を忘れられていく。もっともこれは当人も望む所だった。主人公も遙の存在を忘れていくのだが、風音に「未完成」の旋律を思い出して、ピアノでそのコピーを始める。久遠も加わって、ほぼ完全に弾けるようになるのだが、(彼らにとって)不思議なことに、その曲は中途半端な所で終わっている。しかも最後の小節だけは、微妙に音が狂っているような気がしてならない。そこに「えいえん」の世界から復活した遙がやってきて、大団円となる。
非常に道筋が明確なシナリオで、純粋に「キャラ萌え」要素がないためだけで損をしている感が強い。ただこれも「えいえんの世界」なんてものを持ち出す必要性は全くなく、単に引きこもるだけでも十分のように思われる。もっと重要な論点は、(乃逢シナリオ同様に)破綻の後にキャラクターがどう、現実を立て直したのかが十分に描かれていないところだろう。エンディングは複数あるが、よく分からない形で久遠が音楽の世界で成功したり、久遠か遙が主人公と付き合っているシーンで終わったりというものばかりだ。フルボイス版では「久遠シナリオ」が独立で入るそうなので、この辺が改善されているとよいのだが。
芹沢心音はその昔、主人公と知り合いになるも、彼の引越しによって二人の仲は引き裂かれてしまう。その時に彼が渡した人形を、そうとは気づかずに主人公は彼女から受け取る。その後、過去のことは全く忘れたままで彼は(「おにいちゃん」と呼んでくれる)心音と付き合い続けるのだが、ある日、皆が彼女の存在を忘れ始める。実は彼女、もうこの世の人ではなかったらしい。主人公が彼女のことを忘れなければ、彼女の転生であるリアル幼女が、再び彼の前に現れてエンディング。「光源氏計画」ですか?
以上見てきたように、この作品の大半のシナリオに共通する点は、「起承転結」の「転」までは非常にしっかりと作っているのに、最後の詰めがヌルく、そのために「わけわからん」「良作になりそこねた作品」という評価を受けていることだ。個人的には「To Heart」「Kanon」よりは、はるかに面白かったが、積極的に他人にお勧めしない理由はそこにある。あらかじめこれを分かった上でプレイするならば、価格相応には楽しめる作品ではあろう。
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